● 人のような形をしているが、人ではなさそうだ。 長い髪のようなものを垂らしているが、髪の毛ではなさそうだ。 人型の頭部から長い髪のようなものが垂れ下がり、顔に当たる部分の片面だけを晒している。 晒した顔にある目は縦に巨大だ。 丸みを帯びた縦の菱形に虹彩が二つ、瞳孔が五つ……か六つ。 口のような部分はひび割れた土の裂け目。歯もない。舌もない。底があるのかも怪しい。 黒かった。スーツのようなものを着ているが、あれは洋服なのだろうか。 僅かはだけた胸元から覗く色は、土気色に苔が混じったようなものだった。 腕は辛うじて二本だったが、先から覗く掌も同じ色だった。 そしてそれは、別の手を掴んでいた。 地面を突き破って伸びたような真っ黒な腕と手を繋いでいた。 両手を繋いで仲が良さそうに。だけれど黒い手の先は地面だ。一度沈んでまた出てきている。 並縫いと言うのだっただろうか。あれに似ている。表に出て裏に引っ込みまた表に。 左手と繋いだ右手の先は地に消えて、僅か離れた場所に生える別の左手。 左手は右手と手を繋ぎ、再び先を地へと潜らせる。 手と手で繋ぐ黒い縄。中心であれはまるで引率の教師のように手を引いている。 両端の腕が動いている。繋ぐべき片割れを探して動いている。 逃げ出した私を求めて蠢いていた。 あれは私に気付いてはいない。一つしか見えていない縦の目の二つの虹彩と六つの瞳孔はどれもこちらを見ていない。 あれは黒い腕を手を繋いだままどこかへ行ってくれそうだった。 安堵するには早いけれど、酷く明るい月光を仰いだ。 二つの虹彩がそこにあった。 土の割れ目にしか過ぎない口が開いた。 私は生まれて初めて、自分が縦に裂ける音を聞いた。 黒い腕が、両端の腕が、私の半身……腕に向かって寄って来て、その手を握った。 私も、片割れを探さなくてはならなかった。 ● 画像は乱れた。最後の数十秒はモニターは分割されたように別々の光景を移していた。 半分に別たれた体の目が、それぞれ別の所を見ていたからか。 映像は伸ばされてくる黒い腕を視界に入れた後――再び一つに統合される。 血溜まりだけを残した、月の夜の地面。 何だこれは、と誰かが聞いた。分かりません、とフォーチュナは首を振った。 月の夜に現れたそれは、異世界の住人。この世界には望まれぬ客人。 人のようで人ではないそれは両手を繋いで歩いている。分からない。時々映像がブレる。 異様に早くて遅くて、時折立ち止まっては同じ所をぐるぐると回っていた。 「……多分その行為に意味はありません。月が丸いから真似をしてるんじゃないでしょうか。ああ、すいません、ジョークです。よく分からないものを理解しようとしても不毛ですので、今の所はソレがまだその周辺から動いていない事を喜びましょう」 小さな溜息。 「とは言え、こちらから提供できる情報はそれほどありません。見ての通りアザーバイドでフェイトはなし。友好的とは全く言えず、両端に繋ぐ手を捜して人間を縦に裂き『同類』に仕立てる怪物。そんな程度です。……その癖戦闘力は非常に高い。厄介でデタラメな存在です」 裂かれた誰かに、意識はあるのか。そんな事を問いたくなる映像だったが、フォーチュナはどちらとも言わず首を横に振った。 「識別名『ハンドシェイク』――先程『まだ』と言いましたが、彼だか彼女だかは遠からずそこから街の方へと向かいます。小さな街ですけれど、抵抗可能な人がいなかったらどうなるかは火を見るよりも明らかです」 異形の客人は手を繋ぐ相手を増やすのだ。 何の意味があるのかも分からない。意味があるのかも分からない握手の相手を。 人には意味を見出せない、その行為。 「今の所、これが出て来た穴は確認されていません。……どうか、速やかな討伐をお願いします」 モニターの中心で再び揺らめく黒い姿に目を細め、フォーチュナは軽く頭を下げた。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:黒歌鳥 | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2014年05月03日(土)22:35 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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● 美しい月の夜だった。 「月の綺麗な夜の教会。ロケーションはロマンチックなのに……」 溜息を吐く『揺蕩う想い』シュスタイナ・ショーゼット(BNE001683)も、年頃の乙女として情景に思う所はある。気になる人との夜の散歩であれば、嫌悪ではなく感嘆の溜息と笑み位は零せたかも知れないのに。 視界に入るのは――。 「ひいいぃ、怖! なんか怖いのがいるよお~!」 五十川 夜桜(BNE004729)が悲鳴を上げた事で分かる通り、正体すら知れぬ異世界の住人。シュスタイナと年は近くとも反応に差があるのは、重ねた年月故か生来の性格か。 それでも、立ち止まって怖いと震えるだけならば夜桜はここに訪れてはいない。 怖い怖いと言いながら、手が向かうのは己の武器に。確かに怖い。だとしても、こんな奴による犠牲なんて許せない。押し寄せる感情を信念で御し、少女は一つ息を吸う。 「悪意はあるのか、ないのか」 巻いた包帯の上から右腕を握ってみつつ『合縁奇縁』結城 ”Dragon” 竜一(BNE000210)は繰り広げられる影絵を見る。人に似た影と、地面から生えた手。 フォーチュナの視た光景からは、『あれ』自身の意思や目的は窺えなかった。そんなものがあるのかさえ、分からないと予知視は首を振る。 だとしても――理解はできないものか。 心を読んだかのように、『星辰セレマ』エレオノーラ・カムィシンスキー(BNE002203)は薄ら笑った。 「理解できない、という事だけ認識していれば恐怖も感じ得ないわ」 人ではないものを人の尺度で測るのは大方徒労に終わる。故にエレオノーラは『そういうもの』だとしか認識しない。人の理に乗せるなど無駄な事だ。理解したとして、それで利があるとも思えない。だから切り捨てよう。合理的で無駄がない。 「前衛的でお洒落な腕を引き連れて、地獄の底ならモテモテな事間違いない」 竜一の恋人たる『普通の少女』ユーヌ・プロメース(BNE001086)とてスタンスに変わりはない。人間だろうが異形だろうが、世界に不要ならば速やかに消えろ。理解に興味は感じない。朽ちるべき塊に掛ける情など存在しないから。 「ま、ホラーっていうには、あまりに直球だな」 『出遭ったら死ぬしかない』存在にはそれ以上の恐怖は抱きようがない。『デイアフタートゥモロー』新田・快(BNE000439)は首を振る。分かりやすい恐怖ではあるだろう。戦えぬ人であるならば。 けれど人を、世界を守りたいと願う快にとって、『戦えぬ人がこれと出遭う』事の方がよっぽど恐怖だ。ならば自らが相対する事に、それ以上の恐怖など感じない。 「何とも不気味で危険そうな相手ですからのう」 声を潜めておぞましい、とでも言うような『怪人Q』百舌鳥 九十九(BNE001407)の声音を、誰も本心とは思わない。不気味で危険な相手、と思う事に偽りはないのだろう。けれどそこに夜桜のような恐怖はない。 多数の怪異と相対した故、早々には怯まないと笑う彼こそ三高平でも名高い怪人の一人なのだから。 怪異が怪異を恐れる道理はない。それどころかこの業界最強の怪異は自分だと知らしめる良い機会であるかも知れない。どれだけご同業がいるかは知らねども、全部潰せば一緒である。くつくつ笑う声こそ、この夜には相応しい。 「この様な輩の思考を推測する等、無駄な行為でしかないのかも知れんが」 黙して片目を閉じていた『八咫烏』雑賀 龍治(BNE002797)が腕を解いた。何を思って、月を仰ぎ真似をするのか。手を繋ぐのか。それが全くの無作為から選ばれた行動だとは思えない。 何らか意味のある行動なのだろうけれど――だから、どうした。 「さあ、狩りを始めよう」 幾ら月が美しかろうと、彼はそれに高揚する狼ではない。 世界の異端者を狩る弾丸を備えた狩人は、丘の上に立つ『それ』が緩やかに此方に接近するのを感じて目を細めた。 ハンドシェイクとその供は、仲良く仲良くやってくる。 繋いだ両手に伸びる三十六。ハンドシェイクも入れて三十七人。人が両手を左右に開いたその長さは、身長と同じなのだと言う。端から端に攻撃を届けるのも難しい程。 だから異形が明確な知恵と悪意を以って迫ってこなかったのは幸いだった。 ――悪意と殺意のない『ハンドシェイク』が幸いかどうかは別として。 ● 冴え冴えとした月光に微笑むエレオノーラは、誰よりも早くその体を書き換える。この夜に見合うように。冷たい舞踏のパートナーに相応しく。 「……さあ、貴方の事も嘘にしてあげる」 どれもこれも子供染みた真似事に見える望まれぬ客人に、嘘吐きの彼は囁いた。 「仲良くお手々繋いで遠足か。遠足は帰るまでと言うらしいな? とっとと無という家に帰れ」 声が交じり合う。実際には片方は喋っていなかったのかも知れない。けれどユーヌの横に生まれたユーヌは、彼女と寸分違わぬ調子で口を動かすから、どちらが発したかも分からない。 三十七人手を繋ぐ横幅は広い。想定外でなかった事は幸いだった。 黒い手は長さも太さもバラバラで、瞬きよりも短いスパンで伸びて膨らみ縮んで痩せてを繰り返す。位置取りを確認し、ナイフを走りながら鞘に収め快はその腕を開いた。 「俺の両手は開いてるぜ。さあ、握手しようか!」 武器を収め、握手どころか抱擁さえも受け入れるような仕草はまるで青春ドラマのようだと快は思って軽く笑う。シチュエーションは夕日の差し込む河川敷でも眩い光の降り注ぐグラウンドでもなく、ましてや差し出した相手は人ですらない。 端をうまく引き付けられたか、黒い波の片翼が津波の如く快へと迫った。 ユーヌの背の向こうに溢れる波を見ながら、シュスタイナは短い杖を回して魔法陣を描き出す。幾重にも重ねた魔力の源は、力を以って周囲を淡く照らし――そこに突如差した影に、彼女は顔を上げた。 「あ、っ……!」 声が漏れたのも、仕方がない事だったかも知れない。 二つの虹彩と六つの瞳孔が、瞬きの間に目前に立っていた。 風のそよぎ一つも同行者とはせず、シュスタイナが来る前からそこに存在していたかのように。 髪のようで髪ではない、磨いた大理石や油にも似た輝きを持つ長い髪の合間から、禍々しい玉虫色と、内側に向けて色の変わる七色の虹彩が、奇妙に脈動する瞳孔がバラバラな方向を見つめていた。 それを息の掛かりそうな目前で見ても恐慌を来たさないだけ、革醒者の精神力には感謝すべきだろう。 土と苔の入り混じった肌に刻まれた割れ目。歯もなく舌もなく、闇だけが覗くそこ。 割れ目が広がり、漆黒が漏れ出てくるような――だが、苦悶の声を漏らしたのはシュスタイナではなかった。 「……っ!」 衣装に赤を散らせたのは、エレオノーラ。不吉な予感に襲われて体を動かしたのが幸いした。左右からとてつもない数の腕に引っ張られるような感触。肩の皮膚が筋肉がぶちぶち千切れる音が聞こえた。その癖、引き裂いた場所以外には肌に指跡一つ残ってはいない。 「あたしと手を繋ぎたい?」 身の程知らずに構えた得物を握る手の力は減じていない。大丈夫。 「――成程。これは押さえ切れない訳だ」 後衛へと抜ける事を防ぐのは難しい。資料に記されていた特性を思い出し、龍治は位置を耳で追いながら右翼端へ向け光弾を放った。彼の耳は、辛うじて小さな草を踏む音を捉えていたが――それは本当に一瞬にも満たない間。異形の移動と共に手繋ぎ達も引き摺られる。端に近い手ほど影響は低いため、龍治を黒い腕が触れていく事はなかったが、ハンドシェイクの動きが予想不可能な分、引き摺られる彼らの動きも厄介なものになりそうだった。 だからこそ、その動きを多少でも制限すべく竜一はシュスタイナとハンドシェイクの間に滑り込む。 「俺の両手には、二刀があるんでね。悪いな、お前のその手を握ってやれそうもない」 構えて纏うは絶対的な破壊の闘志。瞳は竜一を映さない。人の目ならば、その中に相手を映すだろうにそれすらない。冒涜的な色の奔流だけが描かれてはまた現れる。 怯まずハンドシェイクを睨む竜一に、夜桜は息を吐いた。彼が異形やその他に対して一切の恐怖や嫌悪を感じないという訳ではあるまい。だとしても、戦闘となれば己の分に全力を尽くす姿は、同職として見習うだけに足る。 それに、信念ならば彼女だって負けてはいなかった。 「キミとはどう見てもお友達になれそうにないからね!」 握った剣を振り抜いて、生命力さえも振るう刃の贄として。敢えて声を張り上げながら、人を守るフリークスは睨み付ける。ああ、戦う力を持った夜桜だってこれだけ怖いのだ。対抗する術も持たず襲われた人は、どれだけの恐怖を覚えただろう。 そう思えば、理不尽への怒りにも似た感情が湧き上がり――彼女の闘志を後押しする。 「どんな仲良しでも何時かは手を離すのが自然なことですぞ」 降り注ぐ月光を形にして纏ったように、九十九の得物が淡く光った。 意思は測れない。手を繋ぐのが善意なのかすらも分からない。だけれどこれは世界の害だ。九十九らの敵だ。ハンドシェイクがその敵意を理解するかは分からない。何もかも分からない。 「まあ、分らないなら、分らないまま散って下さい。疾く速やかに」 九十九は軽く口にする。例え異形が喋れたとして、平行線の議論など無意味だから。 ● 竜一がボタンを押して投げた人形だけが、夜に見合わぬ賑やかな光と明るい声を発している。 光る目に、血が飛んだ。 誰かは、覚えていただろうか。 モニターで、哀れな被害者が安堵したその時。『これ』はそちらを見ていなかった。 髪が髪でなかったように、それも眼球ではないのだろう。ハンドシェイクは『視認だけで敵を捉えてはいない』。 或いはそれは熱なのか。鼓動なのか。分からない。ただ、異形が『手を繋ぐ相手』を間違えないのは確かな様子だった。 「その両手を離して、握り拳を作って俺にかかってこい。そうりゃ、お前を理解する努力だけはしてやる。理解できるかどうかは別としてな!」 唐突に移動するハンドシェイクに向けて真空の刃を抜き放ちながら告げた竜一の言葉にも答えない。いや、そもそも――『人の問いに答える』という概念が、存在しないのだろうか。裂け目は発声器官ではない。人の形をした紛い物。 ユーヌが裂けた。額にぐちゃっと指の形の穴が開いたように見えた瞬間、綻びから一気に引き裂くように体が割れる。割り切れなかった舌が半端に垂れて、断面を舐め――両頬を叩くようにユーヌは体を押し付けた。 「ユーヌたん!」 「――問題ない。一人遊びも出来ない相手が遊び相手を求めるとはお笑い種だ」 顔を伝って行く血は先程の光景が現実であると示してはいるけれど、全身真っ二つに割られた訳ではない。表面を裂かれ割られただけと思えば……結構な大した事ではあるが、何、運命を代価にして踏み留まれる域なのだから致命的ではなかったのだろう。 真ん中のハンドシェイクの移動に振り回されて、手繋ぎ達は撓み伸びた。錘に翻弄されるゴム紐のように、縦横無尽にリベリスタの陣形を滑っていく。 ただ、快に引き付けられた腕だけは別だった。手繋ぎたちは撓み縮んで腕を伸ばす距離を調整は出来るようだったけれど、それはハンドシェイクを基点とした距離に限られる。 だから――『端』が削られて短くなった時に、左翼の『切れる』危険性は跳ね上がった。 そしてリベリスタが危惧した通り、増えた『端』は積極的に攻撃を仕掛けてくる。離れた腕が不安でもあるかのように。 「……っ、そんな気安く触っていい女じゃないのよ、私!」 低い位置に飛ぶ相手にも、受動的な腕はともかく積極構成に出た腕は引き摺り下ろして裂こうと文字通り手を伸ばす。 いっそ飛ぶならば、ハンドシェイクからの攻撃を多大に受けるリスクを負ってでも高く飛んだ方が良かったのかも知れない。ハンドシェイクの攻撃が強力である以上はどちらにしろ一長一短であっただろうけれど。 ユーヌも快も、速度に優れる。それは悪い事ではない。けれど、不利益を癒そうとする時に――それはしばしば不利に働く。いや、ハンドシェイクが最悪のタイミングに割り込むような速さであったのが不運だったのか。 重ねられたバッドステータスの最後に齎されるのは、呪殺の洗礼。一度のダメージは軽くとも、積極的な回復がシュスタイナの天使の歌のみであればじわじわと重く響いてくる。 「……全く以て有難くないな」 先程抱き締められた龍治が、呼吸を整えながら首を振った。それは抱き締めるという行為だったのかも分からない。ただ目の前にアレがいて、覗き込まれた気がした。ぐるぐる回る瞳孔が酷く嫌悪感を催して。嫌悪感を催して。嫌悪感を。 瞬いた。『増えている』。ハンドシェイクが増えている。忙しなく動く瞳孔と、二つの虹彩が、幾つも幾つも龍治の前にあった。そうだ。殺さなければ。全部殺さなくては。 全部の口がぽっかり開いて、龍治を飲み込もうとするから、殺さな、 光の弾丸が、沢山いるハンドシェイクに向けて放たれた。 「あたしは諦めないのが身上だもんね!」 夜桜の制服は、どこもかしこも赤い。黒い口が開くのを見たのが、意識の暗転の直前だったか。切れる意識に必死で手を伸ばし、運命を繋ぎとして彼女は果敢に立っていた。 近くにいれば襲うはず。前に立ちはだかった竜一と夜桜の考えは人ならざるものには適用されなかった様子だけれど、だからって諦めてやる必要性はどこにもなかった。 振り上げた刃が、ハンドシェイクに吸い込まれる。肉を切る感触とは違う、酷く怖気立つような感触が、この戦いで夜桜が最も覚えたものなのだろう。 彼女の身体が再び赤に沈む間も、九十九は冷静に己の役割を果たしていた。 全てを穿つように、銃弾を放って、放って、放って。指が減り込んだ額から流れた血が、唇に触れた。全く、彼の血だって赤いというのにあいつは見える限り何も零しやしない。 「やれ、可愛げのない事で」 実害があるにも程がある『本物』に、比較的無害な怪異は目を細めた。 「――竜一!」 鋭さを含んだ快の警告は間に合わない。赤が夜に弾けた。 倒れた数。一、二、三、四。 手繋ぎの数は減じている。ハンドシェイクの見た目に大きな変化はないが、序盤よりはその動きに覇気がないと思うのは希望的観測だろうか。いや、それは確かだ。髪に似た器官には細かくヒビが入っているし、皮膚のような部分は乾燥を増して剥がれ落ちそうに見える。リベリスタの攻撃は、確実にハンドシェイクを追い込んでいた。 けれど。そう、けれど。 己の身で攻撃を防げるのならば、快は迷わずそれを選んだだろう。ユーヌや九十九、エレオノーラに攻撃を任せ、異形との我慢比べもできただろう。 だが、ハンドシェイクは止められない。止まらない。倒れた仲間にいつ興味が行くかも分からず、そうなったらこの人数では補いきれない。 視線で横を向く。頬に手を当てて思案していたエレオノーラが、小さく首を横に振った。 シュスタイナが呟いていた様に、仲間をこの連中の『おともだち』にする訳にはいかないのだ。 「殿は任せておいて」 「ふいふい、援護射撃は任せておいてください」 「持つのが半身でない分まだマシか」 場数を重ねてきたリベリスタ達だからこそ、撤退に無駄はない。速やかに、それ以上の被害を避けながら離脱する。 ハンドシェイクに追う様子はなかった。追撃を行って藪を突くのを厭うだけの知能はあったのか。それとも受けたダメージに立ち尽くしていただけなのか。分からない。 ただ、振り返った時、異形は繋いだ手を上げた。最後まで両腕と繋いでいた手を上げた。 それは祈りだったのかも知れない。月への祈り。或いは月に似た何かへの。或いは月よりも遥か遠くに座する何かへの。 ぐるぐる回って円を描いて、繋いだ手を何処まで繋げる気だったのだろう。 この町を? この国を? この世界を? 地球を丸々一周するのには、何人分の手が必要だろう。オルゴールの上で回る人形の様に、祈りの為の道具に過ぎず、気紛れで産み落とされたに違いないちっぽけな存在はその気の遠くなる作業にも嫌気を差したりしないだろうから。 月光を浴びながら、異形はただ、天を仰いでいた。 ● 人の体を半分に割る音がする。奇妙な人型と繋がった腕の両端が、人の体を無理やりに裂いていた。眩いばかりの月の下で見た光景とは異なり、既に人型は腕を引き連れるのではなく、腕に引き摺られるようにして歩いていた。 疲労。異形もそれを覚えていたのかも知れない。けれど繋ぐ両端を求める黒い腕は止まらない。 人型が人間を裂く気がないのを見て取ると、彼らは自ら引き千切り始めた。 別たれた人は黒い腕と同じものにはならず、汚い断面を晒すだけの肉の塊だった。 だけれど黒い腕は誰かと手を繋ぎたいから、血まみれの手と手を繋ぐ。 人型は手繋ぎに引き摺られる肉塊の一部となったかのように、よろよろと歩いていた。 遥けき彼の『親』、もしくは『神』は、そんな人型の事など露とも思いもしなかったに違いない。 一時間後、現れた追加部隊のリベリスタに異形は黒い腕諸共殲滅された。 無理やり半分に別たれて、肉と肉を、内臓と内臓を無理やりに結ばれた犠牲者三名の亡骸は数百メートルに渡って地面に血と肉片の帯を描いていたという。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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