●猫又と小さな冒険者 「ほうほう、そうかい」 目の前で緩やかに動く青い炎を見ながら、猫又はゆったりと二本の尻尾を揺らめかせた。 太い木の枝の上、上品に交差させた前足の上に顎を乗せて、居心地良さげに喉を鳴らす。 「これは勇気のある探検家だねぇ。一人でこんな廃校に紛れ込むなんて」 「はいこう?」 低くゆったりした猫又の声に応じたのは、甲高い子供のような声だ。 その言葉に合わせて、青い炎がちろちろと躍る。 「人間の使わなくなった学び舎、それが廃墟――廃校さね」 「ふうん……此処にはもう、ニンゲンっていうのは居ないの?」 「滅多に来るものじゃあないねぇ。だが、人間なんぞよりも恐ろしいものが居るのさ……」 ゆうるりと金色の目が瞬き、遠く校庭に舞い上がる土埃に視線を向けた。 けれど青い火の玉はそんなことには気付かないのか、上下にゆらゆらと漂いながら、まるで首を傾げるかのように一回転する。 「良く分からないや。でも、お話してくれてありがとう、お吟さん」 「どういたしまして。ああ坊や、隠れるのなら校舎――建物の中におしよ」 「どうして?」 「……かくれんぼは、そうしたところに身を潜めるのがルールだからさ」 からかうように喉を鳴らして笑う猫又に、もう一度くるりと回った青い人魂は、けれど言われたように朽ち欠けた校舎へと漂っていく。 その姿をじっと見送って、銀の毛並みの猫又は、ゆっくりとした動きで頭上に開いたD・ホールを見上げた。 「さてさて、一体どうなることやら――……」 何処となく楽しげな囁きが夜風に紛れる、その中で。 近く校庭から轟く轟音が、そんな囁きすらも塗り潰していった。 ●骸骨、再び 月だけが見守る荒れた校庭に、土埃が巻き上がる。 人々の記憶からも恐らくは薄れ掛けているだろう、人里離れてすっかりと寂れた、廃校の小学校だ。 硝子窓も所々が割られ、全体的にどんよりとした空気が圧し掛かっているようにも感じるその中で、2本の足を目一杯に動かして走るシルエットは、さながら理科室から逃げ出してきた人骨標本だ。 通常の標本と違うのは、肩の上にされこうべが二つ乗っかっていることだろうか――いや、そもそも標本なら、自力で全力疾走など出来よう筈もないのだが。 虫や梟の鳴き声だけが物憂く響き、月明かりを薄い雲やコウモリの影が時折遮るその中で、二つ頭の骸骨は大きくグラウンドのトラックを曲がる。 まるで徒競走の練習か、さもなければ何かの注意を惹き付けているかのような行動だ。 ――否。惹き付けているのだ、実際に。 いつぞや彼らが“獣”と称したそれとは明らかに違う、本物の“化け物”を。 「おい“右”よ、奴は本当に着いて来てるのか!?」 「いや、一時停止だ“左”! 変だな、ついさっきまで後ろを走ってたんだが……」 左頭の声に後ろを振り向いた右頭が、骸骨そのままの顔を器用に曇らせて首を傾げる。 その怪訝そうな声に、焦ったのは左頭だ。肉のない両腕を振り上げて、慌ててきょろきょろと辺りを見回す。 「馬鹿言うな、もし万が一アイツが建物の中に入りでもしたら――」 「しっ! ちょっと黙れ、左!」 振り回していた右手が、唐突に左頭の口を押さえる。 その常ならぬ沈黙が数秒ほど続いた時――唐突に、それは現れた。 ――ガシャァア……ン 激しい音と共に、校庭に置かれた錆びた朝礼台が吹っ飛ぶ。 そして空中で大きく二転三転したかと思うと、叩き付けられるように地面に落ちて歪に転がり、二頭骸骨の足元で漸く止まった。 唐突な出来事に顔を見合わせた二頭骸骨が、恐る恐る朝礼台のあった方角へと四つの眼窩を向け、 「きッ……」 左頭の小さな悲鳴のその先で、黒い巨大な影が『グルルル……』と地鳴りするような唸り声を上げる。 ――その、目が。 獲物を見付け、ギラリと……光る。 『来たァあああああああああああ!!!!!!』 ドドッ、と激しく地面を揺らして駆け出して来た化け物に左右の頭が同時に悲鳴を上げて、息のあった猛スピードで校庭を逃げ出す。 「おい、ちゃんと上手くいくんだろうな!?」 「信じろ、アイツらなら何とかしてくれる!! 多分!」 まるで遊びだと認識しているかのように後ろから追いかけてくる化け物の気配を感じながら、左頭が泣きそうな声で喚いた。それに対して右頭が大きく頷く。 「だから俺達に出来るのは、それまでなんとしてでもコイツの気を惹き付けとくことだ!!」 「畜生、二度とこんな化け物の居る場所なんて来るもんかと思ってたのにー!!」 怒鳴る右頭に、泣き喚く左頭。 一つの身体で両極端の珍妙な反応を見せながら、二頭骸骨は廃校のグラウンドを走り続ける。 ●救出依頼 「アザーバイドから救出依頼がありました」 『運命オペレーター』天原和泉(nBNE000024)は、単刀直入にそう告げた。日付の変わった深夜、ブリーフィングルームでの第一声だ。 集うリベリスタ達へと視線を投じて、和泉は手元の資料を捲る。 「依頼主は『二頭骸骨』というアザーバイドです。ご存知の方がいるかは分かりませんが、概ね敵対意思のない――というより、友好的なアザーバイドですね」 これです、と言いながらモニターに映し出したのは、まさに理科室の人骨標本だ。ただし誰かに悪戯でもされたかのように、肩の上には二つの髑髏が乗っかっていたが。 「救出の対象は、彼――彼ら……どっちかしら。ええと、『二頭骸骨』と同じ世界から紛れ込んでいる筈の、子供のアザーバイドです。容姿は青い人魂に酷似していて、それが廃校に入り込んだまま行方不明になっているそうです」 「廃校なら、そのアザーバイドが探しに行けば良いんじゃ?」 「それがそうもいかないらしくて」 リベリスタ達の間から出された真っ当な質問に、けれど和泉は困惑を交えて首を横に振る。 その答えというように切り替わったモニターには、犬のようなシルエットをした黒い物体が映し出された。 「E・ビースト、『シャドウ・ドッグ』です。現在『二頭骸骨』は、このビーストが校内に入り込まないように、校庭を駆け回って囮役をしているようなんです」 続く言葉を要約すれば、自分達、即ち『二頭骸骨』が囮役として『シャドウ・ドッグ』を惹き付けている間に、校内から人魂アザーバイドを探し出してD・ホールから送還して欲しい、というものだった。 「『二頭骸骨』からの依頼では、自分達のことは良いから、人魂アザーバイドの保護と送還を最優先で、ということです。D・ホールが閉じるまでどうやら猶予も余りないようですし、忙しない依頼になりますが――」 気遣うような視線を集うリベリスタ達へと向けて、和泉は「よろしくお願いします」と深く頭を下げたのだった。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:猫弥七 | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年09月02日(月)23:35 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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● 土埃が舞っていた。 「わー、骸骨さんってば、また追いかけられてる」 「ていうか、犬に追いかけられてばかりだよね!」 『チャージ』篠塚 華乃(BNE004643)の言葉に、『ミサイルガール』白石 明奈(BNE000717)が笑う。 「これが『出そう』という雰囲気なの。一人で来るには、確かに勇気が要るね」 一方グラウンドに懐中電灯の光を泳がせながら、聳える校舎へと視線を投じた『夜明けの光裂く』アルシェイラ・クヴォイトゥル(BNE004365)も呟いていた。 「ある意味、もう出てるって気もするけどな」 アルシェイラの呟きを聞き付けて苦笑したのは『覇界闘士<アンブレイカブル>』御厨・夏栖斗(BNE000004)だ。 「でも、流石にあのおっきなわんちゃんだと、がじがじって食べられちゃいそう!」 「ニトーさんが犬に噛み殺されるのはあかん!」 華乃の言葉に、明奈が決意を声に出して頷いた。 その間にも、走り続けの二頭骸骨は着々と限界に近付いていた。 「あぁ、俺ら此処で喰われるのか……」 「縁起でもないこと言うな!!」 左の頭が涙ながらに呻けば、右の頭が叱咤する。 「くっ、かくなる上は及ばぬまでも正面から戦って――」 「足から食われるより、頭っから喰われた方が幸せだろうな」 「そういうことを言うなー!!」 覚悟を決めて立ち止まった左頭に抗わず、先程までの叱責は何処にいったのか、右頭が諦観を籠めて頷いた。 騒々しい二頭の骸骨が、しかしそれでも覚悟を持って『シャドウ・ドッグ』に対峙した瞬間。 ――夜気を裂いたのは、武器のみに全ての威力を結集させた、魔力槍の一閃。 華乃のメガクラッシュが一陣の風のように、エリューションと二頭骸骨の間を分かつ。 「おっすおっす! また会ったね骸骨のニトーさん!」 「怖がりの癖にかっこつけてさ、男の子だね!」 「おお、お前らまた――いや待て、そのニトーさんってのは俺達のことか?」 「怖がり馬鹿にするなよ! 怖がりだから逃げ足速いんだぞ!?」 続いて現れた明奈と夏栖斗の言葉に右頭が首を捻り、左頭が可笑しな点で自己主張を返す。 とはいえそんなアザーバイドの前へと立った夏栖斗が、眉間に皺を寄せて口を開いた。 「なあ、右と左。自分はどうなってもいいだなんていうなよ。自己犠牲は美しいと思う――だけど、それだけなんだ。そうすることで誰かがまた悲しい思いをするんだ」 思いの丈を告げて、夏栖斗が二頭骸骨に背を向ける。 「人魂を守りたい、お前らの気持ちは分かってる。だから僕らはお前らも守る」 凛とした声が校庭に響く。 しかしながら空気を読めないのは果たしてアザーバイドゆえか、それとも彼らの性格か。 「……な、なぁ“右”よ。此処は涙すべきシーンなんじゃないか」 「いやでも、俺達端ッから喰われたい訳じゃないからな……飽くまでそれも已む無しって話であって」 「けど此処で正面切って否定するのも大人げが――」 「うん、ほら、ニトーさん。そういうの、本人に聞こえないところで話そう」 背後でボソボソと、それでも周囲の静けさの為かはっきりと交わされる会話が聞くに堪えなかったのか、明奈がそれとなく夏栖斗を気にしながら口を挟む。 「あ、いや! 期待してるぞ、うむ!」 「頑張れリベリスタ諸君!」 促されたことで気が付いたのか、些か慌てて二頭骸骨が手を上げて応援を向けると、そそくさとリベリスタ達の背後に隠れた。 と、牽制に近い形でシャドウ・ドッグに一撃を喰らわせた華乃が素早く後衛に退がり、二頭骸骨に声をかける。 「怪我とかしちゃってない?」 「うん、怪我してるなら回復するよ」 魔力槍を構える華乃の言葉に、アルシェイラが杖を握り直して頷く。 「いや結構、走り疲れただけだからな!」 「そんなことより、来てくれて助かった!」 救援のお陰か、知った顔に和んだのか。先までの危機感は見受けられない骸骨の態度に夏栖斗が溜息を吐き、明奈が声を堪えて笑った。 ● 「見た事が無い不思議な場所に冒険に出たくなる気持ちは分からなくもないけれど……それっきりお家に帰れないなんて事になったら可哀想だよね……」 懐中電灯こそあれど、暗視スキルの前では余り用をなさない。 しんとした廊下に呟きを響かせた『ルーンジェイド』言乃葉・遠子(BNE001069)が、教室名のかけられたプレートを見て足を止める。 「あった……理科室」 目当ての教室の名前を確認して、遠子は扉に手をかけた。 「こんばんは……。二頭骸骨さんから頼まれて迎えに来たよ……」 静かな囁き声が、廃墟独特の埃っぽさに包まれた教室の中を響く。 「いたら返事してくれるかな……?」 ゆらゆらと興味を惹くように懐中電灯を揺らしながら、壁や窓、戸棚やそれぞれに並ぶ机を照らしていく。 けれど何処からも反応は見付からずに、遠子は軽く周囲を見回してから小さく肩を落とした。 「ここにはいないのかな……。だったら、次は……」 「大丈夫、これはアザーバイド……妖怪とかじゃなくて、神秘的に説明できる存在で……」 低く怯えたような呟きが、ぼそぼそと夜空に零れ落ちる。 片手にカンテラを提げ、もう片方の手は親指の爪を齧りながら、桜井 由良(BNE004629)が、翼の加護を得て屋上から下の階へと移動しつつ、窓の外側から校舎の中を覗き込む。 「……本の概念が有るならですが……調べ物なら『図書室』でしょうか……」 小学校という場所柄か、やや人里を離れた場所に建っている所為か、建物自体の規模はそれほどでもない。 本棚だらけの部屋を見つけるまでに然程の時間は掛からずに、由良は鍵の開いていた窓から室内へと舞い降りた。 埃っぽい室内を見回すと視線を棚へと移し、テレキネシスを活用して人魂の捜索を始める。 ――暫く後。 「……や、やっぱり……私程度の発想じゃ……ふへ、ふへへ……」 年頃の少女としては多少特殊な笑声を零した由良が、ふと改めて本棚を見た。 「あ……でも、折角、ですから……」 「流石に埃っぽいッスね……」 異臭を伴って纏わり付く埃の匂いに顔を顰めて、『一般的な二十歳男性』門倉・鳴未(BNE004188)は保健室へと足を踏み入れた。 「それにしても、骸骨人魂猫又化け犬、怪談に出そうな要素がよく揃ったモンッスねぇ。真夜中の学校探検って言うと小さい頃を思い出してワクワクしちゃうッス」 人骨標本を眺め、ベッドの下や机、戸棚の陰も簡単ながらつぶさに確かめてていく。 ゆらゆらと空を泳ぐようなライトポットの灯りが、それこそ人魂に良く似て保健室の中を照らし出した。 けれどそのいずれにも青い人魂の影も形も見えなければ、鳴未は肩を竦めてアクセス・ファンタズムを手にする。 「ここはユキナちゃんに連絡を取るのが確実ッスかね。すぐ見つかると良いんスけど」 時間の猶予は、あまり残されてはいない。 呟きながら幻想纏いを起動させて、鳴未は窓の外を眺めた。 「にわかに騒々しくなったと思えば案の定だねぇ」 木の枝からひらりと飛び降りた自称猫又『お吟』が、二本の尾を揺らして瀬尾 ユキナ(BNE004673)を見上げた。 「それで、協力はお願い出来るのかしら?」 「騒ぎが納まるなら願ってもないことさ」 付いて来いというようにさっさと歩き始めた猫又の隣にユキナが並ぶ。 「それにしても中々どうして、目の付け所の良い連中が集まったようだねぇ」 「分かるの?」 「多少はね」 ユキナへと返答代わりに喉を鳴らしたお吟が、廃墟特有の埃臭い空気を嗅ぐ。 「余所は任せてこっちは大本命――一番濃い匂いを追いかけてみようか」 「そんなに匂いって分かるものなの?」 猫なのに、と続けそうになった言葉を懸命にも飲み込んだユキナに、お吟の尻尾がぴしゃりと壁を打つ。 「猫の嗅覚をお舐めじゃないよ。骨の匂いなんぞに狂喜する、どこぞの大犬とは違うのさ」 「そう……あら? あなた、そもそも猫って考えても良いのかしら?」 不満げなお吟の返答に頷きかけたユキナだったが、不意にその内容に首を捻った。 見下ろした先の白銀の毛皮は、確かに一見、二本の尾を持つ猫の姿には違いなかったが、それ以前に異世界の住人だ。 「……その辺りは細かく追求する問題じゃあないんだよ」 顔を逸らすように前を向いて、お吟がその問いに蓋をした ● 同じ頃。 骨の匂いに狂喜していた大犬、改めシャドウ・ドッグは、飼い主に鼻面でも叩かれた仔犬のような鳴き声でもって後退っていた。 斬風脚の生み出したカマイタチによって裂かれた傷口も、黒い毛皮の間からぼたぼたと零れる血潮も判然とせず、明るさに乏しい夜の校庭ではスキルを通さなければまるで影が千切れていくかのようだ。 「な、なんかすげーやりにくい……」 キュンキュン、と甲高く夜空に響く鳴き声に、夏栖斗の苦笑が僅かに強張る。 何しろまだ覚醒して間がないのか、図体は大きくとも態度はやんちゃな犬に近い。 「元々ニトーさんのことだって、餌だと思ってたんだろうしなぁ」 「おい! 餌って!」 「お前なぁ、生きながら喰われそうになる恐怖を知らんのか!」 ちらり、と後方に退かせた二頭骸骨を振り返った明奈が呟けば、当の骸骨が左頭と右頭それぞれに、腕を振って猛抗議だ。 そんな様子を眺めたアルシェイラが、ぽつりと呟く。 「骸骨なのに……」 『生きとるわーい!!』 「分かったから、あんまり刺激するなって」 左右ぴたりと息の合った大声に夏栖斗が忠告を発せば、すぐに二頭骸骨が左右の手で左右の口を押さえ、一斉にコクコク頷いた。 そうした状況の中、アルシェイラが杖を掲げる。 エル・フリーズ――冷気を集わせたフィアキィがシャドウ・ドッグの周囲を風のように舞い踊る。 「駄目。行かせないの」 形勢不利を悟ったのか、校外へと身を翻そうとしたエリューションが足を止めた。 闇色をした毛皮の中でエリューションの双眸が剣呑な光を宿し、敵を定めるようにアルシェイラを睨付ける。 が――刹那。一閃、十字を描く光撃がさながら闇を撃ち抜くが如くにシャドウ・ドッグの体躯を貫き、新たに噴き上がる血飛沫の中で獣の咆哮が轟いた。 ギロリと蠢く瞳が焦点の向かう先を変え、ジャスティスキャノンを放った明奈へと狙いを定めて大犬の爪が地面を深く捉える。 「来るなら来いっ!」 「白石のおねーさん!」 「大丈夫、倒れてもなんとかなるから! ワタシ愛されてるから! 世界とかに!」 「それって大丈夫なのかな……?」 一風変わった断言をする明奈に華乃が思わず首を捻った瞬間、ぐっと身体を低めたシャドウ・ドッグが地響きを立てて標的へと突っ込んだ。 「ぐ……ぅ……!」 既に犬とは呼べない巨大な体躯だ。 完全には受け留め切れずに明奈が呻き、地を捉える靴底がじりじりと勢いに押し負けて退がり――だが、それだけ。 少女の身体は弾き飛ばされることも地に崩れることもなく、茶の瞳が眼前の闇に不適に笑う。 「カズト!」 「その期待には答えるぜ!!」 任せろ、と。地を蹴った夏栖斗の身体がシャドウ・ドッグへと肉薄した。 攻撃を止められたが為に生じた、確実な隙。 そのものが威力の凄まじさゆえに飛翔する武技――虚ロ仇花の、まさしく花開かせた血潮の華へと――……地に崩れ落ちる巨大な体躯に、最早一声の唸りさえ、荒ぶ風が攫うことはない。 ● 「そう、こっちは今お吟さんと――」 「ユキナさん……? それと……」 ユキナがアクセス・ファンタズムを通して鳴未と通信をしていた時、少女の声が会話に絡んだ。 廊下の向こう側から歩いてきた遠子が、一人と一匹の前で足を止める。 ユキナの足元でお吟が笑うと、声の主へと視線を下げた遠子が眼鏡の奥でゆっくりと瞬く。 「お吟さん……?」 「あぁ、そう呼ばれてるね」 鷹揚に頷いたお吟が満足げに尾を揺らす。 「言乃葉さんもここへ?」 「ええ、他に思い付く場所といったらここか美術室くらいかと思って」 遠子とユキナの視線が、揃って目の前の部屋の扉へと向かう。 しかしお吟は突如ぱちくりと目を瞬かせると小さな前足でその表面を軽く引っ掻いた。 「これは驚いた。まさか先客が居ようとはねぇ」 「先客、ですか?」 「言乃葉さんはここにいるし、門倉さんとは今話していたところだし……つまり」 きょとんとした遠子の言葉に、ユキナが目当ての教室――音楽室の扉へと手をかけて、そっと開く。 途端、生み出された扉の隙間から、小さな声が零れ出てきた。 「私みたいなゴミだけじゃなくて……もっと他の人間の方もいらっしゃいますので、付いてきて頂いていいですか……?」 「おねーさん、ゴミにされちゃったの!?」 「い、いえ、あの、そうじゃなくて……で、ですから、二頭骸骨さんが……」 困り果てたような声が、ぼそぼそと音楽室に響く。 「由良さん! もう見付けていたんですね」 「あ、う……そ、その……肖像画のところに居たのが、ま、窓から見えたので……」 遠子が声をかけたことで気が付いたのか、口調を吃らせながら由良が細く開いたままの窓を指差した。 一方青い人魂は、知った顔を見付けて空中で跳ねた。 「あ、お吟さん! 大変大変、人間って仲間をゴミにしちゃうんだって!」 「……そうだねぇ、恐ろしいねぇ人間ってのは」 「お吟さん、わざと……?」 ふわりと漂ってきて上下に揺れる青い人魂に、お吟が適当に頷いた。 自称猫又のどうでも良さそうな態度に苦笑した遠子の隣で、ユキナもまた軽く目を細める。 「……お吟さん、もしかして性格悪いでしょう」 「失礼な娘っ子だね」 ふふん、と鼻を鳴らして白々しく笑ったお吟が言い返したところで、音楽室の扉が大きく開かれた。 「あれ、もう全員集合してたんスか」 「桜井さんが見付けてくれたの。後は連れて行くだけね」 「これで無事に間に合ったってことッスね。しかし……触ったら熱いんスかねぇ――わっ」 「熱い? 熱い?」 室内を勝手に飛び回る炎もどきに目を留めて鳴未が呟いた途端、それを聞き付けた人魂が自分から掌に身体を擦り付けた。 反射的に指を曲げた鳴未が、その感触にぽかんとする。 「どっちかというと冷たいッスね……というか、ぷにぷに?」 「ぷにぷに? 感触があるんですか……?」 全員が揃って音楽室を出ながらも、鳴未の表現に首を傾げた遠子が手を差し伸べると、人魂が今度は遠子の掌の上にちょこんと乗っかった。 「見た目が此方でいう人魂に似ているだけの話さね」 「ちょっとなら一人で物も動かせるんだよ!」 お吟の言葉に心持ち胸を張るかのように人魂の形が拉げたものの、すぐに元の形に戻ると勝手に鳴未の方に飛んで座り込む。 「そういえばさっきのお部屋に来る前に、骸骨のおじさんそっくりな人、二回も見たんだよ」 「骸骨の――ああ、人骨標本ッスか」 「でもね、あの人達頭が一個しかなかったの。きっと悪い奴らに苛められたんだ!」 肩の上でぶるぶるっと震えた人魂に鳴未が苦笑する。 「いや、あれは元々ああいう形……というか、生き物じゃないッスからねぇ」 「でもおじさんは生きてるよ?」 ころん、と首を捻るように少しばかり転がった人魂に、お吟が口を挟む。 「二頭骸骨の首がかたっぽもげたら、あんな風になって死んじまうのさ」 「そうだったの!?」 「お、お吟さん……そ、それって、本当に……?」 「冗談に決まってるだろう」 由良の言葉に平然と笑って返し、お吟が二本の尻尾を揺らめかせた。 ● 「いやー、今回も世話になったな」 「下の奴らにも礼を言っといてくれ」 「ちゃんと伝えておくッスよ。そっちもお気を付けて」 D・ホールのある枝の上に立ち、二頭骸骨の左右の頭が、ブレイクゲートの為に同じ枝まで登ってきた鳴未へと言葉を紡ぐ。 もっとも一見礼儀正しく二つ頭を下げる人骨標本の手には、由良から受け取った図書館の本や夏栖斗からの菓子といった土産の品物が、ちゃっかり抱えられていたが。 その頃、地上では遠子が人魂を掌に乗っけて少しばかり首を傾げていた。 「あのね、良かったら名前を聴かせて貰ってもいい……? 私は遠子……、良かったらお友達になってくれる……?」 「ナマエって良く分からないけど、仲良くなったらもうお友達だってお吟さんが言ってたよ!」 「……向こうには、この世界みたいな意味での名前は存在しないからね」 人魂が高い声で笑うところに、お吟がそれとなく説明を加える。 「お吟さんも向こうの人なの……? もし、帰るなら今がチャンスだと思うけど……」 「なァに、あたしゃこっちの生活が気に入ってるのさ」 遠子の言葉にゆらりと二本の尾が揺れた。そんなお吟に対して、夏栖斗が軽く口許を緩める。 「悪いやつだよな姐さん、僕らが来るのを予測してたんだろ? 暇つぶしになったのなら重畳、次はもっと危なくない遊びにしてくれよ」 「ふん、さあてね。何のことやら」 すっ呆けたお吟が相変わらず楽しげに尾を揺らして、遠子の手にある青の炎を見上げる。 「お前さん、そろそろお行き」 「はーい」 子供の声が素直に頷いて、遠子の手から浮かび上がる。 挨拶代わりにくるりと一回転して二頭骸骨の許へと向かえば、そのままホールの中へと飛び込んだ。 その後を追うように、最後に枝の上から軽く手を振った二頭骸骨もまた、D・ホールの中へと還っていく。 そうして鳴未の手により閉ざされていく異界との扉は、跡形もなく姿を消した。 ――夜明けは未だ遠く、いつしか月さえ沈んだ世界には、騒動の余韻が今や僅かに残るのみだ。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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