●最も裏野部らしくない男 まぁこんなもんだろうなぁ、と呟いて、男はこきりと肩を回した。 どんよりと曇った空。雨こそ降ってはいないが、遠くではばちり、ばちりと稲妻が光っている。 山の上から見下ろせば、暗闇の中にさん、ざざんと打ち寄せる土佐の海。太平洋側はそれほど荒々しい海ではなかったはずだが、まるで台風のように波が荒れているのは、やはりヤクサイカヅチノカミとやらの結界の影響だろうか。 「細工は流々。後は仕上けを御覧じろ、といったところかねぇ」 携帯電話の先、配下の一人へと余裕たっぷりに言ってみせれば、雑音混じりに聞こえる安堵のため息。こっちに戻って来い、と苦笑交じりに告げて、男は終話ボタンを押し込んだ。 「……まぁ、そんなに余裕がある訳じゃないけどな」 だが、携帯電話――いわゆるガラケーと呼ばれる二つ折り――を耳から話したとき、彼の表情からは余裕というものが消え失せていた。まさか三尋木が俺を狙うとはな、と眉根を寄せ、その男――山根・信明は溜息をつく。 元々彼は、裏野部としては珍しく金勘定と事務処理に適正があった。如何に裏野部が『過激派』であり好き勝手に暴れるのが大好きな連中だとしても、金と住処と飯は必要だ。往々にして連中は日常生活を送る能力に欠けていたから、信明のような存在は意外に重宝された。 それ故に、ついたあだ名が『最も裏野部らしくない男』。存在はある程度知られていても、鉄火場に顔を出したことはない。そういう男だった。 「それにしても、貧乏籤引いたよな、俺」 そんな男が、裏野部崩壊後に『賊軍』となってこの四国に参じたのは、ひとえに離脱するタイミングを逃してしまったからに他ならない。いや、自分一人であれば如何様にもできたのだろうが、配下を見捨てては行けないところにフィクサードらしからぬ情の厚さがあった。 加えて、多くの離脱者の合流先が黄泉ヶ辻というのが最悪である。自分達のような裏方を、あの気狂いどもは歓迎すまい。逆凪にはコネがなく、恐山は首領が怒り狂っていて話にならない、ときている。 「こうなりゃ一二三の大将の覚えをめでたくしておくしかないよなぁ」 要は立ち回りが下手なのだ。とはいえ、いっちょ独立してやろうという気概もなく、彼はただただ我が身の不幸を嘆くだけなのである。 もっとも。 一二三から『蜂比礼』、負の思念をたっぷりと乗せた刺青を拝領してなお正気を投げ捨てることなく、その強大な魔力に押しつぶされもしない――という時点で、彼の実力は馬鹿に出来たものではないのだが。 しばらくの後。 「あとは健也だけか。トラブってるわけじゃないよな?」 「はい、移動が遅れているだけのようです」 眼下に見える灯は安芸市。高知県東部にある、海と山に挟まれた小さな街である。 彼らがここを舞台に選んだのは、東西に走る国道と北側の山に分け入る道さえ押さえれば、完全に市街を孤立させることが出来るからだ。そのために彼らは、大量の工事用ダイナマイトを持ち込んでいた。 だが、三尋木に狙われているらしいと知った信明は、旧裏野部が保有していたアーティファクトの爆弾の使用を指示していた。こだわり屋の梅芳・愚老ならばこんなものは作るまいが、それ以外にも磁界器の製作者は居たのである。 お目付けのようにあてがわれたアザーバイド達には、市街に火の手が挙がると同時に行動開始するよう指示し、この場から遠ざけていた。元々信用の出来ない連中ではあるし、奴らを置いて逃げるにはそれなりの言い訳が必要なのである。 その時、展望台代わりの公園に爆音が響いたかと思うと、加速を緩めずに滑り込んできた自動車がスピンぎりぎりのドリフトを披露して止まった。 「遅くなってすみません、山根さん」 「遅ぇよ、本当に」 その台詞ほどには怒っていないことは当事者の健也も判っていたから、すみません、ともう一度言って笑いながら頭を下げる。狙われているという事情を知らないとはいえ、気楽なものである。 「全員集まったな? んじゃ、逃げるぞ」 そう言って、信明はもう一度街を見下ろし――そして、凍りついたかのようにその動きを止めた。 「健也ぁ、つけられたな、お前ぇ」 悟られないように相当距離を離していたのであろうか。二台の不審な車が、この公園を目指して走っているのが見えた。それでも、到着まであと十分弱はあるだろうが……。 「……無理だな。元々逃げ道が極端に少ないから、安芸でやることにしたんだ」 あれは間違いなく三尋木の連中だろう。ならば、ここまで迫られている以上、車があっても逃げ切るのは不可能だ。 「しょうがねぇな。覚悟決めるか」 おそらく相手は精鋭クラス。じたばたしても勝てる相手ではないが――それでも、彼は最期まで見苦しくあがこうと決めていた。 ●『万華鏡』 「皆も知っている通り、裏野部は事実上壊滅したよ。でも、裏野部一二三についていくと決めた一部の構成員は、賊軍を自称して四国に集結している」 緊迫した状況に、『リンク・カレイド』真白イヴ(nBNE000001)の声にも流石に力が篭っている。 裏野部一二三が意思を持つ雷雲『ヤクサイカヅチノカミ』を誕生させたのはつい先日のことである。天空から降り注ぐ雷はその意思を体現するかのように、四国に出入りする者を片っ端から撃ち抜いていた。 「三本の橋も封鎖されてるから、今のところ四国は完全に孤立してるね。裏野部一二三が支配していると言っても良い。……でも、一二三の目的は、四国なんかじゃないの」 裏野部一二三のアーティファクト『凶鬼の相』は、怒りや恐怖等の負の想念を吸収して蓄えるもの。そして、配下のフィクサードに与えられた『蜂比礼』は、力のパスを通す子機のようなものである。 彼の目的は、四国の全ての民を残さず喰らって自らの力と化すこと。刺青を与えられた配下が各地で罪なき人々を虐殺すれば、それがそのまま『凶鬼の相』へと送り込まれるという寸法だ。 「でも、力のパスを通すというのは、電話機の親機子機ほど単純じゃない。一二三は、『蜂比礼』を施す際に、とてつもない量の負の力を分け与えているの」 要は、人々を虐殺される前にフィクサードを打倒すれば、一二三は先行投資に見合った負の力を回収できず、弱体化したままでアークと戦わなければならないということだ。 まつろわぬ民や四国の魑魅魍魎まで含む賊軍を纏めているのは、ただ裏野部一二三という強力なカリスマである。彼を討てば賊軍は瓦解する。そのために、まずは虐殺を止めなければならないのだ。 「皆に行ってもらいたいのは、高知県の安芸市。強力なアーティファクトの爆弾を使って、賊軍が住民を皆殺しにしようとしているの」 山根・信明というそのチームのリーダーを含め、構成員のフィクサード達はずば抜けて強いというわけではない。信明自身は『最も裏野部らしくない男』という異名が聞こえてはいるものの、旧裏野部の部隊長レベルに比べれば劣るだろう。 「ただ、問題が二つあるの。一つは、爆弾を仕掛けた位置を万華鏡で特定できなかったこと。起爆までには、まだ時間があるみたいだけど」 リベリスタの一人が顔をしかめる。要は、気持ちよく叩きのめすだけではなく、何らかの方法で――おそらくは、肉体による説得で――口を割らせろということか。 「そしてもう一つは、三尋木の精鋭部隊がそいつらを狙っていること」 裏野部と黄泉ヶ辻以外の五派は、程度の差はあれ、四国に渡って賊軍に攻撃を仕掛けていた。三尋木の狙いは判らないが、裏野部の権益を得る為に信明を確保したいのか、あるいは何らかの口封じと考えられる。 一つだけ予想できるのは、三尋木は安芸の街を守ることにはまったく興味を示さないだろうということだ。 「今はヤクサイカヅチノカミの雷のせいで、橋を渡らない限り四国侵攻は難しいんだけど……実は、橋を確保次第ヘリを飛ばしても、信明と三尋木が接触するぎりぎりになってしまいそうなの」 つまるところ。 三尋木の攻撃から信明達を守りながら、同時に何とかして信明の口を割らせなければならないのだ。三尋木は言うなれば共通の敵ではあるが、だからといって信明達が真面目に戦ってくれるわけではない。三者が顔を合わせたならば、何とかアークに押し付けて逃げたいのが道理だろう。 「市内の避難と、先に潜んでいるアザーバイドの掃討は別のチームに任せるよ。みんなには、信明から爆弾の位置を確認してきて欲しい」 望むと望まざるとに関わらず、チップとして賭けられたのは街一つ分の命である。そして、このギャンブルは日本という国の未来にも繋がっているのだ。 「難しい状況だけど、頑張って。裏野部一二三を倒して日本を守るために、そして、何万という人々の明日のために」 僅か十人に重い使命を背負わせたことを、イヴはよく判っていた。判っていて、それでもこの状況では、行って欲しいと言うより他に手が無かった。 だから、彼女はじっとリベリスタ達を見つめ、そしてぺこりと一礼した。それは、この稀代の天才フォーチュナにとっては滅多に見せることの無い仕草だったのだ。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:弓月可染 | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2014年03月14日(金)22:52 |
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■メイン参加者 10人■ | |||||
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● 「なんじゃ、裏野部っちゃあえげつないって評判じゃが、えらいたっすいのぅ」 ヘリが降りた駐車場から脇目も振らずに展望台へと駆け上がったリベリスタ達の耳を、酷く訛りのあるだみ声が打った。遅かったかな、と目を細めた『純潔<バンクロール』鼎 ヒロム(BNE004824)は、未だ睨み合う二つの集団を遠くに見止めて安堵の息を吐く。 「あっちが山根さん、ですねぇ。ということは手前の大きいのが三尋木の土佐犬さんですか」 手元の宝玉の仄かな明かりも、今は掌で抑えて。植え込みの陰から様子を伺う『息抜きの合間に人生を』文珠四郎 寿々貴(BNE003936)は、その声色に僅かな緊張を隠せないでいた。普段は緩く気ままな彼女も、同数以上のフィクサードを相手に街一つを賭けた大立ち回りとなれば少しは気を張るものらしい。 「ところで、たっすいってどういう意味かね」 「……ひ弱とかそういう意味じゃなかったかな」 いや、やっぱりマイペースなすずきさんに、やや呆れながらも『尽きせぬ祈り』アリステア・ショーゼット(BNE000313)が応える。 ある意味で一番神経を張り詰めていたのが、この可憐な少女であった。そして、最も潔く胆を固めていたのも。 「交渉、無事成立すればいいけれど」 それは、いざとなれば実力行使も辞さないという覚悟と裏腹の台詞。そして、ここで言う実力行使とは、即ち血を流すということに他ならないのだ。 アメジストの瞳が、この場の鍵を握る優男――山根・信明の姿を見つめていた。 「やっぱり来たか」 一方、その信明は、またややこしくなったと口の中で呟いていた。 とっぷりと日が暮れてから爆音を上げて飛ぶヘリコプターなど、ドクターヘリでもなければ軍用に決まっている。『一応は』七派協定を遵守して共闘している以上、裏野部と黄泉ヶ辻以外の五派はこの場には現われまい。故に、このヘリに乗っていたのはアークの部隊しかありえないのだ。 眼前で猛る『土佐犬』――三尋木には珍しい超武闘派である近藤・譲二は、今にも飛び掛らんとばかりに自慢の巨斧を振り上げる。一対一ならばどうにでもできようが、その配下も結構な精鋭だ。 ちらと視線を流せば、後ろには景気の悪い顔が並んでいた。所詮中堅に手が届くか、くらいのこいつらでは、やりあっても結果は見えている。庇いながら一人で三尋木六人を相手取るのは、どう考えても無理筋に過ぎた。 だから、その時脳裏に響いた少女の声は、もしかしたら彼にとっては福音というべきものだったのかもしれない。彼がどう受け取るかは別にして、だが――。 『聞こえるか? ボクはアークの朱鷺島・雷音。こちらのチームを代表して話しかけている』 『ご丁寧にどうも。俺は裏野部――賊軍の山根だ』 声を聞くだけでは判らなくとも、名乗りを受ければ思い当たることがある。『百の獣』朱鷺島・雷音(BNE000003)と言えば、新興勢力アークの中でも名の通った存在だ。やれやれ、よほど俺は運が悪いらしい、と鼻を鳴らす。 『三尋木には聞かれるわけにはいかない交渉をしたい。……単刀直入に言おう。こちらの望みは全ての爆弾の位置だ。代価は、君と君の部下の保護』 『無条件降伏しろってか。なるほど、よほどアークは自信があるらしい』 それでも、口調とは裏腹に嘲笑の気配が無かったのは、対峙する三尋木の手前か、それとも大真面目にその提案を捉えているからか。 天秤の片方に乗るのは数え切れぬ市民の命、叶うならギャンブルは避けたかった。だから、彼女は固唾を呑んで返答を待つ。 しかし、信明の返答より先に、夜をつんざく怒号が彼女を打ちのめすのだ。 「何じゃ、おんしゃあら!」 譲二のだみ声が、公園を越えて山の隅々にまで響き渡る。次の瞬間、彼の配下が躊躇い無く放った銃弾が、リベリスタ達が身を隠す植え込みを薙ぎ払った。 「なんて猪武者!」 夜闇の中でも月よりなお煌く髪を振り乱し、『ラビリンス・ウォーカー』セレア・アレイン(BNE003170)が植え込みから飛び出した。タイトスカートから伸びた細い脚を見せつけながら駆け抜ける彼女の一歩後を、銃弾が追いかけて地面に痕を穿つ。 「あたしはごく普通のか弱い吸血鬼よ? いきなりなんて乱暴だわ!」 などと意味不明な供述をしながらコンクリートの物置の裏に逃げ込むセレア。上下する肩、ぜいぜいと鳴る喉。けれど、呼吸の乱れを整える間も自らに与えず、彼女は魔力を編み呪を紡ぐ。 いや、必要ないのだ。大魔術すら一息に呪法を組み立てる圧縮詠唱の極致。常人には決して手の届かぬ高みに立つ彼女にとってみれば、並の魔術であればほとんど一音で成立させることすら可能なのだから。 「とりあえず、足から潰すのはセオリーよね」 稲妻がばちばちと広がり、ターゲット――視界に収まった三台の車両を捉えた。一瞬の後、轟、という爆音とともに、紅蓮の火柱が次々と立ち上がる。 「結局、面倒事に巻き込まれないといけないようだね」 爆弾回収だけで済めば楽だったけど、とぼやいてみせながら、ヒロムは扇の如く両手のカードを広げた。 右手には艶さえ感じるほどの黒を、左手には流れる血よりなお深い赤を。電灯と月光のささやかな灯りの下ですら見る者を引き込む二色。それを手にした青年が、ぴん、と親指を弾いた次の瞬間、離れた一台のタイヤがクラッカーのような音を鳴らしてぺしゃりと潰れた。 「できれば穏便にいきたいところだけど」 ヒロムやセレアは、賊軍はもちろんのこと三尋木にも攻撃を控えていた。三尋木にとってアークは想定外のはず。ならば賊軍と食い合わせたい――有体に言えば漁夫の利を得たいという思惑である。 だが、『土佐犬』は彼らにも等しく牙を剥いた。頭上より降りかかる炎の矢は、射手の齎す神代の劫火。土佐犬じゃなくて狂犬か、と『デイアフタートゥモロー』新田・快(BNE000439)は舌を打つ。 「ならば叩き潰すまでだ!」 「アークなんぞこたぁないわい! 姐さんに叱られんよう気張れや!」 賊軍組し易しと見てか、まずはアークへと突っ込んでくる譲二。既に戦士の加護を施した快が突進の進路に立ち塞がり、フィールドを纏わせた左腕で大斧の一撃を受け止める。 「守護神の名に賭けて、ここは通さん!」 「あほんだら、これで終わりと思うんか」 無論『土佐犬』も一隊を率いるだけのことはある。ぐい、と強引に手首を返し、斜め上から叩きつける。さしもの快も踏みとどまることあたわず、衝撃を受け止め損ねて大きく後ろに跳ねた。 「まだまだぁっ!」 だが、彼は多くの血を吸った護り刀に眩い神気を纏わせて、怯むことなくこの巨漢へと突きかかるのだ。 「……っ、ああ、嫌な記憶だな」 それを目にした『花染』霧島 俊介(BNE000082)は、白く色が変わるほどに強く唇を噛んでいた。 裏野部。快のナイフ。仕掛けられた爆弾。――地の底に沈む街。 「また、大勢死ぬのかよ」 ぷつり、皮が破れて血が流れ、唇から顎までを汚す。食い込んだ犬歯は肉を抉り、消えぬ痕を残すだろうが、俊介は意に介さない。 「また、大勢殺すのかよ!」 鈍く街灯の灯を映す一振りを手に、彼は叫んだ。膨れ上がる魔力は、かつて血に塗れた刀を通って収斂し、凝縮され、そして拡散する。全身から放たれた眩い輝き、苛烈なる捌きの光となって。 「ふざけんな! ああ、やってやる、やってやるよ!」 相手は三尋木。俊介にとっては戦いたくない相手。しかも、本来倒すべき賊は守り抜けときている。釈然としない気持ちが無いと言えば嘘になるが、それでも彼はやってやると繰り返すのだ。 「うん、大丈夫。やれる」 自分に言い聞かせながら、アリステアは柔らかな翼を羽ばたかせた。たちまちの内に生まれる魔力の渦。もう一度翼を打ち付ければ、その渦は四方に解き放たれフィクサード達に襲い掛かる――そう知っていて、彼女はばさりと翼を翻す。 その姿は、以前の彼女、人を傷つけることを嫌った少女がそれでも戦うことを決意したあの時のままだった。違ったのは、もう人を傷つけることにも慣れてしまったということ、ただそれだけだ。 硝子細工のように繊細な心優しい少女は、いまや血を流すことを強い、また強いられる戦士へと成り果てた。ただそれだけのことだった。 それでも。 (躊躇っている間に事態を悪くするのは、もっと嫌だから) 人を傷つける事は今でも嫌いだ。けれど、彼女は護るということを知った。これまでより、もっと強く護りたいという想いを抱いて戦場に在った。 「――少しの間、心を殺すよ」 その透明な覚悟を、誰が汚れたと嗤うだろう。 (ふむん。未だ交渉中ですか) 小柄な身体を宙に弾ませて。軽やかに自らの立ち位置を決める『桃源郷』シィン・アーパーウィル(BNE004479)は、戦場を油断無く見回していた。三竦みの戦場は、交渉の経過によってその位相を変える多次元世界のようなものである。どっちもグズらないで欲しいですねぇ、と呟いたのは、まさしく本音というところだろう。敵にも、味方にも。 「とりあえずは後押しするとしましょうか」 つい、と指を掲げれば、緑とピンク、二つの光が後を追うように宙を舞う。それはフィアキィ、異世界ラ・ル・カーナの出身であるフュリエ達の友である。力を貸しなさい、と心中でだけ告げて、彼女はその指を振り下ろした。 「なに、意図を行動で示せばいいのです」 それはこの公園に満ち満ちた魔力に方向性を与える儀式。虚空に次々と現われた火炎弾が、フィクサード達の頭上から等しく降り注ぐ。 いや、それは彼女の仕掛けた一流のフェイクだ。確かに三尋木の一団には、彼女は容赦なく火弾を降らせていた。だが、賊軍に対してはそうではない。足下を抉るように打ち込まれた火炎は、紛う事なき回答の督促である。 「もっとも、あちらにはばれていないでしょうが――いや」 彼らが悟ったとしても構わない。それはそれで、シィン達の意図をはっきりとさせるだけに過ぎないのだから。 (すずきさんは早いところ爆弾をどうにかしたいのですよ) 一方の寿々貴は、ざっくりと攻防の指揮により自身の経験を共有した後は、賊軍にも三尋木にも然程の興味を示さず脳内で計算にふけっていた。その旨とするところは、市街に仕掛けられた爆弾の位置シミュレーションである。 未だ交渉の結果は出ずとも、計算の要素は無数に転がっているのだ。例えば車の台数。例えば頭に叩き込んだ安芸市の地図。交渉で引き出せるであろう結果が出鱈目ではないか、用心に用心を重ねても無駄では無い。 (皆で好き放題喋ってもしょうがないしね) 実のところ、交渉に参加しているのは雷音以外には『ガントレット』設楽 悠里(BNE001610)だけである。向いてないと投げた者も居れば、寿々貴のように窓口を絞る為辞退した者も、シィンのように間接的に後押しする者も居た。 「リベリスタ、新城拓真。随分と元気が有り余っている様だな、三尋木よ」 そして、『誠の双剣』新城・拓真(BNE000644)は自らの能力を熟知するが故に、交渉には加わらなかった。彼の力は常に最前線で、敵と斬り結んで輝くもの。――口舌で何かを為せるほど、器用ではないと知っていた。 「暫し、付き合って貰うとしようか」 輝けぬ栄光、誰が為の正義。二振りの刃は黒き剣士と共に在りて敵を斬る。出し惜しみの無い全力。拓真のしなやかな肉体は決して不恰好には膨れたりはしなかったけれど、それでも極限まで引き絞られた弓のように、彼の肉体は悲鳴を上げていた。 「ただし、力の限りで、だがな」 ぶん、と右腕の黄金剣を振るう。職の目星が付かぬまま、手近な敵に振るわれた得物は唸りを上げてその肉に喰らいついた。お返し、とばかりに突き入れられた暗器はぐさりと彼の肉を刺す。 「それがどうした!」 胸板を貫くことも無く途中で止まった刃。決して浅い傷ではなかったが、拓真が怯む事は無い。 どうしても、序盤で三尋木を圧倒しておく必要が彼らにはあった。それは、交渉の後押し、賊軍へのプレッシャー。もちろん、出来れば損害過多で撤退してもらえないものかという淡い期待もあるのだが。 『一二三が怖いか。だが、残り六派の首領も動いている』 雷音の合図を受け、悠里が続ける。結局のところ、この山根・信明という男は功利主義である、と見切っていた。彼を繋ぎとめているのは忠誠心ではなく一二三への恐怖。であれば、その不安を取り除いてやる必要があろう。 『ここで一二三がアークを退けたとしても、もう賊軍に未来はない。それは判っているだろう?』 臨戦態勢を保ちながらも、悠里は仁王立ちで信明を睨みつけた。拒否するならば代償は命で払ってもらう――そんな殺気すら感じさせるほどの気迫である。 三尋木がアークと賊軍の両方に分散している為に手が足りている、という事情もあったが、彼にとっても、攻撃の手を止めてでも交渉を成功させなければならない理由があった。 「もう二度と、あんな悲劇を起こさせてたまるもんか……!」 つまるところ、俊介と同じく悠里もまた、砂蛇によって街が沈んでいくさまを目の当たりにしていたのである。信明個人への思いは別にして、裏野部の爆弾となれば心がざわつくのは当然だろう。 『ボク達は裏野部一二三を殺す。そんなことが出来るわけないと笑うか? だが出来得るのはボク達アークだけだ』 後を継いで迫る雷音。だが、力強く言い切ったその時、しばらく黙っていた信明が含み笑いのイメージを送って寄越した。 『なるほど、な。判った。爆弾の位置は教えるよ。俺達が安全な場所に逃げ切ってから、だったらな』 ● 「……なんだ? 揉めているのか?」 ヒロムは眉を顰めながら、ちらり後方を振り返る。戦闘開始と同時に交渉に入って、もう随分時間が経っていた。 しかし吉報は届かず、雷音はじっと立ちすくむばかり。情報の共有まで手が回らないから仕方ないとは言え、交渉の経過を知ることが出来ない彼らには不安が漂っていた。 「あんまりこっちからは仕掛けたくないんだけどな。上手く纏めてくれよ」 それでも、ヒロムはギャンブラーである。特有の嗅覚が、今は虚勢を張るべきときだ、と告げていた。キャップのつばを引き、ぐい、と押し込む。 「それじゃ、運命ってヤツを引き寄せるとしようか」 漆黒のカードを一枚、頭上へと投じる。風を切って鋭く夜闇を裂いたその一枚は、しかし虚空の一点でぴたりと止まった。ぱちん、と指を鳴らせば、魔力をたっぷりと乗せたカードを核に紅い月が現出し、呪の光を三尋木フィクサードの頭上に注ぐ。 「すずきさん、むしろこういう人の方が、こわい」 一方、寿々貴が抱く不安はもう少し質が違った。彼女は現代の魔術知識でもって『蜂比礼』を解析するという稀有な経験をしている。その記憶が、びんびんと彼女の警戒センサーを刺激するのだ。 「『蜂比礼』の深淵を覗いて、まだ理性を完全に残しているなんて」 一言で説明するならば、アレは狂気と呪詛と悲嘆と怨嗟をただひたすらに塗りこめた術式だ。あんなものを身に埋め込めば、正気でいられるわけが無い。それでも耐えられるのは、元から狂っている異常者か、でなければ――。 「裏野部一二三と同じくらい、強靭な精神を持っているひと」 有無を言わさず叩き潰しておくべきじゃないか、という疑念すら胸に。それでも交渉は続いていたから、寿々貴もまた歩調を合わせ、高位の存在に祈りを捧げるのだ。 短い詠唱。応えて齎された癒しの息吹が戦場を吹き抜け、リベリスタ達の傷を祓う。普段の緩さはすっかりと影を潜めていた。 『何か勘違いしていないか。ボク達は、街の安全と引き換えに助ける、と言っているのだ。業腹だが逃走は許そう。だが、それは爆弾を全て確認してからだ』 『その条件自体が無意味だよ、お嬢さん。確かに俺達の望みは身の安全だ。だからこそ、アークに首根っこを押さえられるわけにはいかない。それは最悪の選択だ』 遠くで立ち竦む少女が、訳が判らない、という表情をするのを見て、思ったよりも善人だったか、と信明は一人ごちた。それから、肩から提げた突撃銃を腰溜めに斉射して三尋木に押され気味の部下を援護しつつ、彼は決裂の未来が見えた交渉へと舞い戻る。 『お前らアークは一二三の御大を倒すという。出来るか出来ないかはこの際問題じゃない。大事な事は、俺の身体にはこの刺青が刻まれていて、ごりごりと御大に力を送ってるってこった』 知ってるんだろ? と軽く問う『声』に、雷音は目を大きく見開いた。彼女はいまや、信明が何を言おうとしているのかを理解していた。そして、自分がそれに対する明確な回答を持っていないということも。 『御大がいい感じに戦ったとしよう。焦ったお前らが、いやお前らでなくともアークの連中が、俺をぶっ殺して少しでも弱体化させようと考えない、なんて保証があるのか?』 『ボクがそんなことはさせない。絶対に守る』 そう言い切った雷音は、だが自分の矛盾に気がついている。彼女は、多くの罪無き一般人の為に彼と取引しようとしたのだから。そして、一二三を倒すことが出来なかったならば、犠牲となる命の数はこんなものではない。 本当かよ、と男は苦笑交じりに問い返す。僅かな沈黙。 『……君達を殺して、衣服からサイレントメモリーで情報を得ることも可能だ。ボク達は本気だぞ』 だから、彼女は質問には答えず、効くとも思えない脅しを返すしかなかった。だいたい、断片しか見えないサイレントメモリーのビジョンだけでこの広い市域を調べる事自体が無理筋というものだろう。 「残念だな、交渉決裂だ」 あえて信明が口に出したのは、三尋木に聞かせる意味もあったろう。彼にとって三竦みの状況は決して悪いものではない。三尋木だけに追われるよりも、よほど逃げおおせる確率は上がるのだ。 そんな彼が警戒すべきなのは、アークと三尋木の共闘である。賊軍討伐の目的の下に両者が手を結ぶ事は十分に考えられたから、口八丁で打てる楔は有効なのだ。 もっとも、もし彼が上手に立ち回る事ができるならば、一旦はアークに媚びていたに違いない。三尋木と噛み合わせて逃げる隙を得ることも、また不意打ちをしてアークに打撃を与えることも可能なポジションをあえて捨てたのは、やはり彼の立ち回りが下手ということなのだろう。 「何をどう足掻いても未来はないのに、私達と戦って更に苦痛を増やしたいの? マゾなの?」 呆れたように肩を竦めるセレアが、何事かを呟いた。次いで彼女らを襲ったのは、何かと切り離されたような、包まれたような感覚。アークの面々であればそれが圧縮詠唱により高速展開された『陣地』であることを知っているが、もちろんフィクサード達は何が起こったか理解していないであろう。先ほどから逃走の素振りを見せている賊軍には嫌な妨害に違いない。 「逃がさないわよ。叩きのめして嫌でも教えてもらうから」 メンバー中最年長の彼女は、交渉決裂が告げられた瞬間に『手を汚す』覚悟を終えていた。フィクサード達を全て撃退しないといけないというハードルの高さは別にしても、彼らに『吐かせ』なければ意味が無いのだから。 (……まぁ、面倒なことには違いないわね) 手にした緑表紙の魔道書を指でなぞる。意図的に攻撃を外されていた賊軍は判らないが、少なくとも三尋木の連中は、猪に率いられているとは思えない精鋭だ。拷問だ尋問だという前に、まず勝たなければならないのだった。 「爆弾の場所を教えないなら、君も、君の部下も、殺す」 悠里が前に出る。最早三尋木も賊軍も関係ないとばかりに猛る彼は、両手の篭手に凍てつく氷を纏わせていた。右手には勇気を、左手には信頼を。心に滾る熱情を刻んだ白銀も、今は冷たく光るだけである。 「『蜂比礼』持ちを殺して、良しとする」 ぞくり、と聞く者の背筋を震えさせる強烈な殺意がそこに在った。決して冷徹になれぬ彼は、だが幾つもの戦場を駆け抜けた歴戦の戦士である。故に、戦うべき時を知っていた。情を殺すべき時を、知っていた。 それでも、陣地を形成するセレアが健在であれば、まず狙うべきは三尋木である。強く地を蹴って距離を詰め、拳を振るう。盛大に殴り飛ばされたフィクサードをたちまちの内に氷が覆い、その動きを封じた。 「退け! 四国はそこらじゅう戦場だ。余力があるうちに帰れよ!」 リーダーの性質が配下にまで染み渡ったか、遮二無二突きかかって来る譲二の手勢へと俊介が叫ぶ。 戦いたくなかった。こんな馬鹿な事で、殺したり殺されたりしたくなかった。もとより三尋木は七派の中でも比較的話が通じる部類の連中である。一般人を虐殺しようとする賊軍を守って彼らと戦うことには釈然としない気持ちもあった。 「話を聞けよ『土佐犬』! こんなところで死んだら、凜子ちゃんの役に立てないぞ?」 「わやにすなや坊主! わしに勝とうとか百年早いわ!」 土佐犬の性質は旺盛な闘争本能と曲がらぬ忠誠心。命じられた任を果たすべく暴れる男には、俊介の呼びかけなど挑発にしかならない。 このわからずやが、と吐き捨てて聖別の光を叩きつける。乱舞する破邪の閃光、だがホワイトアウトする視界が色を取り戻したとき、譲二はなんでもないような顔で獰猛に笑って見せたのだ。 三竦みは硬直状態であった。三尋木はアークと賊軍の両方に攻撃を分散させ、アークは説得や牽制で三尋木に集中できる状態ではなく、そして賊軍は離脱の機会を狙い積極的には仕掛けない。戦闘が始まってしばらく、未だ三軍全てに一人の脱落者も出ていないのは、単に回復の厚さが原因ではないだろう。 「こうなったら、急がないと……」 交渉が失敗したのだろうということは察せられたから、アリステアもまた薄い胸に緊張の痛みを覚えていた。あとどれくらいで市街に仕掛けられた爆弾が人々を殺すのか、神ならぬ彼女らには判らない。どうにかして場所を吐かせるにせよ、ローラー作戦で街を探すにせよ、今この場での一分一秒は金の粒にも等しいのである。 「普通の人は神秘なんて知らずに生きていくものなの。神秘の爆弾なんて冗談じゃないよ」 譲二を抑える快も、縦横に斬りこむ拓真も、戦場を俯瞰し死角から横っ面を殴りつけるヒロムも。誰も彼もが傷ついていた。だからアリステアは祈る。ただひたすらに祈る。仲間を助けたい、人々を助けたいというその優しい祈りが、エゴイスティックなものだと知っていてなお。 「絶対に止めなきゃ……!」 詠唱に応え、彼女を中心に涼風が吹き抜ける。邪気すら祓うそれは、上位存在の恩寵。斬り結ぶ傷も火矢の火傷も全てを癒しながら、彼女は真っ直ぐな視線を崩さない。 「あぁ度し難い、本当に度し難い」 くるり宙返りの仕草を見せて、かたくなに地に足をつけぬシィンが桃色の髪を靡かせる。可愛らしくあどけない少女から発せられたのは、辛辣なほどの台詞であった。 「どのような精神性を持てばこのような事ができるのか、理解してみたいくらいですねぇ」 世界樹の異変で『怒り』を知り、更に一度過去の一切を捨て去った彼女ではあるが、無論これは皮肉である。理解したいのではない。理解できないのだ。信明を含めた賊軍が、明らかに互いを庇いあうような動きをしているというならば、なおさら。 「いずれにせよ、自分に容赦をする理由はありません」 スプラウトとブロッサム、二匹の妖精を従えたシィンはそっと手の内の魔道書を開く。じゃら、と鎖の擦れる音がした。白紙も落書きも多い未知数の魔本は、未だ完成を知らぬ磁界器。そこに秘術など望むべくも無いが、唯一つ、膨大な魔力を蓄えていることに疑いは無い。 「――街が焼かれる前に、自分が貴方達を焼きます」 またも炎の弾が雨霰と降り注ぐ。先程と違うのは、彼女がもはや賊軍に対して躊躇する理由を失っているということだった。 「そこだっ!」 拓真の左手にはガンブレードの銃口。粗い照準でつるべ撃ちに吐き出した銃弾は、メンを制圧するように、等しく全てのフィクサードを飲み込んだ。破裂音の連続。少なくない傷が彼らの身に刻まれ――そして、三尋木の一人がついによろけ、倒れ伏す。 「『土佐犬』よ、退くというのなら俺達も追撃はせんがどうする。どうせなら、判り易い状況でいずれ再戦と行きたいのだがな」 多分にブラフではあった。だが、均衡を崩し遂にフィクサードの一人を討ったということは大きな意味を持つ。特に、その相手がこの場では最少人数の三尋木であればなおさらだ。 それを理解していた拓真が殊更ゆっくりと、落ち着いた声色で告げてみせれば、譲二はともかく配下には流石に動揺が走る。鳴り響く『双剣』の名と、全身から漂う気迫。それすらも武器として熟知する彼の振る舞いは、流石に熟練の戦士というところか。 「賊軍もだ! 爆弾を設置した場所を話した者は見逃すし、全員が話すなら山根も含めて見逃してもいいが」 次いで快が畳み掛ける。膠着を突き崩し、アークの優位を見せ付けたこのシーンを有効に使わない手は無いのだ。 無論、指揮官への交渉が失敗している以上、結束の強い信明配下が寝返るとは到底思えない。だが、彼にはもう一つの狙いがあった。 「駅、繁華街、それとも避難場所になりそうな公共施設ってところか? お前達が言わなくても、こちらは別働隊が虱潰しにしているぞ」 同時に、快は『目を凝らした』。思考すら読み取る、彼が言う『心眼』が賊軍フィクサードをねめつける。もっとも、それは思考を読み取るのであって、記憶まで盗み取ることが出来るわけではない。だからこそ、彼はかまをかけたのだ。 ち、と信明が舌を打つ。流石に上手い。おそらく断片だけならば、何人かは設置場所の情報を持って行かれてしまっただろう。彼自身はあえて大雑把にしか指示をせず、部下に任せることであえて正確な場所を知らない状態にしていたが、部下までそんな警戒が出来たとも思えない。 「どこかのビルの地下……か。それから?」 焦らせるように、芝居がかって読み上げる快。だが、彼のスピーチはあらゆる音を掻き消すだみ声によって中断を余儀なくされた。 いや、正確に言えば、それを止めたのは譲二のだみ声そのものではなく。 「じゃかしい! わしらはがいにでも山根をとっ捕まえて、かいて帰らにゃならんのじゃ。連れて帰れんかったら、姐さんがたいちゃあ怒っちまう」 「……連れて帰る、だと……?」 その声が意図する内容への信明の反応が、潮目を変えたのだった。 ● 「三尋木の。一つ聞きたい、あんたらの目的は俺達の命じゃないのか?」 「わしらの狙いは裏野部の金蔵、つまりおんしじゃあ。姐さんもそうじゃが、河原町の爺さんが是が非でも連れ帰れと煩かったわ」 河原町央路。アークにも名を知られた最古参の重鎮にして、全てを金に換えることを考える三尋木の金庫番である。なるほど、確かに央路ならば、裏野部の資金の流れを管理し、また自身も金儲けに才覚を持つ信明の身柄を最優先に考えるに違いない。 「力づくでふんじばって帰れば、あとは他の連中らがようしちゃるちや。その刺青を剥ぐんか、ほかんやり方で言うこと聞かすんかは知らんちゅう」 「待ってくれ。そういうことなら話は別だ。俺達はあんたとやりあう理由が無い」 まずい。 眼前で繰り広げられている会話。その正確に意味するところを最初に把握できたのは、やはり交渉に当たっていた雷音だった。 賊軍と三尋木、双方が勘違いをしていたのだ。信明は、『土佐犬』率いる実戦部隊が来た以上、狙いは他の七派と同じく賊軍の殲滅であり、交渉の余地など無いのだと。 そして譲二と三尋木幹部連は、賊軍の構成員は皆、旧裏野部のいかれた連中か、一二三に忠誠を誓っているか、例の刺青――『蜂比礼』によって支配されているかのいずれかであり、信明を手に入れるには力ずくで叩き潰す以外に方法が無いのだと。 だが、そうでないならば。正面衝突以外の新たな道が生まれる。生まれてしまう。そして、少なくともアークは、『蜂比礼』は首輪ではないことを既に知っている――。 「來來朱雀!」 ありったけの符を四方に展開する。描かれるのは積層型の立体符陣。それは符を式神に変える初歩の術とは比べ物にならぬ、大規模で強力な儀式。幾重にも張られた結界は、『それ』を召喚するだけでなく、発せられる熱から術者を守るためのもの――。 「これ以上の負の感情をこの四国に齎すわけには行かないのだ!」 爪が食い込むほどに拳を握り締めた。裏野部一二三という『神もどき』、それをヒトが倒そうというのならば、ヒトを超える覚悟が必要だ。なるほど、信明の苦笑は、正確に雷音の『覚悟』を射抜いたのだろう。 「さっさと潰すさ。手段を選ぶことを躊躇うなんて、今更許される訳がない!」 次いで動いたのは快だ。この場で交渉の成立を防ぐ方法は、もはや唯一つしかない。すなわち、その権限を持つ指揮官を消すことだ。 「救えずに犠牲を強いた命に報いる為に、より多くを救うために――!」 「かなぐってうどむな! 話をしちょるのがわからんき!」 何百何千と振るい続けたナイフは、既に快の腕の一部のようにしっくりと馴染んでいる。千変万化の戦場で極限に挑むとき、頼りになるのは伝説の武器でも必殺の大技でもなく、使い慣れた得物と身体に染み付いた動作だ。それを十二分に理解している彼は、だからこんな時にも奇を衒わない。 「誰に何と言われようと、手段は選ばない!」 あらゆる悪の敵、正義の擁護者。手段は選ばぬと胆を固めてさえそう誇り高く名乗るに相応しいオーラを纏い、刃は土佐犬へと振るわれる。肉を裂く感触。だが、三尋木の戦士は止まらない。止まれない。 「馬鹿野郎! 頼むから殺させるなよ!」 俊介のいっそ悲壮なまでの叫び。癒しを齎すことの無い癒し手は、苛烈なる神光をもって『敵』を撃つ。 神意とは何も慈悲と恩寵だけを示すのではない。まつろわぬ異教の徒に逃れ得ぬ鉄槌を下すのも、また神というものなのである。そして、俊介の手をひとたび離れた裁きの光芒は、もはや彼の優しすぎる精神を何ら考慮することなく三尋木と賊軍とを薙ぎ払う。 「なあ、もう殺したくない。死なせたくないんだよ。お前らみんな、悪いやつらには見えないんだよ……!」 ふざけんな、と口の中だけで吐き捨てる。手にかけたくないという思い。これ以上の人死には見たくないという思い。 頼む。止まってくれ。 ――けれど。 「あほんだら。『土佐犬』がそんなもんでおじるかい。わやにすなや!」 白く染まった視界が再び色付いた時、譲二は依然として大斧を手に彼らを討たんと迫っていた。もちろん、集中砲火を受けたダメージは軽くは無い。それでも、ただ前へ前へと進むのがこの男なのだ。 「おらあっ!」 得物を振り下ろす。受けて立った快が、しかしその勢いを受け止めきれずに後方へと弾き飛ばされた。なんて膂力だ、と舌を巻く。そして、いまだ健在なるホーリーメイガスの支援を受ける譲二の部下もまた、指揮官を見習ってか一向に退こうとはしないのだ。 「うーん、これは瞬発力のほうが大事そうだねぇ」 アリステアを援けて癒しの力を周囲に振りまき、また周囲の状況を的確に判断し『戦い方』を更新していく寿々貴。新人と大差ない程度の攻撃能力しか持たない彼女は、それ故に支援と分析とにおいては他を凌駕していた。 未だ必要とはされていなかったが、もし、もう少し戦いが長引くならば、彼女が分け与えるであろう温かな気力はきっと仲間達の助けとなるだろう。 「とりあえず、まだ倒れないで頑張って」 寿々貴の周囲に浮かぶ三枚の仮面が、ゆっくりと回転しながらその位置を変える。サーキット状に円を描くデスマスクの動きが、場に満ちた濃密な魔力を凝縮しているのだ。ねとり、とした空気が場を満たす。 韜晦の仮面はとうに脱ぎ捨てた。す、と伸ばした腕、その掌を握り締めれば、圧縮された魔力が一気に弾け、戦場に強い風を巻き起こす。それは、仮初繋がった上位チャンネルより齎された生命のエネルギー。 「こちらは皆で抑えておきますよ。それより――」 「――ああ」 短く応え、悠里が疾る。多くの戦いを経てひとかどの戦士として認められているとは言え、未だ生来の弱気な気質が消え去ったというわけではない。 それでも誓ったのだ。この手が届く範囲を救おう。そして、その手の長さを広げていこう、と。だから、彼は手を伸ばす。臆病な気質を隠したままに。 「山根を、殺す」 部下を締め上げればまだ爆弾の位置を知るチャンスもあるだろう、というのは希望的観測に過ぎるだろうか。だが、此処に来て彼は、信明を説得できるとは思っていなかった。ならば、最悪の事態の中でも、少しでも戦果を得なければ。 「一二三を倒すための階段とさせてもらう――!」 ばちり、と火花が飛んだ。次の瞬間、悠里の姿が掻き消えたかと思うと、信明の正面に現われる。地面が縮んだかと思うほどの高速移動は、気の力をコントロールに用いた無欠の走法。虚を突かれた信明へと、彼は拳を突き入れて。 雷の嵐が吹き荒れた。 超速度で放たれる雷陣の舞。気を纏いし拳の連打が信明に叩き込まれた。取ったか? 一瞬の期待。だが、フィクサードはぐ、と悠里の拳を受け止める。 「舐めるなよ、坊主」 次の瞬間。 悠里の膝がすとん、と落ちる。彼の唖然とした表情は、まさかの逆襲を喰らってしまったからか。信明の掌が掴んでいた悠里の手首は凍りついたかというほどに冷えていた。 そして、彼は奪われてしまったことを悟る。傷ついた身体を立ち上がらせる体力を。決して挫けることの無い精神力を。『蜂比礼』によって強化された魔力が、本来の彼の実力以上に強奪の成果を上げる。 「三尋木の!」 そして、悠里に構わず信明は叫ぶのだ。俺達は三尋木に合流する、だから攻撃は控えてくれ、と。 戦力を二分していた三尋木と、守りに徹して脱出の機を伺っていた賊軍。だが二つの集団は、いまや同じ敵を相手取る一つの戦力となってアークを襲う。 アリステアや寿々貴の強力な支援あってか、幸いにして未だ倒れた者は出ていない。だが、それも限界だろう。三尋木は二人を失っていたが、『蜂比礼』を刻まれた信明の参戦はその穴を生めて余りあるし、配下の援護も無視は出来ない。 「これは……死なないように頑張らないといけないね」 ヒロムの背中を冷たいものが流れた。 考えてみれば確かに、信明にとって三尋木との和睦は何らデメリットを生じさせないのだ。三尋木ならば、確かに彼を歓迎するだろう。また、三尋木が安芸市の防衛には興味を示していない以上、一二三がアークを打ち破ったとしても、役に立ったという顔をしてご機嫌伺いすればいいだけだ。 けれど、どんな時でもふてぶてしく、そしてクールに立ち向かうのがヒロムの流儀だ。それが、最後まで諦めない強さへと繋がっていくのだ。 「汗臭いのは勘弁してほしいけど。そうも言ってられないか」 カードを広げ、すう、と一息。両手から繰り出した黒赤二枚の札は、僅かな幻影を纏いし手裏剣となって、信明の腕を、手をざっくりと斬り裂く。 (……判ってるよ。味方を癒すって事は、味方を使って敵を殺す事、なんだって) その姿を背後から視界に収めたアリステアは、しかし彼ほどには思い切れていない。手を汚さずに血を流す綺麗事。それが、自分自身を苛んでいるのだから。 「でも、ね」 人を傷つけるのは嫌い。それよりも死に慣れてしまった自分が嫌い。そんな矛盾を抱きながらも、彼女は懸命に助ける為の祈りを捧げるのだ。 罪深い自分は救われなくてもいい。でもどうか、仲間達には恩寵を――そんなことすら考えながら。 「綺麗事だって判ってる。でも、私は戦うよ。絶対に止めてみせるんだから」 その可憐さからは想像もできないほどの強い決意。アリステアもまた、歴戦のリベリスタなのだ。人々を少しでも多く助けるため。少しでも早く助けるため。彼女は懸命に祈りの文句を唱え続ける。 ――そして、気紛れな神は祈りに応えてみせるのだ。人によっては、これを奇跡だと誉めそやすだろう圧倒的な癒しの渦。それこそが、少女が自らの力で引き寄せた大魔術なのである。 「……やるじゃない」 に、とセレアは笑みを浮かべた。既に敗色濃厚な戦場である。清純派の若い子には酷なことになるかとも思ったが、意外に覚悟が決まっていて驚かされる。 「でも、尻尾を巻いて逃げ出す前にもうひと噛み位はしておきたいわね。これじゃあんまりってものよ」 意趣返しとまでは行かないが、撤退するにせよ牽制の一撃は入れておきたい。ごく普通のたおやかでか弱い吸血鬼が、むくつけきおじさま達に一矢を報いるというのは痛快だろう。 灰の瞳を覆っていたゴーグルを跳ね上げる。もはや暗視だ何だという状況でもないから、少しでも集中を妨げたくはなかった。ぷつり、と親指の先を噛み切って、血の雫をたらりと垂らす。 「乙女の意地、受けてごらんなさい」 語感の可愛らしさとは裏腹に。彼女の血を媒体に呪詛の黒鎖が溢れ出し、フィクサード達を呑み込んで消耗を強いる。然程難度の高くない類の術ではあるが、こともなげに無詠唱で発動させる辺り、セレアの実力を窺い知ることができよう。 二人の指揮官クラスを相手取り、それでもリベリスタは十分に健闘したと評してよいだろう。せめて信明だけでも、『蜂比礼』だけでも。彼らの猛攻は、しかし皮肉にも信明を必要とした三尋木によって防がれる。 敵の攻勢を前にじりじりとアーク側が後退していく中、結果的に突出する形になった俊介が最初に倒れた。そして、ブロックの手が空いていたことから彼の救援を試みた雷音もまた、信明の狙撃を受け、意識を手放すことになる。 「殿は引き受けよう。退がるぞ」 短く告げて、拓真は敵の前に単身仁王立ちしてみせる。いや、その隣には当然のように快が並んでいた。 二十秒でいい。追撃を受けず、仲間が退却するための時間を稼ぐ必要があった。無論、ここで玉砕するつもりは無い。信明と譲二、二人の目的から考えて、リベリスタが退くならば深追いしないだろうという目算はあった。問題は一つ、猛り狂う『土佐犬』をどうにかしなければならないというだけである。 「そちらは頼んだぞ、闘牛士殿」 「……まったく」 もちろん最大の面倒事はアークの守護神に押し付けて、拓真は得物を握り直す。柄を掴む右手に汗が滲んでいることに、ふと気づいた。存外に緊張していたか――そう心中で呟いて、彼は意識を正面に集中させる。 だが、その時。 「甘い事は言わないで頂きましょう」 覚悟を固め困難な任務に挑もうとする二人の背後で、強烈な魔力が膨れ上がった。それは、未だ扱い慣れぬ感情を持て余すように乗せた、やや高めの声。ああ、彼らはその声の主を知っている。 「街を、人々を焼かれる前に、自分が貴方達を焼きます。そう、言いました」 魔道書を媒介として、シィンは身体に流れるマナを破壊の魔力へと換えていく。左目に煌々と輝く紅は、まるで彼女の『怒り』を体現するかのように闇の中でも鮮やかで。 「慈悲は要らないでしょう? 貴方達も、自分が持っていないものを相手に要求しませんよね?」 それは苛烈なる糾弾。仲間を思いながら人々を殺そうとする、その精神性を理解できないと切り捨てた彼女は、それ故に信明の罪を暴き立てる。 「自分は鏡です、貴方達の態度がそのまま返ると思いなさい」 「――例え話をしよう」 だが、彼以外の全員にとって意外なことに、信明はその問答に応じてみせる。 彼がその『怒り』に応えようとしたのは、順当に考えれば気紛れに過ぎないのだろう。だが、彼もまた『怒り』を覚えていたのではないだろうか。彼が、『最も裏野部らしくない男』であるが故に。 「経緯はどうでもいい。もし、自分と自分の仲間が死を選ばなければ、無関係の一般人が山ほど死ぬとしたら――お前は躊躇なく仲間を殺せるか」 「――!」 自己犠牲の精神に溢れた聖者なら、アークの中にさえ思い当たる顔はいくつでもある。だが、仲間をも巻き込んで、となればどうだろう。 そんな前提は意味がない、と悠里が叫ぶ。だがいつだって思い知らされてきたのだ。決断はいつも、不条理な絶望の中で選び取られてきたのだと。 シィンを見つめる山根・信明の視線は、韜晦を許さぬ厳しさを湛えていた。今も耳の奥では無数の呪詛が悲嘆の声を奏でているに違いない。だが、彼はそれすらも表情には表さないのだ。 「俺は御免だね。こいつらと、何よりも俺自身のために精一杯あがいてやるさ。だがな、お前は死ねるというのなら、結構、正義とやらを掲げて戦えばいい」 アサルトライフルの銃口が、シィンに狙いをつける。 「お前ぇの言う通りだよ。鏡ってやつだな。俺達は生き延びる為に、この街を灼く。お前達はこの街を守るために、俺達を殺す。エゴとエゴのぶつかり合い。それだけのことさ」 「戯言を――!」 膨れ上がった魔力が、爆ぜた。頭上から賊軍に降り注ぐ火炎弾。だが、その中にあって信明は動じず、そっと引鉄を引く。三点バーストの破裂音が、次々と爆発が起こる喧騒の中で奇妙にはっきりと響いた。 「ならば、俺は、俺が正しいと思う事を貫き通す! 今一度名乗ろう、アークのリベリスタ、新城拓真だ!」 あかあかと照らされた公園。 爆風と業炎が渦巻く中、拓真は二刀をもって自らの道を証さんとする――。 ● 予想通り、撤退していくリベリスタ達を三尋木と元賊軍は深追いしなかった。車が残り一台となっていたため市街で足を調達する手間がかかったものの、フィクサード達は無事爆破予定区域からの脱出に成功する。 だが、リベリスタ達は再戦を挑もうとはしなかった。それよりも、住人の避難と爆弾の捜索、そして未だ市内に潜んでいるアザーバイドへの対応が優先であると判断したからである。 四国が封鎖され、しかしこの街が賊軍の直接的な脅威に晒されていなかったことが仇となっていた。追加の支援は満足に受けられず、彼ら自身と応援のリベリスタチーム、そして現地のアークスタッフだけ。夜間であることもあり避難は遅々として進まない。 快が得たビジョンを頼りに寿々貴が分析を加え、仕掛けられたアーティファクト爆弾のひとつを発見出来た事は朗報であった。市街地の西側、大型電気店の駐車場。だが、爆弾がこの一つだけであるはずがない。 誰にとっても砂金のように貴重な時間が過ぎていく。――やがて。 どん、と遠くで爆発音がした。それは、東西の幹線道路が爆破され、交通が寸断されたという知らせである。 そして、それに十倍する、耳をつんざくような轟音――。 劫火に包まれる街。 人々の営みが崩壊していく中、中心部へと駆けつけたリベリスタ達は目にすることになる。 焼け焦げた死体。 首をねじ切られた死体。 踏み潰された死体。 ありとあらゆる死に方をした人々の死体が、無造作に積み上げられた山。 そしてその上で哄笑する、まつろわぬ者――両面宿儺と呼ばれるアザーバイドの一団を。 戦いが、始まる。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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