● しあわせですか? しあわせですね。 あなたにたりないものはなにひとつありません。 あなたがうしなうものはなにひとつありません。 こうふくですね。 しあわせですね。 そこにかなしみはありません。 そこにくるしみはありません。 そこにあるのはこうふくです。 そこにあるのはあんそくです。 なんてすてきなせかいでしょう。 なんてやさしいせかいでしょう。 ああ、あなたはとってもしあわせですね。 「嗚呼、あなたもこうすればよかったのにね? 痛みを感じなければずーっと幸福だったのに」 それとも人間ってそれじゃあだめなのかしら。 くすくす、笑い声と共に黒い蝶々がひらりと、空を舞っていった。 ● 「……至急。忙しい所悪いけど、今日の『運命』。話聞いて貰える?」 揃えただけの資料を机に置いて。『導唄』月隠・響希(nBNE000225)はモニター前に立つ。 「近日中、って言うかもう向かって貰ってからそう時間が立たない内に、とあるリベリスタ組織が味方同士で殺し合い、結果ノーフェイスが複数生まれる未来が予知された。 阻止は不可能。よって、あんた達に頼むのは……原因の根絶。要するに、……其処に存在する革醒者の処理よ」 僅かに落ちる静寂。どういう事だ、と問うリベリスタの声を聞いて、フォーチュナは深い溜息を吐き出した。 「黄泉ヶ辻糾未って名前は覚えてる? 最近はその動きが見えなかった、黄泉ヶ辻京介の実妹。……あんたらのお陰で弱体化したアーティファクトに喰われた彼女が、この件の後ろにいる。 ……彼女……否、彼女の中にいる『憧憬瑕疵』が動き出したのよ。苗床に十分身体が馴染んだのかしらね。その身体を糧に、それは未だ生きてるの。で、戯れにこの世界って奴を楽しんでる。 で、目を付けたのが人間の中身、精神的な部分って訳。人って落ち込んだり傷ついたり、悩んだりするでしょう。こいつにはそれが理解出来なかったみたい。なんでそんな煩わしいものを抱えておくのか、って」 捨てればいい。悩むのならば考えなければいい。けれど人と言うのは何故かそれが出来ないのだと言う。さて、ならばどうすればいいのか。 「答えはあいつにとっては簡単だったみたいね。『そう感じる部分を消しちゃえばいい』んだから。どれだけ悲しい事があっても、悲しいと感じないのならそれは悲しい事では無くなってしまう。 言葉遊びみたいね。でも、感じ取れないのならば無いのと変わらない、って言うのは確かに間違っていないでしょう。そう考えたらしいアレは、試す事にしたの。思い悩むばかりで可哀想なリベリスタに」 可哀想、とそれは笑っていた。 誰かの為にと努力を重ねて、傷付いて、己の身も心も削っている筈なのにその行いは常に報われるとは限らない。 失ったものを嘆いて、救った筈のものに疎まれて、如何してもっと早く助けてくれなかったのだと罵られ。痛みと哀しみと苦しみは積み重なってけれどそう簡単に消えはしない。 可哀想だと、もう一度笑った。感じなくなればいいのだ。そんなもの。分からなくなればきっともっと幸福にやっていける。痛みが無ければ、仕事を果たす事に覚える感情は幸福だけだ。 だから。 「それを叶えてあげようって、差し出された手を、取ってしまったリベリスタの組織があるのよ。本来、アレの力は革醒者には限定的にしか作用しない。でも、食われる側が受け入れちゃったのなら話は別。 そのリベリスタ組織『白菊』は、全員が喰われてしまったの。そういう、痛みとか、負の感情みたいなものを感じる部分を。でもね、それで完全に幸福になれるだなんて、そんな美味しい話がある訳ないのよ。 彼らは、悩む事も、嘆く事も無くなった。でも、それと一緒に……良心、が一番近いかしら。そういうものも欠如してしまったのよ。人を思いやるなんて気持ちがないの。 あるのは仕事を果たそうって言う感情と、幸福感って名前の微温湯だけ。……彼らの仕事は『神秘から世界と人を護る』事だったのにね」 痛みを感じないものが、痛みを感じているものを慮れるかと言われれば答えは否だ。彼らの仕事から、人と言う存在は欠如してしまった。資料を握ったフォーチュナが、視線を上げる。 「一度喰われたその部分は、まぁもう戻らない。彼らが、取り戻そうとも思ってないしね。……なので、阻止は不可能。説得も無意味。彼らは、世界の為に、世界を壊す可能性を少しでも持つ者を全部殺そうとし始めるわ。 その対象にはフィクサードやエリューションだけじゃなく……あんたらも、仲間も、そして一般人だって含まれる。何時、世界を壊す存在になるのかわからないから。 彼らは手っ取り早く、同じ場所に居る危険分子から殺す事にした。そう、……自分の仲間をね。だから、あんたらが向かう先で行われるのは殺し合い。まぁ、人間としての思考力くらいはあるから、あんまり侮らないで。 出来る限り効率的に自分以外の危険分子を殺そうとしてくるだろうから、やられる前にやりなさい。細かいメンバーのデータについてはそっちね。……因みに、殺し合う上で、ノーフェイス化の危険も存在してる。 もし、彼らがノーフェイスになるようなら其方の対応も宜しく。とにかく、現場の『敵』全てを始末してくれればいい。以上」 言葉が途切れる。モニターの電源を落としたフォーチュナは、ひらひらとその手を振ってみせる。 「感じない事が幸福であるかどうかなんて、なってみないと分かんないのかしらね。まぁ、あたしはごめんだけど。……それじゃあ、気を付けて」 ● なんだかとってもこうふくなきぶんだった。 今日も仕事をしなくちゃいけない。 フィクサードは殺しましょう。エリューションは殺しましょう。ノーフェイスは殺しましょう。アザーバイドも殺しましょう。 リベリスタ? 何時かフィクサードになるかもしれないから殺しましょう。 革醒しただけ? フィクサードになったら困るから殺しましょう。 勿論仲間も殺しましょう。何時裏切るかわからないから殺しましょう。 嗚呼それなら一般人だって殺さなきゃ。だっていつ神秘が気まぐれを起こすかわからない。 殺しましょう。殺しましょう。危ないものは無くなります。仕事をこなすのは大事です。 こうふくですね。こうふくです。此処には安寧しかないから。 ああ。 いたみのないせかいはなんとやさしいのでしょうか! |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:麻子 | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年09月27日(金)22:01 |
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■メイン参加者 10人■ | |||||
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● 幸福の形を定義せよと言われたら、人はどんな言葉にするのだろうか。 目には見えないそれは一体どんなものであるのだろうか。 例えば人であり。例えば関係であり。例えば、物であり。 漠然としたそれに名前を付けるのは人の常で。 形ないものを定義づけない事に不安を覚えるのも人の常で。 そうであるのだと言わなければ不安を拭えぬのも人の常だった。 そして、その定義がどれほど歪んでいたのだとしても。 一度抱え込んでしまったものを手放せないのも、きっと人の常であったのだろう。 ――欲しかったのって、多分これじゃなかったの、と。 呟いた女もまた、何処までもありふれた人々と同じであったのだ。 ● 理由があったのだとか仕方が無かったのだとか。都合のいい言葉をどれ程並べようと人殺しは人殺しなのだ。大事な人を救う為、自分の楽しみの為。どちらも同じ理由を持った殺人だ。一体何が違うと言うのか。 結局のところ、其処に善悪やら同情やらを見出すのは人の見方ひとつなのだろう。ごちゃごちゃと難しい。あたまがいいひとは、いろいろ大変ね。小さく呟いて、けれど特に惑う事も無く。『ならず』曳馬野・涼子(BNE003471)は拳の内に鉄の塊を握り込む。 何も、変わらなかった。たりないものはひとつもない。敵がいて、戦場があって。自分は此処にいて。今こうして固めた拳と、それを握ろうという心がある。それで十分だった。それ以外には何にもいりやしない。 皮手袋で包んだそれはもう何も知らない少女のように白く優しく美しくなんかなくて。この拳も心もいつかはなくなるだとか、そんなこと。考えてなんかいられなかった。人が蠢いている。微笑みを浮かべながらナイフを振りかぶっている。それをかわして。 「いちいち考えたら、生きていられない」 難しいことばかりだった。だからいらなかった。ひとごろしだ。それを決めたのは自分だ。だから、涼子は拳を緩めない。振るったそれの隙間から放たれる弾丸が穿つのは『敵』の眉間だ。呻き声。此方を睨み据えて。 「あなたはフィクサード? リベリスタ? でもどっちでもおなじですね、殺さなくっちゃ。大事な世界が壊れちゃうものね、ころさなくっちゃ!」 満面の笑み。殺そう殺そう。もっと殺そう。世界が壊れない為に。全部殺したら次に死ぬのはきっと自分なのに。自分と同じものを殺す事に幸福を覚える様になってしまったそれを見詰めながら、『ANZUD』来栖・小夜香(BNE000038)は僅かに、その視線を落とした。 痛みの無い世界。そんなものが幸福であるだなんて言う事は嘘だと、彼女は信じている。痛みは人を歪める。不幸にする事だってある。痛みに耐えかねて足を踏み外す者を知らないわけではない。小夜香だって、どうしようもない痛みを知っている。 けれど。握り締めた十字架を見詰めた。如何しようも無い痛みも悲しみも、己の背を押してくれる。誰かを護る為。存在意義を教えてくれるのだ。それは大なり小なり誰にでも言える事だ。痛みを知るからこそ、人は優しくなれるのだろうから。 「大事なのは痛みを知り、それを受け止め、歪まない強さ。……誰も傷つかないようする為に殺すだなんてナンセンスよ」 人と人との交わりがなくなれば痛みは無くなるのだろう。けれど、そんな世界には人自体が存在しないのだ。それの何が幸福なのか。翳した十字から舞い降りる癒しの吐息が仲間の傷を癒す。癒す術しか振るうつもりはなかった。 止めなくてはならなかった。目の前では笑うばかりのリベリスタだったものが無数に手を伸ばし、互いを傷付け、此方を傷付けんと手を伸ばす。止めるのだ。その行いが痛みを伴おうとも。救いたいと願うその手が、何も救えないのかもしれなくても。そんな彼女の逡巡を打ち砕くように。 「キリングタイムを始めましょう、さぁ、鮮血の花を咲かせなさい」 こみあげて来る笑いが止まらない。広げた両手と共に舞い上がる黒と赤。運命を引き寄せ歪める力を纏うそれが仄かに煌めいた――否、それは最早、残像に過ぎない。目にも止まらぬ速度で戦場を裂いたカードは次の瞬間目前のリベリスタの喉を裂いていた。 ひゅ、と空気の抜ける間の抜けた音。ごぼごぼと競り上がる血の音と、声にならない声。それを目の前に満足げに『ヴァイオレット・クラウン』烏頭森・ハガル・エーデルワイス(BNE002939)は笑った。 嗚呼今日は何と良い日なのか。誰に何を言われるでもなく思う存分に人を殺せる。この行いが全てアーク公認正義の味方の行いだなんて。嗚呼、嗚呼なんて気分が良いのだろう! 有難う有難うと感謝して回ってやりたい位だ。美しいと言う言葉が似合うかんばせに歪んだ微笑が乗る。 「ありがとうね白菊さん達、感謝を込めて惨たらしくジェノサイドしてあげるから!」 一人だって逃がしてあげない。皆殺しだ。何処までも平然と寧ろ楽しそうに。目を細める彼女の手つきに迷いはない。手加減無用慈悲無用。だってこれがお仕事なのだから。そんな笑い声を聞きながら。風も無いのに捲れていく魔本の頁。組み上げた術式に応える様に空気が温度を失っていく。 「来来氷雨!」 空気を震わせる声と共に一気に周囲を満たす絶対零度。その力で齎された冷たい雨が敵に降り注ぐのを見詰めながら、『百の獣』朱鷺島・雷音(BNE000003)は飲み込み切れない痛みを堪える様にその眉を僅かに寄せた。その瞳が捉えた指揮官らしき人物を仲間に伝えて。戦線を支える為に声を張って。 けれどそのどれも此処に居る人々の命を護る為の術では無いのだ。彼らも世界の為に戦っていた。同じだ。自分と同じなのに。その心を奪われ蹂躙されて負の感情や感覚は無くなって、けれどそれはしあわせなのだ。しあわせという幻想が塗りつぶしたのだ。 それが不幸である事も、感じる事が出来ないように。 「……それでも、ボクは、リベリスタだ」 震えた声で吐き出す。痛みがあるからこそ優しさが得られるのだとしたら。優しさを持つからこそこんなにも痛むのだろうか。歯噛みする。ヒトとしての尊厳を踏みにじられた彼ら。哀れだろう。救いたいだろう。けれどそれは叶わない。世界を壊すものを見逃してはいけない。自分がリベリスタである限り。 それが、彼らを切り捨てる事に他ならないのだとしても。そんな彼女の目前で。守り刀を握る手。怖気さえ覚える程にきんと澄み切った気配が、刃から滴り落ちる。雷音の指示に従って踏み込んだ足と、目前に迫る笑顔の男。躊躇わず、そのまま振るった刃が描くのは神の加護得る十字のかたち。 鮮血が降りかかる。ころそうころそうと呟きながら叩き下ろされた大斧を左腕で受け止めて『デイアフタートゥモロー』新田・快(BNE000439)は目の前の敵を、宙を舞っていく蝶々を見詰める。黄泉ヶ辻糾未と言う女の残滓なのか、それとも、気狂いの憧憬瑕疵の幕間なのか。 どちらだとしても、彼女達は酷く的確に、人の心の隙間に滑り込むのだ。それが己の欠損と同じものを求めるが故なのか、付け入る餌を見つける本能故なのか、快には見当もつかず。この行いが、どういう意味を持つのかも知れなくて、けれど。その答えが分かったのだとしても、今日此処で守護神と呼ばれたこの手が掬い取れる命は存在しないのだ。 「もう戻れないなら、せめて、俺が連れて行く。……さあ来い、敵は此処に居るぞ!」 運命を得ただけの人間。中身も持つ力も主義も何も変わらない。変わらない筈だった。歪まなければ。後からするから後悔だ、なんて言うけれど、彼らはこの選択を悔いる感情すら綺麗に拭い取られているのだ。 一人残らず、この手が連れていく。覚悟を決めた彼の手が、物言わぬまま刃を握り直した。 ● ひとつ、またひとつ。唱え紡ぎ織り上げた術式。最後の一言を吹き込めば唐突に揺らめく世界を感じた。直後、不可視の、けれど強固に世界と世界を切り離した壁がこの周囲を取り囲んだのを感じながら『アヴァルナ』遠野 結唯(BNE003604)は酷く無感動に目の前の光景を眺めていた。 リベリスタの介入によって激化した戦場で、けれどばたばたと倒れていくのはリベリスタだったものばかり。憐憫は無く。生きる死体だ、と何の感情を乗せる事も無く呟いた。痛みが無ければ。その痛みを享受する自己を確立できていなければ。 何かを学ぶ事はないのだろう。学んだものを理解する事もないのだろう。そして、それは生きていると呼ぶには余りに無様だ。生きた死体が暴走しただけ。 「異常者め……いや、これもいつもと同じか」 なんであっても。異常者は異常者であり化け物は化け物であり。自分も同じでありそれを狩るだけなのだ。何かを考える必要も無かった。放っておいても勝手に殺し合い最後の一人になるまで自分の仲間を傷付け、その上世界を壊すものに成り変わる彼ら。面倒だから、この手が始末するのだ。 きっとそれ以上でもそれ以下でも、無いのだ。地面を踏み鳴らす音がする。会議室の机が蹴り飛ばされ倒れるのも気に留めず。地面を踏んだ靴の底が砕けた灰皿を踏みにじる。固めた拳が唸る。殴って掴んで蹴り上げ叩き伏せ。ただただ、怒り狂う人食いのソレが敵を喰らう様に振るわれて。 ぐしゃり、と割れた頭蓋の感触を感じた。大蛇の獰猛さを瞳に残したまま。『悪童』藤倉 隆明(BNE003933)は忌々しげに舌を打つ。苛々する。気に食わない。気に食わない。吐き出そうともぶつける先の無い苛立ちが拳を固めさせるのだ。 痛みが無ければ悩む事が無ければ嘆く事が無ければ幸せなのか。嗚呼けれどそれじゃあもう人間とは呼べないのだ。それじゃあ駄目なのだ。苛々する。この中の誰一人としてそれの結末を疑わず受け入れた事がこの上なく気に食わない。 「まったく救えねぇ話だぜ、だぁれも救われねぇ……!」 返しとばかりに笑顔で襲い掛かってくる敵に傷付けられる。けれど、痛みは感じなかった。遮断した痛み。彼らの心もこんな風に、受ける筈の痛みを途絶させているのだろうか。あまりに、現実味が無かった。吹き出す血の意味を忘れそうな程に痛みの無い世界は穏やかだ。 鮮血が散った。涼子の千里眼、そして、各々に高めた直観が、リベリスタに事を優位に運ばせていた。此処での戦闘に気付いた面々は、そろそろ此方に来る可能性もあるだろう。そんな考えを巡らせる『it』坂本 ミカサ(BNE000314)の目の前で、振り上げられるナイフ。それが向かう先は、目の前の仲間である筈の人間だ。 「――そいつはもう死ぬでしょ、俺を放っておいて良いの」 口をついて出た挑発。分かっていた。互いに殺し合わせた上で止めを刺し数を減らしていくのが合理的だ。けれど、それをミカサは是と出来なかった。せめて。関わりの無い、自分達と殺し合って死んでいく方が。そんな気持ちは自己満足に過ぎないのだとしても。仲間であったもの同士が命を奪い合うのを見るよりはずっとましだと思いたかった。 きっと、救いの手に見えたのだろう。傷ついて思い詰めた彼らにとって、痛みの無い世界はさぞ幸福で優しいものに見えたのだろう。嗚呼けれど、だけれど苦楽は如何したって表裏一体なのだ。 喜びを知っていて。悲しみを知っていて。なのに苦しみだけを、綺麗に取り除くなんて出来る筈も無いのに、それでも彼らはそれを選んだのだ。決断はもう変えようが無くて、齎された結果も覆りようが無くて、自分達の行いが何かを変えられる筈も、無くて。 もう、どんな言葉も届かない。目前をひらりと飛んだ蝶々ごと、鈍く紫を弾き返す爪が目の前の、運命を失いかけたリベリスタだったものを貫く。表情は動かなかった。悩み苦しむ事は、この先のモノを喜ばせるだけだから。 「確実に殺せばいいんだろ、これが俺の選んだ仕事なんだからさ」 「ええ、そうですね。せめて、葬操曲を奏で、死出へとお送り致しましょう」 そっと、唇を添えた笛が唄うのはただ只管に静かで、何処か物哀しい弔いの曲。それと共にぷつり、と切れた指先から滴る血が宙を舞った。魔力と交わり力を得たそれが黒鎖の濁流へと変わり、目前の敵を呑み込み荒れ狂い締め付け縫い止める。 それは本当に幸福でしょうか、と。『墨染御寮』櫟木 鶴子(BNE004151)は、誰に問うでも無く囁いた。誰もが避けたいと思う痛みや苦しみ。けれどそれが存在しない世界で如何して幸福であると知れるのだろうか。今感じているそれは幸福なのだろうか。 心の底から幸福だと笑える喜びに満ちているのだろうか。とても、そうは思えなかった。幸福であると言う一種の洗脳。大切な存在を、矜持を、流儀を、幸福感で塗り潰すのだ。その幸福感の源も知れぬのに。 ただただ幸福と名付けられた空虚な何かを後生大事に抱えるばかりの彼らの手に残るものはきっと孤独であるのだろう。そして、それこそが、不幸であるのだと、鶴子には見えるのだ。 さらり、とヴェールが揺れた。喪のいろがその顔に落ちかかる。なんと、悲しい事だろうか。ただただ悲しいばかりで何も生まない戦い。呻き声がした。運命の加護を失った人間だったものが突然仲間の首に喰らいつく。笑顔のまま。幸福だと笑いながら。 刃を握る手に力を込めすぎている事に気付いて。そっと力を抜いた。心を閉ざすのだ。任務だ。作業だ。浮かべるのは酷く楽しげな少女の笑み。『骸』黄桜 魅零(BNE003845)の刃から滴り落ちる黒が、互いに喰らい合う敵を侵し喰らっていく。 苦しい事を忘れたら、幸せが見つからなくなる気がした。そしてそれはきっと外れていないと目の前の光景を見て思うのだ。迷走して、抜けられなくなって、狂って。彼らはもうただの黄泉ヶ辻の群れと言っても過言ではない。 こんなのしあわせでは無かった。嗚呼。黄泉ヶ辻のお姫様が望むセカイと言う奴はこんなにも狂ったものだったのだろうか。ノーフェイスとリベリスタがただただ狂ったように笑って殺し合うだけの戦場が。 「フィクサードは殺さないと。嫌だけどそれだけは同感しちゃうゾ☆」 おどけた調子で肩を竦めて。逡巡を拭い去るように大きく笑い声を立てた。嗚呼。願いに縋らなかったなら。彼らはきっといいリベリスタだったのだろう。そんな考えが過っても魅零は笑うのを止めなかった。これもある意味では目を眩ませる暗示なのだろうか。僅かに目を伏せて、再びその手が刃を振るう。 ● 刃が、重くなっていくようだった。会議室へと移動してくる敵を抑える仲間を見遣りながら。快は此方へと降りかかる刃を受け止め、ただ真っ直ぐに敵を見詰める。 これで何人目だろうか。切る度にこの刃は重さを増す。否。この肩に掛かる、重さが増す。背負っていくのだ。誰かは馬鹿だと笑うのかもしれないけれどそれでも、快は止めなかった。名前を教えて欲しいと、その声は告げるのだ。 「同じだよ。……俺だっていくつも取り零してきた」 取り零したものを忘れられない。切り捨てたものを忘れられない。否。彼は忘れないのだ。救えなかったものに報いるために、自分は、彼らは、何時だって手を伸ばす。手を伸ばす事を止められない。 それは酷い痛みを伴う行為だった。貪欲なまでに伸ばす手は気付けば己の首を絞めていくようで。けれどその痛みを忘れてしまえば、手を伸ばさなければ、救えなかったものを、切り捨てたものを、失ったものを全て否定する事に他ならないのだ。誰も、己が背負った命を代わりに背負ってくれやしない。否定したそれは、一体どこに行けばいいと言うのか。 「俺達は、思いを共有していた筈だ。……だから、名前と共に、その想いを預ろう」 共に行こう。快は、手を伸ばすのだ。元のカタチに戻らない彼らの心の中に。自分と同じ想いの残滓がある事を知っているから。覚悟だった。背負えば背負う程に重たくなる荷物でも、伸ばした手が掴むのは己の首でも。自分が終わらせる命への責任を、何一つ捨てられない優しすぎる男は負い続けるのだ。 想いを、背負って行こうと囁いた。聡に、圭祐、佳苗。次にこの手が絶つのは誰の命とも知れないけれど。其れも全て、この手は掴んで背負うのだろう。動いた刃が、躊躇い無く十字を描いた。 黒が翻る。その狭間に見えた指先を覆うのもまた黒――と気付いた頃には頭を撃ち抜く神速の弾丸。嗚呼、彼らはもうフィクサードになっている事にも気づかないのかと、結唯は溜息にも似た呼気を吐き出した。 「――ああ、お前らはリベリスタだ」 呟く。そう。彼らがそう言うのならば、きっとそうなのだろう。何が正義で何が悪かを決めるのはあくまで人の主観であるのだから。彼らがリベリスタを名乗るのならば、それを否定する理由を自分は持ちはしない。 そう。リベリスタであろうと、結唯の行いは変わらないのだ。襲い掛かる刃が黒をより濃く染め上げる。運命が燃え飛ぶ音がした。かくり、と崩れる膝。床に膝が当たる。それでも、結唯の瞳は最後まで輝きを失わない。 彼らがリベリスタであるのなら、何時かフィクサードになる前に、こいつらを殲滅するのだ。彼らがそう望んだのだから。異論は、ないのだろうから。気に入らない、とその唇が呟いた。薄っぺらな異常者共め。そんな言葉は音にならぬまま、その身体が地面へと頽れる。 その前方では、鈍く咳込む隆明が、それでも拳を固めて敵へと向かっていた。痛みはない。ただ、頭が重くて。競り上がる血が、咳と共に口から零れて。燃え飛んだ運命が溶け消えて。それでも、未だその意識を保たんと縁にしがみつく。 「何されようが止まってなんてやらねぇぜ?」 固めた拳と共にこの上なく真っ直ぐ一直線に敵に向かって一撃。顎ごと叩き砕くように振るったそれが敵の首を捻じ曲げる。込めるのは、激情と言う以外に言葉の無い程の感情だった。 彼らが何を思い、何を願ってそれを受け入れたのかなんて知らない。分からない。分かろうとも思わない。けれど、もうこうなってしまった以上、放っておく訳にはいかないのだ。 「俺が殺す、容赦なんざするか、黙って死んで逝けや阿呆どもがぁ!!」 絶叫。血で枯れた喉が酷く掠れた音を鳴らす。攻撃を避けて。殴り返して。けれど襲い掛かる次のそれに遂に力を失う膝。それでも、振るった拳は目前の敵も跳ね飛ばして。それを確認する間もなく、隆明の意識はぶつりと途切れる。 地面に広がる血だまりの中で。力を失った手はそれでも、拳を握ったままだった。 ● 敵の数は気付けば明らかに減っていた。只の殲滅戦。脅威であるものから倒していったリベリスタがさして苦戦するはずもなく、ただ、淡々とその手は命を奪っていく。 手袋が、紫の爪が、べったりと血肉に塗れていた。濡れたそれは重く温くて。この手が何を奪っているのかを嫌でも教えてくれるのだ、とミカサは苦くその目を細めた。 選択を、間違いであったと責める事は出来なかった。其処に理由があるのだと分かるから。彼らには選び取るに足るだけの理由があって、望むものがあって。だからそれを憐れむ事も無意味だと思う事も、その選択に失礼だとミカサは思う。思うのだ。思うけれど、それでも。 「彼らの望んだのは、こんな姿じゃなかったんだろうね」 それだけが残念でならなくて。けれどもう、その真偽を知る事も出来なくて。逡巡ごと、その爪は敵を穿つ。手に馴染んだ術で奪う命の熱は確かに熱く。その唇が小さく、お疲れ様でした、と崩れ落ちるリベリスタだったものに囁いた。 敬意を払いたかった。憐憫でも苛立ちでも呆れでも無く。ただ、世界の敵となってしまった『仲間』で会ったものに。ただ、告げたかったのだ。そんな彼の髪を、降り注いだ爆炎の熱が舞い上げる。 奏でる音色は何処までも静かなままだった。魔力を帯びた旋律を紡ぎ出しながら、鶴子はただただ、深く、吐息を漏らす。 痛みは絆。 苦しみは情あるが故に。 悲しみは愛情の裏返し。 正と負。どれもこれも表裏一体で、人は何方かだけを切り落とす事の出来ない生き物だ。そうであるはずだった。本来ならば、こんな風に割り切る事など、出来やしない筈だったのだ。だからこそ、彼らは痛みに傷付き悲しみに嘆いたのだろう。 何処までも優しかったのであろう彼らは、世界を護りたいを思うあまりに、その痛みを飲み込み切れなくなったのだろう。割り切れない筈のものを、強引に叶えてしまう程に。なんて、なんて悲しい事なのだろうか。 其処にはもう死しかなかった。痛みを切り捨て何処までも世界に優しくあるはずだった彼らはもう世界の敵でしかなくなった。嗚呼。小さく、頭を振った。 「……貴方がたは」 世界がどうして大切なのか、覚えていらっしゃるでしょうか――なんて。その問いに応えるものは、もう此処に残ってはいなかった。その問いと、似ているようで違うようで。けれど、どうしても知りたい事は魅零にもあった。目前に迫る敵の刃を受け止めて。滲み零れる暗黒で喰らって。 「刃が刺さって痛くない? 幸せ? 仲間が死んで悲しくない? 幸せ? 次は君が死ぬ番だよ?」 ――幸せ? 問えばきっと、彼らは幸せだと言うのだろう。全員殺して最後は自分も死んでそれで世界の為になると本当に信じているのだから。けれど。其処に張り付く笑みを見て、魅零は首を振る。笑って見ろ、と其の声は言う。 幸せなら笑えるだろう。心の底から幸福そうに、幸せだと笑えるだろう。彼らのそれは違った。ただしあわせだと口にしながら其処に浮かぶのは貼り付けた様な嫌な笑みだ。首を振って、その指先が舞い踊る蝶々を掴む。 此処から見ている女。彼女はまだ、取り戻せるのかもしれなかった。魅零は彼女を良くは知らないけれど。 「――貴女の幸せはどこにあるんだろうね」 兄ではないから兄にはなれないのに。兄になろうとして、兄に見て欲しくて、けれど兄では無く自分を見て欲しくて。歪んだ女の欲しかった幸福はきっとその形ではなかったのだろう。 幸せのかたちなんて、人の数だけ違うもので。彼女にだって、誰にだって、幸せになる権利くらいあるのに。あったのに。こんな風になってもう『彼女』がいるのかいないのかもわからなくて。それでも。 「今、幸せですか? 聞こえてるなら教えてよ」 答えはない。けれど、くしゃりと潰れてしまった蝶々のように。彼女の幸福はきっと叶わない儘であるのだろう。そっと、目を逸らす彼女の視界の端で。扉から湧いて来る敵を待ち受けるのは涼子だった。華奢な腕が振るわれる。真っ直ぐ歩いて来た敵の頭を掴んで壁に叩き付け。すり抜けんとしたものを蹴りつけ叩き伏せ。 ただただ。叫ぶ様に、その身体ごと叩き付ける様に荒れ狂う大蛇の拳が敵を防ぐ。通さない。纏わりつくように只々殴って殴って殺すのだ。鈍い銀色が耳元でくすんだ光を跳ね返す。硝子を叩き割る様な絶叫を象ったそれは、誰かの、もしかすれば涼子自身の抑え切れない感情を意味しているようにも見えた。 「……べつにかわらない。アンタもわたしも、おなじ、ひとごろしさ」 自分で選んで自分で立って自分で人を殺すのだ。其処にどんな理由があっても。それは誰の所為でも無く自分の背負うべき重みだ。彼らが蝶々に心を食われたのだとしても、それの所為にだけはするなと、少女の瞳が訴えるのだ。 人を殺す事も。痛みを失う事も。この結末も。自分の選択の、結果であるのだから。 ● 癒しを齎す姿は果たして本当に美しいだけなのだろうか。祈る。十字架が降り注がせる癒しの気配が仲間の傷を癒していく。ただ只管に癒す事だけにその力を注ぐ小夜香は味方にとってまさしく天使とも呼ぶべき背を支える力の持ち主で。 けれど、敵にとっては如何なのか。否。仲間に対しても救うべきと思った誰かに対しても如何なのだろうか。癒す事は優しいのか。救う事は優しいのか。殺さないで済むのならという彼女の願いはけれどもう戻れぬ彼らにとって本当に優しいのか。 その姿は神の御使いと尊ばれるのかそれとも悪とされてしまうのか。遥か遠き時代のかの鳥の名を冠す少女はそれでも祈るのだ。癒しを、救いを、どうか、と。 「慈愛よ、あれ――」 囁くように紡がれた声に、神が与えてくれるのは傷を癒す力だけなのだ。痛い程に握り締めたクロスが掌を裂く。ぽたぽたと、滴る血もけれど何処を濡らすのか確認する間もなく、喧噪の中へと消えてしまうのだ。 ぴん、と指先に挟まれたカードと共に、周囲に凝るのは漆黒の気配だった。見る見るうちにそれが形作る神代の化け物。八首のそれが牙を剥く。もう、数も目減りした敵を巻き込めるだけ巻き込んで。 「さぁ、暴食の大蛇よ、罪人を貪り喰らえ――」 まさしく喰らう。暴威が敵を薙ぎ払う。崩れ落ちていく。大蛇が蝶々を噛み砕くのを見て、エーデルワイスは酷く楽しそうに笑って手を振ってみせる。見てる? と笑顔でご挨拶。 「貴方のおかげで楽しませてもらえました♪ また今度遊んでね☆ きゃっほー♪」 まぁ今は残りをさっさと始末するだけだ。喉を潰したそれが漏らす悲鳴は濁って唸って面白くて仕方が無い。嗚呼、こんなにも好き勝手に殺せるだなんて本当に今日は素晴らしい日だ。 表情を笑みの形に歪めた。仲間の手で、敵が死んでいくのだ。あと3人。後2人。あと、1人。魔本を握る手が真白くなる程力を込める。手が震えた。けれど、やらないわけにはいかなかった。小さく唱える。 ふわり、と舞い上がる幾重もの式。指先一つで戦場を裂く鳥と変わったそれに齎される終わりは、鳥葬。哀れな彼らの終わりの弔いになるのだろうか。救えない痛みを飲み込んで。雷音はせめてもの、救いを探す様に震える吐息を飲み込む。 偽りでも。彼らは幸せの中で死んでいくのだ。それはきっとせめてもの救いだ。救いだと思いたかった。救いだと思う事は誰の為でも無く、まさしく無力な自分の為の、結論だった。卑怯だ。救えなかったのに。勝手に救われたのだと思い込む。 ぐらり、と倒れ込む敵を見据えた。もう、戦場は静けさを取り戻していた。抑え切れなくて、叩き付ける様に机に魔本を置いた。 「見ているのだろう! 黄泉ヶ辻糾未、いや憧憬瑕疵! 君の望むようにリベリスタ同士で殺しあった……っこれで満足か!?」 声が酷く震えていた。目の奥が熱くて、視界が揺れて。それでも少女は泣かなかった。泣く訳にはいかなかった。答えは無い、蝶々だけ戯れる様に目の前をひらひらと舞っていく。まるで、その絶叫を面白がるかのように。 ふわり、と高く舞い上がったそれは姿を消すのだ。静けさだけを取り戻したそこには、もう日常は存在しなかった。色濃く残った血のにおいが消えない。歪んだ笑みが記憶から離れない。しあわせのために殺しましょうと嬉しそうに言う声が耳を離れない。誰も口を開くものはいなかった。 ただ、酷く重い疲労感だけを引き摺って。リベリスタは世界の為に生きていたリベリスタの拠点を後にする。夜の更けた外の風は冷たかった。真っ暗な外で、ぽつり、と。開かれた電子画面に、文字が打ち込まれていく。 ――しあわせとは何をもって幸せというのでしょうか? 正しい答えなんてものは、もうわからなかった。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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