●迷子は何処に攫われた 僕だってやれる。 『玩具のトム』は胸を張って辺りを睨み付けた。 皆がどんなに馬鹿にしようと、トムだって男だ。やる時にはやれるのだ。 どれだけそう訴えたか知れないが、皆の意見は変わらなかった。 いつだって彼を馬鹿にして笑って、頭をぐりぐりと撫で回すのだ。 ちびっ子トムには、皆のように戦うことなんて出来やしないさ、と。 だが、もう一度言おう。 トムだって男だ、やる時はやれる男なのだ。 アスファルトの硬い地面の上で、偉そうに見えるように、強そうに見えるように精一杯胸を張って、肩肘を張って歩き出す。 するとどうだろう、道行く人々は誰も彼もトムを怖がっているかのように、目も合わせないでそそくさと避けていく。――自分が気付かれていないだけ、なんてことはない筈だ。 出来るだけ偉そうな態度でもって、大股で道を歩きながら、トムの顔が綻ぶ。 ほらどうだ、皆見ろ――と言いたかったが、こっそりやってきた手前、こんな時に限って周りには友達も仲間もいなかった。当たり前だ、一人で抜け出してきたのだから。 「うわっ!?」 と、突然目の前をもこっとした壁に塞がれて、トムは思わず尻餅をついた。 壁に跳ね返されて地面に打ちつけた腰を撫でつつ、壁を睨み付ける。 「なんでこんな所に壁が…………、え?」 ぎょろん、と。 大きな、きらきらした目玉がふたあつ――トムを見下ろしていた。 もこもこした『壁』はゆっくりと瞬くと、小ぢんまりとした口からぺろりと舌を出して―― ――なぁあ……ご …………可愛らしく、鳴いた。 「うわっ――うわぁああああああ!!?」 咄嗟に逃げ出そうとした時にはもう遅かった。 背を向けたトムの背中を柔らかな前足で押さえつけて、腰の辺りをかぷんと咥える。 上機嫌に金色の尻尾をゆらゆら揺らして歩き出した仔猫の口にみっともなく咥えられたまま、トムの悲鳴は暫く途切れることなく周囲に響いていた。 ●そこは隅っこ、路地の奥 「一見すると玩具の人形ってところかしら」 これくらい、と『リンク・カレイド』真白イヴ(nBNE000001)が掌で示したのは、精々10cmにも満たない大きさ――いや、小ささだった。 「特別なスキルもないし、敵対意思もない。害はないわ……というより、害そうと思ってもこの大きさだとたかが知れてると思うけど」 確かに小さな攻撃主といったところで、特殊なスキルやずば抜けた身体能力でもない限り、悪戯程度の攻撃しか想像がつかないというものだろう。例えば針で突付くとか、画鋲を靴に仕込むとか。 「それで――そのアザーバイドがどうかしたのか?」 唐突に始まったイヴの説明に怪訝な顔を浮かべていたリベリスタの一人が、思考から話を戻すように白い少女へと尋ねた。 それを聞いたイヴが、変化の乏しい無表情のままで手を下ろして静かに頷く。 「仔猫に攫われたの」 「…………は?」 聞き返したのはそのリベリスタだけではない。 一様に並ぶぽかんとした顔を見回して、イヴがモニターに映し出したアザーバイドの映像を消す。 入れ替わりに現れたのは、彼女の言葉通り、ふさふさした金色の毛皮が愛らしい仔猫の姿だ。 「攫ったのはこの子。路地裏を根城にしている野良猫の一匹よ。餌というより単なる玩具だと思ったみたいだから、今の所はまだ危険がないようだけど……いつガブリとやっちゃうか分からないから、その前に助け出して送還してあげて」 居場所は此処、と地図と共に指し示されたのは、とある商業区の路地裏だ。 普段から野良猫が屯している場所のひとつだと説明したイヴが、改めて集う面々に視線を走らせる。 「相手はただの仔猫だけど、捕まっているのが人形サイズだってことを忘れないで。仔猫にとっては遊びのつもりでも、うっかり引っ掻いたり噛み付いたりしただけで、もう大惨事決定だから」 なまじ感情の読めない淡々とした声での説明だけに、その惨状がリアルに思い浮かぶ。 「繰り返すけど、相手は仔猫。いつ興味を失ったり、逆に興味を深めて襲っちゃうか分からない。――そうなる前に、よろしく」 そう告げて、イヴはやはり静かな動作で頷いて見せたのだった。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:猫弥七 | ||||
■難易度:EASY | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年09月22日(日)23:10 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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● 午後四時。 時間帯からして人通りが多い筈の通りには、いつの間にか人の気配が消えていた。『てるてる坊主』焦燥院 ”Buddha” フツ(BNE001054)の展開した強結界の影響だ。 「トムさん……大惨事になっていないと、いいけれど……」 『微睡みの眠り姫』氷雨・那雪(BNE000463)が案じるように呟きながら、『覇界闘士<アンブレイカブル>』御厨・夏栖斗(BNE000004)の広げた地図を覗き込む。 「子猫にとって人形は玩具だもんな」 同意を返しながらもちらちらと夏栖斗の視線が向かうのは、那雪の手に握られている猫用の玩具だ。 物言いたげな夏栖斗の視線には気付かないのか、小さく首を傾げた那雪が超直観を駆使して地図の一点を指差した。 「このあたり、にゃ……?」 たかが路地裏、されど路地裏。 特定の場所を探し出すのは、簡単なようでいて難しいものだ。だが、そんな那雪に対して夏栖斗はといえば、 「女子が猫耳にゃ言葉という美味しい状況にするんだから、僕はわるくないにゃ……」 表情を緩めてそんな言葉を呟いていた。 「……にゃぁ?」 「あ、ごめん! 後はふっくんの千里眼と、陽菜の猫達にも協力してもらって――」 きょとんとした視線に気付いた夏栖斗が、慌てて地図に視線を戻す。 捜索の輪を徐々に狭めていきながら、アザーバイドと猫の集会所探しは続行されていく。 広く巡らされた路地だったが、リベリスタが集えばたかだか野良猫の集会所を探し出す程度は訳もない。 「この先に居るんだな?」 「うん。ちびモニとトラ吉に確認してもらったから」 路地裏の奥へと視線を投じたフツの言葉に、『三高平の悪戯姫』白雪 陽菜(BNE002652)が大きく頷く。愛猫であるということも無論ながら、動物会話の恩恵は大きい。 「蛇の道は蛇……猫の道は猫ということか」 静かに頷く『「Sir」の称号を持つ美声紳士』セッツァー・D・ハリーハウゼン(BNE002276)に対し、溜息を吐いたのは『八咫烏』雑賀 龍治(BNE002797)だ。 「まさに子供か……」 集音装置により微細な物音でさえも聞き逃さず、ゆえに路地裏の奥で微かに聞こえた猫の鳴き声へと心持ち目を眇めるようにして呟く。 「龍治、匂い付けだ」 『アリアドネの銀弾』不動峰 杏樹(BNE000062)が差し出してきたマタタビを反射的に受け取って、龍治が渋い顔をする。 「ああ、そうだったな」 「匂い付けなら俺様が手伝うぞ!」 ひょこりと顔を出した恋人に、龍治が吐きかけた溜息を飲み込んだ。 そんな態度に疑問を持った様子もなく、マタタビを取り上げた『銀狼のオクルス』草臥 木蓮(BNE002229)が甲斐甲斐しく龍治の身体へと植物の香りを振りかけていく。 「芳香剤というより、マタタビそのものか……」 さらさらと微細な粉末を振り掛けられながらぼやいたものの、結局その呟きは誰にも拾い上げられることなく夕焼け空に散っただけだ。 ● 猫達の姿を確認出来る距離に到達したところで、作戦は次の段階へと移る。 「このままの姿で行くと、猫を驚かせちまうからな。そこで……これだ!」 フツが間を溜め、スッと取り出したのは――ふさふさとした人工毛の何とも愛らしい、猫耳だった。 「猫耳よ……ちゃんとオレの頭にしがみついてろにゃ! 滑り落ちても知らにゃいぜ!」 三角耳を装着したフツが意気揚々と廃品置場に足を踏み入れる。 「好奇心は猫をも殺すと言うが、奴が猫に殺される前に何とかせねば」 「冒険は男の子によくある行動だけど、そうなるとさすがに可哀想すぎるからな……早く助けてやろう!」 龍治の言葉に覚悟を新たにするように頷いた木蓮が、超直観を用い周囲に気を配りながらも、フツの後に続いた。 「だから、と言って猫耳は必要なのか……?」 拒絶するつもりはなくとも、陽菜の頭と腰で揺れ動く猫耳と尻尾を見ながら杏樹が零す。 「あらまぁ……。まぁ、依頼に必要だって言うならつけた方がいいのよ、ね?」 渡された猫耳をじっと見詰めた那雪も首を傾げたものの、然程躊躇わずに頭へと乗せた。 「語尾は……頑張ってみるか。話さなきゃいいわけだし。にゃ」 同じようにねこみみを頭に乗せ、杏樹が早速忘れかけた慣れない語尾を言葉に添える。 比較的すんなりと状況を受け入れた二人に反し、苦い顔で猫耳と対峙するのはセッツァーだ。 「まさかこの齢になって、このようなものをつけることになろうとは……」 人生何が起こるか分からない。困ったことになった、と悩みながらも、一人拒絶する訳にもいかないことは理解している。 「これもれっきとした依頼、受けたからにはやらねばなるまい……」 果たして猫耳が依頼本件にどのような効果を発揮するのかは今ひとつ分からないまでも、セッツァーは覚悟と共に深く嘆息を零した。 「龍治には猫耳型耳カバーを」 「そもそも、猫耳なんぞを装着する事自体嫌なのだが……」 一方で作戦上は仕方ないのだと己に言い聞かせながら、龍治もまた肩を落とすようにして木蓮の差し出すカバーを受け取る。 しかし自信作とばかりに笑う恋人へとちらと視線を向ければ、 「ふふふ、お手製だぞ!」 上機嫌な様子に、文句など言えよう筈もなく。 「み、耳が、むずむずとする」 慣れない布地を直接被る行為に対し、そんな言葉が洩れただけだ。 対して木蓮の方も髪を下ろし、左右から覗く鹿の耳をその下へと隠そうとしていた。 「ぐ、ぐぐ……ちょっと疲れるけど、目一杯下げてれば全部隠れるかな?」 「……ああ」 疲れると言いながらも心なしか楽しげに猫耳を装着する恋人の頭上、角に並んで普段見慣れない三角の耳を見詰めた龍治は、様々な感情を伏して短く頷く。 「みんにゃ! 野生の子達に近付くにゃら目を合わせちゃダメにゃん。警戒されちゃうにゃよ」 その頃、最初から猫耳に尻尾まで装着していた陽菜が仲間達へと忠告を発して、一足先に廃品置場の入り口で警戒も露な黒猫の前に身を屈めていた。 「ダイジョブにゃよ~。アタシ達は仔猫ちゃんが咥えてきた人形みたいな子に用があるだけにゃ」 目を合わせず、動物会話とマイナスイオンで穏便に意思の疎通を図ろうとする陽菜をサポートするように、ちびモニとトラ吉ものんびりと尾を揺らして寄り添う。 猫の言葉を解したお陰か、それとも二匹の猫という仲間が功を奏したのか、大して時間を置かずに眼前の野良猫が、未だ毛を膨らませたままながらも徐々に警戒を解き始めたことを察した陽菜が、刺激しないようにゆっくりと視線を上げていく。 やがて如何にも不機嫌そうな金色の目と視線がかち合ったものの、その頃には黒い毛皮も膨らみを収めて剣呑に陽菜を見返しただけだ。 「あ、いたいた」 あからさまな警戒を見せた黒猫の対応は陽菜へと任せて廃品置場を眺めていた夏栖斗が、持参した毛糸玉をそっと地面に転がした。 柔らかく弾む歪な形をしたボールが目の前を横切って、地面に蹲っていた金色の仔猫がぱっと顔を上げる。ふわりとした尻尾が好奇心も露に揺れて、耳がぴんと立ち上がった。 前足の間に人形らしきものが見え隠れしているものの、長い毛に邪魔されて全貌は確認出来ない。 「ほーら、鼠じゃなくてモルにゃー。レアにゃよ~」 「モルモットか、にゃ?」 「お、俺様なら飛びつくから選んだんじゃないぜ。丸々太ったげっ歯類に見えるからだぜ……!」 木蓮と杏樹の揺らす猫じゃらしの動きを視線で追いかけているのは、仔猫に寄り添うようにして丸まっていた白猫だ。 此方はどうやら毛糸玉よりも向けられた玩具の動きか、それとも杏樹が僅かに付着させたマタタビの匂いに反応してか、猫じゃらしへの興味の方が強いようだ。 「お前さんがトムかにゃ」 「……にゃ?」 千里眼を通しても豊かな毛並みが邪魔をしていたものの、それと目星をつけてフツが声をかけた。 予想通り、金色の前足の間の人形のようなものがフツの言葉に反応して、毛皮を掻き分けながら顔を出す。 「オレはフツだにゃ。お前さんを助けにきたにゃ。元の世界に返してやるから、こっちに来るにゃ」 「い、行きたいけど……! 足!」 半泣きのちっぽけな顔を見付けて声をかけたフツに、しかしアザーバイドの表情は益々歪んだ。 「あ。成る程、足が乗っかってんのか」 すぐに引っ掻かれそうな様子はないが、簡単に逃げられる状況ではないらしいと見てフツが呟く。 その状況を見て取った夏栖斗が仔猫の警戒心を煽らない程度にゆっくりと近付き、より近くへと毛糸玉を転がした。 「子猫ちゃん、おいたはなしにしてくれにゃ」 「わ、わっ!?」 すぐ鼻先を横切った毛糸玉へと仔猫が身を乗り出した瞬間を見計らって、素早く前足の下からトム・トミーの身体を引き上げる。 「大丈夫? 怪我はない?」 唐突に空中へと摘み上げられて慌てふためくトムを掌に乗せ、夏栖斗が視線の高さを合わせた。 「僕は御厨夏栖斗、君はトム・トミー君で間違いにゃいよね?」 「う……」 「ボトムにきて早々にびっくりさせちゃったにゃ」 少し遅れて救出されたことに気が付いたのか、途端に表情を泣き出しそうに崩した小さな来訪者へと苦笑した夏栖斗に代わり、那雪が静かに口を開く。 「泣かなかった……?」 「な、泣いてないっ」 「男の子だもの、ね……えらいのよ……。あ……えらいにゃ?」 意地を張って赤くなった目許を擦ったトム・トミーの頭へと、那雪が小さな帽子を乗せた。 「お揃いのミニシルクハット……プレゼント、なの」 突然の贈り物に泣きそうだったことも忘れ、きょとんとしたトムが帽子に触る。 「あ……有難う!」 照れたようにはにかんだトムに表情を和らげて、那雪が猫の前へとしゃがみ込んだ。 その頃になって玩具を奪われたことに気付いたのか、足下を探し始めた仔猫を宥めるように、杏樹が猫じゃらしを泳がせる。 「急に押しかけてごめん、にゃ。ちょっとあの子に用があるからにゃ」 「猫達よ、トムはお前達にとって獲物ではないよ」 玩具で構う代わりに声を投げかけたセッツァーが、今はまだ数少ない野良猫を眺めて軽く頷く。 「ワタシは心地よい声(おと)を奏でて猫達をリラックスさせる方法で挑もう。音の良し悪しに種族や種類などは関係ない……きっと気持ちは伝えられるはずだ」 己に言い聞かすようにそこまで口にしたところで否や、と、声を張り。 「声楽家の誇りにかけて伝えて見せようではないか!」 「……猫が興奮するようなのは止めてくれよ?」 やけに強い意気込みを警戒したように、木蓮がそっと口を挟んだ。 ● 「勇気と無謀は背中合わせのものだ。――今回の事で痛いほど思い知っただろうが」 D・ホールを前にして、龍治の言動は正論ながらも厳しい。 「周囲に認められたいと言うならば、それ相応の知識と力を身に着ける事だ。口先だけでは、皆聞きはしても信じはしないからな」 至極真っ当な言葉に微かに表情を歪めたトムだったが、その視線がとある一点に留まると途端に涙は引っ込んだらしい。 「にゃー」 「ぐっ」 「そのお耳とかにゃーって言葉、流行ってるの?」 心底不思議そうに尋ねてきたトムの言葉に、思わず言葉を詰まらせた龍治に代わって木蓮が小さく咳払いをする。 「……ご、語尾やこの耳は大切な作戦の一部なのだ」 「作戦!? どんな作戦なんだろ!」 まさか自分の救出作戦とは考えてもみない口振りで顔を輝かせるトムに、龍治はあらぬ方を向き、木蓮は思わず苦笑した。 ちらりと恋人を見上げ、猫耳や語尾からトムの意識を離すように微笑む。 「しかしトムは凄いな、俺様ならきっともっとパニックになってた。大将って呼んでもいいか?」 「た、たいしょう?」 作戦が功を奏し、きょとんとして瞬いたトムが見る見る顔を輝かせる。 「大将……大将かぁ、えへへ!」 「トム、君にはワタシ達のこの世界はどう写ったかい?」 帽子の唾を押さえて笑うトムに、セッツァーが疑問を向ける。 「うーん……不思議なところ、かな? まだあんまり見てないもの」 良く分からない、と首を振ったトムに、苦笑を浮かべたセッツァーが「そうか」とだけ頷いた。 「ちょっと君の大きさでは、この世界は危険だからさ」 そんな遣り取りを聞いていた夏栖斗もまた苦笑して、小さな袋をトムへ差し出す。 「ほら、これは戦利品。巨人から奪ってきたって武勇伝にしちゃいにゃよ」 「わーい、戦利品!」 子供らしいといえば子供らしい単純さで、戦闘どころか至極ちっぽけな規模の世界で誘拐事件に巻き込まれた『玩具のトム』が金平糖を詰めた袋を受け取ると、両腕にしっかりと抱きかかえた。 「気を付けて帰れよ、大将」 「冒険も良いけど、次はちゃんと用心しなよ」 「うん、助けてくれて有難う!」 満面の笑みをシルクハットの下に覗かせたトム・トミーが、金平糖をしっかりと抱え直してD・ホールへと飛び込むのを木蓮と夏栖斗が笑顔で見送って。 「……あれは分かっていないだろうな、恐らく」 「お疲れ様だな、龍治」 恋人の労いに肩を竦めるともつかない程度の頷きで返した龍治が、すぐさま自前の耳から耳カバーを外した。 「異世界で大冒険をした勇敢なるトムのこれからの人生に幸あれ! ――それにしても……」 閉ざされゆくホールの先へと言葉を贈ったセッツァーが、その言葉も満足に終わらぬ端から嘆息交じりにそっと頭から猫耳を取り去る。 「年甲斐もなくこのような姿になるのは、さすがにこれで最後にしたいものだな……」 同様に猫耳を外した木蓮が、目一杯下げていた耳から力を抜いた。 「ぶはー、なんか明日は耳が筋肉痛になりそう!」 「あ、まだ終わってないぞ?」 ぴょこっと髪の間から飛び出させた耳を小さく震わせる木蓮に、ブレイクゲートでD・ホールを塞いだ夏栖斗が声をかける。 「他に何かあったか?」 「猫!」 「ほら、セッツァーも。外したら駄目だって」 「い、いや……流石にもう良いのでは……」 「まだ仕事中!」 平然と、あっさりと言われてしまえばそれ以上返しようもなく。 木蓮がやはり苦笑を浮かべ、龍治とセッツァーは競うように深い息を吐いたのだった。 ● 日付はとうに変わり、月すらも傾く深夜。 停車させた車へと、予定していた最後の一匹が乗り込んだ。 尾を揺らした野良猫が人懐っこく、ハンドルを握るフツに小さな額を擦り付けて喉を鳴らす。 「これで全部か?」 「うん、やっぱり何匹かはどうしても離れたくないって」 路地裏の奥、堆く詰まれた廃品の上には未だ数匹の猫が屯していたが、どの猫も仲間達が去っていくことにはそれほど関心がないのか、尾を揺らして玩具に飛び付いたりとのんびりとした態度だ。 「ま、そういう奴もいるだろうな」 「だからギリギリまでここに通いつめて、保健所の手が入るまでアタシが面倒をみるよ」 頷いたフツにそう答えた陽菜が、それでも未練ありげに背後の猫達に視線を送る。そんな主人の気を惹くように擦り寄ってきた二匹の愛猫を抱き上げて、陽菜は小さく溜息を零した。 「それまでに気が変わる子も出てくるかもしれないしね」 「引っ越しさせるだけじゃなくて、飼い主探しもしないとな。……にしても、ものの見事にバラバラだな」 フツが思わず呟いたほど、たかが猫といってもその顔触れは多彩だ。恐らくほぼ全てが雑種なのだろうが、それだけに毛色といい模様といい実に様々だ。 じゃれ付いてくる仔猫を適当に構いながら、車内といい廃品の上や下のそこかしこといい、気侭に過ごしている猫達を順繰りに眺める。 「あそこならそれほど人も来ないし、冬は暖炉入れるから温かい……にゃ」 居残りを決めた猫達に、陽菜に通訳を頼んで教会の場所を伝えながら、杏樹が猫缶に鼻先を突っ込んでいる野良猫を撫でる。 「遊びに来てくれるだけでも嬉しいしな」 運が良ければ保健所の手が入る前にでも、気を変えて住み着く猫も現れるかもしれない。 「……やっぱり、一人は寂しいからな」 杏樹の囁きに呼応するように、缶から顔を上げた野良猫が一匹、なぁう、と不思議そうな鳴き声を上げた。 その頃他の仲間達と同様に引き上げの用意をしながら、那雪の視線が好き好きに過ごしている猫達から移ろい、相変わらず入り口の傍に丸まっている黒猫へと落ち着けた。 「もし……もし、一緒にいてもいい……という子が、いるなら……」 視線を向けられたことに気付いたのか、起きないまでも黒猫の耳と尾がピクリと跳ねる。 「家に、招きたい……かも。ペットではなく、同居人として……」 那雪がそっと黒い毛皮に手を伸ばすと、野良の黒猫は些か煩わしげに耳だけを動かしたものの抵抗はしなかった。 「わたしも好きに振舞うから、あなたも、好きに過ごせばいいのよ……。お互いの意思の尊重、大事なの……」 こくり、と小さく頷いた那雪の言葉は、動物会話を介したものではない。 けれど目を開けた黒猫が丸まったまま那雪を見詰めた末に、掌から逃げるように身体を起こした。 顔を洗う仕草をしながら暫しの間那雪を窺い、おもむろにのそりと立ち上がる。 そしてまるでそうすることが当然のように那雪の腕を伝い上って肩に前足をかけると、反射に差し出された腕の中にすっぽりと納まった。 「気に入られたのにゃ」 「そう、なの……?」 様子を窺っていた陽菜の笑顔を振り返り、那雪が黒猫を窺って表情を和ませる。 よろしくね、と。穏やかな言葉にも然したる反応は見せないまま、黒猫の尾がはたりと揺れたのだった。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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