● 思春期の時分、こんなことを考えていた人は決して少なくはないだろう。 学校に乗り込んでくるテロリスト。 校庭に突如現れる怪物の群れ。 学校ごと異世界へ転送。 そんなときに冷静沈着に動く自分を妄想して──なんてことを。 嗚呼、それは空想だからよかったのだ。 空想ならば自分は万能だ。 空想ならば自分は不可侵だ。 それが現実と化した時、人は自分のあまりの無力さに打震える。 その日僕がトイレにいると数多の叫び声が耳に飛び込んできた。 僕は平静を装いながら、頭の中は非日常の雰囲気に影響され、困惑と興奮と僅かな背徳感に浸っていた。 トイレを出て、真っ先に目に飛び込んできたのは壁に叩き付けられ、白目を向いた友人の身体だ。もたれた壁には恐らく身体がずり落ちたときに出来たと思われる血の跡が、僅かほどの掠れもなく広がっていた。よく見ると黒色の学ランの全体がどぎつい赤みを帯びていた。そして暗くてはっきりとは認識できなかったが、その腹には何かが刺さっている。 既に全ての感情が恐怖に侵食されていた僕は、流れるまま刺さった何かの軌跡を追う。刺さっているそれは黒色で、細い棒状をしていた。滑らかに黒光りするそれは身震いを禁じ得ない不快感を呼び起こす。さらに辿っていくと何やら巨大な物体が目に入る。それは確かに人型をしているが、背中には固そうな鎧のような者を纏っていた。全身が淡い紫色をしているが、目と口は人間のそれに近いように思われて、一層の気持ちの悪さを助長している。頭に生えた日本の触覚は、何かを探すようにピロピロと動いている。 万能感は非現実故だ。畏怖すべし現実に相対した時、心が、身体が、思考を否定する。 触手はやがて動きを弱めていく。僕がふと感じたのは危機感だ。触手の最後の動きを見ず、僕は駆け出した。背後でそれが動く音がしただろうが、一切の近くを許さなかった。僕は近くの教室のドアを叩き付けるように引き、急いで中に入った。 閑散とした教室の窓に、一つの物体が垂れ下がっていた。全身に紫色の鎧を纏ったようなそれは、風に吹かれてプラプらと揺れていた。乱れた息を整えながらドアを閉める。背後で聞こえる足音に身震いしつつも、目線は目の前の物体を捉えていた。やがてそれはゆっくりと振り向き、僕を見た。 頭部に出来た二つの亀裂から濁った赤色の光が漏れていた。指先はナイフのごとく鋭く尖り、身体の至る所から刺が生えている。人型の昆虫。そう形容するのが最も近しいと思われた。だがよく見ると身体の表面には幾つか白色や肌色の部分が見て取れた。それは鼓動するように定期的にドクドクと動いている。 ふと目線を上げると、それは完全にこちらを向いていた。頭の下部にポッカリ空いた亀裂は、僕は嘲笑っているように思われた。それは僕が瞬きする間に、空いていた距離を全て奪っていった。恐怖すると思ったが、それよりも首筋に走る痛みが先行した。じんわりと広がる嫌悪感が、緩やかに僕の溷濁を奪っていく。溷濁した意識は徐々に視界を欠落させていく。ぼんやり見えたそれの目は、微かではあるが人間に似ている気がした。 ● 「侵食者、とラベリングされたアザーバイドが存在する」 『リンク・カレイド』真白イヴ(nBNE000001)はそう前置くと、先ほどのシーンをもう一度繰り返す。『侵食』された彼は目の前の怪物と類似した姿へと変貌していく。怪物は嘲るように顔を歪めると、アザーバイドは窓枠へと飛び乗り、背中の羽を中空に展開させた。そして悶える彼を後目に、大空へと飛去っていった。 「かつてあるリベリスタの家族を蹂躙し、そのリベリスタ──君原隆二っていうんだけど──彼をもその手にかけようとした異界の怪物。今までは、君原に恨みを抱き、彼を標的にしていたみたいなんだけど、標的はどうやら世界全体に変わったみたい」 侵食者は対象に特殊な攻撃を加えることで、自分と同じ性質をもった化け物に変化させてしまう。化け物に変化すると、その化け物もまた他者を変化させることができ、それを繰り返すことで世界を侵食する、そういう特質を持っているようだ。 ただし侵食者がこの世界でそれを行うに当たって何が問題だったかと言えば、フェイトの存在だ。世界に愛された証拠であるフェイトは、想像以上にこの世界と強くリンクしているらしく、化け物に変化した者はもちろん、侵食者本人ですら手を焼いているようだ。そうとなると、侵食者が求めるものと言えば、画面の中でやっているような戦力強化をおいて他にない。 「手始めに侵食者は学校を狙ったみたい。ある程度獲物の数がいて、抵抗される心配もなさそうだし、手頃に見えたのかしらね」 イヴは難しい顔をして僅かに俯く。しかし今の状況なら、もしかすれば被害の少ないうちに駆けつけることが出来るかもしれない。それこそ、侵食者と接触することも出来なくはないだろう。 「学校には侵食者に変化させられた『プロト・インセクト』が4体存在する。3階までの各階にそれぞれ1体ずつ。それと3階の奥の教室に侵食者と今まさに変化しつつある生徒がいる。侵食者には飛び立つ前に接触できるかもしれないけど……生徒の方はもう、間に合わないでしょうね。あと『プロト・インセクト』は配下を引き連れているみたいだから、それにも注意して。 一応生徒は多くが逃げ出してはいるけど、逃げ遅れてる生徒も少なからずいると思う。彼らが殺されれば、怪物と成り果ててしまうでしょう。運悪く屋上に逃げてちゃった生徒も結構いるみたいだし、もし『プロト・インセクト』が屋上に到達したら……まずいね」 『プロト・インセクト』に殺されれば、その者もまた化け物になる。殺された者が敵として襲いかかってくることの惨さ。それは先の事件でも嫌という程経験させられたことだ。悲劇は何度も繰り返される。しかしそれを押し止めなければ、巨大な塔のごとく積み上っていくばかりだ。 「『プロト・インセクト』は仲間を増やすことを目的としてるみたいだけど、一方で自身が危険になれば逃走を優先する可能性もある。被害を広げるわけにはいかないから、出来る限り逃げられないように、お願いね」 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:天夜 薄 | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年04月01日(月)22:54 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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● 「久々や思うたらまた派手な事してくれんなぁ」 『他力本願』御厨 麻奈(BNE003642)の声がはっきりと聞き取れる。何かが暴れる音。壊れる音。誰かが叫ぶ音。死を予感させる音。それらが些細に、ひっきりなしに聞こえるが、阿鼻叫喚のピークは既に去ってしまったようだ。逃げてしまったか、声を潜めているか、あるいはもう息絶えているか。この学校にいる人間は、きっとそのどれかだ。 「人様の世界で好き勝手しやがって……ムカツく話だぜ」 殺風景な校舎の景色。この世界にあるべきではない異形は、校舎のどこかで猛威を振るっているのだろう。『影の継承者』斜堂・影継(BNE000955)は憎らし気に言う。 「あの時ウッカリ取り逃がしちまったからな。それさえなけりゃこんな事件も……」 「これ以上厄介事起こされんように今回で止めたいところやね」 『孤独嬢』プレインフェザー・オッフェンバッハ・ベルジュラック(BNE003341)と麻奈がかの侵食者を思って口にする。この世界に現れた時に最初に出会った家族を絶望に陥れ、それどころかフェイトの為に侵食しきれず、自分も傷ついたのを逆恨みし、復讐に勤しんだアザーバイド。かつてのリベリスタとの邂逅で外殻が所々砕け、相当な重傷を負ったであろう侵食者は、長い時間をかけて傷を癒し、準備をしてきたのだろう。 それをしてきたのは、侵食者だけではない。 『騎士の末裔』ユーディス・エーレンフェルト(BNE003247)が与えた加護が、リベリスタを守る温かなベールとなる。全てを跳ね返さんとばかり、眩く輝いている。 空は黒々とした厚い雲に覆われていた。風は不穏を囁くように耳に纏わり付き、ケラケラと笑っている。他人事のように、無責任に。 「──行きましょう」 ユーディスが呟いて、彼らは駆け出した。悠長にしていられる時間は、それほど長くはない。 開け放たれた校舎の入り口を抜けると、薄暗い室内が目に入る。先陣を切り、パッと見回した『純情可憐フルメタルエンジェル』鋼・輪(BNE003899)の目に、プロト・インセクトと思われる姿は見えない。 「どこかの教室にでもいるのかしら」 「そのようだな。少なくとも、近くにはいなさそうだ」 『尽きせぬ祈り』シュスタイナ・ショーゼット(BNE001683)と『閃刃斬魔』蜂須賀 朔(BNE004313)が慎重に辺りを見回し、一階の構造を確認する。麻奈がそれに加わる最中、それ以外のリベリスタはすぐ近くにあった階段を駆け上って、上の階へ向かった。 「手はず通りに、手分けして駆除するといたしますか」 「せや、他ん所は頼むで」 『クオンタムデーモン』鳩目・ラプラース・あばた(BNE004018)は麻奈と軽く言葉を交わして、さっさと階段を駆け上がる。 その時三人の耳に、何かが崩れるような音が届いた。それはどこか奥の方の教室から聞こえるものだとは分かるが、正確な場所までは判別できない。 「……厄介で面倒な相手だ」 朔が低いトーンで呟き、走り出す。テンポよくぶち壊したドアの先に誰もいない教室が見える度、朔は安堵しながら次の教室へと移る。何かが蠢く音が徐々に大きくなっていく。身構えつつ、朔が思いきりドアを破ると、飛び散ったドアの破片に紛れて人の影が見えた。女生徒が二人、部屋の隅で縮こまっている。ドアが思いきり壊されたのに驚いたようで、こちらを一切見ようともしない。 麻奈とシュスタイナは急いで彼女らに駆け寄った。 「こんなとこいないで、さっさと逃げなさい。その方が安全でしょう?」 シュスタイナがそう言うが、彼女らは涙目で首を振った。恐怖に腰を抜かしたのか、それとも混乱しているのか、立とうともしない。 「……しゃーないな」 麻奈は静かに呟くと同時、素早く二人に触れて、電気を発する。小さな叫びと共に彼女らは気絶し、麻奈とシュスタイナは速やかに彼女らを外へと放り出す。 その様子を見ていた朔の耳に届いた爆裂音。それは隣の教室から聞こえたものだった。見ると、ドアが粉々に砕けている。それをやった誰かの姿は見えないが、そんな事をして出てくる者など、限られている。 やがて見えた姿は紛れもなく映像で見たプロト・インセクトそのものだ。インセクトの周囲にはミミズのような蟲がモゾモゾと張っていた。赤く揺れる眼光がこちらに向けられる。空気の擦れるようなしゃーという音を発するそれを見、朔はすっと身構える。 「我流居合術、蜂須賀 朔。推して参る」 地を蹴ったのは、ほぼ同時だった。 ● 僅かに息を荒げつつ、ユーディスは階段を駆け上がる。下の階で響く音に緊張を催すが、すぐにそれは消え去った。 それは彼らが三階に到達したのとほぼ同時に、教室の中からぬっと姿を現した。呆れるほど自然にリベリスタとの邂逅を果たしたプロト・インセクトは、耳に痛いキンキン声を威嚇するように発した。 「五月蝿い奴だねえ」 耳を抑えて顔をしかめるブレインフェザー。だが視線は冷静に周囲を見回し、校舎に隠れる感情を探す。流石にインセクトが今し方出てきた教室には誰もいないようだったが、そこと一番奥を除いた教室には、強い感情が幾つか見受けられた。危害を加えさせるわけにはいかないが、インセクトの注意はリベリスタに向いている。好都合だ、とブレインフェザーは思った。 「……絶対に助ける。あんな虫野郎に殺させねえ」 「一匹たりとも通しません」 プロト・インセクトの周囲に蔓延る何体かの蟲。それらは芋虫のような姿をして、うねうねとリベリスタに近付いている。ユーディスがそれらを払いのけつつインセクト斬り込み、あばたが狙撃を開始する。ブレインフェザーは適度に距離を取って牽制しながら、インセクトの様子を窺っていた。 影継は二階に上がってすぐにじっと目を凝らして透視し、それを探す。侵食者に身体を全てを侵された怪物は、二階のどこかに一体はいるはずだ。手前の教室は中までくっきりと見えるものの、その先はもやがかかったようにぼやけて見えた。 「くそっ、どこにいやがる」 「……結構、近くかも知れません」 輪の予測の理由を、影継も分かっている。耳障りな動作音。それがプロト・インセクトの大体の所在を教えてくれる。 影継と輪はすぐさま駆け出すが、影継の足はすぐに止まる。彼は教室の前に立ち止まると、確認するように何度も睨んだ。輪が反転し、影継に駆け寄る最中、彼はその拳に力を込める。 「……ここか!」 思いきり殴ったドアが鈍い音を立てて外れ、吹き飛んだ。露になる教室内。仄かに血に染まったその場所に見えたのは、不快な姿を見せつけるプロト・インセクトと、今まさに襲われようとする生徒の姿。 影継は反射的に大声で叫ぶ。 「さあ来い虫ケラども! テメェらの全存在を賭けてかかって来い! 隠れてるパンピーどもは、邪魔せずそのままじっとしてろよ!」 プロト・インセクトが首だけをぐるりと曲げて影継を見る。生徒が恐る恐るその視線を追い、影継と輪を見つけると、ぱあと表情を明るくした。プロト・インセクトの周囲を、蠅のような蟲が耳障りな羽音を立てながら飛び回っている。蟲はインセクトが完全に影継と輪に向くより先に、猛烈に飛びかかった。空間を一閃するような体当たりが、影継と輪の間に直線を刻み付ける。影継がよろけつつも体勢を立て直し、視線を戻すとプロト・インセクトが拳を振り上げる姿が見えた。咄嗟に腕を差し出して受け止め、即座に影継は得物を振り上げた。 「先手必勝! 斜堂流群影刃!」 黒色の瘴気が放射状に伸びる。互いによろけつつ、影継とプロト・インセクトは睨み合う。輪は目線を盗んで生徒に駆け寄り、逃走の指示を出している。 「俺は今から、アンタを殺すぜ」 言葉は伝わらなくとも、意図は伝わったのだろう。インセクトは絶叫し、一気に影継との距離を詰める。振り回した拳を受け流しつつ、インセクトの後ろを取った影継は両手で得物を構えると、一気に振るった。 再び放たれた暗黒がインセクトと蟲を瞬く間に飲み込んだ。狼狽えつつも突進を試みた蟲を、横から来た何かが叩き落とす。瘴気に紛れた残像が、不敵な笑みを零していた。 「ちょっぱやで行きますよ」 調子良く言った輪の銃口が、煌めく。 途中、ふと見た空に何かが浮かんでいるのが影継には見えた。それは紛れもなく見覚えがあり、見過ごせないものだ。そして接触しないではいられないものであった。 敵の攻撃に晒されぬよう注意しながら、彼はその姿をじっと見る。 戻って来て戦えチキン野郎。 念じた言葉は、恐らく届いたのだろう。それは空中でぴたりと止まると、確かに影継の方を見た。米粒ほどしか見えない、けれどもそれは確かに笑った。嘲笑った。 焦るなよ。まだこれからだ。 侵食者は優雅に、憎らしいほど優雅に、飛び去っていった。 ● 飛び散る光の飛沫の間を縫って、ユーディスはプロト・インセクトに斬り込んだ。時折飛沫が肩に当たる痛みや、背後で聞こえる飛沫の弾ける音を払いのけて、振り下ろした刃の軌跡に光の粒が残る。唸りを上げるインセクト。咆哮の合間、あばたがその声を発する喉を狙う。 「黙れ、虫けら」 無慈悲なまでに正確に、インセクトの喉を狙い打った弾丸は、一分の避ける隙さえ与えずに、インセクトの喉元を貫通する。金切り声が響き渡り、インセクトは見境なく暴れ始めた。その拳に宿るのはただ憎しみばかり。 ブレインフェザーは大振りなその攻撃を的確に交わしつつ、インセクトの様子と、動きを分析する。過去に彼女が戦ったインセクトたち。それらと目の前のインセクトは、元は人間だった者が変質した、という点では変わらないようだ。だが厳密に同じかと言えば、ブレインフェザーにはそう言い切る事は出来なかった。何かが違うという違和感。今までに戦ったものに比べて、若干の人間らしさを彼女は感じていた。その貌や動きの節々に、ほんの少しではあったけれども、それを感じずにはいられなかった。 だがそのほんのちょっとの、しかも主観的な違いがこの戦闘において重大な意味をなすべくもない。ブレインフェザーの周囲を気糸が取り囲み、インセクトと蟲に向けて一気に伸びた。広範に放たれたそれは一体の蟲の脳天を貫き、その生命力の全てを奪い取る。地面をのたうち回る蟲。もはや息も絶え絶えに、もがくインセクト。ユーディスが構えるのを横目に、ブレインフェザーはもう一度気糸を展開する。 その時、奥の教室のドアがばきばきと音を立てて粉砕された。崩れ落ちる壁を通り抜けて、今し方変化したばかりだと思われるインセクトが姿を現した。 「……逃げられちまったか」 ブレインフェザーは苦々し気に言う。インセクトはリベリスタを発見すると、脇目も振らずに駆け出した。 半分に切断されたミミズがのたうち回り、やがて動きを失くした。蟲の身体は飛んでいった先で、インセクトにぐにゃりと踏みつぶされる。インセクトは息苦しそうに、唸るように息を上げている。走り出したインセクトの身体を朔は受け止め、代わりに刺突を送りつけた。 「逃しはしない。貴様はここで終わりだ」 既にインセクトに刻まれた無数の刺し傷の刻まれた身体は、所々装甲が剥がれ落ちている。ぎこちない動きで後退したインセクトは、呼び起こした光の飛沫を無造作に拡散させる。シュスタイナは手袋をはめた手でそれを弾きながら、イライラと叫んだ。 「いい加減鬱陶しいのよ! さっさと消えなさい!」 魔力を集中させたワンドが、四色の光を帯び始める。爆発音と共に飛んだそれは、一瞬のうちにインセクトの左腕を吹き飛ばした。体液がドボドボと流れ出し、床をどす黒い橙に染めていく。金切り声で叫びながらも、なお右腕を上げるインセクト。だがその懐に潜り込んだ朔が通り過ぎると、インセクトの命は悉く枯れ果てていた。 崩れ落ちるインセクトの身体。ばらばらと削げ落ちるその一部を目で追いつつ、麻奈はインセクトに尋ねる。 「……なあ、あんたどこのどなたさんや?」 麻奈が読んだインセクトの心は、交錯している。自分はどうしてこうなったのか。自分は何をしているんだろうか。心は侵食される途中であったのだろう。主な構成物は混乱だ。自分はどうしたかったんだ。僕は、誰だっけ。読み取られる意志も薄弱になっていく。 「言い残す事は、ないか?」 混乱のためか、そもそも伝わっていないのか。定かではないが、インセクトに心境の変化はない。汲み取られるのは、ただ延々と続く思考の錯乱が、時間と共に希薄になっていく様子だけだ。 「……行こか」 麻奈はシュスタイナと朔にそう告げて、階段へと駆け出した。 ● 広がる暗黒の瘴気が、混ざり合い、蠢き合い、搦め捕った蟲をすり潰す。粉々になった欠片がぽろぽろと崩れ落ちる。 「さあ、後はてめえだけだ」 プロト・インセクトと影継、輪が相対し、睨み合う。威嚇するインセクトの声に、最初のような声量はなく、脅威も感じない。目に入った生徒は輪が逃してしまったし、そうでない者は隠れているだろうから、蟲が補充される事はないだろうと影継は考える。輪は鉄の味のする唾液を側に吐き出した。べちゃりと音がなるより先に、インセクトは突進を試みる。 振り回された腕が影継と輪を弾き飛ばし、彼らは壁に叩き付けられた。背中に走る痛みをかなぐり捨て、壁を蹴った輪はインセクトに振り向く間も与えぬ高速で、間合いを詰める。影継もまたそれに追随した。 「ぶっ飛べ!」 輪の連撃と影継の強襲が、ほぼ同時にインセクトの横腹に炸裂した。無言で吹き飛ぶインセクトの身体は、教室のドアを突き破って椅子と机の波に飲まれていく。所々の剥げたインセクトの身体は、しかしなおも動いた。ミシミシと音を立てながらインセクトは立ち上がり、その目に接近しつつある二人の姿を捉えた。輪の銃撃を僅かな動きで避けつつ、インセクトは輪の腹を思いきり拳で突いた。吹き飛ぶ輪と入れ違いに飛び込んだ四色の魔光が、影継の横を通り過ぎ、インセクトの身体を灼いた。叫喚が響く。影継はただニヤリと笑う。渾身の力を込めて振り下ろした大戦斧が、インセクトの身体を真っ二つに叩き斬る。吹き出し、飛び散る体液が、窓際にあった本棚を染める。ぐったりと横たわるその身体を哀れに見てから、影継は輪と共に教室を出た。 ブレインフェザーがその意識を運命を以て繋ぎ止めたのは、二体いるプロト・インセクトの片割れが倒れるその姿を目にしている最中だった。喉が裂かれ、腕が落ち、原型を維持していないその身体に比べ、まだ傷も浅い、先ほど戦列に加わったインセクト。少しの弱りもない腕の振りを受け止めたユーディスが、僅か後方へと飛んだ。転回しながら体勢を立て直しつつ、ユーディスは戦闘前に掛けた加護が弱まりつつあるのを感じる。 「害虫は大人しく駆除されときましょうよ」 あばたの2丁拳銃が甲高い声を上げ、銃弾を吐き出す。首を狙ったそれは僅かに逸れて肩口を貫通するが、インセクトは痛がる様子もなく、吼えた。そして怒りに動かされた身体が瞬時にユーディスとの距離を奪い、殴り上げる。咄嗟の事に、ユーディスは防ぐのもままならない。当たる直前、思わず目をつぶったユーディスに、しかしその衝撃は届かない。 目を開ける。インセクトの脇腹が一目瞭然に抉れていた。体液の付着した大斧が、ユーディスとインセクトを遮るように構えられていた。 「後はこの階だけ、か」 影継の脇をすり抜けて、朔と輪が交互にインセクトに斬撃を加える。翻弄されるインセクトは思うように手が出ない。 「侵略には抵抗を。当たり前やろ?」 麻奈が伸ばした気糸は、インセクトの傷口を器用に突いて穿り返す。響き渡る奇声。嘆くような、怒るような、叫びに似ている。直後身体中から呼び起こされる無数の光弾。飛散する神秘の塊の間を縫って、ユーディスはインセクトに接近する。 気付くよりも、踏込む方が速かった。右肩から斜めに振り下ろされた斬撃は、インセクトの体内を内蔵から骨から全て切断し、背中の皮膚だけ残して通過した。千切れそうに、しかし分裂しないインセクトの身体は、ただ体液が滴る音だけを残して床に倒れ込む。中空をいき絶え絶えに見上げ、放心している。 影継はその横に立ち、訊いた。 「遺言がありゃ聞いてやるぜ」 投げかけた言葉に、インセクトは反応する。最後の力を振り絞って、インセクトは手を動かし、影継の足を、掴みかける。 殺す。その一言だけを心に浮かべて。 「そうか」 プロト・インセクトに掴ませる事を許さず、影継はただ、僅かな取りこぼしもなく、命を刈取った。 「『選ばれたもの』なんて……嬉しくも何ともないわね」 シュスタイナはぽつりとそう呟く。空想が現実になっても、碌な事はない。現実はただ非情に、力のない者から全てを奪い尽くす。だからこそ、心優しき力ある者が悩むのだけれども。 「このまま好きになんかさせてやらねえよ」 ブレインフェザーは、今頃どこか遠くの空を飛んでいるであろう侵食者に告げる。声に出し、必ず殺してやるという決意を示して。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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