●2013 8 11 辿り着いた先に存在したものをなんと例えればよかったのだろうか。 こんな時に限って良く回る筈の口はこれっぽっちも気の効いた言葉を吐いてくれやしなかった。膝をつく。零れ落ちている紅はまだほんの少し温かった。血に濡れていく。手が。服が。 「ハンヒェン軍曹」 「は。アルトマイヤー少尉」 「ブレーメ曹長が傷を負っているではないか。治したまえ今すぐにだ」 「しかし、少尉――」 「これは命令だ。そもそも何故もっと早くから真面目にやっていない。方舟が、……方舟が起こせる奇跡が何故我ら親衛隊に起こせないのだ!」 酷く空虚な命令だと冷静な部分が嘲笑うようだった。掌を胸に当てた。何も聞こえなかった。呼吸もしていなかった。零れ落ちた臓物の先。想像も出来ない俊足を誇るその足は跡形も無かった。 どれほど目を背けたって現実は何一つ変わらない。悪い冗談だ、と乾いた声で呟いた。全く以て笑えない。嗚呼。彼は何時だって自分を困らせるのだ。そっと、ハンカチで血を拭う。彼の部下達の絶叫を聞きながら。血に塗れていくそれを見詰めた。 「また汚れるじゃないか、全く君は――」 ふと。視線の先に存在した煌めきに目を細める。血に塗れてもなおその輝きを失わない銀。随分と昔、未だ彼に少尉、だなんて呼ばれもしなかった頃の声が聞こえる。もしも。もしも死んだとしたら―― 「アルトマイヤー少尉……?」 「……『約束』なんだ。片方貰えるかね」 握り締められた刃を片方。己の手に収めた自分にかかる声。振り向いた先には、真っ赤に腫れた目で此方を見詰める下士官の姿。あんな自由気ままな男でも此処まで、否、あんな男だからこそ此処まで部下に思われていたのだろう。ほんの少しだけ笑って、もう片方の刃を取る彼から視線を外した。 随分と痛んだ外套のボタンを外す。真夏だと言うのに随分と冷たくなったブレーメの傍に膝をついて。もう一度だけ、その顔に乾いた血を拭ってやって。溜息を、一つ。 「俺は約束を違えない。――勿論ついて来るんだろう、ブレーメ」 返事はない。聞いてやる気も無かった。手に握ったナイフで、首から下がる認識票の紐を切った。未だ、折ってやる気はない。彼が望むように。彼が本当に死ぬ時は自分が死ぬ時であるのだから。しっかりと握り込んで、立ち上がる。目の奥が痛む様な気がして、けれどそのまま何も言わずに歩き出す。 ――不安なんですか? 何か怖いモノがあるんですか? 良おし、言ってみろよ。全部全部俺がぶっ殺してやるよ。なあ? ほら。命令しろよ。いつも通り『Jawohl』って言ってやるからさ。 そんな声が聞こえる気がして。 全て倒してやるのはこっちの仕事だと、低く笑った。 ●1961 8 13 ――2013 Wo bist Du? 「なあアルトマイヤー。世界が平和になってずうっと幸せに暮らせる方法を教えてやろうか。敵を全部殺せば良いんだよ。そうしたらほら、お前を貶す奴も俺を貶す奴もいなくなって平和で幸せだろう?」 「嗚呼、君は何時だって大袈裟だ。ジョンブルにイワンに……我々の敵は数えきれないが、それを全て殺し尽すだなんて!」 低い笑い声が空気を揺らす。不機嫌気に此方を見遣る男を見つめ返して。笑いが止んで。落ちる静寂に、零れたのは僅かに、ほんの僅かに震えた溜息だった。 「……なあブレーメ。戦争をする。敵を殺す。そして、我々は勝つ。今度こそ。だが――君は、勝った先に、何があると思うかね」 「知らねえよそんなもん。俺はフォーチュナじゃない。だがよう、アルトマイヤー。もしなんにも無くったってよう……『それでもいい』じゃあないか。なんにも無いならまたイチから創ればいいんですよ、自分の思い通りにね」 「っはは、それもそうだな! 君にしては実に良い案だ。そうだ、そうすればいい。そうだな……君、演劇は好きかね」 例えば戦争が終わって。勝って。どちらも無事に生きていると言う当たり前のようで奇跡にも似た出来事が起きたのだとしたら。 そんな、ごく普通のけれどやはり奇跡のような生活を送ってみるのも悪くはない――だなんて。思った日があった。あの日は未だ冷たい戦争の終わりさえ見せてくれなかった頃だった。辛酸を舐め、けれどいつかは必ず明るい未来が開けるのだろうと信じて疑わない頃だった。 「さて、望んだ形とは少々変わるが――これも悪くない。こんな糞ったれな世界に少しくらい牙を剥くのもまた一興だろう。我々は何時だって、勝利が見えずとも敵に向かっていく兵隊であるのだから」 随分と温度を下げた、異国の風を感じる。嗚呼けれどその感じ方も、あまりに見えすぎる目も、聞こえすぎる耳も、そして血色の何かを零し続ける片目も何もかも、もう人の枠からは外れているのだ。 エインヘリャル・ミリテーア。それが与えてくれるのは優れた力ともう死にゆく事が決まった運命だ。嗚呼けれどそれも悪くはない。散々亡霊だと嘲笑われても戦うのを止めなかった自分達の誇りを肯定してくれるのだ。 国の為に死ね。優れた血の証明にその血を流せ。喪ったものが無駄でなかったのだと示す事が出来ないのならば何のための上官なのか。最期まで戦い抜いてこその兵隊だ。後悔を残すな。 「――Drum auf! Bereit zum letzten Stoß! Wie's unsre Väter waren! Der Tod sei unser Kampfgenoss'!」 歌声がする。仲間を鼓舞するように。己を鼓舞するように。だから起て、最後の突撃へ。祖先が為した如くに起て。死が我等の戦友ぞ。そんな行進歌。ヴァレリ・ヴァレラ。我等は黒い小隊だ。それを教えた時の彼の顔を思い出した。 他は何も興味を示さなかった癖に軍歌ばかり好んだのは彼が生まれながらの戦闘狂であったからなのだろうか。考えても分からないものを振り払って、少しだけ笑った 「……ブレーメは、Sieg Heil Viktoriaが好きだったな」 呟く。何時だってあの歌が好きで、何かあれば歌ってくれと言ってきて。嗚呼、まるで子供のような奴だった、と振り返る彼の後ろ。きっちりと踵を揃えて整然と。自分を見詰める下士官たちも一人残らず異形のそれに変わっていた。 「なんだね、私は君達の指揮官では無いぞ、それに今回は――」 「ブレーメ曹長が敬愛した貴方でありますから。我々は従いますッ。さぁ、ご命令をッ。我等にご命令を、何なりとご命令をッ、Mein Leutnant! 我々は兵隊でありますッ、命令が無ければ始まりませぬッ!」 ――ほら、命令を下さい少尉。兵隊は命令が無けりゃあ始まらない。そうだろう、なあ? ご命令を、 Mein Lieblingsleutnant! 声が反響する。嗚呼本当に。彼らは兵隊として生きていく事しか知らないのだ。自分もまた同じだけれど。最期の最期まで命令をくれだなんて。少し前に形には拘るのだと命令を求めた男の姿を、何も迷わず戦う事を選んだ女の姿を思い返す。好きに生きれば良いだなんて彼らには無用の気遣いであったのだろうか――嗚呼、なんと愛すべき馬鹿ばかりなのか。 ならば、と。背筋を伸ばした。部下が望むのならば応えるのが上官だ。深呼吸を一つ。これで最後であろう『命令』を唇に乗せる。 「……、……命令は1つだ。好きにやりたまえ。しかし、私が望むものはもう一つだ。――『戦果』を」 その誇りを、願いを、遂げるに足るだけのものを。 「Jawohl!」 踵を合わせ背筋を伸ばし、一斉に揃う了解の声。もう体に馴染み切った敬礼。それを、確りと返した。 「Sieg Heil! では、往って参ります。――どうか御武運を、Mein Lieblingsleutnant」 「精々上手くやりたまえよ。君の――否、君達の心に悔いの無いよう」 また会おう。短い声と共にその姿を見送った。残される男。そして、明らかに目減りした部下達。見回して、男は僅かに、困った様に肩を竦める。 「さて、我々も行かねばならないな。……マリー、傷は痛まないかね」 「問題ありません、少尉。マリーはずっとお約束しています」 金糸雀色。公園に残った事で腕を、翼を失った少女もまた、今は既に異形。腕に直接埋め込んだ大斧を地面について、少女は微笑む。一緒にいきましょう、と囁いた。 「盾が居ないのならこの身があります。剣が足りないだなんて言わせません。最期の最期まで、マリーは貴方の為の刃です」 運命の加護はもう無かった。世界は自分達を愛してはくれないし、もう戻れやしない。この戦争の先にあるのは間違いなく死だ。勝っても負けても死ぬしかない。嗚呼それでも。 「ならばついてきたまえ。諸君、君達の敵は『全て』だ。叩き伏せろ。殺せ。脳漿ごと吹き飛ばせ。それが叶わないのならば少しでも多くの傷を残せ。この戦争は証明だ。――我々が、紛れも無く己の意志で己の為に戦い抜いたのだと言う、その事実の!」 銃口を天へ向けた。一発。轟く轟音が空気を震わせる。 「Viel Feind, viel Ehr'――敵は数多だ。丁度良いだろう。先に居る同胞に誇れるだけの『戦果』を挙げ給えよ、諸君!」 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:麻子 | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年10月20日(日)23:39 |
||
|
||||
|
■メイン参加者 10人■ | |||||
|
|
||||
|
|
||||
|
|
||||
|
|
||||
|
|
● 奪われてばかりだった。 戦争で安息を奪われ。戦争に最愛の人を奪われ。戦争に部下を奪われ。戦争に友を奪われ。 ついほんの少し前まで自分と共に笑い合っていた人間が次の瞬間には頭を破裂させ死に絶えているような世界だった。 如何してなのか。この世に神は居ないのか。嘆いて嘆いて嘆いても状況は何も変わらなかった。 ならば。 奪われない為に、銃を取るのは自分にとって何処までも自然な事であったのだ。 ● それに名前を付けるとするのならば、妖精の誘い。酷く軽やかに踊るように。踏み出された足と共に差し出された手が持つのは誘われた者の首を掻き切る灰の刃。目にも止まらぬ速さで振り抜かれたそれの周囲で凍て付く空気が音を立てる。凍り付く水分が生み出す氷霧の刃は、敵に避ける間さえ与えない。 音も無く。収められる限りの敵を裂きながらも返り血ひとつ被らぬまま、『星辰セレマ』エレオノーラ・カムィシンスキー(BNE002203)は戦場に立っていた。硝子玉にも似た紺が敵を眺めて、手繰り寄せるのは遠い日の記憶。家族が、友人が、祖国の為にと旅立つ背を想う。 戦場へ向かう理由は様々だったのだろう。祖国の為、家族の為。武功を挙げたかった者も居たのだろうか。彼らの誰もが何かの為、多くは自分や愛すべき者の為に銃を取ったのだとして。けれど戦争とはそんなものの為に存在してくれはしない。 利益だ。須らく利益の為だけに戦争とは存在するのだ。兵士が銃を取る心まで利用して。だから嫌だった。決意に満ちた顔で歩いて行く背を、見送るのは。 「そんなザマでも戦争したいの、貴方達」 何もかも失って。残っていた筈の物まで捨てて。そんなんじゃもう楽園にさえ往けないだろうに。溜息にも似た声と共に吐き出したそれは呆れを孕む様だった。そんなエレオノーラを見遣って、異形へと姿を変えた男は口角を上げて見せる。 「君なら知っているだろう、戦争は『勝たねば無意味』だ。Losers are always in the wrong! ジョンブルにしては実に良い言い回しだよ」 生き残っているのに戦争を止めたら、何故先に逝った者達は命を懸けたのか。その意味を残す為には戦うしか無い。その先がやはり同じ様に死しかないのだとしても。当然と言いたげに笑う彼を一瞥して。快はその左手を空へと伸ばす。張り詰める空気が帯びるのは遥か遠き神の気配。耳が痛い程の静寂に僅かに聞こえるのはその神託か。 荘厳でけれど暖かに背を支えるように。強固な加護を仲間へと齎した『デイアフタートゥモロー』新田・快(BNE000439)は、ただ静かにその視線を前に据える。 「新田快。人呼んで――守護神」 護る為の手が握るのは刃だ。この夜に護るべきものは仲間以外に存在しない。今此処で。その先で。誰かが傷つき失われる事が無いように。明日に光を齎す為に。彼は此処に立っている。胸の勲章が鈍く煌めいた。 「――今夜、猟犬の戦争を終わらせる」 栄光と名声が積み重なる程に背負うべきものが重くなるのは英雄の常だ。けれどそれでも彼はその足を止める事をしないのだろう。その理想を求める為ならば、己さえも踏破していくのだろうから。 耳を穿つのは激しい放電音。白銀の篭手が眩しい程に煌めいて、其の儘一閃。けれど足は止まらない。もう何度目か。流れる様な体術はけれど邪魔な蟻を叩き潰す程の威力を秘めている。爆ぜる。回線が焼き切れたのだろう煙さえ裂き漸く足を止めた『ガントレット』設楽 悠里(BNE001610)の瞳に在るのはゆるぎない決意だった。 もう何一つ。ほんの少しだって。彼らに奪わせる気はなかった。渡す気も無かった。目前の敵を切り開き押し切ってこの手を必ず指揮官まで届かせる。それは願望では無く、己の手で為すと決めた役目だった。 「行こう、みんな! 最後の戦いだ、アルトマイヤー!」 「嗚呼そうだな、これで最期だ、君達の首を頂こうじゃないか!」 其の声を聞きながら。只静かに、けれど触れればその手ごと落とされそうな程に研ぎ澄まされた闘気を纏った少女は男の前でしっかりと刃を構えていた。リベリスタの懸念通り。ハイデマリーはアルトマイヤーの盾として、其処に存在していたのだ。そんな少女と、視線を合わせ。手に馴染んだ黒き風車を構え直した『黒き風車』フランシスカ・バーナード・ヘリックス(BNE003537)は誘うように剣の先を動かした。 「出ておいでよ! そんなとこにいちゃつまらないじゃない!」 「……駄目よ、マリーの今日のお仕事は、これなの」 首を振る。何度も何度も刃を交え合い、互いに戦う事を求め合い。こうしてまた見えられたけれど。断頭台の刃を握る手は力を込められ震えていた。そっちには行けないわ、と首を振る少女にしょうがないわねと肩を竦めて、振り上げられた刃が纏うのはより暗い、夜の畏怖。等しく敵を切り裂くそれは避けようのない恐怖だ。動きの鈍っていた蟻の装甲を抉り取って。その足は敵陣へと一歩踏み込む。 「出てこないならこっちから行くわ、待ってなさい!」 最期まで、とことんまで付き合うつもりだった。全てを棄ててでも残そうとする存在証明に応える為に。何もかもをぶつけ合い刻み付ける為に。ちり、と皮膚が感じたのは熱だった。痛みさえ覚える程の高温の気配。耳を穿つ銃声は1つきり。けれど、ついで降り注いだ業炎は数多。敵陣に叩き込まれる神炎の豪雨を齎して、『八咫烏』雑賀 龍治(BNE002797)が覚えるのは何とも名状しがたい感情だった。 何度も辛酸を舐めたのだ。大きな屈辱も受けた。この戦いは戦争の終わりだ。全てを晴らし、全てを終わらせる為の戦闘だ。そうあるべきだ。その為に自分は此処に来たのだ。頭は何処までも冷静にそれを理解している。受け入れている。最善手を常に探している。けれど。 「…………何故、だろうか」 言葉にすればその疑問はよりはっきりと形を持つようだった。理由は分からない。分からないけれどただ、残念でならないのだ。こんな形になった事が。こんな形で、終わる事が。覚えがある様な感情を飲み下して、狙撃手は今日も何処までも冷静に敵に的を絞る。 ● はらはらと、解ける傍から風に攫われていく白。隠されていた紅の瞳が前を見た。其の儘、目にも止まらぬ速度で抜き放たれた刃が放つ告死の一撃は一直線に敵を穿つ。鮮やかな瞳と同じ色を纏うそれを目で追いながら、衣通姫・霧音(BNE004298)は何時もの様に奥に立つ男を見遣る。アルトマイヤー・ベーレンドルフは生き恥を晒す事を厭う男に見えた。そして、こんな戦い方を望むような男では無いようにも見えていた。 霧音の思う男の姿と現状を重ね合わせて分かる事は1つだけ。これは彼らなりの覚悟、不退転の強い意志を揺るぎなく保つ為の手段であったのだろう。そして、そうであるのならば。それを穢す事なんて、出来やしなかった。 「私達と貴方達の最期の戦争を。……私も衣通姫の霧音として相手するわ」 どれ程言葉を重ねようとその覚悟に応えるには至らないとすれば。後渡せるのはこの力で齎す終わりのみだ。霧音が、否、此処に居る全員のリベリスタが全力を振るい続けられるのは快の加護の力でもあり、そして何より。 「全員無事だな、思う存分やってくれ!」 後ろは自分が支えて見せよう。『OME(おじさんマジ天使)』アーサー・レオンハート(BNE004077)が翳した杖が纏う白は視界を焼く程に眩く。癒しを望む祈りに応えるのは遥か遠き高位の者。錆びた鉄のにおいで濁る戦場を一気に駆け抜ける烈風が、味方の傷を優しく癒していく。 今出来る事は何かと問われれば、やはり癒す事しかないと答えるだろう。この戦場でアーサーに課された役目はそれだった。否、自分で課した役目と言う方が相応しいだろう。誰かの為では無く。誰かに頼まれたからでは無く。アーサーが此処に立ち仲間を支えるのは紛れも無く自分で選んだ事だ。アーサーにとっての戦いは護ることだ。たった一人で全てを癒すこの戦いがどれほど重くとそれを理由に諦めていい筈がない。己を護る為に傷付く者が居ても、目を背けていい筈がない。 故に、彼は微動だにしない。仲間に報いる為に。己が己を裏切らない為に。そんな彼へと迫る敵の弾丸。冷静に敵を狙う狙撃手が放ったそれを遮るのは光さえ吸い込む漆黒だった。 「かかっておいでよ、まあ、通すつもりもないけどね」 裂けた頬から流れ落ちる血を、同じく黒と紫が覆う指先が雑に拭い取る。常のごとく無表情。けれど唇に乗るのは挑発めいた言葉達。アーサーの前に立った『it』坂本 ミカサ(BNE000314)は何処までもいつも通り、その手を前に差し出して見せる。為すべきはシンプルだ。けれど、覚える感情は複雑だった。後先を捨てる覚悟。そうそう決める事が出来ない、否、普通ならば決める事も無いであろうそれを決めないと、彼らが望むものには届かないのだろうか。 其処に覚えるのは悲しみとは違うものだった。ただ、報いたい、と思う。その行為に。そして、その行為の果てに刃を交える事になった相手が自分達であった事に悔いが無いと思って貰えるように。出来る事は、全力で奮う事だけなのだろう。そんな彼の横で、構えられる焦げ茶の銃。己の感覚を、己の目を信じて、研ぎ澄ませて。引金が押し込まれる。腕が跳ね上がる様な凄まじい衝撃と轟音。直後、戦場に降り注いだのは耳を劈く程に激しい鉛玉の豪雨だった。 「――ただ、撃つだけでいいんだ」 余計な事は考えない。護る為に磨いた腕ならば。何かを考える前にとにかく多くの敵を屠ればいい。集中を保つ様に息を吐き出して、『銀狼のオクルス』草臥 木蓮(BNE002229)は僅かに後ろに居る龍治を見遣る。言葉を交わしたりはしなかった。必要ないのかもしれなかった。手首で時を刻み続ける時計が教えてくれるように。常に、共に時を重ねていく存在であるからこそ。 彼が何を思い、何を考え銃を取るのかが伝わってくるようで。だからこそ木蓮は何も言わなかった。彼が何を為すにしろ、自分に出来る事はこうして支える事だけであるのだろうから。 誰の為の正義か。それは恐らく自分自身が一番己に問い続けた事であっただろう。正義の味方を名乗るには余りに零れ落ちる者も奪わなければならない者も多く。けれど、それでも正しくありたいと剣を折る事は出来ず。苦悩し続けた彼はそれでも理想を追い、そしてこう名乗るのだ。 「『誠の双剣』新城拓真。――親衛隊を撃ち破り、この戦争を終わらせる!」 裂帛の気合いと共に振り上げる双剣に迷いはない。輝く栄光を得られぬからなんだ。この正義が不完全であるからなんだ。迷う必要等何処にもない。己を信じ敵を砕け。理想を追うと決めたのは『誠の双剣』新城・拓真(BNE000644)であるのだから。爆ぜる雷光が剣に纏わる。己の身さえ傷つけるそれはまさしく彼を体現する様だった。 武器を叩き付けられた蟻が動きを止める。開けた道へと、その足が一歩踏み込んだ。 ● 戦闘は激しく、けれど僅かにリベリスタが押しているようだった。確りと統一された目標と役割分担は確かに道を切り開いていたのだ。最前線。雷撃の演舞を絶え間なく敵へと撒き続ける悠里は、激しい攻撃に晒されながらそれでも致命傷を逃れていた。 痛みに霞む頭を振って。熱を持つ肌にひやり、と感じたのは首で揺れる銀色。それは守護の願いだった。どうか御無事で、と。祈ってくれる彼女の声が聞こえる気がした。その声を護る為になら、悠里は幾らだって戦える。 「アルトマイヤー、君の大切なものって何?」 「そんな事を聞いてどうするんだね、悠里」 「僕は恋人だ。家族だ。友達だ。……この拳も体も命も! 全てを守るためにある!」 だから負けない負けられない。そんな人間の強さは、アルトマイヤー自身が一番よく知っているだろうと悠里は僅かに笑った。仲間を護らんとして命を賭す人間は、その時誰よりも強くなるのだ。護られた側である悠里は知っている。そして、それに報いたいとさえ思っているのだから。 そんな彼の声に応える様に。集中を高める男は低く笑う。笑って笑って、前を向いた瞳に在るのは憎悪とも呼ぶべきいろだった。 「部下も友も家族も、私の護りたかったものはもう残っていやしないのだよ、悠里! けれどそれでも戦わねばならない。足を止めてはならない。負けるわけにはいかない。例えその先が死であろうとも、だ」 嘆いているだけでは奪われるのだ。誰も助けてくれやしない。戻って来やしない。其れが嫌なら戦え。自分の意志で。何も残らなくても理由があるのならば戦わねばならない。正義の在り様は違っても、その思考はリベリスタと変わらない。 「私の言葉に従い、私と共に在り、最期まで勝利を信じ死んでいった彼らの命が無駄でなかったのだと証明する為に、私は戦う事を止める訳にはいかない! それが! 私が、アルトマイヤー・ベーレンドルフ少尉が果たすべき上官の責務だ!」 其の声を聞きながらも、龍治は冷静さを失わない。銃を構えて引金を引く。やる事は何時もと同じだ。何時も通りに敵を撃てばいい。逃しはしない。恐らく、相手も同じ気持ちで此方に銃口を向けているのだから。ただ一つの弾にさえも全身全霊を込めて、穿てばいい。 嗚呼けれど。胸を掻く感情は収まる事を知らない。これが何なのか、本当は少しだけ分かっていた。嗚呼、と細く、細く息を吐く。 失われる事が惜しいのだ。此処まで磨き上げたのであろう彼の銃の腕が、此処で完全に潰える事が。この感情に覚えがある理由は簡単だった。未だ記憶に新しい日。互いに銃を突きつけあって撃ち合った女の姿を思い出す。失われていくのだ。己が惹かれるような狙撃手は常にその道を違えていて。 「……けれど、仕方が無いのだろう」 呟く。頭は理解し納得していても感情は収まらない。首を振って、その銃は凄まじい炎の雨を降り注がせる。それを横目に、両の眼で確りと敵を見据えた霧音の指先は音さえ立てずに携えた剣を引き抜いて見せる。直後、巻き起こる剣戟は空間さえも駆け抜け一直線。倒すべき前衛を薙ぎ払い道を開けた彼女はただ、霧音としてアルトマイヤーを見遣っていた。 そう。霧音は霧音であるのだと自覚させてくれたのはこの男だった。自分と言うものを見詰め直し、今此処に在る自分の理由を、アイデンティティを見つける為の一歩をくれた存在。その手がそっと、蒼い瞳を押さえる。 もしも。此処に居るのがあの少女であったなら。彼女はきっとこの結末を悲しんだのだろう。そして、救いたいとすら願うのだろう。それが彼女のあり方だったから。けれど、霧音は霧音だ。何もかもを救いたいと真っ直ぐに手を伸ばす事は出来ない。奪う事しか知らなかった自分が彼に与えられるものはやはり終わりなのだろう。けれど、それでいいとも思うのだ。 「私は私のやり方で、この刃をもって終わらせるわ」 それが最善であると自分が思っているのだから。 ● どんどんと精神が削れていくようだった。己の魔力を補い、味方も支え、傷を癒し。たった一人でその全てを補うアーサーの尽力無くては恐らく此処まで誰一人として地に伏していない現状を生み出す事は不可能であっただろう。 しかし、その代償は確かにある。魔力も体力も十分だ。けれど、それでも苦しい。極限状態で常に判断を迫られ、己を庇う為に味方は傷付き。それを支えているのだと割り切ろうとも、精神は疲弊していく。ぜ、と吐き出した息は熱く、荒かった。それでも杖を握る手の力は緩まない。 「……問題無い」 仲間の為になるのならば。誰かが苦しまず、全力を出す背を押す為になっているのなら。どれだけ苦しくても構わなかった。痛くても構わなかった。その強固な意志は奇跡を起こす。もう幾度目か、巻き起こる烈風が仲間を苛む呪いを、深い傷を跡形も無く癒し尽す。 「俺が此処に立つ限り、誰一人奪う事は出来ないと思え、親衛隊――!」 裂帛。確かな意志を帯びたその声に鼓舞されるように、前線を押し上げたリベリスタは死力を尽くしていた。邪魔な前衛を薙ぎ払い、最前線はもうじきその刃をアルトマイヤーまで届かせる。それを視界の端に収めながら、ミカサの爪が閃く。抉るように腹部に押し込まれた爪は一度では止まらない。続け様にもう一度。深々と抉り多量の鮮血を噴出させたその一撃を見舞う感触。肉は柔らかく温かい。血は熱いと錯覚するほどで。 その一つ一つを、この手に、記憶に残すのだ。兵士と言うものと戦ったのだから。その命を奪うのだから。自分が殺した命の記憶を残さないだなんて失礼だ。 「――おいで、俺は弱いけれど全て受け止めてやるよ」 この手は終わりを齎すには足りないのかもしれないけれど。それは死力を尽くす事を止める理由にはならない。尽くせ。最善の手を選び続けろ。彼らが「これに負けるなら」と敗北を受け入れる事が出来るだけの力を見せねばならない。襲い掛かる大斧に跳ね飛ばされて、けれどそれでも立ち上がった。折れた肋骨が痛む。咳き込んで、吐き出した血は赤い。嗚呼それでも膝なんてついてはいられない。痛みに顔を歪めたりもしない。折れそうな程に奥歯を噛み締めてでも、平然と立っていて見せよう。 それがミカサに出来る手向けになるのであろうから。差し出した手で手招く。存分にかかってこい、と敵と相対する彼の前方、漸くハイデマリーの目の前へと辿り着いたフランシスカは、再度刃を向け直す。 「ほら、来てあげたわよ」 「……悔いを残すな、クラウゼヴィッツ軍曹。これは命令だ」 もう一度は無いのだから。刃を見ようと目を逸らす様に首を振った少女へかかる男の声。弾かれたように振り向いた少女は僅かに、その視線を男を合わせて。泣きそうな顔で、一歩前に出た。断頭台の刃が何時かの様に構えられて、鮮やかな黄色に染まった髪が風に舞い上がる。 「いい色になったじゃない、マリー。これがあなたとのラストワルツよ。悔いなく存分に踊りましょう!」 「マリーは何時だって少尉の刃よ。でも、今はフランシスカ、貴女と死ぬまで踊らせて貰うわ!」 振り上げられた刃と刃がぶつかり合う。金属の擦れ合う高い音と、僅かに飛び散る火花。これが最後になるのだと、互いにもう分かっていた。だからこそ。尽くすのは全力だ。その剣戟の音を聞きながら、木蓮はそっと、背後の彼を振り返る。その表情から、彼の考えがなんとなく読み取れる気がした。 彼のように。道を究めていく者はその過程で好敵手を潰していかなくてはならない。高みを目指す以上、己を磨く以上、負けたままではいられないのだから。けれど。その生き甲斐を、目標を、もしかすれば楽しみさえもくれる好敵手は、一度打ち倒せばもう二度と戻らないのだ。それは相対するアルトマイヤーも同じだ。きっと龍治にとって代えのきかない奴だったのだろう。惜しんでいるのだろう、けれど。 「……超えなきゃいけないんだ。あいつらは仲間と一緒に戦ってる。俺様たちも仲間と一緒に戦ってる。だから」 「主義主張が違うだけで想いの根底は同じだと思うと、何とも皮肉だと思わないかね、木蓮。……実にいい顔だ。君のそれは護るものを知っている顔だった。そして、今の君は戦う者としての覚悟も知っている」 愛しいものを護るだけでは無く。共に戦う仲間が居るのだと。そしてそれは敵も同じなのだと、木蓮は知っている。そしてその上で、彼女は撃つ事を選ぶのだ。自分が護りたいものを、護る為に。 「言っただろ、俺は龍治を護りたいんだ! だから、アルトマイヤー、お前を此処で撃つ!」 「護る為の力なら、躊躇えば失うからな。君は実に正しい。私も同じ考えだよ――一人の女性として、一人の戦士として、君は実に好ましくなった」 故に、全力を尽くそう。放たれた弾丸は恐らく龍治を狙うものだ。それを脳が理解するより早く本能が、体を動かしていた。告死の魔弾の狭間に飛び込む。一直線に駆け抜けたそれは脇腹を抉って。大量の血が溢れた。眩暈がして、膝をついて。運命が燃えていく音がする。けれど、それでも。木蓮は銃を離さず、立ち上がる。 彼に思う事があり。何かを成し遂げようと言うのなら。自分はそれを見届け支える事が出来るから。口端から滲んだ血を、細い指が拭い取った。 ● 戦闘は佳境を迎えていた。既に最前線を行く拓真の手は、後衛迄届いていたのだ。凄まじい雷撃が爆ぜる。さながら落雷でも起きたかのような炸裂音が轟いて、其の儘一閃。身を削りながら叩き付けた一撃に膝をつく敵を一瞥し、荒い息をついた彼はそれでもその剣を下げない。戦いは未だ終わらない。この刃を下ろすのは立ち塞がる障害を破壊した後だ。その為に研ぎ澄まされた双剣なのだから。今は、この舞台を叩き壊す為だけに。 「もう、何一つ貴様達には奪わせない! 友の命も、罪無き人々の命も!」 それでも奪いたいのならば奪ってみせろ。そんな彼を厭うように襲い掛かる敵の攻撃は、けれどその胸に吸い込まれる前に跳ね飛ばされる。きらり、と煌めく白銀は一番の戦友がくれた誓いの証だ。共に、未来を掴む。悠里が此方を見る。僅かに口角を上げて背筋を伸ばした。 「俺達が掴むのは未来だ! 先を捨てた貴様達に負ける訳にはいかない!」 そんな彼の声へと向く銃口。けれど、それの向きを変えようと言うかのように。ふわり、と突如アルトマイヤーの前に現れた金髪。少女のかんばせが、薄く笑みを浮かべた。音も無く敵を裂く刃が狙うのは、銃に結わえられた認識票。それを寸での所でかわした男を、紺色の瞳が真っ直ぐ見上げた。 「余所見はダメよ。銃口も思考も」 「これはこれは、やはり君は恐ろしいよ、カムィシンスキー」 「撃たなきゃ当たらないし死なないわ。己の血を否定してフェイトを捨てても、射手の矜持は守りたい?」 撃ってみろと言いたげに、エレオノーラは両手を広げて見せる。恐らくこの戦場で唯一完全にアルトマイヤーの攻撃を完全にかわせる可能性を持つ彼に、射手は酷く楽しげに表情を浮かべる。集中を高めているのだろう男の銃口が、エレオノーラを向いた。まるで次はお前だとでも言うかのように。 「前回は『仕事』だったのでね。個人的な挑戦で致命傷を負ったら上官の名が泣くだろう? だが今日は別だ、――是非とも一撃貰ってくれよ、нимфа」 からかうような声と裏腹にその瞳は何処までも真剣だ。それに応える様に、エレオノーラはくすりと笑ってみせた。前線は十分だ、それを確りと己の目で確かめながら、快は誰より強固な壁として後衛の前に立っていた。誰より邪魔な快を跳ね飛ばさんと迫る敵の大斧を受け止めて、強引に己の足で引きはがされぬよう耐え切る。 守護神、と名乗るからには。絶対に通す訳にはいかなかった。護れないだなんて認めない。この手この足が動く限り。手が届く範囲を、届く以上を護り抜く事が出来ず何が守護神か。競り上がる鉄錆の味を咳と共に吐き出して、手で拭い取った。 「安心して、攻撃に専念して。俺が此処は絶対に通さない」 仲間を振り向く。確かな力を持つ仲間が全力を尽くす事が出来るように。彼やアーサーのような護る戦いもまた、熾烈を極めていた。 ● ごろり、と転がったのは足――否、足であったもの。大量の紅が荒れた大地にぶちまけられて、その中に沈むように華奢な少女の身体が崩れ落ちた。呻き声。真っ白になった指先が震えながらそれでも必死に地面を掻く。爪が割れ血が滲んでも。それでも立ち上がらんとする少女に剣を向けて、フランシスカは競り上がる感情を飲み込んだ。 感慨とでも言えば良いのか。この感情に名前を付ける事は余りにも難しく。嗚呼けれど強いて言うのならば、長かったワルツの『終わり』を感じているのだろうか。 「ねぇ、マリー……あなたはこれで満足した?」 「――いいえ。まだ、よ」 立ち上がる。強引に身体を引き摺り起こして。無くなった足の代わりに刃を地面に突き立てて。少女はフランシスカを見詰める。お互いに見る影も無く血に塗れ、けれど勝敗は明らかで。それでもまだ、少女はもっとだと腕と繋がった刃を振り上げる。半ば身を投げ出す様にフランシスカの腕へと通された片刃に向けて、叩き下ろされるもう片方。また大量の鮮血が散って。眩暈と共に運命が燃えるのを感じた。 崩れかけた膝を支えて、力の入らない手ごと強引に刃を握り直したフランシスカの目の前で少女は笑う。 「まだもう一本あるわ。これが無くても羽があるわ。腕が無くなったって刃が握れなくたってそれが何? 命ある限り這いつくばってでも敵を一人でも多く殺すわ、ハイデマリー・クラウゼヴィッツは死ぬまで刃であると誓ったから!」 荒い呼吸音。もう限界だ。それを分かっているのだろう少女はそれでも笑みを浮かべたまま、それに、と何時かの様にその刃をフランシスカに突きつける。 「満足なんかできないわ。死ぬまでやらなきゃ。その首頂戴って言ったでしょう、フランシスカ」 「そうだったわね、でもあげられないのよ。……代わりに、終わらせてあげる」 じわり、と刃が黒さを増していく。夜の帳が降りていくように。刃先まで漆黒。これが齎すのはもう醒めない夜の畏怖だ。競り上がる感情を呑み込んで、其の儘一閃。ばしゃり、と返り血が降りかかる。肩口から深々と抉れて、骨が覗いて。それでも、ハイデマリーは立っていた。焦点の合わない瞳がフランシスカを見る。細い、呼吸音。 一歩、二歩。踏み込んで。刃を振り上げて。けれど、その身体はもう動かない。ぐらり、と寄りかかるように崩れ落ちた少女は既にその命を終えていた。最期まで握られていた刃が、折れて地面に転がり落ちる。 「……みんなこの刃とわたしの心に刻んでおくよ。そしてずっと忘れない」 楽しかったよ、と囁く声が、溶け崩れていく少女の身体に最期のワルツの終わりを告げた。敵の数は明らかに目減りしている。それを見届けて、アーサーは即座に最も傷の深いフランシスカへと清らかな微風を呼び寄せる。仲間を激励し背を押すそれが、リベリスタに力を与えるのだ。あと一歩、もう一歩で勝てるのだ、と。 刃は既にアルトマイヤーに届いている。全力を以て叩き付けられるそれを、庇う親衛隊はもう残っていなかった。それほどまでに押されて尚、男は笑みを崩さない。何時だってそうだ、この男は負けるつもりはないと、必要な戦果を持ち帰ると悠然と笑って見せていたのだ。そして、それはきっと今も何も変わらない。喩え、この先がもうないのだとしても。 「なら、最期まで余裕の笑顔でお願いしたいものだね、少尉」 「勿論。この程度何と言う事はない。今から君達全員を殺せば済む話なのだから」 そう嘯く男の瞳が、先に逝った少女の残した刃を見遣る。後で会おう、と呟く声を聞きながら、ミカサはただ、初めと同じ様に笑みを崩さぬ男を見据えた。 ● 黒い軍服は濡れてその色を濃くしていた。浅い呼吸を繰り返し、それでもリベリスタと相対する少尉の元に迫る白銀の篭手。爆ぜる雷光がその喉元を焼く。鈍い咳と共にぐらつくからだ。押し切れる、と確信した。 負けない。護りたいものがある人間は強いのだ。それを彼も、そして自分も知っている。銃口が動くのを視界に捉えながら、悠里は真っ直ぐ男を見詰めた。 「僕は、僕達は全てを守って、君に勝つ! ――僕達が! 境界線だ!」 其の声と重なる様に放たれる銃弾が狙う先は、一度も狙わなかったエレオノーラ。多くの人間にとって致命傷になりかねない告死の弾丸を見詰めるかんばせが微笑んだ。突き抜けた心臓の持ち主は、圧倒的速力が生み出す残像。男の瞳が驚愕に見開かれる。 「悪いけど、これはただのノーフェイス退治よ」 その選択が己の意思でなされたものならば、エレオノーラはそれを否定しない。それが己の持つ人生の哲学(セレマ)。けれど、それを如何思うかはまた別だ。只の化け物退治。そうだ。それだけに、なってしまったのだ。 「……つまらない男ね。最後の最後まで」 「ご期待に添えず申し訳ないね。嗚呼、……もう一度が無い事が、少しだけ惜しいな」 次こそは当てると言う事も出来やしない。そんな声を聞きながら、拓真はその足を進める。熱を持って猛る全身の力を、箍を外したまぎれもない全力を、この二刀に。迫り来る拓真の姿は、何時か肩に傷をつけた彼を思い出させるようだった。 借りがあるままだった。命を賭して仲間を救った彼に、報いる方法はきっとこれしかない。だから、だからもう一度だけでいい。どうかこの手に力を。仲間を護り抜くための力を少しだけでいいから――! 「いけ、拓真! 僕達が! 境界線だ!」 背を押すように。聞こえた相棒の声に応える様に叩き付ける。抗いようもない最強の破壊力をけれど、男は避ける事が出来なかった。武器さえも挟む事が出来ない。それを握る肩が痛む。言う事を聞かないそこは、あの日誰かが命懸けでつけた傷の場所。鮮血が大量に飛び散った。 「アルトマイヤー、貴様は同じ男に二度負けるのだ。彼の繋いだ、可能性に……!」 「否、未だだ。未だ私は戦えるぞ拓真、――覚悟したまえよ……っ」 振るわれる銃剣。身に覚えがあるのだろう体術を以て突き出されたそれは拓真の喉元に迫り来る直前で、割り込んだ左腕が受け止めた。筋を裂き骨に当たるそれが抉り取るように動く。ぼたぼたと血が落ちて、痛みに寒気がして。それでも、快は逃さぬと言うように力を込め、銃身を引き寄せる。 目を合わせた男が、薄く笑う。それを合図とするかのように、快は後ろを振り向いた。 「――構わない、このままやれ!」 それに応える様に、前に向いた銃身は二つ。 ● 何時かもし死ぬ時が来るのならば、その時はきっと己で己の頭を撃ち抜くのだと思っていた。 一度試したそれは運命の気まぐれで阻まれたけれど。次、もしも負けた時――否、次もし、何か喪いたくないものを失った時には。 この手は間違いなく己の頭を撃ち抜くのだろうと、そう思っていた。けれど嗚呼。自分はそれを出来なかったのだ。 ――わかるか、アルトマイヤー。死なない限り負けないんですよ。 あの男が、確かにそう言っていたのだから。 ● 強引に、刃が引き抜かれる。膝をついた快から逃れる様に身をよじった男が足掻くように引金に指をかける。それが、木蓮の瞳にはありありと見えていた。最期の最期も、狙うのは龍治。それを感じ取って、その身体は即座に動いていた。 戦場に響いた銃声はほぼ同時に二つ。ぐらり、と傾いだ木蓮の身体が地面に崩れ落ちる前に、それを受け止めたのは龍治だった。そして、ほぼ同時にぱきん、と。軽い音を立てて落ちる漆黒の破片。木蓮は身を挺して弾を受け止め、確かにその脅威を砕いたのだ。相棒とも言うべきそれに空いた穴を僅かに見遣る少尉を、一瞥して。 龍治はそっと地面に恋人を横たえる。負けないで、と細い声に頷いて、何も言わず狙撃手は銃を構え直した。視線の先で男が笑う。嗚呼。この戦いも、この手腕も、恐らくは自分の事さえも。いずれ全ては報告書上にのみ残ると言う日が来るだろう。それさえも顧みられなくなることだってありうる。 それが歴史だ。それが、敗者と言うものだ。けれど。自分は、自分だけは。 「優れた狙撃手が、アルトマイヤー・ベーレンドルフと言う男が確かに存在した事を、俺は忘れない」 「どうか美化せず留めてくれたまえよ。――最後が君なら、悪くない」 集中を高める。ただ只管に一点に。狙うのは一撃で敵の命を奪うであろう場所。未だ脈打つのであろう其処に、狙いを定めて。 かちり、と引金は引かれる。 ● 残りの敵を全て薙ぎ払った後。戦場に落ちたのは耳が痛い程の静寂だった。否。其処に僅かに聞こえる、細い、細い呼吸音。其処に倒れているのは最早もう死にゆくだけの化け物だった。けれど、それでも。握り締めて居た刃を収めて、快は何も言わずに膝をつく。蒼いままの瞳が此方を見遣るのを確りと見返して、一呼吸。 「――墓には、何と刻む?」 「君は実に甘い男だ。敵にまで……その死まで背負うのかね」 鈍い咳を孕む笑い声。新田快と言う男は何処までも、何もかもを護らんと手を伸ばすヒーローであり。同時に己の手が奪い取った何もかもさえも背負い込もうとする優しさと言う名の傲慢さを持つ人間であり。けれどそれ以上に日常を生きるごく普通の青年なのだ。理想と言う名の死神は何時だって彼の喉元に、その心に刃を押し当てている。 それでも。それを知っても尚。彼は背負う事を止めないのだろう。物言わず、ただ答えを待つ様に視線を投げる快にもう一度笑って。 「必要ない。だが、私の……俺の我儘を聞いてくれるのなら、『それ』を」 折ってくれないか。指先が示す銃剣に絡み付く銀と、先で折重なる二枚の認識票。分かった、と短い了承を返せば感謝する、と細い声。焦点の合わなくなった蒼い瞳が、宙を彷徨って。 「嗚呼……悪かった、負けてしまったな」 ぽつり、と。漏れた言葉と吐息を最期にひとつだけ。それ切り沈黙した男の身体は原型を残さぬままに溶け消えていく。まるで、何かに攫われていくように。それを見詰めながら、霧音は僅かに、感慨にも似た感情を吐き出す様に息をついた。この境内で、初めてこの男と見えた時は碌に戦う事も無かった。次に会った時は紅の瞳を穿たれた。けれどその次で示した矜持に応える様に、彼は己の名を呼んだのだ。 そんな男と自分は、少しだけ似ている様にも思えた。彼にとっての闘争は奪われぬ為でもあったけれど。戦う事でしか己を証明できなくもあったのだろうから。その証明を、霧音は記憶と魂に刻み込むと決めていた。 「――最期まで誇り高く戦った、そんな貴方達の相手となれて良かった」 憐れみを持ったりはしない。霧音は霧音として、彼らに向けるべきものを持っていた。彼らと戦い彼らを終わらせる。それを選び、決めたのは間違いなく自分であったのだから。貴方を預からせて、と囁きかけた言葉を呑み込む。恐らく、彼が望むのは、愛すべき部下達との先であるのだろうから。代わりにありがとう、と囁く声。 静かに伸ばされた快の指が、古びた二枚の銀色を掴む。折り曲げれば容易く折れるそれを二回。其処に刻まれた名を見る前に、錆びたそれは朽ち崩れ風に攫われていく。 戦場に残ったのは、罅割れた銃剣だけだった。 ● 迎えが来たような気がした。 負けやがって。それでも俺の飼い主かとへらへら笑いながら責める声が聞こえる気がした。 だから、少しだけ笑って。 「嗚呼……悪かった、負けてしまったな」 囁いた声が音になったのかは分からなかった。嗚呼けれど、彼は、先に逝った部下達は何処か満足げな気もするから。きっとこれで良かったのだろう。 護りたいものは護ったのだ。 矜持だとか誇りだとか、命の意味だとか。抽象的で自己満足であったのかもしれないけれど、それでも。 最期まで戦い抜いた事に意味はあったのだろうと、少しだけ笑った。世界が滲んでいく。嗚呼。この先でもし言葉が交わせるのならばよくやったと告げてやらねばならないだろう。 そしてまた言うのだ。 ――さあ、次の『戦果』を見せてくれたまえよ、諸君! |
■シナリオ結果■ | |||
|
|||
■あとがき■ | |||
|