● ぐしゃり、と熟れ過ぎた果物が崩れる音がした。腐った甘ったるい匂いが鼻につく。 大木の下、未だ肌寒い――気温の変化が激しい――春を待ち望むそんな季節。 裸足で少女はぼんやりと坐っていた。少女にとって美しいものは害悪だった。 美しい花、美しい虫も、母が買い与えた硝子細工や髪飾りさえも。きれい、だと思う事が彼女にとっては苦であったのだ。剥がれた爪に、傷ついた皮膚、泥塗れの白いワンピース。何処からどう見ても汚らしく見えるその姿は彼女にとっての安寧だった。 この世界には神様なんてキレイなものも、愛だと言う美しいものなんて何処にも存在して居なかった。 美しい時は人で賑わいを見せた薔薇園も、次第に人々の記憶から薄れて行く。美しさを失った瞬間、それは『なかった』ものになるのだと彼女は知っていた。 時は美しさを奪っていく。同時に、輝きを失わせる。其れがどういう事か、彼女は身を持って知ったのだ。 運命の寵愛が彼女の体に浮き上がらせた蛇の鱗が、美しい少女の顔を覆う様に現れた其れが、彼女の両親に畏怖を覚えさせたのだとしたら。 醜いものが淘汰される世界なら、自分だってきっと消えてなくなってしまう。 ―――。 歌う様に動かされた唇が、ただ静かに笑った。握りしめた手に力が込められる。 だからこそ彼女は醜いものが好きだった。自分と一緒に、静かに淘汰されるから。 「大丈夫よ、荊。私はずっと一緒に居るから」 『見』えないから醜くとも一緒に居てくれるとしっていた。少女にとっての盲目の娘は唯一の理解者だったのだ。その手を握りしめて、『ずっと一緒』と言ってくれる。 ここは薔薇園。昔美しかった場所、今はもう、誰にも見向きされない汚らしくも醜い優しい場所。 ● モニターに映し出された薔薇園。いや、薔薇は枯れ、人の姿も無い其処は薔薇園『だった』と表現するのが正しいのだろうか。 「もう廃園になって随分時間は立つわ。その真ん中に、昔から存在している大樹があるの。 その根っこの部分に腰かけた女の子……。運命に愛されなかったノーフェイスの少女ね、彼女を討伐して欲しいの」 さらりと告げた『恋色エストント』月鍵・世恋(nBNE000234)はリベリスタの顔を見回す。 寵愛を受けたリベリスタ達と違い、運命に愛されなかった彼等を殺す事は、世界の平和の為には必要な事であるけれど、と世恋は其処まで口にして一つ、瞬きをする。 「――人殺し、って罵られたそうだわ。討伐依頼を受けたリベリスタはソレで帰って来ちゃった。という訳で私達の出番ね」 溜め息一つ。ノーフェイスはアンデッドとは違い、人の形をしていた。『彼女』は自我を持ち、未だに考え、動き回る事ができるのだ。そんな彼女に人殺し、と言われたとすれば―― 「彼女、一人の少女と一緒に居るのよ。目の見えない女の子よ。ずっと手を繋いでお話しをし続けてる子。 今回皆にお願いしたいのはノーフェイスの討伐、ただそれだけなのだけど」 言い辛そうに、其処まで紡いだ世恋は増殖性革醒現象はご存じかしら、と告げた。 「彼女らが親元に帰らないのはこの際、事情があるだけとしても、ノーフェイスの少女には『増殖性革醒現象』があった。このままだと一緒にいる一般人の少女もソレに巻き込まれてしまうわ」 「その子を助けろって?」 「――それは、お任せするわ。彼女が革醒してしまった場合――ノーフェイスになってしまった場合は革醒した彼女の討伐もお願いしたいの」 救うか、殺すか。その二択しかないのは明らかだった。それが『運命に愛されない』事だ。 私達は、とフォーチュナは小さく零して、優しく笑った。 「運命に愛された。ある意味幸運であり、ある意味不運だったのかもしれないわ。 共に在れる幸せを、唯一の理解者が『いなくなる』恐怖は身を裂く様な痛みを覚えるでしょうね」 ポツリ、ポツリと零される言葉にリベリスタは首を傾げる。『唯一の理解者』、それがどの様な意味なのか、問いかけられる言葉にフォーチュナは桃色の瞳を伏せた。 「何かの因子を宿し、厭まれる少女と目が見えず両親の諍いに耐えきれなくなった少女。二人は互いを『唯一の理解者』だと認識してるわ」 『一緒に居よう』 その言葉が合言葉になってしまっていても、『さようなら』をあげなくてはならないならば。 「せめて、優しい終わりに為ります様に」 いってらっしゃい、とフォーチュナは優しく手を振った。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:椿しいな | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年03月24日(日)00:58 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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● 静かに朽ち果てて行くローザリウム。美しさの面影を残したそこで『紫苑』シエル・ハルモニア・若月(BNE000650)は桜筒万華鏡をぎゅ、と握りしめて周囲を見回した。 嗚呼、萎れた紅薔薇は儚さの、枯れた白薔薇は強き絆の象徴なのかと花言葉を想いながら静かに息を吐く。 蛇の因子を宿した瞳を伏せて『影なる刃』黒部 幸成(BNE002032)は同じ『蛇』を宿した少女の事を想う。伏せた紺の瞳が見据えた薔薇園に美しさを見出す事はできない。此処で手を繋ぎ、息を潜める二人の少女。逃げ出したその結果が齎す『最悪』を『塵喰憎器』救慈 冥真(BNE002380)は溜め息交じりに見つめるのみ。 「哀れなのは、忘れられる事を受け入れた荊か、見初められた美枝なのか。それとも……いや、考えないようにしよう」 手にした仮面に視線を降ろす。溜め息交じりに、言葉を探して、冥真は口を噤んだ。幸成も冥真もやる事は同じだ。前者は『忍務』を、後者は『決着』を。どちらも変わりなく、ただ、リベリスタとして果たすべき事を。 薔薇園の入り口を潜り、ふるりと震える指先を『Wiegenlied』雛宮 ひより(BNE004270)は見つめ続ける。 ちり、ちり。しゃら、しゃら。か細くなり続けるゆめもりのすずはまるでひよりの不安を表している様だった。自分を傲慢だと思うたびに胸が締め付けられるように痛む。不安であるのか、それとも罪悪感であるのか。嗚呼、何れにしたっていびつな傷跡を刻むだけなのに。 「……まだ、間に合うの」 ぽそりと漏らした言葉を与える相手の元へ向かうひよりの表情が曇りを帯びる。大きな紫の瞳が一度、泣き出しそうに歪められてから、静かに伏せられた。目的の為に動き続けられるなら。それが確認できれば、きっと。 「大丈夫。これ以上手をかける必要のない様に頑張りましょう」 一言漏らした来栖・小夜香(BNE000038)の大きな翼が揺れる。流れる黒髪が静かに風に靡いた。さくり、と踏みしめるたびに地に広がった花弁が崩れて行く、壊れて行く。 これ以上がないように。それは『一つ』の犠牲に成り立った論理だ。クロスを握りしめる指先に力がこもる。溜め息が唇から零れ落ちた。 「でも、エゴだね。死が二人を分かつまで、いや、死して尚共に在りたいと彼女たちが望んでるんだ、きっと。 ボクは美枝さんに生きて欲しい。例え、それがボクのエゴだったとしても」 押し付けがましいまでの理想論であると一人笑った。『愛を求める少女』アンジェリカ・ミスティオラ(BNE000759)はただ、救いたかった。赤く丸い瞳はその薔薇園に美しさを見いだせたのかもしれない。唯、薔薇を一輪、枯れない侭にして遣りたかったのだ。悪い枝を切り、美しい枝を一つ守り抜きたかった。 ――それが、エゴだと、知ってしまっていても。 懐中電灯が照らしだす。浮き上がったまま、視界に少女達が収まる位置で『幸せの青い鳥』天風・亘(BNE001105)は眼鏡の奥で青い瞳を細めて、ただ、小さく呟いた。 「結末がどうなれど、目的は必ず果たします。その覚悟は何時だってこの胸に持っています」 けれど、最善の結末になれば。何時だって、そう望んでいるのだから。 ● さくり、と黒銀の脚が柔らかい地面を蹴った。マグナムリボルバーマスケットを手に見据えた大樹。その根元に坐りこんだ少女二人を目にして『鋼脚のマスケティア』ミュゼーヌ・三条寺(BNE000589)が悲痛な表情を浮かべた。 ミュゼーヌは世界を愛していた。世界を愛しているけれど、同時に愛しているからこそ世界へと怒りを覚えていた。愛する世界は常に平等じゃない。腹立たしい位にこの世界は病巣に侵されていた。樹木の様に枝を増やし、葉を生やし続ける木に宿り続ける病巣。 「……感染り広がらないうちに『剪定』しなくちゃいけないわ。健全だった枝まで、一緒に間引く悲しみを負わない様に」 間引いた事があったのだろうか。かた、と音を立てた銃口が真っ直ぐに向けられる。彼女と視線を合わせて頷いた亘がAuraを手に、少女達を見据えている。燻る様に普段は武器となるその速度を抑えて仲間達の動向を見守る彼の前を光を纏う小夜香が祈る様にクロスを握りしめる。 人殺しと罵られるだろうと決意を決めていた。ソレに関しては反論も無かった。護るべき物があると、自分で知っていたから。 弾丸の雨が降り注ぐ。ミュゼーヌの弾丸が枯れた薔薇を蹴散らしていく、複雑な気持ちが、心の中でゆらゆらと揺れ動く。 大切な友達、荊という大切な『理解者』から無理やり引き離される。繋いだ指先を離す事を望まないと言うのに。手を離してその友達を無惨に殺される。 貴女の為よ。偽善だろうか。世界の為よ。それが正義だろうか。救いよ。――綺麗事だろうか? 人殺しという謗りだって甘んじて受け入れる事を決めていた。ミュゼーヌの気持ちがゆらゆらと揺れ続ける。 「……そのまま、見過ごすなんて、私には出来ないのよ」 独善でも、何だっていいから。弾丸が薔薇を蹴散らす。冥真の背後に潜む幸成の目はじっと蛇に愛された少女を見つめている。リベリスタ達に気付き攻勢を取りやめる事のない『蛇』の少女。 アンジェリカの赤い月が彼女の心を現す様に揺れた。La regina infernaleは耐えずその存在を表し続ける。 アンジェリカは死神だ。彼女が何をするか、決めているのだから。唇の中で漏らしそうになった謝罪。ソレは言わないと決めた。殺す、人殺しになってでも、誓いがあるのだから。 「荊ちゃん、誰か来たの?」 「なあに、美枝。うん、何か……怖い人が一杯いるみたい」 ぎゅ、と握りしめた指先。ソレに視線を遣っては冥真は忌々しそうに黒い瞳を向ける。真っ直ぐに少女の前に立ちはだかった彼に荊はじっと彼を見つめるのみ。 「……何?」 ぐい、と荊が握りしめていた美枝の手が引かれる。盲目の少女が息を呑んだ事が幸成は解った。あ、と手を伸ばそうとする荊の前に回り込んで三鈷の霊刀を向けた冥真がじ、と少女を見降ろした。 「ねえ、美枝をどうするつもり!?」 「助けるんだよ。お前らが幸せかもしれないけどな、お前は間違ってるし世界は歪んでるし結局醜いままに忘れ去られるのが道理だ」 彼の言葉に唇を噛んで美枝、と呼ぶ。枯薔薇が幸成の体を襲おうとするその隙間、捻じ込む様に神秘の光が周辺を支配する。魔力増幅杖 No.57を握りしめ、瞳を伏せたシエルが長い紫の髪を揺らし仲間達を見守っている。 嫌だ、嫌だともがく美枝を見つめ、零れそうになる言葉を呑みこんでシエルは紫色の数珠をした幻想纏いを握りしめた。 きっ、と前を見据え羽ばたかせる翼。暴れる美枝をその手に抱き留めて――一般人の抵抗など些細なものなのだが、亘は悲痛な表情を浮かべ続けていた。茨が叫ぶように美枝の名前を呼び続ける。 嫌だ、返して、私の友達! 喉が千切れてしまうのではないかと思うくらいに必死な叫び声だった。傷を負っても冥真は怯まない。もがく美枝は気付いてしまったのだ。現れた彼等が『人殺し』なのだと。 人殺し、人殺しと亘の腕の中でもがく少女に亘は美枝の肩をぐ、と握りしめて目を伏せる。 「自分だって躊躇いますよ……でも、人の心を、持っていたとしても自分は此処で荊を殺します」 「ッ、何で!?」 「どんな正当な理由があったって貴女達には理不尽でしかありませんよね。だから好きなだけ自分を憎んで恨んで良い」 理不尽の中でも救える命と未来があるなら自分は全力で護り切るのみ。其れが己の貫く覚悟と信念なのだから。その為なら恨まれたって、憎まれたって、どうしたって構わないのだから。 美枝の眼が見開かれる。荊ちゃんと叫ぶ声が鼓膜に反響した。超直観を使用して足元をじっと見つめていたひよりの手元ですずがチリンとなる。 喪失を亘が告げたのだ。盲目の美枝は『欲しくても手に入らない辛さ』を知っているのだとひよりは実感していた。其れを簡単に手放す残酷さも知っているのだろう。ひよりや亘の目は美枝の辛そうな顔も、荊の顔も見えているというのに。 「そう、わたしたちは人殺しなの。わたしは荊さんを身勝手な侭につぶされる被害者で有ればいいと思ってる」 ぐい、と手を引いて。美枝と共に走る。舞う薔薇を撃ち落とすミュゼーヌの弾丸が。傷つくその姿を癒すシエルと小夜香の視線がじっと荊に向けられる。 「やだ、嫌だ、美枝っ、美枝」 ただ、声だけが聞こえていた。 ● 暗視ゴーグルで狭まる視界でアンジェリカの赤い月が枯薔薇を散らしていく。廃園の薔薇園に散りゆく花々を見つめながらアンジェリカは息を吐く。 「ボクは何かを守るために誰かを殺さないといけないなら、それを為す死神になるんだ」 誓った。あの日フェイトを喪って尚自分の正義を貫いたあの人に、誓ったのだから。胸元で揺れるロザリオ。鮮やかな赤い瞳が映す荊は、嗚呼、何て生気のない『花』であろうか。 「ボクのエゴだ。ボクは荊さんを殺す。――願わくば新たな生は幸福に満ちたものであらん事をッ!」 放たれた死の爆弾が彼女の頭上で炸裂する。薔薇が散っていく。その中でミュゼーヌは息を吐く。迷いを撃ちだして弾丸が荊の胸を掠め続ける。 「花は、そのどれもが個性的で美しいわ。だから、貴女を醜いなんて思わない。それでも、刈り取らなくちゃいけないのよ!」 「人殺し! 美枝を返してよ!」 「貴女が周囲を歪めてしまう存在だと、解らない? 貴女の周りに舞う薔薇と同じ様に『あの子』も処理しなくちゃならなくなる。 私は彼女と貴女を同じ目に合わせたくないの。これ以上、巻き込まないで……お願い、お願いだから」 縋るように癒しを送り補佐し続ける小夜香の言葉に荊がえ、と声を漏らす。美枝を同じ目に合わせる。即ち、其れは死を与えることだと気付いてしまったのだから。 信じられなくて、繰り出す薔薇の花の鮮やかさが目についた。凶鳥が切り裂いて、散らす薔薇が血の様に広がり続けた。 忍びの任務となれば、花を散らすことだって辞さない。失う事が怖い事だって幸成も重々承知していた。 薔薇がシエルを目掛けて飛んでいく。アンジェリカの鎌は受け止めて、死の爆弾を受け止めた。美枝の居なくなった大樹の下、怒りを浮かべ、困惑を露わにした荊が叫ぶ様に、駄々っ子のように繰り出す攻撃を彼等は甘受し続ける。 「美枝様が貴女と同じく変化したら、目が戻るかもしれません……、見られても?」 醜い自分が嫌いだった。彼女は眼が見えないから、この姿を見なかった。 荊は心が綺麗な子だね、と笑ってくれた彼女の指先を覚えている。見られたくない。シエルの『心の中でずっと綺麗な人で居てくれれば良い』という願いは荊とて同じだ。だが、他人に言われては訳が違う。 唇を噛み締める。彼女が自身を見て醜いと言うと言ったのだと荊は捕えた。血の気が引いた。 「自分も蛇の因子を宿したのでござる。自分と荊殿の違いは運命に愛されたか否かソレだけで御座る……」 「運命……」 理不尽な運命に嫌気がさす。幸成の言葉に顔をあげた彼女の目の前、じっと見下ろし続ける冥真の目は何処か冷たさを孕んでいた。毒を制すなら己が毒となる。そうすれば誰かの薬には慣れる筈だ。 唇から慣れ切った『毒』が零れ続ける。荊の体を侵食する毒が。 「美枝には未来がある。忘れられようも無い未来へと繋ぐ命があるんだよ。お前が失ってしまったものを彼女は持ってる、だから奪わせない」 力が抜けて行く。傷を負っても、支援を受ける冥真が荊と視線を合わせる。膝をついた其の侭、目線を合わせ、名前を呼んだ。 「馬鹿だと笑え、下らないと嘆けよ。大事なものは解るか? 何も見えてないのは美枝じゃない、お前だよ。 俺は馬鹿だからお前の悲しみなんて分からない。けどな、ずっと一緒に居てやるよ」 「……一緒?」 死ねと、言ったのに。ずっと一緒に居ると言う。矛盾を孕む彼の言葉に顔をあげた荊を見つめているアンジェリカの大きな赤い瞳。御免なさいを宿したその眸が泣き出しそうに歪んでいく。 「ボクらは、覚えているから」 「俺の膨大な記憶がお前の記憶をすり潰したってその死と業を背負う。美枝がお前を忘れないならソレで良いだろう」 でも、と漏らす声に。同じ蛇を宿す幸成が同じで御座る、と声をかける。攻撃の手を弱めて行く荊の前でシエルがそっと差し出した幻想纏いは亘と――美枝と繋がっていた。 「せめて、最後……貴女が望む言葉を、美枝様に」 ぎゅ、と両手を合わせる。唇を噛んで、残酷な世界にミュゼーヌは目を伏せた。独善でも偽善であれど、何だっていい。其の侭見過ごすなんて出来ないのだから。 「俺がお前という『過去』を忘れて遣る。お前を信じた美枝という『未来』を覚えといてやる。 世界が呆れるくらいに健忘症だっただけなんだ。お前は歪んでる。俺が受け入れてやる」 傷が痛むと冥真は思った。幻想纏いを受け取れられない侭、戸惑う指先に小夜香は瞬いて、どうぞ、と付け加える。 「貴女を救う手立てのない私達をいくら憎もうが、抵抗しようがそれは仕方ないと思う。だけど、あの子だけは救いたいの」 出来れば心までも全て、世界の為だけら、と言えない。小夜香が救えないものが沢山ある世界で、冥真は世界を憂うのみ。 ● 差し出した幻想纏いから聞こえる声に耳を澄ませながらひよりは美枝の手を握りしめる。 傷を負って、痛む身体を気にすることなく、じっと彼女を見つめたまま小さく言葉を零していく。 「このままではね、彼女は間接的にあなたを殺してしまう。それは嫌なの……それは、嫌、だよ」 ぽつり、零した言葉に坐り込んで、汚れたスカートを気にすることなく美枝の爪が土を掻く。 「あなたの大切な人を人殺しにしないで……」 零された言葉に美枝はいやいやと首を振る。亘は言葉が零せないままだった。失う痛みも苦しみも知ってきた。けれど、其れを誰かに納得させる言葉なんて無かった。無理でも良い、それでも良いから美枝が未来を歩んでくれる事を望んで、幾らだって悪役の仮面をつけ続ける。 涙が溢れそうだと思った。亘は俯いて小さく笑う。今のこの情けない顔が彼女に見えなくて良かった。 美枝の瞳が見えるようになればいい、シエルはどうしたって彼女に未来を見せたかった。 友人を喪った少女の目が見える事は即ち未来を与えると同義なのだから。 『この薔薇を枯らす事は死者への冒涜ですもの……』 小さく聞こえた声に、美枝は荊を、鮮やかな赤薔薇を失くしたくないと懇願する様に幻想纏いに語りかける。 ミュゼーヌは剪定しなければならないと知っていた。枯れ掛けた薔薇の首を落とし、未だ茂る美しい枝をこれから先も見つめなければならないから。 『……ねえ、美枝。ずっと一緒に居ようね』 「うん、荊。ずっと一緒に居ようね。綺麗なあなた」 鮮やかな薔薇は、茂る美しい枝が枯れる事のない様に。如何したって美枝の目を見えるようにして遣りたい。 幾度も繰り返すやりとりに、それじゃあ、と向こうから響いた声。 幻想纏いの向こう、小さく名を呼んだ声に美枝は荊と微笑んだ。大丈夫、直ぐそっちに行くから。序で聞こえた謝罪に目を見開いて、『健忘症』な世界の中で、忘れられない侭に傷跡を付けて行く。 望まれないと知っていても、傲慢な願いを押しつける事をひよりは知っていた。 とさり、と音がして、震える様に繰り出したアンジェリカの「おやすみなさい」が、幸成の「お疲れ様」が、冥真の「さようなら」が聞こえた。 ひよりがぎゅ、と強く美枝の指先を握りしめた。 色が無い世界だけど、でも、きっと、そこには色があった。荊という鮮やかな赤色。自分の眼には見えないけれど鮮やかだったはずの『花』。枯れて行き、自然に色を失くしていく其れに、息を吸い込んで、盲目の少女は叫んだ。 「――ッ、人殺し!」 握りしめた指先は、解かれないままだった。ごめんね、と零した言葉が枯れて行く。 「彼女の生きたあかしを、せめて人として生きている誰かに覚えてて欲しいの……」 世界が淘汰する存在が遺していくいびつな傷跡。胸に残るそれはこんなにも『ご都合主義』で在り来たりな世界であるのに、如何して何時もこんなにも痛むのだろう。 滴る水滴に目線を降ろして、目の見えない彼女の手をとって、亘は俯く。 「……辛い、ですね」 零す言葉は自分の弱音だろうか。言葉を零すことなく、嗚咽が漏れ続けるその中で、ざわめく枝が静かに揺れる。 『荊様は、綺麗で優しい方ですね……最後まで、貴女の身を案じておられましたから……』 「荊は、どんな顔をしていたの……」 『とっても、可愛くて、とっても笑顔の似合う、素敵な子だったよ……』 シエルに続き、アンジェリカが漏らす言葉。誰かが覚えて居られるなら、其れで幸せだから。 アンジェリカの言葉に美枝は知って居た気がすると小さく零す。一人がいやで逃げ出した先、共に居ようと手をとってくれた優しい人。 目が見えない事で、両親がどちらの責任かと諍いを起こし続けたソレ。居場所が無いと泣き続けるだけだった彼女を受け止めてくれた優しい友人。 「……優しい終わりを届けられればと、ずっと、想ってました」 亘の震えた声が、静かに枯れた園に響き渡る。 枯れ果てたローザリウム。ずっと一緒の合言葉に重なる様に零れ落ちた謝罪が、唯、静かに未来に伸びる枝を茂らせるのみ。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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