●The Storm Before the Calm. 老人が顔をくしゃくしゃにゆがめて笑う。 「どれ、どれ、どれ……」 眼前の光景は壮観だった。 有象無象の人々が瞬く間の内に無数の泥人形へ飲まれて往くのだから、面白い見世物に違いない。 「大御所。お体に障りますぜ」 傘を差し、車椅子を押すダークスーツの屈強な男が、黒のワンボックスへと合図を送る。 辺りには冷たい初冬の小雨が降り続いていた。 「やめよ」 煙たげに手を振る老人の弱々しい呟きに男達の動きが止まった。 くかかと歪んだ笑みを漏らす『大御所』四方津義家(しおつ・よしいえ)は所謂ヤクザだ。表向きは『明治の侠客』山県喜八郎(やまがた・きはちろう)の跡を継ぎ、構成員は千を越える暴力団の長ということになっている。 これを表と呼んで良いものかという議論はさておき、ならば裏の顔は如何な所だろう。 四方津は戦後の動乱期に外国人等を相手取り、焼け野原となった土地を転がして財を築いた。侠客等とはとんでもない話で、弱い者、傷ついた者を殊更に甚振り絞るのが得意のやり口だ。崖っぷちにぶら下がった人々の手を踏みにじるような行為がたまらなく好きなのである。 そしてなにより彼はフィクサードであった。裏野部を構成し、配下の能力者数は百を越えるという大御所の一人なのである。 辺りの様子は唯々異様の一言に尽きるであろう。 奇怪な化物達が手に手を取り合って、三角の頭を持ったユーモラスな土偶に人々を閉じ込めている。 喫茶店の戸が開け放たれる。熊か虎か狼か。そんな毛皮を纏った怪異が、中から二人の人間を引き連れてくる。力ない老婆と泣き喚く子供だ。 嫌だとか助けてだとか。そんな月並みな言葉、しかして心からの叫びが誰かに届く事はない。 こうして捕らわれた人々を二つの頭と二対の腕を持つ怪異が泥人形へと押し当てれば、人は溶けるように吸い込まれてしまう。 すると悲鳴はぴたりと止み、泥人形はゆっくりと動き出す。まるで電池を入れた玩具の様に。 そんな様子を四方津と黒服達、そして全長三十メートルに届こうかと云う巨大な白蛇がじっと鎌首をもたげながら眺めているのだ。 何度見ても飽きない光景だと四方津は哂う。 雨に滲む悲鳴はどこか空虚で、まるで現実味が無い。 「どおれ。これで良かったかね?」 「――然リ」 しゃがれ声の老人が尋ねれば、唸り声で巨蛇が答える。 「汝等ハ雨障ヲ齎シ国ヲ得ル――我等ハ古キ眠リ寄リ醒メ。火騨ヲ、高キ山ヲ、其シテ諏訪ヲ得ル」 言い終えるや否や、白蛇は土偶の一体を丸呑みにした。その中には何の罪もない人が入っていた筈である。 「さよか」 四方津は億劫そうに手を叩く。 「あーくト言ウ奴等ハ、来ルノダナ」 「であろうよ」 ああ、あれもこれも面倒くさい。冷たい風雨が身に染みる。 そもアークが悪いのだ。こんなに大きくなりすぎなければ、こんな事にはならなかったのに。 ああ面倒くさい。本当に面倒くさい。 革醒者浚いは間抜けのキャッチめがしくじったから、こうして老骨に鞭打ち大御所当人が出張る羽目になった訳だが、さりとてただ一つ、こんな光景だけは何時見ても愉快なものだったのである。 ●Beryl Eyes the Calm. 「裏野部とアザーバイド達が行動を始めました」 この世界はうんざりする話に満ち溢れている。 「ああ、例の」 然る過日より万華鏡が幾度か観測し、アークのリベリスタが対処している事件があった。裏野部と呼ばれる強力なフィクサード集団がアザーバイドと手を結び、革醒したての女性を浚うという話であった。 「心温まる事この上ない事で」 零れ落ちたリベリスタの呟きは当然、皮肉である。 裏野部と言えば日本国内における『主流七派』と呼ばれるフィクサード組織の一つであり、最も暴力的とされる集団だ。かつてアーク発足以前、日本が『極東のリベリスタ空白地帯』等と揶揄されていた頃から、この国を牛耳っている大組織なのだ。一連の事件にはどうやらその首領が一枚噛んでいるらしい。 「結局狙いは何だった訳?」 「はい」 エスターテは結論から述べた。裏野部首領である裏野部一二三は、この国を強奪するつもりなのだと言う。 「国を奪う?」 話が大きすぎて、にわかに全体像が見えてこない。 そもそもこの国の主流七派達は互いに牽制に牽制を重ね、互いに危ういバランスを保ちつつ膠着していた。その平和は、いわば互いに核ミサイルのスイッチを握り合っているようなものだ。一度押せば誰もが滅亡へと階段を転げ落ちる事になる。引き返すことは出来ない。その中に登場したアークという組織は彗星の如く、瞬く間の内に国内八柱目の強力な存在となったのである。このままアークが派手な成長曲線を描き続ければ、七派がじりじりと押され腐って行くのは目に見えている。そんな拮抗は裏野部一二三の好む所ではない。崩すなら――其れは矢張り『裏野部』なのだ。 「裏野部の背景は分かった。後はアザーバイドか」 そんな厄介な裏野部と手を結ぶあの怪異達は、果たして何者なのか。 アークのリベリスタ達が幾度かの交戦の折に持ち帰った情報を解析すると彼等の正体が見えてくる。その土隠(つちごもり)と呼ばれる存在は、かつて『まつろわぬ民』と呼ばれ、大和朝廷だか何だかに駆逐されたアザーバイドだという話だ。時空の狭間に封じ込められた彼等の一部が現代日本に甦り、仲間の復活を企てているのだと言う。 「それだけではありません」 エスターテは続ける。 あの二つの頭に二対の腕を持った化け物は、神代の世において存在し、岐阜に封印された両面宿儺(りょうめんすくな)と言う怪物らしい。そして巨大な白蛇は長野は諏訪の辺りを牛耳っていた一族なのだと伝承は伝える。 海外では六道とバロックナイツが不穏な動きを見せ始め、国内では裏野部が物騒な事を企み始めたというのは頭の痛い話だが―― 「それで、どうすればいい?」 リベリスタ達が対処しなければならない事件は大きく分けて二つある。一つ。それは裏野部一二三自らが、捕らわれた革醒者を生贄に雷雲を呼び寄せ、それを超強力なエリューションに変貌させ利用するという計画だ。もう一つは裏野部との取引によって身を隠し、生存を続けていた少数のアザーバイド達が独自の儀式で仲間達を封印から解き放とうという計画である。どちらも成功してしまえば大変な事になるのは誰にだって分かる。 「だいたい、土偶飲み込んで何しようって言うんだよ」 リベリスタの表情は険しい。 「嵐を呼ぶそうです」 これも一二三の儀式に一枚噛んでいるという事なのだろう。 「敵は岐阜、奈良、京都、大阪、四国に陣取り、各所で似たような儀式を遂行するようです」 中部から西日本にかけて、わざわざ日本各地で行う事にどんな意味があるというのか。それは分からない。 「つーか、その雷雲ってどういう類のもんなんだ?」 「スーパーセル――」 エスターテが告げるのはちょっとした気象の知識であった。ゲリラ豪雨に見舞われ家に帰り着けなかった経験はないだろうか。停電し水道が止まりガスも使えずに困った経験はないだろうか。ゴルフボール大の雹や霰が自動車をずたずたに破壊する動画や何かを見たことはあるだろうか。風で建屋が吹き飛ぶ様子を知っているだろうか。土石流が家々を押し流す様を想像出来るだろうか。 水平規模が数十キロから百キロメートルにも及ぶスーパーセルは、大量の雹や霰、強風に突風に竜巻、洪水、落雷、そして極端に激しい雨を齎す。それらは現代の交通網を完全に麻痺させ、経済活動は打撃を受ける。水害、土砂災害を引き起こし、家々を破壊する。更にはそれが命を持つならば、裏野部の思うがままに動くと言うならば――そんなものは戦略級の兵器と呼ぶ他ない。 人々の生活基盤であるインフラが破壊されればこの国の機能は完全に停止してしまうのだ。そこへ追い討ちをかけるように古代のアザーバイド達が大量に甦るという事態は最早想像を絶する。国を奪うというご大層な計画は与太話では済まないという事だ。 「みなさんは岐阜県でアザーバイドの目論みを止めて下さい」 エスターテが今一度資料の配布を始める。今度は戦場のデータだ。 「なるほど」 戦場では一般人達がアザーバイドによって、儀式の鍵となる装置『土偶』の中に閉じ込められている。土偶はリベリスタが到着する頃には既に三十体を越え、放置すれば被害は更に拡大して行くと考えられる。白蛇が土偶を呑み続ければ力が溜まり、いずれ儀式が成立してしまう筈だ。それはなんとしても避けなければならない。 戦闘になればアザーバイド達は裏野部フィクサードと共に歯向かってくるのだろう。敵の数は多く、状況は厄介極まる。 「とにかく白蛇を倒してしまうなりして、土偶を飲ませなければ儀式は成立しないのか?」 「いえ」 エスターテが言葉を濁らせる。土偶を生贄にささげる為には独特の作法は必要らしい。強力な白蛇が持つ神秘の力は儀式遂行に最適だが、方法がそれだけとは限らない。あくまで独自の神秘技術を持つアザーバイドが土偶を供物とする事で儀式に必要な力は溜まって行くのだ。蛇は今のところの中心点に過ぎず、他のアザーバイドにも別途遂行出来るという事である。最も儀式の中心点を都度攻略すれば力は一端霧散するのかもしれないが。 「まあ、やるだけだ」 平たく言えば、全部やっちまえばいい。 「はい」 それで。 一つだけとても大事なコトを忘れていたから。だから―― 「一般人はどうやって助ければいい?」 素朴な問いにエスターテは俯いた。 「どうした?」 「わからないんです」 「おいおい……」 土偶を破壊すれば一般人を救助する事は出来るのであろう。だが土偶はそれそのものにも戦闘能力がある。だからただ上手に叩き割れば救えるという代物でもないらしい。 もしも剣で、銃で、神秘の力で土偶を破壊すればどうなるのか。下手に打ち抜けば中の人も死んでしまうのではないか―― 「どうすりゃいいんだよ!」 拳で机を打ち付けるリベリスタに、エスターテは戦闘目標を告げた。 「この戦闘領域での目標は儀式の阻止。フィクサードとアザーバイドの撃破……です」 「それだけか」 「それだけです」 この土偶とてアザーバイドの特性を持つ。放置すれば増殖性革醒現象を発生させ、世界を崩界へと導いてしまう。つまりどうしても倒す必要はあるという事だ。そしてリベリスタがそうする分には、土偶は儀式の養分とはならない。 掠れた声を漏らすエスターテを尻目に、リベリスタは罵声を一つ吐き捨て、もう一度拳で机を打ち付けた。 再び脳裏に描かれるのは最悪の想定。中に人が入ったまま土偶を斬れば一体何が起こるだろう―― 「クソ!」 「ごめんなさい」 ブリーフィングルームの空調の風は渇ききっていた。 「お前が謝る事じゃない――」 どうにかしてやるとは一つの決意。 桃色の髪の少女は、静謐を湛えたエメラルドの瞳でリベリスタ達を見据え、僅かに俯いた。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:pipi | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年12月28日(土)23:53 |
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■メイン参加者 10人■ | |||||
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● 鋭く、冷たく、研ぎ澄ませて―― 冷たい雨に髪を濡らし、駆けるのは『シャドーストライカー』レイチェル・ガーネット(BNE002439)。 『敵は強大で、状況も厄介』 戦場へ向けて、少女は厳然たる意思の奔流を紡ぎ上げて行く。 柘榴の瞳が凛と輝いた。 誰よりも速く。誰よりも精緻に。炸裂する光は戦場に満ち、フィクサード総員に加え、眼前の怪異共諸共のかなりの数を一気に焼き払う。 怒声と共に、敵達は各々腕や掌で瞳を覆い隠した。相手はフィクサードとアザーバイドの連合軍だ。その数は多く精強、更には辺りに連れ去られてきた人々が点在し、多数の土偶の中に一般人が囚われているという状況ではある。けれど、だからこそ、怜悧なシャドーストライカーは慣れた通りに事を運ぶ。彼女が真っ先に放った技は初歩中の初歩ではある。だが聖なる光を逃れえた者はほとんど居ない。それはアークのリベリスタの中でも一際高い技量が可能とする一級の戦技であった。 並走する『雪風と共に舞う花』ルア・ホワイト(BNE001372)が、その一歩先へ舞うように跳んだ。己の速度を極限まで高めながらレイチェルの眼前にその背を晒す。 「逃げて!」 可憐な叫びは、突然の事態に悲鳴を上げる一般人へと向けられたものだ。髪の先から雨粒がぽたりと落ちた。 みんなを救いたい。ただその一心でこの戦場までやってきた。戦場は怖い。彼女は双子の弟に護られているだけのか弱い少女ではないが、その恐怖は拭い去りがたいのも事実だ。けれど少女は人々の幸せを願い、救う為にここに居るのである。それなのに救えない人が居るなど、赦せたものではないのだ。 どこでもいい、逃げてほしい。とにかく命を繋いで欲しい。 切なる願いを抱く少女を見据え。手足と顔。それぞれ二対を持つ怪異『両面宿儺』が両顔を上げる。 「ほ、ほ。矢張り来よったか」 裏野部の大御所は車椅子の上で、さも難儀そうに手の平をかざした。 近隣に停車している黒い大型の車両から、黒服達が飛び出してくる。戦場の広さから全域とは言いがたいが、それでもかなりの数が先の閃光を浴び、その身や網膜を強かに焼かれているのだろう。黒服達はそれぞれ頭を振りながら胸元から火器を取り出し始める。 四つ足を虫の様に動かしながら、『両面宿儺』禍羅破がルアの眼前へ踊りこむ。二つの唇、二本の左腕、十本の左指が描く刻印に生じるのは古の呪詛――阿豆那比の罪。 同時に二つの右手、その指が中空に渦を描き、ルア、レイチェル、『怪人Q』百舌鳥 九十九(BNE001407)、『現の月』風宮 悠月(BNE001450)へ向けて吹き付けるのは火焼の嵐だ。 禍羅破に続き、四体の両面宿儺達が、それぞれ九十九へ双弓を、ルアへ剣を突きつける。たかが弓と剣ではあるが、同方向から僅か外れて繰り出される技は、人が操るそれではない。血が舞う。人と戦う為に生み出された古代の技法は避けがたく、その膂力も苛烈だ。しかしこれしきで倒れるリベリスタではない。 「此処で止めるぞ、全部!」 レイチェルと同質の光の奔流が戦場を多い尽くす。先のレイチェルが卓越した技巧を誇るのであれば、『破邪の魔術師』霧島 俊介(BNE000082)は、二つ名の示す通り絶大な魔力を誇っている。レイチェルが放った高精度の一撃は、動作精度に影響を与える。つまり巻き込んだ数が数が多ければ多い程、後続の俊介等の威力は高くなる。 戦場に強い影響を与えうる二人があえてこの神気閃光を扱った理由は、その『不殺』の特性に寄る。 なぜか。 そもそもの発端は裏野部とアザーバイド達の計画までさかのぼる。彼等はこの日本そのものを奪おうとする為、人間を生贄とする大規模な儀式を日本全国各地で行おうとしているらしい。彼等は方や全長数十キロの巨大な生ける雷雲を生み出し、方や次元の狭間に封じられた仲間を解き放とうとしているのだと言う。こうしてこの岐阜では、アザーバイド独自の技法で、人を土偶に閉じ込め、生贄とすることで儀式を執り行おうとしているようだ。 この戦闘領域に対してアーク本部が立てた戦略目標はあくまでフィクサードとアザーバイドの排除であり、土偶に閉じ込められた一般人の救出は極めて困難であるとの見解が示されていた。土偶そのものがアザーバイドの特性を持ち、破壊しなければならない上に、中に閉じ込められた一般人は、未だ生存している――つまり強烈な力で土偶を打ち倒せば、中の一般人の命は知れたものではなくなるという状況なのである。 敵が土偶だけではなく、更に土偶そのものにも戦闘能力がある以上、一体一体を懇切丁寧に解体して往く余裕は到底存在しない。そんな絶望的なであるにも関わらず、リベリスタ達はそれを甘んじて受け入れはしなかった。 人々も助けたい。その想いはリベリスタである以上は当然とも言えるが、一見すれば甘い。ヒューマニズム溢れる回答ではある。されど当然、死地に身を晒し己が命と世界の安寧とを秤に乗せるリベリスタの事、ただ甘いだけの作戦を立てた訳ではなかった。彼等が目指す所はあくまでアーク戦略目標であるアザーバイドとフィクサードの撃破に留められている。そして土偶に対しては、先の『不殺』の特性を持つ技を持って、中の一般人を殺さぬ様に打撃を与える。主眼はあくまで敵の主力に向いているという訳だ。 これをその行為そのものや結果から『モノのついでに救う』等と表現する事は出来ない。この現実を見据えた、非情だが怜悧なプランを誰が責められようか。大を救う為に小を切るアークの絶対指針は、より多くを助ける為のリアリズムであるのだから。 されど――プランを運用するのはあくまで『人』である。 理想は。希望は。決して捨てたくないのが人情というものであろう。 仮にそれが、ただのエゴに過ぎないのだとしても―― ● 月の光の剣で炎を打ち払う悠月が嘆息した。その全てを斬りおおせる事は難しく、早くも絹の肌には痛々しく焼け焦げた後が見てとれる。 『……鬼といいまつろわぬ民といい』 彼女に苛烈な炎嵐を放ったのは『両面宿儺』。一般人を放り捨て、今まさにリベリスタ達に突進を試みているのは『土隠』だ。そして彼等の後背に控える巨大な白蛇は粛慎の神であろう。 伝承は、様々な言い伝えと離合集散を繰り返し、原型そのままをありのままに伝えているとは言いがたいのが常である。それでも――否、それが故にと述べる方が適切だろうか――眼前の『それ』らが現代にまで神話として伝えられた神々の原型である事には相違ないのであろう。 『この国には未だどれ程の古の神性魔性が眠っているのか……』 かつてリベリスタの空白地帯とまで揶揄された日本ではある。だが裏を返せば日本のフィクサード共とて、世界の能力者等にこの国を好きにさせぬだけの力があったという事でもあった。神奈川の大地に『消えぬ大穴』をこじ開けるまでの事態に至らしめたのは、後にも先にも世界最強たるフィクサード組織『バロックナイツ』だけであったのだ。 長い神秘の歴史を持ち、異界の神(ミラーミス)さえも打ち払ったこの国は、伊達ではない神秘の大国なのである。 そして天孫降臨したとされる饒速日命を祖とする物部氏に通じるとも言われる裏野部。蘇我氏に破れるまで、まつろわぬ民の神とされるアラハバキを客分に迎えたとされる氷上の伝承を始め、土偶と生贄に連想されるハイヌヴェレ型の神話体系。世の『深淵ヲ覗ク』魔術師であれば興味は尽きぬ事柄ではあれど―― 『――まあ、いいでしょう』 今は。 欧州の魔術結社『十字の銀環』の一員たる悠月は、そこで瑣末な分析を打ち切る。 現時点において一つだけ言える事は、裏野部が本格的に動いたという一点だ。 『七派協定の中で大人しくしてくれてて良かったものを――!』 両指の終焉世界(くそみたいなせかい)へと伝わる力の奔流が神経を苛立たせていた。神の閃光を撃ち終えた俊介は僅か嘆息する。 この国のフィクサード七派は恐山と最大大手である逆凪を中心に協定が結ばれ、ある種の秩序が形作られて居た。この度の裏野部の動きは、その秩序を破壊するものだと推察出来る。なぜなのだろうか。フィクサード組織は利己的で、敵の敵は味方という単純な論理は通用しない。互いに牽制に牽制を重ね、隙あらば撃ち滅ぼすという事はままある。そんな己が身をも護る筈の秩序を敢えて破った彼等の行動は、恐らく裏野部に、ひいては国内主流七派にそろそろ後が無いという事なのだろう。眼前の事態はその証明でもあるのだ。 『まつろわぬ民もある意味世界に裏切られた不幸な存在なのかもしれない』 はてさて。雷の術印を紡ぐ悠月より速く、『百の獣』朱鷺島・雷音(BNE000003)は、鈴の音の歌声を以って癒しの光を戦場に齎す。足をくじき、疲労と絶望に困窮する人々が、その身に活力を取り戻す。 或いは『まつろわぬ民』とやらは、日本神話における一つの犠牲者であるのかもしれない。大部分が神秘への適正を持たない人類と、異世界の存在であり、即ち神秘の化身たるアザーバイドの噛み合せは至極悪い。そうして古の時代に、彼女等の祖先によって生存競争の末に駆逐されたと仮定するならば、それも一つ頷ける推論である。 だがいかに『まつろわぬ民』とやらが、哀れな犠牲者であったとしても、この国を破壊し、神秘の暴露を行う為、暴力を撒き散らす以上、敵でしかないのである。 「大丈夫だから、逃げて!」 そう述べども、無理なのかもしれないとは一抹の不安。普通の生活を営んでいる人々が、ある日突然怪物に襲われ、傷つき、心の平成を失った状況である。いかに雷音達が救いの手を差し伸べても、立ち上がり、逃げるだけの判断が出来るのだろうか。けれど、そうじゃない。今出来ることをやるのだ。それは絶対に無駄にはならない筈だ。 考えるべき事柄は尽きぬが、やらなければならない事は是が非でも成し遂げる。 小さな少女の決意と共に、同じ年頃の少女がゆっくりと立ち上がる。その顔は寒さと恐怖に引きつっている。 頼むから、そのまま駆け出してほしい。どこか遠くへ。安全な所へ。それは切なる願いだ。 さりとて、土隠の獲彌耶にとって、この儀式を阻まれる訳にはいかない。 「邪魔をしおって――」 幾星霜の歳月を願い、この世界を呪い続けたのだ。今それを成就出来ずしてなるものか。 獲彌耶がリベリスタ達の中心に位置する俊介を射程に収める。今まさに糸を放たんと全身の気を膨らませた刹那。 「させねえよ!」 指に、腕に、足に。次々と絡みつく符がその動きを完全に阻害する。 ――呪印封縛。放ったのは『てるてる坊主』焦燥院 ”Buddha” フツ(BNE001054)である。万華鏡の解析に寄れば、敵リーダー格は行動阻害に対する高い耐性が予測されていた。だがフツやレイチェルの技量をもってすれば、その突破すらも難しくはないという事だ。土隠であればやれる。恐らく白蛇も。動きの素早い『両面宿儺』禍羅破に影響を与えるのはフツにとって精々半々以上といった所だが、レイチェルなら確実にやってくれるだろう。今このとき、それが分かった以上は恐れる事など何も無いのである。 「ん~……何だか大変そうですな」 リベリスタ側としては、このまま初手で一気に攻勢を固めたい所である。 「やれやれ、こんな事もあろうかと――」 嘆息する九十九が両腕を振り上げる。致し方ない。思念の波動が異界の精神をかき乱し、土偶達が九十九へと向けて一斉に振り返る。 「わざわざ取ったんですからな」 土偶達へのみ向けられたアッパーユアハートは交戦相手の敵視を一斉に己へと集める技だ。九十九としては安全に戦いたい主義ではあるが、こんな状況では致し方なかったのである。 ずるずると引き摺られるように、実に九割以上の土偶達が九十九へと向けて前進を始める。この底引き網漁が滑稽な点は、引かれる側が人型、引くほうが鮫の着ぐるみであるという点なのであろうが、それはさておき。 神産みね―― こちらはフィクサード達に対する『K2』小雪・綺沙羅(BNE003284)である。 土隠は人離れした存在か、それとも矮躯の人型か。以前交戦した折には、彼女が知る伝承から紡ぎだされる想定への回答は前者であった。今度はいかなる情報を得られるのだろう。たとえば儀式成立の鍵は、一体どんなものなのだろうか。 裏野部が行おうとしているスーパーセル『ヤクサイカヅチノカミ』のエリューション化、そのメカニズム、情報に興味がない訳ではない。神秘の世界に生きる以上、何より彼女が情報操作、収集を得手とする『K2』であるからこそ、純粋な好奇心は尽きない訳だが。 さりとて。綺沙羅はキーボードを打ち鳴らしながら思案を巡らせた。少なくとも単純な暴力をこそ至上とするかの裏野部首領一二三が神様になった様な国になんて住みたくはないから。情報の網は張り巡らせたまま、今は為すべきを為すまでだ。インカムはセットしてある。周囲の音に聞き漏らしはない。異界の言葉も今の彼女であればつぶさに理解可能だろう。 早くも銃撃が始まったが、少女はそれを掻い潜るように軽やかな歩みを進めてタイプ音を響かせる。 式が――組めた。 車から飛び出し拳銃を撃ち始めた黒服達にすばやく指示を飛ばすのが若頭、車椅子の老人が大御所ならば、おそらく近くに控える大男がクロスイージスの筈だ。戦場、その挙動を把握するソースコードは綺沙羅が宿す神秘の力へとリンクして往く。大御所と、近くに控える一際精悍な黒服を中心に、強烈な閃光が弾けた。 綺沙羅が誇る強大な精度に加え、レイチェルの技に寄って怯んだ直後であるならば外しようはない。強烈な光に目を焼かれ、脳は麻痺した身体へ思うような命令を下す事が出来ない。罵声とともに降り注ぐ銃弾が、拳が、刃が、彼女の身を穿つ事は出来なかった。 「――さて」 攻勢の準備は完全に整った。 月の光の剣を掲げ、悠月が巡らせるのは紫電の魔陣。 九十九へと向かう土偶は素通ししながらも、悠月は戦場のほぼ全域を隈なく射程に収めた。 轟音と共に連鎖雷撃が敵陣を駆け抜ける。 「これで、如何ほど残りましたか?」 レイチェル、俊介、悠月が放つ立て続けの連撃に、フィクサードの七割が地に伏し、動かぬ土偶の半数以上が破壊された。 「おっ、ねえねえこれもしかして」 土偶を引き連れた九十九へ向けて攻撃を開始する両面宿儺の兵。それを阻みながら、敵の解析を行っていた『SHOGO』靖邦・Z・翔護(BNE003820)である。 九十九を追っていた両面宿儺がSHOGOの前に立ちふさがる。振り上げられる刃が街灯に煌いた。 「って、ちょっとまずいんじゃないの」 軽口を叩きながらもSHOGOの目は笑っていない。次々に身に迫る正確無比な双佩剣をどうにかかわし、されど脇腹に幾筋もの灼熱が走る。 「って!」 斬られた。痛みがない。脳内を駆け巡るアドレナリンがまるで痛みを感じさせていない。けれど、だからこそ大きな傷を負ったことが理解出来る。 それでも―― 「そっちに行く奴は減らしたよ、もずさん!」 こんな所で倒れる訳にはいかない。 SHOGOは両面宿儺の兵を前に立ちはだかりながらも、リベリスタ各々のアクセスファンタズムへ向けて必要な事を伝える。 次手、不殺の特性をもった技であれば、あと僅かな攻勢で有人土偶のガワだけを完全に破壊出来るであろう事。 いかなる技であっても、溢れた分だけ中身を傷付けてしまうのは確かだが、不殺であれば少なくとも殺すことだけはないという事。この戦場で、ただの勝利以上を求めたリベリスタにとって、それは紛れも無い朗報だった。 そして―― 「いっちー! パニッシュチャンスだ!」 言われずとも分かっている。戦場中央部への到達を邪魔する土偶はほとんどが九十九へと向かっている。 「おっと、そうそうあたってさしあげる訳には――ぐぼっ!」 「もずさん!」 土偶がその腕から次々に繰り出す不可視の刃が九十九を蝕み、苛んで行く。何分数が多すぎる。 「もずさん、あとちょっとだけ……より若干長めに頑張って!」 SHOGOが伝える無理せず急いで気をつけて早く走って的なニュアンス。ふざけているようでいて、どこか暖かいのは持ち前の気質か、意外なその育ちの良さなのか。 彼自身にそんな気はなくとも、敵はSHOGOの祖父の代までさかのぼれば、戦後の日本を支えてきた彼の家系と、ある意味では対極に位置する存在とも言える。 「ヤクザの人は幾つになっても陰湿だなあ」 同じ老人とは言え、全く違うものなのだろう。故にか否か。横目にみやる大御所への評価は辛らつを極めた。 「あたらないよ、そんなの」 根も葉もない。冷徹な事実を綺沙羅は鈴の音で淡々と告げる。嘘をつく理由もなければ好きでもない。むしろそんな手合いの大人には絶対になりたくない。ある種純粋さの権化とも言える彼女は、戦いながらも明敏に戦闘状況を把握している。アザーバイド達の儀式、そのメカニズムの収集を怠るつもりはない。 たとえば彼等の呪文を反対に読むとか。古典的だが、敵もそんな手合いである。それゆえにありそうな解決方法だ。リベリスタ達が導き出した解決方法は、SHOGOの観察によって正確であることは判断出来た。死ぬよりはマシと言えど被害者達には否応なしに大きなショックを与え傷つけてしまう以上、可能ならばそれより楽に早く解決出来るならそれに越した事はない。 とはいえ今のところ戦いに集中するアザーバイド達は、儀式を遂行し、呪文を唱える素振りを見せていない。 けれどそれならばそれはそれで一向に構わない。綺沙羅の明敏な頭脳は瑣末な事象に固執する事なく戦場を怜悧に見据える。このままフィクサード達を押さえ込むまでだ。彼女は僅か一人。されどその力がある。 SHOGOの視線の先。一方のフィクサード達は漸く綺沙羅を狙い始めたという状況だ。リベリスタの誰もが戦況を左右する力を持つ戦場であるという事は、裏を返せば敵にとって、誰を生かしておいても困るという事でもある。敵の攻撃は部隊毎に機能はしている。されど背に腹は変えられぬとはこの事か。それぞれの部隊は各々が判断する脅威へと分散していた。雷音が的確な指示を飛ばすリベリスタと比較して、敵全体の統率力そのものは低いと見て差し支えないだろう。 かくして戦場の中央部には一本の道が広がる事となった。ならば大剣を掲げる彼女が相対すべき相手へと駆けるのは今しかないだろう。今まさに二体の土偶を飲み込んだ『荒神』粛慎へ向けて、『腐敗の王』羽柴 壱也(BNE002639)は全身全霊、何者にも阻めぬ黑天の戦気――ジャガーノートを解き放つ。 「来ルカ、小サキ人ノ子ヨ」 蛇が哂う。爬虫類の様な表情は理解しがたいが、言葉の響きはそう聞こえる。 『罪もない人達を生贄にするだなんて……』 そんな外道に差し出す命は、この世界広しと言えど、一つだってありはしない。 「キヒヒ」 土隠達が次々に壱也へ向けて糸を放つ。絹のように柔軟で、鋼の様に強靭な――否、自然界に存在するそれですらナイロンの二倍という伸縮率を持ちながら鋼の五倍も強靭であると言われているのだ。神秘の技であるなら尚の事、打ち破りようのない技である――筈だった。 駆ける壱也は神気を纏い、次々に吹き付けられる糸を無造作に切払い、踏みしめ、蹴散らす。そして足元に絡まる一本を踏みつけ、跳んだ。 彼女が降り立ったのは白蛇『荒神』粛慎の首元。決意と共に駆け上がる壱也は頭頂を踏みしめ、愛剣『羽柴ギガント』を構える。 「陰陽――」 力なく、大御所のしゃがれた声が戦場に響く。 顕現せしその技は陰陽・極縛陣。 ● 背筋を冷たい汗が伝う。 眼前に立つ『両面宿儺』禍羅破と、その二体の部下達は、ルアの二倍も大きく見える。 けれど気おされてなんていられない。雪花の様に舞う少女は二刀を携え、怪異を睨む。 本当は戦いたくなどない。けれどこれで人々が守れるのなら。その速さは、そして今や握り締めるその刃すらも彼女にとっては目的実現の為の手段に過ぎないから。 花風を纏った二刀で百閃。閃光は白く速く高みへ――『L'area bianca/白の領域』 大気が煌く。ルアが放つ氷刃の霧は、禍羅破と部下達を切り刻み、宙に舞うその血の一滴までをも凍てつかせる。 「「やる物だ――」」 僅かに逃れた禍羅破だが、傷付けた事には違いない。二体の部下達は哀れな凍てつく彫像と化している。 「其は国つ罪」「阿豆那比の理」 二対の唇が各々に呪いの言葉を紡ぐ。右腕を右腕へ、左腕を左腕へ合わせ、増幅した呪詛の念は世界を破壊する理となりルアの身に迫る。 されどその速度を捉えるのは並大抵の精度では不可能な筈だ。ルアの脳裏に電撃が弾ける感覚と共に、足が大地を蹴った。避けたか。だが続いて迫るもう一撃は神速を纏うルアとて逃れ様がない。意識が途切れる。いかに雷音の癒しを受けていようとも、炎と剣嵐に傷ついた身であれば耐え難い筈だ。 危険でも―― 沢山傷が増えても―――― 「私が守らなくちゃいけないの!」 運命を従えるルアは倒れない。 必ずしも戦況が良い訳ではない。現状綺沙羅によって完全に押さえ込まれているフィクサードは兎も角、土隠、両面宿儺、機能的に集中攻撃を仕掛けてくる相手である。土隠は陣形を乱し、両面宿儺は攻撃力もさることながら機動力が桁違いに秀でている。 その状態で大量の土偶が戦場中央部を中心に固まっているなら、リベリスタ達だけがブロックされた状況で足止めを喰らう事になる。そして誰か一人が土隠の糸により引き寄せられるような事があれば、集中攻撃によって各個撃破されてしまうだろう。その状況は即ち戦場での孤立であり、死に直結するのだ。 だが九十九の挑発によってほとんどの有人土偶は彼へと向かっている。タコ殴りに等しい状況であるが、一体一体はタフネス以外に見るべき点もなく、両面宿儺の苛烈な攻撃も相まって一度は膝は折ったとて、状況はそれなりに安定していると言えた。そしてSHOGOの吉報はリベリスタ達の『勝利以上の狙い』を実現するに足るものだ。少なくとも、現時点において最悪の状況を回避出来ている事は確かなのである。 一方フィクサード達は反撃の目を伺っていた。僅か二名の部下と共に綺沙羅の閃光を打ち破り、両足に気を集中させ綺沙羅へと一気に肉薄する若頭は彼女へ右ストレートを見舞う。紙一重。かわした彼女だが、続く無双の連撃を阻むには至らない。それでも援護の銃弾は彼女へは届かず、機敏な彼女の膝を折らせる事はついに出来なかった。 「ちょっと危なかった」 儀式に関して綺沙羅の観察から分かったのは人間だけでは駄目。土偶だけでも駄目。人間入りの土偶を手順に沿って破壊し、同時に人の命が失われる事で力が生まれると、どうやらそういう仕組みらしいという事だ。あの白蛇が行うのであれば嚥下が手順に相当する様である。 あと少し、あともうほんの少しなのに―― 「くそっ、くそっ! くそが!!」 天を仰ぎ罵声を吐き捨てる俊介は、その身に纏う魔力を一気に解き放つ。 土偶は戦闘開始から二体が呑まれた状況だ。おそらくリベリスタ達が到着する前に、数体が犠牲となっているのであろう。あと一歩で救う事が出来る。けれどリベリスタ達の体力は僅かな間に大きくこそげ落とされ、この選択を執る他ないのだ。 「レイチェル!」 「――判ってます」 全ての救い――皮肉にもそう解釈される膨大な魔力『デウス・エクス・マキナ』の暖かな光が戦場を包み込む前に、レイチェルの閃光が九十九を取り囲む土偶達を焼き尽くす。 「一時はどうなるかと思いましたぞ」 九十九の口調は軽いがその意味は重い。 先の大御所の技は戦場全域を覆ったが、逃れられなかったのはレイチェルと俊介だ。だが二人の意思はその魔力を即座に撥ね退けることに成功していた。矢張り大御所は老体なれば、その技と精度はかなり低い。 ぼろぼろと崩れながら動きを止める土偶が地に倒れる。腕が割れ、胴が割れ、もがき、頭を振るのは生贄となった人々だ。 異界の存在でありながら純粋な生命ではなく道具に過ぎない土偶と、命を持った人であったから可能となった策が、漸く実を結ぼうとしていた。地に投げ出され、痣が膨れ、焼けた満身創痍の肌に降り注ぐのは俊介が齎すのは神なる光で―― これで破壊出来たのは七割か。Dの魔杖を振りかざし、氷雨の術を紡ぎ揚げる雷音は唇をかみ締める。戦場に投げ出された人々は未だ逃げる気配見せない。力なく倒れたままだ。 体の傷は癒えている筈である。されど身に浴びた衝撃と痛み、精神的な混乱の最中、暖かな光と共に突如消えた傷の訳すら人々は未だ理解出来ていない。 直感を研ぎ済ませろと雷音は己に念じる。今人々を縛るのは魔術ではなく絶望だ。リベリスタ達は人々へ向けて口々に逃げろと叫ぶ。その声は人々に届いているのだろうか。どうすれば助けられるのだろう。あと一手欲しい。けれどままならぬその戦場では、彼女にはやるべき重大な作業が待っている。 都度雷音が飛ばす指示は的確を極める。一人一人、一手一手へ及ぼす効果は微細なれど、十名の全手に影響を与えうるその力の累計は絶大な効果がある。それはただでさえ強固で力量の高いリベリスタの能力を底上げし、磐石なものとしているのだ。 更に。降りしきる冷たい小雨は何時しか霙へと変わっていた。來――少女の叫びと共に氷雨は中空でその動きを停止し、刃となって敵陣に突き立ち抉りぬく。 戦況は激流の様に移ろっている。黒服の一人が俊介に狙いを定め、憎悪の鎖による絞首を試みるも、突如襲い来るのは呪符の嵐だ。 「オレはさせねえって言ったぜ!」 「アークの小坊主が!」 この技もインヤンマスターが誇る初歩中の初歩ではある。されどその精度は駆け出しとは桁が違っていた。敵クリミナルスタアへ次々と絡みつく符は、その銃、刃、腕、足をがんじがらめに縛りつけて離さない。 フツ、雷音、俊介。莫大な名声を誇る三人を筆頭に、この戦場に立つリベリスタは誰もが実力者揃いである。フィクサードとて幹部の部隊ともなれば、その誰の事をも伝え聞いている筈だ。痛し痒し。知って居るからとてどうにもならぬ。ままならない事態への怒りにフィクサードが出来たのは、ただ額に青筋を浮かべる事だけだ。 未だ『土隠』獲彌耶とてフツの呪縛から解き放たれてはいない。それでも彼の部下達は健在である。高い魔力をもった癒し手である彼と、俊介への到達を邪魔するフツへ一度ずつ。フィクサードと相対する綺沙羅へは二度、土隠達が次々に糸を吐きつける。 「やれやれ、アークという奴はどうにもこうにも――」 「物部が。そうして国を奪い。何を為そうと言うのです」 「強い者が生き残り、弱ければ死ぬ」 大御所のぼやきに答えたのは悠月。別段答えを気にしている訳でもない。ただ一言述べてやりたかっただけだ。長いこと封印されていたアザーバイド共は兎も角、裏野部に関しては少なくとも復讐等という話ではあるまい。 せいぜいどこまでも裏野部が裏野部であるというだけの事なのだろう。 「世の摂理であろうが」 飛び立つ白鷺の羽の様に。無数の氷刃が中空に顕現する。それらは鋭い先端をフィクサードへと向け、吹雪の如く突き刺さる。 大御所は裏野部にとって重要な人物であることに違いはないのだろう。そうでなくとも彼の部下達にとっては。ならばそれを守り、なおかつ行動阻害の技を打ち消す力を持つ敵クロスイージスが麻痺している以上、そこに呪いを重ねれば戦況はより安定する筈だ。 戦場の中央では、壱也に頭上を奪われた白蛇がその巨体を揺さぶっていた。 「させない――から!」 僅か、冷たい鱗を掌で弾き、体制を立て直す。業を煮やした粛慎は、その身が持つ禍々しい呪いの波動を壱也へ向けて収束させる。 「己ガ喰ロウタ命、ソノ怨嗟ノ叫ビヲトクト聞ケ!」 畜仆シ――人がその生涯の内に殺めた命を糧として放たれる呪式。それが蠱道の祖であるならば、何人が逃れる事が出来ようか。 強烈な負の思念が壱也を蝕み、物理的衝撃となってその肌をずたずたに切り刻む。だが黑天の戦気を纏う壱也はその一撃をものともせず、大剣を冷え切った天空高く振り上げ、蛇の頭を蹴り付けた。 宙を舞う少女の全身から、闘気が、圧倒的な熱量が放たれる。その力は身に降りかかる雨粒の一つさえも蒸発させ、渾身の力を篭めて、自由落下する少女は大剣『羽柴ギガント』を縦一文字に振りぬいた。 「それでもう、食べられないよね」 剣は蛇の下顎を貫き、そのまま喉まで一気に切り開く。絶対に赦さないと誓ったからそうしてやった。 血飛沫を浴びながら大地に降り立つ壱也の後背へ、蛇に嚥下されていた土偶の一体が転げ落ち砕け散る。 投げ出された人からは、命の気配がしない。きっともう助からない。それが判った時、壱也は静かに顔を上げた。 こんなものでは済まさない。済ましてなんてやらない。 「絶対にぶっ飛ばす!」 ● 戦況は未だ激戦の様相を示しているが、ルアが放つ白の領域――グラスフォッグが両面宿儺の兵二体を押さえる事に成功し、次々に放たれる神なる閃光が有人土偶から人々を解放している。 そんな最中にレイチェルが見据えるのは、ルアの剣から逃れた『両面宿儺』禍羅破であった。 アーク本部の解析では、その耐性がかなり厄介と聞き及んでいた。だが効かないという訳ではない。そうである以上―― 『私の技を貫き通す!』 遠くても届かせるのみだ。頭は二つ。腕は四つ。足は一つ。けれど。 レイチェルはChat noirを構え、ルアへ両腕を振りかざす禍羅破の背へ、最高級の精度を秘めた不可視の気糸を突き立て――掴んだ。 「小癪な!」「無駄だ!」 叫ぶ禍羅破はそのまま両手に握り締めた剣を振り上げ、氷の彫像と化した己が兵へ突き立てる。 「なっ!?」「にっ!?」 刹那、信じられぬとばかりにレイチェルへと踵を返すが、禍羅破の目に映るのは味方である兵の姿だ。 効いた。途切れぬ緊張の中に生まれた僅かな安堵が、リベリスタ達を奮い立たせる。 「今だしゅんちゃん、パニッシュチャンス☆」 戦場に光が満ち、漸く全ての土偶から人が解き放たれ、雷音の歌声が人々とリベリスタ達を癒す。 敵クリミナルスタアは悠月へと憎悪の鎖を放つが、傷は負わせど立ち回りの妙が呪縛効果の顕現を赦さない。 「早く帰るほうが身の為です」 「クソアマが!」 叫ぶより早く、術印を組み上げた悠月が連鎖雷撃を敵陣へ放つ。黒服達が次々に倒れて行く。 「そろそろいいよね」 これで状況は整いつつある。ここは援護射撃だ。 「キャッシュからの――パニッシュ☆」 SHOGOが放つ銃弾が、敵陣を次々と穿ち、黒服最後の一人を沈めた。 リベリスタの猛攻は止まらない。畳み掛ける様に符を舞い上げるフツが術印を組み上げる。 「緋は火。緋は朱。招来するは深緋の雀――」 しゃんと、鈴の音が聞こえる。法衣がはためき、大気が沸き立つ。 「これぞ焦燥院が最秘奥――朱雀招来!」 火の粉と共に生じるのは四神朱雀。獄炎の炸裂が降りしきる霙を消し飛ばし、はためく朱雀の翼に土とアスファルトが一気に干上がる。飛翔。戦場を駆け抜け覆い尽くす炎の渦は瞬く間の内に大御所他裏野部幹部達と、アザーバイド達の体力を大きく削り落とす。 強烈な炎の炸裂に、戦いの流れが変わった。 「ねえ、聞こえてるでしょ」 焼け焦げた大地を再び氷雨が貫いた。熱されたアスファルトに水蒸気立ち上る。 「おお……」 言葉もなく、大御所が綺沙羅を睨む。可憐な綺沙羅の声が、今は氷刃の様に鋭く響いてくる。 「年寄りに十二月の雨は堪えるでしょ?」 ――さっさと帰れば? 他者の命はゴミの様に捨てられても、己が身はどこまでも可愛いのであろう。 「大御所、潮時ですぜ」 人ならざる生命力を秘めたアザーバイド共は兎も角、所詮は人に過ぎないフィクサードに最早戦う力は残されていない。 リベリスタ達の猛攻に加え、綺沙羅によって貼り付けにされている状況ではこれ以上の戦果を望むのは無理だろう。このままなす術も無く壊滅させられるのがオチだ。無様である。 「自分ができてないのを人に押し付けてるうちは」 斜に構えてもかっこ悪いね。そんなSHOGOが呟きが、彼等の耳に届いたかは定かではない。されど冷厳なる事実は、正にそう戦況を決定付けていた。 リベリスタの優先度としてはフィクサードへのアプローチは足止めに過ぎず、攻撃はアザーバイドを中心に狙っていた。それがこの結果である。リベリスタとフィクサードにおける力量の差はつまるところ脅威度の低さであり、即ちフィクサードが真っ先に盤上から転げ落ちるという事態に繋がったのだ。 だから彼等もこれで終わりだ。 「……忌マワシキ人ノ子ヨ」 フィクサード達が次々に戦場を離脱して往く中、これまた別の意味で後が無いのはアザーバイド達である。 積年の望みが仲間達の解放であり、裏野部と手を結んだのも正にその願いを成就せんが為なのだ。故に退く姿勢は一歩も見えない。アザーバイド等とて未だ勝機はある。つまりリベリスタ達を皆殺しにした後、改めて儀式を成立させれば良い訳だ。 にわかに天が漆黒に染まって行く。禍々しい波動が大気を焼き、生臭いイオンが辺りに立ち込めた。 「これは――逃げて!」 再び戦場に氷雨を降らせた雷音の悲鳴にも近い叫びは、眼前の一般人に向けられたものだ。 大地を揺るがす振動に女性が倒れる。その手を引き、雷音は彼女を必死に立たせようとする。 天空に膨大な魔力が満ちて往く。 よろめきながら立ち上がる女性は僅かに微笑み――そのまま真っ白な光に呑まれた。 無力だ。己は無力だ。 この懊悩ですら裏野部の力になると言うなら、今、少女はどんな顔をすればいい。 降り注いだ雷撃は高ツ神ノ災。絶大な威力は眼前の全てを瞬く間に焼き尽くす。 それでも雷音は、俊介は、壱也は立ちあがる事が出来る。 運命に愛されているから。これまでわずか数年、短くも濃密な戦いで培った力があるから。 けれど、たった今まで雷音がその手を掴んだ女性はそうではなかったから。 その女性は、その命は――雷音の手の平に煤けた、黒い灰だけになってしまった。 「くそ、くそ!」 俊介が吼える。犠牲が止められない。 「ふざけんじゃねえ!」 今ので何人死んだろう。数える暇はないが、四、五人と言った所か。 「これでも護れねえのかよ、俺は!」 心臓が早鐘を打つ。瞳孔が揺れ呼吸が乱れる。己は無力だ。得た力は簡単に人々の命を殺めることだって出来る。なのに救う事の何という難しさだろうか。 だがまだ終わっていない。腰を抜かした一般人とてまだ動ける筈だ。 「お前等分かってんのかよ! 逃げないと、死ぬんだろうが!」 悲痛なまでの叫びに、人々は漸く逃げ始めようとしている。間に合うのか。 分からない。分からないが、間に合ってもらわなくては困る。 「くそ白蛇! おめえらが何しようとしてるか知らんが全部俺等アークが止める! 止めてやる!!」 能力者は僅か一瞬の内に、誰かの人生を終わらせる事が出来る。だから。俊介が持つ力はそれを止める力なのだから。脳裏が、胸の奥がじくじくと痛む。両手の指先から俊介を苛む二律背反の権化が再び膨大な魔力を帯びる。 「許さんよ、人の命は重いんだ! 玩具みたいに弄びやがって!」 裁きの光が戦場を覆い尽くした。 戦いは正念場を迎えている。 あの時――ルアは記憶に残る殺意に身震いを禁じえない。 たとえ今、目の前に居る二体の怪異とて、無闇に殺したいとは思えない。 あの殺意は、とても恐ろしいものだった。裏野部幹部のキャッチを殺そうとした時、その体中を駆け巡った憎悪と殺意は忘れがたい悪夢となって、彼女を苛んで来た。 けれど、それでも。あんな事を引き起こさせた彼等の行為を赦せる訳ではない。 憎悪に身を任せ傷つけるだけなら。そうして彼等と同じものになったら、ただただ感情の赴くままに相手を殺めるようになってしまったら、花のように可憐なその身は白から黒へ堕ちてしまうから。 けれど少女は強い意志を篭め、握り締める刃に力を篭める。 その刃は彼女の為に、愛すべき人達がくれたものだから。 みんなの為に振るえる彼女自身の力なのだから。 なによりこれ以上の悲劇は、どうしても止めなければならないのだから。 煌く大気の中で氷華の天使は舞い踊る。神速の刃が土蜘蛛達を切り刻み、White out――全ては白に包まれる。 それから数手が過ぎ去った。 レイチェルによって正気を失った『両面宿儺』禍羅破は『土隠』獲彌耶を襲い、更にレイチェルは獲彌耶までをも、その絶大な技法によって手中に収める事に成功した。こうして始まったのは壮絶な同士討ちだ。 とはいえ、アザーバイドはまだかなりの数が残っている。このとき戦場を支配しているのがレイチェルである以上、その排除を試みるのは当然の成り行きだ。 リベリスタ達は、レイチェルを護りながら、攻勢の手を緩められぬという状況に立たされたのである。 だがそのレイチェルを護ったのはルアだった。死地にありながら信じ合い戦ったルアに、最早立ち上がる力は残されていない。それからレイチェルとて一度は膝を折る事態にまで陥った。 それでも勝つ為に、そして血を流し苦しげな浅い呼吸を繰り返すルアを無事に連れ帰る為にも、リベリスタは戦いを続けている。 異界の住人達はリーダー格二体を篭絡されながらも、その身に似合わぬ堅牢な戦いぶりを見せ付けていた。中でも白蛇の能力は高く中々攻め落とすには至っていなかった訳だが、ここで漸く白蛇を除き、そのほとんどを沈める事が出来たのであった。その間、一般人はどうにかかなりの数を逃がす事が出来ている。フィクサードはとっくにおめおめと逃げ帰って居る。後はあの蛇と、土隠、両面宿儺のリーダーを倒せばいい。やることはそれだけだ。 「もっかい! いっちー、パニッシュチャンスだ!」 SHOGOが叫ぶ。アーク本部の情報によれば白蛇の生命力は並外れて強く、倒しても起き上がる可能性が高いとされている。リベリスタ達の猛攻を浴び、瀕死に見える今とて、それがどれほど当てになるかは分からない。だからこそこの相手は戦いの決定打となる壱也が葬る必要があった。 出せ―― 「全部、出せ!」 吐き出せ、今すぐに―― 醜く膨れた蛇の腹へ向けて、壱也が大剣を振りかぶる。 皮肉にも、いくら傷ついても、その身に宿す生命力で立ち上がる事が出来るという点では、壱也とてその種別は幾部か違えど白蛇と同じ様な力を持っているのかもしれない。 けれど最大の違いは、その身を、力を、どう扱うかだ。 今それを見せてやる。刻み込んでやる。爪を、牙を。この剣を何度だって突き立ててやる。 壱也の身体に満ちる爆発的な闘気、その膂力全てを剣先に篭めて壱也は跳ぶ。 二度とこんな事が出来ないように。二度とこんな事をさせないように。 「行っけええええええ――ッ!!!」 全身全霊を篭めて、壱也は剣を一息になぎ払う。 鋼の暴風が『荒神』粛慎の身体にめり込み、鱗が弾け、尚も篭められた力にその胴は真っ二つに両断された。 後は―― 肩で息をするリベリスタ達の中、ゆっくりと歩み出るのは一人の少女だ。 眼前の土隠、両面宿儺は互いに大顎を、両手に握った剣を振り上げ、激突する。 けれど彼女がそれを最後まで見届けることは無かった。 「これで、終わりですから」 レイチェルは眼鏡のブリッジに指をあて、静かに踵を返す。 結論として、黒猫の爪(シャドーストライカー)からは何者も逃れる事が出来なかったという事になる。 二対の影が、彼女の後ろでゆっくりと傾ぎ、地に伏した。 まあ―― 九十九がゆっくりと天を仰ぐ。 「どんな天気も、何時かは晴れますよな」 風に煽られた雲の切れ目に、星がその姿を覗かせて居た。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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