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<黄泉ヶ辻>Love, while you are able to love.


 多分、名前を呼んで欲しかったのだと思う。
 黄泉ヶ辻の妹でも無く、黄泉ヶ辻の妹でも無く、ただ糾未、と。この名前を、この姿を一人の人間として見て欲しかっただけなのだと、今なら。
 信じていた。
 強くなれば自分を見て貰えるのだと。
 おかしくなれば誰にも嘲笑われないのだと。
 兄のようになれれば、誰かに自分を愛して貰えるのだと。
 黄泉ヶ辻糾未と言う人間が確かにそこに居ると、誰かに覚えて貰えるのだと。
 けれど。そんなの幻想だったのだと気づいた時には遅かった。
 何をどう足掻こうと自分は自分の儘なのだ。しなければいけないのはもっと他の事だった。
 愚かだったのだろう。嘲笑われても仕方が無い程に。形ばかりを真似た結末はまさしくそれに相応しかったのだ。

「ねぇ? 人間って中身が変わったらもう別人なのに。貴女って人間が好きな人もいたかもしれないのに本当に馬鹿な子!」
 くすくす、と笑う声が響き渡る。黒い髪、赤い瞳。何もかもが同じ姿でけれど中身は完全に狂気のお姫様に成り変わられた黄泉ヶ辻糾未――否、『憧憬瑕疵』は可笑しくて仕方ないと言いたげにわらった。
 そう。気付けなかったのだ。彼女自身について来た人間が確かに存在したことに。恋とも友情とも呼べぬ程に近しく憎く愛おしい少女が常に傍に居た事に。
 嗚呼。この話は一番大切なものを失って最も大切なことに気付くだなんてそんな馬鹿げてありふれたそれなのだ。使い古された悲劇の果てはやはり何処にも救いなんてものは存在してくれないのかもしれなかった。
「皆馬鹿ねえ。既に失われたものを乞うて、名前を付けて、悲しんで。そんな事に一体何の意味があるのかしら。嗚呼やっぱりこの前のは『親切』よね。無意味な感傷なんて無くなったら人間きっともっと楽しいわ!」
 セイギノミカタなんて辛い職業をやるなら尚の事。きっとここに来るであろう方舟を哂うように、歌姫は口元に手を当てる。
 ひらひら、と黒い蝶々が安っぽい城のシャンデリアに止まる。

 愛せる内に、一番大切な存在に気付いて愛せばよかったのだ。
 どの瞬間にも、永遠なんて幻想は存在してくれやしなかったのだから。
 舞台から降りられなくなった黄泉ヶ辻のお人形に残ったのは、ジャンクになる未来だけだった。


 其処にあったのは日常と言う名前の狂気であったのだろう。
 主流七派『黄泉ヶ辻』。薄気味悪いと同業者でさえ眉を潜めるその集団に生まれてしまった『普通』の女、『黄泉ヶ辻・糾未』は常に劣等感に苛まれていたのだ。
 兄に憧れ、兄を愛し、けれど己の平凡さを嘲笑うのも、己だけのアイデンティティを確立する事を常に妨げるのも兄であり。紙一重の愛憎を抱えた女が坂道を転がり落ちる様に足を踏み外していったのは必然とも言うべき運命であったのかもしれなかった。
 捕らえた一般人を殺さぬ程度にいたぶる“遊び”に興じ、儀式により生み出した大量のノーフェイスを、“アークのお手伝い”と称して殺し。そんな狂気を真似るお飯事を兄にも正義の味方にも嘲笑われた女は、決して掴んではいけないものに手を伸ばしたのだ。
 ペリーシュ・シリーズ。持主に破滅を齎すその一つ、『憧憬瑕疵<こえなしローレライ>』。恐るべきアザーバイド『禍ツ妃』を宿すそれを目覚めさせた女はやっと兄と同じになったと笑って。けれどそれが過ぎた力であるのだと恐らくは本人が誰よりも思い知っていたのだろう。
 狂気等、欲しいと言って手に入るものでは無かったのだ。
 兄のようになりたい等、『普通』の少女には不釣り合いな願いであったのだ。
 否。そもそも女自身が誰より己の望みの本質を勘違いしていたのだろう。
 欲しかったものは狂気では無くて。兄と同じ自分では無くて。ただ『黄泉ヶ辻・糾未』を見てくれる誰かの存在であったのに。
 それが既に手元に在る事に気付く前に、女は方舟の活躍によって力を削がれた声無き歌姫に喰らわれた。

 女の姿で行方を消した『憧憬瑕疵』はまるでリベリスタの反応を楽しむようにまた唐突に姿を現した。
 酷く楽しげなその『悪意』に蝕まれた女の身体はそう長くない、と状況を確認した『塔の魔女』は告げる。しかし、その命がもしも。歌姫を抱えたまま尽きたのだとしたら。
 その先に待つのは暴走。ちっぽけで哀れな女と言う器を失った歌姫は獰猛に全てを喰らおうと牙を剥くだろう。それを防ぐ方法はたった一つ。
 ――『憧憬瑕疵』の破壊。
 最期の最期まで己の意志で死ぬ事も出来なくなった女を、そしてその身に巣食う声無き狂気を間違いなく破壊する事。
 それが、リベリスタに与えられる仕事であるのだとフォーチュナは告げる。
 無論、『憧憬瑕疵』は遠からず終わる命に気付いている。そして、その上でアークを待ち受け嘲笑おうとしているのだ。愚かで無様な人間の末路を見せて、何もかもを喰らう事で。



■シナリオの詳細■
■ストーリーテラー:麻子  
■難易度:HARD ■ ノーマルシナリオ EXタイプ
■参加人数制限: 10人 ■サポーター参加人数制限: 0人 ■シナリオ終了日時
 2013年11月25日(月)00:08
泣いても笑ってもお終いです。
お世話になっております、麻子です。
以下詳細。

●成功条件
黄泉ヶ辻糾未生存中の『憧憬瑕疵』の破壊

●場所
廃墟となった遊園地の中央、安っぽい城のアトラクション内。
扉を抜けた先は広場になっており、赤い絨毯と奥に埃をかぶった玉座が残されています。

●黄泉ヶ辻・糾未
黄泉ヶ辻首領、黄泉ヶ辻・京介の妹。ヴァンパイア×ホーリーメイガス。
現状はその意識を『憧憬瑕疵』に支配されています。アーティファクトの過負荷に耐え切れずその身体は既に限界です。
今回の依頼の結果如何を問わず、彼女は依頼終了後死に至ると予見されています。
聖神の息吹、灰は灰に塵は塵に、マギウス・ペンタグラムに加え
EX:花葬ラメント(全/BS死毒、魅了、不殺)
を所持しています。

直近登場シナリオは『<黄泉ヶ辻糾未>So long, good night』。

●黄泉ヶ辻フィクサード×4
プロアデプト、クロスイージス2、ナイトクリーク。Rank2まで使用。

●アーティファクト『カオマニー』
宝石型のアーティファクト。黄泉ヶ辻が所有するアーティファクト『ヘテロクロミア』劣化版。その効力を発動させることで一般人をノーフェイス化させる事が可。
又、ヘブンズドールとハッピードールはカオマニー(ヘテロクロミア)に対応する術式を脳に刻み込まれている為に使役する事が可。
ただし『ヘテロクロミア』というアーティファクトが破壊された事から、相互関係に在る『カオマニー』自体の効力が弱まりつつある事が観測されています。

●ノーフェイス『ハッピードール』×6
フェーズ2。脳に魔導式を書き込まれ、能力を高められたノーフェイス。完全に狂気に陥っている。
・ブレインキラー:近単、物防無、虚弱
・ブレインバインド:遠単、ショック、麻痺
・ブレインショック改:遠2複、混乱


●アーティファクト『憧憬瑕疵<こえなしローレライ>』
ペリーシュ・シリーズのひとつ。意思と知性持つ、義眼型アーティファクト。
所有者に下記の能力を与え、元々の能力を大幅に引き上げます。
現在の糾未の身体の所有者であり、持主が死ねばその後に待ち受けるのは暴走です。アザーバイド『禍ツ妃』を呼び寄せます。
存在や概念、意思を喰らい、緩やかに世界を壊すものです。
E能力者に対してはその効果を半減させ、『喰われた』感覚を植え付けるに留まるようです。

このアーティファクトの所持者は下記スキルを得ます。
アンイデアリスム(全/BS崩壊、呪い/精神を喰らう感覚を与える視線です)

●アザーバイド『禍ツ妃』
戦場を無数に飛び交う、漆黒の蝶々の姿をしたアザーバイド。全て合わせて1体です。『憧憬瑕疵<こえなしローレライ>』そのものでもあります。
現在は糾未を宿主としています。上記アーティファクトの性質上、このアザーバイドもまた喰らう者です。
禍ツ妃の存在する戦場では『結界、強結界、及び陣地作成の様な構築するタイプのスキルは全て喰われます』がその力は弱まりつつあるようです。

●Danger!
当シナリオにはフェイト残量に拠らぬ死亡判定が発生する可能性があります。
予めご了承の上でご参加下さい。

以上です。
ご縁ありましたら、どうぞ宜しくお願いします。
参加NPC
 


■メイン参加者 10人■
インヤンマスター
朱鷺島・雷音(BNE000003)
ソードミラージュ
坂本 ミカサ(BNE000314)
ナイトクリーク
斬風 糾華(BNE000390)
デュランダル
新城・拓真(BNE000644)
スターサジタリー
リリ・シュヴァイヤー(BNE000742)
デュランダル
ランディ・益母(BNE001403)
クリミナルスタア
坂本 瀬恋(BNE002749)
ホーリーメイガス
エルヴィン・ガーネット(BNE002792)
クリミナルスタア
晦 烏(BNE002858)
プロアデプト
離宮院 三郎太(BNE003381)


 何度も何度も飲み込んだのだ。
 所詮共に居てくれるのは兄の妹と言う関係故であり。其処に友情など無くましてや愛など無くきっと容易く途切れる関係であるのだろうから。
 兄に救われた事もお友達と言う名前の部下を得た事もきっとただの気まぐれで偶然で先なんて無くてどうせみんな離れていくもので。
 嗚呼けれど本当は其処にこそ欲しかったものは存在していたのだ。
 飲み込んだ言葉を一度でも素直に吐き出して居れば結果は違ったのかもしれないけれど。
 それを悔み嘆いてももう時間は戻りはしない。気付いたのが遅かったのだ。
 だからこそ。足はもう止められなかった。進んで進んでその先に待つものが暗闇だけであろうとも怖がる顔など見せられやしなかった。
 飲み込んだ言葉の代わりはこの短き生涯でたった一度だけの嘘だった。

 ――さようなら。


 本当に。
 本当に、どうしようもないお嬢さんだ。迷子になった幼い子供のようでけれどその頑なさは大人になった女のそれで。一人で迷って一人で耳を塞いで迷って迷って、結局。誰一人として望まない結末に手を伸ばしてしまったのだ。
 物語の頁は戻らない。結末に至る事実は変わらない。嗚呼けれど『ディフェンシブハーフ』エルヴィン・ガーネット(BNE002792)は思うのだ。
「彼女の為にも。……終わらせようぜ」
 此処で終わると言うその結末が、恐らくは黄泉ヶ辻糾未にとって最も幸福なそれであるのだ、と。握り締めた黒杖を、相対した敵へと突きつける。彼の戦いは誰かを救う事だ。仲間を癒す事だ。そうしてその先に。
 慈悲と言う名の終わりを導く事もまた、恐らくは癒し手である彼の仕事であるのだろう。そんな彼の背を、そうしてその先。玉座から立ち上がってみせた糾未――否、憧憬瑕疵を見据えて。『百の獣』朱鷺島・雷音(BNE000003)は物言わずそっとその魔本を掲げる。
 紙と紙の擦れる音。唱えることばと共に温度を下げた空気。その声音が呼ぶのだ。絶対零度の魔の雨を。糾未以外に等しく降り注いだそれが音を立てて凍り付くのを見詰めて、唇がほんの少しだけ、震える。
「――怖いな」
 囁く程の声だった。何時だって真っ直ぐに前を見据える翡翠には見えるのだ。艶やかな、けれどあまりに何かが欠落した化け物の姿が。そして、その奥に仄かに揺らめく誰かの意志が。嗚呼。きっとずっと怖かったのだろう。
 食われていく感覚。敵へと行使されたそれは間違いなく彼女自身にも向いていたに違いなかった。膝を抱えて消えかけの女を雷音は呼ぶ。この気持ちを何と呼ぶべきか分からなかった。行いを赦せるはずがなく、けれど女が死ぬと聞いた時、思ったのだ。
 道具としてではなく、人としての、黄泉ヶ辻糾未としての最期を与えたい、と。だから。此方を見て哂う化け物の瞳がどれほど恐ろしかろうと。雷音は瞳を逸らさないのだ。
 赤黒い刃を瘴気が伝い落ちる。振り上げられたそれの風切り音はまるで呻き声のようだった。空気が渦巻く。風が鳴く。其の儘、一閃。叩き下ろされたその刃に触れる事等出来やしない。巻き起こる暴風の刃が、皮膚を裂きその足を縫い止めるのだから。
 厄介な騎士の一人の足を止めた『墓掘』ランディ・益母(BNE001403)は猛る激情の奥に僅かに、ほんの僅かに異なる色を揺らめかせる。きっと馬鹿な女と嘲笑うものもいるのだろう。嗚呼けれど。ランディはそんな言葉を女に向けようとは思わなかった。
「お前は一途な奴だったと思っておくさ、……そうでなきゃ酷い話だろう?」
 聞こえるのか聞こえないのか。分かりもしない女への呟き。嗚呼、泣いてばかりの顔等見たくはなかったのだ。笑った方がずっと良かった。人を殺せない。黄泉ヶ辻にあまりに不似合いな本質だと突きつけた時、泣きながら叫んだ顔を覚えている。そんな顔を最期には、したくなかった。
 目前で哂う顔は同じ顔だ。けれど、違うのだ。一途過ぎた女はこんな風には笑わない。不似合いな感傷に僅かに肩を竦めた。そんな彼の背後。ぐ、と握った拳は未だ少年のそれだった。大きく深呼吸。満ちる空気は少しだけ埃っぽく、けれど冷たく。頭を冷やしてくれるようだった。
 落ち着くのだ。誰よりも冷静に。客観的に。状況を見る事が出来るのが自分の強みだ、と離宮院 三郎太(BNE003381)は一つ頷く。玉座で哂う女を知っている訳ではないけれど、だからこそ出来る事がある。
 責務を果たすのだ。呼吸と共に研ぎ澄まされていく思考。常人の遥か上をいく思考速度を己に齎して。時間稼ぎに付き合う暇などないのだから、ぶつけるのは常に最善手。出来る限り効率的に敵を無力化する為の前準備を。もう一度だけ、深く息を吸った。
「ボクはボクの出来る事をやり尽します、だって……これは、今から終わる物語じゃない」
 新たに始まる、やっと始まる事が出来る一人の女性の物語であるのだ。黄泉ヶ辻糾未、と言う一人の人間の。真っ直ぐに、優しい瞳が前を見据える。始まる為の舞台を作るのだ。その為なら、この手を惜しむ筈もない。
 そんな声に、表情を動かす事も無く、否、僅かに目を細めて。すう、と伸びた真白い指先に止まる蝶々は、周囲を舞うそれよりも大きく美しかった。ふわり、と風もないのに髪が、蝶々の翅が、舞い揺れる。続いて聞こえる、小さな笑い声。
 魔力が生み出す運命のルーレット。不条理で無慈悲でけれど引き当てればどんなそれより強力な力を己に呼び込んだ『告死の蝶』斬風 糾華(BNE000390)は相対する人形では無く、その奥の女を見据える。
 敵だ。敵同士だ。死んで困る存在では無く、救うべき相手でも無く、助ける義理も何もない。無いのだけれど。癪に障ったのだ。こんな顛末で、それに甘んじてこの女が死んでいく事が。舞い上がった揚羽と共に、黒衣の少女が一歩前へと踏み出す。
「生憎だけれど貴女に然程興味はないのよ、憧憬瑕疵。私は甘ったれを殴りに来たの」
「嫌だわ、もうその『甘ったれ』はいないのよ――嗚呼違うわね、ごめんなさいね、私をちゃーんと護ってくれたら返してあげる」
 笑い声。女と同じ顔でけれどあまりに悪意に満ちた笑みを浮かべる歌姫は、何時かの女を思わせる声で部下を呼ぶ。宜しくね、と強請る声に部下の手に力が籠るのが見えた。そうやって、人ならぬものに顎で使われるだなんて。一体どんな気分なのだろうと糾華は思う。
「ソレは糾未では無いのによく付き合えるわね、貴方達」
 それを護ろうと彼らの主人は戻りやしないのに。その事実から目を背ける様に、がむしゃらにリベリスタに叩き付けられる刃は酷く軽く感じられた。


 殴り倒してやりたいくらいに、苛ついたのだ。自分ばかり絶望の淵に居る様な顔で独りぼっちだって顔を覆って泣いて泣いてその癖自分じゃ何にもしやしない。そんな女が気に食わなくて気に食わなくて仕方が無かった。
「まぁたお前は膝抱えて泣いてんだろ、情けねぇ」
 吐き出す声はけれど何処か自分にも跳ね返るようだった。同属嫌悪、とでも呼べばいいのか。『ザミエルの弾丸』坂本 瀬恋(BNE002749)には覚えがあるのだ。そうやって、べそばっかりかいて何も出来ない情けない姿に。
 家族を殺されて何をするでもなく泣くばかりの情けない自分。頭を過る度に苛々した。泣く前に立ち上がって。拳を固めて。辛かろうと苦しかろうと歯を食いしばって立ち向かえ。口を開けて待っていれば与えられるのは雛鳥くらいなのだから。
 瞳を過る獰猛な爬虫類の殺意。荒れ狂う拳がニタニタと笑う人形の頭を殴り飛ばし腹を蹴り上げ其の儘薙ぎ倒す。骨の折れる鈍い感触が伝わってくるようで。それでも固めた拳は崩さない。
 そんな、瀬恋の傍らで。耳を劈いたのはたった2発の銃声。
「私はリリ・シュヴァイヤー。――神罰の執行者です」
 直後、戦場を駆け抜けたのは無数の蒼。今までの攻撃に重ねる様に放たれた一撃は決して敵を逃しはしない。正確無比に全てを撃ち抜く。制圧せよ。圧倒せよ。祈りに応じた神の裁きを今此処に。
 圧倒的火力で戦場を穿った『蒼き祈りの魔弾』リリ・シュヴァイヤー(BNE000742)はけれど、その凛々しいかんばせに僅かに、感情の揺らぎを覗かせる。
「貴女は、……世界の敵、神の敵」
 呟く。添う。まぎれも無く敵なのだ。死んでも困らない筈だ。けれど何故だろう。こうして身体を奪われる女を見ると、湧き上がる感情は紛れも無く『悔しさ』だった。裁くべき対象に、過ぎないと言うのに。
 彼女が抱くのが葛藤であるのなら、『it』坂本 ミカサ(BNE000314)が抱くのは怒りにも似た何かであるのかもしれなかった。振るわれた腕と共に戦場に滲み出す闇色。敵に纏わりつき蝕むそれは己の身も傷付けるけれど、それを厭わず彼は只糾未を見遣る。視線が交わった。
「……会いに来てくれたの? 助けてくれるの? なーんて、言ったら満足? 無駄な事ね、人間って如何してそう言う願いばっかりかけるの?」
「そうだね、糾未の欠片等残っていないかもしれない。……だけれど信じて傷付くのは俺達の自由だ」
 もう居ないのかもしれない。もう戻らないのかもしれない。無駄な望みだと嘲笑われてもそれでも先を望むのが、諦め切れないからこその人間であるのだ。選ぶ事が出来るからこその、人である筈なのだから。
 ミカサは選んだのだ。信じる事を。彼女を、何よりも『自分』を求め続けたその心を信じている。そんな彼女が、自分を空け渡す筈など無いのだと。それに不服げな顔をした女の視線を引き寄せようとでも言うかのように。
 凄まじい力に身体が熱を帯びる。余りに凄まじい膨張に、何処かで筋が千切れる音がする。けれどそれも厭わず『誠の双剣』新城・拓真(BNE000644)は己が双剣を振り上げる。一刀両断。笑顔に歪んだ人形の腕を軽々跳ね飛ばしたそれを構え直して、拓真は深く、溜息を漏らす。
 ウィルモフ・ペリーシュ。その名はよく知っていた。そして、彼が生み出した作品と言うべき悪意の存在も。それは間違いなく不幸を招くものだった。そしてそうであるならば。拓真にとってのそれは、倒すべき存在以外の何物でもない。
「憧憬瑕疵、貴様の思い通りにさせてやる心算は無い。貴様は今日、此処で終末を迎える――俺達、リベリスタの手によって」
 物理的に黙らせてやる。道を塞ぐ敵も、手を阻む敵も。そして、笑い続ける澱んだ悪意も何もかも。それだけの力を、もう拓真の手は持っているのだから。そんな彼の視線の先で哂いながら悠然と己の周囲に魔力を阻む魔法陣を描いた女へと。真っ直ぐに飛んでくる何か。
 音も立てずに足元に投げ込まれたそれが何であるのか確認する間もなく、炸裂。視界を、耳を、脳を。塞ぎ揺さぶる凄まじい神秘の閃光弾。澄んだ音を立てて壊れていく魔法陣と、その中でふらつく姿を視界に収めて。
「……せめて人として、そしてその人の力を信じたいもんだ」
 『足らずの』晦 烏(BNE002858)咥え煙草がゆらゆらと揺れる。完成品である歌姫はけれどもうその先が存在しないのだ。人は完成していない。女も同じだ。至らず無力で弱くて、けれど先を強く望む気持ちが其処に存在すると言うのなら。その手は届くのかもしれなかった。欲しいものに。望む願いに。取り返すか、と肩を竦めて見せる。
「さてさて、これよりは荒唐無稽な御伽噺の時間だな――悪いが、もう役者は揃ってるんでね」
 早々にご退場願おう。此処の主役はこの歌姫ではない。今は存在しない女と、リベリスタであるのだから。


 兄に憧れる気持ちは知っていた。けれど、頑なに自分を見て貰えないと耳を塞ぐ気持ちは、雷音には分からない。自分は自分で、兄は兄だった。雷音自身を見てくれる瞳はたしかにそんざいした。其処が、彼女との違いであったのだろうか。
 否。其処も本当は同じであったのだ。確かに女を見る瞳はあった筈だった。気付かなかったのだ。彼女が。気付かないふりだったのかもしれない。その答えを持っているのは彼女だけだけれど、教える事は出来る。
「――黄泉ヶ辻糾未! 君は本当に人の話を聞かないな。君を救う手は、声は、そこにあったんだ」
 返事はない。ただ嘲笑うように聞こえてくる笑い声。あるのだ。あったのだ。例えばこうやって彼女が戻る事を信じる部下だとか、他の場所で糾未への刃を阻む何人もの存在とか。そして、恐らくは唯一無二であろう、細く小さな手だとか。
 もしかしたらリベリスタだってその存在であったのかもしれなかった。糾未自身を敵と見なし、その名前を呼んでくれる人間は幾らでも居たのだ。居るのだ。声無し人魚。話せない彼女は結局何も言えない儘に死ぬけれど。その結末は帰られたはずだと思わずにはいられない。
 だって。
「可愛い可愛いお嬢さん、残念だけど、糾未を救ってあげたのは私なのよ? もう悲しむ事も無いんだし良いじゃない!」
「君には話しかけていない! ――糾未、君に話しかけているんだ、人形なんかじゃない君に」
 手を伸ばす。そう。手は伸ばせたのだ。声が無くても、言葉が無くても。諦めないで、手を伸ばして。先を望む事はきっと出来たのだ。ゆらゆらと、歌姫の奥に見える黒髪を呼ぶ。聞こえないだなんて、思わない。
 そんな彼女を鬱陶しげに見た女の指示に従うように。動こうとした騎士を阻む大斧。握る腕に力が籠る。浮き上がる血管と、軋む柄が風を切る。其の儘。切ると言うよりは叩き潰す程の勢いで振り抜かれたそれは堅牢な騎士であろうとも軽いものではなく。一気に吹き飛ばされるそれに刃を突きつけながら、ランディは微かに皮肉を込めた笑みを浮かべた。
「なんでかんだでお前も相当あの女に喰われてるのかもな?」
「あら、糾未は私が美味しく頂いたのに?」
 有り得ない、と笑ってみせる歌姫は気付いていないのだ。その思考に確かに残る女の影に。完全無欠の完成された悪意である筈の存在はけれどその完璧さを疑わないが故に気付けないのだ。女が彼女に縋りつく、その片鱗に。
 皮肉げな笑みは崩さぬままに、肩を竦めて手を広げて見せる。安っぽいけれど綺麗に装飾されたお城の広間。外に広がる回転木馬。観覧車。少し寂れけれど何処までも少女が夢見る綺麗な世界。
「こんな少女趣味な場所、正しくあの女の理想そのものじゃねぇか!」
「何言ってるの、そんなの貴方達が嫌な思いをする、ように……」
 言葉に詰まる。何故この場所を選んだのか。少女趣味で夢見る女の憧れるような場所。其処にした理由を思い出す。手繰って、けれど、思い出せない。不可解だ、と表情を歪める彼女を見遣りながら、三郎太は浅く呼吸を繰り返していた。
 傷が痛い。後衛に居ようと飛んでくる攻撃が彼の身を傷付けて。運命は既に燃え飛んでいた。幾ら前に立つ人間が射線を遮らんとしようと、動き続ける戦場では完全に防ぐ事は不可能。痛みに眩暈がする。2年前。未だこんな痛みも重さも知らなかった頃を思う。誰かの為に、と得た力で失ったものは多く。
 けれどそれでも手を伸ばす事を止められないのは彼の生来の優しさ故なのだろうか。救われないものに流した涙は幾つもある。けれどそれでも、彼は前を見る事を諦めない。手に力を込める。気糸を練り上げるのはこれで何度目だろうか。
 回復を少しでも阻まんと伸びるそれが敵を貫く。削れる精神力に眩暈がした。嗚呼、それでも。
「こんな時だからこそ落ち着きましょうっ!! 活路はきっとありますっ」
 声を張り上げた。希望は失わない。失う筈がないのだ。自分にとっては方舟が、そして今こうして戦う仲間が何よりの希望であるのだから。落ちかけた眼鏡を押し上げる。倒すべきを見誤る事が無いように。折れない瞳が真っ直ぐに、女の右目を見据えた。


 戦場の敵は目に見えて減っていた。人形は既に半数を切り、ランディによって一人になった騎士もすでに疲弊している。火力を集中させ必要数のみを落とす。その作戦は間違いなく功を奏していたが、同時に大きな問題も生み出していたのだ。リベリスタが攻撃に手を裂く様に、歌姫は徹底して回復にその全てを裂いていた。
 隣においたプロアデプトを魔力の支えに常に回復を振るう。烏による行動の疎外で時折その手は止まるものの、常に先手が取れるわけではない。歌姫にとってこの戦いは『耐え凌げばいい』ものだった。どうせ遠からず死ぬ身体を、己が壊される前に死なせればいい。ただそれだけの。故に、戦況は長引く。
 圧倒的攻勢によって僅かに回復に勝るからこそ此処まで削り切ったものの、その攻勢を支え切るには余りに手が足りなかった。魔力が、精神力が摩耗していく。
 頭痛がするようだった。それでも、愛銃を握って。リリは確りと狙いをつける。必ず当てる。必ず壊す。そして、取り戻すのだ。一直線に駆け抜けた弾丸は小さなコインさえ撃ち抜く正確無比さを帯びて。蒼に纏わりつく銀のライン。其の儘、吸い込まれるように紅の瞳に当たる。きん、と高い音。
「――糾未!」
 間髪入れずに叫んだ。疲弊した身体が絞り出す声は掠れて、枯れて。戦場に満たされた紅の月光に身を焼かれて。眩暈がして。膝をついて。それでももう一度名前を呼んだ。聞こえるだろうか。届くだろうか。分からないけれど呼び続けるのだ。名前を。呼んでほしいのだと願っていたそれを。
 運命が燃える音がする。咳き込んで、広がる鉄錆の味。拭って、前を見た。修道女として只管に神に祈る自分はけれど、何処かおかしいのだと知っていた。信心は一歩間違えれば狂信に変わる。そんな危ういラインに立つ自分はきっと、彼女と同じだ。だからこそ悔しいのかもしれなかった。
 こんな終わりは認めたくなかった。嗚呼どうか。最期はあの蒼いひとみの少女が、自分が、此処に居る仲間が。見続けた『糾未』として。自分と同じ存在として、幕を引きたかった。断罪を下すのは、その時が良かった。そんなリリの呼び声に嫌悪を露わにした歌姫を呼んだのは、敵の腹部を深々と抉り爪を引き抜いたミカサだった。
「欲しかったのはこれじゃなかったと糾未は言った。お前はそれを遮ろうとしたね」
 あの日。泣きそうな瞳が此方を見詰めて。忘れないでと囁いたのを覚えている。あの時の彼女の言葉を、この歌姫が聞いていない筈がないのだ。僅かにその目を細めた女の姿はあの日と同じでありながら余りに違った。持主から拒絶された道具。思い上がった悪意。
「そんなものが、信じて期待して裏切られて嘆く心を、葛藤を、人の全てを笑うなよ」
 人間は哀れだと、こんなものはいらないだろうと、嘲笑う道具こそいらない存在。彼女が弱い弱いと哂うその身体の持ち主は、何もかもを失くしてもう後戻りも出来なくなってけれどそれでも、それが間違いだったのだ、と認める事が出来た強い女なのだ。何もかも捨ててまで歩いた道を否定すればよりどころは残らないのに。それでも自分の意志で認める事が出来た彼女のどこが弱いのか。
「糾未は哀れな女じゃない。その証明の為にここへ来た。……本当に哀れなのはお前だよ、瑕疵」
「そんなことしたって、もうあの子はいないんだから無意味でしょ?」
 吐き出された声はけれどそれでも嘲笑うように軽やかで。それを耳にしながら、烏は静かに手に馴染んだ愛銃を構える。集中。集中。何処までも研ぎ澄ませねばならない。最高の一手は常に万全の用意があってこそだ。視界が開けていくような感覚の中で、烏が呟いたのはやはり、女の唯一無二の名だった。
「仇野君がな、あの笑顔の下で泣いていたよ。この身を捨ててまでも彼女が彼女のままで居られるならそれで良かった。だそうだ」
 友達だったのだろう。恐らくは女にとって取り換えの効かぬほどに、いい友達であった筈なのだ。嗚呼けれど如何してか。ボタンを掛け違えてしまったのだ。始まりは分からなかった。もしかすれば初めから、ずれていたのかもしれなかったけれど。
 心からその名を呼んで傍に居てくれるはずの存在は確かに其処に居たのに。紅の瞳が揺れるのが見える。眉が寄ったのが見える。
「……その友の呼びかけに君はもう、応える事はしないのかい?」
 尋ねる。重ねられた声が其処に必ず届くのだと信じる程夢見る子供のような時はもう終えてしまったけど。それでも、奇跡とやらが起こる事を信じてみるのも悪くはない。言葉を紡がぬ歌姫は烏から視線を外した。
 死んでいく仲間を見ながらそれでも戦う黄泉ヶ辻の表情は更に硬くなっていた。狙われた三郎太の意識がついに途切れて地面に崩れ落ちる。しかし致命傷には至らぬそれを与えた刃には何処か迷いがあるようで、エルヴィンは僅かに息を吸う。駄目で元々だ。届けば僥倖。
「お前達は何故ここにいる? 黄泉ヶ辻の為か、憧憬瑕疵の為か……それとも糾未の為か」
「そんな事は決まっている。糾未様の為だ。それ以外に何がある!」
 間髪入れず返る声。ならば何故戦っているのだとエルヴィンは声を張る。リベリスタの仕事は『糾未が喰らい尽くされる前』にこの悪意の歌姫を壊す事だ。彼らの戦う意味が彼女の為であるのならばやるべき事はそうではない。彼女を救いたいと思うのならば。
 敵の攻撃を振り払って。傷付いた仲間に齎す圧倒的癒しの息吹。けれど、彼の意志は其処で止まらない。高められた魔力が仲間へと伝わる。疲弊した仲間の背を押す様に力強いそれは彼の人となりを表す様で。その心は、間違いなく敵にも向けられていた。
「たとえ結末が同じだとしても、やれることはある。フィクサードもリベリスタもない、お前達が彼女に出来る事を考えろ!」
 敵の肩が震えるのが見える。迷うように剣先が揺れるのが見える。彼らの選ぶ決断は、未だ分からなかった。


 長引く戦闘はけれど、確実に足を進めていたのだ。からん、と落ちる壊れたカオマニー。暴れ出す投降したフィクサード以外の敵ももう殆どがその体力を削られ切っている。それでも、女は足掻くように、己の目を庇うようにその手で覆ってみせる。
「傷つけたくないんでしょう、死んだら困るものね、ほら、撃って見なさいよ!」
「――本当に、見下げ果てる程の外道だな」
 低い声。振り向き避ける間も無く強引にその腕を引きはがしその身を以て腕を抑え込みながら、拓真は滾る激情をぶつける様に深く、息を吐き出す。その厄介さを知っている。恐らくはそうそう壊れやしない。故に、どんな手でも使おう。加減など出来る筈もない。
「……貴様と似た様な奴とは何度も出会った事はあるが、感じるのは一つだけ……それは、怒りだ!」
 必ず、必ず此処で壊して見せよう。力を込める。抵抗など許さない。作り物の瞳に、僅かに入る罅が拓真には見えていた。これを壊したからと言って何かが変わるのかと言われても、答える事は出来なかった。最早覆す事が出来ないものもきっと存在する。
 世界は優しくない。ハッピーエンドは約束されない。けれど、でも、それでも。変えられる何かはあるかもしれないのだ。あることがわからないようにないこともわからず。けれど諦めればもしかすればあったかもしれない何かを掴む事等出来やしない。
 立ち向かえ。逃げるな。どれ程の絶望が漂って居ようとも、其処に煌めく確かな希望を残す為に!
「邪魔な障害は、俺が……我が双剣にて打ち砕く! やれ!」
「そうだ、――足掻け、糾未」
 圧倒的圧力をその一点に。魔力と武力を精密に混ぜ合わせた一点集中。荒れ狂う物理砲撃がけれど正確にその瞳に当たる。呻き声が漏れた。戻って来い、とランディは呼ぶ。今度こそ。あの日のような泣き顔では無く、彼女自身の笑みを浮かべられるように。
「お前はここまで来たのだから、最後を譲るんじゃない。お前がお前である為に、足掻け!」
 一瞬出来た隙。痛むように頭を振ったその様子をリベリスタは見逃さない。駆け出す。修道着が閃く。苦しくて、喉の奥が熱くて。それでも、リリの手は銃を離さない。零距離で視線が交わる。嗚呼。
 この弾丸は神罰でありながら、自分の願いでもあった。言葉に出来ない想いがあり過ぎて。それを届けるには余りに時間も何も足りなくて。戦いばかりを知る自分が出来るのはきっと、これを壊す事だけなのだ。リリの身体に、喰らい尽くすような獰猛な視線が襲い掛かる。意識が遠ざかる。それでも。
 かちり、と引金は引かれた。放たれたそれが歌姫に悲鳴を上げさせたのを聞くとほぼ同時に、リリの身体が崩れ落ちる。必死に抵抗し拓真を振りほどいた歌姫はけれど、もう逃れる事等出来やしない。とん、と。軽い音を立てて其処に立つのは、蝶々を連れた可憐な少女。
「さあ、摘みに来たわ欠陥品。物はモノに大人しく成り下がりなさい」
 指先に挟んだ蝶々と共に踏み出す姿は残像と共に。煌めくそれは大当たり。一か八かの博打に勝つだけの強運を持つ糾華の刃が一直線に眼窩へと伸びて。ぐちゅり、と。引き摺り出される義眼。凄まじい絶叫はけれど、繋がっていた魔力の糸が切れた途端に静かになる。
 まるでスローモーションの様だった。刃から抜けた義眼がくるくると回りながら落ちるのも、それと共に滴る血の一滴さえも。コマ送りのように見えるそれをじっと見つめて。既に高め切った集中が訴える儘に、銃口を向けた。
 無駄な弾など一つもない。積み重ねられた攻撃が生んだ終わりだ。締め括りは――チェックメイト。
「――人間を侮りすぎたな。魔術仕掛けのガラクタが」
 どんな敵の命さえ一撃で吹き飛ばす為の。最高の一手が戦場を駆け抜ける。其の儘、寸分違わず紅に染まる眼球に吸い込まれて。がしゃん、と音を立てて破片が転がった。一瞬、落ちる静けさ。けれど、未だ終わりではない。此処からがリベリスタの望む『お伽噺』なのだから。
「――そのままくたばる気じゃねえだろうな」
 力を失い、崩れ落ちかける女を見据える。手なんか貸さない。貸す訳がない。全部失敗して、敵にも味方にも馬鹿にされて、挙句こんなものに身体を奪われて、其の儘終わるだなんて有り得ない。そんなの納得できるはずがない。
 だから。 
「意地を見せろよ。見栄をはれよ。女の子だろ? 泣いてばっかりじゃねえ、やってやったって笑って見せろ!」
 抗え。自分自身で望んだように、黄泉ヶ辻糾未として。此処で胸を張って戦って見せろ。そんな、声に応える様に。こつん、と地面に当たる傘。ふらつく足に力が籠る。
 緩々と上げられた顔に伝う血は涙のようで。けれど、その唇に乗るのは微かな笑みだった。
「……言ったじゃない、忘れないでって」
 掠れた声は、確かに何時か耳にした女の声だった。


「自分を殺した奴の事なんか、死んでも忘れねえよ。……ご機嫌如何? 大馬鹿野郎のお姫サン」
「――遅いのよ、甘えたがり」
「最高だわ。……主役は遅れて来るものよ、なんて言えば良いかしら。会いに来てくれて嬉しい」
 くすくす、と笑い声。けれど咳き込む音は酷く鈍く。既に終わりが近いのを知りながら、糾華は女と向き合う。よく似た瞳の色。よく似た名前。そうして、本当はその内側も、よく似ていたのだ。本当は甘えたいだけ。愛されたいだけ。愛したいだけ。誰かと隣り合って繋がりたいだけ。
 馬鹿は死ななきゃ治らないと言うけれど。己へと組み付かんとする人形を避けて、視線が混じり合う。
「馬鹿は死ななきゃわからないと言うけれど、これで思い知ったでしょう?」
 幸せになる道何て、どこにでもあるものなのだと。それに曖昧に笑う口元を眺めて、けれど糾華の瞳に浮かぶのは決して同情では無かった。よく似ている。きっと、違ったのはほんの少しの部分だ。例えば、決断とか。傍に居てくれた愛おしい誰かに気付けたかどうかだとか。
 間違えない、と。胸元に揺れるそれに誓う。誰かと、あの子と糾い縁り合い綺麗な華になるのだ。まさに、その名が示す様に。そんな彼女の言葉に、女が答える前に。僅かに聞こえた通信音。己の名を呼ぶ声を聞きながら、雷音はそっと、幻想纏いを差し出した。
「黄泉ヶ辻糾未。君を一番に想っていたひとが、君を待ってるんだ」
 これはしなければならない事だと信じていた。もうきっと生きたまま会う事も、本当なら言葉を交わす事も出来なかったはずの二人の手をもう一度結ぶ為に手を差し出す。間に合うと信じていた。たった一人で泣いている女が、一人では無いのだと思えるように。
 そんな優しい最期の為の、雷音が出来る最善の行い。糾未の手が伸びる。よりは、と震える声。指先が触れて。ざざ、と耳ざわりなノイズの音の、向こう側。
『なあ、あたしな――』
「――あいしてる、わ」
 重ねる様に。囁き震える声を紡いだ。あの日告げた五文字の後ろに隠した本当のことば。それが少女に届いたのかどうか、分からぬままに聞こえたのは、戦闘音。そして、己へと降りかかる、制御を失った人形の拳。避ける事もせず緩々と瞼を伏せかけた女の前に。滑り込む、黒。
 鈍い音と共に、肩の骨が砕ける音がする。激痛に眩暈がして、膝をついて。けれどそれでも、左手で人形の首を跳ね飛ばして。ミカサは遠ざかりかける意識を引き戻して、女を見遣る。
「――『心置きなく殺せる』って言って笑われたから、ちゃんと、殺しに来たんだ。でもこれじゃあ、格好がつかないな」
 人の命を弄び。自分自身も運命と環境に弄ばれ。それでも足掻いて足掻いて死にゆく女の行く末を見届けたかった。その為に来た身体は痛み動かすのが精一杯で。けれどそれでも伸ばした爪先が、首に紅い線を描く。ぽたり、と滴り落ちたそれが、ミカサの白い唇を染めた。口内に広がる、酸化した鉄のあじ。力を失い滑りかける手を、糾未の白い手がそっと取る。
「本当に馬鹿ね、でも――後片付けくらいは自分でしなさい、って」
 子供の頃に習わなかった? ふらつく身体を己の武器で支えて、女は笑う。その唇に乗るのは間違いなく、あの日の女のそれ。始末は自分でつけなくては、きっと先に逝った『友人』と呼んでよかった筈の存在達に顔向けが出来ないから。リベリスタの誰の手も拒むように、その手が握る傘が向けられるのは晒された白い喉。
「あーあ。もうちょっと時間があったら、ちゃんと貴方達を殺してやるのに」
 嘯く。もう限界だった。あちこち綻びた身体は、立っているのも精一杯だった。気付けば何時の間にか、女の羽織る白は赤黒く染まっていて。それでもリベリスタの手で取り戻された女は堂々と笑って、首を傾けるのだ。
「それじゃあ、御機嫌よう」
「……言葉も痛みも命も全て。約束するよ、……俺は糾未を忘れない」
「有難う。また会う事があればその時は――そうね、お友達にでもなりましょう?」
 それではこれにて幕引きです。飛び出した刃がぶつり、とその首を抉る。力なく崩れ落ちた女は未だ、微かに息をしていて。そんな彼女の顔を汚す血を拭って、エルヴィンはそっと、その横に膝をついた。
「君は不幸とか狂気とかそんなのじゃなくて、欲張りすぎた、ただそれだけだ」
 妹って言うのは大体そうだ。澄ました顔でずけずけと我儘言ったり、凄く甘ったれだったり。けれど、大抵自覚なんて無いのだ。糾未だってそうだ。自分の知っている妹と同じだ。少しだけ躊躇って、その手が意識を失いかける頭を撫でる。
「欲張りで、我侭で、甘ったれで、そしてどうしようもない大馬鹿な。それが、俺の知る黄泉ヶ辻糾未だ。……ほんっとうに、」
 めんどくさい女だよ、と。吐き出された声は何処か優しくて。焦点の合わなくなった瞳が微かに笑う。さようなら、と囁く声に誘われるように閉じる瞳。このどうしようもない程に普通の女の事を、きっと忘れない。手を離せばさらり、と揺れる髪。
 誰の言葉も無かった。仲間に支えられ傍に寄ったリリが、小さく祈りの言葉を呟く。酷く安らかなその顔を見詰めて、糾華はもう一度、己の首に揺れる絆を撫でた。きっと。自分は幸せになってみせるのだ。
 甘えたがりで愛されたがりらしく、誰かと手と手を繋いで、寄添い合う事で。
 ひらひら、と蝶々の翅が落ちてくる。地面に触れる前に溶け消えるそれの只中で、口を開く者はもう一人もいない。

 ――あいしてる、と。
 囁いた声だけが耳の奥に残るようだった。
 

■シナリオ結果■
成功
■あとがき■
お疲れ様でした。
お返しが大変遅くなってしまい、申し訳ありません。

とてもいい心情がたくさん頂けてうれしかったです。
苦戦の理由はリプレイ内に。
これで黄泉ヶ辻糾未の話はお終いです。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

ご参加有難う御座いました。皆様の冒険が今後も素敵なものでありますように。