● 満月に近い月が、空に輝いている。 駅はいつもと同じに、静かだった。 目を擦りながら、改札の前で止まる。 今日は体育の時間も昼休みもドッジボールで、ついつい全力を出してしまったから、塾の内容もあまり頭に入ってこなかった。眠かった。 もうすぐ着くから、という母のメールを閉じて、車の来ない道路を見やる。 周辺が住宅街で大きな店もほとんどないこの駅は、電車が来る時間以外は寂しいものだった。 ぎゃあ。おぎゃあ。おぎゃあ。 赤ん坊の声が聞こえたのは、そんな時だった。 近くの家か、と気にも留めなかったが、眠気に襲われていた頭が一つの噂を拾い出してはっとする。 駅のコインロッカーから、赤ん坊の声がしたらすぐに逃げないといけない。 そうしないと、ロッカーの中に引きずり込まれるから。 息を呑む。 単なる噂だと昼間なら笑ったかも知れないが、誰もいない夜に思い出すには余りにも嫌な噂だった。 駆け出せ、と頭が言う。そうしなければならないと、全身が粟立った。 けれど。 きいいぃぃぃいい。 古い金属が、軋む音を立てる。 扉が、開いてしまったようだった。 ● 「さて、皆さんのお口の恋人断頭台ギロチンです。そろそろ怪談の季節ですねえ。まあそれが無害なものであれば無邪気に楽しめもしますが、はい、皆さんをお呼びした時点でお察し、という事です」 赤ペンを片手に、『スピーカー内臓』断頭台・ギロチン(nBNE000215)は薄っすら笑った。 「今回皆さんにお相手して頂くのは、『ゆきこちゃん』というE・フォースです。……昨年夏から散発している『子供の噂話から発生したE・フォース』の仲間だと思われます」 ご存知の方もいるでしょうか、と首を傾げて、ギロチンは続ける。 「ゆきこちゃん、とは『コインロッカーに閉じ込められた赤ん坊』のことです。ああ、本当にその駅でそういう事があった、という訳ではありません。あくまで噂です」 ゆきこちゃんは、夜のコインロッカーに現れる。 泣き声が聞こえたら、すぐに逃げないといけない。 そうしないと、コインロッカーの中に引きずり込まれて、帰って来られなくなる。 「これまでの同種と思われるE・フォース――『がとがとさん』『ゆうたくん』『みつこさん』『からすさま』と異なるのは、『回避の為の呪文が存在しない』という点です」 がとがとさんならお先にどうぞ。ゆうたくんならお帰りください。 みつこさんならお休みなさい。からすさまは殺してください。 今まで噂話から発生していたE・フォースは、何らかそれから逃れるための回避の呪文があった。 だが、今回はそれがない。 「恐らくは、今までリベリスタがこの類のE・フォースを倒して来た事で、『結局何も起きなかった』から噂の広まりが悪くなっていると考えられます。だから、今回は犠牲者が出やすいように仕向けた――のかと」 仕向けた。 裏で糸を引く者がいるのかと問うたリベリスタに、ギロチンは頷く。 「『からすさま』で、その手がかりを拾ってきて下さった方々がいます。読めたのはほんの僅かでしたが……一連の噂話、及びE・フォースの発生原因は、黄泉ヶ辻に所属する『エフ・オア・エフ』と名乗るフィクサードの仕業によるものと推測されます」 一定の地域で、これだけ同じ傾向のE・フォースが発生するとは考え難い。 だが、それが誰かの仕組みとなればまた話は別だ。 「何らかのアーティファクトを使用していると思われますが、詳細は不明です。ですが、今回のゆきこちゃんの例を見てもこちら……妨害者の存在を意識しているのは間違いない」 何の理由で噂を撒いてE・フォースをばら撒きたいのかは知らないが、リベリスタの行動は相手にとって不愉快なものであろう。 犠牲を出さない事。それが相手を焦らして出現を促すには現状最も良い手段だ。 「ゆきこちゃん自体も決して弱い訳ではありません。油断はせずにお願いします。……今度は回避の呪文はありませんからね、危なくなったら自力で脱出して下さいよ」 資料を渡しながら笑う。 「それでは。この噂を噂のままに。そしてどうか、嘘にして下さい」 赤ペンを机に置いたフォーチュナは、そう告げて軽く手を振った。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:黒歌鳥 | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年07月04日(木)22:29 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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●ゆきこちゃんって、知ってる? ゆきこちゃんはね、捨てられた赤ん坊。 要らないからって、コインロッカーに捨てられた。 暗くて暑くて苦しくて、泣いてたけれど誰にも気付いて貰えなかった。 だからゆきこちゃんはまだ泣いてる。 誰かに見付けて欲しくて泣いてる。 でも、泣き声を聞いたらすぐに逃げないといけないよ。 じゃないと、ゆきこちゃんに引きずり込まれちゃう。 ゆきこちゃんがいる場所は、この世の場所ではないから、帰ってこられなくなる。 だから泣き声が聞こえたら、すぐに逃げないといけないよ。 ……他に助かる方法なんて、ないんだから。 ● 噂の駅。噂の場所。蒸し暑い夜の空気に、生暖かい風に浸されながら足を向ける。 夏の一つの怪談は、本物の怪異として人々を襲う。ならばその前に、討たなければ。 「コインロッカーの中の子供ですか。実際にあった訳ではないんですよな?」 「らしいね。まあ、想像しちゃうと暗くなるけど」 怪異、もしくは都市伝説。仮面の怪人『射的王』百舌鳥 九十九(BNE001407)は今宵はその対象ではなく、世の均衡の守り手。 同意した『刹那の刻』浅葱 琥珀(BNE004276) は肩を竦めた。モチーフは捨て子、哀れな子供。赤子と言うより胎児の姿をした異形を相手取るのは、嫌悪とも恐怖とも付かぬ感覚が背を走るけれども、いない子供の為に犠牲を出す訳にはいかない。 「やっぱさー、こういうのは回避策もセットで広められるべきよね」 軽く口を尖らせて、『黒き風車』フランシスカ・バーナード・ヘリックス(BNE003537)は駅の乏しい明かりの下のロッカーを見た。泣き声を聞いたら逃げろ。どこに? どこまで? 広まるその噂は明確な回避方法ではなく、捕まれば終わり。最初に動きが遅れればアウト。理不尽。 「季節柄の自然発生なら我慢もきくが、何者かの仕業ならそうもいかん」 左手の翼を扇代わりにひらひら振って、『赤錆烏』岩境 小烏(BNE002782)は片腕を組んだ。夏の夜の怪談はこの国の風物詩のようなものであれば、それが力を持つ事もあろう。そればかりはやれ厄介だと溜息を吐きながらでも、最下層のこの世界ではよくある一つとして片付けられるが――裏に人がいるとなれば、仕方ないと笑って済ます事はできやしない。 「うん、夏と言えば怪談だけど、人を傷付けるような話はないないしちゃおうね☆」 去年の夏に見知った数々の噂。季節は巡り、二つの目が一つになって、時は進めども『ハッピーエンド』鴉魔・終(BNE002283)のその思いだけは変わらない。噂は噂として愛でよう。だが本物となって人を害するならば、さようなら。 『夜翔け鳩』犬束・うさぎ(BNE000189)は、そんな仲間の隣に並んで歩きながらこきりと首を回した。噂の種を蒔いたのは人、娯楽として広めたのは人、『彼女』を産もうと企んだのも人。全て人の為に作られた、人の為の存在。そこに『ゆきこちゃん』としての意志など存在しない。そうあれ、と作られた存在。人に都合のいい、エゴの凝縮。 仮初の設定と人格を与えられ、作られたばけもの。うさぎの目は、夜の空を仰いだ。 「何処までが意図された事なのか、存じ上げませんけれど……」 幼子の噂を利用したのは、『言葉が理解できない』からか。『哀憐』六鳥・ゆき(BNE004056)は口元に手を当てて、そう考える。意味を理解できなければ、回避の呪文が存在しないのも不自然ではない。でも、そうだとすれば、随分と哀れな事をするものだ。少しだけ、名前も似ている。 「何にせよ、誰かの手で引き起こされているなら種も仕掛けもある事。怖くはないわ」 『逆月ギニョール』エレオノーラ・カムィシンスキー(BNE002203)は白いワンピースの裾を生温い風に晒しながら首を振った。噂は噂。本来ならば形にならない。 ロッカーに引きずり込む赤子。そんなものは存在しないはずなのに存在する。理解できない非日常、人が怪異と名付けるそれ。けれど企んだのが人間ならば、リベリスタにとっては理解可能な現象の一つに過ぎぬ。 全員が、足を止めた。 誰もいない駅。どこにでもあるロッカー。百円を入れる硬貨専用の穴、刺さったままの鍵。 一つだけ、鍵がない。 使用中。 生温い風が吹いた。声が、聞こえる。楽しげに、終が笑った。 ……ゃあ、あぁ、ぎゃあ、おぎゃあ。 段々と大きくなる声と共に、ゆっくりと……鍵のない扉が、開いていく。 ● 視界の混乱は一瞬。目まぐるしい一瞬の間に、リベリスタは知らぬ場所へと立っていた。 肺に液体が注ぎ込まれ満ちていく、その感覚。 ごぼり。ごぽり。空気が体から逃げて、泡となって立ち上る。 ぱちり、瞬いたうさぎは出そうとした声が泡になったのを感じて眉を寄せた。 液体の中では叫びは伝われど、明確な言葉としては伝わらない。 けれどまあ、良いだろう。声さえ伝わらないのは問題だが、その心配はなさそうだ。不都合、なし。 暗い。一応不便のない程度に明かりのついていた駅とは異なり、真っ暗だ。 一斉に、明かりが灯る。ゆきこちゃんは、そこにいる。母の腹から出ても、生きられるかどうか怪しい、そんな幼子の姿で。琥珀が想像したように、2mもあるそれはホラーの様相であったといって差し支えあるまい。普通の赤ん坊では、可愛らしいから。きっと、噂が広まる中、皆は想像したのだろう。より怖い『ゆきこちゃん』を。 見開いた大きな黒い目。その姿は、哀れを通り越し嫌悪を催す。なんだこいつきもちわるい。 ――ゆきこちゃん、こっちこっち。 終は緒を狙いにいく仲間から気を逸らすため、大きく手を振って自らをアピールする。酷くくぐもっては聞こえるけれど、声も上げて。 液体は水のように澄んでいて、動きを絡め取る。それでも終は誰よりも早く氷棺を手にその場から掻き消えた。瞬きの間もない、消失を認識するよりも早いその一撃。水に絡め取られて普段より精彩を欠いてはいたけれど、それでも美しく刃が舞う。 2mの胎児。成人男子よりも大きい赤子。 ――あたしより大きいなんて、生意気よ。 片目を眇めて、自らの約1.5倍ある存在を見据えたエレオノーラは、金の髪を水に揺らめかせながら水の抵抗をも振り切るように己の体を書き換える。バランスを取る。戦いに慣れた体はほんの僅かな重心のズレを、力の入れ具合を計算し最適を求めた。 巨大な体に阻まれて見えないが、その後ろには緒があるはずだ。 何処からか、ゆきこちゃんに糧を供給する緒が。 ――それだけ大きいなら、もう栄養なんて要らないでしょ。 赤い体。まだしっかり形作られてもいなさそうな肉。それでも。 ――E・フォースならば水子供養の必要もあるまい。 これは本物の赤子ではない。誰の腹を痛めて生まれた訳でもない。棄てられた訳でもない。 小烏は、人の右手で印を結ぶ。水のせいで避けるのが難しくなるならば、せめて守りを。 全く。小烏は微かに笑ってこぽりと泡を吐いた。 生きてまた羊水の中に還ろうとは。生まれ変わり願望なぞないつもりなのに。 閉じ込められた、真っ暗な世界。 生暖かい、水の中。 そうか。九十九も思う。なるほどここは羊水で、この空間は母を求める赤子の投影。目覚める前の赤子が眠る場所。ロッカーと言う区切られた世界、彼の噂を身篭り育てたのは、四角い鉄の箱。 皮肉だな、と九十九は思う。産まれてすぐに棄てられた子は、産まれる前に殺される。 そういえば月も、母体や赤子と関係が深いと言っただろうか。まあ、関係のない事だが。 彼の構える銃が、月の光届かぬ此処でも加護を得て、淡く光る。 身じろぎ。終によって切り刻まれた柔い肉が、粘土のように元に戻る。 あぁ。ああ。ああ。 何故この赤子の声は、水の中でこんなにも鮮明に聞こえるのか。 彼女は確かに泣いている。何かを求めて、存在しない庇護者を求めて泣いている。 泣き声が耳朶を打つ。声はそのまま衝撃となってリベリスタの体を打った。 避ける事が難しい。だから余計に、体に響く。骨さえ揺さぶるように、泣き声が染み通る。 みしみしと骨が軋むのを体内に響く音で聞きながら、うさぎはゆきこちゃんを見た。声とは違い、視界はクリアだ。2mの大きさでその姿は、確かに人を脅かす怪異に違いないだろう。 けれど、『ゆきこちゃん』は人の形をして、人として、産まれて来た。ならば彼女は『人』であろう。単に殺すべき化け物ではなく、無責任な噂話の塊ではなく。 ――祝福はしてあげられないけれど、あなたの短い一生、最期まで付き合いますよ。 ゆきの考えた通り、しっかり伝わったとして赤子はその言葉を理解しないのだろう。 だとしても、人として最大限の敬意を持って、うさぎはその柔い体に死の印を刻んだ。 間髪入れず、アヴァラブレイカーを手にしたフランシスカが駆ける。 ここはロッカーの中のはずなのに、変に床が柔らかく感じた。壁は赤いのだろうか。薄いピンクで、血管が薄く見えるのだろうか。全く面白くない想像だ。 華奢な体には不釣合いな巨大な鉈に似た武器を構え、これまた巨大な赤子へと斬りかかる。そこに躊躇は存在しない。これは仕事だ。ならば軽く済ませてしまえばいい。例え嫌悪を抱いたとして、消してしまえばそれで終い。 ――都市伝説のままで、さよなら。 刃に宿った闇色。相手の心を、己の体を削る魔の光。振り下ろした刃は、酷く柔らかい感触を手に伝えながら肉を切った。 震える余韻を受けながら、琥珀はゆきこちゃんの後ろに回りこむべくフランシスカに続き駆ける。 掌を躍らせた。手品のように現れたダイスが水に浮かび、赤子をあやす玩具の如く上下に揺れる。次の瞬間、鮮やかで攻撃的な光の花が、水中に沈んでもまだ燃える花火の如く弾けた。 緒は、ゆきこちゃんの体に合わせてかぶよぶよとした腸の様な、或いは太いホースの様なものである。リベリスタにとっては厄介なものだが、恐らくゆきこちゃんにとってこれを切られるのは辛い事、なのであろう。 ――ゴメン。 謝罪は浮かべれど、琥珀は手を休める事はない。ゆきこちゃんをこのままにはしておけない。安らかに眠らせてやらねばならないのだ。 ――お可哀想。 こぽり。小さな泡に乗せてゆきが呟く。赤が散っては、薄れて行く。羊水に閉ざされて、利用されるだけの赤子。哀れとは思おう。だが救いは齎せない。引き上げて泣き声を止ませる事は叶わない。 ゆきがその手でできるのは、呼吸を止めるその一つだけ。殺める事だけ。 ――どうかご容赦下さいませね。 唱え、その背に翼を下ろす。 魔力の翼を持ったとしても、リベリスタはこの赤子を導く天使ではないのだから。 ● 泣き声と共に、赤子が張り付いた。 琥珀が考えた通り、巨大なゆきこちゃんと比較して『小型』に過ぎないその姿は赤子を越して三歳児程度の大きさ。刃で肉を引き裂いたばかりのエレオノーラの背に張り付く。髪を服を掴んで離すまいと握る。小烏が一度試みたものの、浄化の光も彼の赤子を焼く事は叶わなかった。 水の中だというのに、ずっしりと重い。先程も食らったフランシスカは、その衝撃を覚悟した。 密着した赤子の自爆は、本体であるゆきこちゃんに接近する事でその余波を幾分か与える事が可能とリベリスタは判断した。けれども、抱き付く程に密着せねばダメージを等分に分かち合う事までは不可能。 体を芯から揺さぶる衝撃に、黒い翼がびくりと震えた。この小型の赤子の危険性は、爆発するタイミングに、爆破のダメージとゆきこちゃんからの攻撃を重ねて受けるという事だ。 動きが鈍くなった事により必然的に直撃を食らう確率も高くなり、ダメージ総量は大きい。ゆきが水中でもその旋律を響かせて歌を呼べど、前で立ち回るリベリスタがダメージを積み重ねられるのは避けられなかった。 素の防御力が高いのに加え、自爆の際には防御という安全策を取った小烏や九十九は位置取りの関係もあり耐える事が可能である。だが、緒を狙い切断した琥珀にフランシスカ、そして気を惹こうとし続けた終は運命を燃やす事となっていた。 ぁあ。おぁあ。あおお。 赤子の爆発に加え泣き声に揺さぶられ、フランシスカの体が力を失う。倒れる事なく水にゆらりと浮かんだ姿を琥珀が捉え、後ろに押しやった。 ――生まれぬままの者なら占星もあったもんじゃなかろうが、お前さん相手なら話も違うか。 生まれぬ者の日は占えぬ。何を基準にしたものか分かったものじゃない。だが、ゆきこちゃんはここに存在している。 小烏の呼んだ不吉の占い。琥珀やうさぎ、ナイトクリークによって付与された致命のお陰で緒が存在する間も完全に回復されっぱなし、とはならず、重ねられた呪いは小烏の占星により更なる痛みと言う不吉を齎した。 九十九がその額へと狙いを定める。胎児にしては随分と大きい、けれどそれは優れた射手である彼にとって、的が大きく容易いという事でしかない。 ――普段なら、怪異の縄張り争いと言う所ですが。 その身を怪異と、都市伝説の怪人と成さんと考える九十九にとって、蔓延る噂とそれによって発生する怪異は単なる害ではなくライバルである。雨の日に現れる仮面の怪人より有名な存在は不要なのだ。怪異は他の怪異を倒して影響力を増す、というもの。 だが、それも子供が被害者となれば話は別。彼は外見に見合わず、子供好きである。 ――欠片も残さず、打ち砕いてくれます。 子供を不幸にする、そんな怪異は不要。『コインロッカーのゆきこちゃん』なんて存在しない。 針穴をも貫く銃弾が、頭の一部を打ち砕いた。 ――退いてなんかやるもんか。絶対に負けられねーしな! 傷付いた腕、琥珀がダイスを空中で転がした。ぞろ目だ。トゥエルブ・クラップス。 小型の赤子が爆発する時よりもよっぽど美しく、ダイスの爆花が咲き……ゆきこちゃんは、目を閉じる。小さな手足を体に引き付け、頭を下げて丸まった。己の体を、守るかのように。 これで、おしまい。 ――ゆきこちゃん、ゆきこちゃん、おやすみなさい。 うさぎの唇と、終の唇が同じ言葉を刻む。 もう誰かを傷付ける必要はない。泣き続ける必要もない。 終は大きなその頭を引き寄せて、抱き締めた。 ●Fの事、知ってる? 明かりに照らされていたはずの視界が、暗視さえも届かぬ暗闇が訪れたのは一瞬だった。 瞬きの間に、リベリスタは来た時と同じコインロッカーの前に立っている。 空間自体が夢だったかのように、滴っていた雫も、濡れていた服も、あっという間に乾いて行った。 「――っ」 こみ上げて来た何かにうさぎが口元を覆う。ごぼっ、と喉奥から溢れて来た液体は指を濡らし――これもまた、消えた。 琥珀が目を閉じる。噂の為だけに作られたゆきこちゃんに、弔いを。 「噂話は数限りなく。……いつまでいたちごっこを続けるのかしら」 ようやく正しく鼓膜を震わせるようになった声を転がして、ゆきが溜息を吐いた。 「痕跡か媒介の後があるかも知れん。少し探してみるか」 「こういう胸糞悪ぃ事ぁ、なるたけ早く止めさせにゃですからねえ……」 小烏の言葉に頷いて、うさぎもゆっくり閉じていったロッカーの扉に手をかける。 少しでも、情報を。 そう考え動く仲間から目を離し、駅構内へと視線を滑らせたエレオノーラはふと一点を見詰めた。 改札の向こうに、老人がいる。 見た目は品の良い、落ち着いた感じの普通の男だ。その格好が、半袖が普通のこの時期にコートとマフラーという冬の出で立ちである事を除けば。そして、革醒者である事を除けば。 「君たちが、Fの邪魔してるんだね」 枯れた声。右手に持っていたメモらしきものが、燃え上がる。 アナウンス。 一枚が灰になったようだが、メモ自体は焦げる事もなく老人の掌に収まっていた。 改札を挟んで、エレオノーラは向かい合う。 「……怪談めいた噂をばら撒くなんて、好奇心の強い人間……子供とかを集めたいの?」 「違うよ。本当なら、『子供は逃げられる』ようにしてたのに。君たちが邪魔をするからだよ」 「素敵な責任転嫁ね。一応聞いておくけれど、何が望み?」 改札で区切られた、こちらとあちら。想像と理解はできても、同化はできないそれ。 近付いてくる、電車の音。 問いに、老人……『エフ・オア・エフ』は笑った。 「悪い夢を沢山撒くんだ。Fが見ているみたいに」 眉を寄せる。ホームに電車が滑り込む。男はそのまま背を向けた。 扉が開き、降りてくる人の中に男が沈む。見えなくなる。 締まろうとする扉から、紙飛行機が飛んできた。メモ帳で作られた、小さな飛行機。 念の為に一度叩き落してから、異常がないのを確認して拾う。書かれていたのは、簡単な一文。 『高架下のムラサキババア』 どうやらまだ、止める気はないらしい。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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