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瞬き消えぬゆめのあと


 ひととはとても愚かな生き物なのです。
 近すぎて見えないだとか、喪うまで気付けないだとか。必死になって探していたものは実はもうとうの昔に手の中にあるのに。
 それに気づくのはそれを失くしてからなのです。そして、ひととは失ったものを諦め切れない生き物でもあるのです。
 記憶は優しく、記憶は美しく、けれど記憶はもう触れる事は叶いません。
 美しいばかりではなく本当はそんなにも辛くなる程に想っていたのかさえ曖昧なくせにその尊さ美しさばかりを切り抜いた記憶はいつだって心を引っ掻くのです。
 もう戻らないのだとそもそも手に入れても居ないと言うのに顔を覆って涙を零して欲しかったのだともう戻らないのだとでもそれでも恋しくてならないのだと言うのです。
 嗚呼。
 ひととは如何してこんなにも都合のいい生き物なのでしょうか。
 そして自分もその枠から出られない癖に、ひとを嘲笑う自分は如何してこんなにも、戻れない夢を見続けているのでしょうか。

 ちりちり、と。
 蝋燭で揺らめく橙に触れた紙きれが、焦げて淡く光を灯すのが見えた。


「どーも、連日忙しそうなところ悪いわね。……今日の『運命』よ、聞いて頂戴」
 揃った顔触れを見回して。『導唄』月隠・響希 (nBNE000225)は資料を差し出しながらその背を正す。
「今回あんたらに頼むのは、アーティファクトの処理。まぁ、特別な戦闘とかは無いわ。そう言う意味では比較的『楽』な部類の依頼に入るのかしら。
 ……ま、肉体的には、ってだけだけどね。今回の仕事に大きく関わってくるのは精神面の話。まぁ、所謂自分との戦いね。よくある話だけど、まぁだからと言って侮れるものでもないわ」
 覚悟を決めていけ。暗にそう告げながら、頁が進む。
「想い出ってね、美化されるものだと思うのよ。きっとその時は然程強い思い入れとか、感動とかを持たなくても、後になって思い返すと嗚呼なんて素敵だったんだろうって思っちゃう事って、あると思うの。
 ……でも、想い出って所詮もう、其処には戻れないものなのよ。だから綺麗なんだろうけど、それでも其処に戻る事を諦め切れない人ってそりゃあまあ居ても仕方ないとあたしは思う。
 アーティファクト『追想灯』。これは、そう言う人が作ったものよ。もう名前も残ってない誰かが作った、昔に戻る為の魔法の花火。……マッチ売りの少女って分かる? 丁度、あんな感じ。火をつければ行けるの。手が届かない筈の綺麗な想い出の中に。
 本来なら、花火が燃え尽きれば夢は終わり。でもね、運命は此処に意地の悪い悪戯を仕掛けたのよ。……戻れない場所に焦がれる人が、ずっと其処に居てもいいと言われたら、一体如何するかしら」
 ただ夢を見るだけの筈の儚い火が、消えないのなら。醒めない夢がかなうのなら。それを何処かで望む人間は、目を覚ます事を望めるのだろうか。
「この花火に火をつけると、あんたらは望む記憶の中に滑り込めるわ。覚えてる通りのその中に。で、戻ろうと言う意思があるなら……『本当にそう思っている』のなら、花火が燃え尽きれば、目が覚めるわ。
 でもね。そう思えないと、火は途中で消えるの。花火は燃え尽きない。そうなった時、普通はもうその人は戻れなくなるんだけど……まあ、あんたらの場合良いのか悪いのか、自分を大事にしてくれてる運命に助けて貰えば戻っては来れるわ。
 花火は人数分ある。半分、綺麗に最後まで燃え尽きさせる事が出来れば花火全てが力を失うわ。だからまぁ、最低でも半数は、何にも頼らず自力で出てきてもらわないといけない。
 ……想い出の中はね、本当に自由よ。綺麗なままのそれを繰り返し続ける事も出来るし、その世界の中でなら、結末を変える事も出来る。失いたくなかったものを取り戻せるし、欲しかったものを得られるし、如何してもそうしたかった事を叶えられる」
 戻れず変える事も出来ない筈のその特別を、その中では自由に触れられるのだ。それはやってはいけない事の気がして、けれど同じくらい、手を伸ばしてしまいたい事ではないのだろうか。
 口を閉じて。資料を置いたフォーチュナは緩々と視線を上げる。
「その心が望むものを示して、その上で、其処に抗う理由を強く思い描いて頂戴。そうすればきっと大丈夫。……いい結果報告を待ってるわ。どうか、気を付けて」
 いってらっしゃい、と手を振って。その姿はブリーフィングルームの外へと消えていった。


■シナリオの詳細■
■ストーリーテラー:麻子  
■難易度:NORMAL ■ ノーマルシナリオ EXタイプ
■参加人数制限: 10人 ■サポーター参加人数制限: 0人 ■シナリオ終了日時
 2013年08月21日(水)23:56
貴方の過去と向き合いましょう。
お世話になっております麻子です、3年目になりました。これからも宜しくお願いします。
記念に、一番好きな事をやらせてください。
以下詳細。

●成功条件
アーティファクト『追想灯』からの半数以上の自力脱出

●場所
三高平市内、浜辺。
時間帯は夜です。灯りは蝋燭のみです。

●アーティファクト『追想灯』
花火の形をしたアーティファクトです。火をつける事でその効果を発揮します。
火をつけた対象が望む『記憶』と同じ特殊空間に対象を連れていく効果を持ちます。
空間内では基本的に自由に動く事が可能であり、基本的には対象の望む記憶通りに世界は動きます。
また、対象がその記憶の結末を変えたいと願えばその世界の中では変える事も可能です。

基本的には最後まで燃え尽きれば脱出可能であり、そのアーティファクトは効力を失いますが、当人にはっきりとした『戻る』と言う意思が無い場合其の儘その世界に閉じ込められます。
革醒者はフェイトを2点消費する事で脱出が可能ですが、その場合アーティファクトは効力を失いません。
全部で10本。半数が効力を失えば残りもその効力を失います。

●その他
今回のシナリオは『心情シナリオ』です。
貴方にとって何より優しいかもしれない世界や、どうしても変えたかった過去を変えられる世界や、
戻らないものを取り戻せる世界から如何して戻りたいと思うのか、如何して抗おうと思うのか、理由と答えを教えて下さい。
アークに来る前の事でも、来た後の事でも構いません。貴方が見るのは貴方が望んだ過去です。
文字数の許す限り、行動を決めたのならば理由を。背景を。その胸の内をとことんぶつけて下さると嬉しいです。
ステータスシート、プレイング、何方も参照致します。
対抗判定に成功した場合脱出が可能です。依頼成功時でも、対抗判定失敗した方は脱出分のフェイトが自動的に減算されます。

以上です。
全力を尽くさせて頂きます。貴方の過去と決断を、私にどうぞ教えて下さい。
ご縁ありましたらどうぞ宜しくお願い致します。
参加NPC
 


■メイン参加者 10人■
デュランダル
鬼蔭 虎鐵(BNE000034)
ソードミラージュ
坂本 ミカサ(BNE000314)
マグメイガス
シルフィア・イアリティッケ・カレード(BNE001082)
ソードミラージュ
天風・亘(BNE001105)
★MVP
プロアデプト
イスカリオテ・ディ・カリオストロ(BNE001224)
ソードミラージュ
エレオノーラ・カムィシンスキー(BNE002203)
インヤンマスター
冷泉・咲夜(BNE003164)
ホーリーメイガス
氷河・凛子(BNE003330)
クリミナルスタア
遠野 結唯(BNE003604)
ホーリーメイガス
宇賀神・遥紀(BNE003750)


 揺らめく火は触れればちりちりとした痛みを伴い掻き消える。何度試しても同じだ。触れても掴めず痛みだけを残して喪失するそれは遠い日の声とよく似ているのだ。
 良くも悪くも。伸ばした手は届かない。それでも欲しいと伸ばせば残るのは痛みだけだ。そうあるべきだ。そうでなければ人は前に進めなくなるかもしれないのだから。
 けれど、それでも。
 触れて掴めて痛みの無いそれが欲しいのだと、在りし日の誰かは手を伸ばしたのだろう。


 良い夢を、と囁いて。返事の代わりに凛子の耳に届いたのは、絶え間無い銃撃の音だった。懐かしい風景。荒廃した戦場。髪を揺らす風が含むのは錆びた鉄の臭いと、紛れもない、死のにおい。此所は、人が死んでいく場所だった。優しくなんかない。不条理と死ばかりが満ちる世界は、まさしく凛子にとっての後悔の記憶だったのだろう。
 何も考えずに手を伸ばす。やるべき事なんて一つだけだった。とにかく癒す。傷を塞ぎ、病を確かめ、今此処で行える最も正しいであろう治療を施す。己の仕事に、己の選ぶ手段に疑問は持たない。只々治療する。それが、此処で出来る己の仕事なのだから。
 けれど。
 全ては救えないのだ。戦場で運ばれてくる患者は余りに傷が酷く。戦場と言う場所では何もかもを救うには余りに道具も時間も足りない。足が無くなった。目が潰れた。安全で清潔な病院でなら救えたかもしれない命が零れ落ちる。半身を潰され辛うじて生きていた者が。傷を癒して嬉しそうにしていた者が。病に侵され、痛みに苦しみ、其の儘死に絶えていく。
 此処は、そう言う世界だ。絶対的に助からない命は必ず存在する。そんな彼らにしてやれることなんて多くはない。もう救えない彼らを如何するのか――そんな、仕事も何度したのだろう。けれど、この世界では、そんな事は起きないのだ。
 凛子が治療した患者は死なない。どんな傷も癒え、どんな病も完治し、みな幸福そうに笑う。嗚呼。此処は全てが助かる世界なのかと、小さく苦笑した。
 今。たった今自分が手を尽くしている、名も知らない人。見覚えがあった。救えなかった。もうどう見ても致命傷。零れ落ちていく血と内臓。それでも、息をして。咳き込んで。助けてくれと泣く彼は兵士である前に人間で。救うべき患者で。けれど、この手は届かなかった筈だった。なのに。此処では、彼は死なない。
 傷は癒える。流石だ、と凛子に感謝する。それは、凄い事で。素晴らしくて。ああ、まさしく夢のような世界だ。失わない。痛みはない。何と幸福な世界なのか!
「……でも、本当の世界では?」
 囁く。有り得ない事だ。この世界は言い換えれば、本来其処で時を止める人を、無理に生かし続ける世界でもある。それはまるで、凛子の、医者の矛盾を表すようだった。人の不幸が無ければ仕事にならない。傷も、病も、起こらなければいい事が無ければ仕事が出来ない。
 傷付いた彼を、苦しむ彼女を。癒し生かす事は本当に正しいのか。今こうして戦場で救った命もまた戦場の中へと送り返されるのだ。癒さなければ人の不幸は終わるのか。嗚呼けれど。癒さなければ死んでいく人が確実にいるのだ。答えはない。答えなどで無い。けれどだからこそ。
「私は、命に真摯に向き合わないといけない」
 この世界は理想郷だった。余りにも優しい世界。マッチ売りの少女が今際の際に見た優しい夢のように。穏やかでありたい、痛みなど知りたくないと願う儚い夢。微温湯のようだ。けれど、其処に浸かってなど居られない。此処に居れば命の重みを忘れるだろう。死の悲しみを、忘れるだろう。
 それではいけないのだ。葛藤も、苦しみも、哀しみさえも。全て全て自分のものだ。
「……夢のような経験はできましたよ」
 けれどそれではいけないと知っているから。救えないものと救えたものの両方があるからこそ、人は強くなる。手から零れ落ちたものを、無かった事にしてはならない。痛みを知り苦しみ悩んだ先にもう一歩。その足を踏み出し続ける為に。
 癒えなくなった傷を、その手が確りと押さえた。


 眩暈にも似た感覚は一瞬。温度の低い自分の手に触れたのは、握っていた花火では無く、酷く小さな暖かい手。お兄ちゃん、と少女が笑う。自分の名を呼ぶ父の声がする。未だ少しだけぎこちなく、けれど優しく手招きしてくれる義母が居る。
 戻ってきたのか、と。吐き出した息が震えていたのは如何してだろうか。悲しいのか。嬉しいのか。苦しいのか。切ない、のか。形容しがたい感情に僅かに光の欠けた瞳を瞬かせて、けれど手を引かれるままに『it』坂本 ミカサ(BNE000314)は家の中へと進む。
 クーラーの効いた部屋。暑かったでしょう、と笑ってくれる声は優しい。硝子に映る自分の瞳は灰がかって青く。褪せた金の髪が頬を擽る。14年前だ。嗚呼。変えたかった結末は此処にある。『家族』を失くした日。如何しても上手く『家族』になれなかった自分の後悔の、始まりの日。
 今なら変えられるのだ。まだまだうまくは出来ないかもしれないけれど。今の自分ならきっときちんと『家族』になれる。やっていける。一緒に遊ぼう、と手を引く妹の頭を、ぎこちなく撫でてやる。思い出した様にポケットに手をやれば、出てくるのはビーズを繋いだ小さな腕輪。
 可愛い色ばかりだ。綺麗で、鮮やかで。未だ幼く小さな手にぴったりのそれを、優しく手に通してやる。あげる、と告げれば嬉しそうに笑った少女が手を伸ばす。お兄ちゃん。曇りの無い声。その手を振り払ったりもしない。その声にちゃんと耳を傾けてやって、あげた腕輪はきっと彼女が喜ぶだろうからと作ってやったものに出来て。
 きっと。それが、幸福なのだ。母さん、と呼べばきっと義母も父も喜ぶだろう。良い人を見つけた、と言ってやればもっと嬉しそうに笑ってくれるのだろうか。嗚呼。嗚呼、今なら。今ならわかるのだ。如何すればよかったのか。完璧では無くても。今ならきっと、きっともっと上手くやっていける。結末を変えられる。変えられるのだ。
「――もう、嫌なんだ」
 嘯いていた筈だった。悲しくないと。後悔も無いのだと。只、今だけを見て後ろを振り向かず歩いて来た筈だった。けれど、自分の為に、と。差し出された手を、好意を、自分は全てこの手で台無しにしていたのだ。彼らは間違いなく『家族』になろうとしてくれていた。
 それでも、あの日の自分は目を逸らしていた。好意を向けられるのが苦手だった。冷たくする度その内、と。何時か挽回できるだろうと、思っていた。こんなに早くいなくなるだなんて思いもしなかった。そう、今しか見ないだなんて嘘だったのだ。後悔ばかりだった。もう疲れた。目を閉じて、緩々と、開き直した。
 黒。今の自分が纏う色だった。鮮やかな色は残っていなかった。身に着ける気も無かった。全て、義妹にあげたのだ。もう一度、瞬き。僅かにちらつく赤い色。居なくなった母が着ていた色。そして。何より恥ずべき事に人だった自分が最後に見た色。嫌いだった。大嫌いな、色だった。
 きつく目を閉じる。この世界なら無かった事に出来るのだ。何も失わないのだろう。居なくなった赤いいろの代わりにきっと新しい家族と上手くやって。世界は鮮やかに色付いたままなのだろう。ぽつん、と残された黒はいない。痛い思いもしないで済む。嗚呼。なんて幸せなのだろうか。
 けれど。緩やかに、開いた瞳が見つめる手。袖から覗く手首に揺れる、欠けた黒。そして、指先で煌めく銀。自分の過去と、今。その全てが此処にあった。手を翳す。ねえ、と。小さく吐き出した声は震えていた。
「俺は、嘘の中で後悔を払拭したいだけだね」
 結局は自己憐憫だ。望んだのはもしもではない。愚かだった自分を、この胸を満たす後悔を、痛みを、拭い去りたかっただけだ。相変わらずだと低く笑う。けれど。今はもう、それだけでは無いのだと。この手を飾るものが教えてくれる。
 なんでもないもの。残った黒は自分だ。とるにたらないもの。それ、と呼ばれるに相応しいもの。ぽつん、と一人だけ残されて揺れ続ける無彩色に、寄添ういろがある。自分とは違う手のぬくもりを知っている。そうして、みちるものを知っている。
 初めてだ。初めて、心が欲しいと思った。大切なものという言葉の意味を知った。ただ真っ直ぐに自分だけを見る瞳を、嫌いだった筈のそのいろを手放してまで甘えに溺れれば重なるのは安寧では無く後悔だ。そんな事をする程、もう馬鹿では無いから。だから。
 気付けば手元に滑り込んだ刃を確りと握る。これはあの運命の気まぐれが起こった日の再現で。けれど、あの日とは違う。後悔と言う名の自己憐憫に逃げるのではなく、それが自分なのだと受け入れ立ち向かう為の、決別だ。
「……過去と未来を、寄り添う色と見る為に戻るよ」
 もう、自分ばかりの自分とはお別れだ。躊躇い無く振り抜かれた刃と共に、千切れたゴム紐が手首から滑り落ちた。


 後悔がある。もしも。もしもだ、あの日傍に居れば。そんな、どうする事もできない後悔を、拭い去る事ができる。目を開けた世界は、そんな世界だった。
 嗚呼。今日はあの日だ。『虚実之車輪(おっぱいてんし)』シルフィア・イアリティッケ・カレード(BNE001082)は溜息を漏らす。今も記憶に鮮やかな。まだ、こうして方舟のリベリスタを名乗る前の日。自分は、何時ものようにエリューションを倒しに行くのだ。偶然にも先に動いていた方舟のお陰で然程困る事もなく。何時もと同じように、転がり込んだ恋人の家に帰る。その先に、待ち受けているものもよく知らずに。
 力がない事を、嘆いていたのかもしれなかった。知識はあっても力はない。その手でシルフィアを守れないことを、彼は厭うていたのかもしれないのだ。否。そうではない。きっと、厭うていたのだ。だから、彼は。彼は、アザーバイドの手を取ったのだろう。力を得る為に。それが、どんな結末を生むのかも知らずに
 手を握る。覚えていた。ありありと。デートだと誘った公園で、彼を傷つけた感触を。彼の命を、奪い取ったときのその重みを。嗚呼。この過去に戻れるのだ。この過去を、やり直すことがここではできるのだ。見送りの為に、彼が自分を抱き寄せる。唇を重ねて。見つめあった。嗚呼。あの日も彼は何か物言いたげて、けれど、自分はそれを問う事をしなくて、彼は結局なにも、言わなくて。けれど。
「なぁ、シルフィア。今日は一緒にいてくれないか? 俺はお前を失いたくないんだ」
 紡がれたのは聞いた事のない台詞だった。自分の目を見て。彼は、自分を引き留める。失うのが怖いと告げてくれるのだ。戦う者の末路。手の届かない場所で死ぬかもしれない自分を、繋ぎ止めようと手を握って。
「神秘なんて関係ない! 普通に生きて、家庭を作り、子供を作って……そんなありふれた幸せが欲しいんだ……!」
 それは、ある意味で将来を誓い合う言葉のようだった。聞けなかった、この先ももう聞けないはずのプロポーズ。彼はそれを心から望んでいたのだろうか。きっと望んでくれていたのだろう。ありきたりな、誰もが望むような普遍的な幸福を。
 それを夢見なかったと言われれば嘘になる。今だって夢に見るのだ。二人で普通の家庭を築けたらと。けれど。
「それは、不可能だわ」
 答えは、明確だった。望む望まないではなく。それはできないのだ。神秘に触れた以上。運命に愛された以上。そこに選択の余地はない。神秘は優しくない。何時だって悪戯に追い回し果てには命さえも奪うのだ。戦わねばならなかった。力を、得てしまったのなら。その決断はいつかこの身体が戦いのなかで朽ち果てることを意味しているのかもしれないけれど、それでも。変えられなくとも。戻らなくとも。この記憶があるのなら、心までは絶望しない。何があっても。叶わない夢と後悔だけ握って進むしかないのだ。
 何も変わらない。変わらないのだ。例えこの世界から出ても。彼が、もう自分の生きる世界に居ないのだとしても。
「この想いは変わらない。変わらせない」
 さよなら、と。囁いた。優しい未来を約束する言葉に、答えは返さない。もしもはないから。代わりに、もう二度と出来ない口付けをもう一度だけ。其の儘もう振り向かずに、玄関の扉を押し開けた。


 揺らめく火の向こう。見える景色。嗚呼。一歩踏み出せばそこは懐かしい、夢の世界だ。握る竹刀。馴染んだ動きで面を打てば、褒めてくれる父が居た。すごいと瞳を輝かせる妹と一緒に家に戻ればお疲れさまと母が笑ってくれる。とても、とても幸せな日々だった。優しい時間だった。
 武人の家の長男。『家族想いの破壊者』鬼蔭 虎鐵(BNE000034)は、まだ将来を夢見る少年なのだ。その前途は明るく、きっといつかは、家を継いだりして、当たり前の幸福を得るような。
 そうだった。そう、だったのだ。
 あの日、エリューションが家を襲わなければ。
 自分がエリューションに、ならなければ。
 幸福は脆くて。あっと言う間に崩れ去ったそこから逃げ出した。逃げて逃げて辿り着いた剣林。手には何も残っていなかった。否。絶望だけが残っていたのだ。人を切った。斬って斬って殺して殺して何もかもを諦め捨て絶望し只々力だけを求めた。感情も心も人間性も必要ない。只、何もかも壊すだけの力が欲しかった。
 人間というには余りに荒んだ日々だった。けれど、此処では。この自分は。そんな思いをしないで済むのだ。エリューションを倒して、運命にも愛されて。そうすれば何もかもうまく行ったのだ。普通のしあわせは続いたのだ。
 おはよう、と言えば優しく返る声。温かい朝ごはんはとても美味しくて。一緒に行こうと手を引く妹と外に出て、学校へ行って。当たり前に勉強をして、友達と遊ぶのだ。サッカーをしようか。野球だろうか。それとも誰かの家でゲーム? やりたかった。嗚呼、違う。やれるのだ。今、此処でなら。
 幸せ、だった。噛み締める。厳しくも力強い父はきっと大人になった自分の褒めてくれただろう。優しく包んでくれた母は、自分がもし壁に当たってもやはり、優しくこの背を支えてくれたのだろう。べったりと懐いてくれた可愛い可愛い妹もいつかは大人になって、嫁にいったりするのだろうか。兄離れが寂しいだなんて気持ちを味わったりもするのだろうか。それになにより。
 この手は、こんなにも汚れずに済んでいただろう。全てが揃っているのだ。この世界は完璧だ。優しい。幸福だ。暖かい。其処に沈むように笑いかけて、けれど。何処か寒々しい、己の掌を見詰めた。
「……本当に全てが揃っているのか?」
 呟く。何かを忘れてはいやしないか。大事な、大事な何か。酷く頼りなく、小さく、けれど暖かい手。何時も光る携帯のランプ。世界で一番大切な、娘。真っ直ぐな、けれど酷く脆い少女の瞳を思い出す。もしも。自分がこの世界で幸福になるとして。
 その時、彼女はどうなるのだろうか。自分が、こんなにも手を汚した自分が、偶然にも救わなければそのまま死んでいた少女。小さな、小さな、けれど大事な少女。思い出す。耳を澄ませる。声がした。気付けば腰に下がる刀。護ると決めた筈だ。
 この世界は何処までも優しい。暖かい。けれど、この世界に居るのは、いられるのは、もう既に『俺』では無いのだ。この手はもう拭えない程に血に塗れている。聖人君子は気取れない。この世界には戻れない。
 けれど。そんな自分でも。見つけたものがあるのだ。今を生きる自分が、その世界で見つけた、綺麗で、かけがえの無いものが確かにある。手放さない。逃げ出さない。その為の力で、その為の刃だと。今の虎鐵の手にあるそれは、何時だってそうあるべきなのだと。
 そうだ。戻らねば。戻らねばならないのだ。この力を得た過去を帰るのではなく。新しい『家族』の為の破壊者である為に。だから俺は。俺は、
「俺はここを出て……雷音を夏栖斗を迎えなくちゃいけねぇんだよ!」
 引き抜いた刀を振り抜いた。澄んだ硝子が割れる様な音と共に、世界は緩やかに崩れていく。


 久しぶりに手に取る花火が、アーティファクトだなんて。随分と酷い皮肉だと『アヴァルナ』遠野 結唯(BNE003604)は小さく、小さく息を吐き出す。随分と低い目線。遠い世界。始まりの日だった。そして、終わりの日でもあった。
 神秘がこの身に宿った日。自分が、人間では無いのだと知った日。この日、自分は神秘に溢れた争いに巻き込まれるのだ。熾烈を極める戦い。何も知らない自分を巻き込み激しさを増し続けるそれが、結唯に与えたのは本来ならば其処で命を終えるであろう程の致命傷だった。
 けれど。死ななかった。生きていた。血に塗れた少女に与えられたのは、運命の気まぐれだ。愛されてしまったのだ。気まぐれで理不尽な運命とやらに。そうして、自分は人間を止めた。けれど、もしも。もしもだ。
 怪我をしなかったら。そもそも戦いに巻き込まれなければ。自分は只の人間として生きられたのだ。心を壊す事等無く。普通の生活を送った筈だ。神秘とは無縁の生活。親友、と呼べる存在を作って、日々語り合い、学校に通ったりもして。
 恋人も作れただろう。愛し合って、時には喧嘩もしただろうか。その先には結婚という新しい関係があって。家庭を作って。そんな当たり前で、普通の人間ならだれもが得られるような幸福を、得た筈だ。今の自分には到底、得られもしないようなそれを、持っていた筈なのだ。
 この世界はそう言う世界だ。普通だ。自分は只の人間で、ただの女で。当たり前の幸福を持っている。捨てたくはない。本来なら。絶対に捨てたくはないものなのだろう。けれど、もう、自分は神秘を得てしまったのだ。
 もうこの身は化け物だ。人並みの幸福など得られる筈がない。得てはいけないのだ。あの日捨てたのだ。人としての心を。多くを奪い多くを殺し。只の化け物になった自分が今更、今更心の壊れなかった自分に、人間だった自分に戻るなど、出来る筈がないのだ。
 人の道を、踏み外したのだから。そんな自分も、この世界は許してくれる。受け入れてくれる。認めてくれる。欲しいものをくれる。それでも、それでもそれを受け入れる訳にはいかなかった。駄目なのだ。そんな安寧はいらない。認めてはいけない。
「……やらなければならない事がある」
 喰らい尽くすのだ。神秘によって生きたくとも生きられなかった者達の、神秘に抗い心を壊さなかった者達の、自分とは違う非常識で強欲な生への希望を。自分には出来なかったものを持とうとする者を喰らい尽くして血肉に変えねばならない。
 だから戦うのだ。化け物は化け物らしく在らねばならない。そう決めた。そうしてきた。だから受け入れる訳にはいかない。受け入れてはいけないのだ。受け入れれば、足を止めれば、それはそのまま、今まで喰らってきた者を、今まで築いた化け物の自分をすべて否定する事になるのだから。
 そんなの、許されるはずがない。だからこそ。
「何がなんでも戻らねば……」
 それが、目を背けると言う形であろうとも。結唯は何も躊躇う事無く、未だ幸福そうに笑う己が居るであろう場所を薙ぎ払った。


 きらきらと、零れ落ちる火花。緩やかに瞬きを繰り返して。『祈花の導鴉』宇賀神・遥紀(BNE003750)の目の前で笑ったのは、知らない女性だった。否。知らない、なんて事はない。面影がある。
 少年時代。表向きは、ただの養護施設だったあの場所で育った仲間達。一緒に育った、大好きな皆。その中の一人だ。随分綺麗になった、なんて。もう言えない筈の褒め言葉を囁く。
 そう。もう言えないのだ。あの世界は地獄だった優しくなかった非人道的にただモルモットの様に実験にかけられ死んでいく仲間。絶望。悲哀。怨嗟。もう戻らない。奪われて。世界を呪って。それでも生きる希望を得た自分とは違って。
 彼らは、仲間は、もう二度と戻らない筈だった。けれど、此処には残っているのだ。此処にあるのは約束された永遠の幸福だ。満たされるのだ。もしも話が全て本当になる。嗚呼。それはまるで、甘い毒の様じゃないか。
 こうしてみんな生きていて。大人になって。誰かを愛して結ばれて、子供が居たりもするのかもしれない。泣くことも無い。痛みも無い。子供可愛いね、だとか。子育ては大変だ、とか。そんな愚痴のようで、幸福に満ちた言葉をかわせて。
 ああ、と。吐き出した息は震えていた。皆何一つ変わってない。大人になっても。その心は、その仕草は、遥紀の心に色鮮やかに残ったままのそれと何ら変わらないのだ。
 子供を抱えるアヤは、料理がうまかった。泣き虫なところは大人になっても相変わらずなのだろうか? 誰かに聞いてみるのも良いかもしれない。嗚呼、そう言えば彼女に教えてもらった料理は自分が営む店で好評なのだ。ありがとう、と言えば嬉しそうに笑ってくれる。
 そんな彼女を優しく見守るショウタは、乱暴だけど本当は照れ屋なだけで。凄く、凄く優しい奴だった。今だってそうだ。さりげなく皆を手助けして。けれど、褒めれば何もしていないと慌てて首を振るのだろう。思い出した様に首を傾げる。
「……あの頃から、アヤが好きな事、みんなにバレてたよな」
 そんな筈ないだろ、と慌てる姿にまた笑う。バレバレだったよ、と目を細めるイツキも相変わらずだ。頭が良くて、小難しい本も沢山読んでいた彼は大人になってもその知識を生かした仕事をしているのだろう。でも、そんな彼はお化けが怖かったのだ。
 非科学的だ、とか言いながら怯えて、つんとした表情とは裏腹に足が震えて居たりして。想い出話は尽きない。ああ、しあわせだ。みんな、みんな大人になって。幸せそうで。これ以上はきっとないのだ。痛みの無い世界。此の侭が良いと願う気持ちは確かにある。けれど。
「――其れでも、優しいだけの世界なんて何処にも存在しない」
 しないんだよ、と。拳を握り締める。世界は何時だって不条理だ。避ける事の叶わない雨粒の様に降り注いで地面を叩いて。大切なものを跡形も無く奪い去る。何もかも。護ろうとしたものを、ついさっきまで共に笑っていたものを。酷く簡単に。
 安堵は一日の終わりにしかやってこないのだ。嗚呼、今日は何も喪わなくて、本当によかった、と。泣いて、また明日同じ事が出来る様に祈るしか出来やしない。痛みに満ちた世界だ。不条理な世界だ。残酷な世界だ。運命はこれっぽっちも優しくない。
 それでも。そんな中で。傘が無くとも痛くとも苦しくとも此処まで生きてきたからこそ。誰かを想える喜びを、知ったのだ。痛みを分かち合うと言う事も。幸福を共に慈しむ事も。己の手の中で、小さな命が育っていく事も。
 痛みに満ちた世界で見出した愛おしく尊いものはきっとこの世界では見つけられない。その美しさには気付けない。だから。
「俺は、歩いていくよ。……大切な子供達と、綾兎と一緒に」
 その道程の先が、例えどんな形になっても、それでも。共に生きると約束したから。共に生きていきたいと思うから。会えて嬉しかった、と囁いた。優しい世界とはお別れだ。そっと、身に着けたジャケットを握り締める。帰ろう、と囁いた声が光に溶けた。


 深呼吸。緩やかに瞼を開けた『嘘つきピーターパン』冷泉・咲夜(BNE003164)の前で微笑むのは、まだ幼いとしか言いようのない可愛らしい少女だった。ねえ、遊ぼうと。手を差し伸べる。きらきら、舞い落ちる燐光が彼女が普通で無い事を教えてくれて。
 ああ、と。納得した様に目を細める。この身の時を止めた神秘。運命の悪戯を齎したのは、彼女だったのだ。記憶の片隅に残っていたのであろう姿。小さく笑って、その手を取った。
「……何をして遊ぶ?」
「なんでもいいよ! ほら、早く!」
 ぐいぐいと力一杯此方の手を引く少女に笑って、隣に座らせて。なら物語でも読もうかと、童話集を開いた。運命の悪戯。それによって得た力は決していいものであったとは言えなかった。成長しなくなった自分。その皺寄せを受けた妹は、自分を心の底から恨んでいる。
 自分にとっては大切で愛しくて。けれど、違えてしまった道は繋がらない。彼女の大好きだった童話集をゆっくりと読み聞かせてゆく時間はあっという間。だから、そっと。本を閉じて少女と見つめ合った。遠いあの日も、自分はこの時間を大切なものだと思ったのだ。
 シンデレラは帰らないと、なんて笑っても、少女はそれに頷かない。手を掴むのだ。またおいていくの、と。あの日のように。此処でならずっと一緒に居られるのに、と。あの日は置いて行った。では置いて行かなければどうなったのか。その先は分からない。彼女と出会わない方が良かったのかと言われれば、そうではない。変えたい訳では無かった。この想い出をもう一度見たかったのだ。
 そっと、煌めく髪を撫でる。ごめんね、と囁いた声は小さかった。そう。変えたいのではなくて。想い出をもう一度見たくて。見られたなら、伝えたい事があった。あの日、言えなかった事があった。
「キミと逢えてよかった。何度やり直せるといわれても、なかったことには出来ない位に……この出会いは僕に必要だった」
 それなら、と。手を伸ばす少女に首を振る。妹を思い出させる泣き顔。此の侭此処に残りたいと、思わない訳では無かった。この出会いがあったから、神秘と自分の縁は結ばれた。それは決して悪い事ばかりでは無かったのだ。失ったものは多く、けれど得たものはその倍だ。時を止めた身体も決して疎ましくは無かった。
 そう。そうやって得たものがあって。得たものを、大事にしたい。自分の名前を呼ぶ声を思い出した。迎えに、行かなくてはいけないのだ。そんな彼に、少女は頬を膨らませる。ずるい、と。如何して自分は置いて行くのか、と。
 それには答えない。最後だ、と確りと抱き締めた。 
「――幸せな一時をありがとうじゃ」
 願わくば彼女も幸福であるように。そんな願いにも似た声に、けれど少女は首を縦には振らない。やだやだ、と駄々を捏ねるのだ。帰らなくたって、迎えに行けるのに。この世界は望む世界だ。望んだとおりになる世界だ。何が問題があるのだろう。痛みは無く、けれど神秘には愛され、それを与えてくれた少女は共にいる。何にも問題無い。上手く行く。優しい世界だ。幸福だ。じゃあどうして帰ると言うのか。
 少女が囁く。手は離れない。帰れない。困った様に、息をついた。何とか帰るつもりだったのだけれど。仕方が無い、と目を閉じれば、運命の残滓が淡く燃え飛ぶのを感じた。


 じっとりと汗がにじむような熱帯夜。夜風は纏わりつく様な重さを持っていて。『幸せの青い雛鳥』天風・亘(BNE001105)の頬を撫でていく。今より随分と小さな身体。6年前。自分の育ての親が、自分の為に死んだ日。その日に、戻ってきたのだ。
 彼女は自分を育てて、自分を救ってくれて、自分が、運命の寵愛を得るきっかけを齎してくれた人で。嗚呼、目に焼き付いて離れない程に覚えている。リベリスタとして戦う彼女の姿を。一般人を護る姿はその日も格好良く。
 けれど。傷付いて倒れた自分を見た途端、戦い続けたその手は止まったのだ。振り下ろされる刃は亘に向かっていて。弾くには間に合うはずも無く。けれど、痛みはやってこなかった。代わりに降り注いだ血の紅さ。致命傷でも倒れない彼女が、ぶつり、と。世界から切り離されるのを間近で感じた。
 ノーフェイス。運命に背を向けられ、世界に爪弾きにされたもの。よくある話だ。神秘は何時だって不条理だ。世界は何時だって優しくない。世界の為に、誰かのためにと戦っていた人間を容易く異分子として弾き出す。敵はいなくなって。けれど、もう日常には戻れない彼女は。何処までも普通でけれどもう世界が拒む彼女は。
 自分に、願ったのだ。
「――誰かから幸せを奪う前にお前が私を殺してくれ」
 耳から離れない。戸惑いと、絶望と。本当ならそうなるのは自分の筈だったのにと。後悔と力の無さを呪って。それでも出来る事などその気持ちに添うしか無く。溢れる涙を拭う事も出来ずに泣きながら心臓を穿った時、彼女は確かに笑ったのだ。酷く優しく。まるで、息子の成長を喜ぶかのように。
 その時に、亘は誓ったのだ。もう誰も失わせないと。強くなって、皆を幸せにするのだと。誰よりも早く誰かの為に幸福を運ぶ蒼い翼。その決意は今だって胸にある。でも、もしも。もしもだ。過去が変わるなら。変えられるのなら。血を吐くような苦しみも絶望も何も無く、其処にあるのはハッピーエンドだ。
 肩を並べて、フィクサードを倒して。共に生き抜いて。時には褒めて貰って、時にはまだまだだと笑われて。怒られる事もあるだろう。それでも、それが欲しいのだ。それが良い。そうなりたい。
 一緒にまた過ごせますね、と。喜べばいいのだ。全てが思い通りに進む世界が開ける。目の前にそれが差し出されている。それでいいじゃないか。彼女が呼ぶ。早く来いと。駆け寄って。頭に乗せられる手の温度は記憶と何も変わらない。
「おぅ、やる様になったじゃねーか!」
 荒々しく髪を掻きまわす手。けれど、見上げた彼女の表情は喜びと――何処か、哀しみを湛えているのだ。嗚呼。都合のいい世界だから。自分の望む彼女はこうなのだろう。彼女は彼女らしく、この世界をきっと望まないのだ。甘ったるいばかりの、微温湯の様な幸福の世界なんてものはきっと。
 分かっていたのに縋ってしまった。もう一度会いたかった。褒められて、大きくなったなと言われて、しっかりやれよと、背を押されたかったのだ。首を振る。
 揺らぐな。自分の道はもう決まっている。否定する過去なんて一つもない。今までもこれからも変わらない。
「誰かと大切な人、自分の幸せな未来を築くべく全力を尽くすと。……そう、決めたんです」
 ごめんなさい、と囁いた。気高い彼女を侮辱するような願いだった。そして、今まで貫いたはずの道を、全て無かった事にしてしまう様な願いだったのだ。それではいけない。迷わずに進まなければならない。けれど、そんな声にも彼女は嬉しそうには笑ってくれないから。
「……ありがとうございます」
 弱い自分の心。自覚したのならば、改めて覚悟を決めよう。信念を固めよう。そして、確りとこの胸に刻むのだ。彼女が誇れるような、自分である為に。手に馴染んだ刃を振り上げる。
 其の儘躊躇い無く、脈打つ心臓へと刃を突き立てて。其の儘、視界はぐらりと、暗転。


 何時から子供で居られなくなったのか。姿かたちは今だって愛らしく美しい少女の儘なのに。『逆月ギニョール』エレオノーラ・カムィシンスキー(BNE002203)は、僅かに、その瞳を伏せる。金の睫毛が落とす影。
 それでも子供のように。子供らしく。お星さまは甘くておいしそう、だとか。可愛らしい言葉を、嘘を、嬉々として囀った理由。口には出さなかった、本当の理由。一度だけ、瞬きした。目の前で笑ってくれる父と母。見上げた。如何したの、と呼んでくれる。
「――捨てられたく無かっただけって言ったら、笑う?」
 愛らしい子供でなければと思っていたのだ。あのころ、『私』の世界には、父と母しか居なかったのだから。若い頃の自分にそっくりだ、と。少女の振舞いを、話し方を。そして、大切な言葉を教えてくれた母。厳しかったけれど、愛してもくれた父。兎のお人形。丁寧な言葉遣い。優しく幸せな誕生日。
 それで世界は回っていた。それで世界は完結していた。その世界が崩れる事なんて、考えたくも無かったのだ。もう一度瞬きする。例えばの話。過去が変えられるこの世界でなら、本当に出来るもしもの話。
 人生が狂ってしまった『あの』日の前日。――しばらく留守にするから別荘の犬世話してね、だなんて。送られてきた手紙をもしも無視して、会いに行っていたなら。自分そっくりの顔の、母と一緒に死ねたのかもしれなかった。
 今は無かったのかもしれなかった。嗚呼。母は嘘つきだった。あの日の手紙は嘘だった。大切な人には嘘をついては駄目、なんて言ったのに。戻って来させてもくれなかった。
「……一緒なら、それでもよかった」
 そんなもしも。嗚呼、願えるのならばもう一つ。厳しくも、自分を愛してくれた父。彼が、母と結婚した理由も、自分を愛して、可愛がって、こうして育ててくれた理由も、もしも全て命令だったからだと気付いていたなら。
「私は、……貴方を哀れと思えど憎まずに済んだのかもしれない」
 彼なら生きているのかもしれないけれど。分からない、答えはもうない。自分は帰れない。だから。緩やかに瞬きを繰り返す。ああ。もしも。もしもだ。これこそ本当のもしも。この世界でしか起こってくれない、奇跡にも似たもしも。
 二人が、平和な国で幸せな結婚をして。単純に、望まれて、祝福されて、自分が生まれていたなら。この背に、こんな翼なんて無ければ。運命の気まぐれも世界の情勢も何の関係も無くただの普通の家族であったなら。
 嘘なんて吐かなくても生きていける、平凡な人生をきっと過ごせるのだ。今、こうして自分の目の前で幸福そうに笑ってくれる両親の手を取るのなら。それをもう一度最初からやり直す事だってできるのだ。手を伸ばしかけて。けれど、くすりと笑った。
「貴方達じゃ今の『あたし』は居ない。だからやり直しなんてしないし、要らない」
 何時だって言い続けている事だ。思い続けている事だ。己の意志による選択は尊い。自分で選ぶのだ。そうしてきた。何度も何十年も選び続けて選んで選んで、それを信じて、漸く、今に、此処に辿り着いたのだ。
「今とても幸せよ。やり直した世界がどんなに幸せでも、また此処に来ちゃう」
 痛みがあるだろう。あっただろう。覚えた感情は折重なって。歳月は記憶を遠ざけても消してはくれない。けれど、それでも良い。目を細める。捨てられたくなかったのだ。愛らしい子供の振りをする程に。そこまでして。護りたい世界だった。子供らしく在ろうとして子供らしさを捨ててしまう位には。
 今は違う。今は、捨てたくないものがあるのだ。捨てたくない子が、今の世界にはちゃんといる。
「だから、帰らなきゃ。……ありがとう、愛してる」
 破りたくない約束だってたくさんある。大切な人に嘘は吐かないのだと、教えてくれたのは母だった。笑う。まるで少女のように。けれど、不釣り合いなほどに大人びて、けれど何処か幸福そうに。
「……さよなら」
 もしもはもう起きないけれど。それでもいいのだと、小さな靴が踵を返す。


 燃える火の向こうに見る世界は、『原罪の蛇』イスカリオテ・ディ・カリオストロ(BNE001224)にとっては幸福などでは無かった。
 奪われて来たのだ。
 汝の隣人を愛せよと自分に教えた両親は祖国に奪われた。幼い弟妹は、父母が命懸けで守ろうとしたはずの人間たちに吊るされたのだ。偶然にも神秘の適性を持っていた自分はそのまま国の研究機関に売られ。貌を身体を心を、遂に命を侵される直前漸く逃げだした。
 其処に神は居なかった。
 神は、居なかったのだ。
 何が汝の隣人を愛せよだ。求める者には与え、借りようとする者を断るなだなんて平和な場所だから言える事だ。頬を差し出せば殴られる。人間等そう言う生き物だ。そんな世界だ。不条理だ。理不尽だ。祈ろうと願おうと救いなど無い。無意味だ。偶像だ。救ってくれないものなど居ないのと何の違いがあると言うのだろうか。
 神が居ないのならヒーローをと願ってもそんなものもいないのだ。神秘を、目の前の敵を、それに襲われる哀れな人々を。其ればかり見て手一杯なセイギノミカタ達は、ただの人間の殺し合いに手など差し伸べてはくれなかった。力ある者と無い者の差は生死を分かつほどに歴然としていた。
 抗おうと伸ばされた手を踏みつけられるのがこの世界だ。縋ろうとしたものを蹴り落とすのがこの世界だ。搾取される人間はどれだけ嘆こうと死ぬまで搾取され、奪い取るものは決して消えない。力が無いのなら呼吸をすることさえ許されないのだ。それが世界だった。そう言うものだった。救われないのならば足掻けと言われようと足掻くには力が無く。
 ならば、ならば力無きこの身が罪だとでも言うのだろうか。抗えないものが悪いと笑うのはやはり力がある者で。けれどそれを世界は止めてくれやしない。
 選択肢など無いのだ。絶望絶望絶望絶望その暇等無かった。選ぶ手を差し込む隙間は無かった。嗚呼。記憶は優しい。想い出は美しい。絵空事だ。幸福な人間の言う事だ。幸福を知るから言える事だ。思い返すだけのやさしい記憶があるから言えるのだ。嗚呼。嗚呼全く理解出来やしない。自分にとっての其処は、何時も同じ、今も同じ地獄なのだ。
 だからもしも。もしも過去をやり直せると言うのならば。
「……願わくば、私の観測する世界全てに安らかな終わりを」
 愛など忘れてしまったのだ。とうの昔に。アガペーなんてものは持っているだけ無駄だった。そんなものは自分を救ってはくれなかった。けれどそれでも。だからこそどうか。主が愛す人の可能性をこの目に見せて欲しいのだ。
 全てを、全て、何もかも、その過程と結末の全てを。生まれて生きて生きて死に絶えるまでの全てを。作られ壊れゆくまでの全てを。始まりと終わりを、その過程を何もかも。愛だの祈りだの願いだのそう言う名前のものの可能性を。不条理と理不尽ばかりで力なきものが死に絶えていくばかりでそれに見向きもせずに進んでいくばかりの世界の中でも。
 それでも、そんな世界でも、救いは何処かにあるのだという、その証明をして欲しい。見せて欲しい。地べたを這いつくばって泣く幼子が踏みつけられるのではなく優しく抱き上げられ救われるような。それが、この世界にもあるのだと。それが出来ないのならば、この地獄の終焉を。どうか。
 瞬きをする。救われる子供。平和な世界。祈れば救われる。嘆けば手が差し伸べられる。見たかったはずの世界だ。人には可能性があり。悲しむ者は必ず救われ、神も、正義の味方も存在する世界。それを見回して。けれど、何の感慨も覚えず、首を振った。
 分かっていた事だ。こんな世界を見ても。例えば、この世界が終わってくれるのだとしても。それでも、その果てで自分は思うのだ。至極当たり前に。
「――この世界(じごく)がこれ程都合良く終わる筈が無い」
 くすり、と笑った。結局救われないのだ。自分は。そんな事は有り得ないと誰より自分が心の底から思っているのだから。だが、それでいいのだ。
 救いは無い。神は居ない。きっと、自分は絶望したいのだ。まるで聖職者の様に。祈るように天を見上げた。そう。必要ないのだ。救いも、神も。そうでなければならない。世界は正しく無慈悲に平等であるのだと。それを確かめぬままに死ぬ事等出来ない。そうでなければ報われない。心の底から欲しいと願っていたものが存在したとして。ならばどうしてそれが自分の下には無いのかと嘆くのは人の常だ。
 だから、必要ない。絶望したい。これでは足りないのだ。父の母の弟の妹の私の手を取り生きたいと願った全ての者達に報いられない。足りない足りないまるで足りない。もっと暗い絶望を。救えない世界を。無慈悲な運命の気まぐれを確りを目に焼き付けて結局人に可能性など無く神は居ないのだと知らなくては。
 この程度の悪夢では、餓えは満たされない。
「さあ、神秘探求を続けましょう」
 随分と馴染んだ台詞を唇に乗せた。さあ、もっともっと理不尽で歪んだ神秘の深淵を、この目に見せてくれ!
 かつん、と。歩き出す足につられて、カソックが揺れた。

■シナリオ結果■
成功
■あとがき■
お疲れ様でした。
お返しが遅くなって申し訳ありません。

素敵なプレイングばかりでした。
目いっぱい書かせてもらいました。有難う御座います。
ご満足頂ければ幸いです。
MVPは最も惹かれたプレイングに。想定外でした。素晴らしい心情だったと思います。

ご参加有難う御座いました。
今後ともどうぞ、宜しくお願い致します。