●雄弁は銀 歓声と悲鳴が交差する、ここは喜怒哀楽の展示市。 「クソッ、負けだ負けだ。この列に二十枚ずつ! 倍賭けで取り返してやる」 敗れた者は勝利を渇望し、勝った者は更なる勝利を追い求める。 娯楽の殿堂とは即ちカジノのこと。 絢爛の髄を尽くした装飾とライト。浮遊感に溢れたジャジーなBGM。それに劣らぬ客の熱気。 全てが現のしがらみを忘れさせ、誰彼構わず夢幻の世界へと誘う。 そしてまた、カジノに吸い寄せられた芥がちらほらと。 しかしながら他の客とは明らかに異質な雰囲気であった。背広を着込んだ集団はスロットやテーブルには一切興味を示さず、何かを嗅ぎ回るように店内を見渡していた。 「おい、このカジノの責任者はどいつだ」 その先頭に立つ、顔の半分を髭で覆われた、いかにも粗野な風貌の男が声を荒げた。 黒服で統一されたガードマン達が警戒を強める。 「当カジノの支配人は私でございますが」 つい先程までルーレット台を取り仕切っていた優男風のディーラーが、その金髪碧眼のルックスからは想像しにくい流暢な日本語で名乗り出た。 ギャンブルに興じていた何人かが手を止めて野次馬する。 「てめぇか。この地下カジノを回してるのは」 集団がディーラーを取り囲んだ。 「阿漕な商売しやがって。おい、こっちは裏が取れてるんだぞ。健全なアミューズメント施設面して、陰で換金を行ってることをな。おまけに規格外に高額なレート、破産者への高利貸付、ガキの入店許可、警備員の銃刀所持……なんでもありの無法地帯もいいとこだ」 脅しめいた文句にもディーラーは何ら動ずることなく、穏やかな営業スマイルを浮かべ続けている。 不意に、喝采が起こった。 脇のテーブルで行われているバカラで、プレイヤー側が勝ったことに対する賞賛の声である。 「やかましいぞてめぇら! こちとら大事な話をしてんだ!」 厳めしい顔つきで一喝する髭面を、ディーラーの青年は軽く諫める。 「申し訳ありませんが、他のお客様の迷惑になりますので大声はご遠慮願います」 相変わらずの物腰柔らかな態度に、苛立った髭面は胸倉を掴んで凄んだ。 「舐めてんじゃねぇぞ、この違法経営者が。こっちはその気になりゃあこんな店くらい簡単に潰してやれるんだ。だがそうするつもりはねぇ。何故だと思う?」 「要するに、所謂シマ……土地や利益の分配をお望みということでございましょうか」 「へっ、話が分かるじゃねぇか。そういうことよ。本来なら出るとこ出てもらうところだが、てめぇが法律なんぞで捌ける輩じゃない――フィクサードだってことも分かってるからな」 声を潜めて告げられた台詞に、ディーラーは一瞬だけ驚いたような表情を作ったが、すぐに取り繕った。 「成程。つまりそれをご存知の皆様方も、フィクサードということですね。仮にリベリスタであるならば、法外の利権を欲しがりはしませんから」 ディーラーの皮肉に髭面は顔を赤くしたが、頬の内側を噛んで無理やりに怒りを鎮める。 「承知致しました。それでは奥の部屋までお越し下さい。交渉の席を設けさせていただきます」 青年の案内の下、一同は施設最奥にある小部屋に通される。 あったのは、書状や印鑑が詰まった棚と机などではなく、ルーレット台だった。 ●伸るか反るか だがそのマス目に数字は刻まれておらず、赤と黒の色分けしかされていない。 「カジノの経営権を要求してきたのは、何も皆様が最初ではありません。こういう商売ですから、同業者の方々に因縁を付けられるようなことは幾度となくございます。なのでこちらも、自衛の手段、というわけではありませんが、平和的な解決法としてこのルーレットを用意しております」 ボード上にも当然、配当が二倍の赤と黒しかベット先が記されていない。 「お客様が勝てばそちらの要求を全面的に受け入れますが、もし私が勝った時は諦めてもらいます」 「回りくどいが、中々面白いじゃねぇか。それにこっちは複数だ。誰か一人くらいは大勝するだろうよ」 「ですが、賭けるのは金銭ではありません。両者の命でございます」 テーブルに積み上げられた多数のチップの山の、その頂点を拾い上げて説明する。 「このチップ一枚が命の欠片に相当します。このルーレット台はアーティファクトになっておりまして、皆様の活力をチップに換えます。こちらを用いてのギャンブルになりますが、よろしいでしょうか?」 フィクサード達が俄かにざわめき立つ中、親玉の髭面が吐き捨てるように言う。 「けっ、穏和そうに振る舞っておきながら、やくざな仕事しやがって」 「それはお互い様でしょう。私もこの部屋に向かう道中でお客様の配下の方にナイフで切りつけられましたし、やり口の汚さでは然程変わりないように思いますが」 言いながら、衣服が破れ肌が露になった脇腹を見せる。 勝手な行動に出た愚かな部下に肘鉄を喰らわせつつも、傷口を見つめる髭面のフィクサードは怪訝そうにしていた。 その傷口からは、ほとんど出血していなかったのだから。 「私を直接傷つけたところで特に意味はありませんよ。何せ私の命というものは全て、こちらのチップに変換させていただいておりますので」 ルーレット台に高々とそびえ立つチップの山を再び示して、事も無げに伝えた。 いつの間にか、数名の警備員が室内の見張りを開始していた。不正行為の監視目的もあるだろうが、どちらかといえば、この場から逃げ出すことを禁じているかのように感じられた、 ――正気じゃない。 息を呑むフィクサード達に、ディーラーは胸に手を当てて、丁寧に頭を下げる。 「申し遅れました。私、サミュエルと申します。以下お見知り置きを」 ルーレットにおいてプレイヤー同士での駆け引きは基本的に存在しない。 賭け金が没収されるか、レートに応じて膨れ上がって返ってくるか、常にディーラーとの勝負になる。 今回の場合、インサイドもアウトサイドも存在しないシンプルな賭け方だからこそ、よりその傾向は顕著である。そこに命の削り合いというファクターが加わり、単なる心理戦以上の緊張感が走っていた。 そうなれば、卓は完全に賭博のプロであるディーラーが支配することになる。 フィクサード達は、その掌の上で転がされていた。 負けが込み出した者から命を惜しんで順番に降りていき、気付けばプレイヤーは髭面のみとなっていた。 「インチキだ! ふざけるな、そっちの思い通りの目ばかり出てるじゃねぇか!」 サミュエルは不正ではなく、ボールを投げ入れる技術だと反論した。 「恐縮ですが、こちらも相応のリスクは背負っております。赤と黒のマスが交互に並んでいる都合上、投じるボールの勢いが僅かに強いか、あるいは弱ければ、狙いとは逆の目になるのですから」 少しでも精度を欠けば失敗する。腕前が十分だったとしても、平常心を保つ必要がある。 「もしよろしければ、お客様がシュートなさっても構いませんよ。私の手の震えを祈るか、運否天賦に任せるか、いかが致しますか?」 悩んだ末、髭面はディーラーに一任した。ここで自分が投げると言い出そうものなら、相手の技量と胆力を認めることになり、その時点で精神的に負けてしまっている。そう考えた。 こうして面子や沽券に拘る人間ほど、泥沼に嵌りやすい。 大きく張った時は負け、弱気になって小さく張ったところで無駄に勝ってしまうという悪循環。 「ルーレット、トランプ、ダイス……思えばギャンブルの道具は概ね白、赤、黒で構成されています」 チップの半分強を失い、呼吸が荒くなり始めた髭面に語りかける。 「その代表格がトランプですが、こちらは絵柄が意味する部分も興味深いところです。諸説ありますが、スペードは剣、ダイヤは金というのが一般的で、他方、黒でスペードに対応するクローバーは武器を手に戦場に駆り出される農夫を、赤でダイヤに対応するハートは金貨を入れる器とされています」 手の中でボールを弄びながらディーラーは言う。 「つまり黒は闘争を、赤は富を象徴しているわけですね」 「ふんっ。安い挑発をしやがる。いいだろう、それに乗ってやらあ。黒に百枚賭けるぜ」 残ったチップのほとんどを差し出した。 「俺は戦士だ! 資産に胡坐はかかねぇ」 ルーレットが回転を始める。その回転に沿って、投げ入れられたボールも疾走する。 から、から、から。 「ああ、白、赤、黒といえば」 サミュエルがわざとらしく、ポン、と手を打つ。 「もうひとつ思い出しました。錬金術では物質が白から黒に至ることは有り得ないそうですが、限界まで近づくと赤になるそうです。そこから赤が臨界点を表すようになった……という説を聞いたことがあります」 「何が言いたいんだ?」 から、から。 髭面のフィクサードはぐったりして台に肘をつき、脂汗を浮かべていた。最早悪い予感しかしなかった。 「簡潔に申しますと」 白は決して。 「黒には届かない、ということでございます」 からん。 白いボールは赤いマスに、何事もなかったかのように静かに着地した。 テーブルの向こう側で人が倒れる音がしても、サミュエルは落ち着き払った表情で、「またのご来店をお待ちしております」と呼びかけるだけだった。 ●チーター・テイクス・オール 「違法カジノの摘発、ってな感じになるのか。まあフィクサードが関わってる時点で法に抵触してるかどうかはどうでもいいんだが」 ブリーフィングルームに集まったリベリスタ達と視線を交わすことなく、『駆ける黒猫』将門伸暁(nBNE000006)はトランプの束を切ることに専念していた。 「このカジノのオーナーの身柄を押さえようとした連中は例外なく痛い目に遭ってるらしい。それがリベリスタであれ、フィクサードであれ、な」 ルーレット形式のアーティファクトを介したギャンブルでしか戦闘を行えないことなど、一通りの説明は済ませたが、シャッフルする手つきだけは全く止める気配がない。 「とはいえ、当たり前だがギャンブルってのはどれもトータルでは運営側が勝つようになってる。真正面から馬鹿正直にやったって散々な結果になるだけだ。そこで必勝法を授けよう」 そう言うと伸暁は、トランプを裏向きで一枚ずつ机の上に置き始め、適当なところで止めるよう命じた。リベリスタの一人がストップを掛けると、その時に持っていた一枚を机に伏せた状態で渡す。 「当ててみせるぜ。ハートの7だ。ま、めくってみな」 言われるがままにトランプをひっくり返すと、伸暁の宣言通り、ハートの7が顔を見せた。 「おー」 拍手する一同。 「……って、全然ギャンブルの必勝法と関係ないじゃんこれ! ただの手品!」 「ドントウォーリー。関係あるんだな、それが。つまりはこういうこと」 伸暁がトランプの束を表向きに卓上に広げると。 その全てがハートの7だった。 「――イカサマだ」 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:深鷹 | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2014年06月04日(水)23:19 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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●ウィズ・ザ・デビル 数多の遊び方とハウスルールを持つトランプが、法の名の下に権勢を奮うカジノの王とするならば、分かりやすく視覚化され、気品に満ちた風格を漂わせるルーレットは女帝と呼ぶのが相応しい。 「シンプルだからこそ、より規則ってのが重要になるんだよね。ディーラーさん?」 今宵の賭博に誘われたのは、アークに属する八名。 中でも『息抜きの合間に人生を』文珠四郎 寿々貴(BNE003936)は念を入れて、カジノの主、サミュエルにルールを確認する。 「シュート後のベットは禁止、のルールかな?」 『デイアフタートゥモロー』新田・快(BNE000439)の質問に、ディーラーは首を振った。 「いえ、ベット先の変更は、シュートから数秒以内なら可能で御座います。額の上乗せ、もしくはキャンセルは禁じさせていただいていますが」 「投げてから変更効かないなら、ミス待つだけで。そりゃあんまりだものね」 それとなくボール操作への疑いを匂わせて牽制を入れる寿々貴。 「ええ、当カジノは出来得る限りお客様にご満足いただける条件を提示しますよ。私共は、公明正大を信条にしていますので」 サミュエルは空々しい笑顔で受け流す。 その脇で、ルーレット台に寄り掛かった篠ヶ瀬 杏香(BNE004601)が快に視線を送る。 「分かってるさ」 変更が許されているというのにほぼ負けなしのギャンブルが行えるということは、E能力でこちらの思考を読み取っているということ。ダミーでの賭けが通用しないのであれば、必然的にそうなる。 恐らくは、思考内容の真贋を見分ける程度には読解力にも長けているのだろう。 「警備員がジャミング使ってないのも、そういう理由だろうよ。揃いも揃って無能とかじゃない限り、な」 だが、疑念は残る。読心しているのだとしたら、読まれている側がそれを認識できるはず。その状況下で賭けを続けて泥沼に嵌るようなことがあるだろうか。 「指摘したところで、当事者間でしか分からないからサマの証明にならない、ってことかね」 「もしくは勝ち負けに熱くなって判断能力を欠いてしまっているか」 緋塚・陽子(BNE003359)が声を掛ける。 「ギャンブルってのは理性の限度を超えちまうからな。それが命なんていう途方もなく重い物を賭けてるなら尚更だ。代打ちを生業にしてたあんたなら、身に沁みてるだろ?」 「まあな」 杏香は目を合わせずに答えた。どうやら血が騒いでいるのは、自分だけではないらしい。 その一方で、『質実傲拳』翔 小雷(BNE004728)は純粋な正義感で奮い立っていた。 「貴様! この台でどれだけの命を巻き上げた!」 サミュエルに向けて怒気を発するが、殴り飛ばしたところで無意味であることを知っているだけに、握り拳を下ろさざるを得ないのが歯痒い。 下げた拳で、代わりにラビットフットのお守りを握り締める。 「必ず貴様のチップを奪い取ってやる……俺の強運でな」 「是非。お客様の運の力で勝ち取ってください。全ては運否天賦なのですから」 舌根乾かぬサミュエルに、杏香は苦々しげな顔をした。 「運だなんて、どこまでも白々しい野郎だ。心臓に向かう銃弾を外すスナイパーがいるかよ」 アーティファクトによるチップの精製が終わり、それぞれの前に積み上がった。 可視化された命の残機。 「それでは、心行くまでお楽しみくださいませ」 最初のピリオドが始まる。 ●レッドゾーン ルーレットほど見た目に華やかなテーブルゲームは他にない。 金に縁取られたホイールが回る様子は熱狂的なエンターテイメント性に満ちている。 しかしリベリスタ達は警戒して参加しないか、ベットしたとしても小額しか賭けない。 「でもこれだけあると、ちょっとくらいならいいかな、なんて考えちゃいますね」 最多のチップ枚数を持つ『局地戦支援用狐巫女型ドジっ娘』神谷 小夜(BNE001462)も、まずは癖を盗むために観察に回ったが、眼前に山のようにチップを積まれると、感覚を狂わされそうになる。 同じく多くのチップを保持する快はというと、先陣を切って賭けに参加し黒にベットしている。もっとも、慎重に一枚だけの投資だ。 そんな中、迷いなしに五枚のチップをベットテーブルに置いた男がいる。 「全ては運。いいねェ、この世の真理だ」 『LUCKY TRIGGER』ジルベルト・ディ・ヴィスコンティ(BNE003227)は、卓を囲むサミュエルへの挨拶とばかりに、纏ったスーツと同じ黒に堂々と賭けていた。 「記念すべき一発目だ、奮発してやらァ。伊達や酔狂なんかじゃねェぜ。後で絶対に膨らませて返してもらうからよ。俺様は信じてるんだからなァ、自分の幸運を」 サミュエルは微笑を絶やさずに、回転するルーレットにボールを投げ入れた。 何かしらの特徴がないか注視する寿々貴。 その瞳で捉えた第一投が吸い込まれた先は――黒。 「お、ラッキー。やっぱり幸運の女神は俺様が好きなようだな」 出た結果に応じて、チップの支払いと没収が交わされる。 「心を覗かれた感覚はなかった……まあ、この程度なら空気だけで察せたってことかな」 快は顎に手を当てて考える。今のベットは、露骨な様子見。ここで仕掛けてくるような定石破りはないと読むのは、然程難しくない。 その上で、あえて勝たせたのだろう。落とし穴に引きずり込むために。 「これといって不審な点は見当たりませんでした。シュート自体にイカサマはないみたいです」 小夜の言葉に動揺したのは、見守っている警備員達だ。非難めいた眼差しを向けるが、小夜は平然と答える。 「仲間と会話するだけなら何を言うのも自由でしょう? 別に結果に文句付けてる訳じゃないですし」 「確かに、サマの類は見つからなかった。監視の奴らにおかしな動きもなかったしな」 陽子が補強する。瞼に焼きついた映像を省みた限りでは、不自然な部分は発見できない。 つまり、目当てのマスを狙って、そこに命中しただけに過ぎない。 「ま、それが当たり前だ。普通にやればディーラーに都合のいい勝敗になるんだから」 サミュエルは一言、心外です、と冗談っぽく零すだけだった。 大きな波風もないままギャンブルは続いていく。快は黒にだけ、杏香は赤黒交互に一枚ずつと、依然様子を窺う構えを解かない。片や運を頼りにジルベルトと小雷が強気に賭ける場面が何度かあったが、勝ったのはそれぞれ最初のみであり、次第に負けが嵩み始めるようになる。だが小雷からすればそう仕向けられるであろうことは織り込み済み。焦りはしない。 「クソッ! またやられたか」 わざとらしく悔しがり、熱くなっているふうを装う。大勝負の時に備えて、今のうちに餌を撒いておくに越したことはない。 「うーん、何もないなー。遠隔操作って訳でもなさそうだし」 シュートを相手に委ねようとしていた感知映像から、台の方に仕掛けがないかどうかを探っていた『トーレトス』螺子巻 言裏(BNE004974)が唇を尖らせる。 それでも最中、結果が出た後に身を乗り出すふりをして手の陰に隠したチップをこっそり勝ち山に追加する『後出し』のイカサマで、ちょっぴり軍資金を増やす辺り抜け目がない。 「相変わらずリーディングの使用はなし、か」 妨害電波がないのは、単なる囮の可能性もある。固執し過ぎても悪手に終わりかねない。そろそろ仕掛け時か。 「黒に五枚だ」 ちょうど杏香が黒に賭けるタイミングで、今までとは異なる額を快はベットする。 「ディーラー、オレも黒に賭けるよ。十枚いこう」 快の意図を察した陽子が、同じくベット。 ジルベルトが黒にしか賭けないことは周知だから、嗅覚鋭いサミュエルならばこの機を逃さないはず。 変わらぬ動作でボールが投じられる。その直後。 「気が変わった。赤に変えさえてもらうよ」 二人してすっと手を伸ばし、卓上のチップを赤へとスライドさせた。 心を読まれた感覚はない。 だというのにサミュエルは一切動じなかった。その思惑を予見していたかのように、ボールは赤のマスへと転がり落ちたのだから。 「大したスリルだ。ギリギリの勝負になりそうじゃないか」 敗北にも関わらず、どこか嬉しそうにする陽子。震えるような負けと、勝ちへの渇望という、ギャンブルの醍醐味を存分に痛感していた。 「……どういうことだ?」 他方で快は頭を抱える。 人は経験と技量だけで心の底を見透かすことが出来るのか? 俄かには信じ難い。 偶然だろうか。そんなはずはない。偶々手元が狂って失敗するような人間が、命を張ったギャンブルに身を投じられようか。賭けの事情には疎いが、完全な五分五分に任せられるほど命は安くないことぐらい、幾度となく命懸けの場数を踏んできた快は重々承知している。 「なあ、今、あたしの頭の中、覗き込んだだろ?」 語尾を強めて杏香がサミュエルを問い詰める。実際には、リーディングを用いて相手の思考を暴こうとしたのは、杏香の側であった。 「はい、常にお客様の考えは推察しております。勿論、全員分」 たじろぐことなく、ディーラーは煙に巻いた。 杏香は舌打ちする。ただでさえ仮面の裏に隠された本心を読み取れず、出鱈目ばかりが浮かんで苛立っていると言うのに。 「サマがないなら、それはそれでいいじゃん。純粋に読み合いできるし」 チップの枚数を数えながら寿々貴が言う。元々、彼女は心理戦を楽しみに来ている向きがあった。 「そろそろすずきさんも参加させてもらうよ。ねぇ、今回はどっち?」 寿々貴は会話から崩す糸口を見つけようとする。額は少なめで、ベット先も勘頼りだが、その分傾向を悟らせない。枚数の変動は穏やかだが、賭けるというある種背徳的な行為に興奮を覚えた。 「サマなんて野暮よね。やっぱりギャンブルはこうじゃないと」 どことなく喜ばしそうなサミュエルと楽観的にルーレットを続ける寿々貴の横で、言裏が手を上げた。 「はいはい! じゃあボク、でっかく勝負するよ」 手元の百枚を超えるチップの山を、そのまま前に押し出して告げる。 「これ、全部!」 ●ブラックアウト 言裏のベットに一同がどよめきを上げた。 「本当によろしいでしょうか? あまりハイリスクな賭けは推奨致しませんが」 流石のサミュエルも驚いたらしい。ただそれは、額の大きさではなく無謀とも思える行動に対してだ。 「ボクがいいって言ったんだからいいの。一枚でも残したら勝ち運が逃げる気がするんだ。赤に全部!」 あくまで全額を主張する言裏に、どうやらサミュエルも折れたらしく。 今宵最大のイベントが幕開けとなった。 リベリスタ達の間にも波紋が広がっていた。勝負に出るといったからには、何かしらのアクションを起こすことが予想されるために、他の面々も大きく賭けて監視の目をバラけさせなければならない。 「三十枚を赤に賭ける。文字通り身銭を切ることになるとはな……地獄の沙汰とはよく言ったものだ」 「黒に五十枚。残り七十七枚のうちの五十枚だぜ? こっちだってタマ張ってんだよ」 小雷とジルベルトが大枚を叩くのに不自然さはなかった。フィクサードからすれば、それまでの負けを取り戻しに来たように見えるだろう。 ただ、それは客観的に捉えた場合のこと。内心では、二人とも勝ちを狙っている。 小夜は未だ動かない。ここで自分が大きく賭けたら、残額からいって標的にされるだろう。陽動役が結果に偏りを生じさせてしまっては、何のための勝負か分からなくなる。 「赤と黒、最も身近にあるこの二色といえば、血液でしょう。動脈血は鮮やかに赤く、静脈血は黒く淀んでいます。この白い欠片は、生きた血を望むか死んだ血に沈むか」 一息吐いてから、サミュエルはボールをルーレットに走らせようとする。 そのほんの僅かな瞬間に、言裏は豪快にくしゃみをした。 「うへへ、鼻がむずむずしちゃって」 無論それだけの訳がなく、フライエンジェ特有の羽を仰ぎ、風で出目に揺らぎを起こそうと試みていた。 良くも悪くも大胆不敵、ただでさえ巨額を賭けているのだから、警備の目を一身に集めることになる。 その時。 小雷がルーレット台の側面を殴りつける、鈍い音が響いた。 「流石に……バレるか」 音に加えて、ホイール内を転がるボールが明らかに異質な跳ね方をしたために、即座に発覚。 「申し訳ありませんが、回転中に台に衝撃を与える行為は故意に違反したと見做させていただきます。また赤の目が出ましたが、この結果も無効となります。ご理解の程を」 事務的に説明しながら、サミュエルは小雷のチップを罰則分と合わせて没収する。 「ぐうっ……」 急激、かつ多量に命の代替物であるチップを失った小雷は、全身を襲う重苦しさに顔を顰める。 しかしこうでもしなければ、言裏のチップは全て奪われる事態になっていた。それに比べればマシだろう。 「それにしても、赤、螺子巻さんが賭けてない赤、ね。これぞまさに偶然ってやつじゃないかな?」 恐らく黒を狙ったであろう当初の目的と比較して、寿々貴は考察する。 仮に台の側に仕掛けがあるとして、あの程度で機能が停止するほど柔ではないだろう。シュート後に思い描いた通りに操作することが出来ないのだとしたら、幻視による撹乱や念力でもない。 ならば。 「よし、勝負に出る」 快が姿勢を正した。意を決したかのように。 「今度は俺が全額賭けよう」 出目を決めているのはサミュエル。そしてそのタイミングは、ボールが手から離れるまで。 その間に巡らされている思索を、真意に被せた仮面を剥ぎ取って盗み読む。 手の中でボールを転がすサミュエルに、快が意識を接続。 読み取った脳内絵図は、全くの空白だった。 何も考えていない――この状況でそれは有り得ない。だとしたら、違うことに集中でもしているのか。 「今はまだ、神経を耳に傾けている段階で御座います」 サミュエルは、声に乗せて快に伝えた。 「私はただ、聴覚を研ぎ澄ませて、鼓動や衣擦れの音からベット先を変えに動くかを判断していただけに過ぎません。ペルソナを剥がれたからには、正直にトリックをお話しましょう」 ディーラーの白状にも、杏香は納得しない様子だった。 「ふざけた種明かしだ。だったらジャミングで妨害しない理由がないじゃねぇか。アタシらの読心だけ封じてしまえば、そっちには何の不利益もない」 「それは」 サミュエルは丁寧に答えた。 「最初に申し上げました通り、出来得る限りお客様にご満足いただける条件を提示しているだけのことです」 「面白ェ、気に入った! お前の命、ケリがついたら買わせてもらうぜ」 襟を直しながらジルベルトが割って入る。 「俺様も全額ベットに乗る。赤が出て、本来大損こくところが無しになったんだ。こいつは俺様に運が向いてきてるってモンだ。何せ俺様は、幸運の女神に惚れられてっからよォ」 七十七枚全てを差し出す。ベット先は言うまでもなく、嗜好に沿った黒。 「オレも全額だ。博徒の血が、ここが流れの頂点だって告げてるんでね。でも赤に賭けたんじゃ意味がない。オレは遊びじゃなく、勝ちに来たんだがらな。黒に賭けて、あんたの鼻を明かしてやるよ」 陽子も残ったチップを投げ打つ。 ベット先を決めかねていた快も、ここが山場であることを把握して、黒に全てを托す。 舞台が整い、最後の一投に入ろうとするサミュエルを、小夜が制した。 「あっ、ちょっと待ってもらえます? 確か、こっちがシュートしてもいいんでしたよね? 今あなたが投げたら絶対赤になるでしょうし、私にやらせてもらえませんか? 勿論、私も全額賭けますから」 五百枚超のチップを、かなり難儀そうに卓上に置く小夜。サミュエルは渋々了解する。 今までは相手に投げさせても、ボールが衝突する音で走行距離を推測し、回転中に口車に乗せてベット先の方を操作することで凌いでいたが、今度ばかりはその手法は通用しないであろう。 「皆さん、ちょっと提案があるんで、耳を貸してもらえますか?」 リベリスタ間でひそひそ話が始まり、そして小夜を除く七人が呆気に取られたまま終わる。 徐々に理屈が飲み込めるようになると、何人かはくつくつと喉で笑い出した。 「どうせ全部賭けるなら、ってことで、一旦私が皆のチップを預かることになりました。構いませんかね?」 「……ええ、さして変わりはしませんから」 「じゃ、いきますよぉ」 覚悟して結果を待つサミュエルだったが、小夜は少しも投げる素振りを見せなかった。 「今、どういうことになってるか分かりますか?」 誰も首を縦に振らなかった 「このボール、投げない限りギャンブルの結果が出ないんですよね。要するに今はまだ宙に浮いた状態ですから、まさに私がチップの増減――サミュエルさんの生死を握っている訳です」 ボールを握り入れた右手を見せつける小夜。 「あ、私の生死も宙ぶらりんですけど、自分の命を自分が握っているのは当たり前のことですしね。さて、どうします? 永遠に命の行方が私次第になってしまいましたよ。今やあなたは私の隷属と呼んでも過言じゃないですね」 警護のフィクサードはどう対処していいかも判らずざわめいていた。 サミュエルは、そのままの意味通り狐につままれたような顔をして、そして清々しく笑いながら言った。 「参りました」 ギャンブルの勝負では連戦連勝でも、狐に化かされてしまっては敵わない。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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