● 夜の潮風の冷たさは、何処だって変わらない。 それが例え故郷イタリアだろうが、遠く離れた島国だろうが。 「……っははははは! 本気かよ、大将がブッ殺されたって!?」 船上で喧しく笑い出した男、バレット・“パフォーマー”・バレンティーノを海に叩き込まなかったのは、それだけ『歌姫』にとっても想定外の出来事だったからか。 アークの存在する三高平市。押し掛けた死者の群れは万を下らない。 その半数以上を操っていた指揮者が『本当に』討たれるなど、番狂わせを好む第一バイオリンですら想定外。いや。歌姫……シアー・”シンガー”・シカリーには『想定外』が存在するか、バレットは知らない。彼女の全ての出来事はケイオス・”コンダクター”・カントーリオの譜面に沿うものであり、それに反する事など端から興味の外なのだろうから。 だから、その死を知り、先を問われた女が吐いたのは――珍しくも感情的な言葉。 「なあ、王子様はいなくなったけどお前はどうするよ、お姫様?」 重ねて、主を亡くした影に問う。死を望むのならばまあ、それまで。 けれど僅かな間の後、女は答えた。 「……私は彼が望んだ楽曲(プラン)を完遂するのみ。それが彼の望みでしょう?」 指揮者の望んだ演奏の続行を。女はあくまでも、指揮者の為の歌姫。 「そうか」 取れない血の臭いに目を細めながら、バレットは笑みを深くした。 ああ。『感情的』なのが『珍しい』なんて馬鹿げている。 歌姫が指揮者の傍に付き添っていた理由は、何よりも感情に寄ったものだったのに。 秘め込んだ狂気ならば、バレットよりも、帰って来ないモーゼス・“インスティゲーター”・マカライネンよりも――それこそ底の見えない海の如く深いのがこの女だ。 波の音が大きくなる。愛しい『音楽』が離れていくのは名残惜しく、覚えるのは飢餓にも似た衝動。 あの音が欲しい。もっと聴きたい。もう一度。 「けど、大将がそんなで俺らもこの有様だ。アンコールにしてもどんだけ残ってるか分かんねーだろ」 恋う熱情を秘めたまま、愚にもつかない言葉を放つ。が、それに返ったのは一言であった。 「バレット……」 歌を声を扱う女には、それで充分だったのだろう。たった一言、初めて呼んだ名に全てを込めて。 そこに篭るのは意思。誰がどうであろうと構わぬと、深過ぎる愛に身を沈めた魔女は無音を歌う。 今度は声を出さずに笑った。指揮者に影の様に鏡の様に付き添う女は、バレットにとって余りにも空虚な飾り物の『お姫様』であったが――なるほど、これならば彼女の音も『聴いてみたい』。 だらしなく腰掛けていた舷から身を起こし、愛器を撫でる。 「組曲の続きと行こうぜ。シアー!」 「往きましょう……。彼の望む楽譜を歌いきる事こそが私の使命。全ては彼が望むがままに」 ――さあ、指揮者不在のアンコールを始めようではないか! ● 「アンコール。素晴らしい演奏ならば立ち上がってBravoとも叫びましょうけれども、今回はそういう訳にも行きません。皆さんのお口の恋人断頭台ギロチンがお伝えします」 赤ペンを片手に、『スピーカー内臓』断頭台・ギロチン(nBNE000215)が目を細めた。 演奏。ここ数ヶ月で聞き飽きた言葉、アークによって討たれたバロックナイツの指揮者の奏でる『混沌組曲』は先日一応の終止符を打った……はずであったが、生き残りの楽団員の追加公演は今も散発的に起こっている。 「皆さんにお相手して頂くのは、バレット・“パフォーマー”・バレンティーノ。三高平市から逃亡した彼は、未だ日本で演奏をするつもりのようです」 それはケイオスへの忠誠ではない。楽団を潰された恨みからでもない。 理由は単純。楽団を相手取り死に呑まれなかったアークに、酷く心惹かれたらしい。 「ただ、指揮者が斃れた今、国内の革醒者はほぼ楽団の敵と言って差し支えないでしょう。余りに派手な動きは仕掛けられない。バレットが今いるのも、先に楽団勢力の蔓延った四国……徳島に存在する山寺です」 とは言え、古びて屋根の落ちかけたような寺ではない。 それなりの参拝客を集める有名な場所だ。 夜間、訪れたバレットは寺にいる人間を皆殺しにし、どうやらアークを『待って』いる。 「迷惑な話です。が、夜が明ければ人も訪れます。飽きれば街に下りるかもしれません。そうなれば、更なる無用の死者が出る」 バレットはそれを躊躇わないだろう。望むのはアークとの『再演』だとしても、一度衆目に晒された『パフォーマー』が何もせず帰る事など有り得ない。 ギロチンは小さく溜息を吐いた。 いくら死体が以前より少なくとも、バレットが散々多くの――アークの人員をも含めた命を奪っていったのは間違いない。送り出すのに、ほんの少しだけ躊躇を以って、けれどフォーチュナは顔を上げた。 「この戦場での狙いはたった一人、バレット・“パフォーマー”・バレンティーノ。……彼を倒し、『アンコール』に終わりを告げてきて下さい」 ぼんやりとした水色の瞳が、リベリスタを見る。 「……どうか。ご無事で。帰ってきて、下さい」 ● 夜間だから、という事もあろうが、此処はとても静かだ。 葉の擦れる音が、それこそ船上で聞いた波の音にも似ていた。 自分を下ろし海の向こうへと消え去ったシアーは、何処で演奏をしているのだか。 真新しい血の臭いが、温い強風に吹かれて行く。 寒い冬に訪れたのに、もう季節は変わろうとしているらしい。 「春には気に入りのCrostataが出るって言ってたのにな」 からかう調子で傍らの少女……だったものへと声を掛けた。答えはない。 一つ問えば二つ返ってきた少女の唇は、最早自分では何も紡がない。 けれど怨霊の類の扱いは然して得手ではないバレットの呼び掛けに、『一人上手』は応えて舞い降りた。 それはひとえに、『楽団』への忠誠の為。 いの一番に馳せ参じるファンファーレは、冥府からも最速で駆け戻った。 彼女の傍には、一組の兄妹。 僅かばかり遅れたが故にクライマックスに間に合わず、指揮者の死に顔を見合わせた彼らは喜んでアンコールに乗り、バレットの死体の集まりが悪いと知れば、狂気を孕んだ心底楽しげな声で自らを『楽器』にと差し出した。今や彼らの体に熱はなく、こちらは二人で四倍以上喋っていた声もない。 「数はともかく、ま、お前らがいりゃ充分だろ」 三高平での戦いが音響も何もかも整った大劇場だとしたら、今度は差し詰め朽ち掛けた野外劇場と言った所か。街中で行えばこれ以上派手にも出来るだろうが、入るかも知れない横槍が邪魔だった。 求めているのは何もかも完璧な最上級の演奏ではない。 彼が欲しているのは『音楽』だ。 これは血と肉と死の追加公演であり、アークへの『もう一曲(アンコール)』 「なあ。精々楽しんで行くとしよーぜ!」 "Si!" 未だ生きて死を操るネクロマンサーの声に――死したネクロマンサー達が、唱和した。 彼らは死霊使いで音楽家。 さあ、音を。もっと、より好き音を! |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:黒歌鳥 | ||||
■難易度:HARD | ■ ノーマルシナリオ EXタイプ | |||
■参加人数制限: 10人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年04月18日(木)23:38 |
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■メイン参加者 10人■ | |||||
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● 生温い風が吹く。 夜の帳に、森の闇に灯る幾つもの光を前に、男は、バレット・”パフォーマー”・バレンティーノは笑っていた。『大将』であるケイオス・“コンダクター”・カントーリオの敗北というものを、彼とて未来まで全く想像していなかった訳ではない。永久の栄光は在らず。他のバロックナイツか、或いはリベリスタの集団か……いつか指揮者の譜面(スコア)に終止記号が打たれるであろう事は必然であった。 けれども、それは『いつか』の事。まさかそれが『こんな』東の外れで歴史も浅い新顔によって齎されるとは、いやはや世界は、彼が思っていたよりもよほど驚かせるのが好きらしい。 ともあれ世界だか運命だかに選ばれたのは、大指揮者の死と絶望の終わらぬ夜を奏でた組曲ではなく、生と希望を謳った箱舟の声だ。 それを奏でた者達が、今、彼の前に集っている。 灯りの類は全て叩き潰されたのだろう、圧迫するように満ちるのは、黒。 幾人かが照明を掲げ、『LowGear』フラウ・リード(BNE003909)と来栖・小夜香(BNE000038)が眩いばかりに辺りを照らそうが、「夜の闇」は本能的な恐怖を呼び起こす。それは永久の闇――明ける事のない『夜』を、覚める事のない『死』への恐怖とも繋がるのか。 平素の昼間は参拝客や檀家で賑わう境内も、今は夜の、死の闇に呑まれていた。 一段低い屋根の上、黒く濁った瞳が、リベリスタの光を照り返す。 「Ciao」 後ほんの少しで互いの間合いに入る位置で、決して交わらない視線が向けられた。 軽い軽い挨拶に、『ピンクの害獣』ウーニャ・タランテラ(BNE000010)は目を細める。確かに視界に拠らずとも、彼は『見えて』いるのだろう。暗闇を生きるバレットに、昼夜の不利はないらしい。 「Tedescoは不在か。口喧しいピッキオは飛んでるみてーだけどよ」 「来たわよ。アンコールなんてした覚えはないのだけど」 自身に向けられた言葉に、柔い声音で辛辣な拒絶を応え『逆月ギニョール』エレオノーラ・カムィシンスキー(BNE002203)は肩を竦める。彼はまだ言葉を発していない。全く、覚えられても嬉しくないというのに。死を奏でるバイオリン奏者にad libitumなんて好みじゃない。今度こそ、ここでFineだ。 「役者不足とは言わせないぜ、コンサートマスター?」 守護神の左腕を胸の前に掲げ、『デイアフタートゥモロー』新田・快(BNE000439)が一歩進み出る。他の誰よりも前に。箱舟の誉れを数多く身に抱いた彼は、守り背負う為に前に出る。 「言わねーよ、お前らもいい音奏でてくれるんだろ?」 大指揮者の書いた譜面(スコア)は敗れ、敗れた。 ここからは、譜面なしのジャズセッション。 音楽家を前にしても、引く気などありはしない。アークの『演奏』は指揮者さえも退けた。 涼やかな目でバレットを見詰めた『青い目のヤマトナデシコ』リサリサ・J・マルター(BNE002558)は、そっと目を閉じ、再び開く。 照らされた姿を、覚えようというかの様に。 「御機嫌よう。今夜は良い夜っすか」 「良い夜だ。悪い夜なんて滅多にねーけどな、格別好い夜はあるけどよ」 ああ、これもいつかの夜だ。木々に囲まれた暗い場所で、フラウは初めて『第一バイオリン』と見えた。『戦士』水無瀬・佳恋(BNE003740)と同じく、これで四度目。 出会うのはいつも夜で、それが『演奏』の日であれば、バレットにとって悪い夜では有り得ないのだろう。 「あの日やられたヤツを、倍にして返しに来てやったっすよ?」 「これで最後にしましょう、バレット」 傷付けられた痛みを、奪われた傷みを。鋭い瞳で告げるフラウと佳恋に、バレットは笑う。 敵の死を恋い仲間の死に快哉を覚え、演奏に混じる不協和音も味の内と――雑音を許さぬ指揮者とは性質の違うコンサートマスターは、誰が死んでも殺されても、その顔は負の感情を示さない。情を表に出さぬようになった『歌姫』シアー・”シンガー”・シカリーとは異なり、まるでそれしか知らないかの様に。 依頼に私情を挟む事を好まない佳恋が、長剣「白鳥乃羽々・改」を握り締めた。 熱感知でバレットの温度を捉えていたエレオノーラが、快が、ウーニャが、その不自然に気付く。 死体が、いない。 いないはずはない。しかし、リベリスタの目に入るのは、屋根の上で笑うバレットと、足元の少数。 事前情報と比べ、余りにも数が少なすぎやしないか。 『一人上手』は、ボイスパーカッションの兄妹は、どこだ。この場のリベリスタの半数が、そのどちらか、或いは両方と見えていた。彼らは見当たらない顔に目配せをしあう。 糸の繰り手を狙うのは、実に正しい。そしてアークは、的確に繰り手の居場所の特定を行う人員を保有している事をバレットは知っている。アークのリベリスタは、三高平で百を優に越える死者の群からたった一人のネクロマンサーを――バレットに付き従っていたゾーエを見付け出し、死者の多くを残した状態で討ち取ったのだから。 では、死体は。 この場のリベリスタ以外の『生者』はバレットのみ。 死体は熱を持たない。 死体は鼓動を打たない。 光の届く範囲に、暗闇を通す瞳の中に人影は見えない。左右の茂みのどこかか、或いは建物の中か。 警戒は怠らず、ウーニャは死を操る生者へと語りかける。そう、ここはコンサートマスター、パフォーマーの独擅場、多数が居並ぶ『ソロ』の舞台。 「お行儀のいい観客じゃないけど、最後にあなただけの音を聞かせて」 「行儀なんか気にすんなよ、もう開幕も閉幕もベルはねぇ。楽しめりゃいいんだ」 何しろ小難しい大将がご退席だ。 おどけて肩を竦めるバレットは、恨み言を吐く訳でもない。殺意は見えない。けれど場の空気はこの数十秒で徐々に張り詰め、見せ場の前の均衡と緊張感が満ちる。 「でもまあ」 けたり。バレットが声を漏らした。リベリスタが『気付いた』のに気付いたのだろう。 ならばこれ以上の展開は無意味、ボロを出す前に――。 「ファンファーレくらいは鳴らしておこうか、なあバルベッテ、ベルベッタ!」 「――とらちゃん、右手!」 鳴り響く天使の喇叭。澄み切った高音のコルネット。 不意打ちに備え、研ぎ澄まされていたウーニャの感覚が横合いからの一撃を避けさせた。 細断コロラトゥーラ、演奏者と共に血に沈んだはずのその音色。 膝を枝に引っ掛けて、逆さに覗いた『一人上手』バルベッテ・ベルベッタの孔雀色石の瞳が、リベリスタを捉えていた。 「……はぁい☆」 目を細めた『箱庭のクローバー』月杜・とら(BNE002285)を捕らえ損なったのを残念がるように、楽しむように、その姿を起き上がった死体が隠して行く。 対する側から響くのは、カスタネットとマスカラの音。 各自十の死体を引き連れた楽団員が、リベリスタのやや前方、左翼と右翼に展開した。 じわりと滲んだ汗に掌を握りながら、『百の獣』朱鷺島・雷音(BNE000003)は口を開く。 「いくぞ」 指の先が冷たい。寒気がする。彼女が見るパフォーマーが纏うのは、死の気配、死の匂い。 それが酷く恐ろしい。雷音は日本におけるバレットの『演奏』を通して聞いたたった一人。 心の底から聞きたいと望んだ訳ではない。むしろ恐ろしい。もう聞きたくない。 第一バイオリンの弓と弦が奏でる調べは、少女の目に嫌という程死を焼き付けた。 でも、一歩を引く一歩とする訳にはいかない。怯えて後ずさる一歩にしてはならない。 誰かの明日を護る為に、これ以上の死の連鎖を断ち切る為に。 「バレット、これで最後のコンサートだ!」 快の言うところの『セッション』の為に――少女は作戦に最適な陣形へと、仲間を導いた。 ●一人上手な女学生の忠誠なる終焉による結末 『バルベッテもベルベッタも、「楽団」に忠誠なの』 嘗て、一人のコルネット奏者はそう語った。 孔雀石色の瞳をした、捕食者で芸術家。 天使の喇叭が奏でるファンファーレは、高く澄んで響き渡る。 死体も魂も、最後まで余す事なく使い尽くすワンマンアーミー。 最後の最期まで、『楽団』である事を誇り死んでいった彼女。 『一人上手』は、自分自身さえ楽団の為に酷使せんと、レテの川の畔で待っていた。 バルベッテ・ベルベッタ。 彼女は、今も――死した今も、高らかに音を鳴り響かせる。 ● まずは死体を減らす事。 六の字に似た陣形に対したリベリスタは、左手で笑うボイスパーカッションの死体に目標を定めた。 「毎度の事ながら、遅いんすよ」 展開した誰よりも早く飛び出したフラウの剣先が消える。 呼ぶのは氷で霧の音。切り裂けぬものまで切り裂く刃は、速度に生きる者の鋭さを以って死体を切り裂きその動きを止めた。 続いた鷲峰 クロト(BNE004319) が、それとは違う方向に駆け抜ける。 「てめぇをぶっ飛ばして、この先の悲劇を止めてみせるぜ!」 まだアークに来て日の浅いクロトだが、それでも先日の『終わらない夜』の記憶は新しい。 死に満ちた街。帰って来なかった仲間。強制的に終わりを迎えさせられた数多の日常。 ここでバレットを逃せば、数は更に増えるのだ。そんな事は、許さない。 「覚悟しろっ!」 彼の持つ一対のナイフが、彼の姿ごと複数に増える。増えたように見える程の速度。 隣に飛んだエレオノーラが、氷の刃に赤を散らす。 「この位で凍らないで欲しいわね。シベリアで木でも数えて訓練したら?」 死体に挑発は意味がないと知っていても、唇は戯れに毒を紡ぐ事を止めはしない。 ラグナロク。快の頭に響き渡るは神の声。それは神か、敵の殲滅の求めに答え、加護を齎す神とは何ぞや。戦神か、悪戯好きなトリックスターか。けれどそれは、仲間を守る為のもの。 「快さんあざーっす!」 「ああ!」 軽い声で感謝を告げたクロトに、快も唇の端を上げる。 同時に響いたのは、ピッツィカート。振り撒かれたのは、リベリスタの攻撃範囲から逃れたバレットが死体に向けて放った銃弾。骨の弾丸は、逃れる力を与えんとばかりに死体に張り付いた氷を砕き減り込んだ。 「こんなアンコールは、誰も望んでないわ」 小夜香が呟きながら、体内の魔力を効率よく扱うべく詠唱を唱える。BGMは、バイオリンが奏でる24の奇想曲の一節。曲としては美しくも、この場にはそぐわない。 「さっさと舞台から退場してもらいましょ」 彼女は一度バレットの演奏を聴いている。その時の結果は苦く、彼に戦力である死体を与える結果となった。だからこれは、ちょっとしたリベンジでもある。 ケイオスは倒れ、一時はバレットも遁走した。既に楽団は瓦解に近く、その脅威は格段に減ったとは言え……彼を敗残の将と侮ってやるつもりはない。 小夜香ができるのは何時だって、最大限の癒しを味方に注ぐ事。 その為に満ちる魔力を感じながら、彼女は大きく息を吐いた。今度こそ、護りきってみせる。 降り注ぐのは、氷の雨。 「來來氷雨!」 果たしてこの組曲の演奏中、幾度叫んだ事か。幾度呼んだ事か。 氷の雨は死した人々を打ち、肉を殺ぎ骨を砕く。死んだ彼らが、更なる傷を受けていく。 その一つ一つの死が、最早単なる『物』にしか見えなくなる日は来るのだろうか。 抱えた熱気とは遠く、冷たい空気が支配する場で雷音は声を紡いだ。 「これ以降はない。これで終わりにしてみせる!」 ぎゅっと握る拳。虚勢にも似た強気の言葉。 「覚えておけ、ボクは朱鷺島雷音、君の敵だ!」 お前が死を奏でるというならば、生を歌う彼女は敵だ。 少女だからと震えて護られているだけではない、立ち向かう一人の戦士だ。 恐怖に負けず叫ぶ雷音に、バレットは楽しそうに笑い声を漏らす。 「ああ、いいぜ。――ただしすぐに俺は忘れるんでね、覚えさせてくれよ。口だけじゃなくてな!」 そうだ、歌え。生は尊いと歌うその声が、執着し護ろうとする声が大きい程に演奏は好い。 バレットが呼んだ『三人』は、技量よりもその性質による選抜だったのだろう。 即ち、『演奏』を『アンコール』を、心から楽しむであろう者達。 『ボイスブラザー』コンスタンティーノ・アガッツァーリと、『ボイスシスター』ビビアーナ・アガッツァーリと見えた事のあるウーニャは、奥に見えるその死体に目を向けた。 マシンガントーク、ボイスパーカッションの時と負けず劣らずリズミカルな言葉を弾き出していた唇は、今にも『tre、due、uno!』と兄と声を揃えて歌い出しそうだが、笑みの形のまま動かない。 既に数日経過したのであろう。口の端から血と腐汁を垂れ流し、濁った目で……けれど彼女は笑っている。 バレットは生前の模倣に興味は薄い。死した楽団員の特性を知り、アンコールへと臨んだ彼らを尊重し其々の演奏形態に合わせて操れど――同時に、戦闘中にその表情まで操る程に死者の『個』など重視していない。 ならば今笑う彼女は間違いなく、『笑って逝った』のだ。苦悶の顔を遺して死ぬ者がいるように、死して『楽器』と成る事に喜びを感じて! 全く以って、ウーニャには理解できない感覚だ。自分の体を楽器(おもちゃ)にされて喜ぶなんて。 「紅蓮の月光よ、遍く死者に安らぎを――」 赤い月は、あの夜の再来。齎すのは死。 けれど彼女が、重ねるとらが放つ月光は、不吉を呼びながらも死した体を地へと還すもの。 更なる死を、無意味な命を奪うものでは有り得ない。 「バレット……そして死者をもてあそぶものたち……」 リサリサが、静かな声で紡ぎながら皆の背に翼を下ろす。灯りがあるとは言え暗い場所、多い敵。 その攻撃の一つからでも身を護る術を与えようと、彼女は真っ先に翼を呼んだ。 溢れる死。 リサリサの目に映るのは、死であり死体だ。操られる命。命であったもの。 安寧のはずの死から揺り起こされ、望まぬ演奏に加担させられる哀れな楽器。 「ケイオス亡き今、全てに決着を」 コンダクターが死んだ後も続く演奏など、ナンセンスだ。 飛び出した佳恋が、やや正面よりの死体に繰り出すのは戦鬼烈風陣。覆うように広がる死体に対し、全てを捉えるのは不可能であったが、その白い刃は多くの血に濡れる。 一年。アークに入ってもうそれだけ、まだそれだけ。多く傷付き、喪った。 けれど、敵に対し依頼以上の感情を抱くのは、これが始めて。 「私は、――あなたを討ちます!」 これは怒りなのか、憎悪なのか。目の前で奪われた命を、仲間を思う彼女は――『仕事』の域を超えた感情に身を委ねる。 舞い散る血は、どちらか。 飛んでくる腕は右腕、それとも左腕? 無意味な問いさえ浮かぶ程、数ある死体はリベリスタが幾度も思い知った通りに丈夫で、更にバレットによる銃弾の強化を受けて厄介の度合いを増した。 バレットは死体を壁にリベリスタの多くを捉える範囲に飛び込んでは後退し、を繰り返す。 腕に、足に、引っ掻くように指が絡み付いた。 助けてとも言わない。漏れるのは意味を為さない音で、動く度に肺と喉から搾り出される声とも言えない声だ。死が絡み付く。 失われた体温が、日常が、無表情に快を眺めながら絡め取ろうと手を伸ばす。 「今楽にしてやる、なんて事は言わない」 それは恐らく、リベリスタ、だったのであろう。 刃を振り下ろした死体の彼女の一撃が、彼に深く傷を刻んだ。 「ただ、ここで終わりにすると――約束しよう!」 本物の季節より一足先に、快の胸元に咲くブローディア。『守護神』たる、そう在ろうとする彼を象徴し、同時にその彼自身の『守護』ともなれと。 快の放つ破邪の光は、混濁する仲間を目覚めさせるが――同時に、消えたくないと銃弾が身で暴れる。怨念と生者への呪詛で身を穢す小指の骨が、体内を掻き毟って奏でる断末魔。この場の多くが打たれ強いのは幸いであったが、それでもとらや小夜香にとっては、銃弾自体のダメージに加えて無視できる程には軽くない。 「慈愛よ、あれ」 軽くとらが顎で示したのは、小夜香自身。回復手である自身を優先しろとの合図。 リサリサと目配せをしあいながら、小夜香は腕の『中』を掻き毟る指の感覚もまだ生々しく、癒しの詠唱を、奇跡をその身に舞い降ろした。 零れる命を救う為には、小夜香が立ち続ける事は重要だ。 届かなくとも、最大限に手を伸ばす。それは守護神と呼ばれる快とも通ずる彼女の信念。 救える命を零したくない。願う彼女に応えるように、奇跡はその身の傷を全て癒し切った。 じわじわと減る、肉の壁。死体の群。 射線に捉えられたのは、ボイスパーカッションの兄妹。 肉を凍らされ、骨を砕かれる兄妹にバレットの銃弾が降り注ぐ。がくん。仰け反る兄弟は、けれど動きを止めた訳ではない。情けでもう一度『殺された』訳ではない。 ナポリの古い夢占いの数字に準えられた弾丸が示すのは75。さあさ踊れや仮面の道化、コンメディア・デッラルテの時間だ。プルチネッラ! 皮膚を裂いて、肉が、腐れた血が流れ出る。肉体の限界などとうに越え、魂さえも削り尽くせと唆す骨の弾丸に、哀れな死体は暴れ狂った。 血を溢れさせながら大きな目を更に見開いてビビアーナの放った霊魂の弾丸は、先程よりも精度と威力を増して前衛を襲う。 それから逃れコンスタンティーノに狙いを定めたクロトは、傍らの木を蹴った。 「さあ――カスタネットで遊ぶのはもうお終いだぜ!」 かちかち響く音色の元、妹と同じく笑う兄。 死した顔に、喉に、クロトの刃が突き刺さった。血が飛ぶ。腐った血が、肉が、刃の勢いに押されて弾け飛ぶ。笑みが崩れた。顔が崩れた。 肉よりも深く、骨を砕く事を狙った刃は兄の頚椎を叩き折る。 クロトがその感触自体を喜ぶ事は、ないけれど。 「来いよ、ほら、まだまだ終わってねぇんだろ!」 あえて喧しく騒いで気を引く彼に、死者の手が伸びた。 ●血塗れ兄妹の愛に満ちた演奏の結末 『Bis! Bis! Bis!』 『血と恐怖と死体と絶望に彩られた演奏にアンコールを!』 『バレット様もアンコールをお望みにょ!』 『嗚呼、けれどバレット様。折角のアンコールなのに死体が足りない!』 『それは大変一大事! 「楽器」のないアンコールなんてとても悲しいのら!』 『だったら?』 『だったら!』 『このコンスタンティーノ・アガッツァーリと!』 『このビビアーナ・アガッツァーリ!』 『貴方が死ねと言うのなら!』 『貴方に操られるのなら!』 『『これほど嬉しい事は在りません!!!』』 ● バレットの銃弾は、時に快より早く、時に遅く。 意図して動かしている訳ではないのだろう。一瞬の隙を、攻撃のタイミングを与える女神の掌の上。 死に魅了された仲間の回復に忙しく動きながらも、快は敵の体をその身で止める事を止めなかった。天使の喇叭が響いて霊魂の弾丸を呼んでも、リサリサが、小夜香が彼の身を癒し、浄化の光で束縛を解く。 「アンコールなら俺に聴こう、バルベッテ・ベルベッタ!」 可憐な少女の姿をしていても、彼女は蛇をも追い立て啄ばむ捕食者だ。 それをよく知る快は、怨霊となっても未だ喇叭を吹き続ける少女に向けてそう叫ぶ。 「死んだところで楽団員は楽団員って事っすか?」 バルベッテもベルベッタも、「楽団」に忠誠なの。 己の意思で楽しみながら、『楽団』に従うバルベッテは、可愛らしい唇からよくそう語った。 楽団にとって死は終わりではない。死してもそれは終わりではない。 だってほら、誰かがいればこうやってアンコールさえも可能なのだ。 命がなくても、体がなくても、『楽団』は演奏できるのよ。 彼女が語れば、そんな事を言ったかも知れない。けれどもう、何も語りはしない。 「その根性は認めるっすけど、うちはアンタが嫌いだよ、一人上手」 リベリスタ集団『ハバキ』を蹂躙し、胸の奥がざらざらするようなからかいの響きを以ってフラウの大事な人を血に染めた彼女。罪悪感など欠片もなく、楽しみながら人を殺し、刻み、使い潰す芸術家。 「――クタバレ」 今度こそ、魂すらも残さずに。 二度目は河へも行かせない。 ここで消えろ、バルベッテ・ベルベッタ! フラウの体が、掻き消えた。時をも刻む刃が、『楽団員』で在り続けた少女の残滓を切り刻む。 最期の喇叭は、フラウの氷にも負けぬ澄み切った音だった。 壁が薄くなっていく。 ネクロマンサーを護る盾が、武器が、リベリスタの攻撃の前に血塗れて沈む。 にちゃりぐちゃり。使い潰された死体から零れた内臓の感触が、一瞬付いた足の裏から伝わりクロトは眉を寄せた。ごめんな。謝る声は声にはならず、ただ風に消える。 バレットを倒せば、彼らもようやく眠れるのだ。 完全に近づく事はまだ叶わねども、刃は届く。 クロトの刃が煌きを返した直後、エレオノーラが飛び込む。 「相変わらず、雑音みたいな音楽ね」 「たまには褒めろよ、何もやれねーけどな」 軽口を叩きながら、セストセンソ(第六感)にまで昇華した鋭敏な感覚はエレオノーラの刃を避けさせた。そんなバレットに向け、とらが口を開く。 「ねえ。エンツォはあんたに『死なないで』って言ってたよ」 とらはこの戦いの前に、楽団の一人『オルガニスト』エンツォと相対している。バレットを慕い、けれど本質までは理解できず兄の死体と『独奏』をしていた少年の手を、彼女は引き出したのだ。 少年の名を出しても、バレットの顔は何一つ揺らがず、返事さえもしない。生死さえも問わない。 否。どちらでも、大差はないのだろう。この死霊術士にとって他者の生死など、然程重くはない。 過ぎたアドリブを諭す『指揮者』が、黙って指揮者を見詰める『歌姫』が、大袈裟に肩を竦めて溜息を吐いてみせる『扇動者』が――付き従っていたピッコロ奏者が、懐いていたオルガン奏者が、茶目っけのある優等生のコルネット奏者が、けたたましく笑う打楽器の兄妹が……既に遠いものとなったとしても、第一バイオリンはその『喪失』を嘆く事はない。 だからこそ、とらはそんなバレットから、『楽団』から、一人の少年を自由にしたいのだ。 「一応聞く。バレット、戦いを捨てる気はない?」 この場で唯一、戦闘放棄を勧める声。 だが、彼女自身が『一応』と告げた通り……それは、無意味に等しい問いであった。 骨の銃弾を躍らせながら、バレットが笑う。 「はは、良いねえその言い回し! つまり俺に『死ね』って言ってんだな、モーゼスよりも皮肉が利いてんぜ!」 とらに潜り込んだ弾丸が、身を蝕む。 バレットにとっての『戦い』は『演奏』と同義。 生と死の混濁する『音楽』のみを求めて止まない演奏家に、音を捨てろというのは死ねと同義。 バレット・バレンティーノはシアー・シカリーとは違う。喪失に、心の奥底で死を願った訳ではない。叶うならば『最高』の音色をもっともっと聴きたい、奏でたい。 とらは危惧した。愛した人の影を追う歌姫ではなく、自らの意思で『楽団』を再編する可能性のある第一バイオリンを。 けれどそれは叶わないのだ。『第一バイオリン』も『歌姫』も『指揮者』にはなれない。大指揮者(ケイオス)によって組織された楽団は、正しく指揮者だけのもの。指揮者の不在に奏でる音は不協和音に身勝手なソロばかり。『オーケストラ』には成りえない。 その状況で音を捨てて、楽器を壊し、果たしてその先に何が残る? 隠蔽魔術を駆使し、密やかに生きる事だけを望めば或いは命を繋ぐ事も可能かも知れないが――それがこの『パフォーマー』にできよう筈もない。 分かっていた。だから。 消えそうになる意識を奮い立たせ、運命を削りとらは立ち上がった。 「俺は、あんたを倒してエンツォに自由を取り戻す」 決意を込めた彼/彼女の声に――バレットは一つ、笑いを返す。 「なら、奏でろよ。クレッシェンドだ、足りないだろ?」 「この音の先に貴方の死が約束されているなら、喜んで奏でてあげるわ」 「"Memento Mori"だぜ、死神と契約の署名は生まれた時に済ませてんだ」 死を思え。 今日死ぬか、明日死ぬか。いつであろうが、そこに深い差異はない。いずれは必ず終わるもの。 死はいつだって、『その先』に約束されている。 だから死を知るネクロマンサーは、享楽を愛すパフォーマーは、明日も知れぬと思うが故に刹那の音に焦がれ狂う。 「生きるを奏でろよ。死ぬを奏でろよ。この世界に他に何があるって?」 全ては生から死へ流れ続ける一つの音楽、人の一生は音符の一つに過ぎず。 長い時をそう過ごしてきた音楽家を、やはり長い時を経た男は笑って流す。 天使の笑みに、少女の顔。アンバランスにバランスを保つ老獪は、息を吐くように嘘を吐く。 「あたしは知らないわ、そんなの。ただ――」 生も死も全ては移ろう。そんな事は知っている。嫌と言うほど知っている。 だがそれを、全てと断じて楽しむ性質はエレオノーラにはない。目の前の男がレクイエムを奏でる様な殊勝な性格でなかったのは好ましいかも知れないけれど、それでも。 「ここは寺よ。静粛に」 ――Be quiet! ● 踊る。道化が踊る。 骨の弾丸に操られた道化が踊り、リベリスタを打ち倒す。 その狂乱は一時のもの。けれど重ねられれば、厚い回復を以っても取り返せない一撃となる。 前で気を引くべく精一杯の声を張り上げていたクロトが、ついに沈んだ。 そんなクロトの前に、リサリサが立ちはだかる。 癒し手でありながらその身は固く、不利を通さない。 それは彼女の信念によるもの。 「ワタシは、あの方が護りたかったものをこれからもずっと……、そう、富江様と共に護って参ります」 バレットによって奪われた命。記憶を繋ぐ彼女の姉と、リサリサで、消えた『母』の思いを継ぐ。 いつか『向こう』で出会う日まで。 それまでもう、奪われるものか。自らの身を賭してでも、護るのがリサリサの信念。 己で定めた存在理由。 「私の名前は……そう、リサリサ・J・丸田」 青い瞳が、射抜いた視線は――ただ、『母』の命を奪ったバレットへと。 奪わせるものか。これ以上、一人たりとも。 そんなリサリサの傍らに、とらが寄り添いインスタントチャージを掛ける。 「君の音楽は……ケイオスの組曲はもう沢山だ!」 奪われた。沢山奪われた。大事なものも、大事なものがあった人も、指揮者の奏でる死に呑まれた。 終わらぬ夜が明けるまで、死と絶望の音色は雷音の心を掻き乱す。 目の前で喪われた母同様、彼女の友人は、無事を願って別れたあの日から、帰って来ない。 もう、要らない。アンコールもカーテンコールも、何もかも。 死しか奏でられない演奏など、もうごめんだ。 体に沈んだ骨が囁く。死への憧れを、生への憎悪を。それでも、雷音は耳を傾けたりしない。 傷みに軋む体を抱えながら、フラウも叫んだ。 「これ以上、うちの仲間をテメー等にくれてやるかよ!」 死に泥んだフラウを引き出した温もりを、此岸に連れ戻した手の温かさを、覚えている。 奪わせない。 誰も連れて行かせない。 皆で帰るのだ。 決意は固く、あの日に果たせなかったそれを、誰よりも強く胸に秘めていた彼女へと捧ぐかの如く。 「人の命を弄び! そして私達の仲間を奪った貴様は! 絶対に討ちます!」 三高平で後一歩、届かなかった佳恋の手。 それさえも乗せて切り裂くように振るわれる白刃。 細い腕で支えられた剣が美しい軌跡を描きながらパフォーマーの肋骨を叩き折り、肉へと沈む。 だが、青白く姿を現すのは、死ではない。燃える運命、削られる恩寵。 「……は。はは」 歓喜の声で、漏れる笑い。 佳恋には理解できぬ、『音』がそこにあるのだろう。 バレットは手を引く骸骨の手を振り解き生に踏み止まり、恋うて『もう一回』を要求するかの如く佳恋を指先で手招いた。 そのチャンスを逃すまいと――バレットを前にした快が叫ぶ。 「俺ごとやれ!」 氷の刃を呼ぶ鋭い剣先は、その圧倒的な速さ故か細かな調整には向いていない。 だが、そんな事は構ってはいられない。 「死ぬんじゃないわよ?」 「仰せのままに」 速度の乗った刃が、時を刻む二人のソードミラージュの刃が導く氷点下。 冬の夜のように、白い息を吐き出しながら身に張り付いた氷を振り払うバレットから目を離さず、快はその前に立ち続けた。 目の前の男が呼んだのは、霊魂の護り。 未だ倒れぬと、まだ演奏は終わらぬと……笑い続けるパフォーマー。 「気合入ってんなぁ! そのまま『コッチ』に来いよ、歓迎するぜ!?」 「断る。――俺は、お前らの演奏から帰って来なかった仲間の分まで、引き受けると決めた」 ぎちぎちと、氷に覆われた腕が動く。刃に切り裂かれた腕から流れる血は熱く、鎧の如く張り付いた氷の下が赤く染まる。 零しはしない。その命の雫、一滴たりとも。 すかさず呼んだ小夜香の奇跡が、命の護り手に愛という癒しを与えた。 「だから……お前の演奏に……熱量で負けるわけには行かない!」 彼はパーフェクトクローザー。現実に護り切れないものがあったとしても、理想は決して捨てやしない、汚させはしない。地に落ち泥を被っても、輝きを変えない彼の理想(ゆめ)。 道を絶たれた数百の仲間の「ゆめ」をも引き受け護ると叫ぶ彼は、アイギスの名を掲ぐ防壁であり刃。 砂蛇のナイフが、光に満ちる。数多を奪ったフィクサードの武器で、彼は護る為の刃を下ろす。 ギリギリで直撃を避けたバレットの加護を打ち崩す事は叶わない。 「混沌組曲に、フェルマータを!」 雷音の占いが、不運を呼ぶ。不吉を呼ぶ。矢張り加護を払うには至らない。それでも、ほつれた髪の合間から覗く顔の息は確かに上がっていて――限界が近い事を指し示した。 「ああ……、っは、ははは!」 血で満たされた笑いを止めたのは、ウーニャの放った道化のカード。 嗤う道化は破滅を告げて、胸に直撃したそれはバレットにドラマを与える霊の守りすらも打ち崩した。 「――満足?」 アンコールを願った第一バイオリンに、ウーニャは問う。 刺さったカードにこぷりと血を吐いた彼の、南部の訛りの強いイタリア語は水音に濁って誰の耳にも正しくは伝わらなかった。 けれどそれは、終わりの合図だったのだろう。 「……Bra,」 笑みと赤を刷いた唇が掠れながら刻んだのは、途切れた賞賛。 未だ残っていた死体が、支えている糸をなくしたかの如く倒れ――膝をついたパフォーマーも、地に伏せる。 足元に滲んで行く血が、彼の『生』が『死』へと転じたと歌っていた。 傷付いた体で、じっとバレットを見詰めるリサリサの横をすり抜けて、エレオノーラがそっと呟く。 「"Memento Mori"……ね。なら、余計に生者に死の音は馴染まないのよ」 風は温さを取り戻した。 ざわめく木々の音は深く静かに。鳴り響きながら、同時に静寂を強調する。 「生者にとって死は、『思う』事しかできないのだから」 死は、思えど身を以って知る事はできない。知れば最早、生者ではない。 そしてここに立つのは、死者ではない。 リベリスタの息遣いであり、鼓動であり、誰も喪わずにアンコールを終えた生。 明けない夜の引き伸ばし。 不規則に奏でられたソロの一音が消えた。 暗いくらい死の森の空は明けを前にして、黒から紺へと色を変えていく。 死の気配から解放され、少しだけ早く――朝を待つ鳥が、鳴いた。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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