●塗り潰された朱の色 はぁ、はぁ、はぁ――…………忙しない、けれど色気など微塵もない切羽詰った呼吸が、薄暗いトンネル内に響き渡る。 飛び飛びの青白い電灯が灯すだけの洞窟は、辛うじて車が二台擦れ違える程度の狭いものだ。長さも精々60メートルといったところか。 ましてやトンネル特有のじっとりとした湿気が肌に纏わりつくようで、まともな人間なら居心地が良いとは思わないだろう。 そんな、トンネルの床を。 赤く紅く塗り潰す色が、飛び散っていた。 生臭く咽返るような血の匂いが漂う中で、その少年は一人立ち尽くしていた。 まだ幼い両腕が握り締めるのは、彼の身長ほどもある諸刃の剣だ。 まるでゲームの中にでも登場するような西洋の、いかにもあからさまな造りの剣を握る腕は細く、金属の持つ重さに耐えかねてかぶるぶると震えている。 ――否、震えている理由はそれだけではない。 俯いた蒼白な顔にも、髪にも、Tシャツにジーンズという在り来たりな服装にもべっとりと生臭い『朱色』を滴らせて、少年の身体は立っているのが不可解なくらいに震えていた。 狭い洞窟に立ち込める臭いは、そこが人通りの少ない山中にあることを考えると、野生の獣が寄ってこないのが不思議なほどだ。 そんな中、幾つもに分断されて元が何人であったかも分からないような亡骸と血の海の中心で、少年が喘息のように荒々しく呼吸を繰り返す。そこに嗚咽が混じっているのは聞き間違いではないだろう。 涙を流す術を失ったかのように子供特有の大きな双眸を見開き、冬の只中に放り出されたように全身を震わせる幼い唇が、同じ言葉を繰り返す。 「おれじゃない、おれじゃない、おれじゃない。 おれじゃない――違う、ちがうちがうちがう、おれじゃないんだ、こいつ――こいつが言うから仕方なく……違う、おれが望んだんじゃない。 こいつの所為だ、こいつの、こいつのこいつの……」 うわ言のように責任転嫁の言葉を繰り返す。 視線すらも定まらず、何が起こったのかも理解していないかのような無防備さで、涙に濡れた掠れた声が喚く――最中。 『――お前の所為だろう?』 嘲笑うような声が、確かに、聞こえた。 「うわああああああああっ!!!」 瞬間、少年が喉も裂けよとばかりの大声で悲鳴をあげ、手の中の剣を遮二無二洞窟の壁に打ち付ける。 紅色に塗れた銀の刃がコンクリートの壁を抉り、穿ち、けれど刃毀れさえすることもなく無意味な傷だけを刻んでいく。 己の腕を打ち壊そうかという我武者羅な暴れ方にも拘らず、しかし、何の武道にも秀でているとは思えない少年の手から剣は落ちない。――否、外れなかった。 まるで目に映らない触手が絡め取っているかの如く、幼い獲物と化した少年の手を柄に縫い止めて離さない。 何処かで、見えない誰かが笑っていた。 ――鍛冶師が鋼を打つように、高らかに澄んだ響きだった。 ●救済への洗礼 事態は一刻を争います――それが、『運命オペレーター』天原和泉(nBNE000024)の第一声だった。 モニターに映し出された一見ゲームや映画にでも登場しそうな破界器は、美しい銀の刃を煌かせていかにも装飾品めいている。 「このアーティファクトの名は『血の洗礼』。正確な確認は取れていませんが、情報によると中世の魔女狩りで実際に使用された薪の灰を練り込んだ、所謂呪具として製作されたもののようです。実際、過去には『洗礼』自体が黒魔術等に類される儀式に利用されていたとも……」 嘗ての遠い時代、正義の名の元に行われた惨劇の血を啜って生まれたアーティファクトだ。 それだけでも呪われそうな代物だったが、その上で更に、新たな生贄を引き裂く為に使われてきた刃。 フォーチュナであり、過去に多くの任務をその口で伝えてきた和泉でさえ、字面からも漂ってきそうな生臭さに微かに眉を顰めている。 「『洗礼』が革醒したのはごく最近のようですが、その際に一人の少年が取り込まれています。名前は伊織啓太、一般人の中学生です」 モニターの画面が切り替わり、何処にでも居そうなあどけなさを残す少年の姿が映し出された。 「これまでに確認されている情報では『洗礼』は独自の意思を持ち、詳細な方法は分かりませんが、どうやら柄を握った人物の身体の支配権を得るようです。それにより伊織敬太に取り付いて、彼の意識を明確に残した上で殺戮を繰り返させています」 それは、平凡に続くべき一人の記憶が、本来ならば有り得ることのない異常によって血色に塗り替えられたということ。 意識を奪われることもなく己の手で殺人を繰り返してしまうというのは、一体どれだけの混乱と恐怖をもたらすことか――幾つもの立場を持ちながらも、実際には一、女子高生に過ぎない少女の言葉が微かに揺れる。 けれどすぐに普段の凛とした、フォーチュナとしての顔を取り戻すと、彼女は集うリベリスタ達を一瞥した。 「彼は今、山中の廃線にあるトンネルに居ます。放置した場合、夜明けには伊織敬太の命が尽きて『洗礼』が無防備状態に陥るので、その後に回収しても構わないのですが……彼の居るトンネルは心霊スポットとして人の噂に上る場所なので、彼が死亡するまでに新たな犠牲者が出ないとも限りませんからその点は注意して下さい。また、彼の死亡後にあまり時間を置くと、トンネルを訪れた一般人の中から次の傀儡が生まれる可能性もあります」 少女の言葉は、リベリスタ達へと選択を託す口調だった。 新たな犠牲を覚悟でリミットまで待ち、無難に破界器を回収するか。 或いは戦闘を覚悟して、犠牲者を増やす前にけりを着けるか。 言外に、その選択を問うていた。 無言の問いを差し出し一度言葉を切った和泉が、眼鏡越しにリベリスタ達へと視線を走らせる。 「――皆さんには、どんな手段でも構わないので『血の洗礼』の破壊、もしくは回収をお願いします」 ただしその際は、くれぐれも柄を握らないように…………。 しんとしたブリーフィングルームに、フォーチュナの警告が静かに響いたのだった。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:猫弥七 | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年09月11日(水)23:05 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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● 草木も眠る刻限。 見据えた先、幾らも近付かない内に特有の生臭さが嗅覚を侵し、『百の獣』朱鷺島・雷音(BNE000003)は顔を顰めると、微かに走った震えを宥めるように自らの身体をさすった。 「こんなところで肝試しか。偶然の事故、と言えれば簡単なんだけどな」 トンネルの程近く、血腥く口を開けるその場所を工事中と偽る看板でもって道を封じながら、『アリアドネの銀弾』不動峰 杏樹(BNE000062)の口振りは重い。 「人を乗っ取り殺戮させる魔剣、だなんて趣味が悪いわ。元々そう作られたのではないみたいだけど」 「助けたいね……彼を……」 『小さな青のお友達』言乃葉・遠子(BNE001069)の呟くような言葉を耳にして、衣通姫・霧音(BNE004298)はトンネルを見据えた。 「……勿論殺すつもりなんて無いわ。彼は唯の被害者。……まあ、彼の無意識にそういった衝動もあった可能性は否定しないけれど」 「でも、意識を保たせたまま殺戮を強制するなんて性質が悪いよ」 僅かに顔を顰めるようにして四条・理央(BNE000319)もまた呟く。 「目指すならベスト」 着々と準備が進められる中、『箱舟まぐみら水着部隊!』ソラ・ヴァイスハイト(BNE000329)の声は夜闇の中をはっきりと通った。 「少年への肉体的・精神的負担を最小に抑えて、アーティファクトを破壊する。――私って欲張りなのよね」 「欲張りか。今回に関しては、全員同じじゃないかな」 救い出す。その一点に揺らぎがなかったことを思い出すかのように返しながら、『0』氏名 姓(BNE002967)は自らの腕へと黒の卒塔婆――氏屍の名を持つ得物を括り付ける。両腕を自由に動かせるようにとの配慮の上だ。 時計の針は徐々に傾き、刻限と定めた時刻を示す。 口を開けた蛇のようなトンネルの中に相変わらず動きはなく、それぞれの意思を確かめるように顔を見合わせたリベリスタ達は、血腥い臭気の中へと足を踏み入れた。 ● トンネルの中でそれと分かる存在は一つしかなかった。 「本来ならば、人が意志と殺意を以って、道具を操り道具によって人を殺す、のですが。それが逆になってしまうとは、皮肉というかなんというか」 伊織敬太――否、その手に握り込まれた剣へと双眸を眇めるように見やり、『シャドーストライカー』レイチェル・ガーネット(BNE002439)が意見を零す。 声に反応したかのように、トンネルの壁にもたれるように蹲っていた少年がのろのろと顔を上げた。 足元、壁、そして彼自身の纏う衣服に到るまで朱色が統べる視界を、頼りない電灯の光だけが照らしている。 「あ、あ……まただ。またあいつらが……あいつら、あいつらって誰だっけ」 ゆらり、と幽鬼のように立ち上がる動きには覇気も生気も存在せず、それが少年自身の意思によるものか、それとも破界器によって強制されているものかを判断するのは難しい。 それでも曖昧としたその口振りが、正常な人間のそれと大きくかけ離れていることは明白だ。 「うん――そうだ、やらなきゃ、やらなきゃおれがやられる……」 ぶつぶつと一定の調子で呟かれる言葉は、果たして『血の洗礼』と対話でもしているのか。 徐々にその距離を詰めながら、遠子が微かに眉を顰めた。 「酷い怪我だね……」 返り血とばかりはいえない朱色に染まる少年の姿に、小さな呟きが洩れる。 辺りに散らばる亡骸が、その答えを握っている。物言わぬ骸となった彼らもまた、己を守る為に必死だったのだろう。 「意識や痛覚を残したまま体を支配ってのが惨いわ」 朱色をこびり付かせる銀色の剣身を視界に捉えて、ソラが眉を顰める。 一方で理央は密やかに意識を集中させていた。やがて彼女を中心に陣地が展開されたところで顔を上げ、無言で頷く。 それが、合図。 会話の隙を突いて距離を狭めていたレイチェルとソラが少年の背後へと飛び出すと同時に、意識を引き付けるように雷音もまた、敬太と血の洗礼の許へと飛び込む。 「伊織敬太君、大丈夫だ、安心してほしい」 「な、なんで名前……」 マイナスイオンによる安らぎが何処まで敬太に届いているのかは分からないが、名指しされたことで理性が勝ったかのように、少年が虚ろだった双眸を揺らした。しかしその一方で、固く握られた剣の刃が閃く。 鋭利な刃物のもたらす傷が肌を裂いたが、雷音は自衛の選択を打ち捨てすぐさま符を介した傷癒術を発動させた。 逃走経路の遮断は背後に回った仲間達へと任せ、少年の傷を癒すことに意識を傾ける。 「きっと君を助ける。だから、安心してくれ」 労わりを籠めた言葉に、尚振り上げられる一閃――しかし、それを遮るように声が打つ。 「悪い夢から覚ましてあげる……」 「悪い……夢?」 霧音が静かに放った一言に、初めて敬太の表情が動いた。掠れた声に泣き出しそうな響きが絡む。 「おれ、夢を……見て――?」 「…………」 同じ言葉を紡ぐ代わりに、霧音は構えた太刀を横薙ぎに振るった。生み出された風の力が飛翔して、洗礼の刃が振り下ろされる寸前、さながら弾丸のように掲げられた剣身を激しく打ち鳴らす。 「少し手荒だけど君を傷つけはしないよ。助けるから安心して」 柄を握る腕が揺らいだ隙に懐へと飛び込んだ姓もまた、敬太への言葉と共に少年の身体を押さえ付ける。 「この惨劇は敬太君のせいじゃない。その剣のせいだよ……」 状況の分析、一極集中。弱点を探る視線が霧音の放ったNo.13を受けた箇所へと定まり――的確な演算と共に、遠子の新緑を芽吹かせる弓の弦が引き絞られる。 「剣のせい……? ちがう――違うっ! こんなの、こんなのがなんだって言うんだよ!」 だが、怯えたように敬太の声が乱れ、トンネルの中を響いた。 「こんなの……ただの剣だろ!? どうせこれもそれもっ――全部夢だ、こんなッ……!」 「く、――ッ!」 身体も壊れよとばかりに暴れる少年の剣が掠め、浅いながらも肩を裂かれた姓が咄嗟に洗礼の鍔を押さえる。 理性による制御を失った力は、端から防衛手段を捨てた凶暴なものだ。だが如何なる理由であれ、所詮は一人の少年に過ぎないということだろう。革醒者が全力で押さえ込んで尚、制御出来ないほどのものでもない。 けれど拘束から全力で逃れようとしているのは、果たして洗礼の支配によるものか、それとも明白な武器を眼前へと突き付けられる少年自身の恐怖からか。 「信じられないかもしれないね……それでも私達は敬太君を助けたい……。ううん、絶対に助ける……!」 怯える様を眼前にして、それでも遠子は躊躇うことなく、ピンポイントで剣の弱点を狙った。姓の手で押さえ込まれ、無防備に晒された剣身を鋭い一撃が穿つ。 悪辣な能力を有した破界器。だが、裏を返せばたかが剣――僅かに欠けた刃を見逃さず、すぐさま理央の1$シュートが同じポイントを狙い撃つ。 「豪勢な飾りに大層な名前だな。『血の洗礼』」 プロストライカーによって動体視力を異常の域に強化した杏樹が、未だ沈黙を守る破界器を挑発するかのように口許を歪め、魔銃の名を関す得物の銃口が剣を捉える。 「黙ってるつもりならそのままくず鉄に変えるぞ」 『……黙っていなくても変える気だろうが』 剣身が弾かれる高音に紛れてやれやれとばかりに空気を震わせたのは、人が発するにしては奇妙に揺れた響きを持つ“音”だ。声と呼ぶには異質な揺らぎに、杏樹の双眸がスッと細められる。 「やっと口を利く気になったか」 『利いたら手加減でもしてくれたのかい?』 「いいえ、余計に気に入らないわ。叩き折ってあげる」 霧音の言葉にそれみろと、口を持たない剣が嗤う。 「私達があなたを助ける。だから、もう少し耐えててね」 嘲笑を上げる洗礼を無視し、敬太へと語り掛けるように優しく言葉を紡いだソラの、集中して放ったエナジースティールを喰らった剣が、まるで悲鳴を上げるかのように剣身を振るわせた。 「動きが丸見えだ、止まって見えますよ」 『押さえ付けて言う台詞かい?』 「――速やかに、燃えないゴミにしてあげましょう」 逃走の余地があるとも思えず、ましてやリベリスタによって押さえ付けられた現状で、尚も嘲弄の響きを震わせる血の洗礼へと、レイチェルがピンポイントに攻撃を放つ。 それと同じくして最初に傷を負った雷音へと、理央の奏でる天使の息が降り注いだ。 「『血の洗礼』。君の思うとおりにはさせないのだ」 『“俺の”思う通りだって? ――こいつが望んだんじゃないとどうして言える!』 傀儡である敬太の両腕を押さえ込まれ、それでも洗礼は芝居の台詞でも読み上げるように、奇妙な響きを有した“音”でもって雷音の言葉に朗々と返す。 『なァ敬太、誰の所為だ? 誰が誰を殺したんだ?』 「ちが、う……おれのせいじゃない、お前がっ!」 『おいおい、俺は“ただの剣”なんだろう? どうやってお前に人殺しなんか――』 明確な悪意に嗤う洗礼の言葉を打ち消すように、高らかな音が響いた。 「もう黙れ……」 呟くような姓の言葉と共に、杏樹の放った1¢シュートが刃毀れした剣身を捉えて逃さない。 「硬貨ほども隙間があれば、狙い撃つには十分だ」 ましてやなす術もなく押さえ込まれ、生贄のように掲げられた現状においては尚更、その攻撃が外れよう筈もなかった。 ● これまでか、と、剣の発した一言は潔いといえば潔く、しかし今に到るまでの発言を顧みれば些か違和感の残るものだった。 破界器の呟きを聞き取った瞬間、その奇妙な違和感に杏樹が反応するよりも、極僅かに早く決着の時は訪れる。 僅かな傷を広げるようにしてただひたすらに狙われ続けた剣身に新たなる一撃が加わった瞬間、刃は突如としてその罅割れを深めた。 金属の軋みが立てる耳障りな音が、崩壊を前にして広がっていく。 「『私達』はお前の存在を赦さない」 霧音の言葉は静かに、しかし凛然として断罪の音を紡いだ。 西と東、さながら競い合うかの如くに向けられた異なる趣の刃が、ただ真っ直ぐと破界器へと突き付けられる。 「いっそ力だけでなく心でも捻じ伏せてやりたいのだけど――砕けて散りなさい」 その、全てを終わらせる為の一撃が血の洗礼へと届く瞬間、かの魔剣は高らかに謳った。 『これは夢だ』 迷いのない断言は、誰よりも直接に柄を握る少年へと届く。 己にとっては道具に過ぎない人間の子供へと、血の洗礼はまるで労わるように優しげな声で繰り返した。 『“ただの夢”だ! 全部、全部が悪い夢――なァ、』 ――そうだろう? 誰が反応出来ただろう。 次の瞬間、太刀の一撃によって血塗れた刃は砕け散り、金属の持つ高らかに澄んだ音がトンネル内へと響き渡る。 身体を千千に散らす中で徐々にその声を霞ませながら、それでも洗礼は笑っていた。鍛冶師が鋼を打つように、何処までも澄んだ響きで“嗤って”いた。 だが――……最期に遺したその言葉の意味を知る者はない。 今は、まだ。 ● 砕け散った剣の欠片を前にして、雷音は小さく溜息を吐いた。 「何か分かった……?」 「“誰か”が敬太に剣を渡したことは間違いなさそうなのだ。でも……」 「……それが誰か……までは、分からない……?」 言葉を濁す雷音に、先を推測した遠子が頷く。例え意思を持った剣とはいえ、サイレントメモリーの能力だけ事件の経緯を見通すには、やはり限界があるということだろう。 「道具は道具らしく人に使われていればいい」 飛び散っていた破片を手に、憮然とした言葉を口にしたレイチェルが、金属の欠片を砕けた刃の上に放る。 「持ち手の意志通りに動かない道具など、どんなに性能が良くてもガラクタでしかない」 冷然とした声は、遠からず朝を迎えようとするトンネルの中を寒々と響いた。 レイチェルの言葉に曖昧に頷いた遠子が、積み重なる破片を見下ろしてゆるりと瞬く。 「一応、本部に持ち帰った方が良いかな……?」 「宝石なんかも付いてるからな。それに、下手に放っておいても問題かもしれない」 破界器という前提を無視しても、破片一つ一つが凶器になりうる刃物の残骸だ。 遠子の意見に頷いた雷音が、ふと首を巡らせて霧音を見た。 「君は敬太に声をかけなくていいのか?」 切り落とされた死体の腕を拾い上げて、霧音が敬太の居る方向へと目をやってから視線を外す。 「気の利いた言葉はもうないし……血の臭いにも慣れてるから、こういう作業の方が私向きだわ」 「ふむ、それならボクも手伝うのだ」 「そうだね……。彼らも、このままには出来ないよ」 霧音の言葉に頷いて同意を返した雷音と遠子もまた、亡骸の散らばるトンネルの中へとそれぞれに動き始めた。 一方、その名の通りに『血の洗礼』を浴びた伊織敬太の意識が、すぐに鮮明となった訳ではない。 意思に反した殺戮の名残をどう受け取ったものか、思考そのものよりも身体が拒絶するかのように、幼さを残す双眸は周囲を泳ぐ。 意識はある。記憶もまた、存在する。だがしかし、それを現実と受け止めることを理性が良しとしていない。 とはいえど、それもまた一時の誤魔化しに過ぎないのだ。受け止めようと受け止めまいと、現実は頑としてそこに“在”る。 力なくトンネルの床に座り込む敬太の前に膝を着き、姓は敬太の顔を覗き込んだ。 「大丈夫かい?」 「…………、あ……?」 話しかけられたことで状況を理解し始めたのか、敬太の焦点が合っていく。 しっかりと目が合わさったと確信したところで、姓は静かに頷いた。 「お、れ……おれ、は」 「私は君が悪いとは思ってないよ。望んでないのに無理矢理やらされた事だもの」 徐々に意思を取り戻しつつある双眸を前にした姓だったが、告げる表情は静かなものだ。だれど、と続ける言葉にも澱みはない。 「関わってしまった以上、『自分のせいじゃ無い』と思い込むだけでは罪悪感は拭えないよ。その言い訳は自分に向けるものではないでしょう?」 そう口にして、姓の視線がトンネルの中を移ろった。――その先に。 「君が許しを請うべき相手は、それで納得してくれるかな?」 姓の視線の先を追い、嗅覚さえもとうに麻痺してしまうほどの血腥さの中で光を失った虚ろな双眸……首の下から切り離された亡骸の一片を目にして、敬太が咄嗟に口許を覆う。 「う……ぐ、ぉえ……っ」 声を詰まらせる敬太へと、杏樹もまた静かに話しかける。 「その罪悪感は消えないだろうけど、消えた命を弔ってほしい。……一人で抱え込まなくていい」 静かな声が引き金となったかのように、漸く敬太の双眸から涙が溢れた。 ごめんなさい、と、満足に声にならない謝罪が引き出され、トンネルの中へと落とされる。 「私があなたを許すわ。あんな辛い状況でよく耐えたわね」 「う、あ゛……ああぁ、あ」 応急処置を施しながら優しく紡がれたソラの慰めに、いよいよ敬太の声は言葉にならない。 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。 泣きじゃくる声で聞き取り辛い謝罪を繰り返し、嘔吐を堪えるように口を覆っていた敬太は、しかし――「でも」、と。その言葉を、願いを。姓の双眸を縋り付くように見上げて、口に出す。 「で、でも、でもさ―― ――これって、“ただの夢”なんだろ……?」 「――――」 まるでその言葉だけが真実であるようにと、それこそをよすがにして、敬太は姓の顔を覗き込んだ。瞳の中に危うい一線の上で揺れる切羽詰った姿を見て、姓が言葉を失う。 「……伊織君。それは……」 「だって、さっきの人が言ってた! “悪い夢”から覚ましてくれるって!!」 それだけが唯一の希望であるかのように、唯一の救いであるかのように敬太は喚く。 最早地面を転がる死体も目に入っていないのか、それとも死体までもを夢だと思い込み――或いは思い込もうとしているのか、“優しい”言葉をかけてくれた霧音を探すようにトンネル内を忙しなく見回す。 「それにあいつ、あいつだって言ってたよ……! 全部夢だって、ただの夢だって!!」 自身の言葉の矛盾を、少年は理解していない。 “意思を持つ剣”を否定しながら、最期に放たれた甘い言葉に縋っている事実に、伊織敬太は気付かない。 ――受け止め切れていないのだ。己の手でなした殺戮の重みに。最期まで抗い、傷を残し、そして目の前で、他ならぬ己の手で殺されていった幾つもの『人間』という存在に。 「伊織君」 平静を失い、喚く伊織の前にしゃがみ込んだ理央が穏やかに声をかける。 名を呼ばれて反射的に顔を向けた敬太に、魔眼が影響力を発した。新たな言動を起こすより先に催眠状態に陥った少年の顔から表情が消え、理央は崩れ落ちる身体を抱き留める。 「夢として誤魔化すにしても、話を聞くにしても、これ以上は本部に連れ帰って治療を済ませてからだよ」 本部なら記憶操作も出来るしね、と、吐息を混じらせた理央の言葉は、隠しきれない疲労に気怠くトンネルへと落とされた。 かくして、血塗れた朱色の一夜は明ける。 その後に伊織敬太がどのような道を辿ったか――全てを夢に隠したか、それとも現実を受け入れるに到ったか。 平穏無事な日常へと戻ることが叶ったのか、或いは神秘の片鱗に望まざると触れてしまったことで、新たな運命が開けたのか。 いずれにせよ、彼の歩む道程は異なる舞台での話。少年の行く末が何処にあるのか……時が経つまで、それは分からないことだ。 少なくとも、今は、まだ。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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