●福音 「さあ。さあ。参りましょう。かの方の御許へ……」 巨大な鉄扉が、重苦しく響く軋みと共に開かれていく。聖堂から漏れ出た一条の光が、明かりに乏しく薄暗い廊下、石造りの床へ徐々に広がっていく。 「…………っ!」 促されるままに足を踏み入れようとして、私はびくりと身を震わせる。 聖堂の中には、蜀台に灯り揺らめく、数え切れないほどのろうそくの明かりと、ゆったりとした揃いのローブを着込んだ、数十人の信徒たち。それに。 最奥の祭壇に、鎮座する。それ。 話に聞き、いくらか眉唾であろうと疑いつつも、すがるような思いでここへ来た。本当であるならば、真実であるならば、どのような異形や怪異が目の前に現れようと、心乱さぬつもりでいた。だが。これは。 これは。 「……お、おかあさん……?」 「あ……」 振り返った我が子の、恐怖と不安で引きつった顔に、はっと我に返る。 「だ……大丈夫。大丈夫……あ、あの方、が。治して、くれるから」 車椅子のグリップを、ぎゅうと握りこむ。息子を運ぶための、彼が産まれて以来手放したことの無い、冷たい鉄製のそれ。この、忌々しい道具を捨てることができるならば。息子に、自由にどこへでも歩いていける喜び、風を切って走る楽しさ、息子が味わったことのない感覚を、教えてやれるというならば。 この程度の恐怖。何だというのだ。 「さあ。さあ。歩み寄るのです。心配はいりません、何も恐れることはないのです」 教祖様の微笑に導かれ、私は車椅子を押して進む。 祭壇に近づくにつれ、息子の緊張が増していくのが分かる。私がそうなのだから、まだ小さなこの子の受ける威圧感は、どれほどだろうか。 ベルベットの赤い絨毯を踏みしめて進むと、やがて、その全貌が見えてくる。 巨体。3メートルは優にあろうかというその体躯は、特製にあつらえられたのだろう、白いローブのような上等な布で覆われている。胸と思しきあたりには、乳房を思わせる女性的な膨らみがある。 見上げんばかりの威容だけでも、それが、人ではないというのが見て取れる。だが、異形が異形たるもっともな所以は、ローブから突き出している、それら。人には、無いもの。冗談じみた部品たち。 全高とほぼ変わらない長さであろう、その、腕。肌の色こそ人間めいているが、ごつごつと節くれ立ち、指は両の手に四本ずつしかなく、先端にはぎらつく鋭い爪が備わっている。 背には、左右二対、四枚の翼。黒い、カラスのような鳥羽。畳めば、巨体を全て覆い隠すこともできそうなほど。 異形の……『神』、と呼ばれているものが、目の前にいた。 呆気に取られる私たち親子をよそに、教祖様がうやうやしく前へ進み出ると、 「おお……神母よ! どうか、どうかこの者たちに、聖なる御力を、奇跡を、祝福をお与えくださいますことを……」 仰々しくそう言って、頭を垂れる。と。 ぐぐ、と、巨体が動いた。背を曲げ、前傾し、私と息子へと、顔を近づけてくる。『神』の顔は、身を覆うローブと同じ生地であろう厚いヴェールに覆われて、ちらとも覗き見ることができない。周囲にぽつぽつと灯るろうそくの明かりを、ごわごわとした波打つ銀色の長い髪が、鈍く照らし返している。 「こ、怖い、よ……おかあ、さ……!」 「だ、大丈夫! 大丈夫、だから……!!」 車椅子の横に屈みこみ、思わず息子の細く小さな身体を抱きしめる。息子が震えているのか、私が震えているのか、あるいは両方か。私たちは一体になり、がくがくと身を揺するばかり。 「大丈夫……大丈夫……大丈夫……」 異形の『神』の、長い、長い腕が、ゆっくりとこちらへ伸びてくる。鋭い爪が嫌でも目に入り、私の喉はひゅっと呼気を吸い込み、耐え切れず、固く目を閉じる。 ぬるい吐息が、私たちの頬を撫で、前髪を揺らす。 ……やがて、いくらも時が立たないうちに。 「……さあ。さあ。目を開けなさい。神母は、応えてくださいました。そう、祝福は今、あなたがたのその身に与えられたのです……!」 腕の中から、するりと、息子の身が抜け出す感触。 恐る恐る。ゆっくりと、目を開ける。 「……あ……ああ…………」 なんて。なんてこと。ああ。 「お、おかあさん……ぼく、立てた。立てたよ!」 立っていた。息子が。産まれてから一度として、自分の足で地を踏みしめたことの無かった、この子が。 ああ。ああ。 神よ! 私は息子を、強く、強く抱きしめ。それから、目の前に佇む、そのお方を見上げる。 神様。私たちの、神母様。 なんて、なんて神々しいお姿なのだろう。 私の両の瞳からは大粒の雫があふれ出し、視界はすっかりにじんでいたが、その中にあって、神母様は、眩しい光に包まれて見えた。 ●上手い話にゃ裏がある 「……そんでもって、あら不思議。その十分後の映像が、こちらにございます」 『駆ける黒猫』将門伸暁(nBNE000006)の軽い口調とは裏腹に、ぱちりと鳴らした指の音と共にモニターに映り込んだのは、未来予知による、凄惨極まる光景だった。 朱に染まった石造りの床や壁。節操無くあちらこちらに千切れ飛んだ手足。すり潰された臓物らしき赤黒い染み。 神々しい偉容を演出する聖堂の中央にどっしりと鎮座し、渦巻くように聞こえてくるうめきに囲まれ、白に赤のまだらのローブ……だったものらしきぼろ布を纏わりつかせながら、悠々と咀嚼を続ける、異形の巨体。 「結局のところ、このアザーバイドは、親切心だの、ありがたくも福音を授けてくれる奇跡だの、そういうモンとは縁遠い生き物だったってことだな。教祖サマとやらは、今のところ上手く手なづけちゃいるようだが、それもいずれ……BOMB! ってわけだ」 場末で小規模な新興宗教の教祖を名乗る彼とて、寄ってくる信者という名のカモたちから、多少の小遣いを巻き上げられれば……くらいにしか思っていなかったのだろう。が、そんな彼の前に、本物の神秘を起こす異形が現れたものだから、事態は一気に血生臭い方向へと傾いてしまった。 教祖は現れた異形に、餌……大好物であるらしい、人肉……を定期的に与えることで、そいつの起こす奇跡を引き出す術を学んだらしい、と伸暁は背景を説明した。もっともその過程で、どれだけの信徒が言葉巧みに言いくるめられ、生贄よろしく命を捧げられたかは、伸暁とて把握していなかった。 「まぁ、コイツは単に祭り上げられてるだけなのかも知れないが……何にしろ、コイツの起こす奇跡は燃費が悪すぎるし、どの道俺達のやることは変わらない」 改めてリベリスタ達を見回すと、伸暁は言った。 「コイツが、心置きなく食欲を満たそうって知恵をつける前に、仕留めてくれ。ドゥ・ユー・アンダスタン?」 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:墨谷幽 | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2014年02月08日(土)22:13 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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●『神』との対面 「何事です、これは! 『神母』の御前ですぞ、何たる無礼な……!」 地下聖堂へと踏み込んだリベリスタたちを迎えたのは、無粋な乱入者たちへと声を張り上げる、でっぷりと太った中年の男と。 低く、くぐもった、唸りをもらしつつ、こちらへと首を巡らせる、巨体の異形の姿だった。 『鏡操り人形』リンシード・フラックス(BNE002684)は、傍らの『告死の蝶』斬風 糾華(BNE000390)を振り返ると、お互いの視線を絡める。 ひとつ、頷き合うと。リンシードは、ざっとみて三十名ほどの、白いローブを来た一般信者たちの漏らすどよめきに向け、 「……邪魔です。切り裂かれたくなければ、部屋の隅にでも避けていてください」 言い放つと、部屋の奥まで続くベルベットの赤い絨毯の上を、風のようなスピードで駆けだした。幼い少女の口から聞こえた物騒な言葉に、白い人垣が、さあっと二つに割れていく。 『運命狂』宵咲 氷璃(BNE002401)は、視線の先にそびえる巨体……『神』、と呼ばれているそれを見据えながら、背の六枚の翼を柔らかく翻し、驚きざわめく信者たちの頭上へ、ふわりと浮かび上がると、つぶやく。 「……信じる者は救われる、と言うのなら。彼の者は、確かに迷える子羊を救い。子羊達もまた、救われていたのでしょう」 けれど。実際は、ここには、他者を欺き、私腹を肥やす者。そして、奇跡を求め、偶像にすがりつく者がいるだけだ。 氷璃は、広げた黒い日傘を前方へと掲げると、実体化させた黒鎖、絡み合う奔流のようなそれを、私欲に溺れた中年男と、傀儡の偶像へめがけて解き放つ。 「なっ……何をするかあっ!!」 黒い濁流に呑まれ、打ち据えられながら、教祖、神無月天山は、禿げ上がった頭に青筋を浮かべ、いかにも俗っぽく怒りを露にする。 「無っ礼者どもめ、私を誰だと……おお、おお、神母よ! 我らが神母よ! この愚か者どもに! 何卒、何卒! 神罰を! お力を、お示しください! 神母よっ!!」 天山は大仰に両手を振り上げ、神母と呼ぶアザーバイドへ呼びかける……が。当の神母は、黒鎖によって傷を受けながらも、どこか不思議そうに首を傾けるのみだ。 「ぬ、通じんか。ええい、このでくのぼうめ。ならば、『殺せ!』 彼奴ら、神聖なる聖堂を汚す下賎で不埒な輩どもを殺せ、殺すのです、神母よ!」 ぐぐ、と。巨体が揺らいだ。天山の意図を察したか、神母は、滑稽なほどに小さく華奢な足を擦るように、リベリスタたちへゆっくりと近づき出す。 巨大で純粋な殺意が、リベリスタたちの前へと立ちはだかる。 ●偽りの神罰 『力の門番』虎 牙緑(BNE002333)の目の付け所は、他の仲間たちとはちょっと違っていた。 「神母ったって、女の胸みたいなもんがついてるってだけだろ?」 どうやって着せたものか、白い布をローブのように纏っている巨人の胸のあたりには、確かに、どうやら、乳房……と思しき丸みを帯びた膨らみが、あるにはあった。 「あれが胸じゃなくて、卵が入った袋とかだったら、ガッカリだよな。カマキリの卵みたいにはじけて、小さいのがわらわら出てきてさ……」 イヤ、やめよう。グロすぎる想像を頭を振って払い、彼は、全身へと力を込め、集中する。軽口を叩きつつも、破壊をもたらす戦気を体内に練りこんでいた牙緑は、一気にそれを解放する。 傍らでは、『ミックス』ユウ・バスタード(BNE003137)が、長銃を携え、集中力を高め、感覚を鋭敏に研ぎ澄ませていく。 「目に見える奇跡を起こしてみせるというなら、その時点で、既に神では無いのです。人の身が知覚できる程度の存在など、ただの化け物に過ぎません」 そう。神は、人を助けたりはしない。自らを助けるのは、結局、自分自身なのだ。 「……って。昔、私がお世話になってたクソ野郎どもが、言ってましたけど」 構えた銃のスコープの中で、神母が、ゆったりとした動きで、ばさり、と四枚の黒い羽を広げる……と。その瞬間だった。 そこから、おびただしい数の、羽。先端に、鋭利な針のような棘を備えたそれが、銃弾のごとくに、一斉に吐き出された。羽弾は、接敵しつつあったリベリスタたちの前衛陣へのみならず、すがるような目つきで神母を見上げる、信徒たちの身体にまで突き刺さり、貫き通す。 あちらこちらで、悲鳴、絶叫と共に、鮮烈に赤い血飛沫が噴きあがる。 「しっ、しっ、神母よ、それはちょっとばかり、やりすぎではありませんかねー……!?」 一応の体裁か、本心か、慌てるそぶりを見せる天山をよそに、神母は、悠々と翼を一打ちする。 「……っ」 糾華は、肩口に突き刺さった羽弾を、噴き出す鮮血にも構わず引き抜きながら、異形の巨体を、複雑な心持ちで見据える。 聞くところによれば、あれは、生物の身体的な先天的異常や、過去に負った古傷を癒す力を持つのだという。もちろん、そこには多大なる代償が払われなければならないがために、今、自分たちはここにいるのだったが。 「傷を癒やす、奇跡……その力があれば、私の傷も……この、消えない傷も……っ」 はっとして、糾華は思考を止める。それが叶わぬことであることは、彼女とて分かってはいるのだ。 だが。 「……今日の私は、どうかしてるわ。この、狂った力を止める……そう、それだけで良いのよ。それだけで……」 手のひらを翻し、呼び出した不条理なるルーレットは、彼女の背負った悲運をも司るものか。それとも。 「宗教? インドになら行った事があります」 『まだ本気を出す時じゃない』春津見・小梢(BNE000805)は、そう言うと、英霊の加護を宿した堅固な闘衣を生み出し、身に纏う。 「とりあえず、良く分からないアザーバイドには、なんの感慨も無いので。思う存分、殴っちゃいますよ?」 あくまでドライな彼女には、私益を貪る歪な新興宗教になど、傾ける耳を持たないのだ。秘めたるカレーへの想いを胸に、愛用のカレー皿を手に、小梢は躊躇無く前線へと飛び込んでゆく。 ●露呈 「い、いやああああ!」 「し、神母さま、神母さま、怒りをお鎮めください……!!」 阿鼻叫喚が、空間を支配していた。 『祈花の導鴉』宇賀神・遥紀(BNE003750)は、嘆きの声をあげる白いローブの人間たちを、神母から守るような位置に立ち、彼らを叱咤しつつ誘導しながら、 「……奇跡の代償は、かくも高く付くものか。貴方が何故この世界にやって来たかは、分からない。けれど……無辜なる人々を喰らった報いは、重いと知るべきだ」 遥紀は、思う。これまでに、この悪食の聖母にすがってきただろう、力ない多くの人々の願いを。 「……これ以上、好きにはさせない。その目に刻めよ、本当の『カミサマ』の力を」 「そうです……あなたたちの信じるあれは、『神様』なんかじゃない」 混乱を深める一般信徒たちを、『大樹の枝葉』ティオ・アンス(BNE004725)は諭し、誘導する。信徒たちは、神母への信仰はさておくとしても、羽弾によって無残に貫かれた同胞たちの様に、流石に身の危険を悟ったか、遥紀やティオの導きに、押し合いへしあいながらも、入り口の扉へ向かって避難を始めていた。 「これで、人をたぶらかすだけの知能があるか、人を食べないのなら、本当の神になれたかもしれないのにね……皮肉なことだわ」 つぶやきながら、ティオは、手にした杖の先から、練り上げた魔力の塊、四条の魔光を放って、天山へとぶつける。 「ぐあはーっ!」 派手にのたうち、石造りの床へひっくり返る天山。 「きっききき、貴様ら、この不敬者ども……おいっ、貴様ら、信者ども、逃げるな! 神母を守れ、私をまも……ぐばはあっ!」 早くも本性が表れ始めた天山が言い終わらぬうち、空を飛行しながら氷璃の放った黒鎖の二連撃が、彼の肥満体を弾く。 リベリスタたちの、怒涛の攻撃が続く。 「お姉様の、願いのために……っ」 踏み込んだリンシードが、燐光を伴う刺突の連撃を放って神母を貫き。後方で壁際に陣取ったユウの精密射撃が、天山の肩口を二度貫く。 「よっ、と。お前の喉笛、食いちぎってやるよ……っ!」 壁を蹴り、大胆にも神母の背へと乗り込んだ牙緑が大剣を振るい、裂帛の気合を乗せた一撃で、神母に苦悶の呻きをあげさせ。幾重もの残像を実体化させた糾華の、蝶を模った投刃が閃き、神母の脆弱そうな大腿部の肉を鋭く切り裂く。 咆哮が、轟く。高くは無い知能でも、怒りの感情はあるのだろうか。ヴェールをかぶった神母が、波打つ鉛色の神を振り乱し、糾華を目標と定め、前進する。 リンシードが、緊迫した響きで呼びかけたのを受け、糾華はとっさに身をかわす。ごう、と振るわれた爪……細いがごつごつとした筋肉を内包する、長大な腕の先でぎらつく刃が、横一線に薙ぎ払われる。 未だ奇跡にすがろうとする、残った幾人かの一般信徒の身体を紙のように両断しつつ、 「うあっ!」 巨体の前方に陣取って、進攻を阻もうとしていた小梢が吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる。遥紀がすぐさま、顕現する癒しの息吹によりリベリスタたちの治癒を行うが、一撃加えられただけにも関わらず、小梢の負った傷は浅くない。 「つ、う……やってくれるじゃ、ないですか……! ていうか、あのデブ、なんか許せないっ」 タフさが信条の小梢は、それでも立ち上がり、すぐさま駆け戻ると、二枚の皿を振り上げ、膂力を活かして天山へと叩きつける。 「ごはっ、ぶはっ……! う、ぐぐ、貴っ様らあ……!」 幾度と無く打たれ、傷だらけの天山だったが、その瞳が、ぎらり、と、怪しげな光を発し始める。 「ぐぐぐ、ならば、教えて差し上げよう……我が教団の真髄を、私の開眼した未知なる力、神の領域を……! さあ、貴様も、入信するがよいっ!!」 「……く、っ……?」 はっ、と、氷璃が気づいた時には、遅かった。視界がぐらりと歪み、意識が遠くなる。精神干渉を受けている、と思う間もなく、氷璃の傘の先端が、仲間達へと向けられる。 ●末路 ティオの放った炎の奔流が、天山と神母を飲み込み、天山は不可思議な洗脳攻撃を中断させたが、広げた氷璃の傘の先端には、黒鎖が収束し始める。 「氷璃さん……目を、覚まして……っ」 声をかけつつ、リンシードは神母と天山の間に割り込むと、神速の突きを繰り出し、神母の身体に無数の穴を穿つ。 仲間の祈りが届いたのだろうか。氷璃は、その強靭な精神力で、一瞬取り戻した意識を手放すまいと、頭を振る。 (っ、私、今……危なかったわ……) 「おのれえ、そのまま我が手先となっていればいいものを……!」 悔しがる天山の追撃を警戒し、氷璃は神母の巨体で視線を遮る位置へと移動しながら、再び黒鎖の奔流を神母へと叩きつけ、動きを鈍らせる。 「……どうだい? 動けるかい?」 「ええ。カレーの力により、偉大なパワーが光臨した今の私なら、このくらい」 遥紀の治癒を受け、小梢は軽妙に答える。 ふいに、糾華は、天山へと問いかける。 「……ねえ、貴方。傷を消し、傷を癒やす、奇跡。使えるのよね? 私の傷を消すことも、出来る? 私の、消えない傷も……?」 神妙な面持ちの糾華に、天山は、いともあっさりと笑みを浮かべる。 「おお、その気になったかね? そうとも、我が教団に入信すれば、傷の一つや二つ、すぐに神母が治してごはあっ!?」 揚羽蝶を模った投刃がきらびやかに舞い、天山の胸を、着込んだ法衣もろともに深く抉る。天山の口からは、おびただしい量の鮮血があふれ出る。 「ぎ、ぎざま……」 「……なんて、ね。分かっているのよ」 戯れに、尋ねてみただけ。糾華の胸は、既に決まっていたのだ。 満身創痍となった天山の命は、既に、風前の灯だった。 「し……神母、よ! 神母よ、わ、私を、『守れ』……い、いや。そうだ。そうだ……」 追い詰められた天山は、はっとして、何かを思いついたように、顔を歪める。 「……神母の……奇跡を、貴様ら、知らんからだ。だから、このような、無礼を……み、み、見よ! これが、神母の、御力……! これが……」 ゆらゆらと、足取りもおぼつかず。それでも、天山は神母を見上げ、叫んだ。 「これが、私の力、だ! 神母よ、私を『治せ』!!」 リベリスタたちが、息を呑む。神母の持つという、癒しの奇跡。それが、今、ここで発揮されるというのなら。これほどの脅威は無いだろう。 神母が、ゆっくりと、両手を広げて抱きつかんばかりの天山へ、顔を向ける。 ……しかし。 天山には、事ここにいたって、いくつかの誤算があったのだ。 「? し、神母よ? どうした、何を……」 一つは、ここまでの戦いによって、神母がいくらか消耗していたこと。奇跡は万能ではない。元よりこの巨体を維持するには、並ならぬ消耗を強いられるのだ。 奇跡には、代償が必要だった。 長大な腕がゆっくりと伸び、天山の身体を、がっしりと握りこむ。 「な、え、神母よ、おい、ちょっと待て、お前……」 もう一つの誤算は、代償……神母の食料たる人肉、その供給源であるところの、一般信徒たち。彼らが既に、戦闘の余波によって命を落としたり、遥紀やティオの呼びかけ、あるいは牙緑の好意に基づく恫喝によって、残らず姿を消した後だったことだ。 神母は、その動物的に過ぎる知能で、恐らくは、概ね、このように考えたのだろう。 『なおせ』をするためには、『ごはん』が必要だ。でも、いま、まわりには、『ごはん』がいない。どうしよう。 そうだ。『ごはん』なら、ここにあるじゃないか。 「わーっ、ちょっとまて、おいこらっ、『待て』! 『待て』……おいっ、ちょっと、あっ、い、いやあああああああ……!!」 神母は、鷲掴みにした天山に、くわっ、と口を開いてかぶりつくと、あっという間にその上半身を千切り取り、やがて残りの下半身も、すっかり飲み込んでしまった。 ぼりぼり、と、骨が砕け、すり潰されていく不気味な音が、聖堂中に響き渡る。 「これはまた……予想外の結末でしたね。自業自得、ですけど」 「……人は、他の生き物と共生しない。するのは飼育だけ。獣を扱うなら、どちらが飼っているのか、見誤ってはいけないわ」 呆れたようにつぶやくユウに、ティオも、哀れみを滲ませながら言う。 何にせよ。残るは、偽りの神母、それのみだ。 ●奇跡の終わり 「オマエ、ちょっと食いすぎたんじゃないか? 腹が重たそうだぞ?」 壁を蹴って跳躍し、天井から強襲した牙緑の大剣が振り下ろされ、神母の頭部を覆うヴェールを消し飛ばしながら爆裂し、露になった顔へ、大きな傷を刻み込む。意外にもつぶらな二つの瞳が、リベリスタたちへ恨みがましく向けられる。 氷璃の放った呪氷の矢が、神母の脆弱な足を貫く。神母が、悲鳴のような甲高い雄たけびを上げながら、地響きと共に倒れこむ。 「……今よっ」 脚部へのダメージの蓄積と、氷璃の作り出した勝機に、リンシードと糾華がタイミングを合わせ、各々の持つ最大の一撃を叩き込み。 「私には、神様も奇跡も必要ありませんからねー。これで終わり、です」 ユウの長銃が吼え、神母の頑強な肉体を深く抉る。 転倒し、無防備な様でもがく神母の脇を、遥紀の手から繰り出された渦巻く風がいくつも通り抜け、ずたずたに切り裂いていき。ティオの長杖から放たれた四色の魔光が、絡み合いながら、次々に巨体を撃ち抜き。 「カレーの御名において、ぶっ潰す……! へびーすまーっしゅ!」 そして、全身を叩きつけるような小梢の渾身の重撃が、偽りの神の頭蓋を、打ち砕いた。 神母が倒れた後、手分けして周辺を探索しバグホールを探したが、既に閉じてしまった後か、見つけることはできなかった。 「あの……お姉様……」 問いたげなリンシード、その意図を察し、糾華は優しく彼女の頭を撫でる。 「未練がないかというと、嘘になるけれど……これで良いのよ」 「……はい。とっくに、お姉様は……乗り越えていたみたいですから」 糾華は思う。この傷も含めて、私は、斬風糾華なのだから。目をそらしてはいけないのだ……と。 傍らで、氷璃もまた、柔らかい口調で、 「……糾華。貴女の心の傷は誰にも消せはしない。貴女自身が向き合わなくては、決して癒えない。だから……縋るべき相手を間違えては、ダメよ?」 糾華は、そんな二人へと、ふわりと微笑み、ありがとう。と言った。 「さあて、これにて任務完了だ。そろそろ帰るとしようぜ?」 「そうしましょう。早く帰って、カレーが食べたい」 「いいですねー! 私も、お腹が減ってきました」 牙緑が揚々と歩き出し、小梢とユウもそれに続く。 ふいに遥紀は、あの、映像に見た親子の姿を、信じていた神母に裏切られた、信徒たちの歪んだ顔を思い出す。 人は弱い。時として、禍々しい奇跡にでもすがらねば、耐えられないほどに。 でも、だからこそ彼は、人が疎ましくも愛おしい。身勝手で、惨忍で、けれど誰かを想う事の出来る、彼らのことが。 「……遥紀くん? どうかした?」 「いや……今、いくよ」 ティオの呼びかけに、遥紀は踵を返し、地下聖堂を後にした。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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