●Gardenia ――――物謂わぬは花、クチナシの色。 智を見捨て、共を見捨て、友を見捨てた。思考を欠き、腕を落とし、妹を捨て置いた。 テレジア・アーデラインはクレッセント・ゴールドの長い髪を振り乱し床に頭を擦り付けた。 何が悪かったのだろう。生まれ落ちた場所か、親か、友か。 この世は全て金の上で成り立っている。 子供が空腹に耐えかねて泣いて縋っても、助ける手など何処にもない。幾度、虫を食い、草を食い、溝を食らった事だろう。 これも全部祖国を我が物顔で牛耳る根無し草のせいだ。劣等の分際で私達を踏み躙り貶めた。 貶めた……アァあああああああああああああああああああああ。 深窓の令嬢めいた、テレジアの出で立ちは崩れ落ちて、灰色の床に這いつくばる姿は甚だ滑稽。 まるで壊れたビスクドールの様だ。 「もう、沢山だ。何故なんだ。何で、なんで!!!!」 片方しかない腕を灰色の床に叩きつける。 何故、私がこんなにも惨めで虐げられて行きねばならない。嫌だ。嫌だ。嫌なのだ。 世界はこんなちっぽけな私ですら救ってくれず。ただ、傍観して見殺すだけの存在だ。 こんな劣等だらけの世界なんて、もう要らないのだ。必要無い。 私の存在など、とうに、とうに必要無い。 急速に身体の力が抜けていく。エアウェイ・ブルーの瞳から次々に溢れ出てくる雫は音を立てて灰色の地面に落ちた。 手を床にに叩きつけても、響くのは小さく乾いた音だけ。 「ノルベルト……私は、私は」 未だ愛しい人をこの脳は覚えていた。口から溢れた名前はテレジアの恋人の名だ。 先の大戦の最中、劣等との戦いの中で帰らぬ人となった。戻ってきたのは唯一、この胸のネックレスに繋いだ指輪だけ。 かの親衛隊長官が居なくなり返すべき場所に戻る事の出来なかったルーンが刻まれた指輪は彼女の胸に大切に仕舞われていた。 縋るものはもうこれしか残っていない。捨て置いた次女の事を思えば軋む胸もテレジアの精神を蝕む要素の一つ。 錯乱した自分を見限り剣を向けた三女のオティーリエは、長女テレジアの差し出す手を叩き落として何処かへと消えた。いつも一緒に居た姉妹がバラバラに消えゆこうとしている。 けれど……。 「どうせ、他人。血も繋がらない他人なんて……必要ない」 絞りだす声が掠れて、その言葉が虚しく響いた。同じ貧しい思いをした姉妹だけは自分の事を分かってくれると思っていたのだ。それなのに妹から出た言葉は自分を蔑むものだった。 『脆弱なお姉様。歪んだお顔も、なくなったお手々も、今のお心もおんなじね。そんな風体で劣等をぶっ殺せると思ってるの?』 オティーリエの声が脳内に木霊する。劣等を見るような目で私を見るな。 『あは! そんな弱っちいお姉様なんて要らない。勝手に野垂れ死ねばいいのよ』 煩い、煩い、五月蝿い!!!! 「あぁ……イヤァアア!!! もう、イヤぁああああああああ!!!! 死ねぇえええ!!! 皆、死ね!!!! どいつもこいつも、皆死ねよ!!!! 私も死ねぇええええええ!!!!!!」 ヒステリックに髪を掻き毟り、額を床に打ち付ける。 脳内がぐちゃぐちゃでただ、憤りと叫びと嘆きが身体の中を駆け巡っていた。 「五月蝿い■■ね。そんなに死にた■■ば死ねばいい■■ないですか」 ザザザザザ……。 ノイズが走る。漣の音が遠く近く寄せては返していく。 部屋の隅、電球の切れた影にリッド・ブルーの瞳が輝いていた。ボロボロの黒いコート。 フードを深く被っているので顔は分からない。しかし、テレジアはこの風体に見覚えがあった。 実験兵器開発の施設で何度か見かけた事がある。オルドヌング長男の死体を運んでいたのはこの男だったから。 「まぁ、要らない■■ら私が貰っ■■げてもいいで■■」 声にノイズが重なって上手く聞き取れない。けれど、もうどうでもいい。考える事などできない。 思考が止まって拒絶している。考える事、生きる事、受け入れる事に。 だから、もうどうでもいいのだ。 私が掲げて来た矜持など、もう何処にも無いのだと思い知らされたから。 この悪魔の手をとった所で失うものなど、もう何も残っていない。 ――――願わくば、安楽を。早急なる死を。 『あなた、痛みと苦しみにどれだけ長く耐えれるか試してみるのも面白いわ。そうだわ。あの少尉から貰った兵器を使ってみるのも良いわよね』 「そう■■。君が言うなら■■しようか」 ●noise ザザザザザ……。ザザザザザ……。 脳髄に南の島で聴いた潮の音がする。ブライト・シーの碧が煌めいた岸辺で聴いたどこか懐かしい音。 ああ、何だろう。何か忘れて居るような。思い出しそうな。 微睡む海色の瞳で壁にかかった時計を見れば、既に起きる時間は過ぎ去っていた。 “いつも”なら誰かしら起こしに来てくれるはずなのに。と思った所で目が覚める。もう、その“いつも”など在りはしないのに。 朝からとても憂鬱な気分になった。 「敵エリューションの討伐をお願いします」 ブリーフィングルームの空調はどこか寒々しくリベリスタに吹き付けている。資料を片手にモニターの前へ立っているのは『碧色の便り』海音寺 なぎさ(nBNE000244)である。 発せられる声に何処か不機嫌さが混ざっている。必死に隠しているつもりだろうが、案外顔に出てしまうのは幼さ故か元来の性格故か。 海色の瞳が資料を追う。 決戦の夜を敗走し、生き残った親衛隊が動き出した。残存する親衛隊を率いているのはアルトマイヤー少尉。主要戦力を失った彼等に以前程の力はない。 しかし、仲間の死を無駄には出来なかった。今までそれを踏み台に進んできた意味が無くなってしまう。 何も残す事が出来ないのなら、せめて方舟に一矢報いてから命を終えたい。 其のためなら、自分達の命すら惜しまない。彼等が手に取ったのは仲間が残した実験兵器。 『総員、好きにやりたまえ』 アルトマイヤーが一言命じる。 世界の旋律から外れる代わりに強大な力を与えるその兵器を使用する事も、これから先の行動も、全て個人の選択に委ねるという意味だ。 もちろん、実験兵器を使用して更なる実験を試行したとしても、咎められることはない。 世界を呪う亡霊(実験材料)を思うままに出来るなど、研究室に居た頃を思い出す。 狭い檻の中に醜悪な継ぎ接ぎ生物を押し込めて、実験を繰り返したあの風景を……。 「海音寺?」 なぎさは顔を覗き込むリベリスタを見つめて現実に戻ってくる。額を抑えて振りかぶった。 「すみません、少し夢を見ていました」 「予知夢か?」 どんな夢であったか。思い出そうとすればすザザザザザ……。ザザザザザ……。ノイズが大きくなっていく。 「……分かりません。思い出せないです」 しかし、ノーフェイスの親衛隊と集まったエリューションについての情報は資料にある通り。増殖性革醒現象によりテレジアの周りあった無機物が攻撃性を帯びていた。それらも含めて兵器の力を得たテレジア・アーデラインの呪いと嘆きを断ち切って欲しい。 「彼女は苦しんでいます。だから、早く開放してあげて下さい。お願いします」 フォーチュナはそうリベリスタに伝えて彼等を送り出した。 ブリーフィングルームの壁に凭れ掛かってなぎさは頭を抱える。先ほどの夢で聞こえた懐かしいノイズの音が頭蓋に鳴り響いて離れない。 この音は懐かしい。けれど同時に悲しい。考えても栓のない事だったから。 どうして、迎えに来てくれないのか、なんて何百回思ったことだろう。蓋をして考えない様にしていた父と母の事を思い出す。 テレジア・アーデラインの幼少時代と自分の生い立ちが重なり、なぎさは海色の瞳を静かに伏せた。 ――――物謂わぬは花、クチナシの色。 『痛い……嫌……、痛いいたいイタイ……もう、嫌よ……助けて、殺してぇ……』 かつての聡明なテレジア・アーデラインは既に処らず。アイアンメイデンを抱えた老婆が悲痛な声で慈悲を乞うていた。 けれど、彼女の声帯は既に取り払われて漏れる音は声にならない醜い雑音(ノイズ)。 ――――物謂わぬは骸、口無しの色。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:もみじ | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年10月14日(月)23:45 |
||
|
||||
|
■メイン参加者 8人■ | |||||
|
|
||||
|
|
||||
|
|
||||
|
|
● インディペンデンス・ネイビーの秋夜に吹く風は少しばかりの哀愁を感じる。『アウィスラパクス』天城・櫻霞(BNE000469)は紫金の瞳を夜空に向けた。 教会の前に佇む異形と化した、棄てられしクチナシの花は手酷く手折られている。 一度心を折られた人間が再起する例は稀だ、と櫻霞は呟いた。 自身の内にある記憶にも同じような感傷が刻まれているからだ。紙一重で自分もそうなっていた。 だからといって、猛禽の爪は攻撃を厭わない。彼の背には守るべき人の想いがあるから。 『ODD EYE LOVERS』二階堂 櫻子(BNE000438)が櫻霞の指に触れる。 本当は目を瞑ってしまいたい、この場にだって居たくはない。この目に映るのは、唯の絶望ですもの。 夜風で冷えた指を一つ一つ絡ませて、恋人の手を強く握った。 ――――それでも此処に居るのは、彼を護りたいと願うから。 全てを救うなんてできないから。ただ、この手の温もりだけは失いたくない。 櫻子はたった一人を救えればそれでいいのだから。 「全く、自殺ついでに特攻かまされたんじゃたまんないわね。幇助する側の立場を考えなさいよ」 カテドラルの黒髪が風に煽られる。『重金属姫』雲野 杏(BNE000582)はサーフグリーンのギターを手に小さく悪態をついた。気怠そうな表情が何時もにも増して彼女に張り付いている。 杏にはテレジアの込み入った事情など関係の無いこと。フェイトも無い口無しの骸にしてあげれることは一つだけであろう。 「まあ、アタシたちの目的と、貴女の望みは一致してるようだし? 叶えてあげるから大人しくしてなさいな」 仕事の為に、お金の為に。生きている者の糧の為に。大人しく死んでしまえばいい。 「悪いな、遅れたか?」 言葉と共に風がビュウと吹いた。走り抜けた速度のまま『停滞者』桜庭 劫(BNE004636)が意匠を彫像された剣を振るう。それは、散らばったマリア像の3体を捉えた。櫻霞と櫻子が絡ませた指を離し、戦闘モードへと切り替わっていく。 「あら、可哀想。妹に見捨てれた挙句に怪物に改造されるなんて。とっても素敵ですね。その絶望、美味しそうです」 グラファイトの黒『残念な』山田・珍粘(BNE002078)那由他・エカテリーナがインディペンデンス・ネイビーの夜空に紛れて黒く染み出した。エメラルドの瞳は笑い、唇は三日月。 ――――彼と言うか、彼女も中々良い仕事をしますね。今度会った時は、お礼を言いましょう。 フォーチュナには聞き取れなかった雑音(ノイズ)を那由他は敏感に感じ取っていたのだろう。 同じ深淵だからこそ、同期する周波数があるのかもしれない。 劫が動いている場所とは別方向に向けられた黒鉛の不吉は数体を巻き込んで空気を淀ませる。 テレジアの身体がビチビチと細胞分裂を起こし、筋肉の間から血と脂肪が吹き上がった。そこから姿を見せたのは無数の大砲。ギチギチとピンク色の筋肉と絡まって質量を増していく。 『……テ、苦しい、ウルサイ、死ね、イタイ、イヤァアアアア』 リベリスタの脳内に化け物の叫び声が木霊した。壊れたラジオの様に垂れ流される雑音。 「妙味も何もねェ喧嘩だぜ」 『華娑原組』華娑原 甚之助(BNE003734)はソードオフ・ショットガンを構え、敵陣の真ん中に陣取った。繰り出される蹴りはまるで暴れ狂う大蛇の様。 血の涙を流すクラーゲン・マリアの瞳が開かれる。一瞬の閃光と共に浴びせられたブラッディ・レッドの血飛沫。それは『アッシュトゥアッシュ』グレイ・アリア・ディアルト(BNE004441)自身の赤だ。 「やれやれ、日本では「立つ鳥跡を濁さず」とか言うんだろう? 引き際はきっちりするのが美しいんじゃないか」 銀の髪を赤に染め、アッシュは少しばかりのため息をつく。道を誤ったテレジアにネプチューンの瞳を向けた。――――心配するな。きっちりとカタをつけてやる。 それは慈愛か憐憫か。どちらにしろここで終わらせなければならないのは変わらない。 グレイはその手前のマリア像にダークグレイの閃光を解き放つ。 テレジア・アーデラインは、その人格が形作っていた意識は、既に失われているのかもしれない。 主義も何も無く動く、クチナシの化け物。死に場を求めて、苦しむだけの存在。 「けど、その方が……やりやすいです。ごめんなさい」 『贖いの仔羊』綿谷 光介(BNE003658)はホリゾン・ブルーの瞳を少し伏せる。 脳裏に浮かぶ家族の顔。後悔と負い目に幾度赦しを乞うただろう。いつしか、それは「自分が出来なかった事をやり直す」という形で少年の心に刻み込まれた。 大義ある戦争より、絶望が乱立するエゴのぶつけ合いの方が肌に合うのだと。 光介は探している。エルヴの癒やしを的確にグレイへと施しながら。自身の対極のエゴを。男の残滓(ノイズ)を。 散開するマリア像へ紫電の爆音を轟かせるのは杏。THE STAR PLAYER XVIIに響く重音。 「こちとら露払い専門にやってるようなもんなのよ、物量で勝れば有利だと思ってもらっちゃ困るわね!」 仲間の攻撃によって傷ついていたフェーズ1のE・ゴーレム達が杏の一撃で破砕されていく。 辛うじて残ったマリア像もその耐久力を半分以下にまで減らしていた。それ程までに、彼女の爆雷は凄まじい威力を誇っていたのだ。 しかし、マリア像のフェーズ進行が加速する。クラーゲン・マリアと同等にまで引き上げられた2体のマリア像は甚之助に纏わり付き、レーヴルを彼の身体に擦りつける。 「熱烈なキスは有り難ェが、生憎人間専門だからよ」 ダメージを受けた甚之助の口がニヤリと笑う。傷は負えど彼には魅了は通じないのだ。 甚之助が背後に感じた生暖かい気配は、テレジアの化け物じみた吐息だ。盛り上がった腕に優しく抱きしめられれば、無数の大砲が腕の中の甚之助に向く。 身体を突き抜ける幾百の弾丸は致命傷。極大のデッドカーニヴァル。 けれど、甚之助は笑みを崩さない。何故なら、この死より酷い死を知っているから。自身の物ではない記憶がこの頭の中に流れ込んだ時から。だから、彼は倒れない。 甚之助の視線の先には、劫がマリア像を切りつけた余韻が残っていた。 櫻子は櫻霞の後ろに守られるように立って居る。手にした弓は魔力を引き上げるための媒介。彼女はそれを掲げて希薄な高位存在の意志を汲み取っていく。優しい声は仲間を包み込み、急速に傷を癒していった。 恋人の声は何時聞いても櫻霞の耳朶に心地よく響く。両の手には45口径の大型拳銃。 黒金と銀紅を携えて櫻霞は知覚し得るだけの敵を照準に収めた。 連続で打ち鳴らされる弾音は劫の追撃を免れたマリア像を見逃さない。弾丸の軌跡はクリムゾンとヌエットの螺旋。猛禽の爪は3体の聖母を葬り去る。 ――――敵がマリア像というのも皮肉と言うか。これだけ居るのに、どれも彼女の痛みを癒すことはないんですからね。 グラファイトの黒が自身の血をノクターンの瘴気に変えていく。這いよる深淵はマリア像を蝕んでい行った。那由他は三日月の唇で楽しげに混沌を踊る。 「この半歩は、局面を保つ半歩です!」 光介の移動した一瞬後に、クラーゲン・マリアの閃光が走る。甚之助に回復を施す為、万式実践魔術を確立させながらも歩を緩めなかった彼は敵の攻撃から逃れた。 直撃を受けた那由他、櫻霞、グレイが血を浴びた。 暴れる大蛇は仲間を巻き込み地を爆ぜる。マリア像に突っ込みあばれる甚之助は劫に攻撃をすることを厭わなかった。聖母のレーヴルに侵されたグレイは杏へとその十字弓を向ける。 撃ちだされた痛みの呪いは杏の身体を蝕んだ。彼女が瞳に陰りを感じて顔を上げれば、聖母の笑みがあった。ブロックしきれなかったフェーズ2のマリア像が杏を取り囲む。 「冗談じゃないわよ」 懸念はあったのだ。敵の数が多いということは後衛にも浸蝕してくるということ。 彼女の傷ついた身体を聖母が慈悲に満ちた抱擁とキスで抱きしめる。死へと誘うために。 「だ、から、冗談じゃないって言ってるでしょ!!! あんた達なんかに負けたりしない!!」 彼女の背に纏ったデレクタブルの輪郭が大きく広げられた。放電を帯びた翼から繰り出される風陣がフェイトの色を負っている。彼女の運命が消費されたのだ。 死を望むなんて……馬鹿な事ね。 そこまでしなくちゃいけないほどプライドでも傷つけられたのかしら? 杏はテレジアから送られてくる雑音に耳を傾ける。発せられるのはただ死にたいと苦しいと痛いと助けてと……。 狂気とも呼べる精神状態は既に廃人と言っても構わない域に達していた。 いえ、どうでも良くなったのね、この世が、この世界が。 それは杏の思考であったが、テレジアの心中はその言葉を肯定していた。 ● ――――何が悪かったのだろう。敵の攻撃力か先手を取られたことか。タイミングか。 甚之助はテレジアの下敷きになって肋骨を肺に突き刺していた。 杏はブラッディ・レッドの海に沈んでいた。 グレイは叩き潰された腕を一瞥して立ち上がる。彼は痛みを「知覚」できるが「感じる」ことはない。 脳内のフィルターがそうさせているのか、彼が元から無痛覚者だったのかは定かではないが、この時ばかりは痛みで思考が淀まない事に安堵した。痛覚無く、命を一回分消費したのだから。 「お前たちが捨てて喪った運命を使って、オレはこの場に立ち続けるし、お前たちを打破してやるぜ」 吐き捨てるように言った言葉と共にKresnikからシルヴァー・グレイの弾丸が打ち出される。 痛みを呪いに。灰を灰に。アライブを――――デッドエンドに。 加速していく弾丸は螺旋と褐色を帯びてマリア像の頭蓋に着弾した。 飛び散るジョーンドナープルの火花が一瞬だけ辺りを昼間の様に明るくさせる。 粉々に砕け散るマリア像はキラキラと粉塵をまき散らした。 聖母を破砕した砂煙りの向こう。グレイのネプチューンの瞳がテレジアを一瞥する。 悲壮に歪んだ、苦痛に歪んだその顔、化け物じみたその身体。 まだ、意識はあるだろうか。グレイは思う。この戦いを今すぐにでも終わらせてやりたい。 この様な状態のまま無体を晒している事を彼は少しだけ哀れんだ。 軍服を纏うものとして。誇りと共に死ねなかった彼女を。 感傷という名の自分勝手な妄想だと、自嘲しながらその目は前を向く。 自身の憂いを晴らすために、下らないこの戦闘を少しでも早く終わらせる為に。 セイント・シルヴァのロザリオを抱えて彼女に死を齎す為に。 『普段通りにやるだけだ、背中は任せるぞ』 そう、肩越しに優しい声を掛けてくれたというのに。 『勿論です、櫻霞様の御背中は私が護ります』 そう、肩越しに誓いの言葉を掛けたというのに。 目の前の惨状は何なのだろう。愛しい恋人の血が櫻子の頬にまで飛んできた。ツウと白磁の肌を撫でる櫻霞の血は温度を奪われて少し冷たい。 櫻子に向けられた射線に櫻霞が無理やり押入った。ただ、それだけの事。 そうされることを2人共が望んだのだ。だから、これは起こりえるべくして起こった惨状。 けれど、どうしてか。愛しい人が目の前で赤く染まる姿を見たいと思うなど在り得ないことで。 運命が消費され続ければ、いつか必ず終わりが来る。 もしかしたら、この戦場で愛しい人を無くしてしまうかもしれないのだ。その恐怖。 「櫻霞様っ!!!」 血溜まりの中に倒れゆく櫻霞を櫻子はその美しい着物が汚れる事を厭わず背中から抱きとめる。 耳に伝わる鼓動が段々と小さく成って行くのがわかった。命が消えそうな事がわかった。 だめだ。だめだ。だめだ! 彼が悲願を叶えるその時まで、否、それからも添い遂げると誓ったのに。 こんな所で死なせてはいけない。だめなのだ。 錯乱と共に切り替わる思考。この手の温もりを護ると強く握ったのは嘘だったのか。 否、否、否。救う手立てはこの手にあるではないか。 櫻子の青赤の瞳が見開かれる。希薄な上位存在を手中に。応えるのは聖母より遥かに高み。 聖なる神の言霊。――――癒やしの福音。 櫻子の身体がセレスト・ブルーの淡い光を放つ。それは櫻霞を優しく包み込み戦場を一瞬だけ神々の楽園へと導いた。それは、二人が住む屋敷の光りによく似ていた。 「櫻子……」 「櫻霞様!」 闇色のロングコートが風に靡く。彼は運命の消費と恋人の癒やしで立ち上がった。 ナイトホークが、クリムゾンイーグルが眼前その銃口を向ける。 背を護ってくれる櫻子が居るからこそ、櫻霞は戦場に立ち続けられるのだ。 ならば、素早く敵を殲滅するのが彼女を護る事につながるはずだ。 「敗者は敗者らしく地に伏せていろ」 戦場に響いた二発の銃音。クラーゲン・マリアの眼窩に穿たれる2つの穴。寸分の狂いも無く、血に濡れた眼を弾丸が通過する。 ● 今更、殺してくれだの、なんだの。散々、こっちに迷惑かけた癖になんなんだよ。 劫は心の内に悶々とした想いを抱えていた。 グレイが倒れ、光介が命一回分を消費している今、テレジアを抑えることが出来るのは彼だけであろう。裏を返せば、劫が膝を付いた時点でこの戦場に血の雨が振るということだ。 選択を見誤れば、全滅の文字が見える。同情はすれど、此処を引くつもりは毛頭ない。 「安心しろ、もう二度と目が覚めない様にきっちり終わらせてやる」 仲間の放った弾丸がテレジアの肩に着弾する。切り裂かれた場所からエンバー・ラストの赤が吹き上がった。劫もその返り血を浴びて真っ赤に染まっている。 ああ、記憶が揺り動かされる。『赤い色』に。 自分以外の何者かの記憶。青と白のコートが視界の端にいつも写っていた。 死闘を叫んだ。立ったまま潰えた記憶。 テレジアの抱擁が、幾百の大砲が、功を貫く。歪む視界、染まる赤。 アガットの、オータム・グローリーの、クリムゾンの、赤。赤。赤。 筋肉が千切れて、ピンク色のてらてらした瑞瑞しさを外気に晒していた。撃ちぬかれた足にも数十箇所穴が空いている。 「が……はっ」 ゴポリと漏れる吐血は、鮮やかなシグナル・レッド。 一瞬にしてもぎ取られた劫の命はゆるゆるとした時間の流れを脳内で体験していた。痛みを覆うように恍惚とした視界が彼を支配していく。 ――止まる事が叶わぬなら、この刹那の中で加速しろ。 闇に沈む劫を引き止める誰かが言った。自身の声なのかそうではないのか、判断する事もできない。 けれど、このまま沈み込むことが心地いいと思う身体が居る。 もう、十分だから休めと己の身体が警告しているのだ。 そんなこと、出来るわけないじゃないか。そんなこと……。 ならば、止まる事が叶わぬなら。――――誰よりも早く、誰よりもその一瞬を生き急げ。 「……日常よ止まれ、君を誰よりも愛しているから!」 劫の声に処刑人の剣が呼応する。彼が愛したのは日常。何も知らない事が幸せであるべき日常。 突然奪われた友人や家族を想えば、この拳が打ち震えるけれど。 それを護るためにこの剣を取った。自身の出来る事を成すために。 此処で負けたら格好付かないだろう、覚悟を決めたなら後は踏み込むだけ。 そうだろう、桜庭劫。 「うぉおおおおおおおおおおおおおおお!!!」 叩き込まれる剣戟。テレジアの美しい頭部と醜い身体を切り離すように落とされる剣筋。 削ぎ落とされた醜悪な部分は、ドロドロと溶けて跡形もなく消えた。 ● 物謂わぬは、クチナシの花。 『痛い……苦しい、ううう、ううううう』 脳髄に響く雑音はテレジアの声。口の利けない彼女の声。今際のきわに想うのはただ、痛みと苦しみだけだった。 「死にたいんですか、テレジアさん?」 虚ろなエアウェイ・ブルーの瞳が頭上の那由他を見上げる。持ち上げられたテレジアの身体はもう殆ど残っていない。とても軽い。まるで、彼女の命の重さの様に。 「大丈夫、その望みはもうすぐ叶いますから」 子供をあやすように揺り籠の様に、那由他はテレジアを抱えながら小さく揺れた。 その様子を見つめる光介は、手がかりを探している。リッド・ブルーの瞳をした男の手がかりを。 ふと、テレジアの首に巻かれたチョーカーにタグの様なものが在るのが目に止まった。 ――2013JaSa.mask-0084T 刻まれた刻印に光介はホリゾン・ブルーの瞳を大きく見開いた。 mask……マサト・カイオンジ。 彼が追い求める男の残滓であった。あの12月の寒空に消えた男の足跡。 求道を続ける技術者特有の製造番号だったのだろう。0084Tは84番目研究対象『テレジア』だ。 (その軌跡を把握して、いつか先回りしてみせる……) そう、心に秘めて光介はインディペンデンス・ネイビーの秋空を見上げる。 那由他は持続痛覚から開放されたテレジアを抱きしめて言葉を紡いだ。 「……貴女、可愛くて大好きでしたよ」 とびきりの笑顔を写したテレジアの瞳はもう色彩を認識してはいなかった。 櫻霞は櫻子の手を握り、雑音(ノイズ)の無くなった戦場を見渡す。 ――死人に口無しとは良く言ったものだな。 「だが一人の命が散った所で、世界は何も変わらない」 だから、その命は無駄遣いだったのだ。リベリスタを殺す事も、自身を殺す事もできないまま、無為にしたのだから。 戦場を覆うのは、親衛隊との決着等という雰囲気ではない。 ただ、雑音に絡め取られた哀れな口無しの骸が転がっているだけだった。 |
■シナリオ結果■ | |||
|
|||
■あとがき■ | |||
|