● とあるアトリエの館長、山岸 録助の元へ、招いてもいない客人が訪れたのは先週のこと。細い月が美しい夜のことだった。今晩は、と。突然掛けられた声に振り向けば、暗闇のなかに男が立っている。 すらりと高い背に、端正な顔付き。山岸館長は長い人生の記憶を参照するが、男に見覚えは無い。 「初めまして。ご機嫌如何かしら、山岸館長。アタシはミラ・アベラール。 仲良くしてくれると嬉しいわ。そう、仲良く。ネ? アタシ美しいものには目がないの」 ミラと名乗った見た目と口調がちぐはぐな男の視線は、一枚の絵画に注がれている。 「うつくしいわ。ほんとうに、うつくしい」 ―――――通称、無名の絵画。いつまでも作品名が明かされない為、そう呼ばれている。 着物姿の女性が描かれたこの絵画は、作品の出来栄えはもちろん、彼が描いた中で実在のモデルが居る数少ない作品であると言われている。 また、作品名が明かされないという話題性も相まって、知名度は彼の作品の一、二を争うほど。 うっとりと絵画を見つめたまま、ミラが山岸館長に問いかけた。 「どうやらあの絵画、誰かに譲ってしまうらしいわね。アタシ、そんなの我慢ならない。誰に譲るの? ……ねえ。アタシに譲ってはくれないかしら。野暮な話はしたくないんだけれど、いくらでも出すわ!」 ミラはらんらんと目を輝かせている。それを一瞥してから、山岸館長は短く告げる。 「……帰ってくれ。譲り先はもう、決まっている」 「そう。でもそんなの関係ないわ。気が変わったとでも言って、違う絵を差し出せばいいじゃない。 いっちばん貰われたいひとの元へいくほうが、絵画だって幸せだと思うでしょう? アタシ、美しいものは大切にしたいの、守りたいの、アタシのものにしたいの!」 「………本当の美しさも、価値も分からんくせに、何を」 深い溜息をひとつ。呆れたような山岸館長の言葉を区切りに、ふたりの間に短い沈黙が落ちた。 それ以上口を開くことのなさそうな山岸館長を見つめると、ミラはおどけた調子で肩を竦めた。 「それじゃあ仕方ないわ。取引の話はやめましょう! 次の新月の夜に、あの絵を奪いに参ります」 ねえ、如何? ミラの口角がにんまりと釣り上がって、細い月を描く。 ● 『贖いの仔羊』綿谷 光介(BNE003658)と『雨上がりの紫苑』シエル・ハルモニア・若月(BNE000650)が肩を並べ、モニターに映し出された一枚の絵画を見つめている。 「綺麗、ですね……」 「『無名の絵画』と言うそうです。こちらの絵画をアークが譲り受けることになりました。 この作者でありアトリエの館長である山岸さんから、最愛の人へ言葉の代わりに贈られた絵画だとか」 「ロマンチックなのね」 『運命オペレーター』天原 和泉(nBNE000024)の言葉に『鋼脚のマスケティア』ミュゼーヌ・三条寺(BNE000589)がぽつりと漏らす。『囀ることり』喜多川・旭(BNE004015)も思わず微笑んだ。 「ですが、この絵画が美術品収集を行うフィクサードに狙われています。 皆さんには絵画の護衛と、このフィクサードの撃退をお願いしたいのです」 資料の2枚目には、フィクサードについての情報と、彼が扱うアーティファクトについて記されていた。 「美を追及する人にはよくある話なのでしょうか。少し変わった方のようですので、気を付けて下さいね」 意味深な言葉に『腐敗の王』羽柴 壱也(BNE002639)が首を傾げ、資料に目を落とす。同じように資料を見たリベリスタたちの間に、何か納得したような空気が流れた。 「彼が襲撃に来る時間も、こちらで予知出来ました。皆さんは先回りして、彼を迎え撃って下さい。 能力などの情報は可能な限り集めましたが、視えなかったところもありまして……」 彼は怪盗であるため、用心するに越したことは無いと告げて、和泉はとんとんと資料を纏めた。 「それと、この絵画。魔術的な仕掛けが施されているようです。実際に鑑賞するのは如何ですか?」 静かに話を聞いていた『蜜蜂卿』メリッサ・グランツェ(BNE004834)が椅子を引いた。 「行きましょう。やすやすと奪われる訳には行かないもの」 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:あまのいろは | ||||
■難易度:NORMAL | ■ リクエストシナリオ | |||
■参加人数制限: 6人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2014年05月05日(月)23:16 |
||
|
||||
|
■メイン参加者 6人■ | |||||
|
|
||||
|
|
||||
|
|
● 黄昏色に染まったアトリエでは、初老の男性がひとり静かに一枚の絵画を見つめていた。 コツ、コツ、と。響く足音に気付いた男性が振り向いた。足音の主を確認した男性はふっと、安心したように僅かに表情を緩める。 「素敵な絵画ですね。館長もとても素敵な方とお見受けします」 「………私のことは兎も角。モデルが素敵なひとだったから、だろうね」 『蜜蜂卿』メリッサ・グランツェ(BNE004834)の言葉に男性――― このアトリエの館長である、山岸 録助はすこし困惑した言葉を返して、ごほんとひとつ咳払い。そしてメリッサからゆっくりと視線を逸らした。 話に聞いたとおりだ。気難しいようで照れ屋。上手く表現できない言葉の代わりに絵画を描き続けたというのも頷ける。 「あの、ミラといったかな。きっと大切にしてくれるだろう。それは分かっているのだよ」 でも、それだけでは、と山岸館長は言葉を濁らせる。その姿を見た『ホリゾン・ブルーの光』綿谷 光介(BNE003658)の脳裏に、今は亡き父の言葉がふっと過ぎった。 「美しさの本質は、想像力の向こう側にあるんだ……って」 まだ幼いあの時に、父がやんわりと教えてくれた美の嗜み方。その言葉を全て理解することは出来なかったけれど、今ならその意味も少しだけ分かる気がした。 「そうだ、山岸様。ひとつ聞いてもよろしいでしょうか?」 「なんだね」 まるで内緒話のように、ふたりの間で言葉が交わされる。質問の答えを聞いたメリッサが微笑んだ。 「……愛してらっしゃるのですね」 しっかりと目を見て告げれば、山岸館長は何も言わずに慌てて顔を逸らす。口元を手で覆い隠し、一度、二度と咳き込む彼の顔は、耳までほんのりと、赤く染まっていた。 夕陽が地平線の向こうへ、ゆっくりと沈んでいく。暫くして夜色に変わった空に、月は昇らない。 ● 始まりは、突然のこと。がちゃん、がちゃんと、続けざまに勢いよく何かが割れる音がした。 『腐敗の王』羽柴 壱也(BNE002639)と『囀ることり』喜多川・旭(BNE004015)が、はっと音のした方向を見る。割れた窓硝子をものともせず、ゆらりと蠢くふたつの小さな影。妖しく輝く、赤と青。 ビスクドールの姿のアーティファクト、プレシャス・シスターズ。赤目のルビアと、青目のラズリーヌ。 リベリスタたちは即座にアクセスファンタズムから武器を取り出して、彼女たちに向き直った。 旭はすぐさま、ルビアを狙って虚空を放つ。攻撃を交わしきれず、ルビアの腕が裂ける。 しかし、ビスクドールであるルビアの表情は変わらず美しいまま。お返しにと言うばかりに、赤い瞳が妖しく光ってリベリスタたちを襲った。 「ミラ様は…!?」 『雨上がりの紫苑』シエル・ハルモニア・若月(BNE000650)が辺りを見回すが、他に人の姿は無い。そう、プレシャス・シスターズの狙いは陽動である。ルビアの瞳の影響もあり、気付かぬうちに絵画から引き離される形となってしまった。 シエルと光介が思わず顔を見合わせる。このまま引き離されたら、回復が届かなくなってしまうかもしれない。シエルが光介を見つめて、やわらかく笑った。 「離れていても、光介様となら……。息を合わせるのはお手のものでございます」 あの笑顔は、いつもの笑顔とはすこし違う。無理に作った笑顔だ。光介が気付かぬはずがない。けれど、前に出ると彼女がそう決めたのだ。ならば、自分に出来ることは。 光介がこくんとちいさく頷く。それを見て安心したように、シエルがふたりの後を追った。 「絵には指一本触れさせません!」 ルビアに引き寄せられてしまったメリッサが、Tempero au Eternecoを一度、二度とルビアに振るう。けれど、ドレスが裂けるのみで、陶磁の肌に傷は付かない。 壱也は迷わずラズリーヌへと向かった。彼女が感情に惑わされることはない。壱也の攻撃が、ラズリーヌを襲う。120%。身体能力の限界を超えた一撃が、ラズリーヌに叩き込まれ、作り物の身体が歪んだ。 静かな夜だ。決して大きくない音でも、よく通る。戦いの音を聞きつけたのか、扉を勢いよく開けて山岸館長が部屋へ飛び込んでくる。リベリスタたちの視線がすべて彼に注がれた。 「大丈夫かね!?」 姿形は紛れも無くアトリエの館長、山岸 録助そのものだ。纏う雰囲気も一般人の持つそれと変わらない。 けれど。けれど今、リベリスタたちの前に姿を現した彼は『ほんとうに』あの、山岸 録助だろうか。 光介が即座に、現れた山岸館長を解析する。絵画に近寄ろうとした山岸館長を、マグナムリボルバーマスケットを構えた『鋼脚のマスケティア』ミュゼーヌ・三条寺(BNE000589)が、すっと遮った。 「ミュゼーヌさん! そのひとは……!」 「あら、バレちゃったの。いつもだったらバレないんだけどねェ」 光介が言い終わる前に、山岸館長の姿がみるみるフィクサード、ミラ・アベラールの姿に変わっていく。 「ご機嫌よう、怪盗さん。いい歳をしていながらまるで子供ね。我慢をするという事を知らないのかしら」 「ご機嫌よう、お嬢ちゃん。こんな遅い時間なのだから、お子様は帰って寝ていたら如何かしら!」 言うが早いか、ミラのレイピアがミュゼーヌに向かって突き出される。腕に突き刺し引き抜けば、ぷっと膨らんで弾けるあかいいろ。思わず顔を歪めるが、ミュゼーヌは怯まず、銃口をミラの身体に押し付けた。 くろがねワルツ。刻むリズムは規則正しくいち、にい、さん。零距離から放たれた弾丸が、ミラの身体を貫いた。その反動でミュゼーヌの身体も後ろに仰け反るが、どちらが多く負傷したのかは明らかだ。 けれど、この状況が続くことは好ましくない。崩れつつある陣形を早く立て直したいところだが、プレシャシス・シスターズはリベリスタたちを翻弄するように動いている。 傷を負い、心を掻き乱されているリベリスタたちの耳に、やさしい声が届いた。 「大いなる癒しを此処に……!!」 シエルが呼びだした、全てを救う、大魔術。リベリスタたちの傷がみるみる癒されていく。落ち着きを取り戻したメリッサは、数歩下がって元の陣形に近づきつつ、ルビアへと鋭く細剣を抜き放った。真空刃がまっすぐに、ルビアへ向かって飛んでいった。 「美しいものが好き? 聞いて呆れるわ。他者の事情や迷惑を顧みることも出来ないのかしら」 「欲しいものは欲しいのよ! 何をしてもね!」 迫るレイピアをミュゼーヌがかわそうとする。しかし、ミラの方がすこし早い。レイピアの切っ先が、ミュゼーヌの身体に突き刺さる。ミラが、囁くようにミュゼーヌに告げた。 「……ねえ、お譲ちゃんの相手はアタシじゃないでしょう?」 それから、レイピアをぎりりと抉るようにして、ミュゼーヌの身体から引き抜いた。瞬間、澄んだ青い瞳が、ぼうっと虚ろな色に変わる。 「あははは!!そう、それでいいの!なんて傑作かしら! ……じゃあ、アレは頂くわよ」 ぺろりと舌舐めずりをしたミラが、絵画へと駆ける。ミュゼーヌがリベリスタたちに向かって構えたマスケット銃の銃口が、冷たく光っていた。 ● ミュゼーヌを魅了し絵画へと近付いたミラだが、絵画との間には光介が立ち塞がっている。けれど攻撃をしてこない彼を見てミラは嘲笑うようにわらった。 「ねえボク、どいてくれないかしら? アタシもアンタたちも、これ以上痛い思いしたくないでしょう?」 ミラやプレシャス・シスターズは勿論、陣形を掻き回されたリベリスタたちも無傷という訳ではない。 運命に愛された彼らだからこそ今も対峙出来ているが、深い傷を負ったのは光介も同じだった。 「貴方のは、字面で本を読むのと一緒です。この作品の物語を、貴方は想像したことがありますか? 言葉にならない想いを蔑ろにする貴方には、渡せません。すみませんが、ここは通行止めです」 「強情な子ねェ。 けれど守ってばかりじゃ、」 「術式、迷える羊の博愛!」 光介を中心として、浮かび上がる魔法陣。やわらかな光が、味方全体を包むように広がって――――。 「―――ッ!?」 背後からの衝撃がミラを襲う。不意をうたれた彼が倒れると同時に、ぐっと押さえつけるような重さが加わった。目だけを動かして見れば、ミラを踏み付けたミュゼーヌが銃口を向けている。 光介がにっとわらう。相手を攻撃するだけが、戦い方ではない。仲間を守ることも、立派な戦い方だ。 魅了から解放されたミュゼーヌが、不快感の籠った、けれど冷静な目で見下ろしている。 「よくも、やってくれたわね」 引き金を引く指に力が込められる。ミラは咄嗟に身体ごと逸らすが、弾丸は彼の頬を切り裂いた。 ぱっと赤色が散る。それを拭うことなく、ミラはミュゼーヌの足を払い立ちあがる。 「アンタねえ! 頭撃たれたら流石のアタシでも死ぬわよ!!」 きいっと感情を顕わにしたミラだが、その目は状況を確認するように素早く動いている。 光介が立ち塞がり絵画に近づくことも出来ない。体力を含む全ての能力を入れ変え、攻撃を凌いでいるプレシャス・シスターズの限界も近いだろう。 これ以上戦闘が長引くことは得策ではないと判断したミラの頬につうっと冷や汗が流れた。 「ああっ!なんなのよもう! 最悪!最悪だわ!」 態勢を立て直さなければ。これ以上戦力を失えば絵画を手に入れるどころか、自分の命すら危ない。 プレシャス・シスターズと合流をしようと、絵画から距離をとったミラがにんまり笑った。 ミラが背後から壱也に追突する。思わずふたりが倒れ込み、起き上がってみれば、壱也がふたり。 「怪盗スキルでわたしになろうなんて甘いよ。わからせてあげる!」 壱也が、もうひとりの壱也の腕をぐいと掴んでしがみ付く。 「いいよ! わたしごと攻撃して!」 「はあ!?」 しがみ付かれたひとりは、動揺を隠せずにいる。もしも、あの壱也こそが本物で、彼女を逃すまいとしているもうひとりこそが、偽物だったら? だが、いつまでも悩んでいる時間は無い。彼女の言葉を、信じよう。 「旭ちゃん! あのひとの名前は!?」 戸惑いを隠せない旭が攻撃を放つより、壱也が叫ぶほうがほんの少しだけ早かった。虚空を切り裂き放たれた蹴撃が、最初の狙いから少し逸れて、ひとりの腹部と、もうひとりの腕を切り裂いた。 「かはっ……!!」 腕を切り裂かれた壱也が、がくんと膝をついた。けれどもすぐに、腕を押さえて立ち上がる。彼女の眼下には、腹部を貫かれ倒れ込んだミラが、ひゅうっと苦しそうに息を吐いていた。 「ほしい人にもらわれた方が幸せ、確かにそうかもね。でもこの絵の価値もなにもなくなってしまう」 山岸館長が最愛の女性のため、塗り重ねてきた絵画だ。いっぱいに詰まったその想いを、ミラは知らない。否、知らなくてもいいのかもしれない。 彼にとって美術品は身を飾るアクセサリーのようなものなのだろう。その芸術品が美しければ、それらに囲まれていれば、それだけでいいのだ。それを美への冒涜と言わずとして、なんというのだろう。 「………貴方の基準の、美しいって何? 貴方は美しくないよね、心は汚いね。たとえどれだけ集めても、貴方が美しくなるわけじゃないのに」 壱也の傷がゆっくりと塞がっていく。ミラを見下ろす赤い瞳は、どこまでも冷ややかだ。 「引き際をわきまえるのも美しい怪盗の条件だと思いますが、如何でしょう」 「美しい、ねえ。汚れきっているんでしょう? このアタシの心は。今更だわ」 運命を燃やしてよろりと立ちあがったミラが、嘲笑う様にけたけたとわらう。けれど、そんな彼にメリッサと旭が告げた言葉はあまりにも以外な言葉で。 「美術品の価値は、その美しさだけじゃないよ。色んな想いを踏み躙って手に入れても……。 それじゃいくら眺めたってほんとうの、いちばんきれいなものはみえてこないよ」 「二度と手を出さないと誓うなら、無名の絵画、その真の名を聞いていきますか?」 「うん。綺麗なものすきなひとがそれを知らないなんて、もったいないよ。 わたしもね、きれいなものはだいすきなの。 ……一緒に、見られたらいいのにな」 ふたりの言葉に、ミラはぽかんと口を開けて。分からないという表情を見せると、ぱちぱちと瞬く。 「一緒に?あんたたちと? ……アタシはお縄に掛かった状態ってことかしら?」 ――――― そんなのは、御免だわ。 ミラが叫ぶように二体のビスクドールの名を呼べば、二体はミラのもとへ真っ直ぐに向かってくる。 「覚えてなさいよ。あんたたち、いつか泣かせてやるから!!」 ぼろぼろに傷ついたプレシャス・シスターズをぐっと抱きかかえると、ミラは窓硝子を突き破って部屋から飛び出した。 「うわあ……。絵に描いたような負け犬の台詞」 「……よしとしましょう。美しい絵画達に、無粋な紅が飛び散ってしまうかも知れないのは不本意だもの」 壱也とミュゼーヌが外を覗いても既にミラの姿は無く、てんてんと赤い血が垂れているだけだった。 「いちばんだいじなのはきっと、そこに込められた想い。技術だけじゃ、心に響くかたちにはならない」 それくらいのこと、わたしでもわかるのにね。旭がぽつりと呟いた言葉は、そっと消えていった。 ● キィ。 暫くしてからアトリエに山岸館長が姿を現した。 「これは、また。……先にあのミラが大切にしてくれるだろう、と言うのは思い違いだったかな」 砕けた窓硝子に、破れてしまった絨毯。壁も削れ、所々赤い血で汚れていた。 けれど無名の絵画は傷ひとつ、汚れひとつなく、リベリスタたちが来た時と同じままで佇んでいる。 「………ああ。これくらいはすぐに直るし、気にしないでいいんだよ」 申し訳なさそうにこちらを見つめる光介に気付くと、その頭ををぽんぽんと撫でる。どこか不器用な、おおきなてのひらが、なんだかくすぐったかった。 「あの、それで、この絵画なんですが……」 「それはもう、君たちのものだ。どうか、大切にしてあげておくれ。彼女もきっと、喜ぶだろうから。 アトリエも、存分に見て行ってくれて構わない。夜のアトリエなんて、なかなか来る機会はないだろう」 ほんとうに、ありがとう。短いお礼の言葉と一緒に深く深く頭を下げると、静かに部屋を去っていった。 「思い出話を聞きながらのんびりと鑑賞を、とも思ったのですが」 「あの人柄だもの、難しいかもしれないわね。それに、この絵が美しく素晴らしい事には何ら変わりないわ」 「……それもそうですね。では、込められた想いについてはまたの機会に聞きましょう」 メリッサの言葉にくすくすとわらっていたミュゼーヌが、はっと無名の絵画を見上げる。 正面を向いて微笑んでいた女性の表情が、ふっと横顔に変わったのだ。光介が嬉しそうに告げる。 「題名、分かりましたよ。後で皆さんにお教えしますね。シエルさんも……」 シエルはやわらかく微笑んでから、ふるふると横に首を振った。隠された題名は隠されたままのほうが、想像という芸術性を得る。 例えば、両腕のないヴィーナスのように。例えば、未完成の楽譜のように。 「この絵画も、……きっと、そうだと思います」 「そう、ですね。ボクも、映る思いの深さを想像するとき、この絵は一層輝く気がします」 リベリスタたちの目の前で、絵画の女性がゆっくりと姿を変える。 驚いた顔、泣いている顔、照れている顔、すこし拗ねたような顔。服装や髪形も様々で、手に花を持っていたり、動物を抱いていたり。けれどもやはり、絵画のなかの彼女の多くは、しあわせそうにわらっていた。 「すごい……」 「こうやってこの人だけを想い続けて見て来たんだね」 ほうと絵画を見つめていた旭と壱也がぽつりと呟いた。その間にも絵画の女性はぱらぱらと年を重ねていく。暫くすると、すっかり白くなった髪の老齢の婦人の姿に変わった。 「私も、こんな風に歳を重ねたいものですね」 凛とあろうとしている為に表情が常に不機嫌に見えるメリッサだが、その表情が一瞬ふわりと緩む。 老齢の婦人はリベリスタたちに、とてもとてもしあわせそうな笑顔を向けていた。 |
■シナリオ結果■ | |||
|
|||
■あとがき■ | |||
|