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<混沌組曲・追>ある歌姫のためのテンポ・ルバート

 ●
 彼が死んだのだと、知った。
 彼が。あの人が。ケイオス・“コンダクター”・カントーリオが居なくなった――?

 海の上、腹を抱えて笑う男の横顔を見つめながら、『歌姫』シアー・“シンガー”・シカリーは目を伏せた。
「シアー様、どうなさいますか」
「……そうですね、彼が亡き今、私は――」
 しんだほうがましだ、と呪詛の様に吐き出す前に女は整った顔立ちを『珍しく』歪めて見せた。
 シアーは己の欲を見せず、己の情を余りに見せない。それは彼女が長い月日、一人の為に歌い続け、一人の為に在る事を望んだ果てであるからかもしれない。
 ただ、その一人が『極東のルーキー』に殺されてしまったと知った時に彼女は絶望したのだろう。その『想定外』は彼が倒される事では無い、彼の傍に居られなくなることに対する絶望だったのだ。
「なあ、王子様はいなくなったけどお前はどうするよ、お姫様?」
 問いかけるバレット・“パフォーマー”・バレンティーノの声に目を伏せてシアーはただ、一言を吐き出した。しんだほうがましだ、と言った。けれど、それでは彼の望む楽曲(プラン)を完遂することができない。
 嗚呼、それでは彼の傍にいる価値すらないではないか――!
「……私は彼が望んだ楽曲(プラン)を完遂するのみ。それが彼の望みでしょう?」
 その言葉に返された相槌にシアーは興味を示さなかった。誰よりも深く底へと沈みこんだ海の魔女(セイレーン)。それはあのモーゼス・“インスティゲーター”・マカライネンには到底理解できず、このバレットにも許容できないほどの深い愛情と言う名の狂気。

 ぽこり、水泡が音を立てる。
 願わくばその声音で名を呼んで、アンコールが欲しい。彼が振るう指揮棒が、奏でるその音色凡てが。
 疼く熱情は大指揮者の奏で続けた『音』への素直な欲求であったのかもしれない。
 人間的な感情を真っ直ぐに表すバレットの言葉にも、女は想いをそっと乗せるのみ。
「バレット……」
 その一度も男の名を呼んだことが無い事に女は気付いていた。コレ最初で最後である事にも。
 シアー・“シンガー”・シカリーがバレット・“パフォーマー”・バレンティーノに見せた情は何処か諦めにも似た羨望であったのかもしれない。
 己の欲の為に、想うがままに往く姿に彼女は何処か憧憬を覚えたのかもしれない。
 嗚呼、と声を吐きだした。いとしいいとしいと泣き喚く事もせず、ただ、頭の中で響く音色に女は酔いしれる様に――それこそが己の欲の深みだと気付かぬままに――幽霊船に共に居た男へと視線を配る。
 これは追加公演(アンコール)。
 誰ぞが死して、誰ぞが生きても関係ない。全ては愛しいあの人が為なのだから。
「組曲の続きと行こうぜ。シアー!」
「往きましょう……。彼の望む楽譜を歌いきる事こそが私の使命。全ては彼が望むがままに」

 ――さあ、指揮者不在のアンコールを始めようではないか!


「追加公演のチケットが届いた――とでも言いましょうか。さて、皆にお願いしたい事があるわ」
 珍しく緊迫した表情を浮かべていた『恋色エストント』月鍵・世恋(nBNE000234)は資料を捲くる。
 一度は終結した様に思えた『混沌組曲』事件ではあったが、その生き残りである楽団員たちの即興演奏(アドリブ)による追加公演が行われている事はリベリスタ達も聞いた事はあるのではないだろうか。
「向かって頂きたいのは山口県の下関市。壇ノ浦に面した公園よ。そこでシアー・“シンガー”・シカリーの出現が観測されたわ」
 楽団の『歌姫』。『指揮者』に心酔した女が追加公演を行うとは中々思えないのだが、彼女の逸脱は彼の死でも止められないのだろう。
 そこに楽曲があって、その完遂を『彼』が望んだのだとしたら――残された楽譜を彼女が歌い続けるのも納得がゆく。死霊使いである彼女は望む事をすれば彼に少しでも求められる、彼の傍にいる資格を得られると考えたのだ。 
「死は何物にも代え難い。けれど、死霊使いは『死』を操るのだから、彼女にとっての死は足枷となっても、絶望ではなかったのね。
 彼女が歌うだけで終る訳が無い。その楽曲には常に『死の気配』が付きまとっていたでしょう?」
 それは三高平を襲った死者達からも判る。彼等はその少し前まで息をし、動き、笑い合っていたかもしれない人間なのだ。新しい死体の山がなだれ込んできた。それは、何処かで人が殺された事と同義なのだ。
「彼女を止める事こそが大事になってくるわ。このままでは彼女は兵を連れて街へ――……後は云わなくても判るわよね」
 見回した世恋が浮かべたのは不安であった。『歌姫』は『第一バイオリン』や『扇動者』に並び、『指揮者』の傍にいたのだ。彼女は並みの楽団員よりも格が一つ上だ。
 尤も、女が怖いのは狂ったような情がその胸にある時だと言う。其れを常に抱き続ける歌姫の『逸脱』は彼女の強みでもあると同時に弱みにもなるのではなかろうか。
 モニターに映し出された壇ノ浦。波がさざめき合い、静けさを保つ其処に響く様な歌声が一つ。
 意を決したように、フォーチュナは声を絞り出す。不安と入り混じったのは一寸した期待であった。
「危険な場所に送り出すのは判っている。けれど、皆なら……! どうぞ、ご武運を――」


 幽霊船からバレットを送り出し、女が足を向けたのは何時か向かった場所であった。
 特に理由があった訳ではない。特に、その場所に特別な想いがあった訳ではない。
 往く宛てなく、彼女が訪れた場所がそこであっただけだ。
「――シアー様」
 呼び声に振り仰いだ女の表情は常と変らない。感情に支配されながら、感情を出さない等なんと矛盾を孕んだ女なのか。
 死者達の呻き声の中、女の唇が瞬間だけ浮かべた笑みは、嗚呼、彼の指揮者の声音が脳内で響き渡ったからだろう。
「さあ、始めましょう――全てはあの方が為に……」


■シナリオの詳細■
■ストーリーテラー:椿しいな  
■難易度:HARD ■ ノーマルシナリオ EXタイプ
■参加人数制限: 10人 ■サポーター参加人数制限: 0人 ■シナリオ終了日時
 2013年04月18日(木)23:22
こんにちは、椿です。
歌姫からのアンコールのお時間です。

●成功条件
 『歌姫』シアー・“シンガー”・シカリーを撃破する

●場所情報
山口県下関市、壇ノ浦に面した公園。(『<混沌組曲・破>ある歌姫のための夢のあと<中国>』にて歌姫が訪れた公園と同じ場所です)
古戦場址碑や武将の像が存在しており、足場は確りしています。位置取りによっては像や碑が邪魔になり視線が通り難い個所があります。今回の地形では海側の海面からの高さは余り無い為に、海上からの接近も視認され易くなっています。

●『歌姫』シアー・“シンガー”・シカリー
ケイオスが率いる楽団に所属するフィクサード。死者を操り、ケイオスの為に歌い続ける。
彼亡き今も彼が望んだであろう『楽譜』の完成を夢見て歌い続けています。
武器はその呼び名の通り歌声。ケイオスへの愛情は依存でありそれを越えた『逸脱』です。
霊魂を弾丸にして複数対象を麻痺させる、ドラマ値を大幅に上げる付与等を使用。
 ・英霊憑依:シアー特有の能力であり、過去の英霊の怨念を一般人の死体に憑依させることでその死体の能力を高める事ができる。
 ・Ex delicatezza(P)
 ・Ex raddolcendo(遠全/魅了、不吉、呪い)

●『チェリスト』レオーネ・イゾラ
シアーが引き連れていた『ピアノトリオ』の一員。『ピアニスト』『ヴァイオリニスト』の二人が死亡した今でも、彼女の護り手として存在しています。
霊魂を弾丸にして複数対象を麻痺させる、ドラマ値を大幅に上げる付与を使用。

●『ピアノトリオ』の死体
・『ヴァイオリニスト』チェーザレ・インカンデラ
・『ピアニスト』メリッサ・シーカ
生き残ったレオーネと共に演奏を続けている二人。攻撃方法はレオーネと変わりなく、生前スキルを使用する事が可能。自我無く操られているものの、操縦者のレオーネによってシアーを庇う様に主に布陣する。

●『平家の怨念』×30
歌姫固有の能力(英霊憑依)により、平家の兵卒の怨念(魂では無い)に憑依された一般人や革醒者の死体。
一般人の身体能力は怨念の効果を得て鍛えあげられた『兵士』そのものへと変化しており、革醒者死体はより攻撃性を増しています。身体の欠損等も気にせず非常にタフであり、獰猛な性質をしています。

●Danger!
 このシナリオはフェイト残量によらない死亡判定の可能性があります。
 又、このシナリオで死亡した場合『死体が楽団一派に強奪される可能性』があります。
 該当する判定を受けた場合、『その後のシナリオで敵として利用される可能性』がありますので予め御了承下さい。

皆様のご参加、どうぞお待ちしております。
参加NPC
 


■メイン参加者 10人■
ホーリーメイガス
アリステア・ショーゼット(BNE000313)
ナイトクリーク
斬風 糾華(BNE000390)
ソードミラージュ
須賀 義衛郎(BNE000465)
インヤンマスター
ユーヌ・結城・プロメース(BNE001086)
ナイトクリーク
神城・涼(BNE001343)
ホーリーメイガス
エルヴィン・ガーネット(BNE002792)
クリミナルスタア
晦 烏(BNE002858)
ダークナイト
ユーニア・ヘイスティングズ(BNE003499)
レイザータクト
ミリィ・トムソン(BNE003772)
ソードミラージュ
ヘキサ・ティリテス(BNE003891)



 ――♪

 海を荒らす様な風が吹く。ああ、そんな風だと云うのに何処か暖かく感じるのは何故であろうか。
 厳かなる歪夜十三使徒の一人、『福音の指揮者』ケイオス・“コンダクター”・カントーリオが没した今、残党たる『楽団員』達が気まぐれ且つ自由自在に奏でるソロ・パートは大指揮者を喪った為か統率も取れぬ、誰の心にも響かぬ凡庸な音の集合体。
 嗚呼、けれど、その音は止まない。
 一つ、鳴り始めた音へ聞きいるのは呆気なく。
 二つ、奏でられる音への転調は曖昧に。
 三つ、響き渡る歌声への――

「山口県下関市。ふむ、地元のようなものだ。郷土愛はさほどないのだが居座られると邪魔くさいな」
 凪ぐ風に髪を弄ばれながら『普通の少女』ユーヌ・プロメース(BNE001086)は小さくため息を漏らす。
 壇ノ浦に面した公園を目の前にして、緊張した面立ちの仲間達の中で、ぼんやりと周囲を見回す黒い瞳は呆れを映していたのだ。遠く、公園から響き渡る歌声に聞き覚えがあったのは『ファントムアップリカート』須賀 義衛郎(BNE000465)だけであった。
「無様だ」とユーヌが零した言葉に、あの日、三高平を大指揮者が攻め込んだ赤い月の日に聞いた澄み渡る声と何ら変化のないその『歌声』に義衛郎が感じたのは違和感に他ならない。
 歌声は美しい。死霊さえもを虜にするという歌声は素晴らしいものである事に違いは無いが、其処に在る筈の温かみが全く持って感じられないのだ。歌に感情が籠らないというのはナンセンスだ。尤も、籠り過ぎる感情も歌の邪魔になってしまうのだが、この歌姫の声は何処か無機質な音を孕んでいる様であった。
 果たしてソレにこの戦場における『唯一の指揮者』は気付く事が叶ったのであろうか。
 長い金の髪を揺らし、ケイオスを討ち取ったと本部に伝令を入れた『戦奏者』ミリィ・トムソン(BNE003772)は『果て無き理想』を握りしめて息を吐く。
「宜しいですか?」
「ああ、無事に生きて帰る。其れだけだろ」
『銀の盾』ユーニア・ヘイスティングズ(BNE003499)が漏らす言葉にミリィは頷いた。生と死。ソレはこの冬にかけて楽団との戦いを経たリベリスタ達は嫌というほど判っている概念であろうか。
 混沌組曲と銘打たれた楽曲は、大指揮者の下で『序』と始まり、『破』を奏でそして、転調する様に『急』を演奏し続けた。指揮者の望むエンドレス・ナイトはリベリスタ達の手で終わりを告げていたとしても、犠牲も多かったのだ。
 誰よりも護る事を願い続ける『尽きせぬ想い』アリステア・ショーゼット(BNE000313)の表情が哀しげであるのも仕方がないのだろう。この場所は死の気配が濃い。それは楽団員たちが死者を操る芸術家の集合体である事も関係するのだろうが、それ以上に、この場所に居る女が『死に寄りそう』様である事が要因であるのかもしれなかった。
「死ぬって、怖いよね……」
 その言葉に頷いて、『告死の蝶』斬風 糾華(BNE000390)はそうね、と呟く。彼女の視線が捉えたのは無茶ばかりする司令塔の少女だ。
 何時か、誰も喪いたくないと両手を開いて叫んだ彼女。それはこの組曲のはじまりに起こった彼女らにとっての事件であっただろう。糾華を庇い気を喪った時に、糾華がその端正なかんばせに怒りを浮かべなかった訳が無いのだ。
「怖いわ。私達は怖いから戦うの。死体遊戯にはもう飽きてしまったでしょう」
 何時かの言葉を口にして、ゴシックロリィタのドレスのレェスを揺らす。フリルが風に遊ばれて、緩やかに揺れ動く。アリステアが祈る様に「一緒に帰ろうね」と常通りの言葉を零す様子に『パニッシュメント』神城・涼(BNE001343)は頷いた。
「さあ、観客が求めないアンコールだけど、折角のお誘いだ。ショーに出向いてやるとしようぜ……!」
「やれやれ、おじさん使いの荒い職場だ」
 くつくつと喉を鳴らし、煙草を吹かす『足らずの』晦 烏(BNE002858)は言葉とは裏腹に楽しげである。
 壇ノ浦。平家の怨霊を味方につけている女は其処に居るのだと言う。
 なれば、リベリスタは源氏の兵士か。宛ら源平合戦をモチーフにした戦いではないか。史実通り海へと消えゆく女であれば話は簡単であるのだが、生憎、この場で歌う“シンガー”は簡単には終わらない。
 三高平を攻め行った『急』のパート。その時、傷を負いながらも海の上で歌い続けた彼女はリベリスタにも――世界中の誰を探したって理解できない『逸脱』を胸に抱いて居たのかもしれない。

 ――奏でる事は愛なのだから。

 糾華の色付く唇がそっと奏でた音は、誰かに向けられたものではない。
 柔らかな想いを、消えゆくほどに淡い想いを抱きしめて。少女の赤い瞳は夢を見る様に伏せられて、決意を持って見開かれる。
 燻る煙草の灰が地面に零れ落ちる。暖かい風が灰を攫い、ユーヌの髪を撒き上げて吹き荒れた。
 乗る歌声に耳を澄ませてユーニアは『歌姫』を思い描く。鳴り響くのが法螺貝の音で無くて良かったと茶化す様に云う烏の声に頷いて、リベリスタは公園へと踏み込んだ。見晴らしの良い公園で、振り仰いだ女は『情』を浮かべぬ整ったかんばせでリベリスタをじっと見据えて、目を伏せた。
 彼女の脳裏で指揮棒を掲げた大指揮者。身構えた烏が煙草の火を消した。安物煙草は呆気なく火を消して持ち歩く携帯灰皿の中に吸いこまれる。

「いざうれ、さらばおれら死途の山のともせよ」

 さあ、『源平合戦』を――否、歪み切った追加公演(アンコール)の幕を開けようか。


 髪飾りの大きな花が揺れる。傾国とも称せる美貌を持つ女を目の前にしても『ディフェンシブハーフ』エルヴィン・ガーネット(BNE002792)は彼女へと優しい声をかける事はしなかった。
 リベリスタの中ではナンパ師等と囃したてられるエルヴィンではあるが、シアーの性質は彼の守備範囲には該当しないのであろう。
「ったく……面倒な置き土産だな」
 置き土産。その言葉に彼等の目の前できゅ、と唇を結んだ『歌姫』シアー・“シンガー”・シカリーがそっと視線を寄越す。幾ら美しいにしても能面のように表情が無ければその魅力も半減してしまう。感情の『いろ』もない寒色の瞳は興味なさげに逸らされた。
「シアー・“シンガー”・シカリー? フザケたコンサートへのご招待ドーモ」
 言葉とは裏腹にきつく睨みつける『デンジャラス・ラビット』ヘキサ・ティリテス(BNE003891)の視線にもシアーは表情を変える事は無い。凪ぐ風に髪を揺らし、唯静かに立ち続ける女は何かに寄りそう様に静かだ。
 彼女と共にケイオスに従っていた『第一バイオリン』バレット・“パフォーマー”・バレンティーノを『動』と称するならば正しくシアーは『静』だ。その生気のなさにぞわりとヘキサの背に走る悪寒はこの場で尤も濃い死の気配への危機感であろうか。
「……またお会いすることになるとは。今日は天の魔女(アプサラス)の、嚆矢隊の、貴女が着た海に集ったリベリスタ達の名代の心算だ」
 義衛郎が握りしめたのは半端な長さで在りながら深緋で拵えられた蔵に眠る刀だった。『鮪斬』と彼が名付けた刀があの日、切り裂く事の出来なかった女を切る事を目的に向けられている。
「シアー様にその切っ先、届くと思うなよ」
「ふむ、なら試してみるか? ソレにしても哀れだな」
 緩やかに浮かびあがり、耳を澄ませるユーヌが前方に向かい繰り出す水気。圧倒的な存在は四神を使役し、その守護を得るインヤンマスターならではの技ではないか。
 シアーや彼女の連れるピアノトリオ――否、今は幾度も交戦してきた結果ソロ・パートに変化してしまった――が彼女の前に立ち、その姿を攻撃から覆い隠す。『チェリスト』レオーネ・イゾラが操る元同じチームの演奏家である『ヴァイオリニスト』チェーザレ・インカンデラと『ピアニスト』メリッサ・シーカは歌姫へと与えられる攻撃全てをその身を以って受け流そうとしていた。
 未だ、其処へと届かぬ攻撃はシアーの『英霊憑依』の能力により一般人や革醒者を依代とし現世によみがえった平家の怨念を巻き込んでいく。彼等は怨霊では無い。個体に志半ばで閉ざされた無念と溢れる怨嗟と呻吟を与えた悪意ある存在達。
「……哀れ?」
「続編がこれでは尻切れ蜻蛉。未完の傑作が駄作に落ちる。
『未完の傑作』もある意味では芸術家として一つのステータスになるのかもしれんぞ」
 ユーヌの声に惑う事も無く、シアーは目を伏せる。挑発も何も届かないのだとエルヴィンは知っていた。彼は妹と対極の存在に居た。或る意味で『救いたがり』が高じたのだろうか。
 様々な種のてをとり、彼等を救おうとしてきたエルヴィンであるからこそ、目の前の女が救えない対象である事をハッキリと認識したのだろう。
 公園後方。ちかちかと光る4WDのライトがリベリスタ達に影を落とす。
 愛する男の為に逸脱した女、か。
 一寸したジョークの様な存在は目の前で息を吸う。その歌声は攻撃を伴う物ではなく、のびやかに、大劇場の舞台の上、否、片田舎の小さなホールで聞くものであれば何と素晴らしいものであったのだろうか。
「逸脱する様な女だから歌姫としたのか、歌姫である女をそうなる様に仕向けたのか……」
「――いいえ、私は『私の意思』で彼に寄りそう事を決めたのです……」
 言葉少なに、己の意思を表す女にエルヴィンは瞬いた。周辺の魔的な要素を体内に取り込みながら、殿を務める彼の背中に汗が伝う。迫りくる怨念達の中を突き進む布陣である彼等はゆっくりとした歩みで進んでいた。一丸となって進む彼等の目の前に存在する石碑や像は今は気にする必要も無い。
 前線位置、一気に踏み込んだ義衛郎が迫りくる怨念を切り裂いていく。その刃は義衛郎の意思を表す様に鋭く居て突いている。『時』を切り刻む刃が怨念のその身を霧の中に隠しこむ中で、糾華がくすりと唇を歪めた。
 彼の後ろ、彼女の周りを飛び回る『幻想纏・III「夜光蝶」』は周辺を淡く照らし出す。何よりも攻撃を加える事こそが糾華にとっての主義に合っていた。ルーレットに投じられる球がくるくると回り出す。美学主義(ロマン)を求める告死の蝶に続くミリィが神秘の閃光弾を炸裂させた。
 夜を切り裂かんとするその光が怨念の動きを封じる様に、目を眩ませた。凝らした視線。果てなき理想が奏でるリベリスタの生命の賛歌にレオーネが小さく舌打ちを漏らしたのも仕方あるまい。
「御機嫌よう、シアー・“シンガー”・シカリー。私は戦奏者。この戦場を奏でる者」
「……concertatore」
 すぅ、と掲げられた指揮棒が振り下ろされる。

 ――さあ、戦場を奏でましょう。

 その言葉を待ち望んでいたとばかりにヘキサが目を開けた。投擲された光が死者達を止めていく。ただ、真っ直ぐに見据えた瞳が『死』に怯える事無い様にぎらりと光る。HEXA-DRIVEが蹴り出す勢いで弾きださせる閃光弾に目を眩ませる事無く、二四式・改が弾丸を打ち出した。
「壇ノ浦、戦場としては中々好きだよ」
 趣味の読書で読んだ事がある平家の物語。歴史的な場所である此処に、平家の兵(つわもの)が襲い来る。嗚呼、これは時代の舞台を又に駆けて居るかのような高揚感が胸に過ぎる。
 背後に立つエルヴィンに支えられたアリステアが彼と同じく周囲から魔力を取り込んだ。精巧に模られたKirschbluteがアリステアの髪で揺れる。
「ごめんね、皆に護って貰う事になるけれど」
「大丈夫だ、アンタが回復してくれることで俺達は戦えるんだ」
 彼の言葉に頷いて、アリステアは祈る様にき、と前を見据える。その癒しの力は誰かの為に使うものなのだ。彼女はその身を守る固い装甲は仲間を支え続ける。
 助けきれなかった存在が彼女にだってある。助けきれなかった事を悔み続けたりもした。その心が囚われ続ける事はない。
「おにぃちゃん、おねぇちゃん、皆。わたし……、わたし、頑張るから!」
「任せるぜ! アリステアが癒して俺が切り裂く。このアンコールを俺達の手で幕引きにしてやろう……!」
 前衛位置、する、と袖口から滑りだすイノセント。怨念達の体を切り裂いて、涼の頬に血の飛沫が弾け飛ぶ。黒いコートを汚す赤い血液が酸化し、黒く染まる中、レオーネの放つ霊魂の弾丸がリベリスタに向けて飛び込んでくる。
 それが死霊使いの技だとユーニアは認識していた。暗視ゴーグルで見据えた向こう。ペインキングの棘を握りしめ、魔力盾を前に構えたユーニアは自身の仲間を庇う様に盾を前に押し出した。盾にぶつかっていく弾丸。腕がブレる。じり、と足が地面を滑る。
 繰り返し殴りかかってくる怨念達はどれも強烈だ。歌い続けるシアーが繰り出す弾丸はレオーネのそれとは比べ物に為らなかった。
「貴女の公演など誰が望みましょうか! 血と肉と死に溢れた彼等など、誰が美しいと言いましょう!」
 進行方向に立つ仲間を呼び寄せるミリィとユーヌ。其々が側面に対して近付くものの、リベリスタの歩みはゆっくりであった。ソレは、彼等の行動順位が側面が勝った事のだけ。前線に立つリベリスタが歩むことが遅い以上、ジリジリと迫る事しか出来ないのだ。
 だが、祈る様に歌い続けるアリステアが居る以上、この戦場を保ち続ける事はリベリスタ達にとっては容易なことだったのだろう。
「死……そう、『死』ぬんだよ? わたしたちは『死は何物にも代えがたい』と知っているの。
 だからこそ、日々を大切に、目に映る物を大切にしてるんだよ?
 ねえ、貴女にその気持ちはないでしょ? 歌姫」
「――『死』は何物にも代えがたい。……ええ、そうでしょう」
 ふと、女の視線がアリステアへ向けられる。奏で続けられる歌姫のソロ・パートの中で、彼女が瞬間に見せたのは呆れとも取れる情だった。
「『死』を恐れぬのではないのです、『死』さえもを歌うのみ――それが“シンガー”……」
 唇がゆっくりと紡ぎ出す言葉に、アリステアが身構える。怨念が勢いを増して彼女達へと襲い来る。
 嗚呼、なんて場繋ぎの不協和音か。楽譜(スコア)に沿わぬ残響音(ノイズ)であるのか。
 死霊使いにしては。
「未練がましいわね」
 嘲る様に、袖口からするりと蝶が飛びだした。黒いゴシックロリータの袖から現れる蝶々が幾重にも重なり合い、鋭き弾丸の様に怨霊の体を切り裂いていく。
 糾華は幾度も楽団の演奏を聞いてきた。名の知れる女の歌声には今は心に響く様な音色も無いのだ。凡庸な唯の音の集合体。遺されて、奏でられるにしては何と無様な歌声であろうか。

 床に広まる楽譜(スコア)に、死した老人を見据えた男が居た。
 凡庸な音の集合体に呆れと共に絶望を感じた男が居た。
 嗚呼、けれど、それは、己の理想と現実の違いに――死と言う恐怖を恐れ続けた男を見離したに過ぎないのだろう。
 ソレと同じだろう。
 手に取った楽曲(プラン)を完遂しようとしたのは死ぬことなく、己が傍に居続けられるという理想を求め続けた女が一人、居たからだ。
「貴女の歌声ではこの組曲の完遂は望めない。ねえ、貴女も理解しているのでしょう?」
 女は言葉を口にしない。糾華は形の良い唇を歪めていく。彼女らに向けて放たれる革醒者のスキルが、糾華の体を蝕んでいく。ルーレットは巡りゆく。当たりとハズレ、ギャンブルの様に攻撃がクリーンヒットした時、糾華が一歩引いた。
 のけぞった怨念に対し、続け様に振るわれる鮪斬。程近く、近接位置で怨念が降り上げた腕を柳刃で受け止めて、身体を反転させた。時を切り裂く刃が凍てつく風をも味方につける様に鋭く切り刻む。
「オレが誰かの意思を背負うなんて、烏滸がましい上に柄でもない。
 それでも、此処に居ない彼等に変わりオレが斬る! あの日、届かなかった切っ先を届けるのみだ!」
 己の腕に伝わる感覚は罪の意識だ。己が正義で無いとその腕に伝わり続ける感触で、肉を断つその感触でしかと義衛郎は理解していた。
 彼に加護を与える様にDer FührerRabeが腕できらりと光る。
 誰かを殺された怒りも無い、誰かを喪ったという恨みも無い。正義に非ずして、義衛郎はただ己の欲求と、三高平を守る意思を強く持ったあの日のリベリスタに変わり、この戦場で彼女の首を取ると決めていたのだ。
 させません、と言う様に鳴り響くチェロの音色。対抗する霊魂の弾丸を受け流し、真っ直ぐに投擲される閃光弾。集中を重ねたヘキサの攻撃に寄り怨念達が動きを止める。
「すべては、シアー様の為に」
 声を合わせる事の無くなったピアノトリオの死体は生前のスキル――気まぐれな運命(ドラマ)を身につけるものにより死体さえも強化されていた。
 この場の怨念達が『英霊憑依』によって通常の死体達より強化されているのだ。生半可な覚悟で挑んではいけないとヘキサは嫌でも理解していた。死に物狂いで戦場には挑み続けた。
 ヘキサ・ティリテスは義衛郎の云う『あの日』を知らない。三高平で奏でられた死の組曲を知らない。彼は舞台(エンドレス・ナイト)の閉幕(おわり)の為に遙か異国へ旅立った十人の一人だったのだ。
 兎は獣と応対した。背に走った悪寒はどれほどのものであったのか。あの瞬間より恐ろしいもの等此処には――ない!
「こんなアンコールなンざいらねェ、さっさと失せやがれェッ!!」
 フラッシュバンが彼の意思を表す様に、蹴り上げたその足の勢いで光を弾きだす。
 歌い続けられる音色に耳を澄ませる事も無く、小さな兎は真っ直ぐに、噛み付きにかかるだけ。
 兎の牙は研ぎ澄まされた。リベリスタ達が真っ直ぐに見据えるその向こう、能面の様な表情に何処か『不快』な思いを浮かべた歌姫が立っていた。


 数を減らし続ける怨念の中で、攻勢を強めるリベリスタ。指揮を執り続けるミリィの表情に浮かぶ焦りは消耗によるものだろう。
 多勢から攻められ続ける事によって、より多くの癒しを求められるアリステアは所謂ガス欠が近付いている事に気付いていた。
 それでも祈りは絶やさない。援護するエルヴィンが仲間を癒し続ける中でアリステアが呼びよせる聖神の息吹が重なり合って吹き荒れる。
「あなたが愛した人の為に歌うと言うなら、わたしはわたしの大切な人たちの為に歌うよ。
 痛いのも辛いのも全て、癒す為に、歌い続けるって決めたの!」
「――愛した、ですか……」 
 其処にホコロビがあったのだとしたら、どうなのだろうか。
 死に寄り添う様に立っている女とて死者では無くれっきとした生者なのだ。彼女にも思想と思考がある。
 歌い続ける女の声が止んだ所へユーヌが息を吸い込んで怨念を呼び集める。彼女とミリィを庇う様に動くユーニアの運命が削れるのも無理はない。
 だが、ユーニアの表情からは笑みが消えない。
「あの大指揮者、ケイオスの楽団の歌姫に逢えて光栄だぜ。死ぬ前に一度あんたの歌を聞いてみたかったからな」
「ならば、手向けの花としてシアー様の歌を聞くと良い」
 尊大な態度を浮かべるレオーネにユーニアは笑う。超直観を使用して的確なルートを進む彼等は怨念の数を其れこそ『的確』に減らせていたのだから。
 一丸となって固まって進む事に寄り、不都合も多かった、だが、それ以上に全員の守りが堅かったのだろう。
 手を伸ばせば届く距離――故に、誰も喪わない。
「勿論、此処で死ぬのは俺らじゃない。あんたの方だけど」
 ユーニアの言葉に打ちこまれる弾丸。其れをも彼は避け、怨念を群がらせるように“果て無き理想”を振るい続けるミリィを庇う。
「如何ですか? 私達の演奏は! 私達は生を望み、明日を掴む。祝福を奏でるもの。
 貴方達の……いえ、貴女の依存のうちにこれ以上誰も傷つけさせない!」
 奏でられるその楽譜に合わせて振るわれる指揮棒が戦場を奏で続ける。彼女の演奏に乗る様に滑り込むヘキサが一手、踏み込んだ。体内のギアを加速させ、HEXA-DRIVEに力を込める。
「指揮者ってのは演奏を完璧に整える役割だ。俺らの指揮者が『整える』様に、ケイオスだって整えて居た。
 その指揮者が抜けちまったこの無様な舞台を当の指揮者サマが見たら、どォ思うだろーな?」
 黒い瞳がじ、と周辺を見据えた。彼女が知っている公園の面影はもうこの場所には無いだろう。リベリスタ達は攻撃に像や石碑を巻き込む事を厭わなかった。
 崩れていく碑にユーヌは遮蔽物が無くなりより広くを狙う事が出来る現実をしっかりと理解していたのだろう。
「海峡の荒波には飽き飽きか。現世の荒波に揉まれて果てろ」
 シアーを狙った烏の弾丸が弾かれ、海側の柵に当たる。攻撃を受け流す死体に向けて幾度も投擲される光は彼等を守る鎧(ドラマ)をはぎ取らんばかりの勢いを保っている。
「本当に哀れだな。傑作を穢す趣味でもあるのか? 原作を穢すだけでは飽き足らない。ケイオスの名誉の為に速やかに消そうか?」
 ユーヌの言葉は時に他人を傷つけるナイフにもなる。シアーが内に秘める思いをそのかんばせに浮かべない『幽霊』であれば、ユーヌは内に秘める想いが何であるかを未だ理解しえないだけの少女であったのかもしれない。
 彼女の言葉と共に溢れだす水気。インヤンマスターとしての極意が現れる。浮かびあがる事により射線が通る事は即ち、相手からも視認が可能になるのだ。宙に緩やかに浮かんだ彼女の玄武がピアノトリオの一角を崩していく。
 声も無く、倒れていくその顔に、シアーは何も思わずにただ、歌い続けるのみ。
「死者が動くなど常識から外れ過ぎだ。自重しろ、非常識どもめ!」
 ユーヌや烏達が過ごすこの世界には『常識』が存在した。此度のアンコールが攻め込んだのは近畿、四国、中国、沖縄とその常識を破り、非常識が顔を覗かせた楽団の勢力下だ。楽団の演奏へのスパイスとなった恐怖が満ち溢れる都市。
 再度訪れる『非常識』に、普通の少女はうんざりした様に『小型護身用拳銃』から符を召喚し続ける。
 流れるような勢いで、前線で攻撃し続ける涼ではあるが、陸路からどの様に動くのかをあくまで『予定』として捉えていた。柔軟な姿勢でノットギルティで切り刻むその手が血に濡れ、滑りかける。
 背後から祈るアリステアが彼の攻撃を支え続けるが、涼の茶の瞳は痛みの色を浮かべ続ける。
「なあ、シアー。お前はケイオスの事を愛してるんだろ?
 そうやってケイオスを想ってるだけなら良かったのに。
 お前らが使う死体の中にも、お前の様に誰かを想う人が居ただろうに……!」
「――其れがが、何か……」
 涼の決意のまま、レイヴンウィングが風にはためいた。翻るコートを揺らし、切り刻むその刃は死神の名を冠し、血の物語を其処に刻みつけるものだ。
 前線で攻撃に晒され、全てを持ちこたえれるほどに涼は耐久力を持ち合わせては居なかった。だが、運命を燃やし尽くしたって彼の脚はしっかりと土を踏みしめる。
「此処で倒れる訳にはいかないしな……! 俺にお前への同情の余地はない!」
 踏み込んだまま、数の減る怨念の中を真っ直ぐに突き進む涼の切っ先がメリッサへと突きたてられる。空洞のままの瞳がじ、と彼を捉えた。悪寒が、走る。死体が覗きこむ様にその目の前にあるのだ。
 楽団員は技量を持ち合わせ居るならば声帯を振るわせ声を紡がせる事ができると言う。操り手たるレオーネは彼の目を覗きこんでいる死体を、ピアニストの咽喉を振るわせた。
「「往かせはしない」」
 全ては、そう、歌姫が為。
 一歩飛び退くその場所に滑り込む義衛郎がいた。切り刻む刃が、幾重にも重なり合って、少女の体を傷つける。癒しを与え続けるエルヴィンが杖の先を女へ向けた。整ったかんばせは未だに情をちらりとしか覗かせない。
 女は激情に駆られ易いという。
 沢山の女を――否、沢山の『ヒト』を視てきた以上エルヴィンにもソレは解る。
「……歌姫さんさ、アンタは何したいんだ?」
 ふと、零された声に、シアーの瞳がエルヴィンを捉える。さも興味なさそうな女の眼が探る様に伺う様に細められた。傾国と称すに値する美貌を持った女に見つめられるにしては何ともロマンの欠片の無い一瞬。
 癒しを与え続けるエルヴィンの体を狙い背後から攻撃する怨念から彼はアリステアの元へは行かせないとその身を張って立ち続けていた。前方へ進むことのみに特化した布陣では進む中で回り込む怨念に対する配慮が少し足りて無かったとも言えよう。
 しかし、エルヴィン・ガーネットは、『生かしたがり』はその場で膝をつく様な男では無かったのだ。
 ただ、救いたがりであったが故に、気になっては仕方がない。
「故人の想いを引き継ぎたいのか? 死霊使いらしく想い人を操り我が物にしたいのか?」
 ひとつ目にNOと言い、二つ目に首を振る。彼女が使役することの叶わない大指揮者。
 あのジャック・ザ・リッパーを呼び出そうとした三ッ池公園の狂想曲。木管パートのリーダーたる『扇動者』モーゼスがその格の違いを想い知っているのと同じ、シアー・シカリーもその格を身を以って理解している。
「……出来るなれば」
 やっている、と歪めた表情は彼女にとって、歌姫にとって一番の感情であったのかもしれなかった。
 やけに海が荒れる。激しい荒波がぶつかり合って飛沫を周囲へと飛ばしていく。長い髪が風に揺れ、女の歪められた唇を見つめて、エルヴィンは最期の選択肢を口にした。
「想い人を殺した俺達に復讐したいのか?」
「……いいえ」
 NO。シアー・シカリーの行動はある意味ではバレット・バレンティーノの様な己の欲に満ち溢れたもので無かったのかもしれない。どうしようもなくなったその思いの果て。
 意志を継ぎたいならば、生きたいと願うのだ。
 操りたいならば、この場所には来てはいない。
 復讐がしたいのならば、すぐにでも攻勢を強めるのみ。
「……私は」
 紡ぐ言葉は呑みこまれる。答えは出ていた。死に寄り添い続けた女は死を最も上手く汚すのもの意思などを告げるわけがない。
 瞳が泣き出しそうなほどに歪められる。ソレが女としての『情』であるのか。真っ直ぐ見据えたエルヴィンが杖を握り直す。
「――彼が望んだ楽曲に寄り添いたい……」
 その中で死ねるなればなんと幸運であろうか――!
「どうする、あんたまで死んだら死霊術師であると同時に偉大なる指揮者『ケイオス・カントーリオ』を語り継ぎ歌う者がいなくなるぜ?」
 ぴたりと女の手が止まる。烏が狙ったのはシアーの心が揺らぐ事だった。
 彼女は揺るがない。烏の言葉に“シンガー”は曖昧な笑みを浮かべるのみだ――否、もう常通りの無表情に戻ってしまっている。ケイオスを語り継ぐ、その言葉にレオーネが驚きの表情を浮かべ続ける。
「だが、あんたならできる『歌姫』シアー・シカリー。ここが分かれ目だぜ。あんたは生きろ!」
 その言葉に仲間達が振り仰ぐ。烏の言葉はシアーを殺す事を目標にしているリベリスタの中で余りに『浮いた』発言だったのだ。歌声は止まらない。手を引けばこれ以上殺す事は必要なくなる。
 だが、引かなくとも――言葉に揺らげばその隙が出来る筈だ。感情の揺らぎを探る様に見据える視線。探究者たる烏の眼がじろりと女を見つめていた。女は、じ、と烏を見詰めた後視線を逸らす。
「ケイオスを想うならばこそ――生きろ!」
「……何故、ですか?」
 ぽそり、と零された言葉にレオーネが、烏が、前線に立っていた義衛郎がシアーを見詰めた。その瞬間だけ、彼女の歌も止まった様な気がしたのだ。
「私が、いいえ、私如きが後世に語り継がねばならぬ程にケイオス・“コンダクター”・カントーリオは無様な男ではありません。
 私は彼の『歌姫』。私はシアー・“シンガー”・シカリー。私は彼の為に歌い、彼の楽曲を奏でるピース」
「その楽曲(プラン)の完遂はマスターピースが欠けた今、どうやっても望めまいさ」
 烏は言葉と共に真っ直ぐに放ちだす神速の連射。歌姫の武器である『喉』を狙うそれから庇う様に飛びこんだレオーネの体が吹き飛ぶ。
 ゆっくりと、シアーの瞳が見開かれる。瞬間に浮かべた『情』が瞬時に消える。二四式・改が繰り出す弾丸は全てレオーネの体に呑みこまれて行く。
 歌姫が息を吸い、その声が紡ぎ出す言葉は異国の歌。何処か切なげに聞こえる物に、ミリィの脚がじゃり、と砂を踏みしめる。raddolcendoが響き渡り、その音色に酔いしれそうになる、だが意志を強く持つ彼女の目の前に立ったユーニアがペインキングの棘を握りしめ、息を吐く。
「一寸した興味と好奇心だけどさ、あんたにとって死ってなんだろう? 自分がなくなるのって怖くないのか?」
「……自分で、なくなる?」
 ユーニアにとって死は自分の喪失だった。意志を喪い、身体もいずれは朽ちていく。
 だからこそ、リベリスタ達は誰かを喪う事が怖いのだろう。だからこそ、リベリスタ達は生きたいと望むのだろう。
「俺は死ぬのがいやだよ。自分が自分でなくなるみたいで」
 縋る男も居なくなった哀れな女の周囲には未だ数体の怨念が存在していた。怨念が攻撃を繰り出すその手から庇い続けて、手から滑り落ちそうになる棘を再度握り直す。
 その興味の果て、シアーという女はただ目を伏せただけだった。彼女にとっての死の概念は行き過ぎた愛情の根底にあったのだから。
「あんたはあいつのことが好きなだけで、他の死霊術士とは動機がちょっと違うみたいだったから」
 彼が居なくなったこの世界ならば。
『歌姫』は息を吸う。見開かれた瞳が、表情を曝け出す。女は傷つく身体の痛みをも厭わずに一言、心の底から憎悪の籠った声で吐き出したのだ。
 彼が居なくなったこの世界など――死んだ方が、マシだ。


 傍に居たいと願った事は誰にでもある。
 糾華だって、一人の少女の場に居たいとそう願い続けていた。エルヴィンが誰かを生かし続けたいと言うのもその優しさから齎されるものだった。
 アリステアが全員で帰りたいと思うことだって、それは彼女の思いの果てなのだから。
 歌姫の歌声が響き渡る。何処か切なげなその音にアリステアは紫の瞳を細めて、涙を堪える。
「ねえ、指揮者が違うと同じ曲でも全然違って聞こえるの、知ってる?」
 その言葉に、シアーは反応せずに歌い続ける。哀れな海の魔女(セイレーン)。
『愛した指揮者』が居ないのだと語りかける。震える指先が杖をぎゅ、と握りしめた。曲を構成するパートも足りない、ピースが足らないパズルは崩れるのみだ。
「……喪いたくないの、わたしは……」 
 その視線が一つの背中に向けられる。ぎゅ、と握りしめた杖が光り輝き前線で戦う青年を飛び越えて聖なる光を宿しながらシアーを守護する鎧(ドラマ)を弾け飛ばせる。
「貴女の『完遂』って言葉自体、もう現状に沿ってない! ねえ、どうしてそれでも奏でるの?」
「……長きを唯、過ごし続けて私がなにも得なかったと、想いますか」
 零された言葉にアリステアの動きが止まる。前線に飛び込んだ涼が切り裂くその一撃に、女は一歩足を滑らせる。運命を燃やし尽くしても足りやしない、慟哭が身を裂く様に周囲を包み込む。
 歌声に踊らされるように涼が仲間へと与える攻撃に糾華は小さく笑って視線をエルヴィンへと移す。癒しを齎すその一連の流れはリベリスタ達の相談の賜物だろうか。
「何も得れなかった――そういう訳じゃないなら、こんな独り善がりなアンコールは終局にしろよ」
「貴女の在り方は楽団の誰よりも歪よ。それに気付いているかしら?」
 糾華の言葉が命を断ち切ろうと近寄った。レオーネへと与えるハイアンドロウ、ギャンブルの時間はもう終っていた。長い時間を有し、彼女は傷つきながらも、懸命に与えた攻撃が怨念を減らし続けたのだろう。
 不吉を笑ったカードを手に、死を告げる揚羽蝶は緩やかに笑う。
 そう、全てが歪だった。前向きでも後ろ向きでも奏で続けるものが無形の愛であったのだから。
 愛を賛歌し、死を撒くからこその『逸脱』は指揮者の傍に在る事を是される――否、彼女が指揮者の傍に在り続けられるその心の支えにもなっていたのかもしれなかった。
 愛は無形だ。形あるものなど何もない。触れて、傍に居て、其れを愛だと称するならば、シアーという女は愛を手に入れる事は出来なかったのだろう。
 其れを憐れに思わない訳ではない。だが、義衛郎は其処に優しさを見出すよりも、任務を真っ当に果たすのみ。
「別段、怒りも恨みも憎しみも無いが、その首今度こそ頂戴しようか、海の魔女――!」
 振り下ろさんとされる刃に女が目を伏せる。
 彼に重なる天の魔女。羽衣を纏い、その気糸で歌姫を縛り付ける様に妖艶な笑みを浮かべる女は口にしたのだ。
『天の恵みに強運を』
「愛しい人が居るのは生憎とシアー、貴女以外じゃないんでね!」
 踏み込み、最期の力を振り絞り彼女を庇う様に両手を広げたレオーネの体に刃を突き立てる。肩口を貫くソレにチェロの弦が地面を転がった。シアー様、と呼ぶ声がする。
 絶命するピアノトリオ。彼女が連れて居た三人の死体が足元へと転がっている。
「生と死は曖昧か? 死出へ旅立て、船賃はくれてやる。歌声へのお代だ」
 聞くに堪えない声でもな。そう漏らしながら踏み込んだユーヌがシアーの体を吹き飛ばす。柵にぶつかり、弱った柵が海の中へと落ちていく。ふらつく足の歌姫を攻撃し続ける手は弱まらない。
「『柔らかに』か。良い歌だったぜ。そしてケイオスやあんたの事、おじさんが語り継がせて貰うさ」
「……私を」
 震える声が、愛しの人と同列に並べられる自身を疑問視する様に不安げに、紡がれた。
 彼女の肩口を抉りこむ烏の弾丸が、女の白いドレスを破り、血を溢れさせる。豪奢なドレスも、柔らかなベールも、長く美しい髪も今は汚れた歌姫から『唯の女』に為り下がる。
「恐るべき敵として、そして敬愛すべき偉大な指揮者と歌姫としてね」
 その言葉に『歌姫』は言葉を紡がずに歌い出す。歌姫と称されるだけあって、彼女の歌声は何処までも響き、伸び、美しいものであった。
 その歌声に魅了される事も無く、ぎり、と歯を噛み締めて真っ直ぐに飛び込んだヘキサの瞳が赤く光り輝いた。風に魅入られたように歌姫の元へと真っ直ぐに飛び込む彼の蹴りがシアーへと炸裂する。
「指揮者不在のアンコールはもう終わりにしようぜ。パートは足りない、音量はバラバラ、テンポもあってない」
 指揮者の望まぬ雑音は彼の名を陥れるだけだとエルヴィンは云う。癒し手たるアリステアとエルヴィンの双方を以っても癒しきれない仲間の傷は確かに存在した。
 けれど、彼等はその動きを止める事はない。シアーの頭の中で響き渡る亡き指揮者のアンコール。

 ――よろしい。ならば、次はBパート。

 情熱をこめ、謳いあげ、その中に思いを込めて。
「……それが、アンタの想いってわけか」
 穏やかに、優しい言葉が引き摺り出すのは曇りもしない愛情と、愛されないという諦めと、傍に居られなくなった絶望だった。
 ――♪

 傷だらけ、シアー・シカリーにはもう何も残らない。
 嗚呼、けれど、歌だけは其処に残っていたのかもしれない。
 彼女はただ『歌』だけがそこにあった。手放さぬ様に紡ぎ出す歌声は絞り出す様で、不格好でしかない。
「美貌の歌姫殿。あの世で王子様に再開出来たら伝言を」
 そっと囁く義衛郎の切っ先が向けられ続ける。切り裂く様に、肉を断つ義衛郎とシアーの視線が克ち合った。女のベールが風に揺れる。長い髪がはらりと舞った。
「次は物騒な組曲じゃなく、天才指揮者の至極まっとうな演奏を聞かせてほしい」
 あの世があるなんか、解らないが、と小さく零すその言葉に女は目を伏せるのみ。
 その表情にユーニアは綺麗だな、と笑った。実際あったら『いい女』だと思った。横恋慕するではない、ただ、単純に『いい女』だと思ったのだろう。
「私は……歌姫、私はどんなに理想(ゆめ)が高く立って諦めない! だから貴女も恋を諦めないで」
 ミリィが言葉と共に放つ光がシアーの体を包み込む。輝く光の中、集中を重ねたヘキサが女の目の前へと踊り出る。
「――コイツで閉幕(カーテンフォール)だぜ! 食い千切ってやるぜッ! 兎の『牙』ァッ!」
 歌姫は目を伏せる。赤く輝く瞳から逃れるように目を伏せて。
 ケイオス、と名を呼んだ。
 
 恋情は常に甘やかであった。若かりし頃――大劇場で指揮棒を振るった未だ若い音楽家であった彼に焦がれ、彼の『女神』(ミューズ)になろうとした時にその胸が抱いた高揚感は確かなものであった筈なのだ。
 シアーという女がケイオスにとって確かに、その創作意欲を掻きたてる対象にはなったのかもしれない。あくまでそれは『芸術』の観点における視点でしかないのだ。
 彼から直接通告された訳ではない、只、傍に居る事を赦されていた事実からシアーが読み取った自分の存在意義であったのかもしれなかった。
 愛情を口にして、言葉にするたびに彼の心には己の望む形の情が無いのだと気付いてしまっていたのだ。それは恋や愛等と言う甘ったるい心情では無い。唯の空っぽの芸術の一部分。

 ――私は、貴方の為に……。

 その言葉を幾度口にした事か。それが彼女にとっての最大級の愛情表現であったのかもしれない。
 彼が死に魅入られる様に奏でるならば、彼の望む楽曲を全て奏で続けるのみ。
 良くも悪くもシアー・シカリーという女は普通すぎたのかもしれなかった。普通の愛情が、何時か逸脱に変わる事に女が有した時間は莫大なものであったのだろう。
「ねえ、貴女がケイオスや彼の楽曲では無く、この世界に恋してくれたら、良かったのに……」
 踏み込んだ至近距離。運命の輪(ルーレット)が回り続ける。蝶々が女の網膜すれすれに迫った時に炸裂する『死』を女は目の当たりにしたのだ。
 この世界に恋をして、普通に歌い続けてくれれば良かったのに。
「逝ったらあいつの傍で歌ってやれよ。あの世でお幸せに――なんて死霊術士には皮肉かな」
 笑った少年の言葉が女の耳にどの楽曲より響き渡る。こぽり、と水泡が音を立てた。
「……嗚呼……」
 言葉少なく、声が漏れて。
 瞬いた瞳は緩やかに揺らいだ。傷だらけ、己の脚で立つ事も叶わなくなった女の体がぐらり、と傾き、支えなく――壊れた柵を飛び越えて――壇ノ浦へと落ちていく。その様子を見て烏はまるで平家だと嘲笑った。嗚呼、けれど彼女の事は烏は『嫌い』では無かったのだろう。大指揮者に寄り沿い続けた歌姫。其れを後世まで語り続けてやればいい。
 血濡れの歌姫の髪からベールが滑り落ちる、抉れた体に美しさを喪った女は抵抗もせず、ただ、その身を波へと任せた。大きな音を立ててその体が波の中へと消えていく。水の中、手を伸ばし、最期の最期に女は『柔らかに』笑ったのだ。

 傍に居ても許されますか。必要にして下さいますか。私はお役には立てなかったのでしょうか。
 嗚呼、ケイオス――私のいとしいひと。

 漣がまるで彼女の歌声の様だとミリィは指揮棒を降ろし、じっと見つめた。
 閉幕は呆気なく、楽曲(プラン)の終わりに彼女の掌に残ったのは女が身に着けていた花細工。
 何時か、其れが彼女の愛した人からの贈り物で有ればいいのに、と淡い期待を口にしてゆっくりと自嘲する様に唇を歪めていく。
 彼女は海の魔女。魅了出来ないまま、一人の男を想い海に身を投げた哀れな女。
 誰かを好きになる事をユーニアは否定しない。誰かを愛する事だって子供であるユーニアには実感は無くとも理解はできる。
 ただ、愛した相手が悪かったのではないかと小さく笑んだ。歌姫が「私じゃダメなの」と泣いた事があるかは想像の域でしかない。嗚呼、けれどきっと彼女はそう思ったのだろう。
 私じゃ駄目なの、と。私なら貴方を幸せにできるのに、と。
 惚れた男が悪かったんだな、と零した苦笑は惚れられた男を否定する訳でも、彼に惚れた女を否定するわけではなく、ただ、純粋な感想だった。
「おやすみ、幸せなお姫様」
 彼女の脳内で賞賛する大指揮者の姿が浮かび、泡となって消えた。

 ざあ、と吹きわたる風がリベリスタ達の望んだ『生命の合唱』であったのだろう。
 もう歌声は響かない――

■シナリオ結果■
成功
■あとがき■
 お疲れさまでした。
 混沌組曲・追は追加公演の『追』と『終(つい)』をかけたものでした。
 歌姫に対しての心情、護るという意思、何処までも気合十分のプレイングばかりであった様に思います。
 混沌組曲の序から始まり、破、急と経ての追となりましたがここで歌姫のお話しはお終いです。
 お付き合い下さいまして有難うございました。
 関わって下さった皆様に感謝を。最期の演奏はとても素晴らしいものでした。

 お疲れさまでした。また、別のお話しでお会いできます事をお祈りして。