● 胎児よ 胎児よ なぜ踊る 母親の心がわかり 恐ろしいのか ――夢野久作『ドグラ・マグラ』より 幸福があるとするなら、それは今だと矢花蔵 沙苗は思っていた。 人並みの幸運にありつくことすら困難である革醒者として、妻と子を得ることが叶う事実は何より喜ばしく代えがたい。妻の胎で育つ我が子に想いを馳せる度、その喜びは大きくなる。 子を持つ親としてこれ以上ないほどに、彼は幸福だった。 だが同時に、彼は危惧もしていた。運命というものに翻弄される可能性が一般人よりも多いであろう縁者を自らの手で増やすことが、必ずしも幸せなのだろうかという自問自答とともに。 だから彼には躊躇があり感傷があり絶望があり慟哭がある。 世界は概ねにして彼の妻子にやさしくはなかった。 世界は概ねにして、彼にどこまでも『生きろ』という。 彼はそれを誰より認識しているので、その両の手を血で濡らすことを心得て悪鬼羅刹と身を置くことになるだろう。 ……尤も。悪鬼羅刹は百が百、その通り強い訳ではない。彼は革醒者ではあったが、所詮は予見することしか出来ぬ存在だ。一般人である妻を縊り殺したその後に、何が待つかわかっていて、それでも突き進んだ末に待つのは地獄でしか無い。 地獄しか、無い。 ● 「親の心子知らず。子の心もまた、親が知らず。増して身籠った子供に関して何たるや、など考えるだけ無駄というものです。フェイトを失って生まれる子に、幸福を語る権利が有るやいなや? ……我々には、『否』と答える他無いということですね」 「何がどう変わっても胸糞悪い『いつも通り』の仕事だったな、分かった」 『無貌の予見士』月ヶ瀬 夜倉(nBNE000202)によってブリーフィングルームに集められたリベリスタの中で、比較的経験を積んだ一人が頷く。緊張に身を硬くする新人が混じっているかもしれないが、知識で、経験で、伝聞で、正義を語ることがどれだけ愚かしく虚しいかを理解しつつあるのだろう。だが、その正義論は愚かしくも虚しくもない、と理解するまで今しばらくの時間はかかるだろうが。 「矢花蔵 沙苗(やかぐら・さなえ)。フォーチュナで、複数のリベリスタ組織と渡りをつけて事件解決を行ってきた人物です。万華鏡無しでの観測にしてはそこそこ成果を挙げているようで、同業者の中でもそこそこの知名度があります。……で、先ごろ一般人である奥方がご懐妊と相成りまして」 「……めでたくお子さんはご革醒と。中々笑えねえ話な」 「いや、まったく笑えない話です。何で彼ら夫婦を選んだんでしょうねえ。運命ってやつは何時だって容赦が無いようで。まあそれは仕様のない話です。続けますよ?」 口元の笑みは崩さず、しかし全く笑気のない瞳でリベリスタ一同を睥睨する夜倉。語ることが楽しいか? 否。許容したい現実か? 否。 感情について多くを語ることはしない。彼は、そういうタイプだからだ。 「沙苗君は彼女を殺すことが出来ます。一般人相手であればフォーチュナであっても赤子の手を捻るより簡単にそれをやってのけるでしょう。そこまでは、それほどの覚悟は彼にあった、のですが……問題はそこからです。君、エリューションの特性をふたつ」 「時間とともに進化する『進行性革醒現象』と周囲にそれを促す『増殖性革醒現象』……ああ、なるほど」 「なんとなくでも、ご理解いただけたなら幸いです。『そういうこと』なんですよ。エリューションである胎児は命の危機とあれば大幅にその能力を増すでしょうし、仮に母体が死ねば彼女をE・アンデッドとして使役する可能性もある。そこで尻尾巻いて逃げ出せればいいでしょうが、何しろ彼、奥さん殺しちゃうワケでしょう? ショックで動けるかどうか」 「どう考えても無理だよなあ。で、アレか、任務は彼の生存とエリューションの撃破でいいんだよな?」 「ご明察です。っていうか、それしか無いんですけど。問題点が有るとすれば、胎児は小さいんで狙いを定めづらいのと、体が動かない分テレキネシスに近い能力を攻撃力ありきで使えるということです。これはそれなりに厄介なので、十分警戒の上ことにあたって下さい。では、君たちの最大を以てこの悲劇に最善の幕引きを」 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:風見鶏 | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2014年03月11日(火)22:31 |
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■メイン参加者 4人■ | |||||
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●それが定めというのなら 私は運命を受け入れることを恐れている。畏れている。 変転を許さない運命の強制力は畏怖に至るに十分であり、否応なく投げ込まれる危険性は涙を流して余りある。羊水の中に、開きもしない瞳は涙を流さないだろう。受け入れるだけの肉体は自らの発露を許さない。 人間の肉体は排出が最大快楽として備え付けられている。……つまる所が、吐き出すことすら許されない狂気に、胎児達は身をおくのだ。そんな自我など生まれないが。肥大化した運命の糸車は毒を引き込んでしまえば後は早い。 運命を見ることを覚えた。運命に抗うことを恐れた。 それが死を招いたのならば、次の生は。 『お急ぎの所失礼します。……皆さん、本件に関して思う所は少なくないと存じます。ですが、まあ。予めお伝えしておくべきことがありまして』 「好事魔多し。当たり前のことを言うなら切るが?」 予見者の声が幻想纏いから朗々と響く。本人の声のトーンは高くないが、神秘の傑作はそんなことをお構いなしに音量を増幅させリベリスタ達へと伝えるだろう。彼の言葉が三文芝居めいていることは『普通の少女』ユーヌ・プロメース(BNE001086)にとって常識に近く、聞くことが利益に成るとはとても思えない。だが、戦場に立つ彼らに理由もなく言葉を送る男ではないことも自覚しているため、牽制するのは当然とも言えたのだろう。 『……ま、無駄話ですがね。皆さん恋人はいらっしゃるでしょう。将来もあるでしょう。ご存知とは思いますが、貴方がたの「未来」に於いてこのケースは先ず起こりえません。恐らくは、今回は胎児に重篤な――自因か他因かはともかく――生命の危機があったが故にフェイトを使い果たしたと判断いただくのが適切と思います』 「矢花蔵さんも、誰かに相談できれば良かったんだろうけど」 『大抵の場合、笑って否定されるでしょうからね。それに、彼の場合は期待されるべき予見者という立場があります。ともすれば放言になるようなことをおいそれと言葉に出来ない、というのもあるかと』 「ボクに出来うる最善の……手をっ……」 『声が硬いです、三郎太君。深呼吸』 『ファントムアップリカート』須賀 義衛郎(BNE000465)の逡巡は仕様のないことだ。フォーチュナ一人が抱え込むには余りに重い事案は、協力体制が整っていれば何とかなったのかもしれない。だがそれは過ぎた話。離宮院 三郎太(BNE003381)の心中を這いまわる最善への道筋は、ともすれば彼の視界を冒し固定化させかねない。呼吸のリズムは即ち思考のリズム。狂えばそこから瓦解する。その証拠、と言えばいいのだろうか。 「……俺が、止める。だから皆は」 『…………』 気負うことは自身と責任感の現れと言えよう、こと『デイアフタートゥモロー』新田・快(BNE000439)に関してはその傾向が極端に強い。実力と信念の強さで言えば確かに否定できまいが、剛性が強い金属に関して存在する危険性は、精神、肉体どちらにも存在しうる。 つまりは、彼の言葉の裏にある危険性を、通信越しであれ予見士は視た可能性が、高い。 斜陽は人の影を払い、人の陰を濃く映し出す。陰に阻まれた表情は見えない。互いのそれも解らない。 だが、ただひとつ彼らに分かることがあるとすれば。 その男は、矢花蔵 沙苗の腰元の不自然な膨らみが、これから彼が行うはずだった罪の残滓であるということ、ただそれだけ。 ●きっと罪だというのだから 「どうも、アークです」 「何をしに来たんだ。君達が出張る状況じゃないだろう」 「そうもいかない。そちらが何処まで察しているかは知らないが、みすみす死なせる気もないのでな」 「沙苗さん……あの、この方々……っ」 沙苗の妻、叶絵が彼に何事か問いかけようとするより早く、ゆらりと伸び上がった人影が沙苗の手を引いて自らの背後に庇うように動く。黄昏時でもなければその不自然さは狂奔を呼ぶだろうが、幸いにしてそれが影人であることを理解できるほど、彼女は神秘に精通していない。 自らと妻を引き剥がしにかかったユーヌの真意を理解できない沙苗ではない。そして、彼らが何を行わんとしているのかも薄々理解していた。恋人の死を許容できるのは、彼自身が手を下すからであり、それ以外の手段に任せたら後悔することも知って居た。だから声にならない感情が彼の歩を進ませるが、影人はそれを巧みに押しとどめ、進ませない。 「ボクに考えがありますっ、時間を……ほんの少しでかまいません。ボクに時間をくださいっ」 「大丈夫か? 猶予はあまり無いと見るが」 沙苗に、仲間に、そして自らに言い聞かせるように三郎太は一歩前に出、魔術書に手を伸ばす。一般のリベリスタが持つそれより強化された物を手にし、彼が狙うのは自らの気を練り上げた一撃である。狙いは叶絵……の、腹部。 視線と意思の指向性に気付いた叶絵はしかし、荒事に耐性のない一般人。動きを止めることはあっても、逃げ出すには余りに足が、精神が追いつかない。 十分な呼吸を繰り返し、意思を固めた三郎太が確認するように頷く。一瞬を置いて振るわれた指先からオーラが糸の形を取り射出される。 ユーヌが、義衛郎が、快が驚愕とも、別の感情ともつかぬ表情に顔を歪め、叶絵はその現象の奇怪さに悲鳴をあげる。だが、それを超える『奇怪』は彼女自身から、起きた。 叶絵の腹部を貫きかけた糸は、その薄皮一枚隔て垂直に落下、マタニティドレスを下腹部から一文字に引き裂く。うっすらと滲む血、叶絵の悲鳴。咄嗟にユーヌが閃光弾を振り下ろし、彼女の意識を断ち切ったのは果たして幸であったか、不幸であったか。 「……無茶っていうか、その決断力は凄いですよね」 「結果オーライだが、まさか本当にやるとは思わなかったぞ」 叶絵を掻き抱き、後方へ跳んだ義衛郎の足元が円筒状に抉れ爆ぜる。空気の僅かな流動を察知し、ユーヌがそちらへと首を巡らせる。しっとりと濡れそぼった未完成の肉体。それを覆う不可視の、空気に拠る膜はそれ自体が攻撃性を持つことが理解できる。 胎児の瞳が開く気配はない。視覚は必要ないのだろう。それとも、十分ではないか。 ユーヌが喚んだ二体目の影人が、叶絵を庇い、義衛郎が公園の外、救急車が到着しているであろう方向へ指を向ける。 沙苗を庇う影人もまた、それを察知して動き出した彼を庇いつつ離脱に入る。 「奥さんをお大事に。まだ、助かりますから」 「……俺には何も出来なかった。すまない……!」 庇われる無力さは彼自身が知っている。彼にできることを託すことは正しい。逃げ去る二人へ攻撃を向けられた際を考慮しつつ義衛郎が警戒を振り向けると、胎児が瞬間、彼らの視界から消失する。 「させません……っ!」 それを察知出来たのは、気を張り「すぎて」いた三郎太の功績か、偶然か。出現地点を貫くように放たれた一撃は、胎児に届くこと無く弾かれる。 「不運だな? 危機を感じる知能があるのは」 だがそれも無駄に終わる、と言外に言い放ったユーヌが素早く印を切り、相手の運を怪我すべく構える。……だが、印形の干渉すらも、胎児を守る超自然的な能力を破るには『遠すぎる』。 ここで心底、彼女は言葉足らずだった彼のフォーチュナを呪った。ここにきて初めて、彼女の役割が一つごとのみに絞られてしまうという事実に忸怩たる思いを抱え込まねばならなくなった。 ……だがそれは、逆に僥倖だったといえるか。 矢花蔵夫妻の脱出まで手間を取られる筈だった義衛郎が前に出る事は、有効打を殺さず戦闘を継続できることと同一だ。与えられた役割が変わろうと、できることは確かにあるのだ。 そう、多少窮地の色合いが異なろうと、やるべきことは変わらない。結論は未だ変わらない。“三徳極皇帝騎”が刀身に奔る色は悲しいかな、黄昏の光に相俟ってその存在感を希薄に健気に主張するのみである。 ●罰を与える枷もなし ぼんやりと霞む視界を前にして、大きな壁に阻まれて、快は改めて自らの状況を悟った。壁ではない。それは公園の地面であり、土である。 地面を「登る」ように這い、状況を確認しようとするが続けざまに叩きこまれた過大な重力がそれを許さない。仲間の悲鳴にも似た苦鳴を聞き届けて尚助けることも癒やすことも許されない。それが、業の深さそのものだとしても。 (誰かを頼れるなら最初から一人で背負い込むことはしない、か……今のオレが言えたことじゃないな) 得物を再び握りこんだ義衛郎は、言葉を述べることなく胎児をひたと見据えた。勝てるか、ではなく勝つしかないのだ。幸いだったのは、矢花蔵夫妻を滞り無く離脱させられたことだった。叶絵を狙って放たれた攻め手は複数回に及んだが、自らに敵意を向けてくる者達を無視してまで殺しにかかることはしなかったのだ。ある種『年齢相応の反応』であったことは、彼らにとって好ましい。 だが、それ以上に今の戦況は好ましいとは言いがたかった。快が倒れた今、有効打を与えられるのが義衛郎とユーヌの影人程度なのだ。 或いはユーヌが前進し、手ずから攻撃を加えることも不可能ではないだろう。だが、彼女はスキルが無駄であると理解した時点で、手数を増やし倒れぬことを徹底すべく動いたのだ。戦力差を数で補うことは戦略の初歩、児戯に等しい抵抗でこそあれ、無駄ではない。 彼女自身の卓越した命中精度を受けて動く影人は打撃力こそ物足りないが、義衛郎が作った動作の隙を縫うように数をこなせばその限りではない。 たとえ10秒で途絶える手駒であれど、まったくの無であるよりは幾分かはマシだ。 「集中しろっ三郎太……ボクが狙うべきものは……ただ一点のみ!!」 度重なる重力の加圧は快のみならず、リベリスタ全員を苛み、暗い推論をいや増すことに寄与していた。三郎太が尊敬、いや崇敬に近い形で慕う快が倒れた事実は重い。だが、それでも自分が立っている事実は彼に勇気を与えるに足るものだ。 だから『役割を果たす』。早鐘を打つ心臓と加速する呼吸は、彼を冷静たらしめるには程遠いのかもしれない。だが今が彼にとって最善であることは、彼自身がよく知っている。そして無力であることも。 振り上げた指先がオーラを練り上げ、打ち振るわれる。既に何度の積み重ねになろう。胎児へ接触することを待たずして地面を穿った跡は数知れない。既に、胎児は彼に意識を振り向けることすらしなくなった。だが、それでも彼は愚直である。 意識の空白に叩き込んだ気糸が千にひとつでも相手の意識を奪えたならばそれは彼の役割として勝利を意味する。だから、愚直であることを選択した。 「……それがお前が吐き出せるせいぜいの恨みごとか? そろそろネタ切れになるんじゃないのか?」 荒い息を吐き出し、ユーヌが笑う。 ああ不味い、今さっきの重圧で重要箇所の筋繊維がいくらか切れたか。運命を消耗した以上、この戦いでは換えは効かない。 勝敗の分かれ目を見定めるには余りに時間をかけすぎたようにも思えるが、相手とて自分たちを弄ぶに過ぎたことは確かだろう。下手を打てば、立てる人間はこの場に居ない可能性すらあった状況下。各個撃破すら企図していた攻撃の指向性が範囲を狙う大味なものに切り替わったことを理解するにつけ、彼女の頭脳はこの戦いに於いて、初めて皮肉と勝利予測以外のリソースに割り振られた。 ここが機だ。これが機だ。余りに永い戦闘を経て、忸怩たる思いと引き換えに掴んだ一縷の望みだ。 「……逃げるぞ三郎太」 「えっ、でもっ、このままじゃ」 「退きましょう、彼女が言うなら相当です」 撤退を口にしたユーヌに、信じられないといった心持ちで三郎太は返す。運命を削ってまで続けた愚直な積み重ねが実らぬまま、何一つ成果を挙げられぬまま、みすみす逃げを打てと言うのか。 義衛郎の肯定が耳に痛い。過半の賛成を以てこの場は退くべきだろうが―― ずん、と。 その逡巡に、「意識の空白」に、避けようのない一撃が滑りこむ。頭部を殴りつけられた感触に、白く染まる視界に、三郎太は正体を何一つ掴めぬままに崩れ落ちる。言葉も、悔しさも、積み重ねも漂白されていく。消えていく。 義衛郎が快を担ぎ上げる。上体を地面に叩きつける際、ユーヌが三郎太を抱え上げる。彼ら全員を狙った重力波が届くより早く、彼らは「そこ」から離脱していた。次の一撃の射程すらも遠い場へ、ひたすらに駆ける。 この戦いに勝者はない。失うべきは全て失い、存在意義を求めるしかない胎児は勝者にすらなれず、戦場から消失した。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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