●旧交を温める? かつて日本にはバブルという狂騒めいた時代があった。市場には金があふれかえるほど出回り、絶対に損をしない投機として不動産売買は高騰した。そんな時代が長続きするはずもなく、乱立した箱モノは浮き草の様に主を変え……そして今、この小淵沢に広がる広大なリゾート施設は三尋木凛子の気分転換様別荘となっていた。一般的なゴルフコースが2つは造れそうな程の敷地に南仏をイメージしたコテージが10棟ほど建ち、中央には厨房、大浴場、夜空を見るための展望室がある。ただ、地下のカジノだけはカラオケルームからのリフォームだ。 「浅場。まだ何かあるのならさっさとお言いよ。それとも聞いてやらないと報告も満足に出来ないゆとりの世代の物真似かい?」 傘下の聖ヒュギエイア記念病院に残してしまった情報確保を六月に命じてスマートフォンを浅場悠夜(あさば ゆうや)に手渡そうとした三尋木凛子(みひろぎ りんこ)は、部下の様子に少々冷たい物言いをした。 「はっ。このような些末事をお耳にいれるのは申し訳ありませんが、谷中久蔵はいかがいたしましょうか?」 さして申し訳なさそうではなく浅場は言った。谷中久蔵の身柄はアークに引き渡しても構わないとなっているが、いつどこで、といった実際的な交渉は行われていない。 「あいかわらずヌルいですね、浅場君。そんなに爺が欲しいならここに来て貰えばいいじゃないですか?」 華やかな雰囲気と張りのあるよく通る声とともに、開け放たれた大きな庭に面した窓から姿を現したのは金と赤に彩られた奇才であった。 「久しいじゃないか、クリム」 「凛子ちゃん、相変わらずお綺麗ですね。ご尊顔を拝し俺も嬉しいですよ」 凛子は嬉しそうに『Crimson magician』クリム・メイディルを立ち上がって出迎えた。 「そうだね。クリムがいるなら少々強気に出ようじゃないか。谷中久蔵をここに連れておいで。アークのひよっこ達が欲しいっていうなら引き取りにくればいい」 凛子はクリムにソファを勧め、戸口にいた黒服に何か飲み物を持ってくるようにと言いつける。 「それではアークに連絡を?」 「必要ないでしょう」 クリムはワインを運んできた小柄なメイド服の少女に極上の笑顔を向け、どうにも嘘くさいニコニコ笑いのまま言った。 「ここには凛子ちゃんがいるし、あの子達や村のゴミクズもいるんでしょう。専門家を呼んだって話は僕のところにも伝わってるし僕も来た。今頃、アークの万華鏡がきらきら~ってしてますよ、きっと」 クリムは毒味もせずに薄いグラスの中身を飲み干し、紅い繊細な味を堪能した。 凛子達のいる棟の隣……と言っても300メートルの芝生の向こうに3人の若い娘達と3人の専任フィクサード達とその同僚1人がいた。生命に関わるこれまでの経歴を正統に評価されたうえで任された大事な任務を遂行中だ。 「では僕は向こうに呼ばれましたので気乗りしませんが移ります。お疲れさまでした」 別れの言葉めいた挨拶をした『蛇遣座』沙救・仁が棟の玄関へと向かう。あまり気乗りはしないみたいだが、首魁の許可を得たマジシャンに呼ばれたのなら拒否する権利は『蛇遣座』にも『牡羊座』にもない。 「随分難儀そうな仕事だろうが、君の健闘を祈ろう」 「ありがとうございます。代わって欲しいときは連絡します」 見送りってくれる『牡羊座』七生・繰朗に挨拶し仁は戸外へと出た。南仏風の建物の上空はどんよりとした雲に覆われている。そういえば台風が近づいているんだったと仁は思った。 「ねぇ、プールで泳いじゃダメ?」 「ずっとお部屋にこもってたんじゃ飽きちゃうわ」 「せめてお散歩させてくれない?」 大きな広いリビングルームのソファに寝そべっていた娘達が言った。 「ね、先生」 ここ数ヶ月で娘達は決定権が誰にあるのかを知っていたので、ずっと同じ部屋にいる 『乙女座』水槻・優子や『蟹座』宵偽・志雄ではなく戻ってきた繰朗に甘えるように言う。彼女たちの希望は大概受け入れられてきたので、今も繰朗が了承するだろうと信じて疑わない。 「そうですね。もうすぐ嵐が来ますからね」 軽い散歩なら構わないでしょうと繰朗は言った。 ●南仏風リゾートでネゴシエイト ブリーフィングルームに現れた『ディディウスモルフォ』シビル・ジンデル(nBNE000265)は見事なまでに不愉快そうであった。 「世の中のサラリーマンさんが真面目に働き、小学生や中学生が一生懸命お勉強しているこんな時期にヴァカンスだよ! 許せないよね。ボクだってエーゲ海行きたかったのに」 やや私情を交えつつシビルは憤る。 山梨県小淵沢にある広いリゾートホテルで主要七派三尋木の首魁はのんびり休養しているらしいのだが、それだけではない。どうやらここにある老人を呼び、その身柄を解放しようとしているらしい。 「谷中村から拉致してきた人達のほとんどがここに集められているんだよ。御殿場で引き渡すことを約束した谷中久蔵さんもここに運ばれてくる」 迎えに行けば何事もなく引き渡すだろうが、行かなければ自由にするつもりはなく次の機会が何時になるかもわからない。 「あのね、ここに戦力が集中しすぎているんだよ。みんなの知っているフィクサードが数人、2つのコテージ……っていうらしいけどすっごく大きくて広いんだけど、集中してる」 より大きな方には首魁の凛子と側近の浅場、それから『サーカス』を率いるクリムと『蛇遣い座』だ。もう一方には『牡羊座』と『乙女座』と『蟹座』、それから谷中村の娘3人が特別待遇で過ごしている。 「三尋木が確約しているのは久蔵って人の身柄引き渡しだけ。他の人達の事は未定だよ。危険なのはわかってる。でも、この機会を逃したらもう谷中村の人達を助けられなくなるかもしれない。だから、谷中村の人達を助けに行って欲しい」 三尋木は七派の中では穏健派だ。武力によらない交渉も武力を背景にした交渉も利があれば応じるだろう。 「首魁の側には今は危険じゃなくてピンチの時に現れて盾になる隠れた戦力の影も見える。敷地の周囲には爆弾トラップも見える。だから無理なんてしないで。みんなの命と谷中村の人達の命……お土産はそれだけでいいから」 必ず帰ってきて、シビルは言った。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:深紅蒼 | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年11月07日(木)23:37 |
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■メイン参加者 10人■ | |||||
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●穏形 もう、どれぐらいの間こうしてじっとしていただろう。主要七派のひとつ、三尋木の首魁が逗留している元リゾートホテルの敷地の周囲に自然のままの緑が広がっている。経営難で破綻した元の持ち主に手入れをする余力はなく、幾たび持ち主が代わってもそこまで丁寧に管理されることはなかったらしい。結果、毛皮をかぶりピッタリと寄り添った『Le Penseur』椎名 真昼(BNE004591)と『アリアドネの銀弾』不動峰 杏樹(BNE000062)は誰にも察知されることなくそこに潜伏していた。ここは利用価値が低いとみなされひとつ所に押し込められた谷中村の者達がいるコテージに近い。本隊から離れて別行動をしている真昼と杏樹の存在は当然ながら三尋木側には極秘である。彼等は保険であり、遊撃であり、奥の手であり、切り札だ。しかしそれだけではない。千里眼を持つ真昼は諜報要員でもある。 「落ち着かないのか?」 こんなに寄り添っていても聞き逃してしまいそうな小さな声で杏樹が言う。 「……正直に言うと脈が速いし手の平に汗をかいてる」 緊張しているということを真昼は身体的変化で表現し、杏樹は小さくうなずく。 「それが当たり前だ。でも、これが最後のチャンスなら覚悟を決めるしかない。私達は最善を尽くしこの手に掴めるだけの命を掴んで守って……一緒に帰るろう」 杏樹の言葉の内に秘められた厳しい決意を真昼は感じる。きっとどこかで杏樹は厳しい線引きをするのだろう。手に掴める命と、全体を危うくするが故に手を伸ばしてはいけない命を。自分にそれが出来るのか……真昼は背筋に冷たいものを感じたが今は考えない。ただひたすらフィクサード達の警邏の周期、トラップの所在、伏兵を察知出来ないかじっと視覚に集中する。 「私も五感を研ぎ澄ます。何かあれば真昼が視て確認をしてくれ」 「わかった」 2人は身体の感覚がわからなくなるほど、探査に意識を集中してゆく。 ●対面 その頃、8人のリベリスタ達は正面入り口から堂々と来意を告げ、主の許可を得て敷地内に入っていた。少し先を歩く案内役や浅場悠夜(あさばゆうや)は最初に武器を携帯していないことを示した上で案内に立つ。彼ぐらいの度胸がなくてはアークのリベリスタの中でも相当に名の知られた8人に背を見せる恐怖にうち勝てないのだ。 「どうでもいいことですが、贅沢なところですね」 気怠げな様子のまま『ヴァイオレット・クラウン』烏頭森・ハガル・エーデルワイス(BNE002939)がつぶやく。虚無が覗く黄昏の瞳は紫水晶の様に綺麗だが覇気がない。興味が湧かないのだからしょうがない。 「ほぉ~無駄にだだっぴろ~くて良いところだね。さすが七派の偉い人っぽ贅沢だよ」 ことさら物珍しそうな、他意などなさそうな表情と仕草で『殺人鬼』熾喜多 葬識(BNE003492)あちこちに視線を送る。その実、葬識の一瞥、一瞥は情報収集だ。どこまでも見通せるずば抜けた性能を持つ目が建物の中を、そこにいる人間の表情までも克明に描き出してゆく。 「皆様、随分前から皆様をお待ちしていました」 堅い表情で浅場が言った。眼鏡の黒服姿は物語に出てくる執事の様だ。 「それはそれは。おじさん、もっと早く連絡すれば良かったかなぁ。でも、ほら気後れしちゃうでしょ、やっぱり」 手土産だという鉢植えの花を抱えて歩く『足らずの』晦 烏(BNE002858)は朗らかに言う。飄々としていてとらえどころのないのは烏のふぅ~と紫煙とともに台詞めいた言葉を紡ぐ。煙が苦手らしい浅場に手で煙を払われ烏は小さく会釈する。このご時世、何処へ行っても愛煙家の肩身は狭い。 「……こちらです」 浅場はこの敷地内でもっとも大きく豪華な一棟の前で立ち止まり、重そうなガラスの扉を押し開けた。そのまま赤い絨毯の上を先導する。すぐに大きな広間に入った。 「お待たせ致しました。アークのリベリスタの方々です」 浅場は一礼して煌々とシャンデリアの灯りに照らされた広間に集った三尋木のフィクサード達に告げる。 エンジと白で統一された部屋の一番中央にいたのはまだ大学院を出たばかりに見える若い男、『蛇遣い座』沙救・仁。その左奥にメイドの少女と楽しそうに談笑している『Crimson Magician』クリム・メイディル(nBNE000612)の姿があった。彼と丸いテーブルを挟んで座る谷中久蔵の疲れ切った姿も見える。 「来てくれると思ってましたよ、アークの皆さん。おやおや、あなた方も来てましたか。お久しぶりですねぇ」 クリムはリベリスタの中から葬識と『灯蝙蝠』アナスタシア・カシミィル(BNE000102)の姿を見つけ嬉しそうに笑顔を浮かべる。 「クリム殿ー! あたしアレからまた成長したよぅ!」 「ひさしぶりー☆ 元気ー☆ 俺様ちゃんも超息災」 「アークの皆さんは勤勉で元気なんですねぇ。そんな事を言われたら試しに戦ってみたくなるじゃないですか」 クリムは識とも旧知の友と再会したかのようにニッコリと笑い、『歓迎』のパフォーマンスなのか椅子から立って両手を広げる。その奥、ローマ時代の貴族の様にソファに寝そべっていた女が身体を起こした。国内主要七派のひとつ、三尋木を束ねる三尋木凛子だ。今だ! と、烏は持っていた鉢植えを凛子への土産だと言ってテーブルの上に置いた。 「美しき女性への手土産の定番さな」 「気を遣わせたね。けど、本当にクリムの言った通りに来てくれたんだねぇ。ひぃふぅみぃ……7人かい?」 その言葉は少なからずリベリスタ達にとっても衝撃だった。いつの間にかエーデルワイスの姿がない。 「確か、8人だったよねぇ……?」 凛子は浅場へと視線を向けて確認するが、浅場が応えるよりも先に蛇遣い座の杯を手にした仁が笑って言う。 「消えた1人でどんな策を弄するつもりですか? 老人を引き取るのを口実に破壊工作ですか?」 仁は少し皮肉っぽい様子で言い、かつて仕事の場で邪魔をされたことのある同じホーリーメイガス『友の血に濡れて』霧島 俊介(BNE000082)を見る。 「ちがう、何かの間違い! 俺達は戦いに来た訳じゃない。武器だってしまってある!」 冷たい仁の視線に俊介は反駁する。 「本当なのだ。ボク達は谷中久蔵氏の身柄をお預かりするために来たのだ。でも、それだけの為に呼んだわけではないのはそちらなのだよね。ボク達はあなたのお話を聞きに来たのだ」 まっすぐに緑柱石の瞳で凛子を見つめ『百の獣』朱鷺島・雷音(BNE000003)も言う。2人ともこの敷地内に入ってずっと無言だったのは少なからず緊張していたのだろうが、今は釈明しなくてはならないという切羽詰まった状況に緊張も吹っ飛んでしまったかのようだ。 「確認いたしました」 重苦しくなる空気の中、浅場が口を開いた。 「入り口では8人でしたが何時姿を消したのかわかりませんでした。申し訳ありません、すぐに探して参ります」 非情に慌てた様子で浅場は直属の部下である黒服3人とともに退出してゆく。 「あの……」 吸い込んだ空気が言葉になる前に凛子は『天の魔女』銀咲 嶺(BNE002104)をそっと制した。 「俊介君や雷音ちゃんが言う事が本当なら、お客様のエスコートをしくじった浅場君の失態ですから気にする事はありませんよ、お嬢さん。凛子ちゃんもそう思ってるでしょう?」 「……なんでも先に言うモンじゃないよ、クリム」 クリムへと薄く笑って凛子はソファから立ち上がり、リベリスタ達へと向き直る。怒っているわけではないのだろうが、機嫌が良いとも感じられない……と、『大雪崩霧姫』鈴宮・慧架(BNE000666)は思う。かつて相対した事のある七派の首領、剣林百虎とは随分と雰囲気が違う。古武士の様に或る意味で清廉であった白虎の一本気なところを彗架は好きだったが、凛子はどう評価すべきなのだろうか。その心の奥底まで見極めたくて、赤と青相反する2つの色を持つ瞳が凛子を視る。 「迷子のお連れは浅場達が探して連れてくるだろうさ。とにかく商談に入ろうじゃないか」 凛子が言うと、給仕をしていたメイドは退き浅場や『サーカス』の団員達も外へ出る。 「わかりました」 クリムにお嬢さんと言われた嶺が一礼する。 「銀咲 嶺と申します。一般職員ですがアークに在職しております。三尋木の皆様においてはどうぞよしなにお願い致します」 それが一気触発の危険をはらんだ交渉の始まりであった。 ●訪問 渦中の人であるエーデスワイスは目的のコテージを見つけ、接近しようとしていた。広い敷地を誇る元リゾート施設だが、その中でも大人数が余裕をもって暮らしていけるのは数カ所だけであったし、きちんとライフラインの供給がされているのは3、4カ所しかない。 「申し訳ないがここは君が自由に立ち入って良い場所ではない。早々に退去してくれないか?」 年齢よりも落ち着いた雰囲気を持つ『牡羊座』七生・繰朗がコテージの戸を背に姿を現していた。 「彼女達には手は出さないので警戒は不要ですよ」 それは本当の事だったのでエーデスワイスは思いをそのまま言葉にした。けれど繰朗の表情も態度にも変化はない。 「聞こえなかったかな? いや、理解出来なかったのか? 私は君の思惑がどうであれ近づくなと言っている」 繰朗のピリピリとした様子に歩を止めたエーデスワイスだが、まだ後退はしていない。 「難しい交渉事は他の方に完全お任せなので、私時間余っちゃってるのですよね~。ここに娘さん達がいるんでしょう。ちょっとだけでもいいから話し相手をお願いしますです」 エーデスワイスの言葉が終わらない間に再びコテージの戸が開き、中からもう一人男が出てくる。 「言葉が通じない相手なら力ずくで排除する」 繰朗の言葉とともに今出てきたばかりの『蟹座』宵偽・志雄がエーデスワイスへと突出した。低くたれ込めた暗い雲に蟹座を表す星座が浮かぶ。 杏樹と真昼はなんとなく異変を感知していた。ハッキリとしたことは何も起こっていないのだが、警邏中のフィクサード達の私語が多くなり声も大きくなった様だった。 「変だね。数カ所でフィクサード同士が会話をしてますよ。半数ぐらいが移動もしてるし。何か不測の事態かな?」 真昼は目に見える事をそっと杏樹に告げる。 「リベリスタ、星座……排除? なんだか不穏当な発言だ。何かイレギュラーな事でも起こったのか」 握りしめたアクセス・ファンタズムからは何の連絡もないが、居ないはずの人員である自分達から発信するわけにはいかない。 「あっ……」 必死に敷地内を視続けていたらしい真昼の唇から小さな声が漏れ、あわてて自分の両手で塞ぐ。 「どうした?」 「戦ってる……エーデスワイスが1人で」 3人の女性達が別扱いで厚遇されているコテージの前で、2対1の戦いが繰り広げられているのだ。 「大丈夫ですか?」 引き渡された谷中久蔵に雷音は数歩だが駆け寄り、背に手を置く。今にも倒れてしまいそうなくらい久蔵は疲弊していた。 「ようこそ谷中ちゃん」 「爺さん、手を貸すよ」 葬識と俊介も手を貸し動きの鈍い久蔵をフィクサード達から庇える位置へと移動させる。 「アークにいるミサキさんも心配しています」 「……あんた、ミサキに会ったのか?」 ひどくしゃがれた声で久蔵は嶺に聞き返す。 「はい、お元気ですからどうかご安心下さい」 「そうか……そうか」 久蔵は嶺の言葉に安堵したのか、更に身体から力が抜け立って居られないほどだ。 「凛子さん。ここには谷中さん以外にも谷中村の人達がいますよね。せっかくですから彼等も解放し私達が連れて帰る事を許していただけませんか?」 最初に口火を切ったのは彗架だった。聖と邪、生と死を喚起させる2色の瞳には強気の色がある。 「いい顔をするじゃないか」 右にクリム、左に仁を従えた凛子は物怖じしない彗架に微笑んだ。 「最初に教えてやろうかね。その出がらしみたいな爺さんを含めれば谷中村から来たのは26人いる。で、人分の命にアークのリベリスタ様たちは何をくれるんだろうね?」 わくわくしながら……身を乗り出した凛子は確かに楽しそうだった。きっと真新しい玩具に夢中になっている子供のように飽きれば残酷に破棄してしまうのだろう。ペルソナかもしれないと思いつつも彗架は凛子の仕草や表情からそのひととなりを探れないかと試みる。 「その前に、VIP待遇の娘さん達は除外しときましょうか。欲しいのはこの爺さん込みで23人ですよ」 烏は指を3本の指を立てた左手を後ろ手に隠す。 「よく知ってますね、凛子ちゃんの大事なもの。俺だって知らないのに」 こちらはもう飽きてしまったのか真面目な雰囲気に耐えられない体質なのか、クリムが烏に軽口を言う。 「こっちもね、首領殿が何を大事に思っているかぐらいは理解はして来てますよ。それ以外の村人一行を引き受けるのはそちらにも悪い話じゃないと思うがね。ぶっちゃけもう飼っているのも面倒でしょう?」 クリムの相手はせず烏はまっすぐ凛子だけを見つめて話す。 「もう村人になんて利用価値ないんでしょ。ならさ廃品回収、始末する手間が省けてラッキー☆ じゃなくね?」 「生き物の世話は大変ですからね」 葬識の意見に賛同なのか仁が小声でつぶやくが、臨席してはいても会話に加わるつもりはないらしい。 「そうでもないさ。人間は細切れになっても利用価値があるもんだよ。なにせ健康的な生活をしていたからね。言い値で売れそうなものをたんと持ってる」 「なーるほど。それもそうか」 あっさり葬識は納得する。普通に殺しても楽しいし、初心者用の練習にも使えるか……と、思ったけれど言わなかったのは彼なりの自制心なのだろう。交換する商品の価値をあげてはこちらが差し出す対価がつり上がるのは自明の事だ。 「谷中の人達を解放して欲しい。凛子ちゃんは俺達に用があるんだろう? 欲しいモノがあるならなんだって渡せるから……それと交換しよう」 「霧島俊介、あんただったよねぇ。あたしに電話で喧嘩を売ったのは」 かろうじてまだ座っていたクリムと仁が俊介を色々なものが入り交じった様な目で見る。最も多い成分は驚きだろうか。 「喧嘩じゃない! 本気だけど……俺は三尋木を変えたいんだ。凛子ちゃんの望みはフィクサードじゃなくたって絶対に叶うし、その気になってくれれば何時だってこの腕は凛子ちゃんのために伸ばしているからさ」 実際に握手を求めるかのように手を伸ばす俊介の顔と手を凛子は交互に見つめ、破顔した。 「そこまで言うならあたしの望みを言おうかねぇ。あ、腕は要らないから下げときな」 「お、おぅ」 引っ込め時をさぐっていたのか俊介は両手を膝に置き座り直す。 「俺、ちょっと恥ずかしい……葬ちゃん?」 「ん。あぁ俺様ちゃんの事はいいから霧島ちゃんは交渉に専念して」 明らかに葬識の様子は変だった。少し顔を伏せたまま入ってきた方を見つめるが、気取られぬよう時折視線を外したりする。 「聞いたよ、世界中からお声が掛かっているって言うじゃないか。歪夜の化け物どもを幾度も撃退しているアーク様だ。今後はうちみたいにこぢんまりとした寄り合いの事なんざ眼中にないだろう?」 凛子は笑いながら言う。 「失礼いたします。今の凛子さんのお話は、今後アークに三尋木への手出しはするなという事なのでしょうか?」 「ハッキリと言いましたね」 仁は恐れる風もなく堂々と凛子に確認をいれる嶺のピンと背筋を伸ばして座る姿を感心した様子で見ているが、しばらく待っても嶺の質問に凛子は答えない。 「わかりました。ですが、アーク全体に関わる事柄ですからこの場で決める事は出来ません。持ち帰って時村に報告し判断を仰ぐ必要があります」 「そうだろうねぇ」 嶺の返事は予想していたらしく凛子に怒りや落胆の様子はない。 「今の話は保留ってことでぇ、聖ヒュギエイア記念病院地下の大きな部屋は気になんないのかねぃ?」 「……そうだった。満足にお遣いも出来ない六月よりあんた達にお願いした方が早いって事だね」 三尋木傘下の田舎に新設された病院の地下では多くの臓器が作られていた。凛子は能力に劣る浅場ではなく六月にここから遺伝子地図と体細胞のサンプルを持ち出すよう依頼したが、あえなく失敗に終わっている。首魁からの評価は大暴落で六月はきっと落胆しているだろう。 「1人でも多くの人達を解放して欲しい。ねぇ、六月殿が持ち帰らなかった情報は凛子殿にとって何人分の命と同等?」 探るような、挑むような夕陽色のアナスタシアの綺麗な瞳がが凛子を見る。 「5人だね。もういっそアークの仕事にうちの下請けも出したい気分だよ」 「凛子殿ケチぃ」 「吝嗇とお言いよ。しょうがないね、じゃあ6人。これ以上は譲らないよ」 アナスタシアと凛子は昔ながらの店先で買い手と売り手が掛け合うように値切りをする。 「ありがとう凛子殿! じゃあ久蔵殿と合わせて7人だねぃ」 右手をパーに、左手でチョキを作るとを2本立てアナスタシアは満面の笑みを浮かべ、心の中で最低でもあと6人だと思う。 「直人……露木直人もアークでの自由を約束する。沙織ちゃんの確約はないけど、直人の事は俺が絶対責任持つからって保証するから!」 俊介は凛子の反応を待つ。 「直人? あぁ……配島のところの、ひよこどころか卵みたいな若造だったね。あれの始末をしそこねたのも浅場の下だったか」 盛大に溜息をつき凛子は頬に手を当てる。 「あたしが甘かったのかねぇ。浅場はしくじりが多いし配島は……そう言えば死に目に会ってるのは赤毛のぼうやと橙の子と……黒髪のお嬢ちゃんか」 「霧島とカシミィルと銀咲です」 せっかく教えてあげたのに凛子にキッと睨まれた仁は肩をすくめる。だから嫌だったのに……と、この場に呼んだクリムに抗議を込めた視線を送るが、その視線の先にいる紅い男はニヤニヤしているだけで……多分、この場の全ての事を楽しんでいるのだろう。 「じゃあ3人が配島の死に水を取ったということでもう3人つけようじゃないか。全部で10人、それだけ持ち帰れば充分だろ? 三尋木はアークに弱腰だなんて悪い噂が広まっちゃやりにくいからねぇ」 実際には死に水もとってないし遺体を埋葬して弔ったわけでもないので俊介とアナスタシアは顔を見合わせ、嶺は微妙な表情になっていたがテレパス能力がないのか凛子は追求しない。 「待って欲しいのだ。こちらには聖ヒュギエイア記念病院から持ち帰ったデータがあるのだ。あそこは配島さんの実験施設でもあったはずなのだ。だから、そのデータは三尋木さんなら有効に活用できるんじゃないのか?」 雷音は奪取した者の名から『K2データ』と呼称されるデータの譲渡を凛子に申し出る。あの病院の院長であり、実験の実行者であった者の生データだ。なにより延命や不老に関する研究の成果とまではいかないだろうが過程であっても凛子が拒絶するわけはないと賭けている。 「しょうがない。あと3人だよ。それであの病院はこっちに返して貰う。ついでに時村の若殿にも話をつけてもらう……それでいいね」 とうとう凛子の口から谷中村13人の解放が約束された。誰の胸にもホッとするような安堵があるが表情や仕草に出すわけにはいかない。 「わかりました。時村には必ず凛子さんの意向を伝え出来る限り許可を出すよう働きかけます」 なにやらシステム手帳にメモをしていた嶺は手を止めて凛子に約束をする。危険だと思われていた七派フィクサードとの交渉は滞りなく終わろうとしている。 「それじゃあ手数だが首領殿直々にアーク側に引き渡すと各員に通達願えるかい? ここから出たらズドンじゃ情けなくて死にきれない」 烏が控えめにリクエストをし、承知したと凛子が席を立とうとした時だった。 「失礼します!!」 無粋にも大きな音を立てて開かれた扉と同じく大きな声が交渉を途切れさせる。と、同時に葬識が顔を伏せたまま小さく首を横に振った。 「間に合わなかったか。」 その声はとても小さくて、ごく近くにいた者達にしか聞こえない。 「なになに。おじさんにも教えてよ」 「烏頭森ちゃんだよ」 烏の問いに葬識は短く応える。 「どうかしたのかな?」 クリムは浅場の部下の後ろにいた自らの配下に尋ねた。 「どうやら『牡羊座』と『蟹座』が迷子のリベリスタと戦ってますね」 「そ、その通りです。聖母達のいるコテージ前です」 続けて浅場の部下も報告する。 「皆さんの狙いは聖母達でしたか。でも、あそこには『牡羊座』の繰朗さん達がいるんですよ」 仁の持つ聖杯から光が放たれ広間の天上に蛇遣い座の星座が浮かぶ。ガクンと全員の身体に負荷が掛かる。聖杯に体力をごっそりと喰われたのだ。葬識でも随分な喪失感であったが嶺は目の前が真っ暗になり膝を突いてしまうほど激しく力をそこなわれてしまう。 「ぐがっ」 もがき苦しみながら久蔵が悶絶したのはその直後だ。 「谷中さん! 谷中さん! 返事をして下さい!」 「爺さん!」 雷音と俊介の声に……死人は応えない。 「そんな、久蔵さん。ミサキさんが待っているんですよ。どうして……」 嶺の銀色に輝く美しい瞳は涙をたたえて更に激しく綺麗に煌めき仁を見据える。ポロリと真珠の様な涙が一筋、頬を伝った。 「なーんだ。ようやく俺の出番ですね。待ちくたびれて死にそうだったじゃないですか。これはリベリスタの命で償ってもらわないとスッキリしませんよ」 ダメージを受けながらもクリムはとんでもなく嬉しそうに言い立ち上がるとほぼ同時に得物を構える。マニキュアを施した女の爪の様に美しく繊細な紅い刃の大鎌だ。 「そんな筈はありません。絶対にない! この目で確かめてきますから少しだけ時間を下さい! お願い、待っていてください!」 椅子から立ち上がった彗架は扉へと突進し、報告にやってきた幹部の部下達を脇をすり抜け外に出る。 「逃がしませんよ……これ以上は」 「逃げたらもったいない。やっとここから武力の肉体言語」 どデカイテーブルを飛び越して鎌を振り下ろすクリムに真っ向から立ち向かったのは葬識だった。禍々しい武器と武器、刃と刃がキンと高い音を立てて鳴り響く。 「やっぱこれだよ」 錆びの浮かぶ赤い刃が漆黒の闇に染まり、夜の帳に全てがかき消えてしまうように原初の畏れを伝搬させてゆく。クリムに、そしてその射線の向こうにいる聖杯を持つ仁へとだ。 「クリム殿ぉ、貴方にまた挑みたいな、チョットやりあおうよぅ!」 アナスタシアの暖かい両手から繰り出される掌打がクリムの腹を撃つ。紅の防具は関係ない、その内側にある柔らかい生身の肉体を破壊せんと力が巡り、破裂した臓器からの出血が腹膜や横隔膜、胸膜を破って口元に鮮血のルージュをひく。 「良い攻撃ですね。腕を上げましたか?」 笑いながらクリムの大鎌を振るい、微塵も容赦のない苛烈な攻撃2人に浴びせる。 「鶏肋を惜しみ実を逃すなら致し方なし!」 空調、室温、部屋の容積、人数から放射するエネルギー、回避に動く標的の行動、何もかもを見事なまでに無駄をそぎ落としたごくシンプルに研ぎ澄まされた最高の一弾が烏から放たれる。声もなく仁が倒れた。右胸上部、大動脈弓部から分岐した腕頭動脈を貫ぬかれ大量出血に目の前が真っ暗になり失神寸前になる。が、これだけでリベリスタ達の怒濤の攻撃は終わらない。烏が動いたのとほぼ同時に雷音の符は無数の烏となって暗黒の濁流となり、紅の男クリムの華やかな姿を飲み込もうとする。 「きっついなぁ。でも楽しいですね」 大鎌で遮った部分から血に染まった口元を拭うクリムが見える。 「待って! まだダメだ。マジで戦いたくない! 葬ちゃん、アナねーちゃん、烏のおじさん! 凛子ちゃんも待って!」 血の海に倒れた仁を見た凛子が立ち上がると俊介は一歩踏み出した。 「俺の時間だけじゃない。命だって欲しいならあげる! フィクサードにはなれないけど、死に際の配島がそう言ったから。でも俺の身体ひとつで大勢救えるなら後悔しない!」 「いけません、俊介さん」 もう1歩凛子へと向かう俊介を止めたのは嶺だった。振り返る俊介に首を横に何度も振る。 「凛子さん、必要なら病院から回収したカルテも返却します」 一命を賭した俊介に嶺も戦いを選ぶのを止め、まだ交渉は決裂していない……と、全身で訴える。凛子は小さく溜息をつき髪に挿していた銀のかんざしを手に取った。 「しょうがないねぇ」 手にしたかんざしからジグザグに光が幾筋も走る。それは戦う者達のすぐ側をかすめ、豪華で高価な調度品と内装を轟音とともに破壊する。けれど戦いの愉悦に身を任せたクリムと葬識、そしてアナスタシアは壊れた部屋の壁から外へ外へと転戦してゆき、その後を雷音が追う。 「つ、うぅ~痛たた。酷いじゃないですか。いきなり殺されるかと思いましたよ」 自らに回復の技を使いつつ血まみれの仁が立ち上がり烏へと抗議する。まだ効果範囲内にいるクリムから受けた葬識やアナスタシアの傷も、クリムの怪我も無かった事かのように消えているだろう。これが仁の使う聖杯の効果だ。功もあれば罪もある。 「さて、どうしようかねぇ?」 銀ざしを元に戻しながら呟く凛子の横顔を雷光が淡く照らす。天候と同様に様々な場所でも事態は荒天へと向かって動き出していた。 ●決断 クリムと葬識が戦闘に入った段階で杏樹は交渉は決裂したと判断した。 「残念だが戦いが始まった」 エーデルワイスと繰朗、志雄との戦いに視線を向けていた真昼は急いで交渉組へと目を向けるが、杏樹の言った通りの情景が映る。もはや猶予はない。 「どうして……本当に戦って、なぜ?」 「急ごう。動けなくなる前に救出する」 「そうだったね。巡回は行ったばかりだから今なら行ける」 2人は息を合わせて走り出した。低く身をかがめて極力葉擦れの音を立てずに進む。葬識達とトラップを調べて廻ったのはまだ半日ほどだが遠い昔の様にさえ感じられる。けれどその場所や種類は頭の中に叩き込まれている。 谷中村の者達が20人以上まとめて監禁されているコテージには監視カメラもセンサーもないのは判っていた。本当に彼等は利用価値がないと見なされているのだろう。真昼が戸のノブを持ち杏樹がうなずく。タイミングを合わせて中に入ると、二人して唇の前で人差し指を立て『静かに、黙って』と合図をする。けれど、その必要はほとんどなかった。コテージにいる者達は誰もがぐったりと椅子に座ったまま、或いは椅子から崩れ落ちて倒れていたのだ。 「……」 杏樹と真昼はハンドサインだけで意志を通わせると、それぞれ音を立てずに倒れた人達に近寄った。脈は弱いがある、浅く早いけれど息はしている。意識は今にも途切れそうだ。 「困ったな。私達では彼等に治癒を施す事は出来ない。意識のない大人22人を連れ出して気取られない程ここの見張りはザルだろうか?」 杏樹は唇を噛み考える。1人2人なら背負って運ぶ事も出来るが、往復する回数が増えれば罠や伏兵、見張りなどの危険がその分上昇する。 「わかるけどこの人達を見捨てては行けないよね。やるしかない!」 「……わかった。じゃあ女性から運ぼう。次に年寄り、子供はいないから最後が男」 「わかった」 その時、天空を稲妻が走り凄絶なる雷光が窓越しに2人を照らした。 ●星座と道化 「どうして! どうしてこんな事になっているんですか?!」 轟音とともに一瞬だけ雷が空を怪しく輝かせてゆく。音と光の間隔は僅かで、その美しくも恐ろしい自然現象がごく近くで起こっている事が容易にわかる。危険だとわかっていても彗架は退避出来なかった。星座の名を冠する三尋木のフィクサード2人とエーデルワイスが戦っているからだ。 「私が着いた時にはもう戦っていた。あいにく、あれを止める力は私にはない」 少し離れた場所に浅場がいて、彗架に声が通る程度まで用心深く近寄ってくる。見れば嵐の前触れの様な強くなる風の中、3人はめまぐるしく位置を移動しながら攻撃し回避し、体勢を立て直してまた戦っている。 「どういうことですか、エーデルワイスさん!」 その時、ようやく彗架の存在に気が付いたエーデルワイスはチラリと視線を向けたけれどすぐにフィクサード達へと向き直る。 「だって交渉なんてぶっちゃけどうでもいいのですよ。ど田舎村の人達が生きようと死のうと……億劫ですよ」 適当に言い訳しつつもエーデルワイスは神速の連射で2人の敵に攻撃をし続け、志雄も無骨な得物を手に接近戦を挑む。けれど、蟹座の聖杯が発動している現状では互いの攻撃は普段よりも効果がみられない。 「それでどうして戦いになるのか、わかるように説明してくれないと……何もかもダメになるでしょう? よく考えなさい!」 強くなる風に彗架は叫ぶ。今、この瞬間も交渉の場にいた者達、別動で離れた場所にいる者達がどうなっているのか心配でならない。 「この娘が押し掛けてくるからだ。私達は迷惑しているのだが、どうにも理解してもらえない。やむを得ず力ずくで排除を試みているところだよ」 エーデルワイスに代わって説明をしたのは魔法の矢を放ったばかりの繰朗だった。 「退屈だから話し相手になってくれと頼んだだけじゃないですか。せっかくとっておきの物真似芸で遊ぼうと思ったのに……」 彗架の中のどこかで何かがプツンとキレた。瞳が蒼く輝きだす。 「いい加減にしなさい!」 暴風をも凌駕する雷撃をまとった彗架の強く儚く華麗なる舞いが次々と……エーデルワイスに襲いかかる。蟹座の聖杯の効果があってもなお、キレた彗架の攻撃を防ぐには至らない。 「きゃああっ」 悲鳴を上げてエーデルワイスがまだ青々とした芝に倒れる。 そこに喜々として戦うクリムと葬識、じゃれるように戦うアナスタシアが現れた。それぞれ無傷ではないが、痛みもほとんど感じない。 「本当にアークには逸材が多いですね。ほとんど好きなんじゃないかと思うほど楽しくて仕方ないがないですよ」 「それは俺様ちゃんも同じかな? クリムちゃんとは波長が合うっていうのか、なんか相性最高っていうの?」 葬識は軽口を叩きながら血錆びのこびりつく得物に最低最悪の呪いを込めて叩きつける。その時、甘くなったクリムの間合いにアナスタシアが飛び込んだ。 「つれないねぃ、クリム殿はぁ。あたしのお相手もしてよねぃ!」 雪崩の如き激しい力でアナスタシアは強引にクリムの身体を芝の地面に叩きつける。けれど冷たい左手がアナスタシアをやはり強く引き寄せた。 「まだ上手に噛めないんですか? ほら、これがお手本ですよ」 アナスタシアの白い喉にクリムが歯をたてずぶずぶと食らいつく。 「アナスタシアから離れるのだ!」 清らかなる存在へと向けた雷音の呼びかけに応え、癒しの力を持つ風が嵐を抗い仲間達へと届き……その対価の様に雷音の身体がから搾り取られるように力が消える。 「あっ……」 ぱったりと雷音が倒れた。 「雷音さん!」 遅れて広間を飛び出してきた嶺が低く滑空するようにして雷音に覆い被さる。白き翼で雛を守る親鳥の様に、倒れた雷音を抱き起こす。 「だ、だいじょう……ぶ、なのだ」 「聖杯が作動しています。強すぎる癒しの力は自分を傷つける逆刃の剣です」 世界に愛されるが故に雷音は立ちあがる。 「うん、わかってた筈なのに失敗したのだ。でももう間違えないのだ」 心配そうに曇る嶺の顔に雷音は小さく笑う。 「あーあーあーあーあー!」 上体を起こしたエーデルワイスが大声で怒鳴り出す。新たに漆黒と深紅のカードの束が両手に装備されている。 「もう死んで死んで死にまくれ、無粋なクズはクズと化せ!」 むやみやたらと狙いも定めず神速の連射が放たれる。 「うっ」 エーデルワイスの攻撃に倒れた浅場が足もとに転がり、とっさに彗架は芝に膝を突き浅場を拘束した。 「何を?!」 「ここの混乱を納める交渉材料になってもらいます。元はと言えばあなたの失態でもあったでしょう?」 ゆるりと青が醒める彗架の瞳に苦痛に歪む浅場の顔を映す。 「あの女性よりも私の罪が重いとでも?」 「……それは言わないで下さい」 そして彗架は凛子を待つ。 その頃、遠く離れたコテージでは谷中村の者達を背負った真昼と杏樹が木々に囲まれたトラップゾーンを進んでいた。既にこれが5往復目で10人の女性と若い男性はトラックに運んでいる。老人達が自分よりも未来のある若者を先にして欲しいと懇願したからだ。今はその老人達も大人しく真昼と杏樹の背に背負われている。 「その木を右に……」 「わかった。先に行く」 暗闇でも見通す目をも持つ真昼がルートを指示し杏樹が先導する。しかし、杏樹の足が何かを踏みカチッと小さな音がした。突然、轟音と爆風、そして火柱が森からあがる。吹き飛ばされた4人の頭上、燃えあがる木の前に女がいる。 「これ以上はここを通すわけにはいきません」 女の声が激しい耳鳴りの向こうから聞こえる。爆発の直撃を喰らったのだ。威力が弱かったのが幸いだった。 「真昼は2人を連れて先に行け!」 言いながらも杏樹が魔弾を放ってゆく。逃れるはずのない攻撃だが、まだ爆発の影響が残るコンディションでは痛打とはならない。 「わかった」 倒れて動かない老人達を背と肩に抱え、真昼は必死に森を抜ける。暗闇でも遠くまで見通す目を持ってしても、敵の罠をかいくぐりつつ移動するのは難しい。ましてや2人の老人達の命も掛かっている。 「死なないで、死なないで下さい。絶対に助けますから!」 呪文の様に繰り返しながら真昼は必死に走ってゆく。 当然ながら森にあがった轟音と振動、そして火の手はコテージ前で戦うフィクサードとリベリスタに何事か事態の変化を知らせる事になる。 「……あたしの眼鏡違いって奴だね。クリムも七生達にも、まぁ浅場達にも悪い事をしたよ」 姿を現した凛子は溜息をつき、もう一度銀のかんざしを髪から抜く。 「まって……」 「ご破算だよ!」 かんざしから放たれる光の攻撃が遅れてきた俊介と烏を狙って放たれる。 「凛子さん! 浅場さんを拘束しているのが見えませんか? もう一度交渉を……」 「ご破算だと聞こえなかったかい? クリム、七生、宵偽、沙救、派手におやり。浅場、お前だ」 凛子が非情な命令を下す。 「怒った顔も綺麗ですよ、凛子ちゃん。では、俺ももう少し楽しませて貰いましょうか」 「俺様ちゃんも異存なし。とことんまでやりあおうじゃないか」 星座の加護も呪いもクリムと葬識の戦いには関係ない。 「しょうがないねぃ」 やや推され気味の葬識の加勢にとアナスタシアも無骨なフレイルを振りかぶる。体勢を立て直したエーデルワイスと志雄が円を描いて走り、繰朗と仁も聖杯の効果を考え回復よりも攻勢に出る。 「本当に、本当にもうだめなんでしょうか? 決別なんでしょうか?」 誰に言うともなしに嶺がつぶやく。まだ踏ん切りがつかなかった。あれほど努力をしてきたのに、これで終わってしまうのがどうしても納得できないのだ。 「わからない」 雷音は嶺の背に手を置く。暖かい優しい手だ。 「でも、戦わなくっちゃもう話も聞いてくれないのだ。だからボク達の声を届けるために戦おう、嶺」 「……わかりました」 本当にそれでよかったのか嶺にはわからない。けれど雷音の言葉を信じたい自分が居る。雷音の呪符の烏が、そして嶺の狙撃が浅場の配下やサーカスの団員達を倒してゆく。 「おじさんも少しは働くか」 烏が放った眩い閃光弾が戦場のど真ん中で炸裂した。そのあまりのまぶしさに一瞬の空白が生じる。 「浅場! 受け取れ」 声とともに銀色の光が暗い空を横切ってゆく。それは小さな投擲用のナイフだった。名を呼ばれた浅場が身を翻しナイフを掴んで彗架から飛び退いたのと、逡巡した末に俊介が裁きの光を放ったのはほぼ同時だった。 「三尋木さん!」 凛子を庇い聖なる光に身を焼かれたのは……随分と短くなって金髪も色あせたけれど、見慣れた痩せすぎの男だった。他にもあちこち色々変わっているのだが、パッと見ではよくわからない。 「ひどいなぁ俊ちゃんは。また僕を殺すつもり?」 びっくりしたまま動けない俊介に力なく笑ったのは、目の前で死んだはずの男だった。腕だけを残して爆死した筈のフィクサードがここにいる。 「おまえ……生きていたのかい? 配島」 銀のかんざしでジグザグに走る光で俊介を撃った凛子は呆れた様に言う。 「どうやら本物の様ですね。これは私が借りパクされた一番出来のいいナイフに間違いありません」 「パクってな……」 ナイフを手にした浅場に配島は抗議するが、言葉半ばでぶっ倒れた。 「あー、まだ安静だって言いましたよね。無理して腕が壊死しても、もうオペは引き受けませんよ」 聖杯を止めた仁が倒れた配島に駆け寄ってくる。 「三尋木さんの、ピンチには、駆けつけるって……」 「ピンチじゃないですから」 仁は不愉快そうにドクターズバッグを開き処置を始める。 「は、いじま……どの?」 アナスタシアの動きも止まる。けれど戦いは止まらない。 「あの、霧島君。そろそろ退いてくれるかな。おじさん、ちょっとこの体勢は腰が痛いかも」 「え、えぇぇぇええええ!」 烏と重なり合って倒れた俊介がようやく驚愕の叫びをあげる。 「まだ聞こえにくいし見えにくいのではないか?」 夜陰に紛れる敵の女は狙いにくく、折角の杏樹の攻撃も当たらなかったり威力が弱い。その間も杏樹をいたぶるように爆発が続く。 「この程度なら何の支障もない」 幾度目かの魔弾が今度こそ敵を捉える。 「くっ……これまでか!」 女が手の中のボタンを押す。と、杏樹の足下の地面が崩れ出した。森全体の地面が爆発し、次々と崩落してゆくのだ。 「ああああぁぁっ」 何もかも崩れゆく中、黒い波のような大地に飲み込まれ杏樹の身体はすぐに見えなくなっていく。そして真昼もまた、あと少しというところで揺れ動く森と地面に飲み込まれ、老人達もろとも黒い土に消えていった。 別々の場所に戦っていたのに、このまま倒れているわけにはいかないとい強い思いに世界が応え……気がつくと杏樹と真昼はすぐ近にいた。敵の女は真昼の目や杏樹の感覚をもってしてもどこにも見えず気配もない。 「とにかくあの老人達を探しましょう」 「そうだな。向こうの気になるが……まずはそれだ」 2人はすっかりゆるんだ地盤に難儀しつつ、背負ってきた2人の老人を捜し始めた。 地震の様に激しい揺れが襲ってきた。その瞬間、凛子の号令のもと、フィクサード達の攻撃が炸裂する。リゾート施設を取り巻く木々が沈み地面が広範囲に沈下し、それは聖母と呼ばれる娘達のいるコテージ近くにまで及んでいた。ついさっきまで平坦だった芝の地面はぐちゃぐちゃに破壊され、戦士達は皆大地に飲み込まれ沈んで……でも、全員が戦う力を使い尽くしているわけではない。 「皆さん、大丈夫ですか?」 泥を掻き分け立ち上がった嶺が仲間を捜して目を凝らす。 「ここにいるよぅ」 「おじさんも」 「大丈夫……です」 アナスタシアと烏、それに彗架も起きあがってきた。 「酷い目に遭ったわ」 力尽きたと思われたエーデルワイスも、世界に充満する愛を糧に立ち上がった。あわてて敵手の存在を確認するが、崩れかけのコテージから3人の娘達を助け出している最中で随分と遠い。 「……霧島ちゃん?」 服の泥を払った葬識の目に、直線距離で50メートル……クリムに胸を掴まれ引き起こされた俊介が見えた。うっすらと俊介の目が開く。 「葬ちゃん?」 葬識へと向いていた俊介の顔を凛子の指が強引に自分の方に向ける。 「ぼうや、大事な話だからよくお聞きき? あたしの望みを叶えてくれるって言ったのは……時間でも命でもくれてやるって言ったのはの本当かい?」 力なく俊介はうなずいた。 「駄目だよ、ぼうや。ちゃんとそのお口で言っておくれよ。必要な事なんでね」 「……あげ、るよ。り、んこちゃん」 「上出来だ」 凛子は笑って紅く色のついた唇を俊介の乾いた唇に押しつけた。ごっそりと合わせた口から力がもぎとられる。それは戦う為の力ではない。崩壊の危険に瀕した世界で生き抜くための、もっと根幹的な……生命力だ。 「凛子ちゃん、キスする必要ないですよね。同意の言葉とどっか触れていればいいんじゃなかったですか?」 「……ご褒美、いや罰ゲームだったかねぇ」 俊介は意識が闇に沈む瞬間、凛子とクリムの会話を聞いたような気がしたが、幻だったのかもしれない。 立ち去る凛子とクリムに『星座』の名を持つ者達、更にその部下達が3人の娘達を伴い従ってゆく。 「霧島ちゃん? 霧島ちゃん!」 息はあるものの、葬識が頬を叩いても俊介の目は閉じたままで……けれどまつげが震え両目が開く。世界は愛する子たちにその意志があれば再び立ち上がる力を与えてくれる。 「待って欲しいのだ。すぐにボクが彼を助ける!」 倒れるように走り込んだ雷音は必死に力をかき集め癒しの力を注ぎ込む。 「だ、大丈夫、だから……」 「霧島ちゃん、俺様ちゃんに殺されるまでは死んじゃだめだって」 葬識に抱き起こされた俊介はその場の光景に唖然とした。荒廃と崩壊……美しかった緑の芝はぐちゃぐちゃになり、激しい雨に叩かれている。 後刻、横転したトラックの中から10人の女性達が発見され、アークに保護された。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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