●優しさの果て 『クサカの怖れは打たれる怖れではない。最早鋭い牙を、よしや打たれてもこの人たちに立てることが出来ぬようになったのを怖れるのだ。平生の人間に対する憤りと恨みとが、消えたために、自ら危んだのだ。どの子もどの子も手を出して摩るのだ。摩られる度に、犬はびくびくした。この犬のためにはまだ摩られるのが、打たれるように苦痛なのであった。』 ――レオニイド・アンドレイエフ『犬』より その獣の噂にはこれがこう、といった貌とかかたち、姿といったものがない。 だが、それが『獣である』と認識できるのは、得も言われぬ鳴き声を発し、がさがさと音を立てて動く影を見ることができたからである。 人は未知の存在に恐れを抱く。森のなかで、姿を見せぬ影が動き回れば誰だって恐怖を覚える。近づかれたくは無い、と思う。だが、その獣に限っては、現れた事自体がどこか安心感を伴っているので、誰も過剰に恐れることをしなかった。 だが、不自然な存在が長らく人の世に知れた形で介在すれば、結局のところは好奇心が顔を出す。 知ることを望むものが一人ふたりと増えてくる。 人というのは愚かな生き物だ。同居できていた未知との垣根を、好奇心だけで叩き潰し、自らの不幸に変えてしまう。 その獣にだって居場所があり、境界線があり、生き方があったのに。 結果から先に言ってしまえば、獣は『迷子』だったので、他人の目に触れることを避けていたに過ぎず。 『迷子』は縁を作ってはならぬと知っていたので、ひと目に触れる事をせず。戻り方を分かっていたので、人に憧れるだけで生きており。 人からその居場所を奪って、命を奪って、ということをするだなんて思っていなかった。牙の使い方を思い出すまで、とてもとても長い時間がかかってしまったその後に。 不幸だったナァ、などと考えてからその獣は、受け入れられることをやめたのである。 ●現実破綻 「山間部に出現したアザーバイドの討伐。それが、今回の任務です。数とタイプは別添資料に。現時点で既に被害も出て居ますから、可及的速やかにことにあたって頂けると助かります」 ブリーフィングルームに集まったリベリスタに、『無貌の予見士』月ヶ瀬 夜倉(nBNE000202)は無表情に告げる。表示される山間部の地図を見る限り、そう規模の大きい場所ではないようだった。 「山間部に降りてきたクマみたいな話だな。アザーバイドだから、節操とかそういうものはなかったのか?」 「ありましたよ、というか……このアザーバイドが異常というか」 異常、とは異なことを言う。アザーバイド、上位世界の住人が、ボトムの基準に沿うことなどあるわけがないだろう。常識や、実力差すらも現実離れした存在が此方側を尊重する、など。 だが、彼の話に耳を傾けたリベリスタはそこで更に首を傾げることとなった。『そのアザーバイドは、地元の人間も知っていた』と。彼はそう言ったのだ。 「この相手、どうやらフェイトは持っていないようです。元いた世界の、こちらとの接触面が酷く緩いらしく、定期的にこちらに迷い込んでいたということです。幸いにして、迷いこんでも次元の再接続で戻っていたようですし、それの持つ能力……マイナスイオンの非常に強力なもの、とでも言えばいいんでしょうか。それを持っていたそうです。自身も姿を見せず、人を好いて居ながら距離感を弁え、彼らが迷わないように見守っていた……敬虔な人が居れば、『森の守り神』なんて呼んだかもしれません。 ただ、今回。興味本位でそれを探そうとし、あわよくば……と思った面々が強引に探し出し、ついでに傷つけてしまったと。命の危機を感じ、備わっていた爪と牙で一人目を。その事実と血の味に酔って、残りを」 「……自業自得なんじゃねえか」 「ええ、そうです。これは彼ら、殺された側の身勝手です。ですが、『世界のルール』に照らし合わせて、殺した方、世界の律を忘れた方が悪いのは必定。結果として、送還を前にこれを撃破しなければならないんですよ」 戻る場所があっても、過去のそれに正当性があっても、世界が優しかったのだとしても。 これは『選ばない』ことを選ぶ戦いだと、夜倉は嘯いた。それで、説明は全てだった。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:風見鶏 | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2014年05月04日(日)22:36 |
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■メイン参加者 4人■ | |||||
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●無銘無明の夜の果て 森閑とした気配の脈動は、そこに踏み込む者達の意思によって如何様にも形を変える。 それを味方に付けるか敵に回すか、それは人類文化の変遷と同義である。未知であることをありのまま受け入れることが出来た過去と、好奇心をより明確、道義的解釈へと近付ける文明の光が歪めて捉えた結果の現代。その差異は、神秘の世界でより明確な形となって現れる。籠った音と反響する声、どこか甘さを感じさせる空気の匂いは、それが『まとも』ではないことを明確に理解させようとしているに違いない。 「こんな空気をまといながら襲い掛かってくるなど、性質の悪い祟りのようなものだな」 充満する気配にぞっとしないものを感じながら、アズマ・C・ウィンドリスタ(BNE004944)は己の得物の握る感触が衰えて居ないことを確認し、僅かに安堵の吐息を漏らす。戦う前に戦意が削がれるようであれば、その気配の密度にどれほど自分が弱いのかを思い知らされてしまう。抗う者として生み出された神秘を操る身として、その気配はゆったりと侵食する毒や呪いの類そのもの。脅威に感じるのは無理もない。 (三高平に来たばかりの僕にも依頼をちゃんとこなせるんだろうか……) 優しく、どこか淀んだ空気に足を止めそうになった『ノットサポーター』テテロ ミスト(BNE004973)は、その感覚の正体が紛れも無く、自らの中にある不安であることを敏く感じ取っていた。第一線を張るレベルに成長しつつある自身の姉妹のことを脳裏に描き、それに至るまでの道のりの激しさを思うのは彼にとってどれほどの重圧であることか。思春期の少年に特有の、背伸びしてでも届かせんとする意識は、ことこの環境では殊更に反動が大きい博打のようなものでもある。 「世の中ままならん、ちゅーのは……成人したうちとしては、ある程度は飲み込んでいかんとあかんのやろなぁ」 世の中はままならない。ハッピーエンドは、誰の手にも等しくは降りてこない。 それと同様に、『手を尽くして戦う』という前提すらも許されない状況はどの世界でもあることだ。戦場に嘘も無く、勝敗に言い訳はきかない。結果以外、誰も賞賛してはくれない。 『ビートキャスター』桜咲・珠緒(BNE002928)は、既に暗中に差し掛かったリベリスタ達の状況に強い不安を感じていた。無理もない。四名居る中、其の半数が暗闇に対し一切の手立てを講じていない事実が目の前にある。それを周知できなかった自身に心中、強く舌打ちをしたくなるが、それが戦闘全てに影響すると断言できない以上は強く出ることも差し障りがある。 配られた手札だけで戦うためには、一定の覚悟も時には、必要なのだ。 「うふふ、弁えているならば人前に姿を現さねばよろしかったのに」 異世界の住人の思考回路は人間的でありながら度し難い。弁えていることと抑えが利くこととは別問題なのだろうが、『致死性シンデレラ』更科・鎖々女(BNE004865)からすればそれは甘い言い訳に過ぎないのだと感じられた。 寄り添うことを目的とした欲求が、破滅的終局を向かえることをきっと彼は知っていた。 自らの理不尽を嘆き生き永らえながら、他者にとってそれが何より理不尽だということに気付けないでいた。 自らの道理の為に他者に対する不条理、道理の外にある行為から一歩も戻れない……それは、なんて『人らしい身勝手』だったというのか。 「忍びない、といっていられる状況ではないが、同情はするぜ」 それが奢りであるかもしれない、と。心の何処かで思いながら、アズマは森の中に気配を求める。獣道とすら言える登山道の最中、風が木々を揺らし、獣の臭いを何処からか導き、何処へともなく流していくのを知るでもなく追いながら。 「危ないっ!」 横合いから伸びる手と、頭頂部を狙って放たれた大質量の爪との交差をただ呆然と眺めていた。 「何ボサっとしとるんや、距離とって体勢整えんと!」 「…………」 喉がひりつく、とはこういう状況の事を言うのだろうか。背を強かに抉られて呻くミストの姿に、咄嗟に握った得物の感触が酷く脆く。珠緒の檄が何処か遠く。目の前に現れたのが明らかな敵であることを分かっていながら、アズマは躊躇った。躊躇って「しまった」。 包囲し、渾身の一撃で乱戦に持ち込む。そう、其の手筈だったはずで。ここで退くわけにはいかず、気を抜くことなど許されず。 斬りかかろうと構えたところで、よろよろと立ち上がるミストの姿が視界に入る。ここで仕掛ければ、彼を巻き込む。呼吸を整えろ。手順が狂う事などよくあることだ。目の前の敵に全てを集中させろ。 張り付いた喉を震わせるのは何だ、悲鳴か。……否。 背後に居る珠緒が声を張る。五絃を爪弾く音が風を巻き上げ、背中を叩く。其の勢いをそのままに、咆哮にも似た叫びを挙げて、アズマは真っ直ぐ、獣――シュッチュカ、と呼ばれたそれへと突っ込んだ。 ●かたちなきけもののうた 「醜いですねぇ。あなたは人の姿こそ持たないけれどとても人間らしい」 おどろおどろしい靴が鎖々女の踏み込みを支え、その肩から肘、手首のスナップに至る一連の動力伝達をスムーズに伝え、一撃に収斂する。投擲に於いて其の威力を決定するのは、正確なフォームの安定した足場、其の次に膂力が続く。 意識しなければ正確性は無く、状況判断が劣れば躊躇いから威力は落ちる。彼女にとって、躊躇いや遅れなどという概念はそもそもが存在し得ない。 ただ惜しむらくは、彼女にその射程を見通す程の視野が許されるほど、森の闇は甘くはなかったという事実である。 直進する刃は、シュッチュカの爪で迎撃され、敢え無く後逸する。その行方を確認する間も空けず次の手を構えた彼女とアズマの頭上が夜より黒く暗転する。その悪寒の正体を二人が理解するよりも、その重圧が痛覚をさんざ傷めつける方が早く。 獣の低い唸り声が、其の瞬間に於ける勝鬨にも似て低く木霊した。 「気ぃ張りや! まだ休んでられる時と違うで!」 木々を薙ぎ倒した空間の暴力を目の当たりにし、しかし絶妙の距離感からその一撃を辛くも逃れた珠緒は、二人に対し檄を飛ばす。当然、言うほど軽いダメージではないことも理解している。 自らの編み上げた治癒を楽曲に乗せ広める行為そのものに、一切の躊躇をしている場合ではないことも。遠からず来る限界をクレバーに計算していられるほど余裕が無いことも。彼女はきちんと理解している。 だがそれでも、『賢く逃げて、律儀に備える』などという幻想が脳裏を過る事実に、舌打ちすら覚える。正確な行動を、賢き手順を、トップクラスの如く正確な動きを、さて彼ら若輩が上手くトレース出来るかといえば、かなりの無理が出るだろう。 それを承知で布陣を練って、それでもわずかな齟齬が必敗の流れを生むことも知っている。ぎりと奥歯が軋む音を響かせながら、しかし彼女の指先は律儀に動く。愚直にビートを刻み、鈍くなった仲間の動きを戻すべく必死だ。 必死だったから、気づかなかったのだ。 「回復はお願いしますっ!!!」 耐えてみせる。そう言い放った『最年少』が、重力の粉砕よりも一瞬早く戦場を駆けていたことに。 その身を覆い隠すに十分すぎる盾がシュッチュカの視界を隠し、意表をついた事実に。 足場の荒々しさにつんのめりながら、ただひたすらに不細工で無作法な一撃が、確かに其の獣の挙動を、一瞬にしろ遅らせたというその事実に。 彼にとって幸運があったとすれば、その蛮勇とも取れる行動力が、仲間に対しほんの僅かな猶予を生んだこと。『ほんの少し』が、その状況では値千金の事実として映ったという事実。 彼にとってほんの僅かに不幸であったとするならば、成果を産んで現在に至るまで道を刻んだ姉妹達の経験を、彼は学ぶ機会がなかった。 故に、この上なく不格好に、返す刀で放たれたシュッチュカの一撃を受けたこと。結果、呆気無く戦場から放り出されかけたという事実。 宙に舞った彼に追い打ちをかけるように大きく開かれた顎は、幸運にしてその胴を収めることは叶わない。しかし、その危機は一切変わらない。 弱者であるなら、真っ先に挑んで打ち倒されてこそ価値あれと。そう考えたのは誰でもなく彼である。だが、それは正しいだろうか? 真っ先に倒れる運命を、敗北の結果を覆せずして何が『リベリオン』か。自らの姓を誇るならば、知恵を振るわずして何が役目か。 彼が誇る姉妹とはそこまでに、愚かしい突撃のみで甲斐なく命を無碍にする者だったというのか。 それが否であることを、今の彼が知る由もなく。その思考に浸る前に、視界の奥でちりと燃えかけた運命を繋いだのが、珠緒であることもまた、理解するには余りに意識が混濁していた。 状況は芳しくない。だが珠緒はこうなることをある程度は予測していた。配られた手札は少なく、選べる戦略も限定される。 味方は言うほど正確には動けないし、自らの意図を十全に汲んでくれるわけではない。だが、『思うほどには木偶ではない』。 例えばミストが生んだ僅かな間隙。例えば、アズマと彼とが空けた彼我の距離。例えば鎖々女が与えた一撃。其の全てに無意味と呼べる愚策はなく、其の全てが意志ある行為。 癒やしを旋律に変えながら、ならば自分はどう報いるかを、彼女は考え続けていた。故に、その足はすでに結論へと駆け出していた。 未だ立てることに気付き、斧と盾とを杖にして起き上がるミストを手で制し、体ごとぶつかるようにして彼女はシュッチュカの正面に立つ。仲間と比較して極端に守りが硬いわけでも薄いわけでもない。 前線に立つ為の能力ではない。癒やし支える為の力である。だが、四の五の言っていられる状況でもなかった。全員が立てるまでの数秒を稼ぐだけでも、やらねばならない。 「ミストっち、退がり」 「珠緒さん、ボクはっ」 「…・…限界近いときくらい、先輩の言う事聞けやぁ!」 シュッチュカの赤黒く染まった爪が、二度三度と珠緒を抉る。肩で受け止めた彼女の指先が止まることは無く、絶叫にすら聞こえる怒声がミストの体を揺さぶる。ただ一度の攻防でその不利を露わにした『後輩』を、無理を押してまで立たせておく義理は珠緒には無かった。 トップクラスの戦いを知る彼女だからこそ、最悪のケースで率先して死地に立つそれらの戦い方も知っている。今それを課せられたのは、おそらく自分であるということも。 ミストが繋いだ時間を引き継ぎ、支えを堅固にするのが自らの役目と自負するならば。それは確かに、次の一瞬に引き継がれたと言えるだろう。 珠緒に振るわれた爪が何度目か、既に指折り数えるのも愚かしくなる程度のタイミング。それが、アズマの突進がかち合った瞬間だった。 目の前で繰り返し振るわれるのを見たから、その爪の威力も、性能も、資料を読むより鮮明に伝わった。故に、彼女はその暴力的な挙動が自らの能力とどうしようもないほどに、似通っていたことを理解した。 獣らしい本能から振るわれる分、あちらの威力が高いことは理解する。だが、洗練された人間の知恵は、神秘に於いても本能を上回ることも、研鑽を怠らない彼女は理解している。 だから、僅かなもどかしさなどに構っていられる暇は無い。あれは明確に自分たちの敵である。だから、倒さなければならない。 「悪いが、この程度で負けるわけにはいかないんだ!」 爪と刃の斥力で強引に引き剥がされた間隙は、彼らにとって無に等しい距離でもある。次の一合を待つ前に、珠緒へと癒やしを還元する。僅かな痛みなど、受け取った癒やしに比べれば些細なものだ。今はただ、目の前の敵に全力を傾けるのみ。 アズマの迎撃体勢が整う前に、距離を詰めたシュッチュカの横腹をナイフが殴りつける。痛みを痛撃に変換し、狂愛とすらとれる感情を手向けに立つのは、誰あろう鎖々女。 紫の輝きがぎらぎらと、曖昧な獣のフォルムを刺し貫く。ちゃ、と地面を叩く爪の音は、それを強敵と嗅ぎつけたが故の躊躇いか。 「人は親愛の証として名前を贈るのですよ……嬉しいですね、『シュッチュカ』」 『親愛も同情も友情も要らなかったのに、お前たちは身勝手で私を傷つける』 「狡いですねぇ、あなたは自分の欲望だけを正当化するのですか?」 『欲望なんかじゃ、ない』 「同じことですよ」 ただ純粋に争いと狂気を孕んだ少女の言葉は、刃として貫いて鎖として巻き付いて、その獣の足を止めさせる。 異界との接点を生む万能言語は、その時まさしく彼女の『武器』を十全に果たすべく機能した。 獣が吠える。アズマが駆け出す。足を止めた『なにものでもない獣(シュッチュカ)』は、ゆるりと前足を掲げ、構えた。 奇しくも、数秒前と逆の構図で。 彼らは互いの神秘を思う様叩きつけあって、奪い合った。 ……それが、その戦場における記録された最後の情景。 山道から遠く外れた位置に立てられた一本の木の棒を、誰も見咎める事無く日々は、続く。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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