● きりきり、と小さく歯車の回る音がした。 其処に詰め込まれたのは、誰かのゆめだった。 ひらひらと、雪が降ってくる。白くて綺麗なそれは、一度きりしか見た事の無い記憶のひとかけら。 もう一度、と願っていた。 何時かの想い出を。その温度を。少しでいいから。 薄れてしまう前に詰め込んだ。ほんの少しの神秘と一緒に。いつのひか、平和な世界でそれを開く時が来るように。 そんな願いはかなわなかったけれど。 神秘と願いの詰め込まれたそれはひとりきりで静かに、己の終わりを待っていたのだ。 軋むような音は止まない。僅かに開いた隙間から、微かなオルゴールの音色が聞こえ始めていた。 ひらり、と。 雪が降り始めていた。 ● 「……湖行くぞ。暇な奴居るんならついて来い」 机に放られる何枚かの写真。酷く端的な『銀煌アガスティーア』向坂・伊月(nBNE000251) の言葉に首を傾げるリベリスタは少なくない。 今の季節は冬だ。海で遊ぶような時期では―― 「あー。泳がないぞ。ついでに言うと事件でもねえよ。嗚呼いや、事件と言えば事件か。……とある、アーティファクトの回収をしに行くんだ。 大した危険はない、って言うか実質害も無ければ危険も無い。丁度向かう先でアーティファクトの効果が発動するが、発動が終われば壊れる。……まぁ一応神秘の品だしな。発動中の監視と、壊れたそれの回収は必要って訳。 なんで、正直人数のいる話でも無いんだけどな。……このアーティファクトの効果が中々珍しいもんなんで、羽根休めついでって事で声かけた」 ひらり、と置かれる紙。纏められたそれが正しければ、そのアーティファクトは言わば『アルバム』だった。ビデオテープと言っても間違いではないのかもしれない。 「『想い出缶詰』。此処に詰め込まれた神秘要素は、缶詰を空ける事で拡散、具現化する。そして、それに触れた奴の想いに応えて夢を見せてくれる。 ……コレを作った奴は、雪が見たかったらしい。だから現場では雪が降って、周辺のもの、湖とか、森だな。それが一時的に全部凍る。が、寒くは無い。で、それに触れればアーティファクトの効果を受けられるって事。まぁ、要は雪の中で本来不可能かもしれない夢を見られるって事だ」 凍った森に花を咲かせてみるなんていう夢のような事も、もう居ない誰かと一夜出会う事も、もう一度見たい想い出の何かを眺める事も出来るだろう。それは、そんな奇跡だった。 「……一年一度の聖夜だ。少しくらい、夢がある仕事があるのもいいだろ。一応アークに頼んで防寒具とか、飲み物菓子くらいは用意してある。後は好きに持っていけ。……じゃ、気が向いたら当日」 ひらひら、と振られる手。資料だけを残して魔術師はブリーフィングルームを出て行った。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:麻子 | ||||
■難易度:VERY EASY | ■ イベントシナリオ | |||
■参加人数制限: なし | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2014年01月10日(金)23:44 |
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■メイン参加者 26人■ | |||||
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● 手中で揺れる茶色は甘く温かく。其処に降り頻る雪は冷たく、とても神秘的で美しかった。そんな奇跡もあるのだと、ゼフィはそっと目を細める。戦い。危険。そんなものばかりだと思っていたのに。 こんなにも優しい神秘がこの世界には存在するのだ。触れるそれに夢を見なくとも、この美しさだけでゼフィは十分に幸福だった。過去に失ったものは確かにあって。 けれど、それでも今は未来を見たかったのだ。共にある、方舟の仲間と共に、この先の世界を。戦う決意を固めた少女は、もう一度雪を見上げる。 「くりすます、奇跡が起きる日って聞いていましたけど、本当なんですね」 こんなに優しい一日をまた来年も。その為にも、此処で夢を見る誰かの想い出を守れるような自分になりたいと、祈る気持ちも今日なら届くだろうか。 「やあ、少し久しぶりだね。元気にしていたかい?」 店を持てばこんなにも活力が沸くのか、自分は元気だと告げるよもぎは勿論と頷いて見せる狩生と共に、そっと湖の縁を歩いて行く。こんなにも凍った湖を見た事は一度も無い、そう言いながらぎこちなく差し出す手。 「狩生くん、よければ片手を借りてもいいかな? つまり、その、端的に言うと……散歩してる間だけ手を繋いでもいいかい?」 どうぞ、と差し出されたそれをそっと取って。もう片方の手が触れる雪。其処に立つのは、2人の子供だった。元の自分。まだ、時を止める前の。それを見て欲しかったのだと言うよもぎの前で、少年にさえ見える自分が笑う。 まだ失っていない片割れが、同じ様に笑う。嗚呼。本当に懐かしい。思わず力の籠る手に、狩生は僅かに目を細めて。そんな彼は何を望むのかと見上げれば、少し困った様な笑み。 「――遠いものがあり過ぎて、何を望めばいいのか」 すぐには思いつきませんね、と。呟く声は何処か寂し気だった。こつん、と表情に乗るヒール。鮮やかな紅と蒼のドレスに、ふわりと舞い落ちる雪と煌めき。これ以上ない程に幻想的な銀盤の上で、ミュゼーヌと彩花は互いに微笑み合う。 「こんな絶景の銀盤を独占できるなんて……幸せ」 「ええ、こんな素敵な機会にミュゼーヌさんとご一緒出来て嬉しいです」 踊りましょう、とどちらからともなくスカートの裾を摘んでお辞儀を一つ。差し出される手と手が重なり合う。ダンスの心得は十分だ。軽やかにリズムを刻むヒールの音。煌めく世界で、ミュゼーヌは楽しげに頬を染めて目を細める。 「何だか……貴女とこんな風に戯れるなんて、珍しいわね」 何時もは友人達も含めて賑やかに遊んでいるのだけれど。偶にはこういうのも良い。凍て付く湖面が星屑を弾いて、何処までも美しいこの場所で踊るこの時を『想い出』に。触れた雪が映し出す紅と蒼の踊りは、二人にしか見えない特別だ。 「勿論、私とミュゼーヌさんの二人だけの秘密ですよ?」 「えぇ、勿論。この時この瞬間の『想い出』は、貴女と私だけの物よ」 そっと唇に添えられる人差し指。内緒、と悪戯に笑う声だけが、降り頻る雪に吸い込まれていく。 「くじらが見たいんだ。以前はくじらの胃の中しか見られなかったから」 今度は写真でも映像でも無く、外から見た、大きな鯨を。尽きぬ探求心の儘に望むヘンリエッタに少し笑った伊月と共に。湖の傍にあった木にそっと触れれば途端に落ちる大きな影。見上げれば、其処には悠然と空を泳ぐ大きな大きなシロナガスクジラが存在していた。 海の生き物は空で見る事が幾度かあったから。きっとその影響なのだろう。すいすいと泳ぐ姿に思わず見惚れて、おおきい、と感嘆の息を漏らす。満足いくまで夢中で見上げる自分の横で興味深げに空を見上げる伊月に、はと視線を戻して。ヘンリエッタはそうだ、と荷物の中へと手を伸ばす。 「……そうだ。くりすますというのは贈り物をするのが一般的だそうだね」 だから用意してきた、と。差し出されるクリスマス風のラッピング。中身は綺麗に折り畳まれた、夕陽の名残から宵空へと移ろう色のマフラーだけれど――それを彼が見るのはきっと帰宅してからだ。酷く驚いた顔で包みを受け取る彼に、笑みを浮かべて。 「めりーくりすます、伊月さん。いつもありがとう」 「メリークリスマス。……有難く貰っとく」 何処か照れた様に視線を逸らしながらも。その手は酷く優しい手つきで包みを抱え直した。 ● クリスマス。優しい想い出の日。1人祈り過ごしたリリと、友達と騒ぎ倒した風斗はけれど同じ様に今日という日の締め括りにこの場所を選んでいた。 「ああ、リリさん。せっかくですし、一緒に歩きませんか?」 「あっ……喜んで」 並んで踏みしめる雪。ぽつりぽつりと振り返るのは、この一年の事だった。沢山の事があったのだ。嬉しい事も楽しい事も、辛い事も悲しい事も。それに整理をつけて、出来れば来年の平穏を願って。落ちた静寂を破ったのは、立ち止まったリリの声だった。 「メリークリスマス、です」 本当なら後日渡そうと思っていたのだけれど。傷の多い彼を護ってくれるようにと祈りを込めたそれを渡せば、目の前の瞳が驚いた様に瞬いて。着けてもいいですか、という声に頷いた。 「……あたたかいな……うん、この温もりを護らなきゃな」 表情を緩めて。そっと、伸ばした指先が掬う雪。直後、辺り一面に広がった花々に、リリは小さく息を呑んだ。綺麗な花弁が散る其処は、まるで彼の心を映す様で。 「こんな優しい世界を、一緒に歩いていけるといいですね……」 「はい……一緒、に」 振り返れば彼と超えられたものは多かった。だからきっと、来年も前を向いていける。だって、彼とみる世界はこんなにも優しいのだから。折角共に依頼を成功させたのだから。労いの言葉をかけようと竜一が呼べば、狩生は僅かにその表情を緩めた。 「ありがとう。狩生の力がなけりゃ負けていただろうしね」 「君の活躍ぶりには劣ります。実に、素晴らしい戦いでした」 無論、勝利は皆で勝ち取ったものだ。方舟の強さはまさに人の絆であるのだから――何て言葉を竜一が振るのは伊月。驚いた顔ににやりと笑ってその肩を叩く。 「狩生はモテモテそうだし、あまり邪魔しちゃ悪いかな、て。いや、伊月が違うって話じゃないけど」 物言いたげな視線は軽く流して。それにと彼は付け加える。余り自分と伊月は関わりがないのだから、この機会に。 「一緒に依頼行く事になったら、ツーカーで通じ合う仲になりたいじゃん? な、伊月っち!」 「わからなくもねえ、が、その伊月っちって呼び方やめろ!」 反応すればするだけ思うつぼであるとの彼が気づくのは何時だろうか。 「俊介、俊介、大きな雪だるまをつくろう」 マフラーもしっかり。同じものを作ればきっと同じものが見られるだろうと雪に触れた雷音が子供っぽいだろうかと首を傾げれば、隣に屈んだ俊介がそれは勿論と大きく頷く。 けれど、そんなことは関係ない。せっせと雪を集める表情は楽しげで。頭と胴体、と分担しながら固める雪を見つめて、雷音は小さく雪が好きだと呟いた。 「なにもかも優しく静かに覆い隠してくれる」 嫌なものも全部。そうやって目を逸らす事が正しいとは思わないけれどそれでも、優しいものがこの世界にあるのだと思えて。それが嬉しいから。だから、雪が好きだった。ころころ、転がる雪玉。 「俊介の見えるこの世界は優しいものだとおもうかい?」 「俺は世界は優しく見えないな」 だからこそ自分の周りだけでも優しくなるように必死にもがいて無様に生きているのだ。それが苦しくても。 雪はきっとすべてを隠してくれて。けれど、それを重ねるといつかは何も見えなくなってしまう。雪は冷たかった。だから好きではない。其処まで告げて、俊介はでも、と表情を緩める。 「雪が溶けると春になるんよーそれは好きやね」 だから。視界を覆う雪が溶けて。この少女の目にも雪解け水に洗い流された世界が見えるようになればいい。そっと、髪を撫でる。 気づけば雪だるまは出来上がっていた。仕上げに耳を付ければ、可愛らしい白クマさん。冷え込みの厳しい此処では一晩で消えるそれがなんだか寒そうで。 「雷音ちゃんのマフラー、雪だるまさんにあげなよ。俺の雷音ちゃんにあげるから」 ありがとう、とそっとかける温かなそれ。この景色は残らない。けれど、こうして共に過ごした記憶は消えないから。少しだけ暖かくなった白クマを、雷音の手が撫でる。 「静かで綺麗な夜だ。それにくっつく口実を考えなくて良い」 何時も通りの軽口。そっと身を寄せコートを分け合って。ミカサは響希と共に凍てつく世界を眺めていた。そういえば、もう夢を見たのかと問えば振られる首。同じものを見ることもできると言っていたか、と思い返して。 そっと手を取り、映し出すのは嘘みたいに幸福な未来。ごく普通の、けれど最も得難く尊い未来の形。驚いた様に此方を見る赤銅に、きっと変えられないと囁いた。 まるで身を捨てるような戦いぶりはきっとこのままだ。けれど、それでも。 「必ず帰る事を……最期まで生きる事を誓うよ」 世界を護れても、彼女を一人にするのならばそれは無意味だった。こうして共に見た未来を、幻想だと笑うのも嫌だから。安心ね、と笑う彼女を見つめる。柄にもなく緊張で僅かに震えた指が、そっと持っていた指輪を差し出した。 「……月隠響希さん」 何時、なんて言えやしない。けれど。何時かきっとやってくる日。彼女がもう夢を視なくて済むようになるその時に。 「俺と、結婚してください」 吐き出す声は何処か震えているようで。けれどそれ以上に目の前の瞳が潤み震えていて。ぎこちなく、伸ばされた指先に煌めくしるし。それを眺めて、少し、わらって。喜んで、と紡がれた声と共に、伸ばされた腕がミカサの背を確りと抱き締めた。 ● 「見事なものだな」 呟く声さえ吸い込みそうな程に凍て付く世界は美しかった。きっと明色を弾くそれはさぞ美しかっただろうに、この奇跡は朝まで続かない。それを惜しむ言葉に頷いた伊月を振り向いた。 「先日、同居人と紅葉狩りに行ったが、あれも中々風情というものがあった――あぁ、」 勿論同居人は女だ、と悪戯に笑えば、気にしてねえしと背けられる視線。それにまた少し笑って、あまり感じぬ寒さをほんの少しだけ残念に思った。掌に舞い落ちる雪と寒さはきっと一緒でこそ風情あるものであるのに―― そんな思考を遮るように。目の前に現れた姿。もう居ない、少女の顔。似ているようで似ていない気もするそれに、朔は呟くのだ。今更だ、と。 如何しようと言うのか。自分達は互いをよく知らず、また知ろうとも思わなかった。今になって手を伸ばしてももう何も変わらない。知る事はない。否。知っているけれどそれを本人の口から聞ける日はもう遠い昔に何処かに行ってしまったのだ。 「……寒いな」 漏らした声が白く染まる。視線を逸らして、そっと隣に肩を寄せた。僅かに動いたそれは暖かくて。嗚呼、軟弱極まりない、と首を振った。寒いからだ。だから今だけ、こうしていたいだけなのだ。そんな彼女の頭に雑にかけられるストールと、男にしては細い手。 「嗚呼本当にな、だから暫くこうしてればいい」 人間2人なら多少はましだ。そんな声と共に、ぎこちなくその手が頭を撫でる。今日はひとりで。確りと傍観したティアリアは静かに森の奥へと足を踏み入れていた。そっと、切り株の上に腰かけて。吐き出す息は真っ白。 「……ふふ、さすがに寒いですわね」 声と共に触れる白。同時に目に飛び込むのは喪った想い出達だった。彼らは何も語らない。只静かに去っていく。その後姿を見つめた。見覚えのある長い髪。屈強な異世界の戦士。そして、ついその瞬間まで肩を並べ戦った仲間。 何かを言おうとは思わなかった。言葉を持たなかった。けれど、それでもこれは忘れてはならない記憶だった。只しっかりと見届け、見送るべきものだった。 「……わたくしは、貴方達を決して忘れない」 刻み、そして誰かへ語り継ぐ為にも。この命は決して無駄にしないとティアリアは気持ちを新たにする。温かい飲み物と一緒に歩く森の中。先日英国で肩を並べた狩生にお疲れ様、と告げたエレオノーラは、特に怪我の無いその姿に少しだけ表情を緩める。 「大怪我したりしなかったみたいで、安心したわ。一応心配してたんだから」 自分は何時も通り問題無い。案外と心配性な彼に告げれば一安心です、と笑う声。それを聞きながら、その瞳はぼんやりと雪を見上げる。白。これとよく似てけれどもっと寒く深い白の世界。かの聖人の名を冠した街。動乱に翻弄された其処。 求められてけれど結果全てを拒絶されたはずなのに。それでも。記憶や想いは拭えない。本当は何処かで望んでさえいるのだろうか。瞳を、そっと閉じる。 「故郷ってそういうものなのかもね」 帰る気が無くても。居場所が他にあっても。己が生を受けたその場所は、たった一つだから。ふ、と吐き出す息は白い。隣に視線をやれば、此方を見る瞳は何処か不安げで。笑って、緩やかに首を振った。 「大丈夫、帰れって言われたって帰らないわ」 今が好きだった。共に居る顔ぶれも。そして、ここを離れたい理由も、離れねばならぬ理由も、今は存在しないのだから。何よりだ、と浅く息を漏らした狩生に視線を合わせて、気を取り直すようにそう言えば、と首を傾ける。 「狩生君は何を見たのかしら。こっそりでいいから、教えてくれると嬉しいわ」 「嗚呼。そうですね、随分昔に諦めた夢を見ました。そしてそれは、漸く叶ってくれた夢でもあります」 私は友人が欲しかったんです、と。呟いて僅かに微笑む。内緒にしてくださいねと囁く声は、何時もより柔らかだった。 「……不思議な光景だな。ただ単に、不思議だ」 零れた声は誰にも届かない。一人きりで森に入った鷲祐の目の前に聳える凍て付いた木。これに触れれば、一体何が見えるのか。思考の端をちらつく何かをそっと飲み込む。12月25日。何時も思い求めた答えは、もう無かった。 足音がする。一人思い詰める彼の姿を視界に収めたのはやはり一人森に入った壱也だった。触れる雪。視界を過る想い出はたくさんで。嗚呼、今年は本当に色んな事があったのだと改めて実感する。けれど、その全てが今の自分を作るのだとしたら、壱也は決して嫌だとは思わなかった。 こんばんは、と声をかければ、振り向く瞳は何処か思い詰めた色を湛えていて。少しだけ困った様に笑って、壱也は視界に映る世界を眺める。想いが強いほど。時間が長いほど。沢山の記憶が焼き付いて離れない。 「俺は……いい加減、振り切るべきなんだろうがな」 まさに鷲祐もそうだった。離れた手。感じない温度。幸福そうな笑顔。鮮やかないろが目から離れない。この雪に触れなくたって。そんな彼を見遣りながら、けれど壱也はそんな事はない、と笑ってみせるのだ。 「全部持っててもいいんだよ。なかったことになんてできないし……それが司馬さんなんだもん」 迷って悩むのも大事な事だ。それは鷲祐の知らない選択肢だった。置いて行く事で進んで来たけれど、そうやって目を背けられる事に本当は甘えていたのだろうか。恐らくは同じ痛みを知るであろう彼女に暗にそのことを問えば、大丈夫、と返る笑顔。 もう、お別れは済んでいるのだ。黒髪を彩る紅はもうない。けれど、想い出はどれも懐かしいと思えた。どれもみんなしあわせそうに笑っているから。 「……強いんだな。お前は」 「司馬さんもゆっくりでいいからいつか笑お!」 ● 静かな森にくしゃみひとつ。防寒してくるべきだった、と呟く真澄に自分は寒くないなんて言いながら、重なる様に響くコヨーテのくしゃみ。風邪をひかないように、なんて笑ってから真澄の手がそっと、雪へと伸びた。 「それじゃ……コヨーテには私の母上……お母さんとの思い出を見てもらおうか」 彼になら良い。その言葉と共に現れたのは、着物を纏う女性だった。真澄とも似ているだろうか、美人だ、と呟く言葉にぎこちなく笑って、真澄は細く、溜息を漏らす。子を愛す普通の親だったのだ。幸福な日々はけれど、神秘が塗り替えた。 母は全ての神秘を拒んだ。何一つの例外なく。革醒者であった、自分達の事さえも。息を吐く。白く染まる世界の向こうで、母は何も無かった頃のように笑っていた。 「……笑い顔を見るのは何十年ぶりだろう、雪の日はこうしてよく庭を眺めてたのにねぇ」 「真澄と兄ちゃんと母ちゃんの間には、幸せな時間が確かにあったんだよな」 ぽつり、と呟く。それが壊れたのはエリューションの所為だった。難しい話は苦手なコヨーテでも分かる。全ては無慈悲な神秘が悪かった。ならば、全部倒せばいいのだ。彼女のように悲しむ人をもう生まない為に。 自分はそれが一番得意だから。屈託なく笑ったコヨーテの手が、森の木へと伸びる。 「そンでさ……母ちゃんのぶんまで、真澄がこれからいっぱい笑顔になれりゃイイなッ」 今すぐには無理かもしれないけれど。せめて、彼女の心の中の母親の笑顔がずっと幸せなままでいるように。もっと綺麗に、なんて言葉と共に視界を満たしたのは、鮮やかな桜色。満開のそれが母を彩る。暖かな日。目の奥が痛くて、冷たい筈の頬が熱くて。漏れそうになった声を呑み込んだ。 「ああ。……あぁ、そうだね。ありがとうコヨーテ、あんたはほんとにイイ男だよ」 そっと指先で目尻を拭って。浮かべた笑顔は、何処か記憶の中の母と似ているようだった。背に負う翼で高い木の枝の上に。こんな時は便利だと微かに笑ったユーグの指先は、何処か躊躇いがちに雪へと伸ばされた。 現れる姿はある意味予想通りで。溜息に似た吐息と共に吐き出されるのは、昔馴染んだ雑な言葉。 「……やっぱりアンタか」 何も言わず己を見上げる、壮年の異邦人。ユーグ・マクシム・グザヴィエ。この名の本来の持主で、自分を引きずり出してくれたその人だった。運命の気まぐれで家族に疎まれ、帰る家を失って。荒れるばかりの自分を拾ってくれた恩人。沢山の、大切なことを教えてくれたひと。けれど。彼はもう、いないのだ。 「馬鹿野郎、勝手に死んでんじゃねえよ」 もう、何も出来ないのだ。少しはマシな人間になって見せることも、彼への恩返しも。これからだった筈の全てを、けれど彼に見せることは叶わない。唇を噛んでも、彼はただ何時か自分を叱った時のように物言わず此方を見るだけで。けれど、それが妙に安心出来て。僅かに俯いた。 「……いいから見てろよ」 そこに居てほしかった。今日、だけでいいから。 想い出。シエナにとってのそれは、ほんのわずかだった。白衣に囲まれたあの日。だから、きっと。 「ウェールズの研究所が、見えると思う……よ」 さらり、と粉雪が手から滑り落ちる。硝子張りの部屋。白衣の姿。そして真ん中に自分。 嫌じゃなかった。能力開発。研究対象。それでもよかった。力を使えば彼らは喜んでくれるから。 「calculation……composition……こう?」 科学の力。魔女の力、そんな言葉を聞きながらプログラムをこなす世界がシエナは決して厭ではなくて。他なんて知らなくて。したいことなんて思いつかなくて。けれど、もうその場所はなかった。自分は自由になっていた。自由。 「自由は難しい……ね」 思わず漏れた言葉。わからなかった。どうやって生きよう? 答えは誰もくれない。だから。この森で、静かに考えてみようと思った。そんな少女の横をすり抜けて。旭は一人、向き合う木の幹へと手を伸ばす。会えるのか、と瞳を伏せた。もういない人。誰かの気配がした。振り向いた。そこには、少しだけ背の低い自分が居た。それは、彼女だった。 旭ちゃん、とわたしを呼ぶ笑顔。嗚呼。うれしかった。愛しかった。会いたかった。こんな風に会えるのなら贈り物を持ってくればよかったなんて思って、けれどきっと持ち帰れなかっただろうと小さく笑う。だから、代わりに。一夜限りの花吹雪を。鮮やかなそれに嬉しそうに笑う彼女を見つめて。ああ、これはわたしの夢なのだとわかっていても。それでも。その笑顔が見たくて。 「メリークリスマス、『旭』ちゃん」 ――メリークリスマス、…――ちゃん、と。懐かしいようで、どこかに染みるような響きが耳を擽る。それは、私の名前だった。あの日彼女と一緒に喪った。手繰る記憶に息を吐き出して。これも夢なのか、と小さく呟く。もう要らないと捨てた筈のそれが、胸の奥を引っ掻くようだった。 総てが凍り付いた雪の世界。それはまるで昔の心の内のようだと氷璃はその視線を投げる。 ほんの興味本位だったのだけれど。奥深くまで入り込んだこの森は、いったい自分に何を見せてくれるのだろうか。枝に腰かけた彼女へと降りかかる粉雪。それに混じって舞い落ちる、白い羽根。 微笑む顔は自分とよく似たそれ。お姉様、と小さく呼んだ。優しかった姉。氷璃の姉。そして、自分達姉妹を総て殺した、姉。 幸せな記憶が血で塗り替えられる。姉妹を殺していく彼女を前に、昔の氷璃は逃げることしかできなかったけれど。記憶に刻まれていたそれを、今ならはっきりと見られるのだ。 何故。皆を殺したのか。何故、殺さねばならなかったのか。嗚呼。嗚呼何故、何故そんなにも。 「哀しそうな顔をしているの――?」 強さを得た今ならわかる。そこにある苦悩が。哀しみが。惨劇の中で隠しようもないそれを浮かべた姉の顔が。ふ、と吐き出す息が白く染まる。強くなった。強くなったのだ。だから。 「……向き合う時が来たようね」 来るべきその日を待つように。長い睫毛に縁取られた瞼が伏せられる。そこに響くのは地面を踏む音だけだった。天乃は隣を歩く快を振り向いて、僅かにその目を細める。 「去年、も一緒だった……っけ。仕事も、同じように一緒だった、ね」 見える。去年刃を交えた道化が。倫敦の異形が。切り裂き魔が。愛すべき敵だった。生死を問わず天乃を待っている。戦いしかなかった。それが人生だった。生きる道だった。 けれどただなんとなく、これを、共に戦ってくれた戦友に見て欲しくなったのだ。そんな彼女を、引き留めるように。快の手は伸びていた。抱える肩は細くて。 「ふざけろよ……」 わかっていた。それが望みで生きる意味だ。けれどそれでも。そうでない時間だって沢山あったはずなのだ。快が望むのは他愛ない日常の景色だった。 皆で飲む酒。去年の聖夜なんてスノードームで唐突にモツ鍋始めたりもしたのだ。そんな風に過ごした日常だって、溢れているはずなのだ。 「勝手に死ぬなよ。絶対、連れ戻してやるから」 けれどそんな彼を諌めるように。そっと重なる手と、口元に浮かぶ笑み。 「戦いも、他愛の無いやり取り、も全て私の日常。連れ戻すも何も、ない。でも……」 こうされるのも、悪い気分ではない。そんな彼女はきっとそれでも戦いの中で死ぬことを選ぶのだろうから。ならばせめて、彼女が望むように。そのラストダンスの相手は必ず、この手が務める、と小さな声が囁いた。糾華とリンシード。何時もの様に寄り添いあう少女達は、この幻想に多くを望まなかった。こうして二人寄り添いあえるだけで幸せだから。 木の上も少し寒くて。けれど、其処で広がる景色は寒さを忘れさせるには十分だった。重なる想い出。幸せが、アルバムのように、雪のように、そこには降り積もっていた。 優しいばかりではない。離れ離れに感じた事も、手を引いてくれた事も。どうしようもなく辛い時に傍にいてくれた事も。本当は共に見たかったものも。 好きの言葉も伝えきれない心からの言葉も、共有した秘密も、そうしてこの人を支えて生きていくのだと誓った日のことも。 「最初は一緒に歩む距離も離れていましたが、今は……これくらい、近づけましたね」 寄り添いあって、そっと唇を寄せて。そんなリンシードに微笑んで、糾華は幸福そうに微笑みを浮かべた。 「本当はね、貴女の事を守らないとって思ってた」 今も変わらぬ思いだけれど今よりもずっと。けれど、気づけば彼女はこんなにも頼もしくなっていたのだ。甘えるように身を寄せた。 「ねえ、私の事、護ってね?」 「えぇ、お姉様……必ず私が護ります……だから、」 ずっと一緒に。そんな願いもまた、想い出の中に刻まれていくのだろう。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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