●正義氾濫 目の前で起きていた事実を理解するまでに、少女はたっぷりと三十分の時間を要した。 放心したまま、加えてその身を包む衣類が無残な体を示し、然し治安の良し悪しに関わらず彼女が襲われる憂き目に遭わなかったのは、その足元と残された薄布にたっぷりと浸されたどす黒い赤のせいだろう。 がたがたと、未だ震える体を支えようと壁に手を付く。ぬるりとした感触が、その手を掴んで崩れ落ちるよう誘い込む。 立てない。 絶叫で人を呼ぼうにも、か細い呼気しか漏れ出てこない。 助かったはずなのに。助けてもらったはずなのに。何故、ここまで喜ばしくないのだろう。 何故、貞操を守られたはずの自分はこうも死の恐怖と向き合っているのだろう。 誰も答えてはくれない。何故なら、足元に拡がった染みには細切れになった人体。その中の眼球と目が合い、ぎょろりと蠢いた様に見え、初めて少女は叫ぶ。 絹を裂くような? いや違う。すり潰された鉄同士が響きあうような、狂った音階で。 脳裏に浮かぶのは、よれたスーツを直しながら足元の肉塊に話しかけたあの男。彼は確かに、「正義」と。「リベリスタ」と、名乗った気がした。 狂気に浸された少女には――常人には、与り知らぬ単語である。 ●リベリスタ、という名 「いやぁ、正義を為すというのは素晴らしい! そう思わないかい?」 「まあ、そうですね。そこまで元気だと私としても見ていて清々しくあるのですが……派手に『正義』を撒き散らすと色々騒々しいのですから、適度にお願いしたいものだ」 爽やかな男の笑顔にはしかし、頬にべったりとついた朱が禍々しい。だが、それを『男』は見咎めない。 それが当然になりつつある以上は、彼とて十全たる革醒者として成長しつつある、ということなのだろうから。 「それにしても」 男は、再度そのスーツ姿の相手を見やる。 こうして元より持っていた特性に一点の狂気を宛てがい、アーティファクトによってそれを加速させた例というのは一度ではないが、しかしこの男は本当に楽しそうに人を殺す――そう思った。 「我々は『フィクサードとしての正義』を執行したいのです。それを成しながら『リベリスタ』と名乗るのは」 「言うなよ。正義とは『リベリスタ』だと言ったのはお前だろう? 正義でなくては、『リベリスタ』でなくては」 ここまでに称号にこだわるというのも、何とも言い難いものである。そんなものなど、取り立てて彼を評価するに値するものではないというのに。 「兎に角。貴方のことは信用してますが、『ザ・ロスト』にだけは呑まれぬよう。それと」 「『モート』は既に他の連中で試してるんだろう? 俺だって感覚は掴んだんだ、問題ない」 手を軽くかかげ、掌中のそれを握りこんだ相手を見て、やれやれと男は首を振った。 ニット帽の中は見えない。無間の闇だ。――ただ、明らかなのは唯一無二に、ある種の愚弄すらも内包したその口元だけだった。 ●欺瞞を絶つ刃 「モート。ウガリット神話の炎、死、乾季の象徴神であり、豊穣神バアルと対をなす神ですね。一介のアーティファクトに付く名にしては随分と大仰かと思いますが……その性能を鑑みれば、まあ強ち誤りではないでしょうね」 「物騒すぎる。というか、暴漢を皆殺しとかちょっと勘違いした覚醒者にありがちなタイプじゃないのか?」 「それだけなら可愛いものだと思うんですけどね。どうやら、この男性……『伏神 黒瀬(ふしがみ くろせ)』の背後には何らかのフィクサード、ないし組織が関わっている痕跡が見られます。それが、先ほどのニット帽の男性ですね」 事件現場の映像、万華鏡による観測、そしてその一部のズームアップ……と映像を切り替えながら、『無貌の予見士』月ヶ瀬 夜倉(nBNE000202)は言葉を続ける。 「この外見をした男性がフィクサード、ないしノーフェイス関連の案件に関わってきた回数は決して少なくはありません。共通項としては『正義』を殊更に語る系統であることと、アーティファクトの保有が相応に在ると思われること。そうでなければ、今までの件は実現には至らなかったでしょう……詳しくは資料を参照していただきたいのですが、彼、いや『彼ら』の持つアーティファクトは危険過ぎる。早期にその全容を把握しなければ、とは僕も考えております」 「其処まで言うとなると、その、アレか? 『モート』と『ザ・ロスト』ってのはそれなりに危険、と?」 「その通りです。『ザ・ロスト』は……相当危険ですね。対象の五感何れかを喪失させる限定的能力。幻覚系の延長でしょうが、実身体にも影響を及ぼすと考えられます。 一方、『モート』はナックルガード型。指の間に熱線射出機構が備わっているらしく、当事者の魔力をキーにして射出可能。被害者を細切れにしたのもこの機能の延長であると考えられています。無論、接近戦においてもその熱線を扱うことで威力拡張を行える……と。まあ、こちらには特に使用者をどうこうする訳ではないらしいですね」 「細切れとかさらっととんでもないこと言いやがってからに……それで?」 「ああ、はい。彼の撃破とアーティファクト回収、もしくは破壊。難しいなら後者だけでも達成をお願いします。それと――」 「余裕があれば情報収集を」、と。相変わらずの無茶は忘れないのであった。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:風見鶏 | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年04月20日(土)00:20 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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● 「正義であることの何が悪い、私の『正義』で目が潰れるなら潰されていればいい! 私は! 『リベリスタ(せいぎ)』だ!」 「貴方がそう思うことを否定しません。糾弾することも、致しません」 「正義はリベリスタ、って聞いただけで名乗っている伏神様をまおはリベリスタとは呼びません」 正義であることは必要なことだろうか? 正義でなければ息が詰まって死んでしまうのだろうか? 『銀騎士』ノエル・ファイニング(BNE003301)にはわからない。誰かに標榜する目的で放たれるその言葉のなんと空虚なことか。 そんなものは主義ですらないというのに。Convictioを彼が携えれば、折れてしまうほどに空虚だ。 受け売りの正義に、仮初の称号に何の意味があるのか。『もぞもそ』荒苦那・まお(BNE003202)にはわからない。 名前を借りれば正義になれるなら、なんと単純で幸せな世界だろうか。 ブラックコードを引き、構えるその表情は驚くほど冷徹だ。ある種の失望とも取れる感情が、普段とは違う色合いを彼女に与えている。 「間違った認識広められるとホント迷惑だよね」 「間違っている? 違うな。これから正しいものとすればいいだけのことだ」 『断罪狂』宵咲 灯璃(BNE004317)からすれば、否、殆どのリベリスタにとってこの男――『リベリスタ』伏神 黒瀬の主張は間違っているし、看過出来るものではないのは確かだ。 自分の為にしか動かない、自分の正義にしか興味のない彼を誰がリベリスタと認めようか。 先ず。彼についての正義とは一体何かを定義づけなければならない。遡り、述べることにしよう。 「リベリスタにフィクサード……うーん、難しいことはわかりません」 未だ依頼をこなした回数の少ないキンバレイ・ハルゼー(BNE004455)にとってみれば、善悪論を語るには些か早すぎるというのは事実だろう。 彼女はリベリスタとしても人間としても、経験が浅い。冗句や罵倒の類ではなく、事実として彼女にとっての確固とした世界の裏打ちが存在しないのだ。だから、理解できない。出来るとすれば、自らの役割だろう。 ……ただ。それでも、足元に転がる肉片の生々しさは恐怖に値することは確かか。 「正義もリベリスタも知ったこっちゃねえよ。ぶちのめす理由があるならそれでいいだろ」 地面を跳ねる水音から視線を切り、『男一匹』貴志 正太郎(BNE004285)は正面を見据えた。夜の陽炎――壁を、人を焼き切った熱線が視界にゆらぎを与えている。その奥に立つ男が叩き潰すべき相手だということは分かる。 「問答無用、か。嫌いじゃない。分かり合えるか? 明らかにNOだろうだと断言する、だろう? 少なくとも、君にも私にも相手を『やりこめる』理由は間違いなくある」 「クソみてえな理屈は聞きたくねえよ。とっととぶちのめされろ」 「正義という肉体から溢れた膿だ、君は。正しさを叩きこんでやろう……!」 尊大な宣言。心の底からそうと分かっているから口にできるそれは、リベリスタ達に不快感を通り越して不審感を与えすらした。 「リベリスタは、正義なんかじゃない」 戦闘の気配色濃い――寧ろ既に異音を響かせる『ザ・ロスト』に魔弓の狙いを定め、『以心断心嫉妬心』蛇目 愛美(BNE003231)の目には既に眼帯はない。 自分の思うところの正義を躊躇無く行えるなんて何と妬ましいのだろうと思う。 必要性の為に愛するものも親しいものも殺してしまえる自分達という存在が、思い描く道から外れたそれが、正義だなどと言わせない。 引き絞った矢が最高精度のままに腕輪へと向かっていく、刹那。 どぷん、と音がしそうなくらいに濃密な闇が、辺り一帯を覆い隠した。 「『ザ・ロスト』はそれなりに頑丈ね……愛美さんだけじゃ破壊は正直、厳しい」 「動きまわる上に暗闇に引きこもって挙句頑丈とか厄介ね、妬ましい」 闇に落ちようがどうだろうが、『鏡文字』日逆・エクリ(BNE003769)を軸として多くのリベリスタにはさして難解な状況ではなかった……というのは、ある種いやらしい現実だったと言えるだろう。 どこに隠れようが見えるなら意味は無い。どうあっても彼の敵を探し出すのは難解なことではない。 ただ、確実性という面ではやや落ちて然るべきか。愛美の一射を、黒瀬は身を捻って躱した。 だが、その動きは些か以上に精細を欠くようにとれた。まるで合理的ではない、ふわふわとした足運びだ。 「――――」 バランスを崩したのは、ノエルとて同様だ。だが、先に「そうなった」相手を迎え撃つ位置に自らを置きに行くのは慣れたものだ。 得物を構えている間隔すら失っている。空虚な指先が何を掴んでいるかも感知できず、踏み込む足の確かさも覚束ない。 それでも、真っ直ぐに突き進めばいいだけだ。 「……罪を贖え」 ノエルの一撃にその身を大きく仰け反らせつつも、しかし黒瀬は鎖を放つ。縦横に駆け巡ったそれが狙うのは、正太郎の首だ。 『モート』の効果を得て赤熱したそれが彼の首に絡みついたところで、その動きは止まるまい。だが、目的はそれではない。そんな、狭隘なものではないのだ。 「いつものように回復……ですね……?」 クロスを掲げ、回復の波長を正太郎へと送り込もうとするキンバレイだが、そこで『異常』に気付いた。 正太郎の首筋に浮いた鎖の跡が、神秘に触れて尚癒される気配がない。 「もしかしたら、致命……かな。治せないかもしれないから、周囲の様子を改めて見て。それと――」 ――本物の正義の味方になれればよかったのにね。 『ゲーマー人生』アーリィ・フラン・ベルジュ(BNE003082)は、キンバレイの肩に手を当てながら冷静に気糸を練り上げ、呟いた。 ● 撃って撃って、更に撃つ。 ほぼ乱射の域にある正太郎の射撃は、しかし黒瀬をして無感情な視線を向けさせるに値するものだった。 「君、呼吸を整えた方がいいんじゃないか。意識が先行しすぎて自分でも何を撃ってるか、分からなくなってないか」 ぎり、と歯を軋ませ、引き金を引く彼……しかし、盲だ視野では大雑把な狙いをつけるのが精一杯だ。 「分かってるだろうけど。あなたの後ろにいるのもフィクサードだからあなたもフィクサードだよ。自称リベリスタさん?」 「分からないな。道理など知ったことじゃあない。私が信じるそれが、私の言う『リベリスタ』であればいい!」 灯璃が赤伯爵(ベリアル)を思い切り振りかぶり、全力で投擲したのと黒瀬が『モート』を向け、熱線を放ったのとはほぼ同時だった。互いの肘から上を舐めるように掠めたそれは、どちらにとっても軽い傷ではない。 「まおの声聞こえますか?」 「…………!」 仲間へ確認するために声を張り、それにより自らの位置を晒す愚を犯して尚、まおの束縛は逃れ得ぬタイミングから放たれた。 相次いで「聞こえている」ことを標榜する仲間に胸をなでおろしながら、彼女はきりきりと気糸を引く。 「伏神様は、フィクサードです」 「ほざけ……!」 断定的に言い放つまおの目は、真剣そのものだ。湧き出す泉のごとくに憎悪を向ける黒瀬の目に哀れみを感じながら、エクリはアーティファクトに視線を移す。 「……いい趣味じゃ、ないのね」 目を貫く槍の意匠。他人の目を奪うのか、自らその目を喪うのか。どちらを表現したにしろ、決して常識の範疇で鍛えあげられたそれでないことは容易に理解できる。 或いは。ごく小さく刻まれたそれは、動きを止めるタイミングが無ければ確認できぬほどに些細だったのだろう。見つけたエクリ自身が、驚くほどに。 赤熱した手が、気糸を薙ぎ払い振り解く。 振り返った黒瀬が貫手にほどちかい拳をまおに向けて照準した――それを最後に、彼女の視界のブレーカーは落ちた。 世界のタイミングを左右するのが人成らざる何かなら、それはきっと黒々とした笑みを湛えていただろう。 本当に残酷に、世界は笑う。 ● 恐れはなかった。 目が見えないからといって目を瞑ることはしなかった。それでは集中など出来はしない。心が乱れてしまうから。 前を見ていた。 悪い人を悪いものいじめしてるだけの相手を、認めない。 熱が胸元に触れる。表皮を焦がし真皮を灼きその奥へ――届く、その前に。 横合いから衝撃が走った。 黒瀬は、何が起こったのか理解できなかった。 少女の瞳から光が消えたのまでは覚えている。そのまま真っ直ぐ進めばよかった。 真っ直ぐ。体をわずかに捻るだけでもよかった。 だが、手の甲側からの衝撃が手首を粉砕したことだけは理解した。 そして、視界は―― ノエルは、振り抜いたConvictioの感触を無感情に分析していた。 タイミングだけ考えれば、相手の攻撃に合わせたのだからある程度の精度があって然るべきだ。それは事実だ。 だが、それにしたって綺麗に入りすぎた、と思う。あれほど頑健を誇った『ザ・ロスト』が罅すら生むとは。 愛美は――矢を穿ちながらも、困惑していた。 自らが吐いた……誰知らず、『すべての効果が己に返ればいい』という呪詛が巡ってこのような結果を生むとは想像だにしていなかったのだ。 無論、ただの偶然なのだろうが。 「……っの、貴様ら……!」 目が見えない。それは敵の一人とて同じだろう。ならば正義のあるがままに力を尽くせばいい。黒瀬は純粋にまっすぐに、しかしどこまでも歪んでいたのだ。 闇から脱し、その外縁に立った彼が『モート』を掲げる。射出機構すべてが赤熱を伴い、劈くような高音が響き渡る。 「正直、あれはヤバそうね。備えないとかしら」 ちりちりとした感触を感じたエクリが身構えたタイミングで、しかし正太郎は走り出していた。灯璃が背後への射線を切るべく布陣を取り、投擲態勢に入ったか否かのタイミングで熱線が迸る。 目が見えなかろうが、当たれば軽易なダメージでは済まされまい。そんな状況下に飛び込むのは、相手が相手なら蛮勇と謗りを受けても仕様のない行為だったろう。 だが、正太郎にとってそのようなことはどうでもよかった。自分が信じるものは、飽くまで自分の感性のみなのだ。 引き絞った拳を突き立てる前に、熱線が横腹を掠める。無視する。背後から流れるキンバレイとアーリィの支援があれば、倒れなどしないはずだ。 「オレは、てめえが気にくわねえ!」 真っ直ぐに拳が振るわれ、黒瀬の顎を跳ね上げた……ダメージの度合いではない。叩きつけた事実が重要なのだ。 「結局あなたの正義って何?」 エクリのコンパクトな構えから放られた閃光弾が、黒瀬の背後で炸裂する。 腕輪の罅が拡大し、あきらかな破壊が近づいて居るのが目に見えて分かる。 「わたくしが従うは『リベリスタの正義』でもまして『アークの正義』でもありません」 ノエルが、構える。腕輪ごとその腕を吹き飛ばさんとする意思を以って。 「『わたくしの正義』に拠りて、『悪』たる貴方を殺しましょう」 宣言とともに、鋒が突き込まれた。 ● ばきん、という炸裂音。 水音を立てて零れ落ちた破片は、幾度か燐光を伴って砂の如く消失する。 僅かに黒瀬の気配が変わったのをエクリは見逃さなかったが、しかし彼の意思の変節と戦場での状況判断はまた異なると見え、逃げ腰どころか尚も戦いを求めているように見受けられた。 「これでもちょっとは強くなったんだからね!」 「……来い!」 脱走を予期し、背後に回りこんだりベリスタを一瞥し、眼前より迫るアーリィの気糸へ視線を移す。 力のある言葉に反し、その一撃を敢えて受けた彼は『モート』を据えた手を腰に置き、速射の姿勢を採る。 一騎打ちをしようとでも言うのか。それとも、背後を抑えられたが故の正面突破のような打算からの判断か。 ……何れにせよ、それを悠然と構えて迎え撃つ訳ではなかろう。 熱線と気糸が交差する。 その背後から別のベクトルで気糸が舞い、黒瀬の体を束縛せんとする。 「あなたに破界器を渡した男は何処のだぁれ?」 にたりと笑う灯璃の黒男爵が、『モート』めがけて叩きつけられる。 その腕を切り飛ばすべく放たれたそれは、しかしアーティファクトの意思か、単純な偶然からか、『モート』そのものを弾き飛ばし、損壊させた。 ――やれやれ、とんだミスリードだ。 何処からかそんな声が聞こえたように感じ、灯璃は周囲に視線を巡らせる。当然、そこからは見えるものなどありはせず。 「ところで、この人の一体何処が正義なのかしら?」 「分かりませんが、まおはまおの正義を見つけたい、と思います」 片腕を失い、しかし憑き物が取れたかのごとく膝を屈し倒れる黒瀬は、うわ言のように呟いた。 『黒心会』、と。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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