● こうなったら、最早そうするしかないのだ。 西山は今、心中で神職を辞して―― 事の発端はとある日の事だった。 西山が神主を勤める玉之尾神社で、小さな祭の準備を始めようとしていた時の事だった。 この一帯は古くから玉之尾と呼ばれている。木々が生い茂り、突如姿を現す崖や小川は迷路の様に入り組んでいた。おおよそ人間世界を避けるが如き、社会との隔絶を感じる土地である。 近隣の地名は兎塚、上坂首、下坂首と言うのだが、やはり人はほとんど住んでいない。ともかく西山はそれらの地名を兎か何かの神に由来するものだと思っていた。 現にこれまで彼が学んできた神道や歴史のあれこれでは、そこをその様に記していた筈だったから。 明確な所として彼が知っているのは、この神社は恐らく兎とは余り関係がないという事であり、その程度の事だと思っていたのだ。 西山はかつてこの神社を任された折に、ある包みを手渡されていた。 これが何ぞやと問うた際の答えを、既に西山は詳しく思い出せない。けれどとにかくこれは奉ってはならないという事だけは強く記憶に残っていた。 今思えばそんな奇妙なやり取りを端から疑っておくべきであったが、当時そんな事は思い付きもしなかったというだけの事だ。 西山の手の中で解かれた瑪瑙の板片は、言葉に言い尽くせぬ冒涜的で不気味な色彩を帯びている。 浅浮き彫りの文様は名状しがたく、怖気をそそるばかりの代物だ。 奉れず、祟らず。唯そこに捨て置けば良いのだとばかり考えていたが、なぜ初めから確認しておかなかったのだろう。 『はらいたまへ』 そう唱えながらも西山は、かつての己が采配を呪う。 それは神はない。 西山は蔵の中で、この世のものとは思えない板片を放り出し、近くにある短刀を握り締めた。 『きよめたまへ』 そうだ。こんなものは、壊してしまえばいいのだ。 『かむながら、くしみたまへ』 握り締めた短刀は柄から刃先まで、板片と同じく忌まわしい瑪瑙で出来ている。 「いや……」 彼は思い直す。それが今この時であった事こそ、正に星の智恵に他ならぬのだと。 ならば失敗ではあるまい。 これでよかったのだ。 「まもりたまへ、さきわへたまへ」 まじないを篭め、西山は短刀を頭上へと振りかざす。 そうだ。このお方を神程度と同列に扱って良い筈がないのだ。 「ふたぐん」 ああ、痛ましい事この上ない。 一体どこの誰が、あのお方をこんな所に封じ込めたと言うのだろう。 「しゃめっしゅ、しゃめっしゅ」 さあ。今。 この臣下が、西山めが。この忌々しい狭い檻から開放してさしあげよう。 「にゃる・しゅたん! にゃる・がしゃんな!」 こんな瑪瑙の板切れひとつに囚われたあの方が、哀れでならないから。 短刀が振りかざされ、辺りに光が満ちた。 ● ブリーフィングルームのモニタに映し出された光景は奇妙なものだった。 最初の一枚目は恐らく航空写真の様に見えるが、その様に予知されたものだろう。 建物や木々が指先ほどの大きさになっているが、そこにちょうどタンポポの綿毛か、或いは毛玉の様な物体が蠢いているのだから。 ころりころげてころころころ、と。ちょうど兎の綿尾に見えないこともない。 「でかいな」 リベリスタの口をついたのは極めて素朴な感想だ。 「おおよそ、二百メートル程の球状のアザーバイドと思われます」 そいつは頭が痛い。 「フォーカスします」 少女がマウスのホイールをスクロールさせると、映像は拡大して往く。 「う……」 豊かな毛皮と思われたものは、拡大すれば一本一本がずいぶんと太い。そのすべてに蛇かミミズの様な口がついており、口腔内はぞろりとした歯で覆われている。 何かの毒気にあてられた神主が、召還してしまった怪物だ。勿論既に神主は助けようもない。 「迎え撃つポイントはここです」 リベリスタは『翠玉公主』エスターテ・ダ・レオンフォルテ(nBNE000218)の指先が示す場所に視線を走らせる。 「到着出来るのは召還された後、山ん中か」 リベリスタが到着出来る頃、怪物は既に山中を町へ向けて前進しているらしい。 そして―― 「この先は、町じゃねーか」 エスターテがそっと目を伏せる。 山の地形は複雑で戦いにくい事この上ないだろう。一方で敵は超巨体であり、こんな地形など歯牙にもかけない筈だ。リベリスタにとって一方的に不利な戦場であると言える。 その先は町中であり、任務の失敗はイコール町の壊滅を意味する。 「山を下りながら戦うのかよ」 この有様で手一杯なのだ。 細かな資料に目を通せばアークが尽力していることは理解出来る。 それにしても余りにひどい場所だ。 「こんな事件が日本各地で起きている様です」 モニタの前に座る少女は、一言述べると新たなウィンドウを開いた。 そこには日本全国に散らばる事件発生点が映し出されている。 こんなことを放置しておけば通常のフィクサード事件、エリューション事件とは桁が違う被害が想定されるだろう。 「なるほどね」 このところ欧州を震源地として頻発しているアザーバイド事件が、突如ターゲットを日本に定めたといった風合いだ。 「いや、これは。つうか。もう少し早く、なんとかならなかったのか……?」 「ごめんなさい」 何の前触れもなく、余りに唐突に起こった一連の事件は、万華鏡による観測も解析も遅れており、被害を未然に防ぐ事は困難を極める。 こんなものがころころと市街地へ移動すれば、どんな事態が起こるか想像もしたくない。 「いや、まあ……」 これだけマクロな被害になればかえって現実味がなく、ひとつひとつの命がそこで潰えて逝くという事実さえ絵空事の様にも感じられて―― そもそもこんな化け物を訳の分からない神主が、瑪瑙の板を叩き壊しただけで召還出来る代物とは思えない。一体全体どうした事態なのだろうか。 今すぐにでも現地へ急がねばならないが、可能な限りの情報はほしい。命あっての物種だ。 「この事件と関わりがあると推測される情報は、この」 「例の『ラトニャ・ル・テップ』とかいう少女の件か」 「はい」 ありていに述べるのであれば、それは異世界の神を自称する存在であり、少女の皮をかぶった強力すぎる怪異である。 その事件は世に言う『恐怖神話』の真実そのままという訳ではないが、物語が事実の一端を伝えている可能性も否めない。 実際の所、その正体が完全に判明したという訳ではないが、アークの盟友『オルクス・パラスト』の首魁シトリィンによる追加調査に寄れば、現在のあの少女『ラトニャ』はバロックナイツの一員、厳かなる歪夜十三使徒第四位『The Terror』であると考えて間違いないという話だ。 なによりシトリィン自身もラトニャに遭遇した経験を持ち、欧州『暗黒の森の大消失』と呼ばれる凄惨な事件は、当時シトリィンの所属していた『クラウン・アクト』と言うリベリスタ組織が壊滅する大敗を喫した事があるとの事である。 一連のアザーバイド事件は彼女の関与が強く疑われており、そもそも彼女の存在そのものがアザーバイドどものカミサマ(ミラーミス)であるという推測がなされている。 推測通りラトニャが異世界の神であるという万全たる保証こそ無いが、少なくとも極端に危険な存在である事は疑いようも無い事実だ。 目的すら不明なラトニャではあるが、何よりアークに強い関心を持っているのは間違いない。 あんな事で召還できてしまったという事実すら、否それそのものが一連の事件の連なりを強力に示唆しているのだった。 それにしても。 「この事件も本当にその系譜だったなら、心底迷惑な話だな」 「――はい」 「まあ、お強いアザーバイドさんをぶっ潰せばいいと考えれば、シンプルな案件なのかもな」 静かに頷くエスターテが、モニタに新たな資料を表示させる。見る限りかなりの難敵である。 ひとまず凶悪な一体の他、雑魚が無尽蔵に増えてゆくという、それだけでも面倒な手合いではあるのだが。 「もしかしてなんだが」 データが示すのは恐ろしい事態である。 「こいつって。このまま通り過ぎられたら、おいつけねえのかな」 とりあえず巨体が通り過ぎるまで、山を下りながら戦う事は出来る。 だが敵の足のほうが速いのだ。敵は交戦しながらもどんどん町へと向かう様だから、そのうち通り過ぎられてしまうだろう。これは厄介極まる問題である。 どうしたものか。方法はいろいろあるのだろうが、何か手を打たなければならないのは確実だ。 「さっさと倒しきっちまうとかな」 頬に乾いた笑いを貼り付けたままリベリスタが紡いだ言葉の空しさは、放った当の本人が一番良く理解していた。 だって、敵は恐ろしくタフなのだろう。それでも何か、絶対に策はある筈だ。 解析されたデータを横目にリベリスタが急いで立ち上がる。 このまま日本を崩界の震源にされては堪らないし、どのみちこんなものは放置しておく訳にはいかない。 「どうかお願いします――」 「当然だな」 力強い返答を受け、桃色の髪の少女は静謐を湛えたエメラルドの瞳でリベリスタを見据えた。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:pipi | ||||
■難易度:VERY HARD | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2014年05月21日(水)22:49 |
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■メイン参加者 10人■ | |||||
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● どの時点での経緯を邂逅と呼べば正しいのだろうか―― その日、正午には気温が三十度の大台に上った。 こんな時分でなければ風は心地良かった筈であり、日も落ちてくれば随分と過ごし易い季節だと言える。 道中垣間見えた数件の軒先には薔薇が咲き乱れ、田舎町は只々その存在に相応しい安寧を享受する只中にあった。 そんな五月の夕刻。 けれどリベリスタはとても花を愛でる気分にはなれなかった。かなり、という程度ではとても足りない事情があったからである。 オフロードトラック【走破】を使って大急ぎでたどり着けたのは小さな山の麓までに過ぎなかった。 山中へと一歩足を踏み入れれば日差しは翳り、鬱蒼と茂った木々が視界を遮ってしまう。 唐突に現れる崖に小川。足元を邪魔する木の根は厄介極まりない。 仮にヘリコプターでも使って現場に乗り込む事が出来れば幾部か楽だった気がしないでもないが、敵の存在を考慮すれば危険に過ぎる。 結局の所、ここからは足を使う他ない訳であったが、それでも巨大な目標物があれば道を見失う事などありはしなかった。 ――出会いというものを定義するならば、初めてそれを視界に捕らえた時を示せば良いのであろうか。 それとも地響きに耐えながら巨体の下へと潜り込んで往く時であろうか。 あるいは初めて剣と牙とを打ち合わせた時だろうか。 リベリスタ達が現場へと急行する中、遠影に見えたそれはまるで兎の尻尾を切り取った様に見えていた。 そんなものが森の中にぽつんと、微震を伴いもぞもぞと動いているのだ。 ブリーフィングルームで情報を受け取ってから、すぐさま敵の元へと参じたリベリスタ達であったが、近づけば近づく程に眩暈すら覚える程の現実を直視せざるを得なかった。 カトンテイルと呼ばれる化け物の姿は、文字通りの存在であった。 「本当に兎の尻尾であれば可愛げがあったのに――」 敵の外見はぽつねんと切り取られた兎の尾を想像すればおおよそ正しい。ただしある一点において滅茶苦茶だ。 とにかくデカいのである。それも桁外れに。 辺りの景色は田舎のパノラマ写真を想像すればよいだろう。この際だから飛び切り牧歌的な物がいいだろう。 例えばなんとなく近くに山が写っている。米粒より小さな家がある。木々が見える。けれどどんなに目を凝らしても葉脈や虫食いはおろか枝葉まで見えはしないと、そんな代物で構わない。 そういう手のひらサイズの写真に、試しに硬貨を乗せてみれば良い。それがおおよそ兎の尾だ。これを写真で考えるのであれば、やわらかそうな毛先までしっかりと見て取れる。接写である。 合わせた光景はパースが狂っている等と言うよりは、雑に貼り付けたコラージュの様であり、現実的な光景とは到底呼ぶことが出来ない。 何せ今度の相手は直径二百メートルの球体。有体に述べれば『大きすぎる敵』なのである。 「シトリィン様のお話の一件、あの関連ですか」 夕にも染まらぬ蒼銀の輝き(セインディール)を抜き放ち、『蒼銀』リセリア・フォルン(BNE002511)が一人ごちた。 彼女が思い起こすのは歴史上の話。『クラウン・アクト』と呼ばれた欧州の強豪リベリスタ組織をたった一人で壊滅させた存在の事。 名を挙げれば『無敵要塞』グレン、『大魔道』カルロス、『マエストロ』ダヴィード、『千の棋譜』ハンス・マルセン。誰もが名を知り、今や教科書とも呼べる伝説的なリベリスタ達である。 それをラトニャ・ル・テップなる存在は、瞬く間のうちに全滅させたと言うのだ。 アークの盟友である現『オルクス・パラスト』の首魁、かつての若きシトリィンただ一人を残して―― 時は流れ一月前。報告書に上がったのは欧州悪夢の一件だ。迷惑極まりない話だが、そこでおそらくラトニャはアークに興味を抱いたのだろう。 かくして綺譚ならぬ忌譚の系譜は紡がれた。 「アレがミラーミスだというのなら、これらはその眷族か同族か」 ラトニャをミラーミスと仮定して、目の前の存在を恐怖神話体系の通り『地の精』等と呼べば何となく納得したくもなるが、実際の所どうなのかまでは未だ知れた話ではない。 唯一言えるのは、この度の唐突な大量出没がラトニャの意図に応じたものであるとするならば、危険極まりない敵性勢力という事だけだ。 最もそれだけあれば十分過ぎる情報とも言えるのだが。 化け物とリベリスタとが互いに近づけば近づく程、いよいよ地響きは大きくなってくる。 耳障りに不定期に。少なくとも心地よいとは言えないリズムを刻んでいる。音も揺らぐ足元も、何せ変拍子が過ぎるから堪らない。 ただのそれだけで『百の獣』朱鷺島・雷音(BNE000003)の足は竦む。 視界はどうだろうか。 巨大な天井に太陽など完全に遮られているのだから、最早森の木々がどうとか、そんな悠長な事態ではない。 されど明るさこそ書を嗜むに十分とは言えまいが、戦うには事足りる。 敵は今、上空にある。 その表現が本当の意味で正しいかはさておき、今や見上げる程にまで近づいたそれは数十メートルの上空から遥か前方の大地、山の斜面へと突き刺さっていた。 リベリスタでなければ、それは絨毯にでも見えるのだろう。ラビットファーのラグやカーペットか何かだ。 こんなものが生き物である筈が無いのだ。それが条理の世界でならば。 だが雷音は、リベリスタ達は超常を知っている。 その巨大すぎる身体をビロードの様に取り囲む毛皮全てが有象無象の触手であり、先端の口腔にはぞろりと奥まで歯が生えそろっている事を情報として、実感として知っている。 僅かに見上げるだけで、視界の全てが蠢いているのだ。 ただ単純にそこにあるだけで、怖気を、戦慄を、極めて物理的な恐怖をそそらずにはいられない存在なのであろう。 怖い。怖くて仕方が無い。 だが――そんな根源的恐怖があるからこそ、雷音は戦えるのだとも思う。 例えばかつてのフュリエの様に存在そのもの、生まれ出る発想や本能そのものがこのボトムチャンネルと異なっていれば、そもそも戦うという動機から発生しえないのかも知れないのだから。 『こいつは』 ――こいつは別に、俺の事なんざ何とも思っちゃいないだろうな。 かつてフィクサードの臓器密売組織に拉致された経験を持つ『赤き雷光』カルラ・シュトロゼック(BNE003655)の想いは苦い。 その時。己が身体を切り売りされ、死ぬ寸前にまで追い込まれた経歴は重い。 死と絶望。恐怖と痛み。 革覚により一命を取り留めたとは言え、焼き付いた憤怒と憎悪が消える筈も無い。 この化け物とてそうだ。 人の命、その尊厳など化け物にしてみれば塵芥に等しい。 踏み潰す相手の事など気にも留めず、ただ好き勝手に振舞っているだけだ。 それが本能か、明確な意思かなど知れた事ではない。その行為が、そして本質が同等なのである。 これまで彼が相対してきた敵も同様であり、何も変わりはしない。 カルラの極限の集中に視界の全てが急速に動きを緩めて往く。 「こいつは――俺の狩るべき敵だ」 抱く想いに一縷の是非も無く。 叩き付けるべき結果は常に等しく。 敵と味方が対峙すると表現すればシンプル極まりない事態ではあるのだが―― リベリスタ達が歩みを進める程に、敵も迫ってくる。 『断罪狂』宵咲 灯璃(BNE004317)としては、ここへたどり着くまでの短い時間の中で、どうにか地形にあらかたの目星をつけたつもりだが、なにぶん田舎の山中での事だ。情報は少ない。 相手の移動を阻害出来そうな場所があれば幸いだったのだが、基本的には下へ下へと続く斜面である。それでも少なくとも、より大きな移動を誘発してしまうであろう地形、つまり急な斜面や崖の様な箇所を背にする事は避けられそうだ。それならばひとまずの収穫と言えるだろう。 こうして歩みを進めながら流れ往く時間は実際には僅か数十秒なのであろう。されど十分にも二十分にも感じられる長い間。 「直径二百メートルのうさ尻尾かー……」 やや押しつぶれた様な風体と、大地を抉る様に接地している部分から完全な球とは言えまいが、そんなことは些細な問題だ。 「幾らなんでもモノには限度ってもんがあるよ」 至極、尤もである。 間近で見れば到底兎の尾等と呼ぶ事は出来まい。 厭きれた様に呟く灯璃が構えるのは人の身には大きすぎる双振りだが、それすら冗談でも比較にはならない。 あえて比較するのであれば四部屋にリビングダイニングを兼ね備えた百平米の家屋が十メートルの幅である。 一方で敵のおおよそ円形に近いであろう接地面の直径だけでも数十メートルはあろうか。 眼前のそれは、まるで悪夢の建造物ではないか。眼前の敵は壁であり天井である。 それも家と言う程度の可愛らしい存在ではない。体育館でも尚遠い。たとえば校舎であるとか、高層ビルであるとか―― つまり。 「転がり落ちてくる東京ドーム大の敵を四分以内で何とかしろ」 十人で――と。 「無茶言ってくれる……」 アーク本部からの要請を噛み砕けば、大体そういう事になる。 微かに苦い笑みを浮かべた『デイアフタートゥモロー』新田・快(BNE000439)は、地響きに揺れる山の斜面を踏みしめる。 簡素でありながら適切過ぎる表現は、クレバーな彼らしく正鵠中の正鵠を射ているのだろう。 ブリーフィングルームで彼に向けて事態を告げたフォーチュナの表情は、どこか茫洋としていた。 とてつもない異常事態の筈だが、忙しさか、あるいは現実味の無さ故か。元々表情の乏しい少女の表情筋は、輪をかけて麻痺しているかの様だった。実際に遭遇するまでもなく、無理からぬ話である。 ともかく。相手は押しつぶされそうな威容を誇っているのだが、そこへ潜り込む様に近づかねば攻撃すら覚束ない。 なぎ倒され、吹き飛ぶ木々。転がり落ちてくる枝や幹、岩々をかわしながら、リベリスタ達は疾く歩みを進めてゆく。 悪路極まりない戦場ではあるが、ほとんどのリベリスタは足の運びに一角の自信がある。そうでなくとも翼や研ぎ澄まされた感覚に頼るならどうにか出来そうではある。 唯一幸いな事は、前方になぎ倒されてくる木々は、毛蛇の絨毯によって瞬く間に粉砕され、足元の安定は兎も角リベリスタ達の攻撃軌道をさほど邪魔しないという事だった。それが本当に幸いと呼べるのかはさておく事にはなるのだが。 「馬鹿げた話だと思うの――」 告死の蝶を手の内に『告死の蝶』斬風 糾華(BNE000390)は胸中に一人呟く。 全長二百メートルのアザーバイドも。 その巨大な質量が猛進してくる光景も。 『それをたった10人足らずで食い止めようとする私達も』 全部、全部、馬鹿げた話だわ。 しかり。さりとて。 「――馬鹿げているからこそ、抗うわ」 夜の静謐を閉じ込めた紅い宝石の瞳が怪物を、眼前に捉えきれぬそのビロードの空を睨む。 彼女が望む平穏はその背に負う街の中に――そして眼前の不条理の向こうにある物なのだから。 ● 思えば『シャドーストライカー』レイチェル・ガーネット(BNE002439)も、これまで巨大な敵とは何度か戦ってきたものだ。代表格と言えるのはかの異世界での巨獣であろうか。 それでもここまで巨大なサイズは初めてだ。まさに特撮動画における怪獣と言った所だろうか。 怜悧な瞳には好奇心が揺らいでいる。恐怖を感じるというよりは、ワクワク感を覚えてしまうのだ。 「さあ行きましょう、ヒーローらしく怪獣退治です」 カトンテイルの動きは必ずしも一定しておらず、その移動距離は良くて十秒に三十メートル。悪ければ六十メートルと言った所だ。 「まったく、進んでるのか転がり落ちてるのか」 勿論、邂逅僅かな経験則からも、そして万華鏡の観測からも悪い場合のほうが多い。平均すればおおよそ五十メートル程度だろうか。 びっしりと生えそろった触手がぞろぞろとした足となり怪物の身体を推し進めてくる。 「でかいのに速いとか反則でしょう」 可憐な口元をゆがめて可愛らしい悪態を吐くレイチェルが述べた通り、怪物の進む速度は巨体に似合わず存外に速い。 ここから町への距離が約一キロなのだから、無策で挑めば矢張り三分少々で敗北が決定してしまう。 その露骨に巨大な質量の下敷きになれば。万が一ひき潰される様な事があれば、いかに運命に愛されたアークのリベリスタと言えど命など無いと見て間違いない。 リベリスタ達は雨の様に降り注ぐ千牙をいなし、その身を貫かれながらも次々と付与の力を展開して行く。 「悪くないね」 『陰月に哭く』ツァイン・ウォーレス(BNE001520)にしてみれば、こんなデカブツと殴りあうのは元来願ったり叶ったりである。 だが街に被害が出るとなれば、こうして出向く他ない。 呑まれる様に懐に潜り込んでみれば、ただそれだけで圧倒されるのが常ではあろうが。しかし。 「ビビってるやつぁ居ないだろうな!?」 不適に笑うツァインが、快が展開する神々の黄昏に合わせて力を解き放つ。 景気も宜しく光増し増しのクロスジハードだ。 「OKOK! そんじゃ、ジャイアントキリングと洒落込みますかぁーッ!」 誰の目にも気迫が漲っている。 力強い呼応と共に、十字の加護がリベリスタ達の戦意を極限まで高めて往く。 騎士然とした甲冑を身にまとい盾と直剣を抱くツァインの事、敵の巨体へと向かって一心に切り込み、殴り合いたい気持ちは山々だ。 それは勇気ある戦士であれば誰もが抱く感情であろうが、今回の戦場で最も援護に適しているのは彼であるから仕様がない。 持ち前のタフネスに加え、継続戦闘を可能とする数々の技巧はクロスイージスの本領だ。 「もうちょっと減速してくれると助かるんですけど――ね!! だがリベリスタ達には策がある。まずは一手。勝利の証明にして不敗の原則。 リベリスタの結束を勝利への圧倒的執念(いつだつ)へと昇華させ、クェーサードクトリンを展開したレイチェルは、すぐさま次の一手で絶対の零――凍て付く光で怪物を打ち貫く。 その突進力こそ削ぐ事は出来ねども、触手の動きは大幅に鈍っている。 リベリスタ達が大きすぎる兎の綿尾を射程に捕らえたのとほぼ同時に、身を震わせる怪物の地響きと共に触手が大地へと降り注ぐ。 遠めには抜け落ちた獣毛にさえ見えるが、それらは蛇の様な二十体の怪物だ。 「モフったら触手塗れになるし、触手とかえろいし――」 だがそんな怪物共の蹂躙を許す灯璃ではない。 「気に入らないからその触手全部毟り取ってやる!」 死想を孕む折れた刃と巨大な鉄塊にも等しい刃が漆黒を纏う。 陶器の様な美しい肌を彩る銀糸の髪と燃え盛る瞳を輝かせ、深化を遂げた四枚の可憐な翼が風を切る。 解き放たれた夜の畏怖が蝕み、侵し、綿尾を貫き蛇達を飲み込んでゆく。 その一撃は、蛇の五匹を瞬く間の内に消し飛ばし、異形共の運命さえも捻じ曲げた。 狙ったのは敵の下部である。敵の挙動は避けるというよりも毛蛇やなぎ倒される木々によって攻撃を防ぐといった風合いだが、彼女程の技巧があれば十分に狙いやすい相手である事には違いない。 闇は狙い違わず相手の下部、その一部をずたずたに侵食した。 球体はぞろぞろと向きを変え、攻撃を受ける度に傷を後ろに追いやる様に無傷の面を大地とリベリスタへと向けて来る様だ。 これで進軍を邪魔立てする事は出来ないのかもしれないが、その情報そのものは何かに利用出来るのではないか―― いよいよ迫り来る敵の速度は止まらない。 背の後ろ。遥か彼方には本当に怖いことを知らない、世界の表に生きている人達が居る。 「私が――」 あの日。『雪風と共に舞う花』ルア・ホワイト(BNE001372)が、世界の寵愛を得る事なく望まぬ力を手にした十三歳の時までそうだった様に。 「心からの笑顔で笑い合える幸せを潰させない――この境界線は超えさせない!」 迫り来る岩を蹴り付け、駆ける影が淡い煌きを帯びる。 大切な恋人と弟から託された二振りの短剣が閃き、蛇の怪物数匹を瞬く間の内に凍れる彫像へと変えた。その身に宿した清廉な技巧に、灯璃が齎した禍々しい不幸とを織り交ぜて。氷像と化した異形共はおそらく既に生きては居るまい。 瞬く間の内に。されど漸くこれで半数だ。 とはいえ不幸なのは異形共だけではないのかもしれない。 蛇の化け物はこれからも次々と生み出されてゆくのだから、二分も戦えばリベリスタ達は実に二百数十匹を相手取る計算になる。 尤も想定出来る不幸であれば対処は出来る事にもなるのだが―― 「街には踏み込ません、疾くとこの世界から去って貰う」 誓いと共に奥歯を力強くかみ締める『誠の双剣』新城・拓真(BNE000644)の剣戟は、未だ巨壁には届かぬ。 「……行くぞ!」 ならば左に構えたガンブレード――Broken Justiceの引き金を引き絞るまでだ。 無双の剣技を誇る拓真ではあるが、双剣を縦横に振るうだけが取り柄ではない。 放たれた銃弾の嵐は灯璃とルアの一撃を逃れた怪物共へと次々に突き刺さり、その後ろで視界を覆う長毛の絨毯までにも蜂の巣を穿つ。 これで次なるリセリアを中枢へと送り届ける事が出来る。 更に―― 「終わらんよ!」 弾丸の嵐と共に地を蹴る拓真。 この初手でリベリスタ達が試さなければならないことはまだまだ多いのだ。 「後は……」 リセリアは迫る蛇達の数匹を掻い潜り、迫り来る巨体になぎ倒され跳ね上がる木の根を蹴り付けて飛ぶ。 「やれる事を、やりきってみせるだけです――!」 宙に煌く蒼銀の軌跡。この日の為に篭めた魔力は果たして功を奏してくれるのか。 拓真のglorious painを巨体に叩き付けられ、リセリアの剣が突き立つ。 金属がひしゃげ、ねじ切れる様な音が耳を劈いた。 巨体から生える蛇共を寸断し、勢い衰えぬ剣勢はそのまま巨体の分厚い表皮を真一文字に切り裂く。 巨壁にめり込み、そのまま駆け抜けた剣は疾風を伴い、引き付けられた怪物の体液が弧を描く。 この世のものとは思えぬ体液が大地を汚し、吐き気を催す臭気と共に煙が立ち上る。 ―― ―――― ―――――― 地響きと共に、巨体の速度が僅かに緩み―― どうにか五、六メートルといった所か。素直な実感とは程遠く感じるが、それでも確かに意味はあった。 空中で蛇を蹴り付け飛び退る拓真とリセリアを横目に、リベリスタの誰もが感じたであろう成果。 それはこの巨体を減速させる事。作戦一つ目の根幹であった。 リベリスタ達は敵のやや斜め前方に位置取り陣を布いている。 それは球形の敵を前方から押し戻しながらも、その巨体に押しつぶされない為である。 そして拓真とリセリアの剣が敵を減速させる事に成功したという成果は大きい。相手はあくまで生き物である事が知れた様なものだ。 その存在が現実的に、物理的に存在しえないとしても、異界の神秘そのものであろうとも、それは生き物なのだ。 故にどれ程の意味がある計算か定かではないが、斜めに、あるいはジグザグに押し出す事でいくらか距離が稼げる筈だ。 それは理論上の継続戦闘時間を延ばす事につながる。 ならばそれは如何程の効果があるのか―― リベリスタ達の攻撃は速い。培った戦闘能力は化け物に対して立て続けの連撃を可能にしている。 「知ってる?」 巨壁から迫る蛇の群れを掻い潜り、糾華が微笑む。 「蝶の羽ばたきですら嵐は起こせるそうよ」 無数に舞う告死の蝶が蛇壁の前面を貪る様に抉りぬいて往く。 「だとしたら貴方達程度を翻弄するなんて分けもないことよ」 巨体が身じろぐ。ごく僅かに、しかし尚も減速する。 これだけでは十メートルを切るだろうか。だが何度か試せばここでも十秒以上は稼げる。 リベリスタ達は強い。その上レイチェルの技と、雷音の鬼謀長ける指揮能力はリベリスタ達の戦闘力を一次元上の段階へと押し上げていた。 その有り様は正に世界有数のリベリスタ組織と呼ぶに相応しいのだろう。 そんな中でも極めつけに相性が良いのは、この糾華だ。そもそも評価の高い額面スペックの遥か上、ただの攻撃にあの拓真に匹敵せんばかりの破壊力が秘められているのだからただ事ではない。 一つの成功に安堵のため息を吐く暇はない。 魔杖を握り締める雷音が一枚の符を手のひらに掲げる。首をもたげ飛び立つ呪符は飛翔の最中に鴉へと姿を変え、怪物の体内を喰い進んで往く。 その巨体は毒に蝕まれ――刹那、触手達の全てが動きを止めた。 蛇の群れが雷音へと一斉に向き直る様は、励起とでも呼べばいいのだろうか。 視界もその外も。目の前も、上も、後ろも全て。瞳無き蛇の先端全てが口を開き、歯を剥き出しにする。 「ひっ――」 視線なき悪意が彼女の身に振り注ぐ中、恐怖に震える視界の前に大きな背が立ちはだかった。 その手に握るのは小さな小さな短剣一つ。 その背に守るのはこの世界の全て。 左手が掴むのは誰一人奪わせはしないと言う――それはただ我武者羅な、不恰好な理想(ユメ)。 「さあ」 胸を張る。 「来いよ」 何せ相手は東京ドームの様な大きさなのだ。風車を相手取るドン・キホーテどころの話ではない。 それでもなぜ、快は幾多の勲章を下げているのか。 彼が方舟の守護神等と呼ばれているのは何故なのか。 「来い、来い……」 ――――――来いッ!! 怪物はぐるりと器用に身体を捻り、巨壁に生じた蛇達が快へと殺到する。更にその巨体が彼の身を圧殺せんと迫り来る。 鞭の様に迫る五匹をかわせば、巨木の幹が柔らかなアイスクリームをすくう様にぽっかりと削られる。 二匹をナイフで捌けば別の数匹が肩を、腕を、足を抉り鮮血が迸る。 殺到、殺到――殺到。迫る蛇の数を数えている暇もない。 並の人間であれば。いやフィクサードであろうがリベリスタであろうが、瞬く間の内に命を奪われているであろう。 そんな猛攻を、しかし快は耐え抜いた。この程度なら運命を従えるまでもなく、その足が大地から離れる事はない。 そして尚も迫る質量は、されど蛇自身が打ち貫き倒れた巨木に滑り、快の身に届く事はなかった。 灯璃が招いた不幸の残滓は今もその巨体をちりちりと妬いている。 どっと汗が噴出す。 快であれば次の一撃とて耐え抜いたであろうが、今回の布陣は継戦に長ける一方で、極端な打撃に脆い一面もある。 そうでなくとも余計な打撃など受けないに越したことはない。 ともかく両者はこの場での最大の目的を果たした。 敵に怒りの力をぶつける事で、攻撃を引き付けるという戦法が通じるのかどうかだ。 結果は見事、攻撃の全てが雷音へ向けられ、それを快が捌ききるという想定通りの展開を見せている。 そしてリベリスタが見据える戦術はその一歩先にある。 そうして攻撃の矛先をコントロールすることで敵の進路をゆがめる事が出来れば、戦術は次のステップへと移行させて往く事が出来るだろう。 身を張った実験と言えばそれまでに聞こえるが、リセリアや糾華の一撃にせよ、雷音の勇気にせよ、実際にはそれそのものが戦術の第一手となっているから、何一つ無駄はない。 結局の所、例えば極論として十名が十名とも真正面からノックバックを伴う攻撃を放ち続けたとしても間に合わない相手なのだ。やれることはなんでもやって見る他ないのである。 「どうか無理をしないで」 雷音の気遣いに、快は揺るがぬ背をもって答える。この危険極まりない役目はここから快へと引き継がれる事になるのだ。 問題は。 最大の、そして絶望的な問題は。 結局の所、敵の進行方向そのものにはまだ幾部の狂いも生じていない事であるのだが―― ● 長い十秒が終わろうとしていたが、問題は山積みのままだ。 今迄の攻撃に如何程の効果が望めたのだろう。ともかく倒せる事が分からなければ始まらない。 戦力の分析はカルラの得手だ。 ここまでの初撃でどれだけの手傷を負わせる事が出来たのか。 灯璃が初撃に狙ったのは自重を支え、移動を司る下部であり、それによって巨体の進軍に悪影響を与える事を主眼としていた。 結果として敵はぐるりと身体を回して足と攻撃面を確保した訳だから一見目を見張る効果を上げなかった様にも感じられるが、まず一つ、さまざまな方策を試すことには大きな価値がある。戦闘を継続させる上での判断基準になるからだ。更にこれによってリベリスタが強烈な打撃を加えた面に陣取る毛蛇は機能を停止させたという事が分かった。 これだけの情報があれば、おそらく正確に近い分析は可能な筈だ。 十字に構えた双剣から裂帛の一撃を放つ拓真に例えてカルラが答える。 「今のが百五十発……って所か」 敵の体力だけならざっと、かの守護神を五十余人抜きする程度と言えるのだろうか。 限られた時間の中で手短に紡がれるカルラの言葉にリベリスタ達は思案を重ねる。 とにかくこれまでの短い交戦期間のうちに得られた結果から、どうにか答えを導き出さなければならない。 武光を纏い、レイチェルが紡ぐ勝利の方程式に彩られた、デュランダルの中のデュランダルが放つ一撃を耐える存在は少ないだろう。 そんな単位は大きすぎてどうしようもないのが常ではあるが、ここでは使える情報になった。 そうは言っても余りに少ない材料は、組み合わせた所でありえない結果を導き出す事しか出来はしない。 だが、ありえないであろういくつかの仮定を積み重ねたとしても、その分析を続ければ意外にも正解に近い所へたどり着ける事だってある。 例えばこれまでの攻撃の中で完璧に作用した、最も幸運な状態が続いたと仮定すれば、おそらく交戦開始から二分強での撃破が可能であろう。 こうなればまごう事無き勝利であるが、この仮定では各々がこれまで完璧に成し遂げた、あるいは成し遂げるであろう攻撃を幸運にも延々と続行出来た場合の話となる。 別の角度から、つまりは少々悪い想定として。おおよそこれまでの十秒間に与えた打撃を基準にして、やはり延々と積み重ねた場合にはどうだろうか。おそらく致命傷を与えるまでに五分以上はかかるだろう。これでは駄目だ。 もう一つ大きな問題として、この思考は距離と時間、移動の問題を省いている。つまり今と同じく相手の眼前斜め前方に、あるいは追いすがりながらも適宜攻撃を続ける事が出来た場合を想定しているという訳だ。 敵の巨体の全面二百メートルを攻撃出来ると仮定してもせいぜい四、五手。実際には球の端のほうは上空にあるのだからこれよりもずっと少なくなる。 現時点で成果を上げている作戦として、敵を押し戻す分を考えればそこに数秒が加算出来るが、残念ながらこれでは間に合わない事になる。 ならば目下、大きな課題は一つ。どうすれば有効な打撃を与え続ける事が出来るかに絞られる。 では、それを如何にして成し遂げるのか。 「こういうのはどうです?」 いたずらな笑みを浮かべ、レイチェルのダガーが虚空に閃く。 今の所、怒りがさしたる効果を及ぼさないのであっても、打てる手はある。 Chat noir(くろねこ)。何者にも縛られる事の無い気まぐれな獣に篭められた魔力は混乱。 巨体にびっしりと生えそろう毛蛇共はでたらめな軌道を描き、千牙はリベリスタ諸共カトンワームも喰らい始めた。 リベリスタ等にとって手痛い打撃には違いないが、邪魔な雑魚共の掃討に役立つのであればこの成果は悪くない。 「やったねレイちゃん!」 なぎ倒される木の幹をくぐりぬけ、きらきらとした冷気を纏うルアが大地を蹴りつける。 先陣を切って仲間の為に道を切り開くのだ。 純白の機甲を汚す己が血すら少女を彩る花びらの様に。その姿は雪風に舞う様な可憐さで。 きっと恋人が守ってくれると信じているから。 おっとりした平素の様子とはうって変わり、勝気な表情を浮かべたルアの双刃が蛇共をたちまち氷像に変え、刹那の後に砕け散る。 「邪魔臭いなぁ」 軽やかに嘯く灯璃の常闇による不運と不吉。ルアが齎す氷霧による氷像は、軽い打撃に極めて強く強烈な打撃に脆いという布陣を極めて攻撃的な側面からカバーし、攻防一体の活躍を見せている。 「赦すと思う?」 この醜悪極まる光景を。無規律な破壊を。 糾華が望む小さな小さな平和の終焉を。 その美しい、そしてなんでもない日常を汚す事を。 糾華が放つ夜蝶の群れは、凶刃となってカトンテイルを切り刻み続けている。 「來來、朱雀!」 舞い上がる呪符は燃え盛る火の鳥へと姿を変え、戦場を焼き尽くす煉獄の炎は残った蛇共を一掃した。 「君たち深きものにとっては人なんて取るに足らないものであったとして、小さな嚆矢は重なれば脅威になるとしれ!」 朱雀の勢いは衰える事もなく、巨大な怪物を貫き一気に燃え広がる。 ケルトの英雄に呼びかけ、その誇りと力を持って。全身を血に染めた快の傷をツァインが癒す。 後方支援に徹するとは言え、距離を問わず次々に迫り来る攻撃を幾度も身に浴びては、さしものツァインとて無事では済まないだろう。 「この体も、技も、心臓も! 耐え続ける為にできてんだからな!」 だが鍛えぬいた強靭な防御を誇るからこそ、その役目を勤め上げる事が出来るのだ。 「朱鷺島、炎の効きはどうだ?」 「思った通りだ」 炎がこのまま燃え続ける可能性は、アーク本部の情報から十に一つか二つと聞き及んでいるが、雷音の体感からも事実その通りなのだろう。 それはそれで問題ない。積み重ねに意味がある。 「時間が無い、試せる事は全部試そう」 「勿論だ」 やるしかない。幾度も放ち続ければ大きな力となる筈だから。 「新城さん! リセリアさん! 今だよ!!!」 ルアの鈴の声音に呼応する様に拓真、リセリアの両名が巨壁へと一気に詰め寄る。 揺らぐ巨体に更に突き立つのは、リセリアの速剣だ。 往く手を阻む様に迫り来る巨体から生えた蛇達をものともせず、雷光纏う極北の剣速がカトンテイルを抉りぬく。 その細い背中に、華奢な肢体に。戦い続ける意思がある限り、彼女は決して折れはしない。 『俺が望む物は果たして何か』 拓真は己に問いかける。 『祖父よりも強い存在は確かに居る筈だ』 たとえば、彼の祖父。新城弦真であればこの怪物を屠れるのであろうか。 リベリスタとして強さの階段を駆け上り続ける拓真と、祖父と、どちらが強いのかは分からない。 おそらく未だ追いつけている訳ではないのだろう。 それでも弦真が一対一でこの怪物と向き合った時、どうなるのであろうか。 きっと単純な強さでは怪物に軍配が上がるのだろう。そこには人と化け物を隔てる大きな壁があるのだから。 『それでも、何故俺は祖父の背を目指したのか――』 全身の膂力を一点に注ぎ込む様に、拓真は揃えて構えた双剣を振るう。 『そうだ、俺は……』 リセリアの対極とも言える力強い刃が巨体に食い込む。 『己を貫く強さこそ、求め、欲した筈だ……!』 枝が、蛇の群れが拓真の頬を切り裂く。 視界の片隅を赤い血が通り過ぎて往く。 だが。 『故に、届かせない』 叫ぶ。 「貴様達をあの街には近づけさせない!」 全身の力を。戦神の気迫を爆発させる。怪物の血が迸る。 「貴様達がどれだけ強大で強力であろうと!」 もう一度。斜め十字に構えた刃を解き放つ様に、拓真は力を振り絞る。 「我が双剣が――」 貴様らを貫き通す! 攻め手がその意地を現実へと変える最中、守り手にも担う重要な役目がある。 もっと。もっと広く手が届けばいい。かくあれかし。 「狙えよ」 強欲でもいい。 そうでなければ、誰も守る事なんて出来やしない。 暴れ狂う巨体が次々に千牙を突き立てる最中、快がその背に守るのは雷音、レイチェル、そしてカルラだ。 「いいから狙ってみせろよッ!」 身に突き立つ牙をもろともせずに快が叫ぶ。 逞しい身体も、勇ましい気迫も。こんな敵の前では豆粒にも等しいのかもしれない。 だが。敢然たる絶対者に、この程度では温過ぎる。 快のカバーリングと言えど、どうしても一人はあぶれてしまう。危険な者も視野に入れればなおさらだ。けれど不完全だから何だと言うのだ。ローテーションを組みながらでも一度に二人をも守れるという状態は作戦上極めて重要なポイントとなっているのは間違いない。 リベリスタの後背から、破界器テスタロッサの炸裂を打ち当てるというのは、針に投げ糸を通す様な所業だ。 激戦の最中、自らも傷を負いながらという条件も付与されるのだから事は至難を極める。 それを可能とするのは星界の射手たるカルラだからこそなのだろう。 怒りを祓え。憎しみを消し去れ。 そもそも敵は感情を篭めてどうにかなる手合いではない。効率的な殲滅、掃討にこそ意識を割くべきなのだ。夜空に輝く一点の星すら貫くであろう怜悧なる死神の魔弾を以って。 炸裂する赤き雷光は、崩れる木々の枝と枝の間隙を縫い、暴れ狂う蛇共のあぎとに触れる事もなく、精緻極まる軌道で巨体を刺し貫いた。 ● 情報の分析と展開に並列させて、リベリスタ達は交戦を続ける。 僅か数手。しかし目まぐるしく変化する戦況の中で、リベリスタ達はとうとう怪物の側面に陣取る羽目になった。 こうなればこれまで頼りにしてきたノックバックの効果は望めない。 稼げたと思われるのは僅か二十メートルと少々であり、塵も積もればと言うには余りに心もとない。 足りない。これでもまだ足りないのだ。 誰の心にも歯がゆさが滲んでいる。 情報から精緻な作戦を練り上げるには時間が足りず、戦闘も苛烈に過ぎる。 それでもカルラが貴重な一手を犠牲として読み取った情報。そして彼を含めたリベリスタ達が攻撃を続けながらも紐解いた情報には途方も無い価値がある筈だ。 ここで浮かぶのは一つの疑問。 怒りの精神作用には、意味がない――? それは最悪の想定。 そうなのであれば、どうしても足りない手数を補う万策は潰える。 「いや、進行をコントロールするチャンスはある」 誰かの問いにカルラが答える。 今リベリスタが相対しているのは敵の側面下部にあたる。先ほどまでは前方下部だった。 前方にせよ側面にせよ、はたまた後方にせよ。互いに攻撃が届く範囲だけでも数十メートルの幅があるのだ。 この間に怪物が前進を止める理由はない。 どんな目的意識がこの怪物を進撃させているのか定かではないが、交戦よりも移動に主眼を置いているのは情報からも確実だ。 それらを組み合わせて紡ぎだされる回答は幾つかあるだろう。 「地形でも何でも利用して直進だけは阻止しなきゃ」 二対を構え、翼をはためかせる灯璃が答える。 側面や後方からの攻撃であれば蛇行、あるいは曲線的な移動を強いる事が出来るであろう事。 つまり同じ三十メートルでも実移動距離は落ちるという事。 側面や後方から巨大な天井、あるいは壁に生えた触手に向かって殴る事の出来る距離が精々三、四十メートル程度と考えれば、悪くても多少は角度を外せる筈である。幾何学か何かの問題染みているが、上手くやれればそれで四十秒以上は稼ぐ事が出来るだろうか。 余りに些細な、けれど重要な時間だ。 もう一つ分かるのは、敵が攻撃を意識するならば進軍することが出来ないというタイミングであれば、おそらく大きな効果を発揮するという事である。 現時点での分析ならば敵が数十メートルの移動を経てリベリスタ達を追い抜く前に怒りの感情を付与すれば、少なくともその瞬間はそのままリベリスタ達を置き去りにする可能性は低いと見て良い。 攻撃のタイミング次第では叶わぬ厳しい状況には変わりないが、タイミングの調整には雷音やレイチェルによって引き上げられている力に加え、絶大な命中力を誇るレイチェルのアブソリュート・ゼロがある。 誰よりも速く放たれる絶対の一撃は敵のタイミングを狂わすのみならず、巨怪の戦闘能力をそぎ落とし、続くリベリスタ達の打撃力を大きく底上げする役目も担っているのだ。 怒りや混乱の付与が今後の展開の重要なファクターとなっているのは間違いない。 これでどうにか曲りなりにも戦闘の方針は追撃戦から消耗戦へと置き換える事が出来るのかもしれないのだ。 絶対的な正当という訳ではないのだろうが、読みの方向は外していないのだろう。 ならば次に浮上してくる問題は消耗だ。いかに快の奥技に守られているとは言え、敵の苛烈な攻撃を凌ぎ切り、攻撃を放ち続けるのは困難を極める。 何せ相手は巨体であり、その体力は無尽蔵とも見えるのだから。 結論として。側面や後方から少しずつ作用する怒りと混乱による軌道のコントロールは、理想的な理論値と比較すれば半分が上手く行き、半分はそうでないと言った所であった。 巨体故に敵の射程は額面の想定より長く、前方からも上からも、背後からさえオールレンジの攻撃が出来る。余りに高い箇所は互いに無理だとしても、敵の巨体そのものがどこからでも攻撃に使えるのだ。 これに対して側面から軌道をずらすには、敵が攻撃に移動を伴う程度に離れている必要があるらしい。故にこの条件を満たすのはかなり難しくなってしまう。 この時リベリスタ達は敵に近すぎた。軌道をずらすという面からは手数を無駄にしたとも言えるのかもしれないが、最大の目的である敵の撃破と、それに向かうダメージの積み重ねは滞りない筈でもある。 この様に交戦を続けるリベリスタは、次の十秒の間にとうとう敵の斜め背後方面に位置する事となった。これで後はない。 このタイミングでさえも敵は移動しながらリベリスタを射程におさめる事が出来る訳であり、未だ軌道に変化はない。けれども同時にリベリスタは苛烈な攻撃を怪物へと注ぎ込み続ける事が出来ている。敵からのバッドステータスも耐性と回復能力の高さからほとんど意味を成さぬ状況であり、未だ最悪の状態ではない筈なのだ。 リベリスタに漸く希望を与えたのは、次の瞬間である。 「水滴で石穿つにも威力ってものがあらぁな」 分かっていたのだ。打撃力そのものとしてツァインが貢献した戦果は、他のリベリスタと比較すればそれ程多くはない。 勿論、彼が別の方面に割いた力によってリベリスタ達が守られた場面も多いのだから、それがこれまでの彼の闘争を否定するものでは無いのだが、今度は真逆の方向から彼は最大の活躍をする事となる。 天高く振りかざすツァインの剣が清廉な輝きを帯び、放たれる十字の光がとうとう敵の軌道を変えたのだ。 「デカイの方向変わるよ、前衛注意!」 どうやら巨体が斜面をまっすぐに遡るには無理があったらしく、またリベリスタが完全な後方に回り込むには移動距離が足りない為、逆走させたと言うよりはあくまで角度を変えたと表現するほうが適切な状態ではあったのだが。 それでもこれで攻撃の数手を稼ぐ事が出来たには違いない。 仮に無策であれば僅か五手程で終了したであろう継戦期間が、この戦術の成功と、そこから他のリベリスタに繋がる怒りと混乱の戦術により九手まで延びた。 そして何よりこの戦術は続ける事が出来た。問題がない訳ではない。敵を山の上方面に移動させることが難しい事、そして敵に明確な下山の意思がある以上は僅かながら離れて往く事に違いはないから、徐々に軌道の修正も難しくなってしまう。 とは言えど、こうして通り過ぎる後背を狙い怒りを付与する戦術により怪物をジグザグに走行させ、リベリスタ達はこの作戦で交戦を続けながら最終的には十五手分もの交戦時間を確保する事に成功した。 その間、リベリスタ自身の移動によって更に稼ぎ上げた時間が四手分。ここまでのノックバック戦術が細かく加算する二手分。 最後の超遠距離攻撃を可能としたリベリスタは少ないが、その前に全力攻撃に移行した事との相殺によっておおよそ一手超。 これら全てを合わせれば二十二、三手分に相当した。 『私の傷なんてどうだっていいの』 痛くなんかない。 ルアは刃を振るい続ける。 泣いてなんかない。 もう――目の前に迫ってる街が見える。 だめだよ。 絶対に行かせない。 動けるのなら駆けなきゃ――! これを達成するまでにも犠牲が全くない訳ではない。リセリアにルア、糾華までもが一度は膝を折った。 だが戦力としては十名とも健在なまま。 ―― ―――― とうとうその時は訪れた。ついに来てしまった。 最後の一瞬、敵が離れ往くその時さえ、リベリスタ達は攻撃を止めなかった。 満身創痍のレイチェルとて最後の最後まで諦めはしなかった。 けれど次の手。離れ往く巨体に攻撃が届かない。 計算上、五手か六手。どんなに無理をしても三手程足りない。 何をどうしても、どうあがいても足りない。 ツァインの視界が揺らぎかける。 「耐えろ」 だが彼の気力が倒れる事を許さない。 「しぶとく生き延び、最高の機に全力でぶち抜く、格下の戦いはいつもそうだ……」 その誇りが無為に己が命を、果たすべき使命を投げ出す事を赦さない。 街に迫り往くカトンテイルを追うように、リベリスタ達は駆ける。 仮に後一歩であれば、カルラなど命すら投げうっても良かった。 けれど最低値と見た総員の三手と言えど、おおよそ三十の打撃だ。一人や二人で賄いきれるものではない。 この戦場においてリベリスタに必要だった能力は膨大だったであろう。 精密な作戦立案、遂行能力。大威力の攻撃能力に加え、並外れた殲滅力。 バッドステータスを確実に叩き込む能力と相手からの対策。状況を分析する力と想定力と判断力。 長い継続戦闘を可能とするタフネス。そして不可能を可能にする様々なアイディア―― 相手に思わぬ余計な加速を許してしまう事だってしなかった。 その全てを兼ね備えなければ勝利そのものが見えやしない。 そして最終局面までにリベリスタ達は全員が全員共、その全てを満たす事に成功していたのだろう。 だが、どうしても及ばなかったのだ。 信じられなかったのは自分の力量ではない。ましてやその背を、命を預ける仲間達では断じてない。 だからきっと己自身の小さな判断に自信が抱ききれなかったのではないだろうか。 だとすれば彼等の手を遅らせたのは、ほんの僅かな迷いだったのかもしれない。 誰が悪い等と言える筈もない。 決死の覚悟がなければ、そもそもこの場に立つ資格すらなかったのだ。 傷つき倒れる事を厭うた訳では断じてない。 むしろひたすら己自身が倒れるまで相手を殴り続けていれば、より悪い結果となっていたであろう。 どこの誰が彼等の事を責められようか。 それでもきっと彼等は。その気高い意思は。己自身を責め苛み続けるのだろう。 たとえこの最終的な戦果でさえ、きっと他の誰にも成しえなかったのだとしても―― 糾華が震える手で携帯電話を握り締める。せめて街の主要施設に連絡を取らねばなるまい。 ほんの少しでも被害を減らす為に。 作戦が失敗したから。また次にがんばれば良い等と言える筈も無い。 「この世界の、三高平の、私の、平穏を踏み躙るようであるならば、私達は諦めない」 いかに傷を負ったとて、疲労の色が濃いとは言え。また辛うじて戦う力が残っていると言うのに、こんな状況が放置出来るであろうか。 答えは否だ。 救援を待つとしても、次の機会を伺うとしても、結果が悪夢にしかならないことは容易に予測出来る。 未だこの街を救う事が出来るのは、この場にいるリベリスタ達だけなのである。 不幸中の幸いか。麓を越え、市外に入り込めばリベリスタ達の移動手段は増える。 「後方からワーム来てる、火力回して!」 山からなだれを打つ蛇共を切り捨てながら、リベリスタ達は敵を追う事に決めた。 「撤退なんて、出来ないよね」 ルアが唇をかみ締める。だって、諦められない。 「まだ身体は動くな?」 快が声を張り上げる。雷音等が頷く。 「倒しちゃおう」 灯璃の呟きに、リベリスタ達はもう一度気力を奮い立たせる。 「諦めの悪さは全階層で一番よッ!」 ツァインがもう一度、剣を握る拳に力を篭める。 体力は底を尽き掛けている。だが悠長に回復を待っている暇などある筈が無い。 ――やるしかない。 最後の一戦で雷音が、レイチェルが、とうとう運命を燃やした。倒れる訳にはいかなかった。 けたたましいサイレンの鳴り響く中。 くたばれ――化物。 廃墟の中でリベリスタ達が怪物の殲滅を終えたのは、それから僅か数分後の事だった。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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