●きっと、知ってしまうでしょう。君は、 999本の薔薇の意味を嬉しそうに語った少女は一人眠りについている。 傍に居ないあの人は、ロマンチストだからきっと薔薇を摘みに行ったのだろう。 999本の薔薇を私に送るだなんて。なんて、なんて……馬鹿なのかしら。 きっとそう。きっと、彼は薔薇を摘みに行っただけ。 長い時間をかけて蓄積された恋心は段々と欠けていく。不安が蝕む感覚を少女は知っていた。 不信感が齎したものは、 うそ、うそだわ。貴方は死んでなんかいないでしょう? 誰、誰が貴方を隠してしまったの……―― ●薔薇の街 鮮やかな雪景色は欧州ならではと言ったところか。盛況な街を潜り抜けた欧州の片田舎、薔薇の生産が盛んなそんな街で『蜜蜂卿』メリッサ・グランツェ(BNE004834)は生まれ育った。 雨の多くなる季節に差し掛かる手前、一気に大きな薔薇の花を咲かせる街はメリッサにとって忘れられもしない光景だろう。 そんな『想い出の場所』に足を踏み入れたのはとある理由がある。 「さて、La Belle au bois dormantの眠る場所は何処かしら?」 薄氷の瞳を細めて首を傾げて見せた『運命狂』宵咲 氷璃(BNE002401)の言葉にメリッサは小さく頷く。 La Belle au bois dormant――眠り姫の物語。 この薔薇の街には『茨姫』が存在して居るのだと言う。それは『ホリゾン・ブルーの光』綿谷 光介(BNE003658)が店長代理を務めるブックカフェに置いてある童話とは一風違っている。 その昔、この街に『茨姫』が訪れた。長い緑の髪に優しげな瞳をもった彼女の外見はまさしく異邦人。 『銀狼のオクルス』草臥 木蓮(BNE002229)が角を持つ様に、氷璃が翼をもつ様に、だ。 その一風変わった姫君は一人の青年と出会い、恋に落ちる。 幸せは長くは続かない。在り来たりな童話の通り、美しい姫君は『悪人』によって傷を負わされた。 その傷で死に至らしめられる訳では無く、長い眠りについた姫君は今もこの街に眠っている。 彼女を護るべく命を張った青年――王子様は彼女を護る為に深い傷を負い、命を落とした。 『姫よ、君が眠り続けるならば僕は君を護り続けよう』 王子様の想いは種子となり、永遠に枯れぬ薔薇へと姿を変えた。 彼女を護るべく茨となり今も彼女の傍に存在して居ると言う……。 「在り来たりな『童話』にリアリティを求めるのもおかしな話ではあるがな。 尤も神秘というものは乙女心もロマンも持ち合わせずにその存在を主張するものだ」 「ええ。青年がリベリスタ。異邦人の姫君がアザーバイドであった……そう考えれば何時も通りの任務ですから」 淡々と無表情のままで告げる『普通の少女』ユーヌ・プロメース(BNE001086)に頷いた『戦奏者』ミリィ・トムソン(BNE003772)は「ならば悪人は『フィクサード』と言った所ですか」と囁いた。 彼女達の言う通り、リベリスタの青年が愛したのはアザーバイドの姫君だったのだ。 運命に愛された『茨姫』には害はない。しかし、彼女の手にしているアーティファクトが問題だった。 彼女を護るべく発生する茨が危害を齎し始めたというのだ。 童話の中では王子様が薔薇に姿を変えたと言うが、ソレは別物だ。姫君の腕に抱かれたアーティファクトの硝子の薔薇こそが彼女を護る茨の発生源なのだろう。 「硝子の薔薇に美しい茨ね。確かに見栄えも良いし高値で売れるでしょうけれど」 『慈愛と背徳の女教師』ティアリア・フォン・シュッツヒェン(BNE003064)の言葉は続かない。 彼女が口にした言葉こそが全てだ。 高値で売れるであろう美しいアーティファクト。その噂を聞きつけたフィクサードが彼女を狙っているのだと言う。 その事実を茨から察知したのだろうか。眠り続ける姫君は王子を喪った悲しみと更なる不信感を胸に、茨で周囲へと危害を齎して居る。 美しい薔薇の街を護ると言うのもリベリスタの重大な任務の一つだろう。 「この街を護る為に大事なことですから……ああ、そうだ。そのお話しに続きがあるんですよね?」 『幸せの青い鳥』天風・亘(BNE001105)の言葉に小さく頷いたメリッサは理知的な瞳を細めて囁いた。 「君の為に街一杯の薔薇を咲かせよう。君を護る為に、この薔薇を捧げよう」 999本の薔薇で埋め尽くして、この場所で君を―― |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:椿しいな | ||||
■難易度:NORMAL | ■ リクエストシナリオ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2014年01月21日(火)22:43 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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● 冷たい風は、鮮やかな雪景色の中で見ると一層寒々しく感じる。寒さから赤らんだ頬を更に興奮で満たした『蜜蜂卿』メリッサ・グランツェ(BNE004834)はTempero au Eternecoを手に鮮やかな碧の瞳を輝かせている。 「幼少から聴いた姫に会えるのですね……!」 仄かな高揚は幼い頃にこの薔薇の街で伝えられた『伝説』だった。年頃の女の子――メリッサや『戦奏者』ミリィ・トムソン(BNE003772)であれば、お伽噺に胸躍らせる頃合いだろう。 「薔薇の街。ふむ、健気だな」 想い出話の一環、ブリーフィングでの作戦会議でメリッサの語った物語を思い浮かべ『普通の少女』ユーヌ・プロメース(BNE001086)は呟く。表情の変わらぬユーヌの様子から、彼女がロマンチックな物語に心躍らせる少女であるかは読みとれないが、闘う気概だけは十分の様にも見て取れた。 「初心な思いの成れの果て……ビターチョコ程度には甘い結末を。まぁ、全て無駄に終わる終わりもありだが」 「でも、メリッサさんの故郷ですから……」 救いたいと囁くミリィの手には愛用のタクトが握られている。この場所はメリッサ・グランツェの故郷だ。欧州の深く、薔薇の生産以外には余り目立った部分のない街。晩春――五月に差し掛からんとする春と夏の間には鮮やかな薔薇を咲かせる場所は密やかな危機に晒されていた。 「招かれざる盗人と、情愛とロマンに塗れた独り善がりの呪いだなんて」 男が良かれと思って行うロマンチストな行動は女からは案外厭われる。愛を育み合う内ならまだしも、その愛が冷めきってしまえば過去の産物となるのは『女』という生き物の習性であろうか。薄らと照らす太陽の光を避ける様に星屑の帳を手にした『運命狂』宵咲 氷璃(BNE002401)の唇から零れたのは「馬鹿ね」の一言だった。 「そうね。呪いの様なものだけど……眠れる姫君が口付けで起きるのだってある意味呪いよね。 その『呪い』を解くのは王子の仕事。では、その王子様が既に居なかったなら、」 物語を語る様に。語り部――いや、この場合は騙り部とでも称した方が正しいのであろうか――の『慈愛と背徳の女教師』ティアリア・フォン・シュッツヒェン(BNE003064)の声は甘ったるい。ユーヌの言葉の様に表現するなればミルクチョコレートとでも言ったところか。 王子様が死んでしまった世界で未だに眠り続ける呪いを受けた姫君。彼女の心に差し込む不信感はある意味で妥当なものであるのかもしれない。 起こされる筈の口付けも与えられる、長きにわたって眠り続けた姫君。彼女の事を思い浮かべ、Piu mosso(じこしょうめい)を手にした『幸せの青い鳥』天風・亘(BNE001105)は深い溜め息をついた。 「彼女に何が出来るか分かりません。でも真実を告げ、これ以上彼女を悲しませないために……。 どんなに傷ついても、自分の全てで護って見せます」 「『王子様』の様な言葉ですね」 亘の決意に小さく笑みを浮かべたミリィ。お伽噺の中で王子様は今も姫君を護り続けて居ると言う。 優しいお話に耳を傾けながらも『銀狼のオクルス』草臥 木蓮(BNE002229)の表情は何処か暗い。La distanceを重ねた指の腹で撫で付けながら新緑の瞳に影を落とす。 「異郷に落ちても運命に愛されて、そこに好きな人が居て、その人も神秘に対して理解がある。 ――なんて、アザーバイドって立場を考えると凄く恵まれた環境だったのにな……」 何時だって、運命は残酷なのだと囁く様にユーヌが小さく笑った。 ● ふわりと浮かびあがった『ホリゾン・ブルーの光』綿谷 光介(BNE003658)の背には可愛らしい翼が生えている。小さな翼を仲間達に与えたティアリアがとんとんと足先を地面に押し当てる。束の間、浮かび上がった彼女のドレスが空を舞う。 上空から見た薔薇の迷路は冬の寒い時期だからか華やかさは感じられない。しかし、郷土の人間の愛情が込められているのか美しい薔薇の園は整頓されている。眼窩の薔薇の園を見詰めながらお伽噺の一節を想いだし、ミリィは「ああ、」と小さく囁いた。 ――君の為に街一杯の薔薇を咲かせよう。君を護る為に、この薔薇を捧げよう。 999本の薔薇で埋め尽くして、この場所で君を―― 「何度生まれ変わっても、また貴方を愛します……でしたか。込められた想いは」 浪漫溢れるというのも困りものだ。薔薇園を一気に飛び越えるミリィの眼前を青い翼を広げた亘が飛び出していく。迷路を飛び越えるように宙を舞う彼の眼が見つめるのは風車の近くに居る男たちだ。 「前方、其の侭だ。馬鹿な奴らめ。南京錠を開ける事も出来ないか」 研ぎ澄ました五感で周囲の把握を行うユーヌに合わせ、持ち前の勘の良さで直ぐ様にその位置を把握した木蓮が頷く。空中で展開した戦闘態勢。翼を広げ一気に刃を振るった亘が小さく唇を吊り上げる。 「御機嫌よう。……今日はちょっと感情的になってる様で。 利益のためにこの場所を踏みにじる貴方方にはお帰り頂きましょう」 薔薇の迷路を飛び越える間にフィクサード達も迎撃態勢を作っていたのだろう。亘の頬を掠める弾丸など彼は物ともしない。仲間達が辿りつくまでの間を一人でこの場所を防いで見せると決めて居たのだろう。 ひゅ、と何物かが掠める。それが茨である事に気付いた亘がステップを踏む様に一歩下がった場所へと振り翳される姫君の茨。意思のあるソレは人間の腕の様に精密に動き、刃の様な鋭さを持っている、 「招かれざる花盗人にはお引き取り頂きましょうか」 茨を避け、前方のフィクサードを黒い鎖で絡め取った氷璃が形の良い唇を吊り上げる。血の鎖は伸びあがる黒き光の様にも見えた。 襲撃に対して果敢な攻めを見せるフィクサードの動きを止める様に投げ込まれた閃光弾。ユーヌのそれは前線に立っている亘を巻き込まない様にと位置調整をしてたのだろう。閃光が草を巻き上げ、焦がす様に広がっていく。 「――」 「何だ、ですか? 此処は仲間の故郷。貴方達に荒らさせる訳にはいきません。――任務開始」 『戦場を奏でる』と振り翳すタクト。欧州の言葉を聞き分けられるのは、あらゆる言語に通ずる能力を備えたミリィの準備からだろう。フィクサードの足止めを行う様に展開するリベリスタ陣形の中に鞭が如く打ち付けられる。茨の下を潜り抜けてメリッサが走り込む。 「不埒者。茨姫には指一本触れさせません!」 茨を掠めようとメリッサは茨への抵抗は一切と行わない。頬が裂けた痛みに一瞬浮かんだ戸惑いは直ぐに消え去った。破壊的なオーラを纏い、幾度となく繰り返す付きに合わせ、光介が彼女の痛みを払っていく。 迷路を一気に飛び抜けた光介の目の前に存在して居たのはまるでお伽噺にでも出そうな古い風車だった。 「花風車でしたっけ……」 落ちそうになる帽子を手で押さえ、じっくりと見つめる彼の瞳に映る茨。慄き、部外者を阻害せんと荒れ狂うそれに彼は唇を噛み締めた。 「……誰かのために、できる事を」 「ええ、でも、わたくし達が彼女の眠りを起こせるのかしら……?」 魔力の循環を感じるティアリアの言葉に光介は後衛位置で周囲を見回しながら手にした十徳ナイフの切っ先に触れる。 ぷつり、と指先に食い込む切っ先は迷いを抱いている。切れれば血が出て傷が出来るのに彼女の傷が見えない事を憂う様にナイフからは小さく血が滴った。 「困ったもんだよな」 囁きと共にMuemosyune Break02を構えた木蓮が前線へと飛び出した。荒れ狂う茨の間を抜ける弾丸はフィクサードの腕を貫いた。続けざまに亘が振るった攻撃は光りの飛沫をあげて、前線で応戦するフィクサードの腕を切り裂いていく。仕返しと言わんばかりに喰らう攻撃へと回復を行う光介、ティアリアのお陰か安定した戦闘を行う事が出来て居るリベリスタ陣営が危惧するのは、フィクサードからの攻撃では無く、フィールドに存在する茨の存在だった。 「不運に重ねて、不運だな? 昔話の結末で悪漢如きは端役だな。まぁ、観光地にゴミを放置する趣味はない」 『――ッ!?』 「ゴミでも言葉の意味を何と無くは感じとれるのか。不作法だと眠りを醒ます王子様には程遠いがな」 ユーヌへと視線を集めたフィクサード達が風車から離れ彼女の元へと攻撃を行わんと集い出す。最大のチャンスだと言う様に視線を強くするミリィに合わせ、弾丸を撃ち込んだ木蓮がその往く手を阻めば、氷璃の錆色の鎖が濁流の様に飲み込んだ。 ● 光介の手におって開けられた南京錠。「侵入には違いないですけど」と微妙な笑みを浮かべた彼に頷きながらミリィは風車の中に足を踏み入れる。 蔦の絡みついた壁に、茨だらけの階段は『茨の城に閉ざされた』お伽噺を思い浮かべる。窓一つだけの塔と言われて頭に浮かぶのは“Rapunzel”であろうか。高鳴る胸を抑えたメリッサは茨を傷つけんとゆっくりと歩んでいく。 (――伝えたい言葉を、伝えましょう。物語は、まだ……終わっていないのですから) メリッサへ向けて振り翳される茨を木蓮は身体を捻り受け止める。茨姫を起こすには王子様のキスが必要なのだと言う。ブリーフィングでの相談で口付け役を買って出たメリッサを姫の元へ運ぶことこそが自分のできることなのだと木蓮は考えたのだろう。 「綺麗な花の棘なら良いが、棘ばかりなのは減点だな」 影人を庇い手にと配置したユーヌの毒に氷璃は「茨が彼女の心を映す鏡なのでしょう」とビスク・ドールを思わせるかんばせを歪めて笑う。 ポケットの中に入れた万年筆を指先でなぞりながら、懐中電灯を構えたティアリアはゆっくりと歩いていく。氷璃とミリィといった異界への造詣が深い二人が先行し、その後にメリッサが付いていくという構図を木蓮やユーヌ、亘が庇う様に布陣して居る。回復支援を行うティアリアと光介は周辺警戒を怠らず緊張した様に辺りを見回して居る。 「……来る」 ぽつり、と零した木蓮の言葉に身構えた亘が横腹に向けて飛び込んできた茨を受けとめる。腹への衝撃に揺らぐ足へと力を込めて、撫で付ける様に棘だらけのソレに触れた。額に伝った汗は突然の痛みに対しての焦りを顕している様だ。 「自分たちは全てを受け止めますから。……だから、何とかそこまで持って下さいよ」 「大丈夫、倒れさせる訳がないわ」 小さく浮かべた笑みに、回復を施すティアリアへと礼を告げ、襲い来る茨をリベリスタは受けとめる。 ――こないで。 「眠り姫」 脳裏に響く声に応える様に。ミリィの唇が紡いだ言葉に首を振る。駄々っ子の様に襲い来る茨が付ける傷に頬に走る一筋。伝う血を拭いミリィは何時になく冷たい微笑を浮かべた。 お伽噺の眠り姫は王子様の口付けで起こされる。古今東西、今も昔も変わりない。その起こし方。然るべき手段を以って姫君は起こされる。それが、この『物語』の終焉なのだから。 ――あの人は、どこ……? 「姫。誰も王子様を奪ってなどいません。王子様は、もう居ません」 薔薇が、メリッサに襲い来る。受けとめる木蓮の掌に力が込められる。茨が掌に食い込んだ。傷つける様に、飾られる指輪の上に走る一筋は氷璃の言う『呪い』の様に深く刻み込まれて行く。 「彼はもう居ない―― 貴女が眠っている間に死んでしまったわ。貴女宛ての遺言と最後の贈り物を残して、ね」 革醒者であれど、死する時は死する。アザーバイドの人間の違い。その作りからして違うのだから、結末は最初から見えて居た筈だ。恋は盲目と言う言葉があるが成程、それはこの様なものを言うのかと僅かながらの皮肉を込めた笑みを浮かべて氷璃は袖口で口元を隠した。 茨の攻撃を受けながら塔を昇るリベリスタ達。最上階に通じる階段は長くはないが、短くも感じない。重苦しい想いが渦巻く中で、ユーヌは茨を押しのけて懸命に足場を作り続けている。 「眠いのなら、眠り続ければ良い。それはお前の自由だ。害がないなら知ったことではないからな」 ――だって、あの人は! 「人は長くは生きられない。姫とは違い私共は脆い生き物です。彼は――」 その言葉を告げる事が、どれ程のプレッシャーであったろうか。メリッサの迷いに察した姫君が首を振る。涙を零す様に、階上から打たれる茨の鞭に、枯れた花弁。雨が如くに降り注ぐ花弁のシャワーを受けながら、一歩踏み出して「姫君」と呼んだ。 声が、 「ですが……薔薇の花言葉を想いだして下さい」 声が、震えている。 「……999本の薔薇の言葉ってわかるだろ? 何度生まれ変わってもまた貴女を愛します……だろ?」 補佐する様に木蓮がメリッサの背を押した。瞳を伏せるティアリアが「一途なのね」と囁く声に、薔薇の花弁は何処からともなく降り注ぐ。 眠ったままの姫君の下に辿りついた時、彼女の伏せられた瞼からは一筋の水が、伝った。 ● 天蓋のついたベッドで眠る美しい少女はまさしく童話の少女だった。光介はウィルオウィスプの銀時計に指先を這わせ、眠る少女の横顔を見詰めている。 「王子様の死を認めたくはない、ですか?」 はっきりと告げられる声に姫君の周囲の茨が蠢いた。死を拒絶する事は『人間』らしい感情だ。命ある物は誰しもその想いを抱くものだろう。その拒絶が生み出した見えない敵が彼女を苛むものなのだから。 両掌に握られた硝子の薔薇。アーティファクトであるソレが姫君の胸に刻まれた刻印に呼応し光り輝いている。 「その胸の刻印は贈り物なのかしら? 貴女の体に刻まれた愛(のろい)なのかしら」 姫君の胸元に刻まれた刻印は、彼女がアーティファクトを制御するために刻まれた絆であったのかもしれない。 眠り続けながらも、心は起きている。未だに眠りを求める身体を余所に心は今も泣いているのだろう。 「……彼の想いが為した薔薇こそが、貴女の抱いている硝子の薔薇です。 自分は、その薔薇を貴女にこれからもずっと持っていて貰いたい。それが、貴女の彼の愛でしょう」 掌に感じる感触が、彼が唯一残した物なのだとしたら。 それでも、亘は知っていた。彼が残したのはこの忌々しい呪いの花でも、不義でもなく、彼女への変わることのない愛なのだと。 この場所に生まれおちた人間が薔薇の花を愛し続ける限り、消える事のない愛の証明があるのだと。 「目を醒まして、この窓に広がる全てを見て下さい。貴女への彼の変わらず消える事のない愛を。 ……どうか、それを失わせず貴女に見て居て欲しいです。自分勝手かもしれません、ですが」 「お姫様、自分の為に王子が作った街だそうだ。微睡み見過ごすには勿体ないぞ」 窓の下、今は花開く時を待つ薔薇の迷路。美しい薔薇が咲き綻ぶこの街の伝承。 茨姫の為に薔薇を咲かせた王子が残した美しい景色は、『彼女への愛』を顕して居るのだろうから。 ――薔薇の、街……? 「ええ。私の故郷は薔薇の街と言われています。貴女のための、薔薇です」 眠り続けるアザーバイドは眠りながらも脳裏へと直接意思を送り届ける。彼女が話すたびに茫と光る胸の刻印、呼応する様に蠢く茨へと氷璃が警戒を強くする。 一歩、歩み出て「彼の残した街です」と応えるメリッサへ、振るわれる茨を受けとめて、木蓮は小さく笑う。 「人に災いを齎す事で有名になるんじゃなくて、綺麗な薔薇で人を楽しませることで有名になろうぜ」 重ねて木蓮は問い掛ける。きっと知っていたあの人は誓いを破る人じゃないだろう、と。 長い眠りから覚めた時、彼女の傍に『王子様』は居なかった。 茨姫も普通の少女だったのだろう、女の子と男の子。たったそれだけの小さな恋話。 「素晴らしいことだわ。……わたくしは、亡くした人を想いながらも、何度も恋焦がれて」 震える声で、ティアリアはドレスを握りしめる。眠り続ける姫君の横顔は無垢な子供の侭だった。 「……また、亡くすのだけど。懲りないでしょう?」 「それを受け容れる強さは、凄いです。でも、受け入れない限り貴女が苛まれてしまうから。 起きて、見つめてあげてほしい。彼の死と……彼が死に際まで捧げた貴女への愛を」 ――貴方に、何が。 「分かります。ボクにもボクだけのお姫様が居ますから。永久の誓いを受けとめて下さい」 光介の掌に力が籠る。自分が、死に瀕したあの時を想いだす。回復を手にする自分だけの姫君を思い浮かべる。 真摯な言葉に、揺れ動かされるだけ。優しさがそこにあるのを知っていた。 それが『誠意の見せ方』であったから。目の当たりにした現実が絶望的なものでも、痛みを齎す物でも。踏み出さなければ真実は何処にも見えないのだから――嘘はそこにないと、知ってほしいから。 「私は、――」 幕引きは、何時だって残酷だと知っていた。 首を振り、メリッサの背を押した。いつの間にか暴れる茨は大人しくなっている。 何も彼女を苛まない。 ゆっくりと救いあげた手の甲へ。 落とした口付けに、薄らと目を開けた姫君は、泣きだしそうな顔をして、メリッサの腕に縋りつく。 「あの人の護った、あの人の作ったこの街は美しい……?」 「ええ、私の生まれ育ったこの街はもうすぐ薔薇に包まれます。とても、美しい街なんです。 王子が貴女に捧げた愛は、今もこの街に生きてますよ」 ――春と夏の谷間。爽やかな風吹く優しい日が降り注ぐそんな日に。咲き綻ぶ薔薇の迷路に居た一人の青年へ。 「あの、貴方……」 何時の日か、誰かが優しく笑って出口へと手を引いていくのだろう。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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