●アーネンエルベの亡霊 空を割るような轟音。同時に、砲弾が飛び込んだビルの窓から、夜闇を明るく照らす爆炎と、そして夜空を塗り潰す真っ黒な煙が溢れ出す。 三ッ池公園。かつては平和で、幾度か戦場となり、そして今は厳に警戒されし場所。 その湖畔の公園が、またも戦場と化していた。 戦場であると、いまや過去にしか存在しない軍服を纏った者達が決めていた。 「フォーグラー曹長、次射を準備だ。せいぜい燻ってやれ」 南エリア・パークセンター、管理棟ビル。 指揮官然とした痩身の男が、鋭い眼光をビルから外さずに指示を出した。ヤー、と最小限の返答を発した兵士は、また長大な砲身を構え直す。 そんな戦場に、ひとつの違和感が在った。 「なかなかしぶといねェ、連中は」 薄汚れた白衣を纏った青年が嗤う。卑しい笑みだ。痩身の男――ギルベルト『親衛隊』少尉は心中にそう嫌悪感を抱いてはいたが、しかし表向きには謹厳な軍人の顔を崩してはいなかった。 「とはいえ、劣等人種どもも馬鹿には出来ぬものでしょう」 「ああ、そうだね。『七派』の連中はせっせと情報を送ってくれるし、あのオオタとかいう奴の手下も使えなくはない」 形ばかりではあったが、ギルベルトは青年に対して、上官あるいは賓客への態度をもって接していた。とはいえ、この白衣の男が軍人でないことは、纏う空気からして明白だ。 「意外ですな、ヘル・ドクトル。貴方が劣等人種どもを評価するとは」 「なぁに、僕だって現実くらいは見るよ。下働きをやらせるにはちょうどいいし、何より研究には資金と物資が必要だ」 博士、という敬称ほどの威厳は、青年からは感じられない。世の大学であれば、駆け出しの研究助手というのがいいところだろう。だが、丸いモノクルの底から滲み出る『何か』は、その辺りの若者の希望に満ちた光とは一線を画していた。 「とはいえ、肝心要の部分は僕ら親衛隊が出張らなきゃいけないってわけだ。ことに、『サンプル』の採取は、あいつらには任せられないね」 唇を曲げる青年を、ギルベルトは虫でも見るような目つきで見やり、しかし口には何も出さずに煙を噴き上げる窓へと戻す。もっとも、そんな機微は通じないのだろう、青年は滔々と、実に嬉しげに話し続けた。 「少尉には期待しているんだよ。何せ、僕の研究には『閉じない穴』以外にも『活きのいいサンプル』が必要なんだ。劣等人種なりに、屈強で、聡明で、神秘に通じていて――もちろん、生きている事は譲れない条件だね!」 雑魚なんかじゃ満足できないんだ、だから特に有能なチームでなきゃ、と熱を帯びて青年は語る。 そこまで仰るなら少佐についていけばいいのでは――とギルベルトは皮肉の一つでも言ってやろうとして、それは無理かと肩を竦めた。少佐の得物(アハト・アハト)は生け捕りなどという任務にはまるで向いていないだろう。 その時、青年が何かに気付いたかのように、アッ、と声を上げた。 「そうそう、そうだ。少尉!」 「何でしょうか、ヘル・ドクトル」 渋々向き直ったギルベルトが見たのは、先ほどの上機嫌はどこへやら、表情どころか全身で不快を主張する男の姿だった。 「言ったじゃないか。そのヘル・ドクトルってのはやめてくれって」 尊大を形にしたような目つきと口調で押し黙った軍人を責め、彼はふん、と鼻を鳴らす。その顔には、かのアーネンエルベに乞われて属した有能な研究者という自負が、七十年を経てなお、満面に溢れていた。 「僕のことは、『ドク』と呼んでくれたまえ!」 ●戦争の夜に とうとう動き出した『親衛隊』により、またもリベリスタとフィクサードが激突することとなった、因縁の地・三ッ池公園。 ここしばらく続いた襲撃事件は、アークに望まぬ緊張と疲弊を強いている。しかも、今は七派首領の五人までが暴れだすという大事件の真っ最中。多くの精鋭が出払っている中での侵攻は、図ったかのように絶妙のタイミングを突いていた。 なるほど、厳かな歪夜十三使徒が第八位、『鉄十字猟犬』リヒャルト・ユルゲン・アウフシュナイターは、アークの戦力を誤解しない。少なくとも、彼は決して敵を侮ってはいなかった。これまで戦った使徒と違って、だ。 大田財閥の長・大田剛伝と組んで、親衛隊は強力な兵器を開発している。それを更に神秘の力で強化する為に、特異点である『穴』が欲しいのだ。――適切な情報を持つ者ならば、その推測へは容易に辿りつく事が出来るだろう。 いずれにせよ、『穴』を渡すわけにはいかない。そして、もとより公園の予備戦力で対抗できる相手ではないのだ。決して万全とは言えないながらも、リベリスタのチームが次々と編成され、夜の公園へと投入される。 あるチームも、敵を討つべく目的地へと走っていた。だが、アクセス・ファンタズムから漏れ出した声が、彼らの足を止める。 「聞こえる? お願い、みんなは南の管理棟に向かって。最初の担当エリアには、他のチームを送るから」 彼らを先ほど送り出したばかりの『リンク・カレイド』真白イヴ(nBNE000001)が告げたのは、管理棟に立て篭もった別チームの救出指令。混乱の中で強力な敵部隊に遭遇したそのチームは、窮余の策としてビルに逃げ込み、攻撃を凌ぎながら助けを待つことにしたのだ。 イヴの依頼は突然ではあったが、放置しておくわけにはいかない緊急のもの。通信を受けたリベリスタは判った、と告げて――突如、立て篭もる、ということの違和感に思い至る。 「うん。親衛隊の目的が公園の制圧なら、わざわざ『援軍を呼ばれる』リスクを犯してまで篭城戦に付き合う必要は無いの。それも、一当たりすれば判る、明らかな二線級相手に」 もちろん、戦場の行動はケース・バイ・ケース。たまたま、現場の兵士達が深追いしているだけなのかもしれないが――。 「ううん。あっちのチームのログを辿ると、相当に大きな親衛隊の部隊と遭遇したみたい。なのに、大した攻撃は受けていないなんて……」 つまり、親衛隊は意図的に彼らを追い込んだということだ。今回の作戦を重要なものと位置付けているにも関わらず。より強力なアークの戦力が送られると知っていて。 何のために? 「理由は想像するしかない。だけど、誘っているのは間違いないと思う」 つまりは、それだけの戦力を揃えているということ。決して油断しない親衛隊が、二つのチームに挟撃されても捻じ伏せる自信を持っているということだ。 「気をつけて。最悪でも、ミイラ取りがミイラになることだけは避けてね」 イヴの囁きは、縁起が悪いとたしなめるには真剣に過ぎていた。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:弓月可染 | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年07月04日(木)23:48 |
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■メイン参加者 10人■ | |||||
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●英雄幻想 Ⅰ いつかの記憶。 「――この世にご都合主義なんてものはあり得ない」 かつ、と。ブーツの踵が固い床を叩いた。ほの赤く瞳を彩った少女は、空いた手でわずらわしげに髪をかき上げる。 「英雄と呼ばれる者達も、困窮する場面はある。でもそれを乗り越えるのは奇跡に因ってではないわ」 アームキャノンにオーラが集まり、小さく稲光を放つ。その砲口が吐き出す爆ぜる矢は、エリューションを食い破る牙。だが今は、違う使い方をされようとしていた。 「覚醒してパワーアップ――そんなこと、物語の中でしかありえないの」 それは鈍器。それは凶器。オオオ、と叫び仲間へと踊りかかる鬼を、側面からしたたかに殴り飛ばした。華奢な身体が酷使に悲鳴を上げるが、元より気にはしていない。 「仲間の行動を信じ、自らが出来ることを考え成したから。そう、あるのは残酷なまでの現実だけなのよ」 ●親衛隊 Ⅰ 「陰陽の星宿に於いて命じる。四神が一、北の鎮護よ――」 リベリスタ達が息を潜める小さなビルと、ただ一人を除き鉄の規律に従って戦に臨む兵士達。銃声と爆音だけが声高に存在を主張するこの夜に、新たなる韻律がその姿を現した。 「――上帝の翁、玄武よ。在れ!」 オレンジが映える中華風の衣装に身を包んだ『普通の少女』ユーヌ・プロメース(BNE001086)が一息に呪言を唱えれば、周囲に散らした符が一斉に輝きを放ちその位置を虚空に固定する。 ぐん、と高まっていく濃密なる魔力。急速に湿度を増した空気が突如水気に変わり、すぐに渦巻く水流を生み出した。その渦の中央から現われし岩のような大亀こそ、伝説の神獣たる玄武である。 「洗い流してやれ、カビ臭い骨董品どもを」 大波が高く頭をもたげ、ざばりと兵士達――親衛隊を押し潰す。流石の彼らも度肝を抜かれたのか、幾人かは呆けたような表情を見せていた。波を蹴立てるように走り出した『ファントムアップリカート』須賀 義衛郎(BNE000465)は、そんな隙を見逃さない。 「さて、始めるとしようじゃないか」 手には二振りの刃。殆ど真っ直ぐに敵中へと身を躍らせ、凄まじいスピードで両手の得物を振るう。ひゅん、という風斬り音すら聞こえぬほどの速度は時間をも刻む高みへと達し、真空よりいでし氷の刃を伴って周囲の空間を引き裂いた。 「辻斬り、不意打ち、騙し討ち。何でもアリさ、勝たなければ意味が無い」 周囲の兵士達に強かな斬撃を見舞いつつ、日本最強の公務員の一人は鋭い視線を走らせる。惜しみなく振るえば味方すら巻き込んでしまう力である。義衛郎が真っ先に斬り込んだのは、同士討ちを避ける為という側面が多分にあった。 それは、同時に孤立の危険をはらんでいるのだが――。 「まったく、余計な手間を増やさないでもらいたいものね」 毒づきながらも『毒絶彼女』源兵島 こじり(BNE000630)は義衛郎に並び、両手で握る大太刀を大きく差し上げて構える。 次の瞬間、その厚みのある刃が消えた。 いや、それほどの速さをもって振るわれた彼女の牙が、側面を衝かれた格好になった親衛隊の幾人かに喰らいつく。 「元々はもっと単純な仕事だった筈だと認識しているけれど」 救助などというファクターの無い、純然たるぶつかり合い。それがこじり達の請けた任務であった。もっとも、緊急指示を送ったイヴの選択基準が単に距離の問題とも思えなかったから、面倒ではあっても悪い気分ではない。 強力な『軍隊』相手に救出を成功させるという事がどれだけ難易度の高い任務か、理解しているのはこじりだけではない。初手から手抜きの無い攻撃であった。襲撃が予期されていることは承知の上、出会い頭の一撃を『かまして』やらなければ、作戦の成功はおぼつかない。 何故ならば。 「ようやく来たか。忠勇なる親衛隊諸君、応戦せよ。バーゼルトとフレンツェンは小鳥の牽制を継続」 「「Jawohl!」」 謹厳実直を絵に描いたような壮年の軍人が、冷静極まる声音で告げる。リベリスタの猛攻にすら眉一つ上げただけで動じなかった彼の指揮は、やや浮き足立っていた兵の落ち着きを瞬時に取り戻させていた。 「待たせたな! 来てやったぞ、この結城竜一が!」 啖呵を切る『合縁奇縁』結城 ”Dragon” 竜一(BNE000210)。歴戦の戦士である彼もまた、緒戦の重要性を熟知していた。そして、敵も同じであろうことも。 「さあ、その細い目を開いてとくと見ろ! 俺がアーク一のイケメンリベリスタだ!」 「……Feuer!」 身一つで敵の前に身を晒す竜一に注がれる火箭。たちまち全身を銃弾の雨が穿つ。あらゆる妨害を踏み潰して進む闘神の如く、全身に怒れるオーラを漲らせる彼であっても、その傷は決して浅くは無い。 「くっ……!」 「竜一!」 苦しげな呻きに反応したのは、後方で戦場を睨んでいたユーヌ。そして、今まさに氷の雨を喚ぶ秘術を紡がんとしていた『百の獣』朱鷺島・雷音(BNE000003)だ。彼の傷が見過ごせるものではないと瞬時に判断し、陰陽の業ならぬ聖歌を響かせ、癒しの福音を戦場に渡らせる。 「これはこれは大仰な歓迎だな。一線級の部隊というところか」 ことさらふてぶてしく宣ってみせる彼女は、しかしその意味を誤解はしていない。注意を惹くために単身乗り込んだといえ、その実力を理解している前衛が見る間に傷ついていく様子は、親衛隊の実力を存分に知らしめていた。 「ボク達アーク精鋭を呼び出して、お遊戯会でもするつもりか?」 戦場を俯瞰し僚友の指揮を執らんとする彼女だからこその思い切り。でなければ竜一が倒れるシーンをユーヌに見せ付けることになりかねなかったのだから、背筋に冷たいものを走らせたとて臆病ではないだろう。 その彼女が、やや落ち着かぬ様子で傍らの『愛を求める少女』アンジェリカ・ミスティオラ(BNE000759)に問う。 「残り五人は見つかっただろうか。多分裏口周辺に居ると思うのだ」 「ううん、それが、何処にも居ないよ……」 自信なさげに答えるアンジェリカ。彼女や『尽きせぬ想い』アリステア・ショーゼット(BNE000313)の持つ能力、千里をも見通す透視の瞳をもってしても、『万華鏡』がその存在を突き止めた別働隊の位置を把握できてはいなかったのだ。 「建物の中、とか……? でも、見つからないよ……」 何処に潜んでいるか判らない。こうしている間にも、その凶刃が敗走したリベリスタの背を貫くかもしれない。不安要素を解消できぬまま、彼女らは戦場へと雪崩れ込む。 (……罠かもしれない) アンジェリカのその思考は、殆ど確定に近い推測。十八人のリベリスタを弄ぶ為、奴らは何らかの手を打っているに違いないのだ。 (……でも……) 不安は尽きない。個人のスキルと集団の統率、その両方を兼ね備えた敵を相手取った経験はアークにも――アンジェリカにも乏しいのだ。それでも、退くべきときでないことくらい、判っている。 「助けを待つ仲間を見捨てるなんて、出来ない」 彼らにもきっと、帰りを待つ人がいるんだから。そう呟いて、闇色の少女は死を齎す大鎌を振り上げた。 ●親衛隊 Ⅱ 「流石に釣った魚は大きいかね、フォーグラー曹長」 そう言って、指揮官ギルベルトは苦笑する。傍らの巨人の寡黙さはよく知っているが、どうも話しかける癖は抜けはしない。振り返れば、こくり、と頷くだけの大きな頭が自分を見下ろしていた。 「ああ、そうさ! こうでなくっちゃねェ!」 代わりに答えたのは薄汚れた白衣の男。その満面にぎらぎらとした『何か』を貼り付けて、彼は叫ぶのだ。実に嬉しそうに。実に楽しそうに。 「僕にも何か手伝わせてくれよ、少尉!」 「ヘル・ドクト……いえ、ドクは下がっていて下さい。ここは小官らが」 ゲストに手を煩わせるべきでないと考えたか、それとも邪魔者に首を突っ込まれるのを嫌ったか。一言の下に嗜めて、ギルベルトは腰にいくつもぶら下がった柄付きの手榴弾の一つを手に取った。 「榴弾兵の戦い方をご覧に入れましょう」 黄色いラインの入ったそれは、ポテトマッシャーと呼ばれた往時の標準装備。とはいえ、同じなのは見かけだけではあろうが。 「ちょうど、活きのいいのが飛び込んできたようですしな」 「ええ、なにやらお待ちいただいてるようですが、どんなご用件で?」 前衛の間隙を抜けて突出したというよりは、ギルベルトの所在が前線に含まれたというべきか。彼が顎で指した先から放たれる殺気は、平べったい大剣を振りかざした雪白 桐(BNE000185)が放ったもの。 「こんな甚振るような寄り方は、気に入りませんけどね」 立て篭もった八人のリベリスタが『餌』だ。ああ、それは確かに、アークに対しては有効だろう。大局のために切り捨てることを是としない彼らにとっては。 (……だから、彼らがまだ生きてるってことも事実ではありますが) そうも考える桐だが、どの道手加減などするはずもない。既に親衛隊とアークは敵対し、今またこの公園を巡って激突しているのだから。 「さっさと沈んでしまいなさい!」 スカートじみた戦装束の裾を翻し、彼は一息にその得物を振り下ろす。その時、ギルベルトの前に割って入った巨大なる影。 ガッ、と打ち合わされる鈍い音がした。 「なるほど、体力自慢というわけですね」 フォーグラーと呼ばれた巨人が、右手に握った手斧――彼が振るうならば、という遠近感の問題ではあるが――で桐の大剣を受け止めていた。そのまま両者は力任せに得物を弾き、数歩の距離を取る。 「いいですよ。同じデュランダル同士、楽しみましょう」 「引き際は心得て下さいね、桐さん」 その背にかけられた声は『天の魔女』銀咲 嶺(BNE002104)のもの。それで退くような性質とも思えないが、かといって桐の実力には不安など無い。無いのだが――。 「同年代に見えましたけど、とんだタヌキジジイですこと」 嘲笑の台詞は、その意味合いとは裏腹の緊張の色に濡れていた。 氷の瞳に科学の粋を注いだコンタクトレンズを被せ、戦場では貴重すぎる時間を費やしてあの白衣の男を見通さんとした冷徹なる視線。だが、彼女が得た情報は、あのドクという男が見かけ通りの歳ではないということだけだ。 「……いいえ、もう一つ」 脳内で超高速の演算分析を行うことが出来る彼女にして、その力の片鱗をも見通せなかったということ、これ自体が情報だ。すなわち、どれほどほんやり突っ立っているだけに見えても、決して油断をしてはならないということ。 「ならば貴方も。――鶴の羽衣、お受けなさいませ!」 ちらり、義衛郎の姿を視界に入れた。 純白の戦衣がふわりと風に舞う。同時に全身から放たれた不可視の糸が四方へと飛び、兵士達を絡め取って。 「鶴の羽根製の気糸です。織れば高価ですよ」 いっそ艶やかに言ってのける嶺の攻め手。蘭堂・かるた(BNE001675)から立ち上った夜の闇より尚濃い漆黒のオーラが、気糸に沿うかのように兵士達へと取り付いた。 (どこまでも怜悧に、慎重に、迅速に) 他の面々と違い、戦闘状態に入って以降、彼女は殆ど言葉を発してはいなかった。無論、それほど口数の少ないほうでもなければ、緊張に呑まれて声を出せないというわけでもない。 (……そう在らねば、生き残れない) 精神を細く、細く研ぎ澄ます。敵は歴戦の軍人。無駄口の一つから与えなくて良い情報を与えることを怖れ、そして何より、集中を乱されることを嫌ったのだ。 彼女の曽祖父が語り伝えた戦争とは、それほどに苛烈なものだったから。 「……っ」 溢れ出した闇は自らの身体までを蝕む。その甘やかな苦痛を噛み殺しながら、かるたは芯の強い瞳で敵を見据え、細身の身体に似合わぬ厚刃を構えるのだ。 (脱出まで、あとどれだけでしょうか) 背後で内部と連絡を取っているアリステアの首尾だけが気がかりな彼女である。一方そのアリステアは、半ば焦りを隠せないでいた。 ――みんな、聞こえるかな? 一緒に帰ろう! そう通信を入れた時に聞こえた安堵の声が、彼女の耳から離れない。だが、立て篭もったリベリスタに『翼の加護』の使い手が居なかったことは、作戦を困難にしていた。 「……、届かせないと……!」 歯噛みする。聖なる翼の祈りは、だがしかしそう遠くまでは届かない。正面から挑んだリベリスタと管理棟の間には、親衛隊の兵士達が陣を構えている。そして、翼を与えたい相手は、下からの砲撃を避けて三階にまで上がっているのだから。 彼女自身が空を翔けるには、親衛隊の射手が危険すぎる。つまりは、否が応でも乱戦に持ち込み、ビルの真下に辿り着くしか方法が無かった。 それでも。 「もうちょっと待っててね。すぐに助けるから」 敵には聞こえないよう、アクセス・ファンタズムに囁きかける。彼女が直面した困難など、おくびにも出さず。 もちろん怖いのだ。不安なのだ。けれど、でもそれを見せてしまえば、皆を不安にさせてしまうから。 (いつものように、頑張るの) 拳を握り、唇をきゅっと引き結ぶ。 だが、その時。 ダン、と。 後方に響いた銃声。少女の背を襲う銃弾。ほとんど第六感めいた直感で横に跳び、普段らしからぬ動きでごろごろと転がるアリステアの軌跡を、二度、三度と殺意の塊が追いかけた。 「増援!? でも、どうして……!」 気を張って後背からの襲撃に備えていた嶺が見たものは、闇の中から溶け出すように現れた五人の兵士。アンジェリカとアリステア、二人のウォッチャーが何度探査しても、その姿は映らなかったはずなのに。 「……影に潜んでいたというのだな」 雷音が搾り出すようにして言った。多くのリベリスタにとって、それは『可能性』に過ぎなかったのだ。警戒しなければならないと判ってはいた。ただ、可能性に裂く余力は無かっただけだ。 そして思い知らされる。何が彼らの『目的』なのか、そのために何を狙ったのか――。 「その通り。そして、もう闇は不要だ」 ギルベルトがそう言いながら何かを投げ入れる。それは棍棒にも似た柄付きのハンドグレネード。巨大なマッチ棒のような形をしたそれは、迎撃の間もなく黄色く塗られた頭を下に向けて地面に激突する。 そして次の瞬間、眩い光が彼らの視界を染め上げた。 ●親衛隊 Ⅲ 「スタングレネードとは、搦め手を……」 咄嗟に腕で庇い、閃光から目を守った嶺が唇を噛んだ。その脇を抜けるように移動した義衛郎が、後方の増援へと当たる。 本隊側も人数に余裕があるわけではなかったが、とにかく誰かが防がねばならない事は確かだったろう。アリステア達後衛を、鋭い牙の前に放置するわけにはいかないのだから。 「あの世に送るのは猟犬達にしてくれよ、オレのワルキューレ」 呪を籠め仕立てたスーツに身を固めた伊達男が、大小二振りを抜き放って五人の増援へと向かう。 何らの気負いも韜晦も無い。ギアを上げスピードを上乗せした彼が披露するのは、まさに実戦の中で鍛え上げられた戦士の業。幻影を伴うほどに早い刃が次元を裂いて冷気を喚んだ。 翻るマント。義衛郎の背の若草が、戦争の夜に鮮烈な彩を見せ付ける。 「何時もながら頼もしいですね、私のエインヘリヤル様」 首元を飾る黒薔薇にそっと手を添えて、嶺は嫣然と笑んだ。そして、きり、と表情を引き締める。状況は明らかに悪化しているのだから。 ようやくこじりが一人の兵士を斬り伏せ、十対八の数的優位を得たはずだった。しかし、それはいまや十対十三という不利なへと変わっている。 敵の分析に別働隊の探査、ビル内とのやり取り、更には前線の構築。あらゆることに手を取られ、初撃の勢いが分散した事は大きな痛手だ。もちろん、きちんと前衛達が親衛隊を抑えたことで、敵の集中攻撃を防いだという側面も見逃すべきではないのだが。 「なら、私も戦士を導く戦乙女の役目を果たしましょう」 後方へと向き直り、視界に『現われた』増援に気糸を撒く。一撃で仕留められるほど強力な攻撃ではなくとも、兵士達を襲う鶴の羽根は強烈なプレッシャーとなるはずなのだ。 「私も……くっ!」 後方の出来事を察知し、自らもまた向かおうとした桐。だが、その彼を鉞と言っていいような厚刃のハチェットが襲う。咄嗟に受け止める大剣に衝撃が走る。じん、と痺れる両手。 「やっぱり、おとなしく行かせてはくれませんよね」 寡黙なる巨人が彼を見下ろしていた。とはいえ、このフォーグラー曹長に自由にさせれば、背に負った巨大な砲門が火を噴く事は間違い無い。どの道、退くことなど出来はしないのだ。 「ああ、そんな顔をしないでくださいよ――貴方と同じです」 改めて向き直る。構えた得物の先、彼の何倍かはあるだろう体躯から存分に斬撃を繰り出してくる大男は、確かに『楽しんでいた』。無論、軍人としての矜持も、命令への忠誠もあろう。だが、本質的にこの男は、例えば剣林のフィクサードに近い。 「震えているんですよ、この素晴らしい時間に!」 ぐん、と踏み込んだ。防御など考えなかった。ただ目の前の雄敵を斬り伏せる。頭の中のイメージをただそれだけに塗りつぶし、見掛けによらない豪腕で、ぶん、と愛剣を横薙ぎにする。――硬い肉に、食い込む感触がした。 「やけに楽しそうだな!」 肩を並べる竜一がにやりと笑う。不謹慎かもしれないが――戦士にとって、好敵手とは魂の沸き立つ存在なのだから。 「なるほど、これが一線級の部隊の実力なのだな」 噛み締めるように呟く雷音。個々の実力はアークの精鋭と同等。加えて、指揮官格の高い能力と、一糸乱れぬ統率、そして軍人としての教育。一対一で戦うならまだしも、その辺りのフィクサードとは格が違う。 「だが、実戦経験ならボク達だって負けないのだ」 ギルベルトのやや後方に立つ兵士が小さく詠唱を始めたことを彼女は見逃さなかった。それはホーリーメイガス、癒し手の力。傷ついたフォーグラーを支える為の当然の行為。そして、彼女らが真っ先に仕留めるべき相手。 「來來氷雨!」 短く叫んで九字を切った。魔力を光輝に換え十重二十重に陣を成す呪符。雷音の翡翠の瞳が、乱舞する光を受けて虹の色に彩を変える。 降り注ぐ氷の雨。それは決して、件のホーリーメイガスを狙ったものではない。集中攻撃を号令するにも、敵の錬度が高すぎる。 だが雷音は信じていた。自分以外にも、『それ』に気づいた仲間が行動を開始していると。声に出来ない声を聞き、指揮を受け止めてくれる仲間がいると。 そして彼女は報われる。 「何を企んでるか知らないけど、お前達の思い通りにはさせないよ」 忙しく立ち回りながら大鎌をぶんぶんと振るっていたアンジェリカが、す、とその指で哀れなるターゲットを指した。それは騒乱極まる戦場において、奇妙に注目を集めていた。 もちろん、それは単なる挑発ではない。指先に集まった『闇』こそは、深遠なる暗黒の瘴気。つい、とその唇が艶めいた笑みを浮かべれば、蒼白なまでに血の気の引いたホーリーメイガスが胸を押さえ倒れこむ。 「まだ、ボクは諦めたくはないんだ……!」 その絞り出すような声にこくりと頷いて、かるたは震動剣を構え直す。いや、剣自体で敵を斬ろうというわけではない。今この時、長大なるこの業物は、単に精神を集中させる為の杖代わりに過ぎなかった。 それよりも重要なのは、彼女の十指にパールの輝きを与え、それ以上に強烈な魔力を供給しているネイルだろう。朱の梵字を書き入れたそれは、清楚な印象を与える彼女の全身で、異質なデカダンスを主張している。 ――ただ、危機にある方々を救い。 雷音が先鞭をつけ、アンジェリカが繋いだ。 だが、今この瞬間に倒せなければ、すぐにその傷は塞がれてしまうのだ。敵の癒し手を無力化し、味方のそれを守ることは、E能力者同士の戦いでは常識と言っていい優先事項なのだから。 そして、この戦場の敗北は、ただ『負けた』というだけでは終わらないのだ。囚われし同胞達の命ゆえに。外道に手を染めた白衣の男の存在ゆえに。 ――ただ、共に奔る方々の力となり。 爪先に灯った漆黒のオーラは、アンジェリカのそれよりもなお大きく、深い。それはこの狂奔の夜を更に塗り潰す常闇。夜の暗がりへの根源的な恐怖を瘴気に換えて、次々と敵へと撃ち込まれて行く。 (迫る無頼の蛮人共を、滅する!) 凛とした視線の先。ぐん、と伸びた昏き塊が、銃弾となってホーリーメイガスを捉え、その胸を貫いた。 ●英雄幻想 Ⅱ いつかの記憶。 「でもね、こじりさん」 並び立つ少年は、僕はまだ英雄には程遠いけれど、とはにかんで。 「ヒーローじゃなくても人は守れるよ。人はそんなに弱くない。僕はそんなに弱くない。こじりさんが居れば、尚更ね」 「知ってるわよ、それくらい」 ぷい、と少女は顔を背けてみせる。今更ながら、らしくないとでも思ったのか――しかし、意外にも彼女は言を続けた。 「助けてくれる英雄? それどころか、私には仲間すら居なかった。それが私の生きる現実だった」 ――自分はヒロインにはなれない。だから、仕方がない。 「でも、変えてやったわ。運否天賦なんかじゃない。奇跡の力なんかじゃない」 ふと気づいた掌の温かさ。少女の左手に重ねられた、少年の右手。躊躇わずに指を絡める。 「自分の力で、行動で!」 ●親衛隊 Ⅳ 「よくやった。後はこちらで惹き付ける!」 小柄な身体に貫禄すら感じさせる雰囲気を纏い、ユーヌはハスキーな声を響かせた。常の皮肉めいた言い回しはそこには無い。圧倒的な戦力差を前にして、小さな勝ちを積み重ねていくしか方法が残されていないことを彼女も理解していたからだ。 「さあ、敗残のロートルども。襤褸の軍服を後生大事にして逃げ帰るんだな」 もっとも、その口調は敵に向かえば辛辣にもなる。忠誠心高き親衛隊ならばこそ、安い挑発と判っていて見過ごすことは出来なかった。流石に幹部連中は平然としているものの、下級兵士は怒り狂ったように銃でユーヌを狙い、また得物を振りかざして白兵を挑む。 それは覚悟の上、回復手段を失って尚堅牢なる敵陣に一瞬の隙を生み出すのが彼女の狙いだった。例え、その結果として怒れる親衛隊に蹂躙されることになろうとも。 「おっとぉ、握手会にはチケットが必要なんだ。君は持ってるのかな?」 だが、殺到する数人の兵士達の前に、彼女のパートナー――竜一が立ちはだかった。銃剣が突き入れられるより早く、闘気に満ち満ちた愛刀を一閃。大きく爆ぜたオーラが斬りつけた兵士を吹き飛ばし、ビルの外壁に叩きつける。 「それともヘッドハンティングなら、マネージャーを通してくれたまえよ! 俺は高いぞ!」 「無茶しないようにな、竜一?」 そう気遣うユーヌもまた、強かに攻撃を受けていた。いや、むしろ早々に限界を迎えていたのである。他の前衛たちが必死に受け止めていた注意を全て掻っ攫い、その身に刃と銃弾とを集めたからには。運命の力すら盾に使い潰し、無理やりに立ち上がったに過ぎないのだ。 「へへっ、格好良いだろう?」 「……馬鹿め」 愛しき男へと情感を籠めた罵倒を投げつけて、少女はまた迫る脅威へと向き直る。こんな無茶は長くは続かない。だか、あと少し。あと少しだけ、持たせてやる必要があった。 「行くわよ」 その意図を正確に察したのはこじりだ。小さくアリステアを呼んだバトルドレスの戦乙女は、密度を下げた敵陣へ、ぐい、と身体を捻り込むようにして突入する。 「それにしても、何の心算か知らないけれど、余程自信があるのね」 柔らかなステップで、ひらりと裾を翻して。彼女の背には少々余るほどの長物も、鮮血に彩られた剣舞には良く映えた。 忠勇にして豪胆。そう称するにふさわしい親衛隊の兵士が、怯んで一歩を下がるほどの殺意の旋風。敵に止めを刺すには至らずとも、ユーヌが命がけで開けた穴を固定するには十分だ。 「今回のこれ、ラブコールなのでしょう? なら、私達がこのくらい『やる』ことは、折込済みでしょうに」 いっそ呆れたように言い放ったこじりに気圧される兵士達。楔となって睥睨する彼女を援護すべく、嶺の気糸が乱れ飛ぶ。 「さあ、行きなさい」 「……う、うん!」 背後から飛び出したのはアリステア。紐を解かれふわりと靡く髪は蒼銀に輝き、それを飾る紅水晶は夜闇の中でなお鮮やかに輝きを放っていた。 「みんな、今だよ!」 通信機に囁けば、立て篭もったリベリスタ達がこわごわと窓から顔を覗かせる。素早く数えればぴったり八人。指示に従ってくれたことに安堵しながら、アリステアは牽制の親衛隊が狙撃するよりも前に動き出す。 「お願い、みんな無事に逃げて――!」 落ちつかなくとも真摯なる祈り。彼女の声に上位意思とでも呼ぶべき者が応えたか、淡い光が彼女らを包んだかと思うと、その背に小さな翼を出現させる。もちろん、窓から顔を出したリベリスタ達も。 そう、彼女は仮初の翼を与える為に、こじりらに後押しされながら、危険を省みず最前衛まで進み出てきたのだ。いかな神の奇跡も、二点の間に広がる距離を無視する事はできないのだから。 『すまない、武運を祈る!』 アクセス・ファンタズムから雑音交じりの声が聞こえると同時に、ビルの側面から一塊になった人影が飛び立った。追撃がありえなくも無い距離ではあったが、親衛隊は地上の強敵を倒すことに意識を裂いているのか、銃砲が向けられる気配も無い。 ほっとしたように人影を見送るアリステア。そこには安堵と、それ以上にここまで犠牲を出さずに救出ミッションを成し遂げた、という強い自信が生まれていた。 「間に合ったね、よかっ――」 だが、彼女は突然、糸が切れたかのように崩れ落ちた。 「うん、いいねェ! ははっ、予想以上だ!」 手を叩いて喜ぶ白衣の男――ドク。これまで一切攻撃に加わる様子の無かった彼の薄汚い白衣から、銃口を備えた機械のアームが覗いている。 「新開発の麻痺弾もうまく効いたみたいだな。これさえあれば、研究が捗るよ」 「てめえ……っ!」 実験でもしているかのような軽い口調に、竜一が珍しく怒りの篭った目で彼を睨みつけていた。 ●親衛隊 Ⅴ 「大人しくタイムスリップする車でも発明してろってんだよ!」 いささかの躊躇いもなく、竜一はドクへとその矛先を向ける。もし『麻酔弾』とやらが向けられていたのが彼だったなら、その程度で突進を止める事はできなかったろう。両刀を振るうそのさまは、まさに破壊の神の権化なのだから。 「てめぇには用はねぇ!」 割って入った兵士へと迸る銀閃。目にも留まらぬ早業で振り下ろされた白刃を、猟犬は大振りなナイフで受け止める。だが、それは囮に過ぎず――。 「来いよ。全部踏み潰してやる」 本命は、左腕から繰り出された横薙ぎの刃。竜一が質量のある厚刃の剣をほとんど叩きつける様に振り切れば、棍棒で殴り飛ばされたかのような鈍い音と共に兵士が転がった。 戦いは、前衛への『楔』を中心にした乱戦へと変わる。より強かな痛打を、より大量の血を求めて。 確かに個人を抽出すれば、善戦していたと言っていい戦果だ。だが、アリステアを送り届けるべく無理を重ね、そして自由を奪われた彼女を救出せんと突出した結果、ギルベルト少尉の包囲は最終段階へと進もうとしていた。 誰も彼も傷ついていた。 誰も彼も傷ついていたのだ。運命を投げ捨てて立ち上がらずに済んでいるのは、アリステアを別にすれば、ユーヌとアンジェリカ、そして雷音くらいのものだろう。 「随分と無様な戦いぶりだが」 無駄口を挟む義衛郎は、その肩を大げさなまでに上下させていた。後衛陣の援護があったとはいえ、もとより手薄な後背の敵をその身で食い止め続けたのである。満身創痍という言葉がふさわしい状態であった。 「……いや、無様でも良いさ」 だが、彼は未だにその戦意を手放さない。勝つ。戦って勝つ。何故ならば、彼は絶対の正義に拠ってはいないからだ。大義名分に己の身を置いてはいないからだ。崩壊の要因を抹消すべしというシンプルなオーダーでさえ、彼に正義の陶酔を齎すことは無い。 「命を投げ出す狗など居ないからな」 ならばこそ、義衛郎は勝って自分の正しさを証すしかないのだ。二振りの刃は小太刀とも打刀とも違う独特のもの。間合いを外す彼の剣は、期せずして敵手を惑わせ、そして斬り伏せる。 「――泥臭く生き延びて、全員で帰ろうじゃないか」 だが、その彼もほどなく親衛隊の凶弾に倒れた。アリステアが身体の自由を失ったことで、パーティを支える回復役は一時的にせよ雷音一人。どちらかといえば攻撃にその性向を振り向けた彼女だけでは、あまりにも負荷が高すぎたのだ。 「穴蔵から這い出た研究者か――かび臭いだけだろうに」 ユーヌが齎した清浄な輝きが、夜の闇を暫時白く引き裂いた。それが放たれたのは二度目。邪気を祓う光を浴びたアリステアが、ようやく身体の自由を取り戻す。 「邪魔をしないで欲しいなァ、リベリスタ。もっとも、サンプルは一人じゃ足りないけどね!」 「まるで子供だな。拗ねて強請って欲しがって」 吐き捨てた彼女は、そこで敢えてにぃ、と唇を曲げて見せた。栄光ある親衛隊とやらも、駄々っ子のお守りしか能が無いな、と付け加えて。 (――私を恨めよ?) もとより華奢なユーヌである。既に運命という無二の盾を使い果たした彼女にとって、その挑発は危険に過ぎる賭けだった。決死の行動と言い換えてもいい。 だが、完全に『袋の口を閉じられた』ことを彼女は理解していた。ならば、やらねばならないのだ。袋に穴を開けなければならないのだ。 「まぁ、只で玩具をやる気はない。親衛隊(子守のパパ)におぶってもらい、知識欲に溺れて果てろ」 だから、挑発は最後まで言い切った。たちまち向けられる強烈な殺意。銃弾が、刃が、彼女を引き裂かんと牙を剥く。二度、三度と。 「……っ、退路を切り開けっ……!」 「任せるのだ、だからもう少しだけ耐えるのだ!」 複雑に印を切り、朗々としかし少々早口に詠唱を片付ける雷音。 もしも彼女が、『ユーヌを助ける』ということを目的に動くならば、例えば式の鴉を向かわせて、群がる兵士を引き剥がせばよかった。だが彼女は、この瞬間に冷静な判断を下していたのだ。 今必要なのは、時間を稼ぎ血路を開く、ただそのための行動なのだから。 「來來氷雨! 凍りつけ世界!」 それは時間稼ぎに過ぎないのかもしれなかった。だが時間こそが今の彼女らに最も必要なものだった。 ――そして、気紛れな世界はこの時雷音に微笑みかける。 「……! やったのだ!」 幾人もの兵士達が吹き荒れる氷の嵐にその足を止める。命中率は然程高い技ではなかったが、未だ敵の数が多い現状では何よりも有効な一手であることに疑いの余地は無い。 「ああ、いいねェ、あれも欲しい! いいサンプルになる!」 そんな少女に注がれる熱い視線。涎を垂らさんばかりに彼女を指差すドクが、むしろ無邪気な笑みを唇に浮かべていた。 「……些か時代遅れだな。古きアーネンエルベの妄執が今なお生き残っているなどと」 応じた雷音の声色は、この時冷ややかさを隠そうとしていない。マッドサイエンティストめ、と吐き捨てる。 「サンプルだと? ふざけるな。ボク達の仲間は、一人たりとて渡さないのだ!」 「禄でもない研究しかしてないって、聞かなくても判るよ」 神秘の側としては、先に『砂漠の狼』ファッターフ少佐と三つ巴の戦いを演じたヨハン少尉。科学の側には、この狂気に駆られたドクと名乗る男。アンジェリカが出会った二人の元アーネンエルベほど、『禄でもない』という形容が相応しい人物はいるまい。 「でも、ボク達は……そんなことには付き合っていられない」 彼女の周囲をくるりと回るもの二つ、ドレスのスカートと地獄の大鎌。可憐なステップとは似ても似つかぬ蝙蝠の羽根の大鎌を、ぶぅんと薙ぎ払う。リベリスタが倒れた結果、加減の利かない大技を繰り出せるようになった事は、皮肉なことではあった。 「『研究成果』が何なのかなんて、知らない。……けれど、放置してはおけないことくらい、判るよ」 既に撤退のフェイズに入っていることは明らかだったが、アンジェリカは諦めてはいない。親衛隊に備わった『忠誠』への真摯さすら持ち得ないこの白衣の科学者は、必ずここで禍根を断たねばならぬのだ。 ああ、だけど。 「義衛郎さん……!」 ようやく倒れた相棒の身体を引っ張ってきた嶺が、荒い息をつく。既に白い羽衣は鮮血に染まり、早くも褐色に変色を始めていた。敵の攻勢の早い段階で運命を盾にした嶺が未だに自分の足で立っているのは、ただ彼女の意志の強さとひとかけらの幸運の結果でしかない。 「それでも。それでもです……!」 嶺は自分を省みることなく、新たなる気糸を紡ぎだす。密に飛び交う不可視のオーラはランダムに見えてそうではなく、迎え撃つ兵士の死角から執拗に、精密に攻め立てる。 「全員で無事に帰る。そう約束しましたから! 強く言い切った。無論、義衛郎が深い傷を負ったことへの怒りもあろう。ドクという危険な存在への警戒もあろう。だが、ここはぎりぎりの勝負の場。今は多くを望んではいけないと、彼女は察していた。 ●英雄幻想 Ⅲ 管理棟の戦いは終局に向かっていた。義衛郎が倒れ、ユーヌもまた倒れた。皆が疲れ、皆が傷ついている。そして、満身創痍の彼らを取り囲む猟犬達に、もはや付け入る隙はない。 「とうして、なんて。……そんな細かい事は、考えないよ」 ぽつり、呟くアリステア。敵を撃つことにすらごめんなさいと言ってしまう彼女は、本来酷く優しすぎる性格をしている。 「皆を無事に帰す。それだけ思っていれば、いいよね」 短く詠唱。祈りに応じて、清らか過ぎるほどに涼やかな息吹が戦場を駆け抜ける。 傷を癒して味方を癒す。その行為だけ見れば、いつもの戦いとそう変わりはないのだろう。だが、アリステアは変わった。あるいは強くなった。 自らの守りたいものを守るため、力を振るうということを知ったから。 「私の力は、最後まで皆を守るためにあるの。……例え、あなたを傷つけても」 「――いい目ね」 狭まる包囲の輪の中で肩を並べるこじりは、そう決意を秘めたアリステアに賞賛を隠せない。 自分の征く道を真っ直ぐに見つめることの出来た者だけが持つ、強靭なる輝き。それに照らし出され、自分の心の中に僅かな『諦め』が芽生えていたことに、こじりはふと気づく。 「らしくないわね」 小さく首を振った。あの赤銅の肌の戦鬼は最後まで諦めなかったではないか。自分はいつから、あがき続ける泥臭さを格好悪いものとしてしまったのか。 そんな思索が、ほんの一瞬のうちに通り過ぎる。そして、事態が変わるには、僅か一瞬だけで十分だったのだ。 「――避けて――」 誰かの声が聞こえた。 瞬時に意識を引き戻したこじりが見たのは、弾頭を赤く塗られた、ポテトマッシャーと呼ばれる柄付きの手榴弾が回転しながらゆっくりと宙を舞う光景だ。 この戦いでギルベルトが投げたのは、黄色いラインのスタングレネードと、オレンジに塗られた燃え盛る焼夷弾。 では、あの赤色は何を意味するのか――。 「――させない」 勝手に身体が動いていた。リベリスタ達の中央、等加速度運動で地面に突き刺さらんとするそれに飛び掛り、腹の下に抱え込む。 一瞬遅れて轟音。荒れ狂う灼熱と爆風、そして金属片。リベリスタを薙ぎ払い致命的なダメージを与えるはずだったそれらは、全てこじりの身体の下で渦巻き、そして消えた。 だが、その代償は大きかった。余りにも大き過ぎたのだ。 「こじり……!」 「……騒ぐんじゃ……ないわよ」 悲鳴と区別のつかない声で雷音が叫ぶ。スレンダーで美しかったこじりの腹部は無残に焼け爛れ、半ばを炭と変えた臓物が大穴の周囲を飾っていた。 端的に言えば、もう助からないと――そう誰もが判ってしまうほどの惨状だった。止まる時間。それでも雷音は、手当てに駆け寄ろうとして。 「こじり、今助けるのだ、こじ……!」 その声が、突然途切れた。 「ははっ、当たったねェ。さあ、アレを回収してくれ!」 代わりにがなり立てるのは、鋼鉄のアームから麻酔弾を撃ちこみ悦に入るドクの声。ギルベルトが渋い顔ながらも行け、と命じれば、動かぬ身体を確保しようと兵士達が殺到する。 その時。 「その子から離れなさい」 命の灯が消えるのを待つばかりだったこじりが、その身を起こし、立ち上がってすらいた。無論、腹の大穴は息を呑むほどグロテスクにその口を開けている。肉が焼かれて血が流れていないのが、なおさら異様だった。 「離れなさい、と言ったのよ」 操り人形が糸を振り回されるような奇妙な動きでこじりが跳ね、雷音に近い兵士の一人をざくりと斬り伏せる。明らかにその大太刀は、普段に倍する速さと重さ、そして切れ味を得ていた。 この時、全ての者が一つの単語を脳裏に思い浮かべていた。 すなわち、歪曲運命黙示録。 「私は、自分が優しいとか、良い人だなんて思わない」 でも、だからこそ。こじりは知っていた。誰を助けるべきなのかを。 誰を助けたかったのかを。 「あの子の家族は、もう失わせない」 沸き立つ意識の中で、ふと愛しき少年の姿が浮かび、そして消える。あの冬の夜、護らないとな、と誓った彼は、一番近い存在を護れなかったことを悔やむだろうか。 ふ、と笑んだ。自分があの少年に消えない呪いをかけたのだと知ったからだ。 「私も戦います。皆さんは撤退を!」 決意を籠めてかるたが叫ぶ。その意思表示は、決して空気に酔ったからではない。元より彼女は、自分の命を他人を助ける為の捨て駒だと認識していた。 死を恐れ、そして命の軽視を憎む。ただ一つの例外は、世界に拾われ、世界に返さなければならない自分自身の命だけ。 「死の影など、常に見続けてきました。今の私は、逃げずに立ち向かえる!」 「邪魔よ、さっさと逃げなさい」 豪刃を手にいきり立つかるたを、だがこじりはにべも無く切り捨てる。ちらりと視線で合図をすれば、何かを押し殺したような顔をした桐が後背を塞ぐ敵へと踊りかかる。後を追おうとしたフォーグラーは、こじりによって阻まれていた。 「……退きますよ」 電撃のオーラを纏わせた愛剣を、唐竹割りに振り下ろす。肩から斬り下げた一撃は、命までは奪わねども深刻な傷を兵士に与えた。その後に続いた竜一が、二刀を旋回させて周囲を薙ぎ払う。 「貴方のやるべき事は何ですか! おとなしく捕まる事ではないでしょう!」 背後は振り返らずに一喝した桐。ああ、それは幾人もの仲間を、時には目の前で見送ってきた彼だからこそ言える迸りであったに違いない。 無論、彼が痛みを感じないわけではないのだ。ただ、『また』、という意識の重みに苦悩するのは、今ではないというだけの話である。 「震えてるじゃない。怖いんでしょう? なら、今は『その時』じゃないのよ」 こじりの言葉でようやく、かるたは自分の足が小刻みに震えていることに気づくのだ。 「ヘル・ドクトル、貴方だけでも逃げなさい。フォーグラー、あれを倒せ」 その謹厳な表情をいっそ蒼白に染め、ギルベルトは命じた。客分の男には生き抜くことを。部下には――部下達には、時間稼ぎの死を。 「だから何度も言ってるじゃないか、僕はドク――」 「――ヘル・ドクトル!」 空気を読まぬ反駁をしようとしたドクを一喝して黙らせ、指揮官は告げる。自分が少佐から命じられた最も優先順位の高い命令は、彼の護衛だと。 「我らは死を賭して戦う。だが、貴方にその覚悟があるのか」 そう言い捨てて、ギルベルトは少女へと向き直る。もはやドクの事は頭から消えていた。あとは、この化け物との生と死を賭けた死闘があるだけだ。 「さあ、やろうか」 「最期の相手が猟犬風情というのは、しまらないものね」 こじりが薄く笑う。ラスト・ダンスが終わるその時を前にして。 夜空には、いつも変わらない夏の星座が瞬いていた。 ●親衛隊 Ⅵ あるいはベルンハルト・ノイマンという男 「は、ははっ。面白いねェ、面白いよアークのリベリスタは!」 夜の三ッ池公園をドクがひた走る。小汚い白衣をはためかせ、そのリベリスタから逃げるようにして。 「けど、手に入れ損ねたのは残念だなァ。観測データだけじゃ足りないな」 逃げることなど、何の精神的プレッシャーをも彼に与えることが出来なかった。ギルベルトは死んだだろうが、それだけだ。 「そうだ、また少佐におねだりしないと! もうちょっとサンプルがあれば、効率的な調整ができそうなんだよね」 にぃ、と引きつった唇は、どこか幼い子供のようだった。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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