● 感覚の失せた体に、ばしゃばしゃと液体が掛けられる。灯油臭い。 仰向けで動けない所に浴びせられたのだろう、誰かが噎せた。 うつぶせの自分も、伝って来た雫が口に入る。不味い。 「水なくってさぁ、こんなシャワーでごめんねー。でもちょっとはキレーになったでしょ?」 笑い声。革靴の先で動かない頭を小突かれた。顎も舌も麻痺したように動かない。 複数の男の笑いの中、嗚咽を漏らした女性に空になったポリタンクが投げ付けられた音と声。 「沢山遊んで貰ったけど、俺らここで帰るから。後始末もするからさーあ、気にしなくていいよ」 嗤い声。扉が開き、幾つもの足音が遠くなっていく。 「ま、俺ら結構丈夫じゃん? アンタとかオトモダチは生き残るかもね。その上で俺とまた遊びたいなら来てもイイよ」 小指が同じ指に取られ絡められ、手ごと数度揺すられた後に床に落とされた。 辛うじて動かせた視線が、扉の向こうに消えていく男の嫌な笑みを、刻んだ。 隣の男が、マッチに火を点ける。 「そうしたら次は、もっと酷い事してから殺すから。約束したげる」 けけけけけけけ。 炎が踊っていた。疲弊しロクに動けない上に拘束までされた人々が床で悶えていた。 熱さで視界が歪む。ほんの少しだけ動かせた目で、同じ様に中心に転がされていた仲間を見た。 彼女は、自分の半分くらいしか年を重ねていなかった。ぴくりとも動かず、曝け出した肌を炎に舐められていた。辛うじて這いずる事ができたらしい人が、窓に肩をぶつけていた。開かなかった。木の板が外から張られていた。私たちなら、あんな板くらい壊せたのに、酷く痛めつけられていた体は指先一つも動かなかった。 ごめんなさい。 枯れ果てたと思っていた涙が一筋零れて、焼かれた。 それでも私は、生き残ってしまった。 ● 「さて、まずはあんまりいい話じゃない話を前置きとして聞いて下さい。お前そもそもあんまりいい話持って来ないだろうという突っ込みは聞きません、皆さんのお口の恋人断頭台ギロチンです」 言葉の後で溜息を吐いて『スピーカー内臓』断頭台・ギロチン(nBNE000215)は指を立てた。 「先日、誘拐事件が幾つか発生しまして。それを追っていたリベリスタチームがいたんです。彼女らは『たまたま』その現場を目撃し、仲間に連絡を取りながら追跡した。……が、それが罠だった」 気付けばフィクサードに取り囲まれており、善戦虚しくも仲間の救援を待たず陥落。 彼女らも一般人と同じく、連れ去られて――。 「各種暴行を加えられた上で、閉じ込められたログハウスに火を掛けられて、……一般人は全て死亡しました。リベリスタも一人が死亡、一人がノーフェイス化して逃亡、生き残りは、一人だけだったそうです」 仲間の必死の捜索により、炎の中から一つだけ、命が救われた。 失ったものは、それ以上に多かったけれど。それでも一つ。 「このリベリスタチームは、先日フィクサードの取引を幾つか潰したそうで、その報復と思われます。が、今回はそのフィクサードが問題な訳ではありません。燃やされた人々の無念から発生したE・フォースと、ノーフェイス化してしまった元リベリスタの対処です」 虚ろな水色が、宙を向く。 「チーム自体も襲撃を受けたそうでしてね、彼らは現在手が足りない。けれど放置もできない、という事で、……生き残りの方、山茶花さんがアークに救援を求めてきまして」 早く楽にしてやりたい。けれど、自分では力不足が見えている。 どこも自らの抱える案件が多数あるのは理解しているが、どうか、助けてはくれないか。 「その心自体は分かります。分かるんですが……現場で一人生き残った山茶花さんが一緒にいると、どうやら『あちら』が感情を逆撫でされて強化されるようで。……彼女が悪い訳ではないのですが、これはあまり得策ではない」 溜息。 「……が、彼女は襲撃されたメンバーの中では年長で、経験も多かった自分ひとりが生き残った事に罪悪感も覚えているらしく。仲間の為でもあるが、自分の為でもある、と戦う事自体は既に心に決めている様子です」 相打ちでもいい。早く楽に。苦しみ続ける仲間に、自分の心に、終わりと言う安らぎを。 「山茶花さんは既に目的地近辺で待機しています。……ぼくとしては皆さんの危険度が増す事をわざわざ勧めたくはありませんが、ここは任せろ、大人しくしていてくれ――と言って大人しく出来る動機でもないでしょう。なので、彼女への対応をどうするかは皆さんにお任せします」 自らの危険要素を増やしても、生き残りの彼女の願いを聞き届けるか。 彼女が仲間を第一とした様に、自らも仲間の安全を優先し同行を拒否するか。 選ぶのは、身を危険に晒すリベリスタだ。 「……すみませんね。でも、どうか……どうか、あの場で苦しむ人が、減るように。それだけ、お願いします」 何を言ったものか、少し考えて。それだけ口にしたフォーチュナは、そっと頭を下げた。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:黒歌鳥 | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年08月23日(金)23:21 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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● 闇に閉ざされた山道を、『Le Penseur』椎名 真昼(BNE004591) と友松・山茶花の下げる明かりが照らしていく。現場のログハウスよりやや下のキャンプ場で準備を整えていた彼女は、訪れたリベリスタに軽く目を開き瞬いて簡単な挨拶をした後、ここまで無言であった。 黒髪を短く切りそろえた山茶花の表情には何も浮かんではいないが、それが素なのか感情を覆う仮面のせいなのか、真昼には判断がつかない。ただ、平静に見えても――彼女らの受けた行為は、酷いものだ。 鞄から顔を出す白夜の冷たい頭を指先で撫でながら、小さく溜息を吐く。 その行為を当然のものと看做せるような生き方はしていない。紛う事なき非道だ。こんな事が自分や、自分の大切なものに及ぶかも知れない。それを考えるだけで背筋に冷たいものが走る。恐ろしい、事だ。 低い視線から山茶花を一瞥して前に戻した『飛常識』歪崎 行方(BNE001422)などにとって、それは戦場に身を置くリベリスタにはよくある悲劇にしか思えないのだとしても――沈黙に支配された道で、『ODD EYE LOVERS』二階堂 櫻子(BNE000438)はふっと笑って山茶花の隣へ並ぶ。力不足。それを理解できない程に弱くはないのだろう。ただ、それで止められる程に思いも弱くはない。 連れて行きたいか、と問われればノーだ。敵を逆撫でし、強化する存在はいない方がいいに違いない。自分の為にも、恋人の為にも。それでも。 「ね、山茶花さん。大丈夫、アークのリベリスタはお人好しでお節介焼きばかり」 瞬く色違いの瞳に、黒の目が向けられた。不利と分かっていても――見捨てられるならば、苦労はない。 目標と、気持ちは、櫻子とて理解できるのだから。 「だから、貴方の大切な仲間を一緒に解放してあげましょう」 僅かな間。初めて山茶花が相好を崩した。 「……ありがとう。実の所を言うと、本当に、手伝って貰えるとは……余り、期待していなかったので。大変、感謝しています」 リベリスタは世界を守る。だが、その間の関係全てが無償の愛で繋がっている訳ではない。 利害も絡まぬ、小さなリベリスタ組織のたった一人の唐突な救援要請など届かぬと思っていたのだと。首を振る山茶花に、『紅蓮の意思』焔 優希(BNE002561)は拳を掌に軽く打ちつけた。 「こうなった今、俺達ができる事は仲間の無念を解放してやる事と――外道を打ち砕く力を育む事だ」 口調は冷静を通しつつ、内部で燃えるのは怒りの炎。リベリスタのみならず、無辜の関係のない人々まで残忍に扱い殺したフィクサードへの憎悪にも似た激情だ。それでも、気持ちばかりではどうにもならぬ事はある。力は、必要だ。 「オマエの為すべきことは、覚悟を言い訳にして蛮勇に逃げることじゃねえ」 放っておけば、一人で特攻して命を散らしたであろう山茶花へと、『男一匹』貴志 正太郎(BNE004285)が声を向けた。死を覚悟して仲間の為に戦場に身を投げる。言葉にすれば美しいかも知れないが、見方を変えればそれ以上の思考の放棄でもあろう。死ねばそこで、終わるから。 「先走って無駄死にはするな。仲間の分まで生き抜く心算で挑め」 「……ああ」 赤く燃える、優希の髪。その言葉に、憎悪と恐怖の炎以外の何かを見たのか――山茶花の目が細められた。 そんな彼女を見て、『0』氏名 姓(BNE002967)は闇色の目を道の先へと向ける。 弔いは死者の為ではなく、残された者の為に。区切りを、別れを告げる為の儀式。 だけれど――これは彼女にとって、本当に『弔い』になるのだろうか。 残り火を消して、山茶花は区切りを付けられるのか。『何も終わってはいないのに』。 手に提げたペットボトル。中身は灯油などという剣呑なものではなく、澄んだ水。 そのペットボトルを通して、道に光が差す。 赤が、地を舐めるように揺れている。 ああ。 ここだ。 ● 櫻子が翼を下ろし、姓が、正太郎が己の力を引き上げた。 赤い光の中心で、ゆらゆらゆらゆら、黒い影が揺れている。 逆光のせいで黒いのではない。その全身が、既に炭の色。赤の中でゆらゆらゆれる、黒の人影。 燃え上がる炎。 幻影の炎が、身を苛む。 赤と黒のコントラスト。空恐ろしくも見えるその光景に、『アウィスラパクス』天城・櫻霞(BNE000469)は心を動かされない。戦いに犠牲は付き物だ。誰も倒れない戦いなんて在り得ない。 すり抜けて行くものはできるのだ。どうしても。誰がやっても。多寡はあれど、犠牲は存在する。フィクサード然り、一般人然り。今回はそれが、たまたまリベリスタの番であっただけ。 手を緩める理由など何もない。 「死に損ない共を再び地獄に誘ってやろう」 一匹たりとも、残すものか。世界に、人に仇なす神秘は殲滅する。性質を知る恋人が柔らかな笑みを浮かべて応える傍らで、猛禽は獲物に狙いを定め、火を降らせた。 仕事でな、許せ、と告げる言葉に重みはなく――焼死した人々を、地獄の業火が更に焼く。 とん、と跳んだ。軽い音とは裏腹に、一般的な格闘の間合いからは大きく離れた距離を一瞬で埋めて優希の腕は黒い影を、遥華を捉える。真っ黒。手に、熱気が伝わってくる気がした。焼け焦げた少女の顔で唯一白い目が、彼を見据えた。いや。見ているのは『優希』ではないのだろう。ギリ、と奥歯を噛んだ。 「ここで必ず、地獄の檻から解放してくれる」 櫻子の翼のお陰で、体は多少軽い。それに加えて己の身体能力を駆使し、崩れた柱を踏みつけながら優希は耳を澄ます。既に思念だけの存在とは言え、姿を現している以上無音ではあるまい。 黒い人影の近くに、遠くに、揺れる薄い影。黒煙にも似た、その姿。 「これじゃあ、求めてるものにはならないだろうけどな――」 とん、と魔槍深緋の柄を地面に付いた『てるてる坊主』焦燥院 ”Buddha” フツ(BNE001054)が呼ぶのは、氷の雨。降り注ぐ冷気。幻想の炎を消す事はできない、現実の冷たさ。 黒煙が声を上げた気がした。気がしただけだ。彼らはもう、現実を見てはいないのだろう。 絶望と苦痛に満ちた、あの赤い部屋に今も尚閉ざされている。 黒煙には、もう個人の区別はないのだろう。顔も定かではない『人』に呼びかけるのを諦めて、姓は優希より前に躍り出る。忙しなくゆらゆらゆらゆら、ゆれる黒い少女。 その意識を、僅かでも己の側へと向ける為――虚空を掻くばかりの炭の手を、姓は取った。 「お嬢さん、暫しワルツを願おうか」 黒い手と、黒い板。両手に取った死に向けて姓は微かに笑みを浮かべ、少女と繋ぐ掌の間に魔力の閃光弾を生み出すと、不利を蒙らぬ己をも巻き込み炸裂させる。 ぐるんぐるん、遥華の頭が目標を失ったかのように揺らめいた。 「小さな翼では、気休め程度でしょうけれど……」 皆の背に宿ったそれを確認しながら、櫻子は目を閉じて周囲の魔力を己へと。櫻子の回復を切らすのは得策ではないのだ。己の前で守るように武器を持った手を翳す櫻霞がいようが、力を分け与えてくれる味方がいようが――備えに越した事はない。 集合体が呻く。呻いたように聞こえた。絶望が、苦痛が吹き荒れて……けれどそれは払われた。ブレイクイービルを放った山茶花が、遥華、とぽつりと呟いた。 「オレがオマエの盾になる。行こうぜ」 彼女が前に進み出るのに合わせながら、正太郎もその姿を見る。 黒、黒、黒、黒、黒。赤。 「なあ山茶花。伝えたい事、全部ぶつけろよ。遥華と話せるのは、この一瞬だけだろうがよ」 その影は、正太郎よりも更に――更に小さい少女にも見えた。多分、その通りなのだろう。 十を過ぎて、五年も数えぬような、そんな少女。運命を失って、今はただの世界の敵。 そんな最悪の中でも、『まだ存在する』事は正太郎には唯一の救いに思えたのだ。 けれど山茶花は首を振る。無用だ、と。彼女には届かない、と。焦れた正太郎が、喋る事の叶わぬ遥華と思考を繋げれば――。 あついたすけてだれかあついよあついよぉあついおかあさんたすけてだれかみずたすけてよぉあついあついあついあついあついあついあついしんじゃうやだこわいようあついようあつい……。 頭に飛び込んでくるのは、そんな単語だけ。自分の頭に語りかけてきた存在にすら、彼女は気付いていない。『そこ』に最早、遥華は『いない』のだ。伝わらない。伝えられない。 遥華はもう、壊れた鳩時計のように同じ時刻に延々と鳴き続けているだけなのだ。 埋められないのか。この溝は。この悲劇は。正太郎は、軽く唇を噛んだ。 赤は炎の色。そして血の色。 白い顔に、髪に、赤が映る。 深呼吸。焦げ臭さが、肺に広がった。遥華は今は姓の閃光弾によって動きを止められているが、いつ動き出すかは分からない。遥華を注視しながら、真昼はいつ動いてもいいようにその一挙一動に神経を傾ける。 「……ごめんね」 零れたのは謝罪。焼け焦げた姿で揺れるその姿は、瞼も焼け落ち恐怖に見開かれた目は、酷く哀れだ。そうだとしても、真昼には何もできない。殺す以外は。 弱かった事が、迂闊だった事が罪だというならば、世の人々は等しく罪人であろう。裁かれ運命に見放された哀れな世界の異端者を、救済者でも神でもない真昼が救う事は叶わない。 無明に閉ざされた闇に、救いは見えず。真昼は首を振って、思考を改めた。論理を戦闘に適した者へと、書き換える。 彼にできるのは、目の前の悲劇を終わらせる事だけだから。 「理由がなんであれ、堕ちてしまえば全ては同じ、処断されるは同じこと」 金の髪がゆらりと揺れた。後衛と些か距離の近い遥華に向けて距離を詰め、上段からは肉斬リで、中段からは骨断チで黒い姿を薙いで払う。化け物(フリークス)と呼ばれる境地に至った者が放ち得る一撃。炭化した肉に、刃が食い込む感触が伝わった。 「燃える世界の中で、苦痛と苦悶と後悔と。デスガそれは彼らのモノ」 赤い光に照らされて、少女は笑う。唇が三日月に吊り上がる。それではリベリスタが持つものは? 「身も蓋もなく切り捨てて、無かったことにと言い捨てる理不尽デスネ。アハ」 苦悶が残る、この場所で。どうしようもない事を知る少女は笑う。 髪の毛の焼ける臭い。焼けて脆くなった壁が割れて崩れていく音。潰された悲鳴。息のできない喉から漏れる空気。生きながら燃えていく人々。全て、場に満ちた幻影だ。リベリスタが抱く、幻想だ。 それでも行方の鼻先に、肉の、焦げる臭いが、漂ってくる気がした。 ● みきみきと、黒くなった柱が倒れる音。 身に纏わり付いた炎は燃え上がり、かと思えば逆に耐え切れぬ程の冷たい風が炎を消す事なく絡みつく。 リベリスタは幾度もその動きを止められども、櫻子の回復は止まない。 「守備は任せろ、邪魔はさせん」 冷気に、呪縛に、手を止める事のない櫻子に肩越しの視線を向け、櫻霞は炎に包まれたコートの裾を払った。 遥華はまだ炎の中に、踊っている。 攻撃の集中によりだいぶ弱ってはいる様子だったが――優希は何度目かの感触を、拳で味わった。乾いた皮膚が、ぱらぱらと落ちる。 そんな様子に、目を向けながら、山茶花が正太郎へと声を掛けた。 「……何故、私の前に立つので?」 「言っただろ、オレがお前の盾になるって」 「私はそんなに実力不足に見えますか」 呟いた声が、低い。彼女はクロスイージスだ。護る事を願い、護れなかった終わりを片付ける為に赴いた。その力はアークの精鋭には及ばずとも、例え一人でも、と此処に足を向かわせる自負を彼女に与えていたはずだ。 戦場の厄介さは理解しているのだろう。ブレイクイービルでの援護を止めはしない。リベリスタの指示を素直に聞いている。が、不利に足を取られぬよう、彼女は備えられるだけの備えをしてきたのだ。その上で守られるというのが――どうにも気に食わないらしい。 庇いは不要です。そう言い捨てる山茶花に、フツが目を向けた。 ……自分が痛みを受けないというのも、理由の一つなのだろう。 痛みで罰されることを、山茶花は何処かで望んでいるに違いない。 「なあ。お前さんが生き残ったことを悔やむのは分かる。……オレだって、そうだからな」 降り注ぐ氷の雨が地を打つ音にかき消されるようにしながら呟いた言葉。 悲劇に、喪失に、同情して欲しい訳ではない。同情なんて求めてはいない。それを知る彼は、自分の首筋を擦って首を振った。年に見合わぬ落ち着いた容貌を、傾ける。 「ただ、生きてる限り、お前さんもオレもまだ戦える。赤星の代わりに、誰かを守る為にも――そんな簡単に死んでたまるか。そうだろう」 「――オマエの役割は、ここで倒れる事じゃねえよ。最期を見届けて、生きることだ。どんなに苦しくてもな」 だから、正太郎はその前から退かない。 簡単に楽にしてやれるほど、その命は安くないのだから。 山茶花が、目を伏せた。……ごめんなさい。小さな声が、謝罪を紡ぐ。 そんな声を遠くに、姓は焦点が更に定まらなくなった目前の遥華を見やった。命の灯火が、吹き消える寸前である事は最早明白。ただ、ただ。その炎に焼かれた未来に、命に、一つの救いだけでも欲しい。 躊躇はなかった。蓋を開けたペットボトルが地に落ちるのは重力に任せ、黒い枯れ木のような腕を掴む。親指を口の切れ目に差し込んで、開かせて。唇を重ねると、水を奥に含ませた。 視界に映るのは、真っ黒な姿ただ一つ。呪祓を握った手が、気糸を生み出し、身を貫く。 目が一瞬だけ、焦点を結んで姓を見た、ような気がした。 がさがさに乾き切った唇の残骸が、姓の唇を引っかいて血を滲ませても――彼女が望んだものを、与えたかったのだ。腕の中で、黒い少女の身が落ちる。 もう、瞳は、何も映してはいなかったけれど。 「さあさ、後は残滓だけ。どれもこれも、力任せに刻むのがボクのできる供養デスカ?」 声を上げた行方の体に、生命力から瘴気へと変わった力が一瞬纏わり付き、煙を更に深い黒の中へと叩き落した。力が僅かに抜けていく。己の生命が削られる。それでも少女は笑っていた。 黒煙が上げるのは苦悶だ。声がなくとも、伝わってきた。 遥華の身を縛るべく供えていた真昼は、櫻子へと対象を変えて己の精神力を分け与える。 「終わりにしようぜ。もう、頑張らなくていいからさ」 正太郎の腕が上げられた。 フィンガーバレットから、弾丸が放たれる。 頭を狙った、その一撃。 殺意は、今だけは優しく――黒い煙と化した人々の頭を、打ち砕いた。 ● 山茶花が盾をその場に落とした。駆け寄ってきた彼女に、姓は遥華の体を預ける。 無言で抱きしめる彼女に、櫻子はほっと息を吐いた。 「これで、皆さんも救われたかしら……」 「少なくとも、これで炎に悩まされることもあるまい」 力を抜いたかのように微笑む櫻子の頬に付いた煤を軽く擦って取りながら、櫻霞は暗闇と化した周囲へと目線を向ける。死んでも死に切れない。ああ、革醒者というものは、厄介だ。 フツが数珠を取り出して、念仏を唱え始める。 もし、誰かが『残って』いれば会話も可能ではあっただろうが――余計な事だろう、と目を閉ざした。 遥華を抱きしめ座り込む山茶花に目を向けた優希は、ギリッと歯を噛む。 「許しておけるか、極悪非道の外道共め。相対し際には……潰す」 これが、人の行いか。まだ見ぬ『外道』に憤り、拳を握った。 櫻子が、声を掛ける。最初よりも小さく見える、その姿に。 「山茶花さん。良かったら、一緒にアークに来ませんか?」 喪失ばかりは、免れないけれど。それでも、その危険性はずっと減るはずだから。そう告げる彼女に、山茶花は二度目の、微かな笑みを浮かべて――首を振る。数は少ないが、彼女にも仲間がいるのだ。小さな組織ではあるが、それでも全員がアークへと身を寄せることに同意はしまい。 なら。姓が口を開く。 「もし、奴らとまた対峙する事があれば」 「復讐に行くように、見えますか」 「いや。復讐しろって訳じゃない。もし関わり合いになる必要性が出てきたら、今回みたいにアークを頼って欲しい」 一人で突っ込まず。更なる仲間を失わないように。姓の言葉に、山茶花の唇が震えた。 けれど、私は。 仮面を取り払った本心が、指先をも震えさせる。かたかたと歯が鳴っている。泣き笑いの表情で、山茶花は遥華の肩に顔を埋めた。こんな状態で、この後戦えるかも分からない。だから。 震える肩を見ながら、真昼はその傍に立つ。 幾ら考えても真昼には行き止まりしか見えないこの話。所詮は部外者に過ぎぬ己には、救いを見出す事は叶わない。人の心の行く先までは、考えたって変えられないから。 「ね。諦めないで。考える事をやめないで。何かを見出せるのは、きっと貴女だけだから」 その道先に、どうか自ら光を見出して。希望を見せて。 とん、とフツがその肩を叩く。真昼が見上げれば、彼は顎で下へと続く道を指した。 一人にしてやろう。目が、そう言っている。 軽く頷いて、背を向けた。 山茶花は遠くなったというのに、すすり泣く声が、大きくなる。 けれどその泣き声が、絶望だけに満ちたものではない事を知るリベリスタは――赤ではなく、星と月の照らす山道を下っていった。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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