● 異界の口は、傍らに。 そろそろ『準備』を整えて来た事が完成すると、我らが裏野部一二三様は仰せだ。 うってつけの仕事、と言われた女革醒者誘拐の成果は芳しくなかったが、勝手に便乗した同僚の成果を『自分の援護のお陰』と述べた所、彼は鼻で笑って『次』の指示を口にしたのだ。 同時に与えられたのは、胸の上の印。 「まァ……、オマエなら壊れなさそうだからな。性格悪いしよ」 自分は全く普通の性根をしていると思ってはいるが、確かに一二三と比べれば狭量ではあろう。まあ、それはいいのだが――なるほど、性格の悪さは横に置いたとして、『これ』では精神の弱い者は持つまい。 時折耳の奥で呻きが聞こえる。怨嗟が聞こえる。 自分は雑音として聞き流せるが、この声は胸に刻まれた『蜂比礼』が負の想念を吸い込めば吸い込むだけ大きくなって行くらしい。幾ら精神面の強さで自信があろうが、流石に延々耳元で怒鳴られ叫ばれ続ける様な感覚に陥れば正気を保つのは難しいに違いない。 劣化版とも言える蜂比礼でこれなのだから、膨大な負の想念をその『凶鬼の相』に溜め込んでいる一二三の精神力は人外に近いと言えよう。 とは言え、その力の大半は今回の『儀式』に注がれるそうだが。 コンクリートに絵筆代わりの腕を使いながら文様を描く途中で、視線を動かす。 獣の皮を被った人型と、明らかに人とは言えない二つ頭に四本手足の所謂化け物。 過去に封印されたというアザーバイド『まつろわぬ民』を纏めて蘇らせて、我らが首領殿は何をしでかす気なのか、いやはや実に楽しい事だ。 腕を投げ捨てる。胸に手を当て、手順に従い言を成し、小さな玉を空中に。 浮き上がり現れたのは、文字を文様を幾何学模様を組み合わせた淡い光球。 『あら、ミラーボールみたいね。案外綺麗じゃない』 「まあね、オネーサマよりよっぽどキレイじゃなーい?」 『アンタ人をムカつかせないと死ぬの? ねえ死ぬの? 死になさいよ』 「ヤーだ本気になっちゃって。ソレよりしっかり守ってよ。どうせアークとかが嗅ぎ付けて来るに決まってんだからさーぁ」 『分かってるわ。アークには貸しがあるもの、返さなきゃ腹の虫が収まらない』 「はいはーい、その意気」 『流したわね。……にしてもご主人様に尻尾を振るのに熱心だこと。普段は影に隠れて陰湿なクセに』 「オネーサマと違ってケツ軽くないんでね、適当に好感度稼がないと。オーケー?」 『――全部終わった後に死になさい本当』 乱暴に切られた通信に笑う。嗤う。 「大丈夫っすかねルイさん」 「ま、どうしようもないレベルに無能じゃないでしょ。それにあのヒス女が死んだ所で俺らは困らないし」 けけけけけ。 遠くには車が燃えていた。ぎちぎちと、胸の奥に何かが集まる気配がする。 「それよりさぁ、高間、矢尾。お前ら『もっと強くなりたい』って思った事ある?」 「は。そりゃまあ」 「……無いとは言いませんけれども」 一年に半分は入れ替わる部下の中、比較的付き合いの長い高間と矢尾は顔を見合わせ首肯する。 その顔を見てまた嗤った。 「でも別に何かするって訳でもないでしょ?」 「そっすねー。俺ができる事やったって今更大きくは変わんねぇっていうか?」 「現状に致命的な不満もないですし」 「そう。俺もさぁ、別に今の自分に何も不満はないしデカい事やりたいって気もねぇんだけど」 曇り空を仰ぐ。鈍色から水滴が落ち始めていた。 何も変わってはいないのだ。学校の裏の池に気に入らない奴を落として踏みつけていた子供の頃から、何となく目に付いた相手を追い詰めて嗤う今も、何一つ自分は変わっていないし幸せだ。 けれどまあ、この場所、裏野部に従う理由が一つあるとするならば。 「『絶対的な暴力』ってオトコノコの憧れじゃん?」 裏野部一二三。 自分には届かない位置にいる存在はそれを成せるのだから。これは傍で見ていて楽しい。 個人への忠誠とは少し違うし、組織への愛とも違う。けれど、間違いなく露原ルイは『裏野部』が好きなのだ。ならば多少、派手に動くのもたまには悪くない。 手に持った鞭を、地面に叩きつけて打ち鳴らす。 「さて、それじゃまぁ――程々に気張れよ、一二三様の為にさーぁ!」 ● 「……はい、また頭の痛い案件です。皆さんのお口の恋人断頭台ギロチンがお伝え致します」 軽い口調、後半は溜息に変えて『スピーカー内臓』断頭台・ギロチン(nBNE000215)はモニターを指す。 「最近、裏野部が女性の革醒者を攫う案件が散発していたのはご存知の方もいるでしょう。封印されたはずのアザーバイド、『まつろわぬ民』を引っ張り出して、何をする気なのか――、という事まで含めて皆さんに向かって頂いていたのですが」 一つの案件から狙いは知れた。 アザーバイドが裏野部に協力するのは、己の一族の封印を解く為だと。 「今回、裏野部はそれを実行しようとしています。……裏野部一二三、彼らの首領が自ら動き、神秘の力を持った超巨大雷雲(スーパーセル)を発生させ、各地の封印を一斉破壊するつもりです」 広げた地図、指し示すのは奈良。 その指が、岐阜、京都、大阪、四国を順々になぞっていく。 「ですが、流石に一二三だけでは封印破壊に必要な規模にまで成長させる事は困難な様子で、他四つの箇所で彼の部下が儀式の為に動いています。皆さんに向かって頂くのはこちら、京都となりますね」 モニターに映し出されたのは橋。道路となっているその上空に浮かぶのは、不可思議の球体。 そして橋には、頬にギザギザ歯の笑みのタトゥーを刻んだ一人の男。 「ここで儀式を行っているのは、『嗤笑』露原ルイ。……誘拐事件にも関わっていたのでそちらの案件に向かって下さった方にはまたかという話ですが、今回は彼の殺害か、儀式の破壊が必須です」 向き直る。 儀式は効率良く負の想念を集める為のものであり、集めたそれを一二三に送るのがルイ。 どちらかが欠ければ、必要量を一二三に送る事は不可能だ。 「地上にはルイ含めフィクサード多数、それに加えてアザーバイドの土隠と新しく加わった両面宿儺。ルイの性格もあり突破は苦労するでしょう。が、なら儀式を壊せばいいか、と言えばそうもいかない」 溜息。 「彼らは儀式の要である『儀式陣』を守る為に、空中にも人員を配置しています。……こちらもご存知の方はいますかね、露原ユイ。『ユイ』の名で以前に騒ぎを起こした彼女が率いるスターサジタリーの部隊が存在します」 モニターが切り替わった。ライフルを持った女が、赤い唇を吊り上げている。 ルイの姉だという彼女は弟よりも幾分か冷静さには欠けるが――スターサジタリーとしての腕は決して軽く見られるものではない。アークに一度『お楽しみ』を邪魔された経験のあるユイは、以前よりも腕を磨いている事が予想されるだろう。 要するに、地上を行くにしても空中を行くにしても、楽には行かないと言う事だ。 「四つの儀式の内、二つ以上が成立してしまえば雷雲は封印を破壊可能な規模まで成長してしまう。更に一二三自身も封印破壊の儀式に加え、別の算段も進めている様子です。――そちらにも、人員は向かって貰っています」 儀式の影響で弱体化しているとは言え、相手は『裏野部』の名を掲ぐ首領。 向かわせる人員は余りにも少ないが――組織立てて行くには時間が足りない。 無闇に数を突っ込んで犠牲を増やす事は、負の想念を吸収する一二三に力を与える事ともなる。 だから何処にも、必要最低限以上の人数を割けないのだ。 「儀式陣の破壊かルイの殺害。どちらを選択するかは皆さんにお任せします。が……この儀式が成立すれば、裏野部は間違いなく今以上の力を得る。その力で『何』をするか分からない」 その『何か』が穏健な事ではないというのは、今までの裏野部を見れば明白。 決して見過ごす事はできないのだ、とギロチンは首を振る。 「……一二三が雷雲を呼び出せば、それ自体の被害も甚大となる事が予想されます。どうか皆さん、この未来を嘘にして下さい。凶暴な狂人に刃物は持たせるべきじゃない」 ぼくを嘘吐きにしてください。そしてどうか、無事で。 一度目を閉じたフォーチュナは、そう告げて静かに頭を下げた。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:黒歌鳥 | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年12月28日(土)23:49 |
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■メイン参加者 10人■ | |||||
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● 雨だ。空を覆った鈍色は深まり、この先の更なる天候悪化を予想させる。 それが災害級の雨となるか、単なる豪雨で終わるかは――この場に集ったリベリスタの肩に、一端が担われている。 「神産みを経て神に為る、か」 そぼ降る雨から、頬を打つ大粒へ。金の髪から水滴を滴らせながら、『星辰セレマ』エレオノーラ・カムィシンスキー(BNE002203)は呟いた。世間を知らぬ子供の与太ならば、大事にはならなかったのだけれども。 神に為ろうとする男の名は、裏野部一二三。 日本主流フィクサードの一派、『裏野部』を統べる男が望んだのは『国奪り』。七派は互いに牽制しあい、危ういバランスを保っては来たが……他より抜きん出たいと思わぬ派閥は存在しない。だからこそ裏野部は過去に封じられたアザーバイド、まつろわぬ民とも呼ばれる彼らの一部と共謀し――或いは利用し、封印を解除し自らの側に引き入れようとしている。これまでとは違うパワーバランスを、己が頂点へ伸し上がる事を目論む一大事。 それをアークは看過する事はできない。時に『過激派』と称される裏野部の活動は、決して平和や安寧を愛するものではない。破壊を、混乱を、暴虐を、蹂躙を是とする彼らにこれ以上の力を与える訳にはいかなかった。 「男の子は大きなことが好きだというけれど、それにしても大き過ぎるわよね」 靡くベール、その背に翼を生やしながら、『ヴァルプルギスナハト』海依音・レヒニッツ・神裂(BNE004230)は微かに笑った。神になる、なんて夢にしても大きすぎる。叶えることができるだけの力があったとしたって、それは海依音は勿論、他の多くにも歓迎されない神様だ。 「神は嫌いなのよ」 「同感です」 天使じみた姿をした男の言葉に、修道女の姿をした女は笑った。 「何にしたって、目には目を、歯には歯を、暴力には暴力を――」 「そうそう、日本てこんな強い敵いっぱいいたんだね。ぞくぞくするよね、強敵出現!」 歌うように口にした『断罪狂』宵咲 灯璃(BNE004317)に、『骸』黄桜 魅零(BNE003845)が頬に手を当てて黄色い声を上げる。楽しみを控えた少女さながらの高揚を微かに浮かべた彼女らにとって、神様も儀式も二の次だ。フィクサードが、強い敵が存在する、ならば叩き潰す。根底に潜む想いはあれど、行動は到ってシンプルで済む。 狩ろう、暴力を謳うフィクサードを、より強い力で持って。 死合おう、命と一族の存続を賭けて死線の上で。 鳥肌の立つような昂揚が、戦場で舌に乗せる禁断の味。 それに焦がれる者もいれば、『銀騎士』ノエル・ファイニング(BNE003301)の様に全くの無味として捉える者もいる。戦に望むのは、過程ではなく結果だ。神秘を扱い世界を壊そうとする目論見を、謀を行う者を倒す行為に求めるのは熱狂でも快楽でもなく、ただの殲滅。 「また『前に』出てきますか、露原ルイ……」 視界の端に映った赤い翼。この場の儀式のキーでもある『嗤笑』露原 ルイとノエルが直接見えるのも既に三度目。声だけをも数えればそろそろ片手を越えよう。 裏で手を回すのならば、根を辿り潰すのには時間が掛かる。けれど、裏野部の大きな動きに答え精力的に前面に出て来るのなら話は違う。『動きすぎは身を滅ぼす』、忠告は既にしてやった。 「いいでしょう。それならば、ここで終わらせます」 白い肌を伝って、水滴が落ちる。 全員で頷きあい、宙へと。『戦姫』戦場ヶ原・ブリュンヒルデ・舞姫(BNE000932)は眼下に広がる街並みを見た。そこに在るのは命、営み、平和に過ごす人々の日常。誰にも奪う権利なんてない。守ろうと舞姫が誓ったもの、それを壊すというのなら。 「――恨みも怒りもしない。けれど、容赦と慈悲もしない」 戦場に居場所を決めた少女の隻眼が、細められる。そんな彼女の研ぎ澄まされた表情に、離宮院 三郎太(BNE003381)は小さく息を呑んだ。考える事は数多、そして全てに伸ばすには手は余りにも足りない。だとしても、泣き言を漏らしている場合ではない。 「ボクは、ボクにできる事を」 高くなっていく視界、小さくなっていく建物。ここで起こる騒ぎがひと時のものになるか、暫しの悪夢となるか、左右する要因の一つが三郎太なのだ。皆の回復を、体も心も尽きる事なく支え続けるのが今回の彼の役割だ。 そうだ、決して倒れやしない。敵も回復手として立ち続けるというならば、こちらはそれ以上に立っていれば良い。最後の最後まで。 「裏野部は本当に、何かを壊すのが好きだね」 一二三が儀式を行っている奈良と隣接する京都の天候は荒れ模様。あちらと違い飛ぶのに不具合が出る程ではないけれど、それでも吹き付けてくる風は冷たく、強い。そう、これは嵐の気配だ。 『ハッピーエンド』鴉魔・終(BNE002283)は思い出す。かつて裏野部の一団に沈められた街の風景を。彼らは自らの目的の為に、いとも容易く数多の人々の命を奪い去った。誰も犠牲にすまいと願った終の手から抜けて消えてしまったあの日を繰り返すのは嫌だ。しかもこの一度で済む保障などない。いや、恐らく成功すれば幾つもの町が再び犠牲となるのだろう。そんなのは、絶対に嫌だ。 「さあ、嵐を散らしに行こう」 ほんの少しの笑みと、瞳に決意を込めながら――終は高く高く、空を目指していく。 「ルイさん達にはこのあいだの借りも返さないといけないしね」 数は自身たちの約三倍。『三高平の悪戯姫』白雪 陽菜(BNE002652)は己の両頬を叩いて気合を入れ直す。裏野部によって行われた女性革醒者誘拐事件。それを食い止めるために向かった陽菜達は、想定されていたものよりも被害を抑える事ができたのだが、全てを完璧に救うことまでは叶わなかった。 身を張っての交渉を哄笑にて返された記憶と、何よりも連れ去られた一人を思えば、この戦いは負ける訳にはいかない。とはいえ陽菜は、死ぬ気で向かう訳ではない。生きて帰って、守りたい人々を守る。その為に彼女は向かうのだから。 「ま、あんまり気負ってあちらさんに得されるのもなんですし。作業みたいなもんだと思っていきましょう」 狸の左腕で顔を拭った『夜翔け鳩』犬束・うさぎ(BNE000189)の表情は普段と何も変わらない。キョトンとした様な無表情をぱちりと瞬かせ、淡々と口にする。目前で人質の一人を連れ攫ったルイに、その手管に思う事がない訳ではない。深い記憶を抉られる様な痛みすら覚えるが、それさえも彼の糧となるというならば一旦冷蔵庫にでも隠しておくべきだろう。 今はただ、その心臓を、儀式を止める為に。 鈍色の空に、十の翼が羽ばたいて飛んで行く。 ● 揺らぐ視界。一気に加速するジェットコースター。 神秘の翼で重力に抗う事をやめたリベリスタの体は、あっという間に地上に引き寄せられていく。 そこだけ切り取れば順調のようで、けれど万事作戦通りとは行かなかった現状にリベリスタの顔は浮かない。成功したとして、そこからが本番ではあったのだが……落下地点を狙った場所に定めるのは、想定以上に困難な事だった。 20m弱の位置に浮かぶ儀式陣と同程度の高さに存在するフィクサード。彼らの攻撃が完全に届かない位置を目指すとなれば、最低でも50m以上。正確に高度を測る術はなく、安全策を取れば凡そ60m以上、ビルの20階以上の高度に達する。そこからの自由落下は、警戒しながら行う戦闘時の移動よりは早く済むが……重力に任せ移動する以上、細かい調整はきかない。 「あらあら、何する気かしらね」 薄く笑うライフル撃ちの女、露原ユイの言葉が語る通り。そしてうさぎが読んでいた通り、遮蔽のない空で敵の接近を警戒しているフィクサードに気付かれない事もまた難しかった。上空に存在するリベリスタに一度気付いた彼らは、警戒を解かない。ルイのほぼ真上に存在する儀式陣の周囲に陣取った空中班は、ただでさえ動いてままならない的のすぐ前に存在する邪魔者であった。十人全員で固まって降りようとするならば、その位置取りは困難を極める。 結果として――前衛のほぼど真ん中という点で妥協せざるを得なかった。千載一遇のチャンスを待っていられる程、悠長に事は進められないのだ。 地面が近付く。落下はほんの数秒の間であれば、敵味方共にその最中に攻撃を向ける余裕はない。そう。攻撃は。時間を取らされた分のお返しの様に、魅零は上空から声に尾を引かせてユイに笑った。 「あんまりぷんぷんしてるとシワ増えちゃうゾ☆」 「……!?」 流石にそれは予想外だったのか目を瞬かせた女の姿はあっという間に魅零の視界から消え、次いで現れたのは男達と、異形。 いかに自由落下といえど、着地の寸前では翼を操らねば激突は免れない。全員が翼を繰り、次々と地に足を付けるが、歓迎とばかりに向けられるのは攻撃だ。 「はァいアーク。予想に違わず来てくれて俺は――あんま嬉しくないねぇ」 嘲笑う声、弾ける光。背に生えた翼を引き千切ろうと放たれた裁きの光がリベリスタを焼いて行く。 灯璃は空中にいるライフル撃ちの女が、射手達が獲物に向けて牙を向けるのを音で感じた。 これは戦争ではない。裏野部の首領が『日本』に翻した小さな反旗で狼煙。 けれど鬨を挙げた自らの頭に全力で応えない様な『裏野部』は、ここにはいない。 アクセル全開、フルスロットル。 歓迎しよう。お前達の死花で我らが『裏野部』の道を飾れるならば! リベリスタが空中で手はずを整えている間に、裏野部も体勢を万全へと変えている。 アークのリベリスタの姿が見えて、何もしてこないなんて有り得ない。気を抜くなんて考えは、そもそも存在しない。リベリスタが上空に向かい落ちて来るまで、重ねられた集中からの一斉攻撃が火を噴いた。 冷たい雨を凌ぐ、氷点下の刃。 終はこの場の誰よりも、裏野部のフィクサードよりも圧倒的に早かったが――着地の間に先に回りこまれては、密集箇所へと接近するのは難しい。何より敵の密集する箇所は凡そ味方も存在する。先のフリーフォールと同じく、固まって敵の只中に飛び込む戦法においては、熟練のソードミラージュといえど望みの場所で味方を一切巻き込まず範囲攻撃を放つというのは中々難しい。これが例えばエレオノーラであれば、軽く避けてと声をかければある程度遠慮なく放てようが、守り避ける事よりも貫き倒す事を重視したノエルのようなタイプであれば気軽にとはいかない。 それでも叶う限りの数を巻き込み、味方へ向く刃を紙一枚で止める術は終の地力があってこそ。 「あんまり雨に濡れても風邪引いちゃうしね☆」 さあ、ハイスピードで駆け上がれ。幸せへと続くその道を! 彼と合わせて一度グラスフォッグを放ったエレオノーラが首尾よく滑り込んだ先は、二つの頭を持つ異世界の民。奇妙な姿だ。彼と比べて大きなそれは、まるで前衛芸術家が作った彫刻にも思えた。 「嘘にしてあげるわ。貴方自身も」 前衛集団から数歩抜けた先、ルイを含む後衛との間に立ち塞がった孤屠に囁き、空を覆う曇天を映したような刃でその体を切り裂いて行く。 嗤う男の胸に刻まれた蜂比礼は、負の想念を吸収すると言うけれど――エレオノーラが刃を刺して傷口を広げる為に捻るのに、負の感情など必要ない。彼を突き動かすのは怒りや恨みではなく、それこそうさぎの言ったように、ある意味の作業として自らの為に『やるべき事』を為しているだけだ。 自らと同等かやや劣る程度の速度で駆け込んできたソードミラージュの多角攻撃が肌を浅く切り裂いて行くのを感じながら、舞姫は数度上げた声を止めた。 落下前にも動き回る前衛の意識を己に向けようとしたのだが、舞姫の声が神秘の力を持って響くのは敵の攻撃も届く範囲である。例えそれで注意を引き付けたとして、彼らの陣形が崩れるかどうかは微妙であった。遠距離攻撃が使えれば、彼らはその場から動かず舞姫に攻撃を仕掛けてくるだろうから。 「貴様達には、何一つ壊す権利などない」 立ち塞がる獣の皮を被った異形を睨みつけ、舞姫が雨の中に咲かせる光の飛沫。水中で行われる光のショーの如く美しい煌きは、けれど土隠の気を惹くには未だ少し足りなかったらしい。 傍らに影を置いたうさぎが振るうのは、赤に塗れた11人の鬼。 先に決めた通りにその刃の軌跡に迷いはなく、ただただ効率的に。己は刃を肉に潜り込ませる機械になったと思え。 飛び交う弾丸の嵐に、三郎太の回復は止まらない。止まる事ができない。数に優れた裏野部の連中の攻撃は、しばしば仲間に不利益を与えるのだ。 「ねえルイ君、ヤンチャな遊びはもうおしまい」 三郎太に限らず、回復手が一度に埋められる傷の量にはそれなりの振れ幅がある。追いつかない分は海依音の癒しが重ねられた。彼女の光が引っぺがした付与は既に半分に近く、高間は神々の終焉に齎される加護を再度掛け直しはしていない。反射で返る分はあれど、海依音はそこまで脆くないのだ。 魅零の体から闇が滲む。生命力の反転、死へと誘う暗く黒い蟠り。 それはルイの傍らに立つ矢尾も含めて取り込んだ。 「ルイさん……このあいだ攫って行った野江さん、憶えてるよね? 忘れたとは言わせない」 空中に撒き散らす炎の矢。雨にも勢いを衰えさせる事なく降り注ぐ矢の先の男を見ながら、陽菜は言葉を紡いだ。助けたいと願った一人。 本部で伝え聞いた話によれば、彼女は今、裏野部一二三の下で儀式の供物として使われているという。どんな目に合っているかなんて聞くまでもなかった。恐らくは、命を失う危険性も高いのだろう。 ぎゅっと唇を一度噛んで、陽菜は愛用のサジタリアスブレードの刃に指先を滑らせた。 「もしも野江さんに何かあったらタダで死ねると思わないで!」 「へーぇ? 随分悠長だねぇ、甚振って殺す程に余裕あるようには見えないけど。ハッタリヘタだよアンタ」 けけけけけ。彼の嗤いは、何処までも陽菜を、命を救いたいと願う少女の心を嘲っている。 攻撃は双方共に苛烈だ。だが、その一瞬の合間、視線をほんの少し動かした舞姫は転がっていた車の中に動くものがある事に気付く。ここは二車線道路が走る街中の道路橋だ。そして付近に転がっている車は、この道路を走っていたものに違いあるまい。 裏野部が、わざわざ人払いの為の結界を張るか? それも、負の想念を吸収するなんてアーティファクトを使用した上で? 舞姫が結論に至るよりも早く――突っ込んできたのは、一台の車。運転席の男と目が合った。後ろに座った、家族の姿も視界を過ぎって消えていく。空中に、恐らくはユイのワールドイズマインによってその視線を引きつけられた彼は目の前に存在する異様な生き物に気付きハンドルを切り、倒れていた車に頭から激突した。くすり、とわざわざデモンストレーションの様に己に視線を引き付けた赤い唇が悪意に歪んだのを舞姫は感じた。 「だ……誰か結界をお願いします!」 『は、はい!』 咄嗟に三郎太が遠方にて戦場を見守っている援護のリベリスタへと幻想纏いで呼びかける。慌てた様子で応えた声から時を置かずして、場がより『神秘』へと適した空間へと変わったのを肌で感じるが……既に中に入った者まではどうしようもない。 「面倒だね、橋の両方の入り口に少しずつだけど人がいるよ」 灯璃の鋭い聴覚が、人の息を、鼓動を聞いた。彼女の指す『面倒』は、即ち蜂比礼による強化。奇妙なものが浮かぶ空、異形である両面宿儺と土隠――ああ、羽の生えている自分も対象だろうか? の存在は、見た人々には動揺と共に恐怖をも引き起こすだろう。 赤伯爵、黒男爵。長い鎖で繋がれた愛用の武器を手に目を細めた灯璃だが、その手を休める訳にもいかない。すうっと吸われた息を吐き出す間にその双剣の刀身には眩いばかりの光が溢れ、そして着弾と同時に爆発する。 「これだから、派手好みの目立ちたがり屋はいけないわ」 エレオノーラが深海の瞳を伏せがちに瞬かせた。自分の為になるのなら、他者をどう使い潰そうが気にしない。裏野部があえて一般人の目を避ける理由は、少なくとも今回はなかったのだ。 突っ込んだ車の中の家族は今すぐ引きずり出せば間に合うだろう。命は助けられるだろう。 しかし、戦場に下りてからの付与の間さえも省いたリベリスタにとって、それは見過ごせないタイムロス。 「あらら、助けたげないの」 ルイにとってはどちらでもいいのだ。リベリスタが助けに手を割けば攻勢を強められる。放置しておいてもその存在が己の力となるだろう。だからただ、嘲るように口にする。可哀想に、と。 「早く早く――もっと、だね」 「――……その鼓動、止めてやる」 終と舞姫。一人は弔いの為、一人は守る為……誰かの為に対の如く片目を失った戦士たちが雨の中で刃を光らせた。 ● 連携を考え、孤立しないように分散せず固まっての行動を心がけたリベリスタ達の動きは、決して間違ってはいなかっただろう。数の利は裏野部にある。囲まれて集中的に叩かれ援護も届かなくなれば、待つのは死。 しかし利点はあれども、この状況での最大の難点は――空中に存在するスターサジタリーの部隊である。 「皆さん、今回復します!」 三郎太が声を張り上げ、高位の存在へとその加護を願った。仲間に降り注いでいるのは、水滴のみならず空から降ってくる弾丸。分散しないように、と心がけたが故に、広範囲に弾丸をばら撒くハニーコムガトリングで被弾する人数が増えるのばかりはどうしようもなかった。十人いれば全員を一度に捉えられる事はそうなかったけれども、それでも空中から弾丸を注がせる彼らの視界を遮るものは何もない。 加えて、ばら撒かれた弾丸を最も食らった者に祝いとして贈られるのは、多くの者が攻撃を届かせる事が叶わない上空から飛来する精密射撃に呪いの弾、死神の魔弾。 それを潜り抜けたとして、今度は相対する地上の敵からの攻撃に晒される。 速攻を目指し敵陣の懐へと全員で切り込んだが故に、リベリスタは最大火力での抵抗を受けた。 「はいはい、海依音ちゃんが叩き落しますよ!」 できる限り巻き込む、海依音の裁きの光も敵戦力を殺ぐべく降り注いだが――彼らは空中班だ。空中に留まり警戒をする事が仕事だ。いざ戦いの時に加護が切れて落ちました、なんて笑い話にもならない。そこには落ちずに飛べる人員を、一緒に落ちたとして『飛ばせる』人員を複数配置している。 とは言え、落とされては登り、を繰り返す程に馬鹿ではない。落ちた面子が加護を纏い上がってきた時、足を付けたのは地上。 地上に増えたカードは七枚。射手に関しては空中にいる時とどちらが厄介か、と問われれば微妙だが――少なくとも、前衛が三枚増えたのは間違いなく厄介だっただろう。 巻き込まねば空中に留まり加護や遠距離攻撃を行うはずだった彼らは、地上に立ち塞がる壁と化した。 人数も、状況も、元よりリベリスタにとっては不利。それでも、覆さねばならないのだ。 天秤が裏野部に傾いたままだとして、この場の誰一人として諦めてなどいない。そんな不利さえも跳ね返して、目標の心臓を止めてやるとすべての目は語っている。 「貴方にとって、暴力は憧れと羨望の対象なのでしょうね。――手に入れた力が癒しとなれば、尚更に」 可哀想に、と吐息と共に吐き出された言葉。エレオノーラには共感できないその心情。 他より優れた力を振りかざし支配したとして、どうせ長くは続かない。その一つの結末を、彼は身をもって知っている。返るのは、いつも通りの笑いで嘲り。 「哀れんでくれて悪いんだけどさぁ、俺は俺に何の不満もないよ。俺は一二三様に『なりたい』訳じゃないし」 それは憧れ。抱く理想の一つ。けれどルイは『オトコノコの』と称したようにそれは子供が漠然と抱くような、無数の夢の形の一つに過ぎない。大人になった彼は自らの在り方を既に定め、それを厭う事はない。 ならば。 「ねえルイ。どうして一二三様に従ってるの? そんな怖い刺青までいれる程にさ」 魅零の問いはささやかな疑問だ。己の在り方を愛し完結している男が、何故自らの身の危険を冒してまで一人の男に従うのか。好きなものの為に命を賭ける、その行動は魅零にも分かる。けれど恩返しの為に命をも天秤に乗せる彼女と違い、ルイが一二三に向ける感情は命に対し余りにも軽く思えた。 忠誠ではなく、盲目ではなく、愛ではなく。返ったのは、やはり嗤い。 「医者が独裁者に憧れちゃ悪い理由、ある?」 「……大有りだと思うわよ」 「アレ、おかしいねーぇ?」 ふざけるような答えの合間にも状況は刻々と進んでいた。力同士がぶつかり合い、せめぎ合い、プレイヤーは互いの札を切っていく。温存など許さないと。 「まあそんなの何でもイイや、俺は他の連中よりも一二三様が好きなだけだし。――別にご機嫌窺い自体は苦じゃないしさーぁ? だからココちゃんとやらないとねぇ」 そう、うさぎが、ノエルが、エレオノーラが、灯璃が警戒していたそれは、『攻撃』ではなかった。 切り札であった事は違いないだろう。けれど、他者の命を容易く嘲り踏み躙るこの男は、その性格に反し何処までも『仲間を癒し立たせる事』に優れていた。 「ほらお前ら、地獄に片足突っ込んでようが連れ戻してやるよ」 それは歪んだ回復請願。願うのは、どのカミサマか。どの不可思議か。 終によって足を止められていた何人かは氷を振り払い、リベリスタを睨み付ける。その目は、先程までより強い意志を秘めてはいないか。その傷口は、今もまだ緩やかに回復してきてはいないか。 死地を乗り越えまだ立てと。そんなに早く「地獄に行かせ(らくに)」はしないと。息切れする部下の首根っこを引き摺り起こし、悪魔の如くその尻を叩いて戦場に蹴り戻す。 「この『嗤笑』様が付いてんだ。『もう立てない』なんて泣き言は言わせねぇぞ!」 けけけけけけけ。 ルイと比べれば、ユイと比べれば、その力は劣るだろう、個別に列記する必要性もないただの駒の一つに過ぎないだろう。だが、アークの精鋭が集うこの場でさえ、彼らは決して弱くはない。 回復手とて、ルイだけではない。存在を重視されていなかったもう一人のホーリーメイガスが呼ぶ癒しの息吹が、全体としての寿命を長引かせた。ましてや上位世界の種である両面宿儺や土隠を援護で立たせ続けられれば、状況は削りあいの持久戦となった。 海依音よりも先に、回復に尽力していた三郎太が運命を燃やす。 乱戦の中、土隠の引き寄せによって距離を開けられた彼に魅零は届かなかった。 「すみません、すぐに立て直しますっ……。まだボクは倒れるわけにはいきませんっ!!」 彼から意識を逸らすように散るのは、赤。 「ハイこんにちわ、露原さんの心臓絶対止めるマンです。よろしくねッ」 おどけるような口調で飛び込んだうさぎが振るう、暗殺者の刃。 「けけけけけ、あれ、調べてもどっちか分からなかったけどマンなのうさぎ?」 「心臓絶対止めるウーマンって長いし語呂悪くありません?」 「まあどっちでもイイよ。アンタみたいに口回るのは泣かすよりコッチに欲しいんだけどさーぁ」 おいで、と指で手招きながらうさぎを見下ろす目。それは酷く不愉快な記憶を呼び覚ます何かではあるけれど、返すのはそうですねぇ、という気のない返事。 「何しろ私はこの間、貴方を『殺す』と約束した」 約束は守りませんとね。それだけ告げて、後は口を噤む。余計な事は必要ない。 ルイのような『性格の悪い』人間への言動はシンプルなのが一番だ。下手に言葉を積み重ねれば、曲解による詭弁で相手に都合よく歪められるだけなのだから。 「何だ、俺好きなヤツには何でか嫌われる事多いんだよねーぇ。何でかなぁ」 理由を知りながら白々しく笑う、その声を掻き消すように飛来したのは、無数の双剣。赤と黒、鎖で繋がれた双剣を模った魔力の弾丸が、灯璃を起点として放たれる。 「お喋りは後々、今は楽しい楽しいフィクサード狩りの時間だよーっ♪」 歓声は昼間の公園に相応しい無邪気さで、内容は血腥い戦場に相応しい残酷さで。 被ったミニハットから滴る水で頬に張り付く銀の髪を頭を振って払い、灯璃は笑う。 魅零の頭に、鈍器で殴られたような衝撃が走った。血が溢れる。強力な一撃に意識を霞ませながら見上げれば、空中で赤い女が嗤っていた。明らかに今の一撃は、顔面狙いだ。 厚ぼったい赤い唇を弟と似た嘲りに歪ませて、吐き捨てる。 「あら、きったないカオ」 ……先程の煽りを根に持っている。嫌なタイプだ。睨まれたら面倒くさい、女の先輩だ。 死神の一撃は、劇的展開を許しはしない。だから魅零は運命を費やし立ち上がる。 「私の肌が白くてつやつやだからって、八つ当たりはいただけないわ!」 白い肌に滑る血の量は、時間を増すごとに増えていた。 ● 雨が、血を吸って赤を交えてアスファルトの上で水溜りとなって渦巻いている。 弾丸の雨も止まなかった。海依音のジャッジメントレイが、灯璃のハニーコムガトリングが、陽菜のインドラの矢が降り注ぐ範囲はほぼルイの回復圏内。元より高みにいるユイなどは、矢尾の援護を受ける時以外は安全地帯からただ撃つばかり。 ほんの一度、回復を拒まれる事が致命傷へと繋がり得た。 裏野部の数も減っている。けれどリベリスタの攻撃手が減ればルイともう一人の回復手によって傷はどんどん埋められていくのだ。 「アタシはまだ、こんな所で死ぬわけにはいかない」 がり、と陽菜の爪がアスファルトを引っ掻く。大事な人の為に力を振るう彼女にとって、裏野部の台頭は望ましい事ではない。大事な人を危険に晒す可能性があるならば、見過ごしてなんかやらない。 心底から願えども、彼女は知っている。 幾度も幾度も呼びかけても、運命は中々己に振り向いてくれないと。陽菜だけではない、他の大勢の血を吐くような叫びも袖にするのが運命の女神だ。その手を掴む事は叶わず、冷たいアスファルトに意識を奪われた。 仲間が倒れていく中でも、ノエルは迷わなかった。火力を一つずつ潰していく事が重要だ。 ノエルは決して守りが弱いという程ではない。けれど死神の魔弾の前には、その防御は通じない。癒しを拒む呪いをも重ねて掛けられれば、海依音が機械仕掛けの神に向けて希う。運命を燃やした直後の体に、先程ほんのひと息間に合わなかった回復が降り注いだ。 一度致命傷を受けても尚怯まず銀を振るう姿に掛かるのは嗤い声。 「ねーぇフィクサード殺し、俺さぁ、気の強い女が泣き喚いてるの見るの好きなんだけど、アンタ何したら泣くの? 手足折ってもいで大勢で犯したら泣く? そん位じゃ泣かないか、何したらイイ?」 「私が泣いて満足して貴方が即座に死ぬならば、考えなくもありませんが」 明らかな挑発、或いは悪ふざけにも紫の双眸は揺るがない。けれど射手の集中攻撃を受けその身が沈むのに、そこからそれほど長い時間は掛からなかった。 リベリスタは徐々に押されてきている。高間がラグナロクの再付与を行ったのがその証拠。海依音がブレイクに回る余裕がないと踏んだからこそ、殲滅の為の加護を仲間の身に宿したのだ。 「クリスマス前だと言うのに、おとなしくできないのかしら?」 未だ崩れぬ高間という壁に、海依音が苦笑の如く笑った。 「アンタと違って別に俺らは特別な日じゃないしねーぇ? ソッチこそ特別な日なんじゃないの、こんな所で遊んでないでさぁ」 「あら、ワタシキリストなんて信じてませんよ」 「けけけ、じゃあクリスマスじゃなくて俺の誕生日にプレゼント頂戴。アンタの体と命でイイよ、海依音」 「あら、先程ノエル君に声をかけてたばかりじゃありませんの。私、そんなに安い女じゃなくってよ?」 親指と人差し指。両手で描いたハートを片手で描く¥(えん)に変えて、海依音は笑った。 けれど軽口ほどに状況が良い訳ではない。気丈な彼女の額に汗が滲むのは、傷の痛みや動き回った事によるものだけではないのだ。 海依音の持つ癒しの力は強力だが――『カミサマ』の介入を願うが如き強力さであるが故に、連発は叶わない。ルイのジャッジメントレイで付与も引っぺがされた彼女は、三郎太が倒れた今、間近に迫ったガス切れの危機に直面している。アークの実力を知り、一人を集中的に狙ってくる裏野部の戦法に対し機械仕掛けの神は効率が悪かった。 回復にも手を割くルイはそう頻繁に攻撃をしてくる訳ではないが、それでも海依音が自らにチャージを施し、強力な癒しを一発放つまでの力を溜めるのに一分弱。退き時を誤れば、回復が途絶えたその後に集中攻撃を食らった仲間がどうなるかなんて想像に難くない。灯璃のインスタントチャージはあるけれども、それは瞬間火力の減少に繋がる。 ほんの僅か浮かべた海依音の迷いを悟ったのか、魅零が傷付いた体を更に痛め付けながら、流した血で呪いを込めた武器を振った。ゴルゴーンの顔にも似た効果を持つ刃が、敵の一人を縫いとめたのを確認しながら、彼女は叫ぶ。 「撤退するよ、ほら、皆で一緒に逃げようぜ!」 倒れた三郎太をその肩に担ぎ、舞姫を引っ張り出し――その大物を振り回しながら牽制する魅零の奥で、灯璃は鎖を鳴らした。赤い瞳の向く先は、高間がラグナロクへと手を割いた事で射線の開けたルイの心臓。 せめて最後にもう一太刀、もう一弾。 悪を示す赤伯爵(ベリアル)は貫くと同時に癒しを拒む呪いをルイの身に与えるが、死へと至らせる傷へとは為りえなかった。刺さった手応えを鎖越しの制御で感じ、灯璃は笑う。 「その印、きっとキミも『凶鬼の相』の餌なんだろうね」 既に撤退の準備は始まっている。取り残されるような真似はしないけれども、皮肉を込めて告げる灯璃にルイも衝撃に吐き出した口元の血を拭って笑う。 「俺だけじゃない。みぃんな一二三様の餌だよ。アンタは……前とは違う宵咲? アンタもね」 「灯璃は餌にはならないよ。――キミ達みたいなフィクサードを殺すのは楽しい事だもん」 無邪気に笑うその翼も、血で赤かった。投げ預けられた三郎太をその小さな体で受け止めながら、灯璃は目線で行けと示す魅零に頷き低い場所を翔ける。 うさぎがエレオノーラの腕の中で見た空も、灰色だった。 何を望むのか。 何を得たいのか。 濫りに運命を歪める事を好まない女神は、意地悪な質問をして笑うのだ。 願え。この嵐の終わりを。 祈れ。このハッピーエンドへの障害物が消える事を。 貫け。守ると誓ったその思いを。 薄れた意識で舞姫が、舞姫を抱いた終が運命を変えるべく拳を握った。 こんな未来など認めない。暴力の勝利など認めない。ハッピーエンドを、守る力を。 けれど、空は涙の如く水滴を降らせるばかりで――ただ、二人の体温を奪っていく。 裏野部は追わない。手を出さない。下手に藪を突く危険性を知っていた。手負いの獣や蛇よりも恐ろしいものが、喉笛を狙って噛み付いてくるのを知っている。だから一切の油断をしなかった。 「あぁクッソ、頭痛ぇし胸痛ぇし。……ほんっと早く潰れろよアーク」 その手を血に塗れさせたルイが、よろけて地に座り込む。 『珍しく疲れてるんじゃないの、大丈夫?』 「あら、オネーサマが心配してくれるなんて槍でも降るんじゃなーい?」 『そのまま死なれると私が無駄骨なのよ、終わってから死ね』 「けけけけけ、死なねぇよ。何にせよ、槍より酷いモンが降ってくるかもだけど」 冷たい雨が、強くなっていく雨脚が血を洗い流す中、空に浮かぶ儀式陣は不穏な光を放ちながら、未だそこにあった。 不吉の前兆が、空を覆っている。 暴力に抗うべく立ち上がった者達の叫びを掻き消すように――雷鳴が、轟いた。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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