●KEEPING CAGE 日本が恋しくないと言えば嘘になるが、帰りたいと思う事はなかった。 会えないのは寂しいけれど、恋人はいつも電話で優しい声を聞かせてくれる。手を繋ぐ事も目を見詰め合うことも出来ないけれど、遠距離恋愛もいいものだ。寧ろ会えないからこそ育める愛がある。寂しくてもどかしいからこそ愛おしい。 それに、日本では会えなかった大好きな先生がすぐ傍にいてくれる。さみしいの、としょんぼりすれば「心配する事はない」と頭を優しく撫でてくれる。いつもの様に。幼い少女だった頃から。 今の従者はスタンリーほど優秀じゃあないし、紅茶もクッキーも彼より作るのが下手だけれど、一生懸命さは伝わってくるから許してあげよう。 モラン……とかいう人は、なんだか怖い人だからいつも教授の後ろに隠れちゃう。あの人はあんまり好きじゃない。でも教授が「彼は味方だ」と言うのだから、きっと疑いなくそうなのだろう。 ここは倫敦。日本にいた時と同じ様に、いやそれ以上に、今は研究に忙しい日々。慌しいけれど、楽しくて充実した日々。 何一つ不幸せなんてありやしない。 どれをとっても楽しくて。 何をやっても幸せで。 自分ほど充実して恵まれている人間がいるだろうか。 だから今日も、そんな『日々』の一つに過ぎない。 「……バケモノ、め」 血に湿る苦い声、血みどろの警官隊。何人も倒れている。錆色の肉に覆われた異形空間。血腥い。脈動。 発砲音が響く。乾いた音。空虚な音。たった一つの弾丸が撃ち抜いたのは眼前に立ちはだかる天使。ヘッドショット。開いた風穴。が、一瞬でぐじゅりと治る。馬鹿な、と呟いた。その顔を天使は覗き込んでくる。後ずさる足音はニチャリと肉が奏でる音。 天使が腕を伸ばす。冷や汗が背中を伝う。されど脳の何処かは異様に冷静だった。通信機を取り出して。 「こちらヤード――方舟諸君、『六道の兇姫』と遭遇した。至急来てくれ。そして、すまない」 これが私の最後の通信となるだろう。 ●序の序 リベリスタ達は駆けていた。あれからもう、スコットランド・ヤードから連絡の入った通信機は砂嵐のまま。 リベリスタ達は駆けていた。ロンドンの地下鉄を。不穏に満ちた空間を。 キマイラ。それは日本主流七派フィクサード『六道』の首領の異母妹、『六道の兇姫』六道紫杏が作り出した生物兵器。それの『改造版』が今、ロンドンの町中で事件を引き起こしている。彼女を保護下においている『倫敦の蜘蛛の巣』は一連のキマイラ事件との関係を否定しているが、そうでないのは明白だ。 倫敦の蜘蛛の巣の宿敵であるヤードは『世界で最もバロックナイツとの交戦経験を持ち、彼等を撃破せしめた唯一の存在』であるアークと手を組んで短期的な戦力増強を図り、この巨悪との水面下の睨み合いから全面対決を遂に決意した――が、それは一歩遅かった、否、『敵が一歩早かった』。 ――最早『モリアーティ』がどういった存在なのかは説明不要だろう。それが率いる倫敦の蜘蛛の巣の深淵は、ヤードですら掴めていないほど深く、謎多く、底知れず。 それでもリベリスタは『リベリスタ』だから。 守らなければならないものが、ある。 大きな対決。リベリスタが今向かわんとしている戦いもまた、それの一つなのだろう。 が。おそらくこの案件は、他とは少々色が異なるようだ。 音絶えたヤードからの連絡が正しければ、この先にいるのはかの兇姫。バロックナイツが一、モリアーティを師に持つ存在。その危険性はあまりにも高い。 「……六道紫杏」 忌々しげに呟いた声。リベリスタと共に駆けているのは『元・兇姫の懐刀』スタンリー・マツダ(nBNE000605)だった。彼はかつて紫杏の従者であり、フィクサードだったが現在はアークの一員である。どうしても、と付いて来たのだ。彼は誰よりも紫杏の傍にいた存在。情報に関して役に立てるだろうと述べて。 スタンリーは紫杏を憎んでいる。おそらく生への活力の一つが紫杏への憎悪である。されど彼はどこまで冷静に平然と、リベリスタ達に目を向けて。 「……どうか勘違いをなさらないで下さい。怒りで我を忘れるような愚は犯しませんし、特攻など趣味ではありませんし、『我が命に代えても』だなんて泥臭いのも好みませんし、私は死にに逝くのではございません。戦いに往くのです。 ですからどうか、姫君の様に私を守るのはお止め下さい。あの女は守って勝てる相手ではありません。それから、徒に私を戦線から下げないで下さい。私は『懐刀』、使われぬ刃など錆びて朽ちて消えるのみです。 それでも、皆様があくまでも私を守り、私を戦力として扱わぬのなら。申し訳ございませんが、私なりに動かせて頂きます」 スタンリーは味方だ。リベリスタに恩義を感じている。けれどその意思を、生きる意味を抑えこむ様な事をすれば。彼はそれに背くだろう。 視線を前に戻す。 広がっているのはほの暗い地下鉄。路線の上。 違和感を感じたのは直後だった。生臭い。そして程なく、地面が壁が、天井が。肉。肉だった。錆び色の肉に覆い尽くされている。足音がベチャベチャ響いて酷く不快だ。 と。その肉から突然生えるように伸びてきた幾つもの腕がリベリスタ達に襲い掛かる。それを掻い潜りつつ――敵影は未だ見えない。否、この肉の絨毯こそが『敵』なのか。キマイラなのか。つまりここは敵の胎内、とでも形容すべきなのだろう。 明らかに。今までのキマイラとは違う。 ――向けられる殺気を、明確に感じた。 ●果てに至りし 「はっ は ハハハっ ざっざまあみろ糞犬<ヤード>っ!」 げしげし、と。滑舌の悪い声で男が倒れた者を踏み付けていた。長年の宿敵にこんな事を出来る日が来ようとは。引き笑い。それからハッと気が付いた。そうだ。自分は今、『お嬢様』のお守りをせねばならないのだ。そういう風にしなさいと命令されているのだ。命令は絶対だ。『ご主人様』に向き直る。 「あっ そっそういえばお嬢様。奴ら、『アーク』等と喚いておりましたね。あの、奴ら、ええと、来るのでしょうか」 「?」 その声に、今その存在に気づいたと言わんばかりに彼の主人は――六道紫杏はその目を向けた。視界、否、否意識にすら入れていなかったのだろう。彼女にとって、教授と恋人以外の生き物は全部路端の石ころ程度なのだから。 「アーク。そうね」 一言。視線を戻した兇姫は、機械化した指先で手にした鞭をするりと撫でる。アークが来るのだろう。きっと来るのだろう。邪魔をして意地悪しに来るんだろう。あんな人達大嫌い。でも、大丈夫。大好きな教授はこう言っていた。 『君ならフェーズ4のキマイラであろうと制御できるだろう。君は私の優秀な教え子なのだから』 教授の言う事に間違いなんかない。腕の良い調律師が整えたピアノの様に。狂いはない。 だからもっと頑張って、褒めてもらうんだから。 何故なら自分は、『六道紫杏』なのだから! 「来るがいいわ、方舟。――この最強のキマイラで捻り潰して差し上げますわ!!」 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:ガンマ | ||||
■難易度:VERY HARD | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年12月21日(土)23:04 |
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■メイン参加者 10人■ | |||||
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●目覚めて尚も夢 べちゃべちゃべちゃ。粘着質な足音が響く。陰湿な空間。腐る寸前の色をした肉に塗れた悪夢の様な光景。仄暗い。一面が。 これら全てがキマイラだという事実に、今時分達がキマイラの胎内に居るのだと言う現実に、『勇者を目指す少女』真雁 光(BNE002532)は背骨を引き抜かれる様な生理的な嫌悪感を覚える。キモチワルイ。肉だからとか胎内だからだとかそういった次元ではなく、この人の手で創られた異質『キマイラ』そのものに嫌悪感。 「楽園で蛇に唆されたイヴはどうなったか――本当に純粋すぎるお嬢様だな。ガブリエルで胎内とは、中々のセンスだ」 光の傍を離れずに『アリアドネの銀弾』不動峰 杏樹(BNE000062)が周囲を見渡し眉根を寄せる。研ぎ澄ませた五感に生々しく突き付けられるのは不快感に他ならない。 しかし、フェーズ4か。不謹慎だけどワクワクする。『弓引く者』桐月院・七海(BNE001250)は我知らず告別と名付けた弓矢を握り締める手に力を込めていた。 「さて御礼参りもかねて正面からぶち壊しに行きますか」 言い放った視線の先。『灯集め』殖 ぐるぐ(BNE004311)の胸にあるのもまた興奮に似た昂揚。記憶に一際強く残る人。 (ボクはボクでなくなってしまったけど、望みは何も変わっちゃいない) 知らないけれど知ってる人。 「噂の六道のお姫様ね……」 口にした彼女を、衣通姫・霧音(BNE004298)はその目で見た事はない。記憶の中で相対した事はあるけれど、まぁ……今ここに居るのが自分ではなく『彼女』であろうと、あのお姫様が覚えているかは怪しいのだが。 六道紫杏とは、そんな女だ。天才的な頭脳を持ちながら『どうでもいい』のは覚えすらしない。 「あの悪夢の寄せ集めのようなキマイラの作り手の割りには、頭の中にお花畑でも咲いてるんじゃないかというような御目出度さね」 いえ――『告死の蝶』斬風 糾華(BNE000390)はそっと首を振る。こういう精神性だからこそ、このような物を生み出せるのかしらね。 そういう意味では『異質』、だからこその『兇姫』。 「あの時失敗したから、取り逃がしたから、これだけの被害が出てしまったんです」 私の責任だ。『エンジェルナイト』セラフィーナ・ハーシェル(BNE003738)は苦い表情を浮かべる。それでも抗う様に、顔を上げた。 「だから……今度こそ、終わらせます。この悲劇を。そして守るんです。イギリスを、姉さんと私の故郷を!」 そう意気込むセラフィーナとは対照的に、『ザミエルの弾丸』坂本 瀬恋(BNE002749)は盛大に溜息一つ。だがその目に宿る色は、決して無気力なんてものじゃない。 「またあのおヒメさんが調子くれてんのか。オーケーオーケー……わからねえっつーなら何度でもぶちのめしてやるよ」 ゴキリ。鳴らす拳。 そんなリベリスタに付いて走るのはスタンリー・マツダだった。黙した表情。何を考えているのかは分からない。けれど、 「昔は紫杏、今は混沌、ずっと操り人形でいいの? 君が死ぬと悲しむ奴は居る、とだけ言っておく」 踏ん張りなよ。振り向きはせずに『ピジョンブラッド』ロアン・シュヴァイヤー(BNE003963)が言う。静かに、スタンリーは答えた。 「私は人間です。ご心配なく……とだけ申し上げておきましょう」 人間だから死にたくない。生きて帰りたい。 だからその為に、戦うのだ。 リベリスタ達は視線を上げる。 戦って勝つ為に、見えた『敵』へと吶喊を仕掛ける―― ●仄暗い胎の底1 ぶしゃっ。 それは、警官の服を着ていたリベリスタが真横に真っ二つにされた状況から始まった。 挽肉を寄せて合わせて。蠢く肉の像。そこに居た何よりも存在感を放つ明らかな『異質』――フェーズ4エリューションキマイラ、謝肉ガブリエル。その場に居るリベリスタの全てが、それを実際に目にするのは初めてであった。 「来たわね、方舟。雑巾の様に踏み躙られる覚悟は宜しくって?」 ヒュンと鞭の撓る音。キマイラを従え、最奥にて待ち構える者。その名こそ、その人こそ、『六道の兇姫』六道紫杏。 その言葉に返された大きな溜息は、『消せない炎』宮部乃宮 火車(BNE001845)が零したものだった。 「あれだ。なんだ。教授も恋人も来ねぇってのがアークのせいだとしよう。まぁ精々アーク程度の意地悪だ。信頼に足る2人なら余裕で迎え来るよなぁ……キマイラ程度で代わりになんのか?」 言葉を放つ男に、紫杏は不思議そうな視線を向ける。誰だったかしらと言わんばかり。構うものかと火車は続けた。 「来ねぇって事はそうだ。間抜け頭脳でも薄々気がついてんだろぉ? 欲しかったんは研究成果、オメェ自体は『いらねぇ』って事……だろ? キチ姫様よぉ」 「プロフェッサーはお忙しい方なのよ。聖四郎さんにだってやる事がありますもの。アタクシの事を信頼していらっしゃるからこそ、彼等はここには居ないんじゃなくって?」 「キチの癖に正論吐いてんじゃねーよ殺すぞ舐めんなボケ フィクサード如きが人並みHAPPY気取って共有財産の空気消耗してんのすらザケてんだよ殺す」 火車は「だって怖いじゃん?」なんて理由で「殺す」なんて滅多に言ったりしない。なのに言った。余程の事だからだ。あぁ、前はシクったわ。だからもう『後』なんか作るものか。 「言った通りだ病弱ぅ! この場でケリぃつけっぞぉ!」 「仰せの儘に、宮部乃宮様」 飛び出す。火車とスタンリーの狙いは紫杏。だが最奥に居る彼女に易々と辿り着かせはしないと、行く手を阻むのはキマイラ達。そしてそれを更に阻まんと往くのはアークリベリスタである。 「今は上手いこと乗せられて、掌の上って感じね」 恩師の言葉は全て正しい。その心理は判らなくもないけれど、と言葉を紡いだのは霧音だった。可笑しなものだが、まあどうでも良い。抜き放つ剣。肉錆の小天使の前に立ちはだかり。 「私は今、刀を手に此処に居る意味は、貴女もその気色悪いのも全て斬る為よ――『衣通姫』の霧音、参る」 ふわり。触れし一切を切り裂く『殺意』は限界まで研ぎ澄まされ、妖刀・櫻嵐が纏う風に乗って人斬りの黒い髪を、緋い服を、靡かせる。糾華、セラフィーナも自己強化と共に前へ。 「さぁさいっぱい遊びましょ」 駆け、跳ねるのはぐるぐ。増えて、殖える、出鱈目の刃。それは刃が届く範囲内の謝肉ドール達の認識を狂わせる。出鱈目に。 不気味な足場を蹴って舞った。着地。その瞬間に他のドールが放つ錆色の毒矢に一歩二歩三歩飛び退いて。頬に浅い切り傷。ジュウと焼ける痛み。それから反射された痛み。それでも休む間はない。『戦場』であるキマイラが絶え間なく――肉から伸びる腕で、棘で、酸で、魔弾で、人外じみた攻撃を仕掛け続けてくるのだから。 きっといつ倒れても可笑しくないのだろう。方舟の死を願うお姫様の笑顔が見える。故にご挨拶。 「はじめましてお姫様。またアレ見せてくれませんか? 密室定義」 いつだって正直に。見れなきゃきっと後悔する。面白可笑しく。悔しがらせたい。楽しませたい。力や頭で勝てずとも。変わっちゃいない、己の望みはいつだって。その為には運命だって捻じ曲げ捨てて死んでも良いや。新たな定義を見出せたらちょっとは刺激的な気持ちになってくれますかね。 だから。さぁ。欲しい。欲しい。ほしいほしいほしいほしいほしいほしいいつかじゃ嫌だ今すぐにさぁ欲しいみせてほしいほしいちょうだいちょうだいちょうだいはやくはやくはやくほらねぇはやく。 「……見せるも何も、もう貴方はアタクシのお部屋の中でしてよ?」 指を鳴らす紫杏は悪戯っ子の笑みを浮かべていた。The Room。強制的に一切を閉じ込める部屋の中は、不条理なトリックが罷り通る魔の空間。嫌いな奴に「ちょうだい」と言われたら、思いっきり期待外れのものをぶん投げて嫌がらせをしてやろう。紫杏はアークが嫌いだ。大嫌いなのだ。だから嫌がらせには手を抜かない。 蓋し、欲しいだけで何でも手に入ると思えば大間違いだ――才能が足りなければ努力で、努力が足りなければ気合で、気合でも足りなければ行動で、想いで、何かで、どうにかして、何とかして、それでやっと可能性が萌芽するレベル。断言できるだろう。『六道紫杏の技は並大抵では真似すらも出来やしない』。 いやはや。 「僕とは初めましてだね、お姫様」 煌いたのは冷たい月の色だった。クレッセントを繰るロアンが謝肉ドールを切り裂き、噴き出す異形の錆色の体液に塗れながら、紫杏へと声をかける。無視された。油断はしていないが興味の外なのだろう。兇姫。今や籠の鳥。滑稽な操り人形。妹といい、革醒者の女の子に多いパターンなのか。 (まあ、可哀想なんて欠片も思わないけど) 反射の痛みに焼かれながら。この痛みは後で返して貰おうか。 その同刻、後衛、杏樹は戦場を見渡していた。立っているヤードの姿は、無い。ならば、五感をフルに使って周囲を見渡し友軍へと声を張り上げる。 「アークだ。生きてるなら応答しろ!」 研ぎ澄ませる杏樹の感覚に反応が返ってくる。四つ。もがく様な。呻く様な。 「待ってろ……今助ける!」 杏樹すぐさま彼等の位置を仲間に伝えると、最も手近な物へと駆け寄った。倒れて動けないヤードの一人を抱き起こす。べりべり、と彼に纏わり着いていた肉が剥がれる。 「しっかりしろ、大丈夫か」 「まだ……仲間が、あいつらも……」 助けてくれないか。息絶え絶えに警官は言う。 されど。 生存している者は居れど、戦闘可能なヤードは居ない。 そして。 杏樹を除く全員が、戦闘可能な者のみを助けると決めていた。 瀬恋は拳を構えた。ロアンは鋼糸を揺らめかせた。七海は矢を番えた。光の祈りにヤードの者は含まれて居なかった。 「おい ……待て 待ってくれよ」 瀬恋が出していた軽装甲機動車の中に彼を寝かせようとする杏樹の腕を、弱くも強い力で掴み。蒼褪めた顔でヤードの生き残りが愕然とする。馬鹿な。嘘だ。仲間だろう。 「あいつ等まだ死んでないだろ! 生きてるだろ! なあ! 助けてくれよ! 仲間なんだよ、大事な同僚なんだよ! まだ助かるだろ!? なぁ、おい! やめろ、やめてくれぇええええええッ!!」 彼の慟哭も空しく。キマイラへの攻撃に巻き込まれ。体の半分以上が埋まってしまっていた者の体が成す術も無く吹き飛んだ。助けを求めてもがいていた手首が爆ぜ千切れた。うつ伏せに倒れていた者の体に火が点いた。救助される事無く、苦しみながら肉の底に沈んでいた者は取り込まれてしまった。 死んでしまいました。 「……ッ、」 杏樹の腕を掻き毟り、鼓膜を叩くのは生き残りの絶叫。赦せ、と呟いて。修道女は銃床で彼を殴り気絶させ、戦場に舞い戻る。 こうするしかなかったのか。こうするしかなかったのだ。言い聞かせる。この兇敵相手に救助などで手番を浪費して勝てるものか。それに取り込まれた彼等がキマイラの養分になる可能性だってあるかもしれなかった。得る為には捨てねばならない。仕方が、無かったのだ。間違った行動ではない。決して、過ちなどではないのだ。 「分かってくれるよね?」 呟いたロアンの言葉を聞く者はもう、居ない。 「あはははははは! ア~ハハハハハハハハッ! ご覧ティモシー! 見た? リベリスタ同士で殺しあったわ! あはは! やっぱり、貴方達アークって、最ッ低ね! きゃははははははははははははは!」 そんなリベリスタの決断を嘲笑う。こうなる事を予見していたかの様に、紫杏は笑った。笑い続けていた。さも楽しそうに。さも嬉しそうに。 反吐が出るほど、下衆。 悔しい。 悔しくて悔しくて堪らなかった。光は奥歯を噛み締め、ゆうしゃのつるぎを震えるほどに握り締める。 「ボクには全てを救える力がまだない……ごめんなさい」 独り言つ懺悔。本当はヤードの者達を全員救いたかった。救いたかった――救おうとしたけど――否、こんなのただの言い訳だ。謝ってどうなる。救いたいという気持ちだけでは足りない、あまりにも足りないのだ。 「ボクは、ボク達はもっと強くならないといけない――六道紫杏! あなたの研究は今日で終わりです! ボクが、ボク達が止めます!」 立ち向かわなければならぬ。立ち向かう勇気を枯らしてはならぬ。己の弱さを知りながらも、それでも、尚。 光が唱える呪文が癒しの風となって吹き抜ける。 肉から伸びた手に拘束されていた七海は聖なる息吹に解放されるや矢を番えた。戦いは始まったばかり、だからこそ最初から全力で。 「全部燃やしてみる」 天に目掛けて、撃った。『部屋』に押し込められた今は本来の火力でこそないが牽制にはなる。大きな曲線を描くそれは赤く燃えて雨の如く、万と降り注ぐ火矢となる。だがそれと同時に走るのは痛みだ。 彼だけではない、複数攻撃を仕掛けるものは遍くキマイラ達の反射に容赦なく体力を削られる事となる。だが誰しもが承知の上だ。痛みに臆して出し惜しみをして勝てる相手か? 答えはNO。 「噂の泣き顔を拝みに……いや泣かせに来ました」 痛みに耐えて、七海が見やる先には六道の兇姫。燃える炎が揺らめく景色、陽炎の彼方。 「カルネアデスの板だと教授と恋人、どちらを選びますか? 近いうちにどちらか無くしますよ」 声をかける。視線は向けられない。それでも続けた。 「弟子は師匠を超えるものでしょう? なぜ雛鳥みたいにピーピーついて回るのかですか」 「何事も船頭はあらまほしきことなり。それに『チームプレイ』がお好きなアークがよく言うわ、お馬鹿さんね」 相変わらず視線も向けないまま紫杏は鼻で笑った。このクソアマ目玉射抜いてやろうか、と射手は思った。 まぁ、なんだ。 「倒すまで何度でも立ち上がってやるよ」 その為なら。 勝つ為なら。 運命だろうが。 何だって。 「バーニー、準備はいいな。暴れるぞ」 足掻け。手を伸ばせ。貪欲に。不格好でも。流れる滴を力に変えて手を伸ばせ。その手に握るものは何だ。銃だ。その銃は何の為だ――誰かの為に祈る為だ。杏樹が構えた銃の名は魔銃バーニー。引き金を引く。放たれた弾丸は鋼鉄の暴風となって戦場に吹き荒れる。 それに重ねられたのは花吹雪、美しい見た目とは裏腹に触れた全てを切り伏せる射手にして剣豪の奥義。霧音が振るった刃が巻き起こした弾幕世界。 「刻んであげる。焼いてあげる。全ての、全てをね」 十傷付いたのならば百抉れ。己の傷を省みる余裕など無い、流れる血もそのままに、溢れる痛みも噛み殺し。仲間を信じ、人斬り少女は剣を振るう。両の眼で見澄ますは、全ての敵。 猛攻。リベリスタの攻勢を言うなれば正にそれが当てはまった。 その最中、異形の大天使は歓喜するかの如く両の手を広げ――立ちはだかっていた。覚めない悪夢の様に。 ●仄暗い胎の底2 糾華が放つ『境界の蝶』が戦場中に二重三重とその羽音を響かせた。 杏樹が持つ『魔獣』から鉄の雨が降り注いだ。 七海が撃つ『線引き』の矢は炎となって全てを赤く染めてゆく。 霧音が払う『風纏いの剣』が生み出す花弁の弾幕が一切を八つ裂きにする。 戦闘開始段階に存在していた謝肉ドールはその数を減らし、今は二体のフェーズ2のみ。新たに生み出されたものもいるが、『初期配置』の射肉ドールは『3体以下』となっていた。 攻勢の最中にもリベリスタは敵を観察していた。謝肉ドールはこちらに攻撃を加える事で進化するようである。それから、謝肉ガブリエルにはコアに核や弱点や埋め込まれたアーティファクトやらは無さそうだ。そもそもあの天使の姿自体がコアである。悪魔的な回復速度を持つ肉絨毯の中で、唯一『攻撃が通りそうな所』なのである。 圧倒の範囲攻撃によって謝肉ドールが手を着けられなくなるほど増え過ぎる事は食い止めているリベリスタであるが、その代償の傷は深い。故に光が咽が裂けんばかりに詠い続けるのだ。回復呪文。パーティを支える事が勇者の任務であるが故に。 「ここからが本番です」 作戦は第二段階へと突入する。即ち謝肉ガブリエルへの攻撃だ。誰よりも速く、その翼を翻したのはセラフィーナだった。構えた霊刀東雲。電光を散らし、一気に間合いを詰める先には未知なるフェーズ4エリューション、謝肉ガブリエル。リベリスタ達の全体攻撃に含まれても尚、その悍ましい程の再生能力でみるみる傷を癒してゆく。 させない――少女は刃を振り上げた。 刹那。 少女は地面に叩きつけられていた。 「う、あ ……!?」 何が、起こった?灼熱を纏う魔力の壁に押し潰された『らしい』と、推測出来たのは一瞬の後。 全身の骨が、臓が軋む。白い肌に無惨に刻まれた火傷、どろりと伝う血。痛い、苦しい。でも倒れる訳には行かないんだ。立ち上がると共に前転し、肉から伸びた腕の追撃を素早く躱し。 「貴方なんかに負けません! 私は守るんです。故郷を! 大切な仲間を!」 「故郷? 仲間? ヤードの方々をあっさり殺したのによく仰いますわ、たいしたお笑い種ですこと!」 さっきから矛盾だらけじゃないか。滑稽極まりないと最後衛にてティモシーの盾に守られた紫杏はせせら笑う。 そんな女に、これ以上奪わせてなるものか。セラフィーナは得物を握り締める手に力を込める。もう会えぬ姉と過ごした大切な思い出 も、アークの仲間達と過ごす笑顔の日々も、守る。この手で。この力で。 「私がリベリスタになったのは、守るためなのだから!」 渾身。血を吐き雄叫び、姉の剣で繰り出すのは姉の手解きを受けた瀟洒なる剣技。虹色の光が夜を切り裂く黎明の如く煌いた。明けぬ夜は無い。終わらせる。この悲しい夜を! 「フェーズ4に大天使様の名前とか、シャレが利き過ぎて殺意も倍々だ」 セラフィーナの攻撃の直後、会わせる様に気の糸を繰り出したのはロアンだった。絡め捕らんと繰り出される糸――絞首のそれが絡んだのはけれど、何も無い空間だった。ずるんと解ける様に肉に潜った謝肉ガブリエル。それがロアンの背後に現れる。 「!」 速い――振り返ると共に飛び退き間合いを取る。フェーズ4。思惑通りになってくれるような、『素直な子』ではないようだ。 が、そういう諸々の事は瀬恋には知ったこっちゃなかった。 「おォらァ邪魔だ引っ込んでろ!!」 助走を付けて全速度全体重全膂力をブチ込めて。真正面から、瀬恋が謝肉ガブリエルをぶん殴る。徹底接敵。野獣の様に剥いた歯列。溢れる殺気を隠す事もしない。ぢりぢりと周囲の空気すら慄かせるほどに。 瀬恋は、他者などどうでもいい紫杏が唯一覚えている他人だった。キマイラの背中越しに視線がぶつかる。 「相変わらず完璧とか絶対とか言ってんのか? 最高傑作とか抜かしてたバリヤーぶち抜かれたくせに学習しねえな?」 「完璧の追求こそ学徒の使命ですわ」 「だったら必死で『完璧』にやるんだな! じゃねぇとここでぶっ殺されちまうぞアァ!?」 「そうね。貴方、殺しても死にそうな感じがしませんもの。だから何度でも死ぬまで殺すわ」 兇姫が命じる。ボコリと肉より謝肉ドールを3体生み出していた謝肉ガブリエルが瀬恋へ意識を向けた。 悪寒。 「…… っぐ、」 ズキン。と、瀬恋の下腹部に走ったのは内臓が捻じ切れる様な激痛だった。立っていられないほどの痛みだった。まるでまるで、腹の中で何かにハラワタを貪り食われている様な。ぶちりぐちりと音が聞こえる。みちみちみちと引っ張られる皮膚が肉が組織が細胞が悲鳴を上げている。 「う ぐ うぅううあ゛ァああああアあアアアっ!!」 それは言葉にならない少女の絶叫と肉を力尽くで引き裂く音と同時だった。ぶぢっと瀬恋の腹を内側から引き裂いて、謝肉ドールがノイズでしかない産声をあげながら瀬恋の体内から這い出てくる。ずるり、血に塗れて。翼を広げて飛翔。受胎告知。 クソが、ナメた真似を。霞む視界がそれでも死という暗闇に閉じないのは運命で焼き繋げたから。ごぶっと血を吐き、立ち上がり、足に力を込めて、激痛の残滓に眩みながらも最悪な災厄を謝肉ガブリエルへ向ける。真っ直ぐと。 「信念スカッスカのボケガキによぉ……ましてやソイツの作ったガラクタによぉ。坂本瀬恋が負けれる訳ぁねぇだろうが!」 やるときゃ殺る気で。うざったい事この上ない輩に、考える暇も感じる暇も後悔する暇もくれてやるものか。 「あぁ、そうだ。テメェはアタシの敵だ。だから、ブチ殺す!!」 仕返しだ。全ての痛みを弾倉に込めて。撃ち放つのは断罪の魔弾、ギルティドライブ。荒れ狂う龍の如く、唸りを上げてキマイラに襲い掛かる。喰らい付く。肉を引き裂き、食い千切る。謝肉ガブリエルのコアの体の半分を吹っ飛ばす。 それでもまだ、それは動いていた。ぐじゅると信じられない速度で自己治癒しながら。 斯くも恐ろしき。フェーズ3とは比べ物にならない。こんなモノ倒せるのか。そんな絶望感を感じるほどに。 だからこそ、制御し切れるのか?糾華は思う。肉から飛び出す錆色の有刺鉄線が人形のような肌を切り焼き裂いてくるその最中。翻るゴシックドレス。反射に削られる体力に息は弾みっ放しで苦痛は消えない。けれども『まだやれる』。 際限なく生み出され、そしてリベリスタに襲い掛かる事でフェーズを上げるキマイラ達へと幻想的な蝶の弾幕を張りながら。糾華は問う。その『主人』へと。 「本当に制御、出来るのかしら。教授に言われたから?」 返答は無かった。これがその証拠だと、兇姫は異形を意のままに操ってみせる。本来なら高度な知能を持ち合わせていないそれらが統率の取れた動きをするのはその為だ。 「……貴女は本当、優秀な『道具』なのね。貴女の存在は倫敦でも『過ぎた玩具』なのよ」 糾華が薄紅の唇からこぼしたのは辟易の溜息だった。きっとその言葉が紫杏に届く事はないのだろう。なんともまぁ。救いが無い。否、救いがあればそもそもこんな事にはなっていないか。 「けれど、好きにはさせないわよ。没収させて貰うわ――『過ぎた玩具<あなた>』も、その『玩具<キマイラ>』も」 視線の果ての死線。謝肉ガブリエル。貴族級。フェーズ4。未経験のバケモノだからこそ、断つ。バケモノなんか、こんな世界に居ない方がいいのだから。 「これがフェーズ4、アホみたいに強いね!」 血と傷に塗れ、惑わせる一撃で騙し絵の様に戦場を巡るぐるぐの言葉の通りだった。ただでさえフェーズ4という規格外が状態異常の耐性を持っている。相当な幸運か人の枠を越えた命中精度をもっていなければ状態異常にする事すら困難だろう。そもそも、当てる事すらも簡単にはいかないのだから。そして当たったとしてもその傷は異様な速度で治癒してゆく。 そんな異形天使の名状し難き攻撃(強いて言うなら『衝撃波らしき何か』)と、紫杏が繰り出す武器の群れの暴風がリベリスタに襲い掛かる。 「チッ――」 それを腕を交差し防御して。一撃を耐え凌いだ火車は防御を解くと共にその拳に火を灯した。赤い色。垂れた血が鬼暴にべちゃりと着いて、『爆』の字の上を伝う。 「ったく ゴキブリみてぇに物陰でコソコソカサカサしゃあがって……」 睨め付ける直ぐ先には紫杏。けれど、彼女への攻撃を徹底的に盾で防ぎ続けるのはティモシー。スタンリーが放つ道化のカードにエンチャントを砕かれてからは謝肉ドール達にその傷を癒されながらただただ紫杏を守り続ける。うざってぇバカ盾だ。 「あーキチ姫動かねぇかなー是非動いてくれないかなー。なぁ? 即ギタギタにして粉々にしてやっからよぉ!」 行くぞ病弱。スタンリーにそう告げて、火車の拳とスタンリーのメスがティモシーの盾に突き刺さる。何度でも。 火車と共に紫杏を狙い続けるスタンリーは見る限りではいつもの様な無表情で、淡々と戦い続けている。紫杏にもティモシーにも言葉をやらず、ただただ攻撃。 構いやしない。好きにやれ。どうせいつか死ぬ。ならば何だろうが使い尽くして、信じるモノの為にスタンリーとして戦って死ね。そう仲間に『信頼』されているからこそ。 そんなスタンリーを、紫杏は可哀想なものを見る様な目で見ている。可哀想に。きっとアークの意地悪な連中に薬漬けにされて脳味噌を弄くられてしまったんだ。だから自分のところから離れて、アークの味方なんかしているんだ。可哀想に。 だから覚まさせてあげないと。放たれる超精密の気糸がスタンリーを、そして火車を貫く。奥歯を噛み締めた。そのまま、火車は歯列を剥く。 「オレぁ結構見てきたぜぇ? 石躓いて事故る奴をよぉ!」 攻勢の手は緩めない。ヤるかヤられるか。確実にヤる。何であろうと獲物から視線を逸らさない。執念。灯る炎を消せるものなど、この世の何処にも居やしない――居たところで、ぶん殴って磨り潰す。 拳と咆哮が、唸る。 ●仄暗い胎の底3 じわり。 じわり。 時間は、過ぎる。 終わりの気配は、未だ見えず。 ぜぇ。はぁ。霧音の麗美な顔に血と汗が伝う。黒髪が額に張り付く。上気している。緋色の服は血で赤い。はぁ。はァ。刀を振るう為の力は最早空っぽだった。ボロボロだった。けれど少女は毅然と微笑みを浮かべた。 「其処の従者も恩師に宛がわれた者なのでしょうけど。挙動不審なのはよからぬ事を企んでるから――なんてね」 挑発一つ。ティモシーがムッとした顔で盾の奥から言葉を返した。 「だだだだ誰が不審者だッ こっこっこの腐れ■■■のクソビ■チ!」 直感する。ああこいつアホの部類だ。でも実力は本物なのだから憎たらしい。挑発に引っかかって自分の職務を忘れる事も無い。彼の代わりに霧音に襲い掛かってきたのは、肉の体から肋骨の様な棘を出して抱きつかんとしてくる謝肉ドールだった。 「――、いえ。止めておくわ。可哀想だから」 ティモシーにはそう返し、霧音は謝肉ドールの顔面に刀を突き刺し、裂く。澱んだ返り血。 「その大層な盾も異常生存執着も、諸共に断ち斬ってあげるから」 そうして。 攻めて、戦って。 けれど。謝肉ガブリエルの肉から伸びた腕が七海を叩きのめして戦闘不能に追い込み、ぐるぐに受胎告知を行い謝肉ドールを作り出させて沈黙させて。 厄介なのはフェーズ4だけではない。自動的に生まれる謝肉ドール。じわじわと時間経過と共に火力が低くなってくればその数が増える速度の方が勝ってくる。確かにフェーズ1は弱く、リベリスタが梃子摺る事は無い。されどフェーズ2となれば悠長に構えては居られない。 誰しもが些か紫杏に気を向けすぎていたか。それは技を撃っていればいつの間にか死んでいる様な存在ではないのだ。倒し切るには悲しいほどに火力が足りない。確かに『どう足掻いても何をしてもどれだけ頑張っても絶対に倒せない相手』ではないだろう。しかし『倒せる前提』で如何にか出来る存在では、決してない。断じてない。骨身に染みるほど、『フェーズ3とは次元が違う』のだ。 じわ。じわ。じわ。 時間が、リベリスタの首を絞めてゆく。運命を散らしてゆく。 「くそ」 杏樹は忌々しげに吐き捨てる。血を失ってくらくらするのを気合で堪え、倒れた仲間達が肉の中に取り込まれてしまわぬ前に救出し担ぎ上げて走る。先程救ったヤードを押し込んだ車に避難させる為に。 が、その足を謝肉ドールの錆色の矢が貫いた。毒。痛み。ガクンと力が抜ける。けれど。肉の殺げた足で杏樹は無理矢理立った。無理矢理走った。誰一人失うものか。痛いなどと泣き言を言うのは後だ。誰一人欠けさせるものか。 守る、と。杏樹がその目に秘めた意志は本物だった。運命だって捻じ曲げる覚悟があった。理不尽な運命を不条理に捻じ伏せ、必ず全員で生還する為に。 本当に本当の奇跡は起こらなかったけれど。杏樹の思いを貶せる者などおそらく何処にも居ないだろう。 光はそんな杏樹を、仲間達を、力強い眼差しで見守り続ける。回復が途絶えていないのは、偏に杏樹が光を守り続けているからだ。しかし光にはもう殆ど魔力は残されていない。彼女が仲間を癒せるのはあとほんの数回だろう。けれど、それまでは。 杏樹が救出に当たっている時に光を護る者は居ない。キマイラの攻撃を、ゆうしゃのつるぎで振り払う。 「ボクは絶対に倒れません! 仲間を癒すのがボクの役目――癒し手が倒れるわけにはいかないのです!」 紫杏とティモシーを抑えてくれている仲間。謝肉ガブリエルを攻撃してくれている仲間。ヤードを救いきる事は出来なかった。けれど、けれど――せめて、仲間だけは失いたくない! 「その為にも、ボクは絶対に倒れるわけにはいかないんです!」 力の限り、魔力の限り、想いの限り。 同じ気持ちだった。牙を剥いて謝肉ドールを食い千切り生命を貪るロアンもまた、仲間を失うのは御免だった。 「僕の前で死ぬとか、赦さないから」 しっかりしなよ、僕。心の中で言い聞かせる。ここが正念場だ。紫杏の攻撃に精神を冒されても、自傷してでも意識を保たんと試みて。セラフィーナもまた刀の刃を握り締めてでも精神を保とうとしている。それで『必ず』魅了を振り解ける事は無いけれど、やるやらないで言えばやらないよりはマシな気がした。根性論の類である。 使えるものは何でも使う。 限界まで抗い続ける。 戦い続ける。 まだ戦える。まだ戦える。まだ、自分は―― 「あ、」 零れた声は誰のものか。希望を切り裂く絶望は一瞬だった。 謝肉ガブリエルの腕が、セラフィーナと霧音を掴んでいた。宙吊り。 あ。 しまった、と思った時にはもう、遅かった。 ごぎ っ。 嫌な音。骨と臓物が無理矢理に圧を加えられて、無惨にへし折られた音。可笑しな方向に曲がった手足。そのまま投げ捨てられた彼女達はもう、運命も燃えていて。立ち上がる事は出来なかった。 一人また一人と倒れてゆくほどにリベリスタは窮地に陥る。火力が減れば謝肉ドールの波を食い止める事も難しい。 倒れた仲間を後方の車に救出・避難させた糾華は謝肉ガブリエルへと振り返った。運命を散らすほどに全体攻撃を行い、くらつく意識。その中で狙い定める――瞬間、その異形が『糾華の目の前』に転移する。ほぼ零距離に覗き込まれた、異形の相貌。 ぞっ。 かつて無い、形容し難い感覚が少女の背中を舐め上げた。息をする事すらも忘れそうなほどの。ほぼ反射的に糾華は彼岸ノ妖翅を振り被っていた。叩き込むのは、五人の糾華が叩き込む魔的な一撃。巡るルーレット。何度も攻撃。叩きのめす。びちっと飛び散る肉の欠片が少女の頬をどろりと伝った。嫌悪感。 「ちょろちょろしてんじゃねぇええッ!!」 糾華が飛び退いたのと同時に、謝肉ガブリエルの背中に銃指を突きつけたのは瀬恋だった。反動をも恐れぬ一撃、零距離で放つ魔弾。そして取り囲む様にロアンもキマイラへ間合いを詰め、気糸を繰り出す。 現在フェーズ4へ攻撃を仕掛けられる戦力は実質3人。削りきれるか――無尽蔵なバケモノの再生能力を前に、希望は焦燥へと変貌してゆく。天使の名前をした異形が、その手を振り上げた。 一方で吹くのは再度紫杏が放つ修羅戦風。独裁テレジアによって付与される精神汚染による攻撃妨害、そしてキマイラの回復や自己修復によるティモシーの徹底した防御体勢。火車とスタンリーは攻撃に叩きのめされて戦闘不能に追い込まれる事は未だないものの、未だその攻撃は紫杏に届いていない。とは言え、ティモシーは疲労困憊の満身創痍であるが。 が、火車もスタンリーも無傷ではない。背後からは戦場にして一面のキマイラが、正面からは紫杏が。 口内にたまった血をペッと吐き捨てた。気糸でグサグサぶっ刺されるのは嫌なものだ。 「……オラ病弱ぅ 床に就くん早ぇぞ……? 立て立てぇ」 「言われなくとも。宮部乃宮様こそ、私より先に倒れたら顔面を踏みますからね?」 二つの赤い目が紫杏を睨む。すると、彼女がすっと火車へ指先を向けてきた。 「……そろそろお終いに致しましょう?」 殺気。それは空気が揺らぐ様な、嫌な心地だった。 「!」 それに。何よりも早く反応したのはスタンリー。彼の行動は速かった。「危ない」だとか「躱せ」等と言葉を吐く前に踏み込んで伸ばした手。それで、火車を力の限り突き飛ばす。 「な、」 にしやがる。そう言い掛けた火車の視線の先、目の前、黒い匣。それが火車を庇ったスタンリーを閉じ込める。犯罪王の密室定義。逃れ得ぬ、解決など出来ぬ、誰も居なくなる完全犯罪。一撃必殺の密室殺人。 悲鳴すらも無かった。匣が開けば、血達磨になったスタンリーが藁屑の様に地面に倒れ伏せる。 「ハッ。アホな事ぉしやがって」 「……Shut the fuck up」 やかましい。血を吐きながらのスタンリーの返答。死んではいない。辛うじて生きている。彼は側近だったからこそすぐさま理解出来た。そして既に運命を燃やしていた火車が今の状態でこれを喰らえばどうなるかも。スタンリーは火車が自分より強いと思っている。力の事ではない、心の問題で。きっと奇跡やら運命やら好機やら、そういったものを引き寄せる強さは彼の方がうんと上なのだ、と。思いつつ。意識を手放す。 「仕方ない子ね、スタンリーったら。まぁいいわ、次で仕留めますもの。ねぇ、ガブリエル?」 そう言って。謝肉ガブリエルを見遣った紫杏は独裁テレジアを揮って。 その時、紫杏は確かに謝肉ガブリエルに火車を攻撃するように命じた。 だが。 そうはならなかった――フェーズ4のキマイラは、火車も紫杏にもティモシーにも攻撃してきたのだ。 「……え?」 迫る不可解の攻撃。 轟音、衝撃。 何もかもをかっ飛ばしふっ飛ばす。爆発。衝撃。暴力。 紫杏は無傷だった。けれど彼女を庇って突き飛ばしたティモシーは大きな傷を負って、呻き声を漏らしていた。 そして火車は――同じく吹っ飛ばされて、倒れた紫杏の上。文字通り、『紫杏の上』。その胸の間に埋まった顔。 (ああ どうりで 柔らかくて息し辛くて目の前が真っ暗だと) まぁなにはともあれチャンスだ。普通に、火車は片手でなんの遠慮も無く紫杏の胸をそのまま鷲掴みにして、もう片手は粉砕の気を込めて紫杏の顔目掛けて振り上げて。 「……いやっ!」 赤面した紫杏が火車を思い切り突き飛ばす。その為に土砕掌が紫杏に直撃する事は無かったが、慌てて立ち上がり間合いを取った紫杏の頬がザックリ裂けて血が滴っている。 「い、った……!」 掠ったのだ。鬼暴に刺さった牙の欠片。何が何でも喰らい付く狂犬の執念。滑稽な状況。火車は噴き出さざるを得なかった。中指を突き立てる。 「ぎゃははザマぁみろバーカ!」 「意地悪! きらい!」 「そそそそうだぞ全く以て! この痴漢猿! へっ変態! 変態ィ! これだからOTAKU文化の国は!」 げほげほ咳き込みながらようやく立ち上がったティモシーが涙目の紫杏をその背に庇う。あほらしい。火車はその間もずっと笑っていた。笑いすぎて腹が痛かった。実際、さっきからダメージが蓄積しすぎて外傷的な意味でも痛かった。 愉快だ。愉快だ、が――盛大に溜息。アーク勢力は既に5人の戦闘不能者を出していた。 撤退せねばならない。もうこの戦力でフェーズ4を倒しきる事など出来ない。 火車はスタンリーを担ぎ上げ飛び下がる。他の面々もキマイラ達へ牽制攻撃を行いながら後退を開始した。倒れた仲間を収容していた車に飛び乗る。あるいは屋根にしがみつく。そのまま荒っぽくアクセルを踏み込んで。加速。 「あっあのあの、お嬢様、あの、ええと追わないのですか?」 その様子を見ていたティモシーが紫杏へと窺う様に振り返る。兇姫はリベリスタを追いかけるどころか佇んだまま無表情だった。しょんぼりと溜息。 「……努力が足りませんわ。これじゃまだ、プロフェッサーより凄くなるなんて夢のまた夢ね……」 フェーズ4キマイラの暴走。今は紫杏の指揮下にて大人しくしているが――フェーズ4という『規格外』が不安定なことは、キマイラの製作者である紫杏が一番良く知っていた。それでも尚、上手く出来ると己を教授を信じていた。のに。だからこそ。凹んでいる。 「プロフェッサーに怒られるかしら……もっともっと、頑張らないといけませんわね。さて、プロフェッサーに報告しないと……」 『了』 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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