● フリーフィングルームの中央、長方形のテーブルにリベリスタたちが集った。 茶を配り終えてメインモニターを背に立ったフォーチュナは、『まだまだ修行中』佐田 健一(nBNE000270)。このほど短い研修を終えて、これが初の依頼の席である。 「みなさん、初めまして。今回はじめて亭主、もといフォーチュナをすることになりました茶房・跳兎の佐田と申します。本日はよろしくお願いいたします」 健一は下げた頭をあげるなり、ではさっそく依頼について、と切り出した。 ブリーフィング開始の言葉を受けてリベリスタたちが一斉にテーブルの上へ目を落とす。 が、いつもならテーブルの上に置かれているはずの依頼内容がまとめられた資料がどこにもない。 代わりにあるのは先ほど健一が配って歩いていたお茶と、赤と黒を重ねて三角に折った和紙の上に竹の菓子楊枝と生菓子ひとつあるだけだ。 生菓子は水に見立てた透明な錦玉羹の中に刻み栗で作った練りきりの黄色い月を沈ませたもので、水底は夜を模した漉し餡、水面に写る月の上を練りきりで作ったウサギの影が横切っている。 「水面の月と申します」 9月の上菓子です、と健一はやや照れくさそうに笑った。 「召し上がりながらお聞きください。今回、みなさんに退治していただきたいのは、この上菓子によく似たアザーバイドです。似ているのは外見だけですが」 健一は手にした盆を前にして姿勢を正すと、万華鏡で見た未来をリベリスタたちに向かって語りはじめた。 ● 雨上がりの夜。 ようやく夏の盛りを過ぎ、夜ともなれば風が冷たい感じるほどに気温が下がってきた。草むらで鳴く虫の声に秋の気配が漂う。 (家に帰ったら何食べようかな?) 宮坂京子は持ち帰り仕事の書類が詰まったショルダーバッグを肩に担ぎなおしながら、そういえば最近野菜を食べてないな、と思った。 そうだ、コンビニでサラダを買って帰ろう。レトルトのカレーを温めて、半熟のゆで卵のひとつでも落とせば立派なご馳走だ。食べ終わったらテレビを見ながらアイロンをかけよう。それから――。 次々ととりとめのない考え事が浮かぶのは暗い夜道が怖いから。 道路灯の少ないこの道を通って帰るのは嫌だったが、見たい番組に間に合うように家に帰り着くにはここを通るしかない。 2年前に買ったレコーダーが壊れてしまい、しかたなく近くの家電量販店で修理に出したのが3日前のこと。 受付で返却まで2週間もかかると言われた。幸い購入したレコーダーには延長保証がついていたので修理代はかからない。特急料金を払うから早く返してほしいと頼むと、ここはクリーニング店ではありません、と冷たく断られてしまった。 (なによ。こっちは必要だから少しでも早く返して欲しいのに!) いま思い出しても腹が立つ。 (そりゃ、ドラマの録画なんて命に関わる大事ではないけれど……) バシャリと派手な音をたてて水が跳ね上がった。きゃっと悲鳴を漏らす。 思わず足を引き、暗がりに目を凝らしてみれば、道を分断するかのように大きな水たまりが出来ていた。 水に濡れたせいだろうか、やけに足の先が冷たい。まるで直接濡れたアスファルトに素足を下ろしているような感じがする。 「ああ、もう、いやんなっちゃう!」 水たまりは飛び越すには大きすぎた。タイトスカートにハイヒールではこれの半分の大きさでも飛べそうにない。端を回り込めばなんとか、ヒールの中にまで水が入り込むことはないだろう。 ついたため息を流すように、横手のグランドからからひんやりとした風が吹いた。 ぐずぐずと居残っていた雨雲も一緒に風に流されて、空に月が出たようだ。眼前の水たまりに煌々と輝く月が写りこむ。はっとするほどきれいな満月だった。 (今夜は満月だったっけ?) とは思ったものの、京子はいままで月の満ち欠けなど気にしたことがなかった。しかし、こうして水たまりにくっきりと映っている以上、今夜は満月なのだろう。 その水たまりの月の上を小さな影が横切った。 「え、いまのって……」 京子は思わず水たまりをのぞき込んだ。水面を横切った影がウサギに見えたのだ。 (まさか、ね?) そんなことがあるはずない。ウサギが空を飛んだなんて。 あはは、と小さく笑って体を起こしかけたそのとき―― 水たまりから触手のような水柱がいくつも伸び上がり、あっというまに京子の体をからめとって水たまりの中へ引きずり込んだ。 ぐにんぐにん、ぐねぐね……ぐちゅ……。 水たまり――アメーバ状のアザーバイドは丸飲みした京子をあっという間に消化してしまった。書類の詰まった鞄もハイヒールも後ろで束ねた髪の毛も骨も何もかも。 不定形な体に写りこむ空は雨雲が重く垂れ込め、星の瞬きひとつ見えていない。 アザーバイドはしばらくその場にとどまっていたが、やがてずるずると体を動かして排水溝から下水道の中へ落ちていった。 ● 「ウサギが水面の月を横切ったとき、水たまりの中をのぞき込むか、空を見上げるか――。人によって反応は様々ですが、このアザーバイドが不意を衝いて人を捕食するのは間違いありません」 事件の一部始終を語り終わった健一は、自分のために入れた熱い茶をすすった。 和紙の上から竹の菓子楊枝を取り上げて、「水面の月」を半分に切り分ける。錦玉羹を崩さぬように楊枝をさすと口の中へ運んだ。 うん、美味い、と自賛する。 もう一口、茶をすすってから、討伐対象のアザーバイドについての説明を始めた。 「アザーバイドは粘着質の体自体が強酸性です。布切れなど触れればたちどころに溶かされてしまいます。また流動体であり、自在に形を変えることができます。面接着の能力があるうえに意外と素早いので気をつけてください。体の一部を変形させて作った触手で攻撃してきます。最大の脅威は――なんといっても水面の月でしょう。魅了されたり、混乱させられたり、見入るとろくな事になりません。」 リベリスタたちの顔をぐるりと見渡すと、健一は芝居がかった口調でブリーフィングを締めくくった。 「フェイトを持たぬばかりか人に仇するアザーバイト。この世に生かしておくわけにはまいりません。帰る世界がないのなら、地獄へ去んでもらいましょう。それではみなさん、始末をよろしくお願いいたします」 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:そうすけ | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年09月22日(日)23:12 |
||
|
||||
|
■メイン参加者 8人■ | |||||
|
|
||||
|
|
||||
|
|
||||
|
|
■ 少し下あたりがへこんだ『ちかん注意』の立て看板の前で、『普通の少女』ユーヌ・プロメース(BNE001086)は秋のけはいを含む雑多な街の音を聴き取っていた。北の方角、ここから近いが見えない場所で自転車がブレーキを掛けて止まる音がして、続けてぼそぼそとした話し声が聞こえてきた。内容までは拾えないが、声の低さから大人の男だろう。3人とあたりをつけて仲間たちに報告した。 「たぶん、無灯火のチェックと盗難車の取締りだろう。3人のうち2人はおまわりさんだな」 同じく辺りを耳で探っていた『停滞者』桜庭 劫(BNE004636)がユーヌの情報を補強する。 「おまわりさんたちがこちらへ来る可能性は?」、と『ANZUD』来栖・小夜香(BNE000038)が白い翼をはためかせた。 劫はユーヌの横のへこんだ立て看板にちらりと目をやった。 「高いだろうな」 「では、打ち合わせどおりに」 小夜香はユーヌの言葉を受けて空へあがった。中学校のグランドフェンスを越えて北側から大きく道を回りこみ、東へ向かう。すでに道に入り込んでしまっている宮坂京子を追い返すためだ。 その他のリベリスタたちはそろってアザーバイトが待ち伏せする暗い道へ入った。劫と『祈りに応じるもの』アラストール・ロード・ナイトオブライエン(BNE000024)を先に立て、 用心しながら30メートルほど東へ進む。 「ストップ。ここで先に結界を張ろう」 暗がりの中でユーヌの手袋に記された種子真言が仄かに光り、瞬く間に強結界が張られていく。 『魔性の腐女子』セレア・アレイン(BNE003170)も陣地作成のための長い詠唱を開始した。 「高い知能は持てども、あの習性。社会性を重んじる生物では無さそうですね」 目を凝らし、アザーバイドが出入りするという排水溝の位置を探りながらアラストールが呟いた。新米フォーチュナによって水面の月と名づけられたアザーバイトは、必ずしも水溜りに擬態して待ち伏せているとは限らない。よくよく肝に銘じながら先入観を廃して辺りを観察する。 「ここには排水溝がありません。もう少し先へ進みましょうか」 一歩、一歩と慎重に足を進めるうちにピリリ、と緊張した空気がリベリスタたちを包み始めた。 そんな中で―― 「クチュン!」 直後に鼻を小さく、すん、と鳴らしたのはキンバレイ・ハルゼー(BNE004455)だ。 「いわんこっちゃねェ。そんな成りしてっからだぜ」 『華娑原組』華娑原 甚之助(BNE003734)は風通粋紗の赤絹羽織から腕を抜いた。 「ほら、風邪引く前に着な」、と薄着というよりもほぼ全裸に近いキンバレイに手渡す。 「えー」 「えー、じゃねェ!」 甚之助に叱られて、キンバレイは渋々ながら羽織を受け取った。 本日は、面積が一番大きい布地が極短のショートパンツ、という格好である。微妙な場所をサスペンダーの細いベルトが隠しているが、どう見ても考えても―― 「犯罪だぜ」 真っ直ぐ道の先を見つめたまま、から揚げの匂いがする『男一匹』貴志 正太郎(BNE004285)は憤った。微妙に頬が赤い。 「そ、そんな格好で、ここまでよく捕まらなかったな」 小夜香と違い、キンバレイは幻視で己の姿をごまかしていなかった。 「小学生はいいのです。薄着によって自律神経の働きが活発になり、抵抗力が高まる……っておとーさんが言ってました」 悪びれもせずにけろりと言い放つあたり、まったくもって邪悪ロリである。もちろん、小学生であろうとなかろうと、公共の場で裸族、がいいはずはない。ハルゼー家の薄着の基準は間違っている。しかも、その間違った基準が適応されているのは恐らく娘のキンバレイひとりだろう。 「いいから早く着ろ!」 前を歩く劫が、振り返ることなく小声で叱咤した。 唇を尖らせつつ、キンバレイは透ける赤い羽織を身にまとった。それはそれで妙な色気が増したような気がするが、幸いなことにあたりは暗い。 ユーヌも手に持つカンテラでわざわざ照らしたりしなかった。 「さらさらとして気持ちいいですね、コレ。売ったら何ガチャ分に……。おとーさん、きっと喜びます」 「返せ!」 「しっ!」 劫と並んで前を歩いていたアラストールが警告を発した。 アラストールの足のほんの先に、不自然に広がる水溜りがあった。表面にユーヌが持つカンテラの光りがまだ写りこんでいない。 リベリスタたちの間に再び緊張が走る。 ユーヌはすっと体を空に浮かせると影人を召喚した。 きゅっと口を固く結んだ正太郎がユーヌの影人とともに前衛ラインに加わった。 「おう、お出ましか?」 甚之助は懐に手を入れるとずしりと重い巾着袋を取り出した。紐を解いて中から小銭を取り出す。 「フュリエみてェな超スバラシイのから、こういうどうしようもねェのまでバラエティ豊かだな、アザーなんたらってのは。佐田の言うとおり、あの世に去んでもらうしかねェ」 鉄灰色の雲が垂れ込める夜空に向かって小銭を放った。劫、アラストール、正太郎の頭上を越えて道路に広くばら撒かれる。その数、およそ百枚。擬態という、アザーバイドの厄介な能力を防ぐための小道具である。 「あん? 何でこんなに小銭持ってるかって? その辺の乞食にくれてやるためさ」 もったいない、とキンバレイがため息をつく。 路面近くでじゅん、と小さく音が立った。 ■ 「うきゃっ!」 サルではない。 突然、目の前に白装束の女性が降り立てば誰だって驚く。これは「うわっ」と叫びそうになったところで宮坂京子の乙女回路が発動し、口と舌を無理やり動かして「きゃっ」といいなおした結果の叫びである。 京子は肩紐をぎゅっと握りしめて体に寄せた。腰を引いてよたよたと後ろへ下がる。 「ち、痴漢!? ううん、痴女?」 「違うわ」 道と中学校のグラウンドを仕切る高い金網の上から、京子の前に降り立ったのは小夜香だ。 痴女呼ばわりされて傷ついた小夜香は、早々に普通の説得をあきらめた。 (ドラマ好きなら案外こっちのほうがいいかも) 全身をうっすらと光らせて大きな翼をゆっくり広げていく。 「私は守護天使よ。宮坂京子、すぐさま引き返しなさい。この先に大いなる災いが貴女を待ち受けています」 警告を無視すれば死ぬことになる、と光り輝く左手を京子へ向かって差し出した。 「て、天使? マジ? わたし、仏教徒なのに!?」 うそぉ~ん、とカラ笑いするなり京子は背筋をしゃんと伸ばした。顔の前で手を横に振る。 「ないない。そうだ、これドッキリでしょ。ね、カメラどこ?」 カーブの向こうで仕掛け人が看板を待っているのね、とすたすた歩きだした。 小夜香は小さくため息をついた。こうなってはしかたがない。 「ちょっと失礼するわね」 脇をすり抜けようとする京子の腕を取って引き寄せ、そのまま両腕でがっちりと抱きかかえた。 京子の肩から紐が外れてバックが道路に落ちた。衝撃で口が開き、書類がアスファルトの上に散乱する。 「ぎゃぁ、やっぱりチィィィィー!!」 耳元で絶叫されて顔をしかめつつも、そのまま京子を腕に抱えて一気に15m地点まで急上昇した。すると、いきなり京子の体が重くなった。どうやら気を失ったらしい。 迷った挙句、小夜香は京子を東の入り口まで運んだ。 別の道路に出てすぐ、右手にバス停の前に青い背もたれのベンチを見つけて京子をそっと降ろした。時刻表を確認すると5分後にバスが来ることが分かった。バスの運転手の人がよければ、警察に通報してくれるだろう。もしかしたらわざわざバスを降りて介抱してくれるかもしれない。 暗い夜道に気を失った女性を置き去りにするのは気が引けたが、ほかにどうしようもない。5分もあればアザーバイドを退治して、落ちたバッグと拾い集めた書類を持って戻ってこられるだろう。 小夜香は急いで仲間たちの元へ戻った。 下の道路に気を配りながら、やはりグランドの上を飛んでショートカットする。 チャリン、チャリンと固くて小さなものがたくさん道路に落ちる音がした。音の先へ目を向けると、甚之助が巾着袋から何かを取り出してばら撒いていた。その他に特別変わったものは見られない。アザーバイドは本当にここにいるのだろうか? リベリスタたちの活躍で未来が変わることがあっても、万華鏡の予知そのものは外れることがない。姿を見つけられずとも確かにいるのだ。なれば、なるほどアザーバイド擬態は厄介だった。 小夜香は仲間たちの頭の上を小さく回って、やはり空へあがっていたユーヌの横についた。 「お待たせ」 下に向かってOKサインを出した。 ユーヌが張った結界内にセレアが魔術師の陣地を作成する。 「下水道に入るのは気持ち良さそうな話じゃないわ。地上に居る間に一気に片付けましょ」 ■ 「くそ、いきなりか!」 水溜りの表面が僅かに揺らいで偽月が現れた。 劫が腕を上げて目を追おう寸前にウサギのように見える黒い影が黄色い光の上をさっと横切った。 見てしまった。 とたん、一目ぼれによく似た高揚感が劫を襲う。 水溜り――アザーバイドを視界の端で捉えていたユーヌは、月の顕著とともに不吉な影を水面へ落とした。ダメージを受けて粘りのある水が大きく跳ね上がる。 足元をふらつかせている劫をかばって、影人が水滴サイズになって飛び散るアザーバイドの破片を浴びた。 「そこまでだ、お前には此処で消えて貰う」 水面の月に魅了された劫の剣先が影人を切り裂いた。 小夜香はクロスを高々と掲げた。 「癒しよ、あれ」 天井より癒しの光りが劫に降り注ぐ。 水面の一部が伸び上がり、複数の触手を形作った。回復したばかりの劫を絡め取ろうと粘着質の腕を伸ばす。 「肌にも優しくなさそうだし、ホント迷惑な敵ね。できるだけ迅速に滅ぼしましょ」 後衛よりセレアが触手に向けて雷を放った。 触手がはじけ飛ぶと同時に、アザーバイドの体面が青白く瞬いた。 「戦士の魂よ、我を守りたまえ」 飛び散った破片を幻想の闘衣をまとったアラストールが鞘をふるって叩き落す。が、数が多い。しかも全方向に飛び散ったため、何人かが強酸で皮膚を焼かれてしまった。 空にあがっていたユーヌと小夜香の足にも飛沫が飛びかかった。が、一番の被害者はさらす素肌の多いキンバレイだ。後衛に位置していたにもかかわらず、太ももに大火傷を負ってしまった。 目に涙を浮かべつつ、キンバレイは気丈にも聖なる神の息を吹かせて酸で焼かれた仲間たちの傷を癒した。 「――いてェなこの野郎。……お前、死刑」 甚之助は怒りで持って奥歯をぐっとかみ締めると、劫を後ろへ下がらせて入れ替わるように前へ出た。ガチリと音をたててハンドグリップを前後に往復させる。 「見境なしのド畜生が。奥歯ガタガタいわしてやンよ」 まだ表面に小さな稲妻を走らせているアザーバイドの体に断罪の散弾をぶち込む。 「……あ、無かったか」 反動で鼻から血を流しながら、甚之助はハハハと笑った。 やられっぱなしだったアザーバイドがここに来て猛反撃に出た。短い間にしこたまダメージを食らって認識を改めたのだ。目の前にいるのはただの餌ではなく、こちらを狩りに来た敵なのだと。 アザーバイドは体を三日月形に変形させると、巨大な触手を2本作った。1本は中学校のグランド側から、1本は幼稚園裏手側から、リベリスタたちを挟むように触手を突き延ばしてきた。 「へっ! どこ狙ってんだよ!」 正太郎の体が赤い残像を残して闇に踊る。 幼稚園側から回り込んでアザーバイトに近づくと、躊躇いなく触手の根元を狙い己の拳を叩き込んだ。 千切り取られた触手の塊りがガードレールにかかり、瞬く間に亜鉛メッキされた鉄を溶かした。路面の上にへにょりと蕩け落ちた鉄から、泥臭くもあり生臭くもある独特の樹脂臭が辺りに広がる。 正太郎は焼けて煙の立つ拳を引きながら、溶けたガードレールを見て「すげえ……」と驚愕の声を零した。 「強酸性か、下水の掃除用具にピッタリだな。ああ、ごみ処理施設も捨てがたいが……。いやはや残念、不要品」とユーヌ。 どんな物質も溶かす究極の酸、というものはボトム世界に存在しない。それゆえ、このアザーバイドの体がいかに脅威であるかよく分かる。アスファルトは溶けていないように見えるが、単に溶解速度が金属や炭水化物に比べて遅いだけなのだろう。水面の月がいた上位世界はほとんどがダイヤモンドのように安定した物質で作られているに違いない。 「てか、動きすぎだぜ。これでものんびり食ってやがれ!」 正太郎はコンビニに駆け込んで買い占めたカラ揚げ――冷凍庫の中の物まで残らず――をポケットというポケットに詰め込んだ上着を脱ぎ、アザーバイドの上に被せた。大した時間稼ぎにはならないだろうが、やらないよりもマシだ。 グランド側から延ばされた触手は上からユーヌがやはり根元から撃ち断っていた。 こちらはリベリスタの誰一人に傷を負わせていない。 正気を取り戻した劫が、剣で体を伸縮させて移動する分身を切り裂いた。 「無様だな。名前の割に優雅さが足りないな?」 ユーヌのあざけりを受けて、アザーバイトの表面が黄色く光りゆったりと波打った。 「こいつ、もしかして笑ってるのか?」 苛立つ劫の呟きを聞きながら、小夜香が回復の呪文を口にした。と、いきなりグランドの金網が道路側へ倒れこんだ。 後ろに下がっていたセレアたちも含めて、飛んでいないリベリスタたちは金網に捕らわれてしまった。幼稚園側のフェンスやガードレールに引っかかって、ある程度の高さは確保されているとはいえ立ち上がることが出来ない。 高度を下げたユーヌと小夜香が金網を引っ張り上げようとしたところを狙い、アザーバイドが網の上へ出てきた。網に絡めた指を粘着質の体で包む。じゅっという音ととともに、肉や爪が焼ける匂いが立つ。 「……つっ!」 「きゃあ!」 ユーヌたちは慌てて金網から手を離すと、空へ逃げた。 アザーバイドはあえてふたりに追撃をかけず、そのまま酸の雫を金網の下へ滴らせながらリベリスタたちの上を這い進んだ。直前にから揚げを食べていたせいだろうか。その進みは僅かながら遅い。イオン化した金属が功と甚之助、アラストールの体を焼く。 「やるわね。スライムのクセに」 正太郎のおかげで時間稼ぎのできたセレアは、頭を抱えて道路にうずくまるキンバレイの脇に背中側から腕を通すとそのまま引き下がった。急いで網の外へ出なくてはならない。自分が移動すれば陣地が破れてしまうが、ともかく自由に動いて逃げられる場所まで移動するのが先決だ。 セレアの懸命の努力をあざ笑うかのように、アザーバイドの体の一部がキンバレイに迫ってきていた。 「あああっ!」 引きずるキンバレイの足の上に雫が落ちる。 「痛い、いたい、おとーさん痛いよぅ!」 「もう少し! もう少しの辛抱よ!」 道路の入り口近くになってようやく腰を伸ばして立つだけのスペースが出来た。 セレアはキンバレイを結界の外へ押しやると、振り向きざま金網目掛けて葬操曲・黒を放った。 路面に落ちた雫は本体に向かって移動しながら合体を繰り返して大きくなっていく。分身とはいえその酸性は変わらない。大きくなれば触手を形成して行く手を阻むものを自発的に攻撃してくるだろう。 聖骸闘衣がある程度ダメージを防いでくれているとはいえそれなりに火傷を負いながらも、アラストールは目印の小銭を頼りに擬態した分身ひとつに目をつけて叩き潰した。 (これじゃあ間に合わない) アラストールは決意した。少しでも仲間が受けるダメージを減らすため、己の身を犠牲にして地面を転がり、小さな分身を潰していった。 「しゃらくせェ!!」 甚之助は諸肌脱いで背中の散り桜を夜風にさらした。両手でがしりと金網を掴む。皮膚が焼けて溶けた網が肉に食い込むの構わず、そのまま立ち上がり、金網を押し上げた。 ぼとぼとと音をたててアザーバイドが道路へ落ちる。細切れになった体はすぐさま再統合を始めたが、ユーヌのカンテラの光りがはっきりと生体コアを照らし出していた。 「貴志! 桜庭! 俺の桜が散りきる前に仕留めてくれや!」 「やってやるぜ!」 膝立ちになった正太郎が遠くから生体コアを狙い打った。黄色い月が跳ね上がる。 命尽きようとしているのか、アザーバイドの生体コアは次第に色を落とし白くなっていった。 だが、まだ擬態するだけの力はあるらしい。再統合を繰り返しつつも、アスファルトに溶け込んで排水溝を目指している。事前に小銭を撒いていなければ分からなかっただろう。 劫はアザーバイドを排水溝の上で待ち伏せた。動きをしかと読んで剣を構える。 「どれだけ逃げようと、何処までも追いかけて追い詰めてやる。逃がさないぞ……!」 退路を断たれたアザーバイドは、最後の意地とばかりに集まった体をすべて触手に変えて横へ薙ぐようにして振るった。 ユーヌが上から金網の穴を通して、アラストールが下から、同時に触手を撃ったが少し遅かった。 触手の一部が劫のわき腹をえぐる。 「ふっ……漸く晒したな、お前の弱点を!」 受けた傷をものともせず、劫はむき出しになったコアを剣で切り裂いた。 「慈愛よ、あれ」 愛に満ちた小夜香の声が劫の傷を癒していく。 夜空を覆っていた分厚い雨雲が流れて、本物の満月の光が戦い終えたリベリスタたちの姿を照らしだした。 |
■シナリオ結果■ | |||
|
|||
■あとがき■ | |||
|