● 休みが明けて、暫く。 子供たちの小さな唇で囁かれるのは数多の噂。 ひそ。ひそ。ひそ。 花子さん。 ベートーベン。 十三階段。 モナリザ。 踊り場の鏡。 赤い紙、青い紙 勝手に動く図書室の本。 図工室で暴れる彫刻刀。 処刑場。 元墓場。 病院の敷地。 追いかけて来る足音。 ひそ。 ひそ。 ひそ。 誰に聞いても判然としない噂の主。吉田に聞いた、笹川に聞いた、隣のクラスの皆木に聞いた、お姉ちゃんから聞いた弟から聞いた部活仲間から聞いたよく知らない子が話してた友達の友達から聞いた神隠しにあった子が教えてくれた。 誰に聞いても巡り巡って、結局誰にも辿り着かない。 ひそ。 ひそ。 ひそ。 生首のボールで遊ぶ少年やみこさんストレッチャーを転がす看護婦屋上に立つ少女テケテケ鳴り響くピアノ二宮金次郎骨を投げる骨格標本弾ける様に鳴るシンバルたろうさん動く校長先生の写真みどりさん四次元ババア煙の出る焼却炉鞠を持った幼女こっくりさん手すりの近くに立ち次の犠牲者を待つ少女さっちゃん異世界に続いてしまう階段人面魚内臓を奪う人体模型レイコさん足を引っ張られるプールブキミちゃん遊びに誘う知らない子赤マント夜の学校に響く校内放送4時44分。 ひそ。 ひそ。 ひそ。 ひそひそひそひそひそひそひそひそひそひそひそひそ。 囁かれる怪談が、小学校の中で蠢いていた。 ● 「はい、皆さんのお口の恋人断頭台ギロチンです。さて、九月も末ですが怪談退治に向かってくれますか、割と骨の折れる仕事だと思いますけれど!」 そう言って手を上げた『スピーカー内臓』断頭台・ギロチン(nBNE000215)が前に置いた資料は、やたらと断片的な単語だけの踊るものだった。 「がとがとさん、ゆうたくん、みつこさん、からすさま、ゆきこちゃん、ムラサキババア……昨年の夏頃から、特定の地域で『子供の噂話から発生したE・フォース』の案件が散発していたのですが、先日、裏で手引きをしていたのが黄泉ヶ辻のフィクサード『エフ・オア・エフ』――Fだと判明しましてね」 映し出されたのは、穏やかに微笑む老人の顔。 恐らくはアーティファクトを使っているのだろう。 子供の口を介して広まったその噂は力を持ち、やがて本物となる。 悪い夢と称して怪談を広める彼の意図は不明だが、行動が看過出来るものではないのは確かだ。 「アークに幾度も食い止められた彼は今回、一斉に多数の噂を広めた様子です。一つの小学校で語られる数多の怪談が、纏めて革醒しています。宛ら『百不思議』とでも言った所でしょうか」 ああ、でも百も相手取って頂く必要はありません、とギロチンは首を振った。 主要となるのは七つだ、と広げた掌に二本を付け足す。 「七不思議、となりますかね。個々の能力等は資料を参照して頂くとして、重要な事があります。――『七つの内、五つを倒さないと六番目と七番目に辿り着けない』んです。そして、一体一体を順に倒していると、その間に最初に倒したE・フォースが復活する危険性があります」 怪談は死なない。殺されない。 夜の学校で、何度でも蘇る。 故に、噂話の退治に必要なのは速やかな殲滅だ。 『要』となる五つのE・フォース達を倒せば、『夜の小学校の中』という限定的な条件で強力化した一種の特殊空間を打ち砕き、元凶へと辿り着く事ができる。 「幸い、未だそこまで強力ではありません。なので、五つの噂話は散開して倒して貰います。そうですね、人数配分的に二人組辺りが適当かなと思いますが、細かい調整は向かう皆さんにお任せしますね」 五つの怪談を倒すまで、三階へは上がれない。 上がった先には、六つ目と七つ目――そして八つ目の怪談、Fが待ち構えている。 「Fの詳細は不明ですが、戦力として特別に優れている、という訳ではなさそうです。とは言え、甘く見られるレベルの相手でもありませんが……首尾良く他のE・フォースを仕留めて向かえたならば、皆さんなら十分に渡り合えると思います」 資料を渡しながらギロチンはそう告げて、リベリスタを見た。 「今までに出た『怪談』は、全てアークの皆さんの手によって食い止められ、犠牲者はゼロです。今度も、噂話が噂話であるように。怪談が本物になるなんて事、嘘にして下さい。ぼくを嘘吐きにしてください。どうか、お願いします」 ● 古びた図書室で、彼は椅子を撫でた。 小さい椅子、背の低い棚。静かな夜の図書室。けれど。 何かが見ている。 何かが囁いている。 何かが背筋を撫でていく。 窓では腰から下のない少女が、枠に肘を付いて外を眺めている。 カウンターには、保健室から彷徨い出た人体模型が立っている。 見知った空間の非日常。悪い夢に満たされたこの空間。 「ねえ、獏お爺ちゃん。悪い夢だよ」 老人の掠れた声が虚空に言葉を紡いだ。 小学校の図書室に、未だ気温の高いこの時期に、冬の装いをした老人が立っている。 季節は幾度も巡ったのに、彼はずっと冬のまま。鴉の啼く森で、巡っても巡ってもただ一人。 「彼らは覚ませるのかな。どうだろうね。どうかな、皆中々悪い夢から醒めないんだ」 びっしりと文字が書き込まれたメモ帳を捲りながら、皺の刻まれた頬を吊り上げた。 「さあ、Fの悪い夢はいつ終わるのかな」 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:黒歌鳥 | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年10月08日(火)22:43 |
||
|
||||
|
■メイン参加者 10人■ | |||||
|
|
||||
|
|
||||
|
|
||||
|
|
||||
|
|
●清樹小学校の七不思議って、知ってる? 月の見えない夜だった。厚い雲に覆われて、星空さえも望めない。 鉄製の可動式柵に閉ざされた、『清樹小学校』のプレートが掛かった校門の先は、更なる闇に満ちているようだった。もし酔いに思考の鈍った人間が、中に入ってノスタルジーに浸ろうと柵に手を掛けたとして……恐らくは、動きを止めただろう。 『何か』がいる。 そんな漠然とした不安を抱かせる小学校は、リベリスタに覆い被さるような異様を以ってそこに佇んでいた。外見が奇妙な訳ではない。特段古い訳でもない、鉄筋のよくある小学校だ。昼日中は、全く問題なく子供達が通っているのだろう。だが、この『夜の清樹小学校』はそことは違う。 一歩踏み込めば、『それ』が見ている。『それ』が笑う。『それ』が腕を撫でて来る。 一種の異界と化した空間に――リベリスタは躊躇なく踏み込んだ。 『あー、テステス。皆そろそろ持ち場着く頃やろか』 『は~い、体育館から音が聞こえます~』 『うん。夜の小学校って、何だかドキドキしちゃうね』 『こちらはもう少々。加護は長くは持ちませんわ。どうか、皆様お気をつけて』 『兵隊さん兵隊さん、早くお越し下さい……なんてね☆』 各々身に付けた幻想纏いから流れ出すのは、仲間の声。 ざらざらざら、とそこにも音が混じる。ノイズが混じる。知らない女の声が知らない男の声が甲高い子供の声がざらざらざら、と。 けれど、それでも仲間の声を聞き誤ることはない。 この場に存在するのは、死者の怨念ですらない。 ただの実態のない――空っぽの噂なのだから。 ●ひとつめ『体育館の生首プレイヤー』 ばうん。ばうん。ばうんばうんばうん。ユーフォリア・エアリテーゼ(BNE002672)と『いとうさん』伊藤 サン(BNE004012)が聞いたのは、そんな音だった。 事前情報がなければ、それは確かに体育館でボールをつく音であっただろう。 例えばそうだ、たまたま遅くまで残っていた先生、忘れ物を取りに来た生徒。彼らは訝しむ。『こんな時間に、何をやっているんだろう』……思って、見に行くのだ。 そして、そして彼らが見るのは――。 「……ううう……怖いものがこの世から消えたら僕の世界は平和になるのに……」 光景を想像し、自分が今から間近で見る事を考えて伊藤はげんなりと金属製の掌で顔を覆った。何しろ生首だ。生首でドリブルしたりパスをしたりダンクシュートを決めたりするのだ。しかも自分の首。何考えてんだ本当。見なかった事にして全速力で駆け戻って布団被って震えながら朝まで待ちたい。そんで朝になって、『やっぱり気のせいだった』という事にしたい。けれど。 「それじゃ世界平和にはならないものね……」 覆った掌を力なく落として溜息。見なかった事にしても、この怪奇現象は消えないのだ。 「そうですよ~、それに学校の不思議がこんなに沢山だなんて~。不思議の価値が減っちゃいますよ~」 真っ白な羽を走る風にふわふわと靡かせながら、ユーフォリアは小さく笑った。ヘッドフォンの位置を調整し、仲間の声がよく聞き取れるように。これで万一誰かに何かあれば、すぐに分かる。 「早く任務を終わらせて~、不思議の価値を元に戻しましょ~」 ガラス越しに覗く体育館。半開きになって、さあおいでなさいとばかりに開いた扉。 そういうものなのだ。誘われて、人は思わず開けてしまう。そういう風に、なっている。 けれどそれでは、いけない。 「こんばんは~。今日は~、あたし達の相手をして下さいね~」 柔らかな声と裏腹に、引き戸をガラスが揺れる程に強く押し開き、蹴るのは壁。そしてバスケットゴールの柱。ユーフォリアが持ったチャクラムが、伊藤の持っていた懐中電灯の光を幾度も違う角度で照り返す。 ざくりざくり。血飛沫が飛んで、すぐに消えた。目前で見た首筋は、切られた断面も赤く白く生々しく。それでも手に持った生首は、苦痛の顔を浮かべてはいない。 目から血を流し口から血を流し、ニタア、と歯を剥いて笑った。 暗闇に浮かび上がる、生首を持った三人の少年。生で見るとより刺激的なそれに多少顔を引き攣らせながら、伊藤は不敵に笑って見せた。年上とは言え、女の人の前だもの。怖いなんて泣いてたら、男の子のプライドが許さない。 「そっちがバスケなら、僕は弓道とサッカーだ。プレイボール!」 拳を振り上げ、弾丸を打ち出す。中空で散った弾丸は、そのまま砕けて無数の火矢へ。降り注ぐ、業火の雨。燃えてしまえ、燃えてしまえ、さあこれはファウルではないだろう。 ばうん。ばうん。 生首が床で跳ねている。それ自体が意思を持って跳ねているかのように。ばんばんばん。人差し指の上で、くるりと首が回転した。次の瞬間、それが伊藤とユーフォリアの元に投げられる。 正面を向いた首が、一つ、二つ。 ユーフォリアの鎖骨の辺りに当たった首が、力で半分爆ぜた。血が跳ぶ。中身が顔に掛かる。ぐじゃりと潰れた顔は、それでもニタニタ笑っていた。 「あんまり長くは遊べないんですよ~、分かって下さいね~」 ユーフォリアが叩き落とせば、床に落ちてぐじゃり。ぐじゃり。けれど顔に掛かった血も、中身も、足元の首も次の瞬間には消えている。ばうんばうんばうん。再び首は、彼らの元へ。 うわあホントにグロイきもい怖い生々しい。顔面にモロに浴びた伊藤が、残滓が消えた後もごしごしと顔を擦るのに彼らは笑っている。 「……頭でドリブルって痛くならない? 脳震盪ならない?」 砕けて潰れて戻る頭。最早そんなレベルじゃないとしても、軽口でお返ししないと敵わない。 歯で、骨で引っ掛かれた痕から血が流れて少し痛いけど――もういいや。全部燃やそう。 ●ふたつめ『校庭に現れる落ち武者』 月明かりのない校庭。遠くの街灯の光も、ここまでは届かない。 進入してから殆ど動く必要のなかった二人の前に、他の仲間の背を見送ってから現れた光景は、小学校には……いや、現代には似つかわしくないもの。傷付いた当世具足、ほつれた月代、割れた兜に刺さった矢に折れた刃。『ここは昔合戦場で、沢山の人が死んだ』、そんな噂だったのだろう。 「数が多いですからね、離れないようにしましょう」 「うん、こんな所で躓いてなんていられないよね」 校庭のそこかしこから、音を鳴らして迫ってくる落ち武者に目をやり『夜翔け鳩』犬束・うさぎ(BNE000189)が確認と口を開けば、『先祖返り』纏向 瑞樹(BNE004308)も軽く笑んで頷いた。 七不思議。何も知らず、ごく普通の日常を送っていた頃には信じていた噂話。あの頃には、怖いと思えたのだ。それが悪かったなどとは全く思わないが、そのまま育っていれば、何れはその恐怖も忘れ『噂話』と笑い飛ばすようになっていたのだろう。 それが実際に相対する事となるとは、全く人生は不思議なものだ。導いた記憶と数奇な運命に一瞬だけ思考を巡らせ、瑞樹は現実と非現実の狭間に立つ校庭へと意識を戻した。 何故彼らが襲ってくるのか。それは分からない。未だに戦の最中だとでも思っているのか。 傍らに呼び出した大蛇の形をした影を従えながら、瑞樹は刀を鳴らす落ち武者へと今宵は見えぬはずの月を呼んだ。 「アナタたちのバックには、丁度いいかな」 紅い月、解き放つのは不吉の象徴。擬似の崩界の前兆に震えた空気が呪力を伝えて降り注ぐ。 武者は叫んだ――のだろう。そこに声はない。鬨をつくる事もなく、けれど叫ぶような様子を見せてこちらに斬りかかって来る。 狙いはさして精密ではなく、完全に避ける事は叶わずとも直撃以上の心配は余りしなくても良いだろう。けれど、先の通り余り時間をかけて遊ぶ訳にも行かないのだ。 錆びて半ば折れた刀を戦闘用緑布に巻き付け引き逸らし、うさぎは11人の鬼を振り被る。 悪夢か。この光景は確かにそうかも知れない。のぞみせんせいが切り裂いて行く武者達から溢れ出す血、血、血。血は池となって校庭に降り注ぐ。本当に幽霊だったとしたならば、そんな血も出るはずがないのに、彼らは血を流す。その方が怖いから。けれど血の池は、瞬きの間に消えてしまった。 「『いつ終わるのか』」 予知の中で、エフ・オア・エフの呟いていた言葉を繰り返す。近付いてきた武者の刃をいなしながら校舎を仰ぐ。未だ届かない、第一校舎の陰に隠れた第二校舎の三階。彼はそこで、この『悪夢』の顛末を眺めているのか。 「……いつと言わず、今」 うさぎを見る武者の目は、ない。眼窩だけ。そこに個性なんかありはしない。作り出された噂話。こんな噂をばら撒いて、悪夢だなんて薄笑って、それで。……それで? 息を吸う。偽りの血が一瞬だけ生臭さを漂わせて消えた。 「終わらせてあげます」 夜に潜むナイトクリーク二人の刃は、戦に破れて死したと囁かれる噂の塊を――光も返さず、再び殺していく。 ●みっつめ『女子トイレの花子さん』 真っ暗な廊下を歩く影が、二つ。静かな中に足音が反響し、立ち止まるのは赤い印の前。 採光の為であろう、入り口のガラスタイルの壁が小さな影と大きな影に僅かに色を濃くした。 そんな暗闇の中で怯んだ様子もなく、『グレさん』依代 椿(BNE000728)は軽快に口を開く。 「E・フォースとはいえ、良く聞く怪談の類と対面できる言うんは……革醒して良かったと思えることの一つやわぁ……」 しみじみと、何処か憧憬すら含んで口にされる言葉は虚勢や鼓舞の為に発せられたものではない。都市伝説を愛し怪談を愛し怪奇現象を愛する性質の人間は割と何処にでも存在する。椿の場合は、その手の話に首を突っ込みすぎて自らが都市伝説と化す有様である。まあ、それでも手加減などしないが。リベリスタとしての役目は分かっている。 「しっかし、あの人なんか変なこと言うてたなあ……獏お爺ちゃんって友達なんやろか」 「怪談とか悪い夢、ねぇ。以前やりあったフィクサードの一人がそんな奴だったか」 ほう、と息を吐いた椿の横で、『墓掘』ランディ・益母(BNE001403)がその逞しい腕を組む。傷跡の目立つ、鍛え抜かれた肉体。戦士として数多の修羅場を戦い抜いてきた彼が出会い屠った一人が……黄泉ヶ辻の『獏』である。悪い夢を食らう、と称しながらE・フォースを使った惨殺事件を引き起こしていた異常者。同所属で、老人という符号も合致するとなれば、恐らく同一人物であろう。 ならば、今回もそれと関連しているのか――? 腕を組み考えるランディと、奥のトイレを纏めて記録用にと撮影した椿は暫し迷い――口を開く。 「……ランディさん、その格好で真面目な顔されると余計怖いわぁ……」 「言うな。俺も何をやっているかさっぱりだ」 露出した二の腕に申し訳程度に引っ掛けられた肩紐から伸びるのは、フリルのついたキャミソール。言うまでもないが最早これが怪奇現象並に怖いという有様だ。何だこのペア。下手な怪奇現象より怖えぞ。 仕方ないのだ。花子さんと闇子さんは女性か女性の格好をした者の前にしか出てこない。ならば相対するのに適当な者が女装をするのは実に合理的かつ戦況に適した判断であると言わざるを得ない。となればこれも非常に合理的な戦術でそろそろ良いかな。 どさくさに紛れて再びランディに向けてシャッターを切った椿は、煙草に火を点けようとした手を止めて前を向く。ゆらり揺らぐ、その空間。 「まあ、とりあえずちゃんと出てきてくれて良かったわあ」 「そりゃそうだろう、俺がこんなに真面目にやってるんだしな」 「……ノーコメントで」 軽口の応酬にも、異様な風体の二人組にも、少女らは怯まない。 おかっぱの少女と、ロングの少女。赤いスカート、白いシャツ。 姿を見たと同時にグレイヴディガー・ドライを握り締めたランディは、その中心に駆け込んで両手斧を振り回す。凶悪な刃に抉られる体は、軽い。少女であるというだけではない、そこに中身がないからか。 ランディの姿にも戸惑わない彼女らは、所詮まだ力を宿したばかりの存在に過ぎないのだろう。 男の異様に困惑するだけの人格がないのだ。鳩時計の鳩と同じ。条件を満たしたならば、現れる。 「じゃ、花子さん、遊びましょう……ってな」 扉を三度叩く必要もない。現れた少女に首に食い込むのは、椿の生み出した憎悪の鎖。引かれ吊られて宙ぶらりん。ゆらりゆらりと、細い足が揺れる。揺れて、その目が椿を見た。 暗闇が広がる。夜の闇を見通す目をも覆う、漆黒。夜の恐怖。ひたひたと忍び寄る、避けられない夜という恐怖。人の奥底に眠る本能を呼び覚ますその暗闇が一瞬の後に晴れ……花子さんの目は、どろりと血を流した。 ――あ、そ、び、ま、しょう。 頭に響く高い声。折れた首のまま、闇子さんも笑いながら立ち上がった。 ●よっつめ『音楽室の演奏会』 入り口から入れば最も遠い、第二校舎二階音楽室。 学校案内のパンフレットを片手に進む『哀憐』六鳥・ゆき(BNE004056)と『星辰セレマ』エレオノーラ・カムィシンスキー(BNE002203)であれば、もう少しショートカットが可能であったかも知れないが――何しろ怪談を五つ倒さねば三階へと辿り着けないという空間だ。セオリー、というか校舎の仕組みに従い進むのが安全であろう。 ほら、それにもう、聞こえて来た。出鱈目な音楽が。ゆきの耳が、ぴくりと動いた。 所詮は一般的な小学校の防音設備、全てを包み消すには至らない。 ゆきが照らし出した室内で、『彼ら』は存在しない観客に向けて演奏を奏でていた。 「あたしが子供の頃も、音楽家や指導者のポスターの目が動くとかあったわね」 「音楽家はともかく、指導者というパターンもあるのですね」 それともポスターさえも監視しているというブラックジョークの類かしら。エレオノーラの言葉にそんな風に笑いながら、ゆきは紙一枚の上に描かれた音楽家へと視線を送る。闖入者に目を向けた……ような思える彼らの姿自体は、何ら変哲のない絵。 けれど奏でるのは、本物の作った曲とは似ても似つかない音の乱舞。 「まともに音も出せない音楽家に価値はないわ」 全く、楽団から以降マトモな音楽家はいないものか。ポスターの『ごっこ遊び』を一言の下に切り捨てて、エレオノーラの握った煙霞の薔薇がただの紙へと還すべく空間を貫いた。 両刃のナイフが切り刻むのは、時という概念。常人では到達不可能な域に達した刃を振るう速度は美しい氷の霧を生み出すと、音楽家をその鋭い切っ先で撫で上げる。 目標は、この先に存在する三階だ。自称音楽家と遊んでいる暇はない。ああ、それこそ、お静かに。 鳴り響くのは、ラッパが弾けるような音。スネアドラムの叩き損ない。鼓膜を叩く不協和音。 ゆきは僅かに眉を寄せて、静かに溜息。 「……聴くに堪えませんわね」 ベートーベン、モーツァルト、バッハにブラームス、ショパン。どれもこれも高名な、小学生の音楽の教科書にも乗るような作曲家達。その似姿であると言うのに、奏でる音がこれでは無残としか言いようがない。 その姿と同じく、あまりにも薄っぺらかった。 「もう少し音楽に造詣のある方が影響すれば、或いはこうはならなかったのかしら」 噂を囁くのは小学生。 彼らの大多数は、音楽家の顔を、曲を、習ってはいても……夜に奏でる曲をこれだ、と指定できる程に知りはしないのだ。だから音楽家が奏でるのは、音楽になり損なった音の集まり。小学生が戯れに奏でるような、ただの雑音。 「本当に、お可哀想な事」 心からの憐憫を込めて呟いて、耳を、髪を撫でていく『何か』の事を思考から追い出し――ゆきはポスターに穴を開けるべく、意識を集中させた。 ピアノが奏でるドドレミレファラドレ。 テンポも高さも合わないそれが、音楽室に鳴り響く。 ●いつつめ『廊下を行進する兵隊さん』 窓がある為に完全なる暗闇とはならないが、それでも今宵は月光は差し込まなかった。 闇に閉ざされた廊下を、『怪人Q』百舌鳥 九十九(BNE001407)と『ハッピーエンド』鴉魔・終(BNE002283)は歩いて行く。 「学校の七不思議、なんて今まで出なかったのが不思議ではありますな」 有名な怪談となればすぐ浮かぶそれ。九十九は顎に手を当てて、ふむ、と一度考えた。確かに七不思議は有名だが、その場所は『学校』……それも多くは小学校に限られる。 場所の特定が容易であれば、対策も取り易いというリベリスタにとっての利点を恐れたのか、それとも何らかの理由で取っておいたのかは知らないが――まあ、九十九には何であっても変わらない。人に、それも子供に害を為すというならば、撃って消してそれで終いだ。 「でも学校の怪談だけで百物語が出来るとか超豪華だよね!! ちょっと節操ないけど☆」 並べ並べた噂話。混ざり混ざったそれは互いにテリトリーを食い合いながら育っていく。終が聞いただけでも、類似した噂は片手で足らず。宛らお祭り騒ぎのように、溢れに溢れた学校の怪談。 モノクル越しに見る廊下に、暗闇による視界不良はなし。影はなし。 それでも終の、九十九の耳には聞こえてくる。囁き声が。笑い声が。そして触れてくるのは、冷たい手。小さな手。ぞわりと背を撫で上げる嫌悪感は、分かっていても余り気分の良い物ではない。 けれどこの感覚さえもムード満点と笑い飛ばした終に頷こうとした九十九が、動きを止めた。 ざっ。 ざっ。 ざっ。 廊下で鳴るはずのない、砂を踏む音。規則正しい軍靴の音。銃を構える九十九の動きで接近を察した終が、その体のギアを上げる。元より高みにある反応速度を、更なる高所へ押し上げる為に。 廊下を歩く、兵隊さん。 カーキ色の軍服を着て、星章を付けた軍帽を被り、銃を横に携えて規律正しく歩く『彼ら』は、現代日本にそぐわない。そんな光景を、つい最近も見た気がするのだけれど。九十九の頭に過ぎるのは過去の亡霊。帝国の復権を狙い、世界の混乱と戦争を狙い、無数の兵器を携えて望まれぬ来日を果たした彼ら。 彼らと比べれば、この『兵隊さん』など、それこそ子供の話す他愛ない噂話と変わらない。 「まあ、油断は禁物ですが。さっくり行きましょうか」 「オッケー、トドメは任せるね☆」 声を残して、終の姿は掻き消えた。兵隊達が反応する間もない。距離を問題にしないはずの『幽霊』さえも追い越して、終は隊列の半ばに存在する一人へと刃を突き立てた。軽い軽い手応えに、思わず苦笑が零れる程。 放たれたのは、罵声、だろうか。音としては聞こえてくるのに、内容が理解できない。 散ろうとする集団に向けて、九十九が向けるのは無慈悲な銃口。 「物騒な遊びはお止めなさいな。平和が一番ですぞ?」 そんな事を嘯きながら、照準を合わせる。そうだ、平和が一番だ。こんな物騒なよく分からない兵隊さんの噂話ではなく、皆仮面の怪人の話をすればいい。 放たれた無数の弾丸は数多の兵隊を穿って行った。 「はいはい、カウントワンツースリー☆」 飛び散る血、倒れる軍人。 小学校の廊下には似合わない、銃撃戦が始まった。 弾ける閃光弾は、目を焼く程に明るくも――暗闇を払うには、至らない。 ●むっつめ『窓から外を眺めるテケテケ』 異様が際立つ。夜の学校に満ちた怪奇現象。 生首が爆ぜる。爆ぜて食らい付いて血を骨を飛ばす。流れる血が体育館の床を濡らしていく。消えない。これは消えない。伊藤とユーフォリアが流した血は消えない。踵が床の血を踏んで伸ばす。まるで乱闘騒ぎでもあったようだ。生首が笑っている。口から血を垂れ流しながらいつまでもいつまでも。落ち武者は首の半ばまでを刃で断たれ、それでも折れた刀を振り回す。毀れた刃が、うさぎと瑞樹の肌を裂いて身を汚す。黒い眼窩が睨んでいた。頭を貫いた矢の先端から血が滴っている。頭皮が削られ頭蓋骨が露出していた。砕けた歯を食いしばり、存在もしない敵に向けて尚も刃を振りかざす。問答無用の気配しか感じさせないその怪異が、圧倒的に勝る数で押しつぶそうと迫ってくる。遊びましょう。はあい。遊びましょう。はあい。どろりと蕩けた目で花子さんは笑う。こっちで一緒に遊びましょう。夜の恐怖、闇の恐怖。そちらに存在する『何か』に連れ去られる恐怖。小さな白い手が呼び覚ます、異質への忌避。なまじっか、自らと姿が近いから子供が抱く恐怖も大きいのだろう。同質である筈なのに異質。子供の姿をした怪異は、日常の傍らに潜み這い出る隙を狙っている。ほら、遊びましょう。比べれば音楽家は、恐怖と言う点では薄かった。けれど彼らの音は容赦なくエレオノーラを、ゆきを打ち据える。目が光る、目が動く。一見害がなく思えるそれも、たった一人で音楽室に向かった時に起こったとしたならば。ずっと見られていたとしたならば。『いるはずのないもの』への恐怖を綴り、彼らはポスターの中で指揮を取る真似事をする。見知らぬ物への恐怖。噂話を口にする子供らは戦争を知らない。教科書の写真とTVのモノクロ映像、それが子供の知る兵隊さん。だからか彼らの色は褪せていた。泥に汚れ帽子のつばでできた影で隠されて、個々の顔も分からぬまま彼らは罵声を上げて『敵』と戦う。引き金を引く、閃光弾を投げる、引き金を引く。散開しながら、玩具の兵隊のようにこまごま動きながら、彼らは胸を切り裂かれ頭を砕かれるまで引き金を引き続ける。 だとしても。 彼らが圧倒的な脅威として存在できるのは、何も知らぬ昼の住人にだけ。 奥の奥――神秘を知り、対策を整えたリベリスタにいつまでも有利を保ち続けられる道理はない。 ビブスを着けた体が半ばで断たれ腸を零しながら膝を突いて消えた。 鎧がバターの様に裂かれて中身を抉られて消えた。 目から血を垂れ流す少女の頭が刃で砕かれた。 出鱈目な音を鳴らす作曲家の似姿が引き裂かれて床に落ちた。 軍服が血に染まり、廊下に屍の山が築かれた。 五つの怪談が、早急に押されて次々と消えていく。 『――こちら校庭。落ち武者の殲滅に成功しました。皆さんの状況は?』 『はいはい、こちら女子トイレ。さっきどうにか倒したけどなぁ、ランディさん着替え終わったら……あ、今終わったみたいなんですぐ向かうわぁ』 『え。着替えたんですか。着替えちゃったんですか』 『当たり前だ! あのまんまとか怪談とか悪い夢とか以上の恐ろしい何かだろ!』 『夜の学校に現れる筋骨隆々の女装男。なるほどこれは怖……おっと、こちらは廊下です。後数名と鬼ごっこ中ですが、もうすぐ終わりでしょう。手伝いは不要ですぞ』 『日本男児なら玉砕覚悟でこーい☆ って感じだよね。すぐに追い付くよー、待ってて☆』 『えーっとえっと、体育館! ユーフォリアさんがちょっと直撃食らっちゃってダメージあるけど、そっち行けば治して貰えるよね、ね?』 『大した事はありませんよ~、あれ、でも音楽室の方~……?』 『あれ、本当だ。カムィシンスキーさん、六鳥さん、大丈夫? 向かおうか?』 『……と、はい、音楽室です。申し訳ありません、少し耳がおかしくなってたみたいですわ』 『耳元で延々トライアングルの連打とか勘弁して欲しいわよねぇ』 語る声は誰も欠けてはいない。まるで肝試しを軽く済ませて来たかのように。 けれど廊下を駆ける音は、階段を上ってくる音は、果たして仲間のものだろうか。 こだまする子供の笑い声。傍らを駆け抜けていく小さな何か。 騒々しさの抜けない校舎で、三階へと辿り着いたリベリスタは『そこ』を見て小さく息を吐いた。 図書室入り口、扉の上。 小さな窓に張り付いた少女が、リベリスタを見て……ニタリと、笑っていた。 ●ななつめ『校舎を彷徨う人体模型』 一瞬で消えた少女の後を追うように開かれた扉。 他の教室よりも一回り以上広く、けれど棚に溢れた図書室。 棚の上で、少女はニタニタと笑っていた。上半身しかない体を腕で支えて、二本の平均台の上で遊ぶように揺れていた。けれどその両手には一対の鎌。血の付いた剣呑な武器。ああ、そうだ、彼女はそうだ、肘で恐るべき速度で這いより、或いは空中から襲うのだ。お前も自分のようにしてやる、と。 カウンターからずしゃり、と音を立てて着地したのは人体模型。資料に書かれていたように、他と比べてこれだけは現実的な質量を持っている様子だった。硬質的な肌。露出した内臓。内部に人がいるかのように動きながら、その動きの形はあくまで『人形』の硬さを残しているのが気持ち悪い。 そして。 「こんばんは」 笑う老人。 七つ目の怪談を知った彼らは――八つ目に、『エフ・オア・エフ』に出会う。 「こんばんは、学校の怪談超満喫した~☆」 動こうとする怪談らを制し、微笑さえ浮かべながら終は真っ先にその懐へと飛び込んだ。類稀なる速度によって突き出された二本の刃は、人体模型の内臓を抉って飛び散らす。ゴーレムであるはずなのに、何処か柔らかさを……肉を内臓を貫く感触を伝えてきた。 「お礼に、Fおじーちゃんの悪い夢を終わらせに来たよ☆」 「そうかな。そうだといいね」 細めた終の瞳を受けても、Fの表情は揺るがない。人の良さそうな表情で、微かに笑っていた。 これも、夢だと彼は言うのか。何もかも夢であると、そう言いたいのか。 行き着く先の見えぬそこに、幸せな終わりはあるのだろうか。思考は顔に出さず、終は宵色の髪を振ってナイフを構え直す。 「ええ。もう、夢から覚める時間よ」 駆けて行った夜と対になるように、金の星が図書室を流れた。エレオノーラの狙いは鎌を持つ少女。ニタニタと笑うその顔と一瞬視線を合わせ、鈍色の刃先を沈める。存在しない、この少女。噂話から現実になってしまった、ありもしない噂話。 「あたしは嘘吐きだから、何度でも嘘にしてあげる」 全てを飲み込む深海の色を湛えた瞳が、Fを見詰めた。 「そうですよ~、こんなに不思議が沢山あったら、いけません~」 間延びした声。ユーフォリアは狙う順を定めてはいなかった。だから近い方、テケテケへとその刃を向ける。図書室の中は足場が山程。多くの棚に柱、壁に窓。多角的攻撃を得手とするソードミラージュにとって、小学校内でこれほど手軽な場所はない。 「敵は~、目の前に居るとは限りませんよ~?」 上半身だけの少女にそう片目を瞑って見せながら、ユーフォリアのチャクラムは闇を裂いて飛んだ。 「よーし、伊藤参上! お前なんか怖くねーからなこの厚着!」 ぱん、と両頬を叩いて気合を入れて、伊藤はFを睨み付ける。こんな気温だというのに、冬の様にコートを着て。マフラーを巻いて。まるで今の季節を否定したいかのように、厚着をした正体不明の男。そんな相手に、ビビってなんていられない。本当だ。本当に怖くなんてない。 振り上げたド鉄拳が、炎の矢を降らせる。 ぼんやりとその光景を見詰めるFに向けて、ランディとうさぎが駆ける。その手に握った獲物を振りかざし、他へと向かうのを防ぐ様に。うさぎがその瞳を覗く。見返した色は暗澹のいろ。浮かべる表情。ああ。抱いた疑念は、確信へ変わる。その目を離さず齎すのは、仲間の背へと生やす翼。ニタニタ笑いながら鎌を振り上げるテケテケの一撃を、更なる翼を受けたエレオノーラが軽くかわす。 「怪談ってのは無害だからこそ怪談、幻想だ」 ランディは目を眇め、此の場の怪談よりも色濃い負の記憶を負った刃を振り抜いた。例え基礎の技だとして、幾多の戦場を抜けた者特有の閃きを受けたその一撃はFの細い体を裂いて散らす。 怪談。口々に語られる噂。恐怖を以って、異質な存在への畏怖を以って語られる幻想。それはフィクションであらねばならない。存在しないものでなくてはならない。 「ホントになったら、それは怪談じゃなくおぞましい何かだよ」 「……うん、だから、これは悪い夢だ」 己を見る男の眼光にも、Fは小さく微笑みを返した。まるで、かつてランディが向き合った老人が同じ言葉を繰り返しながら笑っていた時のように。彼の首を叩き飛ばしたのも、この刃だったろうか。凄惨な現実を、悪い夢だと口にする。ただ、自ら『悪い夢』を引き起こして見るのが好きだと笑った老人に対し……Fはこの情景に喜んだ素振りを見せないのが差異か。 そんな通じない会話に眉を上げて、椿はRetributionを構えて放つ。 さあ断罪のお時間だ。 「まぁ、何にせよ……『Friend Of A Friend』の流す、実体のない都市伝説はこれで終わりにさせてもらおか」 三高平大学オカルト研究会会長の名は伊達ではない。 怪談をばら撒く『エフ・オア・エフ』、多少読みが違っていても、名を聞いた瞬間に容易く導き出されるF.O.A.F……『友達の友達』。具体性を持っている様で、結局は酷く曖昧な存在でしかない、『何処にもいない誰か』を指す名前。 噂を流す当人さえも、存在しない。そんな空虚な噂話は、もう終わりだ。 「元凶との直接対決……まあ、初対面ではありますが。取り合えず、ここで潰えて頂けますかな?」 九十九も構え、三つの怪談に向けて弾丸を穿つ。みつこさんに、からすさま。直接面識はなくとも、Fの生み出した怪談を複数屠ったのは彼であり、煩わされた事に変わりはない。怪談は怪談のまま。噂は噂のまま。外見に反し、九十九の行動はいつだって神秘に寄らぬ人の側。 「醒めない夢は、現実と同じでしょう」 赤く染まる上半身だけの少女を見ながら、穴の開いた人体模型を見ながら、九十九は肩を竦めた。 人体模型が、胸を掴んだ。心臓を掴んだ。比喩ではないその仕草。放たれた心臓はリベリスタを巻き込んで燃え上がる。炎を振り払いながら、瑞樹は白妖から生み出した気糸でその胸を貫いた。人体模型を刺して糸を引きながら、視線を向けるのは奥の男。 「ねえ、Fって言ったっけ」 傾げられる首。肯定のように微笑んだ。 「貴方にとっては、貴方の見る悪い夢が『現実』なのかもしれないけれど、それを幾ら広めたって現実と取って代わることはできないよ」 夜道で追いかけて来る怪異が、家に現れる怪異が、学校に現れる怪異が当然の如く存在する『現実』を幾ら広めた所で。リベリスタがそれを潰すのだ。それを子供達が見たとして、いつかは夢と忘れてしまうのだ。だからこの光景を現実としようとしたって、それは無理な話。 けれど瑞樹の言葉に、Fは首を振る。 「違うよ。これは悪い夢だよ。ねえ、だってこんな事が起きる訳はない。噂が本当になるなんて、夢じゃなきゃある訳ない」 放たれたのは、否定の言葉。 この光景を作り出した当人が否定する、悪い夢。 息を吸う。その目を見ながら、うさぎは一つ、口にした。 「……貴方、何歳ですか?」 子供に噂をばらまいて。 小学校に、噂をまいて。 悪い夢と、否定して。 問いにFは、薄ら笑う。 「……獏お爺ちゃんと会った時は十歳だったよ。今は幾つかな。十二かな。違う十三かな。忘れちゃった。でも分からないよ、夢だから」 告げてゆるゆると、笑う老人……いや、少年にうさぎは細く息を吐いた。彼が以前、エレオノーラの『子供じゃあるまいし』という言葉に感情の揺らぎを見せたのを思い出しての問いではあったが――どうやら、大当たりだ。神秘世界において、外見なんて当てにならないのは知っている。 ならば、彼の悪い夢、は。 「悪い夢だよ。全部。……FはFの事を思い出せないんだ。この学校にいたのも、お父さんとお母さんの顔も思い出せるのに、Fが誰だったのか分からないんだ。誰もFが誰だったか覚えてないんだ。だからこんなのは、夢だよ」 笑う。悪い夢と称し噂話をばら撒いていた彼は笑う。或いはその、『噂話』を引き起こすアーティファクトこそが発端だったのか。力を得た引き換えに、『そちら側』に引き込まれたのか。最早誰にも、分からない事だ。 その目を見据えて、うさぎは首を振る。 「ごめんなさい。私には貴方を悪い夢から覚ましてあげれない」 「そう? でも違うよ、皆悪い夢の中だから」 「……いいえ。私だけじゃない、きっと誰にも覚ます事はできません」 だって、だってそれは。 「貴方のそれは、夢なんかじゃない。現実だ」 神隠しにあった子が、教えてくれた。子供達の囁きは、真実を含んでいた。革醒して老人となり、消えてしまった『少年』が、現実を否定する為に噂話を語っていたに過ぎなかった。 うさぎの言葉に、Fは首を振る。激昂した様子もなく、ただただ首を振る。 瑞樹も小さく首を振った。そうだ、逆だ。現実ではない非現実を起こす事で――現実を否定したいのだろう。神秘を知る者にとっては無駄な行為、無駄な足掻き。 「……この世界には楽しい事だっていっぱいあるのに、そんなにも全部夢にしてしまいたい?」 終が賑やかさを潜めて、静かに問う。 「……楽しいかな。どうだろうね。獏お爺ちゃんは優しかったよ。でも……、Fはそろそろ家に、帰りたいよ」 ね、だから悪い夢だよ、こんなのは。 笑うFの背から、烏が飛び立った。無数の烏が舞い上がる。それに啄ばまれるうさぎに向けてゆきは癒しの息吹を呼びながら、その目を細めた。 「お可哀想に」 風が傷を塞いでいく。仲間の状況へと油断なく目を走らせながら、ゆきは桜色の唇から溜息を吐き出した。怪談も時期外れ。彼の格好も時期外れ。何もかも、今の現実と合っていない。 ならば。 「終わりに、致しましょう?」 ●やっつめ『神隠しで消えた男の子』 明け方前に暗闇は一層濃くなって、闇が跋扈する。 『何か』の囁きはますます大きくなった。子供達が騒がしく笑っている。 人体模型の放つ内臓をナイフの先で絡めながら、エレオノーラは口を開いた。うさぎと違い、彼はこの場に訪れた時点で既に悟っていた。体に心が取り残された、哀れな子。 「君がやった悪い夢も、君の姿も、何もかも現実よ」 二度の出会いでエレオノーラが得たのは、本当に僅かな違和感でしかない。或いはそれこそ、少女の外見をしながらも長らく濁世を潜り抜けてきた勘、長らく人を見続けてきた観察の成果とも言えるのか。自らを名で呼ぶ些か幼稚な言動、老人の姿をしながら他者を『お爺ちゃん』と称する不自然。そんなささやかな積み重ね。そこから導き出した、一つの事実。 けれど彼がそれを悪い夢と否定して、同じ事を繰り返すならば――それを嘘にしなければならない。 「違うよ。夢だよ。悪い夢だ。皆、早く醒めればいいのに。たくさん変な事が起きれば、皆これは悪い夢だって気付くよね」 Fは頑なに首を振る。 蔓延する神秘現象。そうなれば、導かれるのは世界の危機――崩界である。 『この世界』が『悪い夢』なのだとしたら、それは確かに悪い夢の終わりであろう。 その先、が存在しないにしても。 だが、目前のFにそこまで考えている様子はない。神秘の事も正しくは理解せず、知らず、ただ漠然と、皆の目を覚ますという雲をも掴むような目的を追っているだけだ。 と、なれば、それを吹き込んだのは。 「『獏お爺ちゃん』か。全く、何処までも悪趣味な野郎だな」 悪い夢を食べると自称する獏に連れ去られた先は、行き場のない黄泉ヶ辻。 赤い筋。無数の巻貝。人が貪られる光景。思い出して、ランディは首を振り――けれどその刃を止める事はない。傍らに来たテケテケを巻き込んで、コートの下の肉を切り裂いた。 抑えに回る戦力に対し、Fは脆弱であったと言う他ない。 否、時に致命に阻まれたとしても、ゆきの回復に支えられる戦線が磐石であったと言うべきか。 「ほら、そんな風に~、動いてたらいけませんよ~」 人体模型がユーフォリアの一刀によって崩れ落ちてから、後は数える間に怪談の側は瓦解する。 げほ。口から血を零して、胸元の傷を手で押さえながら、Fが呼ぶのは不吉の月。月光は呪いでリベリスタを焼いて……けれどそれが、最後の抵抗。 「悪い夢なんて泣き言言ってるだけじゃな――お前の世界は変わんねえんだよ」 両腕に込めた全力。化け物と呼ばれるに値する力を得た男は、持てる限りの最大出力でエネルギー弾を放った。避ける術もなく巻き込まれ、Fの体は僅か離れた棚に叩き付けられて止まる。 大きく咳き込んで、けれど運命を消費したのかその体は未だ意識を失わず床を掻き、虚ろを仰ぐ。 跳んだうさぎが伸ばしたのは、武器ではなく腕。半分床に沈みかけたFが、大きく瞬いた。 「……離してよ」 「嫌です。絶対離さん」 悪い夢は、終わらせなければならない。この現実からは覚ませない。ならば、終わらせる事をしなければ。引き攣る顔。嫌だと上擦った声で喘ぐように呟いた彼の符の行く先は、自分で――。 ゴッ。 そのこめかみに飛んだのは、伊藤の拳。 「今まで怖かったのの仕返しだよ。そんな簡単に楽にしてやるかバーカ」 言葉は勇ましくも、その声は若干震えていて、横を向いた顔の涙はこっそり拭っている。その横でぐーに握っていた拳を下ろした椿は、それを見なかった事にしてあげた。 ぐったりとしたFから視線を外し、窓の外を眺めたゆきは、いつの間にか振り出した雨と、少し前から大人しくなっていた校舎の声に――ようやく気付いた。 拭き取る事が難しい校庭の血痕も、僅かに残った戦闘の痕も、これが全て消してくれる事だろう。 今日は一日、雨になりそうだった。 ●なぁんだ、ぜんぶうそだった 「しっかし迎えの車まで行く間に濡れそうやなあ、これ」 「ならば傘をどうぞ」 「あ、ありがとなぁ九十九さん……って、これ、今うちが受け取らへんかったら殺されるとかないよな」 「そんな事はありませんよ。……多分」 「多分!? そこははっきり否定してや!?」 「あ、依代さん、もしかして写真とか撮ってません?」 「あ? うん、あるよー。帰ったらな」 「ほう。何の」 「……記録用記録用」 「けど夜の小学校とか刺激的だったね☆」 「ええ。無害な肝試しならば、また覗いてみたいものですけれども」 「僕もう夜の学校とかやだよ……。ううう帰ってまた夢に見そう」 「昼でも楽しそうだけどね。椅子も机も随分小さく感じたなあ」 「月日が流れるのは~、早いものですね~」 傘を差し出す仮面の怪人、隠されたカメラに賑やかな会話。 そんな仲間の後ろに続きながら、エレオノーラはFの胸元から抜き取った黒いメモ帳……アーティファクトをぱらぱらと捲った。 白紙が続いた最終ページに現れた文字、『F.O.A.F』 神隠しにあった少年が告げる噂話は本当になる。そんな噂。 書かれたその文字列に、エレオノーラは一度だけ目を落として――その黒いメモ帳を、破り捨てた。 エフ・オア・エフの語る噂話は、もうお終い。 |
■シナリオ結果■ | |||
|
|||
■あとがき■ | |||
|