●何処かの会話 あのね、あのね。 それは、とても簡単なお話。 あの子がその子に恋をした。 けれど、あの子は告白する前に、死んでしまったの。 あのね、たったそれだけのお話だったのよ。 ●死猫の恋情 「猫に恋情はあると思うか」 疑問符を浮かべない疑問を発し、『直情型好奇心』伊柄木・リオ・五月女(nBNE000273)は集うリベリスタ達へと視線を滑らせた。 「私には分からないのさ。猫として生まれたこともなければ、猫として生きたこともないから」 それを虚言と言われたならばそうなのだろう。リベリスタであるならば、獣らの言葉を解す者も当然、居る。そして獣の言葉を解すということは、獣と意思の疎通が叶うということは、その獣らにも恋情を抱くだけの心があるということに他なるまい。 だが、五月女は躊躇わない。 分からないと告げることに、明かすことに、躊躇はない。 「とても簡単な物語さ。絵本にしたところで、きっと大作には成り得ない」 白衣のポケットに突っ込んだ、ライスパフ入りのチョコレートスティックを引っ張り出して、五月女はリベリスタ達から視線を外した。 ぺりぺりとゆっくりとした手付きで包装を破き、棒状の菓子の端っこを齧る。 「ある所に一匹の野良猫がいた。恋心を抱いた猫は、とある猫に恋をした。刺激的だね、お相手は身分違いのお上品な箱入り娘さ」 シャンプーして乾かされた毛並みのふわふわとして真っ白なこと、と惚けた口振りで語りながら、白衣のリベリスタは尚も菓子に歯を立てる。 「一目惚れの片思いに落ちた野良猫は、その家猫へと思いを告げようと決意する。しかし悲しいかな現実とやらは残酷で、野良猫は思いを告げるどころか会いに行くことも出来ないままで車に轢かれてジ・エンドだ。だが――」 音の乏しい室内で、さくりさくりと菓子の咀嚼する音だけが、妙に乾いて聞こえただろうか。 望んで物音を立てるかのように、チョコレートを齧りながら五月女の視線は手元との資料へと移る。 「死んでも恋情の忘れられなかった野良猫は、エリューションに姿を変えてその家猫の元まで向かうのさ。だが、家猫から見れば相手は最早、潰れた姿のただの化物……既に猫の面影も怪しい、見ず知らずの化物だ。まともな会話に発展する筈もなく怯え、逃げ出し、拒絶する」 憐れなるかな、と芝居がかって声を上げてみながらも、包装の中に包まれた菓子の最後の一欠けらを口の中へと放り込んで、ビニールの包みをくしゃくしゃに丸めた。 畳むこともなく握られたそれを、ポケットの隙間へと無理矢理に押し込む。 「嗚呼、想いが届くどころか怯え逃げられた家猫は、理性を失い怒りに我を忘れてその猫を食い殺し――その復讐心の煽り立てるがまま、目につく生き物を片っ端から喰らい始める。まずはその家の犬、次に子供達、親、そして近所の家々……」 此処まで語れば充分だろうとばかり、五月女は手にしていた資料を手近なリベリスタへと差し出した。 「相手は覚醒したてのエリューションだ。なぁに、並みの猫に比べれば頑丈だろうが、それとて君達の手を煩わせる程のこともないだろうさ」 ――期待しているよ、と。 淡々とした口調で告げながらも、五月女は静かに目を伏せたのだった。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:猫弥七 | ||||
■難易度:EASY | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2014年05月08日(木)23:11 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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● 翼の加護のもたらす羽がふわりと広がり、『夜翔け鳩』犬束・うさぎ(BNE000189)の身体はその異名に相応しく、軽やかに夜空へと浮かび上がる。 静かな羽ばたきと共に舞い上がった身体が運ばれたのは、庭に面した窓の一つだ。明かりの既に落とされた子供部屋を暗視を介し夜暗を寄せ付けない視線で窺う。真暗な中できらりと金色めいた色合いが揺らいだのは、件の猫が瞬きの一つもしたのだろうか。 それを証拠付けるように、静かな室内を仄白く浮かんだ塊がうさぎの覗き込む窓の縁へと滑るように近付いてきた。 「……伝える事も出来ないなんてあんまりじゃないですか」 硝子越しに姿を見せた、白い毛並みの艶やかな猫を見詰めながら、うさぎの唇から小さな呟きは零れ落ちる。 悲劇への邂逅を目前に、振り返った背には彼女自身のもたらした幻影が既に色濃く深く渦を巻き、濃霧となって庭への視界を遮っていた。 「死んでも伝えたいほどの想いがあるか……いいねぇそういうのは……」 同じように庭の片隅で歌うようにしみじみと、『(自称)愛と自由の探求者』佐倉 吹雪(BNE003319)の言葉は夜風の上を静かに滑る。 「そりゃ、猫だって恋の一つや二つするだろうさ」 武器や暗視スコープを仕舞い込んだ軽装は、戦闘時までそれらをしまっておくことが出遅れるということは承知の上で、エリューションと化した野良猫との対話を望んだが故の選択だった。 「誰かを好きになるってのがどんなに素晴らしい事かってのはよくわかってるつもりだ。だから本当は、出来れば手伝ってやりてぇくらいだよ」 「そうは思っても、状況が叶えさせてくれないなんて。歯痒いわね」 ぼやくような吹雪の言葉に応えを返したのは、幼さの色濃く残る高い声音だ。 暗がりを見通す双眸をして、『そらせん』ソラ・ヴァイスハイト(BNE000329)は幼い容貌にしては些か不似合な仕草で眉を顰めながら視線を路地へと投じる。 「焦がれ猫の死を無かったことには出来ないけど、私達に出来る事、決して少なくはないと思うわ」 少なくともエリューションと化した猫を食い止めることが叶ったなら、等しくして人命と家猫の命を救える――最悪の事態は防ぐことが叶うと、ソラが想いを口にする。 「理性が残ってる焦がれ猫と会話もできる。……現状で目指す事の出来る最善の結末を目指しましょう」 そんな会話が為される一方で、庭の前に続く道を見渡せる植木の影へと潜む影もまた、来る予兆を前にして言葉を奏でた。 「神秘とは、多くの場合において理不尽なものだ。此度の事態は、十分に同情に値する」 動揺にも戸惑いにも揺らぐことはなく、隻眼の狩人はただ訪れんとする事実を待ち受けるかのように対の欠けた眼差しを月明かりの下へと投じた。 そんな『八咫烏』雑賀 龍治(BNE002797)の傍らで同じように身を潜めながら、『祈鴉』宇賀神・遥紀(BNE003750)は幻想纏いのグラス越しに、明瞭に冴える視界で道の先を見据える。 「故に、事を起こす前に奴を神秘から解放してやらねばな」 「そうだね、行き着く末が悲劇でしかないのだとしたら……彼を、壊してでも止めねばならない」 同意をもって頷きながらも、遥紀は思わずと堪え切れない嘆息を零した。 「……世界は今日も変わらず残酷な儘だ。世界の寵愛は偏愛でしかなく、神は愛した聖人しか救わない」 少しばかり沈んだ声音には落胆とも諦観とも取れる響きが淡く滲む。 ――微風のように優しく、それでいて確かな悲劇の予兆を連れて漂う死臭が、血の臭いが鼻先へ漂ったのはその頃合いだろうか。 「恋する心はとても綺麗で、とても優しくて……それでもカミサマは、そんな想いを踏みにじるのね。本当にカミサマなんて――大嫌い」 同刻、仄かな冷たさを宿す夜風に溶け落ちたのは、『ヴァルプルギスナハト』海依音・レヒニッツ・神裂(BNE004230)の囁きだった。 「ね、木蓮ちゃん。あなたがああなったら、雑賀君には会いたい?」 エリューションを待ち受ける街路樹の陰で、海依音の言葉は静寂を揺らす。 修道女の衣装に身を包む娘の言葉は飽くまでも穏やかで、『銀狼のオクルス』草臥 木蓮(BNE002229)の視線が月統べる夜へと朧に浮かぶ異形の影に移ろった。 「変化した姿を見せたくないから、手紙を書いて逃げるかもしれない」 僅かな逡巡を挟み言葉を紡いだ木蓮は、緩やかに眼鏡の奥で双眸を伏せる。 「でも会いたいな……」 矛盾した言葉を紡ぎながらも、彼女の唇はゆうるりと柔らかに弧を描いた。 眼鏡の奥の双眸が緩やかに瞬き、同じように時を持つ想い人の方へと視線を宿す。 「止められても、なお会いにいくの?」 「最期に会いたいってのもあるが、龍治なら自分の手で止めてくれる気がするんだ」 「そう……」 グラスの奥の二つの視線は徐々に近付いてくる影へと戻り、その姿を確と捉える。 自身の身に置き換えることが出来るが為に、深く深く想う者があるが故に、だからこそと木蓮は呟く。 「あいつにも止める奴が必要、だよな」 暗がりの中、月明かりと街灯が侘しく照らす路地の上。 想いを焦がす邂逅の時は、今しも目前に迫っていた。 ● ――それは、元は猫であったのだろう原形を僅かに残す異形に他ならなかった。 押し潰された小さな体躯は、月明かりの下で黒々として見えるほどに斑な黒へと毛皮を染め替えている。 骨が折れたか、元はか弱くも強かであったろう細い足は歪な角度に曲がり、垂れ下がった尾がずるずるとアスファルトの上に引き摺られる。 生前はどんな色の毛皮だったのか、乱れ逆立ち解れた毛皮がぼうやりと月明かりに浮かび上がり、ゆらゆらと色のない火が揺らいでいるようにも見えた。 何処を見ているのか判然としない、深夜にありながら瞳孔の細く小さく縮こまった双眸は、硝子玉のように空ろに濁る。 ただ唯一事実であることは、その猫、であった異形の化生が、真っ直ぐにとある庭――とある建物を目指していることだ。 けれどその一本の、揺らぎも迷いもしない道へと立ち塞がる者達がある。その存在を目の当たりにして漸く気付いたのか、野良猫の残骸はゆっくりとその顎を上げた。 「ここは通しません」 うさぎの言葉は、人のそれであり、野良猫が理解しているのかは分からない。 「よぉ恋する少年……いや猫だから少年はおかしいのか?」 然し向けられた響きに束の間、エリューションが足を止めた隙を突くようにして吹雪が猫へと声をかけた。その言葉が明瞭に理解する響きとして届いた為か、戸惑ったかのように猫が片方が潰れかかった両の目を、おぼつかなく瞬かせた。 「まぁそこはどうでもいいか、想い人の所へ急ぎたいのはわかるが、ちょっとだけ俺たちに付き合ってくれねぇか?」 連ねられる吹雪の言葉に歩みを止める野良猫へと一歩、淑子が歩み寄る。 「こんばんは、わたしは淑子。わたしたちは『リベリスタ』という存在よ」 猫を刺激しないようにとの意図か、戦闘に備えた装備を解除した淑子の姿は一見無防備にも見える。その中でモノクルの縁を月明かりに煌めかせ、柔らかなピンクの瞳が瞬いた。 「そんなに慌ててどこに行くの? かわいいあの子に告白するにはその姿では野暮だわ」 鯔背な吹雪の口振りも、淑子の通訳を借りながらの惚けたような海依音の言葉も、道を塞がれることなど思いもしなかった“彼”にとっては戸惑いしか生まないものであっただろう。 異形に等しく身を変じても心情を焦がす想いが即座に激情へと変わらないのは、淑子を中心に展開する心穏やかたれと広がる、マイナスイオンの清浄とした気配が野良猫の荒ぶりを静めているのだろうか。 「ここに貴方の大切なひとが居るのでしょう? 彼女の命に関わることなの。少しだけ、耳を傾けて下さらない……?」 優しく奏でられる淑子の声が明瞭と聴覚を揺らした為か、色濃い捩れ拉げた猫の耳がひくりと動く。 「――今の君は、自分がどんな姿をしているか分かるかい?」 惑い揺らぐ猫へと、遥紀は静かに、感情を伏せ隠した問いを放った。 「潰され、歪に捩れた動く屍に過ぎない姿を、彼女は恐れる。拒絶された君は、怒りと絶望に任せて殺してしまう……」 遥紀の覗き見た深淵は猫の心情に触れ得るものか。いずれにせよ、野良猫へと神秘の一片の理解を促すことは叶った筈だ。 「あなたの喪われた命や、想いを軽んじているのではないの。ただ生きている命は、ひとつだけ――あなたにはそれが、一番よくわかるでしょう……?」 諭す口調へと穏やかさを宿したままに、淑子は猫であったものへと語りかける。然し猫の空ろな双眸は眼前に集う人々を、月明かりに浮かぶリベリスタ達の姿を見返すだけだ。 「たとえばなんだけど……あなたは告白が受け入れられなかったとして、彼女を憎むかしら? 好いた相手の幸せを望むことができる?」 容姿の幼さに不似合いな、愛らしい声音ながらも何処か達観した響きで、ソラが言葉の語尾を上げる。 「今のあなたが彼女と会えばあなたと彼女の両方が不幸になる、だからあなたをここで止めないといけないの」 「このままじゃ愛してる子まで手にかけてしまう。同じような奴を沢山見てきた」 重ねられた木蓮の訴えにも、猫は捩れた首を傾けただけだ。 如何様、野良猫であるが故か、彼には知る由もないことなのだ。否や、それは神秘を知り得る者達以外には知る由もないことであったろう。 己が身に何が起こり、如何様にしてその場に立つか。――或いは自身が死という淵を乗り越えてしまったことすらも、未だ納得に至らないのだろう。何故ならば身体は動く。痛みも感じないのだから。 だがそれは、然し。 「あなたにはこんな力があった? 体は痛くない?」 通訳を経て紡がれる海依音の疑問符に、野良猫は覚束無く目を瞬かせた。 「あなたの……足あとはこんなに、赤かった?」 果たして、猫がぎくりと震えたのは。虚ろな眼差しが何かを――嘘偽りの在処でも探すかのように辿ってきた道を振り返ったのは……己の今立つその場所まで、月明かりに黒いほど輝く朱の痕跡を見付けてしまったその心境は、如何許りだったのか。 それは恐らく、想いを内に秘め、想いだけを抱く猫にしか知れぬことだ。 「そんなおかしな話があるかと思ったなら俺様達を見てくれ。動物と話せたり、獣混じりだったり、こんな奴が実在してるんだ」 混乱を来したように髭を垂らす猫へと、言い募るように木蓮が言葉を重ねる。 「こういうおかしな事が神秘によって成り立ってる。お前のその姿、この後起こる悲劇もその神秘が絡んでるんだよ」 「怨んでくれて構わない。結局俺は、愛し子達の世界を守るエゴの為、迷わず君を殺すのだから」 ことが此処に至りてこそ、迷いも戸惑いも捨て去った遥紀の口調は淡々と突き放したものだ。けれどそれを否定するように、そっと口を挟んだ者がいる。 「宇賀神君、自分の一番を守るためには犠牲はあって当然よ。その覚悟があるからワタシたちは強くあれるとワタシは思うの」 「……そうだね、有難う神裂」 犠牲――エゴを当然と語り受け入れる海依音の言葉に、遥紀は幽かに、朧に揺らいだ眸を隠して静かに瞼を伏せた。 「このエゴこそが血腥い戦場に立ち続ける理由だ」 元より、この場に立つリベリスタ達の中に結論は一つしか存在しないのだ。 これ以上の悲劇を出させない。そこに死して尚も胸を焦がす猫の意思が、僅かな猶予すらなく排除されているとしても。 「……でも、彼女に想いを伝えるのが無理な訳じゃない」 叶うこともなく霞みゆくだけの想いに術を投じたのは、うさぎの静かな声だった。 「彼女はあの部屋に居るのですから、声を届ければ良い。想いの全部を、どれだけ愛しているかを、思いを告げればいい。存分に」 細い肩越しに振り返る家、その窓の一つへと眼差しを向け、淡々とした口調が死猫の想いに捌け口を差し出す。 深い霧越しに、窓越しに淡く薄らと窺える白い毛皮は野良猫の目に映るだろうか。 「それだけならただの鳴き声だ。構わないでしょう?」 その言葉は、猫ではなく仲間達への確認だった。 無論、一つの賭けではある。結界を張り巡らせたとはいえ、その強かに効果を有す内側で哭き叫ぶ猫の声、神秘の片鱗を人々の意識から逸らし続けることが出来るかどうかは定かではない。 なれどそれを知って尚、ただ諦めろと、ただ打ち捨てられる小さな生き物のか弱いよすがに、うさぎはただ一つ届き得るやも知れない術を死した猫へと差し伸べる。 「万一寝てても起こす程の情熱で、もし喉が潰れてても無くても鳴け」 ――その程度の奇跡、起こして見せろ! 果たして彼女の言葉を訳したのは誰だったのか、もしくはその意を獣としての本能が察することでも叶ったのか。 傍目にも潰れて見える喉から耳障りな掠れた声が零れ、溢れ、徐々に太く大きく劈くような唸りとも叫びとも付かない哭き声が夜を裂く。 幾度となく高く低く、裂けた喉から血潮を滴らせ、それでも恋に請いに焦がれ狂う猫は叫び続けた。 ……残酷な時の流れが、不条理な神秘の力が死した猫から理性も意識も奪い去る刹那。 ソラの差し伸べる指先が骸の猫から安らかに精神力を絡め取り、龍治の放った魔弾が思考を手放す間際に化生としての一欠片さえも奪い去る、その、最後の最期の瞬間まで。 ● 庭の前に続く舗装路、その歩道に植わる街路樹からは、霧の晴れた窓を見上げることも叶う。 「手伝うよ、木蓮」 猫の骸を柔らかな布で包み込み、血に汚れぬ毛を僅かに刈り取った遥紀が、街路樹の根元に穴を掘る木蓮へと声をかけた。 惨めな亡骸を抱き取った淑子の唇が、ごめんなさい、と朧な謝罪を零す。 「愛と自由の探求者なんて言いながら、結局こんな風に終わらせる事しか出来ねぇなんてな……」 穴を掘り進めていきながら、吹雪の口調は鈍く、重い。 「それでも、運命はこいつを愛しちゃくれなかった。猫が次こそ幸せになれるよう祈ろう……」 然程深いとは言えないが、猫の亡骸を埋めるには充分であろう深さを有す穴の底へと、淑子が優しく、血に汚れた亡骸を横たえた。 徐々に土を被さるその下へと、まるで全てを覆い隠すように猫の姿は消えていく。 やがて容易に目立たない程度に平らに、掘り返されない程度に土を押し固めた表面へとそっと触れ、木蓮は小さく吐息を洩らしたのだった。 「雑賀君ならどうするのかしら」 地中へと埋められゆく猫の亡骸へと視線を留めたまま、修道女の衣装に身を包む娘が静かに問うた。 同じようにただ見守るのみであった男が、鋭い眼光を潜める眼差しを婚約者から傍らに佇む海依音へと向ける。 「木蓮が同様の事態になったら、か」 その問いを待ち受けていたかのように……さもなくば己が内にて幾度となく自問したかのように、淀みなく隻眼の男は口を開いた。 「任務であるなら勿論だが、そうでなくとも、この手で眠らせてやる」 傍らにした鹿の角を有す少女へと視線を戻し、まるで淡々として聞こえる程の、静けさに満ちた声音がそう応えを返す。 そうでありながら幽か、ほんの幽かに言葉は淀んだのは――それは、そうすることしか思い至らない男の惑いか。 「……ああ、そうするとも」 いっそ己へと言い聞かせるが如き囁きは、夜の静寂に密やかに落つ。 恋人達の優しくも揺らがなかろう願いと覚悟を耳にして、海依音は再び異形のなりへと姿を変えた、そして今や亡骸として地の底に沈み往く、恋し狂う猫であった獣へと視線を戻した。 「恋心って強いもの、なのね」 独白めいた囁きに龍治は答えない。海依音もまた、それ以上の答えを求めなかった。 修道服の裾を翻すように龍治の傍らを離れると、名もなければ花もない、ただ植わり立つ樹木を墓標としたちっぽけな墓へと足を向ける。 ――最後にもうひとつだけ、やり残したことを果たす為に。 ● 窓硝子越しの光景は、季節外れの濃霧に塞がれて何も見えはしなかったことだろう。 その中で響き渡る獣の声を、潰れながらも夜を裂く叫びを白い猫がどんな思いで聞いていたのかは恐らく誰にも分かるまい。 真白な毛並みをした猫は、加護に抱かれ真白い翼でベランダへと舞い降りた者達を出迎えるように姿を現して静かに見上げただけだ。 白猫の前に身を屈めた色布に包んだ小さな硝子玉――名も無く今や土に沈む野良猫の、置き形見たる少しの毛を閉じ込めた硝子玉を差し出しても、猫の眼差しに籠る感情までは知れなかった。 「これは、あなたに恋した猫ちゃんの憶いよ。よかったら、受け取ってあげてくださいね」 海依音の囁きにも答えることはなく、ただ湿ったピンクの鼻先を冷たい硝子に押し付けただけだ。 その姿に目を細め、木蓮は聞こえていたかも知れないけれどと前置きして、穏やかに小さな心語りを始めた。 紡がれるのは束の間の、月明かりの下のちっぽけな物語だ。 報われることもなく救われることもなく、運命にさえも見限られたちっぽけな猫が最期の想いを籠めて叫んだ、陳腐な恋の物語。 それでも夜は穏やかに暖かく、柔らかな風は擦り抜けて散った悲劇の名残まで浚うかのようにリベリスタ達を――猫達の物語を包み込んで、静かに揺れた。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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