● 息がつまりそうだった。手が震える。背中を流れていく汗が冷たい。気を抜けば浅くなる呼気を必死に整える。膝を抱える。きつくきつく。辛うじて入り込んだロッカーの中。通気口の隙間から見える外を眺めた。 嗚呼どうしてこうなってしまったのだろう。ほんの出来心だったのだ。友達同士で流行る安っぽいおまじない。狐のお面と、文字を書いた紙。十円玉に割り箸で作った鳥居を置いた机を囲んで輪になって。お越しくださいと歌うだけ。 有り得ないと思っていた。でも、それは起きたのだ。触りもしない十円玉が動く。皆何も聞かなかった。声も出なかった。誰かが口を開く。お帰り下さい。お帰り下さい。何度言ってもそれは帰らない。怖くなって帰ろうと告げた。それが間違いだったのだ。帰さなければいけなかった。いけなかったのに。 帰り道でエリが通り魔に殺されたと言われた。登校中にミユキが車に跳ねられて死んだと言われた。お昼休みに階段から落ちたキョウコが死んで、一緒におまじないをやり直そうと約束したシオリは、一度家に帰ったまま戻ってこない。 死んだのだ。みんなみんな死んでしまった。分かっている。次はわたしだ。わたしが死ぬのだ。おまじないを終わらせなかったから。帰ってくれないカミサマに殺されて死ぬのだ。 帰ろう、と立ち上がった背後で。 ――からん、ころん。 足音、だ。振り返らなくても分かる。草履が床を打つ音。小さく聞こえる息遣い。くすくす、と笑う声。獣のにおい。振り返らず駆け出した。必死になって昇降口に向かっても何時まで経ってもつかない。窓も開かない。気付けば日は暮れていた。逃げて逃げて、辛うじて滑り込んだ教室は偶然にも、昨日おまじないをした空き教室だった。 おまじないを終わらせよう。そう思って、けれど近付く足音に身体は動かない。狭いロッカー。見つかったらもう逃げられないのだ。肋骨を破りそうな程に大きく早鐘を打つ心臓の音が耳元で聞こえた。嗚呼。静まれ。静かにしろ。聞こえてしまう。聞こえてしまうのだ。見つかってしまう。此処に居るのがばれてしまう。見つかってしまう捕まってしまう嗚呼お願いお願い静かになって! からから、と。ドアが開く音がした。からん、ころん。足音が近づいてくる。からん、ころん。犬の様な息遣いが聞こえる。嗚呼。通気口の隙間から僅かに見える草履が、また一歩。 ――からん、ころん。 止まる。嗚呼其の儘何処かに行って。その願いを聞き遂げたかのように、草履の向きが変わる。教室のもう片方の扉へと。からんころん。向かう足音。僅かに、安堵の息をはいて―― 『――みつからないとおもったぁ?』 じぃ、っと。通気口の隙間から覗く金色の目。にやあ、とそれが笑うのが分かった。 ぎぃ、がしゃん! 辺りに、鉄錆のにおいが広がった。 ● 「どーも。夏にぴったりの今日の『運命』。聞いて頂戴」 げんなりとした表情で。資料をまとめた『導唄』月隠・響希 (nBNE000225)は何時もの様に椅子に腰を下ろす。 「こっくりさん、って知ってる? 有名な降霊術。メジャーなのは紙と十円玉の奴かしら。まぁ、色々ローカルなルールが加わったりもするらしくて、今回関係あるのはその中の一つ。 とある小学生達が、おまじない、と称してこれをやった。使ったのは紙と十円玉、狐のお面に割り箸の鳥居。無駄に本格的よね。で、ルールもちょっと違う。二人以上でそれを囲んで輪になって、お越しください、って歌うんですって。 まぁ当然、メジャーなこっくりさんと違って、悪戯のしようが無い。だからまぁ、何か起きたら『いらっしゃった』って事になるんで人気があったんですって。まぁ、そういうものだったらまだ可愛げがあったんでしょうけどね。 彼女達のおまじないは、何かを呼んだ。そして――それは、最悪しか呼ばないものだったのね」 深い溜息。アザーバイドよ、とフォーチュナは短く告げた。 「識別名『藻女』、狐の尾と耳を持った、着物姿の女の子。まぁ見た目だけなら非常に可愛らしいんだけど……中身は非常に凶暴。このチャンネルの人間の血肉を好む。怯えて逃げ惑うものを追い掛け回すのが好き。まぁ、性悪よね。 これが来ちゃったの。おまじない、本物だったんでしょうね。運命の悪戯かしら、彼女達がやった時にバグホールが開いたのよ。そんなの知らない小学生達が、帰ってくれるように頼んでもそれは帰らない。逃げ帰った彼女達を、藻女は追い掛け回したの。 一人ずつ殺して、食べて。彼女は十分な力をつけたわ。最後の一人まで殺して安心してる。これで、おまじないは終わらない、って。……まぁ、こんなのに居座られたらたまったもんじゃないわ。なんで、あんたらにはこれを始末してもらう――とは言っても、倒すのは無理」 資料が捲れる。赤銅の瞳がリベリスタを見回した。 「上位世界の住人な上に、力を付けた彼女を送還する方法は簡単。おまじないを終わらせればいい。恐らく未だ空き教室に残ってるおまじないの道具を焼き払えばいい。それが、このおまじないの正しい終わらせ方。 藻女は強いわ。でも、彼女の存在はおまじないに依存してるの。それがなくなればこのチャンネルに居られない。……まあ、当然それは彼女も知ってるんで、阻止してくるでしょうね。 だから、あんたらは藻女と、その配下である狐型のアザーバイドと戦闘しながら空き教室のおまじないを壊さなきゃいけない。まぁ、結構シビアだけど……あんたらなら大丈夫でしょう」 じゃ、細かいデータ。短い言葉と共に資料がまた一枚捲られる。 「『藻女』は、マグメイガスとホーリーメイガスを合わせた感じ。回復も、高威力の妖術も使える。勿論、だからといって脆くも無い。彼女は非常に強いわ。加えて、その尾を犠牲にする事で一部の呪いを無効化出来る。 だから、拘束して、って方法は考えない方がいい。純粋に、力技で押さえて頂戴。配下の狐は……まぁ、本当に力押しって感じ。噛み砕く、突進、咆哮で敵の防御を削ぐ事も出来るみたい。耐久と、物理的な攻撃力に優れてるわ。 数は合わせて10。空き教室は4階。あんたらを送り届ける場所はその上、屋上になるわ。生憎昇降口とかは使えないらしいんで。まぁ、古くなって建て直す予定の屋上のドアがあるから、其処壊して入る感じて。……まぁ、向こうも大人しく見過ごしてはくれないだろうから……ドア開けたらご対面、かしらね。 ……因みに、学校自体に藻女の妖術がかかってるんで、神秘的な力を作用させるのは多分無理。其処だけ気を付けてね」 話は以上。資料を揃えたフォーチュナが其の儘静かに立ち上がる。 「犠牲者は戻らないけど、これ以上増やさない事は出来るわ。……怪談は、語られるだけだから面白いものよ。まぁ、きっちり片付けて来て頂戴」 気を付けてね、と。その手がひらひら振られた。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:麻子 | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年09月01日(日)23:34 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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● コンクリートを踏みしめる足音は幾重にも。現場へとやってきたリベリスタの誘いに乗るように。屋上のドアの向こうへと、近寄ってくる気配があった。迫る足音。息遣い。身構えて、直後。 弾け飛ぶ様に開く扉。雪崩れ込む黄色い影にその視線を走らせる事も無く。とん、と。軽い音だけを立てて飛び込む痩身。冷気を纏う刃が軽やかに空気を裂く。裂く。裂いて裂いて時さえも完全に制した刃が起こす氷霧が辺りに満ちる。 絶対零度。音も無く周囲を切りつける氷刃はその傷から零れ落ちる血の一滴さえ凍らせ転がり落とさせる。けれど、彼は一度では止まらない。 「カミサマ、カミサマ、お帰り下さい!!」 縫い止め傷をつけた敵に狙いをつけて。振り下ろされた刃は二つ。決して止まらぬかの如き斬撃はまさしく『ハッピーエンド』鴉魔・終(BNE002283)に相応しい。澱み無き連撃。その速さを捉えられる者等此処には存在しない。 一瞬で戦場を整えた終はけれど、何処か悲しげにその目を細める。学校にこっくりさん。怪談の定番とも言うべき此処にもう少しだけ、早く駆けつける事が出来て居たら。一人救う事が出来たのだろうか。 そんな彼の逡巡を裂く様に。視界を駆け抜ける白。放つ手さえ窺わせぬ神速の攻撃が狐達を貫き傷付ける。其の儘手元に戻った腕輪を撫でて。 「狐の子よ、人の子を追いかけ回しても大人は怖いか?」 『無銘』熾竜 ”Seraph” 伊吹(BNE004197)は悠然とサングラス越しの視線を少女へと投げかける。藻女。もしも彼女がかの狐と同じ存在であるのならば随分と厄介な話だが、それを確かめる術は今此処に存在しない。 性悪とは言え行いは余りに稚拙。子供じみた行いは成長途上であるからだろうか――巡らせた思考を、僅かに止めた。分かるのは、幼くとも油断ならない存在である事だけだ。 「こどもはおいしいし、一生懸命にげるからだぁいすき」 どうせ逃げられないのに。舌っ足らずの少女の声。長い尾がふわりと掻き消え少女に力を与えるのを視界に収めながら。細い指が押し込む引金が轟かせたのは、凄まじいまでの爆発音。 鉛玉の豪雨が降る。地面を、倒すべき敵を撃ち貫き道を開く。此方を向いた金目と視線を合わせて、『鋼脚のマスケティア』ミュゼーヌ・三条寺(BNE000589)は微笑みと共に銃口を向けて見せる。 「ご機嫌よう、麗しい狐のお嬢さん……私と遊んで頂けるかしら?」 おまじない。誰もが幼い頃に犯したくなる禁忌。それは多くの場合ただの真似事で終わる筈なのに。こんな結果を生んだのはまさしく運命の悪戯と呼ぶべき現象なのだろうか。死んでいった少女達を思う様に視線を下げて。 けれど、ミュゼーヌはその表情を崩さない。この敵は間違いなく『相応の』敵だ。油断せずかからねばならない。そんな彼女の懸念を裏付ける様に、動いた狐。獰猛なそれの咆哮が、突進が、リベリスタへと襲い掛かる。 血。コンクリートを黒く濡らすそれを零す傷口はけれど、直後響いた旋律が齎す癒しが緩やかに塞いでいく。弦と弓が触れ合って。奏でる音色は何処までも甘美。味方にとっては優しいそれはけれど、敵にとっては猛毒だ。 「お嬢さん、随分と派手に悪さしちゃったみたいじゃない?」 昔の神様は怒らせると怖いものだけれど、よりにもよって来たのは九尾の狐。間違っても呼び出してはいけない存在だ。けれど、これは神様では無いのだ。この世界に害をなす存在。悪意ある存在。 子供の戯れへの弊害は、可愛い悪戯程度でいいと言うのに。困った様に肩を竦めて、『運び屋わたこ』綿雪・スピカ(BNE001104)はぴん、とその弓で少女を示す。 「是が非でも元の世界へ再配達させてもらうわ。運び屋わたこにお任せあれ!」 そんな彼女の視線の先で。ふわり、と舞い上がったのは黒。そして、血より紅い艶やかな衣。引き抜かれた刃が巻き起こす烈風が、桜の飾りを宙に舞わせる。刃が巻き起こす斬風は、それ自体が力を持つ。 凄まじい圧力と共に裂けた皮膚から飛んだ紅も、その烈風にによって霞と消える。己を濡らすそれに、表情一つ動かす事無く。衣通姫・霧音(BNE004298)は敵を見渡した。少女がもしも白面金毛九尾の妖狐であるのならば。その懸念は彼女の中にも存在している。 けれど、それがどうであれ、やるべき事は変わらないのだ。既に犠牲が出ている。その事実が、霧音の心を引っ掻く。心苦しい、と思えるのはやはり方舟に来て自分が変わったからなのだろうか。 「さっさとお帰り願いましょう。厄介だわ」 失ったものは戻らない。ならば、これ以上は許さなければいい話だ。刃を構え直す彼女の前で、女狐はくすくすと笑っていた。 ● 轟く咆哮。耳を劈き内側から揺さぶりその膝を折ろうとでもするかのような。凄まじい獣の自己主張は物理的圧力で重たい外套を翻す。覗いた機械の足。それが、衝撃を破るかの如く力一杯地面を踏みしめた。 「урааааа!」 まさしく『咆哮』。空気を震わす鬨の声と共に、振り抜かれる断頭将軍は今日も血を求めて鈍い煌めきのラインを描く。大胆不敵鮮やかかつ衝撃的な一撃を。目前に迫る狐の腹部にめり込む刃。『攻勢ジェネラル』アンドレイ・ポポフキン(BNE004296)が纏う祖国の誇りを、獣の血が濡らしていく。けれどそれは最高の化粧だ。血と汗と鬨声を吸い上げて。灯りに照り映えるそれこそ兵士の守るべきドレスコード。 さあ、兵隊よ戦場で踊れ。目の前の敵は侵略者だ。我らは防衛の為に戦わねばならない存在だ。負けてはいけない。負ける訳にはいかない。負ける訳がない。 「Здравствуйте侵略者。嗚呼……貴様の泣き顔が楽しみデスヨ」 首を落としても死なないのならば。文字通り死ぬほどの恐怖を与えてやろう。そんな彼の背後から、戦場を駆け抜けたのはどんな脅威であろうとも容易く打ち払う破邪の閃光。『墓守』ノアノア・アンダーテイカー(BNE002519)は、まるで怯えて見せるかのようにその肩を竦めた。 「狐ってどーも嫌いなんだよな。ほら、ボク山羊じゃん? 狩られる側じゃん」 嗚呼けれども何時だってそうとは限らない。彼女は魔王でもあるのだ。お呪いなんて効かない。無意味だ。幼い頃は知らなかった言葉の意味。それを知るノアノアはけれど、飄々と笑みさえ浮かべて盾――否、鉾と呼ぶのが相応しいのだろうか――を襲い掛かる敵の咢へと噛ませる。 前衛では、徹底的な数減らしの策が取られ続けていた。明らかに疲弊した狐を、確りと確かめて。しなやかな鋼の足がコンクリートを蹴り敵へと迫る。振り上げられる刃。大上段から其の儘真っ直ぐ敵の頭を叩き切るように。神聖なる力を帯びたそれが、狐の意識を頭蓋ごと砕き地へと沈める。 不愛想に結ばれていた筈の唇が、楽しげに笑い声を零した。楽しい、と囁いて。『蹄付』エリーウェザー・ブラウン(BNE004090)は己の頬を濡らす鮮血を拭い取った。運命の残滓が、其処に纏わる感覚。リベリスタ優勢でありながらも、決して油断は出来ない。けれど、その痛みより、危機感より。勝るのだ。 この敵への興味が。この戦いの面白さが。世にも珍しい戦いをこんなにも満喫できるだなんて。自然と高揚する感情。少女は酷く無邪気に戦いを楽しんでいた。 「折角お目にかかれたんだ、もっと楽しもうじゃないか、ねえ狐君たち」 大人びた口調とはしゃぐような色。相反するそれを浮かべながら少女は笑う。抑えは完璧。減った敵の数を確かめて。味方の攻撃の隙間。頃合いかと、ノアノアの足が動いた。 駆け抜ける。目指すは開いたままの屋上扉。狙いに気付いた藻女が其方へと手を向けかけても、彼女が其方へ行く事は出来ない。立ちはだかるミュゼーヌが首を傾けて見せた。遊び相手は自分だ。他に何て行かせない。そんな状況に悔しげにコンクリートを踏んだ狐の指先が、力任せに叩き付ける妖術の獄炎。 「お前も諦めが悪ィなあ。ま、ボクもなんだけどな!!」 屋上辺りを見境なく焼き払ったそれが燃え尽きても、其処にノアノアの姿はもう残っていない。階段を駆け下りる足音。それを追う手はない。せめて、とこれ以上の校内侵入を阻もうと動いた狐はけれど、飛んで来た白に跳ね飛ばされる。 「遊びたいんだろう。付き合ってやる」 凄まじい音を立ててフェンスにぶつかる獣を視線で追う事さえせずに。伊吹は屋上扉の枠に手をかける。何処までも冷静な瞳が屋上を睥睨して。ぴたり、と少女の位置で止まった。 「隠れん坊は終いだ。鬼ごっこをしよう――つかまえてみろ」 尤も、捕まる前に『捕まえて』やるのだが。伊吹は鬼の名。今度は此方が鬼になる番だろうと、その唇が薄らと弧を描く。其の儘、黒衣の後姿はノアノアを追って屋上から姿を消した。 ● 足音が遠ざかっていく。それを耳にしながら、スピカが奏でる旋律は甘くも激しい。何もない空間から響く、爆ぜる音。紫電が走る。荒れ狂う。音色が命じる儘に、そのまま拡散。屋上に残った敵全てを一気に打ち据え焼き払うそれが牙を剥いた。 肉の焦げるにおいが、凄まじい怨嗟の唸りが聞こえた。此方に向く憎悪を感じながらも、少女は足を退こうとはしないのだ。 「配達ルートは確保したわ! 後は任せたわよ」 残った自分に出来るのは、此処で共に抑えを行う仲間を支える事だ。そんな彼女に唸りをあげる敵。けれど、その足を止める様に。響いたのは口笛。まるで此方に招き寄せる様に。気を引いたアンドレイの手が眼前へと差し出される。 「腹ペコ狐さん、パイナップルはお好きデスカナ」 まぁ生憎光って煩い特製品なのだが。放られたそれがコンクリートで跳ねて炸裂する。凄まじい音と閃光。神秘のそれが視界を狂わせ、その身に纏う加護を砕く。攻勢を止めない。止めてはならないのだ。傷を負う事を厭うな。退く事を考えるな。 1傷付けられたのならば10傷付け返せば良い。負けず嫌いな自分にはぴったりだ。単純明快。戦うのならば勝たねば何もかも無意味。勝ってこその戦争なのだから。 「勝利無くば生命無し! サァ御覚悟。必ず必ず必ず必ず殺してやるからな」 今は無理でも次会うのならば。決して退かぬ勝利への執着と明確な殺意。鋭利なそれにもやはり、表情を動かさぬまま。霧音の指先が柄を握る。瞳を伏せる。集中。僅かに呼気を吐き出して。其の儘、抜き放たれた刃が描いた剣戟は、美しいばかりで終わらない。 巻き起こる烈風の壁が、狐を一匹たりとも屋上の下へと通さない。当然の事だ。此処に居る自分の役目は足止め。おまじないを終わらせるために、邪魔はさせない。通さない。少女と呼ぶには余りに艶やかなそのかんばせが、その日初めて微笑んだ。 「どうぞおかえりくださいな、こっくりさん」 帰って貰わないと終わらないのだから。烈風の余韻で落ちかかる黒髪を掻き上げる。そんな彼女へ、与えられるのは柔らかな癒しの力。世界から借り受けたそれを、一人一人に渡しながら。エリーウェザーはやはり、抑え切れない高揚を零す様に胸を押さえる。 「わたしはこういう人智を超えた戦いに目がないのだよ……ほらもっと見せてくれないか」 もっともっと。楽しい事があるだろう。戦いは楽しいものだ。もっとやりたい。もっとしたい。子供らしく強請るトリガーハッピー。ライトを照り返す刃から零れ落ちていく紅が、ぴしり、と。音を立てて其の儘動きを止めた。 嗚呼その斬撃は、その踏破は、目で追う事さえ困難だ。澱み無く、暇無く。足を止めず刃を振るい続ける終が齎す幾度目かの氷霧。二振りの刃が齎すそれが散らす氷がまた一体狐を沈め、その動きを縫い止める。 「駄目駄目、此処から先は通さないよ☆」 視線を走らせる。藻女が悔しげに首を振った。通れない。通れるはずがないのだ。リベリスタの敷いた布陣に穴は無かった。校内へと裂いた人数が最低限であった事。残った面々が各々が行える最適な手段で敵と相対した事。 どちらが欠けてもこうも完全に抑え切る事は叶わなかったであろう程に、隙の無い彼らに悔しげな少女が生み出した荒れ狂う雷撃が襲い掛かる。焼けつく痛み。眩暈。けれど、それを癒す手は未だ此処に残っている。 足がふらついた。鮮血と共に運命の残滓が零れていく。鈍い咳をひとつだけ零して。けれど、スピカは歌うのだ。郷愁を呼び起こすような童歌を。悪戯狐を還す為の力を、仲間へと齎す為に。 辿り着いた教室は酷く静かだった。血塗れの床。ごろり、と横たわった少女の首は、貪られ胴体から離れている。机の上にはおまじないの道具。それら全てを確認して、ノアノアはおまじないをやり直すべきかと眉を寄せる。 少女達がそれを為そうとしていた事は知っていた。ならば――其処まで考えた彼女の目に、飛び込んできたのは少女が握り締めたメモ。震えた字は血で滲んで見えにくいけれど。 「……終わり方が分からない。だから、やり直す……って事は正解を知らなかっただけか?」 「かもしれないな。……あの仮面はアーティファクトだ」 やり直して帰ってもらう、なんて。子供の怪談ではありがちの救済方法だ。恐らくは何も知らず神秘に振れてしまった少女達では、どう足掻いてもあの女狐を還す事は出来なかったのだろう。憐憫は一瞬。 おかえりください、おかえりください、なんて呟きながら。扉を警戒する伊吹の背後で、ノアノアの指先が呼び寄せた業炎が仮面へと叩き付けられた。 ● 屋上での戦いも、そろそろ雌雄を決しようとするところだった。狐はもう残っていない。それを確かめて、屋上の扉の前に立っていたミュゼーヌが一歩、その足を踏み出した。仲間は無事に下に向かった。ならば、一矢報いるのも悪くはない。 蒼白の煌めきが優雅に翻るコートの裾と踊る。コンクリートを踏む金属音は高らかに。必死に校内へと入ろうと足掻く少女の尾を、黒銀のハイヒールが縫い止めた。 「――残念だけど、ここから先には行かせてあげない」 ミュゼーヌの唇が弧を描く。淑女の微笑とは裏腹に、少女へと押し当てられるマスケット。白い指先が引き金に掛かる。怯えた様に此方を見上げた少女が言葉を発する前に。 「おかえりください、おかえりください……そう、この世界からね!」 指先に力が籠るのと、爆発音が轟くのはほぼ同時。鋼鉄の口付けが齎す衝撃。ミュゼ―ヌの腕が跳ね上がる。弾き飛ばされた少女がフェンスに叩き付けられずるずると落ちる。零距離から叩き付けた限界速度の一撃に小さく咳込んだミュゼーヌの視線の先で。 恨めし気に立ち上がった少女はけれど、一歩を踏み出す前に、その身を包んだ焔に絶叫した。 「っやだやだやだああああやめてこわさないでかえりたくないやめてぇ……!」 美しさの欠片も無い。コンクリートを転がりのたうち叫ぶ少女。その姿が意味するところはたった一つ。やったのだ。恐らくは面が焼き尽されているのだろう。恨めし気な絶叫が、その姿が、徐々に形を失い消えていく。 その姿を見詰めながら。アンドレイは固く誓う。戦いは最後まで行うのだ。最後の最後、敵の命を奪うまで。次があるのなら殺す。絶対に殺すのだ。侵略者を放置しておくわけにはいかないのだから。 断末魔にも似たそれが、鼓膜を劈く。ちりちり、燃え残る焔さえ消えた後に残ったのは、リベリスタが倒し切った狐の死骸のみだった。 「終わったぜ、お前も家に帰れる……安心して寝とけよ」 そっと、頬についた血を拭ってやる。出来る限りその遺体を整えて、ノアノアはゆっくりと立ち上がった。降りて来た仲間の無事を確認してから、そっと少女から離れる。そんな彼女と共に教室にいた伊吹は、遺体に手を合わせてからそっと、少女のポケットに残っていた手帳を捲る。 おまじないの方法。狐のおめんは縁日で買う。そんなメモ書き。偶然なのだろうか。入手経路の不透明なアーティファクトの存在に、その眉が微かに寄った。その懸念は、霧音も同じだ。なぜ、偶然は起きたのか。それは偶然と言う名の必然でないと誰が言えるのか。答えは出ない。 「また現れた、その時は……」 囁く程の声。それを耳にしながら荒れた机の位置を戻すエリーウェザーはそっと、狐の死骸にも布をかけてやる。アザーバイドとはいえ一つの命なのだから、安らかな眠りを祈ってやるべきだろう。 「……異郷の地で悪いね」 きっと片付けは方舟の人間がやってくれるだろうけれど。せめて、と片付けていく少女の後ろ姿を見送って、終はそっと、物言わぬ死体に視線を落とす。如何にもしてやれない。出来る事は、通報して、家に帰れるようにしてやる事だけだ。 「助けてあげられなくてごめんね……」 せめて、帰りたかっただろう家でゆっくり眠れるように。取り出した携帯電話に打ち込む数字。終の指先が、通話ボタンをそっと押した。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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