● とても、寒い部屋だった。 転がったコップと、何も入ってない皿。空になった塩の瓶、何かのソースが入っていたチューブ。 ひっくり返したゴミ箱と、引きずり出してきた衣服と毛布。 水道はもう止まっていた。電気もつかなかった。家の鍵は開けられない様になっていて、窓の向こうに広がるのは民家の屋根ばっかり。 誰も、気づいてくれなかった。 誰も心配してくれなかった。此処に居るのに。外で聞こえる誰かの声は、ぼくの名前を呼んではくれなかった。 お腹が空いた。寒かった。眠かった。良い子にするから。ちゃんと待っているから。少しで良いから食べるものが欲しかった。 ドアを叩きたかった。窓を開けてしまいたかった。でも、駄目って言っていた。良い子じゃなくなったら帰って来てくれなくなってしまう。 だから。膝を抱え直した。寒くて寒くて。どんどん、眠たくなっていく。 ああ、ねえどうして気付いてくれないの? どうして帰って来てくれないの? どうしてもっと早くに気付いてくれなかったの? ねえ、どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてねえ、。 手を伸ばしていた。目を開く。部屋は暖かくて、見知った顔が幾つもあった。 だから。これは自分では無くて。終わってしまった誰かの夢なのだと、小さく溜息をついた。 ● 「……これで全員? じゃあ今日の『運命』。どうぞよろしく」 僅かに、資料から視線を上げて。『導唄』月隠・響希(nBNE000225)は何時もの様に、話を始めた。 「今日のお願いはE・アンデッド及びフォースの討伐、加えて、……一般人保護。場所は、とあるマンションの一室ね。 手配は出来てるから部屋にはすぐ入れるわ。内容自体は、そんなに難しくないと思う。近隣住民には事件があった、って事で注意を呼び掛けているから、あまり気にしなくても良いわ。 じゃ、次、敵情報ね。こっちの資料見て頂戴」 差し出される資料の束。どことなく青ざめた顔が、眩暈を堪える様に額を押さえた。 「E・アンデッド『ヒロト』。フェーズ2。4、5歳くらいの男の子の姿をしてるわ。まぁ、健康的な同年代と比べたら、有り得ないくらい小さくて細いけど。この子は……そうね、ナイトクリーク的な感じだと思ってくれればいい。 明確な攻撃手段は体当たりとか引っ掻くとかその程度だけど……精神面の攻撃が多いわ。理由は、まぁ後から話す。 次、E・フォース『子供達』。フェーズは2だけど、3になる可能性も秘めてる。ヒロトに誘われる様に集まってきた、死んだ子供の無念とか恐怖とか、そういうもの。 大体がもやのかかった子供の姿をしているわ。前衛的な働きをするみたいね。呪縛を行ってきたり、ダークナイトに似た攻撃方法を取るみたい。因みに、ヒロトを倒さないと常に回復し続ける。此処まで良い?」 赤銅が確認を取る様に周囲を見て、一枚、資料を捲った。 「……さっきの理由。このヒロト、っていう男の子は……要するに、ネグレクトされたのよ。面倒を見たく無くなった親が、遊びたいからって理由でマンションに閉じ込めたの。 子供が子供を産むからろくな事にならないのよ。……この子、ずっと待ってたの。真冬で寒くて、食事も水も殆ど無くて。未だ小さいから、高い所のものを取るのも大変で。 それでもずっと待ってたの。……良い子にしていれば、親が帰ってくる、って思って。そして、そのまま」 浅く、息を吐く音。形容しがたい表情を浮かべたフォーチュナは、一般人、と小さく呟いた。 「この子の母親。どう言う神経してんのかわかんないけど、帰って来るの。あんたらがすぐに向かって対処するなら……彼女が来る前に戦闘を終えられる、かもしれない。 ……彼女の無事も任務達成条件。『罪のない一般人』の命は護らないといけないから。まぁ、無事なら何でもいいから、お任せするわ」 其処まで告げて。フォーチュナは席を立つ。青白い顔が、無表情を崩さぬままにリベリスタを見遣った。 「邪魔だから、なんて理由で、その子の生死を左右して良い筈無いのにね。気を付けて行って来て頂戴、後は、どうぞ宜しく」 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:麻子 | ||||
■難易度:NORMAL | ■ ノーマルシナリオ 通常タイプ | |||
■参加人数制限: 8人 | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年02月28日(木)22:49 |
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■メイン参加者 8人■ | |||||
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● ドアを開けて最初に感じたのは、胸が悪くなる様な饐えた臭いだった。足元に転がる塩の瓶。それを見る間もなく。 「――まま!」 踏み込んだ『ピジョンブラッド』ロアン・シュヴァイヤー(BNE003963)に駆け寄った小さな影が、待ち切れないとばかりにその手を伸ばす。絡み付く手。走る激痛。それを飲み込んで。ロアンはそっと、小さな頭を撫でる。 神秘は恐ろしい。けれどそれよりも、人の性根はもっと根深い闇を抱えている事だってあるのだ。その両方の結果。犠牲になっても尚『母親』を待つ小さな身体に、上手く言葉は出て来なくて。 言葉の代わりに、しがみ付く背に腕を回す。自分はあくまで囮だ。だから。こうして与えてやれる熱は仮初のものだけれど。それでも。どれ程の痛みを伴おうと、最期まで『母親』の振りをしよう。覚悟を決めた彼の後ろ。 剣と呼ぶには余りに強大な漆黒がぐるりと回る。滲んで滴る同じ色。少年を、部屋に漂う子供の幻影を等しく喰らったそれを刃から振り払って。『狂奔する黒き風車は標となりて』フランシスカ・バーナード・ヘリックス(BNE003537)は微かに、その眉を寄せた。 要らない子供。その言葉に覚えがない訳では無かった。嫌な話。それ以外のなにものでもない。ろくでもない女の犠牲になった子供を、始末しなくてはならないなんて。 「まあ、これも依頼のうちだし仕方ないからやるけどさ」 割り切らねばならない事を知っている。憐れみと、理不尽への憤りは握り締めた黒き風車に乗せて。幻影を相手取った彼女の横合い、駆け込んだのは眩しい程の純白。体内のギアが引き上がる音が聞こえた。 大人は自分の子供を守るべきだ。『デンジャラス・ラビット』ヘキサ・ティリテス(BNE003891)の鮮やか過ぎる程に紅い瞳に揺らめくのは、怒りと悔しさと憎悪と。綯交ぜになった激情を叩き付ける様に足元の瓶を蹴り付けた。 中身も分からない程に綺麗に無くなったそれは、その飢えをありありと示す様で。如何して生んだのに責任を持って見守る事も出来ないのか。こんな親がいるから。孤児が、そう、自分の様な子供が、生まれるって言うのに。 握り締め過ぎて白くなった拳が震える。全部全部身勝手な親のせいだと言うのに。どうして彼が、たった一人で死ななければならなかったのか。幼く真っ直ぐな心は、それを許せない。 「ちっくしょおおおォ……ッ!!」 吐き出す激情。ぶつける事の出来ないそれに身を震わす彼と同じく、前に出た『深紅の眷狼』災原・闇紅(BNE003436)は軽やかに踏み込みその小太刀を振るう。澱み無き連撃。幻影を抑え込む立ち位置を守りながら、少女は微かにその人形の様な瞳を細める。 「……わるいけど……あんた達は大人しくしてなさいな……」 目的の為に邪魔であるのなら。それが何であったって同じだ。『敵』に良いも悪いも無いのだから。からん、と転がる懐中電灯。投げ入れたそれを確認する間も無く、山川 夏海(BNE002852)は己の拳を胸へと当てる。 体内を巡り続ける紅いそれに立てる誓いは、『敵を排除する』と言う揺らぎ無き意志力の表れ。運命さえ招き寄せるそれを身に刻んで。夏海は目の前で蠢く幻影と、もう命を失った少年を見詰めた。もしも。あの日、拾って貰えなかったなら。其の儘死んでいたなら。 自分もこうなっていたのだろうか。ぼんやりと頭をよぎったもしも話は振り払う。そのもしもは起こらなかったのだ。そしてもし、もしもそれが起こる可能性があったとしたって。 彼らに向ける同情は、存在しないのだ。首を振る。ただ、嬉しそうな子供の笑い声だけが戦場に響いていた。 ● 「ねえ、こっちにおいで。お姉ちゃんと遊ぼう」 誘いの声は、酷く優しかった。剣先に纏わりつく暗黒を振り払って。『骸』黄桜 魅零(BNE003845)は静かに指先を差し出す。未だ命がある内にその声を聞いてやる事は出来なかったけれど。其処に未練が、悲しみが残るのなら。 魅零は手を差し出す事を止めはしない。望んだ母親ではないけれど。帰って来てほしかったと、もっと生きたかったと伸ばされた手を、必ず握り返してやるのだ。悲しかったのか。辛かったのか。どんな事があったのかと問えば、ささめきたつ小さな声。 おいていかれた。だれもいなかった。いたかった。こわかった。さむかった。さみしかった。聞こえてくる声はどれも悲しみに満ちていて。心を削る様な怨嗟と嘆きを、其れでもしっかりと受け止めて。魅零は慰め続けるのだ。 そんな彼女の傷を癒す様に吹き抜けた柔らかな息吹が漆黒の髪を揺らす。反吐が出る、と眉を寄せて。『慈愛と背徳の女教師』ティアリア・フォン・シュッツヒェン(BNE003064)は鉄球の柄を握り直した。 理解が出来なかった。したくもなかった。自らがお腹を痛めて生んだはずの子供を、邪魔だと捨てる気持ちも。その子の死をわざわざ確かめに来る神経も。ぶつける先を失った怒りを飲み込んで。ティアリアは緩やかに首を振った。 「……子供は自分のおもちゃではないわ」 どの子も可哀想で。言葉は上手く出なかった。仲間に絡み付き、暗黒の怨念をぶつけるその姿は何処までも悲しみに満ちている。けれど。それを見て心を揺らしてはいけない事を『攻勢ジェネラル』アンドレイ・ポポフキン(BNE004296)は知っていた。 この世界を担っていく子供達。本当ならこの手が、護らねばならない存在。慈しまねばならない存在。否。目の前の『コレ』は、その筈だったモノ。何時だって大人の身勝手でその命は失われる。その心は傷ついていく。 本当なら何より弱く傷付き易いはずの心を、大人の手が抉っていくのだ。無表情を貫きながら、けれどそのピンクの瞳に揺らめくのは怒りにも似た激情。嗚呼。さぞ寂しかった事だろう。辛かった事だろう。どれ程思っても手を差し出す事は、出来なかった。 「ゴメンナサイ、……小生ニハ」 その首を刎ねて終わらせてやる事しか出来ないのだ。断頭台の刃が閃く。さあ喜べ。今日は処刑の日だ。悲しい現実と言う名の歪んだ生に終止符を。 「――大胆不敵痛快素敵超常識的且つ超衝撃的に勝利シマショウ」 自分に出来る事は戦って勝つ事、それだけだ。 戦闘は、明らかにリベリスタの優位に進んでいた。ロアンが上手く誘導した少年を優先して狙えば、その身体はまるで生きているかの様に血を流して。けれど、その表情は変わらない。 ただ只管に幸せそうに。ロアンを見上げて笑うのだ。まま、と。同じ様に、自分を慕う妹の顔が頭を過る。親と信仰に従って。その身を危険に晒し続けた彼女。形は違うけれど、どちらも親の身勝手だ。 「君は、二回殺される事になるのか」 小さく、呟いた。傷ついてけれど泣きもしないこの子供は、此の侭もう一度死んでいくのだ。幾らエリューションであっても、覚える痛みに眩暈がした。しがみ付く手が傷を抉る。けれど、この痛みが何だと言うのだろうか。 もっと辛かったのはこの子だ。怖かったのも、寂しかったのも、この子なのだ。手が伸びる。おいで、と囁いた。 「……ごめんね」 母親ではない。けれど、それでもせめて、その心が救われる様に。重ねた優しい嘘にまた、幸せそうに子供が笑う。帰って来てくれただけで嬉しいと言いたげなそれに、闇紅は表情を動かさない。それがどれだけ人に見えようとも。もう道から外れてしまったものだと知っているから。 仕方の無い事だ。長引かせないで、誰にも被害が出ないならそれでいい。何処までも冷静な彼女と横で。目の前の幻影を蹴り払ったヘキサは微かに、その姿に表情を歪めた。 「お前はスゲェよ、最後まで自分の親を信じて待ち続けたってンだから」 幻影の向こう側。貧しい孤児院を必死に支える幼い自分を見た気がして。目を逸らしかけて、けれど確りと前を見つめ直した。目は逸らさない。受け止めるべき痛みだと思うから。闇紅の刃で動きを止めた少年に、向けられるのは夏海の腕。 神速の抜き撃ちが、寸分違わず少年の頭を撃ち抜く。致命傷一歩手前。明らかにぐらついた其処に、振り上げられた黒き風車。 「……君がまだ生きている人だったら助けたかった。でもそれができない以上」 此処で滅ぼす他に選択肢は存在しない。滲み出す暗黒は間違い無く、この子供の命をもう一度奪うのだろう。紫色が僅かに揺れた。けれど、その手は止めない。どれ程、助けたいと願ったって。 もう、この子供は生きていないのだから。降り注いだ黒が、その命を喰らう。ぐらり、と傾いだ身体。それでも笑ったままの、小さなそれを。 しっかりと、抱き留める隻腕があった。 ● きっと。温もりが欲しかっただけなのだろうとティアリアは思う。暖かいご飯を一緒に食べて。一緒にお風呂に入って、綺麗にしてもらって。一緒におやすみなさいをして。そんな、ごく普通を望んだだけだったのだろうと。 少年も、此処に彷徨う幻影も。ただただそんなものだけを望んでいた筈なのに。当たり前の様でそうでなかった夢は、叶わないままに終わってしまった。そっと、幻影へと手を伸ばす。 そんな、彼女の目の前で。確りと少年を抱きしめたアンドレイは僅かにもがいた細い身体を壊さない様に優しく、けれどきつく抱き直す。きっと。望んだ温もりにはなってやれないだろう。包む腕は一つ足りなくて。母にも女にもなれないけれど。 それでも。 「大好きだよ。愛してる。――生まれてきてくれて」 ありがとう。 嗚呼。どれ程重ねても。全てを伝えてやるには言葉も時間も足りない。有りっ丈。知る限りの愛の言葉を。彼が欲しかったのであろうそれを。小さな身体に囁いた。 「……その痛みも、苦しみも、寂しさも……愛も、纏めてオレが引き継いでやる」 只管に。真っ直ぐな紅を逸らさずに。ヘキサもまた、眠りに落ちていく少年に告げる。もう、待たなくていいのだ。安心して眠っていい。暗く饐えたにおいに満ちた其処に、僅かに差し込む暮れ日の残光。哀しみばかりを囁き交わしていた幻影が、僅かに揺らめく。 暗い部屋。一人きりでずっとずっと、明日を考え続けた日が、魅零にもあった。明日の自分は生きているのだろうか。生きていても。どんな風に売られてどんな風に扱われてしまうのか。そんな事ばかりを延々と。考え続けた時があったのだ。 自分には救いの手があった。救われて、戦わない世界の為に剣を取る事が出来た。けれど、それが無かったのなら。きっと同じ感情を抱えただろう。悲しくて辛くて寂しくて。痛い程に分かるから。だから。 「私はヒロトくんも、君達の事も殺すよ。……来世は」 幸せになってね。囁く程の声だった。謝るつもりなんて無かった。解放が救いだと、願っているから。伸ばした指先が触れた子供が、嬉しそうに笑った気がした。夕日に溶ける様に消えていく影。ティアリアが抱き締めた影も、みんなみんな。溶けて、消えて。 まだ微かに意識を保つ、少年だけが残っていた。まま、と呼ぶ声はもう音になっていなくて。伸ばされた手は、アンドレイの背を確りと握り締める。さみしい、と囁いた声がした。大きな、大きな背が僅かに震える。 「……もうお休み。大丈夫、小生が一緒だ」 さあ目を閉じて。眠ってしまえばいい。これはみんなみんな、悪い夢なのだから。大きな、もう何も映さない瞳が緩やかに瞬いて。緩々と、笑った。 「――あったかいなあ」 零れたそれが最後だった。力を失った身体を、それでもアンドレイは離さない。涙等、見せられる筈も無かった。主義という刃で人の命を奪う自分だ。この子供を殺す事を是とせねばならない人間だ。だから。差し込む夕日が細くなっていくのが見えた。気付けば澱んだ空気は流れ出していて。もう此処に、何も残っていない事を教えてくれる様で。 「お休みなさい。……少しでも、安らかになってね」 愛しているわ、と。囁いたティアリアの声は子供達に届いたのだろうか。 ● かつん、かつん、とヒールがコンクリートにぶつかる音が聞こえた。 「……あっれ、開いてんの? やだ、逃げたのかな……」 聞こえてくる能天気な女の声。堪え切れなくなったように拳を握って駆け出しかけたヘキサを、アンドレイの手が制す。殴り倒してやりたい気持ちは分かった。自分だって、視界に収めただけで殺してしまいたくなりそうな程なのだから。けれど。 どれ程加減をしても、何が起きるかは分からないから。止める手に必死に激情を飲み込んで。室内に入ってきた女と目を合わせた。 「あんたの望みどおり子供は死んだよ。良かったねぇ……これで好きに遊べるね……この屑が」 驚いた様に室内を見遣る母親を見据えて。フランシスカは冷やかに言葉を投げる。なんで、と言う問いには答えなかった。子供は親を選べない。そして、その先の選択肢が元々閉ざされていたのなら。無力な子供はこうして死にゆくしかないのだ。 護ってくれる筈のものに、見放されて。激情を孕む紫の隣で。夏海は冷やかに、溜息を漏らして首を振った。貴女の所業で、子供は化け物に変わったのだと、その唇は告げる。傷つき倒れた小さな身体を示した。 「だから殺したよ。私達があと少し遅れてたら死んでたよ……良かったね?」 要らなかったものは死んだ上に、その命は救われたのだ。何処までも冷やかに。告げた彼女は己の腕についた武器を差し向ける。運が良かっただけだ。たまたま万華鏡が予知をして、たまたま、この手が間に合っただけ。次もある、だなんて保証はないのだ。 「次も都合よく助かると思わないでね。……死んであの子に詫びてきて、このばばぁ」 こんな女、殺す価値も無い。冷たく言い放って。放ちかけた武器をそっと仕舞った。怯え切った顔でこちらを見つめる『母親』の目の前。長い黒髪を揺らして立った魅零の手は、何の躊躇いも無くその頬を叩く。其の儘、胸倉を掴んで立たせた。 人の癖して人でなし。子を育てる事も出来ない母親を此の侭にしておけば、また悲劇は続くのだろう。だからこそ。魅零は言葉を向ける。本当は脆い心に鞭を打って。真っ直ぐに視線を合わせた。 「貴方の人生は好きにすればいい。でもね、」 もうやめて欲しかった。勝手に産んで、勝手に殺して。そんな事をする権利なんて彼女が、否、どんな人間でも持って居る筈も無いのに。彼女が母親である前に一人の人間であるように。子供だって、一人の人間なのだから。 「誰だってね、幸せになる権利はあんのよ。……貴方の子供にもね」 向ける怒りは子供と、そしてこの母親自身の為のものだ。こんな行いを繰り返せばいつかはその身に戻るだろうから。もう二度とこんな事をするな、と手を離せば、へたり込む女の視線が僅かに、死体を見て。気分悪そうにその目を逸らす。 「テメェが何をしたか、全部受け止めやがれ。目ェ逸らすなンざ許さねェ」 出来る限り。冷静に吐き出した筈の声は怒りを含んで震えていた。その死を悼む事があっても忌む事があってはならないのだ。この結末を齎したのは、彼女自身なのだから。それに。 彼女がどれ程ろくでもない人間なのだとしても。少年は最後まで、母を愛していたのだから。少年には、彼女しかいなかったのだから。拳を握った。長い兎の耳が、その感情を映す様に僅かに揺れる。 「……次は、テメェのガキを大切にしてやれよ」 大事にされたかった。その気持ちを知っているからこその言葉はけれど、母親には届かない。怯え切った顔で後退った彼女は、意味わかんない、と呟いて。死んだ我が子に目もくれずにその部屋から飛び出した。 かつかつと、遠ざかるヒールの音。最初から最後まで自分の事しか考えられない彼女の後姿を見遣りながら。ロアンは深く、深く溜息をついた。 「君は最低のクズ親だよ。一生十字架を背負って生きるんだね」 嗚呼。大嫌いな神様。不平等で不条理な神様。憎しみばかりを向ける貴方に、今日だけは祈りたかった。祈らずにはいられなかった。どうか。哀しみばかりだった子供たちの魂が、そこでは安らかである様に。 瞼を落とす。冷たくなった死体を抱え上げたアンドレイは、そうっと頬に付いた血を拭ってやる。命は不平等だ。けれど。不平等であったとしても。愛されたいと願う気持ちはどんな命だって同じ筈なのだ。 「親を選べない子供の悲劇……わたしは引き取り手があっただけまだ幸せだったのかも、ね」 最後まで届かなかった子供の想い。力いっぱい壁を殴りつけて。フランシスカは緩く、その首を振った。違う道を得られた自分は幸せだったのだろう。自分で生きる事が出来るまでさえも、育てて貰えなかった子供は如何したら良かったのだろうか。 気付けば夕日は沈んでいた。真っ暗になった部屋は、酷く寒くて。冷たくて。寂しさを増長させる様だった。 一緒に帰りましょう。囁く程の声が、暗闇に落ちて。もうきっと二度と開けられない扉が、静かに閉まった。 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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