●『ハッピールーマー』第72番 インターネット上にある動画がアップロードされた。 それは四畳半の部屋を茶色いワンピースの女がぐるぐると歩き回っているという5分程度の内容であり、最後には女がカメラの方へとやってきて映像を止めるというものだった。 たちまち動画は話題となり、ネット掲示板で場所や人物の特定が始まった。 意外なことに特定はすぐに済み、窓から見える建物や部屋の状況から都内のあるアパートだということが判明した。 勇気ある探求者が事実を確認するべく部屋の大家に確認をとると、確かにその部屋はあり、人も住んでいたという。 ただし入居者は独身男性で、入居の翌日に首を吊って自殺しており、それ以外誰も部屋には入っていないとのこと。 あの女は誰だったのだろうか。 ●集めたら死ぬ噂 ある女が喫茶店の片隅に座っていた。 熱心に小型のノートパソコンをタイプしている様子には鬼気迫るものがあったが、表情はどこか安らかなものだった。 記述内容はこうである。 『集めたら死ぬ噂』について。 ここ一ヶ月以内に100人の自殺者が現われた。 年間自殺者三万人の日本においてこの程度の数字はもはや誤差のようなものだが、肝心なのはその内容である。 ある者は自宅に火をつけたあと3時間にわたって居間の座布団に正座し続けて焼死。 ある者は金魚の水槽に顔を入れたまま微動だにせず溺死。 ある者はレースカーテンを無理矢理首に巻き付けて窒息死。 ある者はまち針を87本も飲み続けて失血死。 ある者は自力でジャッキハンドルを回し続け胸部の圧死。 どれも明確な自意識と強い自主性、そして物理的には可能でありながら精神的にはまず不可能な方法による自殺であった。自分自身を殺害する、言ってみれば『自殺害』事件である。 これらの自殺者たちに共通点は無く、住む地域や年齢性別、職種や出身地などほぼ無関係だが、世にはまだ知られていない共通点がひとつだけ存在している。 それは彼らの所有するノートやパソコン、携帯電話などに保存されている『噂話』である。 テキストデータなどで保存されたそれは一様に『ハッピールーマー』と題され、内容は奇妙な噂話であった。 現物は手に入れることができなかったが、すべてにナンバリングされ1から100まで存在しているとされている。なぜ『されている』と表現できるのか。 それは全ての噂話がインターネット上に存在しているからである。 まとめたサイトなどはないが、ネット上の掲示板にアトランダムに書き込まれており、それらを収集、編集した結果全てのナンバーを保存できたものと思われる。 すでにアンダーグランド掲示板には『集めると死ぬ噂』として注目が集まっており、さらなるコンプリート者が現われる可能性は高い。 それらの噂をコピーアンドペーストして別の掲示板に貼り付ける者も多く現われるようになり、このままミーム化すればコンプリート者の増加はさらなる加速を見せることになるだろう。 噂のコンプリートと奇妙な自殺が直接的関係を持たないことを祈るばかりである。 「……と」 女は最後にエンターキーを叩いてからテキストファイルを閉じた。 ポケットから煙草を出し、ライターで火をつける。 「今回の記事はこんなものかしらね。ホント好奇心旺盛な人ばかりで仕事がしやすいわ」 凝り固まった肩をぐるぐると回し、首をかたむけてこきりと慣らす。 そこまでやってから、ふと画面の異変に気づいた。 いや、画面ではない。 ディスプレイ保護ガラスに反射した、自分の姿……の、更に後ろである。 肩越しに画面を覗き込む子供の姿が見えたのだ。 外見年齢は八歳程度だろうか。慌てて振り返る。 ベレー帽にチェックのシャツ。膝が見える丈のジーンズに、スニーカー。 にっこりと笑った彼は、女の喉元をぐしゃりと握りつぶした。それも、機械でできた義手でだ。 「よく集めたね。『噂を集めた人の情報を集める』段階まで、ようやく来たってことかな。でもまだ時期が早いんだ」 血の色をした泡を吐き、女はぱくぱくと口を動かした。 視線を動かすと、喫茶店の主人の生首がコーヒーをいれる機械に乗っているのが見えた。 「ちょっと、死んでいてもらえるかな」 べぎゅん、という奇妙な音と共に、女の首は引き抜かれた。 ●『ハッピーチャイルド』というフィクサード 『リンク・カレイド』真白イヴ(nBNE000001)の説明を、端的にまとめるならばこうだ。 あるフィクサードが多くの人間を心理的に操作し、自殺においやるという事件が多発した。 自殺死体は一部アンデッドと化し、彼に回収されているという。 その数なんと25体。 これ以上の活動を許せば、新たな犠牲者が出ることは確実である。 何としても彼を直接押さえ、殺害せねばならない。 ……そこまで聞いて、あるリベリスタが首をひねった。 前にほぼ同じような事件を聞いたことがある。それこそ、同一の事件と言っても差し支えないようなものをだ。 こくんと頷くイヴ。 「フィクサードの名前は『ハッピーチャイルド』。自称だそうよ」 ここへきて確定した。 だがおかしなこともある。 以前に発生した事件では元凶の(それも同名の)フィクサードは死亡したのだ。死者がそう復活することはない。 ならば他人ということになるのだが、イヴは眉をゆがめてこう言った。 「気になるとは思うけど、その『ハッピーチャイルド』と今回のフィクサードは赤の他人よ。深く調べてみたけど接点は全くないし、偶然の一致としか言いようが無いわね」 偶然の一致。 名称と、事件の、偶然なる一致である。 「ついでに『集めたら死ぬ噂』を一部見つけて検証してみたけど、神秘性はおろか魔術に関する要素すら無かったわ、ただのテキストよ。流石に全部集めるのは労力がかかりすぎるし、危険だから手を出していないけれど、その先で調べるのは筋が違いそうね」 などと、これはあくまで余談である。 「フィクサードがどんな人物かなんて、どうでもいいの。噂話の真相もね。重要なのはフィクサードが存在していて、アンデッドを集めているということ」 彼の潜伏先は廃棄地下道だという。 工事中に破棄された地下の道路で、あるマンホールから侵入できるという。 「どうやら電気は通っているみたいで、照明もちゃんとある。奥までの一本道になっていて、途中に25体のアンデッドがばらばらに配置されているようなの。フィクサードは一番奥に部屋を作って潜伏しているみたいね。といっても、ノートパソコンとベッドくらいしかないようだけれど」 これだけなら身長に潰していけば追い詰められる。 だが潜入したことは(後述する理由から)相手に気づかれてしまうだろうし、アンデッドそのものが壁になる。速攻で倒して奥まで進まねば、何らかの抜け道から逃げられてしまう可能性があった。 時間の勝負ということである。 「フィクサードさえ潰してしまえばこの活動を止めることができるはずよ。少なくとも、アンデッドの回収はできないでしょうね。だから、どうかよろしく」 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:八重紅友禅 | ||||
■難易度:EASY | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年08月05日(月)22:38 |
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■メイン参加者 9人■ | |||||
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●ハッピールーマー33番『Give me wings』 音楽の教科書にも載っているほど有名な曲が自殺をほのめかしていて、歌ってしまうと自殺者と同じ気持ちになってしまうという。 もちろんそんな事実はない。 だが一部だけを別の歌詞に置き換えたものが公式に存在し、それは世の闇に沈んだまま現存していないという。 言霊は全て組み合わせたときに効果を発する。 伏せられた歌詞で歌った時、何が起こるのだろうか。 ●『ハッピーチャイルド』と『考えてはいけない概念』――A面 天井隅両サイドから小型LEDランプで照らされた地下水道はボックス型コンクリートを基礎建材とした高さ3m前後のうねり道であった。 そんな中を左右に伸びた影がゆらゆらとうごめき、時として爆ぜた。 影が爆ぜるたびに跳ねるように飛ぶものがあり、時折彼らは身を翻しては影どもを散らしていた。 爆ぜたものが死体だとわかるのは、更にはそれが常世ならざるものだと理解できるのは、彼ら神秘に介在した者のみである。 急ぐ必要がありますので。 『必殺特殊清掃人』鹿毛・E・ロウ(BNE004035)はそう述べると、二体ほど串刺しにしたアンデッドをそれこを串焼き肉を外すように腕で突ついて抜き捨て、とぷんと天井に吸い込まれていった。めり込んだのでもなくえぐり込んだのでもなく、いわば透き込んだ状態である。 便利そうでいいわね。 『K2』小雪・綺沙羅(BNE003284)は不機嫌そうにぼやくと、自らの腰に飛びついてきたアンデッドの口に閃光手榴弾をねじ込んだ。ピンを抜いて蹴り落とす。 頭ごと爆ぜたアンデッドを中心に、周囲の有象無象がわらわらとあえいだ。 アンデッドたちがオモチャの兵隊のごとくお行儀良く行進してくれていたなら頭上をすり抜けるも困難ではなかったが、真上にくるたび腕を伸ばして飛びついてくるので鬱陶しいといったらない。 そうこうしているうちに綺沙羅の髪を鷲づかみにする者が現われた。引っ張られるようにアンデッドの群れに突っ込む綺沙羅。 『ならず』曳馬野・涼子(BNE003471)は舌打ちすると、同じ高さまで下りアンデッドの一人を銃のグリップで殴りつけた。殴られた肩が抜けて飛び、後方の者へぶつかる。腕ごと離脱する綺沙羅。 それを確認すると、涼子は背後から羽交い締めにしようとしたアンデッドに鷹の爪のごとき眼孔えぐりを繰り出した。ダメージを与えるため、というよりは『持ちやすくするため』が相応しい。なぜなら彼女はアンデッドの頭をボーリングのボールの如く握り込み、乱暴にぐるんとぶん回したのだ。 周囲のアンデッドがばたばたと千切れ飛ぶ。微妙に死角になる方向へと銃を向け射撃。即座に銃身を折って薬莢を排出、腰の眼球液でどろついた指で新たに弾込めをすると、前方のアンデッドに零距離で弾を打ち込みつつ綺沙羅動揺あらかじめ加護で貰っていた翼で飛翔。ドミノ倒しになる敵の上を滑るように飛んだ。 絶好の隙である。 エイプリル・バリントン(BNE004611)と『永遠を旅する人』イメンティ・ローズ(BNE004622)は亮子に寄り添うようにして的の群れを突っ切った。九十度のカーブで足をつきながら駆けるようにカーブ。前方に新たなグループを見つけた。 敵とて本来ならここで身体をすくませたたらを踏むところだが、アンデッドに恐怖はない。ネコのように四つん這いになると、それこそネコのように飛びかかった。 ……が、先頭の一体が空中で不自然にのけぞる。 のけぞって、頭部内容物を一斉にまき散らした。『焦げ付いたポップコーンが天井に跳ねた』と表現して伝わるだろうか。 そんな中を顔だけ庇いながら突っ切るイメンティたち。途中でエイプリルがフライドチキン型の投擲弾を後ろ手に放り、獲物を取り逃して振り向いたアンデッド達に不意打ちの閃光を食らわせた。 目を覆って呻くアンデッドたちがアトランダムに爆ぜる。むろん閃光弾の効果ではない。閃光の中をまっすぐに抜ける『ラック・アンラック』禍原 福松(BNE003517)による銃撃である。 彼は一旦敵グループを直線機動で抜けると前後反転して更に射撃。追いすがろうとするアンデッドを片っ端からはじき飛ばした。 途中、頭が誰かにぶつかる。敵かと振り返った福松だが、相手は『変態紳士-紳士=』廿楽 恭弥(BNE004565)だった。 振り向きぱちんとウィンクする恭弥。彼の先には、天井のコンクリートに指の骨を突き刺したぶら下がったアンデッドがあった。 恭弥はまるでポケットからハンカチーフを出すかのように白い布を引き出すと、友の別れのごとく振った。すると布は複雑怪奇に伸び広がり、たちまちアンデッドの腕と首へ巻き付いた。 片眉を上げる恭弥。 途端に布を伝って瘴気が伝播し、更に向こうのアンデッドまで巻き込んで奇妙に歪み、ねじ曲げていく。 一度だけ目を合わせ、敵の上を飛び抜けていく恭弥と福松。 が、すぐにブレーキをかけることになった。 つい鼻先を細いブレードワイヤーが通過したからだ。 ライトの光で僅かに照ったワイヤーは数えきれぬ程の弧を描き、その中心には『ピジョンブラッド』ロアン・シュヴァイヤー(BNE003963)があった。 少し待っていてね。 いい子だからと言わんばかりに、立てた人差し指を口に当てるロアン。 指が口から離れた時には、彼の周囲でうごめいていたアンデッドは残らず分解されていた。 人型の粘土細工へ子供がめちゃくちゃに包丁を下ろしたような、それでいて全ての断面が曲線でできている、不思議な解体物である。 更に不思議なことに、ロアンは牧師が赤い絨毯を歩くようにリラックスした、しかし厳かな足取りで歩き始め、彼を阻もうとする全てのアンデッドたちが近寄ったそばから分解されているのだ。 だが何より不思議なのは、ロアンが最初から最後まで、ずっと天井を歩いていたことである。 髪が相対的に上がりっぱなしになっていたのが滑稽だったのか、ロアンは世にもおかしそうに笑った。 そうこうしているうちに、彼らは目的地へとたどり着いた。 予定よりずっと早く。 ノートパソコンを膝に置き、パイプベッドに腰掛ける少年、『ハッピーチャイルド』。 彼の目の前を、奇妙なものが横切った。 正確に述べるなら、部屋の入り口付近で閃光による爆発があったと思ったら、天井を擦るようにして『BBA』葉月・綾乃(BNE003850)が部屋へ滑り込み、やがては天井をごろごろと転がりながら反対側の壁へと激突したのだ。 が、壁には足からぶつかっていたようで、まるでコウモリか何かが間違って部屋へ飛び込んだかのような、複雑な体勢のまま『ハッピーチャイルド』の方を見た。 直後、脳内をバイパスするような感覚に見舞われる。リーディングが始まったのだ。 一旦遅れて部屋へ飛び込んでくる綺沙羅や亮子たち。 逃がさないよ、フィクサード! 年端もいかぬ少女でありながら、エイプリルは勇ましく『ハッピーチャイルド』を指さした。 彼女と同時に地面でブレーキをかけつつ、背中合わせになったイメンティが手元からフィアキィを投射。勢いをつけたフィアキィは彼女らを追って部屋へ飛び込もうとしたアンデッドたちの中心へすべりこみ、周囲を瞬間凍結。 なにゆえねむれぬのですかねー。と、どこか鉛のあるぼんやりとした口調でぼやくイメンティ。目尻や眉は垂れていたが、哀れみととるには少し残酷すぎた。 なぜならアンデッドたちは次の瞬間、天井からどぽんと透け落ちてきたロウによってなで切りにされたからである。 ぱちんと刀を納めるロウ。それぞれ綺麗に二等分されたアンデッドたちが崩れ落ち、落下の衝撃によって粉々に砕け散る。 ロウはてくてくと歩み寄り――いや、彼が三歩目を踏む頃には『ハッピーチャイルド』の真後ろに立っており、彼の腕は肘から先が無くなっていた。 機械の腕である。取れて痛みがあるかは分からないが、なんとも涼しげな顔である。 帽子のつばをつまむロウ。 亮子と福松はそれぞれ『ハッピーチャイルド』のサイドを囲み、銃を構えて行く手を遮った。 同じく手を翳して囲いの陣を固める綺沙羅たち。 また会ったね。 それとも初めましてか? 一回死んだくらいじゃ懲りないの? そんな彼らの問いかけに、『ハッピーチャイルド』は肩をすくめて笑った。 『なんのことかわからない』とおかしそうに言ってだ。 フィアキィを手元に戻して振り返るイメンティ。 コティングリー妖精写真の如き曖昧さで、彼女は翳した手をにぎにぎとやった。 独特の訛りでなにゆえ不幸を蒔くとですかと問いかけた。 そしてちらりと綾乃へ目をやる。綾乃はじっと『ハッピーチャイルド』の顔を凝視し続けていた。リーディングが続いているはずだ。ペルソナも無い以上嘘はつけまい。 同じように彼女を横目に見た恭弥は、畳んだ布を手のひらにのせたまま問いかけを続けた。 本当のお名前は? 組織的な行動ですか? 噂を集める人の噂を集める時期とは? 最後に冗談の顔で可愛い女の子をと述べた所で、『ハッピーチャイルド』はまたも肩をすくめ、『なんのことかわからない』と言った。 どうせ読めているならあえて述べる必要もないということかとため息をついたとき、ロアンが悠然と歩き始めた。 懺悔の時間だよ。言い残すことは? 最後の問いである。 『ハッピーチャイルド』は同じように肩をすくめ、同じように述べた。 目を細めるロアン。 彼は断罪のように手を翳し、断罪のように手を下ろした。 『ハッピーチャイルド』は上下左右に16分割され、シーツすら敷かれていないパイプベッドに散らばった。 そして――『彼女』は動き始めた。 ●ハッピールーマー66番『不老不死実験』 第二次世界大戦中のソ連で行なわれた研究の中に、高い知能を持った人間の『知能だけ』を不老不死とする実験があった。 それは本人の脳を電子情報化し、エンコードしたのち別人の脳にインプットするというもので、当時密かに存在していた量子コンピューターで一度は実現し、数学者の情報をインプットされた被験者は本人が聞いたことも無い高度な数学式をすらすらと黒板に書き始めたという。 だがその翌日に彼は精神に異常をきたして自殺。死後に解剖したところ、なぜか彼の頭蓋骨には脳がかけらも残っておらず、代わりに頭蓋骨の内側へびっしりと例の数学式が書き込まれていた。 ●『ハッピーチャイルド』と『考えてはいけない概念』――B面 「随分とあっけなく死ぬんですねえ。前の人とやらはもっと抵抗したんじゃありません?」 部屋掃除の仕事に来たら玄関だけ掃いて帰らされた掃除夫のような、ありていに言うと拍子抜けした顔でロウはぼやいた。未だに天井付近でホバリングしたままの綾乃へ振り返る。 「それで、リーディングの結果は出ました?」 「……」 「葉月さん?」 「『考えてはいけないよ』」 重力に従って垂れた長い髪で、綾乃の目元は隠れている。 奇妙に乾いた唇と、血色の衰えた首筋がやけになまめかしく、しきりに息を吸い込んではたまのように汗を浮かべていた。ぽたぽたと顎や鼻から汗が落ちる。だがその割には手首や足に発汗はなく、逆に極度の冷えでもおこしたかのように静脈が浮き上がっていた。 ごしゃりと地面に落ちる綾乃。 そう、ごしゃりだ。天井で飛行をやめ、膝と頭だけで地面に落ちたのだ。 ぼさぼさに乱れた髪の間から血を流し、ゆっくりと上半身を起こす。 「綾乃さ――」 「考えたくない! いや! 嫌だ! 嫌ああああああああああっ、あ゛っ! あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」 綾乃は髪が千切れるほどに自らの頭をめちゃくちゃにむしると、リベリスタの力までつかって自らの額をコンクリートの地面に叩き付けた。 一度では無い、何度もである。 「と、とめろ! 誰か――!」 「ん」 今度こそ額を、もしくは脳をかち割るつもりで振り上げていた綾乃の頭髪を右手でわしづかみにするロアン。 「ごめん、ちょっと痛いよ」 首に太めのワイヤーを巻き付けて血を止めると、後頭部に強烈な膝蹴りを入れた。 白目をむいて気絶する綾乃。 「どうしちゃったとですかー? 頭が『わー』ってなっとですかー?」 気絶した綾乃の眼前で手をぱたぱたと振るイメンティ。 指をくわえて振り向くと、綺沙羅がごく淡々と『ハッピーチャイルド』のノートパソコンをいじっていた。 「読んだっていうより『読まされた』んでしょ。この部屋に飛び込んでリーディングをかけたその瞬間から二人は脳内で死闘を繰り広げてたのよ。ハッカーとシステムエンジニアの格闘みたいにね。それでCPUごとぶっ壊された、と」 「はぁ、それでやけに抵抗が弱かったのですか。なるほどなるほど……」 もはや死人に興味なしとばかりに刀の手入れに移ってしまうロウ。 「ま、リベリスタならこの程度の精神障害、数日もあれば治るでしょきっと。キサ的には割とどうでも……はい取れた。SSDに入ってた『噂話』のテキストファイル抜いたわよ。破棄されたデータもサルベージしてみたけど、不思議なことに何も破棄されてなかったわね」 「なんだ? 何も無いなら別にいいんじゃないのか?」 別の端末で情報収集を始めていた福松が画面をにらんだまま問いかける。 肩をすくめる綺沙羅。 「あなた、自宅PCのゴミ箱に何個のファイル突っ込んだか数えたことある?」 「…………」 「何も削除されてないの。『何も』よ。つまりこのSSDが製造されてからずっと何も削除してないの。あってもシステムが自動で削除するファイルくらいなものね」 「噂話を入力するためだけのPCってことか? っと、見つかった……おいマジか」 福松は大型SNSのコミュニティ掲示板を見て顔を引きつらせた。 そこには既に50個に渡る噂話が貼り付けられているからだ。 しかもそのいくつかはナンバリングが被っており、誰かが嘘の噂話をかぶせてきているのが分かる。まあ、インターネットではよくあることだ。 「葉月は倒れてるし……小雪、ちょっと手伝ってくれ。ネット上からサルベージしたい」 「ナンバーの重複した『噂話』は?」 「あるだけ全部だ」 ――それからしばし、沈黙の時間が続いた。 「時期が早い」 「うん?」 死体の検分を行なっていたエイプリルの横で、亮子がぼそりと呟いた。 「彼はそう言ってたよね。たとえば感染症だったら、気づいたときには全員に広まっていたりする。でもここにいるのは25人だ。状態は?」 「グロテスクだね。普通じゃありえない死に方ばっかり。そういう意味じゃ『前』と一緒だと思う。で、病気っていうのと関係があるの?」 「分からないけど……病気でいえば、例の記者殺しは熱が上がっていく度合いを調節しているように見えた」 「ふうん……」 手を止めるエイプリル。 お茶を運んできたイメンティに笑いかけたところで、綺沙羅が小型記憶媒体を持ってきた。 「集まったわ。キサはPCに入ってたやつを読むから、そっちはネット上のを読んで」 それぞれ端末を広げ円陣を組んで座り、噂話を読み始める。 鉄心やESPでもって読む福松と、魔術知識で読む綺沙羅、タワー・オブ・バベルや深淵で読む恭弥、あえて素のまま読むロウという分担である。 たとえ不可解な事件であろうとも、エースリベリスタが本気を出して探索すれば大抵のことはわかるものだ。 そして、時は経ち。 全員が噂話を読み終えた所で。 福松はぱっと顔を上げた。 「……どうだ?」 途中途中でイメンティに調子を聞かれ、何も無いと答え続けて約一時間である。 「いえ、なにも」 「こっちも別に」 首を振る綺沙羅とロウ。 そんな彼らの後ろで、イメンティが首を傾げた。 「ね、それちょっと多くなかとですか?」 「は……?」 ロウは一度彼女を振り向いてから、画面をもう一度見た。 『ハッピールーマー101番『25人の自殺者』』と題された噂話が、そこには追加されていた。内容はそう、今日ロウが体験したこの事件をそのまま簡略化したものだ。 しかもそれは、あろうことか、ロウ自身が今し方自分で打ち込んだものだったのだ。 「なんで僕、こんなものを?」 その後、綺沙羅たちは手分けしてネット上にアクセスし、散見していた噂話を全て消去。代わりに読んだら死ぬだの宗教がらみだのという噂を蒔いた。誰かがまた書き直す危険はあれど、一時の収束を見たと言っていい。 また、気絶した綾乃はリーディングを始めてからの記憶は無く、ただそのたびに鋭い頭痛がするという。 だがひとつ奇妙なことがある。恭弥のテキストだけにいつのまにか追加されたこんな文章だ。 『噂話はいま、あなたのなかに』 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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