●本部攻略戦・後半戦 「勝ったということなら文句はないが。邪魔だな」 ぬめりを帯びた液体にずるりと足を取られそうになった『月下銀狼』夜月 霧也(nBNE000007)は、リノリウムの床に広がるそれがリベリスタに討たれたキマイラの成れの果てであることに気づくと、決まり悪げに舌打ちを漏らした。 「だが、どうやら地下二階は殆ど制圧できたようだな」 先の倫敦での戦いにて獲得した情報により、ピカデリー・サーカス地下に広がるジェームズ・モリアーティの地下要塞に突入したアーク・スコットランドヤード連合軍は、各所で一進一退の攻防を繰り広げていた。 無論全勝というわけではなく、ヤードも含め、局地的には手痛い敗北を喫したチームも少なくない。だが、『倫敦の蜘蛛の巣』は決して一箇所を固守しようとはしなかったから、退路を断たれることを恐れた彼らは既に姿を消している。 「こちらも一旦集まろう。この下の層には、まだ蜘蛛の巣の主力が残っているだろうから」 霧也の呼びかけに応え、リベリスタ達はフロア中央の十字路に集結する。蜘蛛の巣がまだ相当の戦力を温存している事は疑いなかった。何しろ、『最高戦力』たるカーネル・モラン大佐、そして何よりモリアーティその人が未だ姿を見せていないのだ。 「癒しきれないほど傷の深い者は、一度地上に送ってくれ」 柄ではないとぼやきながら霧也が出す指示には、一旦臨戦態勢を解くようなものが多く含まれている。しかし、彼が油断をしていたと詰るのは少々点が辛い。このフロアより上はほぼ制圧できていると、誰もが考えていたからだ。 だが。 「て、敵の襲撃だ! 研究室の方から、ぞろぞろ出てきている!」 「あっちの培養層がある部屋もだ! 畜生、まだこんなにキマイラが残ってたのか?」 突如、悲鳴じみた報告が通路を満たす。 四辻の一方、研究室・実験室と思しき部屋の並ぶ一角からは、一目見ただけで精強なる実戦部隊と判るフィクサード達が。そして反対側、培養液を満たした水槽の並ぶ部屋からは、研究者じみた者達と何匹ものキマイラが、その姿を現していた。 「くっ、奴らの方が体勢を立て直すのが早かったか」 唇を噛む霧也は、だが泣き言にかまける暇無く事態の把握に神経を注ぐ。一つ言える事は、広いとは言え限度があるこの通路で立ち尽くすならば、行動を封じられたまま戦力を磨り減らされ、消えてしまうだろうということだ。 故に、霧也は声を張り上げる。この場に集結したリベリスタを、この階で敵の増援を食い止める部隊と下層に攻め込む部隊の二手に分ける、と。 「クエーサーならばもう少しましな策があるかもしれないが、生憎今はどうしようもない。残る奴は手を挙げてくれ!」 ●Alastair the Wizard 「いいか、地下三階ではモラン大佐が護りを固めている。リベリスタどもを全て止める必要は無い。大佐が暇をしないよう、適当に通してやれ」 地下二階・一般研究室。 地下三階から隠し通路を通って移動してきた『魔導師』アラステアは、迎撃部隊の者達へと念を押す。 彼の狙い通り、このフロアで戦闘に入ったのはリベリスタのおおよそ半数といったところか。下層に向かった半数は、モラン大佐がうまくやってくれるだろう。 「だが、残った半数は我らの獲物だ。見せてやろうではないか、倫敦の蜘蛛の巣の名が伊達ではないということを!」 大言壮語とならぬだけの力を備えているからこそ言い放つことの出来る台詞がある。星界の力すら操る大魔道は、我らにその資格ありと衒いなく宣言してみせるのだ。 「……アラステア様」 その時、伝者だろうか、一人の男が彼に近づいて耳打ちをする。報告は僅かに数語。だが、それこそがアラステアの待ち望んだ知らせであった。 「……そうか、始まったか」 頷いて、彼は再び声を張り上げる。常に倍する尊大な自信を、たっぷりと声色に塗りつけて。 「事態が変わった! 最早リベリスタどもを通してやる必要は無い。このフロアに残っている連中を、我らの手で一網打尽にしてくれよう」 それからアラステアは、傍に控えたままの伝者へと告げる。温存しているアレを出すがいい、と。 「出し惜しみはしなくていい。全てはモリアーティ・プランの計算のうちだ」 片頬だけをにや、と吊り上げて。そこに、本拠に攻め入られているという悲壮感は一片たりとも浮かんではいなかった。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:弓月可染 | ||||
■難易度:HARD | ■ イベントシナリオ | |||
■参加人数制限: なし | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2014年02月12日(水)23:43 |
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●Jonmel's Legion/1 陳腐な表現を使うことへの躊躇いは一先ず脇に置こう。彼らリベリスタを取り巻く状況を一言で示すならば、絶体絶命、の四文字をおいて他にはなかった。 前方より現われたキマイラと研究者の部隊。後方にあって彼らの退路を断つ『魔導師』アラステアと直率の実戦部隊。そして、下層へと仲間を送り込むべく通路を確保するリベリスタの陣、その脇腹を食い破るべく踊りかかった三匹のフェーズ4キマイラ。 時には退くことを余儀なくされながらも、多数の敵部隊を撃破してきたアークとヤードの精鋭達は、しかし此処に来てその足を止めていた。その先の『最悪』が脳裏によぎることを止められないでいた。 「ヘ、ヘヘヘッ! 最高じゃねえか、お前ら!」 だが、気圧されそうな空気を、獣の哄笑がただの一息で吹き飛ばす。レザーのライダースジャケットを着込んだコヨーテが、実に満足そうに犬歯を覗かせていた。 「なぁ、コレ全部ブチ殺してイイんだろ? イイんだよなぁッ!」 誰に言われずとも彼は知っているのだ。今日この日、化け者どもの徘徊する死都倫敦は、世界で最も危険な都市であることを。 悪辣なる罠と強大なる敵の待つこの地下要塞は、世界で最も愉しい場所だということを――。 「任せろよォ、オレは死んでも負けねェッ!」 壁を蹴り重力に逆らって疾る。狙うは培養室から迫る一群、その先頭で牙を剥く生物兵器。赤熱する拳を頭上より叩きつければ、周囲を巻き込んで燃え盛る紅蓮の炎。 「逃げンなよォ、蜘蛛野郎どもッ」 靡く赤いマフラーで器用に体勢を保ちながら、狂犬は喉を鳴らす。愉快だ、愉快だと。 「うー、バイデンさんもおっかなかったけど、こっちもおっかないっ」 シーヴ曰くの『こっち』が示すのはキマイラか、それとも突撃した命知らずか。ひりつくような戦場の空気に気圧された、というのが或いは一番近いのかもしれない。 「ですがっ、今日の私はひと味違うっ!」 それでも背は敬愛するメリッサが守ってくれるから、恐れることなく彼女は突き進む。 「全く。私の背中も預けたわよ」 一方、呆れたように言い捨てるメリッサは、しかしシーブよりはもう少しペシミスティックだ。共に戦うというくすぐったい喜びでは隠せないほどの危険が目の前に迫っていると、より具体的に理解できてしまっているのだから。 (――まるで、出来の悪い夢でも見ているみたいね。一体でも相手にするのは大変だというのに、それを量産だなんて) けれど、それでメリッサが退くことは無い。彼女がリベリスタであるが故に。そして、背中合わせの少女が無限の勇気を与えてくれるが故に。 「私の銃は、共に歩む人達のためにっ」 「悪を貫き通す意志をこの手に。突き進みます!」 銃把が破壊の意思を体現し、烈風となって敵を撃つ。その後を追って、見よう見真似で振るわれた永劫の名を持つ刺突剣が、共に戦わんと闘気の嵐を重ね合わせた。 二人が狙うはキマイラではなく、それを操る研究者。脆弱とは言わぬまでも、生身のフィクサードならば生物兵器よりは落としやすかろう。 「まったく元気だな、若い連中は」 枯れた物言いの吹雪だが、自身も二十四と若者の範疇に括られる部類である。それでも、先陣を切って突撃していく仲間達を、彼は眩しそうに見やるのだ。 「まったくそれにしても、どこにこんなに隠してやがったんだか」 手にしたナイフを閃かせ、最前衛の線を抜けてきた大熊のシルエットのキマイラへと振るう。一際大きな巨体と細身のナイフの差か、与えたダメージはさほどでもなかったが――腱を傷つけたか、熊は唸り声を上げて立ちすくんだ。 「まぁ、連中が帰るための道はしっかり確保しておいてやらねぇとな」 「いかにも蜘蛛らしい戦術ではあるからな。このまま敵の術中に嵌ってやるわけにもいかぬよ」 ポニーテールを靡かせて敵の攻撃を捌く惟が、キマイラの壁に守られた研究者達へと視線を向けた。罠へと誘い込み、使い捨ての兵器を惜しげもなく特攻させる。それは実に効率的なやり口ではあったが、だからこそ気に障るのだ。 「研究者など、どうせ錬度も経験も足りていなかろうに……いや」 それは油断か、と唇を結ぶ。名にし負う蜘蛛、指揮官格となれば状況と彼我の戦力とを正確に把握しているというものだろう。あるいは、そうして敵を侮ることが、既に敵の術中かもしれないのだ。 「ならば、騎士の名に賭けて――ここからは一歩も通さん」 右手には剣を左手には鞘を。そして心に抱く決意と共に、黒く燻された銀剣から放たれる闇のオーラ。その暗闇の只中を斬り裂いて、輝ける閃光の矢が飛ぶ。 「もう、次から次へとわらわらと!」 長弓からのつるべ撃ち。集中を保ちながらも間断無く矢を放つアルメリアは、あなた達に囲まれても全然嬉しくないわよ、と悪態をついた。 「美少女になって出直してらっしゃい!」 腰まで三つ編みを垂らした弓道服姿の少女が少々危ない台詞と共に最後の矢を放ち、また矢筒に手を伸ばす。止まる弾幕。その一瞬の間隙を突いて、二匹のキマイラ――鉄屑が寄り集まったような塊と直立歩行する三頭の猪が一直線に彼女へと向かう。 「――っ!」 そのプレッシャーに、ぎゅっと目を瞑るアルメリア。ガン、と硬いものがぶつかる音がした。だが、続くはずの衝撃が齎されることは無い。 「どーもどーも、ハローハローですようキマイラさん!」 「だめよぉ、ここは倫敦だもの。もっとしっかり英語を使わないと。いい? HOROBIYO! MOTTAINAI! FUJIYAMA!」 うっすらと目を開ければ、立ちはだかる二人のリベリスタの後姿。つぎはぎの肌と肉に埋もれた機械が、キマイラの巨体を受け止める。 「肉壁参上! 愛とカラダで示すわよぉん」 「ダブルステイシーが過激にGOですよぉ!」 スティシィとステイシー、この二人が背中を合わせて戦うのは何度目であろうか。息の合った動きで互いの視覚をフォローするその動きは、単に名前が似たクロスイージス、という程度の共通点だけでは絶対に生まれ得ないものだ。 「アングラな倫敦にぃ、ダブルステイシーがー、くーるぅっ♪」 「さあ、ステイシィさん達と『殺し愛』ましょう!」 何処か振り切ったノリでキマイラに立ち向かう二人。けれど、チェーンソーと棘の法具、二つの得物から迸る光は紛れも無く正義を体現する輝きだ。肌を灼かれたキマイラが自分達を獲物と定めるのを感じながら、彼女達は不敵な笑みを浮かべてみせた。 (あー、どうしようもねーな、これ。いくらなんでも敵多すぎんだろ) 普段見せている人格者の仮面をかなぐり捨てて、聖は心中悪態の限りを尽くしていた。もとより戦いの中では素が出やすい彼ではあったが、今回ばかりは半ば本気である。激戦の中、既にプロテクターの下のカソックは破れ、サングラスは割れて目元の傷が露になっていた。 (……とかなんとか、年下の前で格好悪いところ見せらんねーよな) 傍らには庇うべき少女。いい年をした大人として、年下の子供一人くらい守れなければ格好がつかないというものだ。両の手に握る短刀を重ね合わせ、手裏剣のように投げつける。ぐるり弧を描いて飛ぶ刃が、キマイラとフィクサードとの区別無く斬り裂いてその身を赤く染めた。 「厳しい状況ですが、最後まで諦めずに」 「……、はぁ」 一方、『守られる』側のシュスタイナは渋い顔である。彼の視線が子供を見守るそれであることくらい、何を言われずとも判るのだから。 (後でちゃんと言っとかなきゃ。私そんな子供じゃないわよ?) それにしても、と。甘やかな感情を横に追いやって、彼女は手にしたワンドを媒介に体内を循環する魔力を凝縮する。だが、その魔力は再び彼女の体内へと戻されるのだ。より正確には、彼女の身体を通り、その黒翼へと。 「研究って、こう……人の役に立つものだと思ってたわ。ああ、こいつらにとっては、こんな研究でも有益なものなのかしらね」 ばさり、と羽ばたかせる。生み出されるのは魔力を孕んだ突風の渦。有翼種の奥義は小さな竜巻にも似て、巻き込まれた敵を打ちのめすのだ。 「まずは数を減らさないと話にならないわ」 だが、キマイラ同様、フィクサード達もただで倒れてくれるわけが無い。体勢を立て直した研究者が、腰溜めにした火器から吐き出した銃弾の雨を注ぎ込む。 「くっ……!」 「皆、頑張って!」 だが、前に立つリベリスタ達の受けた傷は涼やかな風と共にみるみるうちに消えていく。その神秘を齎したのは、紅の瞳をきり、と見開いたせいるである。 「戦闘は得意じゃないけど、ボクだってアークの一員。皆と一緒に頑張るんだから!」 決意というには可愛らしい彼女の台詞。しかし、それを疑う者はいない。危険が判りきっている戦いに身を投じ、この場に在るという一事であっても勇気ある行いだという事は、彼ら自身が一番よく知っているからだ。 (それに、今回の敵はホームズの宿敵。だったら) せいるにとって、それは他の誰よりも倒さなければならない相手。おじいちゃんの名に賭けて。いや、それだけではない。 「このボク、探偵・有沢せいるの名に賭けて!」 「そうね。護ってみせるわ」 短く応じて、小夜香は十字の尺杖を高く掲げた。それは、長き詠唱によってではなく深き祈りによって神の恩寵を希う、心優しき少女の典礼。 「――癒しよ、あれ」 ただ一人に注がれる慈愛でも、戦況すら揺るがす大魔術でもなく、熟練の癒し手たる彼女は高位存在の息吹を具現化させる。 長く続くであろうこの戦い。最後まで息を切らさずに癒し続けることが、一人の脱落者も出さずに守り抜くことに繋がるのだと、そう小夜香は知っていた。 ●Three Chimeras/1 「――ふざけるんじゃないよ」 フランシスカがぎり、と奥歯を鳴らした。ただでさえ前後を挟まれた不利な戦い、そこにフェーズ4キマイラが乱入してくるとなれば、驚きよりも先に怒りがこみ上げてこようというものだ。 「でも、さ」 に、と唇の端が上がる。所詮そうなのだ、と自覚していた。戦うことが好きなのだ。強い相手と。より強い相手と。 楽しみだね、と呟いた。手の内の黒剣に誇りを託し死んでいった戦士達であれば、おそらく同じことを言うだろう。あの断首の少女であればどうだろうか。彼女ならば、少尉の為にならない戦いなんて無意味よ、とそっぽを向くかもしれないが。 「力だけのでかぶつが、簡単に押し切れると思うな!」 乱入した三匹のキマイラ、その一匹である肉食恐竜型。あらゆる拘束を引きちぎり大暴れするこの個体は力押し以外の戦いを拒むかのようであったが、呪弾を胴に撃ちこんだリリは手応えを感じたという。 ならば、後は仲間達がこのキマイラを弱体化させてくれるまで、存分に殴り合うのが仕事だ。弱体化させられてしまうまでに、気持ちよく叩きのめすのが望みだ。 「こっちだって、そうそう食われてやるわけには行かないのよ!」 ぶん、とフランシスカの大剣が唸りを上げれば、漆黒の光が渦を巻いてキマイラの喉元に喰らいついた。だが、ぐらりと崩れかけた恐竜の体勢は、ずん、と踏みしめ直した脚で保たれる。 「そう……、また、フェーズ4とやれるなんて、最高、だね」 だが恐ろしいことに、バトルジャンキーは一人ではない。例えば、ただ只管に刺激を求めて戦場へと身を投じる天乃がそうだ。 「さあ、踊って、くれる?」 壁や天井、果てはキマイラ――ブルーライノスと呼ばれた個体――までを足場にして、彼女は獲物の背を狙う位置へと駆け上がる。このデカブツは見かけ通り、目の前にいる相手しか攻撃してこない、そう読んでの咄嗟の判断だった。 (約束、だから……死ぬつもりは無い、けれど……) 死の予感も、悪くは無い。 心地よい緊張。高鳴る鼓動と共に飛び降りて、両手の鉄甲を背筋に叩き付ける。女性とはいえ全体重をかけた一撃、恐竜といえども決して軽くは無い。 だが、天乃の目的は、背筋を殴ることそれ自体ではないのだ。 「動く、な……!」 その声と同時に、周囲に十重二十重に展開された不可視の気糸が一斉に顕現し、輝けるワイヤートラップとなってブルーライノスを襲った。 ぎちり、と。 音が聞こえ、恐竜の動きが止まる。それは彼らに与えられた、値千金の時間。この機を逃すまいと、他の二匹の抑えに加わっていないリベリスタが殺到した。 「総員、突撃!」 スコットランド・ヤードの精鋭部隊も攻撃を集中させる。アークとは独立した指揮系統を有していた彼らだったが、やはりフェーズ4キマイラ三体は重荷と見たか、地下二階に残ったヤードのほぼ全戦力がここに集中していた。 「ご油断召さるなアークの方々! ご存知かとは思うが、キマイラはしぶとい!」 指揮官のレイモンド警視が声を張り上げる。間をあげずに身を捩らせ、暴れだすブルーライノス。 そして、びし、と何かが切れる音がした。 「来るぞっ!」 俊介の警告。フェーズ4の恐ろしさを知る彼は、援軍が現われたときにはマジ世の中おかしいと吐き捨てたものだ。だが、いやだからこそ、彼は戦場の隅々まで神経を張り巡らせる。 「気合入れろや!」 「Grrrrr!」 突如、ブルーライノスがその顎を大きく開き、酸交じりのブレスを撒き散らす。巻き込まれたヤード隊員がもんどり打って倒れ、近づいていた者達に深刻な火傷を負わせた。 「おいおいこんな所で死ぬなや! マジこんな場所、通過点やからな!」 だが、にぃ、と笑って赤毛の青年は声を張り上げる。それは激励であり、決意表明であり、そして。 「いくぜ大盤振る舞い!」 俊介一流の祈りであり請願なのだ。後先考えずに術式を組み立て、急激な疲労にもめげずに広範囲へと展開する。途端、酸を浴びて苦悶の声を上げていた双方のリベリスタ達が、苦痛を忘れたように立ち上がり、戦いへと舞い戻った。 「俺らの仕事は希望を送り届けること! 諦めんなよ!」 キマイラの残り二体、スライム状のゼリービーンズと八本脚の馬スレイプニールは、お互いから離れることなく力を振るっていた。 どちらも、ブルーライノスに比べれば然程高い攻撃力ではない。だが、あまりに攻撃手段が厄介だった。殊にゼリービーンズは前衛も後衛も無くリベリスタを巻き込み、一斉に実体化してその動きを封じていくのである。 「こいつは厄介だな」 一度ゼリービーンズに脚をとられたフツが、魔術的な呪詛と極低温化、薬品による麻痺、それにぬるりとした足場の不安定さによる隙の混合というところか、と看破してみせる。そう言う彼自身も、既に足先の感覚がなくなっていた。 流石のアークでもこの両方に耐性を有している者は多くは無い。いまや相棒と言ってよい緋色の槍も、彼が修めた陰陽の秘術も、さっさとこのスライムを焼き払ってしまえと主張していたが――しかし、フツは違う道を選ぶ。 「こいつはオレが止める! 馬みたいのを先にやれ!」 無造作に懐に突っ込んだ両手、取り出だしたるは八枚の符。バッ、と空中に放り投げれは適切な位置に浮かび上がり、一斉に渦を巻いてゼリービーンズの周囲を乱舞する。 「突っ立ってると距離を詰められるぞ。移動しながら攻撃しろ!」 「出来てたらやってるっちゅーねん!」 顰めつらしく一喝する椿。そういうところが十三代目なのだとまた囃し立てられるのだろうが、それはまた後のこと、と割り切って。 「そら、本拠地やーって真正面から乗り込んだら、こうなってもおかしないわな。うちも攻め込まれるってなったら罠仕掛けたりするし」 ぼやきながらも、彼女は愛用のロングバレルを慣れた手つきでスライドさせ、チャンバーに弾薬を送り込む。身体に染み付いた一連の動きこそ、彼女が十三代目と囃される所以の一つではあるのだが。 「まぁ、嘆いとっても仕方あらへん……出来る事からやってこか」 八本脚の馬に照準を定め、躊躇うことなく引鉄を引く。先に妨害や弱体化を試した仲間達がことごとく失敗している以上、このスレイプニールについては正面からやりあう方がよいだろう。 「そんじゃ、景気よぉくぶっ放すで!」 どん、と銃声。彼女の銃から断罪の魔弾が放たれ、同時に中後衛から援護射撃が浴びせられる。グルル、と八本脚の馬が苦悶の声を漏らし、発声器官を持たぬであろうスライムも波打って悶える。 だが、キマイラもただ立っているわけではない。スレイプニールの八本の脚は群がるリベリスタを薙ぎ倒し、程なく呪縛を脱したゼリービーンズも大きく広がって獲物を呑み込み溶かそうとする。 「く、うっ!」 スレイプニールの蹄に強かに蹴られ、光が思わず呻く。だがこの痛みは覚悟していたことだ。一チームでは倒せるかどうかも怪しいフェーズ4の強敵、それが三体となれば、簡単ではないことは予想できていたのだから。 「だからこそ、ここを通すわけにはいかない。この先で戦う皆さんの負担を増やすわけにはいかないのです!」 握る大剣は煌びやかであっても、決して特別な業物ではない。けれど、それでいい。小柄な身体に精一杯の力を混めて、共に戦ってきた相棒――それこそが、きっと『勇者の剣』に相応しい武器となるのだから。 「最後まで立ち続けます。勇者が一番力を発揮できる場面ですから!」 ぐん、と振り抜いた。スレイプニールの厚い肌と堅い筋肉は易々とは断ち切れず、八本の脚の一本に突き刺さった刃は固く食い込んで止められる。それでも負けじと力を加えれば、押し負けたかのようにキマイラはたたらを踏み、壁際まで下がるのだ。 「よく押し戻しましたね。倒せない相手ではありません、頑張って下さい」 柔らかな涼風が光や周囲のリベリスタ達を包み込み、苦痛を和らげて行く。癒しの力を齎したリサリサは、いわゆる回復役でありながら、ほとんど光と変わらない位置まで出て来ていた。 もちろん、ブルーライノスの隔離とスレイプニールの蹂躙、そしてゼリービーンズの浸透により、前衛後衛の区別がつけにくい混戦となったこともある。 だが、そんな混戦でも避難を必要としない彼女の能力は、この戦場にあって要であったと言えよう。スライムに足下を取られてなお揺るがない絶対守護と、例え蹄に蹴られても抑え込んでみせる重装前衛並みの防御力。瞬間の爆発力は他の回復役に一歩を譲れども、その安定感は余人に換え難いのだ。 「絶対者としてのワタシの能力、今こそ生かすときですっ」 彼女を中心として吹き抜ける清冽なる風がゼリービーンズの撒き散らした呪詛すら祓っていく。そして、それを上書きするかのようにじわり広がっていく、暗黒の瘴気。 「おお、くわばらくわばら。さて、あっしのような非力なジジイがどこまでできるかねぇ」 そう嘯く玄弥の得物はクローである。だが、何事にも慎重にして狡猾なればこそ、まずは後方からちくちくと攻め立てるのが彼のやり口であった。 普段の言動と合わせ、自分が一番大事な守銭奴と彼を見る向きもあろう。もっとも、必要とあらば身を晒して敵を食い止めることもままあるのだから、彼の在り様は一概に割り切れるものではないのだが。 「痛めつけるのは得意やでぇ。じわじわじわじわやりまっせ」 スレイプニールとゼリービーンズ、両方を巻き込んだ瘴気は、やがて空気に溶けて消えていく。期待したダメージを与えられたかは定かではない。だが、玄弥はニィ、と唇を曲げて見せた。 「スライムの方は魔術の方が効くでぇ。馬は全力で勝負しまひょか」 「つまり『ガンガン行こうぜ』って事だな、オゥケィ」 何でも効くということは、弱点らしい弱点が無いということと同義だ。肩を竦めて皮肉ってみせた涼だが、とは言え弱音は吐いてられないのよね、と気持ちを切り替える。 「八本もありゃ一人じゃ食い足りないかもしれんけどな――まァ、暫く此処で俺と踊ってろよ」 彼の姿が一瞬の内に掻き消え、次の瞬間、五人に分かれて蘇る。いや、それはノーモーションから繰り出した高速移動による残像だ。彼の纏う漆黒のコートはすなわち凶器。袖口の透明な刃が、裾の漆黒の刃が涼に従ってキマイラを切り刻む。 「切り札は未だ伏せておくぜ。カッコイイところを見せる礎になって貰わにゃならんしな」 とはいえ、彼がそうやってスレイプニールの注意を引きつけるのは、大局的にはそれほど大きな意味がある行動ではない。八本の脚で次々に踏み荒らすという攻撃の特性上、一人で全てを引き受ける事はできないからだ。 それでも、彼には意味がある行動だった。何分の一かでも自分が受けることが出来れば、それだけ他の――守るべき者の被弾を避けることが出来る。 守るべき者。背後で不安げに自分を見つめているであろう、純白の少女。 (一生懸命治すから、頑張ろうね? でも、無茶はしないでね) 帰ったらいっぱい遊ぼうね――小さな手で裾を掴み、それだけ告げた少女を背にしているのだから。 (楽な戦いなんて一つもなかったけれど……それにしても、今回は特に苦しい気がする) 一方その少女、アリステアは不安を消しきれないでいた。こんな予感がするときには、たいてい辛い出来事が起こったものだ。 誰も傷いて欲しくなかった。誰かを傷つけたくもなかった。けれど、そんな優しい祈りを気紛れな神様は聞き届けることなく。そうして、彼女は人を傷つける力を得て、また戦った。 「――涼、一緒に帰るよ」 指輪をそっと撫で、それから小さな声で力ある言葉を紡ぎだす。。怒涛の攻勢を耐え凌ぐべく彼女が繰り出したのは、希薄化した高位存在の力を根こそぎ注ぎ込む大魔術。眩い光が周囲を包むと同時に、多くのリベリスタ達の負った細かな傷が跡形も無く消えていく。 (バレンタインだって、あるんだしね。うん) それは、彼女がただ一人の青年を支える、その余禄に過ぎなかったのかもしれないが――。 ●魔導師/1 「怯むなよ、でなければ大佐の銃で頭を吹っ飛ばされかねないぞ!」 指揮官らしき都市迷彩服の男が檄を飛ばす。 実験室側通路より現われた蜘蛛の部隊は、キマイラを含んでいない。それは一見、この方面の敵軍を与し易く感じさせていた。 だが無論、それは大いなる錯覚である。各個の戦力はキマイラに一歩を譲れども、老練な判断と統率の取れた連携、そして的確な指揮によって纏められたこの部隊は、かの『魔導師』アラステアが実験室に篭った今でさえリベリスタの主力を跳ね返していた。 「戦いの刻は今! さあ、征きましょう。アークの名の下に!」 ユーディスが高らかに唱えれば、集いしリベリスタ達の身中に戦い抜くための気力が湧き上がる。それは彼女らの大義。 「無辜の人々を守り抜くために。私達の総力を挙げて!」 槍を突き上げて高らかに宣えば、応、と唱和の声が上がる。騒然とした戦場に巻き起こる、汗ばむほどの熱気。 「にゃるほどのぅ、これが『聖戦』というものかの」 レイラインがふむ、と頷いた。無論、クロスイージスの秘儀たる戦の加護は知っている。だが、それが進化を発揮するのは、この戦いのような集団戦であろう。 「心が折れれば負けじゃ。じゃが、このように熱は伝わっていくものじゃからな。のぅ、ご老体?」 「はいはい、もー判っとるから急かさないで欲しいのじゃ。言われんでも、ちゃんと働くのじゃよ」 その傍らでもぞもぞと動く翁が、背負った布団から首だけを出してぼやく。この老人がいつもいつも布団の山を築いているのは周知の事実なので今更何も言いはしないが、レイラインの視線はあまり笑っていないようだ。 「儂が出来ることは、これくらいじゃからのぅ……」 白髭豊かなる老人は、傍らで大きく息をつく愁哉へと手を触れた。ふぐん、と気合だか咀嚼だか良く判らない音を発しながら掌を大きく突き出せば、どくん、と力強い熱が愁哉へと流れ込む。 「さ、全力を振るうのじゃぞ。でなければ、儂が出てきた意味もないからのう」 「助かるぜ爺さん。俺も皆の力になりたいんだ」 血の気を取り戻した青年が珍しく素直に礼を言う。インヤンマスターの高等技術である影人作成はまだ荷が重いか、それ程の時間が経っていないにも拘らず、既に彼は限界が近かったのだ。 「俺は経験なんて殆ど無いし、ベテランだなんて到底言えない。けどな、戦いは数だって偉い人が言ってたんだ」 新たなる符を取って、素早く印を切る。ぐぐぐ、と形を変え、黒く染まって動き出す木偶人形。所詮は一息に薙ぎ払われる的に過ぎなくても、一瞬を凌ぐ為の盾にはなるのだ。 「出来る事は全部やってやるよ。援護くらいなら、俺にも出来るさ!」 「ふむ、いい覚悟じゃな」 孫ほどの年の差の青年が見せた覚悟ににこりと頷いて、レイラインもまた愛用の獲物――猫の爪の如き薄刃と鉤爪を構える。 これでも愁哉の言うベテランのつもりだ。格好がつく位に活躍してみせなければ嘘だというものだろう。ましてや、ここは仲間全ての命を天秤に賭けた闘技場なのだから。 「さあ、これで終わらせてやろうじゃないかえ!」 狙うは敵最前衛、こちらに突入の構えを見せる大斧の戦士。猫ならではの機敏さで一瞬の内にトップスピードに達し、光の速さで斬り抜ける。 「ぐうっ!?」 「隙有り!」 腱を切られたか、動きの止まった男へと雷の槍を放つフィリス。薔薇色の髪と炎のドレス、そして紅玉の光が燃え盛る熱を持って敵を射抜く。もっとも、その気性と同様の激しい魔力は、一人に集約するのではなく周囲の敵へと遍く広がっていくのだが。 「覚悟と意地でベテランに負けている気はないぞ?」 「若者はそのくらい鼻っ柱が強いほうが良いじゃろうな」 苦笑する猫又老女を意に介さず、血気盛んなる紅蓮の姫君は叫ぶ。個々の能力では自分達を上回っているかもしれない蜘蛛に対して、その心意気は明らかに勝っている部分であったろう。 「さあ、負けられない戦いだ! 行くぞ、皆の者!」 この方面の主攻を受け持ったのは、拓真を中心にした一群である。 敵将アラステアが『隕石落とし』を連打出来る以上、疲弊した戦力を送り込んでも一網打尽にされかねない。ならばこそ、露払いが必要なのである。 レイライン達を含めた十五名のリベリスタ達は、たとえ屍山を築き血河を流すとも、ジレー率いる特殊部隊を撃破しアラステアへの道を拓くことを狙っていた。 「血で血を洗うとはこんな感じなのかしらね……。血腥いったらありゃしないわ」 何処か吹けば消えそうな風情を漂わせた狭霧だが、流されるままと言う割にはその魔力は捨てたものではない。 「けれど、できる事はやりましょうか」 両手の銃が轟と燃え盛る。装弾数を無視するかのように次々と引鉄を引けば、二丁拳銃が燃え盛る炎の矢を吐き出して、敵の頭上に降り注いだ。彼女にとっては連打の難しい大技ではあるが、敵の多い今ならば使い惜しむ理由が無い。 「……我ながら、何で外国まで来て戦っているのかしらね」 そう呟いて、しかしほんの微かに笑みを漏らす。知ってる人が戦っているのだから、というのは十分な理由になるだろう。 「早くあなたの所に行けたらいいのだけれど。……まだ遠いみたいよ」 「縁起でもないこと言ってるんじゃねぇよ! ビビったら喧嘩は負けなんだぜ!」 そんな狭霧を盛大にどやすのは、血気盛んなる猛である。白銀の篭手をがちりと打ち合わせて闘志を燃やす彼は、しかし決して無意味な喧嘩をするような男ではない。 彼が滾るのは、負けられない喧嘩、ただそれ一つである。 「腰の引けてる奴は置いていくぜ! オラアッ!」 目を丸くした狭霧を背に――それは彼独特の励まし方なのかもしれないが――猛は突貫する。めぼしい敵前衛に狙いを定め、高めた闘気を稲妻の力に換えて。 「最後まで立っとくなんて温いこたぁ言わねえよ。最初から全力全開だッ!」 唸りを上げて突き入れられた拳が、ばちりと眩い閃光を放ちながらフィクサード達を薙ぎ倒す。流石に一撃で倒れる彼らではないが、それでも電撃の影響は簡単には抜けないらしい。 「邪魔な奴ぁ、物理的にブッ飛ばす!」 「フォーメーションを取れ! 後衛を切り崩せばいいのはどちらも同じだ!」 リベリスタの攻勢に脅威を感じたか、ジレーの鋭い指示が飛ぶ。猛達切り込み部隊を抑えていた前衛の一部が、その横をすり抜けて前衛裏への浸透を試みようとしていた。 主力となって殴りあうのは前衛だが、後衛から先に叩くならば前衛はその足を止めるだけで良い。故に最初の勢いさえ殺してしまえば過大な戦力は不要、という割り切りである。 「さて、正念場だな……。此処は何としても守ってみせねば」 「それが、私達の役目であり、誓いでもありますからね」 だが、それを見越して守りに就いていた二人、メリアとシーザーが突入してくるフィクサードを迎え撃つ。 「遅いっ!」 短剣を手に駆け抜ける男の先手を取って斬りかかったのは、軽装甲を纏うメリア。その剣は騎士の血脈が持つには不名誉な謂れを持っていたが、名前でその鋭さが、そして籠められた思いが曇るわけでは無い。 「何時かこの剣を、騎士の誇りとして捧げる為に……!」 だがそれはフェイントだ。格上の強敵相手に、さほどの実戦すら経ていない儀礼剣術は通用しない――彼女はそう見切っている。故に、彼女の狙いは後衛陣の盾となり、最後まで守り抜くことだ。 「くっ……。だがな、未熟と言えど私は騎士だ。人を守る為ならば、この程度の痛み、耐えられぬわけが無い!」 「成程、確かに精鋭揃いだな……」 シーザーもまた、同じ結論に達していた。もとより彼は『剣』を喪った『盾』である。防御に徹することこそ本懐というところだろう。 二刀流の長剣使い。一撃目は盾で流し、けれど反対側からの斬撃は受けきれずに脇腹へと食い込んだ。激痛。けれど、彼はぐ、と歯を食いしばる。 「だが、それだけだ! 俺は、クロスイージス……! 何処の誰が相手でも、何度でも立ち上がる! そして、皆を守るんだ!」 既に、普段の丁寧な物腰は捨てている。装うことすら困難な限界状況で、シーザーはかつての約束を果たし続けるのだ。 「頑張って……負け、ないで……!」 そんな彼らを包む癒しの涼風。明らかに戦場とは似つかわしくない風情の文月は、繰り広げられる死闘への恐怖にはっきりと震えていた。途切れ途切れの祈りの文句。それでも、仲間を助けたいという誠意ある祈りは聞き届けられる。 (本当の所を言えば、怖い……ですけど) それでも彼女が此処に留まっているのは、究極的には好奇心と呼べるのかもしれない。何故自分がフェイトを得てエリューションとしての力を操ることになったのか。戦う理由の無い彼女は、戦う理由を探して――なぜリベリスタ達が戦うのかを知りたくて此処にいる。 「……皆、必死で、頑張ってます。です、から……私だけ、逃げるなんて、出来ない……」 だが、果たして今も彼女は戦う理由を見つけられないでいるのだろうか。少なくとも今は、仲間の為に戦いたいと思っていることに、彼女自身が気づいていないようだった。 激戦。真正面からぶつかった両軍は、急速に損害を拡大していた。捨石となってでも道を切り開きたいアーク側と、教授が作戦を成功させるまでは死守しなければならない倫敦派。どちらも多少の被害を厭わず、相手を潰す腹積もりである。 「生きている間であれば、癒すことが出来ます! ですから、倒れないで!」 両手を組んで懸命に祈りを捧げる雪菜。その願いを聞き届けたか、邪気を祓う突風が通路を駆け抜け、戦士達に今ひとたびの戦う力を与えていく。 (どうか、誰も死ぬ事がないように……。勝てますように……!) それが甘い希望であると、彼女自身が知っている。知っていてなお、彼女は祈り続けるのだ。祈り続けることを選んだのだ。 ああ、それは簡単なように見えて、なんと困難な道だろうか。 「皆さんが頑張っています、ですから……私達も……!」 望む物を掴み取る、その道を作るために。青いリボンを飾る白い髪を吹き抜ける風に靡かせて、雪菜はただひたすらに希うのだ。 「行こう。ここが僕達の境界線だ!」 磨り潰すような戦いの中、やがて現われるか細い道。それは指揮を執る迷彩服の男、ジレーへと続く一筋の射線だ。 そして、修羅場を潜ってきたリベリスタ達は、決してそのチャンスを逃さない。例えば、危険を恐れずに身体を割り込ませてきた白い軍服の青年、悠里のように。 「今日ここで、倫敦の悪夢を終わらせる!」 「俺もプロの意地があるんでな。アジアでおとなしくしていろアマチュア!」 長剣を構えたジレーよりも先に届く悠里の拳。右の甲に刻まれたBorderlineの文字は、既に凍り付いて見えはしない。 「この霧の都に平和を齎してみせる! お前はそこで凍っていろ!」 勢いをつけて殴りつける。だが手応えは軽い。軍隊仕込みの格闘術か、僅かな体捌きで衝撃を受け流したジレーは、いつの間にか逆手に持ち替えていた得物を振り下ろす。 「知ってるか? 後の先を取る――ってこいつァお前らの国の言葉じゃねぇか」 いや、それだけではない。耳元で囁かれた次の瞬間、悠里を無数の斬撃が切り刻む。いっそ見事というしかないほどの残像すら掻き消えるスピードで、ジレーは飛び込んできた獲物を嬲って見せるのだ。 ぐらり、と倒れる悠里。だがそれすらも、彼はチャンスへと変える。 「……気づいていたか? 僕の役目は……足止め……だ」 「なに?」 既に運命を燃やしていた悠里が意識を手放そうとするその瞬間、聞き捨てならないことを聞く。同時にびく、と感じる強烈な殺気。そして、何だ、と振り向くより早く、ジレーの耳を悠里の絶叫が打つ。 「拓真ああああああああ!」 「任せろ!」 迫るは黒衣の双剣。アークに名高い剣士たる拓真が、悠里の繋いだ道を通りジレーへと王手をかける。 「リベリスタ、新城拓真。『特殊部隊長』ジレーだな――いざ、勝負!」 「時代錯誤もいいところだぜ!」 両の腕は明らかに普段より太く、黒衣の袖は膨れ上がっていた。ただ一瞬、限界を超えた力を引き出すための過負荷は肉体の極限まで血液を偏在させていた。 「お前は強い。……だが」 ぶち、と筋肉の繊維がちぎれる音がする。構わずに大きく振りかざし、そしてモーションの大きさが問題にならないほどの速度で一息に叩き込む。 「悪いが、勝つのは俺達だ!」 ドン、と。 およそ剣の攻撃とは思えない音が響いた。今度こそ受け流せ無かったジレーの肩に突き刺さる黄金の剣。周囲の肉と骨は、吹き飛んだように抉れていた。 「ぐ……うっ」 「……しぶといですね」 その様子を見とめた紫月が、大きく霊弓を引き絞る。ジレーを倒せなかったことで、生き残りの配下達が彼を救うべく陣を密集させようとしていた。 このまま放置すれば、突入した何人かは退路を断たれてしまうだろう。故に、彼女が何もしないという選択肢は無い。――ならば、どうするか。 (ミステランの力は、彼らには存在しない) この状況で密集した、ということ。今までであれば有効な戦術であった。だが彼らは、ラ・ル・カーナから齎された新たな神秘を深くは知らない。多少の情報はあっても、それが集団戦に齎す大きな影響に気づいていない。 「……なら、この力の限り私は戦います」 空の弓、大きく引き絞った弦を紫月は解き放つ。放たれたのは魔力の矢、降り注ぐは炎の弾丸。炸裂する火炎弾は大きな火傷を負わせるに留まらず、凄まじい衝撃でフィクサード達を吹き飛ばし、陣形を崩していく。 「笑えねぇな、キツイ戦場ばっかだぜ!」 崩れた陣を易々と乗り越えて。未だ革醒してから日の浅い劫が、毒づきながらもジレーと斬りかかる。それでもこの鉄火場を望んで駆け抜けるのは、彼が『日常』を愛しているからだ。 誰も傷つかない時間が、かけがえの無いものだと知っているからだ。 (──時よ止まれ) 配下の過半が『吹き飛ばされた』ことに目を見開いたジレー。彼の動きが、周囲の動きが、劫には酷くスローに見えた。 (――俺は誰よりも、『君』を愛している) 新たなる刺客を意識に捉えたか、慌てたようにジレーが剣を構えなおす。だが遅い。トップスピードに乗った劫を、もう止めることはできない。 「奇跡を望むなら、俺は君と共にこの刹那を駆け抜けよう!」 首刎ねの剣が光の飛沫へと変わる。その用途故に切っ先のない剣が、大量の燐粉が舞うようにしか見えないほどの凄まじい速さて振るわれ――そして、止まる。 「あんたを倒して、また長い日常を取り戻すよ……そう願うくらいは構わないだろう?」 「……ハ、夢見がちなことだな」 嘲笑いながら倒れるジレー。その身体の下から広がっていくどす黒い血だまりに、ああ、やったんだな、と劫は人事めいた感想を漏らして。 その時。 「ジレーを倒すとは、な。大損害もいいところだ」 体勢を立て直すフィクサードの生き残り、その後方に現われたローブ姿の男。人材も有限ではないのだがな、と言ってのけるそれは、リベリスタにも要注意人物として知られた蜘蛛有数の『魔導師』。 「諸君らも状況は掴んでいるだろう。……結構、それではここで我らともうしばらく戦ってもらおうか!」 尊大なる口上。だが、既にこの男アラステアは、それに相応しい実力を見せ付けているのだとリベリスタは知っていた。 「もっとも、教授がお戻りになるのを待つ必要は、微塵も無いがね」 そして、ジレーを倒した以上、今度はこの男自身が一切の油断も手加減も無く戦いに加わるであろうことも――。 ●Jonmel's Legion/1 長く、長く続く戦い。双方が吉報を待ちながら、ひたすらに血を流し続けていた。 培養室側でも五分の戦いを繰り広げるリベリスタと倫敦派。だが、此処に来て、キマイラの数を減らした蜘蛛の巣が押され始めていた。 「ふふふ……、甘い言葉には裏があるものだね」 お仕事ついでに倫敦旅行ができる、なんて戯言はもちろん冗句である。無事に済むとも思っていなかった紗夜ではあったが、こと此処に来ての激しい抵抗には閉口せざるを得なかった。 「こんな大歓迎を受けるなんて、全く聞いていなかったよ」 仮面の奥、その眼を細めて彼女は嗤う。いやいや、良くこれだけのキマイラを作ったものだ、と。 風を切って振り回す長柄の大鎌。斬り付ける相手は、肌の色に蠢く何か。人を塗りこめた肉の壁――。 「もしかして、あの子供達も含まれているのかな?」 雪の妖精の名を冠したキマイラと、サーカスの一座。それは救えなかった記憶。軽妙な口調は変わらずとも、目の奥に鋭い光が宿った。そして、その瞳が瞬時眩い光に塗り潰される。 「さってさて、なかなか怖い状況ですわー」 湊が乱れ撃った光の弾丸、その一条が肉壁のキマイラを撃ち抜き、溶かす。それでも茶化しながら口にした不安は、あるいは本心ではなかったか。 一時の有利不利など関係ない。油断すれば自分が倒れることになるのだから。 「キマイラも嫌だけど、敵の研究者を倒しちゃわないとねー」 「うん、みんなをしっかり先に進ませるために、ここはきっちり潰させてもらうよ!」 元気に答えたのは、まだ幼い部類の少女。真咲の屈託の無い笑顔は、ここが戦場でなければ、年相応の眩しい笑顔として記憶されるのかもしれない。 そう、ここが戦場でなければ。 「厳しい戦いだけど、負けられないからね! それじゃあ、イタダキマス」 重量のある斧頭を振り回すたび、ぶぅん、と風が鳴った。黒一色に染められた三日月斧は、敵を両断する為だけに存在する紛うことなき殺人兵器。先にもキマイラを『食った』その刃が、今度は腰の引けたフィクサード達へと向けられる。 ――もっと集中して、もっと研ぎ澄ませて。楽しい楽しい、最高の一撃を! 遠心力で大振りに薙ぎ払う。その斬撃は重量からは想像できないほど速く、そして想像通りに重い。斬って、突いて、殴りつけて。 無駄の無い動きで真っ向から敵を追い詰める真咲は、酷く愉しげに笑っているのだ。 「――っ、……いえ」 それを見て祥子は何かを言いかけ、けれどその言葉を飲み込んだ。血を浴びた笑顔は情の深い彼女の胸を痛めるに十分であったが、今ここでそれを云々する義理も無ければ暇も無い。何より、どんな気持ちであろうが、武器を持つ限り『齎される結果は変わりない』のだから。 「終わりにしてあげましょう。キマイラも。あの人たちの研究も」 「ああ。そして、お互い生き残るとしようぜ、祥子」 俺達は今一つだからな、と。背中合わせの義弘が、安心感を与える重低音でそう告げる。ひろさん、と応えて彼女は小さく頷いた。二人の間はそれだけで十分だった。 「この盾にかけて、必ず二人で生きて帰るわ」 鮮烈に輝く二枚の盾。襲い掛かる二体のキマイラ、その片方のヤギ頭へと叩き込めば、鈍い音と共に宿りし光が爆ぜる。 「ここで踏ん張らなきゃ、盾を名乗っている意味がない。相応の覚悟で挑もうか」 一方義弘は、枯れた大木のようなキマイラを相手取っていた。無骨なるメイスと傷だらけの盾は、まさしく彼の在り様を示しているかのようである。 右手の槌を振り上げる。光も炎も魔術のオーラも、何の演出をも必要としない無造作な動作。ただ振り上げて――振り下ろす。 あらゆる攻撃を耐え忍び、強烈なる打撃を叩き込む。何ら奇を衒うところの無い、何千何万と繰り返して磨かれた必殺の技。 破砕音。既に傷ついていたキマイラが、木片を撒き散らし崩れ落ちる。 「さあ、気合いを入れていくぞ!」 「やれやれ、厄介なことだが……まあ、いい」 義弘の怒号に肩を竦め、宗二郎は道化師の仮面を身に付ける。纏う衣装もサーカスめいた色使い。ふわりと膨らむチュニックは、ピエロをモチーフにしたものか。 「終幕の舞台はここにはない。ここにあるのはただの劇の第二幕だ」 彼が直接に指しているのは、自分達を足止めにして戦力の過半を向かわせた地下三階。そこでリベリスタを待ち受けるモラン大佐と、電子世界へと消えたジェームズ・モリアーティのことである。 しかし、彼はもう一つの寓意をその言葉に与えていた。開いた幕は降ろされなければならない。それは『魔導師』アラステアか。いや、違う。 「通過点は速やかに通過するがいい。後に繋がれし者達が、より輝くために」 す、と鎌を向ける。その先には、研究者達の中で妙に落ち着き払った軍服姿の男。大量のキマイラと、研究者とはいえ多数のフィクサード指揮を任された者。 その為に俺は道化になろう、と宗二郎は告げる。伸べた大鎌の先端より、ずるりと漏れ出す暗闇のオーラ。 「さあ、蜘蛛達よ。ご覧頂くは道化師の喜劇。観賞の代価は――お前たちの命だ!」 一人のフィクサードが暗闇に飲み込まれ、崩れ落ちる。キマイラ達は依然ブロックされたまま。 そしてついに、培養室側の指揮官――『警備隊長』ジョンメルへの道が開くのだ。 ジレーとジョンメル。 この地下二階に現われた二つの部隊の指揮官は、どちらも相応の実力者でありながら前線には立たず、配下の後ろに守られる格好になっていた。 だが、その理由は大きく違う。指揮に通じ、率いる戦力も統率の取れているジレーと違い、集団戦に慣れぬ研究者とキマイラが配下で、大通路という戦場から乱戦にもなりにくく自分のスタイルで戦いづらいジョンメルは、力を持て余していたとも言える。 ならばこそ。ようやくリベリスタがここまで来たと知り、彼は狂喜した。短剣使いという乱戦に最大限特化したスタイルは、リベリスタ達に多くの傷を強いていく。 「征きますよ、凛子さん」 「支援はお任せください。全力で参ります」 仮初の翼を背に広げ、強くリノリウムの床を蹴った。ほとんど滑るようにして人間とキマイラの林立する中をすり抜け、名高い異形の剣を突き入れる。 「ここの要は貴方でしょう?」 「チッ、速いですね……ジレーの配下で抑えられないわけです」 舌打ち一つ、ジョンメルは身体を跳ねさせる。一瞬すらもおかず、彼の身体が在った空間を通過する剛刃。軍服のボタンが剣先をひっかけ、弾け飛ぶ。 「逃がしませんよ。集団戦は頭から潰すものですし」 常ならばそこで勢いは殺され、攻勢は止まる。だが此度、桐の斬撃はフェイントだ。彼が限界を超えた力で仕込んだのは、全身の発条、そのギアをもう一段上げること。 「逃げたつもりですか?」 ぐい、と踏み込んだ。もう一閃。確かな手応えとともに、軍服の胸に鮮血が舞う。 「いい腕ですが……所詮は脳筋だ。突っ込みすぎです」 だがジョンメルは怯まない。回避できないと知るや、逆に彼は今ひとたび床を蹴りつけ、桐との間合いを一足飛びで詰めきった。平べったい大剣の間合いの内側、瞬速の短剣が桐の腹に突き刺さる。 「その得物、まさに今のためにあるようなもんだな」 得物を引き抜いて桐の腹を蹴り付ける。しかし、更なる追撃を加えようとしたジョンメルは、『背後』に更なる敵が回りこんでいることを知る。 「仕事熱心で何よりだが――」 「知っていますよ。『神速』ですか!」 自慢の脚による高速機動で桐の後を追った――いや、桐の先へと回り込んだ鷲祐が、抑えていた殺気を解き放った。 いくら彼がその速度を讃えられ、また逆手に握った刃が小回りの利く得物であろうとも、びん、と殺気が伝わる速さには勝てない。そして、実力者だからこそ、それだけでもう相手は桐を追うことは出来なくなってしまうのだ。 この『神速』が貴様の背を狙っているぞ、とわざわざ警告してやったのだから。 「そういう奴程、戦い甲斐がある!」 振り向いたジョンメル。襲い掛かる鷲祐。ゼロレンジのインファイトで、彼らの刃が甲高い金属音を響かせる。 「疾くとも当たらぬ刃に意味は無い!」 「俺にも貫く意地がある!」 咆哮。加速。空間を埋め尽くす刃の軌跡。やがて、放たれた殺意の光芒は、猛る竜となってジョンメルをその牙にかける。 「私が傷つけ、私が癒す!」 押すリベリスタ。それでも傷は積み重なり、体勢を整えなおしたフィクサード達も突出した彼らに激しい攻撃を浴びせかける。そんなリベリスタ達を救う、凜とした声。 「臆してはなりません。戦場では先が解らないことなど当たり前。それでも、人は前に進み戦うのです」 凛子を中心にした一帯の空気が、急速にマナの密度を上げていく。全身が熱くなったかのような感覚が、リベリスタ達を覆う。 気がつくと、あれだけざっくりと開いていた傷口が消えていた。 「それが、未来を切り開く唯一の手段だからです」 彼女もまた、医者として戦場に立っている。癒す者として戦っている。勝って、その先の未来を掴み取る為に。 「ああ。敵がなんであろうと俺たちは戦うのみだ」 年齢の割には少し幼い表情を引き締めて、レンは魔道書の表紙に手を添える。力ある言葉を蓄えた旧い書物は、まるでアンプのように彼の魔力を高めていき、瞬く間に地下二階の高い天井に仮初の赤い月を現出させるのだ。 「それが力を持った俺の役目であるし、何よりも――」 ああ、降り注げ邪なる赤い月の光よ。呪力の精髄たる不運の赤は、浴びる敵全てに不吉なる陰を刻み込むのだ。 「――俺が、そうしたいと願っているからだ」 お前達の目論見は全て阻止させてもらう、と。 「こんな遠くの国に来ても戦争だなんて、業が深いですよね」 そんなレン達の決意を聞いて、皮肉げに呟く真昼。人の生死には慣れてきた。けれど、慣れてきたことにさえ嫌悪する心を持つ彼だから、今此処に至ることへの絶望は深い。 「でもやるからには勝ちましょう。――振り絞るは全力で」 それでも、負けられない戦いだと判っているから、彼は手にした法具を握り直す。狙うべきは、とうとう射程に捉えた敵将――ジョンメル。 「オレは非力だけど、非力なりの戦い方があります」 じっ、と見つめていた。捉えきれぬ速度。絶妙なフェイント。見つめていた。見つめていた。見つめて、予測した。 さあ、思考をはじめよう。 決まり文句を口にする。ゆっくりと左手を広げ、狙いをつける。集中。ぎりぎりまで精度を上げて、そして。 「絶対に自由にはさせません。是が非でも」 放たれた気の糸が実体化し、ジョンメルを束縛の罠へと誘う。彼ほどの実力者ならば踏み潰していける程度のトラップ。だが、極限まで高められた精度が、彼の傲慢を絡め採る。 「くっ、こんな程度!」 「ごめんなさいね、貴方が動き回ったら仲間達の危険度が跳ね上がるんですよ」 もっとも、その罠が稼ぐのはせいぜい数秒。すぐにジョンメルは全身に巻きついた糸を振り払い、リベリスタ達から距離を取ろうとするだろう。 だが、数秒でいい。それだけでいい。 「木偶ばっかりでがっかりしてたんだが、判ってる奴相手はやっぱ面白ぇな」 全身鎧にやや短めの直剣。幾度もジョンメルと斬りあってきたツァインは、感に堪えぬように言う。 乱戦でものを言うのはデカブツではなく適度な短さの得物である。スピードに優れ、攻防に使え、同士討ちも防ぐことが出来る。事実、リベリスタに迫られてからのジョンメルの動きは賞賛に値するものだった。 「けどな、乱戦はアイルランド戦士のお家芸だ!」 動けない相手という逡巡は無い。ここは戦場で、敵は多数で、味方も多数だ。自分ひとりで打ち倒したかったという思いもなくはないが、手を緩めるのは無礼というものだろう。 封じられた手で、それでも鋭く突き出されるジョンメルの短剣。それをツァインは盾で受けてみせ、同時に剣の裏刃で挟み込む。西洋剣術にはラップショットと呼ばれる裏刃を使った斬り方があるが、さしずめこの技はその変形といったところか。 「これぞdrag on Schott(ドラゴンショット)。冥土の土産に持っていけ」 「……不覚を取りましたか……」 体勢が崩れたジョンメルへと一気に押し込んで、短剣を巻き込みながら斬り付ける。喉に走る斬撃。 こふ、と息ひとつ。そして、大量の血と共に彼は崩れ落ちた。 「アンタと斬り合えたのなら倫敦も悪くない、手合わせ感謝する……」 肩で息をしながらも、ツァインは騎士風に剣を立て、古めかしい敬礼をしてみせる。沈黙。そして、彼は仲間達と共に、再び戦場へ、残敵の掃討へと舞い戻っていった。 ●Three Chimeras/2 「申し訳ありません、下がります!」 スコットランド・ヤードのリベリスタがまた一人、重傷を負って戦線を離脱する。 「地下一階ならば今は安全でしょう。階段は確保できています」 「警戒部隊がキャンプを作っているはずだ」 応えるレイモンド警視、そして霧也の声も、今は疲労の色が濃い。フェーズ4キマイラが三体、というのは、三十人を数えるアーク・ヤード連合のリベリスタでも容易には御しきれない相手であった。 「馬は私達で耐えましょう、皆さんは他の二体を!」 ヤードの生き残りと比較的防御に自信がある数人が、八本脚の蹄を抑えるべく横陣を組む。一方、頭の上に大きなリボンを乗せた魅零は、我慢できないといった風情で叫ぶのだ。 「トカゲ野郎! お前の相手は黄桜ちゃんだ!」 キマイラという存在を考える時はいつも、反吐が出るほどに魅零は気分が悪くなる。何を元にして何を混ぜようが、弄ばれた哀れな存在でしかないからだ。 憎しみは無い。ただただ、哀れであるというだけである。 だが、それでも。 「強敵キタコレ! 全力で行っちゃうよー!」 死線を目の前にして、胸の高鳴りを抑えることなど出来はしないのだ。構える大太刀が発する黒き瘴気は、動きを止めるほどに強大な十重二十重の呪詛。 「フェーズ4? 怖いね、怖くて怖くて死んじゃいそうだよ! だけど!」 戒めが解けた恐竜が振り下ろす脚爪を横っ飛びに避け、壁を蹴って方向転換。もう一度脚を上げるより早く、渾身の力で斬り付ける。その傷口から、ぴしり、ぴしりと音を立てて石の皮膜が生まれていく。 「やれる所までやりきって見せる。仲間の前で、恥を晒す事はできないのよ!」 無論、石化の封印もそう長くは続かない。そもそも効かないことの方が多いのだから、彼女一人ではなく、天乃達数人のリベリスタがかかりきりになって、やっと動きを封じ続けることが出来るのである。 「どれだけ凶悪な化物だろうと、耐性を持つわけではないのなら」 褐色の肌に柘榴石の瞳。再び暴れ出さんとする肉食獣を前にして、レイチェルはすぅ、と息を吸う。しん、と張り詰める意識。それでも恐ろしさを感じないのは、最も身近な二人が傍にいて、護ってくれるから。 ふたりが側に居てくれるなら、きっと大丈夫。私なら大丈夫。 幾つもの戦場を共に駆け抜けたダガー。握る右手を、そっと左手で包み込む。たん、と軽やかに駆け出した。獣如きの動き、見切ってみせる。 「私の業なら届くはず……いや、届かせる!」 ごつごつとした肌の割れ目を狙い、迷うことなく突き入れる。傷口から注ぎ込まれるのは、夜の闇に潜む不吉。そして、黒猫の名が司る魔性――。 「この戦場、私が支配させていただきます」 次の瞬間。 Grrr、とブルーライノスが吼えたかと思うと、石化した表面を振り落とした前脚を誰も居ない場所へと叩き付けた。 いや、誰も居ないのではない。ぴしゃり、と水音を立てて跳ねたのは大きく広がったスライムだ。おおっ、と周囲のリベリスタからどよめきが上がる。 「やったな、レイ」 傍に控えた夜鷹が、珍しく顔をほころばせる。キマイラへと飛び掛り、刃を突き立て、そして一時的にせよ支配するまで。プロアデプトとして計算しつくされたレイチェルの一連の動作は、美しい黒猫の様に洗練されていた。 (――だけど、それだけに脆い) 故に、彼は恋人を護ることに全ての能力を傾けていた。全ての攻撃を受け止め、必ずこの少女だけは返してやらなければならないのだから。 (――俺の翼が醜く汚れても、この黒猫だけは守るんだ) あるいはそれは、愛とか恋というものとは別のところにある感情なのかもしれない。幸せになる資格が無い、などと考えて生きてきた男の代償行為なのかもしれない。 だから。 「レイ、俺が先に倒れてしまったら、捨て置いていいから」 「馬鹿ですか、夜鷹さんは」 本気でこの少女が怒った理由を、未だ理解できていないのだろう。 (……やれやれ) そんな二人を見てエルヴィンは肩を竦めた。妹を護るつもりでついて来たら先客が居た、という状況である。それでも、ここで兄が出しゃばるのは無粋というものだろう。 (まだ、レイを任せるにはちょっと危なっかしいがな) そんなことを考えつつ、彼は盾を握る手に力を籠める。甘酸っぱい青春は見ていて楽しいが、命を懸けた戦場で続けるには限度があろう。 「いずれにしても、だ」 体内を巡る魔力を放出し、上位次元とのリンクをこじ開ける。祈るのは柄ではないから、その代わりに護りたいという強烈な意思を示してみせる。 「誰かを守って死んでいくなんて、まだ百年早ぇ!」 彼を中心に一陣の風が吹き、戦場を駆け抜ける。その聖なる涼風がリベリスタ達の傷を癒していくのを見やりながら、『兄』はニッと唇の端を上げた。 「ヤバイヤバイ、実際マジヤバイ」 怖いもの知らずの妹が一人突っ込んでいくのを追いかけながら、史は背中に冷や汗を流す。初めて見る『フェーズ4』のプレッシャーは、彼を萎縮させるほどに強大なものだったのだ。 「でも、だからってあいつを放っておくっつー訳には行かねーんだよなぁ、畜生」 あいつらを相手にしてそう何度も耐えられるとは思わない。ちまちました攻撃が効くとも思わない。ならば、距離を取って大砲をぶっ放すのが賢いやり方というものである。 「くそっ、正直まったく場違いなところにいる感じだぜ」 左手の手袋を口で銜えて脱ぎ捨て、人差し指を歯で噛み切る。何度も循環させて純度と精度とを上げた魔道書の表紙に塗りつければ、ぼう、と光が灯った。インチキ写本とはいえ、魔力は確かなのだろう。 「マジモンの神頼みだが、上手いこと効いてくれよ!」 魔道書を媒介にして迸る血の黒鎖。床を埋め尽くす呪詛の濁流は、スライムと混ざり合ってありとあらゆる不運を注ぎ込む。 「馬鹿兄ィが止めてくれたかなー? 確かに凄いみたいだけど、フェーズ4ってフェーズ2と3ほどの差は感じないねー」 一方、その彼が追いかける『妹』、岬は物怖じをすることが無い。相棒たる悪趣味なハルバードと一緒であれば、何も恐れることなど無いのだ。 「まあどうであれ、ボクがやることは変わらないよー」 アンタレスの瞳はあれ以来ただの装飾に戻ったままだ。それでも、岬は相棒との距離が変わったと感じていた。今ならば、もっとアンタレスの力を引き出せる。 「罷り越して行くぜー、アンタレス! ボク達がハルバードマスターだ!」 大きく足を広げて仁王立ちし、異形のハルバードを回転させる。その残像から滲み出る、じくじくとした黒い瘴気。岬の生命力を吸った呪詛の靄は、キマイラ達を包み込む。 その時、頭上から降り注いだ気の糸がスライムに突き刺さり、不定形の身体を閉じ込める檻のように縫い止める。見上げれば、天井にぺたりと貼り付いたまおの姿。 「見たことも無い恐ろしい敵だって、まおは知ってます」 だから何としても、まおは止めます――淡々とそう言い切る宙吊りの少女の姿はシュールではあったが、この場ではその位置取りは有効だ。狙い撃ちにかかるフィクサードが居れば別だろうが、今は天井も安全圏と言っていい。 「キマイラ様の背中に登ろうかとも思いましたけど、まおはここから狙います」 上から見下ろせば、状況は明快だ。未だ無傷に近いブルーライノス、ヤードと交戦中のスレイプニールに比べ、アークに灼かれ続けたゼリービーンズは流石のフェーズ4でも限界が近い。波打つ回数が、明らかに減っている。 「ロアン様も足元に気をつけてください」 「ありがとう。まおちゃんは頼もしいね」 あやすように応えて、ロアンはぴんと鋼糸を張る。ゼリー状だから難しいかとも思ったが、気糸でも押さえ込むことが出来たのは幸いだ。 彼の得物は人を斬ることに特化した暗器。スライムも斬って斬れないことはないだろうが――こういう相手には別の方法がある。 「大人しくしてるだけじゃ済まさないよ」 天使の姿をしたキマイラとの戦いは記憶に新しい。同じ個体ではないが、借りはきれいに返しておきたかった。 「ムカついてるんだよね。人間をなめるなよ、化け物め」 放置すれば、いずれ一般人に犠牲を出してしまう。ならば倒してしまうことに何ら躊躇いはない。飛び込むように近づいて、素早く鋼糸を振るった。不定形の身体にさえ刻まれる魔力の紋は、死の刻印となってゼリービーンズを蝕む。 「全員無事で帰ろう、リリ」 「はい、必ず」 リリの手には二丁の銃。かつて引鉄を引くことは作業であり信仰であった。行為の理由を考えずに言われた通り実行する、という意味で両者の間に差はなかった。 「さあ、『お祈り』を始めましょう」 だが、そのフレーズを口にするとき、今の彼女は迷いを覚えずには居られない。迷いながら答を探す、そんなことを積み重ねてここまで来たからだ。 敵との出会い、仲間との対話、友との時間、兄の愛情。それら全てが、リリを揺るがして。 (以前よりもずっと、銃が重く感じます) 銃口に熱が篭る。体内の魔力が呪詛に変質し、圧縮されて時を待つ。緩慢になっていたスライムが、またぼこりと波打った。リリ達を狙い、手を伸ばすように高く、前へ。 (研ぎ澄ませ、この祈り。必ず天へ届けます) 引鉄を引く。二丁拳銃が吼える。命中。炸裂。次の瞬間、毒々しい色をしていたスライムが一斉に茶色に変色し、べちゃりという音と共に原形を留めぬ泥のようになって溶けていった。 「さあ、あと二匹です」 疲弊した彼女らには、あと二匹を討ち果たすことは難しかった。しかし、培養室方面を掃討したチームが合流するまで、誰一人犠牲を出すことなく、彼女らは粘り強く耐え抜いたのだった。 ●魔導師/2 「ははは、そんなものかリベリスタ!」 アラステアが放った稲妻が幾条もの光に枝分かれし、通路を埋め尽くすようにして爆ぜる。攻め寄せるリベリスタ達は爆風をもろに喰らい、決して浅くない傷を負っていた。 「相変わらず派手に騒ぐわね。いい加減黙って頂戴」 揶揄するのは白衣の少女。だが、その幼い見た目から想像される快活さは微塵も見せることなく、ソラは何処までも面倒そうに言ってのける。 「まあ頑張るのは好きじゃないんだけど。頑張らないといけないの? それしか無いなら仕方ないわね……頑張りましょう」 ぱらり、と魔道書を開く。愛用のそれは駆け出しリベリスタが学ぶ初級教本でしかないが、蓄えられた魔力はその内容からは思いも寄らないほど強い。 「……そうだった。私、マグメイガスですらないのよね」 だが、呪文を詠唱しかけて思い直す。既にアラステアの周囲は混戦となっていた。今此処に、制御が難しい自分の技――高速の剣の変わりに魔力で『時』を斬るという離れ業だ――を叩き込めば、味方まで巻き込んでしまうだろう。 「じゃあこっちかしら。その魔導師の力も一緒に吸収できると良いんだけどねぇ」 ソラの少しぽてっとした指がアラステアを射す。次の瞬間、指先を伝わってどくん、と力が流れ込む。生命力を削り魔力を奪う、それは夜の貴族の奥義。 「この戦い、負けることは許されない!」 自信に満ち溢れた、あるいは感じ方によっては傲然としてリオンが叫ぶ。よく通る声で彼が伝える戦闘指揮は、他に積極的に指揮を執ろうとしたものが居なかったこともあり、この戦場での一つの指針となっていた。 「モリアーティの真の狙いがわかった以上、ここで片をつけなければアークそのものが危険になる。もたもたしているわけにはいかんのだ!」 その通り、戦いはタイムトライアルの様相を呈している。彼らとてアーク本部からの通信で何が起こったかは把握している。じっくりと腰を据えて戦う、という選択肢は最早喪われ、彼らにはただ一刻も早く制圧するしか道が残されていなかった。 「何より、この俺が率いるのだ。絶対に負けさせるわけにはいかん!」 「……凄い、自信ね」 軍神の生まれ変わりを自称するリオンの言葉に、この生死を賭けた戦場でさえ眠たげな顔をしたアミリスが驚きの声を漏らす。 もっとも、ぼんやりしているのではなく集中しすぎて他がおろそかなのが本当のところだから、それでも彼が気になったというのは、やはり相当なインパクトだったのだろう。 「私の力は微力だけれど、でも、少しでも背中を後押しできる力になる」 フュリエの友、赤いフィアキィが彼女の頭上を飛び回り、幾度も癒しの魔力を振りまいていく。それはラ・ル・カーナより齎された力。声高には叫ばなくとも、アミリスは共に育ったその力に自信を持っている。 「だから皆で、この戦いを終わらせましょう。……もちろん、私達の勝利で、ね」 「皆で……か」 その言葉に、雷音は一人唇を噛んだ。 スコットランド・ヤード本部攻防戦、地下第四層。あの時もっとうまく立ち回れていたら、アラステアを討つことができていたのではないか。そんな後悔が、じくじくと彼女を締め付ける。 「皆で、だよ」 項垂れる彼女の頭をぽんと叩き、双葉が前に進み出る。姉の友人とはあまり親しいわけではなかったが、こんな時にどうすればいいかくらいは知っているつもりだ。 「それじゃあ、木漏れ日浴びて育つ清らかな新緑――魔法少女マジカル☆ふたば! いっきまーす!」 その衣装はテレビから飛び出してきた魔法少女。その得物はおもちゃ屋で売っていそうなマジカルステッキ。どこかで何かを間違えた愛嬌たっぷりの少女は、早口なら負けないよ、とウィンクしてみせる。 「紅き血の織り成す黒鎖の響き、其が奏でし葬送曲。我が血よ、黒き流れとなり疾く走れ!」 親指から滴る血をステッキに添えて唱えきる。たちまち爆発的に増幅していくマナの力。血の黒鎖が溢れ出し、今か今かと号令を待つ。 「……行けっ、戒めの鎖!」 双葉の声と共に、あらゆる呪詛を織り込んだ葬送の黒がアラステア周辺へと襲い掛かり、呑み込んだ。 そして、強烈なる砲撃はそれだけに留まらない。 「魔導師アラステア、先日の借りは返させていただきましょう」 ケルト十字を掲げ、悠月が朗々たる詠唱を続けていた。一般に強力なスペルは呪文詠唱も長い傾向にあるが、実戦においてこれほど長く、圧縮詠唱無しで使われることは珍しい。 「貴方には遠く及ばない拙いものですが――受けていただきましょうか」 高い天井が『歪む』。空間を捻じ曲げ、遠いどこかと繋げたのだ。余波が震動となって地下二階を激しく揺らす。 激震の中現われたのは、圧倒的な質量――星界の遊星達。次々と降り注ぐ隕石は、鉄槌のようにフィクサード達を打ち据える。 「……やるではないか」 「次は貴方の番です。『魔導師』の自負たる魔術の技、全て視させていただきます」 きり、と言い切った悠月。その声に、雷音もまた己を取り戻す。 「貴方はこの中の誰よりもすごい魔道士だ。でも、誰かを信じる力がどれほどのものであるか、それを知らない」 虚勢かもしれない。傲慢かもしれない。けれど、彼女は魔力を練る。自分の技術の粋が、この大魔道にもきっと通じると信じて。 「だから、ボクがその力を教えてやる。出し惜しみはしない!」 一直線にアラステアへと飛んだ符は、インヤンマスターでもごく初級の技。だが、彼女が何千何万と使い、鋭く研ぎ続けてきた必殺の符だ。 魔力の盾にぶつかり、ばちりと火花が散る。だがそれも計算済み。瞬間、四方に潜ませた符が幾重にも描いた封印が、アラステアを縛らんと呪力を燃やした。 幾度目かの隕石雨がリベリスタに降り注ぐ。魔の星墜。天の流槌。遥か『天空』より降り注ぐそれらは、彼らに絶望的なまでの傷を与えていた。 もとより対軍用にも数えられる大魔術である。いまや少数となったアラステア側が多数のリベリスタを相手取るにはうってつけの大技なのだ。 「隕石落としの秘術……見事なものです」 いつも通りの態度を崩さず、シエルが感心するかのように呟いた。だが彼女も散々なものだ。強健なる戦士でさえ膝を突く猛攻の中、回復にいそしむ彼女でさえ負傷と無縁では居られない。 「……死ねませぬよ、恋人を残しては……」 ちらりと見れば、光介が肩で息をしていた。二人が連打するのは癒し手の最秘奥。沙希の支援があるとはいえ、継続力に劣る彼には辛いだろう。 「そんな目で見ないで下さい。わくわくしているんです、ボクは」 だが、そんな彼女に光介は告げる。それは、常の彼からは想像もできないほどの熱意。線の細い彼が魂の奥底に秘めていた、魔術師としての矜持。 「知りたいんです。ボクの万式実践魔術がどこまで通じるのかを……!」 「光介様……」 絡み合う視線。一瞬の永遠。二人の間に交わされる熱は、だが彼女を狙う凶弾によって中断を余儀なくされる。 「シエルさん……っ!」 その時。 覆いかぶさるようにシエルを庇った人影が、その背に銃弾を受け止めた。びくん、と跳ねて、そのまま力なく彼女にもたれかかる。 「沙希様! ……沙希様っ!」 そう、それは二人に気力を分け与え、支えてきた沙希だ。 (斃れさせる訳にはいかないのよ) いつもの感覚。こんなときですら念話かとシエルは泣き笑う。だがそんな彼女に、空ちゃんは癒すのが仕事でしょう、と諭す沙希。 (死人は見たくないの、私も含めてね。それに羊ちゃん、科学の粋たる研究所で対峙する魔術師なんて、趣があるじゃない?) そう茶化す沙希に、光介も表情を引き締める。 「始めましょう、シエルさん。遍く響け――」 「はい、癒しの歌よ――」 交互に唱えてきた癒しの術を、今は二人で重ねて響かせる。美しい音律が爆音鳴り止まぬ戦場でハーモニーを奏で、あまねくその韻を届かせる。 「「白銀と紫苑の誓約」」 二人の声が和して一つの音となり、天界の扉を開く。降り注ぐ癒しの力は尽きることなく、リベリスタ達の傷の大半を跡形もなく消し去っていった。 「これは……。いえ。後にしましょうか。神秘探求を始めましょう」 治癒の奥義に驚きを隠さなかったイスカリオテが、その感情はすぐに消え失せる。彼が蛇の瞳で狙うのは、アラステアが持つ神秘の秘奥、ただそれだけだ。 「貴方は私の獲物だ。誰にも奪わせはしない」 模倣。それこそがイスカリオテの狙い。貪欲なる神父は、だが目的の為には理解も経験も足りていないと知っている。それを埋める為には、計測と――もう一つ。 「蛇の執念、甘く見ないで頂こう」 運命すらも燃やし尽くす覚悟で彼はこの場に居た。理念、術式、構成、全てを読み取り、呑み干し、奪い取る。そのためだけに戦場に身を置いたのだ。そういう意味では、やはり彼はアークの中でも異質な存在なのだろう。 だが彼は知らない。実のところ、アラステアは彼が望む秘密など何も持っていないのだ。 アラステアは、才能と努力とを武器にして、己の常識的な能力を非常識の域に叩き上げた類の人物である。種を明かしてみればあっけないが、魔力が高ければ初級の攻撃魔法ですら素人の大魔法を凌駕する、という程度のことでしかないのだから。 「取り急ぎ、その邪魔な結界には消えていただきましょうか」 ならば、とイスカリオテは体内の魔力を燃え立たせる。沸騰するマナが灰色の弾丸となり、アラステアへと喰らいついてその結界にひびを入れた。 「格好悪ぃが此方も力押しだ、俺もタダじゃ済まねぇがお前に仕事はさせん」 その隙を狙うように、重戦車のごとき巨躯が割って入る。名前は知らなかったがあの時の野郎か、と呟くランディは、一年前の記憶と目の前の男とを一致させていた。 「おのれ、リベリスタ共が!」 「俺らを舐めすぎなんだよ!」 赤黒く染まった大斧が、恐るべき勢いで振り回される。刃の渦は激しい闘気の嵐を生み、烈風となって四方を襲う。明らかな重戦士の出現に慌てて不可視の盾を張り巡らせたアラステアだが、闘気の前にその結界は吹き散らされていた。 「ウチの連中は変なのが多いが、耄碌した怪盗なんざ叩き返してやるさ」 だが、ランディの攻撃は終わらない。旋回を止め背後へと引いた斧頭に、彼の身体に漲る戦意全てがオーラとなって収束する。 「そしてここも押し通るまでよ!」 振り抜いた。至近距離から叩きつけられたエネルギー塊は、まともにアラステアへとぶち当たり、白い爆発の中に彼を呑みこんで。 (今まで二度遭遇して、二度とも取り逃がした) その爆発の中に、『直上から』飛び込んだ影。それは漆黒のドレスに身を包んだ少女。冥界の鎌を握り締め、この時を待っていたアンジェリカが、必殺の決意と共にアラステアへと迫っていた。 (もう二度とキマイラが生まれる事のないように。罪無き命が弄ばれる事の無いように) 彼女とて度重なる攻撃に疲弊していた。全身を走る痛みは、治癒されてもすぐに消えるわけではない。だが、とにかく手は動く。足も動く。心臓だって動いているのだ。 「ここで退くわけには行かない!」 白い光の中で、彼女の姿がぶれていき、そして別の影を生む。それは暗殺者の秘奥義。高速移動と呪力とが生み出した、質量を持ち敵を狙う五人の暗殺者。女神を象った得物を手に、アンジェリカの残像はアラステアを襲う。 「悪いけど、お前の転生を願う気はないよ。魂まで砕け散れ!」 次々と突き刺さる大鎌の刃。魂を刈り取る刃の鋭さと、流し込まれる瘴気の呪。身体のあらゆる部位を蝕むその苦痛に、ついに『魔導師』は意識を手放して。 同時に、彼を保護していた魔力が消え、ランディの闘気が肌を、肉を消し飛ばす。眩い光が消え去ったとき、そこにはただ肩で息をするアンジェリカだけの姿だけが残されていた。 三人の指揮官を失い、地下二階の倫敦派はもう組織的な抵抗を放棄していた。程なくして、実験室や培養室で抵抗を続けていた残党もついに掃討され、あるいは捕縛されることになる。 休む間もなく階下へと応援に向かおうとするリベリスタ達。だが、彼らがここで得物をとることはもうなかった。ちょうど階下へと降り立ったと同時に、アクセス・ファンタズムがアーク本部からの緊急通信を鳴らしたからである。 彼らの誰もが待ち望んだ、その知らせを。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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