● 言葉が、錆びていくのだ。 君を助けに来たんだと手を伸ばした。 そんなの間違っていると何度も叫んだ。 未だ戻れると、必死に声をかけ続けた。 救えたものはあった筈だった。感謝の言葉を述べられた事も。己の役目に、誇りを持っていた筈だった。 けれど同じくらい。否。それ以上に。手から滑り落ちたものがあった。人殺しと罵られた事があった。 何かの為、だなんて綺麗な言葉を並べる偽善者だと、拒絶された事があったのだ。 失われたものの血を浴びる度、錆ついて行くのは刃では無く心だった。 手を伸ばす事を躊躇うようになった。 間違っているのは自分なのか相手なのかわからなくなった。 例え戻れたとして、それが幸せなのか何て自分に決められる筈も無かったのだ。 ● 「揃った? じゃ、今日の運命。どうぞ宜しく」 何時もの様に腰を下ろして。『導唄』月隠・響希 (nBNE000225)は資料を差し出した。 「今回あんたらにお願いするのはノーフェイス討伐。加えて、可能であればフィクサードの対応。……細かい事は資料見てね。とりあえず、大雑把に内容話すから。 まず、フィクサードについて。……厳密にいうと、『未だ』フィクサードじゃないんだけどね。名前は入江慧。 ジーニアス×破界闘士。実力も経験も中々のもので、……現状、アーク所属のリベリスタよ。面識ある人も居るのかしらね。真面目で優しくて、大も小も救おうとするタイプの人間。所謂、理想的な正義の味方、って奴ね。 彼は彼自身の信じるリベリスタの在り方を貫いていたわ。誰かを救い、踏み外しかけたものを引き戻し、そんな事は間違っているんだと声を上げ続けた。 ……難しい話よね。それって、間違ってないと思う。世間の常識に照らし合わせるなら、その行いは褒められこそすれ責められる必要は無いはずなの」 言葉が途切れる。乾いた紙擦れの音と共に、資料が捲られた。 「でも、……人の数だけ、価値観があって。譲れないものもあって、重ねた時間って奴があって。正しさは時々、何かを傷つけるものに変わったりするのよ。 彼は、それに疲れてしまった。罵られる事に、取りこぼす事。彼は割り切れなかった。割り切るどころか、それを見つめ続けてしまった。 最初は、多分やっぱり、そう言うものまで救う方法を考えていたんだと思う。でも、彼は怖くなってしまった。拒絶とか、罵倒とか。救いたかったものに、泣かれる事が。 考えて考えて、彼は絶望したの。当然よね、答えなんて無い。でも、彼は思ってしまった。自分のしてきた正義ってものは、こんなに簡単に揺らいでしまうものなんだ、って。 自分の行いは、もしかしたら全部無駄だったのかもしれない、って。……彼はアークを抜ける事にした。理由、分かる?」 予見者の瞳がリベリスタを見渡す。小さく、溜息を漏らして。知りたいのよ、と呟いた。 「彼は、エリューションもフィクサードも、迷わず殺したわ。倒すべき敵であるならば。でももし、自分の行いが無駄だったのだとしたら。自分は、彼らの何を否定して殺したのか、分からないでしょう。 正義だと思っていたものがそうでないのだとしたら。否定してしまったものが、本当は正しかったのかもしれない。……そう思って、彼は、知ろうとしてるの。 フィクサードの気持ちを。自分が、フィクサードになる事で。……今日、この後。とある町の交差点でノーフェイスが生まれるわ。車に轢かれそうになった子供を助けた母親が革醒するの。 彼は、フィクサードと取引をしてそれを助けるつもり。アークが討伐に来ることを予想して。だから、……最もベストなのはその『全て』の処理よ」 淡々と言い募られる言葉。資料を差し出して、予見者は僅かに肩を竦めた。 「最低ラインはノーフェイスの処理。妨害を掻い潜って、必ず片付けて欲しい。敵は、慧以外にフィクサードが5名。詳細はこっちにあるんで確認してね。 慧は、ノーフェイスを助ける事が出来たら、見返りにアークの内部情報を渡してフィクサード側に入ろうとしてる。それを、容認する訳にはいかないから。 ……それじゃあ、後は宜しくね。気を付けて」 ひらひら、手を振って。予見者はそのままブリーフィングルームを後にした。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:麻子 | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年04月23日(火)23:26 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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● 聞こえたのは怯えた泣き声だった。小さな手をいっぱいに伸ばして、母親に縋る幼い子供。それを視界の端に収めながら、『ルミナスエッジ』セラフィーナ・ハーシェル(BNE003738)は駆け出していた。 即座に現れる人影は幾つか。数える間もなく、敵をすり抜け引き抜いた刃。夜明けの一振りが残すのは銀の残像のみ。瞬きさえ許さぬ幾重もの剣戟が齎す絶対零度。真白い極寒の霧が敵を切り裂き、その血液さえも凍てつかせる。 迷いが無い、だなんて言えなかった。1を切り捨て10を救う選択が、常に正しい何て有り得ない。本当なら失われるものなんてあってはいけないのだから。零れ落ちるものを思って、優しげな瞳が微かに揺れる。 「……罪の無いノーフェイス殺す時は罪悪感で潰されそうになるよ」 小さな声。けれど、それでも。彼女はその剣を下ろさなかった。下ろせなかった。言葉を飲み込む。そんな彼女の横、常の朗らかな表情は仕舞い込み、滲み出した影を纏う『影なる刃』黒部 幸成(BNE002032)は感情の揺らぎを見せぬ紺色を僅かに細めた。 倒すべきもの。託された忍務。それが全てだった。それ以外を判断の基準に含めてはいけないのだと、彼は知っている。激情よりも冷静さを抱け。言葉より刃を研ぎ澄ませろ。彼が忍ぶ者である限り。それは揺らいではならない信条だった。 鈍い音と共に吐き出される鉄の塊。無骨な漆黒の拳を差し出して『アヴァルナ』遠野 結唯(BNE003604)は無感動に目の前の光景を眺めた。世界とは常に、自分の思い通りにならないものだった。そして、その世界と戦う以上、何かを奪う事になるのは常に必然だったのだ リベリスタもフィクサードも関係ない。選択する権利はあったのだ。覚悟を決めたのならば。選んだのならば。迷ってはいけなかった。受け入れなければならなかった。それが出来ないのは、奪ったものへの冒涜以外の何ものでもないから。 「……奪う事しかしない私が言うのもちゃんちゃらおかしいがな」 言葉はそれ以上続かない。彼女の視線の先で、桜の飾りが揺れた。動き出した敵を捕える呪縛の気糸が閃いた。血の色にも似た艶やかな着物が揺れる。『禍を斬る緋き剣』衣通姫・霧音(BNE004298)は物言わぬまま、手の中に収まる刃の、元の持ち主を思った。 全てを救おうとした存在。それは、誰しもがなれるものでは無かった。最初から最後まで何もかもを誰かの為に捧げ続ける事なんてきっと殆ど出来やしない。出来るのかと言われたら、霧音も回答に詰まっただろう。きしり、と握り締めた柄が音を立てる。 「――でも、私は、」 小さく呟いた言葉の先は無い。此方を見遣る慧と視線を交えて。少女は手慣れた様にその剣を構え直した。 ● リベリスタは正義では無くて、フィクサードは悪ではない。この世界に勧善懲悪のやさしいお話は存在しないのだと、『リコール』ヘルマン・バルシュミーデ(BNE000166)は知っていた。きっと、誰もが知っている事実なのだろう。世界は綺麗に二つに分かれてくれやしない。 正義が何かを奪い悪が何かを救う事がある。大義名分を奪い取れば残るのはただただ人を殺したという事実だけ。淡い、紫のラインが散った。高速で振り抜かれた脚が齎す鎌鼬が、護られ続ける子供ぎりぎりに叩き付けられる。咄嗟に子供を抱え込んだ母親を見詰めて、憤りを隠せない慧の顔を見遣った。 「しっかりお守りなさい入江さん。我々アークはノーフェイス討伐のためならその子を容赦なく切り捨てる」 きっと誰より良く、慧自身が知っているだろう。子供を狙えばノーフェイスは的になるかもしれない。そうでなくてももし邪魔ならば、アークは子供を救う事を諦める事を是とする事だってあるのだから。射殺されそうな程の、憎悪を含んだ視線が此方を向いている。それでも、ヘルマンは硬い表情を崩さなかった。 人殺しは悪い事だ。運命に愛されなくても、この母親は人間だ。幼子は護られるべき存在で、彼らには罪なんて無くて、ただ不運が重なっただけで。だからきっと、彼らを救わない自分達はきっと悪者で、救おうとする彼らがヒーローなのかもしれないけれど。 それでも。硬いままの表情に、僅かに浮かんだのは希望だった。守ってね、と。零しかけた言葉を飲み込む。彼の視界の端で、鮮血が飛んだ。結唯の身体を抉った鎌鼬。ぐらり、と傾ぎ融けていく意識の中で、小さく、嫌いだと毒づいた。ぶれて迷うばかりの男なんて、そんなものは。 そんな戦場の只中に、駆け込んでいた『0』氏名 姓(BNE002967)は、漸く手の届く所に来た母親を、子供を確りと見据えた。子供を保護させて欲しい、と言う姓の希望は慧たちの耳には届かず、ならばと駆け込んだ彼を止めようとする手は確かに存在した。けれど、即座にセラフィーナの放った閃光弾が、幸成の操り糸がそれを阻む。 屈んで、そっと視線を合せた。未だ自我の残る、けれどもう明らかに人の枠から外れた母親は、怯え切った目で姓を見詰めていた。 「奥さん、貴女はもうじき化け物になる。だから殺す。……貴女達にとって私は悪魔だよ」 しあわせを壊すのだ。もう戻れないからと言って。けれど、それでも。躊躇う訳にはいかなかった。子供を必死に抱き締める母親に、逃げないで欲しいと小さく囁いた。もしも、その愛しい子供を護りたいと、まだその心が思っているのなら。恐ろしくとも逃げないで欲しいのだと、只管に告げた。 「その子を救うには、貴女と――入江君、君の協力が必要だ」 肩が揺れるのが見えた。思う所があるのだろう。何も言わぬまま、けれど姓の邪魔に入らない彼を見遣って、そのまま、幼い子供に手を伸ばす。僅かに、母親の手が震えたのが見えた。泣き出しそうに、けれど明らかな母親の顔を保った彼女はそっと、未だ幼い子供を抱きしめて。 静かに、手が離れる。送り出す様に押された子供を受け止めて。姓は何も言わぬままヘルマンへと視線を送った。即座に蹴り飛ばされた車に、そっと子供を乗せる。怯えて、泣いて。母を求める小さな手を、そっと扉の向こうへと押し込んで。戦場へを見直した姓の視線の先。煌めくハイグリモアールが、齎す高位世界の癒しの烈風。 「前は殺したのに、その人は助けるんだ?」 緩々と、浮かんだ笑み。けれど『息抜きの合間に人生を』文珠四郎 寿々貴(BNE003936)の瞳は笑ってはいなかった。慧が関わったであろう事件を一通り。移動中に刻み付けた記憶を手繰りながら、寿々貴は煽るようにその瞳を細める。 確か過去に彼が対峙したフィクサードも同じ様な事をしていただろうに。それは殺したのに、自分はその上で生きていくのか。流れる様に紡がれる言葉と僅かな嘲笑に慧の表情が凍り付く。言葉と動揺を引き出す為のそれにかかる様子を眺めながら、何がしたいの、とはっきり嘲笑った。 「非難されて心折れて、その挙句否定した相手と同じ事するとかさあ。価値観の多様性何て今の日本じゃガキだって分かるってのに」 「……正義の味方なんてものは何処にも居ないんだと、諦めただけだ。その多様な価値観全てを救えない事を呪うのはそんなにもおかしなことか?」 冷やかな声音。己に正しさが無い事を理解しながらも、改めない意固地さ。呆れたように首を振った寿々貴へと、飛んで来た道化のカードはしかし、彼女に届く前に差し出された魔導書が弾き飛ばす。淡い紫の髪が、仄かに紅に色付いていた。『マグミラージュ』ソラ・ヴァイスハイト(BNE000329)は切れた額から零れる紅を拭い去り、戦場の先の慧と視線を合わせた。 子供を助け、ノーフェイスもフィクサードも彼も全て倒す。ベストを尽くすと決めた彼女の行動に迷いはなかった。同時に、慧への容赦も。声をかける事も、救いの手を差し伸べる事も、きっと間違ってはいないのだとソラは思う。けれど。 差し出した手を掴むだけでは、何も変わる事等出来ないと、知っているのだ。信念迷子の彼にどれだけ言葉を尽くしたとしても、此の侭ではきっと同じことを繰り返すだけ。だからきっと、一度此処で叩き潰される方がきっと彼の為になるのだ。 「フィクサードにはフィクサードなりの信念があるでしょう」 確固たるものを持てない彼じゃあ、何処に属したってきっと答えなんて見つけられない。研鑽された速度が生み出すもう一度。魔導書が、爆ぜる雷撃を叩きだした。 ● 大それた理由なんて其処には無かった。世界の為だとか大義の為だとか。己の力を綺麗に飾る言葉なんて必要なく。ただ只管に、自分の為なのだ。死にたくないから。喪いたくないから。 只管に自分本位で身勝手で。けれど何より人間らしいその答えを持って、ヘルマンは目の前の男を見詰めた。殺せる。それがどんな相手だったとしても。どれ程つよくやさしい、お母さんだとしても。 「わたくしはひとごろしです。躊躇ったりなんてしません。……それを選んだのは、自分自身だから」 心が軋む事が無い筈もなかった。痛くて苦しくて、けれどそれでも止まれない。止まらない。誰もが守りたいと願う、自分の世界を壊さない為に。誰かの世界を壊す事になる事を是としたのならば。 桜色の飾り紐が、風圧で舞い上がる。触れれば切れそうな程の気迫と太刀筋。雪崩の如く叩き込んだ刃に纏わる血を雑に払って、瞳を瞬かせた霧音は小さく、全てを救うなんて誰にも出来ないのだと囁いた。叶わないのだ。人の力には限りがある。二つしかない手は何時だって総てを救うには余りに小さく短いのだ。 「……それでも救おうと足掻き続けて、真っ直ぐに戦い続けた少女が居たわ」 もう居ないけれど。その生き様は眩しかったのだと紅の瞳は語る。生かす為に剣を握った少女と、生きる為に剣を握った少女。行いは同じであった筈なのに、これ程に眩しく思えるのは何故なのだろうか。何処までも救う事しか望まない幸福論が、自分では到底謳えないものだからとでも言うのだろうか。 同じように貫けとは、言うつもりが無かった。言える筈も無かった。視界の端で、倒れるフィクサードが見える。支援に特化した存在から潰していくリベリスタの作戦は恐らく最も的確なものだったのだろう。目減りした敵を視界に収めて、漆黒の卒塔婆をくるりと回した。ぴん、と幾重にも伸びる不可視の気糸を敵へとばら撒いて。姓は僅かに、その眉を寄せた。 救えるのならば、救いたいと願うのはきっと自分を含めた誰もが思う事なのだろう。見捨てる事が辛い事もきっと同じ。けれど、その先はきっと人それぞれなのだろう。 「それ以上にこんな不幸が増えて、同じ目に合う人が増えるのが嫌だ。……それが私の答え」 きっと答えは幾つでもあるのだろう。そして、それが正しいのか間違っているのかの答え合わせは、結局都合次第なのだ。互いに噛み合うか否かで決まってしまう、その場限りの自己満足と他者理解。そんなにも不安定なものなどきっと、彼の求める何かにも、自分が持ち続けるべき何かにもなり得ないのだから。 「まずは自分の答えを見つけなよ。他人の価値観は自分の物にはならないよ」 「その、不幸を減らす為に犠牲になるものを如何したら良い。全てが救えないのだと諦めて、その先にあるのはなんだ!」 淡々と。紡がれる言葉に迷いはなかった。姓と言う存在が持つ自分だけの答え。揺らぎのないそれに首を振るばかりの慧を見遣りながら、ソラを掻い潜った刃に運命を飛ばされた寿々貴はそれでも、緩々と笑う顔に嘲りを含む事を止めなかった。 「その人さー、仕事関係者の非難が嫌になって逃げ出してんだけどー」 そんなヘタレがアーク全部を敵に回す覚悟を持っていると思うのか。どうせぎりぎりで逃げるよ、と鼻で笑えば明らかに数を減らしたフィクサードは、僅かに迷う様にその視線を動かした。 どこもかしこも迷いだらけ。跳ね飛ばされた身を起こして、開いた魔導の粋。ソラの唇から零れ落ちる力在る言葉が、魔力の質を変える。激しく爆ぜる紫電が戦場全体を駆け抜け、ノーフェイスの身さえも焼いた。痛みにのたうつそれを見るだけで、セラフィーナの心は軋む。奪いたくないものだった。けれど。 飲み込み、刃を構えた。零れ落ちる七色の太刀筋は姉が教えてくれたものだった。きっと。姉もこの手を止めなかっただろう。正義だとか、世界の為だとか。そんな事では無くて。 「私がリベリスタを続ける理由は、きっと手の届く誰かを救いたいから。身近な人や大切な人を守りたいからです」 零れ落ちたものが多くても。それでも確かに救えたものがある。だから、セラフィーナの足は止まらない。刃は曇らない。例えばもしも、大切なものが切り捨てられる存在になったとしたら。きっと自分はフィクサードになるだろう。けれど、それでも彼女が刃を握る理由は変わらないのだ。 何処までも美しい言葉を支えるのは大義名分でも崇高な志でも無く、同じくらい強い心なのだろう。だから、彼女は迷わない。夜明けの色に似た、細い金髪が肩を滑り落ちる。 「入江さん、貴方も救いたい人を救って、守りたい人を守ればいいんです。その信念を持って貴方がノーフェイスを守るなら、全力で相手をしましょう!」 そうでないのなら、邪魔をするな。言い捨てて、刃を構え直した。痛みに苦しむ母親が殺すであろう誰かを、今も尚泣き続ける子供を救う。この手が届く限りの全てを、救う事。それが自分の目指すリベリスタの姿である限り。 「何もかもだ、誰も彼もが泣かない世界が欲しかった! それが出来ない事に気付いて、俺は如何すれば刃を下ろさずに居られたんだ!」 血を吐き出すような、声だった。握り締める刃は血と傷で曇って。まるで、折れて道を見失う彼自身の様だと幸成は思う。散々斬り捨てたものの心を知ろうとするのなら、それは否定する事では無かった。心が折れ道を見失う事等、誰にだってあるのだから。 「だが……これまで失われてきたものを。その中でも確かに得られてきたものを。……己を、否定することだけは赦されぬで御座るぞ」 培ったものがある筈だった。失わずに済んだものが。同じくらい、零れ落ちて行ったものが、削れていったものが。剣を握って歩き続けた、自分と言うものが。消せない軌跡を否定するのは逃避以外の何ものでも無かった。選択の権利は誰もが持っていて。権利に常に伴うのは責任。 己の足が、手が、刃が齎した結果をすべて投げ捨てるだなんて、そんな事は許されて良い筈がないのだ。幸成の目の前の敵が、崩れ落ちる。もう、立っているのは慧とノーフェイスだけだった。 ● 唇を、噛み締めた。鮮やかな紫の瞳が揺れたのはほんのわずかの暇だけ。軽い足音だけを残して、振り抜かれた足が捉える細い首。内側から爆ぜるそれが、母親の命を奪い取る。ぐらり、と細い身体が傾いだ。光を失いゆく瞳は、最期まで我が子の居るであろう車を見詰めて。小さく、囁いたあいのことばはヘルマンだけにしか聞こえなかった。 戦場が静まり返る。呆然と、顛末を見守るばかりだった慧が何も考えたくないと言わんばかりにその刃を振り上げる。叩き下ろされたそれをかわして、たまに思いますよ、と小さく告げた。全て投げ出して。目の前の人を救えるのならそれはどれ程しあわせだろうか。 「でも、そしたら、わたくしがこれまでに殺した人たちはどうなるんですか」 その時救ったなら。如何してその前は救わなかったのか。その前の前は。全てを否定してしまうたった一度の行い。ひどい裏切りだと、首を振った。己を護る為だけの救いの手。そんなものを、差し出してはいけないのだとヘルマンはもう知っている。 「――ひとごろしは最後までひとごろしじゃないといけないから」 吐き出した声は、酷く重いいろを含んで居た。疲弊し切った慧が首を振る。もう聞きたくないと言わんばかりの彼へ、伸びたのは不可視の気糸。行動を縛り上げるそれに、膝が折れる。もう何も分からないのだと、殺してくれと血を吐く様な声が告げても、指先から糸を断ち切った霧音は首を振る。 「ねぇ、入江慧。何が正しいかじゃないのよ」 彼が如何したいのか。護りたかった理由は何なのか。忘れてはいけない感情が其処にはある筈だった。例え今揺らいで居るのだとしても、彼が彼である限り、軌跡は、足掻いた事実は消えたりしない。逃げてはいけないのだと、リベリスタの瞳は語っていた。それぞれが己の答えを持って。恐らく傷付き、その足を止めたくなることがあるのだろうけれど。 それでも。見つめ続けた筈のものから、目を離して良い筈は無かったのだ。ぷつり、と慧の意識が途切れる。血の香りだけが残る戦場で、静かに忌むべき名を冠す暗器を収めた幸成は、僅かに瞑目する。背負うものは重かった。傷と痛みと涙と怨嗟と。幸福より重く冷たいものばかりを背負わねばならない道だと知っていた。 「……全てを抱いた上で耐え忍ぶで御座るがね」 自分が、自分と言うものである限り。捨てられない重荷は、今日も酷く冷たかった。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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