●過去の襲来は突然に 「エレオノーラさん、エレオノーラさん」 「あら、なぁに?」 「実は今度ロシアのリベリスタから視察の話がありまして。ロシアの人って何処に案内したら喜びます?」 「ギロチンちゃん。『視察』と『観光』って違うのよ……。どんな子が来るの?」 「あ、これ写真です。そういえばこの方ってエレオノーラさんと苗字同じですけどロシアだと多いんで――」 ●それから数時間後 イリヤ・カムィシンスキー。急遽コピーで配られた資料に記されていたのは、その名前。 「お父様を追い返すから、お手伝いして頂戴ね?」 諸々の手段でこっそり集められた面子に告げた『星辰セレマ』エレオノーラ・カムィシンスキー(BNE002203)の微笑みは幾分か青褪めていた。 「D'accord.おじーちゃんの頼みだもの、詳しい事情は追々として……つまり、殴って追い返すって事かしら」 空の瞳でぐるりと顔ぶれを見回して、『運命狂』宵咲 氷璃(BNE002401)が問うのに、エレオノーラの隣で少し困ったように笑っていた『スピーカー内臓』断頭台・ギロチン(nBNE000215)が手を上げた。 「はい、じゃあその辺ちょっと説明を。……まず最初に。日時問わず流石に三高平市内で別のリベリスタ組織の構成員を囲んで殴るのはちょっとアークとして体裁が悪いです。ぼくが聞かなかった事にしても警備の人や一般の方の目もあります」 「フム。例えば親子喧嘩だ、って言っても周りはそう見てくれないだろうって事か」 「ええ。ここにいる方、皆さんうちのエースですしね。余計にその方法だと宜しくない」 顎に手を当てた『てるてる坊主』焦燥院 ”Buddha” フツ(BNE001054)にギロチンは同意する。 「ふっ……『デイアフタートゥモロー』守護神と『覇界闘士<アンブレイカブル>』がいるとなれば顔も売れているだろうしな」 「あっ、竜一、何を他人事みたいに言ってんだよ!」 「ま、今をときめくBoZのボーカルとギタリストがいれば仕方ない――って冗談はここまでとして、そうなると俺らはどうすればいい?」 腕を組んで大儀そうに呟く『合縁奇縁』結城 ”Dragon” 竜一(BNE000210)の背を叩く『覇界闘士<アンブレイカブル>』御厨・夏栖斗(BNE000004)を見て笑った『デイアフタートゥモロー』新田・快(BNE000439)が真面目な顔に戻って向き直った。 アークでも古株に当たるエレオノーラが『信頼できる』として集めたメンバーはやはり以前からの馴染みが多く、アークの『顔』と言うべき活躍をしているリベリスタも少なくはない。 故に、個人の事情は数あれど、そんなメンバーが『本拠地に友好的に訪れた相手』を殴って追い返したとなれば当事者の感情は勿論周囲の目もある。相手が事情を斟酌してくれるならばまだしも、今回はそれも未知数だ。 実際は気にする程の事もないかも知れないが――わざわざ不和の種を蒔く必要もない。 問いにギロチンは、あっさりと首を振った。 「ま、要するにエレオノーラさんに『我慢してくれ』って言うのが簡単なんですよね。皆さん色々あるのは承知の上ですが、即時に死ぬ訳でもない案件に対しての行動としては剣呑ですし」 「え、何、ここまで来て俺ら聞くだけで帰る感じなの? ギロチンひどくね?」 机に肘をついていた『花染』霧島 俊介(BNE000082)が瞬いて問う言葉に、彼は首を傾げる。 「ええ、ぼく嘘吐きなので。用事があるなんて嘘ですよ。ほら、夜に空港に着いたイリヤさんの迎えが『たまたま』この中の誰かで、『厚意で』三高平市が見下ろせる場所に連れて行ったら、『運悪く』過去に縁のある誰かとその仲間に遭遇した――なんて『偶然』でも起きない限り、皆さんの出番はないですよね」 「……なるほど。そんな『不幸』まではアークも責任を持てないものね」 隣で机に腰掛けていた『it』坂本 ミカサ(BNE000314)が呟いた。 ご丁寧にその地点の地図まで記された資料を指先でぺらぺらと動かし、丸めて捨てる。 様子を見たギロチンは笑い……小さく溜息を吐く。 「――ま、要するに最悪でも市内でのドンパチは避けてくださいって話です。イリヤさんが三高平市に来たならば、その時点で彼に危害を加える行動は不可能になったと思ってください」 与えられたチャンスは一度のみ。 来る前に、戦闘なり説得なりでどうにかしない限り――彼は予定通り期日一杯視察をし、帰って行くだろう。それが『息子』にどんな心証を与えるかなど、考慮にも入れずに。 その性格を誰より理解しているだろう息子は、小さく笑った。 「それじゃ、皆――少しだけ、年寄りの我侭に付き合って貰えるかしら」 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:黒歌鳥 | ||||
■難易度:NORMAL | ■ リクエストシナリオ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2014年04月16日(水)22:16 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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● 時は数時間前。 アークと分かるように制服を身に着けた『デイアフタートゥモロー』新田・快(BNE000439)に『合縁奇縁』結城 ”Dragon” 竜一(BNE000210)、『花染』霧島 俊介(BNE000082)は一人の男を待っていた。 「お行儀よく頼むぜ?」 少なくとも目的地に着くまでは、相手に妙な印象を持たれる訳にはいかない。そんな含みを込めて微かに笑った快に竜一は頷く。 「あ、でも右手の包帯だけは俺のアイデンティティだから」 「オーケイ、いきなり押さえて呻きださなけりゃそこまで変じゃない。俊介もな?」 「おけおけ、礼儀正しくな」 片手で丸を作った俊介もその辺は理解している。が、割とフリーダムなアークでは、仲間内で格式ばった敬語を使う事は基本的にないからこそ、その手の舞台を余り好かない俊介にとってはそれがなかなか難しい。 だが、いつまでも猫を被っていろという訳でもないのだからやりきってみせよう。何しろ未来のお嫁さん(予定)の為だ。ぎゅっと口を結んで小さく頷いた彼に目配せした快は、現れた相手に軽く礼をした。 スーツに身を包んだ長身の外国人は、迷わずこちらにやってくる。 「――初めまして。わざわざ迎えとは申し訳ない」 「いえいえ、初めまして、イリヤ・カムィシンスキーさん。アークの新田快です」 「お迎えできて光栄です。リベリスタ組織が密に協力すべきと思われるこの情勢で、海外のお客様を迎えられるという事を喜ばしく思います」 「俺は霧島俊介。宜しくお願いします……ね」 同い年ながら流暢に『それらしい』挨拶を述べる竜一に密やかに感嘆の視線を送りつつ、俊介も笑ってみせるのだった。 全部、ここからだ。 「街の概観を説明するのに、ちょうどいい場所があります。まずはそちらにご案内しますよ」 「街を見下ろしてみるのも一興でしょう」 笑ってみせる快と竜一が導く先は――彼の過去の行く先なのだから。 続く道の先で、連絡を受けた面々は一人へと視線を向けた。 父親であるイリヤを『追い返す』事を願った『星辰セレマ』エレオノーラ・カムィシンスキー(BNE002203)に。 その要請自体を断ろうと思っている訳ではない。思っているならばここにはいない。けれど……。 「なあ、じーじ、余計なお世話だけどさ。和解はできた方がいいと思うよ」 ぷちぷちと足元の草を毟りながら、『覇界闘士<アンブレイカブル>』御厨・夏栖斗(BNE000004)はちらりと姿を仰いだ。エレオノーラの過去を聞いた限り、彼とイリヤの間には余りにも相互理解が足りないように夏栖斗には思えたからだ。 「じーじは、オヤジのこと理解しようって思わないの? なんかそれから逃げてる気がする」 少女の姿をしていても、夏栖斗の数倍長く生きているエレオノーラからしてみれば、彼など小僧に過ぎないだろう。それでも、彼にとって『家族』とは特別な存在だから――血の繋がった実の父がいるならば、理解し合えた方がいいに決まってる。 生意気と思われるだろうか、と思って仰いだエレオノーラは、小さく笑っていた。 「……そうね。逃げているのかも知れない。不和ですらなくて、あたしが忌避してるだけ」 嫌うという感情は、それだけの関わりがなければ発生しない。 仕事の為の関係。仕事の為の道具。それらと向き合うのに、好きも嫌いも発生はしなかった。 遠くを仰ぐエレオノーラを、『it』坂本 ミカサ(BNE000314)はゆっくり見詰める。 彼と父親が袂を別って二十二年。それは確かに、長い期間だったのだろう。長すぎた、と彼は言っていた。 けれど、己の源の一つを知るのに早いも遅いもないはずだ。ミカサがそうであるように、人は過去や感情を緩やかに消化しながら生きていくものなのだから。 いつまでも蟠らせておく訳にもいくまい。父の情が真であれ偽であれ、それだけの長い期間抱えてきた感情は、そろそろ終わりにしなくてはならない。消化不良で留まれば、いつかは腐り落ちて行く。 エレオノーラと同じ様に空を仰いだミカサの視界を、白い鴉が過ぎっていった。 現実の夜空よりも尚鮮やかな空を掲げた『運命狂』宵咲 氷璃(BNE002401) の放った式神だ。 偽りの天使。背負った過去は違えども、その意味は違えども――氷璃もそうである事を求められた一人だ。 エレオノーラが天使の如く無邪気な子供という幻想の為に作られたのだとしたならば、氷璃は『天使』という幻想そのものの為に生み出された道具である。道具であった。 「イリヤは唯の冷血漢に過ぎないのかしらね。それとも――」 手の中で傘の柄をくるりと回す。頭上に掲げた夜空が、流れ星を描いた。 「ま、エレオノーラはオレの大切な友達だし、センパイだし、アークの仲間だからな」 何だとしても連れて行かれたら困る、と『てるてる坊主』焦燥院 ”Buddha” フツ(BNE001054)は笑って肩を竦める。一応確認はしたが、ここにイリヤは罠を張れるはずもなかった。エレオノーラの存在を知ってはいるかも知れないけれど、ここに誘うのはあくまでアークのリベリスタなのだから。 来たわ、と小さく呟いた氷璃の言葉に、エレオノーラが息を吐く。 車から降りてくるのは、遠い日に見た姿と寸分変わらぬ顔。彼もまた、革醒で時を止めた一人だった。気配に振り向いたイリヤに、笑って軽く、スカートを持ち上げる。 「お久しぶりです、お父様」 「…………」 ミカサが見た、その瞳は――微かに細められた、だけだった。 ● 落ちたのは僅かな沈黙。 新たな人影にぐるりと目を向けるイリヤに、夏栖斗は片手を挙げる。 「どーもご機嫌麗しゅう! 僕は御厨夏栖斗、じーじの友達」 「オレは焦燥院フツだ。お前さんがエレオノーラの親父さんだな」 「――何の意図か尋ねても?」 それを引き渡してくれる、という訳でもないだろう。フツの声に返した言葉は変わらず事務的で、再会の喜びは示さない。エレオノーラ本人になど、まるで興味がないように。 「皆、エレオノーラさんの頼みでここにいます」 「頼み?」 「ええ。ここで任務を遂行して貰って、速やかにお帰り願いたいと」 冷たい印象を与える顔立ち、というならば似通っていると思えるイリヤに向けて、ミカサは手の爪先で彼が来た道を指し示す。 「連れて戻って慈悲を請えと?」 「いいえ。お父様だけでお帰り下さい」 「……背国者への対処方法も忘れたか」 夜に響く声は余りにも無機質で、昔のエレオノーラならば内心で酷く怯えただろう。父親に嫌われ捨てられる事を、箱庭の幸せを壊す事を何より厭う『少女』であったならば。今でも、鼓動は緊張で少し高鳴っているけれど――これが少女であった男の、初めての反抗期。 「あんさ、じーじは僕らにとって大事な「人」なんだ。気軽に連れて行かれたら困る、っつーか嫌だ!」 「エレオノーラは、悪いけど。俺等の大切なひとやから、連れていくことはさせられない」 「気兼ねなくお酒を飲める友人兼目の保養なのよ」 彼は道具ではないと。大切な人であると。夏栖斗が冷えたその間に叫び、氷璃が涼やかな表情で付け足した。 共に来た俊介も微かに困ったように笑うのに、イリヤは面々を見回す。 次に打つ手を考えているのだろう。或いは、こちらを敵と看做しての一時離脱か――。 「お前さん、『アーク躍進のポイント』と『将来的なスカウト候補』を視察に来たんだろ。オレと戦えば、その両方がわかるぜ。実践形式の視察ってわけだ」 「……随分と自信があるようだ」 「オレ自身、『イリヤ・ムーロメツの再来』、『巨人の魂を受け継ぐ者』と呼ばれるお前さんと戦いたいと思ってたんだ。世界平和の為には、世界のレベルを知らないとな」 「世辞は結構。私達にとって名が知れるというのは動きを狭める枷でしかなく、戦闘等は手段の一つに過ぎない。……平和の手段に戦闘を求める君は随分と好戦的である様子だが」 ロシアの古き英雄の名を口にするフツの言葉にも、イリヤの腕は動かない。千里眼であっても、人の肉体は見通せない。用途が緊急用であるならば、歴史の裏を生きる彼は、簡単には見通せない場所に所持しているのだろう。 「アークは必要であれば、傭兵として、あんたらの組織に協力はできる。僕らの組織の任務は志願制だ。志願した以上はあんたらの言うことは聞く。なにもじーじに拘る必要はなくね?」 「即戦力が欲しければ傭兵隊を利用して頂戴」 「多少の差異はあれ、何処も『漏らされたくはない』事は在るものだ。それを知っている相手を殺さないとしたならば、抱え込む以外に何がある?」 夏栖斗の言葉にも氷璃の目にも、百余年を、時代の潮流を忠誠を柱に泳いだ老獪の表情は揺るがない。 「何も君達に処分してくれと言っている訳ではない。これは戦力以前の問題で、内輪の話だ」 「残念ながらおじーちゃんはもうこっちの身内でもあるのよ。人を道具として扱うような連中には渡さないわ」 「君達の信条がどうであれ、此方の処遇に口を挟まれる謂れもない」 「……お父様」 交わされる視線と言葉。温度を下げていく中に、一つ声が滑り込んだ。 投げた男は、深海の瞳で父を見た。 「もう、貴方と国家の都合のいい道具ではありません。道具では無く人として生きよと、お母様が示してくれました。今のあたしは己の意思で、自ら選びアークに居ます」 だから、帰りません。確固と紡がれた言葉に、アークの面々の表情が和らいだ。 けれど、二者の間の緊張は高まっていくばかりだ。 「あくまで連れていくなら、俺たちも『他組織による強引な引き抜き行為』って名目で対処する事になる」 様子を見た快が、ぱちん、と掌に拳を打ちつける。戦闘は余り望まぬ俊介が眉を寄せるが、夏栖斗も一歩前へ出た。 「僕らが勝ったらじーじは諦めてよ。もちろんこの場から逃げるのもなしな」 「ガスパディーン ミクリヤ。その提案に私が乗る必要性を示して欲しい。君は自らの都合しか述べていない。背国者の取り扱い方自体は私の動かせる範囲では無く、このままでは報告書すら碌に書けないのでね」 イリヤの様子をつぶさに観察していたミカサと氷璃が、微かに動く。このままでは、彼は仕掛ける事なく逃亡へと移るだろう。とはいえ、仕掛けられなければ手を出さないと決めている者もいる。 注意を放つべきか否か……だが、二人が声を上げるより早く前に進み出たのは竜一だ。 「失礼。先程言った『アーク躍進のポイント』についてですが、ここまでやってこれた理由は複合的です。その中の一つとして、今の状況のことが言えると思います」 「――つまり?」 一礼した竜一に、イリヤが続きを促せば、彼は笑ってエレオノーラの背を軽く叩いた。 「要するに”一人の仲間の為に全力になれるやつがいる”とね」 「…………」 暫しの無言。ゆっくり面子を見回したイリヤは、口を開く。 「ガスパディーン ニッタ。君はアークの活動に多大なる貢献を果たしていると聞く。それでも取るに足りない一人の為に上からの覚えを無駄にするのか?」 「これでもご覧の通り横紙破りは得意でね、割とお叱り受けてるんだぜ?」 やや砕けた調子で応えた快の言葉は偽りではなかった。彼が従うのは、己が決めた『夢』への道だから。勲章も名声も、救いたいと願い伸ばす手に齎されたに過ぎない。必要ならば快はそれを纏い、そして躊躇いなく捨てるだろう。だからこそ、人は快を、彼自身が過ぎると思う名で呼ぶのだ。 「そんな個人の考えで行動できる柔軟性も、躍進に一役買っているんだと思いますよ」 振り上げずに済んだ爪を、上げずに済んだ声を奥へと戻し、ミカサは頷く。 誰もが同じ方向を見るのではなく、違う立場で物事を見て、己の道に反すると思えば声を上げる事も許されているからこそ……巨大な氷山の中でも座礁する事なく方舟は進めているのだと。 竜一はどん、と自分の胸を叩いた。 「そんな繋がりがアークの強みだと考えていますので、それを崩そうというのは今後も友好的にいくのならば”互いの利”になるとは思えませんが、いかがか」 「……私としては個人の用向きで訪れているのではない。別件にかかずらい本来の用向きが達成できないのは大変に遺憾だ。ましてや組織の間に波風を立てるのもね」 「はい。だとしたら少し目を瞑って頂くだけで――」 「私個人の減点少々で、得られるものは組織間の良好な関係と傭兵としての助力、という訳か」 イリヤの口調は先程までと変わらない。が、先程までの取り付く島もない硬質からやや軟化している。 「ただ――」 一陣の風に、場が動いた。 氷璃が魔法陣を展開するよりも早く、フツが符を無数の鳥に変えるよりも早く、イリヤは踏み込んでいた。 けれどその黒い闇夜の片刃は、曇り霞の両刃に止められる。 これだけ。これだけ間近で顔を見たのは、果たして、何十年ぶりなのだろう。 もう、あるかも分からない。ほんの刹那。 「……お母様が亡くなられて、もう22年。祖国より大事なものが、今はあります」 父の瞳に映るエレオノーラは、僅かに目を細めて微笑んでいた。 彼は戦闘の師であるけれど、自らの為に体を張ってくれた友人達の為にも、引く訳には行かなかったから。 「――そうか」 返答は、過去と同じく簡潔で素っ気なく……ただ一言、落とされた。 大きく跳び退ったイリヤは腕を軽く振り、ナイフを鞘に収める。 そのまま先程まで会話を聞いていた時と同じ姿勢に戻れば、何でもなかったかのように口を開いた。 「送迎は期待しても? 流石にこの時間では移動手段を探すのに骨が折れる」 ● 刃を下ろしたエレオノーラはもう何も言わなかった。 そのまま乗り込もうとしたイリヤに、俊介が声を掛ける。 「あのさ、じーじのお父さん。……家族って唯一無二だから、一人しかいない息子を、できれば物として見ないでやってくれ」 「…………」 「……イリヤさんの来日理由に、エレオノーラさんに関する情報があった事は、含まれていなかったんですか」 振り返った彼に、ミカサも重ねた。そこに、情はなかったのかと。 答えはない。或いは、イリヤ自身も分からないのかも知れない、とミカサは思う。人の感情なんて、ままならないものだから。 「な、また生意気言うみたいだけど……やっぱじーじと親父さん、理解が足りないよ」 夏栖斗が双方に目を走らせる。長らく生きてしまった為に、その一歩は踏み出せないのだろうか。 かと言って、即時の語り合いで済む程に根の浅いものでもないのだろう。 だったら。 「あれだよほら、文通お勧めしよう! ね、まずは互いを知るのにいい!」 「……デジタル世代がよく考え付くものね」 竜一のお節介に小さく笑ったエレオノーラは、何とも言わず父の反応を見る。 やや考えてのイリヤの答えは、可否のどちらでもなく問いだった。 「――この場で目を瞑るのみではなく、私に『手綱を握っている』フリをしろという事かね」 恐らく彼は、大きくは事実を曲げずに報告するつもりなのだろう。 かつて国を出た己の息子がアークに存在し、自らの訪問を拒絶したと。 その結果、エレオノーラに降り掛かるかも知れない『災難』を、イリヤが『懐柔中』だと思わせる事で回避させろと――そういう提案だと、合理の男は判断したようだ。 「あ、いや、実利方面じゃなくて心の交流的なね。ハートハー……エレじーじ、ロシア語でハートって何?」 「……情の篭った手紙程度で動く様な心でもあるまい」 そうであるように、したのだから。怜悧な湖面の瞳は揺るがず、閉じられた。 過去に『厳しくも愛を注ぐ父親』という札を『手段』としたが故の、選択肢の切捨てであるのか、或いはそれを切ってしまった事への誠意であるのか。 「――『道具』のままならば、動かないでしょうね」 男の声に、目は開かれる。微かに笑った、彼の息子に向けて。 「……、……三ヶ月から半年」 「?」 「暇が少ない身なのでね。定期であればその程度の間は空く。それで構わなければ」 「……お父様のお好きにどうぞ」 顔を戻して振り返らない父の背に、エレオノーラはそう声を掛けた。 乗り込んだイリヤに、フツが笑う。 「ロシアのリベリスタだって大したもんなんだろ。もし手が足りないならアークを通して頼みに来い、オレがいつでも行ってやるぜ! またシベリアにも行きたいしな!」 「君の渡航記録はなかったと記憶しているが」 「いや、楽園行こうとしたらシベリアでうっかりお陀仏だった」 「……変わった経験を積んでいるようだな。機会があればまた何れ」 そんな、『いつも通り』の会話の中で消えていく父親の姿に握ったままであったナイフをしまったエレオノーラの隣に、氷璃が並ぶ。 「ね。おじーちゃん。私、宵咲の一員となって気付いた事があるの。――子供の愛し方は、親に似るんだって」 見返す友人に彼よりは少し短くも、やはり長い時を生きた少女は首を傾げた。 「もし、イリヤも我が子の愛し方を学ばずに生きてきたのであれば。一から親子を始めてみるのも良いんじゃないかしら?」 「……そういうもの、かもね」 片方が片方に押し付ける関係ではなく、互いに選び築き上げていく関係を。 夜空を抱いて魔女に堕ちた天使の横で、天使の仮面を外した男は笑う。 「ありがとう、皆」 ――暫し後。エレオノーラ・カムィシンスキーの元に堅苦しい文章と期間限定の送付先住所を記した手紙が届けられた。 ……『Сын мой』と。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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