● 日はとっぷりと暮れて、クルーズ船は20時を告げるビックベンの鐘の音とともにゆっくりと動き出した。船はエンバークメント埠頭を離れて一旦は南へ、テムズ川をさかのぼっていく。 今宵はあいにくの曇り空。ガラス張りの天井に星は輝いていないが、船内では純白のテーブルクロスがかけられたテーブルの上でロウソクの灯りがロマンチックに揺らめいている。それはそれで素敵なクルーズナイトの始まりだ。 キャサリン・ロイドは左前にビックベンのシルエットを眺めつつ、食前酒で喉を潤した。それからゆっくりとテーブルに置かれた青表紙を手に取って開く。コースは3つ。さて、どれにしようか? 「それで?」 声をかけられてキャサリンはメニューから顔を上げた。向かいの席に座る男に思わせぶりな微笑を向ける。 奇妙なカップルだった。 髪をゆるいシニヨンでまとめて赤のドレスで正装したキャサリンは女ざかり。対照的に、男はどぶねずみ色のさえないスーツ姿。眼光こそ鋭いが、老いた顔には疲れが色濃くにじみ出ており、頬は五時の影が覆っている。なんとも不釣り合いなふたりだ。 「取引の話はまた後ほど。不倶戴天の敵同士が顔を突き合わせて食事……なんて滅多にないことでしょ。せっかくですもの。楽しみましょう、警部」 キャサリンに警部と呼ばれた男はうめき声をあげた。 キャサリン・ロイドは『倫敦の蜘蛛の巣』のフィクサード、警部と呼ばれた男は『スコットランド・ヤード(通称ヤード)』のリベリスタ、ジョージ・スペンサーである。 改造キマイラの出現を境に倫敦市内で頻発具合を増した一連の事件は収まる気配を見せていない。倫敦派はこの事件に表向き関与していないとしてはいるものの、『ヤード』側は長年の宿敵の関与を確信していた。 そんな中での密会である。いや、密会というにはあまりにも人目につきすぎているが……。 国会議事堂を過ぎたところでクルーズ船がゆっくりと回頭した。これからロンドン東部のグリニッジまで1時間少々の川旅だ。折り返して再びエンバークメントまで戻ってくるころには午後11時を過ぎているだろう。 テーブルに前菜が運ばれるころになると、ガラス張りの天井いっぱいにライトアップされた大観覧車が見えてきた。 「川から眺めはまた違った感じがしていいものね。……食べないの? 美味しいわよ」 「孫はどこだ?」 「いやぁね。それじゃまるであたしたちがマーガレットちゃんをさらったみたいに聞こえるじゃない? 取り返してあげたのよ、いま街を騒がせている化け物たちから。感謝してほしいわ」 スペンサー警部は突然立ち上がるとテーブルに拳を落とした。グラスが倒れて転がり、床に落ちて割れた。おしゃべりを楽しんでいた乗客たちが一斉に口を閉ざす。波の音を残し、船内がしんと静まり返った。 「しらじらしい! お前たちがさ――!?」 ふいに船体が大きく揺れた。 「あらあら。なんの余興かしら?」 波を割ってたてがみが燃える海馬―上半身は燃えるたてがみをもつ馬、下半身は魚――が次々と船の回りに現れる。 いきなり左舷で炎が吹き上がり、驚いた乗客たちが一斉に悲鳴を上げた。海馬たちが大きく口を開いて炎を噴きだたのだ。 ――と、左岸の大観覧車が燃えあがった。 照りを受けて船内が真っ赤になる。 燃えてなお大観覧車は止まらない。それどころか少しずつスピードをあげだしているようだった。 船は海馬たちを従えたまま、大惨事の現場をゆっくりと通り過ぎていった。 「まあヒドイ。あの観覧車のひとつにマーガレットちゃんが乗っていたのに。奪い返されたのがよっぽど悔しかったのね、あの化け物たち」 「な……んだと? あ、あそこに……貴様! よくも!」 「え、あたし? ご冗談を」 キャサリンは手をひらりと振って避難を跳ねのけると、優雅にワイングラスを傾けた。 「あの観覧車にはあたしの仲間も乗っていたのよ。マーガレットちゃんと一緒にね。いわば被害者なの、今回は」 前方にウォータールー橋が近づいてきた。橋の上は燃える大観覧車を見る野次馬たちでいっぱいだ。大半が橋の近くにあるコンサートホールに向かっていた人々だろう。 海馬たちが橋に顔を向けて大きく口を開く。 「残念ね。一緒に戦ってあげたいけど……あたし、か弱いホーリーメイガスなのよね」 ● スコットランドヤードの地下本部、アークにあてがわれた一室にヤードのリベリスタが飛び込んできた。 「アークのみなさん、緊急事態が発生しました。加勢願います!」 テムズ川クルーズの豪華船が一隻、改造キマイラと思われるエリューションたちに囲まれているとの一報がヤード本部に入っという。通報者は船に乗り合わせていたヤードのベテランリベリスタだ。 通報者――ジョージ・スペンサー警部によると、改造キマイラたちは現在のところクルーズ船事態には危害を加えていないらしい。かわりに両岸にある主だった建造物に火炎弾による攻撃をしかけているという。 「すでに大観覧車が炎上中です。こちらは別班が向かっています。みなさんは現在、改造キマイラたちが攻撃中のウォータールー橋へ。クルーズ船の乗客を人質にしている改造キマイラを我々とともに倒してください。幸いにもウォータールー橋はここヤード本部からさほど離れていません。急げば被害を最小限度に抑えることができるでしょう。お願いします!」 ● 海馬たちの攻撃を受けて橋が、車が、人が燃える。 この橋をくぐりぬければすぐ左手側にコンサートホールが建っている。現在、ここを本拠地としているフィルハーモニア管弦楽団はチェコの首都プラハで公演中だ。 ホークの背にナイフでレバーのパテを載せて、キャサリンはくすりと笑った。 「このままだとまた家なき子になっちゃうかもね。かわいそうな死体使いさん」 怒りを押し殺し、テーブルの上に身を乗り出して、スペンサー警部は女フィクサードに顔を近づけた。 「……楽団員がいないと分かっていたから仕掛けた。違うか? 死体が増えれば増えるほどやっかいなものらしいからな、ネクロマンサーの相手は。仲間に誘って振られたからといってずいぶんな仕返しじゃないか、ええ?」 「だ、か、ら。あたしはこの馬たちとは無関係。そこにいる日本人観光客の誰かじゃないの、黒幕は?」 言いがかりはよしてよね、とキャサリンはそっぽを向いた。 一転。 戻した顔の唇を意地悪くゆがませる。 「あたしに絡んでる暇があったら、さっさと馬を片付けてマーガレットちゃんを助けにいきなさいよ、老害」 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:そうすけ | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年12月20日(金)22:51 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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● クルーズ船がキマイラたちに囲まれながらゆっくりと下ってくる。 キマイラの下半身は巨大な魚でテムズ川の下に沈んでおり、馬の上半身だけを見るとまるでチェスの駒のようだ。その駒がときどき炎を吹き出しては、いまリベリスタたちがいる橋や南岸を攻撃していた。 「間に合わなかったというべきなのかまだ間に合うというべきなのか」 『クオンタムデーモン』鳩目・ラプラース・あばた(BNE004018)は欄干の上で浮遊しながら、燃える大観覧車へ目を向けた。 避難誘導で枯した声が横から発せられる。 「こんな大規模で散々なことやらかしてくれて……。初めてロンドン来たわけですけど、その理由がこれだと気分も微妙ですよ」 『荊棘鋼鉄』三島・五月(BNE002662)の嘆きとともに首を回せば、なるほどいま倫敦は蜘蛛たちが引き起こした大混乱の真っただ中だった。 「いずれにせよ、ちゃっちゃと終わらせる以外に選択はなさそうですね」 「ええ。さっさと片づけてしまうとしましょう」 魔法の翼をはためかせながら、乗り捨てられた車の残骸を超えて橋の反対側へ移る。 「にははっ、きあいいれてこーっ!」 『さすらいの猫憑き旅人』桜 望(BNE000713)の掛け声とともに、リベリスタたちは一斉に橋の上から飛び降りた。 ● 「アーク女子会参上なのだ! 悪いお馬さんをやっつけるのだ!」 『きゅうけつおやさい』チコーリア・プンタレッラ(BNE004832)が元気よく戦闘開始を告げた。 正確には……まあ細かいことは置いておこう。 口火を切ったのは、白一点、黒のゴスロリスカートの五月だ。 高々と蹴り上げられた五月の脚から真空の刃が放たれた。刃は水面を切って水しぶきを上げながらクルーズ船を先導する2頭のうち、北側の海馬の胸から腹にかけてさっくりと切り裂く。 痛みに嘶く海馬と炎の弾を吐き出して橋を攻撃していた海馬を、『三高平の悪戯姫』白雪 陽菜(BNE002652)の作り出した光柱が直撃する。 間髪入れず、『プリンツ・フロイライン』ターシャ・メルジーネ・ヴィルデフラウ(BNE003860)が不可視の刃を海馬たちの回りに転移させた。 海馬が吐き出した炎を散り散りに切り裂いて、蛇姫の刃はそのまま太い首に食い込んだ。湯気をたてる血とともに炎が噴き出す。 「いまだよ! 望にゃん、ガンバ♪」 「任せとき。頑張るでっ!」 陽菜の声援をうけた望の足元から黒い影がゴゴゴゴゴっと立ちあがり、巨大な黒猫になった。 「黒ネコさんなのだー。でかいのだー」 望はにゃは、と笑いながら影の腕を振るう。 即座にクルーズ船の前にいた二頭のキマイラたちが反応した。 もくろみ通りではないが、海馬は巨大な黒猫が攻撃してきたことに怯えて左右に分かれた。 開けた視界の先に煌々と光り輝くクルーズ船が見えた。進路を変えず、なおもまっすぐ下流に乗って向かってくる。 手筈通り、アークのリベリスタたちも北と南の二班に分かれた。 チコーリアは警察艇の屋根に飛び乗り、足をちょこちょこ動かしながら操舵室へ向かった。 「お馬さんとクルーズ船の間に入ってくださいなのだ!」 同じく屋根の上から、左舷に出ていたヤードのリベリスタたちに向かって『さいきょー(略)さぽーたー』テテロ ミーノ(BNE000011)が叫ぶ。 「えっと、あんまりせつめ-してるひまはないのっ! でもでもミーノたちはみかたであのかいぶつをたおしにきたのっ!」 ミーノはデッキへ降りた。武器を構えるヤードたちの間を、九尾を軽やかに跳ねさせながら舳へ向かう。その間にマスターファイヴ発動を発動させて、五感を研ぎ澄ました。 普段のほんわりとした顔をキリリと引き締めて、 「クルーズのひとたちはぜったい、ぜったいたすけようねっ!!」と激を飛ばす。 南に流れた海馬を、警察艇の左舷にずらりと並んだヤードたちと、ミーノ、そしてチコーリアからなる一斉放射が襲った。 断末魔の嘶きひとつあげることなく、上半身を吹き飛ばされたキマイラがずぶずぶと沈んでいく。 代償にリベリスタたちは燃える肉片の洗礼をしこたま浴びてしまったのだが、 「かいふくは~~~~っサポーターミーノのおはこっ!!」、とミーノがさっとやけどを直してしまった。 回復といえばこちらは本職、ホーリーメイガス。 北側を行く警察艇では『慈愛と背徳の女教師』ティアリア・フォン・シュッツヒェン(BNE003064)が微笑みながら癒しの風を吹かせていた。 「どうかしら? わたくしは回復支援しかすることないのだけど……」 「シュッツヒェン様、ありがとうございます。引く背汗に背徳感となぜか辛味の刺激まで感じます」 傷つくことを一切恐れず敵をひたすらぶっ殺せる喜び。そこへちょっぴり影を差すリベリスタとしての正義。この感覚を背徳と言わずして何と言おうか。 「ふふ……。遠慮しないで、いっぱい傷ついても構わないのよ? 全部わたくしが癒してあ・げ・る」 さすがサディスト、ぱねぇ。 防御を捨てたあばたは、水晶体の目を文字通り輝かせながら馬面に向けて拳銃をぶっ放した。 「馬並という言葉がありますが、下が魚では当てはまらず。哀れな玉なしにアークのサンタが弾をくれてやりましょう。だから死ね」 魔弾が肉を、骨を、穿つごとに噴き出した炎があばたの体を焼き焦がす。 あばたの風下にいて別の海馬を相手に戦っていた五月とターシャの鼻を、金属が熱して発するにおいと肉の焦げるにおいがついた。 だが、そのにおいもすぐに体に負った無数のやけどともどもティアリアの聖神の息吹によって掻き消された。 「やるね。なら、ボクも」 ターシャが一旦、警察艇まで退く。屋根の上に陣取って精神の波を広げ、右舷から援護射撃をするヤードのリベリスタたちと一緒にまとめて攻撃力をアップさせた。続けて防御力を強化させる。 これでようやく先ほどまで痛手となる傷を負わせることが難しかったヤードたちも、なんとか単独でキマイラたちと戦えるようになった。 さらにティアリアが翼の加護を唱えて足場の制約を取り除いてやった。 リベリスタたちが空に上がったあと、警察艇はスピードを上げてクルーズ船とすれ違い、後ろからついてきていた2体の海馬の間を通り抜けて行った。再びクルーズ船との間に戻るべく燃える大観覧車の手前で小回りする。 一体の海馬が体を反転させると、頭を下げて川に潜った。 「さて、これだけの手厚い支援を受けてぬるいおもてなしをしたとあっては恥。私もあばた様に負けず劣らず熱くいきますよ」 五月は降りて水面に立つと、海馬が飛び出すと予測したポイントに歩いていった。ヒレの攻撃を避けるため、巨体が真横にくるよう慎重に立ち位置を定める。 ――と、水面が盛り上がり、波を起こして馬の頭が飛び出してきた。 馬の体から魚の体への変わり目を狙って赤く燃え立つ脚を鋭く振りぬき、海馬を豪快に蹴り飛ばす。 キマイラは橋を攻撃することなく、口を半開きにしたまま横倒れになって川へ落ちた。 先頭の二体を失ってすぐ、南北二手に分かれたリベリスタたちの活躍によりさらに四体のキマイラが仕留められていた。 クルーズ船は溶けた金属の雨を落とす橋の下をくぐり抜け、コンサートホールのすぐ南側を走る。 北とクルーズ船の後ろからついてくる海馬たちは相変わらず通り過ぎるウォータールー橋を攻撃していたが、南の海馬たちは攻撃目標を英国クラシックコンサートの殿堂とも言える建物に変えていた。 海馬が吐き出す炎の弾が当たってロビーのガラスが割れ、テムズ川に面したカフェテリアのテラス席に降り注ぐ。 等間隔に並んだ街路樹が巨大な松明と化した。 「ほらほらっ! あーしはこっちやでっ」 構ってくれなきゃ引っ掻くぞ。某楽団員の帰る場所云々は知ったことではないが、ロンドンっ子が愛する由緒ある建物の破壊をむざむざ許す気はない。 望は影のネコパンチを繰り出しては海馬の気を引きつけてまわった。海馬たちの顔が自分に向けられるや否や、巨大黒猫の陰に隠れて攻撃をかわす。そうしてキマイラたちを翻弄しつつ、すれ違いざまに太い首筋に死の口づけを残した。 「ダークナイトになったミーノのおそろしさっ! とくとあじわうがいいの~!」 望のキスを受けて弱った海馬を、ミーノがきゅっと束ねた黒いオーラを飛ばして射抜いていく。 それでも倒れないキマイラには警察艇から容赦ない攻撃が浴びせられた。 ここまでクルーズ船に直接的な被害は出ていない。 川に倒れた海馬や、川から飛び上がろうとした海馬が起こした波に大きく揺らされて何度か傾きかけたが、それでもクルーズ船内の明かりは消えなかった。 橋からの落下物でガラスの天井の一部が割れ、真下にいた乗客が頭や肩などにケガをしたようだが、船内にパニックが起こっていないところをみると大したケガではないのだろう。 望たちが戦う反対側で、陽菜は物陰に隠れながらすばやく変装をすませた。AFから黒いウィッグとカラコンを取り出して身につけ、見た目を革醒前のありし姿に戻す。それから身を低くして乗りこみのタイミングを掴むため、クルーズ船内の様子をうかがった。 ただ一人、立っている男はヤードのリベリスタ、スペンサー警部だろう。その前で座ってワインを飲んでいる女が蜘蛛の巣のフィクサードに違いない。 大部分のクルーや乗客たちは船の中央に体を寄せ合って座り込んでいた。神か仏か相手はわからぬが、胸の前で手を合わせて一心に祈る姿が目につく。だが、中にはデジカメで海馬やリベリスタたちの姿を映す強者も何人かいた。神秘秘匿のことを考えると後始末が大変そうだ。 (さて、と……) 本当はクルーズ船が橋の下を通過する前に乗り移りたかったのだが、なかなか事は陽菜の思い通りに運ばなかった。しぶとい海馬たちにじゃまされて、クルーズ船の後部デッキに警察艇がなかなか近づけなかったからだ。 あとひとつ、陽菜がこっそりクルーズ船に乗り込むためには誰かにキャサリンはじめ乗客たちの意識を完璧にそらしてもらう必要があった。 「チコ、ターシャ、準備OKだよ。お願い」 連絡を受けて南からチコーリアが、北からターシャがクルーズ船のガラス天井を派手に蹴破って船内に侵入した。ガラスが砕ける音に悲鳴が混じる。 陽菜は後部テラスに飛び移ると、開け放たれていたドアから中へ入り、日本人観光客たちの中に紛れ込んだ。 ● 「Guten Abend, Herr Spencer! アークから来たヴィルデフラウだよ。君が『蜘蛛の巣』のカタリーネかい?」 キャサリンは空になったワイングラスをテーブルに置くと、憎悪で目を赤く光らせる男装の麗人にむけて片眉を上げた。 「おっと、故郷の言葉が出てしまったよ。失礼、キャサリン」 チコーリアがターシャの後ろから、魔法の翼をはためかせつつ前に進み出てきた。 「キャサリンおばさん、こんばんはなのだ。さっそくですがけいぶとロンドンの人たちに謝ってくださいなのだ!」 「……あたし、いつあなたたちに名乗ったかしら?」といいつつ、蜘蛛は目をスペンサー警部に向ける。 「白々しいな。さっきわたしがヤードに連絡していたのを聞いていただろう」 こうなってはお前の負けだ。だから残りの馬たちを退かせて船を岸に寄せさせろ。 顔を真っ赤にして怒鳴るスペンサー警部を冷やかな目で刺して、キャサリンは体を椅子の背もたれに預けた。 「だったらちゃんと、あたしはコレに無関係だって伝えときなさいよ。報告ひとつ満足にできないの?」 ほんと税金泥棒よね、と赤いルージュをひいた唇をゆがませて息を吐いた。 「関係ないかどうかはヤードで聞く。ご同行願おうか」 キャサリンに殴りかかろうとしたチコーリアを腕の中に抱えつつ、ターシャはガラスの破片を踏み砕きながらテーブルに近づいた。 「この糞ジジイに謝るのも、あんたたちについてヤードに行くのもお断りよ。あーあ、メインの肉料理、楽しみにしていたのに……」 キャサリンは片手でシニヨンを解きながら立ち上がった。その背に真黒な翼があらわれた。銀のポーチをもって通路へ出ると、ターシャたちにくるりと背を向けた。 「まて、逃げられると思っているのか?」 「思っているわ。だって関係ないもの、あたし」 フィクサードは振り返りもせず、怯える人たちの間を割って優雅に後部デッキへ向かって歩いていく。 「ダメっ!!」 叫んだのは陽菜だった。 陽菜は黒のウィッグをずらしながら、観光客と思われる日本人男性に向かってダイビングアタックした。そのまま男性から銀のポーチを奪い取ろうとして揉み合いになる。 キャサリンがさりげなく下げたポーチに向かって、手が黒い頭の間から伸ばされるのを見逃さなかったのだ。 「チッ!」 キャサリンの舌打ちの音を合図に、クルーズ船内でパニックが起こった。 ターシャたちは半狂乱になって右往左往する人々に阻まれてキャサリンに追いつけない。 陽菜はこの状況でスキルを使うわけにはいかず男と殴り合いになっていたが、ふと周囲に空間ができた。 わずかな機を逃さず、陽菜は男に向かって気糸を飛ばして体の自由を奪った。そのまま男の背に馬乗りして抑え込む。 「キャサリンは!?」 デッキ側の出口は船から逃げ出そうとする人が殺到していた。振り返ってみた乗降口にも人が殺到している。人々を落ち着かせようと奮戦している警部とターシャの姿はあるが、キャサリンの姿はどこにもなかった。 「ごきげんよう、か弱いホリメさん?」 ティアリアはクルーズ船を飛び立って岸へ向かおうとしていたキャサリンの前に立ち塞がった。 仲間たちの回復を行いつつ北側の警察艇からクルーズ船内の様子を見ていたティアリアは、キャサリンが椅子から立ち上がるなり超直観が働いて行動を起こしていた。殿の海馬たちの上を飛び越えて、蜘蛛の行き先に先回りしていたのだ。 「これからどうするつもりかしら。返答如何によっては、無事に返せないことになるのだけど……いかがかしら?」 返答はマジックアローによる攻撃だった。 ならば仕方がない、とティアリアはヴァンパイアの鋭い牙をむく。 「翼の加護、ね。ふん、そんな貧相な翼であたしを捕まえられるとでも?」 キャサリンは大きな黒い翼をこれ見よがしに広げてあざ笑う。ひらりひらり、ティアリアの繰り出す鉄球をわざと紙一重でかわしてからかった。 ティアリアの遥か足の下では、あばたと望がヤードたちと協力して殿の海馬たちと戦っている。クルーズ船は燃え落ちるコンサートホールを過ぎて、やはり海馬の攻撃で燃えるブラックフライアーズ橋をくぐろうとしていた。 「現代美術館ぐらいまではやれると思っていたんだけど……まあいいわ。あたしを振ったバカな楽団員にも仕返しできたし満足よ」 これ、あげる。キャサリンはティアリアが鉄球を手元に引き戻す瞬間を狙って、銀のポーチを投げつけた。 ポーチは顔をとっさに横向けたティアリアの頬に当たって跳ね返り、暗いテムズに落ちていった。 「じゃあね、バイバ――!?」 キャサリンが背中に手を回して振り返ると、スカートの裾をひるがえす五月がいた。 「どうせ『倫敦の蜘蛛の巣』も潰れるのですから、今ここでどうの、といかなくても問題はありませんけどね」 あっさり逃がしてやるのも癪ですし、と五月。 「な……」 その五月の前に下からターシャが飛びあがってきた。具象化した殺意の視線でキャサリンの翼をもぎ取る。 「か弱い小鳥なら、蛇に睨まれ墜ちるがいい!」 なすすべもなく川に落とされたキャサリンは、そのまま黒々としたテムズの流れに飲み込まれていった。 ● パニックを起こしている乗客をなるべくスムーズに船から降ろそうとするならば、やはり桟橋に船を寄せる必要があった。 いまのクルーズ船の位置からだと、減速させつつ船を南側へ寄せ、歩行者専用の橋を超えたあたりにあるバンクサイド埠頭につけるのがベストなのだが、舵にへばりついたチコーリアにはそんな知識も余裕もない。 「あうう……。み、みんな何かに掴まってくださいなのだー!!」 チコーリアは舵を右に回して船を岸壁にぶつけた。 船は壁に当たった衝撃で押し返されると、波に大きく揺さぶられた。残っていた壁と天井のガラスがすべて割れ、テーブルが横倒しになり、皿やワイングラスが落ちて音を立てる。 陽菜は男――おそらくは六道のフィクサードの背中から転げ落ちた。考える暇もなく、強い殺意に当てられた陽菜はとっさに気糸を飛ばしていた。 「しまった!」 男は全身から血を吹き出してガラスの海と化した床の上に倒れた。 ミーノは警察艇から素早くクルーズ船に乗り移り、悲鳴を上げる体力すらなくなった乗客たちを癒して回った。そのまま乗客たちの退避をサポートする。 「みんなっ! ゆっくり、あわてず、さわがずにっ。きちんと、ならんで、じゅんばんにっ!」 あばたの指示で警察艇が北側からクルーズ船を岸へ押しつけた。 乗降口の傍に立った望は、乗客の中に足の不自由なお年寄りを見つけると、抱き上げて岸の上へ運んだ。その後も一人ずつ抱きかかえては岸へ上げていく。 「終わった後の迅速な対応も仕事のうちやねっ」 膝を擦りむいた男の子をレスキュー隊員に手渡し、望はふと空を見上げた。 その瞳にはティアリアに翼をもらったヤードの老警部が、燃える観覧車に向かって飛んでいく姿が映りこんでいた。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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