●姉妹 たった一人の姉だった。 両親を事故で亡くしてから五年間、彼らの遺してくれた家と遺産で、共に慎ましく暮らしてきた姉だった。 たった一人の姉だった。 つい先日、二人で一緒に二十歳になった。 わたしたち、おとなになってもそっくりのままだったね、なんて笑ってワインを開けた。 いつか双子の娘が成人した時の為にと、父母が買ってくれた生まれ年のワインだった。 慣れない美酒の味に二人して酔って、いつもそうするように、甘いマシュマロのようなキスをした。 たった一人の姉だった。 ちょっと買い物に行ってくるね、と昨夜の小雨の中に走り出ていった彼女は、朝になっても帰って来なかった。 ──小糠雨は一晩明けても止む気配がなく、絹糸のような雫をずっと降らせ続けている。 「……現場の近くを、まあ、縄張りにしているようなグループがありましてね」 真白い布を掛けられた姉の身体をぼんやりと眺める私の傍で、年嵩の警部が苦虫を噛み潰したような声で呟く。歯切れの悪さは、そのグループが碌でも無いものなのだと推し量るには十分だ。 「あの晩、件のコンビニの近くで彼らの目撃情報も上がっている。DNA鑑定も容易、ですし……必ず、」 法のもとに裁きを受けさせるとか、ドラマでしか聞いたことのないような安っぽい台詞に熱を込め、警部は私の肩を抱いて部屋の出口の方へと強引に向き直させた。痛ましげに顔を歪めた女性警官が、私をそっと抱いて部屋から連れ出す。 姉は翌日の朝、無残な姿で廃ビルの一角から見つかった。暴行の末の内臓破裂による死亡、そういう事だった。 とても綺麗な──自分と同じなのだから自賛かもしれないが、本当に綺麗だったのだ──姉の顔は青く染まり、鼻血が流れた後がこびり付いてぱりぱりになっていて、前歯が数本欠けていた。身体は見えなかったけれど、どうせ同じくらい汚くなっているのだろう。 生気のない、薄暗い廊下を女性警官と二人で歩きながらぼんやりと考える。 どうして姉はあんな目に合わなければならなかったのか。神様は不公平ではないのか。つがいで産み出しておいたものから片割れを取り上げるなど、何を考えているのか。 ──ううん、取り上げた神様が悪いのではない。殺した男達が悪いに決まっている。法のもとに裁きを? ばかな! 私のこの手で裁いてやる──捌いてやる! ──たった一人の姉だった。 だから、私が弔ってあげなくちゃ。だから、私が悼んであげなくちゃ。 静かな雨中の葬列には私ひとり──黒い喪服を身に纏って、ロザリオの代わりに包丁と果物ナイフを携えて。 姉さんを殺したあいつらの、苦鳴と悲鳴を賛美歌の代わりに奏でましょう。 ● 「フィクサードが殺人を犯すわ」 いつも通り淡々と、『リンク・カレイド』真白イヴ(nBNE000001)はそう告げた。 「フィクサードは二十歳の女性、名前は篠宮桜子。少し前までは、多少不幸な人生であれど、普通の女性だった」 みて、とイヴが囁いて、モニタ上に情報を表示させる。身分証明の類か何かから持ってきたのだろう、礼儀正しい写真が映し出された。但し、同じ物が二枚。 「……手違いか?」 招集されたリベリスタの一人が首を捻る。ううん、とイヴが左右に首を振った。 「一卵性双生児。良く似た双子の姉が、桜子にはいるの。……正確には、いた、かしら」 よくよく見れば、モニタ上の二枚の写真には確かに微細な違いが存在している。 「過去形?」 「過去形。桜子の姉、撫子は数日前に殺された。婦女暴行事件の被害者よ」 イヴが視線を伏せる。 「……篠宮姉妹は五年前に両親を亡くして以来、二人でずっと暮らしていたらしいわ。大切な片割れを汚された挙句に無惨に殺されて、桜子は覚醒しフェイトを得た。でも、」 「──その力で、復讐しようとしている?」 予見するように朧気な風で告げられたリベリスタの言葉に、イヴはついと双眸を狭めて顔を上げる。ええ、とそれを肯定してから継いだ。 「──フィクサードが殺人を犯すわ。姉を殺した男達を、自らの手で殺すために。復讐を成し遂げたその手で、彼女は自分の胸を穿ちもする。……固い意志のもとに組まれた殺意よ」 言葉は垂直に落ちて、リベリスタ達の間に沈黙を打つ。感じ取った未来の映像には、男の骸を前に自害をする桜子の様子も映し出されていたのだろう。 「決行は今夜遅く、真夜中すぎ。……桜子は人目につくのを避けるために路地裏や建物の隙間を通るから、そのどこかで奇襲を掛ければいい。ただ、暗いし狭いから、何らかの対応は必要かもね」 モニタに、得た情報から推察した桜子のルートが表示される。廃ビルの多い、夜中となれば人影も殆ど無い場所のようだ。一番広い場所でも横に三人やっと並べる程度、という路地裏ばかりが候補に上がっている。 必要な情報を所狭しと並べるモニタから視線を外し、イヴはリベリスタ達に抑揚なく声を掛けた。 「貴方達が守るのは、小狡い軽犯罪や暴行を繰り返し、世間一般では屑と呼ばれる男達。そうして貴方達は、清廉に生きてきた片割れのために復讐を誓う桜子を始末しなくてはならない。……けれど、それがリベリスタの義務だから」 よろしくね、といつも通りの静かな語調で、イヴはそう締め括った。 ──外には雨が、降り続いている。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:硝子屋 | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2011年08月01日(月)23:16 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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●雨降る夜に 降り続く雨は止む気配なく、しとしとと夜の気配を水に濡らし続けている。 傘も差さず、喪服の女は雨の中を歩いていた。芝居がかった、どこか古い外国の映画に出てきそうな出で立ちの彼女の表情は、黒いレースのヴェールが遮って窺い知ることは出来ない。 人目を避けるようにして、彼女は細い路地裏ばかりを選んで歩く。大事な人のための葬列は、粛々と行わなければならない──黒い衣服は泥を跳ねぬ様に、薄化粧の顔を雨に晒さぬ様に。一番奇麗な私のままで貴女の無念を晴らし、貴女の許へ逝ける様に。 けれど彼女は──篠宮桜子はまだ気付かない。自らの存在を既に感知され、補足されている事に。 桜子が予め検討し、選んでおいた路地には既にリベリスタ達が待ち構えていた。熱感知や集音装置で隙間なく捕らえられた彼女の存在は、灯りを落とした中であってもリベリスタ達には筒抜けだ。 「……貴女の凶行を止めに来ました」 唐突に響いた源 カイ(BNE000446)の言葉に、迷いなく歩いていた桜子の足がぎくりと止まる。カイの手の中で携帯電話のフリップが閉じられるのを視界の端に見つけると同時、動きを淀ませる桜子へ向けて、眩むような電撃を纏う白髪の少女が間合いを詰めた。 「許して頂戴ね、」 「──ッ!」 不意打ちという手段を取った事に詫びるような言葉を添えて、『優しい屍食鬼』マリアム・アリー・ウルジュワーン(BNE000735)が電撃零れ落ちる武器を振り下ろす。その奇襲に、桜子は何とか身を躱して後方へとステップを踏んだ。 息を乱した桜子が、それでも抑揚のない声色で問い掛ける。 「……大事な用事があるんです。通して頂けますか」 「通すことは出来ないわ」 硝子玉のような青い瞳で見据えた『トリレーテイア』彩歌・D・ヴェイル(BNE000877)が、回避した桜子に追い打ちを掛けるように不可視の糸を放つ。集中を高めた状態で狙い打たれる弾丸のような軌道は、桜子の左膝を掠った。 ──昏い雨の夜に、迷走するフィクサードを導くようにして幾つもの灯りが点る。描き出されるリベリスタ達の影の数に、桜子の双眸が苦い形で眇められた。灯りが導く先に、桜子の望む結末はきっと無い。 「貴方の願いを叶えるわけには行きませんの」 こつりと桜子の背後で靴音が鳴る。緊張の糸を緩めぬままに肩越しにそちらを振り返る桜子に、『鋼鉄の吸血姫』リリー・フォン・ハルトマン(BNE002711)はそっと、そう囁いた。 「我欲の為に力を振るうフィクサード、その撃破といえばそれまでに御座るが……」 桜子の退路を塞ぐようにして、影は四つ──その内の一人、黒い忍装束に身を包んだ『ニューエイジニンジャ』黒部 幸成(BNE002032)は、その身に意志持つ影を従わせながら呟いた。 「……通して頂けないんですね。残念です」 目元を隠すヴェールの下で、桜子の双眸が一度、祈るように伏せられた。瞼が押し上げられると同時、彼女の両手には、隠し持っていた包丁と果物ナイフがそれぞれ一振りずつ握られる。 「──どうしてかは知りませんが、私の目的をご存知の様子。邪魔をするなら、……突破するまでのこと」 諦める訳にはいかないんです、と、固い意志のもとに桜子は囁いた。 ●雨は止まない 「罵りは幾らでもどうぞ。でも、どうしてもしなくちゃいけないことなんです、」 だから行かせて、と──継ぐ科白は冥く響く。黒いパンプスの爪先が器用に地面を蹴り、桜子がカイへと肉薄する。両側から挟み込むようにして薙がれた二発の攻撃は、同調して重なりカイの体を穿った。 前方への攻撃に全力を注ぎ、結果がら空きになった桜子の背中へと後方から光が飛ぶ。身を焼く力に呻きが漏れた。 「人の枠を超えた人間が、その力で裁きを下そうなど、おこがましいわ」 光を放った『プラグマティック』本条 沙由理(BNE000078)は、粛々とした様子で声を張り上げる。人の世のことは、人の世の理で裁かれなければならない──それがどんなに不条理であっても。 大きく傾ぐ桜子の身体に、今度は前方から糸が飛ぶ。気で縒られるその糸は、明確な意志を孕んで桜子の右足首の肉を削いだ。身を襲う痛みに、包丁を握り締める手が真白になる。 「どうしても復讐すると言うのなら、まずは俺達を殺すのだな」 尤も、それが出来るのなら君も奴らと大差なくなってしまうのだが──と、そう言い添えて『#21:The World』八雲 蒼夜(BNE002384)は気糸を放った手を下げぬまま、その黒い瞳を少しだけ細める。 「殺すのも死ぬのも勝手ですが、復讐の果てに自害したとしても同じ所へは行けませんよ」 今度は彼女の、『Pohorony』ロマネ・エレギナ(BNE002717)の元から気糸が放たれた。言葉と共にその鋭い力はまっすぐに桜子を目掛けたものの、当たる寸前で躱される。 「……そうですね。貴方がたの仰ることは至極もっともです」 呼吸を整え、後方へと彼飛びすさりながら桜子は少しだけ笑った。両手に番える武器に力を込め、神経を張り巡らせながら桜子は続けた。 「でも、それでも──大切な人を襤褸雑巾のように扱って、命を奪ったあいつらを、私は何もせずに見過ごせない」 幾度か攻撃を受けた身であれど、労る事も顧みる事もなく、大きく動いて桜子は地を蹴った。水飛沫が派手に上がり、その黒い喪服の裾が翻る。 「逃げる気です! お気をつけ下さい!」 その挙動を見逃さず、リリーが警告を渡らせるべく声を張り上げた。前と後ろを塞がれた狭い路地、退路を遮断するリベリスタ達の間を強引に押し通ろうという魂胆らしい。 けれど油断無くお互いの行動を補完しながら動いていたリベリスタ達の間に割って入るのは困難なようで、桜子の顔が悔しげに歪む。取り繕っていた外面が剥がれて、愛しい姉の為に復讐を望むフィクサードの面が顕現する。 狼狽により生まれた彼女の隙を見落とす事なく、質量を持った影が素早く動いて行く手を遮る──黒い装束を纏う幸成だった。 「逃がす訳にはいかないので御座る」 やるせない、と──そう思えど、自らの勤めとは桜子の行いを止める事だ。この忍装束を身に纏っている時は、幸成は己の手を汚すことも厭わぬ存在たりえるのだから。 「後で必ず戻ってくる、と言っても? 貴方がたが望むなら、私に首輪とリードをつけたって良いわ」 幸成の言葉に、桜子は条件を提示する。自分を行かせまいとする彼らの目的を、そういう形で満たせはしないのかと問い掛けるようにして。 桜子の質問に、答えが返る事はない。返事の代わりに幸成の見えぬ力の糸で縛り上げられて、身を焼く痺れに桜子は悲鳴を上げた。 「どうして──どうして邪魔するの!」 金切り声で非難が飛ぶ。先程まで、彼らの言葉を当然のように受け止めていた姿は融けて崩れた。 「人を殺める事は、その理由がどうであれ真っ当な行為ではありません。復讐を、諦めませんか」 青い瞳を痛ましげに歪め、カイは復讐の念を断ち切るように言葉を結ぶ。 桜子の攻撃により負ったカイの傷を、世界から借り受けた癒しの力が埋めてゆく。反面した黒いオーラが雨中へ滲み出て、桜子の頭部へ絡み付くように這い伸びた。 その攻撃を厭うようにして身を熟し、自らへと語り掛けるように紡がれた言葉に振り返り、桜子は唇を噛む。 「絶対に嫌よ!」 ヴェール越しでもわかるほどに、その瞳が憎悪に濡れて力を持つ。 黒いパンプスは雨に濡れた地面を再び蹴った。脆いコンクリートの壁面を器用に足場替わりにして、桜子が自らの行く手を阻む前方の、その更に後ろへと狙いを定めた。 そうして金切り声で、或いは泣き叫ぶような声色と共に、桜子の二つの凶刃が彩歌へと放たれる。 「──通してってばぁ!」 「……っ、案外、聞き分けがないのね」 彩歌を食らった力は容赦無く、彼女の体力をごっそり奪ってゆく。自分の望みを叶えさせろと駄駄を捏ねる、彩歌からしてみれば随分歳若い小娘にそう呟いて、痛みにその身を強ばらせながらも彩歌は武器を構えた。 尋常でないバランスと、極限まで高められた集中により、放たれた気糸は桜子の左膝を今度こそ真芯で捉え貫いてゆく。 「君を邪魔するのは、君の行おうとしていることが俺達にとっての悪だからだ。君が、君の姉を害した男達の行為を悪だと思ったように」 正義や善悪の概念など、人や場所によって変わる曖昧なものだ。けれど、そう言った蒼夜には蒼夜の信ずるものがあり──そして、死なせたくはなかった。雨に濡れても尚、彼の怜悧さは失われない。 蒼夜もまた、他の多くの仲間達と同様に、その集中を出来うる限りまで高めていた。補佐を受けた身で飛ばす気糸は、もう既に機動力など失い掛けている桜子には容易く命中する。 右の脹脛を撃ち抜かれ、身を支配し始めた怒りに朦朧としながら──桜子が囁く。 「どうして……それじゃあどうして、私を殺さないの」 致命傷になる傷は負わされていない。足ばかりを狙われて、もう逃げるどころかまともに戦うような動きすら出来ない。 「あなたには、更生のチャンスがあると思っているからよ」 ばら、と沙由理のグリモワールが紐解かれる。生まれ出た聖なる光は、桜子の背後からその背に縋って痛みと焦がれを撒き散らす。 恨みと驚きと、それから不思議そうな色を交えた双眸で肩越しに振り返る桜子に向け、沙由理はもう一度唇を開いた。 「復讐はあなたの姉のためじゃない。あなたがあなたの為にしていることよ」 「──……そうよ。私が私の為にしていることだわ。……だって、だって……!」 声が震える。それでも武器を捨てることが出来ずに、桜子は血が滲むのも構わず唇を噛み締めた。与えられた衝撃が神経を乱し、視界がぐらつく。 ──そうだ。この人達の言う通りだ。姉の弔いだと言って、けれど結局は自己満足だ。 リベリスタ達によって促され気付いた自らの内に潜む矛盾に、桜子はヴェールごと髪を振り乱してかぶりを振る。何かを否定するように──或いは真実を持ち込んだ、リベリスタ達を嫌がるようにして。 「桜子様がそれを弔いと仰られるならば、それは貴女の為のもの。弔いとは生者の為のものでしかございませんよ?」 喪服を纏う桜子の前に、同じく黒い喪服を纏い、ヴェールとアイガードで表情を隠した小柄な少女が進み出る。桜子が否定したその言葉を、もう一度突きつけるようにして少女は──ロマネはそう言った。 その科白がどんな意志のもとに結ばれたのか、雨とヴェールとアイガード、三重に隠された向こうでは彼女のそれを垣間見ることは叶わない。弔う、という行為に対して抱かれる彼女の思い入れは、桜子の気丈な心を打ち砕くには充分すぎた。 ──けれど、それでも、桜子は復讐を諦めない。揺らされた心はあと少しで折れるのに、それだけをどうしても手放せない。 「……嫌よ、嫌。私の大切な人を穢して殺した咎は、絶対に贖って貰う……!」 構えた包丁と果物ナイフを構えて、身を巡る怒りのままに、それに導かれるようにして桜子は跳躍する。蒼夜を狙って力が向けられたものの、乱された神経ではその切っ先を定め切る事が出来ず、不発に終わった。 絹糸のような雨の中に、同じく絹糸のような髪を散らしてマリアムが距離を詰める。深紫の瞳が雨に煙る夜の内で輝いて、その唇が声を結ぶ。 「何を言っても通じない──それだけお姉さんの事を大切に想っていた、……そういう事よね」 たった二人きりの家族を奪われ、復讐を誓うのも当然だとマリアムは思う。その気持ちはわからない事ではない。 けれど、マリアムは許せなかった。『万華鏡』が見せた未来に存在していた、桜子の自殺──安易な道など選ばせてあげないわ、と深紫を細めて彼女は心中で続きを織る。 全身を覆う闘気は彼女の力量を引き上げ、武器に乗せて桜子へと解き放たれる。電撃を帯びた一撃は、桜子の身体を噛み砕いて霧散した。 「──愛しい人が殺されて、平静でいられる筈がありませんものね。でも、貴方に復讐を遂げさせる事は出来ませんわ」 きっと自分だって、最愛の兄が殺されたなら──許すことなど出来はしないのだろうから。 リリーの黒いゴシックドレスがふわりと風に舞う。裾を少しだけ膨らませて、夜風は雨の中に消えていった。 彼女の甘く幼い指先が、その容貌に似合わぬライフルを構えて引き金を捕える。気糸はまっすぐに桜子の元へと向けられて、右膝を深く抉った。 「あ、あ、あ──……」 身体を支え切れなくなった桜子が、唇を震わせて膝を折った。黒い喪服に泥水が跳ねて、痺れた両腕から武器が零される。 既に彼女が戦う力を失してしまっているのは、その場にいた誰の目にも瞭然だった。 ●雨降る夜の、雨降らぬ終わり 「……お願いよ。行かせて頂戴」 武器を失い、後ろ手に縛り上げられた桜子は涸れた声音でそっと囁く。桜子を戒める気糸は決して彼女を殺さず、けれど許しもしない。 「世界に愛された証拠たるその力は一般人に、ましてや私怨の為に振るって良い力では御座らん」 桜子を、自害も逃げも出来ぬようにと捕縛する幸成は語調を強くしながら説いた。泣き出しそうに顔を歪めて、桜子が吐き捨てる。 「それじゃあどうして、神様は私にこんな力をくれたの?」 「──遺された妹が一人でも強く生きていけるようにと、亡き姉が授けたもののようにも思えるで御座るね」 紡がれ向けられた幸成の言葉に、桜子の双眸が瞠る。声無く、息を飲むようにして呆然とそうしている彼女へと、カイが青い瞳と共に視線を向けた。 「お姉さんは、この不幸を乗り越えて強く生きてほしいと願ってたはず──願ってるはずなのです……」 桜子は何も言わない。昏く沈んだ表情で、彼らの話に薄く笑っている。先程まで確かにその身を突き動かしていた強い衝動は、もうすっかり抜け落ちてしまったようだった。 ──硝子玉の双眸が、桜子へと向けられる。彩歌は静かな口調で呟いた。 「彼らも、自分も、生きていてもしょうがない、って思っているでしょう」 彩歌の科白に、桜子は虚ろに頷いてみせる。 「……あたり。でもね、同じ場所に行こうとなんて思っていないわ」 戦闘中のロマネの声を思い出しながら、訥々と零す。 「たった二人の家族だった。大切な片割れだった。……全部失って、一人だけで生きていくなんて怖かったの。でも貴方達は、それでも生きろと私に言うのね。──死なせてくれないのね」 ひどいひとたち、と、嗄れた喉が泣き出しそうな声で言う。 否、泣いていたのかもしれない。けれどその滴が落ちたとて、地面には雨水が張っているので知り様がなかった。 ──深夜、廃ビルの一角に下卑た笑い声が響いている。 どこから引っ張ってきたのか裸電球が頼りなく照らし出すその場所には、いかにもと言った風体の若い男が数人、哄笑しながら屯っていた。 あそこのスーパーは警備がバカだからちょろまかしやすいだの、向こうの女子高は頭の緩い奴ばかりだからナンパがしやすいだの、この間ヤり殺した女ともう一度遊んでみたいだの──非道徳的な会話が大声で飛び交う中に二つ、不釣合いな影が忍びこむ。 「こんばんは、お兄さん達。私とちょっとイイコトしない?」 「あ?」 可愛らしい笑みを浮かべて微笑むマリアムとリリーに、男達は怪訝な視線を向ける。彼らは知らない──知る術もない。彼女達が超常的な力を持つリベリスタであり、マリアムの方を見た瞬間、彼女に魔眼で見つめ返されていた事など。 「──警察で、自分達のしてきた事を全て話しなさい」 その催眠は、リベリスタではない彼らに対して絶大な効果を発揮するだろう。 やがてリリーによって呼ばれた警官たちが到着し、彼らは全員逮捕と相成る。過日の婦女暴行事件の重要参考人として探されていた男達の名前が、犯人としてワイドショーを賑わせる一因になるのもそう遠い日の事ではない筈だ。 抵抗も虚しく連れられていく男達に向けて、離れた場所でその様子を見届けていたリリーがその口端に微笑を宿す。禍々しい邪悪なかたちで吊り上げられた唇は艶然と、彼らの最期を哂っていた。 ──雨は漸く止んだらしい。 全てを終えて出てきたリベリスタ達の頭上には、先程まで泣いていたとは思えぬほどの満天の星を抱えた夜空が広がっていた。 「辛く悲しくとも、人は生きるべきだ」 蒼夜の落とした言葉は、朝を待つ初夏の夜に弾けて、融ける。 雨中の葬列は彼らによって断ち切られ──たった一人だった葬列の彼女は、辛く悲しくとも生きていくのだ。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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