●逃亡者 1/3 寝て、起きて、寝て、起きて。 明日はまたやってくる。 ひとり、閉じた世界、止まった時間の中にひきこもっているつもりでも絶えず世界は動く。 母はいつも定食屋の切り盛りが忙しげだ。一階からは慌しげに客が出入りする音のみならず、換気扇でも払い切れぬ料理の香ばしい匂いが漂ってくる。 この世界から切り離される以前は、わたしも、人並みに店の手伝いをした頃がある。今では接客はおろか、人前に出ることさえ躊躇われる。 寝て、起きて、寝て、起きて。 何日が過ぎたか、月日の感覚さえ乏しい。 外では祭囃子が聴こえる。 ランタンが灯り、夜の街は煌びやかに飾りつけている。幻想的でまばゆく、わたしという存在を消し去ってしまうほどに輝かしい。ひっそりと闇の中で己の世界に浸りたいのに、鬱陶しい。 誰か、あの灯火を吹き消してはくれまいか。 そんなことを想いつつ、夜も昼もないわたしはまどろみに身を委ねた。 暴虐の炎は、押しつけられた煙草の吸殻など比べるべくもないほどに無慈悲だった。 窓の外、夜の街、焔の海、灯火の龍。 すべては手遅れだった。 逃げ場など、ない。 生きながらに死んでいるような日々を過ごしていようとも、けれども、生きたいと願う。 だって、こんなのは理不尽だ。 どうしようもなく不条理なのに、どうしてこれが運命だと納得できるのだろう。 炎が身を焦がすより早く、煙は臓を燻してゆく。 「たすけて」 そう叫んだ。必死に、時には死を仄めかすことで安い同情を買ってきたわたし如きがおこがましくも叫んだ。やがて手を差し伸べてくれたのは母だった。 すべては手遅れだった。炎が、全てを洗浄する。 母を犬死にさせたのは、わたしだ。 ●火の主従 灰の三日月、梅花薫る夜風、白絹のカーテンはひとりでに踊る。 昼寝中の猫があくびを噛むような仕草で、ネグリジェの幼き少女は目を覚ます。ぼんやりとした眼差しで眺める弦月の夜は、おぼろげに霞んで幻想めいていた。 「きれーな夜」 淡い月灯かりのみが照らす寝室は仄暗い。枕元の呼び鈴をちりんと鳴らす。 闇の中に輝く、灰色の瞳。 「火継お嬢様、お呼びでございますか」 凛としてハスキーな女の声だ。 忽然と現れた執事服の女についてはさも当然といった様子で、幼き主人――火宮火継(かみや ひつぎ)は気だるげに背伸びする。青い御髪はちょろんと寝癖がついている。 「ねー、土筆ちゃんまだ目ぇ~覚めないの?」 「贄は事足りております。あとは月日に委ねる他ありませんよ、火継お嬢様」 「火継つまんない」 「金城様がいらっしゃるではないですか。どうか今しばらくはお待ちを」 「むー、ジキルはつまんないことばっか言うんだもん、プラズマ大キライっ」 ごきげんななめの火継はむくれっつらで枕をポイと投げつける。 ぽふんっ。 従者――ジキルはどうやら避けようともせず顔で受け止めたようだ。 「では、ひとつ素敵なものをご用意いたしましょう」 「なあに? なあに?」 「箱舟屋の高級焼き菓子にございます」 銀の瞳が妖しく光る。 火継の口許はゆるやかに三日月を描いて歪み、白牙を露にする。 「それって燃えるゴミ?」 ●逃亡者 2/3 『佐倉 桜』 行方不明者リストの中に、わたしの名前を見つけた。死亡者として母の名を見つけた。 生きている。 そんな実感はどこにもない。 『有閑』というネットカフェに寝泊りできるよう斡旋してくれたのは『逃し屋』と名乗る奴だ。事情は、彼に聞いた。わたしはバケモノになってしまったらしい。 ノーフェイス。 あの煉獄の中をひとり生き延びたのは、炎に適応した結果だという。 何週間か、わたしは潜伏生活をつづけた。自堕落な日々もまた、自分の中で整理をつけるために必要な気がした。喪失感は深く、帰る家も待つ人もいない孤独を今更に知る。 何気なしにザッピングする。 どこぞのアイドルが爆弾騒ぎでどうこうしたと映っていた。特に深い感慨もない。あるとすれば、こうして他人事に想えることは、例え当人にとって深刻なことであろうと他人事に過ぎないということくらいだ。母もわたしも、この芸能人の特集に遠く及ばぬ、ほんの数秒のテロップと共に世間に忘却されてゆく存在なのだろうか。 バケモノを抹殺する“正義”の組織について逃し屋は語ってくれた。神秘というものを人知れず処理することで日々の平穏は守られる。わたしはこのまま秘密裏に消されることになるのだ。 では、なぜ母はわたしごときのために死ななくてはならなかったのか? 『運命さえ君を愛せば、あるいは――』 人として生きられる日々が、再び訪れる。 盲目的に、わたしは生き長らえている。炎の記憶が、いつまでもわたしを焼き焦がす。 ●作戦司令部 「本作戦の目的はノーフェイス:フェーズ2『朱桜』の撃滅です」 作戦司令部第三会議室。 『運命オペレーター』天原和泉(nBNE000024)は神妙な面持ちで資料を読みあげる。 貴方、そして貴方の仲間たちの中には一連の事件に関わってきた者も少なからず居るだろう。なんとなく、空気が重苦しかった。 「場所は中華街被災エリア、朱桜こと佐倉 桜の自宅跡です。現在、街の復興のために再開発の流れにある中、自宅跡周辺の取り壊し作業が進んでいます。逃走中のノーフェイスは真夜中に自宅跡へ忍び込み、そして途方に暮れます。 朱桜は普段『逃し屋』という協力者の手で匿われており所在が掴めなかったのですが、今回は無断行動の様子。大きなチャンスです」 立体映像に映し出されるのは残骸だ。 黒ずんだ柱をはじめとして、生々しい火災の爪痕が見受けられる。 この「中華街大火災」はアークの手により元凶のエリューションは撃滅、作戦は成功、被害も抑えることもできている。しかしやむをえず必要最小限の犠牲は出す結果となっている。 今回のノーフェイスは、事件の被害者だ。 されども、アークのリベリスタには崩界を止めるべくエリューションを撃滅する使命があり、またノーフェイスの放置は周囲の革醒を促し、フェーズ進行を招く。非情に徹せねばなるまい。 「――しかし二つの問題が懸念されます。 ひとつ目は、“朱桜は運命を得る可能性がある”こと。 ふたつ目は、“朱桜を狙う第三者が現れる”こと。 未来予測の結果、朱桜はそのメンタル推移次第では運命を得る可能性があります。リベリスタ、あるいはフィクサードになりうるわけです。運命を得た場合、ノーフェイス時よりも大きく弱体化しますので、捕縛・捕殺・説得いずれにせよ扱いは容易になります。 第三者については情報が不足しており、予知も不完全です。撃滅目標とは致しませんので、対処の方針は、交渉や足止め、あるいは全力交戦など現場判断に委ねます。あくまで朱桜の処分を優先してください」 和泉は私情を挟むまいと、あまり感情を交えずに語る。かえって内心が伺い知れる。 「――以上です。詳しい資料は、またのちほど」 ●逃亡者 3/3 その焼け跡を、桜は自分の家だと認識できなかった。 暗闇の中、黒焦げた木片を眺めてもソレを我が家と思えるわけがない。 ノーフェイスと呼ばれるバケモノになって以来、桜の五感や心身は人間の域をとうに越えている。 金庫を探す。鼻は利くし、夜目も利く。直感めいたものが、桜に告げる。ここを掘り起こせと。 煤だらけになりながら、灰の中を素手で掻き分けていく。重たい瓦礫を、無造作に投げ捨て拾っては捨て、ようやく金庫を見つけた。 「……なんで今更、こんなものを」 この中身は、紙束だ。 素手で金庫をこじ開けることもできようが、パンドラの箱じみた何かが躊躇わせる。 桜は、運命に分岐点に立っていることを自覚した。 「お嬢様、この者です」 「冬着を真っ黒けにしちゃって、素はかわいいのに台無しだね」 ジキルと火継。執事とお嬢様。 火継はネグリジェに緋色のコートを羽織り、ギターケースのごとく黒い棺を背負っている。趣旨の分かりづらい着こなしは、投げやりな無造作さをおぼえる。 場違いなふたりを、桜は白桜色の髪をぞわりと逆立たせ、睨む。 「……灰になれ」 爆炎が轟く。桜の瞳は一秒その焦点を合わせるのみで遠隔発火を成し遂げる。 炎を司る。 それが桜の開花した異才だ。実戦経験はないが、眼力だけでも人を殺すには十分すぎると桜は知っていた。相手も人外。加減は要るまい。 そして現に火継は四肢をバラバラにされていた。人形を思い切り床に叩きつけ、踏み砕いたように無残に、だ。 だのにメイドは悠然と涼しげに佇む。 「お嬢様、お戯れを」 四肢が炎上する。一斉に火の粉が散りゆき、人の形を織り成して爆ぜる。 火宮火継は不死鳥のごとく返り咲いた。 「んーにゃ、人生は戯れだよ」 信じがたい光景を否定せんと桜は鉄パイプを拾い、それを芯に灼炎の剣を手にして叩きつけんとした。火継は踊るようにかわす。地面が衝撃に砕けて、次いで炎熱により溶鉱炉と化した。 「殺すっ……!」 「吸血鬼は不死身なんだってば。けど、痛いものは痛いんですけどー」 火継が指を鳴らす。燐光が集い、桜を囲う。赤熱、爆発。されども桜は火傷ひとつ負わず、健在だ。刹那的に自らも極小の爆発を起こすことで衝撃と炎熱を相殺、威力を減少させていた。もとより炎熱を操る桜に同系統の攻撃は通じづらいようだ。 「これでは百年戦争ね、そうこうしてるうちに誰か来ちゃうかもね?」 「くっ」 「ね、おしゃべりしよーよ。あなたの運命について。あたち、貴方のお友達になれる気がするの」 妖しく微笑み、火継は甘美にささやいた。 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:カモメのジョナサン | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年02月28日(木)22:53 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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●異邦人 夜闇に輝く三日月を、狼煙火が朧とする。 火柱が夜天に昇る。朱桜は赤髪を滾らせ、烈火となる。 現地へ急行する、その道すがら。 「……燃えてる、色々なものが」 『悪芽の狩り手』メッシュ・フローネル(BNE004331)は夜風が運んできた灰煙に顔を歪める。 世界樹の子たる交感能力が、その意志や感情を“なんとなく”程度に同族へ伝播させる。 『胡蝶蘭』アフロディーテ・ファレノプシス(BNE004354)もまたフュリエだ。ほんのりとした日焼けがどことなく“個性”を表している。 両者は先行する仲間――ボトムの輩(ともがら)の少し後を追っていた。 六名はいずれもアーク上位の実力者だ。顔つき、佇まい、いずれも凛として真剣の機能美がある。 実戦経験の皆無なふたりとは天地の差。無理もない。フュリエはこれまで闘争を知らぬ種族だったのだ。ボトムでの実戦を経て研鑽を積み、強くなる。アークが期待するのは無事の帰還だ。それはふたりも心得ており、後衛として援護に徹する方針だ。 「不安ですか、フローネルさん」 「わかってるクセに」 メッシュはぷっくり頬を膨らませた。表情で意志を伝える。ボトム流の感情表現だ。 ●火と火 激突は炎となりて廃墟の闇を焼き払う。 爆視による発破を華麗にかわして、火宮火継は灼熱の半月を蹴り描く。 「っ!」 不意の蹴撃にガードができない。朱桜は殴り合いの経験がないのだ。 「桜! お前を死なせはしない!」 止めた。 『紅蓮の意思』焔 優希(BNE002561)は火継のちいさな足を掴み、受け止めている。優希は灼熱の炎をものともしない。火継は愛嬌たっぷりに宙釣りのまま小首を傾げる。 「燃えないの?」 「燃えてるさ」 優希は豪快に火継を上空へ投げ飛ばす。 「……だれ? なぜ?」 「俺はかつて理不尽な事件で妹を失った。勝手な願いだが、桜、俺はお前を守ってやりたい」 仲間に追撃は委ね、優希は朱桜を庇うように布陣する。 『運命狂』宵咲 氷璃(BNE002401)。 凍てつく瞳の魔術師は白き翼をはためかせ、黒き日傘を畳み、標的を定める。 「ごきげんよう」 呪氷矢が火継を射抜く。銀矢の軌跡が遅れて氷のレールを敷き、銀色の粉塵と化して散った。 腹部を射抜かれて凍傷を負った火継を、さらに無数の気糸が縛りあげた。 「不死身の吸血鬼……ね、死ななくても、できるよ、動けなくすることは」 『無軌道の戦鬼(ゼログラヴィティ』星川・天乃(BNE000016)の糸裁きは目にも映らぬ素早さだ。 「俺が盾になる」 『生還者』酒呑 雷慈慟(BNE002371)は朱桜の前に陣取り、庇う姿勢を示す。 「戦闘行動は我々に一任して良い。君は運命を得る可能性がある。その上で君の想いは尊重する」 「あなたたちは一体?」 「アークだ。ただし、君を救いに来た」 懐疑的な眼差しを向けていた桜は一転、キッと強い敵意を示して炎剣を振り上げる。 「アーク……ッ!」 「ちょっ待って! ボクらは味方だよ!」 朱桜の浅い呼吸には火の粉が混じり、赤く瞬いている。威嚇だ。落ち着かせて事情を説明しきるには、少々時間を要するだろう。 「わたしは……まだ死ねない……!」 ●不死身 「私と、踊ろう? 焼き菓子が、出来上がるかは……貴女の腕次第」 縛死の戒めを維持し、天乃は火継へ問い掛ける。 「あ、かはぁ……」 しかし意外なことに、火継はギリギリと首を絞められてゆくにつれて悲痛に身悶えてみせる。演技にせよ、このまま絞め殺せるのではないかと錯覚する。 「火宮火継でしたか。何者、等と聞いてもこれでは応えてはくれないでしょうか」 『星の銀輪』風宮 悠月(BNE001450)は魔術師、そして深淵ヲ覗ク者だ。その知識を以って、不死の実体を見極める。 これは“陽炎”である、と。 銀杖を掲げる。炎熱猛り狂う戦場が、静まり返ってゆく。 「火遊びは結構ですが――此処で、というのは感心しませんね」 白鷺が舞う。 五月雨の氷刃によって廃墟を這いずる災厄は鎮まり、次々と火継や黒き棺を切り刻んだ。 呪氷矢と白鷺結界。奇しくも唯一無二の氷技の使い手がふたり、この場に居合わせている。その技量と美麗さに、アフロディーテは目を奪われた。 (凄い……!) 凍気を統べる『少女』達の競演。白銀の刃が乱れ舞うさま、 白氷の矢が描いたアーチの砕けてゆく様子は芸術の域に達していた。美しい力だ。渇望に値する。胎動する衝動をアフロディーテは感じていた。 氷刃の剣山と化した黒棺。火宮火継の陽炎は霧散した。 「あいつを……殺したの?」 朱桜が炎剣を構えたまま問い尋ねてくる。回答は、依然として無風のジキルを見れば一目瞭然だ。 「式符・影人という自己の分身を使役する陰陽術があります。それに等しく、炎を素体に式神を作り出していたのでしょう。分身は、幾度でも蘇った振りをして作り直せます。興味深い点は、姿形や思考言動に至るまでをコピーしている点ですね。否、むしろ当人ですか」 「ご明察にございます、風宮 悠月様」 拍手する執事。 一礼を捧げ、悠然と黒棺をゆっくりと勿体をつけて開いてみせる。 そこに眠るのは、まさしく火宮火継だ。今度は本物に違いないと、氷璃の直観も告げていた。 あたかも眠り姫の如し。 火継は寝息もなく、人形のように眠っている。服装は異なり、白を基調としたナイトドレスだ。フリルが多く、何とも幼げだ。 眠れる火継は肘や肩、脇腹と複数箇所を氷刃に刺し貫かれている。出血さえ空中で凍りつく凄惨な有様で、異様なことに居心地よさそうに眠っている。 否、目覚められない。 「火継お嬢様は今現在、未だ“封印”されているのです。不死にして不生の呪いです。しかし現状の封印は不完全につき、こうして陽炎を作ることで仮初の肉体を構築して活動することができる。ここまでは、おそらく聡明な悠月様ならば一目で見切っていらっしゃることでしょう。さて――」 そうして喋る間に、氷刃は露と消えて肌や棺は傷ひとつ残さず治癒していた。 ジキルは棺を閉じるとおもむろに背負い、灰色の瞳で一同をねめつける。 「火継お嬢様、今一度どうぞ現世(こちら)へ」 蘇る陽炎。 火宮火継は顕現する。灼熱の炎が螺旋を描き、少女の人型を織り成した。 「あたちは火継、火宮火継。今後ともよろしく」 にへへと悪戯げに笑ってみせる火継。 『閃刃斬魔』蜂須賀 朔(BNE004313)は一歩前に歩み出る。今の長話に乗じて、後方では朱桜への事情説明を試みていた。茶番も時には役立つ。 もっとも、朔にとって朱桜の生死は二の次だ。 「折角デートのお誘いを頂いた故、出向いたのだ。こっちの相手も頼もうか」 ざんと頭を振ると、水滴が飛び散った。身体のギアは最適化済みだ。 「水も滴る良い女、だね」 「どういう事情で方舟を誘ったかは知らぬが、強い敵と戦えるならそれで良い」 「強い敵だったら?」 「殺す」 「弱い敵だったら?」 「殺す」 くすくすと火継は笑い、朔は頬を薄っすらと釣りあげた。 「死なないのに?」 「死ぬまで切り刻んでやろう。どうも痛覚は生きてるらしい。仮初の器だろうと同じことだ」 薄刃に映る、金色の瞳。 「我流居合術、蜂須賀 朔。推して参る」 ● 戦いは長引く。 復活した火継は、先ほどより隙を見せず巧みに複数人と渡り合ってみせる。優希の火炎無効が火継の意表をうまく突いていたらしく、一連の猛攻はその大きな隙のおかげでもあった。 圧倒的でこそないが、朔のアルシャンパーニュや優希の弐式鉄山を見目にそぐわぬスピードとパワフルさでうまく切り抜け、呪氷矢と白鷺結界についても火炎を防御に転用することでことごとく防いでみせる。 燐光爆破も厄介だが、幾度か吸血も織り混ぜ、優希や朔、天乃ら前衛を削ってくる。仮に陽炎を生む火継の魔力に限度があるとしても、これではイタチごっこだ。 「であれば!」 悠月の氷刃は、しかし黒棺の上蓋を突き破るに留まる。否、目的は撃破そのものより観察だ。そして分析を続けるにつれて真相へと迫っていく。 また酒呑の卓越した戦闘指揮は一対八の有利を最大限に活かして戦闘を推移させる。そうなればメッシュとアフロディーテの後方支援とて、無駄ではない。うまく味方の攻撃と攻撃の合間を縫い、火継に息つく暇を与えない。 弐式鉄山をガードした直後を狙い、悠月は気糸で絞殺を再び仕掛ける。紙一重でかわす。その隙を突き、朔の薄刃は千枚おろしを披露する。 「くあっ」 さらに蘇る最中の火継に、瞬剣を閃かせる。少女の右腕が宙を舞う。 「便利だな。だが風情がない。君はどうだい、面白いかね?」 火継は苦痛に歯噛みするが、瞳は火を宿している。 「面白くなきゃとっくに帰ってるよ」 指を鳴らす。青白い燐光が戦場を覆い尽くした。 「どっかーん」 赤熱、爆発。幾度目かの燐光爆破だ。各自、大なり小なり爆発炎上によるダメージが重なっている。この寒空の下わざわざ水を被ってきた朔や氷璃は気休め程度に炎上頻度を和らげている。 「とりゃああっ!」 メッシュは水道管を魔弓で撃ち抜いた。擬似的な雨を織り成して、火気を弱める。 雨と炎。おまけに真夜中の虹のできあがりだ。 「どーだい!」 「なるほど、悪くない策だ」 酒呑に一言ほめられたメッシュは得意げに勝ち誇り、魔弓に矢を番い、次に備える。 時間稼ぎは上々。 ならば本懐は――朱桜こと佐倉桜の運命に委ねられる。 ●佐倉Caution 『生きていれば母の料理を継げる。願い努力すれば定食屋も蘇らせることも不可能ではない』 違う、そんなこと望んでない。 『俺の妹の分まで……どうか、未来を歩んでくれ』 そんな重たい荷物を背負えるほど、わたしは強くない! 「やめろっ! 止めろ辞めろっ!!」 突如、朱桜は炎剣を三日月に届かんばかりに掲げ、盛大に振り下ろした。 酒呑らはとっさに回避する。大振りで無駄の多い挙動のせいか、見切ることは容易い。しかし威力は甚大だ。溶解した土石が沸騰し、地下へ流れ落ちてゆく。マグマの河だ。 「桜! 力に呑まれるな!」 暴走する熱気をものともせず、優希は朱桜のそばで説得を試み続ける。それが朱桜の混乱を招く。 というのは、作戦段階で説得役を限定しきれていなかったことに起因する。交戦の最中、優希をはじめとして各自が各々の想いを投げかけた。その言葉ひとつひとつは真摯であり、あるいは心に響くに値したかもしれない。が、短時間に五つ六つと重い言葉を受け止めるのは困難だ。 運命を得る“かもしれない”? 火継のささやきが蘇る。 『あなたは運命に愛されている自信はある? これから箱舟の猟犬がやってくる。運試しよ。世界に愛されていれば猟犬の仲間入り。愛されてなかったら塵芥の仲間入り。ノアの箱舟に乗れるのは、選ばれたほんの一握りの人間だけ。たったひとりで猟犬に勝てるとは思ってないよね? 火継といっしょにおいでよ。世界じゃない。あたしがあなたを選んであげる』 その誘惑を振り切って、朱桜は火継と対峙した。 が、火継が劣勢になるにつれて、アークのリベリスタの思惑通り優勢に盤面が進むにつれて、朱桜の猜疑心は加速してゆく。そのために火継が手加減していたとまでは見通せないまま。 火継を、まだ退却させるわけにはいかない。 状況を五分に戻さなくては。この場における主導権を握るために。 「お前たち……黙れぇぇェェッ!!」 炎剣、真一文字。 横薙ぎの炎撃が地上を洗い流す。前衛陣が、不意の背面攻撃に大きな痛手を強いられる。 1対8対1。 戦場は、混迷を呈す。 ●火継 戦況は悪化の一途を辿る。 朱桜と火継の挟撃は苛烈を極める。炎剣真一文字と燐光爆破。一挙に攻撃量は倍増だ。その上、片や不死身の陽炎、片や説得中と打開手段に乏しい。 劣勢に追い詰められる中、一転して朱桜は攻撃を中断した。 主導権を握る。それが朱桜の狙いだからだ。 「良いのですか、佐倉桜さん。『此処』を、再び炎で穢しても」 悠月は天使の息によって自陣の立て直しつつ、朱桜を精神的に牽制する。とうに廃墟と化した地だ。延焼の恐れはない。が、朱桜にとってはトラウマだ。 「うるさい! うるさいうるさいうるさいっ!!」 爆視が瞬く。悠月は銀の円環の護符を展開、爆発を凌ぐ。 「全てが重荷だ! 火災も母も父も店も学校も運命も世界もお前達も! わたしに押しつけるだけ押しつけて! 勝手に居なくなって! 理不尽で! 不条理で! ……こんなものっ!」 耐火性の金庫を足蹴にして、戦場の端に転がす。 「はぁ、はぁ……」 優位に立ったことで朱桜は深呼吸をする。 「何も言わないで。お願い、そっとして……」 膠着する戦場。 慎重に言葉を選ばなくてはならない。それは火継も同じらしく、無闇に軽口を叩こうとはしない。三つ巴の戦いならば、二対一になれば勝敗は自明の理だ。 「方舟の声にも、火宮君の声にも惑わされるなよ」 口火を切ったのは朔だ。朔は、朱桜の不意の炎剣をただひとり完全に見切っていた。 「味方のつもり?」 「敵のつもりだ」 薄刃を鞘に納める。 「理由あって此処を尋ねたんだろう? 己が為すべきを為せばいい。私もそうする。皆がそうする。今回の依頼はノーフェイスの処分だ。情けは無用。運命を得る見込みがなければ、斬る」 瞬ッ。 光の飛沫、流星夜の剣閃。抜刀、アル・シャンパーニュ。 いつ踏み込んだのかさえ視認できない。朱桜は無防備を晒す。大きな背が、立ち塞がる。 「ぐぬっ」 酒呑だ。ARM-バインダーを展開、九枚の盾板によって連続突きを防いでいた。肩甲骨を突きぬけて、薄刃が朱桜の喉元を掠めた。完全に防ぐのは至難の業だ。 薄刃についた血を払い、仲間たちに包囲された朔は悠然と見下ろす。膝をつき苦痛に耐え忍ぶ酒呑の表情は、むしろ“よくやった”と告げていた。 「ごめん。ちょっと、痛いよ」 天乃の気糸を切り払い、朔は再び朱桜へ迫る。 「させるか!」 優希が道を塞ぎ、魔力鉄鋼で剣閃を防ぐ。 「なっ……どうして」 動揺する朱桜に酒呑は掠れ声で告げる。 「君の盾になる。そう約束した筈だ」 灯る燐光。 「なあに、あたちも混ぜてよ」 火継の口緒が三日月を描く。風を切る音。魔矢が火継の右頬を抉り抜いた。アフロディーテの狙撃だ。集中を重ね、必中の機会を狙っていた。 「失礼、火宮さん。今は大事なお話中。口を閉じて頂きたいのですが、これでは塞がりませんね」 あえて慇懃無礼に振舞う。挑発だ。 「あはっ! 面白いものみっけ!」 火継は一気に異界の弓手に迫る。メッシュが庇いに入る。 吸血。 白牙が、メッシュの喉元を蹂躙した。 「ッ!」 魂を愛で舐めるような甘美な痛み。次瞬、無痛のうちに喉笛を噛み切られていた。息ができない。声も出せない。このまま死んでしまうのか。朦朧とする意識の中、世界が何かをささやく。 「はっ、はぁはぁ……」 踏ん張り、大地に立つ。 「ボクは守るよ、友を! そのためにいるんだ!」 ●桜咲く 「火継お嬢様、刻限です」 灰色執事のジキルは懐中時計を確かめると、黒の棺を背負って一礼、立ち去ろうとする。 「プラズマ間が悪い!」 不平を述べる火継は、右肩に突き刺さった氷呪矢を燃焼させつつ悪態をつく。 「夜明け、怖い……?」 天乃の超直観が閃く。卓越した五感が、ジキルの鼓動や脈拍音を元に真偽を見破る。 「不死身で日光に弱い吸血鬼なんて、御伽噺ね。宵咲の一族にもヴァンパイアは居るけど」 氷璃は白き翼を広げ、思索する。 「……天使や吸血鬼は架空の存在。けれど、その幻想の原典となるアザーバイドは存在しうる。その因子を宿して生まれ出でる革醒者が、その証左」 「そう見える?」 青き燐光が舞う。一斉爆破。 「ごちそうさま」 爆光と灰煙にまぎれて謎めく主従は消失した。 遠くでは、消防車両のサイレンが鳴り響く。 刻限だ。 この瀬戸際、重い沈黙がだけが場を支配する。 朱桜は意を決して金庫をこじ開ける。そして紙束を手にして読み耽る。 『俺のレシピは墓に持っていく』 紙束は、権利書や資本金の類だ。レシピなど、どこにもない。残るは母宛ての手紙のみ。 「はは……なに、それ」 ぽろぽろと安っぽいほどに涙が零れ落ちてゆく。 病没した佐倉の父は、妻に死後も未練たらしく店を続けて欲しくはなかったのだ。新しくやり直せ。過去に縛られることはない。どうしても継ぎたければ、自分の味を探せばいい、と。そうだ。父と母の味付けは全然ちがったはずだ。 「パンドラの箱に残される最後のひとつは希望――、希望は時に絶望の種。夢は呪いになる」 予想の外れた氷璃は、なぜだか清々しそうに微笑む。 「……真菜」 優希は自嘲する。復讐鬼、優希。胸に抱く灼熱の憤怒は、望んで優希を愛する者たちが託したかったものか? 否、これは優希自身のモノだ。 「継ぐべきは命の火だ。それさえも母の我侭だろう。が、けして重荷となる想いではないはずだ」 酒呑は月夜を仰ぐ。 「母は君に生きていて欲しいと願った」 天涯孤独の彼にとって母の愛など推察に過ぎない。そう知りつつも、語る。 「それだけを願った」 灰が散る。 朱桜の紅蓮色の髪が、瞳が、白桜色に煌いていく。 世界は今、朱桜に新たな運命を授けた。 煉獄の焔、凡ては灰に還る。されども灰は巡り巡りて、終に咲けるは墨染めの桜也。 桜、咲く。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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