●糸を巻く 夜の公園に複数の足音が響く。人影は周囲を見渡し、深く息を吐いた。 「誰もいないじゃない。本当にここでいいんでしょうね」 手際が悪いったらと悪態をつくのは十歳程の少女――あくまで見た目の話であるが。 「緊急だとか言ってこんな所まで重い荷物を運ばせておいて。美玖を馬鹿にしてるわ」 「そんなのは一つでも自分で荷物を持ってから言いやがれ!」 荷を積んでいた車を運転していたのも、その荷を降ろしているのも彼女ではない。男達としては当然の言い分だが。 「男が三人もいて、女の子に荷物を持たせようというの?」 全く悪びれていない。文句をつけた二十歳前の男が「何が女の子だ」と顔を歪ませた。 「この中で一番年長なのはわかってんだよ」 「あら、美玖が一番か弱いのは事実だわ。天下のフォーチュナですもの。肉体労働はアンタ達の仕事でしょ」 「何が天下のフォーチュナだ。元フィクサードがよ」 ケッと悪態をつく男に、あらと皮肉げな笑みが向けられる。 「自己防衛は認められてしかるべきよ。それにフィクサードの力を奪う為だとか言い訳して、3秒でアーティファクトに操られたお馬鹿さんに言われたくないわ」 言葉もない。男は顔を真っ赤にして黙り込んでしまった。 「まぁまぁ英人さんも美玖さんも落ち着いて。アークの指示なんだから大人しく待とうよ」 柔らかく笑って間に入ったのは高校生くらいの若者だ。ちなみにほぼ一人で荷物を出し終えました。 「ほら、ケンカなんてしたら新人の悠樹君が引いちゃうから……って、なんでそんなに離れてるの悠樹君」 「あ、すみません。仲間と思われたら恥ずかしいんでつい」 無垢な笑顔を見せてから、そんなことよりと少年が呟く。 「一色さん、今回の指示おかしくないですか?」 アークで管理している、以前に事件で押収したアーティファクトを人気のない場所に持ち出す。それも、その事件に深く関わった自分達で。その中にフォーチュナまで混ざっているとなれば違和感しかない。 蜘蛛の糸事件。集まった彼らは、『企業』と呼ばれる組織の巻き起こした連続する事件の被害者、あるいは加害者だった。今日持ち出したアーティファクトも、当然蜘蛛の糸事件で使われた企業の製品だ。 「正直僕もそう思ったけど……直接指示をもらったわけだしね」 相手は長くアークに勤めているスタッフだった。緊急だと言われれば疑問を口にする暇もない。 「とにかく待つしかないよ。誰か来たら事情を聞こう」 「では早速説明してさしあげましょうか」 突然の声に全員が飛びのき構えた。指示をどこかいぶかしんでいた彼らは、最悪の場合の心構えは済ませていたのだ。 ――もっとも今回は『最上の最悪』であったわけだが。 4人の前に現れた人物を、4人ともが知っていた。肩口と脇から余分な袖を生やしたビジネススーツに身を包む、怪しげな蜘蛛の仮面の男。一度見れば忘れられないこの容姿。 「ナビゲーター!」 甘言を用いて人を陥れ、周到に張った糸で操り破滅に導く。ナビゲーターは企業の営業。かつて彼らを騙し操った張本人だ。 「のこのこ出て来やがって! 借りを返してやる!」 威勢を張りながらもさり気なく英人が美玖の姿を隠した。敵の実力は良く知っている。3人で倒せるような相手ではないのだ。ならば、フォーチュナを企業の手に渡すわけにはいかない。それがわかっているから美玖も腰を低くして逃げる準備をする。 視線の交差は一瞬。それを合図にして一斉に飛び掛る。一瞬でいい。一瞬でも敵を―― 「動くな」 一言。たった一言。ただの言葉だ。だから、誰も何が起きたのかを理解できなかった。 何故止まった? 何故誰も動かない。何故――何故自分さえも動いていない? 「『感応』については、アークでも調べたでしょう?」 動きを止めたリベリスタ達の隙間を縫いながらナビゲーターが笑う。企業の製品に核として埋め込まれた強化アーティファクト。持ち主の精神に働きかけ、歪ませ支配する危険な力。 「過去であれ企業の製品を身に着け感応の影響を受けていた。君達は、今も支配されているのですよ。より上位の強化アーティファクトの持ち主にね」 嘲る笑いを浮かべてナビゲーターが言葉を吐く。それはまるで蜘蛛の糸。するりするりと心に巣を張る悪意の力。 「君達は社長への手土産です。手ぶらで戻ったのでは営業の名折れですからね」 表情を失い従順な手駒と化したリベリスタを満足げに見やり、後ろを振り返れば荷を運ぶコンテナ車がちょうど到着したところ。降りてきた部下達に手を上げて――蜘蛛の王は浮かべるのだ。 薄く嘲る捕食者の笑みを。 ●糸を追う 「緊急事態なのはわかりマシたねヒーロー」 現場に急行しながら聞く通信の相手は『廃テンション↑↑Girl』ロイヤー・東谷山(nBNE000227)。時間が時間故にすぐ出れる人間を集めての強行軍。事はアークの不手際で複数のリベリスタの誘拐騒ぎとなれば緊急も緊急だ。 「偽の指示を出したそのアークスタッフは企業の人間だったのか?」 「ノン。本部内の映像ですぐ特定されましたが……彼は何も覚えていませんデーシた」 映像を見せても全く記憶に無いと答える彼の最近の行動を調べ、一つの事実がわかった。 外部との接触。リベリスタ組織として圧倒的な規模を誇るアークだが、協力関係にある多数の組織が存在する。必要ならば救援願いに情報売買、手に負えないアーティファクトの処理などを依頼されることもある。 それらの窓口は当然アークのスタッフが担当するのだ。 「彼は最近装備を売り込む組織と接触したようなのデースよ」 日々膨大な量の依頼を処理しているアーク。起こる全ての事件を全てのスタッフが把握しているわけではない。彼が接触していたのは十中八九企業の人間で間違いないだろう。気付かぬうちに彼は感応の支配を受けてしまっていたのだ。 「起こってしまったことはドウしよーもありまセーン。ここからは変えれるフューチャーね」 通信で送られた資料を確認していく。操られた4人の他に10人の企業の人間。全員が戦闘員というわけではなくとも、幾度となく交戦したナビゲーターの実力を推し量れば敵を倒しリベリスタとアーティファクトを取り戻すことはかなり難しいだろう。 「全部を行うには時間も準備も足りまセーン。目的を達成することを優先してくだサーイ」 指示された目的はただ一つ。リベリスタの誘拐の阻止だ。 せっかく押収したアーティファクトだが企業の製品は未開の部分が多すぎて研究は進んでいない。失ってもさほど痛手ではないのも事実。 対し、企業はフェイトを持つエリューションを集めている節がある。彼らはアークの情報を持っているし、ましてメンバーの一人はフォーチュナ。企業の手に渡ればどう利用されるかわからない。 「4人の救出をお願いしマース。彼らを取り返せれば企業もそう無茶はしないでショー」 アークの万華鏡に所在を知られることを恐れる企業は、目的が失敗してしまえば早々に退散するだろう。 だが周囲を巡回している子蜘蛛を抑えても4人のそばにはナビゲーターがいる。ナビゲーターの糸の範囲にあれば救出どころではない。激戦の果ての救出は至難だろう。 ――ナビゲーターを引き離せれば。全ては時間と作戦次第か。 「サアお任せしましたよヒーロー」 戦いの場は近い―― ●糸を―― 「ところでナビっち」 アークから持ち出したアーティファクトをコンテナ内に運ぶ部下達。それを監督しているナビゲーターの背に、篤志が声を投げかける。 「社長の指示として被験者達の確保はわかるッスけど。アーティファクトの方はモニターしたデータが取れればそれでいいはずッスよね。なんでわざわざこんな手間を――」 これではアークの連中の妨害を許してしまう――言いかけた言葉は続かない。 愉快げに。歪んだその口元を見てしまったから。 ――なるほど。ただの悪い病気ッスか―― 嘆息し周囲の警戒に戻る。上司に恵まれてないと己が身を嘆いて。 ナビゲーターの、仮面に隠れたその表情を察することはきっと楽なことだろう。 蜘蛛の王はただただ渇望する。巣にかかる蝶々を待ち焦がれて―― |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:BRN-D | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年05月17日(金)22:46 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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●アゲハ 「おいで。僕と一緒にいきましょう」 愛しげに言葉を吐く――糸を吐く。心絡めとる蜘蛛の糸。 意思を強く持て。間違えるな。この心は他の誰でもない自分だけのもの。 唇を噛み締めて。決意を示すように、狼の少女は両手のナイフを強く握る―― ●モンシロ 「宮田鈴音はまだ7歳デースからね。両親と共に三高平市の安全な場所に移りアークの保護下で神秘について勉強中、心配無用デースよ。安心した? ツンデレした?」 「うるさい。いいから黙って資料寄こせ」 鈴音はアークが知る蜘蛛の糸事件の最初の被害者である。その件に関わった『K2』小雪・綺沙羅(BNE003284)は、資料をやり取りする傍ら彼女の安否を確認したわけだが……返された言葉に仏頂面を見せる。「Just a moment.」とロイヤーの返答に混じる笑みにもますます顔をしかめて。 その表情の変化に思わず吹き出して、強い眼差しを向けられ咳払い一つ。『さすらいの遊び人』ブレス・ダブルクロス(BNE003169)は「それにしても」と切り出した。 「手放しても影響が残るたぁ、アシカガの商品はマジで厄介だぜ」 企業アシカガ。幾度もアーティファクト事件を巻き起こす組織。使用者の運命を消耗し精神すら操るというそれを、綺沙羅はばっさり呪いのアイテムと表現した。 暫くしてノートPCに送られた資料に目を通し鼻を鳴らす。捕獲されて1年近く。企業の感応研究部所長であった細川幽子は未だ非協力的であるらしい。 「例のやつ、使うのは難しそうか?」 ブレスの言葉に「そうでもない」と呟いて――綺沙羅は懐から取り出した赤い石を覗き込む。 遥か先を見るブレスの目がコンテナ車を捉えた。周囲の様子を探るが子蜘蛛達は見つからない。恐らくは公園の木々に隠れ警戒をしているのだろう。 姿は未だ見えない。だから止まる、わけにはいかない。子蜘蛛達に探索能力がある以上、時間は敵にしかならないのだから。 仲間に合図し木々を駆け抜けるブレス。彼を叫ばせたのは恐らく長い戦場生活で染み込んだ野生。 「横だ!」 瞬きは一瞬。連続する銃声がリベリスタの身体を穿つ。再び構える子蜘蛛の1人に―― 「久しぶり。ベニーだったよね」 「紅子だ」 生真面目に言葉を返した先で、素早く暗視ゴーグルを着用した綺沙羅の閃光弾が視界を灼く。 探知能力で敵が上回る以上後手に回らざるを得ない、が。 「正面に1人」 防ぐことは不可能ではない。感情を読み取り『不機嫌な振り子時計』柚木 キリエ(BNE002649)は気糸を飛ばし牽制する。 ――やる事は決まっている。ならば冷静に対処するだけ。 「いつぞやのヤツじゃないッスか。少しは楽しませて――」 前方から飛び出した篤志の言葉は続かない。強烈な閃光がその場を支配した為だ。 「これぞシャイニングアポイントメントの術……」 気配を殺し溢れんばかりの社会的礼節を披露して。『終極粉砕機構』富永・喜平(BNE000939)は一気に距離を詰めた。 「洗脳からのやりたい放題、相変わらずのやり口だな」 ――まぁ此方も何時も通りに邪魔してやるんだが。 巨大な散弾銃が開戦の鐘を鳴らして。 「始まったようですね」 能力を使わずとも響く銃声に、けれどさほど興味を示さない。男は待つ。ただ耳を済ませて、張り巡らせた糸に獲物がかかるのを―― ――双海唯々! ここがその場所だな―― 拾った声にその表情を緩ませて。 「君達は子蜘蛛衆に従いなさい」 1人コンテナ車を離れ、蜘蛛の王が辿る道筋その先で。 「御機嫌よう、蜘蛛の輩よ」 視線を受け止め少女は立つ。『獣の唄』双海 唯々(BNE002186)はその美しい顔に挑発的な笑みを浮かべて。 「イーちゃんから久しぶりのダンスのお誘いだ。女性を待たせるようなマネはしねーで欲しいのですよ?」 涼やかな表情とは裏腹に揺れ動く尻尾に目を細め、ナビゲーターは少女に一歩踏み込んだ。 1人で現れたナビゲーターに対し、対峙するのは4人のリベリスタ。その1人『ジーニアス』神葬 陸駆(BNE004022)が指を突きつけ声を上げた。 「4つの蝶を一度に引っ掛ける作戦とは天才的だ。天才的作戦は天才的作戦で返してやる」 ナビゲーターの耳を利用し、執着する唯々の名前を呼ぶことで釣り上げる。それは完璧な成果を出していた。もっとも、ナビゲーターはそれに嘲る笑いで答えたが。 「二つ、言わせて貰いましょうか」 指折りして言葉を紡ぐ。 「企業の狙いは確かに彼らですが……僕にとってはただの餌に過ぎない。それも、蜘蛛の捕食する餌ではなく、君達本命を釣る為の、ね」 僕が喰らう蝶々は君達ですよと嘲笑う。 「なんとなく読めるが、もう一つも聞いておこうか!」 「もう一つは簡単です」 指先から糸を吐く。余裕の表情で戦闘態勢を整えて。 「たった4人で僕をどうにかできると思いましたか天才」 蜘蛛の巣が周囲を取り巻いた。その状況でも陸駆は慌てず言葉を紡ぐ。 「うむ、出来るとも」 今、このとき。救出に向かった仲間を信じ、この場にナビゲーターを釘付けにするのが目的ならば――! ●シジミ 空に張られた蜘蛛の網が瞬時降り注ぐ。逃げようの無い攻撃に全員が直撃を受けその動きを鈍らせた。 その中で。痛みなどないかのように凛と立ちはだかる清廉の乙女。『騎士の末裔』ユーディス・エーレンフェルト(BNE003247)は槍に貫く意思を、盾に護る想いを載せて。 フェイトを喪わせる破界器、それを用いた実験、誕生するノーフェイス達…… 何を見据え、何を望み、何が為に……人を破滅に導くのか。 『企業』も目の前の男も、問うて答える者ではないだろうが、それでも。 「……気に入りませんねぇ、その目」 ナビゲーターの戯言など彼女には届かない。その切れ長の目に映るのは遥か先。示す決意の果て。 「何れにせよ、好きにさせる訳にはいかない事です」 護り、育て、受け継がせる。彼らの好きになど、決してさせない。 「汚れない瞳だ。踏みにじりたくなりますよ」 口元を歪ませ、今一度紡ぐ糸――断ち切ったのは重なる8枚の刃。 「目の前で他の子を口説くとか、ぶっ飛ばすデスよ?」 笑い混じりの声は頭上から。木々を蹴って飛び上がれば、目に付く全てが唯々の足場となる。 巣を切り裂き躍動する肢体。若き狼の姿にナビゲーターは釘付けだ。 ソレでこそ囮の役目を果たせる――唯々の表情が変えたのは、直後のナビゲーターの言葉だった。 「やはり僕に君は必要だ」 だから。蜘蛛は愛しげに言葉を吐く――糸を吐く。 「おいで。僕と一緒にいきましょう」 感応――操り支配する力。唯々の持つナイフが企業の製品であるならそれは…… 「双海唯々! 貴様の才覚はその程度ではない、洗脳なんぞに心を奪われるな!」 陸駆の叫び声に唯々が戸惑ったように振り返る。その表情が意味するものは。 「い、いや。なんともねーですよ」 リベリスタの戸惑いに笑い声を上げて。 「それは営業の僕用に作られた物。最高位の強化アーティファクト。感応は効果を上げませんよ」 それにせっかくの蝶々、空を自由に泳ぐ様を捕らえたい。ナビゲーターのそんな笑い混じりの言葉に。 「ハイそうですかって囚われてやる心算ははなっからねーのですよ!」 狼は決意の咆哮を上げ。 「何してんスか繁っち。感情を拾えなかった? ンなもん対策されればそれまでっしょ。さっさと合流するッスよ」 虚空に投げかける篤志の言葉は当然独り言ではない。実際に口に出すのが癖なのか遥か先の音を聞きつけるナビゲーターへの気遣いなのかは不明確であるが。 「なるほど。御前さんは伝令役かい?」 散弾銃を振り回し喜平が言葉を投げかければ、飛翔し飛び蹴りを入れながら篤志が叫ぶ。 「俺っちはリーダーッスからね! 二人が見たモンを全員に回す役目ッスよ」 だがそれだけじゃねぇッスよと喜平を指差す。 「アンタ、俺っちの脚を狙ってるッスよね? 読めてるンスよ残念ッスねー」 愉快げに笑う篤志。その脚が簡単に撃ち抜かれて。 「わかってても避けれないんじゃ意味がないね」 喜平のウィンクに、怒りの形相で掴みかかる。 「よぅ美人さん。悪いなここでストップだ」 銃を乱射し続ける紅子に銃身に組み込んだブレードを向ければ、風の斬撃が動きを阻害する。 「……ブレス・ダブルクロス」 「美人に名を覚えられるとは光栄だな」 なんとか直撃を避け油断なく構える女とは対称的に、男のなんと余裕な姿か。 「繁が調べた」 「男はどうでもいいんだよ!」 崩れた。 銃撃が篤志の身体を穿っていく。優れた身のこなしで直撃こそ少ないものの、集中砲火は容赦なくその体力を奪う。 鴉と気糸の追撃にこりゃまずいッスねと呟いて―― 「――っ!」 空間を飛翔する蹴撃はしかし篤志のそれではない。キリエを蹴り飛ばし――永田英人は無表情のままそこにある。 「遅くなった。代わりに4人とも連れて来たぞ」 繁に4人のリベリスタ。4対2は瞬く間に4対7となり。 「洗脳されれば無感情。読めないわけだね」 抑揚なく呟きキリエが篤志を見る。援軍によって傷が癒され、神秘の浄化が施され――保険とばかりに、美玖の身体を引き寄せて。 「形勢逆転ッスね」 ひひと笑う篤志に、精度を極限まで引き上げた気糸がその鼻先を掠めた。 怒りはない。気負いもない。あらゆる可能性を演算し――キリエは具象の先を見る。 引き戻した蜘蛛糸の間を走り抜け――その腕を掴まんと『静かなる古典帝国女帝』フィオレット・フィオレティーニ(BNE002204)がナビゲーターに挑みかかった。動きを止め時間を稼ぐことが目的ならば、この位置で身を挺するのが彼女の役目! 「相変わらず身体張りますねぇフィオレットさん」 「人のことマゾみたいに言わないでくれる?」 眉を寄せた抗議も束の間、すぐに楽しげに口を歪ませて。 「失敗の連続で会社クビになったのかと思ってたわ。貯蓄が無くなって出てきたの? 長期出張扱いにしてもらうために手土産持って帰りたいってとこかしら?」 からかう口調は挑発と正直な気持ちの半々というところ。プライドの高い蜘蛛の王が口元を歪ませたのも何処吹く風。 「でもアンタは絶対悪、秩序ある必要悪を目指す私としては看過できないわ」 「ふふ、静かなる古典帝国の理想ですか。僕は仲良くできると思うのですがねぇ」 両手を広げ迎え入れる仕草を見せる男に、答える表情は決意に染まり。 「アンタの糸の先が不幸に繋がってるのは見えてるからね。必要以上に人の人生に干渉するな!」 蜘蛛の糸が案内する先は泥沼の地獄。繰り返される不幸の連鎖。 ナビゲーターの糸がフィオレットの頬に鮮血を走らす。だからなんだ。彼女は誓ったのだ。企業を叩き潰すと。もう負けないと。悪に対する悪。それがフィオレットだ。 放たれた気糸が仮面を叩いた。直撃でなければそうは割れませんよと、仮面に狙いをつける少年に苦笑して。 陸駆の操る気糸の精度とナビゲーターの技量は正に五分。直撃を狙うならばと蜘蛛の呼吸を読み取って―― 「観察されるのは好みじゃないのですがね」 ユーディスの槍を糸で牽制し、飛ばした糸が陸駆の身体を強かに打つ。 ――そうだ打って来い。この全身を持って『識』る。解析してみせよう―― この眼。出来ぬことはないと疑わぬこの。気に入らないこの。 「僕の糸を一朝一夕で操れるとでも?」 プライドの塊は皮肉めいて言葉を吐くが。 「どうかな? 僕は天才なのだぞ」 「……クソガキが!」 激昂し再び蜘蛛の網が空を埋め。 戦況は一変する。不利な状況を守りに専念して持ち堪えた子蜘蛛達が、操る者達を壁にして一転攻勢に出る。元より互角の実力者、回復支援が整い数の優位を覆せば追い詰められるのはリベリスタ達だ。 綺沙羅が下がり、残る3人が猛攻を食い止める。その彼らに襲い掛かる若き闘士に。 「おぃ、このまま一生ナビ野郎や企業に扱われたいか?」 突きを打ち払い、ブレスがまっすぐその目を見て。英人にとって企業は父の仇なのだ。その企業に再度操られる屈辱は…… 「また利用されてるんだが、悔しくないの?」 英人の目線が揺れ動く。声の主へと向けられたそれが、迫り来る拳を受け入れた。 「そろそろさ、かっこいいところ見せてくれる?」 顔面にグーパンを叩き込んで――笑って見せた喜平に、鼻血を拭って笑い返して。 「早速で悪いんだけど、加勢してもらえる?」 癒しの風を吹きかけて献身するキリエは休む暇もなく。敵を抑えるにもまだまだ人手不足だ。 「そろそろ脱出準備が整う」 トラックを見やり紅子が呟けば、子蜘蛛に浸透する余裕の表情。勝負あったと笑む先で―― 空間が音を立て、概念が息を潜める。 驚愕の視線の先で綺沙羅が鼻を鳴らした。陣地作成は彼女の十八番。余力を残した撤退などやらせはしない。 「……へっ、分が悪い状態で悪あがきたー往生際悪いッスよ」 「そうでもないと思うよ」 取り出したのは赤い石。願うのはその意思。窮状を打破すべく。踏みにじられた想いを救うべく! 自身の胸に押し当てて、綺沙羅は大きく息を吸い込んだ。 「自身の正義を示したいなら――さっさと目を覚ませ!」 ●タテハ 苛立ちはあっても。怒りはあっても。常にそこには傲慢な余裕があった。蜘蛛の王にとってこの場にある全ての者は巣にかかった蝶々なのだから。 だから。表情が切り替わった時、ナビゲーターの耳が別働隊の動きを察知したのだと予測できた。それが自分達にとって朗報であることも! 「ナビゲーター、貴様の作戦は天才的であったぞ! だが、此方にも天才はいるのだ。より天才な方が勝つのだ」 陸駆の言葉に苦虫を噛み潰した形相を見せ。急ぎこの場を抜けようとすれば、立ち塞がるは信義の鎧纏う騎士。 「簡単には抜かせません。人を陥れる凶人、ここで食い止めます!」 人を護る力は邪を払う力でもある。ユーディスの聖なる誓いが立ち向かう勇気となり、仲間を支える鋼の意思となる。 「イーちゃんに背中を向けるなんてつれないじゃねーですか」 唯々の刃が仮面を掠める。ぎりぎりで避け、反撃の糸を操る――腕が、豊満なボディに押さえつけられ。 「油断大敵だねナビゲーター。それにしてもなんかマゾくて自分でドン引きだわー」 時間を稼ぐ一心。終始それに徹したフィオレットがこのチャンスを逃すわけもなく。 焦り彷徨う視線がそれを見る。破邪の輝きを纏う信念の槍を。 「言ったはず――好きにはさせないと!」 貫く想いが力となって。 「どうしたお前達! 命令に従え!」 繁の怒鳴り声は意味を成さない。献身的に子蜘蛛を支援していた美玖と悠樹が虚ろな表情ながらもその場に棒立ちとなり。 「捕まえて撤収を――なにっ!?」 慌てて引き寄せようとする繁に飛び込んだのは―― 「僕にだって時間くらい稼げる!」 ブレスの行動を阻害し続けていた秋葉だった。 「よぉ、根性見せるじゃねぇか」 流れが変わる。フリーになったブレスが牽制すれば紅子の動きは完封され。 「くそっ、せめて女だけでも」 駆ける篤志が見たものは、美玖の腕を引き身を張って護る英人。そして―― 「初めてかっこいいところ見せてもらった――かもね!」 喜平の巨銃が自身へと放たれるところ。 恐らく初めてのことだろう。ナビゲーターがここまで焦り、息を切らせ、体力を消耗したのは。 その強さは余裕があってこそのもの。技巧とは立ち位置や感情すら制御して挑むこと、無理な強行突破で発揮できるものではない。 槍で派手に穿たれた右肩が痛々しい。けれどその身の震えは痛み故ではない。正面にたたずむ少女への激しい怒りの感情。 「袖が吹き飛んでる……その方が見た目いいと思うよ?」 「こ、む、す、め、がぁ!」 綺沙羅に向けた糸は別の糸に打ち落とされる。キリエが小さく息を吐いた。 「精度も何も散々だね。そんなに悔しい?」 ぎりと歯が音をたてる。後ろからはユーディス達が迫り、数の差は圧倒的だった。 「洗脳されてた連中は貰っていく。帰るのに土産が必要なら、自分の首でも抱えていけ!」 ため息しか出ないとはこのことか。完全に敗北だ。 「認めますよ……撤収しますのでこの結界のようなものを解いてください」 今までに無い疲労はナビゲーターを討つチャンスであるのは間違いない。けれど間違いなく激戦だった、消耗は全員にある。そして、ナビゲーターとの決戦になれば洗脳されていた4人が命を落とすことも確実だろう。 それがわかっているからこその蜘蛛の提案。アーティファクト回収までは少し時間が足りなかったのだ。 少しだけ顔を見合わせ、やがて誰かが頷いた。怒りに満ちた目で走り去る子蜘蛛達とは対称的に、ナビゲーターはどこか毒気が抜けたようにさっぱりと。 去り行く背中に声が投げかけられる。 「アンタが居る限りイーちゃんは何度もテメーに会いに行く。獣は狙った獲物を逃しはしないのですよ?」 唯々の声に振り向かずに手だけを上げて。「また会いましょう」と微笑んで。 生きている。けれど実感はない。道具としての人生。 ――嗚呼、これが生きているということか―― アークとのやりとりは本当に楽しい。得られる充実感は企業で得られるものの比ではない。 ああ次が楽しみだ。ならばこそ。だからこそ。 自分は上にのし上がろう。より大きな舞台でこの愛すべき蝶々達と遊べるように―― ――報告は以上。 提出した資料を元に、感応の無効化方法の調査を求む。 "K.K" |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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