●我々は侵攻する。欠片の慈悲も無く 「此度の好機、『偶然』であれど――いえ、偶然であるからして活かさないではおけません」 凛と。澄んだ声が、澄んだ麗しの眼差しが、静かに二人の兵へと向けられていた。 「えぇ、えぇ、存じておりますよクリスティナ中尉」 その片方、ずんぐりとした男がへらりと笑う。いつもの様に。手遊びに手の中で放るナイフがくるくると、鈍色の弧を描いていた。 「……だからこそ俺は、いつだってナイフをピッカピカのキラッキラに研ぎ澄ませてるんですよ」 目の前にいるクリスティナ中尉とは正反対、ブレーメ曹長は目の奥にいっそ何処までも野卑な勝利への渇望を滲ませて。 それらを横目に、声も無く小さな笑みを漏らしたのはもう片方の兵――アルトマイヤー少尉。無駄を嫌う彼が、下士官の様に饒舌を振るう事は無い。 そんな二人の上官が交わす言葉が幾つか。曹長は変わらず、傍らにて気儘な様子でナイフを光に透かして刃の調子を確認していた。うーん、この素晴らしい研ぎ具合。今日も絶好調だ。 「此度のバックアップは私が行いましょう。任せますよ――くれぐれも、失敗せぬ様」 おっと。中尉の言葉に意識を上官へ戻したブレーメはニッコリ笑った。 「Jawohl,クリスティナ中尉殿! まぁ、お任せ下さいよ。やる時はキチンとやるのが俺の信条ですから」 「Jawohl,我が親愛なる中尉殿。ご期待に添えるだけの『戦果』は持ち帰りましょう、それ以上は私の気分次第と言う事で」 各々の返事。伏せられたクリスティナの赤紫の瞳が、開かれる。 「作戦名はCerberus――それでは各自、配置へ。御武運を。Sieg Heil」 その言葉に。兵士達は遍く、遍くその手を、破壊と闘争の為の手を、一斉に掲げ叫ぶのだ。 「「――Sieg Heil!!」」 ●Ritterkreuz Bajonett 制圧。制圧だ。制圧だ制圧だ戦争だ。 「寄って集って力尽くで『穴』を手に入れる、ね。いいねぇ、制圧戦は大好きだ。電撃戦も楽しいから好きだ。全ては全ては勝利の為に――ってね! ははは」 三ッ池公園、神秘的特異点である『穴』がある場所。曰く、革醒新兵器をより楽しい事にするには御誂え向きだそうで。 「嗚呼当然、方舟の『素敵なお友達』は来てくれるんだろう? 七派に俺達に、あっちもこっちも引っ張りだこで……いやはや、モテる人は辛いねえ!」 けれどあの方舟だ、武器をロクに握った事も無い雑魚をワラワラ出すような愚は冒すまい? 必死に足掻いてくれるに違いない! 「まぁ。俺はいつだって。敵に噛み付いて食い千切って食い荒らすだけさ。Sieg oder tot――負ける奴ぁ死ね、勝った奴が正義だ!」 ははははは。口癖を唱え、気楽に笑う。いつもの事だ。重要な作戦であろうと。『狩り』であろうと。上官に押し付けられる汚れ仕事であろうと。自分の成すべき事に変わりはない。全力で喰らい付く。例え頭をカチ割られようが、牙を決して離すものか! ――軍靴の音が、硬く響く。 どーんどーん。その彼方此方で、実に様々な火砲が唸りを上げていた。硝煙。血。悲鳴と怒号、鬨の声。 「あぁ、格好良いなあ。やっぱ派手なのはいいですね。でも……大型兵器も浪漫ですけど、やっぱ戦争なら! 歩兵がいないと締まりませんよねえ!」 そう思いませんか。傍らを歩く優男に振り返ってへらへらと。いつもと変わらない――否、いつもに増して愉快げな物言いで。 「ただ派手なのではなく、整えられた枠組みに一つ一つピースを嵌めていく様な戦場が私は好ましいのだが――その点において少佐殿の采配は実に素晴らしい」 潔癖のきらいがある者にはこの生々しく血腥い臭いなど決して好ましくはないだろうに。されどアルトマイヤー少尉は、微かに笑ってそう言った。何よりだ。やはり兵に似合うのは戦場だ。特に上官には大胆不敵に笑って居てほしいのが、下士官一同の願いというものである。 「少尉、少尉、アルトマイヤー少尉。わくわくしますね。どんな事が起きるんでしょうね」 「そうだな、きっと君の大好きな闘争が山ほど待っている事だろう。……今日この戦場も、そしてこの先に思い描かれているのであろう作戦の先にも」 「ははは! そりゃあ、ああ、素敵だ。随分と素敵な事で!」 極めて冷静でいながらも、極めて血に酔っている。けらけら笑った。少尉が言うならそうに違いない。少尉が自分に嘘を吐いた事はない。だから、そんな浮かれ気分のままに冗句を一つ。「あぁ俺、この戦いが終わったら……」言いかけて。なんだ。思いつかねぇからいいや。 「君、縁起でも無い事を言うのは止めたまえよ」 「冗句ですよ、冗句。で……こっちのDonnergott作戦、順風満帆ですよ。そちらは如何なもんで?」 「幸いにも有能な部下のお陰で私は一切『面倒事』を請け負う必要がない。持つべきものは良い部下だな――曹長、皺になる」 「おっと失礼、貴方の肩の位置って手が置きやすいものでして」 へらへら。笑って交わすのは実に他愛もない、明日になれば忘れるような。 されど猟犬の目にぎらつく闘争の光は、紛れもない『本気』だった。 ――さて、作戦は単純明快。東西に分かれ電撃戦を仕掛け、一気に制圧すれば良いだけ。もっと分かりやすく言えばこの上官と再会すればいいだけだ。サポートは『美人の上官』がやってくれる。 邪魔立てするような奴は片っ端からその咽笛を食い千切ってやればいい。片方が苦戦していても片方が突破し到達出来ればそれで良い。 「Sieg Heil Viktoria! 全ては勝利の為に、ってね」 「Viel Feind, viel Ehr'――敵は数多だ、悪くない」 ――何度何度、踏み躙られようとも。這ってでも。血を何リットル流しきろうとも。 ブレーメはアルトマイヤーに向き直る。踵を合わせ、背筋を伸ばし。 「じゃ、少尉。ご命令をどうぞ」 それ以外は飄々としているけれども。少佐の他に唯一『飼い主』と認める相手に、狂犬は問う。狂犬は待つ。 「『戦果』を。君のその妄執が行き着く先を私に見せてくれたまえ。足掻いて足掻いて外聞など構わぬその手が掴み取るであろうものを――なんて、同じ『犬』の私が言うのも可笑しな話なのだがね」 言下に差し出された手。その意図を察し、曹長は迷う事無く己がナイフを一つ――片時も離さぬ魂に等しいそれを――上官の掌へと捧げた。鈍色の刃。幾度も血を吸い、研ぎ澄まされた刃。その切っ先は上官の手によって、上官の掌を辿って。ほんの一撫で。それだけでザックリ。傷の深さを示すように、滴り落ちる赤い色。『選ばれた人種』の世界で一番綺麗な色。 首元に熱を覚えたのは、その色が己の咽へ――そこに在る首輪へと押し付けられたからだ。じわり。じわり。真鉄を染める。血で繋いだ首輪と鎖。 離された手。搗ち合う目。己が手に戻った刃の切っ先を彩る『誇りの色』を拭う事は無く。 「Jawohl,Mein Lieblingsleutnant! ――では、往ってまいります」 「精々上手くやりたまえよ。君との無事の再会を祈ろう――では後ほど、Seinem lieben Brehme」 地面を蹴る。進軍する。我々は、進軍する。何処へ? 敵へ! 勝利へと! 嗚呼、直も経たぬ内に彼らが、方舟が来るのだろう。大慌てで、闘志にギラギラ戦慄きながら。 さぁ俺は犬だ。犬畜生だ。噛み付く事しか能のない狂犬だ。 ならばたくさん噛み付こう。あらゆる全てに喰らい付こう。徹底的に牙を剥こう。 それで『主人』が喜ぶならば、例え首だけになっても獲物を離してやるものか! ナイフを二つ、抜き放つ。それを、見えた『敵』へと突き付けて。 「いくぜー皆~。……総員突撃!!」 轟。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:ガンマ | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年07月04日(木)23:45 |
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■メイン参加者 10人■ | |||||
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●恥の多い生涯を送って来ました。 敗北は辛い。敗北は悲しい。敗者に発言権は無い。ただ勝者に嬲られ、弄ばれ、詰られ、穢され、犯され、疎まれ、蔑まれ、哂われ、奪われ、殺されて。 正義の為に、戦っていた筈だ。正義の為に戦っていたのだ。家族の為、友人の為、祖国の為、誇りの為。なのに、今は、もう、貼り付けられた『悪』のレッテルを剥がす爪すら踏み躙られて砕かれて。 敗北は辛い。敗北は悲しい。ならば勝つしかないのだろう。勝つ他に無いのだ。勝たねばならぬのだ。そうだ、きっと、きっと、勝者になれば。勝利すれば。二度と敗者にならなければ。絶対に絶対に永遠に永久に幸せになれるのだ! ●譬え、灰に成ろうとも 地面を踏み締める。三ッ池公園の夜は、鉄の咆哮に支配されていた。 「私達は――戦争をしているんだね」 辺りを包む非日常に、『エンジェルナイト』セラフィーナ・ハーシェル(BNE003738)が呟いた。本物の兵隊、本物の兵器、国同士の戦いでこそないけれど。確かに、それは戦争だった。 だけど。少女は刃を――姉が遺した霊刀東雲を握り直す。 「この戦争は、アーク対親衛隊だけで終わらせてみせる。この平和な日本を戦争に巻き込むなんて、絶対にさせないよ!」 濃密な『闘争』の気配。それは『月奏』ルナ・グランツ(BNE004339)には未知なるものだった。何でもかんでも噛み付いて、猟犬達はその先に何を得るというのだろう? 分からない。私には、分からない。 だけれども。 「今この時だけは負けられない。彼らだけには、負けられない」 勝ちに行くよ? 前を行く仲間達へ鼓舞の声。当然だ。『人生博徒』坂東・仁太(BNE002354)は表情を引き締める。思い返すのは先日の任務だ。込み上げる悔しさ。どうしようも出来ない過去。 だが、それよりも。何よりも。一番悔しかった事は――誰も救えなかった事だ! 「ただ負けただけなら次の勝利に向かって走れる、けど死ねば終わりぜよ。 もう誰にも被害なんぞ出させん、そのために……負けへん!」 「うむ。一度目は敗北を期したが二度目は違う。天才とは99の努力と1の閃き、敗北から学びソレを糧にする――ならば、前回の敗北も僕の中では想定内だ!」 同意の頷きを示し、『ジーニアス』神葬 陸駆(BNE004022)が瞳に燃やすは覚悟の焔。彼等だけではない、誰しもに燃える闘争の意志。それを認めて『尽きせぬ想い』アリステア・ショーゼット(BNE000313)は羽を翻し進軍しながら静かにその手を組み合わせた。 ――私にできることはいつも、とってもシンプルなんだ。 「目の前にいる皆を、無事に帰すこと」 少女は祈る。故に祈る。その為の力だ。その為に居るのだ。今日も明日も変わらない、魂を懸けて、願う思いはただ一つ。 (天使さま。わたしは、いつか貴方のような存在になれますか……?) 顔を、上げた。 斯くして―― 「よーうお前等、Guten Abend! 『月が綺麗ですね』」 相対。正対。愛の言葉で殺意の挨拶。親衛隊――ブレーメ・ゾエ。 出やがったな。へらへら笑うドイツ人へ、『雷を切った伝説の刀(設定)』を突き付けたのは『合縁奇縁』結城 ”Dragon” 竜一(BNE000210)。 「負けるのが嫌いとか奇遇だな、俺も大嫌いなんだよね」 「おっ、じゃあ友達になるかい? 俺ブレーメっていうんだけど」 「俺は竜一。だが、悪いな。俺はお前と決定的に違う――どこがって? 俺が犬じゃねえって事かな! ひゃっはー!」 「わんわん! ……また犬ネタか、君らも好きだねえ」 飽きないの? とクスクス笑う。その足元。チュン、と地面を抉った一発の弾丸。ブレーメが顔を上げれば、銃指Terrible Disasterから硝煙を立ち上らせた『ザミエルの弾丸』坂本 瀬恋(BNE002749)が彼を睨め付けていた。 「あえて嬉しいよ糞野郎。負けるのが嫌いだっつってたな……よーくわかるぜ、アタシも超むかついてんだよ」 ゴキン、鳴らす拳。暴力的な眼光。 「なめられっぱなしはゴメンだろうが、きっちりぶっ潰してやるよ。クソ犬が」 「こないだ振りだねお嬢ちゃん。今日も可愛いねえ。俺、少尉みたいに気の強い子大好き」 「じゃー俺は?」 冗句交じりの茶化す言葉、「やっほー」と『道化師』斎藤・和人(BNE004070)が男に手を振る。 「どーもブレーメこないだ振りー! まさかこんなに早く会えるなんてねぇ」 「あ、名前知らねえけどカタイ人だ。元気かい? 傷は大丈夫かい?」 「ああ怪我? ツバつけときゃ治るレベルだったんで問題なし!」 「そりゃあ良い! 今度は奥の奥まで突いてやるから、可愛い声で啼いておくれよ?」 何食わぬ。まるで戦場らしからぬ。それでも殺意だけは厭味ったらしいほどに満ち満ちていて。『消せない炎』宮部乃宮 火車(BNE001845)は盛大に溜息を吐く。ブレーメを睨みながら。 「よぉハゲ丸 火傷はどうだい? ふざけたツラぁ男前になったろが」 「ハゲ丸ってまたネーミングセンス良いねカッシャー君は。生憎ウチの衛生兵は優秀でね。 ……俺に跡を残したいだなんて、君って束縛強いタイプ? 悪いけど俺が欲しいならアルトマイヤー少尉に直訴しておくれ」 重なる挑発に欠片も動じず、指先で首輪を弄るへらへら声に。「言ってろボケカス」と吐き捨てる。突きつけるのは、焔の拳。 「――勝ちたい? そりゃそうだろ。勝ったら負けたらたられば言ってる奴が勝つかボケ! 負けようと『勝つ』んだよバカヤロウ! 何が『勝ちたい』だ! フザけてろ!」 「お前さんの主張<正義>を理解させたいんなら。這い蹲らせて屈服させてみな、坊ちゃん。鬼畜米英みたいにさあ!」 「上等だよコノヤロウ。ヤられたままハイそうですかで引き下がれる程人間できちゃいねぇんだよ!!」 地面を踏み締める。踏み締めた。 リベリスタと親衛隊。張り上げる声。振り上げる武器。 走り出す。突撃。吶喊。滅ぼす為に。 ふわり。噎せ返るほど殺意のニワタズミ。そんな中で、蝶が舞う。 ――戦闘馬鹿にして戦勝馬鹿。 ――戦果主義の戦火主義。 ――度し難いまでのウォーモンガー。 「前回は不覚を取ったけれど今回はそうは行かないわ」 靡かせる銀の髪。前を見澄ます緋色の目。『告死の蝶』斬風 糾華(BNE000390)に油断はない。何が何でも食い止めてみせる。 蝶と狂犬の目が合った。騒乱なまでの戦闘音楽の中、少女の薄紅の唇が「ごきげんよう」を紡ぎ出す。 「二度目ましてね。ブレーメ曹長。 嫌がらせに来たわ。戦闘に来たわ。勝ちに来たわ。――貴方を、殺しに来たわ」 「よう、美学主義のお嬢ちゃん。お前さんの美学<正義>と俺の願望<正義>、どっちが勝つか勝負といこうぜ」 「受けて立つわ。今回こそは完全で完璧なる斬風糾華を見せてあげる。 ――さあ、ゲームを始めましょう。全部吐き出させてあげるわ」 Betは運命、Rateは命。 運命のルーレットは回りだす。 轟々。無慈悲で不条理なる。飢えた巨獣の腹の虫。 「おぉしゃあぁあ、往くぜセラフたん!」 「はい、竜一さん!」 踏み出した足。構える刃。吶喊する竜一とセラフィーナの眼前に躍りかかるのは死んだ目をしたノーフェイス『バウアー』と親衛隊だ。 ぐん、と前に出るのはセラフィーナ。明日を齎す刃を閃かし、切り刻むのは時の針。凍て付く刃が白く、閃く。 その傍らにて吹き荒ぶのは刃の烈風。竜一の剣がバウアーを圧し返す。直後、親衛隊のデュランダルが轟然と突き出した銃剣を刃を以て受け止めた。硬いものがぶつかり合う音。力と力の拮抗。ぎりぎりぎり。振り払う。 「上等……!」 背中合わせ。天使と剣士。ギラリ、輝く剣に映るのは――周囲を取り囲む猟犬達。 それらを背後に。 「かっ飛ばせアウグストぉ!」 「Jawohl,ブレーメ曹長ッ!」 轟くエンジン音。ブロッカーをかっ飛ばし、背中のエンジンを吹かし、猛然と特攻をしかけてくるアウグスト。それに並走するブレーメ。 狙いは後方にて『どう見ても護られている』アリステアとルナ。回復手か支援手か。何にしても『大事そうなお姫様』を狙わない手は何処にも無い。 「――想定内だ!」 陸駆の声が張り上げられる。アリステアへ突き出されたナイフを受け止めたのは和人、ルナへ振りぬかれた拳を受け止めたのは陸駆。 「っ、てぇ~……」 ボタボタボタ。和人が構えた大盾を貫いてその腕に突き刺さった対戦車ナイフ。血が垂れる。血が垂れる。眼前にはブレーメ。「ふふん?」と盾に顎を置き、ニヤニヤしながら間近で見ている。『ぐりっ』。抉る様に回されるナイフ。しかし和人は、『化粧』の奥に悲鳴も全て押し隠し。ニタリ。笑ってやった。たっぷり不敵に。 「相変わらず激しいねえ。ま、簡単にヤられるつもりはねーけど」 「いいねいいね、何回でもヤろうぜカタイ人。カチカチのビンビンに頑張らないと、その背の『天使ちゃん』は俺様が喰っちまうぜえ?」 振り払ったままに跳び下がり、再度加速。目にも止まらぬ。だが『止めて』みせる。『止めて』みせるとも。 「みすみす餌を食わせる気はねーですよ? 可愛いお嬢ちゃんに傷を付ける訳にもいかねーしな!」 口角を吊り上げた。地面を強く踏み締めて。んじゃ、始めようぜ? 「今度の嫌がらせはなんだ、聞いておいてやる」 立ちはだかったアウグスト。それを真っ直ぐ見澄まして、陸駆は言った。その背にルナを護りながら。 「劣等鏖ッ! 戦争だッ! 我等アーリア人の正義を真っ直ぐに貫き通す事だッ!」 「ならば嫌がらせをしてやる。ここは通せんぼだ!」 「ぬかせ小僧ッ!」 呻る拳。情けの無い一撃が、少年の身体に突き刺さる。べらぼうに強烈で、べらぼうに痛い。骨が砕けて内臓が拉げる音。視界がブレる。 「ぐっ、ふ……!」 胃酸の味を噛み締めながら。未だ倒れる訳にはいかない。護ると決めたら護るのだ。女の子を護るのは男の子の役目なのだ。 「負けてやるものか!」 「その通り、負けないよ!」 声を張り上げるルナが杖を翳す。猟犬の牙の恐ろしさは理解している。戦いも不慣れだ。けれど。自分にだって、退けない時はあるのだ! これは本当の戦いだ。理解している。故に戦う。それは異世界の友への恩と、年長者の意地。 「妹たちを傷つけたお礼。貴方達にさせて貰うよ――これが私の怒り。私たちの想い!」 さぁ、受けてみて? 振り下ろす杖。降り注ぐ炎の雨。確かな戦意と殺意を孕み、鮮やかな赤が炸裂する。 リベリスタの予想通り、親衛隊はリベリスタの補給線を狙ってきた。 そこに関する防衛は万全だろう。尤も、盾を取ればそれだけ剣が減ってしまうのであるが――その分、剣を両手で握って『思いっ切り』叩き落としてやればいいだけの事。 アリステアの祈りが響く中。糾華の放つ蝶が、仁太の放つ弾丸が、戦場に吹き荒れる。 ぢりっ。仁太の肌を焼いたのは、答える様に親衛隊の射手が撃った炎の矢とハンヒェンの『腐れ縁』。血濡れている。知った事か。 「腐れ縁ならな、最期まで付き合っちゃるわ! 細かい作戦だとかはやっぱ性に合わんねや、せやから力の限りぶっぱなす!」 引き金を引く。暴君戦車が炎を吐く。刮目せよ、傾聴せよ、戦と云う名の独壇場。そうだそうだそれで良い。攻めろ。怯むな。さもなくば死ぬぞ。『彼女』の手がトリガーにかかる仁太の手に添えられた気がした。いいぞ、ぜんぶ、ぶっこわしてやろう。 応戦に攻勢、猛攻に迎撃。 前衛の竜一、セラフィーナ、糾華の前に立ちはだかるのは親衛隊のデュランダル、ソードミラージュ、覇界闘士。そしてバウアー達。 「チッ――」 瀬恋は盛大な毒を込めて舌打った。彼女の狙いはアウグスト。だが彼は後衛に吶喊を仕掛け、自分は2体のバウアーにブロックされて足止めされている。邪魔だ退け、それへ熾烈極まりない暴力を叩きつけつつ。火車も同様だ、ノーフェイスへニィッと歯列を剥き出して。 「こりゃいい良く来た! 全力で邪魔してやっから精々足掻けよ指示待ち共がぁ!」 轟っ。燃える拳。照らし出される凶相。 「いいぜいいぜ大々々歓迎だぁ! ぶっ潰してやるよ!!」 有りっ丈の火力、超高音。振り抜けば、鬼神の御業が如く荒れ狂う紅蓮の火柱。 火の粉の間隙。火車は後方にて陸駆へ拳を振るうアウグストを睨ね付ける。 「おいアウアー登山でも行くのかよ? テメェ邪魔なんだよコッチ来て精々無能発揮してろ! ……前回負けて? 愛想尽かされて? 放浪でもすんのか? にしちゃ派手だなバックパッカー!」 「ニイタカヤマノボレーっていうのが坊ちゃん達の国にはあったんだろう? トゥラトゥラトゥラー! ってね、あっはは!」 ぎりっと唇を噛み締めたアウグストが何かを言う前に、けらけら笑うブレーメが先んじる。部下をシメるのが上官。言葉の撹乱などさせはしない、と。 「「面白ぇ!!」」 瀬恋と火車が咆哮する。構える拳。大蛇と炎。 その傍らを飛び過ぎたのは一枚の光る羽根。それは真っ直ぐ、アウグストへ――そして彼と相対する陸駆を巻き込み光と轟音を炸裂させる。二人の動きを拘束する。仲間を巻き込む事を厭わぬと。セラフィーナは思っていたが故に。 「貴方達のリーダーは死に、ドイツは敗北したんです。それが認められないから、こうして未だに悪あがきをしている……今の世界を受け入れて、その上でより良くして行こうとは思えないんですか!」 「俺の今のリーダーは『リヒャルト少佐』だ、可愛い愛しい鉄の猟犬さ! それに受け入れろってお嬢ちゃん、随分と傲慢だなぁおい? 俺達の都合は無視か? 敗戦国は泥でも食ってろってか? 戦勝国<アメリカ>くっせぇなぁ、お前さんメリケンだろ!」 張り上げた少女の声にブレーメが答える。半ば呆れた様に。綺麗事だ。戯言だ。悪あがき? それが生きるってもんだろう! ブレーメが『やれ』と指示をする。教えてやれ、と。刹那にバウアー達がセラフィーナを取り囲む。しまった。逃げなくては。――どうやって? 360度。そこに逃げ道はなく。伸ばされる手、手手手手手手手手手手。寄って集って。 手。救う為に竜一が伸ばした、その先で。 どかん。どかん。どかん。どかん。どかん。 どろどろ。嗚呼、嗚呼、血だらけだ。血みどろだ。どろどろと。 「はぁッ、はあっッ――」 ザックリ裂けた額から滴る鮮血。濡れた前髪。顎先から滴る赤。赤い視界。血を失い過ぎてぐらつく視界で、散らした運命の残滓を感じつつ和人は正面のブレーメに対して盾を構えた。その盾も、身体も、遍く。ズタズタだ。恐るべきは装甲を切り裂く二振りの刃。原形を残しているのが――五体満足なのが、盾が盾としてて未だ使用できているのが、不思議な程に。 しかし寸の間も気を抜けない。紙一重の隙間でも隙を見せようものなら、そこから狂犬は食い破る。己を、そして背後に護るアリステアを。 「相変わらず激しいねえ。ま、簡単にヤられるつもりはねーけど」 だが、それでも余裕たっぷりに和人は正対するブレーメへ笑んでやるのだ。 「お姫様を護る騎士様、ってかい? 恰好良いねえ、惚れちまうよう」 歯列を剥き出し笑いながら、ブレーメはナイフを舐めている。舌先に乗る血と唾液。「美味しくない」ペッと吐き出した。じゃあ何で舐めたんだと和人は眉根を寄せる。 「趣味悪いね君」 「良い趣味だろ?」 言下の加速。多重の刃が和人とアリステアを狙う。地面を踏み締める音。 「っ……!」 アリステアの息を飲む音が聞こえた。それでも、怖くても目を閉じたり逸らしたりしないのは彼女が『強い』から。そしてそんな少女の白い肌には未だ、傷は一つも無く。 ポタリ。また血が一滴、地面に吸い込まれてゆく。 「く――」 大装甲の隙間から無理矢理。突き立てられたナイフは、和人の腹に深く沈み。ナカミを掻き回す。ごぶっ。せり上がる血が、和人の口から漏れだした。 無敵要塞。普通の者ならば二回程死んでいるかもしれない。未だに和人が立ちはだかっているのは称賛に値するものであろう。事実、ブレーメも驚いていた。たいしたものだ。うち<親衛隊>にもここまで堅い奴はそうそういないだろう。たぶん。 「カタイ人。名前は何だい?」 「斎藤・和人。よろしく」 「よろしく。『じゃあね』」 ゆらりと加速――ゆらりゆらりと。殺す為だけの。逸脱した濃密な殺意は死の幻を見せ付ける。告死の影、『二重の歩く者』。 ――! 目を剥いたアリステアに、びちゃり。血飛沫が飛び散った。その白い肌を、銀の髪を、雪色の羽を、赤く赤く。 「和人おじさま!!」 ぐらりと頽れる彼に、手を伸ばし。アリステアは抱き止める。己を護り続けてくれた男を。そしてその血を止める為に、仲間を癒す為に、少女は祈る。歌を詠う。聖なるかな。福音よ来たれ。どうか助けて。仰いだ天。明日も見えない暗い夜空。それでも。そこに灯る光が抗うのであれば。嗚呼、この力は、皆を護る為にあるんだから――! 「わしが優しいって言っとったな」 倒れた和人に次いで、アリステアを護る為に立ち塞がったのは仁太だった。「確かにそうなのかもしれんな」と。 「けんど、その優しさのためにどこまでも残酷に、暴虐になれたりもするんやで。自分を殺してでも、な。 ……お前らを倒すために、わしの全力をぶつけてやる」 「嗚呼。益々。アルトマイヤー少尉みたいだなジンタ君。あの人も優しいんだ……でもだからこそ『おっかねえ』のさ! あぁおっかねえ、おっかねえ、俺はその目を知っている、『覚悟の目』だ! 嗚呼おっかねえから殺しちまおう!」 だがその言葉に。ナイフを振り上げたブレーメへ仁太が銃を向けた瞬間に。 「ブレーメ来いよオラァ!」 狂犬の横っ面へ。振り抜かれた業炎撃。誰のものかは、最早言うまでも無い。飛び退いたブレーメが口角を吊る。 「ようカッシャー君、Ich liebe Dich!」 「あァ? 意味不明じゃボケ!」 ざんッと踏み込み、跳ね回る軍人へ繰り出す拳。赤い色。 「お前等~『方舟のお姫様』は任せるわ」 最中にブレーメは後衛狙いをブロックされていない部下に任せ、火車へキチンと向き直る。突き出す刃と繰り出す拳が、交差する――瞬間。 びきっ。音を立てて。まるで時が止まったかのように、ブレーメの動きが止まる。その身体に、氷が。凍っている。なのに、じわり、男が首元に覚えたのは熱だった。生温かいモノが首筋を垂れ落ちていく感覚。鉄の臭い。嗚呼。これは。そうか。そういう事なんだろう。 真鉄の忠犬。真鉄の誓約。遥かのアルトマイヤー隊にて、誰かがアルトマイヤーに何かをしたのだ。 どっちにしても。火車には好都合だ。ぶっ飛べやボケ。叩き込む。その鳩尾へ。 「おえッ……!」 血交じり胃酸の悲鳴。ぼとぼとぼと。 「少尉、少尉少尉アルトマイヤー少尉ぃー! 寒いよ冷たいよ動けないよ死んじまうよう!」 相変わらず口調はへらへら。しかし、少尉の隊はそうそう状態異常にかからない筈だ。なのに少尉がそうなったと言う事は、相当な『精度』を持つ者が居ると言う事だろう。厄介だ。だからこそ通信機で上司に逆命令。『邪魔だからそいつ潰せ』と、部下の回復術に包まれながら。 「何かよく分かんねーけどぶっ潰すだけだオルァハゲ丸がァ!」 業炎。 「おい。テメェ。そこの全自動ケツまくり装置しょったオッサン、テメェだよ」 同刻。ゴキンと拳を鳴らす瀬恋の眼前には、同じく拳を鳴らすアウグスト。答えぬ男に、無頼少女は鼻で笑った。 「いやぁ、流石優良種。血統書付き負け犬軍団。喧嘩相手から逃げる技術だけはいっちょまえだよなぁ?」 「アーウグースト~。下らねえ劣等の戯言に『負ける』ような事ァねえよなあ?」 火車の猛撃を掻い潜るブレーメの声。負ける=死。ブレーメは部下へ至極簡単にこう言ったのだ、「挑発に乗る様なクズは死んどけ」と。ある種の恐怖政治だ。そして心酔している。崇拝している。だからこそ。親衛隊は無限機関を暴走させて、臨界点超越。 「貴様等を叩き潰すッ、それがブレーメ曹長から賜わりし使命! 故に私はただただ励もうッ!」 「上等だゴラァテメェ生まれてきたこと後悔させてやる! 見せてやるよ、この血に刻まれた坂本の生き方って奴をよぉ!!」 違えざる血の掟。決して濁らぬ赤き誇り。地面を踏み締め敵を睨むその目は阿修羅よりも怖ろしく、揺るがぬ様は鋼鉄の騎士よりも誇らしく。 「「おぉおおあああああああああああッ!!」」 ケダモノの如き咆哮。呻る唸る、うなる拳。瀬恋の拳はアウグストの顔面へ、アウグストの拳は瀬恋の腹へ。鼻血、胃液、されど痛みは押し込んで。踏み込んで。 もう一発ッ! 「死ねやァアアア!!」 齎せ、最悪な災厄。黒い髪を獅子の鬣の如く振り乱し。瀬恋のぎらつく眼光が夜闇に尾を引いた。 皮肉にも、セラフィーナがバウアーの連続自爆攻撃に倒れた事で火車と瀬恋は目標の前に辿り着く事が出来た。 バウアーの自爆時に吹っ飛ばして親衛隊を巻き込もうと目論んだリベリスタであったが、彼等の爆発タイミングは完全に親衛隊が操作している。上手くはいかなかった。それでも、だ。残ったバウアーは、竜一の一刀がその首を刎ね飛ばした。拭き上がる鮮血。返り血。それを拭う暇はなく。 作戦は次の段階に入る。目配せ。頷いたのは、倒れた仲間をその後ろに運び護るルナ。 まもってみせる。今度こそ、護り通して魅せるから! 「――行くよ!」 掲げる杖。奔る魔力。 エル・バーストブレイク――それはハンヒェンを除く全ての親衛隊へ。 「!」 ある者は吹き飛ばされ、ある者は薙ぎ払われ。 さぁ、一気に迫るは親衛隊の『生命線』――だがしかし。 火車はブレーメに、瀬恋はアウグストにブロックされ。仁太と陸駆はアリステアとルナを護る為にその身を呈する事に手一杯で。それに、ノックバックとは撃てば必ず入るものではない。確立。吹き飛ばされずに済んだ僅かな親衛隊が、行く手を阻む。 結果、ハンヒェンに届いたのは糾華の蝶、瀬恋の断罪弾。反射の傷が、少女達の肌に咲く。肌を裂く。 「痛みが返ってくるからってビビると思ってんのかボケェ! 上等だ!」 「たとえ鋭い針を持つ鼠であろうが必要であれば掴み潰すわよ、私達は。――甘く見ないでね?」 張り上げられる声、不敵に笑う唇。 直後に爆発。少女達の髪が舞う。親衛隊がお返しと言わんばかりに投げつける対戦車手榴弾。今度はリベリスタが吹き飛ぶ番だと。同時にハンヒェンが仲間達に1945年<屈辱の日>を想起させる。それは猟犬達の復讐心を闘争心を掻き立てて。 「退けぇっ、揉みに揉んですりつぶしてやるぜ!」 そんな彼等に。竜一は雷切に刃の風を纏わせ振り回す。それは親衛隊のデュランダルが構えた刃をも圧し通り、深く切り裂いた。直後に糾華が放つ蝶が苛烈に戦場を舞い飛ぶ。一度、ハンヒェン攻略が芳しくない結果に終わり。『回復手が狙われている』と認識した親衛隊はそれに対応して動き始める。ハンヒェンを庇うクロスイージスの存在。リベリスタと同じ手段。それに降り注ぐ攻撃。おそらく、庇い手が堕ちるのは時間の問題だろうが。問題は『それにどれだけ時間がかかるか』だ。 一身に、一心に、祈り続ける。アリステアは歌い続ける。傷を癒す優しい歌を。戦いを終わらせぬ残酷な歌を。彼女は知っている。この詠唱が途絶えてしまえば、そこに待つものは。故に何が起ころうが、癒し続ける他に無いのだ。 「ディアナ、セレネ、お願い!」 ルナがフィアキィ達に指示を送れば、『二人』は輝きを散らしながらアリステアの身体を光で包む。その魔力を『リブート』させる。 ありがとう、交わす短い会話。アイコンタクト。そしてアリステアは、再度祈りを捧げ始める―― 「根性論はいいな! 天才も根性がないとつとまらない! 1945年の悲劇をもう一度この国で起こしてたまるか!」 声を張り上げ、陸駆は立つ。ルナへ攻撃を加えんと迫る親衛隊の前に立ちはだかり、護る為に傷だらけの腕を構える。奇しくも同じレイザータクト同士。ふーっ。噛み締めた歯列の間から漏らす吐息。血反吐に赤く染まった歯。垂れる血。それでも眼鏡は割れない。天才だから。倒れない。天才だから。 リベリスタの火力が最高水準に保たれているのは偏にルナのおかげであり、リベリスタがすぐに倒れず戦い続ける事が出来るのはただただアリステアのおかげで。それが、争い合う事を好まない彼女達の『戦い方』。 二色の妖精が光と共に舞い踊る。白い翼が闇を切り裂き、聖なる祈りが福音を鳴らす。それらはこの鉄臭い戦場の中において、ある種の神々しさすらも感じさせる光景であった。両手を組んだ天使の周囲を、妖精が踊っている。光りの粉を散らして。 だからこそ――護らねばならないのだ。ルナへ向かう冷徹の視線は間に割って入った陸駆が代わりにその胸に受ける。アリステアの頭部を狙って放たれた精密射撃は、庇うべく飛び出した仁太が咄嗟に出したその掌で受け止めた。ビス、と穿たれる。痛覚。呻き。染まる染める赤い色。 それでも、「来いや」と。不敵に釣るのは口角。握り締める拳。突き付ける。血が垂れる。 「わしの強みが攻撃だけやと思ったら大間違いやで」 たとえどんな攻撃だろうと。引き当ててみせようじゃないか、『絶対回避』の運命を。中指の代わりに突き付ける銃口、睥睨。 「狂犬病でも貴様らより大人しいだろうな! 僕らは貴様ら狂犬に打つ予防接種だ! 注射は怖いぞ! うちのタマもキャンキャン鳴いてたからな!」 陸駆だって負けちゃいない。『聖域』に立ち入りたければ、それを護りし城塞を完膚無きにまで破壊してみせよ。上等だ。鉄の牙の狂えた犬共はげらげら笑う。知ってるか、狂犬に噛まれたら絶対に死ぬんだってよ? 『おっかないねえ!』 血みどろの喝采、死の手招き。万雷の拍手は殴打音。 ごほ。ごほ。ぼたぼたぼた。向き合う二つの顔。から、鼻、口、耳、赤い色。どろどろと。腫れた頬。青痣の面。けれど瀬恋は戦闘態勢を崩さない。その身に刻まれた『血』は、彼女に倒れる事を赦さない。 ハンヒェンへの射線を塞ぐ様に立ちはだかったアウグスト。瀬恋同様ズタボロで。互いにボロ雑巾。笑い話だ。嗚呼滑稽。酷く滑稽。 「アタシはアタシの邪魔をするヤツが大ッ嫌いなんだよ」 いいだろう、そんなにぶっ殺されたいのであれば。お望み通り。 「コテンパンに磨り潰してやるよド汚ぇゲロッカスがぁ……!」 報いを受けろ、亡霊め。構える銃指。最悪な災厄。せり出す砲身。込める弾丸は、己の怒り。己の痛み。 あああああああああ。咆哮。絶叫。咽を振り絞る。暴力に浸りきった二つのケダモノ。 爆ぜる。爆ぜる。迫る。搗ち合う拳。大爆発。渾身の結果。硝煙の中。吹っ飛ばされる。煙の尾を引いて。どん。ごろごろごろ。地面を無様に転がった。顔は隙間なく、血と埃と汗で汚れ。殴られて腫れ上がり、痣が傷が出来て。不格好だ。けれども、勝利に、生に、只管縋り挑戦し拳を突き付ける様は、ある種の崇高さすら感じさせるイキザマで。 まだ倒れない。 まだだ。まだ倒れない。 まだ戦える――戦える、戦える、戦える、戦える、戦える! 未来に唾を吐き捨てる。 首をなぞる冷たい感触。咽に潜り込んだ刃の感覚。『動脈を断たれた』――という未来を運命で無理矢理焼き変えて、血反吐を吐きながら火車は起死回生の拳を突き出した。それはブレーメを殴り付け、勢いのままに飛び下がらせる。 ブレーメとて無傷ではない。されど、その何倍も火車の身体に傷。 「ごほ がハッ……! ったくチョロチョログサグサ刺しまくりぁがって……!」 じくじく、じわじわ、刺されて抉られて。内臓が出かけているのは気にしない方がいいのだろう。火車は拳をガツンを搗ち合わせる。一方、切れた唇を舐め上げる狂犬は何食わぬ顔で笑って居た。 「んん、じっとしてれば心臓にサクッ。で、終わるけど?」 「ぬかせハゲ丸!」 「剃ってんだよう!」 ケケケ。舌を出す男。交差させたナイフと炎の拳がぶつかった。 間近。睨みあわせた視線は逸らさない。 ぎり。 ぎりぎりぎりぎり。 「……こないだから思ってたんだがよ。坊ちゃんと俺は似てるよ、戦い方が」 「ハア? 挑発のつもりか? まだ死ね死ね連呼のボキャ貧の方が愉快だぜ」 「ああ、教えてやるよ。カラクリ一つ。俺もさあ、『逆境燃え』なんだよねえ!」 がぎん。 弾き上げた刃。拳。 告げられた言葉。行き過ぎた勝利への渇望。逸脱した妄執は『己の不利』を徹底的に認めない。絶対に赦さない。パラノイアは現実から目を逸らし、耳を塞ぎ、妄想し、それを無理矢理捻じ曲げる。自分の都合の良いように。 負けたくないからもっと強く。もっともっと強く。 「――テメェ如きの執念じゃ 温ぃんだよ」 されど火車は吐き捨てた。言いたい事は分かる。分かった上で、『それがどうした』だ。踏み締める地面――刹那の中。眼前の敵が『ゆらり』と加速する。嗚呼。前は良くまぁやってくれた。だがしかし、だ。秒以下の世界。火車が眼前に見澄ましたのは、己の姿。 上等。 俺がオレに勝てる訳ねぇだろ? 俺に歯向かう奴ぁ――『オレ』だろうがぶっ殺す! 「本家本元に! 偽者如きが! 敵うわっきゃねぇだろうがぁああああ!!」 燃やす拳。燃やす闘士。燃え上がる『爆』の文字。後退は無い。前進あるのみ。 ノるか? 反るか? 勝つ為にどうする? ――ヤる以外ねぇんだよ!! 鮮血。 血飛沫。 血潮。 血煙。 赤。 赤々。 赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤。 ぶしゃ、あ。 「……っッ!!」 貫かれた胸から、裂かれた咽から、一文字に赤い花。 火車は、睨ね付ける。赤い赤い中で。ナイフを血で染めた男。ごぼり。血に溺れながら。 しかし意識を手放すその瞬間まで、火車は戦う事を止めなかった。 一歩。無理矢理に首を動かし。血を。噴き出す血を、ブレーメへ。 「!」 それはほんの一刹那。返り血にブレーメが一瞬だけ――ほんの一寸だけ、目を細めた、その瞬間。 ざくり。 「―― あれ?」 それは、倒れ行く火車を飛び越えやって来た。ブレーメの胸へ、吸い込まれる様に。 呆然とブレーメは目を剥いた。己の胸に留まった蝶。綺麗な蝶。『イノチ』を運ぶ不滅の蝶。 突き立てられた刃は深々と。赤々と、滴らせて。 「ぐッ、うぐあ痛え!?」 刃を引き抜けば、鮮血。顔を上げた。その果てで、銀の髪がゆらりと舞った。 「そんなに急がなくっても良いでしょう。もう少し踊りましょう?」 言ったでしょう、『殺しに来た』と――糾華は薄笑む。必ず、必ず、止めてみせる。瞳に輝くその色は、欠片も曇る事は無く。 「……へへへへへへへへへへへ!」 いいねいいね最高だ。『負けるものか』。ただそれだけが、狂犬を一層掻き立てる。血を流せば流す程。嗚呼、とことん、どこまでも、きっと、分かり合えないのだろう。糾華は細めた眼で狂犬を見据える。だから闘争するのだ。だから潰すのだ。だから殺すのだ。それしか解決法が無い故に。既に『そうせねばならぬ』と結論が出ているが故に。 「――戦争犬<ウォーモンガー>」 「美学主義屋<ロマンチスト>ォ!」 恋人の様に呼び合って、親の仇を見る様な目で蔑んで、手にした刃で血塗り合う。 降り抜いた。跳びゆく蝶はブレーメの眉間へ――瞬間に躱され、代わりに傾けた蟀谷を刃翅が一撫で。それでも狂犬は止まらず。接敵。零。 回避を――されど不幸か、揺蕩う銀髪を掴まれて。無理矢理に引き寄せられる。しまった。歯噛みする糾華の視界、牙を剥く狂犬。振り上げられた黒いナイフ。咽に迫る。 されど糾華を包む絶対的不条理は彼女を見捨ててはいなかった。 ルナのエル・バーストブレイク。それによって巻き上がった小石が偶然――本当に偶然か、糾華の超運が引き寄せた必然か――ブレーメの手に当たり。狙いが逸れて。外れる。空を切る。 「な、何でえ!?」 「Jackpot<大当たり>ね、おめでとう」 蝶の刃で掴まれていた自らの髪を切り裂き。糾華は飛び下がる。 戦いは終わりもしない。 終焉は未だ、観劇の席の上。 抗い続け、抗い続け。 クリスティナ対応班から『支援』は無いと連絡が着てから何十秒経っただろう。 其処彼処に飛び散った運命の燃滓。眼前の親衛隊と相討って、遂に竜一が力尽きる。 戦場を奔る断罪の魔弾。瀬恋の放ったそれがアウグストを掠め、クロスイージスを撃ち抜き、遂にハンヒェンが晒される。 傷付け、癒され、また傷付け。繰り返す。終わりが、見えない。否、徐々に、押され始めている。 ――ここまでか。 「……皆、撤退しよう。このままじゃ……」 誰かが死んでしまうかもしれない。アリステアの泣きそうな声。限界だった。これ以上徒に被害を増やせば、どうなるか。リベリスタ達は歯噛みする。 「下がるよっ、援護するね!」 声を張り、ルナは魔法杖を振り翳す。刹那に吹き荒れる、爆華の嵐。巻き上げる硝煙、爆風。今の内だ。土煙と夜闇に紛れる様にしながら、リベリスタ達は走り出した。 逃がすか。爆炎に咳き込みながら笑い、ブレーメは追撃の為に走り出す。軽快に。へらへらと。 「もしもしアルトマイヤー少尉! ブレーメであります! ねえ今日は撤収なんて言わないで下さいよね!」 最中に狂犬は通信機で上官へ笑いかける。だが。返ってきたのは無音――否。音ならある。それは戦闘音楽。間近で。 「――」 刹那に、それまでへらへらしていたブレーメの顔から一切の表情が消えた。糸が切れた様に立ち止る。あの上官の通信機から『間近の戦闘音』? そのまま。ブレーメは無言のまま急に踵を返して走り出した。その身に雷光を纏う全速力。突然の上官の行動に部下達は驚きながらも、追撃を諦め去り行くリベリスタを一瞥だけして彼に続き走り出す。 そして、足音は性急に遠退いて行く―― ●胃袋の無い犬 「――アルトマイヤー少尉ぃいーーーッ!!」 その背が見えるや否や声を張り上げた。息が上がるのも構わず走る。刹那もかからない。急ブレーキに踏み締めた地面、砂を散らして。肩を弾ませながら振り返ったその蒼い目を見上げる。その頬に散っている赤い色を、そして何より酷く裂けたその肩を見て、眉根を寄せた。同時に上官の服に顔を寄せた。すん、と嗅ぎ取るのは上官の血のにおいと、『知らない奴』の血のにおいで。 「取り敢えずアンタが『負けて<死んで>なかった事』に俺ぁ一安心ですが……傷に、返り血だなんて。一体全体何が?」 常の軽い調子に戻りヤレヤレと息を吐きつ、呼吸を整えつ、されど怪訝の色を目に潜ませながら、顔を上げて問うた。この上官と知り合ってウン十年経つが、全く以てこれまでにない事態である。 「大したことでは……いや、素晴らしいものを見てな。柄にも無く遣り合った結果がこれだ」 その言葉に「成程」と頷いて。こっちだって色々あったが、何処か奥底に高揚感を隠し持った上官の声を聴くと『後で良いか』という気持ちになった。溜息の代わりにポケットに突っ込む手で、その中に押し込められていたハンカチ――先日少尉から借りたものだ、返り血の所為で既に赤く湿っている――を引っ張り出して、前のお返しと言わんばかりに優男の顔面へと投げ付ける。 「血被りの貴方を見たら、誰も彼も肝を冷やしますよ。その手、ちゃんと使えます?」 「問題無い。君にだけは言われたくないな、……珍しい、それは返り血ばかりでは無いだろう?」 微かに細められた眼差しが己の身体を一瞥。ああ、そうだ、確かにそうだ、刃の蝶が留まった胸に、炎の拳に殴られた顔、殴打痕に火傷に鼻血と。返り血に染まりきった軍服だって焼かれて撃たれて。それでもじわじわと治りつつあるのは――上官の手首にふと視線を遣った。白いそこを縛る黒が、赤い色を垂らしている。じわりじわり、血を滴らせる真鉄の証。 嗚呼。込み上げるのは愉悦だろう。血のにおい。銃声悲鳴罵声鬨の声。何処も彼処も。『もっと』だ。『足りない』。もっと戦果を。もっと闘争を。戦争をしよう、戦争がしたい、ただただ『勝利』したいから。 口角を吊った。首元の血濡れた首輪を赤黒く笑わせながら。 「さっ、それじゃアルトマイヤー少尉。――この『鉄牙狂犬』にご命令を下さいな」 そうだ。命令だ。兵隊はそれがないと始まらない。故に請う。餌を待つ犬の如く。見詰めた。髑髏を掲げる黒い帽子を被り直した蒼い目を。猟犬の目を。 「――君の思う儘に。勝利を望め。その飽くなき欲望を私に見せ続けてくれたまえ。それが恐らくは最も、望む『戦果』に近付く術だろう」 「Jawohl,Mein Lieblingsleutnant! 往きましょう、生きましょう、全ては全ては『勝利』の為に!」 あはははははははは。広げる両手にナイフを携え。犬の様に舌を出し、狼の様に狂い笑う。白痴になっても廃人になっても人間を辞めようとも、終焉に勝利の美酒を啜れるならば。そうだ、『終わり良ければ全て良し』――それが世の道理というものだろう! ――我々は侵攻する。欠片の慈悲も無く。 『了』 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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