● 雨が降る。 真っ黒で真っ赤な雨が。 「お前って、やっぱ地味でつまんないんだよ」 あの人はそう言って私の前からいなくなってしまった。 やっぱって、どういう事だろう。 さいしょっから、つまんないって思ってたのかな。 あの人が言うから、苦手なお化粧も、洋服も、話し方だって好みに合わせて、頑張ったのにな。 あぁ、泣いたら頑張ったお化粧も落ちちゃうのに。どうしよう。涙が止まんないや。 でも、良いか。どうせあの人は全然わたしを見てくれない。化粧なんて意味が無い。 もう、良いか。無意味なお化粧も。ぎこちない愛想笑いも。趣味じゃない洋服も。 全部、洗い流しちゃえ。 あの人も。わたしも。全部。 余計なものは、全部。 全て洗い流したら、ほら、残ったものは、こんなに綺麗。 「あら、嫌だわ……雨」 深夜に及ぶ残業を終え帰路につく途中で、女性は一人呟いて、肌に水滴が触れた感触に眉をひそめる。 頬を伝った雨水を指でぬぐい去ろうと触れ、ふと覚えた違和感に眉間の皺は一段深くなった。 指先で触れた雨水――だと思っていたものが、なんだか生ぬるい。僅かにぬるりとした感触もある。 雨だと思ったけれど、虫でもぶつかって潰れたのだろうか。嫌だな。 顔をしかめながら、それでも頬に付いたものを拭おうと指を動かすが、何故だかそれはなかなか取れない。 それどころか、擦っても払っても次から次に肌の上を流れていくようだ。 もう良いから、走って家に帰ろう。そう思って踏み出しかけた足は、しかし、そのままその場から動く事は無かった。 「……ったく、なんだってのよぉ! 残業で疲れてるってのに、もぉ! それもこれも課長のせいだわ!」 盛大に舌打ちをしながら零した声は独り言にしては大きかったが、彼女は気に止めずに続ける。 「あの馬鹿上司っ。仕事が終わんないのはあたしのせいじゃなくて、アンタが無能だからだっつーのよ」 一見しとやかに見える女性の唇から漏れる言葉は存外に乱暴だ。 ――まるで、雨に打たれて、普段被っている皮が一枚剥がれてしまったかのように。 「いなくなれば良いのにっ! あんな給料泥棒!」 すっかり水滴を拭う事も忘れて息巻く彼女は気付かない。 いつの間にか、彼女を囲むように、赤黒い雨が音も無く降り注いでいる事に。 静かに雨粒が肌に落ちる度、自分の肌が、その下の肉が、溶け崩れて流れ落ちている事に。 雨の中佇んで喚く彼女の姿を、すぐ傍で一人の少女が見つめている事に。 少女の、歪な微笑みに。 やがて黒い雨は止んで、後には小さな赤黒い水たまりだけが残り、それもやがて消えた。 ● 「雨降り少女の正体は、E・フォースです」 事件の概要を記した資料を手にしながら、『運命オペレーター』天原和泉(nBNE000024)は集まったリベリスタ達に告げた。 「恋人にふられ自殺した少女の思念がエリューション化したもので、恋人との思い出の場所である公園に現れ、そこを通る一般人に雨を降らせます」 この雨が曲者で、触れた生物をまるで酸でも掛けたようにじわじわと溶かしていくらしい。しかし溶かされていく側に痛みは無いと言う。 「リベリスタならそれ程大きなダメージにはならないですが、一般人では数十分もあたっていると致命傷です。 痛みが無いので、即座に逃げようという気にはなりませんし、加えて一種の催眠作用もあり、一般の方に対しては足止め用に混乱効果も付与されるようですね」 和泉が視た近い未来では、公園を通りかかってしまったOLは雨から逃げる事もせず、普段秘めている上司への不満を爆発させていた。 余計な物を洗い流す雨。和泉はE・フォースが降らせる雨の催眠効果をそう表現する。 「女性の場合は、常日頃会社で装っている『外面』だったのでしょうか? 建前、強がり、日常の小さな嘘・見栄……そういったものを、E・フォースの降らせる雨は『洗い流して』しまうようです」 一般人にはそれはもう、逃げる事は愚か、我を忘れる程強烈に。 そして、リベリスタに対しても、それなりに。 「皆さんでしたら、彼女のように我を忘れて錯乱するような事にはならないと思いますが、人によっては日頃思っているけれど隠している事、本音が流れ出てしまうかもしれません」 E・フォースのフェーズは2。能力としては神秘攻撃が主体で物理に弱く、それ程強敵ではないけれど、うっかり暴かれたくない何かがあるのならお気を付けて。 和泉はそう締め括り、リベリスタ達を送り出した。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:十色 | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年06月16日(日)23:34 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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● 頼りない街灯が照らす夜空には、都会のオフィス街らしく星などほとんど見えなかったけれど、憂鬱そうな雨雲の姿も同じように無い。 それでも、ここには雨が降る。この世にあるべきでないモノが降らせる濁った雨が。 「余計なものを洗い流して、身も心もキレイな私に大変身! とかだったなら、結構歓迎な気もするけどね」 フォーチュナに告げられた公園を目前にして、『マグミラージュ』ソラ・ヴァイスハイト(BNE000329)は空を見上げ、気怠げに呟いた。 「そうですね」 軽く肩をすくめて見せたソラの言葉に頷いたのは『シャドーストライカー』レイチェル・ガーネット(BNE002439)だ。 「……ひとは誰でも、何かしら表面を取り繕って生きているものです」 取り繕った表面を洗い流してしまったら、出てくるものは綺麗なものだけではない。 E・フォースの少女の境遇には同情を覚え無い事も無いが、今の彼女は人と世界に害をなすだけの存在でしかない。 ならば、排除しなければ。 ス、とレイチェルの紅眼が細くなる。彼女の秘めた、ある衝動をそっと灯して。 「ふん、梅雨は憂鬱を運んでくるか?」 公園にまばらに植えられた紫陽花の花を流し見ながら零した『百獣百魔の王』降魔 刃紅郎(BNE002093)の声には、本音を暴かれるかもしれない不安や恐怖など微塵もありはしなかった。 「紫陽花には不似合いな赤き雨……我が一つ晴れやかにしてくれようぞ」 悠然とした言葉は、刃紅郎の揺るがぬ自己の現れである。建前が洗い流され本音が露見する雨。それが何だと言うのだろう。”王”である彼は嘘を吐く事など無い。 「全く単純かつ簡単な任務だな……なぁ、歪崎よ?」 刃紅郎の言葉の先で『飛常識』歪崎 行方(BNE001422)は返事の代わりに瞳を瞬かせ、ぼんやりとした瞳と裏腹に躊躇の無い足取りでE・フォースの潜む公園へと歩み寄った。 「悲劇は時に雨と共に語られるものデスガ、これは少々違うデスネ。雨は悲しみを洗い流すもので、悲しみを生み出すものではないのデス」 ……と、何かで書いてあった気がするデスネ、と軽く首を傾げ、戻した頃には、行方の両手には馴染んだ肉切り包丁が握られている。 「さて、粛々とバラすとするデスヨ」 ● ぽつん、と雨の粒が地面をやわく叩き出したのは、リベリスタ達が公園に足を踏み入れて間も無くの事だった。 「ただでさえ、雨の日は仕事したくないのに……」 『百合色オートマトン』卯月 水華(BNE004521)の複雑そうな面持ちと声音を知らぬ素振りで、雨足は少しずつ強くなっていく。 水華達を直接叩くのではなく、公園の中に誘うように降り出した雨はまだ無色。だが、透明な水滴が赤に侵され始めるのはすぐだった。 周囲を濡らす雨がすっかり赤色に変わった頃、その中央には白いワンピースを纏った少女の姿があった。 「こんばんは。おんなのこがこんなトコロにお一人なんて寂しいでしょう?」 浮かび上がるように現れたE・フォースへ、にこりと微笑む『ヴァルプルギスナハト』海依音・レヒニッツ・神裂(BNE004230)の声に、応えはない。 胡乱な眼差しが海依音達の方を向く。よどんだ両目が、一瞬だけ強く光を持った気がした。その光に名を付けるより早く、黒く汚れた目元を更に汚して、黒い涙が少女の頬を伝って落ちる。 真っ黒な涙を引き金に、赤い雨粒が明確にリベリスタ達を狙って降り注いだ。 「なんか怪談みたいな相手ですね……特殊能力が変ですけど」 ちりりと僅かに肌を焼く雨に紛れて呟いたキンバレイ・ハルゼー(BNE004455)の言の通り、目の周辺を黒く汚した少女の姿は怪異と言って差し支えない。 白い少女の降らせる雨が人の皮も肉も骨も、そして外面さえも溶かす。それは正しく梅雨時の怪談話だろう。いや、"ただの怪談話"にしなければ。 一手先んじて『氷の仮面』青島 沙希(BNE004419)が素早く相手との間合いを詰め、死の刻印を刻んでも、少女は体を傾げただけで逃げようとはしなかった。 フォーチュナの未来視にあった、余計なものを流す黒い雨の気配は、まだ無い。 (『余計なもの』を洗い流す、か) 肌を伝う赤い雫を鬱陶しげに払いつつ、白い少女から視線を外さないで、沙希は少女のもたらす雨を思い、唇を一文字に結んだ。 (私の被ってる仮面は余計なもの、なのかしらね) 沙希は舞台に立ち演じる人間だ。そういった意味では、誰よりも仮面を持っている。いや、そういった意味でなくとも、沙希にも仮面はある。余計かどうかなど知らないけれど、今更剥がされるわけにはいかない仮面が。 剥がされるわけにはいかない。ならば、沙希は演じるだけだ。この場が舞台の上でなかろうと、徹底的に。 ● 沙希の刃を受けてE・フォースの身が揺らめくように傾いだ時、降り注ぐ赤い雨はその勢いを弱めたようだった。 土砂降り一歩手前だった雨音の隙間を縫って公園に響く、ソラが紡ぐ詠唱の声。やがて仄光る魔法陣がソラの華奢な体を浮かび上がらせ、陣から開放された閃光がE・フォースを穿つ。 「本音ダダ漏れで恥ずかしい思いする前に、ちゃちゃっと済ませちゃいましょう」 それから飲み屋にでも寄って帰りたいわね。 任務にあっては少々軽やかに過ぎるかもしれないソラの言に続くのは、 「えぇ、灰は灰に塵は塵に、こいごころは都会の空に」 海依音の邪を退ける言の葉。淀みなく紡がれた破邪の詠唱は少女の白い衣装を消えぬ炎で焦がす。 「せっかくの可愛いお顔が台無しですね。女はいつでもどこでも綺麗で居なくちゃいけませんよ。 それに女が可愛らしくあるのは男のためではありません。自分のためですよ?」 黒く濡れたE・フォースの顔を見ながら海依音が掛けた言葉にも、返事は無い。 ただ黒い穴のような暗い両目が周囲を見渡して、少しだけ疎ましそうに細くなった。 同時に勢いを取り戻した赤い雨を、水華の撃ち出した弾丸が切り裂き敵を貫く。 「あなたには同情はするけど、手加減はしないわよ」 自分を捨てた元恋人を恨みたくなる気持ちもわからなくはない。だからと言って手加減など出来るはずもないし、何より水華は手早くこの仕事を片付けてしまいたかった。 出来る事なら、自分の本音が漏れてしまう前に。 「ああ、雨が降る。赤い雨が降るのデス。この雨は悲しみの雨か被害者の雨か。ただしこれから降るのはアナタから撒き散らされる赤い赤い血の雨なのデスガ。アハ」 無邪気に笑う行方の両手で肉切り包丁が踊り、皮膚を焼く赤い雨などまるで気にした様子も無く、叩き込む如く強烈に対象を切りつける。 行方の背後から伸ばされる、レイチェルが紡ぐ不断の気糸はE・フォースの濁った両目を真っ直ぐに狙い打った。 「……もう何も見る必要はありません」 レイチェルの冷めた声が雨音に紛れるより速く、僅かな身動ぎすら許さない強さで踏み込んだ刃紅郎の一太刀が雨降り少女を赤く染める。 白いワンピースに派手に赤が散る。瞬間。降り注ぐ雨の色が、変わった。 ● 「回復しかできませんので……ダメージを与えるのは皆様にお任せしましょう、か……う、ん?」 癒しの息吹を喚び、赤い雨のもたらした傷を癒していたキンバレイの声が、ふと止まった。 止まったキンバレイの声の代わりに、雨がしとしとと落ちてくる。雨粒の色は、墨を溶かした如くに黒い。フォーチュナ曰く、余計なものを溶かす雨である。 まだ幼い少女の抱く本音とは―― 「下着買うお金がなくたっていいじゃないですか~! 下着も積もればSSRになるんです! 課金戦士は出費のことを考えちゃいけないのです! 家計なんて生きていける最低限あればいいっておとーさん言ってました! ガチャとネトゲとエロゲは人生なのです! アニメが人生だったり国家だったりして何が悪いんですかー! 最近 ぬちゃぬちゃのねちょねちょっぽい依頼にしか紹介してもらえないけどいいんですー! キンバレイはおとーさんのお嫁さんになるので問題ないんです! おとーさんしょくしゅ。大好きだって言ってましたし、胸がおっきい女の子は大好きだって言ってたし、胸が揺れるのも大好きだそうなので問題ないんです! とにかくキンバレイはおとーさんLOVEなのです! 雨の中でおとーさんへの愛を叫んじゃうのですよー!!」 息つく間も無い、魂の叫びであった。 幸い、と言うべきかキンバレイの発言にある雨にも流せない事実――おとーさんとは、結婚出来ません――を指摘する心的余裕は、まだ誰にも無いようである。 「これがあなたの雨……全く、フラれたぐらいで自殺してエリューションになった弱虫の後始末とか、最低ね」 キンバレイの奥底からの叫びを聞きながら、濡れた髪を掻き上げ沙希は辛辣な台詞を吐き出した。 沙希の白い顔に浮かぶ表情は、日頃の『明るく社交的な舞台女優』ではなく、重たく毒を孕んで見える。 いや、けれど、そう見えるだけで、本当は。 冷たい唇を引き締めて、沙希は自己嫌悪を押し込める。彼女には、仮面が必要だった。心の表層を削ぐ黒い雨にも流れない、仮面が。 本当は解っている。 (臆病で寂しがり屋なのを隠したくて、演じて、強がってる。昔みたいに裏切られるのが怖くて、他人と距離を置きたがってるだけの、弱い女) 解っている。だけど、どうか、今は表に出てこないで。沙希は強く掌を握る。一度表に出してしまえば、誰かに甘えたくなるのが目に見えているから。 (だから、死に物狂いで演じましょ、役を) 握り締めた掌が解かれたと同時、黒い雨の中ゆるく微笑む少女に向けて、沙希の死の爆弾が放られた。 「……だから、こわいって言うのよ」 死が爆ぜる音に紛れ呟いたソラの眼差しには、常の気怠げな気配は薄かった。代わりに不安の影を落とした紫眼が、E・フォースではなく、黒い雨に霞む仲間達を追って動く。誰か一人でも欠けてはいないか、その目で無事を確かめるように。 「……私は、」 微かに揺れる声が呟く。 私は本当に守りたいものをちゃんと守れているんだろうか。私は私が果たすべき役割を全う出来ているだろうか。 それは確かにソラの本心であり、不安と弱音でもあった。 「仲間が傷ついて、倒れる姿は見たくないの」 私が代わりになれるならそれでいい。無理をしないでほしい。 流れ出たソラの眼差しは束の間不安げに揺れ、しかし、抱いた本心故に、崩れない。 「なんて、恥ずかしい事言わせないでよ」 唇の端で笑った後に迷い無く紡がれるのは敵を打つ魔弾の詠唱。雨夜に浮かんだ閃光は、真っ直ぐに標的を射抜いた。 陣を展開するソラ達前衛の後方に、その背を守るように、あるいは寄り添うように水華が立つ。 銃を構えしっかりと前を見据えながらも、水華はどうしても、今誰かの傍にいたかった。 じわりと雨に溶けて滲む水華の本音は、一人でいる事に対しての恐怖だ。 (お願いだから、あなたのそばにいさせて) 胸中の声に引きずられ、浮かび上がりかけたある思い出を、水華は愛銃を握る事で押し沈める。 違う。この銃口の先にいるのは、あの人じゃない。運命に愛されず、この手で打ち抜いた、大切な、 「やっぱり、雨の日は良い事がないわね」 呟き、濡れたサングラス越しにE・フォースを睨めつける水華の視線は強い。 銀の銃口が向く先は白い少女。水華の目はただそれだけを見ていた。 「…………」 闇に似た雨に打たれても、刃紅郎は取り乱す事などなかった。 ただ黙って、一時、剣を持たない片手で顔を覆う。その下で、目を閉じ、唇を噛み締める。 溢れるのは帰らぬ者への想い。 これまでに幾多の友が死地に向かい、そして帰らぬ者も居た。 この世界の平和の為に殉じた者の死は誉れ……それは、刃紅郎の偽りの無い想いだ。 (いずれ我もまた、この世界に殉じよう) 刃紅郎は一点の陰り無くそう思う。 全身を打つ、黒い雨。その感触に、闇の色に、刃紅郎は一人の少女を思い浮かべる。黒き翼の少女。共に歩んだ、戦友。 傍らに立ち刃を握っていた戦装束ではなくて、浴衣姿の彼女の姿を。 この雨が晴れれば、次には暑い夏が来る。 (ああそうだ……我は彼奴と約束をしていたのだ……あの夜に) 『来年もまたこの花火を』 交わした約束が、少女の顔が、浮かぶ。黒羽のイヤリングに手を触れた。 (王は約束を違えぬ、それは本当だ) 黒い羽。少女の残した、彼女の羽。彼女の跡。約束。 「だが……お前が居ないのでは、その約束も果たせないではないか!」 低く、唸るような叫ぶような声は誰かに届いただろうか。 顔を覆った手をゆっくりと外す頃、そこにはもう王たる刃紅郎の顔しか無い。 「やれやれ……貴様には少しだけ感謝をするぞ」 不気味に微笑むE・フォースに刃を向け直し、刃紅郎は不敵に笑み返す。 (王たる我はこんな時でしか、戯れに己を省みる事が出来ぬようだ) 省み、そして再び前を見据えた刃紅郎には微塵の迷いも生じない。力強く地を蹴り敵の懐へと一線、紫水晶の煌きが虚ろな少女と黒い雨を断った。 大きく一太刀を浴びて、雨降り少女は一層大量の黒い涙を流し始める。 黒と、赤と、白と、斑に染まった少女の体を、行方の双刃が遠慮など欠片も見せずに切って裂く。 「ああ、可哀想。寸断裁断大切断。ここで出会ってしまったが故に、迷い出たが故に、変化してしまったが故にこうして餌食になっていく」 行方の振るう切っ先は揺るがず歪まず止まらない。ひたすらに、徹底的に、白を、赤を、黒を切って切って散らす。 今の行方からは、世界のバランスを守るアークのリベリスタとしての良識が流れ落ちていた。 潰す為に戦うのではなく、潰す為に、ただ潰す。 「ただただ無惨に滅んでいく。滅ぼすのはボクデスガ。アハハハハ!」 声は無く、けれど真っ白い顔から、黒い目からいくらか虚ろが薄れて苦悶らしきものが覗くE・フォースを、高らかに笑う行方の包丁は構わず刻んでいく。 文字通りち千切れそうな手足で後退の動きをかすかに見せた愛手を、レイチェルの赤い視線が射抜き彼女が発する強靭な糸がエリューションをその場に止まらせる。 汚れた少女を見るレイチェルの眼差しからは、どうしようもない一つの衝動が見て取れた。 「壊れて消えろ、化物」 穿つ気糸を緩める事無く発せられた冷えた声に滲む、レイチェルのいつもは抑えている感情。ひとを壊してしまいたくなる、衝動。 (きっと、ほんの少し環境が違っていたら私はフィクサードになっていた) この衝動のままに動く化物になって、ひとに害を為していた。兄との絆があったから、そうならなかった……なれなかった。 それを嬉しく思うと同時に、時々どうしようもなく疎ましく思う時もある。 フィクサードもエリューションも、結局の所自らの衝動に抗えずに好き勝手をする生き物だ。 レイチェルは、それが、とてつもなく羨ましくて、妬ましい。 (私は、もう絶対にそうなる事は出来ないから) 憎悪の灯る赤い瞳がE・フォースを映して細くなる。狙いを定められた糸は降りしきる雨の中を滑るように走り、少女の腕を落とした。 ごろりと濡れた地面に転がった白く細い腕は、いっそマネキンのそれのようで現実味が無い。ただ確かな声を持たない亡霊の少女が零す、苦痛か悲哀の甲高い悲鳴めいた音だけが、彼女の負った傷の深さを物語っていた。 自らの雨によるものだけでなく赤黒く染まった白い少女は、最後の足掻きと身を捩りリベリスタ達へと大粒の赤黒い雨を降らせる。 激しい雨に叩かれながら、真紅を纏う修道女、海依音は雨粒でないものにその頬を濡らしていた。 (カミサマ) 本当は今でも、期待をしているのかもしれない。 雨が、黒い雨を身に受けて、海依音の暴れる「何か」が声を上げる。 (ワタシのセカイを壊したカミサマ) 壊されて、でも、救いはどこかにあるのだと、ただそれだけを望んで、結局いつも裏切られる。 (ねえ、カミサマ、貴方は何処へいってしまったの?) 神に捨てられた修道女は、まだ、期待して、その服を脱げずにいる。穿たれた聖痕は神の祝福という名の呪いだ。 (ワタシが私に戻ることなんかもう無いのに) 本当は、信じたいのだと、「何か」が叫び、海依音の頬を濡らす。 (ワタシは弱い女です) 時間を止められた少女のままに。あの日の悪夢をなかった事にしたくて。 「……まだ、そんな感傷的な願いで涙をながすことがワタシにはできたんですね」 降り注ぐ土砂降りの勢いは、徐々に徐々に弱くなっていく。E・フォースの灯火の限りを知らせるように。 海依音の濡れた瞳が、雨降り少女を捉える。 「悲しい女。貴方の為にも涙を流してさしあげましょう」 涙と共に落とされるのは聖なる呪。浄化の炎がすっかり汚れきった少女を包み込み――やがて、骨のように白く、霞むようにぼんやりとした少女の影がその場に残される。 海依音は雨降り少女に歩み寄り、吹けば消えていきそうな体を抱きしめた。 「ありがとう」 少女の耳元で囁く。 けれども、これは自分にとって余計なものではないのだと。 少女の顔は最後まで虚ろだった。ただ白く大気に溶ける瞬間、白い顔を汚していた黒が消えた……ような、気がした。 空気に溶けた雨降り少女の名残が舞い上がり、仄かな街灯を反射してきらきらと光る。少しだけ、雨上がりの虹に似て見えた。 雨が上がる。虹がかかる。何かを洗い流した後の、ささやかな虹が。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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