● おかけになった電話は現在――酷く無機質な女性の声が、耳元で聞こえた。 真っ暗な部屋でぼんやり光る液晶。午前3時、少し過ぎ。繋がらないそれを、静かに置いた。 暗い部屋は静かで。触れないままの液晶が消えれば、すぐに何も見えなくなる。 嗚呼もう飽き飽きだ。愛だの恋だの思い煩うのも。甘ったるい未来を夢見て笑うのも。 恋に恋する女の子に教えてやりたかった。恋愛なんてそんな憧れてしまうようなものなんかじゃないのだと。 砂糖菓子みたいなお綺麗な恋が出来るのは、やっぱり特別可愛い女の子だけなのだろう。 恋して愛して支え合って、泣いて笑って、でも、やっぱり幸せな恋なんて奴は、きっと。 好きだとか、愛している、だとか。大切に囁いていた筈の其れが澱んでいく。 結局全て自分の為なのだろう。 辛くて寂しくなれば傍に居て欲しくて。気が向かないなら放って置いて。 可愛らしく甘えて来るなら甘やかして。面倒な泣き言は聞き流して。 欲しいもの以外要らないのだと、言葉の外で言われているようだった。 聞き分けのいい。都合のいい。砂糖で塗り固めたような女の子しか、要らないのだと。 手を伸ばした。何も掴めなくて、虚しくなった。そう、もう、虚しいのだ。疲れたのだ。 甘えていいよと抱き締めてくれる腕が次は何時離れるのかと考えるのなんて、もう。 寝転んだ。眦から零れる温いものも、そろそろ枯れてしまえばいいのにななんて思いながら、目を閉じる。 ――都合のいいものが欲しいのならお人形でもお買いになったら? なんて。 言えてしまえばどれ程楽なのだろうか。 ● 「……揃った? じゃあ、今日の『運命』。どうぞ宜しく」 机に並んだ資料。『導唄』月隠・響希 (nBNE000225)は何時もの様に椅子に背を預けて手をひらつかせた。 「今回のお願いは、とある一般人の生存、及びアーティファクト処理。……まず、アーティファクトの説明からするわね。 識別名『ディオラマラヴァー』。綺麗なフルーツの砂糖菓子みたいな見た目で、瓶詰め。これ全部アーティファクト。まぁ、ちょっと特殊な効果を持ってる。 ……まず、これを摂取した対象は『お人形』になる。言葉も行動も人形の『持主』の思いのまま。姿さえもオートクチュール、ぜーんぶ望み通りに変えてくれるわ。 因みに人形の『持主』はアーティファクト所持者が任意で選べる。欲しい人間に取ったらものすごく魅力的なのかもしれないわね。 届かないものを手にした気分になれるし、自分の意に沿わない事は一切しないんだから。……まぁ、あたしにはそれが魅力的にはいまいち思えないんだけど」 此処まで良い? と上がった視線が問う。頷く顔ぶれを確認して、手元の資料が一枚捲られた。 「これの所有者、麻倉渉は、この効果を恋人の為に使おうとしているわ。……大好きな恋人の為に『都合のいいお人形』を与えてあげる為に。 まぁ、恋愛の縺れよ。素敵な恋に憧れて、蓋を開けてみたらすれ違いなのか、本当に都合よく扱われてるのかは知らないけど。まぁとにかく、彼女は分からなくなってしまったんでしょうね。 自分である必要があるのか。都合のいい女の子なら、誰でも良いんじゃないか、って。そんなの、相手の子にしかわからないんだけど。それを確認するのって怖いでしょう。 一人で考えて思い詰めて、彼女は選んじゃったのよ。何処かで手に入れた、魔法の砂糖菓子を使って。彼が欲しいだろうものをあげようって」 もうたくさんだと、少女は思ったのだろう。こんなに悩むばかりで、傷を負うばかりなら。繋いだ手だって離してしまえば良いと、思ったのだろう。 難しい話ね、と、フォーチュナは一つ溜息を漏らした。資料を辿る指先が、一度止まる。 「あんたらに向かって貰う時点では、まだ渉は『お人形』と一緒に空き教室で彼を待ってる。彼は用事があるらしくて、しばらくの間は来ないわ。 だから、その間に決着をつけて欲しい。……『お人形』は元は全員普通の女の子だけど、アーティファクトの効果でフェーズ1エリューション並みの戦闘力を得ているわ。 但し、身体はただの一般人に過ぎないから。あんたらの力なら簡単に殺せてしまう。アーティファクトさえ如何にかすれば元には戻るから、……まぁ、出来れば犠牲は少なめにお願いするわ。 あんたらには、『お人形』を如何にかした上で、アーティファクトの処理をして貰わなきゃいけない。当然、渉は『お人形』の『持主』をあんたらにするでしょうね。 相手にするのは、望む言葉を、望む行動だけをとってくれる、望む相手よ。……振り切って、アーティファクトを処理して頂戴。渉は普通の女の子だから、手さえ届けば奪うのは難しくないでしょうから」」 話は以上。言葉を切って、フォーチュナは人数分の資料を丁寧に並べ直した。 「恋愛ってね、甘くて優しいものじゃないと思うのよ。そういう時もあるだろうけど。多分、息が苦しい時の方が多いわ」 上手く行かないものね、と呟いて。ひらひら、リベリスタを見送る様に手が振られた。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:麻子 | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 6人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年04月15日(月)23:19 |
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■メイン参加者 6人■ | |||||
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● 恋愛が甘いだけだなんて幻想を抱いていた思春期は、とうの昔に終わっていた。教室の扉を開けた『境界の戦女医』氷河・凛子(BNE003330)は思う。 それでも恋をしていた。それが甘やかなものである様に見えるのか如何かは分からないけれど。 そんな彼女に視線を向けて。複数の少女たちの真ん中、少女は緩やかに、首を傾けた。だぁれ、と漏れた声は泣き過ぎて枯れていて。イヤホンを外した門倉・鳴未(BNE004188)は翠の瞳を細めてコンニチハ、と告げた。 「……ちょいとお説教の時間スよ」 好きな相手が、望むままの言葉や反応ばかりをくれるなんて有り得る筈がないのだ。望み通りなんて望めない。けれどだからこそ、人は人を好きになろうとして、好かれようとするのではないか。それを彼女は知っているのだろうか。 そんな事を思って視線を合わせれば、悪い事なんてしないわ、と。少女は短く呟いた。前髪に隠れた、紅く少し腫れた瞳が何も言わぬままに瞬きを繰り返す。夢を見ているのではないか、と凛子は小さく首を振った。 「貴女、現状は本当に相手のせいですか?」 「――私が悪いのなら、きっと彼が欲しいのは本当にお人形さんなんだわ」 泣き言を言わず、全てを受け入れ、適度な愛情と優しい言葉ばかり言う様な子なんだろうと、少女は酷く冷めた笑い声を漏らす。動き出すお人形が、それぞれへと手を伸ばした。 ● 送るばかりで返らない、一方通行の恋情。向け続けるそれは心を緩やかに蝕んでいく呪いのようだと、『運命狂』宵咲 氷璃(BNE002401)は思う。目の前の姿は常と同じで。だからこそ心が抱くのは、濁りそうな感情だった。 ほんの、一言。ほんの一瞬だっていい。此方を見て欲しかった。そっと伸ばした手を掴んでくれたら。想いが伝わっているのだと、一方通行でないのだと真摯な言葉で教えてくれたなら。 「――それだけで報われるのに、ね」 吐き出した声は、何処か熱を持って居た。凍り付かせていた筈の心は、目の前の彼が溶かしてしまったのだ。氷璃、と名前を呼ぶ声は優しくて。 「――今まで寂しい想いさせてごめんな」 彼は名前でなんて呼んでくれないのだ。何時だって、お前、と氷璃を呼ぶ。本名は教えていないけれどせめてこの名で呼んで欲しかった。誰にでも思わせぶりな事も知ってるけれど。名前さえ呼ばれぬ今はまるで言葉を交わす相手が自分でなくても良いと言われているようで。 「永遠なんて如何にでもするから俺と一緒に居ろよ」 少しだけ、寂しいのだ。瞬きをした。消えない、己が望むままの彼は其の儘此方に手を伸ばして氷璃の手を取った。優しくて、けれど少しだけ強引な手。その手がその身体が刻む時は止まらない。 生きる世界が違うとでも言えば良いのだろうか。何もかもが添わない彼と自分の間に永遠は存在しない。時を止めた氷璃の持つ永遠はあまりに長く、その全てを差し出す様な愛は約束出来ようも無くて。例え誓えたとしても、彼には必ず終わりが来るのだ。 嗚呼だからこそ。自分が彼に誓うのは『有限の永遠』。死が二人を別つまで。どちらかに、否、両方に。終わりが訪れるまでは必ず自分は彼のものだと。結んだ小指の糸を差し出すだけの誓いを厭う事は無かったけれど。 そこに、期待が存在していなかった、だなんて。到底言える筈も無かった。融けてしまった心を硝子箱に詰めて固めて蓋をして。けれどその中身は呆れてしまう程に弱いままだった。強がりで凍らせ保ち続けた心は綻んで、どうしようもなく胸が苦しくなる様な痛みを伴うのだ。 「貴方と永遠を誓えたらどんなに素敵な事かしら」 手と手を繋いで。本当の永遠を誓えるのならそれはどれ程幸せだろうか。けれど。掴まれた手を、そっと離した。あんまりにも、物足りないのだ。望みの儘に動き続ける彼は理想の様で、けれど愛すべき彼には程遠い。 まるで、アルコールの抜けたワインの様。ただ甘いだけのそれを、氷璃は望まない。 「……私の沙織は、もっと刺激的なのよ。偽者は消えなさい」 ふわり、と開かれた夜の天蓋が、此方を見詰める彼の視線を遮る。解ける様に少女の姿に戻った人形が、地面に座り込むのが見えた。 柔らかな、茶色の髪が見えた。円く綺麗な翠の瞳。手を繋いで寄添って。ずっと、互いに支え合う、いとしいいろだった。何時もの様に笑う彼女が自分を呼んで、手を繋ぎたいと頬を染める。けれど『てるてる坊主』焦燥院 フツ(BNE001054)は手を差し出さなかった。 望む言葉を、望む行動だけを取ってくれる、望む相手。これは、そう言うものだ。けれど。 「そんなのはなァ、ぜんっぜん、嬉しくねえんだよ!」 最愛の彼女が居るのだから。その深い愛情は、同時に枷でもあった。愛しい姿。愛しい声。悲しそうに表情が歪んだ。 「フツ、好きだよ。どうして『同じ』なのにあひるじゃ駄目なの?」 全てが同じで自分の理想の彼女であるのなら。どうして目の前の少女では駄目なのか。問いが足を止める。振り切ろうと印を組んだ。常に抱き続ける想いをぶつける様に。 「オレはイケボだからな、『持ち主』にしたくなるのはわかる。わかるが、お断りだ――!」 広がる呪印。容易く少女を拘束したそれはけれど、フツの心を縛る少女の瞳を逸らしてはくれない。すきだよ、と囁く声が耳を擽った。 ● 赤銅の瞳が此方を見ていた。センセ、と呼べばそれは僅かに微笑んで鳴未クンと、名を呼んだ。講師として、フォーチュナとして。幾度も顔を合わせたその人。好きな、相手だった。望みたかったのかもしれなかった。言葉を、その先を。 けれど鳴未は首を横に振るのだ。目を、見る事は出来なかった。視界の端で長い爪が飾る指先が差し出されて、それでもその手は掴まない。掴めない。 「あーあーとっくに諦めてんだよ、俺は」 知っている。分かっている。この恋はもう叶わないものだった。寄添い合う姿を知っている。似合いの相手だと、思ったのだ。だから憧れは憧れの儘呑み込んで。淡い感情は諦めで蓋をした。そうすべきだと、思ったのだ。 何も望みたくなど無かった。こんな形で叶えて欲しいとも思わない。例えばこうして差し出される手を取ったとして。その先を望んだとして。それが叶えられたとして。それがどれ程幸福であっても心は澱むだろう。罪悪感と言う名の棘は必ず残る。 だから。拳を握りしめた。鳴りっぱなしのプレイヤーが歌う在り来たりの悲しいこいのうた。意味なんて無いのだ。感情が伴わないのなら。これが、本物の彼女でないのなら。お人形が何を言っても、其処に意味は生まれない。 甘く優しく、好きだ、と囁く声を。触れかかった指先を。振り払って、真っ直ぐに視線を合わせる。もう迷いなんて残っていなかった。 「……俺は青二才だけど、甘いユメに縋れる程青かねぇよ!」 我儘を押し通せるほど子供では無くて。全てを割り切れる程大人でもないけれど。それでも自分の中の感情を裏切りたくは無かった。予見者の顔をした人形が小さく笑う。溶ける様に纏った外装が溶け消えていった。 砂糖みたいに甘いと思っていた、こいのはなし。けれど本当は珈琲以上の苦さが勝ることを教えてくれた、愛おしい子がいた。大切な大切な、たったひとりの女の子。目が合うだけで嬉しそうに笑う顔に『ピジョンブラッド』ロアン・シュヴァイヤー(BNE003963)は胸を締め付けられるような感覚を覚えた。 ロアンに、尊敬と愛情を向けてくれる彼女は知らないのだ。自分が、本当はとても臆病で無力で。優しいばかりじゃなくて。そんなに、彼女のあこがれを一身に受けられるような存在では無い事を。そんな、凄い奴ではないのだと、小さく声が漏れた。 けれど。そんなロアンの前で笑う彼女は優しく、何もかもを包む様に抱き締めてくれるのだ。伸びた手が背に回って、そうっと、撫でる小さな手。 「だいじょぶだよ、みんなみんな、受け入れてあげる」 罪悪感も劣等感も何もかも。ありのままの貴方を。受け入れる、と差し出された手は甘美で、魅力的だ。何処までも優しい、言ってしまえば自分にとって何より『都合の良い』彼女。小さな背を包みかけて、けれどロアンは首を振った。 そうではないのだ。自分が望むのは。愛するのは。自ら考えて、感じて、その想いのままに動く彼女だ。その在り方がロアンの心を引き寄せたのだから。ロアンさん、と呼ぶ声は優しかい。きっと、この背を抱きしめた先の世界もやさしいのだろう。 痛みなど存在しない、甘いだけのこいがそこにはあるのだろう。けれど、それは望むものではないのだ。この手を離して。本当の彼女が自分を拒んだとして。それでも。 「――『君』を守る為に強くありたいと、思ったんだ」 ちっぽけな自分は、臆病な自分は嫌だった。まださようならと手を放すには、この心はあまりに脆いのかもしれないけれど。大丈夫だと自分を騙してでも。ありのままの彼女の手を取りたかった。 強烈に苦いばかりの珈琲も、結構良い、なんて。思えるのは隣の手の先が彼女であるからだ。 「さあ、悪い夢から目を醒まそう。……ごめんね」 ばちりと爆ぜる音。其の儘崩れ落ちた少女を見詰めて、ロアンは僅かにその瞳を細めた。 ● 理想があった。落ち着いて、そつなく自分の手を引く大人の男。まだ少年と言うべき凛子の恋人には無いそれを、けれど体現した様に振る舞う彼を見詰めて、凛子は戸惑う様に目を伏せた。女であるのだと、自覚してしまう様な言葉は胸をときめかせる。 緩やかで優しい二人の関係にはないそれは、ほんの少しだけ憧憬を覚えるものでもあるけれど。凛子は、心の何処かでそれを受け入れても居た。理想と、現実は違うのだ。凛子が選んだ少年は理想では無くて。けれど、その心が感じるのは確かな愛情だ。 先はまだ見えなかった。理想が現実になる可能性が無い訳では無くて。遠い未来、少年が大人になった時を夢見る心と、今は未だそれが遠い事への僅かな感傷。その両方を抱いて、凛子は首を振った。 「だからこそ、貴男は私の好きなった人でないのですよ」 酸いも甘いもあわせて恋なのだ。思い浮かべる。少しだけ幼くて、けれど一生懸命に自分へ好意を伝えてくれる少年。幻想よりも、愛おしいと思える姿。表情を、僅かに緩めた。 「……甘い夢はここまでです。私は、お人形は欲しくありませんから」 今の自分が本当に欲しいと思うものは、もうこの手にきちんと持っている。心は揺らがなかった。視線を逸らした凛子の前で、少女に戻った人形が崩れ落ちたのが見えた。 運命は何時だって気まぐれだった。優しく手を引いてくれた誰かと自分を容易く別ったのもきっとそう。自分とよく似た、けれどもっとちいさな少女の姿を見詰めて、『囀ることり』喜多川・旭(BNE004015)はだれ、と囁いてけれどすぐに緩々首を振った。 知っていた。誰よりも。とおいひ。竦む足を捨てたあのひに忘れてしまっただれかのこと。喪うまで、自分の世界のすべてだと信じて疑わなかった少女のこと。 「大好きだよ、ずっと一緒にいよーね」 幾度も幾度もかわした言葉。 「旭ちゃんがわたしを見殺しにしたなんて思ってないよう。怖かったんだもんね、仕方ないよ」 聞きたかった言葉。けれど、もう聞く事が出来ない言葉。 彼女はもう居なかった。あかかった。大好きな色が大嫌いなおわりのいろと同じになった。本当に怖かったのは間近に迫る危険だったのだろうか。ちらつく記憶に、鮮やかな翠が揺れる。こわかった。たすけて、と叫んだ声が。恐怖が足を縫い止めて。怨むような瞳が此方を見ていて。 堪らなく怖かったのだ。眼鏡を外して、黒い髪は柔らかな茶に変わって。もう居ない彼女を何処かで追いかけ続けた旭の胸が抱く罪悪感。其れも何もかもを、優しく許してくれる目の前の姿。縋りたくて、けれど駄目だと拳を握る。 「――それじゃ、だめなの」 変われなくなってしまう。どうしようもなく声は震えた。何も出来なかった自分が嫌だった。此処で縋ればもうきっと歩けない。弱い心は要らなかった。友情とも恋とも区別がつかなかったけれど。今は、すきなひとがいた。今も同じ場所に居る、大切な人が。 自分だけしあわせになる、だなんて彼女は許してくれるのだろうか。分からなくて、でも。彼女とかわした誓いに、死ぬまでくらいは。あの誰より愛おしいひとを、想う事を許して欲しかった。竦みそうになった膝に力を入れる。少女が笑っていた。もう会えない筈の、大事な彼女が。 「……こんな形でも、また会えてうれしかったよ」 歩かなくちゃいけないから。ばいばい、と小さく告げた声は、もう震えて居なかった。 ● 広がる不可視の壁。辛うじて人形を振り切ったフツは、組んだ印を解いて真っ直ぐに少女を見詰めた。 「お前がそれを使おうと思ったのは、男のせいなんだよな。そう考えると、オレはお前を説得できる気がしねえ」 だからフツは何も言わない。もしもの時に、手を下す事だけがきっと、自分に出来る最善だった。もしもが無い事を祈っているけれど。そんな彼の横、状況を見つめ続けた鳴未は小さく、望むままなんてないと呟いた。 恋を続けるのに必要なのは努力だ。頑張るしかないのだ。好かれる様に、好きになれる様に。それはきっと常に変わらない。 氷璃の手が伸びる。きっと彼にお人形を渡したところで、この少女は満たされ等しないのだろう。それは結局、何の解決にもならないのだから。怯えた様に身を引きかけた少女に鳴未はなあ、と声を張る。 「本当にお人形が欲しかったのはどっちだ? 本当に幸せな恋がしたいならよ、まずはソレを卒業しようぜ」 「……お人形で良かったなら私がこれを使えばいいじゃない、そうよ、そうすればきっとしあわせだもん!」 伸ばされた氷璃の手を振り払って。少女は零れ落ちる涙も厭わず鳴未を睨み据えた。声は酷く引き攣れて居て。それでも言葉は止まらない。否定は届く筈の言葉さえ遮る壁だ。無理解から紡がれる言葉は人の心を傷つける。 何にも知らないのはどっちだと、少女の瞳が言っていた。人の数だけ心があって。通わせるには何より理解が必要であるのに。如何して彼女が自分のお人形を作らなかったのか。その答えを囁いたのは、旭だった。 「――ほんとの悠太さんが好きなんだよね」 囁く様な声に、少女の瞳が瞬く。不安で仕方なくて、けれどそれでも好きなのだろうと、旭は言葉を繋いだ。彼女はお人形を作らなかった。寄り添いあう恋愛を叶えるであろう恋人の人形を。それは、きっと彼女の心の証明なのだ。 たった一人だけ。行動の裏側にある感情を掬い上げた少女は、そっと、自分の胸に手を当てる。 「お人形遊びはひとり遊び。恋にはならないって分かってるんでしょ?」 自分が居て、誰かが居て。互いの心があって。だからこそ関係が結ばれていく。すきだとか、あいしてるだとか。しあわせな言葉ばかりを並べるおままごとを少女は望まなかったのだ。目の前の、真っ赤になった瞳が揺れていた。しりたかったの、と囁く声は最初よりもっとひどく掠れていて。 ぼろぼろと、涙が零れ落ちていく。望み通りの人形を彼にあげて。彼は何と言うのだろうか。この方が良いと言うのだろうか。そうでは無くて、自分が良いと言ってくれるのだろうか。稚拙な愛情確認はけれど、思い詰めた少女の最後の希望だった。もういやなの、と漏れる泣き声に、だいじょぶだよ、と旭はわらう。 「ひとりで不安なら相談乗るよ。聞くのが怖いなら一緒に行ってあげる」 だから、もうやめよう。其の声は暗い夜の帳の端を僅かに染める陽光にも似て。少女の手が震える。差し出された手に嘘は無かった。見ず知らずの自分に、こんなにも優しく差し出される手。迷う様に彷徨う少女を見遣って。 「人は人形じゃないからこそ、相手が望まない事もするでしょう」 穏やかな、アルトの響きが空気を揺らした。人は人であるからこそ意思を持つ。人を傷つけてしまうのも愛してしまうのも人であるから。傷つきたくないと己を偽り人形を差し出すのならと、凛子は囁く。 「言葉では納得できないかもしれませんが、確認しては如何ですか?」 己の納得いく方法を。そんなの怖い、と首を振る少女の手に重なる旭の手は優しかった。旭の隣、整った面差しに優しい笑みを乗せたロアンは、彼は君を大事にしていないよと、小さく告げた。 「はっきり言ってやるのもいいし、一発ぶん殴ってもバチは当たらないさ。今まで苦しかった分、ね」 けれど。その道具だけは手放して欲しいのだと告げた。彼女自身を、そして多くの人間を不幸にするものだから。悲しみしか齎さないそれを戸惑う様に見つめる少女と、視線を合わせる。 「それにね。お人形を作ってあげた所で、君は都合のいい可哀想なお人形のままだよ」 確かめたとして。彼はきっと何も変わらないだろう。彼女の想いに気付かない儘だろう。哀しい結末を知っているロアンはだからこそ、幸せになる為にはそんなものは不要なのだと手を差し出す。目の前の瞳が揺れて。零れ落ちたケースをそっと受け止めた。答えをきくのがこわい、と囁いた少女の肩を、そっと旭が抱く。 遠くで、帰って行く生徒達のざわめきが聞こえた。彼女の恋はどんな風に変わるのだろうか。答えはまだ見えなくて、けれど、齎される筈の最悪だけは、もうそこには存在していなかった。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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