●魔導師アラステア ずん、と。 大きな揺れが走った。これで幾度目だろうか、壁が、床がみしみしと悲鳴を上げる。 「ヤード本部とやらも、随分と安普請なものだ」 く、と喉を鳴らす。シンプルなローブを身に纏ったその男は、敵地とは思えぬ気楽さで肩を竦めてみせた。もっとも、豪胆さすら感じさせるその振る舞いは、普段の慎重で神経質な彼の性質とは程遠い。 ありていに言えば酔っていたのだ。周囲に広がる一面の血の海に。数え切れぬ肉片に。目前の勝利に。そして、それらを齎した圧倒的な力に。 「あの小娘が我ら倫敦派の手中に身を投げ出すことも、モリアーティ・プランの計算のうちだった。ならば、小娘が持ち込んだこのキマイラがヤードを蹂躙することも、また定められた未来だろうよ」 霧の都ロンドンでエリューション・キマイラが引き起こしてきた一連の事件。ジェームズ・モリアーティとその配下『倫敦の蜘蛛の巣』は表向き関与を否定してきたが、無論そんなものは誰も信じることの無い修辞に過ぎない。 モリアーティは予見する。 攻勢に耐えかねたスコットランド・ヤードが、極東のアークへ救援を依頼することを。応じたアークのリベリスタが、救援先で因縁深いキマイラを目の当たりにすることを。 ――そして、アークが助力したとしても、『倫敦の蜘蛛の巣』の機先を制することなど出来ようはずもないことを。 「本拠が攻められる危険くらい、お前達も判っていただろう。ふん、リベリスタというものは悲しいな。少々人間の多い場所にキマイラが現れれば、丸裸になってでも向かわずには居られないのだから」 物言わぬ肉塊となったスコットランド・ヤードのリベリスタを嘲笑う男。その時、また大きな爆発音がしたかと思うと、激しい震動が彼らの居る地下第四層を襲う。 「アラステア様。先を急ぎましょう」 「ち、モラン大佐も派手に暴れてくれる。これでは、我々が生き埋めにされかねんな」 舌打ち一つ。もはやリベリスタの残骸からは興味を失ったかのように、アラステアと呼ばれた術士は最奥を目指す。この本部が地下五層構造であることは割れていた。ならば、このまま最下層を制圧して倫敦の街からヤードの犬共を駆逐するまでだ。 彼の背後には四人のフィクサード。そして、ふよふよと宙に浮かぶ奇妙な球体――いや、『目玉』の姿があった。 半ばを毒々しい緑色の皮膚に覆われ、無数の触手を手足の如く生やしたそのおぞましい姿は、キマイラというエリューション生物兵器の極限を示すものだろうか。 左右に突き出たひときわ太い触手は腕代わりだろうか。屈強な戦士ならばかろうじて振るえるかというほどの大鎌を、しっかりと握り締めている。 「さあ、行くぞ。上の連中が我らごとこの本部を押し潰さないうちにな」 その時。 震動音の中でもはっきりと聞こえる、慌しく、けれど力強い足音が彼の耳を打った。 「……アークか。ヤードに比べれば歯ごたえはあるだろうが」 振り返れば、彼に叩き付けられる激しい感情のプレッシャー。スコットランド・ヤードのリベリスタを始め、多くの人々を傷つけたことへの怒り。凄惨な現場を目の当たりにした緊張。強力な戦力と対峙することへの高揚。そして――純粋なる殺意。 びりびりと震えた、気がした。上層の戦闘の余波ではない。 嵐だ。 アークの面々を中心に渦巻く『感情の嵐』が、血と死の臭いに満ちた第四層のロビーに吹き荒れて、全てを薙ぎ倒さんと猛るのだ。 だが。 「モリアーティ・プランは揺るがない。思い知れ、お前達は誘き寄せられた羽虫に過ぎないのだということを――!」 それら全てを真っ向から受け止めてなお、アラステアは口の端を歪め、そう嘯いた。その傍らで、巨大なる眼球が単眼を目一杯に広げ、大鎌を振り上げる。 その刃は、肉片に変えられたリベリスタの流した血でべっとりと濡れていた。 死闘が始まる。 ●Dark Side of the City 「派手に飛ばしやがるなぁ、おい」 キマイラを従えたアラステア隊とアークのリベリスタが正面から衝突するのを、一人の男は物陰から眺めていた。 無論、割って入る力すらない唯の観客というわけではない。この距離で双方に気配を悟られない、それだけで彼の実力は知れようというものである。 「面白くなってきたと言っちゃあ、その通りなんだがなぁ」 およそ戦場に在るとは思えぬ暢気な台詞を男は吐いた。その在り様は一見アラステアと同じだ。違うのは、彼がその本質の底の底から、こんなふざけた性格だ、という点である。 丸サングラスに金髪、そして黒ずくめの衣装。身に纏う装束からして胡散臭さを隠せぬその男の名を、土御門・ソウシという。 「どうするよ、ソウシ?」 「やれやれ、難題だな。まあ俺としちゃ、今ここで『教授』に睨まれるなんて面倒は御免蒙りたいね」 小声で問うた声に小さく鼻を鳴らし、しかし『午前二時の黒兎(ナイトメア・イン・ザ・ナイト)』は言葉を続けた。 「とはいえ、バロックの連中にはあんまり派手に動かれたくはないんだがな。三人死んだところで、まだまだ天秤は連中に傾いたままだ」 やはり『教授』か、と一人ごちる。用心深いモリアーティと顔を合わせることなどそう滅多にあるものではないが、彼の配下として動けば動くほど、あの男の老獪さには底が無いように思えてならないのだ。 「さ、どうすっかね。何事も勝ち過ぎはいけねえよ。『大将』にとっても、――『俺達』にとっても」 そう言って、彼は敢えて踵を鳴らし、戦場へと歩を進める。 かつり、と。 靴底が床を叩くその音は、力と鋼鉄と魔力とがぶつかり合う戦場を、奇妙なほどクリアに駆け抜けたのだった。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:弓月可染 | ||||
■難易度:VERY HARD | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年12月21日(土)23:10 |
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■メイン参加者 10人■ | |||||
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● ロビーに飛び込んだリベリスタの視界を最初に埋めたのは、無残にも切り刻まれ肉片と化したスコットランド・ヤードの構成員、その成れの果てが赤く染めた壁と床であった。 だが、その色彩は、『誠の双剣』新城・拓真(BNE000644)の意識の隅にすら座を占めることがなかった。それを非情と呼ぶのは酷というものだろう。彼の思考を塗り潰すのは、部屋に満ち満ちた殺意の嵐である。 その中心には、巨大なる眼球が陣取っている。一抱えよりも尚大きい球体より生えた無数の触手。その中でも太い二本は、血でてらてらと塗れた大鎌を握っていた。 「キマイラ、か」 吐き捨てる。六道紫杏の悪魔の発明、その果てに生まれし異形。かつて日本で多くの命を奪ったエリューション兵器は、しかしあの頃とは比較にならぬほどおぞましく、そして比較にならぬほど力を増していた。 フェイズ4。 彼らとて交戦経験は無いに等しい、貴族級のエリューション。無論、それを従える魔導師と蜘蛛の巣のエージェント達は紛れも無い強敵だ。だが、キマイラ『イビルアイ』の発するプレッシャーは、そんな彼らをも霞ませるのである。 「何を――ぼんやりしている」 拓真の脇をするりとすり抜ける影。いや、影というにはその男には存在感がありすぎる。『神速』司馬 鷲祐(BNE000288)。アーク最速を自負する彼は、逆手に構えた短剣ごと風を捲く矢となって敵陣を穿つ。 「なんだか知らんが、要はただの目玉だろう。なら、倒せない相手じゃない」 加速。加速。けして狭くはないロビーを駆け抜ける彼の刃が狙うのは、奇しくも彼と同じ短剣の軽戦士だ。そうと察してにぃ、と唇を曲げた敵とは対照的に、鷲祐は抜き身の刃の冷ややかさを漂わせている。 「道を拓く。征くぞ」 二振りの刃が火花を散らす。自らも駆け寄らんとする拓真。だが、彼が大きく踏み出すよりもほんの一息早く、菫色の幻影が彼の視界を遮り、消えた。 「面倒くさいわねぇ……本当に」 彼の鼻をくすぐる甘やかな香り。その間にも『そらせん』ソラ・ヴァイスハイト(BNE000329)は、小柄な身体から伸びた意外としなやかな脚を叩きつけるようにして敵の只中へと飛び込むのだ。 「本拠地攻めなんて、作戦としては判りやすいわね。……むしろ、ちょっと判り易過ぎるかしら。あのモリアーティ教授のやることなのに」 手に魔道書一冊を携えて、成長を止めた淑女はすとん、と降り立った。たちまち周囲を取り囲む殺気。だが、それが鋼鉄と魔力という形に変わるより一足早く、ソラはほっそりした指先、その爪で周囲の空間を『斬り裂いた』。 「この問題、解決してもまだ先に何かあるパターンよね。だから、気に食わないのよ」 敵の思い通りに事が運ぶのは、絶っ対に嫌だから。 そう呟くと同時に、周囲の空気、特に彼女が斬り裂いた軌跡が氷の筋となった。白い靄のような魔力の渦は刃となって敵を刻む。残念ながら敵集団の動きを止めることこそ適わなかったものの、吹きすさぶ氷の刃は蜘蛛の巣のエージェントたちを強かに切り刻んだ。 「ハッ、ヤードの次はアークか。すぐにお友達のところに送ってやるよ!」 「……人を殺すのがそんなに楽しいですか」 そんなダメージでは止まらぬとばかりに哄笑する、屈強なる男。手にした大斧が、彼の素性を雄弁に主張していた。 その暴威に立ち向かうのは、中性的なかんばせを今は若干の朱に染めた雪白 桐(BNE000185)である。素振り一つで空間を抉り取るような大斧にも負けぬ、平べったい異形の大剣。まんぼう君とは人を食った銘ではあるが、決してこの得物は伊達や酔狂ではない。 「奪うだけの力なら、今ここで止めてみせる」 「大口の報いを受けるんだな!」 ぶん、宙と薙ぐ音。大柄な身体にに合わぬ機敏さを見せ、相対する敵はバックステップで桐の一閃を避ける。そして、ノータイムでの反撃。ぐ、と肩が盛り上がったかと思うと、力任せの大斧が断頭台のギロチンの如く白皙の美貌に降り注いだ。 「……っ!」 咄嗟に構えた剣がかろうじて間に合った。肉と骨を叩き潰す代わりに斧頭が奏でるのは、重く、鈍く、だが悲鳴のように鋭く響く金属音。 「新城さんの邪魔はさせませんよ」 そう、これは一瞬のアイコンタクト。熟練の戦士達が成立させた無言の合意。あのキマイラは不味い。蜘蛛の巣の連中も、ヤード最深部に姿を見せるような実力者だ。 そんな中で、唯一アークのリベリスタが勝っているもの。十人という人数を活かし、敵の前衛を封じ込め、キマイラや後衛への道を拓く――。 「何もかもがお前達の掌で踊るとは思わん事だ!」 そして拓真が、その双剣を異形の眼球へと向けた。輝けぬ栄光、寄る辺無き正義。されど何物をも畏れぬ二振りは、かつてまみえたことの無い貴族級へと突きつけられる。 「我が双剣、存分に受けよ!」 早くも限界を振り切った拓真の肉体が悲鳴を上げる。轟、と唸りを上げる二刀がぶよぶよとした瞼に喰らい付き、緑色の体液を撒き散らす。 だが。 「ちいっ!!」 戦士の鋭い感覚が何かを悟ったか、拓真は反応し、しかし間に合わない。ぎゅる、とイビルアイの眼球が回ったかと思うと、次の瞬間には視界がフラッシュアウトしていた。そして、次々と身体を何かが貫いていく痛み。 「こっちまで流れ弾!?」 悲鳴を上げる『ANZUD』来栖・小夜香(BNE000038)。前衛のみならずリベリスタ達を等しく襲った光の矢は、彼女にも手傷を負わせていた。 「ぞっとしないわね。こんなものが繰り返し降り注ぐと思うと」 手にした十字架をそっと掲げ、小夜香は無心に祈る。剣士達が奮い立つ強敵相手であろうと、彼女のやることは変わらない。上位存在の力を借り、ただただ癒しつづけるだけなのだ。 「癒しよ、在れ」 柔らかな風がロビーに吹き渡り、傷ついたリベリスタを包む。そんな奇跡を齎した十人で唯一の専業癒し手は、決意をこめた視線でキマイラを見据えるのだ。 「誰一人死なせるものですか。護り、支えて見せるわ」 激突する両陣営。だが、盤上に座す大駒は一枚きりではない。もう一枚、戦況を左右するほどの実力を持った者がこの局面に姿を見せている。 「モリアーティ・プランは揺るがない。思い知れ、お前達は誘き寄せられた羽虫に過ぎないのだということを――!」 吼えるは『魔導師』アラステア。かつて三ッ池公園でこの男と交戦した経験があるリベリスタが、この場には三人居る。桐、『愛を求める少女』アンジェリカ・ミスティオラ(BNE000759)、そして。 「さて、誘き寄せられたのはどちらでしょうか」 かつん、と。 その長靴がリノリウムの床を叩いた。『原罪の蛇』イスカリオテ・ディ・カリオストロ(BNE001224)。神父の姿を纏う無神論者、かの渇望の書すら手に入れんと欲した異端は、実に楽しげに謳うのだ。 「この任務に期待する未知はただ一つ。私の獲物は最初から貴方だけだ」 そのためにも、邪魔なキマイラには早々にご退場いただきたいものだ。脳細胞が加速する。超高速で計算を重ね、その見通す目をイビルアイへと向けた。 幾体ものキマイラを屠ったアークである。スタンリーの情報を待つまでもなく、キマイラを制御するアーティファクトは操作者側に存在することは知れていた。スタンリーによれば体内に埋め込まれた超小型アーティファクトというのだから、それ自身をどうこうする手段はないだろう。 とはいえこれだけのキマイラを従える装置。イビルアイ自体に受信機は無いのか、あるいは出力向上のために大型化していないか。そう考えたのはイスカリオテだけではなかったが、残念ながらめぼしい成果は得られてはいなかった。 「ならばよろしい。以前の借りを返すことにします。さあ、競うとしましょう――互いの魔術の深淵を」 「神父だけではないのだ。ボクも戦う」 普段は小生意気な口調で強気を前面に押し出す『百の獣』朱鷺島・雷音(BNE000003)が、今は抑えた声で宣言する。 無論、未知なる敵の強大さもその背景にあろう。だが、それ以上に彼女は『勝つ』ことに拘っていた。正確には、『負けない』ことに。 「呪詛重印、來來縛鎖!」 アラステアの周囲に展開する十重二十重の呪陣。もっとも、かのバロックナイツに名を連ねる大魔道には及ばぬとはいえ、アラステアもまた稀代の魔導師。彼の動きを封じんとする試みは、一度は失敗に終わっていた。 だが、一度防がれたからといって、次もそうとは限らない。 「もう誰も傷つけさせないと、そう――決めたのだ」 「……ふん、小賢しい!」 宙に浮かぶ札は、圧倒的な彼の魔力の前に次々と焼け落ちる。雷音が精神をすり減らすようにして構築した呪陣が霊子の粒に還るまで、それは僅かな時間だった。 ――そして、値千金の時間だった。 「それで十分です。さあ、『お祈り』を始めましょう」 右手に祈りを、左手に裁きを。『蒼き祈りの魔弾』リリ・シュヴァイヤー(BNE000742)の二丁拳銃が立て続けに銃声を轟かせれば、逃げ場無く降り注ぐ魔弾が敵の肉を骨を穿つ。 「手を止めてはいけないのだ。拓真達が抑えている間に、一刻も早く」 「ええ、判っています。制圧せよ、圧倒せよ――!」 僚友の声に頷くリリ。言うまでも無く敵は強大、楽などさせてくれそうもない。 僅かの時間を稼ぎ出すための入念な一手。或いは、深手を負わせる事は出来ないと理解した上での面制圧。天秤を傾けるのではなく膠着させるためのそれらの行動は、場合によっては悪手と成り得た。 だが、この場この時に限っては、それは最善とは言わずとも十二分に有効な手だ。強大な少数の敵に多数で挑む最大のリスクは、強力な一撃で一網打尽にされることである。アラステアと彼に侍る後衛を牽制する事は、むしろ必須と言ってよかった。 「テレジアの子供達、か」 その名前を聞いて『愛を求める少女』アンジェリカ・ミスティオラ(BNE000759)が連想するのは、かのマリー・アントワネットの母親としても有名な喪服の女帝であった。だが今となってはそう名づけた紫杏の思惑を質す機会も無く、彼女もまた喧騒の中の戯言として忘却の彼方へと送り込む。 「赤い月よ、ボクの敵を照らして」 蝙蝠の大鎌は今日も禍々しき赤を湛えていたが、アンジェリカは斬り込む代わりに、頭上に小さな月を作り出すことを選んだ。小柄な身体に満ちた魔力で形作られた球体は、敵陣に不吉なる輝きを齎す。 (……何も起こらないなら、それはそれでいいけれど) 彼女があえて一歩引いているのは、後方に神経を尖らせているからである。スコットランド・ヤードの本部とはいえ、ここは最早敵地とも言っていい混沌の戦場。四方に通路が延びるこのロビーは、正面衝突ならばともかく後背を取られては守ることも難しかろう。 「これ以上は得られるものもありませんか。ならば」 一方、自らの身体に染み渡った魔術の精髄を活かし、イビルアイやアラステアの情報を読み取ろうとしていた『現の月』風宮 悠月(BNE001450)も、次なる行動へとシフトしていた。 「そちらにも癒し手が居るのは判っています。少々大人しくして欲しいものですね」 手にした銀弓を構え、矢も無きままに弦を引く。いや、扇形に美しく引き絞られた弓に番えられているのは、練り上げられた強力な魔力だ。 「――そこ!」 気合の声と共に、魔力の矢が放たれる。めまぐるしく色を変えるそれは、四つの属性の魔力を同時に封じ込めた複合魔術の産物だ。敵後衛の術士、おそらくはホーリーメイガスに突き刺さった魔力の矢は、鮮やかな光を発しながら爆ぜる。 「さあ、月の魔力に溺れなさい」 「……妨害が自分達の専売特許だと思わないほうがいい」 だが、詠唱を追え魔術を発動させた悠月の視界が、突然白く灼かれた。それは、後方で支援に務めていたレイザータクトの放ったスタングレネード。 「くっ!」 悠月だけではない。後ろに下がっていた者達は、等しく閃光の洗礼を浴びていた。手数を考えれば止むを得ない判断ではあるのだが、これは、フリーになっていたレイザータクトが閃光弾によって頭数の不利を押し戻したということと同義なのだ。倫敦派にしてみれば快心の一撃である。 そして、攻勢に出るのはただレイザータクトだけではない。 「――!」 ぶるり、と。 大きく震えた目玉が、かっと目を開く。ぐりん、白目を見せながら天頂へと視線を投げたイビルアイは、そのまま紫の怪しい光を薄く纏わせたかと思うと、細いビームのようにしてその光を四方に撒き散らした。 「これ、は……」 戸惑ったような声を上げる小夜香。幾人かの身体にねとりと絡みつくその紫は、淡いながらも禍々しい色合いを示していた。 だが、その意味は他ならぬ彼女自身が思い知らされることになる。再び焦点を取り戻した目玉がくわりと小夜香を睨みつけた瞬間、彼女の全身が何かに押さえつけられたように強張ったのだ。 「でも、この程度で!」 魔力の鎖に囚われたのだと見当はついた。だが、そんな経験なら幾度でもある。小夜香は敵に狙われる事も多い。また、癒し手たる自分が動けないという事態はパーティの瓦解を招きかねない。それ故に、呪縛を振り払う精神力は十分に修養してきたつもりだ。 だが、彼女の中で焦りが生まれていた。恃みとする意志の力、自分の中に真っ直ぐ立つ芯のようなものが、明らかに力を失っているのだ。抗えないと、そう直感してしまうほどに。 そして気づく。未だに身にへばりつくこの紫の燐光こそが、イビルアイの呪詛であるのだと。 「気をつけて、そのキマイラはただ火力で攻めてくるわけじゃない!」 「――へぇ、せいぜい気をつけるとしようかね」 その時。 怒号と喧騒の渦巻く戦場を、場違いなほど軽い声が駆け抜ける。そして、背後に突如現われた気配にはっ、と振り返ったリベリスタ達は、そこに黒ずくめの男達が立っていることに気づくのだ。 「ようこそアークの諸君、なんてな」 「……お前は……!」 ● 土御門・ソウシ。 かつて後宮・シンヤの配下であり、後には蜘蛛の巣の一員として三ッ池公園の襲撃にも加わっていた男。なるほど、倫敦派の総攻撃とあらば、彼がそれに加わっていても何もおかしくはない。 だが、何の戯れか――ソウシはかつて、自らが仕える真の主の名をアークに明かしている。そして、その名はジェームズ・モリアーティではない。 「やはり、増援が来ましたか」 いずれにしても、この場に現われた以上はアークの敵なのだ。挟撃を警戒していたリリが、その双の銃を新たなる参戦者へと向ける。 しかし。 (今戦う事に、彼らに利はあるのでしょうか) ふと浮かんだ疑問。それが、引鉄にかけた指を強張らせるのだ。 「後ろから来た、か」 一方鷲祐は、背後の状況を知ってなお動じてはいなかった。目の前にはアラステアと配下のフィクサード達。いずれ倒さねばならぬ相手には違いない。 「千変万化の戦場だ。楽しもうか、倫敦の戦士」 もっとも、彼が思い通りに動けたわけではない。彼ら前衛がフィクサードに貼り付き後衛への浸透を食い止めるのと同様、フィクサードの側もリベリスタの前に立ちふさがることが出来るのだ。 敵の癒し手か指揮者、せめて敵将アラステア。だが、鷲祐の狙いは同時に目の前の軽戦士にとっても守りたい対象だったから、彼ら二人は光速のソード・ダンスを繰り広げることになる。 「相手にとって不足はない――!」 瞬時に意識を研ぎ澄まし、瞬時に加速する鷲祐。左手のブースターを噴かして高速の方向転換を瞬時に繰り返し、さながら無数の残像が同時に斬りかかるが如く、彼は雄敵の八方から斬撃を叩き込む。 「これもモリアーティ・プランの内か。厄介極まりないな」 一方、キマイラ・イビルアイと対峙する拓真もまた、思うに任せないでいた。ガンブレードで後衛の狙撃を狙ってはいたが、そもそもこの化け物を相手にして、余所見など出来るわけがない。 ホーリーメイガスを序盤で潰せれば最善だったろう。しかし、何人かが解析に手を割いていたこともあり、未だフィクサードの一人として落とせてはいない。敵を減らせぬままに前後を挟撃されるという危機に、彼の背中を冷たい汗が流れ落ちる。 「それでも、だ。この俺の剣は、決して折れはしない!」 正義、とまでは言わなかった。その二字を冠するには、未だ自分は力不足だ。それでも、信じた道を征くために、拓真は双剣を取ったのだから。 身体がみしみしと鳴る。毛細血管は爆ぜ、数え切れぬほどの内出血を起こしているだろう。限界の先、砕け散る直前にまで負荷を加えた彼の腕が、爆発的な膂力を生んでキマイラの表皮を強かに斬り裂くのだ。 「いや、浅い、か……!」 声無きままに悶えるイビルアイ。充血した単眼が、ぎろり、拓真を見据えた。太く伸びた二本の触手が握る血錆の大鎌が、反撃とばかりに振り下ろされて。 「ぐ、あっ!」 「新城さんっ!」 左肩から胸までを、ざくりと抉り取った。心の臓まで達したかに見えるそれは、間違いなく死に直結する一撃。完全な備えが出来ていれば拓真でも耐えられたかもしれないが、早くも傷を負っていた彼には酷な相談であった。 それでも運命の力を盾に、かろうじて彼は立ち上がる。倒れているわけにはいかない。貫かねばならない――だが、更なる脅威が息も絶え絶えな拓真を襲う。 「――――――――」 奇妙な音が響く。その出所は、イビルアイの背後に控えた『魔導師』――。 「来ます! 気をつけて!」 恋人の危機に駆け寄らんとした悠月が、思わず、そう思わず足を止め叫ぶ。魔道の知識に長けた魔術師の一族たる彼女だからこそ、その短い音韻が何を意味しているのか真っ先に理解できたのだ。 アークにも使い手の多い高速詠唱。だが、あれはその程度のものではない。導師クラスの秘儀、長時間の詠唱を僅かな時間で唱えきる超絶技法。 もっとも、恐るべきは詠唱自体ではない。真に警戒すべきは、『そんな技法を駆使してまで唱えられる大魔術』が、間もなく彼女らに向けられる、という事実なのだ。 「気をつけたとてどうなるものか。さあ、星槌よ、在れ」 嘲笑うアリステアの掌が虚空を掴むと同時に、高い天井から突如として岩塊が降り注ぐ。星界の隕石はリベリスタ達を等しく撃ち抜き、決して無視できぬ強烈な――それこそ、比較的体力に劣るリリやソラであれば一発耐えるのが精一杯というほどのダメージを与えたのだ。 それは、つい今しがた運命を使い捨てて立ち上がった拓真も例外ではない。小夜香の祈りも間に合わず、彼の意識は暗闇へと落ちていく。 「祝福よ、在れ」 悲鳴じみた詠唱の文句。誰一人死なせないと誓った小夜香は、しかし拓真の生死を確かめる間もなく十字の杖を掲げ祈りを捧げるのだ。 (生きていて……!) ふと頭をよぎるあの日の記憶。目の前で失った衝撃は、今も胸を裂く傷みとなって小夜香を襲う。それでも、今の彼女はリベリスタだった。残り八人の命をも華奢な肩に背負う癒し手だった。 だから、しっかりと前を向いて。高く差し出した十字より吹く柔らかな風が、ロビーに満ちた死臭ごと彼女らの傷を和らげた。 「今は小夜香の手伝いよりこっちかしら。まぁ、やれるだけやってみましょう」 倒れた拓真の代わりにイビルアイと対峙するのはソラだ。速度を活かして戦うソードミラージュの中にあって、剣技では無く魔術をもって戦う彼女のスタイルは異質といっていい。 だが、治癒回復もこなしながら遠近でトリッキーにかき乱す彼女は、それ故にパーティの盾という立ち位置に向いているとは言い難い。相手の実力が並程度ならいざ知らず、フェーズ4のキマイラとなれば尚更だ。 それでも。それでも、ソラは躊躇わない。敵の思い通りに事が運ぶのは絶っ対に嫌、なのだ。その性質は強欲にして怠惰。ならば、一度掴んだモノは、決して手放さない。 「悪いけど、その子、私の仲間なのよね」 彼女の周囲の空間が凍りついた。否、氷の刃で埋め尽くされたのだ。荒ぶるアイスブレード・ストームは、宙に浮く単眼、その眼球と瞼とに細かな傷を無数に作り、僅かな時間ではあるが氷漬けにまで追い込んだ。 「早くその子を下げて。巻き込まないうちに」 「ええ……大丈夫です、まだ息がある!」 拓真に駆け寄った悠月が、彼を抱き起こして叫ぶ。その声に、小夜香とソラの二人は僅かな微笑を返した。 土御門・ソウシについて、リベリスタ達の認識が統一されていたとは言い難い。 無論、戦いの中での咄嗟の事である。テーブルを囲んでの交渉ではないのだから、細部まで摺り合わせた認識あわせなど出来るはずもないのだ。 だがその中で、多くの者に共通の認識が二つあった。すなわち、一つは何らかの交渉が可能であろうこと。もう一つは、アラステア隊の面々が健在の間は、いかなる交渉もできはしないだろうということだ。 (第一の認識は判りやすい) 照明の光を映した眼鏡の向こう、ちろり、と舌を出した蛇のごとき視線で戦場を見据えながら、イスカリオテは思考する。 あの三ッ池公園の森で共に戦ったリベリスタが言うには、ソウシは伝説上の僧侶であるグレゴリー・ラスプーチンとの関係を仄めかしたという。稀代の怪僧が今も実在し、かつソウシとの関係が事実であるならば、考えられる結論は一つだ。 すなわち、モリアーティとラスプーチンが共闘関係にあるのでない限り、土御門・ソウシはバロックナイツへのスパイである、ということ。 (とはいえ、その立場を投げ捨てて私達を助ける義理はないでしょう。あの魔導師殿を倒した後に、はじめてキマイラ退治の助力を依頼できるかどうか、でしょうか) ならば。 く、と彼の口角が吊りあがる。それは確信だ。あるべき行動と彼の望みが合致した、ということの。 「慎重にして偉大なる『魔導師』殿。血塗れの乱戦など、貴方の趣味には合うまい」 黒き魔道書を手袋越しの左手に乗せ、右手は大きく広げアリステアへと向けた。体内を循環するマナが、どくんと脈を打って加速する。練り上げられた魔力が、掌に集い銀のオーラを纏わせた。 「――さあ、神秘探求を始めよう」 解き放つは銀の魔弾。つるべ撃ちに撃ち出されたそれは、アラステアのみならずキマイラやフィクサード達をも穿ち、経験の共有による効率的な動きやマナの循環を乱した。 ソウシに対しての態度はリリや鷲祐も同じだ。アラステアを排除しない限りは味方につくことはない。だが、現時点で攻撃を仕掛けて敵と確定させるのも悩ましい。 (蒼の聖域は、一切の悪を逃がしはしない) けれど――貴方は悪ですか、と。 リリは心中で問う。彼女にとってソウシは敵の敵、その可能性がある相手に過ぎない。以前の彼女であれば、あるいはそれを妥協と批判しただろう。粛清の弾丸で全てを薙ぎ払うことを求めたかもしれない。 ただ、信仰以外の気持ちを知った今は、物事がそれほど単純ではないと知っている。だから迷う。迷って、その末に明確な『敵』へと銃口を向けるのだ。 「今はただ、精密に射抜いてみせましょう。極限まで高めた『お祈り』で」 或いはそれは自己暗示の一種だろうか。す、と精神を研ぎ澄まし、二丁が一を射線の通った敵、レイザータクトへと向ける。それが左手の『裁き』ではなく右手の『祈り』だったのは、偶然なのだろうけれど。 「――Amen」 かくあれかしと呟いて、信仰の少女は引鉄を引いた。狙い過たず、真っ直ぐに宙を駆けた銃弾はレイダータクトの男、そのジャケットに血の華を咲かせる。 「動か、ない?」 後方に現われたソウシ隊は、だが抜刀すれど攻撃の様子を見せていない。その理由を、悠月は理解していなかった。 或いは仲間の誰かが交渉を試みているのかもしれない、とも思う。だがその状況を正確に掴んでいる暇は無かった。ソウシが手を出さないのであれば、まずは前面のアラステアに全力を注ぐだけだ。 「認めましょう、今の私では届きません。けれど、動きを封じる事は出来るのです」 圧縮詠唱による隕石召喚などという離れ業を放置していては、いずれ全滅は必至。フェーズ4のキマイラと同等の脅威――いや、イビルアイがアラステアのコントロール下にある以上、キマイラ以上か。 幸いにも、アラステアは束縛に耐性はないらしい。ならば、自分一人が専念する意味はある――! 「天空に架かる星の銀輪よ。願わくば冷たい土の下にも恩恵を」 四色に輝く魔力の矢が、次々とアラステアを襲う。二回に一回も成功すれば御の字、しかも呪縛はすぐに霧消する。それでも、ほんの僅かの時間の積み重ねが、悠月達を勝利へと導くのだ。 「アラステア様!」 「回復なんてしている暇なんて無い。あなたの相手はボクだよ」 すぐさま闇夜に生きる少女が、冷徹にそう告げる。ほっそりとした手を伸べてアラステアの傍らのホーリーメイガスを指差せば、距離を越えて奪取された生命力が魔力に変わり、アンジェリカの身体へと流れ込んだ。 「戦う事はキライだよ。けれど、容赦なんてしない」 音楽と猫と甘いもの、そして人を愛する気持ち。養父との暮らしでアンジェリカが見つけたものは、今も彼女の胸に輝いている。だからこそ、彼女は冥界の大鎌を縦横に振るい、躊躇無く魂を刈り取るのだ。 守るために。彼女もまた、たいせつなものを守るために。 「ボクは、こんなところで死ぬつもりはないよ……。まだ、見つけてないからね」 「ええ、その意気ですよ。掴み取りましょう、どんなにみっともなくても」 応えたのは桐だった。振り向かずに言い切った台詞は背後の少女に向けたものだったが、対峙する大斧の戦士は自分に言われたと勘違いしたか、何をごちゃごちゃ言ってやがると吼え猛る。 「モリアーティ・プランに間違いはねぇ! 無駄なあがきはやめて、ヤードもろともさっさとくたばるんだな」 「モリアーティ・プラン? それがどうしたというんですか」 だが、桐は怜悧なる顔にいっそ冷ややかな笑みを湛え、戦士の恫喝を受け流す。結局のところ、倫敦派の行動は力任せの威力制圧に過ぎない、と彼は見ていた。 「単に力と力がぶつかり合うだけの力比べに、何の誇りがありますか」 とはいえ、状況は楽観できるほどではない。二人の前衛、レイザータクト、ホーリーメイガスにアラステア、そしてイビルアイ。誰も彼もが抑えるべき敵だった。火力の集中で片付けていくのが常道だが、拓真の倒れた今となっては余力が無い。 「だから、私達も全力で潰します。例え血に染まってでも」 それでも退くわけにはいかないのだ。この大剣と共に最後まで戦うしか無いのだ。自分と大斧の戦士、その双方が傷ついていた。つい先ほど嘲笑った単純な力比べに自分も陥っていると気がついて、ふふ、と微笑む。 「――いきますよ」 「おら、いくぜっ!」 交錯。だが、ほんの僅かに敵の方が速い。力任せに振り抜かれた斧頭が、桐の胴をまともに薙ぎ払う。肉が削げた、どころではない、腸が裂け背骨の砕ける感覚。考えずとも判る、これでおしまいの一撃。 それでも。 「倒れる……ものですか!」 運命を燃やし、踏みとどまる。多くの死を見てきた。少なからぬ友を失った。そんな彼だからこそ、決して命を捨てはしない。ただ、ただ喰らいつく――。 「言ったでしょう、全力で潰すと!」 リミットを振り切った膂力を異形の剣に乗せ、桐が放つは必殺の一撃。唸りを上げてふりおろされる刃は肩から腰までを斬り下げて止まり、断末魔を漏らす間もなく男の命を奪い去った。 その少しだけ前。 『大変だな、ラスプーチンと教授の二足草鞋は』 『まあそう言うなってお嬢さん。俺にも立場ってモノがあるんでね』 脳裏に響く軽妙な声。雷音がテレバスで会話しているのは、彼女らの背後に現われた土御門・ソウシ、その人である。 『ボク達の目的は、聡明な君なら見て取れるだろう。率直に言おう、ボク達と君とは、徒を結ぶことが出来ると思っている』 『へぇ。どうしてそう思ったのか、知りたいところだがね』 面白がっているソウシ程、雷音に余裕は無い。普段の特徴的な口調もややきつさが表に出ているし、アラステアに背を向けてソウシと退治する彼女は、目の前のにやけた男をはっきりと睨みつけている。 『寡聞にして、君の主人がモリアーティと手を組んだとは聞いていない。だとしたら、君は倫敦の蜘蛛の巣に潜入しているのだと、ボクは思っている」 そして、ロシアを本拠にするラスプーチンは、欧州のバロックナイツが勝ち続けることを快くは思っていないはずだ。そう続ける雷音に、ちょっと違うがな、と彼は含み笑う。 『それで? 何をして欲しいのか……の前だな。どうして、俺が教授に睨まれる危険を冒してまで、今ここで、アラステアの目の前で、お前達に協力すると思ってるんだ?』 次に彼が投げてきた思考は、この交渉の成否を分ける決定的な問いであった。なるほど、土御門・ソウシは忠実なるモリアーティの配下ではない。もしかしたら、いずれはバロックナイツに牙を剥くのかもしれない。 だからどうした。 少なくとも一年以上を蜘蛛の巣の一員として潜入工作に励んでいた彼が、突如正義に目覚め、涙を流しながら喜んでアークに協力するとでもいうのか。それを論破せずして、ソウシは寝返る事など無いだろう。 そして、雷音もそれは判っていた。判っていたから、精一杯の虚勢を張り、最後は賭けだと覚悟を決める。殊更ゆっくりと紡いだのは、すなわち相手に回答を迫る抜き身の刃。 『ボク達は、アラステアの前で君の立場を明確にすることができる。十割の信用はされずとも、君の大将の名前が出ただけで、モリアーティの頭脳は危険分子を排除するだろう』 それは紛う事なき恫喝だった。言外に彼女は迫っているのだ。アラステアとその郎党の口を封じてしまえ、と。 『……ふん、なるほどね』 そして、ソウシが返事をしかけた、その時。 「ソウシ、何をしている! アークの犬を轢き潰してしまうのだ、イビルアイの運用にも限界がある」 焦れたアラステアの叱責。ふん、と小さく鼻を鳴らし、ソウシは腰に提げた飾り鞘から曲刀を引き抜いた。黒い丸サングラスの向こうで、紅玉の瞳が心底面白げに歪む。 『いいぜ、乗ってやるよ。ここでヤードが潰れちゃ、ちょっと教授も勝ちすぎだ』 次の瞬間。 ソウシの配下の一人、ナイフ使いの女が雷音へと踊りかかる。次いで、槍を持った男が繰り出した穂先が、不意を突かれた彼女の腹を貫いた。 『だ……ました、のか、ボクを』 『テレパスで送ってきたのは正解だ。悪いようにはしねぇよ、だから我慢しな』 そう告げた彼がするりと滑るように動き――すれ違い様に、雷音の胸を斬り裂いて。 「悪ぃ悪ぃ、ちょっと野暮用でな。地下鉄が混んでて遅れたんだよ」 既に運命の糸は切れ、幸運にも見放された彼女が倒れ伏すのには目もくれず。いっそ堂々とリベリスタの間を通り抜け、アラステアへと気安く手を振ってみせる。 「けどあっちにいちゃ、まとめてイビルアイに焼かれそうだからな。俺っちの隊もこっちに混ぜてくれよ」 人を食った様子のソウシは、アラステアの隣に並ぼうとして――。 「……ラスプーチンの手下が蜘蛛の巣に潜入か、土御門・ソウシ」 意識を手放す寸前、血溜りの中で小夜香に助け起こされた雷音がそう口走る。チッ、と舌打ち一つ、アラステアへと無拍子の突きを繰り出すソウシ。 だが。 「――――!」 またも圧縮詠唱。しかし、此度魔導師が繰り出したのは虚空からの鉄槌ではない。それはもっとささやかな、彼自身のみに作用するもの。 「遅かったか。俺の知ってるアークの連中は、もっと根性決まってたんだがな」 ソウシの曲刀は、アラステアへと届く寸前で不可視の障壁に阻まれていた。それは高位のマグメイガスが好んで使う、あらゆる物理攻撃を拒むマナの盾。 このとき、デレパスの経緯を知らぬリベリスタの多くも、おぼろげに事態を悟っていた。おそらく、ソウシはアラステアを一刀の元に斬り伏せるため、油断を誘う『演技』をしたのだろう。だが、雷音はあくまでも早期撤退、つまるところ八百長を求めたつもりだった。この意識の差が、雷音にうわ言で種明かしをさせたのだ。 だが、ソウシを責める事はできまい。雷音がソウシの二重所属というカードを切った以上、ぺらぺら喋るリベリスタを残して自分だけが撤退などというリスクは負えないからだ。リベリスタ全員を一瞬で沈めることが出来ないならば、どんな手段を使ってでもアラステアの口を封じる他に道は無い。 「こいつらは俺達がやる。アークの連中はキマイラをなんとかしろ。……言っておくが、俺達にキマイラまでどうこうする理由は無いからな」 苛立ちを隠さず、ソウシはそう告げるのだ。 ● 戦いは四者の入り乱れる乱戦へと縺れ込む。一糸乱れぬ連携でアラステア隊に襲い掛かったソウシとその配下は瞬く間にホーリーメイガスとソードミラージュを仕留めた。しかし、アラステアが気力尽きるまで隕星と雷嵐を喚び、リベリスタごと殲滅せんと押し返す。 そして、八人に数を減らした満身創痍のリベリスタは、フェーズ4キマイラたるイビルアイに決戦を挑む。 「人為的なエリューション生成、ですか」 信仰の面から言えば、キマイラこそ神の摂理に反した忌むべき存在だ。リリがこの眼球の化け物を見る眼は、だから嫌悪と憐憫とを半ばさせている。 「生命と神秘への冒涜も遂にこの段階に……なんと悍ましいことでしょう」 もちろんリリは、イビルアイがそう望んでキマイラとなったわけではないと知っている。だが、コレは最早存在自体が神への冒涜となってしまった。ならば。 「邪悪を滅する神の魔弾となりて、神の敵には死を以て罰を――」 二丁拳銃が次々と火を噴いた。聖別の魔弾は魔眼の中央へ突き刺さり、爆ぜて眼球に血の染みをくっきりとつける。 「裁きの時は、いずれ必ず」 アラステアやソウシにも思うところが無いわけではない。だが、リリは現実を見て、キマイラに狙いを定める。以前ほどには硬直した正義を振りかざそうとしないことを、彼女自身が実感しようとしていた。 「ちっ、来るぞっ!」 次に踏み込もうとした鷲祐が、眼球の色が僅かに変わったのを見て取り警鐘を鳴らす。だが神速と名高い彼でさえ、自らの身を逃がすには至らない。次いで視界を灼くフラッシュアウト、そして全てを飲み込む極太のレーザーが彼を飲み込んだ。 「く、うっ!」 「耐えてください。月よ、星界に遍く射す銀光よ!」 雷音が倒れた今、小夜香一人では心許ないと判断したか、悠月が癒し手として支援に加わっていた。耐えろ、と一言で言い捨てる辺りは流石の貫禄だが、とはいえ支えてもらう身としては彼女の存在はありがたい。また、比較的耐性の低いアラステアならばともかく、効かないとは言わぬまでも抵抗されることも多いイビルアイ相手では魔力の鎖で縛り付けるのも効率が悪い、という事情もあった。 「それにしても、こんなものを何体も確保できる辺り、流石は『倫敦の蜘蛛の巣』というべきでしょうか」 いずれ、モリアーティとの決戦が待っている事を、彼女のみならず今回の事変に参戦したほぼ全てのリベリスタが予想している。だからこそ、こんな化け物があと何匹出てくるのか――想像するだけでもぞっとしてしまうのだ。 「何匹いたって構わない。全部全部、切り刻んでみせる」 前に出たアンジェリカが、魂を刈り取るという大鎌をぶん、と振るう。倫敦のリベリスタの砦を守るため、例え相手がフェーズ4でも負けられない。負けるわけにはいかない。「マリー・アントワネットのように、断頭台の露と消えるといいよ!」 ラ・マルセイエーズでも歌おうかと言わんばかりに、少女はキマイラへと果敢に挑む。小柄な体が跳ねるのに一瞬遅れ、黒く美しい髪が後を追った。 「その全てを切り刻んでみせる!」 高速の斬撃が幾度も放たれ、眼球に触手に皮膚に、と決して浅くない傷を刻んでいく。振り払うように触手が蠢くも、ダンスを踊るかのように軽やかなアンジェリカのステップは、その全てを避けていた。 攻撃は続く。流石にイビルアイの攻撃は苛烈だが、フィクサードの援護を失った今となっては、じりじりとリベリスタに天秤が傾くのを止められない。 しかし。 いけるか、誰もがそう思ったとき、崩壊は始まった。 「――――!」 狙い定めず、周囲の空間を埋め尽くすように。突如として放たれた無数の光線が、この地下第四層ロビーに残る全ての『動く存在』を襲った。 リベリスタを。ソウシ隊の面々を。そして――アラステアとその部下を。 「くっ、過負荷で制御が効かなくなったか」 流石に焦りながらも、うろたえてはいないアラステア。おそらくは、強大な力に比して制御が不安定になる事は、彼らの間では既知だったのだろう。 「ソウシ、痛み分けだ。流石にフェーズ4を相手にするのは御免被る」 「逃がすかよ……と言いたい所だが、同感だ。俺達もここでとんずらさせてもらうかね。教授によろしくな」 お互いに実力者同士、潮時と踏んだのだろう。そう言い交わし、別々の通路へと走り去る両隊。その後を追おうとした桐達に、さながらミキサーのように高速回転しながら鎌を振り回すイビルアイが突貫する。 「くっ、待ちなさいっ」 「あばよリベリスタ。今度会うときは、もうちょっと根性決めてきな」 常の軽さを湛えて言い残し、ソウシは手を振りながら闇へと消えていく。いずれにしても、キマイラを止めたいのはリベリスタだけだ。ならば、どんなに危険だろうとも、彼らの手で始末するしか無いだろう。 でなければ、また多くの犠牲が生まれてしまう。 「もう、誰かが死ぬのは見たくありません」 そうと知って、再び桐はイビルアイへと向かう。癒しても間に合わず、既に身体は限界に近い。それでも、戦意だけは。決意だけは、折れることがないのだ。 「だから動いて、私の身体よ――!」 愛用の大剣を叩き込む。この戦いで何度、身体のリミットを解き放っただろう。筋繊維はずたずただ。剣を振るうたびにダメージが蓄積していくという負の連鎖。 それでも、彼が『諦める』事は決して無いのだ。 「教授に打撃を与えることが出来るいい機会だ。アラステアが逃げた今、このフェーズ4は確実に潰す」 それがアークだ。それこそがアークだ。先ほど光線をまともに浴び、全身を灼かれた鷲祐も、傷を癒し戦線に復帰する。この少人数、しかも限界に近い状態で貴族級に当たるなど、或いは正気の沙汰ではないのかもしれない。 「ああ、俺は大真面目だ。いつだって、な」 だが、鷲祐の言は壮語であっても、決して大言ではない。イビルアイもまた傷ついていた。ならば、攻め続ければいつかは討つことが出来るはずだ。その時、リベリスタが一人でも立っていれば、それが勝利なのだ。 「――故に、神速で応えるのみ」 小回りの利く短剣一本を手に、彼はキマイラへと挑む。披露するは高速戦闘の真髄。アーク随一と名高いスピードを武器に、先のアンジェリカをも上回る動きで『空間』をも切り刻むのだ。 無数の残像がイビルアイに群がり、緑の体液を流すことを強いる。後に続く戦士達。そして、傷ついても傷ついても立ち向かう彼らを、小夜香の切なる祈りが支えるのだ。 「痛感させてくれるわね。万華鏡のありがたさを」 誰がこの展開を予想しただろう。戦場は移り変わるものとはいえ、地下第四層の戦いは激動と呼ぶに相応しい展開を見せている。 「だからと言って、投げるわけにも行かないの。生きて帰るわよ、皆」 癒しよ在れ。慈愛よ在れ。今このときだけで良い。仲間を最後まで守る奇跡を。奇跡を。奇跡を――! そうして癒して、癒されて、傷つけて、傷ついて。戦いが終局へ近づいていると、誰もが感じ取っていた。アンジェリカが退き、桐が倒れ、鷲祐が喰らいつき、悠月が穿たれ、そして。 「これだけで術式解析など、到底早過ぎましたか」 それだけは予想通りの結末に、イスカリオテは落胆した様子も無い。彼の興味はアラステア、『魔導師』の二つ名を持つ男が握る知識ただ一つだ。だから、後に残されたキマイラなど、彼にとっては主たる目的ではない。 「せめて、彼の秘義の基本理念を、体と神秘とで理解したかったのですが――やむを得ません。後は、さっさと片付けるのみ」 この場で灼熱の嵐はオーバースペックだ。故に、彼のロジックが導いたのは、一本の気糸。真っ直ぐ飛んで眼球に突き刺さった不可視の糸が、計り知れぬダメージを与え、そして未だ余裕を残した彼へと敵の注意を引き付ける。 そして。 「手薄になった本拠地攻めに背後からの増援、今日は随分と勉強になったわ」 拓真から盾役を引き継いだソラが、魔道書を持たぬ右手に濃縮した魔力を集める。こうも密集した今となっては、氷の刃で空間を埋め尽くす大技はかえって危険だ。文字通り命がけ、速度に振った紙の装甲でイビルアイを翻弄する役目も、イスカリオテが引き継いでくれている。 「だからお礼に、私からも教えてあげるわ。この世の全てを司る、たった一つの真理」 いたずらっぽく微笑んで、ソラは虚空に手を伸べた。幼女並みに短くも柔らかな指先に集う、夜闇の貴族の秘蹟。 「私達は勝つ。だから、もう面倒は起こさないでね」 指先を伝い、空間を越えて。吸血鬼の強欲が、キマイラに僅かに残された生命の力を吸い尽くす。 それが、この眼球の化け物の最期。異形を保っていた魔力は失われ、地に落ちた身体はぐずぐすと溶けて――瞬く間に消えていった。 血と鋼鉄と魔力と死が横行する倫敦の夜。 その最終局面、リベリスタ最後の砦の戦いは、辛くも彼らの勝利で終わった。 そして、また次の朝が来る。新たなる陰謀と共に――。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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