● 見慣れたいつもの風景に、異物が混ざっていた。それは水の中に入れた赤い絵の具が少しずつ水全体を赤く染めていく様に、解りやすい出来事である。 最初は影だった。実体が見当たらない箇所に、それはそれは小さな馬を下から見た様なシルエットが地面に映し出されている。それは時間と比例して段々と大きくなっていった。その時間というものは極僅かな、それこそ十秒にも満たないものであったのだが。 もはや紛れも無く異常な現象。 水の中に入れた赤い絵の具は、もう、後戻りできない。 「流石俺の主。随分、俺向きな場所を選んでくれたもんだ。 落ち武者、落ち武者、落ち武者だらけ……!! 良い戦力に成るだろうし、主の趣味がよく解る。 ……はは、面白い主だなあ!! 戦いに依存している奴はこれだから大好きだ。もっと争えばいいのにな」 地面を揺らし、風を踏み、草花を薙ぎ倒し、黒馬が、そしてそれに跨った、少なくとも人で無き者が遥か天空から落ちて来たのだ。見事な着地を決めた馬はそのまま前足を蹴り上げ、其れを高く上げて吼えた。 逸脱が過ぎるのは何もその派手過ぎた登場だけでは無く、人では無き者と呼称した彼自身の姿にもある。現代には程遠い、騎士宛らの姿を身に纏っておきながら、角や長く伸びた舌が、ボトムの者でも正義の使者でも無いと叫んでいる。 勿論、彼の姿を瞳に入れた瞬間に、ボトムの住人は大声を出さずにはいられない。そんな雑音は彼の耳に入っていない様で、普通見えない何かが視えている彼の瞳が周囲を舐め回していく。 そして彼は片手剣を天高く翳した。饒舌を絵に描いたように蠢く舌が言葉を紡いだ。言い聞かせる様に、抗えない力で拘束する様に。 『たった数百年の出来事は昨日の出来事さ。まだ居るんだろ? 未練がましく残ってるんだろ? なら、俺に戦意だけ寄越せよ。残りは全て、俺が用意するから問題なんて最初から無いんだ』 刹那、黒の様な、それでいて紫の様な色が混じりに混じった煙が線を繋げていく。そうして骸骨が武者鎧を着て、刀を持ったかつての侍達の魂が死霊として甦ったのだ。 折角作った戦力だ、疼く胸の奥が試したいと叫んで止まらない。そういえば周囲に雑音が居た。一旦馬から降りた彼は一点へ向けて歩く。腰が抜けているのであろう、女の首を掴んで持ち上げてみた。 「おい雑音。そう怯えないでくれないか。そんな姿を見せられたら、折角の熱も冷めてしまうじゃないか」 彼の言葉の断片も届く事は無く、それだけで女は意識を手放して力無く腕がぶら下がった。やれやれと首を振った彼は、別の金切り声の持ち主――地面を這って逃げようとするそれらを見て、思い出したように呟く。 『動くな、喋るな』 瞬時、言葉の通りに彼等は従うを得なかった。此れで―― 「――いや、過度な殺生は主の命令外だ……背く事は許されない。んー、だがまあ、必要最低限の絶望で怒りを買うなら、それは良しだったはずだが」 彼は周囲の死霊の群を見回し、その足下から神秘の力が発動する。長く伸びた舌が、目覚めない女の口内を侵食すれば、濃厚な水音が甘く響いた。可哀想に、撒き餌だなんて。精々命を燃やして争い種になると良い―――!!! 『よく聞け。貴様等は絶望も恐怖も恐れない強(狂)戦士だ。痛みも苦痛も感じる事は無い、できない。只、ひたすらに俺の敵を殺し尽くせ』 もっと。 もっとだ。 もっと争え――!! 戦意無き戦士なんて、敵にも味方にも必要無い。 もし見つけたら、殺してしまおう。 ● 「二ヶ月とは……長いように見えて、早いものですね。遂に来ました、約束の日です。皆さんどうか……宜しくお願いします」 『未来日記』牧野 杏理(nBNE000211)は奮えた手で資料を捲った。その内容を、集まったリベリスタ達は言わずとも理解済だろう。九月十日という日付がなんの日か――忘れたなんて、言わせない。 「……キース・ソロモンが仕掛けてきました。 日本全国、津々浦々の城や古戦場に魔神王であるキース本人、そして彼が従える魔神達が出現しました。此れの撃退を依頼します」 キース、ゲーティア、そして魔神達の力は非常に強力だ。それらが全国に散らばった状況は『遊び』にしては笑えない展開である。『魔神王の挑戦』に、今こそ箱舟の総力を挙げて立ち向かう時が来たのだ。 「杏理たちの担当は岐阜県『関ヶ原古戦場決戦の地』。相手は序列第66番『キマリス』率いる怨霊の軍隊です」 彼等は神秘的空間、つまり陣地作成のようなものを関ヶ原古戦場に造り、その中でリベリスタの到着を待っている。行けば解るだろうが、リベリスタがその中に入った瞬間に戦闘は開始されるだろう。 「キマリスは文献によると、軍隊やアフリカの悪霊を統率している魔神です。そして勇敢な戦士を作り上げる事ができる能力もある――だとかで。おそらくその文献に近い能力を駆使して来るかと思われます。特筆すべきものは後で説明しますが、ほぼ資料の中にあるもので全てかと。断片的な情報しかありません、あとは……申し訳ありませんが対峙した際に手探り……かと」 召喚された時、黒馬に跨っている魔神という事で、その黒馬も強力な駒として使用されると思われる。まるで2つで1つ。 「魔神達の本体がボトムに召喚されている訳でありません。魔神達の力の一片が召喚されているに過ぎません。だとしたら本体はどれだけ強いのでしょうか……とか今考えても仕方ありませんね」 逆を言えば、倒したとしてもそれは魔神の死を示している訳でも無い。何やら長いき合いになりそうな雰囲気はある。 「キマリスの能力。死霊を従え、戦う力を与える能力――それを駆使して、関ヶ原にて戦死した侍の思念を有効活用して駒にしています。厄介なのは……残留思念なので普通の攻撃が通らない事でしょうか。ですが突破口はあります」 しかしその魑魅魍魎は戦場の周囲に蔓延っている。この戦場を選んだのも、キマリスの力が十分に引き出せるとして選ばれたのだろう。 「また、キマリスの『言霊』に気を付けてください」 キマリスは神秘的空間の中に数十人の一般人を招待している。彼等は言霊の抗えない力に拘束されており、存在する事は許されているが動く事は許されていない。 「キマリスの本体が来ている訳でもないので、言霊の力はキマリス本体より遥かに弱いものです。キースの力に比例する様ですが……今はE能力者には言葉通りの言霊が適用される事は無いと思います。ですが、一般人には適用されてしまっている……例えば死ねと命令されたら……? 幸い、キースの命令が一般人の虐殺では無いようなので、最悪の状況になる事は回避可能ですし、救える命は救って欲しいかと思います。 『言霊』により指揮を上げ、力を与える能力があるのならば――その逆もあるのでしょう。どうか、惑わされないで、自分の意思をしっかりもって下さい。それがきっと、力になるはずです」 敵も多く、そして強力な魔神が統べる戦場へ。 「厳しい依頼でしょう……どうか、ご無事に帰ってきてください」 杏理は深々と頭を下げた。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:夕影 | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年09月27日(金)22:39 |
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■メイン参加者 10人■ | |||||
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●戦え『戦士は』戦え 「よく来たな、箱舟共」 神秘の空間。十人が足を運んだ瞬間、此の世とは違う空気が流れていた。黒き騎士に、それを囲んで膝を着いている兵士達は皆死に絶えた者共。 まるで地獄の合戦、まるで地獄の戦国。戦いこそ嗜好だ、勝った方が強者だ。血の羊水に満ちた混沌の子宮は此の世では無い。『原罪の蛇』イスカリオテ・ディ・カリオストロ(BNE001224)はそんな空気さえ飲み干し、己の欲を満たすために抜かりは無く。しかし魔神ともあろう者が有象無象に囲まれている姿は、どことなく滑稽にも見え。 「貴方がキマリスですか」 『勇者を目指す少女』真雁 光(BNE002532)は褐色肌のエルフの様な男に問う。赤くギラつく瞳が右から左へ流れてから光を映した。 「名前なんざ見分けるための一時凌ぎに過ぎないな」 「そうだ、覚える必要は無い。すぐにお帰り頂く魔神程度の名など」 「素敵な言葉だなぁ、そりゃ」 『普通の少女』ユーヌ・プロメース(BNE001086)は小さな身体に見合わない程、屈強な心を持っている。それはけしてユーヌだけに限った話では無く、此処に足を揃えた者達はそれなりの覚悟を以てして挑んでいるのだろう。 「選ばれし十の贄共。俺の力に負ける程度の戦士には用は無い」 だから、試しに。 『平伏してみるか?』 刹那。リベリスタ達が片膝を地に着きそうになり、しかしそれでも着けまいと抵抗した。 「チッ、力の半分もできて無いか……まあいい」 愚痴を吐くキマリス。 魔神に出鼻で負ける訳にはいかず。誰が、誰が魔神なんぞに頭を下げてなるものか――と。上から大量の重石でも乗っけられた様な、自分を取り囲む空気が重くなったような、下から見えない糸で引っ張られているかの様なその感覚は吐き気がしそうだ。 『よく聞け、箱舟』 ある者は歯を食いしばり、ある者は武器を支えに抵抗し、ある者は仲間同士て支え合った。その中、耳のすぐ横で囁かれているように声が響く。いくら耳を覆ったとしても、その声は聞こえるのだろう。 「ソロモン72柱が1柱。第66位キマリスだ。見ての通り、力の無い非力な欠片だ」 地面に突き刺した槍に己の体重を預ける『騎士の末裔』ユーディス・エーレンフェルト(BNE003247)は心の奥で確かにと呟く。黒馬に乗った勇猛な兵の姿。言い伝えの中で見せる彼の姿こそ、其れそのものであっただろう。しかしだ、相手にとって不足は無い。彼が強ければ強いほど、胸の鼓動はサイレンの様に高らかになっていくのだ。 その時、『誠の双剣』新城・拓真(BNE000644)や『勇者を目指す少女』真雁 光(BNE002532)。『腐敗の王』羽柴 壱也(BNE002639)の瞳が揺れた。ブレが止まらない視界で見るのは動く事も喋る事も禁止する『命令』をされた何も関係が無い一般人へ。 一般人の解放を――――!! 一般人への被害を失くす――――!! 一般人を巻き込んだら許さない――――!! 最後に『紅蓮の意思』焔 優希(BNE002561)は顔を上げてキマリスを睨んだ。 「人質なんぞ……下衆の極みである事を知れよ……!!」 助けたい、只それだけ一心に。理不尽にも魔神王と箱舟の遊戯に巻き込まれた者達を死なす訳にはいかないと彼等は吼えた。 「勘違いすんな、箱舟共。俺は地を這う虫を踏む趣味は無い、戦士以外に興味は無い」 此方の世界の常識や平常が彼方の世界に通用する事は無いに等しく、ましてや計り知れない軍を従える一強の騎士に戦い以外の事は全てオマケだ。彼が望むはただ、戦いと敵。元よりキースの挑戦という枷がある限り、戦闘せねばならないこの状況に人質は不要。 なら、何故一般人は招かれているのか。それは――――。 「リベリスタが温ければ、一般人くらいなら殺して構わない」 「俺にそんな趣味無い……が、それが命令と言うなら仕方ない」 「見せしめくらいしておいた方が、もっとやる気が出るっていうなら叶えてやらんでもない」 キマリスが片手を軽く上げた瞬間、ぐったりしていた女がマリオネットの様に宙に浮いては両手で自分の首を締め始めた。それでリベリスタ達が、もっともっと戦意を向けてくれるのなら命一つくらい安い。 「止めて!!」と吐き出しそうになって、壱也はそれをぐっと飲み込んだ。違うのだ、そんな言葉はキマリスの言霊に対抗できない。たった一つ方法があるとするならば、大剣を構え、燃える赤色の瞳に闘志を飾って意思を提示するのみ。 「女、なかなか見所あるぜ? 死んだら魂を回収してやるから覚えておけ」 「絶対に、嫌だ」 此処まで気づかなかっただろうが、リベリスタ全員が膝を着きそうになっている訳も無い。むしろそんなものを感じていない者はいた。 「ようキマリス。ボトムはどうよ?」 「なッ! もうヤっていいのかッ!? ……皆なんでダルそうにしてんだッ!? 腹ァ痛いのかッ!?」 『家族想いの破壊者』鬼蔭 虎鐵(BNE000034)は普段は閉じている、冷酷に彩られた瞳が開いていた。『きょうけん』コヨーテ・バッドフェロー(BNE004561)は突然苦しみ出したリベリスタ達を見ながら頭にハテナを浮かべる始末だ。 足で踏ん張っていた拓真は呟く。「何をしている、新城拓真」と。自分こそ、こんな場所でへばれるような人種では無いと言霊に言葉で対抗しながら動きの鈍い身体を起こして剣先をキマリスに向けた。 「リベリスタ、新城拓真」 「……」 「キマリス、お前は勇猛な戦士だと聞いている。ならば、その目に敵う様をお見せしよう」 きょとんとしたキマリスだが、拓真の言葉を聞いて心底楽しみだと思ったか。戦いにハンデは不要なのだろう、キマリスは一度大笑いしながら言った。 「……面白い!! 3人に免じて止めてやる。元よりお前等が俺の都合に合わせてくれりゃ、力無き者に振るう力の余裕なんざ無いから安心してくれ」 「魔神殿」 力が解けた瞬間、重力はぱたりと消えた。イスカリオテはすかさず彼の言葉を逃さず、捕まえ投げ返す。 「主の命等と言うその詰まらぬ枷、壊して差し上げよう。だからどうか私により深淵なる絶望を見せて下さい」 「ゲーティアの首輪が解けるものならな……だが生憎、俺はキースが好きでな。首輪も悪くは無い」 軽くなった身体で再度、己の得物こそ持ち、抗えよ戦火の華に。 「話を戻して悪いが、ボトムねえ……良い所だ、とでも言って欲しいならお前等次第だ」 「そうか……出てきて早々だが向こうに帰る時間だぜ?」 賽は投げられていた。コヨーテはこれ以上無く輝いた瞳をしていた。楽しげに、無意識にステップを踏む足で一歩一歩キマリスへ近づいていく。 「よォ、神様ッ」 お前ェの気に召すか知ンねェけど、オレも戦うコトしか頭にねェ大バカでさァ。逃げも命乞いもしねェよ、ブッ倒れるまで遊ぼうぜッ!」 「遊びか……お前を見ているとキースを見ている気がしてくるな」 戦意を問う前に刃で示せ。ユーディスは滾る血を覚えていた。魔神――正直に言って相手にするには強大だがけして不足は無い。 「始めましょうか、もはや貴方も待ちくたびれているのでしょう?」 ユーディスはキマリスに問う。己の血さえ騒ぐのであれば、彼はきっと、彼は己以上に。 「あぁ……討論は飽きた。俺より弱くて構わん。俺を悪として構わん。理由なんざ何でもいい」 「戦うしかねぇだろ? さぁ、魔神狩りだ」 戦争を始めようか。虎鐵にしてみればキースも魔神もまだまだどうでもいい。しかし魔神が強いというのなら、目の前に強者が武器を持ち迫るというならば。 そう、此処には正義も悪も無い。在るとすれば、勝った方が正義だ。 ●人外の再生 「存分にやれ。守りは任せろ」 背中に信頼のおける温もりがあたった。ユーヌはゲルトへ只一言「任せろ」と呟く。 「さて踊ろうか? 人形遊びに戦争ごっこか。お偉方の接待は疲れるな?」 その言葉は怒りを勃発させるための力を孕んだ。狙いは馬以外の全て――そう、敵の全て。刹那、死霊の群は抜刀しながら彼女へと向かった。 「キマリスには当たらないか? ユーヌ」 「違うな……盾が用意されていた。死霊は壁でもあるという事だ」 「そうか」 ユーヌの前に立ったゲルト。彼女は彼の背中に手を当てた、鼓舞するように、信じていると信頼を寄せる様に。 信頼に応えるべく、ゲルトは噛みしめた葉巻を吐き捨てて振り落された刃をナイフと盾で防いでいく。その瞳に見えた、顔面を狙って横斬りしてくるひと振りの刃。それを歯で噛んで止めて……しかし口端に刃は食い込んで唇は避けていく。絶対者たるゲルトだ。怒りが来ようとも、無念を囁かれようとも全て受け止める事はできる。しかし流れる血だけは止まらない。 突如周囲の温度が早い速度で上がっていく。サウナ……否、そんなものの比では無い。陽炎がチラつくのは真昼の太陽のせいでは無い。 「灼熱に焼かれ、再びの眠りに誘いましょう」 イスカリオテの炎。感情さえ見えない髑髏の顔が熱で歪んでいく―――その温度と言えば測る事は不可能だが一言で言えるというのならば太陽。けしてその力を抑えようともしないイスカリオテの炎は髑髏の群の防御を貫いていたのだった。 「他愛も無い。こんなものなのですか、魔神とは」 イスカリオテが少々がっかりした物言いをした直後、天から降り注ぐ羽。 「おや、良いタイミングですね」 神父に降り注ぐ羽――というのも絵にならなくは無い状況だが、しかしイスカリオテの周囲はその羽を焼き尽くすが如く燃えている。 「後ろでしっかり支えます、皆さんは攻撃を!」 灼熱地獄に降り注ぐ翼―――光の祝福は行き渡る。掲げ、天へと切っ先を向けた剣は黄金に輝き、その意味は癒し。美しき、渇望せし鼓舞は優秀な癒しを送り届けるのだ。 だがその瞬間をキマリスが逃す事は無く、光はキマリスの戦術崩壊点の一点として彼女の戦闘不能をはじき出す。光とキマリスの視点が交差し、光はキッと強い目線を送った。回復を止めろと命令できる状態では無い死霊に溜息混じりに「即興で作ったものはこんなもんか」と吐き捨てた。 ユーヌが作った花道を通っていく優希。その先に居たのは前足を振り上げて吼える黒馬だった。 己が拳に神秘を纏わせる。其れは絶対零度よりも冷たく、炎より熱い、彼の紅蓮たる称号に相応しいであろう赤い氷の結晶が飛沫の様に軌跡を作った。 「大人しく、してろ!!」 灼熱の氷結が黒馬の顔面を抑え、体勢を後方へと押しやった。侵食せし氷は―――しかしその瞬間だった。 「……」 声か、歌か、それはボトムの世界の住人に聞き分ける事は不可能。讃美歌は響く、どんなひ弱な者も屈強な戦士へと変えるキマリスの力は死霊、黒馬、そして自分さえにも神秘のベールに包んでいったのだ。 歌を聞いている暇などリベリスタには無い。優希が次に見たものは黒馬の牙、しかし彼の目の前に割り込んで来たのはユーディスであった。 「私が牙を受けましょう!!」 そして彼女の肩は歯型通りの痕を残して抉れては血が噴き出したのだった。護るために来た、そしてユーディスは護る事に長けている。それが合点する行動をしたまでだ――。 「……ん、ぅ」 大量の汗をかきながらだがユーディスは笑った。肩から出る血を抑えながらだが、信じる仲間はなんとも頼もしいと!! 「ん?」 キマリスは不信に思ったが、感じてみればキマリスの背後に跳躍せし影。拓真と虎鐵だ。不特定多数の血を吸ってきただろう、剣はキマリスの頭部目掛けて落とされていく。半身になりながら剣を後ろへ振って回転させたキマリスの刃と2人の刃は轟音を上げながらぶつかって弾き返される。 キマリスの刃から伝わった反動。拓真と虎鐵の腕の骨がいくらか悲鳴をあげたが、折れた訳では無く。逆に2人の耳には何か骨がへし曲がる音が聞こえていた。見れば、キマリスの手首があり得ない方向を向いて剣を持っていた。 「クク……ハハハハハ!! 楽しいな、お前……俺の腕が見えるか? 折れちゃったじゃないか」 赤い瞳は虎鐵を映した。強大な力こそ感じた、彼の攻撃だ。何か面白い玩具でも見つけた子供の様にキマリスは虎鐵へ声をかけた。 「当たりめぇだ……次は何処の骨を砕かれたいか聞いてやってもいいぜ?」 「無駄かも解らんがな」 次の瞬間、バキゴキと音をたててキマリスの腕は元へと戻った。 「……な?」 「なら、再生できなくなるまで叩き潰すだけだ」 虎鐵がキマリスを睨む中、その更に後方に居るイスカリオテは顎を指れ触れながらその瞳は細くなっていく。アークにおいてでも純粋な力はトップランクである彼の力を完全に無きものとしたリジェネレートの力は強大だ。その回復に更に封じ込める程度の攻撃威力が必要な様だ。 直後死霊の一体が何かの祝福を受けた様に淡い光を放った。おそらくそれがデビリッシュアメージング。 「すまない、一瞬だけ時間を貰う」 対応せし優希。共に黒馬を抑える仲間たちはその言葉に顔を縦に振った所で行動開始。 地面を抉り、低空を跳躍せし彼の身体は弾丸のように吹き飛んでいった。祝福は全て消す――優希の指が髑髏の顔の穴へ吸い込まれ、ボーリング玉でも持つようなその手を全力で押す。勿論の事だが体勢を崩した敵は後頭部から倒れて良き、地面が綺麗な円を描いて抉れる程の威力。 弾けた、祝福が鈍い音で消えていった。舌打ちしたのはキマリスだっただろうが、その苛立ちが直に解るのは髑髏の武者が元の場所へ下がる優希を神秘の力で捕えた事か。 かの関ヶ原――まだまだ夜明けは遠い。此処はそういう場所だ、今、国盗り合戦なのだ。 生きる虚しさか、負ける悲しみか、怒りを叫んだ武者の攻撃は音では無く衝撃破。駆けるそれは優希の全身を震わせてから、優希の怒りの暴走を促すには十分だった。 「まだ、まだ始まったばかりです!! 護りましょう、加護をどうか!!」 不沈艦たる、そして敢然なる者たる、極めた力の付与――――その名をラグナロク。終末の名の、矛先が向くのは魔神。未来を予見しているかのようなそのスキルは仲間を護る神秘。 ●命令内の抗い 連携はほぼ完璧だ。 イスカリオテがブレイク仕切れない点があり、その分がユーヌに反射が襲うものの、それでもアッパーとそれによる死霊の実体化。そしてイスカリオテの攻撃は死霊の壁を消すには十分過ぎる。 「よっこらせっと」 「やっと重い腰を上げましたか……待ちくたびれましたよ」 キマリスは黒馬の背から降り、向かう訳でも無く片手剣をイスカリオテへと向けた。 「強い奴ばかりで嬉しい限りだ。魅力あるお前等に敬意を表して、そうだな……俺も本気出さないと駄目か?」 「面白いものを魅せてくれるのであれば、お願いしたい所ですが」 イスカリオテは待っていた。キマリスが未だ見せていない神秘の一片。否、異世界に居る本体の片鱗であるキマリスにはまだ見せていない手はまだまだあるのだろうが、おそらくキースの今の力で使える力の限界は此処まで。12柱も魔神を使役している事態が既にオカシイ事ではあれど。 「魔神殿。闘争に人質など、興醒めだとは思いませんか」 周囲は炎が舞う。かの蛇たるフィクサードがまき散らしていた炎の中、イスカリオテのけして笑わない瞳はキマリスを捕えて離さない。周囲の温度は再びあり得ない速度で上がっていく――。 「……そうだな、『お前等には』必要無い。俺はまだ良い方だろう? アンドラスでも見て見ろ。命令の中で己を全うするしかない俺達を笑うか?」 「いや……御託は無要。ならば確と御覧あれ。我が求道の極地を」 「んだよ、話しかけておいて」 イスカリオテの炎はキマリスを襲った。ほぼ全ての敵が見える位置を探し、忙しく動くイスカリオテの視界はけして温くは無い。 次の瞬間だった、昼間の空が黒き雷雲に支配された。視認はできるものの、いつの間にか暗くなった関ヶ原。それが神秘の力が作用している事が解るのはイスカリオテだけだ。 「な、なに!?」 壱也の心に疼く、嫌な予感。 キマリスの全身が放電しながら、それこそまるで雷と成ったような。しかしその雷の色は黒くよるも黒く。目の部位のみが辛うじて赤くギラついて確認できる。 「それでは、ありません……」 イスカリオテは心底がっかりしたように呟いた。見たいのは、識りたいのは、それでは無い。それはもう既に知っているのだから。 「そのうち、な」 揺らいだ黒き雷は剣を持ち飛ぶ。雷は綺麗に角度を着けながら直線で進み、後衛に布陣するイスカリオテや光を突き刺し、放電してはまた違う対象へと駆けて行く。 「それだけは……それだけは許さない!!」 寝ている少年に覆い被さって、壱也は吼えた。しかし自分の手だけでは庇う手が足りない。すぐ傍の、少年の母であろう女に飛んだキマリスの刃。 覚えていろ、その刃が女を貫いた瞬間。壱也は鬼神となりてキマリスの行く手を阻む事を。だが、それもキマリスを楽しませるスパイスになるに違いない。 「任せろ」 「ほむほむ!!」 行けない壱也の代わりに優希が走った。殺されかける彼女の手前に立ち、優希は己が拳に氷を纏わせる。キマリスが飛び込んで来た瞬間にその頬を穿ってやるつもりであった。 「……ち!!」 「む」 ―――しかし、キマリスの刃は女のすぐ手前で止まる。あと数センチで女の首が飛ぶ、その手前で。命令があった「余り殺すな」。必要なら殺せば良いが、リベリスタはそれが不要な程に実力を見せてくれている。つまり、必要じゃない殺しと見なされたのだろう、それは建前でもあるが。 だからといって、この好機を優希が見逃す事は無く。 「そんなに戦いが好きか、キマリス!!」 「――闘争の神に何言ってんだ」 雷装が解けていく魔神。その実体化した頬を、優希の拳は捕えていくのであった。追撃は続く。 「ハハッ! はえーなッ!!」 雷装を解いたキマリスの背に追いついたコヨーテ。その腕に灼熱を巻き付け、集中を重ねた拳で、振り向き際のキマリスの頬を穿った。燃ゆる炎に負けない程に赤く染まったキマリスの瞳が横に動いてコヨーテを見た。温いと言いたいのか、殴打の傷はみるみる内に無いものへと変化していく。 それでもコヨーテはにっこり笑った。無邪気に、其処に他意も無く、只在るのは心の奥底から染まりきった楽しさ。 「オレはまだ、オレの求めてる強さには遠いけど。これからもっと強くなンぜ」 「楽しみだな」 もう一発。身体を反対に回転させたコヨーテは左の拳でも業火を放つ。もう一方の頬でもそれを受けたキマリスは剣を逆手に持ち、その柄を掴んだ拳を振り上げた。 「格闘は不得意だ。いや、こればかりは申し訳無いな……次までにはなんとかしておこう」 コヨーテの頬に、衝撃が響く。しかしすぐに向き直ったコヨーテは再び拳を振り上げ、魔神の頬を穿つ。 ●望むは闘争、永久の 此の世界の馬には程遠く、大地を揺らす様な咆哮を上げる黒馬。脚の力は暴力的なまでに強力であり、抑える手を少しでも緩めるものならば突破されてしまう程。 「ンのやろ……!」 虎鐵の疾風が空気を大きく裂きながら衝撃破を放ち、しかし直後には己の背には強烈な打撃を感じた。 此処から動かす事、そして前へ進ませる事は何としてでも止めなければいけない。壱也の足はほんの少しずつ地面を抉りながら、後方へと押しやられていた。お願いだから大人しくしてなんて頼めたらいいものを、しかしこの黒馬という獣に通じるはずも無く。 しかし壱也が捕えたいのは黒馬では無い。虎鐵同じく、疾風を放つ腕が撓った。 そしてユーディスは視界の端にいつでもゲルトを置いていた。未だ死霊の八体の攻撃をその身で受け続ける彼。交代の時は近いかもしれないのは解っていた。アッパーはダメージが入らず、残りのイスカリオテの攻撃と拓真のハニーコム、ユーディスの放った反射付与だけでは削りきれない死霊の体力。他の火力に成り得る者達は全てキマリスへ向いている。流石魔神と言うべきか、防御に長けたキマリスは顔色一つ変えようともしない。 あとどれくらいでこの戦いは終えるのかと頭の中で演算を始める猶予はユーディスには無かった。今この時点で黒馬を抑えている手は四本で、己が抜けたら三本。それが意味するのは黒馬の自由。そうなった時は恐ろしい事態に成り得よう。 せめて、あと少しでも良いとユーディスは願う。ゲルトの体力が続く事を願う事しかないのかもしれない。信頼せし仲間に、祝福あれと。そして呪いを打ち消す光は放たれる。 「回復は任せてください!!」 力強い言葉と共に、荒い息を吐き続けるゲルトは笑った。後方より降り注ぐのは鼓舞の歌――職はデュランダルでありながら、本職に負けない程の癒しの力を行使し続ける光の姿。 全てを支えるのは己と言わんばかりに、力は奮われ続けた。上位の神へ祈り、乞い、そして仲間へ捧げる戦気。祝福の光沢は敵の攻撃に及ばずとも、編成の要である事は確かと言える。 頬に衝撃を受けた。そのままの勢いが流しきれなくて、壱也の顔はぐるりと180度回転する。黒馬が前足を上げた状態から地面に着地したのを見えている片目だけで捉えつつ、赤と燈に燃える大剣を地面に突き刺して支えとし、黒馬の前進を止めた。 「今の、喧嘩売ってきたってみなすからね!!」 再生し続ける身体を奮い立たせ、壱也は言葉が通じているかは不明だが黒馬に言う。 「キマリスを倒したら次は君だから!!」 「うざってぇ!!」 そして再びキマリスへ疾風を放った虎鐵。そのまま回転の威力を消さないまま、得物の柄で黒馬の顔をぶっ叩いた。 いまいち攻撃が効いているのか態度に出ない黒馬。されどその攻撃の威力だけは馬鹿に出来ないものを孕んでいた。それは黒馬を抑えている前衛たちが一番よく解っていただろう、己達でさえ長くは持たないと思える程度のもの。 しかし彼等は諦めない。優希こそ、その瞳の紅蓮は時間と共に煌々と輝いていくのだ。罪なき人々を巻き込んでいる魔神は、優希にとって許せる行動では無かった。護りたい想いが此の編成の中でも強い彼の拳は、返り血でも無く、握り締め過ぎて爪が肉を抉って血が湧き出る拳を奮う。 後方、黒馬が後ろ足を構え、優希こそ吹き飛ばそうとしていた。しかしそれは優希は跳躍して回避しては、黒馬の頭を両腕で抑え、そして地面へと叩きつけた。 「戦いを好むなら、とことん愉しませてやる……」 ●輝く剣は黒き闇 前衛は黒馬をブロックしていたが、キマリスは既に動いている様に彼をブロックする前衛は皆無に等しい。勿論それはキマリスが自由に動けている事を意味し、黒馬から離れた彼に攻撃するには黒馬から離れなくてはいけない。 それはできない相談なために、疾風を飛ばし続ける前衛陣。この時点でキマリスをブロックできる者がいるとすれば。 「コヨーテさん!?」 「大丈夫だぜッ! 回復を続けてくれッ!!」 黒馬のブロックを放棄して光を庇いに走ったコヨーテのみ。 後衛の――回復を飛ばし続ける光がキマリスには目障りだ。彼女の下にさえ行ける事ができるのなら、×××××こそ打ち込んで早急に終わらせられるものを。雷装の剣を受けたコヨーテは身体が痺れて、上手く呂律の回らない舌で言う。 ――オレだって今日をすげェ楽しみにしてたんだ。 「俺も楽しいな。コヨーテというのかお前」 回復が途絶えれば、ユーヌが反射に負けて落ちよう。アッパーで引き寄せられた八体を抑え込むゲルトが落ちよう。この編成を支えているのは光と言っても過言では無い程に彼女は重要な役割を背負っている。 しかしマサナイクルで賄える精神力は、たかが知れている。何もせずともあと二十秒程度もあれば光は自動的に回復を行う事ができない状態になるだろう。しかしキマリスが手を下せば二十秒もいらずに回復は途切れるのだ。だからこれは、足掻きであり、命綱。 コヨーテの、黒馬に抉られた首から血は流れ続ける。それも無いものと思っているのか、痛覚が麻痺しているのか、コヨーテは笑いながら拳を握った。衝撃に備えたのだ――後衛ごとのみこむ雷の刃。キマリスの背へ疾風は放たれ続けたが、祝福を自分に課した彼に攻撃は当たり辛くなっている。 「すっげェ楽しいッ! こんな興奮出来る相手なかなかいねェぜッ」 自然に笑みで零れたコヨーテ。しかし次には真面目な顔へとすり替えつつ、上から突き落とされた刃を覇界闘士の商業道具でもある手の平で受け止めつつ、そのままの勢いが止まらず背中から地面に着いた。 「今、今治しますから!!」 「へ、ヘヘッ!」 光の声に返事さえできず。じり、じりと剣は押し込まれていく。掴んでいる掌が少しずつ刃に擦れて斬られていく。 「連れてってくれよ、もっと楽しい所にッ! オレは死んでも負けねェ!」 「死に急ぐ必要は無いが、死んだら魂は回収してやる。だがまだ、弱い――!!」 しかしキマリスは言った。弱くても良いと。コヨーテはこの時点で体力はすり減り、限界を突破していた。普通ならNo.66の何かしらの能力を受けていても良いのだが、この男にはそれが効かないようで。 「……また遊びに来いよッ」 『約束しよう。生き延びて立ち上がってみせろ』 そして、刃はコヨーテの脳天を貫いた。 ――回復は間に合わない。動かなくなったコヨーテを見下げて、次に光はゆらりと立ち上がったキマリスの赤い瞳を見た。逆光で、それ以外は暗くて見えなくて。 されど、少女は恐怖を覚えなかった。屈強たる意思で己の足を地面につけ、華奢な身体に不似合いな程のゆうしゃのつるぎの切っ先をキマリスへと向けたのである。 「すぐに負けたり、しませんよ。箱舟はしぶといんです!」 「ああ……頼もしい事だな」 振り落した刃を、振り上げた刃が甲高い音を立ててぶつかった。地面に足こそ着け、しかしキマリスは彼女の身体が後方に押される程に力が強く。刃は押されに押されて、光の頬が些か皮剥かれる。 『楽しいなぁ……楽しい』 「この……この!」 護るべき者達を信じて――光は懇親の力でキマリスを押し返す。休んではいられない、そのまま回転斬りした刃から放つ疾風の刃。背中から、そして正面から疾風の連打をくらったキマリスの周囲は彼の血で染まった。 「どう? 私達に倒される気分は」 壱也がふらついたキマリスに言う。みるみるうちに傷口は消えていくキマリスは振り向き、言った。 「……最高だ」 ●命の力 「ハハハハハ!! 楽しいな箱舟ェ!!!」 笑顔だった。雷撃の剣の直撃を受けた光は苦い顔をした。しかし彼が目の前から消えたと思えば後方より剣を振りかぶったキマリスの姿が。それを剣で受け止め、消えたかと思えば横からの刃に痺れと圧力を感じながら光の首が6割程胴体から切り離された。 「ユーヌ、しっかりしろ。どうした?」 「解らん……何か、何かが……来るぞ」 「あぁ……俺もかもな」 少し経った頃に、アッパーを放ったユーヌが小さく声を出しながら、何か吐き気のする雰囲気を感じていた。彼女の異変を感じつつもゲルトは死霊を抑え込むのに精一杯で、己の腹部を抉る刀の刃が彼の内臓を引き裂きながら引きずり出された。激痛に歯を食いしばりながら、ゲルトはその死霊を蹴って押し。 ―――――魔族の罠に落ちた。 「なんだっつーんだ」 突然一点を見つめて動きが鈍くなった仲間たち。虎鐵は不信に思いながら見ていたが後方より黒馬の衝撃を受けた瞬間に、同じそれを味わう事になった。 「どうした!? 皆……!?」 状況が読み込めない優希。しかしハッとしてキマリスの方向を向けば、口を開く彼。その奥の、舌の上を彩り輝く魔法陣が優希には見えた。 「貴様!!」 優希は吼える、しかし黒馬のブロックを解く事はできないのだ。幾度目かの魔氷を黒馬に叩き込みつつ、早々に此れを動けなくしてキマリスを倒すように焦る彼の心。 「今、なんとかする!! それまで持ちこたえてくれ!!」 試しに放つユーディスのブレイクイービル。しかしその光を浴びてでも仲間の体調は戻る事は無かった。これはもはや神秘であって、されど神秘では無いもの。 『どうした箱舟。そこまでか、そこまでだろう? 疲れただろ、痛いだろ、もう止めたいだろ??』 虎鐵が、光が、ユーヌが、ゲルトの身体が一気に重くなる。これは先に『平伏せ』と命じられた時よりも重く、そして抗えない。 『さあ、終焉の時間だ。耐えきってみせろ』 ユーディスは己の耳を塞いでみた。しかしその声は聞こえるのだ、まるで己の音を感じる部分そのものが支配されている。 イスカリオテの解析は進んでいく。全て言葉に支配され、言葉によって行動を制限される――キマリスたる魔神が行うNo.66。力を与える事ができるキマリスだが、力を奪う事も可能とするのだ。現に、ユーヌのアッパーは力を失くしているのが、死霊の動きで手に取るように解るのだ。 そして――戦意こそ失くした戦士はキマリスに殺される。 それを一番解っていたか、その状況に陥った自分が許せないか、虎鐵は己の足に斬魔・獅子護兼久の刃を刺したのだった。痛みに目が眩む事も許されず、されど彼の口は笑う。昔はあの『剣林』であった虎鐵、雄々しき力の先駆者が揃うその一人であったと。当時に持っていた残酷さを、冷酷さを、今解放せよ――楔は全て引き千切り、ただ、一心不乱の戦争を。 なにより、牙の折られた虎は虎では無くなるからと。虎鐵は刃を抜いて、自身の血が滴る刀をキマリスへと向けた。 『あいつには効かない……ああ、お前はもう止めろ。限界だ。俺がお前を殺す前に去れ』 涙を飲みかけ、それでも剣を地面に突き刺し立ち上がった光。負ける訳にはいかない、勝つと宣言した以上――。 「ボクは勇者になりたいから全てを護ろうと思うんじゃない」 『なら、何を望む』 「ボクの手で、より多くのものを護りたいから、勇者になりたいんだ」 『笑わせる。周囲を見ろ。何もお前は護れていない。ヒトも、仲間も、己自身も――!!』 再度言霊の強制力が強まった。滑った光の諸刃の剣。体勢が崩れた光はついに地面に全身を着けながら、キマリスを見上げた。終われない、このままじゃ――土を食み、石を握ってはそれをキマリスへ投げた。まだ希望を籠らせた瞳で叫ぶ。 「本物の悪魔が相手だとしても退くわけにはいかない。ボクが、いえボク達があなたを撃退します! 覚悟してください!」 勇敢たる戦士を誰が笑うものか。キマリスの片手剣がこれ以上無く銀に輝いた――まるで地獄を照らす太陽の如く。余った片手で光の髪を掴み、そして持ち上げればキマリスの刃の先に来た彼女の首。 「く……う、う、うあああああ―――!!!」 光は輝きを放った。全身から乞う願いは仲間への詫びと賛歌。そして片手剣が纏う、雷と風は交わり長剣へと変わった。キマリスを象徴する魔法陣が周囲を回る。 『精々死んでくれるな』 光の胸が剣を飲み込んだ瞬間、彼女の背中の肉は弾け飛び、そして其処から後方の景色が一直線に吹き飛んで――癒しの祈りは果てるのだった。 全て、逃さない。一部始終、書きとめるのは手記では無くイスカリオテの頭の中。魔神の攻撃を見た彼は、心の中でご馳走様と呟いた事だろう。解る事が、言える事があるとすれば。 「短く言えば、反則という言葉がお似合いでしょうか」 防御さえ貫通している、広範囲の技だと言う事。 「死して彷徨う武人の魂よ、神威の光に平伏しなさい」 怯む事は無かった。 未だキマリスの極大な魔の武装が解かれていないが、戦場を一瞬にして駆けた輝きは希望か……死霊にとっては己を焼く光であったが。ユーヌが動けない今、死霊の実体化を望めるのはイスカリオテの攻撃が頼りであった。 また一人、また一人と倒れていく。血溜まりに光とコヨーテが沈む。最後まで戦士であった彼等に、キマリスがトドメを刺す事は無く。その瞳が次に捕えるのはゲルトとユーヌだ。 回復は途絶えた――すれば黒馬の攻撃をカバーするものは無い。拓真が膝を着き、言霊に支配されては剣を持つ腕が鈍った。掠れる彼の視界の中で、ユーディスが走っていくのが見える。 「――煩い囀るな。濁声でやる気が削がれる」 『そのまま削がれてしまえば良い』 見えない力が乗りかかる。ただ、鉄心を用いる彼女の心はその重りで砕ける事は無く。されどアッパーの鋭さは衰えていく。 数本の刀や、その刃が刺さった状態で膝を着くゲルトをユーヌは支えていた。彼女の手にこびりついた血は、彼女のものでは一切無い。 「……貴様等の好きにはさせん」 『勝ってから言える台詞だ。刃で示せ』 ゲルトはナイフを握っている。しかしそれが彼の刃では無く、ゲルトは仲間を護るための盾である。己が立ち続ければ、先に見えるのは仲間の勝利。彼が見通す先にあるのはキマリスが仲間の刃に沈む――その姿。 大剣となった刃は振りかぶられていた――身体中に刺さった刃を抜きながらゲルトは半身になってはユーヌの頭に手を置いてくしゃりと髪を撫でた。 「なんだこんなにとき、ゲルト」 「……あとは頼んだぞ」 その言葉が意味するのは、あえて聞くまいとユーヌは唇を噛みしめた。ただ、その温もりを忘れないように。ゲルトは、眼前で黒光りする魔法陣を回転させる大剣の持ち主へ示す。 「来い、キマリス。俺を簡単に落とせると思うなよ!!」 『潔く倒れておけ、拭う血も減るというもの』 鋼が落とされ、ユーヌは衝撃に後方へと押しやられる。砂煙に見えない視界、しかしユーヌの手を握った温もりは確かにあった。 「ここからは、私が!」 雄々しく倒れた『彼』に代わって――ユーディスはユーヌを抱きしめ、その衝撃から護るのであった。雷装は解ける事を知らず、次に狙ったユーヌ……しかしそれはユーディスが身代わりになるのだ。 「キマリス、戦士の意地というものです。異界の魔神――此の世界で貴方に負ける訳には行かない」 『戦え、戦え!! 女であろうと剣を持つのならば容赦はしないぞ!!』 刺された腹部、刃が突き出る背部。そして伝わる雷撃の甘くない刺激。 不思議な感覚に少しだけ顔が歪んだユーディスだったが、背から出ている刃はぎりぎりの所でユーヌに届いてはいない。護るのだ、彼が守ったように、己も彼のように―――。 「この先に、手を出せないなら……キマリス、あなたの負けです」 『貫き穿つ――俺の黒雷はこんなもんじゃない!!』 ●黒天の騎士 ボタボタと、キマリスの足元に血が落ちた。キマリス自身の口から吐血していたのだ、二度も大技をやればこうなるとは思っていたものの。 「ケチりやがって……」 「どうした、もう息があがってんのかよ?」 虎鐵の眼にさえ見えるその状況は、彼の限界が近い事を示しているのだろう。 「全力が出ない戦士なんざ、牙を抉られた虎と同じでよぉ……」 「……」 苛立ち。全力で戦えない憤りか。しかし主は12柱も一度に呼び出しているならば仕方ない事。今ある力で錯誤しなければいけないのは、他の柱も同じで。 デュランダルの最高威力の業を持ち得る壱也は、走った。狙いはキマリスだ。黒馬だが、拓真がNo.66に侵食され動けなくなった瞬間にブロックは不可能となった。 「覚悟して!!」 キースなんて、魔神なんて、そんな有名人と戦える事を面白いとし、されど一般人を護るために力を奮う彼女の腕に力が入った。ビキビキと音を立て、己の細い両腕が引き締まっていく。リミッターを外し、限界を超えたその技。キマリスならば、振りの大きいその技を見抜いて下がって回避する事は可能だっただろう――しかし! 「……こ、の!!」 ゲルトの腕が、意識の無い彼の腕がキマリスの足首を掴んで離さない。 ――ぶん、と空を裂く音が轟音の様でもあった。盾と、そして壱也の大剣がぶつかる轟音ひとつ。押し、押される力の攻防は始まった。油断すれば押し返されるキマリスの力も脅威だが、それを押している壱也の力も脅威だ。 「3人のためにも……負ける訳にはいかないんだ!!」 『ハハ、いいぞ、もっと、もっと怒れ、嘆け、戦え!!』 血管が限界だと、筋肉が限界だと、千切れ、破けて壱也の腕から鮮血が舞う。それは彼女の頬を染め、しかしそれでも力は一定のまま、否、それよりも強くなっていく。 「事情も知らない……関係も無い人たちのために負ける訳にはいかないんだ! なんのとり得もないわたしが唯一できる守れるということなんだ!!」 『笑わせる!! お前が救えるのは此処関ヶ原に居た一部の人間だけだ』 盾に弾き返され、壱也は大剣を地面に回転させて威力を止めて静止する。 『全部は救えやしない。今現在、魔神に殺された一般人の人間の数でも教えてやろうか?』 「うるさい!! それでも……仲間を信じて、私はこの手が届く全ての人を救うって決めた」 暗闇から目覚めた光は強い。 魔神の瞳に見える、魂の輝きは十人十色であるものの、どれも魅力的で逞しく。 「拓真! いつまで寝てんの!!」 壱也の声がする。言霊に縛られかけていた拓真は草と土を一緒に握った。筋肉が硬調し、動かし辛い喉を動かし――目には目を、歯には歯を、言葉には言葉を!! 「立ち止、る事は許、れず……後ろ……を振 向く間 ど無し……」 途切れ途切れだが、拓真は言葉を止めない。その内、黒馬が蹴り上げた前足からの衝撃を受けて、拓真の身体は弧を描いて飛ばされる。 「敵 見据 て……剣を振え」 しかしそのおかげか、足で着地した彼は己が二刀の柄をしかりと持ち上げ、地面に突き刺して膝を立てる。 「己が全てを乗せた一撃の元に斬り捨てろ」 彼は立つ。限界を突破し、もはやフェイトの加護さえ使い切ったボロボロの身体で。 本当の強さが欲しいと願い―――その育たない心を孕んだ青年を映したかの様な二刀を構え、漆黒の瞳がいざ征かんとす。 「──限界など何処にも無い、心で足りねば命を削れ。我が心、我が魂。何者も止める事あたわず!!」 「言葉に命令を乗せ、相手を強制力で縛る……侯爵にしては中々尊大が過ぎる力に見えますが。闘争を司る……権力も地位も名誉も望まない貴方だからこそ扱える力でしょう」 「それがテメェの能力か……そんな小手先なんざ……突っ返してやる」 イスカリオテは全てを見透かしたのか、虎鐵はそれを聞いては何も怖くないと悟る。全裸にさせられていく感覚の様だ……隠し切れない全てを剥いていく様は。虎鐵こそ途切れない戦意を持ちし強靭。キマリスの意思に沿う形であるからこそ、強制力は効かないのであろうか。それは今回限りかもしれないが。 「予想をするならば、本体はおそらく発する言葉全てにその能力が乗るのでしょうね。貴方にとっては不便ではありませんか?」 『討論はいらん。主では無きお前等に別ける知識は無い』 ●×殺し ゲルトの手を外し、その身体を蹴り飛ばしたキマリス。その身体はユーディスが受け止めユーヌへと渡される。身体を抱えたユーヌは、札を取りそれに精神力を込めた。けして敵を満足させるために今この場に居る訳でない彼女だ、戦闘する事でキマリスが楽しんでしまうのは口惜しい。 「そこで動くな楽しむな。木偶のように朽ち果てろ」 封じ込めるは、キマリスの身体を――しかし奴が蹴り飛ばした死霊にぶつかり死霊が身代わりと成った。届かないのか――否、もう一度、壁があるなら全て止めてやるとユーヌは再び札を取った。しかしブレる視界――此処まで積み重ねたアッパーによる反射が祟ったか、体力はもうすり減っている。ユーディスが彼女の身体を抱え、支え、そして前を向かせる。 「もう少しです、きっと――」 「ああ」 ユーディスこそ、今は編成を支える要でもあろう。護るは黒き悪魔の少女――それを背に起き、死霊の刃を受けては跳ね返した。盾で、槍で、時には刀を蹴り、時には盾で庇い、時には己の身体を呈していく――。鋼を照り返し、血の中で舞うユーディスの姿は麗しき武人であり舞人。 ユーヌの精密が過ぎる攻撃は現時点の力しか発揮できないキマリスには脅威だ。身構えたキマリスは三度目のアレを打ちだそうと剣を構えた時、優希がキマリスへ飛び込んで来た。 「余所見をするなと言っている!!」 頬を穿った腕―――氷結が伝わっていく。彼は黒馬の足を止めてからキマリスへ突っ込んで来たのだ。その驚異的な精神から生み出したか、狂った速さは此の魔神が見抜く事はできず。 「味わえ――これが俺の怒りだ!!」 攻撃を終え、しかし再び行うのは攻撃。怒りを封じ込める事を忘れた彼は、キマリスの頭上から祈り手とした拳を叩き落した。勢いでそのまま地面に前頭をぶつけるキマリスの視界がブレる。氷が浸食しようとも、キマリスが力いっぱい動いたら氷は全て砕かれた。 『ハハハハハ!!! 面白いが、ちょこまか動くな!!!』 「ぐ!!?」 体力が無ければ無い程、その言霊は有効を極める。戦意を削がれ、身体が動きたくないと悲鳴をあげる程に優希の身体は限界が近い。 「負ける、もの、か……!!」 しかしだ、戦意を削がれる事こそ優希にとっては愚の骨頂。例え片腕がふきとんだとしても、此の魂だけは汚される事は許せなくて。 「楽しくなってきたじゃねぇかよ」 「掴み取る―――勝利はすぐ其処に!」 拓真と虎鐵は前に出た、己にある力を全てキマリスへ打ち込むために。 舞い上がる葉の吹雪。目の前に見えた雷装を纏う魔神の姿。二人の間を抜けた雷はそのまま後ろ手で刃を振り回した――拓真はそれを刃で止め、もう一方の刃で首を狩ろうとす。しかしだ次の瞬間には雷は消え、虎鐵の背が大きく二つに分かれては電撃が襲う。歯を食いしばる虎鐵だが、雷装の彼は止まらない――そのまま虎鐵の腕を吹き飛ばしたキマリスはもう一度拓真へと飛び込んでは拓真は剣をクロスさせてキマリスの刃を防いだ。 『防ぐたぁ、な』 「伊達に修行なんかしていないからな……」 回し蹴り――それが拓真の首を大きく回転させた。瞬間、刹那!! 「でやぁぁああああああ!!!」 雷装をしたキマリスの胸を射抜く大剣―――。 『が!? ぎ、ぎ!!?』 奥へ、奥へ!! 壱也の剣は、刃を進ませてキマリスの胸の穴を広げていく。ほぼ柄が胸板に着いている程押し込んだ所で、壱也は片手でキマリスの角を掴んだ。雷装が解けた瞬間に壱也の腕に伝わる大量の血。続いたのは優希であった。後ろから氷装の拳を突き立て、其処から相手の自由を奪っていく。 「これでもう……逃げられないだろ?」 『……。ああ、そうだ、記憶は失くしておけ。二度と思い出せる事の無いよう』 「……?」 優希の耳に聞こえた言葉はおそらく戦士では無き者達へ向けられたものか。誰かと話している様にも聞こえるが、おそらく。 「一般人の記憶を消したのか……おい、キマリス!?」 『……箱舟ェ、もっと争え、争い続けろ。此の世界も戦いが終わらない、終わらせない――!!』 「――――そろそろ黙っていて貰おうか」 ペト、と着けた手の平には呪縛の印が結ばれている札。ユーヌはそれをキマリスの背に貼った。念入りに、押し付ける様に、外れないように。 「この距離だと外れる事も無いだろう? では、お帰り願う。できれば二度と来るな魔神風情が」 『おお、怖い怖い』 「――――退け、おめえら」 壱也が大剣を抜きつつ離れ、ほぼ同時にユーヌもユーディスに引っ張られていく。 「「じゃあな」」 重なった声――拓真と虎鐵の声。 いざ行かん。鋼鉄の魔装を貫き。神殺しの剣を立てるのだ。 爛漫に溢れた闘志を示したからこそ――勝利の栄光は箱舟へと渡った。キマリスが陣地を敷いていたのだろう、彼が消えた瞬間地獄の世界は通常の世界の空気を取り戻していた。その頃には黒馬も、死霊も存在せず、目に見えないものへと変わっていた。 ● 『――――――……あ?』 斬られた瞬間だった。キマリスの視界はボトムから見慣れた暗い風景の世界に戻っていた。よろりと倒れかけて、されど片足で支え直す。痛む胸を抑え、思い出しように虚ろに言葉を放った。 『あー……キース。聞こえてんだろ、俺はこういう結果だ。なかなか楽しい戦だったぜ?』 ククと喉の奥を鳴らしながら此度の戦火の終始を思い返して優悦に浸る。 嗚呼、楽しい奴等だった。 嗚呼、楽しい世界だった。 もっと、もっとだ、俺は箱舟を望む。箱舟と終わりなき戦争を望む程に――。 騒ぎ滾る血を、誰が止めてくれるものか。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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