●何処かの会話 誰かが罪を犯しました。 その罪人を、心の広い優しい聖人は許してあげました。 今度の罪は、私があなたを許しましょう。しかしまた同じ過ちを犯してはなりませんよ、って。 けれどね、罪人は許して欲しくなかったの。罰して欲しくて、裁いて欲しくて罪を犯したのよ。面白いわね。 それなのに許されてしまった罪人は、次はどうしたと思う? 今度は聖人を殺してしまったのよ。 もう二度と、自分の罪を許す者が現れないように。 ●許されてしまった罪人の独白 両手を濡らした血潮とは裏腹な、真っ青に晴れ渡った空と綿のような雲までもが己を責めているかのようだ。 しかし、男には分からない。分かるだけの術がない。 許されたくはなかったのだ。許されたくはなかったのだ。 だが――嗚呼、だが、それは何故だったろう? 男には最早、その理由が思い出せない。そも、裁かれるべきであった最初も最初、その根底たる罪過さえ、今や思い出すことが叶わない。 しかし男は、“思い出せない”という事実さえも疑うことはない。何故なら思い出せないことを疑うより先に、思い出せないという事実そのものを忘却してしまうからだ。果たしてその理由さえ、男には疾うに失ってしまっている。 ただ、一つ。 男には忘れ得ない、忘れようのないただ一つの事実があった。 “許されてはならない”。許されるわけにはいかない、報いを受けねばならないという、脅迫観念にも似た“何か”。 いつから歩き続けていたのか、疲れて棒のようになった足を男は尚も先へ、先へと緩く進ませる。 その先に、自分を裁く何者かが居るかは分からない。だとしても、男にはそうと思って先へと進むしか術はない。 儚く消えていく記憶の中、男に残っているのは“許されてはならない”という事実と、そしていつの間にか指に嵌っていた、血色の石の鮮やかな指輪が一つきりだ。 そういえば、かの心優しい誰か――男に許しを与えた誰かを屠った時、その血を浴びた石が殊更赤く生々しく輝いていたような……。 ――けれどそんな疑問でさえも、すぐに旅人の纏う砂ぼこりの一片と化して、男の意識から剥がれ落ちていった。 ●理不尽な奇跡 「アーティファクト、ラインオーバー」 資料にちゅうもーく、という間延びした響きは、白衣のフォーチュナの普段と至って変わらない口調だった。 眼鏡の透明なグラス越しに自身の手にする紙製の資料を捲り、指輪の形状をした写真のプリントアウトをテーブルに置く。銀色のリングに大小の丸い深紅の石が嵌ったデザインは、お世辞にもセンスが良いとは言い難い。 「何でも他人の中から使用者への注意力、警戒心といったものを散漫させる代物らしい。……具体的に言えば使用者が眼前で強盗しようがマシンガンをぶちかまそうが、全く気にかけなくなる程に」 そしてそれは、誰か一人二人に限るものではない。ごく普通に関わる者には影響を及ぼさないが、“一定以上”の警戒心や関心と共に注目しようとした者に対して、その注目を使用者への無関心という形に変換させる。 「覚醒した者に対しての影響力は殆ど効果を失うらしいが、悪人どもが知れば喉から手が出るほど欲しがる一品だろうな」 皮肉に唇の端を持ち上げた『直情型好奇心』伊柄木・リオ・五月女(nBNE000273)が、眼鏡を外して軽く首を振った。髪を泳がせるように軽く掻き上げ、眼鏡を白衣の胸ポケットに引っ掛ける。 「だが当然、そんな都合の良いだけのアーティファクトじゃあない訳だ。――代償は、使用者の記憶。と言っても、アーティファクトが効果を発現するのは指輪を嵌めている間だけのようだから、外している間に関しては見た目通りのただの指輪らしい」 しかして破界器がその能力を使用するごとに、使用者の中から大なり小なり、日常生活に支障を来さないぎりぎりの範囲までの記憶が喪失されていく。 「喪失される記憶は当然ながら使用者に選べるものではなく、問答無用に奪われていく。使用者には、何の記憶が奪われたのも分からないという寸法だな」 ある意味ではそれも幸せかもしれないが、と溜息を零したフォーチュナだったが、それはそれとしてとすぐに顔を上げた。 破界器の回収か破壊、その任務の為に集わされたリベリスタ達を眺め、好奇心で嵌めてみようとは思わないように、と若干のからかい交じりに忠告を発する。 「失われていく記憶には優先順位があるようだが、そこまでは判明していない。優先順位の低い記憶であれば、多少は思い出せる場合もあるらしいが――……」 不確定な事実を避けるように言葉を途中で濁らせた五月女が、小さく息を吐いて天板から資料を取り上げた。 捲っていたページを戻しながら、改めてリベリスタ達に視線を移す。 「既に死人も出ている案件だ。……手段は問わないが、迅速な解決を願う」 よろしく頼む、というフォーチュナの口調には、既に普段の呑気な響きが戻っていた。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:猫弥七 | ||||
■難易度:EASY | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2014年06月09日(月)22:29 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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● 「どのようなものであれ、記憶を奪われ失うってのは果たして幸せなのだろうかね」 ぼやくように零した『足らずの』晦 烏(BNE002858)は、咥えた煙草へと歯を立てた。 夜ともなれば静まるのであろう街並みも、今は賑やかを通り越して騒々しい。 「尤も、結論は他人が出せるもんじゃないのかも知れないがね」 部屋番号の下にネームプレートの嵌る錆びの浮いた郵便受けを覗き込んでも、入っているのはチラシやダイレクトメールばかりだ。 「あらちょっと、さっきの探偵さん」 唐突に掛けられた声に驚くこともなく、烏は平然と背後を振り返った。中年に差し掛かろうという女の容貌は、少し前に話を聞いたばかりの加須の隣人だ。 「あぁ、先程はどうも」 覆面は覆面で悪目立ちするだろうが、それを外した下にもまた、穏やかならぬ傷が走っている。とはいえそのことが返って妙な説得力でも与えたのか、さもなければ関わり合いになりたくないのか、男の職場でもアパートでも情報を集める際に探偵を名乗った烏へと特に疑いを差し挟む者もなかった。 「そのね、さっきの話なんだけど」 「はい?」 「加須さんに恋人らしい人が訪ねてきたことはないんだけど、半月くらい前に一度、夜の公園で見かけたことがあるのを思い出したのよ。可愛らしい娘と一緒でね」 「はぁ……」 「恋人って雰囲気じゃなかったし、親しい間柄って感じでもなかったけど……あの時に、何か渡していたようにも見えたのよね」 あの後だったかしら、加須さんが指輪をしているのを見るようになったのは。 記憶を引っ張り出すように首を傾げて語る住人に、烏はそれとなく口元から煙草を外した。深く吸い込んでは肺を燻す紫煙を、細く長く空へと吐き出す。 視線で辿った先、薄暗く淀んだ天井の隅へと屯したそれが解けるように消えるのを見送って、烏は穏やかに住人へと礼を告げた。 晦烏の得た情報は、夜間にかけて仲間達へと共有された。 ● 最後まで忘れられなかった記憶を守ってやることが優しさなのか。 「それとも、断罪を望むほどの記憶を忘れたままにしてやることが優しさなのか……」 それは己には選べないものだと、『デイアフタートゥモロー』新田・快(BNE000439)は胸の内に独白した。 如何にも、答えの出ない問題というものは幾らもある。 しかしそうした想いとは裏腹に、『わんだふるさぽーたー!』テテロ ミーノ(BNE000011)は努めて明るく声を弾けさせる。 「よーしっ! みんないくっよー!!」 夜の河川敷とはいえど、住宅街から然程離れている訳でもない。深夜とはいえ無人ではない辺りが、それを証明しているようだ。 「悪いね、ちょっと回り道してもらっていいかな」 片手詫びに謝罪する青年へと、今しも河川敷に下りようとしていた二人連れが足を止める。 ところで、神秘という力は慣れない一般人にとって実に強力な代物だ。快の双眸を何の気なしに見返した少女達が、訝しく疑問を投げかける口調を濁らせる程度には。 「何かあるんですか?」 「うん、ちょっと――映画の撮影をね」 機材の一つも用意されてはいないが、催眠に落ちた少女達の眼差しにはちらとも疑念は浮かばない。 「こんな所で?」 疑念、ではない。純粋な疑問を向ける一般人に、快の後ろから顔を出した『てるてる坊主』焦燥院 ”Buddha” フツ(BNE001054)が笑う。 「そうそう、彼女がヒロインだぜ」 肩越しに振り返るフツの言葉に応じたように、ミーノが満面の笑みで手を振った。 アイドルオーラと呼ばれる、如何にも常人とは異なる雰囲気に少女達が密やかな歓声を上げる。 頑張って下さいねとはしゃいだ声援を上げてから立ち去る二人組の中で、どういった思考の転換がなされているのかまでは見て取れない。催眠が解けた頃には深夜の奇妙な集団に再び首を傾げるのかもしれないが、その頃には真相も闇の中だ。 やがて人知れず『致死性シンデレラ』更科・鎖々女(BNE004865)の展開させた強結界の影響によるものかめっきりと川原を行く者達が減り、静けさを取り戻した河川敷で暗闇を見通す『覇界闘士<アンブレイカブル>』御厨・夏栖斗(BNE000004)の双眸は、細道から上がってこようとする姿をじっと見詰めた。仕事帰りと思しき姿でありながら、僅かな街灯の明かりを集めたかのように、指に嵌る装飾が妖しく光る。 しかし唐突に姿を照らし出した懐中電灯の眩しさに怯んだように、歩み掛けていた足が止まった。 「あぁ、ごめんなさい。何か動いた気がしたけど人とは思わなくて」 懐中電灯の方向を変えながら、さも今気付いたとばかりの口振りで鎖々女が謝罪を口にする後ろで、形なき仮面を心に覆い被せた『ミザントロープ』キャル・ユミナ(BNE005000)が男の指に嵌るリングを視界に収める。破界器の所有者である、加須遥介への完全なる無関心という名の仮面だ。 「ウッス、初めまして。オレはフツ。アークの焦燥院フツだ」 周辺に屯していた一般人へと『今の用事がすごく大事だから、ここで見たことなんてどうでもいいよ』と記憶の操作を植え付け終えたフツが、怪しいもんじゃあないと名乗りを上げる。 「あ、アーク……? 何かのグループかい?」 「そんなところだ。ちょいとお前さんに話があるんだが、いいかね」 逃げようにも道を塞ぐように囲まれて、男が戸惑ったままで頷いた。 フツの持ち寄ったカンテラが物々しく夜の河川敷を照らし出し、すっかり緊張しきった加須の様子に鎖々女が口を開く。 「綺麗な指輪ですね」 「え?」 「その指に填めているのが気になったものですから」 きょとりと瞬いた加須へとにこやかに答え、少し身を屈めて加須の手元に目をやった。だがやはり、キャルと同様にペルソナを纏う鎖々女の平坦な感情に、破界器はその力を現さない。 「右中指の指輪は行動力、自信を呼び起こす。何か強い願いがあるのですね」 ……その様子をみると上手くいってないようですが。 耳障りの良い言葉に付け足して身を起こした鎖々女を、加須の視線が追いかける。 「大丈夫、その指輪があなたの行いを赦してくれますよ」 「指輪が?」 戸惑う加須へと、鎖々女はやはり微笑んだだけだ。 「パワーストーンでしょう? あぁ、でも……こんな夜は石を休ませるのもいいですね。これに乗せて、星明りにあてるだけでも効果がありますよ」 「いや、そもそもパワーストーンとして持ってた……訳じゃ……」 加須の口調が濁り、視線が指輪へと落ちた。そういえばどうして嵌めたんだっけ、と首を捻った、拍子。 「――ところで、何の話をしていたんだっけ?」 唐突にきょとんとした顔になって、加須が手元から顔を上げた。 「ハンカチ? あぁ、大丈夫だよ。汗は掻いてないから」 「……そうですか」 少しだけ考え込みながら、鎖々女が大人しくハンカチを下げる。 指輪を注視していたキャルを振り返ったものの、青年は首を左右に振っただけだ。当たり前のように削られる記憶の予兆は、指輪からは見て取れなかったらしい。 加須の正面へと立った『Matka Boska』リリ・シュヴァイヤー(BNE000742)が、真っ直ぐに一般人たる男を見上げた。 「さあ、私の目を見て下さい。我々は貴方の敵ではありません――どうか楽になさって、話を聞いて下さい」 極力穏やかに促すと、戸惑いながらも男はおずおずとリリを見下ろす。 「貴方の目の前には、真っ直ぐに下る階段があります。その、長い階段を降りた先。そこはどんな部屋で、何があり、誰が居ますか?」 「階段の、先?」 それは催眠術という形に最も近いかもしれない。 ぼんやりとした双眸を瞬かせた加須が、引き込まれたようにリリの目を覗き込む。 「罰されたいだけなら、然るべき法的機関があります。誰か特別な――その方に罰されたいのですね」 加須の肩がぶるりと震えた。少しだけ呼吸が速くなり、縋るものを探すように指を握り込む。 「貴方は罰されて満たされても、それだけです。貴方の自己満足で傷つけた何かをそのままに、一人きり完結したままで良いのですか?」 男を見詰めたリリが、青い眼差しをずらして握られた指を見た。そこに嵌った悪趣味な型の指輪へと、揺らがぬ声で問いかける。 「何故彼を赦し続けるのですか? 彼にとって最大の罰と知って」 小さな無機物は何も答えない。口を持たない破界器へと、その深淵の深みへと降り立ちながらリリは静かに指輪を見詰めた。 しかして触れることの叶った神秘の実態に、彼女の柳眉が顰められる。 「リリちゃん? だいじぶ?」 リリの反応に首を傾げたミーノに、しかし。 「――初めから……赦すことが目的ではないのですね……?」 深淵の覗き見せた破界器の真実へと、リリは吐き出すように囁いた。 ● 抱く思いは人それぞれだ。 それを証明するように、夏栖斗は複雑な心境を持て余す。 人を殺すことは罪悪だと、リベリスタとして立ちながらもそうと信じる少年は思う。 許されたくない者が目の前に在り、アークの正義の為に人殺しをなして許されてはならないと思う己がいる。 そこに違いが存在するのかを考えた時、辿り着いた結論は、結局どちらも独り善がりというだけのことだった。 ゆえに夏栖斗が訝しむのは、断罪という優しさを求める加須へと、だからこそ男の求めにラインオーバーと“誰か”が手を伸ばしたのかということだ。 それとも加須の抱く罪悪感さえも、求められた自分を手放させないための記憶の改竄なのか――。 「――だとしたら本当に残酷だ」 脳裏の予想を厭わしく吐き捨て、夏栖斗は一歩、加須へと近付いた。眉根が寄ってしまいそうになるのは、同族嫌悪という感情なのかもしれない。 少なくとも自覚の上で、認識の上で、そして恐らくは思考の上で、夏栖斗と加須遥介なる男とは、同じ土俵に立っている。例え神秘覚醒者と一般人という、立場にこそ大きな隔たりがあるとしても。 「ねぇ、誰かが、断罪し続けてくれたら、罪は軽くなると思う?」 話題を指輪へと移すことで加須への関心を知られまいとしながらの問いは、加須と彼の指に嵌る指輪と、その両者に向けたものだった。 破界器は答えない。だが、それを所有する男は僅かに身じろいだ。動揺が双眸に走るのを、闇を見透かす眼差しで夏栖斗が見る。 「そうだよそうだよっ」 緊張の糸の張り詰めるような空気を和ませるように、ミーノが何度も頷いた。九本の尻尾が忙しなく揺れ動く。 「し……尻尾? 本物かい?」 少女の背に揺れ動く九尾に気付いた加須が一瞬身を引いたものの、すぐに張り詰めていた息が切れたように嘆息した。 狐の尾を信じているのかいないのか。もし違和感なく受け入れたというのなら、何らかの神秘によるものがあるのかも知れない。 そんな中で、キャルが加須の前へと足を踏み出した。 「人は許した相手の事など多くは覚えてはいない、許せなかった事の方が心に残る物だ」 おもむろに手を伸ばすと、加須の指に嵌る指輪を指先で摘まむ。無理に引き抜こうとはせずにそれを加須の顔の前にまで持ち上げ、赤い眼を真っ直ぐに男へと向ける。 「許されたくない。――人の記憶に残りたいと、お前はそう願ったんだろう」 それは、男が人の中に存在を残したがっていると、そう信じればこその言葉だ。記憶という自分の中の居場所を護る為の断定だ。 確認よりも断定に近い物言いを、それでも加須は否定しなかった。両目を僅かに見開かせ、視線を泳がせただけだ。 「選べ。人から関心を持たれずに生きたいか、人の記憶に自身を刻んで生きたいか」 指輪を二本の指の間に押さえたままで、キャルの左目が男を射抜く。 「前者なら俺の手を払え。後者なら……何も考えず、ゆっくりと指を引け」 加須の唇が開く。しかし言葉を発する前に閉ざされたそれを噛み締めた。 瞳が揺らぎ、掴まれた指輪を見詰める。やがて迷いを打ち払うようにゆっくりと、僅かずつ指を引き抜こうと――。 「――あ、れ? 何の話をしていたんだっけ……?」 不意に瞬いた男がきょろきょろと辺りを見廻した。近過ぎる距離に動じたように一歩身を引いた瞬間、するりと指が小さな輪から抜け落ちる。 「あ……」 小さく呟いた加須の声には取り合わず、キャルは己の指の間に残った異物を見下ろした。 悪趣味なデザインの指輪だ。まるで恨み事でも述べるように僅かな光を集めて揺れる赤い石を封じ込めるように、手のひらの上に移した装身具を握り込む。 これがゲームか何かなら、呪いのアイテムを失った持ち主は憑き物が落ちたようになるのかもしれない。 しかし男にとっては、ただ指輪を一つ失ったに過ぎないということなのだろう。“何の話をしていたのか覚えていない”加須にしてみれば、どういう経緯で今の状況が生まれたのかも分からないに違いない。 「さっき言ったのは覚えてる?」 戸惑ってリベリスタ達を見回す加須へと、夏栖斗は改めて声をかけた。 「断罪され続けたら罪は軽くなるかって……ならないよ。ずっと心の澱として残り続ける。罪は許されても消えない」 自身の言葉が他ならず――そう、違わず同じ人という立場にあり、性質が悪く格好も良くない八つ当たりだと知りながら、夏栖斗は言葉を断ち切らない。 「――その指輪は、そんな心を食物にしていく呪いの指輪だよ。記憶をなくすのは楽になることかもしれない。けれど優しいモノなんかじゃ決してない」 「指輪、が……?」 「指輪が正常な思考能力を奪っていたのでしょう」 鎖々女が指輪の在り処を見詰めていた視線を加須へと移す。 そんな会話がなされる中で、防犯カメラやブラウザの過去の記録を浚い終えた快が電子の情報から意識を剥がして大きく息を吐いた。 「どうだった?」 「典型的一般人、とでも言うのかな。過去に犯罪を犯して捕まった経歴もないし、これといった情報は見付からなかったよ」 夏栖斗へと返しながらも、殺人に関しては大体把握出来たけど、とやや声を抑えて加須を見る。 「せめて問題の日時か場所だけでも判ると探しようがあるんだけどね……」 犯罪歴がある場合には警察の情報を浚うことで行動範囲も見付けやすいだろうが、ただ遮二無二職場や道々の防犯カメラの情報を、過去数週間以上に渡って追い続けることは難しい。 少なくとも今調べた中には加須の求める断罪に該当するような問題は見付からなかったと答えながら、快はだけど、と男を振り返った。 「記憶は消えても、記録には残ってる。罪の事実は、ね」 ――それと向き合う覚悟はあるかい? 静かな快の言葉に顔色を失せさせて、加須は唇を噛み締めた。 「僕、は……そうか。罪、を犯したのか……」 何を為したのか、その事実を少しだけ覚えてる、と乾いた唇から声を絞り出す加須の後ろへと立った小柄な少女が、ふらついた背をそっと支える。 「だいじぶだよっ、ちゃんとじょーきょーをりかいしてすっごいすっごい!」 幼さの残る口調を、声を弾ませるミーノの背で、九本の尻尾が大きく揺れた。 「かんがえればきっとだいじょーぶっ。あとはね、じぶんしだいっ」 「自分、次第……」 その言葉を身に染み込ませるように呟いた加須へと、ミーノは柔らかに微笑んだ。 「罪は罪、罪には罰を。犯した罪、傷つけた何かと向き合い、これからどう生きるか……償い方を考えるのです」 罪には罰と償いを、最後にある救いの為に。そう願うからこそリリは、静かに、真摯に言葉を紡ぐ。 再度唇を強く噛み締めた加須は、やがて快の顔を見た。 「教えて、くれ。……償いになるとは思わない、それでも――」 為せることがあるのなら。赦されてはならないと思い続けてきたそのことを、その感情を、せめて己自身が受け入れる為に。 言葉を絞り出した加須がミーノを振り返る。鮮やかなピンク色の髪を揺らして、少女はもう一度「だいじょーぶ」と繰り返した。 応援した人が、自分の力で歩き出すのをそっと後ろから押してあげること。 それを己の役目とする小さな少女は、その小柄な身体に対して余りに大きな理由と共に、そっと加須の背を押したのだった。 ● 斯くして、破界器の起こした小さな事件は幕を下ろした。 だが、全てが下り切った訳ではない。 「――ひとつ、気になる映像があったんだ」 アパートから程近い公園を向いた防犯カメラだと前置きして、快が表情を曇らせる。 「もともと公園を映してるカメラじゃないから、映像が見切れてるのは仕方ないんだけど……多分、彼がラインオーバーを受け取った日だ」 カメラから距離のある映像は、決して鮮明な映像ではない。 それでも夜更けの公園のベンチに座った、凡庸な青年に歩み寄る後ろ姿はしっかりと映っていた。 「二人組だったと思う。一人は完全にカメラの死角に入っていて、ランプか何かぶら下げたような杖が見えるだけだったけど」 「ランプの杖。カンテラ……?」 快の言葉に鎖々女が小さく反応した。しかし尋ねられるより早く先を促すと、頷いた快が再び口を開く。 「もう一人の顔も見えなかったけどあの制服……」 「制服? なら、そこから情報を辿れるかもな」 聞き返したフツに頷いて、快が視線を巡らせた。 「その制服……アークの制服に見えたんだ」 視線を投げやった先には防波堤と建物とがひしめいて、何処かにある筈の公園は見えなかった。 足元を吹き抜ける風だけ、何かを知っているかのように密やかな風鳴りを吹き渡らせていた。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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