● しとしと。透明な傘に舞い落ちた、しろいひとひら。 ひとつ。ふたつ。少しだけ濡れた地面に幾重にもおりかさなって、ふりつもって。 梅雨空見上げるはずせかいを染めるのは、灰色の雨粒では無く、色鮮やかなはなびらのあめ。 甘いかおりとはなの重なる微かなおと。曇天の代わりに、空いっぱいに広がった真白い雲がまた、はなびらを零す。 一日だけ。ほんの数時間だけの、特別な雨模様が、その日訪れようとしていた。 ● 「あんたら、梅雨って好き? ……あたしは雨自体は悪くないけど、毎日だとちょっとって感じなんだけどさ」 適当な椅子に腰を下ろして。『導唄』月隠・響希 (nBNE000225)は、雨粒降り頻る外を見遣る。梅雨。南から北へと移り行く日本の四季の中ではある意味当たり前とも言うべきそれは、今年ももうやって来ていた。 「……今日は雨時々花が降ります、なんて。天気予報をしなきゃいけない事が起きるわ。大体お昼過ぎくらいからかしらね、この三高平に、花が降るの。 アザーバイド『おはなやさん』。あ、これあたしがつけた名前じゃないわよ……じゃなくて。フェイトを得ている、友好的なアザーバイドが上空に来るの。 その名前の通り、沢山の花を育ててるアザーバイド。このチャンネルがとても気に入ってるらしくて、梅雨の時期になると現れるみたい。 雨を吸収してるみたい。本当なら、水が欲しいだけだから満足いくまで雨を浴びたら帰っちゃうんだけど……恩返しがしたくなったらしいのよ」 空の片隅。グレーの雲に混じって僅かに覗く白いふわふわを示して、フォーチュナは短くもうすぐね、と呟いた。 「花を、降らせてくれるの。この世界のものを模したやつをね。……ただ、向こうの世界の花、って奴は、こっちで言う砂糖菓子みたいなものみたいで……仄かに甘いし食べられるわ。 因みに、アザーバイドが帰ると消えちゃうから持ち帰りとかは出来ない。ただ、今日の昼から夜にかけてだけ、市内は花の雨が降ります、って事。 ……まぁ、予報だけだから。外で見てみたければ出てみればいいし、家の中から眺めたりしても良いんじゃない?」 それだけ、と、話を終えたらしい予見者は立ち上がって、もう一度窓の外を見遣る。未だ、雨は止んで居なかったけれど。その表情は何処か楽しげだった。 「じゃ、また後で。……折角の機会だから、仕事の人も居るだろうけど楽しんでね」 ひらひらと、手が振られて。其の儘その姿はブリーフィングルームの外へと消えていった。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:麻子 | ||||
■難易度:VERY EASY | ■ イベントシナリオ | |||
■参加人数制限: なし | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年06月24日(月)23:00 |
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● 未だ降りやまぬ雨。そう言えば梅雨は何時からなのだろうか。傘も持たずに困った顔で立ち尽くす慧架の横で、モニカは手持ちの傘を開いて傾ける。 「ご自宅までお送りしますよ、……出来ればこの雨が全国行脚でもしてくれればいいんですが」 「モニカは傘もってたのですねー、準備がいいですね……あら、なんで傘の外にいるんですか?」 己に降りかかる水滴を遮ってくれる傘はけれど、隣の彼女を守ってはくれない。けれどそれは当然だとモニカは首を傾けた。自分は濡れ鼠で結構。そもそもメイドが傘をさすのは自分の雨避けではない。 「主人か客人を濡らさないようにする為に決まって……と、言ってもなんだか納得されてないようですがね」 「ダメですよー風邪を引いてしまいますもの」 ほら、こうすれば何方も濡れずに済む。そんな言葉と共に己を抱き寄せる慧架は意外と強引だ。けれど、希望であるのならば相合傘も悪くはない。 帰ったら温かい紅茶を飲もうと笑った彼女の靴を追うように。はらり、と。花は静かに、三高平へと降り始めた。 そろそろかな、なんて待って待って待ちわびて。窓の外に一枚、雪にも似たそれが見えた頃にはもう黎明は玄関の外へと出ていた。視界いっぱい花の雨と白い雲。ふおー、と思わず声が漏れた。 「すげえ! おはなやさんすげえ! なにこれ! ほんとにおはなだ、しかも食える!」 ひとつとって口に入れ。甘さに思わず笑みが零れた。ああ、兄にもあげたいけど生憎彼は引きこもり。これは全部自分が楽しく美味しく頂きましょうそうしましょう! また手に取って口に含んだ。甘くて不思議な感触に首を捻る。なんだろう。砂糖に似ていてでも砂糖じゃない。なんだろう。太ったりはするのだろうか。太っちゃうのは困るのだけど。 そこまで考えて、けれどいいやと首を振った。楽しいし美味しい。それでいいのだ。 「おっはなやさーん? きこえるー? ありがと楽しかったよまたきてねー?」 楽しげな声は、空を満たす白に届いたのだろうか。 シンプルな白の紙袋。中に畳まれたメンズ服をそっと抱えて、ヘンリエッタは隣の伊月を見上げた。センスや感覚は如何も中々身につかなくて。見立てを頼めば文句を言わずについて来た彼に少し笑う。 「見て貰えて良かったよ……あ、降り出したね」 「俺の好みで良いなら、まぁ。嗚呼、……すげえな、映画みたいだ」 きれい、と呟くヘンリエッタの髪に落ちかかる花。思わず見入って、けれどはっとした様にその瞳が隣の彼を見上げる。此方を向いた星の色にええと、とぎこちなく、その唇が開かれる。 「伊月さん花は好き? ……甘いものは?」 「好きじゃない、……ばーか、嘘だよ。悪くない」 甘いものなら、この前貰ったみたいなものが良い。慌てて花から目を逸せば笑う伊月を見上げて、小さく、男でも可笑しくないんだと呟いた。彼は自分の理想の男にとても近い。優しくて、クールで。 沢山の事を知っている。彼の示した言葉は自分に新しい目をくれたのだ。随分高い位置のその顔を見上げる。 「だから、あなたを手本にさせて貰いたいんだ」 「好きにしたらいい。……まぁ、あれだ。好き嫌いに男女は関係ねぇよ。心配すんな」 暇なら甘いものでも食いに行くか。伸びた手がヘンリエッタの手に下がる荷物を取る。いくぞ、と歩き出した後姿は何処か気恥ずかしげだった。 ● ポットの中で舞う茶葉。まだ雨音は微かに聞こえていて。館の東屋から外を眺める糾華は、その瞳を僅かに細める。――梅雨、だからだろう。この気持ちが晴れないのは。きっとそう。少しだけ瞼を伏せる。 だから。また新しく知る不思議な出来事が、この心を晴らしてくれやしないかと見上げるのだ。空から注ぐ華やかな贈り物が、この心の雲も払えばいい。 「花が降るなんて飛びきりに素敵ね。どんな花が降るのかしら」 「そうね。この世界の花を模してくれるのなら……素敵な花言葉を探してみるのも良いかも知れないわ」 十分に蒸らした紅茶をカップに注いで。氷璃は空よりも糾華の後姿に視線を投げる。今日の彼女はご機嫌ななめ。理由は言わずもがなで。まぁ、そんな彼女を愛でるのも役得なのだけど―― 「――あら、降ってきたのね」 「すごい……あんなにたくさん」 最初はひとひら。けれどあっと言う間に雪の様に舞いだしたそれに思わず庭に飛び出してくるりと回った。一緒に舞い上がる花弁に思わず笑って、少しだけはしたないけれどスカートを広げて受け止めた。 まるで、華と踊る蝶々だ。誘われるように庭に出た氷璃もふわりと日傘を回せば揺れる花。晴れる気分に目を細めた。儚いそれを土産に出来ないのは残念だ何て思いながら、糾華を見詰める。あの子が帰ってくれば。きっと、糾華の心も元通りだ。だからそれまでは、自分だけがこの年相応の少女を独占すればいい。 「ねぇ、見て、こんなに沢山!」 「ふふっ、沢山取れたわね」 甘く儚い花弁を、そっと紅茶に浮かべて。子供の様な少女の笑みと一緒に、甘いそれを口へと運んだ。降り始めた花の雨はまだまだやみそうにない。 マンション5階からは、外も良く見えて。ひらり、と舞った花弁に気付いた旭が、嬉しそうにミュゼーヌの手を取る。のんびりと楽しんでいたお茶はそのままに、ベランダの窓を開ける。 広がる光景に、思わず零れたのは溜息。そっと伸ばしたミュゼーヌの片手に舞い込んだひとひらは、本当に見慣れたそれと同じで。 「空から雨の代わりに飴が降ってきたら……と、幼い頃に思い描いたけど」 まさかそれが実現するなんて。そんな彼女の前で、両手で作った器一杯に花弁を受け止める旭は飴、と言う言葉に其方を振り向いて。これ、食べられるんだよねと首を傾けた。 砂糖みたいに甘いらしいそれ。食べたいけれど、両手は塞がっていて、でもこの花弁は離したくなくて。あ、と思い付いた様に、ミュゼーヌの前に立つ。 「いちまいちょうだいー」 「仕方のない子。じゃあ、あーん」 そうっと入れられた花弁を舐める。広がる甘さ。美味しい?と尋ねればしあわせ、と表情を緩める旭につられて表情は緩んで。私にも頂戴、と微笑むミュゼーヌの表情はまるで子供のようだった。 待ってて、と部屋に駆け込んで。両手いっぱいの花を置いたら、新しいのをもう一枚。お返しのあーん。目を合わせて、楽しくて仕方ないと笑いあった。 「これ使って紅茶淹れたりしたらふわって溶けそだよね。ね、やってみよ」 「それはまた、一風変わったフレーバーティーね」 どんな風になるかは分からない。でも、どんな結果でもふたりでならきっと楽しいから。この雨がやむまで、特別なお茶会を目一杯、楽しめばいいのだ。 「さて、茶も用意したし……後は、ゆるりと時間を待つばかりか」 「花の雨……」 紺の作務衣と水色の浴衣。縁側に二人並んで腰かけて。悠月と拓真は、静かにその時を待っていた。天候ひとつで、同じ風景も姿を変える。その辺かを楽しむのもまた一興。熱いお茶を一啜りする拓真の膝に乗る猫が、小さく鳴いた。 それを横目に、甘えて来る子猫を抱え上げた悠月は、もう肌寒さも抜けた空気を感じて小さく息をついた。梅雨が過ぎれば、もう夏だ。ぽたぽた、滴る雨が不意に止んで。視線を上げれば、ひとひら。 「あぁ、そろそろの様だ。降って来たぞ」 「明るい内に見ると中々に壮観ですね。綺麗です」 雪の様だ、とも思うけれど。其れよりずっと音が無くて。何処か暖かいようで。伸びた悠月の指先が、受け止めるひとひら。甘く食べる事も出来ると聞いたけれど、これを運んでくる世界とは一体どんなところなのか。 思いを巡らせる彼女の膝から降りた子猫が、花弁を追うように駆け回るのを見遣って。拓真は小さくその唇に笑みを乗せる。風情がある。そして、時間は酷く穏やかだ。 「日中の眺めがこうなら、夜の眺めも気になりますね」 「……うむ、悪くない一日だな」 きっと今日は一日中退屈しない、良い一日になるのだろう。 降り注ぐ雨を避ける様に、夜鷹の家に入って。雨避け代わりのパーカーを漸く脱いだ彼は、すぐにタオルを持ってレイチェルの下に戻っていた。少しだけ濡れた髪に被さる白と、優しく拭かれる髪に、慌てて首を振る。 「わっと……もう、自分で拭くから大丈夫だよ」 恥ずかしさは隠した筈なのにどうしても隠し切れていなくて。可愛い、と夜鷹は小さく笑う。その笑みひとつにも、そして、初めて来た彼の家にも、緊張に似た感情は隠せなくて。なんとなく視線を流した窓の外でひらり、降る花弁。 「あ、すごく綺麗……」 掌に一枚。そんな彼女に習う様に花を掬った夜鷹は、そっと、その花弁をレイチェルの髪へと飾った。今何か、と不思議そうに振り向いた彼女に微笑んで。そっと、その髪に唇を寄せた。 「……甘いね」 口の中に消える花弁。髪に触れた唇に、心臓が痛い程なるけれど、それは何とか飲み込んで。どれくらい甘いの、なんて悪戯っぽく挑発してみせれば、目の前の顔はくすりと笑う。 「どれくらいかって? ……これぐらいだよ」 教えてあげる、と重ねられた唇から渡される仄かな甘さ。不意打ちに何も考えられなくなって、其の儘、顔を隠す様に額を押し付けた。ぎゅう、と握る彼の服。ああ、このひとはほんとうに。 そんな彼女の髪を撫でながら、夜鷹もまた、少しだけ困った様に笑う。少しだけ進んではみたけれど、彼女は子供だから、何て免罪符を張り付けて。想いに応えもしない自分はどうしようもない臆病者だ。 ――こんな俺を君はいつまで追いかけてくるだろう。声に出せない感情が、小さく頭の中で反響した。 ● 花を見るのは嫌いでは無かった。梅雨の代わりに花が振ると言うのなら、それは中々にすごいのだろう。買い物袋を抱えながら、猛は空に視線を投げる。 「舞う花をリセリアの手料理を食べながら眺める……我ながら、ナイスアイディア」 「あまり期待はしないでくださいね」 得意と言う訳ではないから、と添えるリセリアに自分も手伝うと告げながら、買い忘れを確かめる様に中を覗く。大丈夫だろうけれど、随分と遅くなってしまった。そんな彼の横で空を見上げたリセリアは、想像もつかない幻想的なそれを想って首を傾ける。 比喩では無く、本当に降ってくるだけでも凄いのに。それを眺めながら料理を食べるなんて、確かにいいアイデアかもしれなかった。これも一種のお花見なのだろうか。彼と一緒に出来るのなら、きっと楽しいだろうそれに、少しだけ笑う。 降り出す前に戻れるといい、何て猛の声をからかう様に。ひらり、降り始めたひとひら。 「あ……始まりましたか」 「ゆっくりし過ぎちまったか。しゃあない、眺めながら帰るとしますか?」 差し出される手。其れを取って、夜まで降るから大丈夫だと歩き出す。道路を埋めていくいろを眺めながら、歩く帰路は何処か特別に思えた。 ひより手作りのお弁当を楽しんだ後は、2人寄添って傘をひとつ。湖面を歩き回りながら雨音に耳を澄ます雪佳は、同じように雨の景色に視線を投げるひよりを見遣った。 葉を揺らす雨粒。湖面に広がる波紋。静かで、けれど楽しい雨の日に、今日はもう一つお楽しみ。そっと手を差し出してみればまだ当たるのは雨粒で。真白いふわふわを見上げて心待ちにすれば、はらり、と。舞い落ちて来たひとひら。 傘を畳めば、視界を染める色とりどりの花の雨。感嘆の吐息を漏らす間もなく、空舞う力を齎したひよりが雪佳の手を引く。 「あっ……ひより、落ちて濡れない様にだぞ」 「落ちたらゆきよしさんに温めて貰うからへいきなの」 そうっと、湖面で揺れる花をひとすくい。ちぎった花弁を雪佳に差し出して、自分も一口。広がる優しい甘さに、暖かな感情を覚えたのは自分だけで無い事を二人は知っている。 ひよりの指先が、また一つ。ちいさな白い傘を手に取る。芹の花に似たそれをそっと、雪佳の髪に飾って。お花の妖精みたいと表情を綻ばせた。 「これは……はは、俺が妖精だなんて変じゃないか?」 湖面に映る自分の姿に笑って、自分からも、と伸ばした雪佳の手が取ったのは、粉雪の様に小さな雪柳。無意識に取ったそれはけれど、ちゃんと意味を持っていて。 ひよりの頬が、仄かに染まる。静かな思い。音にならないそれは、消えてしまうものだけれど。この言葉はちゃんと胸に残るのだろう。 仏間から見える庭は今日も美しく、降り注ぐ花の雨が仄かにそれを染めていた。生き生きとした花を生け直して。傍らに腰を下ろした鶴子は旦那様、と小さく、いとしいひとを呼んだ。 「御覧下さいませ、今日は花の雨が降ると、月隠様がそう仰っていたのです」 返事は無い。もう、十年余りそうだった。余りに幼かった自分はこんな心穏やかな日々が訪れる日等想像も出来ず。胸を満たすのは悲しみと、傍に往く事への羨望ばかりだったのだ。遺された言葉に耳を傾ける事が出来なかった自分は、幸か不幸か運命の寵愛と言う名の鎖と方舟と言う名の場所によって現世に留め置かれたけれど。 今は、それも幸いだったのだろうと、そう思っていた。だからこそ。鶴子は名を呼ぶのだ。旦那様、と。鶴子の生を望んでくれたいとしいひとを。 「わたくしがこうして此処に在る事を、よろこんで、下さっているでしょうか……?」 答えはなかった。代わりの様に舞い込んだ白い花弁がふわりと、黒衣を撫でた。 ● 梅雨も悪くは無いけれど、どうしてもじめじめしている時期だから。こんな花の雨なら気分転換に良いと、公園を歩く五月は緩やかに花積もる傘を揺らした。 折角の雨に、折角の散歩。降り注ぐ花の中から探すのは梅雨の時期の花。梅雨と言えば紫陽花だけれど、今日の目標は金糸梅。たくさんの花の中を歩き回って。漸く、ひらひら舞い落ちる鮮やかな黄色を見つけて目を細めた。 掌に零れたそれを眺めて。そうっと、口に入れる。砂糖に似た甘さは優しくて。浮き立つ気持に足取りも自然と軽くなった。 「綺麗な贈り物をくれたアザーバイドさんに感謝しませんとね」 こんな景色滅多に見れない。少しだけ楽しげな彼女の通り過ぎた公園の東屋。指先が一枚、本の頁を捲る。音の無い雨の中で文字に目を滑らせるジョンは僅かに視線を上げてその光景を眺める。 ――巷に雨の降るごとく わが心にも涙ふる。そんな詩の一節の様に、梅雨はもの悲しさを示すものだけれど。こうも鮮やかな雨ならば覚える感情は何処か明るいいろをともしている様に思えた。 ほんの一時とは言え。戦いばかりで荒んだ心を癒してくれるそれは、まさに素晴らしい贈り物と言うに相応しい。 「……彼らがこの世界に来た理由は分かりませんが、客人(まれびと)たちに感謝を」 小さなささやき。それが届くには遠い場所で。同じく花の雨を眺めていた 「恩返しに花を降らせるなんて変わり者だよねー」 消えなければ瓶にでも詰めておいたのに。きっとケーキを飾るのに丁度良かった。そんな灯璃と共に空を眺める霧音は、思い出した様に好きな花は、と尋ねた。 「私は……前に別の子にも話したのだけれど、桜の花が好きなのよ」 この時期に入っても見られるなんて。少しだけ嬉しそうな彼女とは対照的に、灯璃は不服げだった。膨れた頬。小さく、別の子に話した事なんて知らない、と呟けば、ごめんなさいね、と笑う声。 「灯璃が好きな花はシロツメクサだよ。そこらじゅうに生えてる何の変哲もないクローバー」 小さな手が舞い落ちるそれを掴んで、力一杯握り潰す。葉の数や花の色で言葉は変わるけれど、唯一変わらないものがあるから。灯璃はこれが好きだった。小さく漏れる笑い声。 それを横目に、桜の花弁を一片。口の中へと居れた霧音は広がる甘味に目を細める。本物は甘くは無いけれど、これはこれで悪くない。 「ほら、貴女にもひとつあげるわ?」 「じゃあお返し。この花の変わらない花言葉は『復讐』。でも、」 シロツメクサの花言葉は。其処に込められたのは、私を想ってと言う願いなのか。それを手で揺らしながら、霧音は微笑んだ。 何時もとは少し違う、梅雨を彩る花。そんな光景にぴったりな菓子とアイスを持って亘が顔を出せば、響希は嬉しそうに笑った。 有難うと髪を撫でる笑みは定期的に見たくなるけれど話はそこそこに。また、と手を振って歩き出して、少しだけ溜息を漏らす。 「んー自分もイチャイチャ……したいなぁ」 人恋しい。そんな彼の視線の先。見慣れ始めた後姿に思わず笑みが漏れた。折角だ、友情は深めなくては。 「向坂さーん、一緒にこの花弁を更に美味しく頂きましょーう!」 「お前か、……まぁ付き合ってやっても良いけど?」 どうせ暇だし。そんな声にまた笑って差し出す菓子。これを持って何処かに行くのも、きっと悪くはないだろう。 「ぽぽー! 外! 外行こうー!」 「おぶっふ……伊藤君不意打ちはお止め下さいまし」 肩車肩車。弾んだ声の伊藤を持ち上げて肩の上へ。ノーパンロシヤーネ号はっしーん! なんて掛け声と共にアンテナを弄る彼をぺちぺちしながら、アンドレイは外へと出る。 花が降っていた。なんてことはないのにすごく綺麗で。帽子を脱いで花を集める彼に僅かに笑いながら、空を見上げる。神秘とは酷く恐ろしいのに、同時にとても素晴らしい。 「これ世界中に降ったら食糧問題が解決するね」 綺麗だし美味しいし。あ、これを見たら親衛隊も帰ってくれやしないだろうか。美しい……なんて言って。そんな伊藤の声に、アンドレイの眉は寄る。報酬とは労働の対価であり。享楽を貪り奉仕をせぬ者は当然粛清だ。 「そして彼らには断罪の刃ガッ……!」 「ぽぽはいつも小難しい事を言う。今が楽しけりゃそれでいーじゃん」 自分は幸せなのだ。理由? 幸せだからに決まってる。そんな声の方がアンドレイにとっては小難しくて。けれど、幸せに一々理由を付けるのが野暮である事くらい知っていた。ならば、今を目一杯楽しめばいい。 「ぽぽ楽しい? 嬉しい? ぽぽが嬉しいと僕も嬉しい」 「楽しいし嬉しうゴザイマスヨ。幸せでゴザイマスネ」 嬉しい事は良き事だ。良き事は幸福だ。楽しげに笑って、今日は炒飯が良いと伊藤が告げる。美味しいモノを作ろう、なんて。こんな日々が何時までも続けばいい。これからもよろしく、と声が重なって。縦長の影が楽しげに歩いて行った。 「リンシードちゃんはどんな傘がいいの?」 「……氷璃お姉様みたいな、綺麗な傘がいいです」 可愛い可愛い友達兼妹分(ここ重要)の為に、傘を買いに。そんな悠里の好意に、少しだけ戸惑う様に、けれど大人しくついて来たリンシードはついで尋ねられた色にはお任せします、と小さく返した。 どうにも優柔不断だから、自分では決められない。そんな彼女の代わりに悩むように傘を眺めて。悠里の手が取ったのは淡い水色。近くの店員に広げさせて貰えるように頼んでから、それを差し出した。 「どうですか、似合います?」 「うん、似合う似合う」 回れば広がる髪とドレスに、その傘は良く馴染む気がして。これを持てば、彼女の様に優雅になれるのだろうか。そんな事を考えながら、外に出て、突如目の前に広がった光景に目を見開いた。 花が、降っている。思わず綺麗だと呟いて、そっと、その傘を開いた。花が積もる其処に、悠里は満足げに手に取った花弁を振りかけて。やはり明るい色のほうが可愛い。そう告げれば、グレーの瞳が僅かに瞬いた。 明るい色は好きで、でも、得意では無かった。まるで自分が浮き上がってしまうようで。けれど、新しい傘は如何も自分には似合うらしい。嬉しくて、ご機嫌で。自然と軽くなった足取りの儘に、くるくると踊るように回ってみた。 思わず漏れた笑みを見て、悠里もそっと、その唇に笑みを乗せる。感慨深かった。想像も出来ない程に明るくなって。しあわせそうで。それが、何よりも嬉しくて。言葉には出さずに、隣に並んだ。 「転ばないように気をつけるんだよ?」 声は優しい。音無い雨の中を、二人が歩いた足跡も花弁が緩やかに隠していく。 ● 「さてさて、何に……」 目の前に並ぶのは馴染みある故郷の食材。夕食の買い物に来ていたディートリッヒは、ふと上げた視線の先で降る花の雨に思わず目を奪われた。 日常の中の非日常。後者に身を置く事が多い自分だけれど、やはり殺伐とした光景よりはこんな優しいものの方が好ましい──なんて、考えて。 「……こんな風に考える事があるなんてな」 漏れたのは苦笑。戦いこそ存在意義であるのだが。思考を巡らせながら、その視線はまた食材へと戻る。 「だから、なんで俺がお前の服選ぶんだよ!」 「将来想い人が出来た時の予行練習と思い付き合い給え」 まさか異性に興味が無い訳でもないだろう。それともまさかの同性愛者? からかう様に笑う朔によってブティックに引きずり込まれた伊月は、一瞬呆気に取られたものの一気に眉を跳ね上げ朔を見据える。 「んな訳ねえだろうが、良いぜ分かった、選んでやるから文句言うなよ!」 「ふふふ、冗談だよ。そう怒るな……ほら、好きに選んでみてくれ」 朔の一族を知る者には意外かもしれないけれど、自分も女。着飾る事には人並みに興味がある。それに、少々困らせたら面白いかもしれない――何て到底本人には言えないけれど。真剣な顔で服を眺め出した伊月を横目に、朔の視線は窓へと流れる。 「……花を育てるアザーバイドか」 運命に愛されているのならば、幸いだった。この雨を血の雨に変えずに済むのだから。そんな彼女の前に、突き出されるのは細身のパンツと、シンプルなシャツワンピース。今すぐ着て来いと言う彼のセンスが良かったのかどうかは朔のみが知っている。 そんな彼らの横を通り過ぎながら。自転車を漕ぐ貴志の頬を撫でるのは水滴では無く花。短時間とは言え夕焼けを透かすそれを眺めるのは楽しくて。 「このような贈り物に感謝、ですね」 世界の在り様の移ろいは自分には未だ分からないけれど。こんな奇跡がまた見られる事を願わずにはいられなかった。 爽やかな風と共に滑り込む花。それを眺めながら体調を気遣うよもぎに、狩生は問題無いと薄く笑った。 空を見上げれば真白い雲。あれが来訪者だろうかと目を細める。こんな神秘なら大歓迎だった。浮立つ気持が伝わるようで、何より口に含めば広がる甘さ。美味しいと笑みを零した。 「ふむ、負けていられないね」 夏に向けたメニューを考えていると告げたよもぎが差し出したのは見た目にも涼しいわらび餅。感想を、と告げれば礼と共にそれを口に運んだ。 「涼しげで素敵だ。甘さも程良いですね」 そんな感想に笑みを返して。まだ手を加えるかもしれないのだとよもぎは告げた。だから、今日の事は口外厳禁。指先を自分の唇に当てる。 「二人だけの秘密だよ、狩生君」 そんな言葉に勿論と笑う表情は何時もより優しかった。 空から降りしきる天然のフラワーシャワー。まるで街中が結婚式場になった様で今の季節に相応しいと、リコルは目を細める。 「わたくしもいつかこのようにお嬢様にフラワーシャワーを撒いて祝福をするのでございましょうね……」 その時覚える感情はきっと、喜びと寂しさにも似た何か。しんみりとした空気を払う様に首を振って、外に出して置いたバケツに駆け寄った。たっぷり降り積もる、色とりどりの花弁。満足げに頷いて抱え上げる。これだけあれば大丈夫。 「今日は花びらを浮かべたお湯につかれそうでございます!」 彼女は喜んでくれるだろうか。楽しげに仕事に戻ろうとしたリコルはけれど、思い出したように足を止めて真白い雲を降り仰ぐ。 「異界のおはなやさん様! 素敵なプレゼントをありがとうございます!」 そのまま小走りに、少女の姿は部屋の中へと消えていった。 屋根の外に差し出した手に乗った花弁を一口。広がる甘味に舌鼓を打って、恭弥は粋だ、と小さく呟いた。場所が悪ければ大惨事だろうが、此処なら何の問題も無い。 嗚呼けれど、開店準備をする気にならないのは問題だ。自分の店を振り向いて、けれどまぁ良いかと肩を竦めた。準備は、何時でも出来るのだ。其の儘舞い落ちる花を眺めて、ふと。思い付いた様に彼は外に出る。 「私は異界人……この雨は私の所業です。美しい君、この花弁のように甘く儚い思い出を私と作りましょう」 これは利用しない手はない。芝居がかった調子で紡がれた台詞を確かめる様に呟き直して。嗚呼、これならいけると頷いた。 「開店準備は明日から頑張りましょう。明日から」 その足が外へと向かう。向かうは勿論、人の多い――ナンパにぴったりの街中なのだろう。 しゃらり、と揺れるのは月明かりを閉じ込めた様な石と、細い鎖。大事な彼女の誕生日。快が選んだのは、誕生石のペンダントだった。 「アクセサリーとか、あんまり詳しくなくてさ。縁起の良さそうなの選んできた。変じゃないといいけど」 「変だなんて事はないと思うわよ。似合うかしらね?」 折角だからつけて貰おう、と晒された首に、そうっとそれを留めて。おめでとう、と囁いた。それに有難うと返して、すっかり忘れていたと笑ったレナーテは、胸元に揺れるそれをそっと撫でる。 相手の誕生日は覚えているのに、変なものだ。快の手に舞い降りる花を眺めていれば、彼が小さく息を吸う気配を感じた。 「レナーテが俺の事を好きだって言ってくれた時も、不思議な雨が降る夜だったよね」 懐かしい日だった。けれどまるでつい最近の様でもあるのに、もう一年だ。あの時は色々あって返事が遅れてしまったけれど何て笑えば、気を付けてよねと小さな溜息。そんな彼女の手をそっと取って、快は目を細める。 ありがとう。何よりも告げたい言葉を囁いて。此方こそと返った言葉を聞きながら、次の言葉を探す様に、その視線が下がる。 「一緒にいて欲しいって気持ちは、あの時からずっと変わらないよ。いや、むしろ強くなってる、かな」 「私も、あの頃の気持ちは変わっていないわ。寧ろ放っておけないなと思う部分もでてきたりで」 離れる訳にはいかないわね。小さく笑う声。レナーテの髪に落ちかかった花弁が、風に煽られて舞い上がる。この手が離れない様に、なんて願わずにはいられなかった。 ● こうして手を結ぶことも、随分と当たり前になった。花に彩られた湖の傍を二人並んで歩きながら、五月は幸せそうに目を細めた。夕陽が落ちゆく中に降り注ぐ雨は、とても素敵で。しかもその雨は花なのだ。 世界を染める色は鮮やかで。そんな此処でもこうして、手を繋いでくれる事がとてもしあわせで。それを伝えて笑えば、フラウはアレっすよ、と五月の指を飾るリングを撫でた。 「うちはメイが望んでくれる限り、この手を離さないって勝手に思ってるだけっすから。ソレだけ」 それで彼女がしあわせを感じるのなら、自分も幸せだ。一度きりの特別な日。ふわふわと湖面で揺れる花弁も綺麗だと言葉を交わしながら、不意に思い付いた様に五月の手が空へと伸ばされる。ふわり、と黒い耳がそよいだ。 「フラウ、この花弁をキャッチ出来たら夢が叶うとか――ないかな?」 「願掛けなりするにはイイと思うっすよ。やってみるっすか?」 言葉を交わしながら伸ばす手。ふわり、と舞い込んだそれは優しい翡翠色だった。そうっと包み込んで、オレの夢は、と五月は背筋を伸ばした。大事な言葉を、真っ直ぐに。紫水晶の瞳が、フラウを見詰める。 「フラウの事を護り切ることだ。君が望む限りオレは傍に居るよ」 絶対。絶対にだ。何処までも優しくて綺麗な夢の様な言葉はけれど、それを必ず叶えると言う意思に満ちていた。目の前の瞳が僅かに見開かれて。其処に浮かぶのは僅かな照れ。少しだけ間が空いて。小さな声が、うちも同じと答えを囁く。 それに笑って。消えてしまう花をそうっと離した。勿体無い。取ってはおけない特別な想い出。僅かに目を細めて、けれどすぐに思い付いた様にその顔に笑みが乗った。 「あ、後で何か買いに行こう。お揃いの物が良いな!」 「了解、お姫様。満足するまで探そうか」 結んだ手を引き合って。二人だけの散策の帰りに見つける新しい想い出はどんなものだろうか。 砂を踏む足音は酷く楽しげだった。買ったばかりのレインコートが花と一緒に弾んで舞う。思い出した様に伸びた指先が花弁を口に運んで。ルナは笑顔で隣を歩く伊月を見上げた。 「伊月ちゃん! お花だよ、お花が空から降ってくるの! ねっ、素敵だよね?」 「はいはい、お前見てる方が面白いけどな」 それだけで世界は色付いて見える。こんな素敵なものをくれた来訪者には感謝しきりだった。叶うなら、直接伝えたかったけれど。そこまで考えて、けれどふと思い出した様にその瞳は海を見る。確か、もう少ししたら泳ぎに来れると聞いた。それを問えば軽く頷く気配。なら、隣の彼とも来れるのか、とルナは笑う。 「まだ少し先かもだけど。今からとっても楽しみ!」 「俺は……まぁ、いいか」 夏になったらな、と呟いた伊月の唇が微かに笑みを浮かべた。 腰を下ろしたベンチで、感じる風は涼しかった。デートの終わり。一日、二人で過ごした時間は幸福に満ちていて。繋いだ手がそれを教えてくれる様で。そっと、寄添い合う温度は心地良かった。 そっと、凛子の指先がリルの口へと砂糖菓子の様な花弁を運ぶ。花の雨も不思議だけれど、甘いのも不思議で。お返し、と差し出したそれが、凛子の口の中へと消える。 「リルさんから貰えると、一層甘く感じますね」 そんな彼女に、一番似合うだろう綺麗な花を選んで。リルの手がそっと、艶やかな髪にそれを添える。視線が交わって、思わずときめく胸を秘めて、真っ直ぐに見つめ返した。 「あともう一個、あげたいんスけど」 痛い程に鼓動は早い。ばれてしまいそうで、でも、思い切ってその手を取って。緩やかに伏せられる瞼を見詰めながら、そうっと、唇を重ねた。花より甘くて、時間はまるで止まったかのように。 緩々と離れた唇が、吐息が交わる程の距離で小さく、大好きだと囁く。首に回った腕が、ぎゅう、と大事なものを抱える様に力を込めた。 「私もリルさんの事がもっと好きになりましたよ」 「……もっと、はわがままッスかね」 そんな言葉に、小さく笑う。嬉しくなる、と囁いて。確りと抱き締め返してから、もう一度唇を重ねた。 鮮やかなオレンジが染める砂浜はまだ少しだけ肌寒くて。大好きなスケキヨの膝の上で、大好きなその身体に身を寄せて。ルアは降り頻る雨に目を細めた。 花畑の様な世界は愛しい彼女にぴったりだ。とスケキヨは思う。寄添う身体は暖かくて。抱き締めて貰えばもっと、もっと暖かくて。幸せそうにあったかい、と囁けば少し低い笑い声が伝わってくる。 「……このまま夜になっても、二人で居たら寒くないね」 「うん、すごくあったかいよ」 笑い合う。ふわふわと揺れるルアの髪に、舞い落ちたのは綺麗な青。ネモフィラにそっくり、と顔を合わせて笑い合って。けれどそっと耳元に寄せられた唇が笑みと共に小さく、食べても良い、何て囁くから。 赤く染まった頬は、嬉しさと恥ずかしさの表れだ。寄せられた唇。お返しとばかりにスケキヨに纏わりつく花を口に運んで、見つめ合って。嗚呼、こんな素敵な光景が、ずっと続けばいいのにと思うけれど。 でも、とスケキヨはルアをそっと抱き寄せ直す。自分のすぐ傍には、こんなに綺麗で甘い花が咲いているから。 「十分だね。……この花も、食べてしまっていいかな?」 悪戯っぽく笑って、返事を待たずに口付けをひとつ。重なる唇は甘くて。そんな笑顔も、鼓動が早まる様な言葉も、全部全部大好きだと、ルアは目を細める。振り向いて、腕を回した。ぎゅうと抱き締めて。 二人だけの甘い時間は、緩やかに流れていく。 努力は隠すもの。狩生の紅茶を飲んだり、伊月の素行と言う名の性癖を調べてみようとしたりしながら愛しのユーヌを待つ竜一の下に近寄る小さな足音。『普通の少女』にはトレーニングも欠かせない。 戦場だけで強くなれる程器用ではないからと一日打ち込んだユーヌは、じんわりと汗ばむ身体に僅かに眉を寄せた。まぁ良いかと、此方に気付いた竜一と本部の外へ。 即座に肩を抱く様に回る腕。存在を確かめる様に寄せられた頭と、擽るように頬を舐める舌先に肩を竦めた。 「まったく、ベタベタして暑くないか?」 「うむ、花弁と一緒に舐めれば甘く、ほのかなしょっぱさ?」 口に消える小さな花弁。愛しの彼女は確り味わっておかねばなんて告げる竜一の頬を突きながら、仕返しとばかりに少しだけ背伸びして花弁ごとぺろり。甘い様で、しょっぱい様で。妙な感じだと首を傾けた。 そんな姿も可愛い、と目を細める竜一の前で、纏わりつく花を払おうと背伸びを続けるユーヌは不意に、思い付いた様にその唇に笑みを乗せる。 「それとも全部唇で取った方が良いのか?」 「ユーヌたんの唇は予約済みなのでこれ以上、花弁は舐めさせないです」 ちゅ、と音を立てて重ねられる唇。お前の舌も予約済みなんだがな、何てユーヌの声が、間近で聞こえて。もう一度だけ唇を重ねなおした。 ● 一日ずっと、花降る世界を二人で歩き回って。楽しかったね何て笑いながら辿り着いた公園は、消え始めた夕焼け色を僅かに残して酷く幻想的だった。 「お花が降ってくるって、素敵だね。ほんのり甘くておいしいし、今日だけって残念だなぁ……」 空を見上げてアリステアが漏らした声を聞きながら。その横顔を眺める涼の心に浮かぶ言葉は様々だった。一日有難うとか。花の雨なんて驚いたけど綺麗だね、とか。でも、伝えたいのはもっと他の言葉で。 「……キミとこうやって過ごせるのが幸せだな。て思う。だから、てわけじゃないけど、そろそろちゃんと言わなきゃかな」 不思議そうに此方を見詰める紫を見詰める。なんとなく察しているのかもしれないし、今更なのかもしれない。けれど言葉にしないと伝わらないのだ。この関係を変えたいなら。少し、進めたいなら。 「アリステア。キミの事が好きだよ。……ラブの意味でね?」 緊張した声が耳を擽る。頬が熱かった。胸が苦しくて。言葉がうまく出て来なくて。少しだけ目の奥が痛くて。けれどアリステアはあのね、と少しだけ震えた声を紡いだ。 「できるなら涼の一番近くで、ずっと一緒にいたいなって。でも『妹』じゃ嫌だなって、」 他の人に、そんな事思った事無いのに。零れ落ちそうに溜まった涙の理由は分からない。声が震えて。でも、もう少しだけ、言わないと。 「こう思うのって、特別な好き、だからだよ……ね?」 それ以上は言葉にならなくて。目も見られなくて俯いて。けれど、そんなアリステアの髪に乗る涼の手は、暖かくて。優しく撫でながら笑顔のキミの方が好きだよなんて言うから。零れ落ちた涙が、降り積もる花弁を伝って落ちた。 何時も通り繋いだ手は、常に違う事を教えてくれる手でもあった。浜辺の砂を踏んで。一緒に出歩くのは久し振りだとミカサが告げれば、怪我が無いのは良い事ねと響希が笑う。 舞い落ちるそれを受け止めて子供の様に口元に運んでやればぎこちなく飲み込み気恥ずかしげに視線を逸らされ。思わず笑いながら首を傾けた。 「……ねえ、空から降る花を見ていると、まるで結婚式を挙げているみたいだね」 「ロマンチストね。でも、悪くないわ」 彼女が綺麗と指差した菫を黒髪に添えて。視線を合わせれば赤銅が酷く幸せそうに細められる。こうやって見詰めあって言葉を交わして。その心を自覚した日。あの日の鮮やかな蒼と繋がる此処で。 そっと、手を取った。あの日と変わらない、少しだけ温度の低い手。見上げる瞳は変わらずけれどあの日よりずっとしあわせに彩られて。小さく、息を吸った。 「――愛しているよ」 紡いだそれは、今まで誰にも告げたいなんて思わなかった音で。けれど、どうしても、彼女には告げたかったのだ。ずっと思い悩んでいた筈の人の心なのに。気付けば自分の内にもそれは存在したとでも言うのだろうか。 目の前の瞳が僅かに彷徨って。けれど真っ直ぐに此方を見返す。僅かに潤んだそれが細められて、困るわ、と小さく呟いた。 「幸せ過ぎて夢みたいね。……あたしも、愛してる」 手が伸びて。精一杯、ぎゅうと抱き締める。降りかかった花弁が黒いスーツを滑り落ちて行った。 ふわふわ。音も立てずに傘の上に降り積もっていく花びらは、夜闇の中では雪の様にさえ見えた。こんな風に降り積もる花を見上げるなんて、きっとそうそう出来る事では無いとエレオノーラは隣の狩生を見上げた。 「普通の雨も好きだけどこういうのもいいわね」 「そうですね、実に美しい」 歩調を合わせて。歩く最中にエレオノーラがそれに、と告げたのは少し前の星見の日の事。砂糖菓子みたいと手を伸ばした幼い日。嗚呼、と楽しげに細められた視線の先で、一枚の花弁をそっと摘まんだ。 「こんな雨があるなら……どこかに砂糖みたいな甘い星がある世界もあるかも」 中々子供の頃の発想も馬鹿には出来ない。もしもあるのなら見てみたい、なんて少しだけ笑った彼の横で、夢があると微笑んだ狩生の手が取ったのは、鮮やかな紅のゼラニウム。 少しだけ悩む様に視線を彷徨わせて。その手がそっと、金の髪へと花を飾った。似合いますね、と目を細めた男の声を聞きながら、再び歩き出したエレオノーラは折角だし、と視線を上げる。 「どこかでご飯というかお酒でも飲んで帰りましょうか。外が見えるお店なら、まだこの雨も眺められそう」 「それは素敵だ。是非ご一緒させてください、……少し先に良い店がありますから、そちらへ」 少しだけ。早くなる足音。こんな景色の下でなら酒の味も格別だろう。其れこそ、デザートに砂糖菓子でも摘まみながら。微かな笑い声と共に歩き去っていく彼らを、そして花の雨を眺めながら。 星龍は一人、テラスでグラスを傾けていた。揺れる琥珀と氷を透かして見る花の雨。風雅だ、と一口それを流し込んだ。数多い異界の来訪者がこの世界に齎すものは様々だけれど。彼らは此方で何かを得る事があるのだろうか。 「私たちから彼らにささやかながら送れるものがあるならば、それはそれで素敵なことですね――はてさて、真実は如何に」 嗚呼酒が入るとどうも、益体も無いことを思いつく。小さく笑って、少しずつ中身を減らすグラスを掲げた。空を見上げる。真白い雲は、まだまだ花を零し続けていて。 「彼らの、そして私たちの行く末に幸多からんことを」 そんな声を聞く様にひとひら、薄桃がグラスの中に零れ落ちた。 ● 花の雨は優しくて、綺麗で。今日の世界に痛みは無くて。優しくて。夢の様にずっと続く幸福を謳うようで。ベランダからそれを眺める雷音はそうっと目を細める。 「雷音プリン作ったでござるよ。拙者と一緒に食べようでござる」 ありがとう、と来訪者に囁く声に重なる様に虎鐵の声と共に差し出された皿。知っているそれとは違う、透明のカラメルに淡く色を散らす滑らかなそれを受け取って、まず一口。 ふわり、と広がる味は優しくて甘くて。大事そうに器を抱える彼女も麗しい、何て虎鐵は目を細める。目の前の唇が小さく笑みを浮かべて、美味しい、と囁いた。 彼の作る菓子は美味しくて。けれど、この味にもう一度は無い。だから大切に、大切に。一口ずつ口に運ぶ雷音に思わず表情が緩んだ。 「雷音綺麗でござるな。あ、は、花の事でござるよ! 勿論雷音も綺麗でござるが……」 「ボクじゃなくて、雨を見ろ!」 返る声は怒っている様でけれど、何処か嬉しそうだった。それを見るだけで幸せで。花の雨と雷音を眺める虎鐵の前で小さく、優しい梅雨なら大歓迎だ、と雷音は呟く。 けれど。別に雨は嫌いでは無かった。寧ろ好きだった。静かな世界を満たす雨は、大地に優しく広がって。それは空と海と陸を繋ぐようで。 「愛しいとおもうのだ、へ、へんな事をいっているかな?」 「そんな事無いでござる。空と陸が交じり合うのって繋がってるのってとっても素敵だと思うでござる」 雨は落ち着く。そんな返答に安堵の吐息。後は、小さく食器の擦れる音しか聞こえなかった。 ひらひら。舞い落ちるいろ。異世界の贈り物は優しくて甘くて綺麗で、けれど、儚い。そんな、愛おしい時間だったと、リリはその瞼を緩やかに伏せる。 そんな彼女に砂糖代わりの花を添えた紅茶を差し出して。杏樹は何も言わず、その視線だけをリリへと向けた。緩やかに開いた瞳に揺らめくのは、寂しさとも切なさとも、愛情とも言い難い淡いいろ。 「――あの方はどこか遠く、知らない所へ旅立ちました」 ひとりだ。たった一人、自分の傍から居なくなっただけ。自分の周りには杏樹がいて、沢山の友人が仲間が居るのに。もう一人では無いのに。違うのに。心が軋む。一人きりになったようで。何も無くて。寂しくて。誰も居なくなってしまいそうで怖くて辛くて。 「シスターは……此処に居て下さいますよね?」 吐き出す声は酷く震えていた。そんな彼女を真っ直ぐに見つめて。杏樹が差し出すのはその暖かな掌。ずっと、何て約束は出来なかった。不器用で、話し上手なんかじゃない。何がしてやれるのかと言われたら上手くは言えなくて、けれど。 「……寂しい時は、こうしてお茶に付き合うくらいはできる」 泣きたいなら泣けばいい。怖いのなら怖く無くなるまで手を握ろう。おかえりを言おう。吐き出せなかったものがあるのなら受け止めよう。ただ真っ直ぐに差し出される手。温かくて。でも震えが止まらなかった。怖かった。 ぎこちなく、伸びた手が結ばれる。ひとのぬくもりだった。こうして手を繋いだ日はそう遠くない筈で幸福に満ちていた筈でけれど胸を裂く様にその記憶は痛みを伴うのだ。 「過ごした時間は、いつか支えになると思う。……私にとっての神父様みたいに」 涙が零れ落ちていくのが見える。そっと、背を撫でれば漏れ聞こえる嗚咽。望まなければ良かったのか、何て囁きには応えぬまま。そっと、結ぶ指先に力を込めた。一人じゃない、と言う囁きは優しくて。涙は止まりそうになかった。 花の雨は未だ降り頻っていた。二人で寄添って。口を開いたのは、木蓮だった。仕事の中で見た、心の傷に触れる幻覚。龍治が見たであろうそれを自分は聞きたいのだと告げれば、僅かに視線を上げた龍治は話しておかねばと思っていたと、短く告げた。 「母は、神秘に纏わる全てを憎んでいた。故に俺は、」 母に愛されなかった。零れる声は小さい。幻影の中で、母親は言ったのだ。愛されたい癖にと。他の誰でもない自分に、愛されたい癖に、と。けれど、龍治は其れに首を振った。木蓮が、彼女が居るから、もうそんなものは必要ないのだと。 それはある意味で彼の答えで。けれど、彼は後から、気付いてしまったのだ。 「――俺はお前に、母から得られなかったものを求めているだけなのではないか、と」 吐き出す声は僅かな震えを孕む様だった。愛しく思う気持ちに偽りなど存在しない。けれど、それがもしも、代償行為の産物に過ぎないのだとしたら。愛でも恋でも無く、ただの傷を癒す為の防衛本能なのだとしたら。取り戻せないものを求めているのだとしたら。 思えば思う程に澱む感情に首を振る。嗚呼、何と情けなくみっともない話なのか。首を振った彼に、木蓮はそっと、そんな事があったのか、と囁いた。 「なあ、俺様が前に寝惚けてお前をお父さんって呼んだ事があったろ?」 自分も、彼と父を重ねていたのだ。けれど、彼女は知った。龍治は唯一無二なのだと。似ていても、違うのだと。自分の気持ちの答えなんて、自分だって分からない事が多くて。けれど、そんな時の為にお互いが居るのだろうと、その手は伸ばされる。一緒に、居るのだから。 「……もし代償行為でも、お前が求めるだけ愛するぞ。そして俺様が一番だって言わせてみせる」 だから安心しろ。そっと、伸びた手は背中に回って。抱き寄せられて。髪を撫でて。この温もりが愛しい筈なのにどうしてこんなにも痛みを覚えるのか。これが愛なのか恋なのか。其れとも違うものなのか。答えを見つけるのは、何時になるのだろうか。 「空から甘い花弁が振ってくるなんて、凄く不思議ですぅ~」 「ちょっとした菓子の代わりかね?」 バルコニーで跳ねる銀の髪。一生懸命に舞い落ちる花を掴もうとする櫻子の口に、手に取った花弁を入れてやりながら。櫻霞は酷く興味深げに空を見上げた。神秘には慣れたつもりだけれど、花の雨とは。 妙な返礼もあったものだと呟いて、己の口にも花弁を運ぶ。仄かな甘みに興味を引かれる最中、いつの間にか部屋へ消えていた櫻子が持ってきたのはシートとクッション。場所を整えてから、此方を見上げて首を傾け。 「櫻霞様と一緒に見たいですにゃ~……♪」 「最近は仕事詰めだったからな、たまには息抜きも必要か」 腰を下ろせば、嬉しそうに膝に乗る小さな身体。空を眺めるその銀糸を撫でてやれば満面の笑みで振り返って、綺麗だとその小さな手が己の手を掴む。それを引き寄せて、寄せた唇がお前の方が、なんて囁けば染まる頬。小さく喉の奥で笑った。 そんな彼と触れ合うのは暖かくて。でもそれ以上に胸を満たすこれの名前を、櫻子は知っている。 「櫻子は櫻霞様と一緒で幸せですぅ~……櫻霞様は幸せですにゃ?」 「言葉にするまでもないとは思うが、聞きたいか?」 返る問いに、僅かに落ちる沈黙。けれど、視線はすぐに上がって。真っ直ぐに此方を見る目が聞きたいと告げるから。幸せだよ、と囁いた。花咲く様に笑う櫻子が己の背へと手を回すのを感じて、櫻霞はそっと目を閉じる。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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